2006/12/29

拝啓FT様 サービス業の生産性について

 英FT誌の安倍政権批判記事が結構面白くて、gooニュースの中でもアクセスを集めているみたいだ。

 「破壊者」を無視する余裕など日本にはない―フィナンシャル・タイムズ(gooニュース)

 英国系経済メディア独特の回りくどいレトリックとロジックが駆使されているので、ネット上の特亜批判的な分かりやすい罵倒記事を読み慣れた人には何を批判しているのかよく分からないだろうが、まとめると以下のような感じかな。

 「ライブドア堀江がつるし上げにあったのは、彼が攻撃しようとした日本の政治・経済を牛耳る保守的なエスタブリッシュメントたちのせいだ。この連中は一見進歩的知識人の皮をかぶって安倍政権のブレーンとなっていたりもするが、実際のところ彼らの主張は『世界トップの日の丸製造業をもっと保護せよ、外資の侵入から日本を守れ』ということだけだ。要するにお仲間クラブの馴れ合いを守りたいだけなのである。かつて小泉政権で大胆な改革に踏み出しかけた日本の政治も、経済政策に定まった知見のない安倍首相になってから元の黙阿弥になってしまった。中国・インドにのされようとしている既存の大企業や製造業を保護するのではなく、網の目のように張り巡らされた規制の撤廃によって芽を潰され続けてきているベンチャー企業、またはサービス業にもっと大胆な可能性を与えて、第三次産業の生産性を上げなければ、日本に将来などない」
 細かい部分についてはさておき、FTアジア担当コラムニストのグイ・ド・ジョンキエール氏によるこの主張自体にはまったく同意だ。安倍政権の経済政策について「財政赤字を削減し、時期尚早な金利引き上げで景気が失速しませんようにと祈る――─安倍氏の経済政策とは結局、これくらいしかなさそうだ。」と喝破するに至っては、お見事というほかない。

 まさに日本のややこしいところは、歴代自民党政権にも密接に関わるメインストリームにいる「進歩的(リベラル)」とされる知識人・経済人の多くが、実は言葉の本当の意味での「リベラル」ではない――米国のリベラリストのように、あらゆる人種・立場の人々に対する可能性を損なわないように配慮する役割を重んじるのではなく、日本の同じメインストリームにいる人たち(企業、団体、個人)が立場を失わないように配慮する役割も、同時に担っているというところにある。

 日本の場合、リベラリストはリベラリストというだけで社会的に尊敬され、その地位を維持できるというわけではなく、「お仲間クラブ」の誰かのメンツを潰すようなことをした瞬間に、その「お仲間クラブ」から追放されてしまうのである。したがって日本でエスタブリッシュメントであろうとすれば、米国の上流階級の人たちと渡り合える「リベラリスト」であると同時に、必然的に仲間をかばう「保守」たらざるを得ないのだ。財界・学界だけでなく、これこそが「リベラル」と「保守」が同居する自民党政治の本質でもある。

 小泉前首相は、その意味で言えば実は徹底的に自民党お仲間クラブの「アウトサイダー」でもあった。だからこそあれだけ豪快な改革をやってのけられたわけだが、安倍氏は残念ながらそうではないということが早々に明らかになってしまった。さて、日本の人たちは一見リベラルでその実極めて保守なお仲間クラブの人たちが再び凝集して密室で談合する政治への逆戻りをよしとするのかしないのか、というところが2007年の見どころだろう。

 さて、その話はともかくとして、ちょっと気になったのはジョンキエール氏の論考の後半の段の「製造業よりサービス産業の改革とその担い手としての『破壊者』、つまり堀江のようなイノベーターが必要だ」というくだりだ。ロジックそのものには全面的に賛成するものの、例示や理解が間違っている。そこのところを補足しておきたい。

 ジョンキエール氏はサービス産業の労働生産性が低いことの証明として「銀行の窓口」を挙げているが、これは必ずしも正鵠を射ていない。日本の労働生産性が先進七カ国中最低となっているのは、確かに全産業中労働投入量の58%を占めるサービス産業(第三次産業)の労働生産性が全産業より16%も低いせいだが、金融サービス業自体の労働生産性は、国内平均値よりも高い。やや古いデータだが、2001年の産業構造審議会のこちらのデータ(PDF)の、7ページ左下のグラフを見れば分かる。金融業は、全産業の平均以上のところにいる。

 これに対し、労働生産性が著しく低いのは、「飲食」「商業」「生活支援サービス」の3つだ。日本の労働生産性統計の足を思いっきり引っ張っているのは、このうち第三次産業全体の労働投入量(労働者数×平均勤務時間)の34.7%と、3分の1以上を占める「商業(卸売業、小売業)」である(ちなみに、飲食業の労働投入量は7.0%、生活支援サービス(介護、保育)のそれは3%弱)。ちなみに、僕の手元にあるデータによれば、小売業の労働生産性は国内全産業平均の52%、卸売業のそれは59%しかない。

 さらに細かく見ていけば、小売業の中でもっとも労働投入量の多いサブセクター、それは家族経営商店(全小売業の55%)である(こちらのデータ(PDF)の9ページ上の図参照)。僕の手元にあるデータによれば、家族経営商店の労働生産性は、ただでさえ低い国内の小売業の労働生産性平均に比べて、さらに40%も低い。要するに、地方のシャッター通りの商店街にある、商売をやってるのかやってないのかも分からないような無数のお店が、日本の第三次産業の労働生産性を思いっきり引き下げてるってこった。詳しくはこのブログの過去エントリ「郊外出店規制じゃなくて、中心市街地商店廃業強化が必要じゃね?」をどうぞ。

 で、誰がこんなとんでもない構造を作り出してるのかってことも、そのエントリに書いた。ありていに言っちゃえば、流通分野の中小企業にありとあらゆる補助金を与え、固定資産税を軽減し、開店休業状態でも店を閉めないほうが税制上有利になる仕組みを作ってきた政府ですよ。ジョンキエール氏は労働生産性の著しく低い日本のサービス産業の事例に、都銀の窓口などではなく、「どこの田舎でもいい、JRの駅を降り立ってすぐのところに、生きているのか死んでいるのかも分からないような静まりかえった小さな商店の連なるモールがある。日本政府は何十年もの間、莫大な税金を投入して、この競争力のまったくない個人商店をひたすら生きながらえさせ続けているのだ」とでも書けば良かった。都内の銀行は、ここで言う「サービス産業の低生産性」の事例としては、いささか適切ではなかった。

 まあ、それはともかくとしても、「日本の問題は、有望な新興企業が少ないことではない。有望な新興企業が、なかなか大企業にまで成長できないのが、問題なのだ」といった指摘は、正しすぎるぐらい正しいので、この1件をもってジョンキエール氏の論旨を否定するものではない。どこの誰とは言わないが、「サービス業=金融業」とか勝手に読み替えて外資ハゲタカ批判してる人とかは、大いに反省した方が良いよ。

 というか、これだけストレートに日本経済の問題点をきちんと指摘できるエコノミストが、日本国内に皆無ということのほうが、はるかに大きな問題だと思うのだけど。やっぱりアレですね、日本人エコノミストたるもの、サービス産業がすでに国内の総労働投入量の3分の2を占め、年々増え続けていると分かっていても、偉大なる我らが経団連様の前では「やっぱり日本はものづくり、製造業立国ですよねはっはっは」とか言わないといけないのですよ。

 もしそこでとちくるって「いやだってサービス産業のほうがずっと深刻な問題じゃないですか、医療とか教育とか、もっとガンガンに規制緩和すべきです」などと正論レポートを書いた瞬間に、それこそ政財界の「お仲間クラブ」からパージされてしまうという、この息の詰まるような閉鎖的言論空間そのもののほうがずっと大きな問題かもしれませんね。ではこのへんで。読者の皆様も良いお年をお迎えください。

追記:文中で「手元にあるデータ」と記したものの類似データがネット上に公開されてるのが見つかったので、リンクを張っておく。2004年の経産省のもので、データ(11ページの「サービス業における労働生産性」のグラフ)は1999年のもの。

08:06 午後 経済・政治・国際 コメント (13) トラックバック (2)

2006/12/25

収税係 is coming to home!

 ♪You better watch out, You better not cry, better not pout, I'm telling why. The 収税係 is coming to home♪

 というクリスマスらしい陽気な音楽にのって(嘘)、我が家に警察ならぬ市役所から未納住民税の取り立て係がやってきた。追徴金の額は1億1600万円…じゃなく、3000円である。

 彼女(たぶん60歳ぐらいのおばさん)は、2カ月ほど前にも1度我が家に来られたのだが、僕が「どういう理由で追加の税金を納めなきゃいけないのかちっとも分からないので、その理由を説明してください」って言ったら、ほぼ即答で「今分からないので、調べてきます」と去っていったのである。そして待つこと2カ月。彼女はきっと、あれから東京・霞ヶ関の財務省内部に決死の覚悟で潜入し、2カ月の内偵を終えて僕の質問に答える物証をつかんできたに違いない。

 このたった3000円の税金の未納は、実は昨年の秋ぐらいから自宅に「未払住民税のお知らせ」という封書がたびたび届くようになっていたのだが、「理由不明」とみなして放置していたものだった。何度か督促状が来たのち、今年の秋についに封書ではなく収税の担当者が直接おみえあそばしたというわけだ。

 で、僕が再び「どうして追加の税金を納めなければならないのか理由を教えてほしい」と尋ねると、彼女はおもむろに僕の出した2年前の確定申告書を出して、「雑所得」欄に僕が書いたアルバイト原稿の原稿料のところを指さして言った。「ここの分の住民税です」

 でもその原稿料は、所得税の源泉徴収はすでに払われているはずだったので、僕は「これまで普通に住民税も払ってきているんですけど、どうしてその雑所得に対する源泉徴収以外にさらに住民税を払わなきゃいけないんですか?」と質問した。すると彼女は「分からない。市役所の収税課に聞いてみてください」。いや、その、2つめの質問でもうアウトですか?(笑)この2カ月何して来たんだか。

 またかよと思いつつ、ここでまた追い返すと、このくだらない3000円の件が3年越しになってしまう可能性が高く、ここにいる誰も得をしないなと思ったので、玄関口に彼女を待たせたまま、電話を取ってきて彼女の指し示した「収税課」の番号に電話をかけた。「すいません。雑所得に対する住民税が払われてないって今、家に来ている収税係の人に言われてるんですけど、既に源泉徴収で払ってるんじゃないんですか?源泉徴収って、国税だけに100%入るんですか?」と聞くと、電話口の収税課職員がもごもご言った後に「分かりませんので、ちょっとお待ちください。のちほどかけ直します」。…収税課の人間が、自分が今取り立てようとしている税金の根拠も知らんのかいな。

 で、しばらく待っていたら電話がかかってきて、はきはきした女性の声で「雑所得に対するものではなく、給与所得とすべて合算したうえで、既にいただいている特別徴収額との差額をご請求させていただいております。源泉徴収に住民税は含まれておりませんので」。やっと納得し、目の前の年輩女性に3000円払った。ちなみに、僕の税に関する疑問にいつも一番明快に答えてくれる公務員って、たいてい若い女性担当者だったりする。なぜなんだ(笑)

 前々から思ってることだが、税金集めてる連中って、本当に全然自分たちの集めてるカネのロジックを知らずにやっている。まあ、税の体系は複雑怪奇だから全部頭に入れられないのかも知れないが、ロジックを知らずにかけずり回ることの積み重ねがどんだけの無駄につながるのかということの意識がないのが、まさに官の官たる所以。だいたいそのカネはなぜきちんと確定申告なり源泉徴収なりの、通常プロセスの中で集められなかったのか。それをきちんと分析して今後のプロセス改善にフィードバックしなければ、たった3000円のために職員がわざわざうちに2回も訪問するなんてことになる。徴税コストのほうが徴税額よりずっと高くつくじゃねえか。

 たとえ当該案件の課税のロジックが出てきたとしても、職員によって言ってるロジックが違うことがままあるので、同じ税務署内の違う職員に確認するだけで、数万円とか数十万円も課税額が変わったりもする(これも経験済み)。今回はそういうことはなかったが、税金を払うときはロジックをよくよく確認して、自分で納得できるまで税務署内のあちこちの職員に尋ねて回った方が良い。これ、確定申告のジョーシキである。

 それにしても、そもそも源泉徴収に住民税が含まれないことぐらい、どうして地方自治体で収税業務している職員が即答できないのか?税金と国民年金の徴収窓口を統一、という話が出てるが、そんなややこしい話以前にそもそも地方税と国税の収税業務を税務署か地方自治体のどちらかに集約したらどうなのか。めんどくさくてしょうがない。

 まったく、クリスマス当日にとんだ来訪者だった。ま、今年は住宅ローン減税でがっぽり年末調整が戻ってきたから、いいけどさ。収税係の皆さんも、こちらのレシピ等もご参考にローストビーフなどご用意しつつ、せいぜい良いクリスマスをお過ごしください。

03:53 午後 経済・政治・国際 コメント (4) トラックバック (0)

2006/02/26

みんす党は(国会で)何もしないを、しよう。

ブログキャスター 東洋経済から届いた「ブログキャスター」の見本誌、読んでいてすごく面白かった。何が面白いって、書いているブロガーの経歴をずらっと眺めることができたこと。「へぇー、こんな人もブログ書いてるんだー」というカタログ感覚が良い。あと、自分も含めて微妙にブログ本体の中心的話題とずれたテーマのコラムを書かされているのも面白かった。その方が、出たとこ勝負の文章力が問われるしね。僕のコラムがどうだったかは、読み手の皆さんにご判断を任せるとして。

 で、その自分の書いた政治ネタのコラムを読みながら、これを書いた時のことをちょっと思い出したりしていたのだが、その頃はまだ通常国会の開幕前で、マスコミが「ポスト小泉」の下馬評でそこそこ盛り上がっていたりした時期だった。政治の世界の先は分からないとはいえ、コラムを書いてから1カ月しか経っていないのに、想像のはるか斜め上を行く急展開っぷりである。なんじゃこりゃ。

 特にこの1カ月の間に強烈なスポットライトを浴び続けているのは、党首以下、忘年会にやり残した宴会芸のつもりで国会に取り組んでいるんじゃないかと思うほどのダメっぷりを露呈しまくる我らがみんす党だ。送金メールの真偽なんてさぁ、自分で確かめられないなら馬渕議員の秘書通じてどっかの第三者ブログ(笑)に「怪文書ハッケーン!」とかリークさせてみて、2ちゃんでどう反応出るか確かめてからおもむろに取り上げても良かったのに。脇がアスパルテーム並みに甘い甘い。

 んでもって、国対委員長が「真実をこれ以上補強できない(=間違いでしたゴメンナサイ)」と事実上の白旗を揚げてるっちゅーのに、なんで党首が「説明責任を果たす」とか言いながら謝らないわけ?もう全然訳わかんない。心配しなくてもあんたの首取ってこんなダメダメ党の党首に成り代わりたい人なんていないっての。とっとと謝っちゃえばいいのに。

 思うに、昨年10月にみんす党のお茶会に招かれた時に既に感じていたのだが、どうも今のみんす党の人たちというのは、上から下まで自分たちがどれだけ追いつめられた立場にいるかという自覚がないのだな。だから、既に選挙民から「あんたたちはもう国会にいても意味がないよ」と言われたのにも気がつかず、まだ国会で自民党に真正面から噛みついてみせて「ほら!僕ちゃん、こんなに噛み付くことができるんだよ!」とか、選挙民にしっぽを振って見せているわけだ。見苦しいったらありゃしない。

 というわけで、一人で自爆して窮地に陥って自民党のイエスマンとか我ら選挙民を唖然とさせているみんす党の皆さんに、永田町の常識に関してはまったくの門外漢が考えた今後の身の振り方を以下ご提案してみようと思う。

 まず、前原党首は記者会見してお詫びすべきだ。「あのメールは間違いでござんした」と。でもそれだけだと誰もが「何を今さら」と思ってしまう。そこで、お詫びついでに大向こうをあっと驚かせる一大博打に打って出るのだ。それが、「出直し的解党」宣言である。

 「解党的出直し」というのは、政権運営に行き詰まった時の自民党の紋切り型常套句である。本当に解党するわけがないことぐらい誰でも知っているのでインパクトがない。なので、みんす党としてはむしろ「甘い党内体制をたたき直して出直すためにいったん解党する」と宣言しちゃうわけだ。本当に解党するのである。

 永田町にある本部も、賃料を払うだけ無駄なのでとっとと引き払う。そして、ネット上に「元みんす党バーチャル無所属議員連合本部」を作り、これから一切の政策論議は各議員の地元支部と議員会館の部屋、そしてネット上だけで行うことにする。

 無所属議員の集まりに過ぎないので、国会で質問する時間とかがほとんどもらえなくなるだろう。いいのである。どうせ国会は3分の2を占有する与党連合のものなのだ。たまに質問の時間が回ってきても「小泉さんはこれこれこんなことを最近おやりになりました」とか政府発表をおうむがえしにしゃべるとかだけにしてニュースバリューをゼロにし、マスコミがみんす党の発言や行動を一切報道できないようにするのである。

 そうすると、マスコミは必然的に政府と自民党の言い分を垂れ流すようにしか報道できなくなるか、仕方なく自民党内の些細な意見の相違とかをほじくり返しては報道するかのどちらかに向かう。これは自民党にとって、なにげに結構恐ろしい事態だ。党内が常に一枚岩、小泉首相に大賛成ではニュースバリューがなくなってしまうし、かといって話題を作るために党内で違う意見があることを明らかにすれば、せっかく小泉首相が「小さな政府、官から民へ」といったスローガンでまとめてきた政策のブランドイメージがぼやけて、党としてのまとまりが見えなくなってしまう。

 その間、元みんす党の議員は国会で「何もしないを、する」ことで浮かせた時間を、2年後の衆院選に掲げる包括的な政策プランの構築と、地元有権者の支持固めと政策の周知徹底のために丸々使う。政策テーマごとにmixiでコミュニティを作って参加者と議論を重ねてゆく。もちろんmixiのコミュニティには自民党関係者は入れない(笑)。

 そして、今後20~30年後までの日本の将来の変革プランと政策体系をまとめ上げ、ネット上と地元選挙区とで合意を固めたうえで、満を持して衆院選前に党を再結成し、大規模なPRキャンペーンを展開して国民に問う。それまではとにかくあらゆるコストを節約し、2年間けちけちで生き延びるのである。

 みんす党が地元とネット上との組み合わせでがっちり日本の将来プランについての合意をまとめ上げる頃には、実質的な野党不在の国会での自民党の独り相撲に国民はもう飽き飽きしているに違いない。「もう自民党には2年間、さんざん好き勝手にやらせたんだから、今度はちょっと別の連中にやらせてみたいね。そういえば、みんす党とかいう政党、2年間完全に地下に潜って長期的な政策を練りに練っていたそうじゃないか。どうだい、今度は10年ばかりみんす党で行ってみないか」。選挙民にそう思ってもらえれば、みんす党の勝ちである。

 ・・・てなワケで、某第三者ブログのような切り出し方で申し訳ないのだが、そろそろみんす党は国会のスタンドプレーで「何かを、しよう」とするのを止めてほしい。3分の1以下の議席数で何をしても自民党にとっては、痛くもかゆくもないどころか、与党内のさまざまな雑音を打ち消したり、3分の2の議席を持っているという重大な事実から国民の意識を逸らせたりするのに役立ってしまうだけなのだ。

 ここはいっそ思い切って、国会では「何もしないを、する」つまり“気配”を消すことに逆に専念してみてはいかがだろうか。最大野党に“気配”を消されて一番困るのは、党内のノイズがごたごた好きなマスコミを通じて国民に筒抜けになってしまう自民党自身なのである。あるいは、カウンターのいない圧倒的多数の議席を独占しているという危険性を国民にいつも意識されると一番困るのも、自民党なのである。

 みんす党としては、ここで1997年のスティーブ・ジョブズを見習ってほしいと思う。巨人マイクロソフトにとって一番困るのは、ビル・ゲイツが市場の独占者ではないことを示す「健全なライバル」がいなくなることだった。アップルはそれが一時的にはユーザーの猛反発を食らうことを分かっていながら、マイクロソフトからの出資や技術協力を受けた。生き延びるためには、巨人の最大の弱点につけ入るのが、実は一番効果的だったからである。

 ジョブズのやったように、今のみんす党にとって自民党と全面提携しちゃうというのも1つの手ではある。だが、企業である以上消滅するわけにいなかったアップルとは違い、みんす党には「(国会からは)消滅したようにみせる」という、最大の嫌がらせ手段を取ることも可能なのである。

 「ブログキャスター」を書いた時にはもう少しのんびりとしたことを書いたけど、ここまで来たら、もう徹底的に意表を突く奇手を繰り出すしか、みんす党にとっては形勢挽回の方法がない。幸い、衆院選まで時間は2年半あるんで、「説明責任」とか言ってないで、マジでどうにかしてください本当に。

(洒落の分からない人のために申し添えておくと、この提言はほとんどジョークですのでよろしく)

02:45 午前 経済・政治・国際 コメント (27) トラックバック (5)

2006/01/25

Disney、Pixarを74億ドルで買収

 なったみたいですねえ。今、テレビ東京のニュースで流れてました。買収金額は74億ドル、Steve JobsはDisneyの取締役になるそうだ。とりあえずまだ欧米メディアにしか出てないのでUSATODAYのニュースでもはっとく。

 書かれているニュースによると、買収は全部DisneyとPixarの株式交換。Disneyの時価総額が500億ドルだから、Pixarの評価額が74億ドルということは、Pixar株主はDisneyの7分の1の株を手に入れたことになる。JobsはDisneyの筆頭株主になるそうだ。あと、John Lasseterがアニメスタジオのディレクターに加えて、Disneyのテーマパーク部門のアドバイザーにもなるそうな。

 DisneyのPixar買収は、まあなるべくしてなったというか、このディールを落としたらDisneyもPixarも大馬鹿者として歴史に名をとどめただろうぐらいの言われようだったので、まあ良かったというか。

 むしろ、ここでの焦点はJobsがDisneyにどのぐらいの影響力を持つようになるかっていうことだったと思うのだけど、筆頭株主で取締役ですか。筆頭っつっても10%弱なんだろうから、取締役に入れてもらったっていうのはJobsにとってかなり大きな成果なんじゃないだろうか。JobsがDisneyでどんなことをやろうとするのか、興味津々だ。Appleのハードとの組み合わせを考えたりすると、すごいことになりそう。

 あと、これから楽しみなのは、Pixarのクリエイティビティの源泉であるJohn Lasseterがテーマパーク部門のクリエイティブ・アドバイザーになるということ。これまでDisneyの中のPixarキャラクターは、ライセンスのあるものだけの控えめな露出だったりしたので、もっと大々的にいろいろとキャラやストーリーを使ったアトラクションがテーマパークに出てくるといいなあ。

 というわけで、柄にもなくミーハーなエントリでしたが、今日はとっても忙しいのでこんなところで。

07:25 午前 経済・政治・国際 コメント (8) トラックバック (12)

2006/01/18

ライブドア死すともデイトレは死なず

 ライブドアの件、盛り上がってますね。オジャマモン証人喚問にネタをぶつける陰謀論説が出回ってますが、こんなにみんなが聞いた瞬間に連想するような「陰謀」は、そもそも陰謀じゃないってばさ(笑)。陰謀はだまそうとしてる相手が気が付いたら、意味ないんだから。

 まあ、あえてその黒幕がいるとしたら、政府内の財政再建優先派の人たちじゃない?つまり、このまま日経平均がぐんぐん上がっていったら、そりゃ誰もが高所恐怖症になって「デフレは終わったんだ、金融を引き締めろ」って叫び始めるから、防御戦を張るためにまずは相場加熱の元凶たるデイトレ銘柄の総本山に冷や水をぶっかけとけ、となった可能性はあると思う。ま、これも妄想の範疇の話ですが。

 だから、これはある意味「デイトレ投資家に媚びを売るような企業はこれからも潰しますよ」という見せしめでもあると思うし、そういう資本戦略を描いてライブドアの金魚の糞作戦を実行しようと考えていた経営者や証券屋さんへの警告でもあると思う。あるいは、既にそういう戦略をやってるところはさっさと下降乱気流に巻き込まれて死んでくださいというようなね。

 その他いろいろな陰謀論メニューは極東ブログの本家がご用意くださっているのでそちらをご参考にお好みをご注文いただくとして、ちょっと気にかかったのはライブドアPJに登録したらしい神田敏晶氏@KNNの「ライブドア家宅捜査とオールドエコノミー的感情論」というオピニオン記事だ。

 ライブドアが強制捜査を受けたとなった瞬間にこれまでの話を掘り返して叩きまくるマスコミの報道ぶりを、「ネット時代の先端企業が直面した今回の問題は、日本のネット産業とオールドエコノミー(つまりマスコミ)との確執」と切って捨ててる。

 罪状も分からないまま特捜が強制捜査に入ったから、マスコミ屋さんはみんな情報がないままニュース枠をでっちあげなきゃいけないんで苦労してるだけであって、あれこれ推測してバラエティやワイドニュースのネタにするテレビ局のお調子者ぶりなんて、別に今に始まったことじゃないでしょ。それとも、ほとんどの質問に証言拒否したオジャマモンの証人喚問を延々流しまくって、ライブドアの話題は「特捜が強制捜査に入ったそうです。目的は何かよく分かりません。そゆことで、じゃっ!」だけで終わらせろとでも?

 まあ、やっぱりマスコミ憎しなネタがネットでは注目浴びるのは事実だから、そっちに振りたいのはよく分かるんだけどさ。しかし「マスコミのやってることのほうが風説の流布だろ」とか、「たかがライブドアくらいの社会の甘さを活用して利益を上げる企業にふりまわされる日本の証券制度や法制度の方が時代遅れ」とか、ちょっとこっちのほうがトンデモ説な感じがするけどなあ。磯崎氏もisologueで言っているとおり、「今取り上げる話なのか?」という疑問はあるにせよ、事実なら法律違反は法律違反ですから。

 あと、気になったのは、ライブドアのビジネスモデルを「目立ちながら、儲けるというユニークな視点は絶賛したい」と褒めてること。いや、これって別にライブドアのお家芸でも何でもなくて、ソフトバンク孫正義の「説明会経営」のコピーなんですけど。どこがユニークですか?

 そもそも日本の証券市場って、バブル崩壊後の大企業は配当も低くて株価も上がらないから、ずっと投資に対するリターンが低かった。だから、個人投資家がそういう企業の株を長期保有していても全然儲からなかった。そうすると、個人投資家の目がブルーチップ(優良大企業)の長期保有ではなく、新興中小銘柄の短期投資(デイトレーディング)に向かう。

 で、短期投資する人というのは、配当性向よりも流動性やボラティリティ(株価の振れ幅の大きさ)のほうを重視する。孫正義は、ヤフーという株価ボラティリティの高い高成長企業を生み、一躍人気になった。ただ、ヤフーは発行済み株式数が(分割を繰り返した今でも)3000万株と少なく、そのうえかつては80%以上を米ヤフーとソフトバンクで握っていた。だから、ボラティリティは高いものの、その分株価も猛烈に高く(1株百万円を超える)、流動性は当然ものすごく低かった。

 これに対し、ライブドアは昨年末の時点で発行済み株式数は10億株、しかも固定株主の比率は30%程度に過ぎない。株の売買単価も安く、個人投資家にとっては手が出しやすい。しかも毎月、毎週のようにM&Aや新サービス、CEOの目立つ行動が報じられたりして、売買のネタには事欠かない。株価も当然それなりに活発に動くわけで、デイトレーダーにとっては「理想的な投機銘柄」である。

 ホリエモン自身も、おそらく自社が「短期売買を投資スタイルとする個人投資家」という、資本市場における「(急成長中の)顧客セグメント」のニーズに最もよく応えている企業という自負はあっただろう。ライブドアが頻繁なM&Aを繰り返したり、株式をいじったりしてみせるのも、根本にはそうした顧客ニーズがあるところへの合理的行動なのだ。

 マスコミが指摘するべきだとしたら、「六本木ヒルズ族に対する懲罰」とかそういうことではなく、「デイトレ投資家に最適化するような行動を取る企業が出てくる日本の証券市場の構造をどうにかしろよ」ということなんじゃないのか。今の日本では、楽天なんかまさにそうだけど、株式の長期保有にふさわしい「堅気な企業」になろうとした途端に株価が下落し、M&Aなどを使った成長戦略が描けなくなってしまう。資本市場のせいで、堅気になりたくてもなれないというジレンマがあるのだ。

 これって誰のせいかと言われれば、長期保有株主をコケにしまくってきたNTTを初めとする日本の伝統的大企業の資本政策のせいであり、また投資家の長期的利益を尊重した経営をするように大企業に株式市場を通じた圧力をかけてこなかった「ぬるま湯の創造者」たる年金基金や投資信託といった大口機関投資家のせいである。つまり構造的な問題なのですよ。

 だから、たとえ今ライブドアを潰しても、日本の証券市場では短期売買の方が儲かるという(個人)投資家の信念を変えない限り、第二、第三のライブドアは生まれてくる。ライブドアの存在は、資本市場のプレーヤーの信念と持ちつ持たれつなのだから。霞ヶ関の方面に黒幕な方々がいらっしゃるようでしたら、ぜひそこんとこをよくお考えくださいな。

 念のため付け足しておくと、神田氏@KNNの「もし証取法違反が事実だったとしても、最高5億円の罰金はライブドアの経営自体を窮地に追い込むことにはなり得ない」という指摘は、まったくその通りだと思う。ライブドア本体は「流動性とボラティリティの高い株式」を提供するのが主な商売の会社かも知れないが、その子会社には見るべきものを持った事業会社がたくさんある。

 だから、個人投資家の皆さんはここぞとばかりにライブドアの上場事業子会社の株を拾いまくっておくと良い。セシール、ライブドアオート、ターボリナックスなどお勧めだと思うよ。そういう企業の株は、ライブドア本体の資本市場におけるメッキがはげ落ちたとしても、逆にこれから価値が出てくるだろうから。ま、株式投資はあくまで自己責任でよろしくってことで。

(13:10追記) ちょうどこの記事のおかげで、さっきアクセスカウンターが300万を超えたっぽい。ここまで続けてきた自分を褒めてあげたい(嘘)。ご愛読ありがとうございます>皆様。

12:11 午後 経済・政治・国際 コメント (33) トラックバック (30)

2005/12/29

なんで年末になると少子化対策の話になるんだろう

 去年もなんか12月末から1月にかけて、こんな記事とかこんな記事を書いた覚えが。読み直すと、あの頃はコメント欄の長文レスにもまじめに答えてたなあと感慨深い。それにしても、毎年飽きもせずにこのネタが繰り返されるのは、政府の来年度予算案関連の報道がトリガーになっているからなんだろうか。

 今年は非モテ論とかが僕みたいな妻子持ちの素人には手が出せないぐらい燃え上がったこともあって、これ系のネタは無視しようと思っていたが、何やら突然H-Yamaguchi.netで議論の歴史的経緯とか非モテの琴線とかをまったく無視した暴論エントリが上がっちゃいました。

 暴論:「負け犬」男性を救え!(H-Yamaguchi.Net)

 あーあ。山口さん、やっちまったよ。というわけで、ちょっとなだめ気味に歴史的経緯のご説明をば。

 山口さんが1つまったく踏まえてないなーと思うのは、そもそも酒井順子の『負け組の遠吠え』っていうのは、女性性側における20年以上続いた「未婚vs既婚論争」の一方的敗北宣言だったということだ。

 つまり、この本は30台にもなって未婚のくせに、恋愛資本主義における「非抑圧者」としての女性性という枠組みから逃走できた(つまり結婚して生活臭にまみれることから逃避できた)ことを根拠に、子育てに忙殺されている既婚の女友達に向かって、「どうだ、ルイヴィトンのバッグいいだろー」とか勝ち誇るのはもう止めようぜ未婚の同志たちよ、という、それまで20年以上続いてきた「未婚vs既婚」論争における白旗敗北降伏勧告の書なわけですよ。そのへんの詳しい経緯はエキサイト・ブックスの「ニュースな本棚」での、「『負け犬の遠吠え』が書かれた理由」をご覧ください。

 で、それを

世間での論じられ方をみていると、実は「負け犬」であることをあえて引き受けるというか、ある種の「誇り」を持っているような気がする。「何が悪い」「これでいいじゃん」というわけだ。雑誌のコピー風にいえば「私らしく」かもしれない。実際、このカテゴリーに入る女性たちの中には、元気で輝いている人たちがたくさんいる(と紹介されることが多い)ような印象がある(もちろんそうでない人たちも多いだろうが)。
 とか言っちゃったら話が20年前に戻っちゃうわけですよ。それをあえて「負け犬」と呼ぼう、というのが酒井氏の言い分なわけだし、少なくともあの本がベストセラーになったということで、「クロワッサン症候群」に始まる20年の論争は、1つの終着点を得た訳だから。

 ところで、問題はそれの反対側、つまり山口さんが「本当の負け犬」と呼ぶところの男性性の側なんだな。山口さんはここで

男性の「負け犬」はどうだろうか。あくまで漠たる印象でしかないが、「元気で輝いている」といった印象からは程遠い感じがする。「負け犬」女性と比べて、「負け犬」男性はかなりさびしいというか情けないというか、そんな扱われ方がされている感じがするのだ。
 と書いているが、だってそれが今までの日本社会のジョーシキだったのだから当然のことである。30後半、40歳になっても結婚できない男が「甲斐性なし」と後ろ指さされる風潮は、別に今に始まったことではない。

 女性性の側ではそうした既存の女性抑圧の価値観に抗ってきた20年間の闘争を、この本によって「結局、誰が悪いんだかわかんないけど、やっぱり結婚できないあたしたちってフツーじゃないよね」「いくら仕事がバリバリできたって、結婚も出産もできないようじゃ世間様から一人前と思われないんだね」みたいな、ある意味総括して“降伏”を宣言したわけなんだけど、男性は抑圧されない側だっただけに意識改革も遅れてて、最近やっと既存の価値観に対する宣戦布告が始まったばかりなんだわ。つまり女性に比べて約20年のビハインド。

 山口さんはこれに対して「理屈や『べき』論はともかくとして、マクロレベルでこうした男性を『なんとか』しないと、社会が望ましくない方向へ向かってしまうのではないか」と、少子化問題というマクロ論へと問題を接続しようとするのだが、これはご本人も「暴論」とおっしゃっている通り、危険な方向性の議論ではある。

 この問題に対する僕のスタンスは、約1年前に居座り君改めantiECO氏からあれだけDISられたにもかかわらず基本的にはまったく変化していない。最初にリンクした2つの記事で書いた通り、「出産数を増やすためには、政策ターゲットを『1人目を出産したが2人目を躊躇っている夫婦』に絞れ、そして子作りの『目先のコストというハードル』を下げるのではなく『将来のQOLの期待値』を上げろ」という立論である。すなわち、非モテの人をいきなり「お前が少子化の元凶なんだYO!」ってDISってはいけませんということ。

 ちなみに、僕の主張はこちらの記事に対するコメント欄でantiECO氏がご指摘の通り、「共働きかつ高学歴な子供を望む世帯にとってだけ都合の良い政策」だとは思うが、逆にこれからの世の中で男性の側だけに専業主婦を養えるほどの収入があり、かつ子供に義務教育以上の高学歴を望まない家庭というのが政策ターゲットとしてそれほど多数存在するとは思えないからそういう立論にしている。もし「世の中の大勢はそうじゃない」という新事実が出てくるようであれば、主張の撤回にはやぶさかでないけれども。

 でもって、たぶん山口さんのエントリのきっかけになった、いったい政府の少子化対策の何が問題なんだろう、これから何をすればいいんだろうというそもそも論に戻って考えてみたい。

 幸い12月までの少子化社会対策推進会議の議事録とか、今年3月に調査したっていう子育て女性の意識調査とかが全部ネットに乗っているので、ざっと目を通してみた。それで思ったのは、まず推進会議の委員の誰かも言ってたけど、これまでに政策としてやれることはだいたいもう出尽くしてるんだね。でも、圧倒的に「誰にも知られてない」の。おしなべてほとんどの政策について、8割以上の人が「政策の名前も内容も聞いたことがない」か「名前だけ聞いたことあるが内容は知らない」のどっちか。

 つまりこれ、簡単な話で、政策マーケティングが全然出来てないのだよ。それなりに一生懸命政策を作って実施している(僕に言わせると、それでも上記の理由でピント外れなものが多いと思うが)にもかかわらず、そのことをまさにちゃんと知っていてもらいたい政策ターゲット(子育て中の女性)に、全然リーチしてないのだ。ここでは調査対象に入ってないから分からないが、現在子育てしている(つまり関心が最も高いはずの)女性にさえこれっぽっちしか認知されてないってことは、おそらく結婚を控えた独身男女には、政策の存在すらほとんど知られてないんだろうな。

 で、今子育てしている女性が何にも知らないので、子供を産もうかどうしようか迷っている女性に対しては、“経験者”たる子持ち女性から「サービスの悪い民間(無認可)保育園には法外なカネがかかる」「幼稚園は遅くまで面倒見たりしてもらえず、全然使えない」「小学校以降は学校以外の教育費にべらぼうなお金がかかる」といったネガティブな噂だけが伝わっていくのだろう。もうねアフォかとバカかと。

 内閣府と少子化社会対策会議は、1人でもいいから民間のプロのマーケティング・コンサルタントでも雇って、政策をどうやって実際のターゲット顧客層に周知徹底して「子供生んでも大丈夫なんだ」という心理状態を生み出すか、真剣に相談しろよ。少子化対策なんて、インプットが女性のディシジョン・メイキングで、アウトプットの数値目標が地域と年齢層別の出生率という定量目標でしょ。こんなにモダン・マーケティングの応用に適した政策分野はないんだからさ。

 だいたいね、いろいろ手は打ってますって言われたって、その内容を「少子化社会対策基本法では~」とか「少子化社会対策大綱における~」とかの枕言葉をつけて説明されたら、頭に入る奴なんかいるわけないじゃん。ちゃんと清涼飲料買うときみたいに分かりやすく説明してもらわなくっちゃ。というわけで、猪口大臣と内閣府共生社会政策担当室は、テリー伊藤まで起用した同じ内閣府の郵政民営化準備室の広報戦略でも見習って、ちょっとはソーシャル・マーケティングにお金かけましょうね。ぜひぜひ。

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2005/11/18

生活保護は国の責任だとか言ってるご都合主義者どもに告ぐ

 三位一体改革で相変わらず霞ヶ関の抵抗というか、握ったひもは死んでも離したくない人たちの思惑が顕わになっていて笑えるわけだが、政府のやり口を批判する側も結局なんだかんだ言って、総論では地方分権に賛成なのだけど各論では反対という、相変わらず知恵の足りない反応しかできないのがなんだかなーと。

 義務教育の国庫負担金は中教審のホゲ答申にへつらって国負担堅持をうたうくせに、生活保護は削減して地方に分権してもいいんじゃね?とかぬかしてる自民党のボケ爺どもはもはや「抵抗」でさえなく「低脳勢力」の一言でほっとくとして、それにしても「生活保護は憲法で保障された最低限のセイフティーネットだから地方分権しちゃいけない」とか、まったく意味のわかんねーことを言ってるのはどこのアホですか。勘弁してください。てか本当に憲法で決まってる国の役割は地方分権しちゃいけないとか言うなら、知事会は自衛隊と米軍の部隊配備計画にいちいちグダグダ口出すなよマジで。国防は国の役目なんだからな。

 とか煽っていてもしょうがないわけなんだけど、さて本題の生活保護の話。まず最初にワタクシのスタンスを。住宅扶助全額、生活扶助と医療扶助は2分の1とかわけわかんねーこと言ってねーで、とっとと全部全額地方に分権しろ厚労省。なんでちょっとずつ中央のひもを残すんだよ。結局またそこで国の言うこと聞かざるを得なくなるじゃねーか。やり口が汚ねーんだよ。これが結論。

 ちなみに、この件についての新聞の社説を見ると「総論賛成、各論反対」の典型。朝日の11/16付け社説は「子育てとか在宅福祉の三位一体はいいけど、生活保護はどうかなー」だって。ヤの字の方々の既得権益だったり耶蘇教の方々の縄張りだったりする生活保護は、見栄えの良い福祉を食い扶持にする左巻きさんたちにとってはうまみが少ないですかそうですか。いやはや大変ですな。

 これに対して読売の11/18付け社説は新自由主義風。「生活保護は地域によって保護対象の実態も違うから、地方の裁量を大きくするのは基本的によろしいんじゃないでしょうか」と言った最後に、「でも支払いはもっと厳正にね!」とチクリ。基本的なところでは異論はないんだけどさ、むしろ生活保護の支出は所得が二極分化する以上は、これから増える一方でしょ、好むと好まざるとにかかわらず。

 ただ、トータルとして「収入が少ないから生きていけない」という人は世の中全体でかなり減ってると思うのだよね。スラドで最近議論になっていたけど、アニメーターとか役者とか建築家とかポスドクとか、アート系の職業というのは常に年収50万とか100万円だったりするわけで、でも裕福な親とかが裏で生活を支えてたりするので生きていけるわけだ。

 こういう、言い方は悪いけど「好き好んで生活保護レベルの水準に生活を落としている」人、企業で言えば「将来が楽しみな赤字」な人と、世の中の何かの間違いで突如貧困に落ちちゃった人や気がついたら隅田川の川縁にたたずんでいた人とかを同じ収入基準で判断して「生活保護」の対象にしようとする方が無茶なわけで。まさに収入基準以外のいろいろな事情というかライフスタイルというかによってその人をどう処遇すべきかというのも変わって当然なんである。

 非常におおざっぱに言うと、首都圏や大阪とそれ以外の地域での生活保護対象というのは、困窮している部分が正反対という意味で本来打つべき手がまったく違うと思う。大都市の生活保護世帯というのは「ホームレス」という言葉が象徴するように、住む場所の確保を巡ってのトラブルにまず直面するわけだ。そしてその状況を食い物にする人々というのも世の中には存在する。

 山谷とかに行って話を聞くとよく分かるが、生活保護でもらったお金を、ホームレスが役所から出てきたところでそっくり全部巻き上げる宿屋(ドヤという)商売が存在する。で、ドヤの回りにはちょうどその日稼いだ日銭で良い具合に飲み食いできる安酒屋がびっちり軒を連ねたりしているわけで、こういう環境に住んでいる限り永久にそこから出られなくなる。結局こういう、地域まるごと生活保護を食い物にして成り立つ「産業」の存在を何とかしない限り、何ともならんのだ。

 一方、地方の生活保護というのは住まいはあるんだけれど仕事が恒常的に、ない。地方はただでさえ仕事がないのに、生活保護受ける世帯とかっていうのは、さまざまな事情があって本当にない。これまでは公共事業がある程度の生活保護的雇用創出を担っていたわけだけど、今や公共事業そのものが減ってるし、その元締めだった組織は完全に既得権益死守にやっきになってるだけだしね。もう悲惨なもんですよ。

 そんなに悲惨な話、全然聞いたこともないだって?そりゃそうでしょうよ、これまでそういうのは国がほとんど財源の面倒を見てくれたし、地方自治体はとにかく悲惨な人たちの集まってるところをなるべく人目に触れない一部のエリアに限定して、世間から隠し通すことだけを考えてきたのだから。そして、政治家も子育てや老人介護は「票」につながるから声高に訴えるけど、生活保護の仕組みの改善や充実なんて票にも何もならないから、とにかく目を背ける。住民も、ホームレスや生活保護の人を集めて収容する施設が自宅のそばにできるというだけで猛反対。結局誰もひたすら目をつぶろうとしてきただけなんだよね。

 で、マスコミもマスコミで、生活保護というと「働けるのにもらってる人がいた」とか不正受給の事例を挙げて非難したり、読売みたいに「支給の審査を厳しくすればいい」とか言ったりするばかりで、生活保護者を食い物にして成り立つ産業の問題点やその解決策について議論しようともしない。平成17年度の一般歳出47兆2800億円、うち社会保障費20兆3000億円のうち、生活保護支出は2兆円を超えますがそれについては見て見ぬふりですか?まったく、社会全体で資本主義の臭いものには蓋をすればいいっていうこの体質、酷いもんだよね。

 問題の根源は、生活保護が単に収入や財産という外形基準だけで受給される制度である限り、その制度を悪用して生活保護者を社会の最低層に閉じこめてロックインするという「生活保護産業」をなくすことはできないし、それを解決しようとする社会的なアクションを起こすきっかけも作れない、ということだ。もっと言えば、読売のこの記事が書いているように、都市部の高齢者世帯においては生活保護が実質的に年金に代わる仕組みになっている以上、この問題は国民年金の未払い率にも無縁じゃない。

 ホームレスの流動性の高い首都圏や近畿圏では、首都圏ならおそらく東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県の1都3県が、包括的な自立支援活動をやっているこういったNPOなどとも共同でホームレス自立支援と都市計画を合わせた広域政策大綱をまとめて実施しなければ問題は解決しないだろうし、地方においては公共事業に頼らない民間主導の雇用創出策とセットで生活保護を考えなければいけないだろう。

 いずれにせよ、「セーフティーネット」というのは、お金の問題ではなく地域社会の問題である。もはやカネをいくらばらまけばいいのかとか、誰がカネをばらまくのかという次元の話ではない。施設整備費を委譲せずに生活保護という「票にならない」カネのやりくりだけを地方に押しつけようとする厚労省のやり口も確かに酷いとは思うけれど、だからといって地方自治体と地域住民が生活保護の抱える問題にこれまでのように無関心を貫いていて良いわけがないのだ。

 というわけで、霞ヶ関の悪口をうそぶきながら「民にできることは民で、地方にできることは地方で」とか偉そうに主張するくせに、生活保護の話になった途端に憲法だとか国の責任だとかごね始める朝日新聞をはじめとするご都合主義者どもは、厚労省の前で豆腐五丁にヘディングして氏んでいただければと存じます。以上よろしく。

09:12 午後 経済・政治・国際 コメント (18) トラックバック (8)

2005/11/01

サルかゴリラになった気分でした。

 政治の話のプライオリティというのは難しいものである。そして、この場ではプライオリティが高いものは何で、低いものは何という行司をやる人間がいなければ、議論を建設的な方向にファシリテートすることはできない。今日(昨日)の民主党ブロガー懇談会で一番強く感じたのはこれ。

 前原代表ほか民主党側の面々はと言えば、正直「ブロガーとはどのような人種なのか」というのを、興味津々で見に来ていた、というのが正確なところではないかと思われる。なんだか動物園のサルとかゴリラになった気分。で、いきなり最初に泉あい氏が「ここの人たち、ほとんど全員初顔合わせなんです!前原さんに会うより、ブロガー同士会うことのほうが緊張してます!」とか言っちゃうし(笑)、小飼氏やBigBang氏あたりからはWeb2.0的な発言がバンバン出るものだから、もう全員目を白黒。トホホ。みんな、もうちょっと優しくしてあげようよ。

(11/1 9:40追記:GripBlogの報告エントリのコメント欄に、細野豪志役員室長が降臨。キタ━━━━(゜∀゜)━━━━ !!!!!てか、もうブログやってるんじゃん、豪ちゃん・笑)

 僕も一応質問らしきものは2~3個用意していったのだけれど、ブロガー側の面々のはしゃぎっぷりを見てこれは突っ込んだ質疑応答には到底ならないなと察知し、即座に記録係に変身。黙々とノートパソコンのキーボードを叩きながら、民主党とブロガーの話のかみ合わなさを見物することに決めた。ま、速記録をアップしたので多少は泉氏にお呼ばれしただけのお役目は果たせたかと思ったり。しかし、個人的には内心結構白けモードでした。ええ。

 んでもって以下、帰り道でつらつらと考えたこと。

 率直に言って、民主党の首脳陣が「与党に衆院で320議席取られたこと」の現実をどの程度リアルに認識しているかということに対して、懸念を禁じ得なかった。比例代表の得票数を見れば前回参院選と大して変わらないと言い張るのかも知れないが、3分の2は3分の2である。国会内でどんなに泣いても喚いても、少なくとも衆議院内で民主党は「要らない」と言われているのと同じであり、また参議院は議会の存在ごと「要らない」と言われているのも同然なのである。この事実の受け止めが、できているのかどうか。話を聞いていて分からなくなった。

 もちろん国会対策は重要だ。しかし自民党からすれば、民主党の対案など「まったく耳を貸さないのもかわいそうだから話ぐらいは聞いてやる」程度の意味しかないのだ。こんなところで正面から戦っていて、何かが得られるわけもない。であれば国会という正面作戦を撤回せよ。あとは遊撃戦あるのみである。つまり、毛沢東を見習え。

「戦略の本質――戦史に学ぶ逆転のリーダーシップ」 民主党にとって「ネット」こそ、現代の日本における井崗山(毛沢東率いる紅軍が国民政府に破れて逃げ込んだ山岳地帯)だと思う。国会をほったらかしても、とまでは言わないまでも、ちょっとはインターネットにいる「ブロガー」とかいうプロレタリア農民とともに、小飼氏の言うような「戦線との距離の格段に短い兵站基地」を築いてみようとか思わないのか。

 とか何とか書いてると、だんだん頭が痛くめんどくさくなってきた。続きは野中郁次郎ほか著『戦略の本質――戦史に学ぶ逆転のリーダーシップ』、これちゃんと読んでください。一応、毛沢東の戦略とリーダーシップが分かりやすく書いてありますから。いや、あの、課題図書っていうのは、みんす党の方々への、って意味だったんですが。うーん、通じてなかったかなあ。トホホ。

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2005/10/31

民主党ブロガー懇談会速記録

民主党ブロガー懇談会 自民党が内閣改造を発表する中、逝ってきましたよ、その隣のうらぶれた雑居ビルに。で、とりあえず速記録つけた。おかげですげえ疲れたし、しかも自分ほとんど発言・質問できなかった。まあいいや。

 ICレコーダーとかじゃなくて、全員がわあわあしゃべってるのをノートに打ち込んだだけのすごく荒っぽい速記なので、発言の細かいところとか思いっきり省略しちゃったりしてます。聞き違えとかも多々あるかも。場の雰囲気を想像するためだけに使ってください。参加者はもし間違っていたらコメント欄でツッコミ入れて下さい。たぶん、正確な議事録は泉さんあたりがまとめてくれるでしょう。僕自身の感想は後ほど。

【民主党ブロガー懇談会 速記録】

出席者:(民主党側・写真左より)大塚耕平・参院議員、松本剛明・政調会長、前原誠司・代表、細野豪志・役員室長、泉ケンタ・衆院議員
     (ブロガー側)略。泉さんのブログを参照のこと。

(18:15 前原代表、登場。ブロガーと名刺交換)

前原 (弁当をあっという間に食べて)政治家って食べるのが早いですからね。むちゃくちゃ早いですよ。僕は高校の時に3~4時間目の間の10分間に弁当を食べて、昼休みは遊んでいましたね。それが3年間続いて。野球をやってたんです。友だちと遊んでましたんで。阪神ファンです。
BigBang ご愁傷様です。
小飼 優勝したのにご愁傷様もないもんだ。(笑)
泉ケ 僕も北海道出身ですが阪神ファンです。子供の頃は食べ物のあるチームしか好きじゃなかったんですけど。
前原 ロッテって、試合中にガムかんでないと罰金らしいですよ。いや、本当に。いや、(泉は)北海道だから巨人ファンなのかと思っていたけど。
大塚 今の会話は記録されているんですか。
R30 はい、記録してます。
小飼 今の話をアップしておけば本当かどうか誰かがコメントつけてくれると思いますよ。
前原 いや、それ本当だって。
細野 こういううんちくネタのほうがいろいろコメント付くんですかね。
小飼 できの悪いネタとか、ツッコミどころのあるネタのほうがツッコミがたくさん入ります。
前原 皆さん、お互いに顔を知ってらっしゃるンですか。え、知らない!?(驚愕のご様子・笑)

大塚 では口火を切らせていただきます。本日は党本部に来ていただきありがとうございます。もともとは泉さんのほうから代表などにインタビューの要請があったのですが、就任後ようやく時間が取れましたのでここで皆さんにお誘いをしまして、こういう席になったと。ここで話したことはブログに掲載していただいて構いませんが、どなたかのブログを見たら「記者会見」と書いてありまして、これは別に記者会見じゃありませんので、あくまで懇談会ですから。
 で、先ほどの流れのままで行きたいと思います。どうぞ。
ヤメ蚊 国民投票法案についての本を書いたヤメ蚊 と申します。政治家とブロガーの方がどういうふうに接するのかというのにも興味があるので、後できかせていただきたいのですが、国民投票法案について触れますと国会の方から提案があり、新憲法がどういうかたちで決まっていくのかという投票の過程を決める法案であると。これで問題と思ってるのは、まず誰が投票するのかということ。次にどうやって憲法草案の情報を入手して、議論ができるのかということ。そして、それがどのように投票に反映されるのかということ。この3つです。
 今年出ました自民党案を見まして、この3つについてどれも大きな問題があると思いました。一方民主党の法案はリベラルというか、非常に自由な議論が可能であると思いました。ただ、あえてそれぞれの3段階で問題かなあと思うところがありますので、質問させていただきたい。
 18歳以上の方が投票するということになっています。自民党は20歳。広げたことはいいと思いますが、議論から落ちていると思うのは刑務所にいる人、刑の執行を受けている人です。こういう人は投票権がないからしょうがないということですが、憲法自体で自分の処遇が変わるかも知れないわけですね。こういう人が投票できないと言うのは問題があるんじゃないかと思います。そこの点について検討されたことがあるかどうか、もしなければどう検討していくおつもりか。
大塚 時間がないので、1人ずつ自己紹介を含めながら質問をお願いします。
ヤメ蚊 はい。それから2つめについて、公務員の制約という点についてですが、枝野先生がいらっしゃるところできいたところ、「地位利用が問題である」という話を言われました。民主党の案を見るとそのへんは問題ないように思ったのですが、枝野さんの話を聞くと問題かなあと思ったので。
それから、最後は一括投票か個別の投票かということです。30項目変えるときには30個の点について投票するというものですが、自民党案を見ると、細かい点の位置とかも含めて全部変わっているので、一括でやらざるを得ない。そうすると、内容についての点と、外形的なところについての点の改正投票を同時にやらないという規制が必要かなあと。
大塚 我が社にも、結論が出ているところと出てないところがありますので。
 まず、公民権停止の方にも国民投票はしていただくべきというのがうちの考え方ですが、ただ物理的にどうやるべきなのかというのは詰めをしないといけないなと。例えば選挙違反で公民権停止中だけれども外にいる人はどうするかとか、刑務所の中にいる人はどうするか、と。
細野 そこも含めて議論を詰めるということだと思います。できるだけ広い人を対象にするということで18歳に広げて、公民権停止の人にも広げたいということで。
大塚 今回の国民投票法案は、180日の周知期間ということになっていますが、刑務所に入っている人たちにどのくらい情報が伝わるかということ、伝わるようにするためにはどのようにしなければいけないかということも必要でしょう。あと、公務員の地位利用については、周知期間に賛成や反対を運動するということは問題でしょうが、賛成や反対を述べること自体は問題じゃないと思うのですね。そうすると、地位利用とはどういうことを言うのか、ということになります。
 あと、個別か一括かについては、うちは個別でしたよね。
小飼 米国みたいに修正じゃなくて、改正なんですか。それは全然違うと思うのですが。
大塚 改正のほうだと思います。もちろん修正じゃいけないということはないのですが、これは憲法改正をどのくらい頻繁に行うかということなんじゃないかと思います。頻繁に行うのであれば修正ということでしょうが、2~3年に1回以下であれば改正にすべきかと。
前原 私が前から言っているのは「不磨の大典にしてはいけない」ということです。ただ、変わらないことを価値と考えている人もいらっしゃると思うので、ころころ変えるのも憲法の信頼性を落とすのではないかと思っています。ただ、時代が変わって大きな流れが変わっている時には、変えることを躊躇ってはいけないと思います。
小飼 変えるべきであると。
前原 ただ、個別投票というのは全体の枠組みを変えるという時には不適切ですよね。9条になるかも分からないのに、9条を個別に審査する必要はないのでは。
BigBang 自民党案を見ると、巨大な投票用紙があって、24項目とかをすべてチェックして行かなきゃいけないとか、、、
前原 例えば、国民主権なのに1条に国民でなく天皇が来るのはどうしてなのかとか思っています。
BigBang 具体的にどのような投票形式になるのでしょうか。
大塚 まだそこまでは細かいイメージを持っていなくてもいいんではないでしょうか。
小飼 もしAとBとが相互依存している場合は、Aが成立してもBが成立しない場合はどうなっちゃうんでしょう。
大塚 こういうのはうちの中でも議論としては出ていて、パッケージの個別のポイントを賛否を問うてもしょうがないという話は。
松本 我々、国会でもよくあるのですが、2本のまったく違う法律をセットで出してきて、これについて民主党は賛成か反対かというのが、よくあるんですね。これをどこで国民の皆さんがノーというのかと。
BigBang この前の郵政法案などもそうですが、2割ぐらいいいと思うけど細かい点でおかしいというところもある。今回は一括で○か×かというところに行っちゃうと思うのですが。
大塚 重要な点ですが、逆の見方もあって、ベストは最初に全面書き換えして、そのあとは個別で修正できるようにということなんですが、最初に一括を狙うと変えられないということになるかもと思うわけですね。そのへんは、自民党との話し合いの中で作っていくことになると思うんですが。
小飼 抱き合わせで一括というのはオーストラリアでもやった手ですね。国民が飲みにくいところを混ぜておいて否決されたという。
R30 だったら96条の改正条項だけ変えるというのではダメなんですか。
前原 それは、究極の議論ですが、その後お手盛りになってしまう可能性を否定できないので、一応全体像をちゃんと示しておいて、それの第一歩で逐条の議論をしていくということでいくというのが現実的なんじゃないのかと思いますが。
ソフト 29日の日経に川端さんが「軍隊を保持するということを明記した案を出した」ということを言われ、その後前原さんが国民の意見を聞いてからと言われているとありましたが。
前原 それは単に民社党案ですから。原則というのは「マイナー自衛権」という、いわば部隊の自衛権なんですよ。海外に出ている自衛隊は、警察権や自衛隊法に定められた武器使用の条項に従うことになっていますが、上官の命令に従うのは今の憲法では武力行使になってしまっているので、それをまず緩和すべきですと。それから今サマワで活動していますが、自衛隊を守っているのはイギリスとオーストラリアの軍隊ですが、彼らが攻撃されても日本の自衛隊が彼らを守ることができないんです。この2つを除外したうえで、攻撃型(湾岸戦争型)とか武力集団の掃討みたいなことはやらないというのが、今の党内の意見の一致です。
小飼 傭兵を使うという手はないんですか。
大塚 今、海外駐在拠点の警備は現地や日本の民間会社の派遣して警備しているので、事実上傭兵を使っているのと同じことですよ。
前原 そういうのじゃなくて、アメリカということでしょ。
大塚 まあ、それはあるかもしれませんが(笑)
BigBang 自民党の言う集団的安全保障のような話は。
前原 私の個人的考え方は、1項は残す。戦争放棄は日本の平和主義の根幹である。だけど2項の自衛権の放棄は、実際にはあってなきがごとしだったと思うのです。GHQがもともとそうさせるつもりだったのが、その後朝鮮戦争があって、結果的に解釈改憲が行われたんだと。したがって、2項には自衛権を有すると書くべきだと思います。なぜかというと、自衛権というのは国家の自然的権利なんです。今の憲法には個人の自然権は書かれているのに、国家の自然権は書いてないんです。これをちゃんと書くべきだというのが私の議論です。
大塚 徳力さん、いかがですか。
徳力 私は個別のテーマについて興味はないんですが、自民党と民主党が戦うにおいて、今回はこうなっちゃいましたが、1つはネットを使うというのがあると思うのですね。電波で自民、反自民が半々だったとき、民主党はその中の一部でしかなくなっちゃうわけですよね。で、韓国ではおーマイニュースのようなアプローチがありましたが、今回民主党のネットへのアプローチは弱かったんじゃないかと。もっとネットへのアプローチをすべきだったという気がします。今後どうされるのかというのを。先日、起業家の堀さんが中心になってYESプロジェクトをやられた時に、民主党は鈴木さんが来られてましたが、今後民主党はどうするおつもりなのかというのをききたいです。
(前原代表、電話で離席)
大塚 代表が戻る前に経緯を説明しますと、私自身は一昨年の衆院選、去年の参院選と見てきましたが、一昨年はブログはなかったですがネットで映像を提供することはやったわけです。また、どう差別化するかということで、党としてのアイデンティティを示すことが必要だと考えて、その流れで言うと自民党の皆さんはまずいなと思い始めたわけです。また、官から民へといった主張はもともと民主党が言っていたことですが、それにキャッチアップしなきゃという競争原理が働いて、今回はうちがやっていることを凌駕してしまったというのが実情だと思うのです。ここでは、お互いに新しい戦術を考えるというのが始まったと思うわけです。ブロガーの皆さんからいろいろアドバイスをもらえるのは大変嬉しいのですが、政治理論的に言うと二大政党制の中では主張は中道に寄ってくるというのがありますので、その中でどう差別化していくかというのが非常に大きな問題だと思います。もちろん、微妙な差が今後の10年、20年の日本に大きな影響をもたらすとは思いますが。
(前原代表、戻る)
前原 ネット対策が欠けていたというのは事実だと思いますし、それをやっていかなきゃいけないというのは事実だとおもいますが、皆さんのお知恵を借りていきたいと思います。
ヤメ蚊 ちょっといいですか。こういう細かい憲法草案を考えてらっしゃるのに、一般の人にはそれにアクセスできないということがあります。なので、それをどんどんネットでオープンにしていってほしいと思います。
BigBang 民主党案というのを必死で探したんですが、それが入手できないんです。自民党案は意外に入手できる。あともう1点、ブロガー対策といいますが、私はブロガーでもないし、ブログで食っているわけでもないです。ブロガー対策でどのくらい票が取れるかといったら、大して取れないですよ。でも、そこって天皇制みたいな話で、象徴なんですよ。ここが新しいものである、それをやっているということ自体が新しいというのが大事なんですよ。
小飼 長期的には、ネットに乗ってないものは存在しないものということになりつつあるわけで。完成してなくてもいいんです。途中でもいいから、とにかくアップすることが大事なんです。
松永 PDFでなくてもいいので、テキストで張っておけば、それがあちこちにコピペされて話題になったりするのです。
前原 でもそれは、あとで「こんなことを言っていた」という揚げ足取りに使われませんか。
松永 それは別に「途中だ」と書いておけばいいんです。それだけの話です。
小飼 検索エンジンにひっかからないものは存在しないのです。はてなという会社は、社内の会議をそのままブログにアップしたりしているのです。
BigBang ホームページとブログというのが違うのはそこなんです、プロセスを公開していただくことがすごく大事で、それが安心や人々の議論につながっていくのです。
Aa 菅直人さんが今日の一言というのをやってらっしゃいますが、あのレベルで十分なので前原さんにはやってほしいのです。
小飼 ブログは途中経過に対して、どんどんコメントが付いていくので、それがまた自分の考えを変えていくといったことにも繋がります。
大塚 皆さんにききたいのですが、ブログをやっていることで政治はどのように見えているのか、そういうものの受け取り方がどうなっているのか。
Aa ネットの人間は、マスメディアに対しての不信感が強いです。元の情報をゆがめて報道されるので、本当かどうかということが分からないので、それが知りたいんです。自民党では例えば小泉首相の談話がすぐにアップされていますが、そういうのをちゃんとみんな見て議論をするのです。
前原 小飼さん、質問したいのですが、一方通行でなく双方向であるとさっき言われましたが、私どもが言ったことに対する反応が来ますよね。それに対して答えなきゃいけないですよね。
小飼 そうです。レスポンスし続けなければいけないんです。ブログというのはそういうものです。
前原 それは大変だ…。
安曇 ただ、それは技術の問題で、私はそれを今仕事にしているのですが、そのままのブログは政治家の方には使えないです。でもそれをやれると思います。ちょっとここで私が持ってきた提案をご紹介したいのですが、公選法改正案のたたき台です。自民党が10/26にワーキングチームを作って議論を始めましたが、自民党の中にもすごい抵抗がありますが、再来年の参院選までには解禁ということになろうと思います。この通りを自民党が提案してきたら、結局意味がなくなってしまうので、有識者とかも引き入れて、ぜひその上をいく提案を考えていただきたいです。(6項目の提案の説明)
小飼 ガウディの話が出ていましたが、途中で観光客を入れて見せてるわけですよ。これを自民党はやったわけです。民主党が、完成するまでは立ち入り禁止で、完成したら手を加えたらダメよというのでは、自民党のほうが良いとなって終わりますよ。
松本 いろいろなご意見をいただきましたが、やはり誰にポンと任せるかということだと思いました。シンクタンクにしても、やはり任せたいと思う人は同じようで、そこから見直していかなきゃいけないと思います。
徳力 一ついいですか。直接発信するのと、テレビを通じて発信するのとどっちがいいかというと、やはり自分が直接発信して、それに対する反応をきちんと受けたほうがいいんですよ。
松本 そこは、我々も同じことを感じていますがやはり、
小飼 私もブログを始めたのは、テレビに出始めてからなんですよ。やはり自分の発言が途中で切られるので、自分で申し開きができる場がほしくなったんですね。
松本 実は、そのへん我々も考えていますが。…(メモ追いつかず)
大塚 これは最近きいた話ですが、今、中国共産党が自民党を研究しているんですよ。それは資本主義、民主主義の中でいかに一党独裁をするかということでね。それほど自民党と私どもにはリソースの差が大きい。そのギャップに我々がチャレンジしてるんです。例えば自民党は国有地にビル建てて、タダみたいな資金でオフィスを運営しているのですね。それに対してうちはもともと社会党のところにありましたが、今はこんな雑居ビルに入って、非常に高いオフィスコストでリソースも限られた中でやってるんですね。
安曇 …(メモ追いつかず)
細野 すみません!そろそろお時間なんですが。
泉あい 私質問してないから帰れない!民主党のこれからを考えるたびに思うのは、小沢一郎さんのことなんですが、前原さんにとって小沢一郎さんをどういうふうに考えているんですか?
前原 経験のある人からどのように学ぶかということですね。民主党の中にはアンチもいますし、大好きな人もいます。中小企業の社長さんにも小沢さんのファンは多いですから。
泉あい 10年前であれば小沢さんはすごかったと思いますが、今はどうなのかと。
前原 小沢さんには、政策決定や党の方針決定については、何の接触もしていません。幹事長(鳩山)が少し接触があるかも知れませんが。これまでの経験を生かさないと。
小飼 そこなんですよ。自民党は今回、これまでの経験を捨てましたよね。民主党さんとしては今後、どの経験を捨てるんですか。
前原 いつも言ってますが、政権を取るということはもちろん大事ですが、会社の社長になったのと同じですし、思い切ったことをやれなければ意味がないですから、小飼さんおっしゃるとおり、経験のある人の話を聞くべきという部分はきくし、違うと思えば自分の考え通りやるということです。
松本 私も政権交代をするために民主党にきましたが、野党で第一党になるためには仲良しになることが大事だったと思いますが、今は既に第一党になって、仲良しを捨てる時期に来ていると思いますね。
泉あい 小泉さんは亀井さんとか平沼さんを切りましたが、前原さんは小沢さんを切れるんでしょうか。そういう覚悟がありますか。
前原 必要であれば多数派工作もするし、説得もするけれど、切ることが覚悟ではないと思います。思いを遂げることが覚悟であると思います。
泉あい 前原さんの覚悟とは何ですか。
前原 自分のやりたいことをやるのが覚悟です。切ることが覚悟でもないし、それが覚悟を示すことでもないと思います。
松永 私、政治的に音痴なところがありまして、民主党さんって寄せ集めな印象があるんですね。小沢さんもいれば社会党、自民党からの方もいらっしゃる。民主党ってどこに走っていくのというのが分かりにくい。野党第一党を脱して政権党に走っていく時に、今までのものをマージして新しいものが生まれてこないとと思うんですが。
大塚 そこは定量的に示していく努力をしたいと思いますが、私なんかは2001年からなので別にどこかの旧党派に所属していたわけでもないし。
前原 自民党も、根っこの部分は変わってないのかも知れませんが、見え方は変わっていっているわけです。これまでは利益団体や族議員の力が強いように見えていたが、小泉さんによって少なくともそれは払拭されたように見えます。私は改革競争はやろうと思っていますが、最終的な価値は何を目指すのかというと、小泉さんは小さな政府といっているが、私はぜい肉は取る。だけれども結果的に小さな政府でなくてもいいと思っている。自民党と民主党とのどこが違うかというと、自民党は何でもマーケットメカニズムだと言っているが、我々は市場経済で救えないところはたくさんあります。地方や環境、あまり使いたくない言葉ですが生活弱者、子供や老人といった人たちがいます。来年医療制度の改革が始まりますが、株式会社の参入を認めて、それで人の命を守ることが成り立つのかという疑問が我々にはあるんです。そこをきちんと解決したうえで、ある程度均一な社会、セイフティーネットのある社会、ハンディキャップの人たちを救う社会というのを作りたい。金でものごとをはかるのか、そうした政治的な判断をするのかということを大切にするのかというのが、自民党と民主党の違いです。
小飼 では、その財源を示して下さい。
大塚 そこはまた議論させていただきたいと思います。
前原 我々が足りなかった面でもありますので、そこはぜひいろいろなご意見をいただきながら。ありがとうございました。

(19:45 前原代表、退出)

追記:ちなみに最終弁当論争の顛末だが、親子丼が各自の机に出され、全員が800円+お茶(缶)100円を大塚議員に支払ってむしゃむしゃ食べたとさ。あっ、そういえば宿題のチェックするの忘れちゃった!とっぴんぱらりの、ぷう。

08:42 午後 経済・政治・国際 コメント (12) トラックバック (27)

2005/10/28

みんす党vs自民党のブロガー大戦

 ガ島通信の藤代君が「自民党のブロガー懇談会の案内来ました~?」とメールをくれたのが、26日の朝。仕事でへろへろになっていた僕にはまともにメールチェックする余裕すらなく、「えー、別に来てないけど?」とかいい加減な返事を返してしまった。

 実際は、26日の10時過ぎに、僕にも懇談会のご案内が来ていた。ただ、あいにく11月1日は仕事が入っていて出られない。ま、今回は2回目だし、選挙も終わったし、素人受けしなさそうな面倒な話が出るんだろうと思って「案内来てたけど出られません~」と、なぜか藤代君に返事を書いて終わらせたはずの話が突然左向き大旋回(笑)。みんす党が自民党の前日、10月31日にブロガー懇談会をやるという話が飛び込んできた!しかも前原代表登場!突如風雲急を告げるブロゴスフィア(嘘)。

 みんす党の懇談会のほうは、こちらに詳細が。実は懇談会というか、泉あいさんが申し込んでいた前原代表インタビューの日程が決まったのを、せっかく自民党懇談会の前日だからという彼女の発案で急遽少人数のブロガーを集めての会見に切り替えたとのこと。彼女の機転の良さに感心すると同時に、自民党の動向をチェックすらしておらず、熱心なブロガーから提案を受けるまで対抗策を講じようともしてなかったみんす党新執行部の天然ぶりに大笑い。

 で、昨夜泉さんからメールが来て「来ませんか?」とのお誘いが。たまたま10月31日は仕事の予定も入っていないし、何だか面白そう(明らかに本来の「面白い」とは別の意味でだが)と思ったので、参加してみることにした。

 泉さんは憲法改正の国民投票法案について質問する気だそうだが、まあ与党に議席数3分の2取られている衆院で何の意志決定権もないみんす党に、今さら法案の是非とかを聞いても無駄だと個人的には思う。それよりも2~4年後に向けたみんす党の長期戦略について質問してみたいと思っている。これから連立与党との圧倒的な議席差を逆転できるかどうかは、形勢逆転に向けた明確な政治戦略が同党にあるかないかにかかっているからだ。それがなければ、他に希望のつなぎようもない。

 というわけで、10月31日の参加者の方々には、課題図書としてこの9月に出たばかりの野中郁次郎ほか著『戦略の本質――戦史に学ぶ逆転のリーダーシップ』という本を挙げておきたい。書評は後ほど。当日、ちゃんとこれを読んで原稿用紙2枚以内に感想をまとめてくること。いいかな。宿題やってこない子にはセンセイ、ゲンコツだよ。以上、11月1日を楽しみに待て!

11:05 午前 経済・政治・国際 コメント (8) トラックバック (14)

2005/10/05

本日発売の「論座」に寄稿

論座 11月号 例の世耕・福山両氏に会ってインタビューした件、本日発売の『論座』11月号に寄稿記事が掲載された。タイトルは「『広告』から『広報』へ――ブロガーを唸らせた自民党メディア戦略の大転換」。・・・えーとどなたか私以外に唸ったブロガーの方、いらっしゃいます?(笑)

 この雑誌、10年近く同業者であったにもかかわらず恥ずかしながら今まで目にしたことさえなかったのだけれど、読んでみるとなかなか面白い。自分はともかくとして、他の寄稿者に哲学者の東浩紀氏やビデオニュースドットコムの神保哲生氏、前外務省審議官の田中均氏などがおり、ネットでも人気を持つ人や書いたものをちょっと読んでみたい系の論客が多く、なかなか豪華な顔ぶれだ。また、他のマスコミであまり分析されなかったインターネット上の選挙関連の動向(GripBlogやYES!プロジェクトなど)もきっちりフォローした記事が載っていた。

 僕の記事は、何とgooポータルの特別寄稿に加筆修正(主に字数を削り、インタビューの結果判明した事実誤認とかを手直し)したものが載っている。文末にgooブログのURLまで載ってるし。いいのかよそれで。しかも寄稿者の名前が「R30」。文末のプロフィール見るまで、記号にしか見えないんですがこのペンネーム(笑)。でもそれをちゃんと「ペンネーム」として載せてくれたところがすごすぎ。いろいろな意味で感動した。

 で、一読者として見たときに思うのは、この雑誌、選挙後10日以内のところで出ていたら、もっと衝撃的だったろうになあということ。9/11に選挙が終わって週刊誌から月刊誌まであらかた語られ尽くした後に今頃こんな豪華な特集出されても、もうお腹いっぱいですがなという感じである。ま、それはある意味で月刊誌の宿命でもあるから仕方ないとは思うのだが、だからこそもっと違う切り口で見せる見せ方が重要だろうと思う。つまり、雑多なコラムをたくさん読まされたと読者に思わせない仕掛けのようなものだ。

 それで1つ僕が思いついたのが、ずらっと対談やコラムを並べる前に、編集者側の意図をきちんと巻頭文で解説しておけばいいと思うのだ。「今回の選挙にまつわる言説には、××、◎◎、△△といったバリエーションがあった。これらを思想的に整理すると、~~~となるが、この言説空間には☆☆☆といったところが見落とされている。今号の誰々の対談は、その見落としを指摘したものである。また、これらとは別に□□□といった論じ方のアプローチもあることが明らかになった。誰々と誰々のコラムは、この論じ方に関する2つのバリエーションを代表するものである。…」といった具合に。

 寄稿する識者の人には失礼かもしれないが、読者からすると世の中に無数に転がっている批評言説を、「論座」という編集部がどのように捉えて識者やコラムをピックアップし、それらの組み合わせからどういう論点やフレームの所在を読者に考えてもらいたいと考えているのか、ということを見せてもらったほうが、ずっと分かりやすくてためになる。逆に、コラム単体の面白さだけでは引っ張れない月刊誌にはこうしたアプローチがこれから欠かせなくなってくるのではないか。

 これに似た編集方針を採っているのが、このブログをお読みの方ならご存じの「ハーバード・ビジネス・レビュー」である。目次直後にある巻頭の「From the Editors」というコラムで、特集(Feature Articles)の企画趣旨と、掲載された4~6本の論文のポイントをそれぞれ10行程度で解説してある。これは読者にとって、自分の思考の関心に特集の中のどのコラムが応えてくれるのかどうかを確認できる便利さがあると同時に、「この編集部は特集を、単に“面白いから”といった興味本位でなく、構造化された知見として提供しようとしているのだ」という、情報に対する信頼感が生まれる効果も併せ持つのだ。

 社会学の論文集と違い、一般月刊誌はフレームの中に位置づけられないような話があるのだ、そんな「見取り図」を書くなんて不可能だ、という反論も出てくるだろう。しかし、同じ「面白いコラム」をぱらぱらと読むだけなら、今やインターネットでも週刊誌の立ち読みでも、どこでも読めるのである。同じクオリティのコラムを他より遅く出すのなら、それに見合っただけの知の構造化が付加価値についていなければ、わざわざ買って読む意味合いはない。

 ・・・と、自分の記事のクオリティを棚に上げて偉そうに編集部批判をしてしまったが、やはり自分で書いた文章というのは客観的に見られないものなので、ここではあえて語らない。読んだ方からの批判・罵倒をお待ちしたいと思います。ちなみに、個人的にはR30のコラムは、その前に掲載されている世耕・福山両氏のインタビュー記事を踏まえた総合分析、というかたちに整えたつもりではある(といいつつ、ゲラの段階では両氏の記事など目も通させてもらえてないわけだが)。なので、両氏のインタビューと合わせてお読みいただけると、より面白いのではないかと思う。

08:46 午前 経済・政治・国際 コメント (4) トラックバック (7)

2005/09/24

マクロ経済って本当に難しい

 よそ様の備忘録に茶々を入れるのも何だとか思ったけど、小飼弾氏が今頃になって選挙前に出た電波記事をピックアップしながらブログを書いていたので、ちょっと一言。

 備忘録-日本政府のB/S2003年度分(404 Blog Not Found)

 日本の公的バランスシートが2003年時点で350兆円の債務超過だという話から、小飼氏は「民間に金を回したかったら、郵政を『民営化』して『民間に金を回した』と言い張るより、国が吸い上げる金を減らした方がずっと効果的」と結論づけている。

 (9/24 9:30小飼氏からの反論について追記しました)

 ちなみに、子飼氏が参考にしているネタ元はこちらの記事。この記事を書いたのは吉田繁治という経営コンサルタントで、その人はこのデータを財務省のこのページから引っ張っている。

 国の債務超過額なんて1999年頃に「1000兆円ぐらいかなー」なんていうこんな記事が日経新聞にも載っていたぐらいだし、僕的に言うと「年金債務除けば350兆円?あれ、ちょっと見ないうちに随分減ったねえ、誰かなんかいじった?」とかいうぐらいの感想しかないわけですが。それを今ごろ引っ張り出してきて「郵貯・簡保が民営化されると国債価格が暴落する!金利が暴騰する!」とか騒ぐのってどうよ。(´△`)ホゲー ま、選挙に何の影響もなかったみたいだし別にいいんだけどさ。

 しかもそういうマクロ経済をちょこっとかじっただけの素人コンサルの分析を引っ張ってきて「資産が増えてなければ今年は400兆円ぐらいだ」とか、「民間にカネを回したかったら郵政民営化より国の予算規模を減らせえ」って言うに至っては、なーんだかーなー、という感じだ。もう素人床屋政談炸裂モード、めちゃくちゃでんがな。ま、選挙後だから世の中に何の影響もないし別にいいけど。

 いちいち個別の発言に反論するのもあまりにめんどくさいんで、どうしてこの分析がDQNなのか知りたい!って人は適当にネットの中で誰かが分析してる記事を探してみてください。

 っていうのも不親切すぎかもと思うので箇条書きで簡単に論点をいっとくと、

  • 国の債務超過は別に大した問題じゃない。そんなのはよくある話
  • 郵政民営化がなるかならないかと国債消化とは全然関係ない。というか郵政マネーが民間に回ろうがどうなろうが日本には今のところ国債以外に資金運用の場所などない
  • 金融の世界では、理論的にはとっくに価格暴落して破綻しているはずの日本国債がなぜいまだにそうならないのかは最大のパラドックス。理論の部分だけかじって「今すぐにでも破綻するぞ!」って叫ぶのは素人の証拠
  • 郵政マネーは国の一般予算とは関係ないところで運用されていたからこそこうなった。減らさなきゃいけないのは闇会計たる郵政マネーを勝手にじゃぶじゃぶ使っていた(今も使ってる)31ある特別会計や(たぶん80とかそこいらぐらいあるはずの)特殊法人とかの方
  • 「実は国が貸し剥がしの原因だ」というのは、一面においてはそうかもしんない。だけどバブル崩壊という羮に懲りて「100%元本保証」にしがみつくという膾を吹いてきたのは、そもそも日本国民自身でっせ
 というわけで、何となく議論の筋道だけ書いてみた。

 このあたりの話って、一般の企業の財務会計と全然勝手が違うから、企業経営の専門家であればあるほど、その常識を適用して類推しちゃうのでどえらい勘違いをやっちゃうのだよね。だからマクロ経済ってのは本当に難しい。とはいえ、「知らねえ奴は軽率なことは言うな」というのもアレだし、どっかに「サルでもわかるマクロ経済」みたいな素人向け解説ってありませんかね?いや、これはマジメな話。

 あと、全然関係ないけどParsleyさんのオカラと前チョンの分析があまりに面白かったのでご紹介しておく。これから武部幹事長を見るたびにボブ・マーレイやバーニー・マックの顔が思い浮かんで吹き出してしまいそうだ。

(9/24 9:30追記)さっそく小飼氏から神速レスTBが。→反論エントリ
 基本的なところで特に反論する点はない。表現の問題として「コップの水がもうあふれそうだ」というのと、「まだあふれてないしこれからもそう簡単にはあふれないんじゃね?」という程度の違いだけで、事実認識には大した隔たりはないということが分かったので、「素人床屋政談」の言は撤回させていただきます。あ、自分で「素人」ってのは認めてるからそのままでも良いのかな。

 しかし、20年後ねえ。個人資産何百億の小飼氏はいざしらず、吹けば飛ぶようなへそくり貯金しか持たない僕なんざ、20年後のことなんて真剣に考えたら、こんなところで生きてられませんがな。依存度が高いというより、選択肢がないからこそそういう発想になるってことだと思うんだけどね。

 あと、もう一つ言っとくと「国に吸い上げるカネを減らすべし」といってる人が「こういう勇ましい台詞は、私より多く納税してから言って欲しいものだ」って納税額自慢するっていうのもどうかなあ。僕みたいなオケラ庶民でさえ年間貯蓄額の5%を寄付に回して何とか税金によらない再配分をしようとしてるんだから、小飼氏みたいな資産家は助成財団でも作ってガンガン慈善活動に寄付して、「サラリーマンふぜいなお前の生涯所得の何倍も国に吸い上げられる前に再配分してやってんだよボケが」ぐらいの啖呵は切って欲しいと思われ(もうやってるならゴメンナサイ)。

12:10 午前 経済・政治・国際 コメント (11) トラックバック (12)

2005/09/15

世耕さん、福山さんに会ってきましたよ(´・ω・`)ノ

 総選挙が終わって、さて開票予想の比較とか書くかぁ・・・とか思いながら月曜日を迎えたとたんに、仕事が山のように降りかかるわ、あちこちから原稿の校正やら原稿執筆、コメントなどの依頼の連絡が入るわで、もうてんやわんや。あのー、僕別に「識者」とか言うような偉そうな人間じゃないんですが何か?半年前に記者業は廃業したはずなのに、なぜか締切に追われている・・・(泣)。

 そんなこんなでブログ更新をほったらかして週も後半に入ってしまいましたが、なんとそんな慌ただしいスケジュールを縫うようにして、某誌編集部のご厚意で自民・民主両党の広報責任者に「総選挙における広報(コミュニケーション)戦略総括」というテーマで、1時間ずつインタビューをすることができた。

 民主党は福山哲郎参院議員、自民党はかの有名な世耕弘成参院議員である。どちらも非常にざっくばらんに、ものすごい勢いで(横にいた編集者に言わせると、新聞やテレビの政治部記者には絶対に話さないようなレベルの話まで)しゃべりまくってくれた。半分ぐらいは紙どころかブログにも書けない話だったが。いやー、役得です。

 近頃あちこちのマスコミでは民主党の戦犯探しと自民党のあら探しが盛り上がっているようだけど、民主党のコミュニケーション戦略に関する限り、マスコミの記事の中に的確と思えた分析・批判はほとんどない。インタビューを通じて僕の感じたことに最も近いことを書いているのは、マスコミではなくてブロガーのカトラー氏が書いたこのエントリだった。戦犯探しにご興味のある方はカトラー氏のブログをご覧いただければ。あと、カトラー氏のエントリには書かれてないけどもう一人、選挙終盤に広報戦略を引っかき回した某女性議員かな。もちろん、組織全体としての戦犯はその人だけじゃないけどね。あくまでコミュニケーション戦略に限定すれば、という話。

 民主党の根本的な問題は、コミュニケーションや選挙戦略の稚拙がどうとかいう問題以前に、ネクスト・キャビネット(次の内閣)のメンバーに、そろいも揃って党としての「リスク・マネジメント」の概念が根本的に欠如していたことである。これは正直、かなり痛い。まあ、あまり深くは突っ込まないけど、あのリスク感覚のなさは次期首班にベテランがなろうが若手・中堅がなろうが、本質的には変わらないということだ。この問題は、これからも民主党の中で相当尾を引くだろう。再建には時間がかかりそうだ。

 一方、自民党に関しては世耕幹事長補佐より、「選挙中に読んでいて一番印象に残った分析記事だった」と、僕の書いたgooブログへの特別寄稿記事(前編中編後編)への感想をいただいた。ネットの中を彷徨しただけで、テレビも新聞も見ずに、ましてや関係者からの裏なども一切取らずに、自分の推測だけで書いた原稿が、分析の対象となった当事者に「図星だった」と評されたのは、光栄の至りである。もっとも政治家特有のリップサービスだったのかも知れないけど(笑)。

 今回の2人へのインタビューでは、ネット上のリソースを漁るだけでは得られなかった新しいファクトもいくつか知ることができたので、そのへんをまとめてどっかまた別のところにでも書いてみたいと思う。

 それから、前のエントリへのコメント欄に、「今回の自民党の勝利がバンドワゴン効果っていうのは本当か」という質問が書かれている。これにちょっと答えておこう。ちなみに、バンドワゴン効果のなんたるかが分からない人は、WikiPediaの解説をどうぞ。

 バンドワゴンだかアンダードッグだかはともかく、今回の選挙に世論調査の結果を見て自分の投票先を決めるような「美人投票」的ネットワーク外部性が働いていたかどうかというのは、定量的にきちんと検証しないと何とも言えない部分はあると思う。だが、僕個人の感覚から言うと「さほどなかった」という結論だと思う。

 なぜかというと、インターネットの普及によって、有権者が情報を入手するチャネルやソースが多様化しており、それが結果として投票行動を判断するためのタクトをばらけさせているからだ。

 バンドワゴン効果というのは、ある集団の行動の予測情報が同時に集団の構成員の多くに示され、その情報に基づいて全員がある期日に一斉に行動しなければならないという場合に引き起こされる。ところが、大手新聞各社が示した最後の投票予想は確か9月5日と、投票日の1週間前だったのに対し、今回の広報担当者インタビューでも分かったことだが、実は各党とも予想結果の発表内容とそれによる有権者の意識変化の様子を統計で確認してから、さらにいろいろな媒体を使った広告や広報戦術を繰り出しているのである。

 つまり、集団の行動(ここでは世論)の予測情報が出た後に、さらに膨大な量の情報が飛び交っているので、9/5の予測情報そのものが投票行動に決定的な影響を与えたかと問われれば、「否」と答えざるを得ない。結論としては「バンドワゴン効果はあったかも知れないが、それはかなり薄まっていた」というのが、正確なところだろう。

 ま、小泉圧勝はどうせバンドワゴン効果だなんて言ってるのはエセサヨクの負け犬の遠吠えに過ぎないってことで糸冬 了..._〆(゚▽゚*)。

 ちなみにこの話、裏返すとマスメディア側のポジショニングの戦略に深く結びついて来るので、マスコミ側の人もぼやぼやしてないで徹底的に自分の果たせた役割と今後目指すポジションを考えるべきだと思うんだが、そのへんまで論じていると話がめんどくさくて死にそうになるのでここでおしまい。では。

05:44 午後 経済・政治・国際 コメント (28) トラックバック (17)

2005/09/11

いよいよ選挙当日:昨年参院選までのまとめ

 いよいよ衆院選選挙当日となりました。このブログにも数日前より変なキ●ガイトラックバックが多数寄せられてくるようになりましたが、何というかこういうキ●ガイがたくさん湧くと「ああ、政治の季節」って感じがしますですね。皆さん、投票に行かれるご準備の方はいかがでしょうか。

 そう言えば前回の2004年7月の参院選の時には、以前のブログでgori氏提唱の「出口調査は民主党に清き一票を」キャンペーンの効果検証と称し、在京キー各局の出口調査に基づく午後8時時点の議席数予想の統計誤差を検証するエントリをアップしていたことを思い出した。

 個人的には結構面白かったので、今回も時間があれば似たようなことをやってみようかと思ってるけれど、その前に以前の検証エントリを参考資料としてサルベージしておこう。

 まず、2004年7月11日の「2004年参院選出口調査予想ch別一覧」というエントリ。


意外に誰もアップしてないので、ここにアップしとく。20時時点の各チャンネル議席予想(テレ東のみ20:50の後出しじゃんけん)。出口調査かく乱!とか言ってキャンペーンしてるのに、2ちゃんねる選挙板以外にアップしてるブログがまだほとんどないみたいだったので。ちゃんとキャンペーンの効果計測はしましょうね~(笑)。ブログ界の人って、こういうのはみんな動き鈍いのかな。


自民 公明 民主 共産 社民 その他
NHK 43~52 9~12 48~55 2~4 2~3 4~7
日テレ 47 11 53 3 2 5
TBS 48 10 52 4 2 5
フジ 48 10 53 4 2 4
テレ朝 46 11 52 4 2 6
テレ東 49(42~53) 11 50(47~56) 4 2 5

 ざっと見た感じでは、NHKとテレ東以外は談合したかのように数字が似通っている。ちなみに、テレ東は放送開始を50分遅らせ、各チャンネルの予想を分析した結果出した分析なので、NHKより予想の幅が広い。まあ、これはある意味「うちの局はあいまいと言われようがなんと言われようが、嘘だけはつきません」という、非主流派としての良心の表れと評価できるかも(笑)。

 NHKの予想をどう読むかは難しいところだけど、まあ大勢としての民主優位を予想していることは間違いないだろう。まあ、個人的にはフジとNHKが資金力でもってだいたい当たりの予想をしてくるだろうと思っているので、今回そう大きな狂いはない気がする。

 問題は日テレからテレ朝まで、残りの民放3局の結果がNHK&フジにそっくりなことだね~。ということは、NHK&フジも合わせた全員が2ちゃんねるに騙されたか、それとも全員が僕の言っていたような「嘘つき率」をデモグラフィーの補正に入れて、そこそこ正しい数字を出すようになったかどっちかだな。明日の朝には結果がはっきり出ますけど。

 もし開票結果がこの通りだったとして、テレビはそろって「自民党はイラク派兵と年金でノーを突きつけられた」とか言ってますが、んなわけないじゃん。本当に「ノー」だったら、一人区のほとんどで負けて、都道府県選挙区だけで民主党に10以上差つけられてるでしょうにが。基本的に与党の議席ってのは、自+公の2党合計で見なきゃ意味ないんだから。「民主党が勝った」とまで言うからには、少なくとも自+公の議席数を上回ってないと。4局の出口調査が正しければ、その時点で民主党は既に与党に負けてると思うのですがね。

 まあ、今回の選挙ではいきなり参院全体で過半数割れといった異常事態でも起こらない限り、自民党内で小泉君のあとがまになる人が出てこなければ政権交代はなし。民主党に雪崩れていけば選挙に勝てるという雰囲気が蔓延したわけでもないので、与党の分裂も起こらないでしょう。民主党には、今回の選挙を昨年の衆院選に続く「ステップ」と考えて、きちんと戦略やら政策立案の体制やらを作ってもらいたいですね。長い目で期待してますが、今すぐは期待してません(笑)。

 では、とりあえず20時時点の数字だけ書いて寝る。おやすみ~。


次に、翌12日アップの「出口調査かく乱プロジェクト勝手総括」と題したエントリ。


 一晩明けてテレビを見たら、びっくり。テレ東、後出しじゃんけんがビンゴじゃないですか!(爆笑)

 2004年参議院議員選挙 開票結果(カッコ内は改選前議席からの増減)

自民 公明 民主 共産 社民 その他
開票結果 49(-1) 11(+1) 50(+12) 4(-11) 2(±0) 5(±0)

 前回衆院選の時には総議席数480に対して最大30程度(6.3%)の予測誤差があった。今回の参院選では、最も大きくずれた日テレ・フジの民主党議席、テレ朝の自民党議席の誤差が±3。トータル121議席に対する予測誤差は2.5%に縮小。まあこのぐらいの誤差なら統計的にも許容範囲なんじゃないのかな。とはいえ、この比率は次回衆院選でも最大11議席の予想誤差が生まれることを意味してるわけではありますが。

 キャンペーンの発起人氏のブログに協力者・賛同者へのお礼メッセージが掲載されているが、なんつーか、総括ぐらいしなさいよちゃんと。呼びかけたんだから。

 というわけでこっちが勝手に総括しておこう。発起人氏のブログの選挙当日エントリのコメント欄などでもかなり書かれていますが、もしこのキャンペーンの狙いが「マスゴミの開票結果予測のいい加減さを白日の下に晒す」、つまり前回衆院選以上の予測誤差を生じさせることだったとすれば、残念ながら結果は「完全なる失敗」だったということだ。前回を上回るどころか、前回の半分以下にまで予測誤差は縮まったのだから。

 このブログの前のエントリでも触れたように、このキャンペーンはある意味面白い試みではあるけれど、マスコミの中の人の立場からすれば、むしろマスコミに対する「嘘つき比率」補正精度を高めるきっかけにしかなっていないということだ。報道の姿勢が政治的に偏向しているかどうかを明らかにすることとは全然関係ない。

 偏向している云々と批判したいなら、この議席数をもって「民主党実質勝利」とか総括する記事の内容を批判すべきだと思う。だって、与党(自公)の議席数を民主党が10(民主党系の無所属議員を足してもまだ6)も下回ってるのに、これのどこが「自民敗北」なわけ?日経+共同通信の出口調査分析では、特定支持政党なしの「無党派層」の投票先に占める民主党の比率は、前回衆院選の時よりもむしろ落ちている(56.5%→50.8%)。小沢一郎が言うように「民主党は本来もっと取れた」、なのに今回は連立与党と互角にまでも持っていけなかったというのが実態でしょう。

 それよりもショックを受けるべきなのは、公明党が11議席も取ったことじゃないのか。自民党からの「比例票おすそわけ」効果が相変わらずほとんどなかったにもかかわらず、どうして1議席伸ばすんだこの党は。不気味すぎる。

 政界再編が頻繁だったころと違って、今の自民党に層化票なんか要らない!って言い張る人ももういなさそうだし。民主党が本当に政権取りたいなら、自民党を割って出てくる人に期待せず、自分で議席を増やす戦略を考えるしかないよ。東京で青島と増元の2人を説得して協力を取り付け、タレント候補もう1人立ててそこに票を集めさせるぐらいのことできなきゃねえ。

 おっと、話が脇道にそれてしまった。というわけで「出口調査かく乱キャンペーン」の発起人氏には、今回の失敗にめげず、次回もネットを徹底的に駆使した政治無関心層の掘り起こしと投票率向上作戦を画策してもらえるよう、なお一層期待するものである。

 いや、真面目な話、前回参院選に比べて0.12ポイント増えたと言われている投票率は、マスコミが言うようにイラクや年金問題への批判などではない。もしそうなら、前回衆院選より野党の無党派層における得票率が増えて良かったはずだ。イラクや年金なんて、政治無関心層には全然関係ない。トータルで見て今回の参院選での国民の下した審判は「連立政権の現状維持」だったんだ。だから投票率が上がった理由の半分は不在者投票制度の利便性向上、もう半分はこの「出口調査かく乱キャンペーン」だったと、僕は信じてるよ(笑)。


 さて、今回の選挙での予想誤差がどうなったかはまた夜9時過ぎにでもアップさせていただきます。ではでは。

12:07 午前 経済・政治・国際 コメント (1) トラックバック (6)

2005/09/07

都市型リベラルとか反対の反対とかメタゲームとか

 リアル仕事で多忙が続いておりまして更新が滞っております。1週間ぐらい前からちょっと考えていることがあったんだが、なんかいまいちうまく考えがまとまらない。でも悩んでいても形にならないので、生煮えのままアップしちゃおう。

 考えの出発点になってるのは、以下のブログのエントリたち。

 民主党がとるべき道とは何か(インタビュー)(MIYADAI.com)
 公明党が右旋回(切込隊長BLOG)
 なぜコイズミ・オブ・ジョイトイなのか?(まなざしの快楽)
 猿虎M字開脚!コイズミ・オブ・ジョイトイ?(猿虎日記)
 反対の反対は賛成?反対?(SOUL for SALE)
 何も関わらないという事は果たして樽の中にいることなのか?(ニセモノの良心)

 宮台センセイのエントリは、あまりの人気ぶりにご本人もたいそう気をよくしたのか、9/3にサルベージされてブログのトップに引っ張り上げられている。はてなぶくまでも「岡田君はこれ読め」とか書かれていたが、本当にそうなのか。

 その反証となるのが隊長のエントリ。finalvent氏が極東ブログの8/10のエントリ「公明党と共産党」で述べているように、創価学会というのはもともと大都市の低所得サラリーマン・新興零細自営業者あたりのいわゆる「都市型リベラル」層であり、しかも政党と政策と支持者層とが完全にクローズドに一対一対応しているので、都市型リベラルが素で何を考えてるか知りたければ公明党の政策綱領を見ればいいと思う。

 で、隊長曰く問題はその政策綱領がものすごく右旋回してるねと。小さな政府とか構造改革とか、なんかマゾヒスティックなぐらい支持者自身を直撃しそうな政策なんですけどよろしいんでございましょうか、というような案配。思うに、宮台センセイの言うように民主党が照準を合わせるべき「都市型リベラル」層というのは、実は独立した顧客グループとしてアイデンティファイできないんじゃないだろうか。言い換えれば、彼らはむしろ「都市型保守」層の影(シャドー)みたいな存在なのでは?

 マーケティングの世界には、その商品が表向き狙っているモデル顧客層と、そのモデル顧客像につられて買ってしまう波及対象の顧客層というのがある。アニメ業界に敬意を表して言えば「サブターゲット」という奴だ。日曜朝8時半からやっているアニメは、メインターゲットは幼稚園~小学校の女子だが、サブターゲットが20~30代男性。実際のキャラクターグッズの消費額で言うとサブターゲットも馬鹿にできない規模なはずだが、企画側はそれはおくびにも出さない。あくまで「女子小学生がお客」と言い張ることで、日曜朝8時半という時間帯に存在を許されるものだからだ。

 今回の選挙を見ていると、意図してかせずしてかは分からないが、小泉首相は「都市型保守」をメインターゲットとする政策を絶叫することで、サブターゲットたる「都市型リベラル」も釣れるという現実を最大限利用しているように思う。

 だとすれば、民主党が今さら「フリーターも障害者も高齢者もみんなが幸せになれる社会を」といくらTVCMでリベラル層に訴えたところで、CMを見る側にしてみれば「お前らどうせ一生フリーターで貧乏で弱々しいんだろ」と言われてるようなもので、あまり前向きな気分にはなれない。それより「既得権益勢力を粉砕する!」と絶叫する小泉首相に、まだしも何かを賭けてみたくなってしまう、ダマされてみたくなってしまうというのが都市型リベラルの心情なのではないかと思う。

 要するに小泉首相って、「自分に血しぶきがかからない分には、小泉首相と抵抗勢力が戦ってるのをテレビで見ていたい」と国民に思わせてるだけだよね、という分析をしているのが「まなざしの快楽」のid:pikarrr氏による「なぜ『コイズミ・オブ・ジョイトイ』なのか?」と、それを引用し発展させた「猿虎日記」のid:sarutora氏。彼曰く、小泉首相もインリンも「ベタ」なのだ、だからそのベタを「メタ」視点から見て「これって演出でしょ?」とかニヤニヤ笑いながら見る快楽を視聴者(有権者)に与えてくれるのだと。つまり「メタ」の立場を確保しつつベタを笑えると思えるからこそ、有権者は「コイズミ・オブ・ジョイトイ」を支持するのであると。これってなんか、北田暁大センセイの『嗤う日本の「ナショナリズム」』が描いてみせたのと同じ構図だわね。

 まあ、そんなわけだからこそ、この前郵政民営化の政府広報プランの紙がぽろっとネットに出てきただけで「俺たちは“IQの低い支持者層”なんか!」と、知らないところで自分が「メタ」視点に見られ、ダマされていたことを知って頭が沸騰しちゃう人が出てくるんだよね。バカかっつーの。

 というような話を考えていたらさっそく最近調子ノリノリのチャーリーが「反対の反対は賛成?反対?」という興味深いエントリをぶっかましてくれた。ネタになってるのは例のホワイトバンドだが、「自分がメタを意識できる構図の中においてしかダマされたくないと思い、隠された意図によってダマされることに対して過剰なまでに噴き上がる連中はムカツク」とのたまっておられる。

 これに対しては予想通りというか、「ニセモノの良心」のsoulwarden氏が「俺たちはこれまでにいろいろなやり方でダマされまくってきた。これ以上ダマされたくないんだ、みんなダマされるなって叫ぶことの何が悪いんだ?!」と、これまたどこのGoogle先生から(略)なテンプレみたいな沸騰した反応を返してる。でも、これが僕ら同世代の率直な感想だろうね。

 ずーっと昔、誰もが職場で労働組合に入り、あるいは地域で自治会やら町内会やらに入り、それらを通じて政治や政治家と関わっていた頃は、ボトムアップで政策が形成されていたから、誰もが何らかの形で政治家と「共犯関係」にあったんだけど、無党派層とかいう政策形成に何ら関与しない根無し草な人たちが増えた結果、選挙の時だけ政策をあれこれでっち上げて説明しなきゃいけなくなったわけで、その結果短時間で効率的に「納得感」を刷り込むためのマーケティング戦略が重視されるのは当たり前だろうと思うわけだ。

 それをいちいち「ダマしたなこの野郎」とか沸騰するのは、気持ちとしては分かるけれども、それって自分がそれこそ「IQの低い側に居るんですよ俺は」と公言してるのと同じで、非常にカッコワルイというか。soulwarden氏は「じゃあどうすればいいんですか?」と詰め寄ってくるわけだが、チャーリーの言い分としては「いや、俺は別にIQ低くないから」とか言い訳しながら、「ダマされつつノる」しかないだろうということなんだろうね。

 でもさ、それって今回の選挙に関して言うと、結構究極の選択を迫ることにならないか?チャーリー的に言うなれば「コイズミ・オブ・ジョイトイにダマされつつノれ」ってことなんかも知れないが、政治はホワイトバンドと違って一度選んでしまったものを「ダマされた。俺の払ったカネ返せ」とか言えないからなあ。

 たぶん「郵政民営化法案さえ通したら、また解散総選挙してガラポンする」って自民党が約束してくれるならみんな喜んで自民党に入れると思うけど、実際には来年9月まで小泉首相はいろいろとやり続けるだろうし、小泉首相が辞めた後も自民党は首をすげ替えて政権の座に居座り続けるだろうし。次の国政選挙は早くて再来年、2007年の参院選だし。

 soulwarden氏への答えになってるかどうかわかんないけど、だから結局「俺、ダマされないよ」っていうメタゲームを続けていてもしょうがないわけで。やはり自分もどこかでダマす側に回るというか、ベタを演じつつメタも考えるという主体性を持つしか解決され得ないと思うんだよね。つまりさ、会社でも地域でもNGOでもどこでもいいから、他人に振り回されてばかりじゃなくてもうちょっと自分自身のために他人を振り回せ、主体的にイ㌔ってこと。

 いや、俺は絶対にそういう汚いオトナの側には回りたくないんだというならそれはそれでしょうがないですが、そういう幼児退行モードに入らないというオトナとしての決意さえあるならば、今から「ダマし」の基礎理論としてのマーケティングを勉強しても遅くないと思いますよ?

11:19 午前 経済・政治・国際 コメント (22) トラックバック (25)

2005/08/27

【速報】自民党、ブロガー巻き込み戦術を加速

 世耕弘成議員のブログの8月26日のエントリに、「民主党との若手議員討論会に、先日お招きしたブロガー、メルマガ作者もご招待する」とのくだりが。

 そっか、なるほどね。29日の党首討論会は日本記者クラブの主催でブロガーは会場に入れられないから、ブロガーを入れるためにそれとは別の若手議員討論会を提案したっていうわけか(ウソ)。

 しかし今度はマスコミ記者と並んでの取材になるわけだ。ブロガーとマスコミの熾烈な情報戦が始まる!なんてね。

 それにしても、自民党の熱意は買うけれど、しかしあのセレクトはどうよ。政治系のネタへのツッコミが得意なブロガー(gori氏、mumur氏など)や、速報ニュースやインタビュー系に強いブロガー(コグレマサト氏@ネタフル、松永氏@ことのは、渡辺聡氏@情報化社会など)が入ってないから、全然つまんない。ブログ開いているっていうだけで、1ヶ月以上更新してないようなベンチャーの社長とかも呼ばれてたし。なんじゃありゃ。

 ただし、日本のブロガーって1次情報としてのインタビュー記事をブログにあまり載せないからねー。正面からそれに延々と取り組んでるのって、今のところGripBlogの泉あい氏だけかもしれないな。実際、インタビュー記事って読まれないんだよね、ブログでは。僕も去年(前身のブログのときに)ちょっと載せてみたけど、まったくPV取れなかった。

 だけどそろそろそういう壁も、あえて破っていかないといけないのかも。思ったことだけを書くというスタンスから、他人から聞いた話を書くっていう、「自分を一歩下がったところに置いて語れる」テクニックを持ったブロガーも、少しずつ増えてこないといけないね。

 あと、自民党もさ、ペンネームやハンドル名のブロガーにも、連絡とって身元調べてから招くぐらいのことやった方がいいよ。いや、別に僕を呼んでくれって言ってるわけじゃないんだけど、そういう人にもスポット当てていかないと個人名で政治ネタ書けるほどのリスク取れる人なんて、限られちゃうと思うからさ。市民からの声を拾いたいなら、そのくらいの労は厭わないようにしないと。

 あー、また釣られて政治ネタ書いちゃった。今度こそ本当にもう止めるぞ。おしまい。

09:12 午後 経済・政治・国際 コメント (5) トラックバック (10)

2005/08/25

自民党がブロガーを集めて会見するだって?!

 すごい。今日夜7時から、自民党がブロガーを集めて懇談会を開くそうだ。

 緊急!!自民党 武部幹事長、安倍幹事長代理への質問募集(Grip Blog)

 出席者は武部勤幹事長、安倍晋三幹事長代理。おそらく世耕弘成広報対策本部長代理も出てくるだろう。自民党の選挙対策の幹部が勢揃いである。すごい。というか、平河クラブ(自民党内の記者クラブ)の頭越しに、こんなことして大丈夫なのだろうか。まあ、米国みたいに、マスコミと同じ記者会見会場にブロガーを入れたわけじゃないからいいのか。それにしても戦々恐々としてるだろうなあ、記者連中は。

 で、今日の15時までという期限で、出席する泉あいさんが読者から質問を募集している。コメント欄に続々と質問が集まっているようだが、ざっと見たところ靖国とか世襲の話とか、記者クラブの番記者がするよりはるかにくだらない質問ばかりが集まっているようだ。

 ブロガーといってもその程度か、と見くびられるのも悔しいので、泉さんに向けて僕の思うところを述べて、トラックバックしておこうと思う。

 まず、出席者が小泉首相ではなく、武部-安倍という、選挙対策の司令塔の2人であるというところがポイントである。自民党の政策については、これまで国会での審議も含めて無数の想定問答が作られてきているはずだし、たかが1~2時間の会見で2~3問しか質問をぶつけるチャンスがないのに、そんな質問をしたところで通りいっぺんの返事が返ってくるだけだ。彼らもブロガーに党の政策転換や新見解などリークするわけがない。

 僕なら、質問する内容は、彼らの今の仕事つまり今回の衆院選の選挙対策の基本方針に絞るべきだと思う。郵政反対派への対抗馬擁立なんて、マスコミがさんざん騒いで取材しているのだから、今さらどうでもいい。尋ねるべきポイントはズバリ、ブログとメディアについて、どのような戦略を持っているのか?ここである。以下、質問例。

  • なぜ、ブロガーを集めて懇談会を開こうと考えたのか?その動機、意図は?
  • ブロガーといっても、日本には今ブログを書いている人口が100万人以上いると言われる。先日の解散について言及したブログの数だけ見ても、2万以上はあるだろう。その中からどのようにして会見に呼ぶブロガーを決めたのか?
  • 世耕広報本部長代理は、ブログで自民党のメディア・コミュニケーション対策を日々公開している。なぜ小泉首相や安倍幹事長代理といった「自民党の顔」ではなく、広報対策本部長代理という「裏方」の活動をブログで公開しているのか?
  • 自民党の新顔候補者の中にも、ブログで日々の活動報告をアップしている人が27人もいる(無所属の堀江貴文氏を入れると28、ちなみに民主党候補者のブログは44:政治家ブログ“ele-log”調べ)。こうした活動は、自民党広報対策本部としてある程度積極的に推奨しているものなのか?
  • 前の質問に関連して。もし候補者にブログ活用を推奨しているとしたら、選挙対策本部としてどんな話題をどのように書けといった活用のガイドラインなどを与えているか?あればその内容を教えてほしい。
  • 世の中のブロガーが選挙や政治についてのコメントを書いて発表することについて、自民党としてはどのようなマーケティング効果を期待しているのか?マスメディアに対してブログ・メディアとの距離を縮めるメリットとは何だと思うか?
 あまりたくさん書きすぎるのも何だからこのあたりでとどめておく。

 僕が言いたいことは、ブログと選挙コミュニケーション戦略の関わりについての自民党の見解を、なるべくたくさん引き出してほしいということだ。この手の話は、マスコミの既得権侵害にあたるので、とにかくストレートな検証記事は出てきにくい。しかし、本来こういう話こそが、「ブログ総選挙」とも言われる2005年の衆院議員選挙の記録として残されるべきであると僕は思う。

 ブロガー会見での泉あいさん他のブロガー諸賢の健闘に、大いに期待したい。

11:10 午前 経済・政治・国際 コメント (18) トラックバック (19)

2005/08/20

政治家ホリエモンをなめてはいけない

 日本一敵の多い男ホリエモンが、日本一怖いしずかちゃんこと亀井静香氏と正面衝突することになったというので、「もっとやれぇ」というプロレスのリングサイド的な声援あり、「有権者をなめてるのか」というため息ありと、ブログ界の反応もさまざまなようだ。「お前ならどう思うよ?」というトラックバックもいただいた。

 かくいう僕も、これが自分の選挙区じゃないから「もっとやれぇ」とか心の中で思っているが、自分の選挙区だったらどうかなと思うとかなりビミョー。でも2人がいっぺんに見られるターミナル駅前での演説会とかあったら、絶対万難を排して見に行っちゃうだろうな。

 だって、選挙演説というのはテレビでも党首や3役クラスの政治家のはさすがにちょろっと放映するけれど、政治的公正を保つために基本的にはほとんど電波に乗らない。自分の目でナマを見なければ心ゆくまで鑑賞できない、今や数少ない「ハードルの高い娯楽」なのである。

 選挙演説を娯楽などというと「不謹慎」と思われる方もいるかも知れないが、この娯楽性はギリシア・ローマ時代からの由緒あるものだ。不謹慎でも何でもない。我ら大衆にはそれを楽しむ権利がある。

 …と、大上段にかぶったところでホリエモン話に戻る。

 まず、「報道機関の長が選挙に出るってどうよ?」というめたか氏の話だが、僕は「いいんじゃないの、 別に」と思う。表に出てくるだけ大した度胸だ。昔から選挙の裏で報道機関と政治家がどう離合集散してるかなんてのは、表に出てこないだけでいくらでもある話だ。

 むしろ僕は、急成長中のベンチャー企業の社長が選挙なんか出て会社傾かないか?という方が心配だ。ま、本人が大丈夫と言ってるならそうかもしれないし、よく分からない。

 というかそういうことよりも、亀井静香の妙な自信の方が気になる。asahi.comの記事「『堀江さんは戦いやすい。粉砕する』 強気の亀井静香氏」によると、

 国民新党の亀井静香前衆院議員は19日、朝日新聞のインタビューに答えた。自身が立候補予定の衆院広島6区にライブドアの堀江貴文社長が立候補することについて、「堀江さんの経営姿勢は、強者が弱者をむさぼるという小泉さんの経済政策と一致する。そういう意味では選挙戦を戦いやすい。(選挙という)入り口で粉砕するしかない」と述べ、対抗意識をむき出しにした。
 だそうな。

 まあ、吠えるのは勝手だけれどね、ホリエモンをあまり見くびると大変だよ。既に今朝のフジテレビの番組でカメラ中継でバトルやったみたいだけど。

 僕は別にホリエモン支持するわけでもないけど、亀井氏はホリエモンの演説、聞いたことあるんかな?今年5月の連休に、「ラジオ版・週刊!木村剛」でホリエモンと山本一太参院議員が出演してしゃべってるの、一度聞いてみるといいよ。

 彼のしゃべりって、特に僕ら若い世代にとっては、何というか有無を言わさない説得力があるんだよね。文字におこして過去の発言と比べたり、ロジックをよくよく吟味してみたりするとおかしいところも見つかるけれど、演説聞いてる人っていちいちそんなことしないしね。まさに「書き言葉(langueecriture)」ではなく「話し言葉(parole)」として発言を聞くから、しゃべりとしての説得力がある方が勝ちなんだよな。

 で、残念ながら亀井静香ってそういうところが滅法弱いんだよね。以前に小泉とかと一緒に総裁選挙に出たときに、有楽町の外国人記者クラブで記者会見に臨んだんだけど、記者が首をかしげるようなとんちんかんなロジックでものを言おうとするんだよね。しかも喩えとかがオヤジくさくて下品。

 政治ってのは、つまるところ「言葉(parole)」と「偶像(icon)」の力の勝負だからねえ。あいにくとホリエモンって、この両方とも強烈に持ってる。いわゆる「オーラ」が出てるタイプ。少なくとも、プロの政治家としてなめてかかっていい相手ではないと思う。

 でも亀井って長らく地元の支持団体と寝技系でつき合って当選してきたタイプなんだろうな。それもそれで大事なんだろうけれど、政治の本質みたいなところを見落としてホリエモンを見くびっているとしたら、しっぺ返しが大きい気もするなあ。

 あまり政治の中身の話には立ち入りたくないので、とりあえずホリエモン出馬についての感想だけ。では。

01:43 午後 経済・政治・国際 コメント (33) トラックバック (32)

2005/08/11

マナーからルールへのパラダイムシフト

 解散・総選挙絡みのネットの盛り上がりが面白い。政治家も支持者も評論家もみんなごっちゃまぜにブログ立ち上げて大騒ぎすればいいと思う。誰がどのポジショントークしてるのか、選挙運動なのかどうかも分からなくなって、公職選挙法のインターネット利用禁止規定なんか無意味になっちゃうからさ。

 テクノラティの特集見てると、月曜日に解散してから3日かそこいらで、2万はゆうに超える関連エントリがブログに上がってる。たぶん選挙が終わるまでに50万エントリぐらいいっちゃうんじゃないか。全国各地の政治家の演説なんかもリアルタイムでレポートがブログに上がるだろう。マスコミとネットとどっちが面白いかを決める、一大実験が始まった。

 テクノラティは統計サイトだと思うのだけど、誰か話題別や政治家別のまとめサイトつくらねえのかなと思っていたら、早速そういうのが立ち上がってましたよ。紹介しておこう。→「2005夏衆院総選挙まとめブログ」

 ブログで作るよりは、Wikiとかはてなグループで作った方がいいんじゃね?とか思ったりもしたが、トラックバックセンター的な役割を果たしていくには、やっぱりブログの方がいいのかな。よくわからん。まあ、いろいろな試みをやればいいと思う。

 まずは、個別の政治家別、政党別のトラックバックセンターを作ることかな。あと、うまく機能するかどうかわかんないけど、全特、官公労(含む旧全逓・全郵政)を初めとする組織支持団体の動向ヲチのトラックバックセンターとか。さすがに300の小選挙区全部のトラックバックセンターを作るのは大変かな。でもロングテールが(以下略

 さて、総選挙ブログ祭りの話はおいといて、昨日巡回していて面白かったのが「霞ヶ関官僚日記」のこのエントリ。小泉首相は、自民党の中に昔からあった「慣習、先例」を踏みにじって、あくまで法律に基づいた「ルール」上は正しいやり方でことを進めようとしている、という内容だ。

 これを読んで、まず思い出したのがくだんのライブドアのニッポン放送買収。あれも、「ルール」上は正しいが、M&Aの「マナー」としてはどうですかね、という批判が上がっていた。結果は、ライブドアが1400億円ゲッツして勝利宣言、フジテレビは連結自己資本比率を一気に12%もダウンさせ、日枝会長は株主総会で一般株主から「カネ返せバカ野郎」の罵声を浴びた。

 野次馬サイドの感情論はどうあれ、ビジネス上は「ルール」が「マナー」に完勝したわけである。しかも、放送業界はこれをきっかけにネットとの融合に一斉に走り出すというおまけまでついてきた。

 id:kanryoさんの言う通り、それがいいことか悪いことかは別として、過去から引き継がれてきたマナーよりも「ルールをうまく扱う人間が政治的(or経済的)に成功する」方向に世の中が向かっているという予感は、僕にもある。ニュートラルに言うなら、それこそが今目の前で起きているパラダイム・シフトの意味なんだろう。

 ルールですべてが解決できるとも思わない。だが、パラダイムが新しいものへとシフトしている最中、しばらくはルールの背後にある過去のしがらみだらけの「マナー」を見なかったことにして全部ぶっ壊していくしかないのだろうね。

 人間、ルールだけではホッブスの言うような「万人が万人に後ろからナイフで刺されるかもしれない」状況に生きている気がして、心が安まらないというか、長くは生きられないと思う。やっぱりお互い安穏と長く生きるためにはマナーは必要だ。

 今回の問題は政界で通用していたこれまでのマナーが、あまりにも特定の人々や組織に都合のいいマナーになりすぎたってことなんだろう。為政者がそう判断しているのだから、いったんは「ぶっ壊す」しか手がないんじゃないの、でももうあと10年ぐらいしたらもちょっとまともなマナーができていてほしいなあと思う今日のこの頃でした。おしまい。

 追記:しっかし、それにしても連合って本当に醜いよなあ。民主党がいくら「うちは郵政民営化に反対したわけじゃなくて、小泉内閣の郵政法案に賛成しなかっただけだ」とか言ってても、後ろの支持団体が「法案潰しのためなら党を問わず支援する」とか言った瞬間に、全員ひっくるめて抵抗勢力扱いだってぐらいのこと、ちょっと考えればすぐ分かるだろうに。笹森会長、政治センスなさすぎ。こういう奴にちゃんと釘さしとかない民主党もダメダメ。

01:33 午後 経済・政治・国際 コメント (18) トラックバック (11)

2005/08/09

郵政解散は「叡山焼き討ち解散」か?

 関係ないエントリのコメント欄にしきりと前回の僕の野次馬評に「普通って何ですか普通って普通って」と粘着してる人がいる。全特あるいは全逓連工作員がこんな場末の飲み屋のやさぐれブログまで進出してきてるのかと思うと結構鬱だ。

 が、いずれにせよ結果から見れば僕の予想は「ハズシ」だったことも事実なので、「普通に」の意味を反省を交えて書いておこうか。ま、何度も言うけど政治そのものの取材経験も別にない、ただの門外漢の「選挙マーケティング」という視点からの憶測に過ぎないんだけどね。

 僕は、この政局における小泉首相の狙いはまさにど真ん中、「郵便と郵貯・簡保の切り離し」だったと見ていた。で、別に郵便(+窓口ネットワーク)は民営化でも公社でも何でも良くて、郵貯・簡保だけが民営化できればいいと、最後のどこかで妥協するとか、あるいは参院で否決されてももう一度衆院に持って帰って可決すればいいんじゃないのとか、やるんじゃないかと思ってたわけだ。

 先週号の日経ビジネスの第2特集を読み、それから昨日の解散に至るまでの様子を見ると、この読みは完全に外れてたことが分かる。小泉首相の狙いは、郵政民営化にあったわけじゃないのだ。

 まあ、もちろん郵政を踏み絵として使ったというのはあるんだけど、そもそももう郵政ネットワーク、そして郵政マネーの「民営化」はとっくの昔に実質的に始まっているわけですよ。そして郵政公社は来年4月に海外物流事業への参入を着々と準備し、財政投融資の預託金(※郵貯から財務省資金運用部を通じて特殊法人に直接融資されている、いわゆる“郵政マネー”)は、2007年にもなくなっちゃう勢いでどんどん減っている。さらに、特定郵便局が握っていた巨額の裏金(さんざん選挙活動に使われていた)もきれいさっぱり一掃され、特定郵便局は削減しなくても今後は勝手に局長が廃業して減っていく見通しが立った。

 となると今国会の郵政法案は、既に転がり始めている改革を「後戻りさせない」程度の意味しかないし、というかまさか「あの裏金をもう一度復活させろ」とはいくら政治家でも言えないわけで、郵政の実質的な改革はもう「終わってる」と言ってもいい。

 一方、僕は前のエントリを書くときに、もう一つのルールを見立てていた。「一般に自民党政治家というものは選挙で当選する見通しが立たない政策に自分の政治生命など賭けない」というルールである。

 何度も言うけれど、「郵政を民営化すべきか?」という質問には、(いろいろな世論調査も出ているけれど)特に都市部の人にとっては「すればぁ」という以上の反応はない。地方の人にとっても、窓口ネットワークのユニバーサルサービス維持だけが焦点だとすれば、民営化でも「変わらない」と政府が保証するのなら反対する理由はない。とすれば、このイシューはそもそも選挙の争点にもならず、こんなことで解散すれば民主党を利するだけだ。だから、解散という選択肢はないと思ったわけである。

 ところが、この2つの見立てはどちらも外れていたということがやっと分かった。

 まず1つめの見立て。小泉首相は、何を狙いに解散したのか?郵政改革ではなく、「自民党の改革」を後戻りさせない体制を作るのが狙いだったのだ。つまり、亀井派と堀内派・橋本派の一部を中心とした、支持母体である全特や全逓連との関係を切れない守旧派勢力の一掃、である。
 
 そう考えると、小泉首相の不可解な一言の謎が解ける。どこかで読んだが、彼はこの国会中「民主党が郵政民営化に反対したのは最大の戦術ミスだ」と言った、らしい。当初僕はこの意味が分からなかった。けれど今ならこう説明がつく。

 小泉首相は実は解散を望んでいた。郵政法案が今国会で成立するかどうかなんて、どうでもいい。要するに任期残り1年を切った今のタイミングで守旧派を一掃するチャンスが欲しかった。

 守旧派が「郵政煽り」にまんまと乗って造反を決めてくれれば、「小泉=民営化、改革の旗手」対「守旧派=民営化反対、既得権益の代表」という構図が描ける。この構図が選挙で有利に働くのは、とりもなおさず都市部の小選挙区と比例区である。都市部でこの構図を振り回せば、守旧派は一掃できる。

 問題があるとすれば、この構図の中に民主党が割り込んでくることだ。つまり民主党が「民営化、改革の旗手」のポジションを取って「改革の旗手であることは民主党も同じ。小泉か、民主党か」という選択を有権者に突きつけるのが一番怖い。そうなれば小泉支持票の一部は民主党に流れて、守旧派が勝つかも知れない。

 ところが、バカ民主党は見事に「民営化反対」の旗印を掲げて選挙に突入してくれた。今回の選挙の構図は「小泉自民党=民営化」対「民営化反対守旧派+民営化反対民主党+(どことは言わないが民主党を勝たせたがる)左派系マスコミ」だ。これはおいしすぎる。国民の既得権益勢力嫌い、マスコミ不信、2ちゃんねるの嫌中・嫌韓ブームも味方にできる(笑)。

 思うに、旧来の自民党の論理とは、「公約を反故にしてでも、選挙区でお世話になった支持母体は決して裏切らない」というもの(いわゆる組織選挙)だったと思うのだが、小泉首相が突きつけたのは「組織より個人との約束を優先する」論理への転換という踏み絵だったのかなあと。そういえば、今朝のフジの「やじうま」が、政府関係者の発言として「今回の解散は叡山焼き討ちだ」というコメントを紹介していたが、むべなるかなという感じだ。

 カワセミ氏finalvent氏などが早々と今回の選挙での「自民党支持」を明言しているが、そういったリベラル論客の転向も含め、今回の解散には政治における「時代の変化」というものを強く感じるなあ、という感慨をもって「ヤマかけ敗者の弁」としておきたい。

10:24 午前 経済・政治・国際 コメント (10) トラックバック (22)

2005/07/22

米国議会が荒れると日本がデフレの津波をかぶる

 最近ブログを読んでいる友人と飲んだら、帰り際に「うんこに負けないようがんばれ」とか不思議な激励をされてしまった。ところでうんこさんは最近コメント欄からごぶさたしちゃってるけど、元気なのかな。畑の除草や害虫駆除で忙しいのかしら。何にせよご健勝をお祈りするばかり。

 ところで昨夜の人民元切り上げだけど、ニュースを聞いたときから気になってしょうがないのが、2%の切り上げ幅じゃなくて「通貨バスケット制への移行」という話。定食についてくるお漬物みたいにしれっと出てきたんだが、これって結構重要な話のような気がするんだが誰も何も言わないのかな。

 通貨バスケットっていうのは、複数の通貨の加重平均によって自国通貨の為替相場を決める方法のこと。人民元がどの通貨をバスケットに入れているかは分からないけど、貿易額や政治的な影響から言ってもドル、円、ユーロの3つはかなり大きな比重を占めているだろう。

 となると、例えば米国の議会が「人民元を切り上げろ!」と騒いだとして、ドルを人民元に対して大幅に安くし、かつ「通貨バスケット制だからこれでいいのだ」と説明するためには、円とユーロが対ドルで大幅に高くならなければならない。

 中国の貿易相手国として圧倒的に大きいのは米国と日本だから、ユーロが大幅高になったとしても貿易額で加重平均すればたかが知れている。ということは、為替調整のターゲットとなるのは円だ。

 実際、昨夜元切り上げの発表があってから、NYの円/ドル相場は前日の113円から109円まで一気に振れた。2001年以来、1日で1円単位の為替相場の変動が起こることがあまりなくなっていただけに、この振れ幅には僕はかなりびっくりした。

 短期的には今回の中国の「先制攻撃」で、米国も少しもみ合いに戻るのかという気がするし、元の為替相場が大きく振れることはないだろうが、今後米国の議会が雇用の海外流出などをネタに中国叩きをぶり返すたびに、相場調整の圧力弁として円が狙われることになるんじゃないか。

 つまり、米国は円がドルに対して圧倒的に高くなれば「通貨バスケットなのだから元を切り上げよ」と中国に迫れるわけで、景気指標が悪化すればするほど円への投機マネー流入は増える。つまり、株価と債券は爆上がり。一方、中国は当然ながらそれを押さえたいわけで、日本から中国への資金流入を猛烈に促すことになるだろう。

 資金流入といっても、国内経済の安定から見れば沿岸部に円の投機マネーが大量流入することを望んではいないだろうから、日本向けの輸出の増加で対抗することになる。つまり、中国産品の対日輸出を熱烈奨励するってことになるんじゃないか。こっちの記事みたいに「人民元切り上げで物価が上がる」なんていうのは全然逆。円が必ず人民元に先行して猛烈な上げを食らうことになったら、またぞろデフレの再来ですよ。とほほ。

 今年初め頃に「ここ数年円もずいぶん高止まりしてきたし、これから数年は円安ドル高かなー」とか漠然と思っていたものだが、なんか大外れしそう。少なくとも中国がその経済成長で米国の神経をとがらせ続ける2007年までは、当て馬的に日本への海外資金の流入はますます増えそうな予感。TOPIX連動インデックス投信でも、買っとこうかしら。

03:02 午後 経済・政治・国際 コメント (10) トラックバック (6)

2005/05/10

企業の情報システムも安くてヘボい方が勝ち

 ソニーが携帯情報端末(PDA)から撤退したと思ったら、今年に入って気がつかないうちにPDAが復活していたんですと。

 PDA、世界で回復――1-3月は出荷25%増(NIKKEI.NET)

 原因になっているのはこの端末。Palmに比べると、メールやIMなどのモバイル通信系の機能が異様に使い勝手が良く、スケジュールとかメモ帳はクソらしい。まあ、携帯電話でメールやら写メールやらをすごい勢いで使いこなしている日本人からすると「何を今ごろ・・・」という印象しかもてないわけだが。

 BlackBerryのことは、あのクリステンセンも著書の中で書いていたが、何でも「エグゼクティブ・ビジネスマンがちょっとした手すきの合間にメールを読み書きしたり文書をチェックしたり」する用途に特化して機能を絞り込んでいるため、欧米の投資銀行や会計・法律事務所などがスタッフ全員を24時間働かせるために1人1台持たせるようになっているらしい(と、こちらのブログに書いてあった)。

 Palmに携帯電話の機能を早く付けてほしい、なんて話はいったい何年前から言われてきたのか、もうはるか昔の話のような気がしてすっかり忘れてしまったが、結局今ごろになってようやくそういう端末が出てきましたと。で、こういうITガジェットが大好きな投資銀行が飛びついたと。彼らは、日本の土木建築業界の作業員が工事現場で工程管理のためにカメラ付き携帯電話で進捗状況を撮影してメール送信しているという話を聞いたら、いったいどんな顔をするだろうね。

 そういえば、あの「IT Doesn't Matter」でインテルやマイクロソフトに冷や水をぶっかけたあのNicholas Carr氏が、今度は「企業に自前の情報システムなんて要らねんだよ」宣言をしたというニュースがCNETで流れていたが、もし彼の言い分が正しいとするなら、テッテ的に使い倒せるメール端末に特化したBlackBerryの人気はある意味当然とも言えるような気がする。

 結局のところ、ビジネスの世界というのは毎日流れていくフローの情報をいかに素早く処理して打ち返すかということに尽きるわけだ。大量に流れる情報のうち、本当に熟考を重ねなければならないものなんて1%どころか、1‰(パーミル)ぐらいしかないだろう。1日5000通のメールを受け取るホリエモンの場合で言えば、経営者としての大きな決断と行動を迫られる内容のメールというのは、たぶんそのうち5通ぐらいじゃないかと思う。

 だったら、ナレッジマネジメントとか言いながら流通するゴミ情報をわざわざ増やすような仕掛けを社内にあっちこっち作るよりは、外部からの情報がそのまま必要な人のところに流れ込む単純なシステム(それはおそらくメール)だけ作っておいて、あとはそのメールをいかに効率的にフィルタし、判断し、打ち返すかという部分だけに集中しておけばいいわけで。企業が大仰な情報系のシステムを社内に持つ必要なんか、ないとさえ言える。

 結構極論に思えるが、そんなに外れてはいないと思う。以前の大企業にいたときと、中小企業に移ってきた今とでは、何が変わったと言って「受け取るメールの数」がまったく変わった。前の会社では、メールは1日数十通の代わりに、確認しなければならない情報システムの画面がたくさんあった。今の会社は、何でもメールで流れてくるため、1日放置しておくとメールボックスには200~300通のメールがふつうに入っている。

 でもそれで処理に困るかというと、全然困らない。ウィルスメールやスパムメールはThunderBirdが自動的にフィルタしてくれるし、フォルダごとに振り分けて整理してから必要そうなものを順番にさっさと見ていけば、処理に困るといったほどのものはない。

 むしろ、データベースとしてのメールソフトの機能が非常に発達しているので、なるべく全部の情報がメールで蓄積されていれば、後から必要な情報はメールの検索で呼び出すことができる。野口悠紀雄の超整理法でも言われているように、検索対象となるデータベースは、なるべく1カ所に1つのルール(つまり時系列)でまとめてある方が良い。とするならば、企業独自のデータベースというのは少なければ少ないほど良く、結局全部メールで処理できればこれ以上合理的な情報システムはないという結論になる。

 そういう理想論が通じないのは、これまで巨大な独自データベースシステムを社内にいくつも築き上げてきた大企業だ。システムだけでなく、社内の業務フローがそのデータベースに合わせて築かれているから、全部スクラップしてメールをベースにしたシンプルなシステムにしてしまおうと思っても、今さら変えられない。

 Nicholas Carr氏の論文は、大企業にとってはどうしても認めたくない類の話ではあるのだが、クリステンセンの「イノベーションのジレンマ」にあるとおり、「安価でしょぼいシステムで参入してくる新参者に利が大きい」ということの言い換えに過ぎないのだろう。

 と、すれば、BlackBerryに飛びついてメールだけでビジネスを回す仕組みにいち早く動いた投資銀行や会計事務所の業界というのは、それなりに時代の先取りをしている…ということなのかも知れないね。

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2005/05/07

JR事故の責任は日本国民にあるような気がしてきたぞ

 なんかfinalvent氏も日記で書いてるけれど、ここ数日のボウリングだゴルフだ宴会だみたいなお祭り報道と、id:kanryoさんのところで長文コメント書く学生君の話とか読んだりしているとね、どうも今回のJRの事故は根本的に日本国民の素質に問題があるような気がしてきたよ。

 この事故が起きた時は、僕はともかくこれをきっかけに鉄道の利便性と安全という2つの要素への投資バランスがJRW、もっと言えば日本のすべての鉄道会社の中で見直されなきゃいけないだろうと思ったわけだ。

 JRを初め、日本の企業の現場の多くがこれまでそのへんのバランス感覚をまもなく定年退職する団塊世代の職人技に頼り切っていたのはあちこちで指摘されていること。それを、世代2つぐらい飛び越えて団塊ジュニアやその下のヘタレな就職難世代に引き継ぐためには、もはや職人技ではなくてシステムとして人間と機械が分業を組まなければならないと思っていたわけだよ。なんたって就職難世代の20代は、会社にしがみつくことそれ自体が自己目的と化していて、「○○マンの誇り」なんていう概念は、頭の中のどこにも残ってやしないんだからね。この世代でそういう気概のある奴は、JRみたいな大企業なんか就職せずに中小のベンチャーか独立起業みたいな方向に行っちゃってるわけで。20歳そこそこの運転士にそんなものを求めること自体が間違ってると思ったわけさ。

 ところが、マスコミ報道を見てると、JRのいけないところっていうのはまずとにかくそういうサラリーマン根性らしいんだよな。事故を起こした電車に乗っていた運転士2人がそのまま出社して勤務したとか、全然関係ない管区の車掌たちがボウリング大会に行って居酒屋まで行ったとか、これまた全然関係ない管区の幹部がゴルフコンペやってたとか。遺族とか現場で救助に当たった住民とかがテレビに出てきて「けしからん」とか怒ってるわけだよ。

 でもさ、翻って考えてみたら、僕だって社員ウン万人の大企業にいたら、同じことすると思うんだよな。だって、非番の人間が錯綜する情報と押し掛けるマスコミで大混乱してる本社に突然何十人と現れて「事故があったんですって?僕たちにできること、あります?」とか言い出した暁には、本社の受付のお姉さんだって「てめえら邪魔だバカ。こっちはそれどこじゃねえんだ、とっとと帰れ!」って叫ぶだろうし、平常通りに運行している自分たちの勤務先に出ていったところで「何しに来たのキミたち?このどさくさに紛れて振り替え出勤付けようとかすんなよ」で終わるだろ。結局非番は非番。それ以上でもそれ以下でもなし。

 だったら居酒屋で一杯傾けながら「去年までの俺の上司、尼崎管区に異動になったんだけど、今頃大変なんだろうなあ」とか「責任がどうとか騒ぐ前に、3年前から付ける付けるって言いながら放置しっぱなしの新型ATS、何とかしろっつーの」みたいなとぐろ巻いてストレス解消し、次の日からまた安全運行を心がけますってやった方がサラリーマン的メンタリティとしてはずっと健全だろ。よその職場の心労までいちいち抱え込んだ日にゃあ、体がいくつあっても持たねーよ。

 ところが、マスコミの言い分によるとどうもそういうサラリーマン根性が「鍛え直すべき企業体質」ということらしい。フーン。マスコミってすごい会社なんだねえ。社員数千人でも一部の部署の不祥事に全員が頭を垂れて反省するのかぁ。あれかな、ASAの販売員に週刊朝日の武富士五千万円問題で怒鳴る喚くの八つ当たりしても、ASAの販売員は頭下げるのか。日経の支局の記者たちが、鶴田社長が赤坂のくぼ田でママと遊んでることが発覚した時に居酒屋で飲んでなかったかどうか、調べて発表してもらいたいよね。たぶん誰も酒なんか1滴も飲んでなかったに違いないよ。さすがマスコミ。

 あと、「霞ヶ関官僚日記」のコメント欄にいた東大法学部生君の意見も、すごいと思った。彼の言い分によると、「JR西日本のような体質を持っている組織は、人間が運営するものである限り、全国に腐るほどあると考えるのが自然」であり、「法的責任はともかく、JR西日本のみを事実上責めるのは全く非本質的」なんだそうだ。つまり僕たち全国五千余万人サラリーマンの賤しい「サラリーマン根性」が、今回の事故の「事実上」の「本質的」な原因と、こういうことですな。

 こういう意見を読むと、さすが東大法学部の学生さんは日本の就業人口の8割を占める我らしがないサラリーマンとはものの見方が違うと感嘆する。きっと彼は将来、上司の命令で右往左往したり壁を隔てた隣の部署の不幸を見て見ぬ振りして居酒屋に引き篭もったりするようなしがないサラリーマンとはまったく違う、崇高な人間へとおなりあそばされることであろう。

 このブログのコメント欄でも、「安全に電車を運行しようとしたら関西人の客に怒鳴り殺される」と書いているコメント子がいた。結局こんなバカげた事故が起きるのも、DQNな関西人の乗客と民度の低いヘタレサラリーマンな社員ばかりの世の中だからですぜと。なんつーか、ものすごい説得力である。僕自身、神戸出身という(コメント子曰く)“広域暴力団員関西人”の末裔として、胸に熱く迫るものがある。

 前出のニーチェ的鉄人東大法学部生氏によれば、日本国民なかんずく関西人に顕著なこの「上司の言うことなら何でも聞きます隣の部署の不幸にも目をつぶります的ヘタレサラリーマン根性」と「俺は顧客だ顧客の言うことを聞け的怒鳴り殺し広域暴力団員顧客体質」というのものを矯正し、悲惨な事故の再発を防止するためには、なんとただ1つ、「社会全体がスピードを落とせば良いだけ」でいいそうだ。おおおお!何という単純明快快刀乱麻一刀両断的ご賢察!!僕、「社会の矮小なルールに埋没した詰まらない人間」すぎて全然気がつかなかったよママン!!

 というわけでこのブログを読まれた「誇り高き○○マン」たる日本国民の皆様方には、連休明けから堂々と遅刻したうえで、会社の上司に向かっては「出社時刻に30分遅れたから何だって言うんだコラてめーみてーなヒラメサラリーマン根性の奴がJRの大事故を起こす原因なんだわかってんのかコノヤロウ」と怒鳴り、時間通りの納品を要求する顧客に対しては「お前さんみたいなたかが1日2日納品がずれたからってきゃーきゃー喚く広域暴力団員みたいな客の存在がJRの大事故の原因になったんだちっとは反省しやがれコノヤロウ」と電話の受話器を叩きつけるような、麗しきスローライフを送っていただきたく存じ上げます。日本國万歳。

10:31 午前 経済・政治・国際 コメント (53) トラックバック (40)

2005/04/30

(Exciteブログニュースで初の1位取った記事への)独り言

 こんだけ時間が経ったから、どこかからチクリが出てくるかなと思ったけど出てこないな。タレこむ元気もなくしてるのだろうか彼らは。あるいは本当に現場の暗部だから出てこないのかな。会社に首を握られていればやはり無理なのかもしれんな。だから当局による事情聴取でしか、本音は出てこないのかも。想像以上に深刻だな。

 近い話はちらほら出ているが、結局これってのも糸且合の話だ。ちなみに北と匹と丸はリストラが急務だったので匡労系の糸且合員は採用しなかった。だから問題は真ん中の3つだった。上の方だって今もってガイア小隊が全員役員に残っているのを見ても分かる通り、結局真ん中の3つは今もこの問題を引きずり続けている。

 ガイア小隊の中でも束はCや酉ほど糸且合の弱体化が激しくないから、割と勤務時間の上限やら厳しく守られているらしいが、それ以外は相当えげつないことやってきたわけだ。糸且合員がどんなめにあったか(人木才活用センターとか)の話は、ぐぐればいろいろ出てくるさ。でもそういうのは末節な話。被害に遭った奴が大声でいうから記事になったりするだけで、この15年、本当に現場、特に酉やCで起こっていた問題ってのは実際もっと深刻だった。

 結局匡労の斗争の切り札はダイヤを止めるってことだったので、上は「要するに運転士と車掌がじゃぶじゃぶいればいくらオルグしても止められないだろ=匡労あぼーん」って考えた。それで、工房も千問卒も全員車掌に、ちょう簡単な試験さえ通れば全員運転士にしたわけだ。つまり能力一切不問。それが対匡労対策だったわけ。

 しかも真ん中の3つは「新幹線あって儲かるんだろ」とか言われながらすんごい借金背負わされてのスタートだったから、キャッシュ稼ぐのにもう必死。とはいえ束は人口集中する首都圏地盤だし、Cは$箱路線抱えてるから何とかなったが、酉は三洋なんて政治のために作られただけにぜんぜん儲かんねえし、在来はことごとく私鉄と競合だし、もうめちゃくちゃ。98年に追加負担の議論が国会で出た時に、社長の難谷も怒ってたよなあ。そりゃ怒るよ。ていうか、土壇場で日和って逃げたCの大風呂敷男、あいつ本当にきたねえ奴だよマジで。末田はスクラム組んで戦おうって言ってたのにな。風呂敷男氏ね。

 で、結局あれからさらにすごい勢いで人員削減することになったわけだ。酉のサイトみたら、2001年の中経で社員数を5年で4万1000から3万2000へ、2割以上減らすつもりだったんだな。切られるのは当然ながら年くったベテランと民営化の時に人が足りなくてしょうがなく雇った匡労糸且合員。で、現場から経験豊富な人間がごっそりいなくなっちまったと。

 つまり、分かりやすく言うと、この15年というのは経営的に言うと2つの期間に分かれるわけだ。87~97は、計画通りの匡労潰しと計画通りの借金返済という、ガイア小隊のメンバーが自分で描いた絵を実行していた時期。それから98~2005は、真ん中3つで合計うまい棒135億本の追加負担を受け入れなきゃいけなくなって匡労以外の社員にも締め付けを強化した時期。

 10年単位で見通しがそんなに狂うわけない商売だから、逆に言えば永田町から降ってきた合理性を完全に無視したこの(匡労潰しに対する意趣返しみたいな)この案が、ガイア小隊たちの経営見通しをどれだけ狂わせたかってことを、当時大手紙の中で唯一真ん中3つへの追加負担に賛成の論調を張った朝日新聞はもう一度想像しなおして反省しろ。ていうか論説委員氏ね。おまえらに企業批判する資格なし。

 話が逸れた。まあそんなわけだから、今の酉にはトータルな仕組みとして安全を考えられる奴も、現場で臨機応変にまともな判断をできる車掌も運転士も、残ってないってこってすよ。匡労はいざ知らず、非糸且でももうそういう骨のある奴はいないだろうね、残念ながら。

 といったような話を言うと「そら見ろ!やっぱり政治家が悪いんだ!」とか「公的資金負担を減らす国会案を支持した国民が悪い!」とか言う奴が出てくるでしょうから、もう一言申し上げておくと、そうは言っても酉の当期純益は、5年前と前期を比べると連結で2倍、単体でも1.5倍に増えてるんですわ。FCFで見ても、ここ3年ぐらいはコンスタントにうまい棒40億本ぐらいはキープしてるし。

 しかも今回やっちまった部分は鉄の中のセグメント別(三洋、在来、都市網)で見ると唯一の増収増益部門だった。せっかく去年の3月に完全に自由放免の身になったことだし、キャッシュは一番搾れるところからもっと搾り取ろうぜってことだったのだよ。霞ヶ関の株売却っていうのは、つまりは「最後のたがが外れる」って意味だったのかもしれんね。だはは。

 で、「上が腹切りゃーいいってもんじゃないだろ」とかコメント欄でおっしゃっている方々がいるようですが、皆さん運転士や車掌である前に生殺与奪の権を会社に握られたしがないサラリーマンなのですから、上の物言いが変わらない限り組織なんて変わりませんや。というわけで独り言による分析、おしまい。独り言なんで詮索不可。

 追記。僕は糸且合ってのはむしろ会社を強くする、と思ってる人間。なんでかっていうと、上の際限ない合理化の無茶な要求に、現場レベルから適切な歯止めをかける機能があるから。話を聞く感じでは匡労が「適切」な歯止めになり得たかどうかは微妙だが、少なくとも草恋に変わった段階できちんと現場チェックの経営の中に組み込むべきだったと思うのだな。そうやってトヨタは強くなったわけだし。社長が替わってもそれが出来なかった、許されなかったのは、やはり上に居座っていたガイア小隊たちの過剰な思い入れがあったから、のような希ガス。丼も風呂敷男もこの際全員ヤメレ。おまえらがガンなのだ。でないと何度も繰り返すぞ、きっと。

12:02 午前 経済・政治・国際 コメント (12) トラックバック (10)

2005/04/28

JR事故が経営者の責任じゃないならいったい誰の責任だというのか

 尼崎のJR脱線事故は、調査の結果も明らかになってきたようだ。完全な断定はできないものの、置き石説はJR西日本(JRW)のフカシで、主な原因はスピードの出しすぎ+カーブに入る直前の急ブレーキ(による車輪摩擦の増大)というあたりのようだ。

 このあたり、あちこちのブログや掲示板からのコメントを集めてきた、てるてる日記の「尼崎での脱線事故について関連記事・ブログなど」というエントリが出色だ。ここのリンクを読めば、背景にあるJR西日本の労働組合問題なども含めて、原因がほぼ推測できる。

 新聞やらブログの世界は、そろそろ原因究明から責任追及の議論に入っていてもおかしくないと思うのだが、朝日の今朝の社説なんか読むと、finalvent氏でなくても「無内容」の一言でうっちゃりたくなるぐらい中身がない。論説委員は事故が起きてからずっと3日ぶっ続けで天に祈り続けてるのか?僕は1日だけだったけどな。

 ライブドアPJなんて、もっとめちゃくちゃ。「責任は国民にある」とか言っちゃうし。おいおい、JRの経営者と政治家がバカなのはどっちも国民のせいなのかよ(笑)。利便性を求めるのは消費者の当然の行動で、それを否定したら資本主義が成り立たないよ。100%の安全を維持しながら消費者の利便性にどう応えるか考えて実現するのが企業の役割だろ。そんなもんまで国民の責任にするなよ。

 脱線のメカニズムは理系の専門家の分析に任せるとしても、マスコミもブログ書く人も、文系なら文系なりのロジックをもう少し持って考えてほしいと思うんだが。

 この問題を超マクロで見ると、25日の「ニュースの現場で」のエントリのように「リストラ社会」に原因があるように見えてくる部分もあると思うのだが、それは問題の設定を巨視化しすぎだと僕は思う。「ニュース~」の高田氏もさすがに少し考え直したのか、27日のエントリで改めて朝日新聞の6年前の記事を引きながら問題の核心に触れているが、要するにこの問題は企業としてのJRWの安全管理の仕組みの問題である。それ以上でもそれ以下でもない。

 どんな業務でもそうなのだが「あるルーティンワークを人間にさせる時、二律背反となるようなルールを同時に課してはいけない」というのが、オペレーション・マネジメントの基礎の基礎だ。

 例えば、ある工場で労働者にベルトコンベアー上に流れる製品に対する部品の組み付け作業を行わせていたとする。この時、労働者にルールとして100%徹底させなければならないことは何かと言えば、「自分の後ろの工程にきちんと部品を組み付けられなかった製品を送ってはいけない」というルールだ。

 「できるだけ早く、かつ正確に部品を組み付けよう」というのは、典型的な「指示してはいけないルール」である。部品組み付けの早さは、ベルトコンベアーの速度をコントロールする管理者が決めることだ。それは組み付けラインにいる作業者(オペレーター)の決めることではない。

 もし「きちんと部品を組み付ける」というルールと「早く部品を組み付ける」というルールの両方を100%やれと指示したら、たぶんどちらも100%はできないだろう。なぜなら、早く作業しようとするほど組み付け失敗の起こる確率は高まるからだ。そして、組み付けに失敗した製品を後工程で検査して手直しして、とやっているうちに、結局ライン全体の生産効率は落ちてしまう。

 JR西日本は、どうやらこのことを根本的に理解していなかったように思える。「時間厳守で、かつ安全に電車を運行せよ」という命令は、特にラッシュ時のようなクリティカルな状況に置かれる運転手に対して指示されるべきものではない。両方をやろうとするあまり、どちらも達成できなくなるからだ。

 運転士に「ダイヤ通りに運行する」ことをルールとして課すならば、その前提として「100%安全に運行する」ことはほかの誰か、恐らくダイヤを組む人間とATSやら護輪軌条やらを付ける役割の人間の両方が、責任を持たなければいけない。今回の事故の取材で、JRWに「こんな過密なダイヤを組んだのは誰ですか」と質問しに行く記者がいないのは不思議だ。

 というか、実はJRのダイヤというのはコンピューターのプログラムで組まれている、という話を以前どこかで聞いたことがある。「コンピューターが組んでいるから間違いはありません」とか答えてるのかな、JRWの広報は。だとしたらそのコンピューターのプログラムを何とかしろっての。やばいよマジで。

 少なくとも、人員に余裕のまったくない状態でギリギリの運行ルーティンを毎日やらなければならず、そのためにオーバーランや制限速度違反が常態化していたことを定量的に計測して改善策を打つ社内ルールを作っておかなかったこと、それ自体がJRW「安全対策」の最大の問題だったという認識を、マスコミやブロガー諸氏は持つべきだと思うよ。

 で、その責任を取るべきなのは、当然ながら安全対策に最大の責任を持つ経営者だろ。社長時代に東西線を開通させ、今のJRWの運行システムを企画した総責任者である南谷会長は、一番その責めを負うべきだ。会長辞任は当然として、関経連副会長を降りないっていうのはどういう了見なのか。関電の美浜原発の件といい、関経連も本当に腐ってるな。もしかして、ことは関西経済界の知能麻痺であって、JRWの企業体質の問題だけではないのかもしれない。

09:30 午前 経済・政治・国際 コメント (60) トラックバック (48)

2005/04/21

ライブドアはテレビより前に電話を潰しますのか

 テレビだラジオだと騒いでいたのがそれ自体壮大な煙幕だったんじゃないのかと思うほどに、最近の無線LAN関係の動きは激しい。ライブドアが川上からの提携で動き出した。

 ライブドア、公衆無線LAN参入へ・パワードコムと連携(NIKKEI.NET)

 しかし日経もほんま、ええ加減やな。「大手通信会社以外の参入は珍しい」って、んな嘘言うなよ。MISのどこが大手通信会社やねんと。それに無線LANなんか、僕だって参入だけやったらいつでもできるがな。家の無線LANアンテナを外に出して、「10m四方のサービスですー」って言うだけやけど(笑)。

 まあ、そんな憎まれ口はどうでもいいんだけど、無線LANはNTT東西やソフトバンクはじめ、あちこちの企業が散々アドバルーンをぶち上げては落としを繰り返してきたし、最近ではまた鷹山が「年末からアステル東京の基地局インフラを使ってWiMAXを」とかほざいてるので、ベロベロ手によだれ垂らして眉毛ゴシゴシっていう感じしまくりなわけだが、ライブドアには何となく期待できそうな気がしてしまう。

 NTT、ソフトバンク、鷹山に比べて、ライブドアならもしかするとやっちゃうんじゃないかと僕が思う理由は、以下のとおり。

  • クライアント・アプリで最も有望な「Skype」を握っている
  • 基幹IP網とアンテナ利権を持つところとアライアンスを組んだ
  • コンシューマに「タダのサービス」というブランド認知が行き渡っている
 並べてみると3番目とかはトホホな理由だったりするが、これはこれで結構大切だ。

 Skypeって何?という手合いについては、日経ビジネスExpressが「ダイヤルSを回せ!未来型電話スカイプが無料の先に目指すモノ」というタイトルで、ド素人でも分かる記事を無料公開してくれているので、そっちを読んでください。まあ、このブログ読んでいる人でSkypeを知らない人もいないと思うが(笑)、Skypeのコア技術って何なの?みたいなところは、意外に知られてないかもと思うので。

 で、2つめは今回の話。ライブドアがパワードコムと組んだのには、それなりの意味がある。結局通信の世界というのはラストワンマイルをどうするかがKSFだからだ。無線LANは基地局から電波の届く距離が数百メートルが限界と言われており(鷹山の採用するWiMAXはそうでもないらしいが)、結局どれだけアンテナをきめ細かに設置できるかが勝負を分ける。

 FPNの徳力氏の解説がそのあたり詳しいが、ADSLではNTTのダークファイバー(未使用ファイバー線)を借りて基地局までファイバー網を引くことに成功したソフトバンクも、無線LANではマクドナルドやスターバックスなど飲食店にアンテナ網を依存せざるを得ず、結局広がらなかった。

 その点、パワードコムは九電力が親会社の「元祖・電柱屋」である。電力会社が送電線と一緒に引いた光ファイバーの通信網を使い、日本全国の電柱にアンテナを取り付けるなど、造作もないことだ。

 そして、最後は普及のてこになる消費者認知だろう。渋谷の女子高生に「鷹山って知ってる?」とか聞いても99.99%の確率で「知らな~い」と返されること請け合いだが、「ライブドア知らない」などという人はほとんどいないだろう。何してる会社かは知らないって言われる可能性は高いけど(笑)。

 あとは、Skype内蔵の携帯端末をどこから持ってくるか、だな。まさか「皆さん、ノートパソコン持って出て下さい!」って言うわけにもいかんだろうから、「iPAQ with Skypeホリエモン・モデル」とか、「ブラックベリーby Livedoor」みたいな端末を持ってこなきゃね。

 んで、そいつを新宿ヨドバシの前とかで赤いウィンドブレーカー着たお姉ちゃんたちに「今ならケータイタンマツ、3ヶ月無料でーす!」とか言いながら配らせるっていうのはどうよ?ていうかフジテレビからぶんどった400億円の一部だけでもいいから使って無料で配ってくださいぜひぜひ。そしたらテレビとラジオはぶっ潰せないかもしれないけど、NTTドコモ潰せまっせ。なーんて妄想爆発中。(うは、グダグダの記事になってしまった)

11:45 午前 経済・政治・国際 コメント (23) トラックバック (6)

2005/04/20

AdobeとMacromediaはXMLの夢を見るか

 AdobeとMacromediaのM&Aについては特にコメントするつもりもなかったのだが、極東ブログがこの件で業界内をざっと概覧するエントリを立てていたので、それに対するカウンターでもやっておこうかと思う。

 DTPやウェブ開発ツールの普及が、製品の技術的先進性やクオリティとはほとんど何の関係もないことは極東ブログでの指摘のとおり。finalvent氏はこれを「(普及の成否は)それを支えるエンジニアやデザイナーの労働市場に依存するだろう」と書いているが、そうとも言えるしそうでないとも言える。というか、このポイントこそがAdobeとMacromediaのコア・コンピタンスを分けてきたものだ。

 Adobeが圧倒的な強みを持つペーパー系のデザインやドキュメント作成ツールについては、広告会社や出版社、編プロ、あるいはそこに人材を供給するデザイナー学校など、ユーザー企業の投資動向に依るところが大きいと思うし、逆にMacromediaが強みを持つウェブ系のツールについては個人のネットワーカーにとってavailableかどうかが大きいと思う。

 結果的に、ユーザーから見れば2社は似たような機能の製品群をたくさん持っている。M&Aでそれらの商品ラインナップがなくなるのではないかと懸念する声も大きい。だが、FLASHを使って遊んでいる2ちゃんねらに「最新バージョンではFireworksをPhotoshopのサブセットにしたから3万円ぐらい余計にカネ払ってね」なんて言ったら、たぶん誰もその製品を買わないだろうし、逆にCreative Suiteを使ってDTPをこなそうと思っているグラビア誌のデザイナーに「今Suiteのプレミア版をお買いいただければDreamweaverも付いてきます!」とか言われても「なにそれー」で終わるだろう。

 つまり、微妙にかぶっているように見えるプロダクツ群も、それぞれの会社が得意としてきたユーザーが欲する程度の価格と機能で作られてきたのであり、単純に似た機能の群を統合すればどうなるというものではないと思うわけだ。

 では、なぜAdobeはMacromediaと一緒にならなければならなかったんだろうか?彼らの狙いは、いったい何か?

 僕の勝手な予想だが、それはたぶんXMLのためなのだろう。

 Adobeが抱えてきたペーパーパブリッシング系のユーザーは、今おそらく10年に1度の大きな転換期を迎えている。日本でも既に起こっていることだが、ウェブサイトが雑誌や広告の市場を荒らし、紙だけを作っていたのではもう収益を稼げない時代に入ってきた。従来テキストや画像処理など、それぞれの領域だけで進められてきたデジタル化を、プリプレスのプロセス全体で統合し、さらにXML化したデータをリアルタイムでウェブなどにコンバートする技術が必要になっている。

 ところが、XDFをウェブの世界に持ち込めるかというと、これがつい2年前ぐらいまでは全く「ノー」だった。ウェブの世界はブログが出てきてやっとXMLベースのサイト構築がメインストリートに躍り出てきたものの、これまではDreamweaverを使ったゴリゴリのHTMLカスタマイズですべてが作られていたからだ。それがようやくXMLベースで議論ができるようになってきた。

 でも、AdobeにはXMLの原則は分かっても、それをウェブデザイナーに納得させて使わせるだけのアプリケーションを開発するノウハウがない。なんせ何十万円もするような高級ソフトばかり作って企業向けに売ってきた人たちに、2ちゃんねらでも使えるようなソフトをばらまくマーケティングのノウハウなんて、あるわけない。彼らは常にソフトウエア界の貴族だったのだ。

 というわけで、じゃあユーザーをMacromediaごと買っちゃって、彼らウェブデザイン系の人たちと我々パブリッシングデザイン系の人たちで共有できるXMLプラットフォームをちゃんと決めましょう、というのがAdobeの狙いなんではないかと、思っている。

 実際のところ、「DTPソフトに入力した記事を、そのままウェブサイトのフォーマットに変換してページを自動生成して、しかも著作権保護をかけたFLASHにコンバートしてPDAブラウザ向けにばらまけないのか」とかいうことをしょっちゅう考えていたが、こんな壮大なコンテンツ配信のフロー、ある程度のアプリケーションがなければできるわけがない。そして、今はXMLというバックエンドのDBにリアルタイムでジョイントできるDTPソフトも、ウェブ開発ソフトも、マルチメディアオーサリングソフトも、まだ存在しない。

 というわけで僕はかの業界を見切ってしまった。今になって思うと、僕が転職したのはAdobeやMacromediaのせいだ。そうに違いない(笑)

 なんて意味のわかんないことを書いてしまったが、極東ブログが言うように、AdobeだってMacromediaだって、彼らの製品群が技術的・市場的にデッドエンドに来ていることに対する自覚ぐらいはあるだろう。そして、フロンティアがむしろその背後のXMLフォーマットの領域にあることも。だからAdobeはSix Apartと提携したのだ。今や、XMLの世界で最も枢要なアウトプット・アプリケーションを握る同社と。

03:35 午後 経済・政治・国際 コメント (10) トラックバック (15)

2005/04/18

サラリーマン経営はオーナー経営より強し

 「ああ、とうとう勝負あったか」と思った。今朝の日経のニュース「メディセオとパルタックが経営統合」を読んで、ふとそんなことを考えた。

 一般人からはあまり見えない業界の話なので、ピンと来ない人も多いだろう。少し説明しておくと、メディセオホールディングスは、2004年にクラヤ三星堂とアトル、エバルスという3つの医薬卸が合併してできた国内最大手。パルタックもこれまで多くの問屋が合併してできた会社で、日用雑貨卸の国内最大手である。

 メディセオの前身であるクラヤ三星堂は、国内最大の製薬メーカー、武田薬品工業の系列卸であり、病院や薬局に圧倒的な取引の強みを持つ。ここ数年、医薬卸は業界再編が相次いでおり、メディセオは武田直系という商品力に加えて、規模の競争でもその先頭に躍り出た。

 ただ、メディセオにも弱点があった。それは大衆薬である。大衆薬の国内最大手は大正製薬。武田の商品力にものを言わせられない分野だ。しかも、主要流通ルートであるドラッグストアは近年ものすごい勢いで成長し、しかも安売り乱売合戦を重ねてきたので、厚労省が決める「薬価」などというカルテルは存在しない。

 しかも、ドラッグストア向けは他に日雑、食品の卸も入り乱れての競争となる。メディセオのドラッグストア向け卸売り事業は、1兆2000億にのぼる連結売上高のわずか4.5%に過ぎない。今年4月にスズケンから大衆薬卸部門の譲渡を受けて医薬卸業界の最大手にのしあがったコバショウ(売上高1650億円)の3分の1の規模しかなく、タケダブランドを使ったごり押し以外に売り上げ拡大のすべがなかった。

 武田薬品の強みはなんと言っても医家向け医薬品であり、ドリンク剤や風邪薬といった一般向け医薬品で特段の目玉商品があるわけでもない。メディセオにとっても、たかが5%にも満たない売上高など、これだけ医家向けの取り扱い規模が拡大すれば、切り捨てても何の不都合もないだろう。そのうちスズケンのように、大衆薬に見切りを付けるのではと思っていた。

 ところが、メディセオはドラッグストアをあきらめていなかった。日用雑貨卸で国内最大手のパルタック(売上高3846億円)を株式交換で吸収合併した上で、メディセオの大衆薬事業を譲渡するという「ウルトラC」を打ち出したのだ。

 コバショウの強みは、小林製薬という、製薬メーカーでありながら芳香剤で圧倒的なシェアを持つ会社の傘下で、日雑と医薬の両方をカバーする品揃えを握っていたことにある。ドラッグストアが物流合理化などの意識を強めれば強めるほど、武田薬品の薬以外なら日雑と薬のどちらも扱え、物流システムのノウハウを持つコバショウが有利になると見られていた。

 ところが、低コストの物流構築では圧倒的なノウハウを持つパルタックがメディセオに合流することで、この分野の業界地図はまったく変わる。ドラッグストア向け卸の売上高では、メディセオ+パルタック連合が約4400億円と、コバショウの2.5倍という圧倒的な規模に達する。品揃えも、これまで他の医薬卸が決して扱えなかった武田薬品系のラインナップが加わることで、ほぼ完全なフルラインとなる。これをひっくり返すのは、並大抵のことではできないだろう。

 ところで、僕が「勝負あったか」と思ったのは、大衆薬卸のシェア争いのことではない。大衆薬あるいはドラッグストア分野における、卸と小売りの覇権争いのことだ。

 ここ数年、ドラッグストア各社は医薬分業の進展を追い風にものすごい勢いで売上高を拡大してきた。だがこれは、はっきり言ってしまえば医薬卸がパパママ経営の零細調剤薬局向けに提供していた運転資金提供の仕組みを逆手に取って実現した成長で、実はドラッグストア自身の経営イノベーションがもたらしたものではない。

 だから、本当であれば急成長のために悪用した医薬卸の仕組みが消える前に、その果実をきちんと確定するべきだった。つまり、ある程度の店舗網を作り上げた会社は、それをうまく利用しつつさらに小売り側から覇権を狙えるだけの仕組みを作った会社に身売りして規模を拡大すべきだった。

 でも、そうはならなかった。業界内にはいくつかの規模拡大の核になりそうな会社(マツキヨ、イオンウエルシア等)が出てきたものの、結局寄り集まった仲間をうまくまとめるのに失敗し、規模を生かした次のステップへ進むことができないでいる。

 その間に、今度は卸の側がM&Aを繰り返して規模と取り扱い領域をどんどん拡大し、ドラッグストア側に制度悪用されないような対策を打ち始めた。おそらく、その象徴がメディセオ+パルタック連合だ。

 今、地方で群雄割拠する中小規模のドラッグストア企業は、どこも従来のような勢いでの店舗網の拡大も利益の増大も狙えなくなり、窮地に陥っている。おそらくこれから2~3年の間に、倒れる企業が続々と出てくるだろう。

 いや、むしろ誰も倒れないかもしれない。卸各社は小売りを「分割して統治」するのが一番おいしいことを知っているから、倒れそうになった会社は必死で経営指導して何とか生き返らせ、オーナー経営者をちやほやして、他の大きなチェーンに吸収合併されるのを嫌がるようにし向けるだろう。

 ドラッグストアが急成長していたころ、「もしかしてこの中から米国のウォルグリーン(米国最大のドラッグストアチェーン)になるような会社が出てくるのではないか」という期待が漂っていた。だけど、たぶん日本のドラッグストアチェーンからは、これ以上型破りな規模に成長するような企業は、出てこないだろうと思う。卸がその前に規模を拡大して、強くなってしまったからだ。

 小売りよりメーカー、卸のパワーが強い分野では、小売りは絶対に一定規模以上に大きくならない。衣料品ではそういう巨大メーカーが存在しなかったから、ダイエーやイトーヨーカ堂、ジャスコのような巨大小売りが出現した。一方、食品分野は菱食、国分などの卸が非常にしっかりしていたので、食品スーパーはせいぜい2~3県をまたぐ規模のチェーンしか生まれなかった。

 ドラッグストア業界は、日雑と医薬と美容という3分野に商品がまたがっているだけに、強い卸が出てこなければ全国制覇する小売りがもしかしたら生まれていたかもしれない。だが、メディセオとパルタックという「サラリーマン経営者」の経営する会社が、猿山のボスザルのような「オーナー経営者」だらけのドラッグストアチェーンよりも、結果的に先に規模の旗を立てた。こうなっては、もはやマツキヨといえどもタダの「首都圏地盤のドラッグストア」に過ぎない。

 日本の流通業界を見ていると、経営者たちが自らのオーナーシップにこだわるあまり、業界としてのイノベーションを起こせずに企業を立ち枯れさせていくケースがあまりにも多いと感じる。もしかして、「ウォルマートのような企業が生まれない」という意味ではそれがいいことなのかもしれないが、どこか寂しい気持ちもするのは僕だけか。

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2005/04/15

家電量販:首都圏の陣取り分析

 三越の跡地争いの軍配は、ビックじゃなくてヨドバシでしたか。

 ヨドバシカメラ、三越横浜店跡に大型店開業へ(NIKKEI.NET)

 横浜の家電量販店勢力図は、立地面でどうみてもヨド優勢だったので、三越横浜は今の店舗がヨドバシの川向こうで駅から距離のあるビックが必死に取りに来るかもと思っていたけど、あにはからんや。

 秋葉原の巨艦店の開店が今年9月、そして11月に横浜か。店員確保が追いつくのかと思うぐらいの矢継ぎ早だな。ビックが大阪でヤマダ電機対策に気を取られている間に、ヨドは首都圏を着々と制覇しつつあるなあ。東京東部は錦糸町と秋葉原で盤石だろうし、南部は川崎駅前の巨艦と今回の横浜店移転でほぼおしまいか。

 残る死角エリアは、渋谷と、新宿以北、つまり池袋かな。さいたまは中心ターミナルと目されるところが見つかりにくいので難しいだろう。ビックの大宮もずいぶん苦戦してるみたいだし。となると最後の決戦地はビック発祥の地、池袋かあ。どこを狙ってるんだろうか。

 ところで最近、個人的に最もよく使う家電量販店はビックカメラ、ついでなんとベスト電器になってきました(笑)。なんで今さらベスト?とか思われそうだが、別に大した意味はない。ひいきにしてるつもりもなかった。でも、この前たまたま安かったので携帯電話を買ってしまった。ベストって楽天の中にネットショップ出してるんだけど、これも意外に安い。結構びっくり。まだ何も買ってないけど、そのうちネットでも何か買うかも。

 そう、1つ不思議だなあと思うのが、ヨドってあそこまで規模がでかくなっているのに、オリジナル商品作ろうとかまったく思わないのかな。ヤマダもコジマも、だいたいある程度の規模に達した量販店はみんな「これでオリジナル作ったら粗利が増えて儲かる」って思うものだと思うんだけど、カメラ系というのは頑なにオリジナルには突っ込まないよなあ。その代わりとにかく品揃え。そういうところ、徹底してる。

 あそこまで脇目も振らずに品揃えだけ追求するっていうのも、経営としては本当に勇気がいるというか、飽きないことの恐ろしさというか、僕には絶対にできない発想なだけに感心する。ある意味、流通業の経営者っていうのは中途半端に頭が良かったりするのはむしろマイナスで、やっぱり徹底的に愚直で一途でパラノイアじゃないと成功できないのかもね。最近そんな気がする。

10:57 午前 経済・政治・国際 コメント (9) トラックバック (0)

2005/04/14

所得税改革にサンセイのハンタイなのだ

 更新が思いっきり遅れてすみません。夜中に仕事から帰ってきてエントリ書いていたつもりだったのだが、朝気がついたらソファで寝ていた。プライベートの多忙が原因なので言い訳できないんですが、ネットよりリアルが優先なのでしょうがない。

 さて、立ててから24時間ぐらい放置していた所得税の税制改革のエントリについて。一昨日の政府税調の発表を受けて、なんか面白いエントリを立てる人でも出てくるかと思っていたけど、あまり面白いことを言うブログもなさそうだ。やっぱり税制改革の議論は、一般人には敷居が高いのかもね。

 それでも、昔みたいに迷路あるいはおみくじのような意思決定で決まっていた時代に比べれば、税制もずいぶんと一般人の感覚であーだこーだ言えるところまで降りてきたように、思うんだけどね。

 特に今回政府税調の改革は、個人に一番影響の大きい所得税関連の改革である。エントリ予定地でこの文章を書く前に、既にいろいろとコメント書き込んでくださった方がいるが、「増税する前に公的財政のムダを削れ」とか「役人から先に増税しやがれ」みたいな、ガキの喧嘩みたいな言い分でうんこ投げるんじゃなくて、そろそろこれからの50年ぐらいのこの国の支え方を精緻に議論する雰囲気が出てきてもいいんじゃないの。と思うわけですよ。

 だから、今回の石“ストーンヘッド”弘光氏率いる政府税調の答申には、政治的な配慮をし過ぎて本質的な議論ができてないんじゃないの、という意味でちょっとうんこを投げてみたい。

 まず、そもそも今回の税調の答申が個人の立場から見てどうなのか、というのが最もよくまとまっているなと感じたのが、朝日新聞のこの記事。まずこれを読んでおいてほしい。

 僕がいちゃもんをつけたいと思っていたポイントも、だいたいここに出てきている。

 世の中的には、サラリーマンの給与所得控除と退職控除、そして扶養控除の3つの控除を廃止・縮小という「増税」の側面が注目されているようだが、それはどちらかというと枝葉末節のほうだ。今回の改革の議論で最も注目すべきなのは、その前提としてある「所得税と地方住民税の役割」のほうなのである。

 問題の核心部分について、朝日の記事を引用する。

政府税調は当初、04年の「三位一体」改革で決まった国から地方への税源移譲案を受けて、所得税(国税)を軽くし、住民税(地方税)を重くする具体策を検討しつつ、税率や各種控除を見直す考えだった。

 しかし、細かい移譲額が固まっていない上、「(所得税を軽くするための控除拡大など)いいところだけとられかねない」(石会長)との懸念もあるため、移譲策の検討を今秋以降に先送りして「数年先までに行うべき基本的な改革案を示す」(同)作業を先行させることにした。

 政治家による、いいところだけの「つまみ食い」を恐れる石氏の気持ちはわからんでもない。だが、これまで社会構造の変化にきちんと対応できない税制を生んだ諸悪の根元が、この「つまみ食いを恐れるあまりの政策の細切れ化」なのである。

 所得税と地方住民税の「抜本的改革案」を出す作業のスタートで、こういう姑息な政治配慮を優先させて国民的議論の喚起を封じつつ、失望感を先物買いするって、どうよ。政府税調もいい加減、そのマイナス面を自覚してほしいんだが。

 本当にこの改革が「抜本的」改革であるのなら、各種控除の廃止や縮小と児童減税の抱き合わせが結果として増税か減税か、そんなことどうでもいい話だと思うよ。だって根本から構造を変えるんでしょ。そんな議論したって、意味ないじゃん。

 そもそも、なぜ所得税改革が「抜本的」でなきゃいけないのか?それは、もともと国税と地方税が持っていた役割分担の意味が、社会構造の変化によって根本から変わってしまったと思うからだ。

 もともと、地方住民税は水道や病院、図書館といった地方自治体の提供する「公共サービス」の代価としての性格が強く、これに対して国税は公共事業や医療などの福祉政策を通じて、都市と地方、富裕層と貧困層などの間での富の再配分や景気調整に使われる役目だった。

 でも、今や地方自治体にハコモノ建設や上下水道の供給拡大などの旺盛な資金需要などあるわけもない。だったら税率を下げ、住民サービスを充実させれば良さそうなものだが、実際にはバブル時代に作りすぎた泥沼みたいなハコモノの借金返済に、ひたすらドボドボと地方税をつぎ込んでいるに過ぎない。かといって地元の実情に合わせた税率などの柔軟な変更もままならないので、結局目の前にうんこの山ができあがっているにもかかわらず、顔を背けることさえままならないというのが、今の地方自治体の現状である。

 一方、国税の方も公共事業による内需喚起と景気回復という、ケインズ型の経済政策の有効性が小泉内閣で木っ端微塵にされてしまい、それでも大幅に落ち込んだとは言え税収は入ってくるものだから、ひたすら従来通りの公共事業にドボドボとつぎ込まれている。つまり、地方税も国税もその集める目的と集め方が、時代に全然そぐわなくなってきている。

 もし、日本の公的部門をこれからサービス重視、多様性重視に変えたいのなら、まずこの所得税・住民税の役割分担を変えなきゃだろうと思う。

 税調でも議論されたみたいだけど、やらなきゃいけないのは「住民税=低率&定率」「所得税=再配分目的、強累進性」ではなくて、むしろ逆への転換だ。所得税は3~5%の低いレベルで薄く広く取り、人頭税みたいにしてしまう。代価となるサービスは「国防」とか「外交」とか。一方、福祉や富の再配分、産業振興などの機能は全部地方に渡す。住民税は、各自治体ごとに自由に設定できるようにする。

 これやったら、ものすごく面白いことが起こりそうだ。例えば、東京や大阪は莫大な借金を抱えている。これを返済するために、5年間の期限付きで住民税を5%引き上げるとか。あるいは、どこかの田舎の過疎地域に産業を誘致して人口を一気に増やすために、5年限定で住民税をタダにする、とか。その間に死にものぐるいで住民が定住せざるを得ないようなマーケティングを打ちまくる。

 あるいは、金持ちだけを集めたい地域は、低所得者に苛烈な住民税を課す代わりに金持ちの住民税を優遇。その代わり地域内での富裕層向けサービス業者に高額の法人税を課してその分を回収するとか。社会主義的に平等な社会を作りたいと住民が決めた地域では、住民税は富裕者ほど加速度的に重くなる累進税率とし、役所にトップクラスのマーケターや事業家を集めて、域外居住者や海外向けの観光産業や新商品の“輸出"で地域内の住民向けサービスの原資を稼ぐとか。

 そういう時代が来れば、きっとどこに住むかを考えるのも、楽しくなると思う。今は日本の中で東京だけが特殊な「ライフスタイル」のある街で、それ以外の地域はどこに住んでも大して変わらないと思われているんじゃないだろうか。南の島とか、北の国とかは別にしてね。それよりは、それぞれの地域が自分の地域に合った住民を集めたい、あるいは住民が自分たちに合った地域にしたい、という思いが実際の税や政策にもっとストレートに反映されるような制度があると、楽しいだろうと思う。それがたぶん、多様化という意味なんだろう。

 で、そういう議論があった上で「それじゃ、少子化対策はどうすんべえか」とか「低所得者層はどこまで税負担軽減する?」みたいな話が出てくるべきだと思うのだが、なーんか議論が枝葉から入るというの、逆さまだよねえ。政治家で誰かこういう本質論を言う人って、出てこないのかなあ。

09:17 午前 経済・政治・国際 コメント (37) トラックバック (6)

2005/04/11

またむちゃくちゃな目標が・・・

 「毎年20万人ずつ削減」だって?どこから出てくるんだその数字は。

 フリーター年間20万人削減へ…国民会議設置の方針(読売新聞via gooニュース)

 なんつーか・・・、炭酸ガスじゃないんだからさぁ(笑)。そもそもフリーター(非正規雇用者)を十把一絡げに「社会問題」って言うのは、どうかと思うが。最近流行りの「インディペンデント・コントラクター」なんてのも定義上はフリーターに入るんじゃないの?

 というか、そもそも何で減らさなきゃいけないんだ、フリーターを。社会保険に加入してない「フリーライダー」だからか?だったら、パート・バイト全員に社保加入を義務づければ良いだけの話だろうが。パートの社保加入が大きな負担とか言ってる邪巣子とかの流通業は、文句言う前にその常軌を逸した安売りを何とかしろ。

 というか、なんかこの国民会議のメンツを見ていると、毎日新聞で曾野綾子が言ってたような「若者をビシビシ鍛えろ」的なアホな方向に話が進みかねない気がするな。「国民会議」って名乗るぐらいなら、経済3団体と労組の代表だけじゃなくて、もっと若い奴の代弁者を入れろよ。もう、宮台真司とかでもいいからさ。

 それに、だいたい労組なんかフリーターの代弁者でも何でもないだろ。むしろ正社員の既得権益の代表者じゃないか。頼むからちゃんと若い連中と同じ目線で現場を見ている人を、会議に入れてくれ。

 あと、労働三法と派遣法と、全部を抜本改正して、労基署をもっと強化しろよ。今のままじゃ労働関連法制はザルどころか、無法状態じゃねえか。そのぐらいわかってんだろ。あとさあ、マスコミももっとちゃんと取材して現場の話がんがん書けよ。法律違反かどうかはもう棚に上げてさ。要するにみんなが自分の人生におけるエンプロイアビリティをロングスパンで考えながら働くようになればいいんだろ。だったらそういう軸を立てて、もう一度ゼロベースで現場を取材してみろよ。大企業に遠慮して目つぶってないでさ。

 それから、会議に文部科学省を入れろ。おまえらがわけわかんねえ規制で教育機関を縛ってるから、こんなに労働の需給ギャップが広がってるんだよ。わかってんのか。職業訓練の教育事業を大幅に規制緩和して、その代わり教育内容をきちんと評価して格付けする第三者評価機関を早く作れ。でなきゃいつまでたっても日本の教育の質なんか上がるわけねえんだよ。学習指導要領や大学設置規制だけで教育の質が上がるなら、誰も苦労しねえんだ。日本の大学の教育なんか世界的に見て「教育」でも何でもないんだよ。

 こんだけやらなきゃいけないことは前々から言われ続けてきてるのに、何が今さら国民会議だよ。いい加減にしろ。全部おまえらの怠慢のなせる業じゃないか。若者が考えることなんて大した話なんかないんだよ、それなのに都合のいいときだけ「ニートは根性が足りない」とか「フリーターは努力が足りない」とか言うんじゃねえよ。根性も努力も身につけさせなかったのはおまえら年寄りなんだよ。

 というわけで久しぶりにむかついたので毒を吐いてみたが、国民会議の皆様ならびに関係諸官庁の皆々様には熟慮の上、上記の諸政策を可及的速やかに実行に移していただきたく思う所存でございます。

05:52 午後 経済・政治・国際 コメント (21) トラックバック (12)

2005/04/08

【速報・三洋電機】CEOは何をするのが仕事か

 うおおお。遅れたマスコミ業界のことをねちねち考えている間に、世の中でははるか先を逝くできごとが。

 三洋電機CEOに野中ともよ氏、社長に井植敏雅副社長(NIKKEI.NET)

 これまで社外取締役しかやったことのない、50歳の元フリージャーナリストが、売上高2兆4000億円の巨大エレクトロニクスメーカーの会長兼CEOですか。日本も変わったなあ。しかし、いったいここで言うCEOとはなんなのだ。

 取締役会議長として、創業家3代目の若社長を見守ってくれというのが野中氏の役回りか。しかしそれにCEOまでつける必要はあったのか。CEOっていうのは、社内の隅々まで事業のことを理解して、それを間違いなく取締役会の意思決定に反映させるという、ものすごい大変な仕事だと思っていたんだけど。若社長のお守りをCEOとは言わん罠。

 しかも、自分で言うのもなんだけど(笑)ジャーナリストっていう商売は巨大企業の事業運営に一番向いてない職業だと思うんだがな。ニッポン放送の社外取締役でも、特段会社側経営陣の意思決定に異議を唱えたとかいう話も聞かなかったし、経営者としての能力があるのかどうかまったくわからん。

 井植会長もものすごいラディカルな人だから、まあこのくらいのことはしてもおかしくないというのが個人的な印象なのだが、それにしてもいささか合理性が問われる気がする。せめて桑野現社長を副会長で補佐役に残すぐらいのことをしないのか。しかも、会長ご本人はCEOでもCOOでもない「代表取締役」って、何なんだよ。ワケワカメ。

 東ハトの中田英寿取締役っていうのも結構びびったが、あれはあれで一応それなりの成果(会社のビジョンを語る本の出版)になったってことになっているけどねえ。それにしたってまだ「ヒラ」の取締役。今度はわけが違うぞ。

 まあ、今日の夕刊から明日の朝刊にかけて各社が解説で取り上げるでしょうが。「日本にもカーリー・フィオリーナが現れた!」とか大騒ぎするメディアがいたら、大笑いしてあげよう。でもとりあえず野中さんは、すごい。ガンガレ、超ガンガレ。

12:20 午後 経済・政治・国際 コメント (10) トラックバック (14)

2005/04/06

労働組合のマーケティング

 メディアビジネスの話の続きを書こう書こうと思ってるんだけど、ちょっと時間&書く気がままならない。しかも前のエントリのコメント欄で「具体的になんかプラグマティックな提案あんのかよ」とか言われちゃったし(笑)。そこで、今回はコメント欄で議論が盛り上がっている「格差社会」というか、働くことについての話の続き。ちゃんと提案も書いてあげよう。

 昨日に引き続きid:Arisan氏のブログをあちこち読んでいたのだが、今年に入ってから始まったブログのようなんだけど、ものすごい内容の濃さだ。世の中にはまだまだこういうコンテンツを持った人がいる。

 その中で、以前書いた「続・働く人のキャリアの作り方」で取り上げた、上山和樹(id:ueyamakzk)氏のブログでの「フリーター漂流」のイベントについてコメントしたものがあったので、まずそれについて考えたことを書こう。

 僕自身はもちろんイベントには出席していないが、上山氏ほかのブログでのレポートや感想などを読んで、引っかかっていたことがあった。それは労働組合の話だ。

 上山氏は特に労働問題の専門家でもないので、フリーター問題についてのパネルディスカッションで学識者(労働法の専門家)と労働組合からの参加者の見解がどうだったのかについてのまとめがいまいちわかりにくかった。

 ただ、脇田滋・龍谷大学教授に難しい言葉であれこれ言われなくても、労働組合関係者の言い分というのはだいたい分かる。それを、Arisan氏が「フリーター漂流」の番組を見た後、ネット上で労働組合に近い立場の人の意見を聞かせてもらったエピソードとして、見事にまとめてくれている。少々長いが引用する。

 その時に感じたのは、組合の人たちには、企業がフリーターなどの非正規的な雇用を多用することによって、労働者(組合員)の地位や労働条件が悪化する、という観点が強いようだ、ということだった。

 ある人の意見では、労働組合に組織できない非正規的な労働力中心の雇用に企業が切り替えているのは、賃金が安いとかの理由だけではなく、その方が労務管理が楽だという理由があり、労働組合がないから(『フリーター漂流』で紹介されていたような)企業側の思いのままのような労働現場になってしまっている。だから労働者の地位や労働条件を保つために、非正規的な雇用の限度を法的に規制するべきだ、という意見だった。(太字は引用者)

 今の非正規雇用の劣悪な雇用環境がどのようにできあがっているかという事実認識は、彼らも間違っていない。根本的に間違っているのは、「だから、どうすべき」という太字の部分である。

 こちらのサイトを見ても分かるとおり、日本の労働者の労働組合組織率は、2004年6月時点で19.2%と、10年前に比べて5ポイント近く下がっている。しかも、産業別に見てもっとも組織率が高いのが公務員(61%)というのだから、もう冗談のような、笑っちゃう世界である。

 なぜこういうこと(上山氏の言葉を借りれば「ゲーム(ルール)の書き換え」)になっちゃうかと言うと、そもそも日本の労働組合というのが、年次・職種が同じなら給与は基本的に同じという、年功賃金を前提に組織化や運動の戦略を考えてきたからだ。毎年春の賃金テーブル改定時に「春闘」という名のベースアップ要求を掲げ、正社員全員の給与をちょっとずつ上げてね、と言うのが労組の仕事だったのだ。

 ところが現実はどんどん非正規雇用が増大し、年功賃金が崩れる方向に向かっている。たぶん今の日本の会社で、成果主義的な要素を完全に排した賃金体系を維持しているところは、もう1社も残ってないんじゃないか。年齢と年俸の逆転現象が起きている会社も少なくないだろう。

 成果主義賃金が一般的になれば、集団での賃金闘争は無意味化する。また、正社員だけの諸権利を求めていても、会社が正社員を極限まで減らしていくようになれば(現実に、流通・サービス業では従業員の8割以上がパート・アルバイトの会社などざらにある)、ただの「既得権益者集団」としか見られなくなって終わるだろう。

 そんな中で、労組がいくら「非正規雇用を規制しろ」と喚いても、それは内田樹の言うように「ひょっこりひょうたん島で、ドンガバチョがエレベーターの停止階表示の針を止めてエレベーター本体を止めようとする」のに似ている。つまり現実には起こり得ない、時計の針の逆回しである。

 であるならば、以前も述べたように「企業を存続不可能に追いやり、従業員の安定雇用を保証できなくする最大のリスクファクター」である労組は、成果主義賃金体系の普及とともに消え去るしかないだろう。

 と、結論づけて終わってしまっても面白くも何ともない。そもそもここで問題なのは、労組がこの先生きのこるかどうかではなく、労働者の地位や労働条件を改善するにはどうすればいいか、だったはずだ。この問題で労組に何ができるのか。

 僕は、労働組合は自らを「従業員相手の社内サービス業」と位置づけ直すべきだと思う。賃金闘争や条件闘争は、経営者があからさまな不当労働行為をした時には必要だが、平時にそんなことを言っても従業員はもはや関心など持たない。それよりは、今目の前にいる従業員(正社員、パート、契約、派遣も含めて)が皆必要としているサービスを提供し、その代価として「組合費」を受け取ることにすればいいのではないか。

 「従業員の皆が必要とするサービス」とは何か?それは、「人生における生き甲斐、仕事におけるやり甲斐探しの支援」だ。

 類似のサービスは人材派遣会社、紹介会社、再就職支援会社、心理カウンセラー、自己啓発セミナー会社など様々な企業・団体が行っているが、そもそもそれって結局最後は労働者本人がすべて何とかしなければいけないだけの話だ。外部のカウンセラーやコンサルタントが本人のノイローゼの原因が経営者や上司にあると判断しても、それに手を出すことはできない。

 労働組合なら、そうしたことも広い意味での「労働者の権利」として扱い、経営者や管理職と是正の交渉ができる。それに、他の原因によるものも含めて相談に乗り、従業員が心身の健康や自分なりの人生の目標を持ちながら働くのをサポートするプログラムを作ることもできる。

 カウンセリングもキャリアサポートもいらねえ、俺は俺の腕だけで生きていくぜ、という従業員は、別に労働組合に入る必要もないだろう。だけど世の中はむしろそうじゃない人の方がずっと多い。パート、アルバイト、契約、派遣も含めて「働く時のサポートが欲しい」と思う人をなるべく多く取り込んで組合費という名の「保険料」を取りサービスを提供する団体になれば、まだまだ存在の価値はあるのじゃないか。

 ちなみに、僕のこういう発想は決して机上の空論ではない。実はとある大企業の労働組合で運営方針を転換し、こうしたことを既にガンガンやってるところが存在する。ちなみにその企業は、前期も過去最高益だった。

 それにしても、僕自身も会社移って何よりびっくりしたのは正社員と契約や派遣の間に、何の溝もないことだった。前の会社ではどんな優秀な契約社員も、社内ニートみたいなフリーズ正社員よりはるかに少ない給料しかもらえなかったし、任される仕事の内容や利用できる福利厚生制度などにもものすごい差別があった。

 でも転職した会社では、入社時の社長とのランチ&研修に正社員と契約、派遣が分け隔てなく集められて、社長に趣味を聞かれたりビジョンやミッションについて質問したり、自分が仕事を通じて実現したいことを発表したり、和気あいあい。「こんな平等な待遇を受けたのは今まで派遣された会社の中でも初めてです」って派遣社員の人が感動していた。

 入社初めてのランチを社長と一緒に食べ、会社のビジョンを正社員と一緒に話し合う。それだけで派遣だろうが契約だろうがみんながやる気を出して幸せになれるんだから、世の中の会社もさっさとそうすればいいのにと思うのは、僕だけだろうか。

 つくづく思うのは、問題の本質は派遣や契約という地位が労働者としての安定を保証されないとか、そういうことじゃないってことだ。安定してないっていうなら、正社員だって絶対潰れない会社がなくなった(銀行だって潰れる)以上、もう永久の安定なんかあり得ない。問題は、日本企業がいつの間にか人を人とも思わない非道な経営(それは経営ですらない)を、当たり前のようにやるようになったってことなのだ。であるなら、労働組合の闘争も、そこに向かうべきなのだ。

 というかここまで具体的なベストプラクティス(先端事例)の提案したんだから、前エントリのコメント子はちゃんと実行に移してくれよな。自分で労組に入るとか経営者になるとかして。頼んだぜ(笑)。

12:11 午後 経済・政治・国際 コメント (20) トラックバック (17)

2005/03/31

辞めさせる前に責任問えよ(笑)

 社外取締役ってのも、軽くなったものよのう。

 ニッポン放送社外取締役3人が辞任(NIKKEI.NET)

 ていうか君たち、それって何のつもり?ライブドアに対する抗議?それとも新株予約権発行とか、亀ちゃんが大株主に向かって「ずるい」とか非難を連発したことに対する、責任回避?…いや、それとも今後のニッポン放送の(ry

 なんつか、社外取締役がまともに機能を果たせませんでしたっていうのを証明してるような出来事ですな。別に、社外取締役のいないライブドアはどうなのよっていう声もあるとは思うけど、なんかね。情けなくて涙が出てくるですよ>ド派手ネクタイの先生

 彼らの法的な責任についてはisologueの磯崎さんあたりがきっと詳しく解説してくれるだろうと思いつつ、速報エントリ。

03:52 午後 経済・政治・国際 コメント (9) トラックバック (4)

色の付いたおカネの話

 「世界で唯一、カネだけが無色透明で、フェアな基準ではないか」といったホリエモンだが、僕は97年ぐらいからずっと「おカネに色を付ける方法」のことを考えている。

 考えている内容が自分だけの仮説のレベルでしかないので、ブログでもあまり書いてこなかった。だが、たまたま今日その絡みのニュースが2つほど上がっていたので、生煮えではあるがおカネの色のことについて書いてみたい。

 気になったニュースとは、以下の2つ。

 はてなポイント、楽天スーパーポイントへの移行が可能(CNET Japan)
 電子マネーEdyと電子マネーSuicaの優劣と将来性。(FPN)

 僕自身は、ポイントシステムというのは要するにおカネに色を付けることなのだと理解している。

 日本でポイントシステムを「色の付いたおカネ」として大々的にぶち上げて認知させた最初の企業は、たぶんヨドバシカメラだ。それまでもアニメ「ちびまる子ちゃん」などに出てくるように、ポイントサービスというのは全国の商店街などで行われていた。でもそれってたいていは買い物で集めたポイントで商店街のくじ引き抽選に参加できますよ、という程度のもので、ポイントそのもので再びその商店街で商品が買えますというものではなかった気がする。

 これに対し、ヨドバシは10%の値引きを現金ではなく自社での買い物にしか使えないポイントにすることで、(1)割引した分が自社以外の消費に使われるのを防ぎ、(2)顧客のリピート率を高め、(3)さらに現金値引きに比べて利益率を高めることに成功した。

 (1)と(2)は直感で分かると思うが、どうして(3)まで成り立つのか?と不思議に思う人がいるかもしれない。このからくりはオーソドックスなもので、知っている人は知っていると思うがちょっと解説しよう。

 カメラ・家電量販店というビジネスは、多々ある流通業の中でも例を見ないほど売上げの構成が特殊だ。買い上げ点数で見ると、売価数百円の商品が売上げの95%を占めるにもかかわらず、売上げ額で見ると売価数万円から数十万円の商品が売上げの8割(粗利益額で見ても6~7割)を占めるのである。つまり、周辺機器やサプライ(消耗品)は利益率も高くたくさん売れるが、実際の売上げの大部分はパソコンや冷蔵庫などの大きな商品から出るということだ。

 店としては、売上げと利益の大半を支える大物商品の商品説明や販売に力を入れたいところだが、数百円の消耗品もきちんと売らないと客数が稼げない。だが現実問題としては、そちらにわざわざ販売員を張り付けることは粗利の額から考えれれば到底できないというジレンマがある。

 ヨドバシは「人は張り付けられないが利益率の高い消耗品を効率よく売りたい」というこのジレンマを、ポイントで解決した。1万円の家電製品を買って、ポイントが10%(1000円)分ぐらい付いてくると、たいていの人はその場か次回来店した時にこのポイントを使って、以前に買った家電製品の予備の電池など消耗品を買ってくれる。

 だが、この消耗品は粗利率が3~5割もあるので、実際の「仕入れ値」、つまり店が客に現金で値引きしたと仮定した時の値引き額はせいぜい600円程度に過ぎなくなる。10%のポイントによる値引き率は、現金換算した場合には5~7%で抑えられるという仕掛けだ。しかも、販促の手間を掛けずに売りたい価格帯の消耗品を、わざわざ他店に優先して買いに来てくれるというおまけまでついてくる。

 このうまい仕掛けに気がついて、80~90年代に多くの専門小売店がこの方式を導入した。まあ、この流通系のポイントサービスは、実は一方で不都合な部分も多々あることが認知されて、今では廃止するところも増えてきたのだが、ここでは本筋の話ではないので省略。

 僕が思うのは、顧客側から見たヨドバシのポイントの功績とは、「家電製品の購入だけに使えるおカネ」というものが世の中に存在するということを知らしめたことではないかということだ。つまり、ホリエモンの言う無色透明な「現金」というおカネ以外に、色のついたカネが世の中に存在し、しかもそれがある種のメリットを生むということが、明らかになったんじゃないかと思う。そう言えばライブドアも同社の色付きポイントを発行していらっしゃるみたいだし。おカネに色がないなんて、ウソじゃんホリエモン。

 で、冒頭の2つのニュースに戻るのだが、そういう視点で考えた時、世の中にある様々なポイントというのはどういう意味を持って作られたものか?ということを(作る企業も、使う消費者も)よく考えることが、すごく大事だと思うのだ。

 では楽天のポイントの意図は何か?簡単である。ネットで物を買う消費者を、なるべく「楽天市場」というモールの枠内だけに閉じこめておきたい。それだけだ。

 楽天はこれまで、同社以外のネットモールで使えるポイントとの相互互換を一切認めていない。ANAマイレージとは相互互換だが、これはANAマイレージがネットショッピングに使われることがほとんどないこと、唯一競合する可能性のある「楽天トラベル(旧・旅の窓口)」での決済についても全日空との包括提携を抱き合わせるなどの手を打った上での判断だ。この点、楽天ポイントの意図は極めて明確で一貫している。

 従って、はてなとのポイント提携では、はてなP→楽天Pという一方通行しか認めなかった。このことは、恐らく「はてなが将来はてなポイントでの物販をやるかもしれない」といった可能性を考えていたからだろう。

 では、はてなポイントの意図は何なのか?これは正直、複雑だ。

 はてなポイントは当初、人力検索で答えてくれた人への「お礼」をする評価システムとして始まった。それがダイアリーの(擬似的な)有料の機能を利用するための決済用途にも発展してきた。言うなれば、ネット上でのコンテンツ(質問への答え、ちょっとした機能拡張etc.)などの少額決済を簡略化するためのポイントだったのである。

 聞くところによるとはてなのポイントの残高は数千万円を超えるまでになってきており、これはそっくりそのままはてな自身のバランスシートの負債項目(未払い預り金)に乗っかってくるので、彼らとしては自己資本比率を無意味に悪化させたくない(=なるべく現金やコンテンツなどに換金して使ってもらいたい)という考えがあったのだろう。その1つの方法が、楽天ポイントへの兌換だったのだろうと推測する(あと、楽天側がはてなをTSUTAYAにとられたくないという政治的な意図を持って提携を持ちかけた可能性もあるとは思うけど)。

 だが僕は本当のところ、この「貯めるのも簡単(答えてあげられそうな質問に答えればいい)、使うのも簡単(はてなのシステムでポチッとボタンを押すだけ)」というはてなポイントの「色」を、もっと強く意識してほしかったと思っている。日本でそういう意味の「色」が付いたおカネというのは、なかなか他に存在しないからだ。

 例えば、ダイアリーの記事の下に「このコラムが面白かったと思ったはてな会員は、下のボタンを押して50ポイントを管理人に寄付してね!」みたいな投げ銭ボタンを付けられる機能が実装されたら、僕は即座にこのブログをはてなダイアリーに移転すると思う(笑)。楽天ポイントに変えて買い物しようなんて思わせるのでなく、そういったはてなの中だけで許される遊び心のようなポイント流通の仕組みを、もっとはてなには作ってもらいたかったというのが正直な気持ちだ。

 さて、もう1つのJRのSuicaについてだが、FPNの上村氏が奈辺の意図をもってこういう記事を書いているのかよくわからんのだけど、SuicaもEdyも基本的な電子マネーとしてのチップのアーキテクチャはまったく同じ(Felicaチップ)であることは知っていて書いているようなので、要は「Suicaは早くEdyみたいな機能を持て」というニュアンスなのかな。

 逆に僕が知りたいのは、Edyってそんなに世の中で使われてるの?ということだ。いや、一応僕もFOMA買った時にEdyの登録はしましたけど、今まで1回も使ってませんよ。だってEdyで決済しなきゃいけない必要も便利さも、感じたこと全然ないし。Suicaは定期券+プリペイドカードとして便利に使ってますが(でもJRの駅のコンビニとかでもの買うのに使ったことはまだない)。

 上村氏がどのくらいこのテーマの深層を理解して書かれているのかよく分からないが、Edyの戦略というのは別にEdy単体でどうこういうレベルではなく、上に書いたようなヨドバシ型のポイントカードを単独では到底(システム投資や顧客情報管理などの負担が大きすぎて)実現できない流通企業に、相乗り型でポイントカードを作りましょうよ、そうすれば1社ごとにかぶるコストは低くなるから――ということなのである。

 でもね、僕はこれってポイントカードという「おカネの色」を無視した所業だと思うのですよ。消費者は、ポイントという「おカネ」に様々なイメージ、色を付けて自分の生活を便利にしようと思っている。店に入るとき、いちいち「ここではEdy使えるのかな?Suicaは?ANA、JALのマイレージは?」とか考えながら入るの、嫌じゃないですか。

 「JRの駅構内の決済は全部Suica」とか、「ビックカメラのお店ではビックポイント」とか、TPOに合わせて自然にポイントを使うのが、一番良いわけですよ。そういう意味で言うと、Edyってすごく供給者側の論理だと思うんだよね。

 実は他のポイントシステムを作ってる企業も、虎視眈々とEdy端末が普及するのを待っているというのが現状だと思う。でもEdyは「色付きおカネ」としての明確な便利さを消費者に訴求できるまでに至ってない。その意味では、Suicaの方がずっとうまく行っていると思うんだけど。

 あと、上村氏の記事の中の表で「Suicaに関心を持っている企業」としてマツモトキヨシが入っているんですが、本当ですかね?マツキヨって昨年まではEdyのプラットフォームに乗ると言われていたと思うんですが。いつのまにSuica陣営にスイッチしたんだ?ビックカメラが、Edyシステムでポイントカード作りながら店頭での決済端末には結局Suica入れたのを見て、Edyを見切ったのかな。真偽情報求む。

10:57 午前 経済・政治・国際 コメント (29) トラックバック (9)

2005/03/28

続・働く人のキャリアの作り方

 前に書いた転職話が隊長のブログで取り上げられてトラックバックとかコメント欄とかで「R30はホリエモン並みの拝金主義者」だとか、いいように叩かれた件についてちょっとコメント。

 まあ、ブログに書いたことだけが僕のすべてじゃないし、むしろポジショントーク的なものとかプライベートは伏せてたりするとかいろいろあるわけで、自分では自分のことを拝金主義とか全然思ってないけど、そういうふうに読まれるエントリを書いたことは反省すべきなのかな。よくわからんけど。

 隊長のエントリについてまとめておくと、僕が挙げた4つの役割以外に雇用流動性のほとんどない「特殊技術分野の職人」とか「企業文化の維持に従事する人」という仕事があるんでないの、ということと、人の評価っていうのはスキルやキャリアよりもその人物の「人間としてのこだわり」の何かではないの、ということかな。

 エントリでは書いていなかったけど、専門的な技術・技能を持つ職人というのは、僕の雇用流動化論の枠内には入らないと思っていたし、事務系でもやはり「仕事そのものは大したことやってないように見えるが、存在そのものが企業文化である」ような人というのはいるわけで、そういう人は確かに動けないものかもしれない。でも正直、そのへんはあまり具体的な実感が沸かないんだけどな。

 そもそも企業文化なんてのはバーチャルなわけで、業種業界といった下部構造に規定される部分もないわけではないけれど、ほとんどはその企業のマネジメントや社員の中で規定されたルールに過ぎないんじゃないかと。だとすればそれに自分の人生としての半分を賭けてしまうのはどうよ、と思ったりもする。人事屋みたいに、沈む直前まで船長と運命をともにするのが一種の職務上の倫理であるような職種というのは、一定数あるとは思うけどね。

 ただ、それ以上に隊長と僕の考えの違いの生まれる大きなポイントはと言えば、隊長はやっぱり雇う側として発言してると思うし、僕は雇われる側としてものを言っているという、立場の問題だと思う。

 だって、例えば僕が「やっぱり企業は終身雇用を保証すべきだ。俺にやりたいことをやらせて安定雇用せよ」って言ったら、こんなご時世にそんなに虫の良い話あるかいな、この大企業で脳のふやけた不良債権社員めが!と誰もが思うだろう。逆に隊長が「社員は1つの会社にしがみつかずに、スキルアップのためにも渡り歩いてほしいわけです、ていうかそこのお前仕事中に遊んでんじゃねえよ派遣に変えるぞこの野郎」とか言ったら、極悪非道経営者!お前みたいな奴らが経営者だから俺たちは苦しんでるんだよ氏ね!って思うじゃないですか。

 つまり社員は会社を思うがゆえに「いつ会社のために腹を切れと言われようとも覚悟はできております」って言うのが社員だし、経営者は社員を思うが故に「君たちの苦しみは私の苦しみ。どんなことあっても私が一生面倒見るから、後顧の憂いなく働いてくれ」と言うのが経営者だよな、っていうだけの話かと。どっちも現実にはそうじゃない人が圧倒的に多いけど。それが武士道、それが建前というものです(笑)。

 建前は建前で美しくなきゃいかんのだけれども、それと目の前の現実とを混同すると、挙げ句の果てにコクドの総務部員や西武鉄道の小柳社長のようになってしまう。

 別にあのレベルじゃないにせよ、企業というのはその一挙手一投足で常に誰かしらを犠牲にしているものだ。100%の従業員や利害関係者の意向を満足させることができないのは当たり前といえば当たり前なんだが、自分がこのたびその犠牲の対象者と相成りましたってことに気がついて初めて「そんなはずじゃないだろ」とかいくら叫んでも無意味。勝手に建前と現実を混同させていた自分が悪いんだから。世の中そんなに甘くないよ。犠牲に祭り上げられる前に自分の行動を変えなきゃ意味がない。

 そういう、建前と現実を区別するための知恵みたいなもんをちょこっと書いたのにそれを「物象化論」だとか「拝金主義」だとか言われるとかなり頭に来るわけなんだが、まあそう思う人はそれでいいよ。建前に身を捧げて一生を終えられる境遇の人は幸せだと思うし、そういう道を自分から選んだ結果どこかで間違ったりして絶望することになっても、まあそれはその人の自由だし。いわゆるひとつの自己責任。

 むしろ隊長や僕のようなレベルの議論というのは、世の中のもっと別の世界の人々から見れば極楽とんぼのようなものだということの方が重要な気がする。例えばid:ueyamakzk氏のブログの3月25日のレポートなんかを読んで、そういう選択の自由さえ与えられない層の存在に、胸が潰れそうになるわけだよ。請負で働く35歳月給7万円のフリーターに「建前への奉仕か、現実を直視した自己研鑽か」みたいな問いの投げかけは、まったく無意味だ。

 討論会の記録そのものが、何人ものはてなダイアラーの出席者によって様々にレポートされているところが非常に興味深い(このレポートの翌日の日記に、参加者の感想をまとめた感想が記されている)。正社員として月収25万円もらう代わりに月100時間サー残して自分の体と精神と家庭生活をぶっ壊すか、それとも契約・派遣になって健康とプライベートを確保する代わりに月収7万円の生活保護以下の貧困を受け容れるのか。その究極の二者択一を迫られる人々が同じ日本の国の中に何百万人いるという現実に、僕は言葉を失う。

 個人的なことを言えば、経済誌記者としての最後の数年、僕は世の中一般にはやし立てられる好業績企業、急成長企業などに、ほとんど何の興味も持てなかった。特に流通サービスの世界ではそうだが、そういう企業はほぼ例外なく従業員のほとんどを契約・パートで賄い、露骨な労働搾取の結果の上に成り立っているからだ。

 いくら株主の利益になるからといって、同じ日本人の生活をそこまで踏み台にして企業が成長を希求することが、許されて良いのか。単純にそれを「おかしい」と思う感覚を、しかし職場の中で公然と記事に書くことは許されなかった。

 だから最後の1年ぐらい、僕はなるべく「それほど人目につかないが、社員や顧客が賃金を受け取って労働する、ものを買うという以上の何かにハッピーな関係を見出している企業」ばかりを意図的に取り上げるようにしていた。

 その取材経験から言えば、工場でも物流センターでも量販店でも、どんなに低廉な人件費が必要な分野でも、マネジメントに「従業員を幸せにしたい」と願う正しい心とそれを実践する知恵と勇気があれば、その会社は適切なコスト競争力を持ちながら、従業員に体も精神も壊さず、家族を幸せにする仕組みを作れる。

 そのためには、正しい心と知恵と勇気を持ったマネジメントに、素早い意思決定を下せる権限を与えてしまうことが必要になる。というか、そういう企業においては変化のスピードが競争力の1つにもなるから、労働組合を持つ動きの鈍い企業と同じ水準に落ちた瞬間に、社員の幸せと企業としての競争力の両立が不可能になる。つまり、建前論で話が延々と堂々巡りし、無為に時間を浪費させる頭の悪い労働組合は存在しないほうが良い。

 そこには、従業員の雇用環境を守るのが役割のはずの労働組合が、結果的に企業経営の仕組みの中で企業が従業員の雇用環境を守りつつ競争力を持って生き延びることを不可能にする最大のリスクファクターになってしまうという矛盾がある。

 id:ueyamakzk氏によれば、フリーターの問題は情報収集(当事者たち)と賃金闘争(支援する労働組合)の2つしか解決法が提示されていないようだが、社会化されている問題である以上はマネジメントの改善という第3の方法があり得るのではないか。どうやって?という問いに、僕もまだ答える術がないけれど。

 ただ、少なくともそういう思いを持った企業経営者の絶対数を増やさなければ、今の日本の「働く」ということの建前と現実の二極化の解決は、永久に不可能なんじゃないのかな。話がスキルやキャリアから逸れてえらくシリアスな話になってしまい、オチも何もありませんが。

08:03 午前 経済・政治・国際 コメント (14) トラックバック (9)

2005/03/25

【ヲチ総括】経営は1人ではできない

 昨晩の発表と大混乱の中、いろいろなブログがいろいろな意見を発表されていたようですが、R30は今回、冷静にお勉強させていただいたうえで総括コメントを述べさせていただきます。うわっ、最強の後出しじゃんけん(笑)

 切込隊長ブログのコメント欄で既にかなり分析がされているが、SBIが絡んだスキームが「孫社長とは関係ない」という北尾吉孝SBI社長のコメントは、まあ「ウソではない」ことだけは事実だろう、と(何だこの表現w)。

 端的に言えばCXグループが用意したうまい棒25億本を使って、まさに今日確定したLF保有のCX株の議決権をライブドアからうまく逃がすスキームを作ったわけで、さすが日本におけるM&Aの教祖様、北尾先生(笑)だけのことはある。あ、ここあくまで皮肉ですよ皮肉。

 これで少なくともライブドアがLFを傘下に入れたとしても、そのCX株保有分を利用しつつCX本体へのLBOを仕掛けるなどの荒技は、使えなくなってしまった。ライブドアが貸株契約の法的差し止めを求めて訴える可能性もあるだろうが、SBIの作った合弁会社は求められればLFに対して貸株の運用利息は払うつもりだろうし、たぶん裁判で勝つことはできない。ま、どちらにしろ既成事実として今年のCXの株主総会でLFの持分の議決権がライブドアによって行使されることはなくなったと考えて良いだろう。

 一方LFそのものがライブドアの傘下に入ったかどうかはまだ分からないわけだが、とりあえず彼らが占領軍(役員)を送り込んでくれば、前から宣言していたようにCXグループは一切の取引関係をうち切ることはできるわけで、LFは単体で赤字会社になってしまうだろう。課題として残っているのは映像や音楽の著作権を集めているポニーキャニオン株の行方だが、まあこれなどは6月のLFの株主総会の議案にライブドアがどんなものを出してくるかによって対応を決めればいいので、急ぐ必要はない。

 つまり、CXとしてはライブドアに対してLFの「赤字」を人質にして役員や社員を守ることができるようになったわけで、逆に言えば単独で赤字を解消できるめどをつけてからでなければライブドアも役員を総入れ替えするなどの荒技に出るのは無理になった。言うなれば、総会で「増配しろ」と吠える村上ファンドと同等以上のことは、もうできないということだ。

 今回の一連の騒動はいろいろな人との会話の中に出てきたが、2月以来の情報交換の中で僕なりに感じたのは、堀江貴文という男がフィナンシャルな部分できわめて才能のある人であるというか、数字をかぎ分け、利益の出所を見抜き、ムダなコストを潰すことにかけてはある種の天才だったんだろうなあということだ。

 ただその一方で彼に決定的に欠けている能力というのもあって、それはそうしたフィナンシャルな合理性というものが時にどれほど人の神経を逆撫でするかとか、実際の日本の大企業においてはフィナンシャルな合理性を何重にもオブラートにくるんで差し出さなければ絶対に受け付けてもらえないものであるということを、理解できない人なんだろう。経営のタームでいうと、「マーケティング・コミュニケーション」の能力が抜け落ちてしまっているということか。

 さる投資銀行の人が「彼は非常に頭がいい男だ。マスメディアに対してはフカシやブラフをかませたりするが、投資家の前ではとても正直だ。そしていろいろなことがよく分かっている。だが残念なのは、あの規模の会社はもはや天才1人では経営できないということだ」と話しているのを聞いた。

 今回の騒動を総括するとすれば、この言葉に尽きるのではないか。堀江氏の周りから、これまでにもおびただしい数の有能な人材が、実にささいな理由で去っていった。それは彼が、事業の判断をフィナンシャルな合理性のみで決めようとし、社内の人間に対しても「誠実なコミュニケーション」というものを使って来なかったからだと思う。

 あと、もう1つ思うのは、これは隊長なども何度も書いていた話だが、彼はマスメディアというものの「本質」は分かっていたのかもしれないが、「使い方」は分からなかったんだろうなということ。

 うーん、「本質」という言葉はちょっと違うかもしれないな。これもある人から聞いた話だが、個人的に、日本のITベンチャーと呼ばれる企業の経営者として、メディアビジネスというものに一番興味を示し、一生懸命勉強していたのはたぶん堀江氏だったと思う。

 この点に関しては、僕はやや世代論的なものを感じる。今の40代以上の経営者は、コンテンツの何もないところにネットのビジネスを作ってきた人たちが多くて、だから彼らは「ネットにリッチなコンテンツなんか要らないんだ」という言葉を、今も繰り返し繰り返し唱えている。楽天もソフトバンクも、プロ野球に乗り出したのは「会社として一流である」という権威と財界入りのパスポートが欲しかっただけで、別に野球をコンテンツとして自社のビジネスに生かしたいといったつもりは毛頭なかっただろうと推測している。

 そういった先達に比して、堀江氏はむしろこの点においては「ネットのコンテンツを見ながら育ってきた」世代だけに、ネット発のコンテンツやメディア事業に対してもっといろいろな夢というか期待を持っていたのではあるまいか。

 ここからはいささか僕自身の希望的な読みになるが、彼は先輩世代の起業家がわざと無視して通り過ぎてきたメディア分野が、日本という国の最後に残る巨大な「構造問題」だという意識を持っていたに違いない。そして自分がこれまでやってきたフィナンシャルな能力を、この"ムダ"の塊のような分野の改革に生かせたら…といったことを思い描いていたのではないか。恐らく、そうした彼の思いが自然と伝わっていき、メディア業界の構造変化の必要性を一番感じている団塊世代や団塊ジュニア世代(=ネット住人の主要構成員)からの期待を一身に集めてしまった部分もあったのだろう。

 だがメディアの楼閣の最上階に居座る爺さんたちの目には、堀江氏の主張する経済合理性は「脅威」としか映らなかったのだろう。いや、それも含めて堀江氏はマスメディアに、自分の考える経済合理性を「オブラートにくるんでばら撒かせる」のに失敗したんだと思う。その意味で、彼はメディアビジネスのビジネスとしての「本質的価値」は見抜いていただろうとも思うが、自分がビジネスを遂行していくうえでの「利用の仕方」は知らなかったと断言できる。誰か、ライブドアの広報担当に、メディア懐柔に長けた老獪な「スピンドクター」(ソフトバンクにおけるH氏のような)を1人、おいておくべきだった。そうすればもう少し事態は変わっていただろう。

 まあ、終わったことをとやかく言っても仕方がない。ライブドアはLF株が上場廃止になる前に、誰かに引き取ってもらわなければならないだろう。CXは永久に取引に応じるつもりはないだろうし、他のはめ込み先も見つからないだろうから、市場で大損失を出しながら売却するしかないのではないか。今回の騒動のもう1つの教訓があるとすれば、買収戦を仕掛けるときにはやれ産経を経済紙にするだのラジオでPodcastingだの本体をLBOだのと、マスコミの前で手の内をべらべらしゃべらないことだ。せっかくの落とし所の可能性を自らどんどん潰していくあの様子だけ見ていても、堀江氏は「マーケティング・コミュニケーション」の能力が欠如していると強く思った。

 あと、今回最も驚いたのは、トヨタの奥田会長という、第二日本政府とさえ言われる超巨大企業の頂点に立つ人物があれほどまでに堀江氏の肩を持ったことである。トヨタという企業の、ある種の"日本離れ"した徹底的な合理主義と、経済界とメディア界の間に存在する目に見えない"溝"が実は相当に深いものであるということとを改めて実感することになった。つまり、マスコミにとって文字通り最大のスポンサーだったはずの人物が、マスコミの現状に強い不満を持っているということがはしなくも露わになったというわけだ。このことは、今後の日本のマスコミの業界再編のゆく末を考える上で、見逃せない伏流になっていく気がする。

参考:切込隊長ブログ「お金があっても手に入らないもの」(2004年11月3日)

(3/26 22:10追記)北尾氏は、ポニーキャニオン株を「公開を前提にSBIとフジの合弁ファンドで20~30%引き受ける予定」と日経にコメント。今の段階で打ち手を見せるってことは、ポニー株までは絶対に影響が及ばないことを見越したうえでの余裕の防御表明と取るべきだろう。つまり、その前に何枚も鉄壁があることを、暗に示したのと同じ。ホリエモン、無念。

02:14 午後 経済・政治・国際 コメント (24) トラックバック (29)

2005/03/23

カジテツもニートって、どうも政府見解らしい。

 ずっと前に冗談交じりでブログに書いたこと現実に。最近、現実が自分を一生懸命追いかけてきているが追いついてない予感(ウソ)。

 finalvent氏の日記のコメント欄でも指摘されているけど、これってなんか今の政策の方向と矛盾してないか?つまり、本当にニート=カジテツの方向でいくなら、「仕事させる」んじゃなくて「結婚して子供作らせる」の方向に向けないと、少子化対策と逆行すんじゃね?ていうか、それでもなんか政府が政策関与するって巨大なお世話っぽいし。

 finalvent氏は、「移民受け容れへの防御策なんでは」と解釈してるが、確かにそういうスジの狙いもありそうかも。まあ、カジテツの皆さんがどうなろうと、正直カジテツの親でもない私には激しくどうでもいいことですが。

02:06 午後 経済・政治・国際 コメント (7) トラックバック (10)

2005/03/14

また弁護士辞任って…ライブドア、どこかの宗教団体じゃん(´Д`;)

 isologueのコメント欄で速報。ライブドアの新保弁護士が辞任したそうです。裏とれてませんが、とりあえず第1報ということで。

 こんなに弁護士がころころ辞める話って、最近そうそうない気がするんだけど?だって覚えてる限りでもオウム麻原とか東電OL殺人事件とか、国選弁護士の処遇関連がほとんどでしょ。

 企業の雇った弁護士が辞めるのって、その企業ヤバイとかどうとか言う前に、仕事受けた人間としての職業倫理の問題なんじゃないのか?それとも「報酬はライブドア株式で払うから」とか「ストックオプションで」とか「MSCBで」とか言われたんでせうか?(笑)

 基本的にヤバ系のネタだから触れないようにしようと思いつつ、でも結局面白すぎるネタが次々と周辺で起こるのでヲチを止められなくなってきてるよなあ。はぁぁ(ため息)。

 でも、隊長が長文ネタでのいじりに走り始めたんで、たぶん問題の焦点は機関車野郎どもから、その裏の木管(ryとか宗(ryとかに移りつつあるのだと思われ。しかし木管楽器がそそのかし系だったとは、ちょっと予想してもみなかった。最近の木管楽器、あらゆるところに首突っ込んでるんだなあ。まさに日本経済の裏の仕切り屋、マッチポンプ。これをネタにしてあちこちの会社にポイズン・ピル導入のコンサルテーションを営業して回っているに違いない。

 あとはホワイトナイトが誰かってところでしょうなあ。後ろでパックマンゲームして遊んでた人が気になるところ。当然、このシチュエーションで出てくる可能性がある人は、六本木ヒルズの住人に限られてくるだろうからねえ。でも最近ブログ始めた方はあまりご興味ないだろうね。やっぱりパックマンのお兄さんかしら。

05:35 午後 経済・政治・国際 コメント (4) トラックバック (8)

2005/03/11

三角合併、一時凍結…そして霞ヶ関の深謀

 とりあえず、速報。自民党が今頃になって法改正の意味に気がつき、恐れをなしたらしい。

 外国株式対価の合併、1年凍結・会社法案で自民部会(NIKKEI.NET)

 ライブドアのせいでやっと気がついたとは言え、遅すぎんだよおまいらは。(19:20追記)しかし、これってよく考えたら霞ヶ関の壮大な「釣り」のような気がしてきた。R30は、ここで経産省の陰謀説をぶち挙げてみる。

 ライブドアによる新株予約権発行差し止め請求が認められたのは、驚くことでも何でもない。こちらは予定通り。つまり裁判所と法務省、経産省は当然ながらちゃんと連携しているということだね。ということは、欽ちゃんもということか。おっと。こちらの話には口を出さないんだった。あうあう。

 三角合併はこちらのブログなどが書いているように、関係者にとっては「何を今さら」という類の話なんだけど、やっぱりライブドアミサイルは威力があったね。自民党の部会で延期されてしまった。

 ちょうど昨日夜(つまり今日の朝)のタイミングで米国からこれに対して規制改革協議の席上でいちゃもんが。とは言え、凍結の話の方が会議より後だったのだろうから、いちゃもんをつけさせてガス抜きした上での部会決定・発表、と計算ずくだったのだろうな。これは、まあしょうがない。だって、ポイズン・ピル法制ができただけでは、あらゆる上場企業が対応策を導入するかどうか判断するのに間に合わない可能性があるわけだからね。

 …と、考えてみると、このタイミングとライブドア騒動の勃発、なんか出来過ぎているような気がするわけだよね。こちらのブログの読みというのは、ある意味すごく陰謀論的ではあるけれども、意外に当たってるような気がする。つまり、フジテレビという今回のターゲットは、「一番目立つ、だから政治家も世の中も三角合併の危険に気がついて大騒ぎになって意識高まる、そして結果的には買収失敗、あるいは最悪でもドローになって実害は及ばない」という条件で選ばれたんじゃないかと。ホリエモンはただの当て馬だったとか。うーん。

 この仮説、あまりにも大胆すぎてちょっとビビってしまうのだが、これとそっくりな事件というのが、日本ではしょっちゅう(4~5年に1回ぐらい)起こっているんだよね、これまでも。

 僕が鮮明に覚えているのは、93年に細川内閣が押し通した米のミニマムアクセス輸入の事件である。あの年は、夏頃から米の作況指数が記録的な凶作になると言われ、小売店の店頭から米が消えて大騒ぎになった。そのおかげで輸入絶対反対を叫んで聞かない農協は世論に押し切られてミニマムアクセスを認め、タイ米とカリフォルニア米を数十万トン輸入することになった。

 余談だが、あの時僕は心底憤った。ミニマムアクセスで輸入されたカリフォルニア米は国内産の米に負けず劣らずおいしい米だったらしいが、タイ米はカリフォルニア米の「さしみのつま」役として輸入されただけだった。当時、タイ政府に知り合いのいる人が「タイは日本に最高級の香り米(それでも日本の米の3分の1以下の価格)を輸出したがっていたが、買い付けに来た日本の商社から『日本人はタイ米の香りを好まない。香りのついていない、家畜の飼料に近いランクの米を買いたい』と言われ、その結果日本市場でまずい米と酷評された。日本の商社のおかげでタイ米のブランドに傷が付いた」と怒っていたのだった。

 その後、ミニマムアクセスは99年に関税方式に変更され、日本国内でもコストコなど外資系の小売店舗に行けば最高級の香り米が入手できるようになったのだが、今でも「タイ米はまずい」と思っている日本人はきっとものすごく多いに違いない。つまり、あの騒動は米国産の米を少量でも良いから「輸入した」という実績を作るために行われたもので、それ以上でもそれ以下でもなかったのだ。

 それに気がついたのは、あの後、2ちゃんねるだったかどこかで、当時の不作は「農水省のでっち上げたデータだった」とする追跡取材記事を見たからだ。その記事には、7~8月時点で農水省が発表した作況指数(確か80台)は、特に猛暑の影響がひどい地域のものを恣意的に選んで出したもので、その後9月に入って全国平均は90台半ば(ほぼ平年値)まで回復したのにもかかわらず、数字を訂正せずにマスコミを動員して「凶作」を宣伝させ、ミニマムアクセスの輸入権をちらつかせながら商社に市場に流通する米の買い占めを指示し、世論の危機感を煽りに煽って輸入解禁に持ち込んだ、という話が書いてあった。

 とりあえず、今検索した限りではウェブ上にはこのあたりしか見つけられなかったが。というか、あれってまさにこの萬晩報の伴武澄さんの記事だったかも。

 何やら、今回の会社法改正関連のスケジュールとライブドア騒動の成り行きが、妙にあの時に似ていると思うのは僕だけか。こちらは逆に、国内企業に日米投資イニシアチブの約束事の危険性を気づかせて、6月の株主総会で買収防衛策を導入させるためという点で少し状況が異なるが。

 まあ、それが陰謀だったにせよ何にせよ、個人的にはとりあえず対策とっとかないとやばそうな国内企業がポイズン・ピルを導入するまでの時間が稼げたという意味では、本当に良かったんじゃないかと思う。

 これが「ライブドアがフジテレビ」なんてお笑いネタじゃなくて、「エクソン・モービルが新日本石油+コスモ石油+出光興産の国内勢まとめていただき」とか、「GEが三菱重工と石川島播磨など防衛庁下請けを全部お買いあげ」とかなったら、マジで洒落になんねえよ。リベラルブロガーなんで国体とか国防とか言いたくないけど(笑)、そのへんが全部終わるでしょう、これって。ヨーカ堂がウォルマートに買収されたりとか、花王がP&Gに買収されたりとか、そういうレベルの話じゃなくなるわな。

 というわけで、まあ何が何だか分からないけれど、この読み筋から行くと「日本経済のために当て馬を自ら買って出たホリエモンは尊い、皆の衆は骨を拾って丁重にお祀り奉るように」っていう結論になりそうな気がしますな。霞ヶ関マジック恐るべし。真実は永久に闇の中ですが。

03:48 午後 経済・政治・国際 コメント (7) トラックバック (4)

2005/03/10

幕張地域が宇宙人に制圧されました

 昨年末から店舗売却の打診をしていたらしいが、とうとう撤退ケテーイ。しかも売却先はあの宇宙人社長の会社。

 仏カルフール、イオンへの日本事業売却額は100億円弱(NIKKEI.NET)

 海浜幕張ってイオンの本社があるのに、最寄り店が2駅離れた稲毛海岸にしかないもんだから何でだろうと不思議に思っていたんだが、目の前の巨大店がいずれ潰れるだろうと思って待っていたというのが真相なのかもな。ダイエーは論外だろうし、ヨーカ堂もすぐ近くに店があって買いに来るわけないだろうという読みで。

 しかし最近小売業はひそかにまた再編ブームなのかしら。ダイエーの再建が動き出せば、これからまたあちこちで地殻変動が起こりそうな。

 最近の流通再編の大きな特徴の1つとしてあるだろうと思うのは、小売りサイドの合従連衡もさることながら、その背後に必ず中間流通の再編の影が見えることだ。

 一昔前までは、小売りがどんどん吸収合併を繰り返して大きくなっていくことによって、中小の卸は赤字を出してでもその取引を失うわけにはいかない状況に追い込まれ、結果的に小売りサイドにバーゲニングパワー(価格交渉力)が集まるという仕組みがあった。

 だが、今はむしろ規模が大きくても消費者のグリップ力の弱い小売りがどんどん増え、相対的に物流や需要予測でハイテク化した卸に価格決定の主導権が移るケースも出てきている。地場の食品スーパーの競争力を分析しようと思ったら、デポ運営から棚割までをどこの卸が握っているかを知るのがまず最初のステップとされるほどに、卸の影響が強まってきた。

 たとえばダイエーについてもさっそく丸紅からこんなアナウンスが出ているが、この背景には食品卸だけ見てももともと強かった独立系(国分)に加えて、三菱系(菱食)、伊藤忠系(日本アクセス+伊藤忠食品)、三井系(三井食品+加藤産業)という財閥系が着々とM&Aを繰り返して巨大化している現実がある。

 ダイエーの仕入れなんて、もともと丸紅1社程度でまかなえるような規模じゃないんだから勝俣社長の言う「何がなんでも丸紅系列の食品卸を使え、ということはしない」なんてのは当たり前。むしろこれは「良い条件さえ出してもらえれば、4グループのどこかにデポ(物流センター)運営も含めて集約してもいいですよ~」と秋波を送っているものと読むべきだろう。だからこそ「物流情報システムではイオンとかウォルマートとかでも」など、突然競合相手の名前まで飛び出してくるわけだ。

 ここで極端なケースを考えてみる。小売業が持つべき4つの基本機能(立地、価格、MD、販促)のうち、MDと価格を卸に丸投げしても成り立つのだとすれば、実際の小売企業のやるべきことは出退店の判断とチラシ撒きや陳列、レジといった広い意味の店舗運営だけである。ということは、この2つの機能を可能な限り低リスクでやる仕組みを作れた企業が最終的に勝つに違いないのであって、それ以上でもそれ以下でもない。

 となると、話がまた以前の「中小店の復権」に戻ってくるのだが、一番出退店の投資リスクが低いのは、実は巨大ショッピングモールではなくて中小型のパパママ店である。そしてネットなどを使ってローコストで的確なターゲット顧客へのワン・トゥ・ワンのプロモーション(電子チラシ・電子クーポン)が実現できるのなら、実は巨大ショッピングモールよりもコンビニタイプの店の方が儲かるよ、という話になる。

 食品スーパーではないが、家電量販店の世界ではMKSパートナーズのラオックス買収、ビックカメラのソフマップ買収に続き、アキバ系の店がまた再編に飲み込まれた。新生銀行主導の企業再生で復活したマツヤデンキがサトームセンに経営支援というニュースがそれ。500㎡以下の店舗が多いマツヤデンキが、昨年11月に東京に本社を移転して急速に店舗展開の攻勢に出ていることも、小型店の投資効率の高さを証明する一事例になるような気がする。

 話を戻すと、宇宙人の会社さんはそもそも卸に丸投げするつもりもなく、自分でメーカーと直取引して卸機能も持とうとしているわけだ。まあそれはそれで逆張りという1つの壮大な生き残り戦略ではあると思うのだけれど、一方で現実の利益はほとんどSC開発という、タダ同然の田畑を買い上げてそれを高値で他人に貸し付けるという錬金術的事業から生まれている。つまり、まだ誰も宇宙人が音頭を取って始めた、本業のGMSでの一気通貫独自流通戦略の方の成否を知らないわけだ。あちこちで「全然ダメ」という噂は聞くんだけど、それもどこまで本当だかさっぱり分からないし。

 10年後の幕張はどうなっているんでしょうかねえ。日本の田舎の未来がかかっているだけに、恐竜みたいにいきなり絶滅とかしてほしくないわけですが。

 ちなみに、勉強熱心な皆さんのご参考まで。流通関連業界の業界再編動向ヲチページ。業界地図を作る時にはぜひご利用下さい。

02:57 午後 経済・政治・国際 コメント (6) トラックバック (3)

2005/03/07

ブログがソニーの社長候補のクビをとばした件について

 ゾンビ出井、イエスマン安藤とともに、ミスター「それが俺様仕様だ」の久夛良木君もクビが吹っ飛んでしまったようですね

 まあ、英語にまで翻訳されて海外でも晒されまくった日経ビジネスのインタビュー記事の影響も大きかったと思うが、やはり世論を動かして久夛良木君の社長候補としての最終選考となったPSPを無様なリコールに追い込んだ切込隊長の功績(こちらこちら)も大きかったのではないかと思うわけだ。ブログ万歳。

 しかしそれにしても何というか、一度上り詰めた経験から来るプライドというものは恐ろしいものである。ソニーには本当に人材がいなくなってしまったのかと、今さらながらに痛感してしまい、悲しい。ストリンガー氏がCEOというのはともかくとして、中鉢氏っていうのは、恥ずかしながら僕はまったくのノーチェックだったのだが、社内的にそんなに人望のある人なのだろうか?エレキ出身の人を誰か上に置かなければならないという政治的妥協の産物ではないのか?だとすると今後も厳しいなあ。

 あと、今回のトップ人事で、エンタ・エレキ系の大波乱とは逆に、財務・金融系の人事は淡々と予定調和通り進んだところが気になるといえば気になる。伊庭-徳中ライン直系の伝統を汲む井原CFOに、そのまま引き継がれた。横車を押し続けていた久夛良木先生の退任による反動で、グループシナジー戦略や商品開発の面ではこれからまたいろいろと波乱も起こりそうだが、財務面での隆々たる低空水平飛行は揺るがないといったところだろうか。

 ただ、人事機構改革のリリースを見ると、井原氏が家電エレキの新担当になったというところが気にかかる。これってもしかして、エレキ事業部門大再編の予兆ではないの?

 そもそも、エンタメ・コンテンツやISPから最先端の半導体、オールドスタイルの家電製品、そして生命保険や銀行、証券まで、何がなんだかわけわからん業種が雑多にぶち込まれたグループに「全体でのシナジーを」といっても、これはもう無理なんじゃないだろうか。それこそGEのように「あらゆる事業のマネジメント」自体を企業競争力にでもしない限り、収拾がつくとは到底思えない。

 前にもちょっと書いたけど、ストリンガーCEOのやらなければならないことナンバー1は、もしかするとこのごった煮帝国の解体かもしれない。さすがに大賀氏の目の黒いうちはダメかもしれないけど。実際、その前哨戦として来春の金融持ち株会社の上場があるわけで、ネット・エンタメ系の切り離し(あるいはエレキの切り離しとも言える)も、その後1年以内にありうべしと思うのだがどうだろうか。

 松下が一時期ユニバーサルに手を出したものの失敗して、その感想を中村社長が「あんなもの、勉強にもなりまへんでしたわ」と話しているのを聞いたことがある。ものづくり系の人たちとエンタメの世界というのは、やっぱりつかず離れずが一番いいような気がしたものだ。むしろ、その両方の間に金融が接着剤的に挟まっている方が、まだ分かりやすい。

 それにしても中鉢氏がEMCSの責任者だったっていうのも微妙だな…。そもそもソニーがここまで混迷したのも、EMCSの機能障害という気がしないでもない。今さらばらすわけにもいかないのだろうけれど、本体からエレキ事業を分社してEMCSにくっつけてスピンオフさせるというのが、一番あり得るシナリオなのかな。今後の中鉢氏の手腕に期待していきたい。(棒読み)

04:23 午後 経済・政治・国際 コメント (1) トラックバック (31)

【ヲチ撤収】CXグループの怨霊を呼び覚ましてしまったホリエモン

 今ごろ新聞各社の記者さんたちは、今日の夜に明らかになる、フジテレビのニッポン放送株TOBの結果と、おそらくその後に判断が下されるはずの、ライブドアによるニッポン放送の新株予約権大量発行の差し止め仮処分申請の結果を予想しながら、関係者への必死の取材と予定稿作りに明け暮れていることだろう。

 当初はライブドアの謀略勝ちと見られていたこの勝負も、フジ日枝会長の根拠なき強気とニッポン放送の常軌を逸した新株発行計画、そして事の決着を裁判所に持ち込むという反撃によって市場関係者からは「フジ逆転勝ちかも?」の読みが飛び出し、一気に不透明感が漂っていた。ところがさらにここに来てフジサイドにもハプニングが起こり、ことの成り行きはさらに混沌としつつある。

 湯川氏@時事通信をして「メディアの立つ瀬をなくさせるブログ」と呼ばしめたR30のことであるから、ここでもまったく容赦しない。明日・明後日の朝刊のネタをごっそり先取りしてしまおう。

 上にも述べたように、このディールの今後を左右するポイントは、冒頭にも述べたように2つある。1つは今日の夜に締め切られる、フジテレビのLF株TOBが成功するかどうか。そしてもう1つは、その後に発表されるLFの新株予約権発行に対するライブドアの差し止め仮処分申請が裁判所に認められるかどうか、である。

 フジテレビは、LF株式の25%を買うTOBはほぼ成功と発表しているが、これが今2つの新たな事実によって揺らぎ始めた。1つはトヨタが保有するニッポン放送株を売らない、と表明したこと。他の企業ならいざ知らず、トヨタである。表向きは株主代表訴訟のリスクを恐れたものだろうが、何か別の意図もあるように感じる。

 そして、その後出てきたのがこれだ。「鹿内家が大和証券SMBCにニッポン放送株の返還を要求」という、NHKのスクープである。

 isologueの1月23日のこの記事でも「鹿内氏がTOBの予定をちゃんと知っていた上で売却したのであれば(中略)『OK』」と書かれていた、まさにその前提が違っていたという話だから、これは大変なことだ。しかもフジのTOB目標であるLF株25%には、この鹿内家から譲り受けた大和証券の持つ8%分が含まれているので、この返還要求が妥当な内容だとすると大和証券=インサイダー取引、フジ=TOB失敗が確定してしまうという、とんでもないビーンボールである。TOBの成否が読めなくなってきた。

 一方、ニッポン放送による新株予約権発行に対するライブドアの差し止め仮処分申請は、結果がどう出るか神のみぞ知るところではある。ただ、少なくとも明らかなのは、「敵対買収にさらされている企業がこんな施策を打てるのなら、日本のどんな企業に敵対買収を仕掛けても絶対成功しないことが確定」してしまうということだ。

 多くの人が「どちらの買収が企業価値を上げるか」という議論をしているが、そんな話は水掛け論に過ぎない。裁判所は実現してもない企業価値の予想についての判断を下すべきでないというisologueの意見に僕は賛成だし、実際の仮処分の判定もそこまでの判断には踏み込まないだろう。ちなみに、「ライブドア傘下に入ればフジサンケイGとの取引をうち切られるから企業価値が下がる」というニッポン放送側の新株発行理由の説明そのものが、明確な独禁法違反であるという指摘もある。

 しかもこのマターは、経産省などがまさに法制化を検討してきたところのものでもあるので、さすがにそれをシカトしてニッポン放送側のルール違反を認めてしまうという判断はあり得ない。もし認めたら、日本の上場企業のコーポレートガバナンスはほぼ完全にモラル破綻するだろうし、それに伴って株価を上げる経営努力も失せるから、株式市場全体の暴落(カタストロフィー)が起こると思うからだ。もちろん、社運をかけて借りたカネで買い付けたLF株が紙切れ同然と化すライブドアは、おそらくその瞬間に崩壊するだろうし。

 しかしながら、何度も言うが裁判所というのは経済の常識とは何の関係もない丁半博打のようなところなので、明日以降この最悪のシナリオが実現してしまう可能性も、ないわけではない。

ライブドア・LF買収問題の今後の展開 というわけで、この2つのポイントの分析をまとめたのが右のようなクロスチャートだ。

 下半分は実質的にフジテレビの独り勝ちだが、フジ以外の日本の株式市場関係者総負けという壮絶な結果を生むだろうと思うので、まずあり得ないとここでは仮定しておく。問題は恐らく上半分のところで起きるだろう。

 新株発行が止められたものの、LF株の25%を確保すれば、フジテレビには最悪ライブドアが50%超のLF株を市場で買い付けてLFに役員を送り込んだとしても、フジサンケイグループ本体への経営に波及するリスクを最小限に抑えられる。

 また、ライブドアが50%を確保するまでの時間を使って、LFにフジテレビ株を市場で売却させたり、優秀なLF社員をグループ企業に転籍させたりといった「焦土作戦」を展開する時間的余裕が生まれるわけだ。フジもライブドアも、早い段階での次の一手が問われる展開となるだろう。

 逆に、鹿内家の介入などによりTOBの失敗が明らかになれば、フジテレビにとっては正直非常に面倒なことになる。そのままで行けばグループ全体にライブドアの影響が及びかねないので、LF株の買い取り価格を引き上げて再度市場から買い集めるなり、フジ自身が再度特定株主に向けて多額の増資をするなどしてLFの持ち株比率を下げるなりの、緊急対策が必要になってくるだろう。

 ま、おそらくはこの両方をやってくるだろうけれど、そうするとフジ自身のキャッシュを投じなければならないので、投資信託としてのライブドアにあぶく銭を与えることになり、結果としてライブドアの作戦勝ちが濃厚となるわけだ。もっとも、どっちにしろライブドアにはニッポン放送のキャッシュと放送免許などの「抜け殻」しか残らないわけで、それがホリエモンの手に入れたかったものなのかどうかは、僕には分からないが。

 フィナンシャルな切り口から見ると戦況はこんな感じだが、今後注目していきたいのは、ここに来て日枝会長率いるフジサンケイグループにとって長年の「喉にささったトゲ」であった鹿内家が、NHKの報じたようにまたぞろトラブルの種になりつつあることだ。

 引き金を引いたのがホリエモンだったというだけで、この話はもともとホリエモンと何の関係もなかった話である。しかし、歴史も浅く大した闇もないライブドアに比べて、こっちの闇はこちらの記事などでもまとめられているように、そもそもの話が50~60年代の政治主導の反共政策などにさかのぼるだけに闇も深い。

 切込隊長も社長日記の方で書いているが、「汐留の上の方が迫撃砲を仕込んでいる」あたりのくだりを読むと、こりゃかなりヤバイものがあるなあと感じる。

 鹿内家の名前が出てきたことで、この戦争は周辺の無関係な人間も巻き込んでの市街地銃撃戦になることがはっきりしてきたように思う。ホリエモンは、フジの日枝会長が10年かけて封印したフジサンケイグループの「怨霊」の入った箱の鍵を、うっかり開けてしまった。TOB成功目前というこのタイミングで鹿内家が出てきたことは、ホリエモンや村上ファンドといった既視のプレーヤー以外に、日枝会長一派の失脚を狙うもっと上の黒幕が背後にいる可能性を示唆しているのではないかと思う。それは、たとえばホリエモンの登場とは関係なくこういう意見がCXグループから出てきていることでもわかる。

 確かにこのまま行くと死人が出るかもしれない。そういう危ない地雷原には、隊長のように個人で実弾を握って戦えるような人を除いて、踏み込んではいけないというのが世の中の教訓である。というわけでしがない一サラリーマンに過ぎないR30は、新たな展開が見えて闇の危険が遠ざかったことが確信できない限り、この問題については以後コメントを控えたいと思います。あしからず。

(3/9 3:00追記)隊長、やっぱり巻き込まれちゃったようですね。かわいそうに。

03:18 午前 経済・政治・国際 コメント (2) トラックバック (13)

2005/03/03

もし堤義明氏がホリエモンに家督を譲っていたら

 今朝のニュース番組はどこのチャンネルもみんな西武王国特集だった。検察が引導を渡してくれたのでやっと大手を振ってこれまでの恩人をこき下ろせます、といった風情。醜悪なことこの上ない。

 「ピストル堤」こと堤康次郎氏に始まる華麗なる土地買収の100年史はさておき、ちょっと考えてみたいのは禁断の歴史の「イフ」である。つまり、もし堤義明氏率いる西武王国が未だ健全なりとすれば、どのような姿になっていたか、ということだ。

 ダイエー中内にしても西武堤にしても、結局のところ戦後経済成長のエンジンだった土地資本主義にうまくのっかったものである。「のっかっただけ」とは決して言いたくない。だってそれをうまく利用してあれだけの企業グループを作り上げたのはまぎれもなく彼らの力量なのだし、同じことを試みて失敗して闇に消えた人たちは無数にいるのだからね。

 ただ、世の中的には(そして西武グループ的にも)95年を境目にして、日本土地資本主義は終焉し、代わりに孫正義とかほりえもんとかが暴れまくる株式資本主義が到来したわけだ。いろいろと批判や問題もあろうが、流れとしては明らかにこちらの方向である。

 西武グループも、調べてみると資産や利益などがピークを迎えたのが94年で、それ以降はずっと落ち目である。で、ここにきてようやく証券法違反しても何しても、誰もコクドの大赤字を支えられないということが分かってしまい、明るみに出たというだけの話だ。

 じゃあ、そこに至るまでにもし堤氏がレジーム・チェンジを行い、土地資本主義から株式資本主義への転向を表明していたとしたらどうなっただろうか。

 何を滑稽な話を、と思われるかもしれない。ま、そうだろうね実際のところ。幼少の頃株の売買で一山当てた経験もあった父康次郎氏と違い、義明氏は早稲田大の観光学会で仲間を集めてる時から、土地以外の価値を知らなかったに違いない。「西武鉄道が何で上場しているのか、よく分からない」という例の名言も、彼のそういう生い立ちに依っている。

 でも、彼自身が転向しなくても、跡継ぎにそれをやらせることだってできたのではないか。

 義明氏には二人ほど子供がいるようだが、これまで彼らの名前どころか、存在さえ聞いたことがなかった。ということは、両方とも父親とは比べようもないぼんくらか、それともあえて表に出たがらない平々凡々なタイプの人だったのだろうか。30歳を超えたグループ総帥の御曹司ともあれば、親の方が気を使って小さな事業を任せたり、財界やらにちょこちょこと顔を出させるものだと思うから。

 それに、跡継ぎは嫡子でなくても良い。もしレジームチェンジをするつもりがあったのなら、外部から頭の良さそうな奴、それこそ例えばホリエモンみたいな奴を外から引っ張ってきてとっとと社長にでも据えてやれば良かったのかな。なんかそれもすっごい無理がありそうな気もするが(笑)。

 ま、今さら何を言っても「あり得ない」って言われて終わる話だけれどね。でも本当に100年200年続いている企業グループ(関西の酒造メーカーとか)でも土地がその基盤になっているところは少なくないわけだし、超長期で見て土地資本主義が間違っていると決めつけるわけにもいかないでしょう。

 とすると、やっぱりあまりにワンマンで君臨しすぎて、事業の存続性と後継者育成とを怠った義明氏が、やっぱりそれまでの人だったのねという話で終わってしまうのかな。せめて長野五輪までずるずる引っ張らなければ、もう少し良い方向に向かっていたとも思うのだが。何よりも堅実と旨としてきた不動産屋がある日突然オリンピックという虚構のイベント業に手を染めちゃったのがそもそも間違いだったということか。

 カリスマで知られた経営者だけに、そういう結論で流されて世の中から消えるというのも寂しいですね。堤氏には、ぜひ自らが信じてきた土地資本主義の来し方行く末をまとめた回想録を書いてほしいと思います。

(3/4 9:20追記) 信州のコーヒー屋さんからのTB読んで、衝撃を受けた。未だかつてこれほど見事に堤義明を切ってみせた人物評があっただろうか。素晴らしい。タダのブログでここまでのクオリティの記事が読めることに改めて乾杯。今年のアルファブログエントリ候補、再び登場です。

10:23 午前 経済・政治・国際 コメント (4) トラックバック (12)

2005/03/02

ソフマップとダイエーを交換した丸紅

 ダイエー支援、丸紅連合に内定・産業再生機構(NIKKEI.NET)だそうで。とうとう動き始めましたな。アドバンテッジ・パートナーズと丸紅が、どんな経営者を引っ張ってくるか見物。ローソン新浪とかカネボウ余語みたいに、40代の清新な若手経営者がぜひ就任してほしいと思う。アドバンテッジPにとっても、ここは日本初のMBOファンドとしてこれまで蓄積してきたノウハウの集大成となるディールになるんだろうな。

 というか、ダイエー社内は産業再生機構入りして以来既にかなりいい雰囲気になっているという噂も聞こえてきてる。しがらみがなくなるということがどれほど大きく組織を変えるかということの、良い見本。はい、そこの倒産寸前の腐れ自動車会社と関係者各位は、ダイエーの爪の垢でも煎じて飲んどくように。

 しかしその影で、いくらこれから資金需要があるからって、丸紅にあっさり見放されてビックカメラに持ち株売り飛ばされたソフマップの立場っていったい。ダイエーと引き換えかよ。トホホ。

 まあ、利幅の薄い家電販売なんかとっとと捨てて食品流通に突っ込んでいくという丸紅の経営判断は極めて真っ当だと思うし、中古品にめっぽう強いくせに新品価格はからっきしダメダメなソフマップにとってもこのディールは良いことだったんじゃないですかね。前期はまた赤字転落だったし、このまま行ったら家電量販の負け組確定してたかも。

 リリースには中古流通での提携がメーンで書かれていたが、有楽町駅を挟んだ2つの店の商品価格のあまりの違いにがく然としていた僕個人としては、まずはソフマップの仕入れをビックに統一して新品価格を安くしてほしい。ビック並みの安さで新製品が(中古品を売って)貯まりに貯まったソフマップポイントで買えるかもと思うと、ちょっと嬉しかったりしてますが。ていうかビックとソフマップ、まずポイントカード統合してくれよ頼むから(笑)。

 でもビックカメラには、秋葉原のソフマップの店構えだけはなるべく変えないでほしいなあ。あそこのレンタルボックス、エロゲ売り場はある種の文化的無形財産(笑)だと思うんだがね。ああ、こんなこと言うと僕がアニオタだったりするように思われるけど、全然そんなことないですよ全然。完全に否定しておきますからそこんとこよろしく。それでは。

05:33 午前 経済・政治・国際 コメント (1) トラックバック (2)

何を今さら…留学退職対策も「お役所仕事」なのね

 むなぐるま氏のところやid:pogemuta氏@ダメオタ官僚日記などであれこれ語られているようなので今さらではあるが、読売新聞のこの記事。

若手官僚、留学後の退職多発…費用返還ルール作り悩み(Yomiuri Online)

 何を今さら問題のように書き立ててるんだか、読売は。ネタ古すぎ。産経なんかまったく同じ話を去年の8月に記事にしてますがな。人事院記者クラブの弊害ですかね。

 それにしても記事を読んで驚いたのは、転職する人というのが「留学経験者の10人に1人」ということ。職業柄元官僚の留学経験者ばかり会ってきたからか、財務省筋の元官僚に知り合いが多いからかよくわからんが、実際にはもっと多い気がしてたけどな。この程度なら全然OKなんじゃないの?どうせ人材は天下の回りものだし。

 てか、この手の問題は商社とか銀行とかの民間企業は、もっとずっと前から留学経験者のダダ漏れの流出に手こずってきたわけですよ。それで今は、あの手この手で流出防止策を講じてる。

 そうした大企業の最近の流出防止の必殺技は「33~4歳から留学させる」、これです。なぜこれが必殺技なのか。それは国内の転職市場を見ていれば分かる。

 海外の大学院留学は速習コースでも1年、普通のMBAとかポリサイであれば2~3年だ。これまではだいたい25~7歳で留学に出していた。そうすると帰ってくるのが28~30歳と、ちょうどこれから仕事で猛烈な生産性を上げる年齢にさしかかる。年俸2~3000万円で外資系の戦略コンサルや投資銀行が引き抜いても、3~5年死ぬほどこき使えば、十分元が取れるわけだ。

 しかも転職すれば、本人にも大企業の経営者に向かって「あなたのおっしゃることは間違っている」などと偉そうな口を堂々ときく立場が与えられ、3年もすれば「戦略コンサルファームでコンサルタントとして、ナントカ業界の合併再編を支援」などという箔が履歴書につくわけだ。で、30代後半で再び、今度はベンチャー企業や外資系事業会社の役員や社長として転職というコースができあがっていた。

 その間元の日本企業にいたとしたら、どうなるだろう。相当のトップクラスの大企業でも30歳代前半の社員の年俸は1000万円を超えるぐらいがせいぜい。しかもやらされる仕事は係長とか課長クラスで、巨大組織の重箱の隅をつつくような実務の日々。自社の経営陣と新事業参入の提案を巡って丁々発止のやりとりなんて、この年代の社員じゃ望むべくもないわけだ。で、40歳になったら社内政治のしがらみでがんじがらめ、身動きのとれない事業部長が関の山。これじゃ転職しない方がおかしい。

 ところが、最近の銀行・商社は留学時期を従来より5年以上遅らせ、係長~課長職クラスを派遣するようになっている。こうすると、帰ってくるのは35歳以降。転職市場での人材価値が一気に落ち込んでからとなるわけだ。つまり、MBAなどの箔をつけて帰ってきてもそれほど有利な条件では転職できない。

 個人的には、MBA資格取得者なんて流動化してナンボと思っているので、商社や銀行のやり口はせこいと思うが、辞めてもらいたくないならそれはそれで1つの合理的な対策だ。本当に若くしてコンサルキャリアの道を歩みたければ、自費で留学すればいいわけで。役所も何でそうしないんだろう。30代半ばの課長代理を留学に出せない理由でもあるんかしらね。

 こちらのブログでも書かれているように、日本という国が職業選択の自由を憲法で保障している以上、「公費での留学経験者が役所を辞めて外資系ヘッジファンドで荒稼ぎするなんてケシカラン」とか、言ってみたってしょうがないわけですよ。良い条件とやりがいのある職に乗り換えていくのは本人の責任じゃないんだから。それよりはpogemuta氏が言うように、「外部を経験した目から見ても魅力ある組織に役所を変える」ことが先決だと思うわけだ。

 これについては、面白いエピソードがある。MBA留学後1年ほどして財務省を辞めて民間に転職した僕の知り合いが話してくれたのだが、彼は帰国後、省内で仕事のやり方を変えるようにいろいろと提案を出したのだそうな。

 特に彼が強く問題にしたのが、kanryo氏の日記でも話題になっていた「キャリアのサービス残業」の問題だった。ちょうどその頃、財務省でも過労やノイローゼで年に何人も自殺者が出ていたらしい。だが、それを引き合いに出して就労環境改善を訴えた彼に対して、財務省の上層部が返した答えというのが、「我々はサムライである。民間人や他の省庁とは格が違う。いざという時には国のために命を投げ出すのがサムライたる者の役目だ(だから過労死対策など要らない)」というものだったらしい。彼はその答えに絶望し、その後しばらくして辞表を出した。

 その後日談というのがあって、最近彼は古巣の財務省の先輩に呼ばれたんだそうだ。さすがにこれだけ人材が流出したから、少しは以前の彼の提案を受け容れてくれるつもりにでもなったかと思って行ってみたら、「そろそろ我が省としても一度民間に出た諸君らを再度採用する制度を作りたいと思う。ついては君も戻る準備をしておくように」って命令口調で言われたとか。彼は「いったい何様のつもりなんだろうかね、あの人らは」と呆れ返っていた。

 役所って本当にいろいろな意味で遅れてるよね。その知り合いの話聞いて、僕はもう今さらあれこれ言う気も失せたけどさ。どうせ同じ税金を使うなら、いっそ官僚じゃなくて、民間から「留学後は最低10年役所で働くこと」っていう条件の奨学金でMBAやポリサイの大学院への海外留学希望者募ってみたらどうかな。って書いてから10秒で、「絶対人集まらねえな」とか思ったよ、ゴメン。

02:28 午前 経済・政治・国際 コメント (4) トラックバック (7)

2005/02/25

【ヲチ山場】陰の当事者、ついに立ち上がる?

 この時期、連日のお祭り騒ぎしているみなさんにヒトコト言っておきたいのだけれど、きっとみなさんもふとっちょとクリス先生率いるフジテレビの、素人にはぜんぜん理解できないこむずかしい争いごとにいい加減飽き飽きしてるに決まってる。とゆうか本当は一番飽き飽きしてるのはこのおれだったりするとゆう。でも、これからの日本にとってとても大事な話だから、たぶん最後までヲチしなくちゃいけないとゆうものだ。

 ところで、この祭りの陰の当事者、村上ファンドがついに口を開いた。「日本の株式市場に重大な悪影響を与えかねない」んだそうだ。さあどうするどうするフジテレビ。どうするどうするクリステル姉様。(ここまでネコプロトコル風)

 なんかもう、M&Aコンサルティングのウェブサイト、重すぎで全然つながらん。やっと声明文のURLだけは参照できたが、今の時間ダウンロードは保証できません。あしからず。

 僕はダウンロードして何とか読めたけど、まあ内容は上にリンク張ったライブドアニュースの内容がそっくりそのままって感じだ。大したことを言っているわけじゃない。これまでisologueなどでさんざん語られてきたことをずばっと言っているにすぎなくて、まったくの正論そのものだ。だけど、これはフジには痛いだろうね。村上ファンドがこういう声明出しちゃうと、これまで国内というコップの中の嵐だったものが、突然海外メディアとか飛びついて報道するようになるからねえ。彼らの海外(特に米国向け)アナウンス効果と、そのリフレクションが政府筋に与える影響ってのはバカにできない。しかも政府筋(たぶん経産省筋)からはライブドア援護射撃ととれそうな動きまで出始めちゃったしな。

 しかし、先日毎日だったかが証券アナリストの読み筋として「村上ファンドは既にライブドアに株式を売り抜けた」っていう飛ばし記事を書いていたが、今回のリリースにもそのあたり全く書かれてないからねえ。自分のポジションを最後の最後まで伏せ続けながら何食わぬ顔でこういうリリースを出すところが、本当に食えねえ人たちだよな。

 そうゆうわけで、今回の台本のないドタバタ喜劇でもう1人脚光を浴び始めたのがこのお方。虹色に輝くネクタイと全身ベルサーチのスーツで固めた、自称合法的総会屋の久保利大センセイである。このおっさん抜きで日本のコーポレートガバナンスの歴史を語ることなどできないというお偉い方なんだが、今回ばっかりは村上ファンドにはめられてニッポン放送の役員を引き受けさせられてしまい、自ら訴えてきた日本のコーポレートガバナンス確立の最大の転機に、図らずも自ら大きな汚点を残しかねない立場に追い込まれてしまったわけだ。

 考えてみれば昨年、CSK対ベルシステム24の戦争でCSK側について孫&園山連合軍と戦い、一敗地にまみれた時には、あれ?と思うような感じだったのだが、まさかここまで追い込まれちゃうとは、法曹界の誰も予想だにしなかったろうなあ。久保利センセイに問われているのは、まさに「男としての筋を曲げてカネを取るか、それとも筋を通して顧客を刺すか」という、どんな人間も人生で絶対に直面したくない正念場なわけである。

 しかも、ここまで来るとかげにひなたに久保利センセイにお世話になっている日経も、おいそれと記事が書けなくなってしまう。うわ、なんだかもしかしてこれって言いたい放題書けるブログ万歳ってこと?すげー風桶だ(笑)

 株式市場を玩具にするいかさま投資信託と危機感の全然ない経営者をいただくメディア企業、そしてかの久保利大センセイまでまとめて地獄の闇鍋に追い込んでしまった我らが欽ちゃんの命懸けた勝負師ぶりに、我々何の関係もない庶民はヤンヤヤンヤの喝采を送って見物させていただくわけでございます。村上世彰さん、あんたらマジですごいよ。がんがれ。超がんがれ。

11:34 午後 経済・政治・国際 コメント (7) トラックバック (11)

2005/02/24

産経新聞記者乃皆々様江

 メディアはもっと勉強しろ、だそうです。今後の取材にお役立て下さい。(15:10コラムを以下に追記)

 ところで、GLOCOMフェローの吉田望氏が「ほりえもんはマックス・ウェーバーの言うところのバーリア・キャピタリズム(賎民資本主義)の人である。彼がこの無謀な航海の顛末(買収失敗)によって心を入れ替え、無人島(元々の本業)で倹約・勤勉に励むというのがこの物語のオチではないか」という、ホリエモン=ロビンソン・クルーソー仮説を提唱している。

 なかなか面白い仮説だなあと思うが、どうなんだろね。昨日のアルファブロガー飲み会でも思ったんだが、ほりえもんが、というよりはIT産業そのものが本質的に、20世紀に高度に組織化された産業資本主義を少しバーリア・キャピタリズムに引っ張り戻そうとするものであるってことを、そしてそれが僕らの元気の元かもしれないってことを、ブロガーな人たちははっきりと感じているのだよな。

 それに対して、「ロビンソン・クルーソーたれ」って呼びかけるのは、なんつーか単にこの閉塞感漂う日本社会の中でようやくやりたいことをやりたいようにできる西部のフロンティアを見つけた人たちに、「お前らゴールドラッシュなんて追わずにまじめにプランテーションで奴隷労働にいそしめ」って言うようなもので、まあ言うだけ無意味なんとちゃうんかと。

 どんな世の中にも、踏み外さないまでも常に時代のエッジの部分で「まだ行けるか、もうちょっと行けるか」とすり足で冒険を繰り返す連中というのは存在するし、世の中全体の活気のためにはそれも必要なのであって、ほりえもんみたいに「俺は不死身だ~」とか叫びながら思いっきり跳躍して崖の向こうに転落してしまう人の末路はともかくとしても、そういう営為自体を否定するのはいかがなものかと思いますよ、僕は。

 とか何とか言いつつ、昨日ベルギービールで酔い潰れて隊長に寝顔激写されちゃったらしいし、今日も頭が痛いし幸薄いR30なのでありますが。

12:44 午後 経済・政治・国際 コメント (3) トラックバック (9)

2005/02/23

【ヲチ復活】LFの新株予約権発行は違法じゃねーのか

 CXという「法人」に新株予約権(ストックオプション)を158億円分割り当てるという、超意表を突いた方法で反撃開始。

 ニッポン放、フジテレビに新株予約権・ライブドアに対抗(NIKKEI.NET)

(18:35追記)こちらのブログでSOの詳しい発行条件が書かれていた。要するに「株主以外の者に対して有利発行する場合は(特別決議)」という条文だから、株主であるCXには無条件OKという解釈なのか。すげえ。

 でもストックオプションって、普通に株主総会の特別決議(3分の2以上の賛成が必要な)案件だと思うんですがどうなんですかね。あと、税制に従うと付与する相手は子会社を含む取締役及び従業員という「個人」が条件で、しかも付与から転換までに2年以上かけなきゃダメらしいですよ。

 158億円というカネが実際にはまったく動かない(完全傘下に入れた瞬間に2800億円振り込むみたいですが)という意味で、前回僕が言ったように「キャッシュを一銭も動かさない」というCXの防衛戦略方針が見えたわけだが、これは明らかに商法違反くさいので、ライブドアの反撃が見てみたいところ。

 ただ、あれだけエスタブリッシュメントに嫌われまくっちゃったほりえもんのことだから、裁判所に仮処分命令出してもらおうとして泣きついても、シカトこかれたり牛歩使われたりする可能性はなきにしもあらず。当然、CXの日枝会長もそのあたりをにらんでのことだろうな。えげつない。

 ま、外野としてはヤンヤヤンヤの声とともに観戦を楽しむだけでございます。

06:04 午後 経済・政治・国際 コメント (6) トラックバック (23)

2005/02/21

日本の出版社には市場価値がない件について

 すでにあちこちのブログが詳細に語っているやや古いネタですが、徳間書店の清算について。

 1週間ほど前からスタジオジブリの独立というのが話題になってましたが、それって結局徳間本体を清算するつもりで、そこからジブリと雑誌だけを救うスキームだったわけね。

 でも徳間書店のサイト見てみたけど、雑誌もめぼしいのはアサヒ芸能しかないのか。あとはアニメージュ関連の本とかそんなのばっかり。よくこんなボロ会社で600億円も借金できたな。マスコミって不思議だ。むしろ、コンテンツ産業のマジックなのか?

 徳間書店の債務超過がどのくらいのものなのかよく分からないが、日経の記事によれば600億円の債務をジブリと出版の営業譲渡で400億ぐらいまで減らして、その後1~2年で会社を清算するらしい。まともな事業価値の部分は200億だけでした、ってか。貸し込んだ三井住友は、いったい何やってたんだ。

 とかびびっていたら、ブログを検索していたらもっとすごい記事が。19日日経の朝刊に載っていた記事がここのブログに引用されているので、それを見たら、ピークの2001年には1300億円もの借金があったらしい。壮絶だな。

 徳間の出版部門はほとんどアニメの収益回収部隊みたいなもんだからどうでもいいとして、焦点はジブリの営業譲渡が150億円ぐらいになっちゃうのがどうかってことだろうね。この記事は徳間側からのリリースだろうから、少なめに見積もっているような気もするんだけどどうだろうか。

 ジブリは昨年までの4年間の営業利益が200億円というから、普通にならしてアバウトにNPVを計算すれば時価総額500億。コンテンツ産業ということで、収益のボラティリティは当然大きいと思われるので、少し少な目にみても350億円ぐらいじゃないのかなあ。VCの小林雅ブログでも「GDHのM.Capが300億」って言ってるし、株式上場すればファンが多くて知名度がある分、もっといくんじゃないかしら。過去のコンテンツのIP(知的財産)収入でも、まだまだ稼げそうだしねえ。

 とか思っていたら、社長になる鈴木プロデューサーは、ジブリの経営権を少数の関係者以外の人に渡したくないんじゃないか、というこちらのブログでの考察が。つまり株式上場さえもしたくないってことなのかもね。宮崎駿、鈴木敏夫の2人は作品解釈でもよく指摘されているように、アンチ資本主義の気持ちがすごく強い人たちだから、実際そうである可能性はかなり高いと思う。

 ま、残りの借金を放棄させられるメーン行がそれでもOKと言っているなら、外野の我々が2人の気持ちを尊重したスキームに異論を挟む余地はまったくないわけだ。考えようによっては三井住友偉すぎ(笑)。ジブリにはこれからもがんばって資本主義に抵抗しながら楽しい作品を作ってほしいです。

 しかし一方でスピンオフするもう1つの出版事業の評価額が50億にもならないというのはどういうことなのか。悲しくなるがアサヒ芸能しかないんじゃこれもしょうがないわな。思うに以前ジャーナリズム論争の時にfinalvent氏も日記で書いていたが、出版っていうのは完全に鬼っ子というか、石にかじりついてでもやりたい人だけがやればいいというか、横にジブリみたいな豊富なコンテンツでもない限り、今後は絶対儲からない世界になりそうな気がする。

 前にある外人投資家としゃべっていた時に、彼が「日本の出版会社を買収しようと思っていろいろとサーベイしたのだが、これまでに発行した書籍やコミックの権利をきちんと社内で管理していない(つまりすべては社員編集者と作家さんとの間の口約束のレベル)ので、資産評価のしようがなかった」と言って頭を抱えていたのを覚えている。

 出版社なんて典型的なIPで食っていく類いの業態なのに、日本の出版ビジネスのIP管理って、音楽や映像の業界よりもさらに遅れてるんだよね。

 まあ、石をかじってカスミを食ってもオレは生きられるという方々はともかくとしてですね、出版業界におられる方々はこれからIPの管理をきちんとしないと、斜陽業界がますます斜陽になっちゃうよ、と警告じみたつぶやきでもって今日は終わり。

(10:30追記)そう言えば先日できたばかりのライブドア・パブリッシングから「今度3月末に出す書籍の中でおたくのブログを紹介してやるから自分で紹介文書いていただけませんでしょうかこの野郎」って連絡があったので、「紹介するのは勝手だけど俺に書かせる紹介文ぐらいは原稿料出せ、ていうかお駄賃くださいお願いします」ってお返事申し上げたところ、満面の営業スマイルとともに「それなら紹介文は結構です」ってあっさりスルーされた。さすが公開企業幻冬舎、マジで偉いよ偉すぎる。

(17:00追記)隊長のとこにも来た模様。小心者なR30と違い、レバレッジを最大限にきかせて暴れていらっしゃる(爆笑)

09:59 午前 経済・政治・国際 コメント (6) トラックバック (9)

2005/02/19

ネット右翼だって現実社会に戻ればリベラルでしょうが

 リベラルブログうんたらという話がむなぐるま氏の「日本ではリベラルブロガーのハブはないのだろうか」っていうエントリあたりから広がってるみたいで、既にまとめも終わった議論みたいだけど(笑)、ブログのサブタイトルも変えたことだし、亀レスだけどちょいコメント。

 僕自身の考えはstandpoint1989氏のこちらのエントリに割と近いんだけど、こと「ネット右翼」については別に大した問題じゃないと思う。切込隊長がこちらのエントリで何かえらく難しげにまとめているが、分かりやすく言っちゃうと「頭のいい若い奴がどんどん生活不安を増大させていて、そいつらがネットで自分の生活を脅かしそうな欺瞞に食いつくとネット右翼って呼ばれるだけなんだよ」ってこと。ま、そういうことである。

 ネット右翼、あるいはサイバーカスケードという現象が発生する原因は、もう1つあると思う。これまたあちこちのブログで指摘されていることではあるが、要するに既存のマスメディアが(僕も含めて)こういう若い連中の不満を十分に回収できてないってこと。それは何でかというと、要するにマスメディアが考える物事の優先順位が、身近な一般常識から考えて矛盾していると思えることが増えてきたことだ。

 例えば、ある公共企業が単純作業の業務をITで効率化して、その作業に従事していた従業員を他の業務や部門に転換、あるいは早期退職させようとしたとする。既にかなり以前から自動化が予定されていた業務であり、作業員のほとんどは定年退職間近の50代の中高年である。しかもそれによって消費者は直接そのサービスの値下げの恩恵にあずかれる。

 僕ら30代の感覚なら、「事前にそういう合理化を行うことが世の中にも知られており、しかも従業員の他の業務への転換の可能性も残してあるのであれば、公共サービスの値下げのために退職勧奨や業務転換はしょうがないのではないか」と考えるだろう。ところが、某●日新聞には、「公益を掲げる大企業の従業員への許し難い仕打ち」と書かれる。なんで??どうしてそうなるの??

 長年マスコミにいたくせに最近になってその理由を知ったのだが、どうもその大手新聞には「労働組合>消費者」という、価値判断のための鉄の社内ルールが確立されているらしいのだ。具体的な価値体系を僕は詳しく知らないし、ここでそういう差別表現を列挙するのも憚られるのでしないが、要するに戦後50年以上「社会的な弱者・可哀想な人たち」とされるレッテルがコード体系として完成しており、記事掲載の優先順位や記者の評価みたいなものも、そのコード体系にいかに沿った主張をするかということで判断されるらしい。

 もちろん、アフリカの難民は今でも相変わらず悲惨だし、高齢者や障害者がその身体において一般人に比べて絶対的な弱者であることは疑いようもないのだが、しかし現実の社会というのはそんなに単純なものでもなくて、弱者の名前をうまく語って金儲けや裏の権力を身につけている人だっているし、大企業だってそこで働く人々が時に金銭以上の社会的正義を原動力にしてビジネスを動かすことだって起こりうるわけだ。

 僕が駆け出しの記者の頃、ある九州の冷凍食品メーカーの創業社長に取材した。その時、彼から「私は経営者として、従業員には何とかして充実した人生を送ってもらいたいと思い、いろいろな福利厚生の制度を取り入れてきました。本社工場の敷地内に、工場より大きな土地を使って従業員用の運動場も作りました。それでも地元の大新聞の記者さんには"企業のやることは金儲けが目的だから信用できない"と言われる。私はこれ以上、どんなことをすれば世のため、人のためになっていると思ってもらえるんでしょうか」と相談されたことがある。無一文からたたき上げてド田舎で全国ブランドの企業を築いた彼の一途で素朴な問いかけに、その時の若い僕は返すべき言葉を見つけられなかった。

 そういう、吉田あみ氏@日日ノ日キ言うところの「世界はほんとうはもっと色鮮やかで豊かだし、残酷で不気味」なんだという認識が、日本のリベラルなマスコミの方々の価値判断基準にはどうも欠けているような気がする。なぜ欠けているかというと、このブログでも前に書いたように、「個々の記事の価値基準をいちいち是々非々で判断していたら、効率が悪くて仕方ないから」だ。少なくとも、ネットがここまで普及する以前は、それはマスコミに限らず、多数の人々の意見を集約するのが仕事の人々(行政、政治など)にとって「効率が悪い」ことだった。

 そして、マスコミの価値コード体系の中には「(ほぼすべての)取材先>購読者」というのも含まれているから、購読者がどんなに必死で「事実が違う」とか「偏ってる」とかクレーム電話をかけても「担当記者に伝えておきます」の一言でシカトされるという事態が多発するわけである。

 ネット右翼と呼ばれるムーブメントは、だから僕はある意味「マスコミが自らの価値基準の決定プロセスにネットの効率性を積極的に利用しようとしない」ということへの、社会からの異議申し立てなのだと感じている。

 一般に、マスコミ人がインターネットで直接意見を集めるのにものすごい抵抗を示すのは、彼らが業務上の効率を考えて前提に置いている各社独自の「価値基準」に対し、ネットのありとあらゆる人たちがいっせいに異論を唱えてきたらどうするのか、というのを想像して身の毛がよだってしまうからだ。

 でもそういうことは、実際には起こり得ないと僕は思っている。なぜか。それは「ネット右翼」と呼ばれる人々の行動をつぶさに見ているとよく分かる。

 彼らが食いつくのは、自分の身近な出来事や現実と比べても、明らかに筋違いと思えるような前提を置いて書かれた記事や意見に対してである。自分が直接知らないことについて飛びついて来たりはしないし、身近な経験があることに対しても書き手がそう述べる根拠や経験(いわゆるソース)を開示した場合には割とあっさり引き下がる。

 つまり、誰もが決定的な事実を知っているわけではない状況において、平等に意見を言えるという前提のあるネット上での議論にはものすごく熱心だが、「意見を裏付ける決定的な事実」や「論争の相手が誰が見ても社会的弱者であることの証明」などが示されると、とたんに「あまり一般化するなよ」とか何とか捨て台詞を残して消え失せたりするのである(笑)。

 だからマスコミはネット右翼にあまりびくびくしないで、自分たちがそういう価値判断に至ったプロセスというか、ソースをちゃんと(出来る範囲で)開示して、もっと出せとか言う人が出てきたら「取材源の秘匿とか個人情報とかいろいろあって出せないんです、ゴメンナサイ」とそこで折れておけばいい。それでたぶん収まる。

 左巻き批判が大好きなネットワーカーでも、弱者に対する情が深いという点ではリベラルと変わらないということを、僕は切込隊長のニートに対するいくつかのエントリで見せられたような気がする。自分たちだけの独自の価値コードを盾に決めつけ・開き直りをする左巻きマスコミのブロガーに対して彼が仕掛ける攻撃は苛烈なものがあるが、では徹底的に「強者の論理」の人なのかと思いきや、自分のエントリに突っかかってきたニートに対して延々と人生相談に乗ってみせる。あれはどう見てもリベラリストの姿だ。彼が自称するようなRepublicanではあり得ない。

 ネット右翼を装って過激なことを書いている人の中にも、恐らくリアルでは常識的にリベラルな人というのがたくさんいるんだと僕は思う。もちろん、こういうふうにネット右翼でかつ本当に右翼な人というのも、それはそれでいるんだろうけど。(ちなみにこの人が何で昨年6月の民主党の憲法改正案に今ごろになって火を噴くような罵倒を述べているのか、誰か教えてくださいw)

 あと、これまで論じた「何をもって弱者と定義するか」という価値コード体系の硬直性の問題以前の問題として、「マスコミはそもそも弱者をかばうべきなのか」という、民主主義バランス装置としてのメディアの存在意味というテーマが存在する。

 このテーマは、最近で言うと江川紹子のほりえもんインタビュー「『新聞・テレビを殺します』 ~ライブドアのメディア戦略」でもはっきり表れていた。江川氏が「価値基準に照らしてとか難しいこと言わないで、読まれる記事、売れる記事だけ並べればいい」というほりえもんのコメントに対して、

 メディアがあえて報じていくことで、曲がりなりにも(現実にそれが十分にできているかは疑問だが)政治を監視する機会は保たれる。それがなければ、一般の人たちがなんだか分からないうちに、大事なことが次々に決められていく、ということになりはしないか。
 あるいは、イラク、アフガニスタン、アフリカ諸国といった外国の情報は、普段は気にもとめずに生活しているけれど、そういうことは知らなくてもいい、のだろうか。
 普段、気がつかなかった事柄を、新聞で読んで知るという機会もなくなる。それで、生活するには困らないかもしれないが、人間性や心を豊かにする機会を減らしてしまうことになりはしないか。
 また、"志"や"矜持"といったものを、すべて否定してしまうのには、私は抵抗を感じる。確かにそれは、「思い上がり」や「自意識過剰」に結びつく危険性がある。けれど、様々な圧力、障害、誘惑などに直面することの多いこの仕事の中で、報道する者の"良心"が、そういう困難中でも真実を明らかにする原動力になることだって、少なくないのだ。
 と述べているところがそれに当たるだろう。このような問題意識は、彼女だけでなくほとんどのマスコミ人(純然たる経済メディアである日経でさえも!)が多かれ少なかれ持っているところのものだ。

 これは、ネット右翼あるいはリベラル言説の是非の問題よりさらに深い哲学的な問題を含んでいるので、あまり軽はずみなことを言いたくないし、ちょっと次回に回したいと思う。

02:34 午前 経済・政治・国際 コメント (17) トラックバック (21)

2005/02/18

環境とか議定書とかでちょっと追記

 環境経済の話でいろいろトラックバック&コメントくださった皆さん、ありがとうございます。ネタは振ってみるものですねえ。間違い指摘されて頭も良くなるし、みんなそれなりに関心があるんですね。とゆーかこのブログ読んでいる人がそういう好奇心旺盛な人たちばかりなのかな。R30のまわりくどいレトリックとネタにいつも辛抱強くついてきてくださる方々ばかりで。皮肉じゃなく、マジで感謝してます。

 で、TB先とか紹介されたサイトとかいろいろ見て回ったんですが、炭酸ガス=温暖化という構図は嘘だよ、しかもオゾン層破壊と温暖化もかんけーねーぞ、と。ふむふむ。じゃいったい何のために京都議定書が存在するんですか。トータルとしてはますます「どうでもいい」方向に行ってしまう気がするんですが(笑)。

 ま、結局は僕の勉強不足っていうオチなんだけれども、環境を経済ベースに…ねえ。そのへんはfinalvent氏が「ブルガリア」エントリで軽妙に語っておられるので特に突っ込んでコメントするつもりないですが、要は東欧やアフリカの途上国に国際収支を移転させたいってだけじゃないの。新手の援助理論とか、そういうことですかね。

 antiECO氏からのご指摘「環境経済よりもこれからは森林保護だ」ってのも、うーむまあよく分かりませぬ。日本でも世界遺産とかブームになってるみたいだし、トレンドはトレンドでいいと思うんですが、だから何?ってところですねえ。

 むしろいただいた突っ込みの中でちょっと気になったのは、antiECO氏の「一番の温暖化対策は無駄なものをつくらないということが最も効果があることだ」という話。そりゃそうなんだけど、それでみんなLCAがどーたらって言ってるんだけど、だったら京都議定書の話って全然意味ないじゃん。

 百歩譲って「無駄なものを作ったり廃棄する時に出るCO2を締めればええんでしょ」ということだったとしても、だったらそれを排出権取引とかいって、日本からもっと生産や廃棄物処理効率とかの悪い海外に移転したら逆効果でっせ。なんかもう、考えれば考えるほどむちゃくちゃでんがな。

 というわけで環境に生真面目な方々は、あまりそういうのを気にせずに、安井至先生おっしゃるところの「農系社会」への移行を目指していくということでよろしいんじゃないでしょうか、つまり今の日本人は間違ってないぜ、あまり恐縮したり不安になったりせずにこの調子でガンバローというのが、僕の今のところの結論。少なくとも、日本は今の調子でがんばってれば米国や中国に「あいつがやってないんだからよー」って責任転嫁の悪者扱いもされないし、EU市場から閉め出されることもないしね。

08:07 午後 経済・政治・国際 コメント (4) トラックバック (2)

【ヲチ終了】ライブドア、信託利回りを確定中

 ほりえもん、よりによってテレ東の番組でついにしゃべっちゃったみたいですね、「産経を日経のライバルにする」って。しかもビジネスアイのこと知らないみたいだし。僕的にはこの時点で「ほりえもんEND」かも。少しは期待もしてたのになあ。

 事業面で何らかの見通しがあるのなら、それに伴う戦略的な働きかけのジェスチャーがこの段階から出てくるのが普通だと思うんだが、それが全然見えないばかりか、むしろケンカを売る相手を間違えているような発言ばかりが出てくる。こうなると、買収が成功するかどうかにかかわらず「戦略的に失敗」の烙印を押さざるを得ないわな。

 実際、既にライブドアを「2000年頃までのSBがやっていたような上場投資信託の劣化コピー」とみなす見方は昨年後半ごろから既に出ているわけで、ここに来ていよいよそれが明白になっただけという気も強くする。

 しかも、その切り口から分析したこちらのブログの記事などは興味深い。今後の動きをいくつかシミュレートした結論として、「これはほりえもんの"2度目の創業者利益獲得"作戦である」と言い切っている。

 まあ、それも確かに当たってるわな。実際、フジテレビがTOB価格をつり上げる、ニッポン放送の持つ自社株を買い取る、裏に回ってライブドアの株を買い占める等、どの手を使ってきても、ほりえもんにとっては「これまで実態を上回って膨らませてきたライブドアの信用を大企業のキャッシュに換える」という目標(ゴール)を達成することになるわけだ。つまり、投資信託の利回りを確定するってことね。

 でもその確定で、2004年以降に株を買った既存のライブドア株主は大損して、2003年12月の100株分割以前の、1株10万円台の頃から株を持っていたほりえもん+経営陣と、ライブドアの大株主になりあがるリーマンブラザースだけが大儲けして終わりと。ライブドアそれ自体が、個人投資家相手の実質1年あまりにわたる壮大な証券詐欺だったと、こう総括してもよろしいんではないでしょうか。

 ま、もしそうだとすれば、フジテレビ様におかれましては、この件に関して今後一切リアルキャッシュを使わず、制度の壁だけを利用した防衛戦を戦っていただくよう、期待する所存でございます。といっても、他人にアドバイスする前にてめーの会社がSMBCなんかに買収されそうになっている大間抜けな証券会社がアドバイザリーでは、はなはだ心許ないというのが実感ではございますが。

 孫正義の偉いところは、「お前証券詐欺師だろう」って経済界から非難されまくった時に「いや、それは違う」と果敢に実業の世界に切り込んで、その結果儲かったかどうかはともかくとして日本の消費者に多大なメリットを還元したということだろうね。だから、それまで「あいつは詐欺師だ」って孫のことを堂々とけなしていた人も、少なくとも今ではそういうことは言わなくなった。

 ほりえもんも、本当に実業家として尊敬されたいっていう思いがあるのなら、孫や三木谷のこと、もうちょっと見習わなきゃ。このまま行くと「無数の個人投資家にクビをくくらせた稀代の詐欺師」として、後世にまで悪名を残すことになっちゃうぞ。彼の価値観からすると、あまりそういった「名声」とか「社会貢献」回りの欲望は期待していないんじゃないかという気もするけどね。

12:49 午後 経済・政治・国際 コメント (1) トラックバック (10)

2005/02/17

京都議定書なんかどうでもいいよ、自然が一番

 気がつかないうちに累積PVが50万を突破。そういえば、ライブドア騒動以来、PVが週末除いて毎日1万以上来るようになった。磯崎さんのisologueも1日のPVが6万超えたって言ってるし。年末年始でしばらくアクセスが低迷してたけど、ほりえもんの燃料投下のおかげで盛り返してきてるみたいですねえ、ブログ界も。もしかしてそのためのネタだったのかしら?(笑)

 それはそうと、「極東ブログ」で3日間にわたって京都議定書関連の話題を取り上げられたfinalvent氏が「アルファブログはなぜ環境問題を取り上げないのか」というメモを日記の方に書いていた。耳が痛いですねえ。ではちょっとその話でも書いてみますか。まとまらなさそうだけど。

 これまでこのブログを読んできた人ならだいたい想像がつくだろうが、僕自身は環境問題に関心がないわけじゃなくて、むしろ前の職場でも数年前まではその話を積極的に問題提起して記事にしようとしてきたし、小さな会社から大きな会社まで環境絡みでいろいろ取材もしたし、今回も何か書けないかいろいろと考えたりしていた。

 でも結局書けなかったのは、まずマクロや経団連の欺瞞みたいなところではfinalvent氏がさらっとうまくまとめていたので、もう補足することがないなあと思ったのと、ミクロレベルに落として考えると、日本人にとって「環境」というキーワードって、あまりにも「とっかかりがなさすぎ」だってことなんだな。

 例えば、「地球温暖化」っていうのに対して日本人がまず連想するのはほら、あの「南の島が沈んじゃう」ぐらいの話でしょ?そりゃ確かに東京は昔よりずっと夏暑くなったし、日本のあちこちで「冬の雪の量が減った~」とか言ってたりするけど、だからってスキーができなくなるわけでもないし、自分が熱射病で死ぬわけでもない。南の島沈んだらちょっと悲しいけど、まあそれも自分に直接関係ないしね。

 でも、このあたりの身の危険に対する切迫感というのは海外は全然違ってるわけだ。有名な話だけど、ヨーロッパは日本の北海道よりもずっと緯度が高いところにあるわけで、そこで北極にオゾンホールが開いたら白人の皮膚ガンの発生率がガクンとアップするわけですよ。つまり、ダイレクトに命にかかわる。南の島の人たちも、観光産業がダメージを受けて国の面積が減る。

 CO2排出→温暖化ガス増大→オゾンホール、海面上昇→皮膚ガン、国土喪失てなわけで、もう自分たちの目の前に迫り来る危機だから、環境環境と叫ぶわけだ。

 しかし、世界で一番大量に化石エネルギーを消費している2つの国(米国と日本)が、とりわけこの問題に対して関心が低い国でもあるってのは、地球って本当に皮肉ですよねまったく。

 なんて、こんなところでせせら笑っていてもしょうがないので、さあどうしましょうかって話になるんですが、そこから先は極東ブログのこちらこちらこちらのエントリを読んでもらうとして、つまり「ヨーロッパの連中の言うとおりになんか、今からできっこないじゃん」というのが既に見えてるわけだ。

 となると、上の方で「いや、もう目標達成は不可能ってことは分かってるんですから」とか言ってるそばで「CO2排出削減しよーオー」なんて誰が気勢を上げると思いますか?誰もやりませんよそんなバカなこと。気勢上げるどころか、既に既得権握ってる人たちの殴り合いになってるじゃないですか。不毛すぎだよホントに。

 というわけで、例えばビジネス誌大手3誌を見ても「勝ち抜く環境経営」というタイトルで特集を組んだ日経ビジネス以外の2誌(ダイヤモンド、東洋経済)は、ニュースコラムでさえも環境のかの字にも触れてない。これが企業社会の意識の実態だろうし、僕はそれはとても賢明な判断だと思う。一銭の利益にもならない環境省と経産省の代理戦争に突っ込んでいく必要がどこにありますか。

 マーケッター的に言うと、「環境!環境!」と叫んでも客が食いついてくれないなら、目指すべき「温暖化ガス排出量削減」にもっと別の切り口で切り込んでいくまでの話である。そこでここ数年出てきたのが、ライフスタイル系で言うと「スローライフ」だったり「菜の花」だったりするし、ビジネス系では「リユース」だったり「CSR(企業の社会的責任)」だったりしたわけだ。

 つまり、なんか環境に良さげな商品を売り出したい時に、「スローライフに何とかかんとか」ってキャッチフレーズをまずつけておいて、客がいろいろ聞いてきた時に「いやぁ、実はこれって"環境"にも良かったりするんですよ(ダサイでしょ)アハハ」とか、恥ずかしそうにネタばらししたりっていうのが辛うじて許される程度なんじゃないかと。

 そういう意味では、日本の「環境マーケティング」というのは、それはそれで独自の進展を遂げつつあるとは思いますよ。欧米みたいな「切迫・恐怖感」ではなく、「上質ライフスタイル」みたいなところを原動力にしてきたのが、独特だと思います。個人的には、結構国際的競争力もあるレベルだと思うんだが。

 で、個々の商品やサービスのマーケティングのレベルでの「環境」というのは、これからも進化は続けると思うけど、しょせん数百円のランチョンマット1枚買うのにエコロジーでもそうでなくても排出されるCO2の量は大して変わらないわけで、もっとライフスタイルそのものをCO2セービングなものに変えていけないかというのが、これから数年先活発化する取り組みだと思う。

 実は昨日の「低コスト社会に必要な中小商店」というエントリは、そういう切り口を意識して書いた。誰も気づかないだろうと思ったし、気づいてもらいたいとも思わなかったけどさ(笑)。

 巨大なショッピングモールというのは、平日ほとんど非稼働だし、あれだけの空間を冷暖房し続けるというだけでものすごいエネルギー多消費施設だし、そこに買い物に行くのにマイカーで出かけなければならないというのも反環境的だと思う。表向きの利便性だけにとらわれると、ああいう資源多消費型の流通がまかり通る。

 だけど、本当にライフスタイルを資源少消費型に転換していきたいのであれば、1軒の店に食品の冷蔵庫、雑貨、実用衣料、かかりつけ薬局、交番、銀行、郵便局、役場、コミュニティーセンターみたいな機能を全部持たせて、徒歩や自転車で行ける距離のところにたくさんばらまいた方がいいに決まってる。だって、究極のエコロジー社会と言われた江戸時代っていうのが、そういう仕組みで成り立っていたんだから。つまり「庄屋」「名主」の復活ですよ(笑)。

 僕自身は、リユースビジネスの普及とか小商圏型店舗への傾斜とかは、それが「環境保護だ」とかっていう指摘をするのは言うだけ野暮だろうと思うようになったので、数年前から口にしなくなった。だけど日本の消費社会がそちらに向いていけば、結果的に大ヒット環境商品を生むよりも省資源化に役立つと思うし、実際そういう方向に向いていくだろうという確信みたいなものがある。

 京都議定書の話は、そんな中のごくごく表面的な、しかもどうしようもなく茶番な部分に過ぎない。ヨーロッパの人たちが顔を真っ赤にして叫ぶ気持ちも分からないでもないが、東洋の人間は「自然な流れ」を作ること自体が一番自然(環境)に良いと思ってるんですよ。だからあまりご心配なく。

03:11 午後 経済・政治・国際 コメント (9) トラックバック (4)

2005/02/16

低コスト社会に必要な中小商店

 久しぶりに並河助教授@埼玉大から伝統食のエントリにTBをいただいた。日本のコンビニ前史みたいな話で、非常に興味深い。

 1970年にセブン・イレブンが東京の芝(だったかな?)に1号店を出して以来、日本のパン屋・米屋・酒屋などの中小零細商店をことごとくコンビニ化してきた話は某オレ様のNHKの人気番組、「プロジェクトX」でも放映されて有名なお話ですが、その前段階にこんなエピソードがあるとは知らんかったとです。

 そのコメント欄で交わされている議論もちょっと面白いし、何より僕の専門だったところなので少し割り込んでみようかな。

 並河氏のエントリには、確か「食の伝統というのが都市設計によって作られることもある」という前置きがあったような気がするんだけど、消されたのかな?それとも僕が寝ぼけてたかしら。

 そう言えば「こち亀」の初期の頃とかを読むと、角のたばこ屋兼駄菓子屋のお婆ちゃんというのがちょこちょこ出てきたりするよね。そっか、駄菓子屋というのは江戸の町内の木戸番が発祥なのか。

 実は僕はタイに留学している時に家でたばこを売っていたことがあって、駄菓子とかたばこっていうのはちょっとまとめ買いしても大した金額じゃないし、買う人もそれを小分けして買いたいものだから意外に利益率は高いしと、何らかの理由でそこにじーっと留守番をして座っていなければいけない人にとっては割といい商売だということを知った。

 でも今の日本は、家の造り自体が通行人に開かれたものじゃないから、たばこ屋も駄菓子屋もなりたたないわね。住宅の構造問題だな。

 ただ、並河氏のエントリのコメント欄に、地方(あるいは東京の下町以外の地域)の商店街について語っている人がいるけれども、僕自身は実は中小商店の先行きにそれほど悲観的でもない。

 店の大きさというのは、その店に必要な品揃えのボリュームと、そこから上がる利益で支払える地代とのバランスで決まるというのが流通業界の定石であった。圧倒的な量の商品を並べまくっても、その店がそれほどの集客力(商圏ともいう)を持たなければ当然儲からないわけで、そんな巨大な店の地代は払えないので縮小せざるを得ない。

 ところが、最近田舎では過疎化による人口減少で、地代が(特に借地料ではなく地価そのものが)タダみたいに安くなってきた。しかも90年代に吹き荒れた大店法規制は骨抜きにされ、形骸化してしまっている。

 となると、際限なく巨大な店がガッコンガッコン林立しそうな気がするのだが、これがそうならない。なぜか?イオンみたいなところが米国並みのでっかい店を作ってみて初めて、店の広さを決めるもう1つの要素があるということに気がついたからだ。それは、「買い回りやすさ」である。

 米国人と違って日本人はちびでしかも時間にうるさい人種なので、巨大なバスケットのついたショッピングカートを押して、広大な店を数百メートルも歩き回って買い物するのに慣れていない。特に、地方に行けば行くほど歩くのさえ億劫な老人が増える。

 地代がタダみたいな田舎では、商圏人口を増やさなければ成り立たないということもあって、売り場面積数万平方メートルとかいうような巨大店がたくさんできはじめたが、これらの店に客が集まるのは週末がほとんどで、平日昼間は開店休業状態である。広大な店内を歩き回る体力のあるファミリーや若者層ばかりがお客で、体力のない老人や、時間のない勤め人が会社帰りに買い物に行きたくなるような店ではないからだ。

 数は少ないけれども、こうした傾向をつかんでわざと店舗を小規模にし、地元のパート主婦や老人の絶大な人気を集めているチェーンは、全国に現れ始めている。

 こうした動きを察知し、何とか取り込もうとしている大手流通チェーンなどもいくつか出てきているが、たとえば最近のニュースだとヤマダ電機あたりの例が思い浮かぶが、これなんか見るとなんつーか「中途半端だなあ」という印象だ。

 実はヤマダは一昨年末頃から、和歌山県や鹿児島県で1000平方メートルクラスの小型店(ヤマダの通常業態は売り場面積5000平方メートルが標準)を出店して試していたが、おそらく自社物件での出店はペイしないと判断したのだろう。それで、商品供給だけに絞ったフランチャイズ化を考えているのだろうと思う。

 だが、これは家電販売店に対する顧客ニーズを本当に把握した結果だろうかと疑問に思う。平日の会社帰りの主婦やサラリーマンが家電店に頻繁によることは考えにくいから、やはりこのクラスの店舗の主要顧客は老人だ。しかし、老人にとっては1000平方メートルの店でも広すぎる。電球1個、電池1つを買うためだけに、30メートル四方の売り場は要らない。

 顧客を老人向けに絞って成功している店は、家電にしろ化粧品にしろせいぜい100~300平方メートルの「コンビニサイズ」が基本である。食品、衣料品はもう少し規模が大きくなるが、それでも500~800平方メートルがいいところか。

 巨大店舗は、従業員のうち数人がちょっと仕事をさぼっていても店は何とか回るが、コンビニ業態の店舗は常駐する従業員が2~3人だから、仕事をかたときもさぼらせない高度なオペレーション管理が必要になる。その意味で、小型店チェーンを展開するのは大型店を展開するよりある意味でずっと難しい。

 でもそれがうまくできた企業は、団塊世代が死に絶える2030年までの25年間は隆々としていけるだろうと僕は思う。それが、少子高齢化という日本の現代の「中小小売店」の行き着く姿なんだろう。

 で、僕自身はこういう店が増えてくるのは、ある意味でとてもいいことだと思う。

 なぜかというと、1つには年寄りや忙しい人にとってより利便で優しい。ま、これは当然。あと、「地域リスク」が低くなる。

 どういうことかというと、米国でウォルマートが叩かれる理由の1つが、「出店してきて地元の中小商店を根こそぎなぎ倒しておきながら、採算がとれないとなるとあっという間に店を畳む」からだ。根こそぎなぎ倒された中小商店街が復活しない以上、その地域は生活インフラのすべてをウォルマートに依存することになる。彼らが撤退すれば、町1つ丸ごと消滅にもつながりかねない。

 その点、小規模な店がいくつもあった方が、1つ1つの店舗の撤退が地域に及ぼすリスクと影響を分散できる。

 あと、並河氏が述べた江戸時代の「町内の木戸番役でもあった駄菓子屋」のように、小規模な店舗が結果的に地域内の犯罪防止や緊急避難の拠点となり、「地域のゲートキーパー」の役割を果たすようになるというのも、理由としてはある。

 コンビニ業界は、既に昨年からこうした「セーフティステーション」化の取り組みを始めているが、こういうどこにでもある小規模店舗に商業以外の部分での生活インフラを任せるというのは、生活コストを下げるために非常に大切なことだ。コンビニと同じ数だけ、警察官を常駐させた交番を作るのとどっちが安上がりか、考えればすぐに分かる。

 というわけで、かつての中小商店は消えるかもしれないけれど、イオンみたいな巨大店で中小商店の機能は代替もできないし、ちゃんとその代わりとなるものも現れてきてますよ、という話でした。おしまい。

11:05 午前 経済・政治・国際 コメント (8) トラックバック (6)

2005/02/14

2005年の衝撃トレンド・属性のコモデティ化(その2)

 さて、コモデティ化の話の続編である。わざわざこのネタを2回に分けてひっぱったのは、そう、まさに今日が2月14日、バレンタインデーだから(笑)。

 前回エントリのようなことを考えていてあちこち見ていたらぶち当たったのが、catfrog氏のブログの一昨日のエントリである。「美人のコモデティ化」という、強烈なタイトル(笑)。お察しの通り、切込隊長ブログの2月12日のエントリ「性格の悪い美人」へのカウンターエントリであるが、隊長のエントリがタイトルに何のひねりもなく、当たり前すぎる話で終始しているのに対し、catfrog氏のこの記事のタイトルはたったの9文字の中に近代の価値論的転倒が包含されている(柄谷行人風)。

(16:45に続きを追記しました)

 しかも、衝撃的なのはタイトルだけではない。catfrog氏ご本人はおそらくネタのつもりで書いているのだろうが、内容がただのネタ・瞬間芸に終わらず、筆者の意図を超えて時代の真実を深くえぐっている。この記事は、もしかして「2005年のアルファブログ」のノミネートエントリになるんじゃないかと予感するほどだ。

 美人という属性がどうコモデティ化しているのかはcatfrog氏のエントリを読んでもらうとして、これが意外にも的はずれと言えないのは多くの人が感じるところではないだろうか。実際、catfrog氏のエントリのコメント欄にも激しく共感した女性からのコメントがいくつか寄せられている。

 catfrog氏によって「美人のコモデティ化」の例証として挙げられているのが谷(旧姓:田村)亮子であるが、僕はここに紀宮清子様(サーヤ)も加えておきたい。catfrog氏の、「酒井順子は『負け犬の遠吠え』の中で美醜に一切触れていないが、負け犬が負け犬たる主な理由が(R30注:不釣り合いに)『美人』だったことをなぜ言わない」というのは、非常に鋭い指摘だと思う。

 このエントリのコメント欄が、また面白い。

 「『亮子が結婚できたのなら、私は10回結婚できるはず』と思っている負け犬は多いと思います。」とか、「彼氏いない歴○年の一見カワイイ、モテ(でもつき合った男はことごとくだめんず)な友達が、別の友達に紹介してもらった男を『私ってこの程度なの?!って感じの人だった』と言っているのを聞いて複雑な気持ちになった」とか、なんつーか怪気炎が立ち上っている(笑)。

 このエントリを読んで、マーケティング的にR30が思うこと。

  • 「美人属性」のコモデティ化というのは、東浩紀が「動物化するポストモダン」の中で論じた、2次元キャラのデータベース化・パラメーター化が、3次元空間(笑)に拡張された結果ではないか
  • かつて男性は金&権力、女性は美貌という、互いに入手不可能な価値物の贈与が成り立っていたが、女性が金(収入)を手に入れてしまったがゆえに「美人属性」は(常に"等価"交換される)贈与価値でなく取引上の一条件に成り下がり、その価値を細かく値踏みされざるを得なくなったのではないか(つまり、「収入がこのくらいある人ならこの程度は美人じゃなくても…」などのトレードオフ要件としてもデューデリ(資産査定)されるようになった)
  • 世間的に離婚が当たり前になり、結婚当初の一時的な交換価値よりも再販価値(Resale Value)や生涯価値(Life Time Value)が重視されるようになり、俗に言う「3日で飽きる」美人属性よりも「一生続く」他の属性に評価ウエイトが移っているのではないか
 ちなみに、catfrog氏のエントリでも触れられているように、その「契約後のサービス品質」とは、まさにコミュニケーション能力のことだと、僕は思う。

 とりあえず、ここまでアップ。コモデティ化を回避する戦略(笑)については、後ほど追記します。

(16:45追記)

 さて、それでは「美人」という属性のコモデティ化が及ぼす影響及びそれに対処する戦略について、少し考えてみよう。

 前のエントリで挙げたHPやソニーに見られるような、いわゆる「○○商品がコモデティ化した(技術的・デザイン的優位性を失った)」という事態と根本的に異なるのは、「美人」という属性それ自体は独立した商品ではなく、「声音」「収入」「コミュニケーション能力」といった他の属性・能力とともに、1人の個人に属するものであるという点である。

 つまり、「美人」属性そのものは今や安定的(メガネやプチ整形によって価値が大きく変動したりしない)かつブラックボックスな(製造プロセスを独自技術等によって完全に隠蔽できる)ものではなくなり、他の属性によってトレードオフされたり、あるいは資本の投入によって加速度的に生産量(美人度)を高めることが可能(つまりeconomies of scale:規模の経済が働く)になっている。

 したがって、極めてボラティリティの高い「美人」属性に対して、正面から資本の力でもって差別化(例:グラビアアイドル)したり、速度での差別化(例:ガングロ→色白→メガネなどへの急速展開)したりできない個人は、なるべく技術リスク(陳腐化)や信用リスク(毎週の合コンで彼氏ゲット)の高い領域から抜け出して安定化させ、その上で他の属性のバンドリング戦略による経済性(モテ)を獲得した方が良い、ということになる。

 つまり、滝川クリステル真鍋かをりクラスの人はともかく、普通の女性がメガネで美人度を上げるなどというリスクテイクをしてはいけない(男性側からも同じことが言える。結婚というsubscription方式の契約に対し、「美人である」などというvolatileな価値を対価として想定してはいけない)というのが、マーケティング戦略から導かれるセオリーと言えよう。

 ちなみに蛇足ではあるが、「美人」属性のボラティリティ・リスクをavert(回避)するためには、当然ながらより変化幅の小さい、あるいは経験曲線の働く属性を選び、強化することが重要だ。

 その代表が「コミュニケーション能力」である。その強化が必要である、ということ自体はあちこちでさんざん言われていることだが、ここでマーケティング・コミュニケーションの手法に基づいてそのプロセスをまとめると、やらなければならないのは以下の3つである。(参考:マーケティング・コミュニケーションの役割

(1)認識(cognitive)の段階
 まず、こちら側の情報を開示(disclosure)し、相手に認知を求める。一般に向けたdisclosureを「マス広告」、個別の顧客に向けた選択的なdisclosureを「販促」あるいは「ターゲット広告」と分類できる。コストを低廉に抑えるためには、早期に顧客の嗜好を把握し、マス広告からターゲット広告へステップを移すことが必要

(2)情動(affective)の段階
 ある程度こちらの情報に関心を持ったことを把握できたら、次に感情部分の結びつき(linking)を強化して「何となくいい感じ」という選好(preference)、そして「好き」という確信(conviction)へとステップを踏ませる。Linkingを維持するためにも、同一のcommuityへの所属を促す(あるいはこちらが所属する)は非常に重要

(3)訴え(conative)の段階
 相手がこちらの価値を認め、比較対照されている競合製品がない(あるいはあったとしても決して売り負けない)ことを確認し、購買決定へ向けて最終的な訴求。つまりプロポーズ

 聖なるバレンタイン・デーということで、世の中には(1)や(2)の段階にさしかかっている人がたくさんいると思いますが、50年以上昔のマーケッターが考えたこの普遍のセオリーをもう一度復習して、がんばってください(笑)。

11:13 午前 経済・政治・国際 コメント (11) トラックバック (10)

2005/02/13

2005年の衝撃トレンド・属性のコモデティ化(その1)

 前のエントリでHPの話を書いたら、コメント欄に「両社のテクノロジーライフサイクルの考察を」とか「マーケッターとしての明るいビジョンを」とかのリクエストをいただいた。

 ここはマーケッター的な人あるいは社会事象をマーケティング的にウオッチするブログであり、管理人自身がマーケッターなのではありません(笑)。したがって後者のリクエストにはたぶん応えられないが、前者についてはちょっと書いてみようかしらと思って下調べをしていた。

 ところが、ネットをあちこち徘徊していた僕の前に、チンケな経営戦略論など吹き飛ばしてしまう、超衝撃的なエントリが現れた。ここではそれをご紹介したい。

 その前にまず、僕が前エントリへのレスとして考えつつあったことを(もったいないので)簡単に述べておく。HPとソニーのテクノロジーライフサイクルについてである。

 この問題は、一言で言うと「コモデティ化」の問題である。ちなみに、「コモデティ化(commoditization)」は、昨年から今年にかけてのIT分野での大きなキーワードの1つである(詳しくはCNETの渡辺聡氏の昨年7月20日の記事「コモデティ化するソフトウエア(2)」でご覧いただきたい。ちなみに、渡辺氏はHPについても昨年10月19日に「HP、M&Aから二年過ぎて」という記事を書いている。ご参考まで)。

 さて、僕は前のエントリで「HPとソニーはどこか似ている」と書いたが、コモデティ化への対応という点から見ると、1999年以降の両社が取った戦略はむしろ微妙に対照的である。

 フィオリーナ氏がCEOに就任した2000年当時、HPの主力商品はプリンター(インクジェット及びレーザー)、PC、サーバーの3つで、同社はこのうちレーザープリンター以外のほぼすべての商品で低価格競争に直面しつつあった(レーザープリンターは、本来最大のライバルであるはずのキヤノンからエンジンのOEM供給を受けることで「握って」いたため、まだ本格的な叩き合いにはなっていなかった)。

 商品がコモデティ化し、市場がコスト競争に突入すると、たいていのマーケッターが「商品の差別化・付加価値によるコスト競争からの離脱」を画策するが、僕の知る限り(デジタル分野に限らず)この戦略で成功した企業は1つもない。経験的に言って、コモデティ化する市場で生き残る戦略は、以下の2つに1つである。

  • 同等以上の機能・利便を全く異なるアプローチで実現する画期的な技術革新を生み出して、元の市場をスプリット(分割)するか、あるいは消滅させる
  • 調達・生産から流通機構までを徹底的に効率化し、究極のローコスト・サプライチェーンを作って勝ち残る
 後者はもちろん、PC市場におけるデルである。また前者の戦略の典型例は、たとえばオーディオプレーヤー(ミニコンポやCD、MDプレーヤーも含む)の市場に対してアップルがiPodで参入したアプローチなどが挙げられるだろう。

 ちなみにこの2つの戦略は、一度に両方をとってリスクをヘッジすることはできない。なぜなら画期的な技術を開発しようとすると莫大な研究開発投資が必要だが、それをすれば既存商品の価格に開発コストを上乗せせざるを得なくなり、ローコスト=ロープライスでなくなるからである。

 その意味では、大企業がコモデティ化市場で生き残るための方策として最も正しい戦略は、キヤノンや船井電機のやり口である。いわく、サプライチェーンのオペレーション効率化に全精力を注いで莫大なキャッシュを内部に蓄積し、どこかのベンチャーが次世代の市場を作りそうな技術を生み出したのを見つけたとたんに、その企業ごと買収する、あるいは提携、出資するというものだ。

 いずれにせよ中途半端な研究開発への注力は、コモデティ化市場におけるプレーヤーにとっては即死につながりかねない。HPのフィオリーナ氏は、このことに気がつくのに1999年から2001年までの2年間かかったが、2001年にcompaqを買収して何とか会社を生きながらえさせるのには成功した。僕のような外野にとっては「つまんない、普通の会社」に成り下がり果ててしまったけれども。

 一方のソニーである。ここまで読んでいただければ分かる通り、ソニーの商品展開するデジタル機器の分野は、法人向けの多いHPよりもさらにコモデティ化の激しい個人市場である。当然ながら、最先端の技術開発戦争が起こっている分野以外は、どんどんコモデティ市場の戦略へと切り替えていかなければならない。

 2000年の当時から「最先端の技術開発戦争」がどこかは、誰の目にも明らかだった。ゲーム機である。一方「それ以外の分野」も明らかだった。テレビやビデオカメラ、PCといった分野である。

 ソニーは「技術のソニー」を標榜しているからコモデティ化市場ではうまくやれないのではないか、と思う人もいるだろう。でもそんなことはない。ソニー製品がコモデティ化して高い利益率を稼いでいる商品分野はちゃんと存在する。たとえば、「オーディオケーブル」である。

 知る人ぞ知る世界だが、ソニーは量販店などで売っているオーディオ用各種ケーブルの7~9割のシェアを握っている。完全に枯れ果てた典型的な「コモデティ」の市場で、ソニー以外のプレーヤーがいないからだ(最近、松下が目を付けて再参入してきているみたいだが)。

 でも、テレビやビデオカメラといった、ソニーの「看板」だった商品までがコモデティになったとは、ソニーの中の誰も信じたくなかった。だからその効率化を自分でやるのではなく、ソレクトロンなどのEMSに工場ごと売り払ってしまい、結果的にコストハンドリングの能力を大きく下げてしまった。これが現在のソニーとHPの根本的な差につながっていると思う。

 渡辺氏がCNETのコラムで書いているように、現在のHPの課題は個々の製品分野でのコスト競争力から、その上部でインテグレートされた価値を生み出せるかということ、言い換えれば「製品・事業間のシナジー」は何か、HPらしいソリューションとは何か、というところに移ったと言える。その意味で、フィオリーナ氏が画策していたと言われる(おそらくプリンタ、PC、サーバ+その他への)会社3分割案というのは、間違った道だと取締役会に判断されたのだろう。

 一方のソニーの喫緊の課題は、(擬似的なものでもいいから)会社を分割することだと僕は思う。昨今のソニーの社内事情を漏れ聞くに、あの会社は社内のカンパニー間の風通しは異様に悪いくせに、カンパニーをまたがっての派閥争いが存在し、どこかのカンパニーが良かれと思って新商品を出そうとすると、突然他のカンパニー(の派閥)から横やりが入るみたいな風習があるらしい。

 そのくせ、クオリアみたいな利益の出るわけがない狂気のプロジェクトでは、平気でソニーのコア技術を他社の機器でも使えるようなものを発売したりもするものだから、企業としてのフォーカスというか、判断基準が完全に狂っているとしか言いようがない。昔、アイワが売り上げを伸ばすために携帯用ウォシュレットを発売したのと似たような状況に会社全体が陥っている。

 あの状態を解決するには、「コモデティ化市場の商品」と「そうでない商品」に会社を完全分割し、いったん徹底的に独立採算を追わせるしかないと思う。実際、外部企業とのJVに切り替えた携帯電話事業(ソニー・エリクソン)は、3年で見事に復活したわけだし。

 いちいち外部企業とのJVにしなきゃいけないというのも屈辱だけど、少なくとも調達・生産(EMCS)-商品企画・マーケティング(本社)-販売(SMOJ)-アフター(EMCS)という、サプライチェーンをずたずたに切り刻んだ水平分業制は止めて、いったんカンパニーに生産から販売までの全権限を委譲したほうがいいんじゃないか。さもないと、生き残れる最低限のサプライチェーンの競争力さえ自前で作れないまま野垂れ死んでしまう。

 ちょっと難しい話が続いたので、今回はここまで。

02:22 午前 経済・政治・国際 コメント (5) トラックバック (3)

2005/02/10

フィオリーナ会長辞任に思う、HPとソニーのたどる顛末

HPクラッシュ 理想の企業を揺るがした1億ドルの暗闘 HPのカールトン・フィオリーナ会長兼CEOが辞任した。(ITmediaニュース)

 やっぱりなあ、という諦めにも似た虚無感だけを、ただ感じる。米国資本主義の限界というか、そういう印象。新しいCEOは36年間HPにいる超ベテランらしいが、だからといってもう昔のHPは戻ってこないだろう。永遠に。

 フィオリーナ氏そのものに会ったことはないが、HPは昔からいろいろとおつき合いのあった会社だった。僕が最初にHPを取材したのは、横河電機との合弁会社だった「横河ヒューレット・パッカード」の時代だったような気がする。いや、もしかしたらもう分離していたかもしれないが…。その頃は外資によくありがちなギスギスした感じのまったくない、何とも家族的で牧歌的な社風の、良い会社だった。

 その後、1999年11月にデバイス・計測器部門をアジレント・テクノロジーとしてスピンオフ。分割後のHPはプリンタ、パソコンなどのコンシューマエレクトロニクスと、ソリューションビジネスの会社となった。

 この時、既に業界スズメな人たちは「おいおい、HPがデバイス・計測機器を分離しちゃったよ・・・これからHP大丈夫なのか?」と、眉をひそめて語り合っていた。

 HPは独自技術を重視する社風があった。というか、もともとの出自は独自開発の計測機器であり、むしろアジレント・テクノロジーこそがHPの伝統を最も受け継ぐ会社だ(松下電器製作所の本業だった電球製造が、今は松下電器でなく松下電工に残っていて、電工の人たちが「我々こそ松下の本家」と名乗るのと似たような感じかな)。実際、アジレントは今も昔の古き良きHPの社風を最もよく残している。

 のちにHPを2分割したルー・プラット前CEO(92~2000年)が「HPは独自技術、独自のやり方にこだわりすぎた」と話していたが、デバイスメーカーが独自技術にこだわらなくなったら、それこそおしまいである。そもそも、この2分割からHPの方向性が揺らぎ始めたと言っていいと思う。

 翌2000年、プラット会長は、AT&Tの交換機製造子会社だったルーセント・テクノロジーの社長で、一事業部長から会社を上場させるまでに育て上げたカーリー・フィオリーナをスカウトし、HPの社長に据えた。

 この頃のHPは、ソリューションカンパニーとして発展していこうという方向を、強く意識していたように覚えている。日本でも米国のHPラボの研究の一部を持ってこようだとか、ソリューション部隊に人員を大量採用しようだとか、そういうのがいろいろ動いているという話をあちこちで聞いた。今となっては懐かしいが、2000年にプライスウォーターハウス・コンサルティング(PwC、現IBMコンサルティング)の買収に乗り出して失敗したのも、こうしたソフト=ソリューション強化路線の延長線上に出てきたことだったと思う。

 だが、PwCの買収に失敗してから、「ソフトやソリューションでいくら頑張ってもIBMに勝てない」というムードが米本社上層部にまん延しはじめたらしく、日本でもスポットライトを浴びていたソフト研究やソリューション部隊が次々解散したり縮小されたりするようになった。んで、「むしろ一番売れていて収益も稼いでいるのはプリンターやPCじゃないか」って話になり、今度は突然コンシューマ・エレクトロニクスを強化しようという話になり、2001年後半に盛り上がったCompaq買収話の登場とあいなったわけだ。

 HPは当時、ソフトウエアでIBMがやっていたような「オープンシステム」と言いつつプロプライエタリな(IBM以外のベンダーに柔軟に開発を頼めないようになってる)システムの営業をぶち壊そうとしていて、当時革新的なアーキテクチャをいくつか提唱していた(今ではLinuxがあってそっちの方がずっとオープンだけれど)。正直、現場を取材していた僕としては、HPに頑張ってほしいと心の中でエールを送りたい気持ちが強かった。

 ところが、ハード強化路線に舞い戻ってからはとにかくひたすら安いパソコンやプリンターがバカスカ出てくるばかりで、応援する気がどんどん萎えていった。PCも確かに激安ではあったが、「ソーテック並みの値段で出されたパソコンの信頼性なんかあるわけねーだろボケが」と内心バカにしきっていたし、実際あれだけ「日本でPC、プリンターともにシェア挽回を目指す」とトップが言っていたにもかかわらず、社員の人たちからは明るい話がちっとも聞こえてこなかったところを見ると、内部は相当疲弊してたんだろうなあと思う。

 冒頭に表紙写真を載せた、「HPクラッシュ-理想の企業を揺るがした1億ドルの暗闘」という、米BusinessWeek誌のハイテク担当副編集長が書いたHPのコンパック買収にまつわるフィオリーナ会長と創業家(David W. Packard)とのプロキシーファイト(委任状争奪合戦)を描いたルポルタージュを読んだことがあるが、ここでもフィオリーナは「演説とマーケティングの天才」みたいに評価されていたと思うし、実際日本のHPの人たちに聞いた話でも「彼女の講演を聴くと感動して涙が出てくる」と言うほどらしい。人の心を動かし、ものを買わせたり働かせたり株価を上げたりすることには極めて高い能力を持つ人なのだろう。

 だが、マーケティングの天才が同時に経営の天才であるかどうかと問われれば、これは必ずしもイエスとは言えないのが苦しいところだ。マーケティングは自社(自分)に与えられたシチュエーション、制約条件の中で最大限の成果を上げることが目的であるのに対し、経営というのは自社に不足する資源(人材、お金、取引基盤、ブランドetc.)の何が足りないか、それを何年後までにどうやって補充し、育て、自らの競争力の中に加えていくかということを考える仕事である。

 フィオリーナ会長はその意味で、不世出の「マーケティングの天才」ではあったが、構造的業績悪化でアイデンティティ・クライシスに陥っていたHPに、経営という意味では何も残さなかったように思う。彼女が君臨した2000年9月から昨日までの4年あまりの時間は、HPにとって「HP Way」という過去の大きな経営の大黒柱を完膚無きまでに叩き壊した後の、"大きな空白"だったと総括されるのではないか。そんな気がする。

 これからHPは、どっちの方向に行くのだろう。技術競争力の源泉であったデバイス事業はもう今さら戻ってこないし、ローコスト・サプライチェーンのビジネス、ハイクオリティー・ソリューションのビジネス、どちらにも既にデルとIBMという隆々たる巨人がいて、今さらHPが出ていくような隙は残っていない。それに、コンパックを買ってしまったのれん代償却があるうちはPCビジネスを手放すこともできないし、「追い込まれたなあ」という印象しかない。誰がCEOになろうが、茨の道であることは事実なようだ。

 してみると、「就任当時はマーケティングの天才ではあったが業績悪化局面において何らビジョンを示せずに社員や世間からの突き上げを食らっている」という経営者では、フィオリーナ以外にも日本ではソニーの出井伸之会長がいるではないか。なんかこの2人、国も出自ももちろん性別もまったく違うのだけど、今置かれている状況というのは非常に似てるなあと思いましたですよ。

 最後に一言。でもフィオリーナ氏がHP会長を辞めたからといって、女性のビジネス界におけるプレゼンスが低下することがないように祈りたい。彼女が1人で支えていた部分は、相当大きかったと思うので。

(関連記事:ITmedia「フィオリーナ氏更迭の背景にあるもの」

09:53 午前 経済・政治・国際 コメント (8) トラックバック (16)

2005/02/08

マーケターというお仕事

 湯川氏@時事通信に「潰されない記者ブログ」というエントリで、「R30さんは(中略)頭のいい人なので、明快な論理と切れ味のいい文章でどんな批判も簡単に論破してしまうのだろう。」と評されてます。えーと誤解なきよう申し上げておきますが、僕は別に頭は良くありませんし文章も切れてません。批判も論破してません。好き勝手言いたい放題しゃべってるだけです。

 それでも炎上しない理由をお教えしましょう。批判コメントがついても、すぐに答えない。「放置」、これです。そうすると不思議なことに、必ずやそれを見かねた他の読者様がどこからか現れて、反論して下さいます。

 あと、僕の言い分を完膚なきまでに論破するようなトラックバックが来ても、それも放置。世の中の方にR30のバカさ加減を知っていただき、より正しいご意見の方のサイトへご案内できればそれが僕の本望と思ってますんで。そういうのを2ちゃん用語では「釣れた」とも言いますが(笑)。

 最近では、財務省ネタのエントリに見事なまでの反論を送ってきてくださった官僚系ブログの大御所、Bewaad氏なんかがそうですね。いやまじめな話、そういう方は素直に尊敬します。ちなみにそのエントリ、コメントは1つもないんですがついてるトラックバックが日本の経済・金融系ブロガーの英知を結集したような顔ぶれです。常人には頭が痛くなって半分も分からないかも(笑)。

 で、そんな話がしたいんじゃなくて、本題は別の話。「専門職と丁稚奉公」という、後輩と飲み屋で管を巻きながらしゃべった話をそのまま書いた(笑)エントリが、なんか予想外にあちこちで引用されているのでびっくり。世の中、何の話が受けるか分からない。それがブログの面白さ。

 そのエントリのコメント欄に、いろいろな方から人生相談のごときコメントが寄せられたわけだけど、なかなか皆さんの言葉が味わい深かった。

 その中でも僕が書いた「消費者にモノを売る会社はますます辛くなる」というくだりに反応して、消費財マーケティングの分野の人はどうなっちゃうんでしょう?という話がちょっと興味を引いたので、ここで改めて雑感を書いておく。

 よく、マーケターの人のHPとかに「ヒット商品は狙ってできるものではない」とか書いてあるが、僕に言わせれば「あんたがソレを言っちゃあおしめーよ」とか思うわけだ。それって「実は僕、無能なんですが」って言ってるのと同じでしょうに。

 実際のところ、これまで「ヒット商品」と言われたものの多くが狙ってそうなったものではないというのは、ある意味事実かもしれない。ただ、そういうヒット商品が今も生き残っているかというと、ほとんど見かけなくなっているのではないか。日本では米国より消費の回転スピードが速いと言われる。その理由を多くの人は「消費者が飽きっぽい」と言うが、僕は違うと思う。ヒット商品をブームにせず長く売り続ける、そういうマーケット・コントロールの能力が、日本企業には低すぎるのだ。

 これは、多くの日本企業で「マーケター」という役割の専門職が存在せず、事業企画とか営業推進とかいう部署の人が片手間にマーケティングをやっているのがほとんどであることも影響している。

 これらの部門はいわゆるマネジメント(管理職)予備軍の扱いであり、専門スタッフとは思われてないから、部長や部門長や役員、場合によっては社長や会長が開発中の新商品の中身などにどんどん口を挟んでくる。そいつらはみんな、当たれば「俺のアドバイスのせいだ」と手柄にしたいし、失敗しても現場の責任にして埋めてしまいたいからこそ、実質的にはマネジメント直轄でありながら、責任の所在を不明確にしやすい組織にマーケティングの仕事をあてがうのだ。

 専門職といっても、マーケターの仕事の大半が社内の様々な部門との調整やすり合わせ、根回しだったりするのは、これは当たり前の仕事である。よく学生で「マーケター志望です」とか言う奴がいて、よくよく話を聞いてみると自分の思いついたアイデアを事業にできるからというのが理由だった、みたいな話があるが、それはとんだ勘違いだ。

 マーケターの主たる仕事というのは、突拍子もないアイデアを考えつくことではない。世の中のマーケティング・コンサルタントと呼ばれる人を見ると、クリエーティビティー溢れるアイデアマンに見えることが多いが、それはほんのほんの上澄みの部分だけである。言うなれば、巨大な氷山の水面上に出ている部分というか。あれは、営業上のカムフラージュなのだ。

 マーケターが毎日やることというのは、緻密な市場調査、データ収集、エクセルでの分析、退屈なインタビューとその解析、進行中のプロジェクトの抜け穴潰し、そしてどうしようもなくわがままで理不尽な顧客対応である。業種によってはこれらのどれか1つが生活のほとんどになる時もある。

 例えばあるコンビニ向けの雑貨卸会社の話を以前に聞いたことがある。その会社の「マーケティング担当」の社員の仕事は朝から晩までパソコンに向かい、エクセルを使って商品アイテムの売れ行き動向を分析し、1ヶ月先までの需要予測と発注、取引するコンビニ各店舗への納品数を決めることだった。まさに24時間パソコンに使われる生活。そこの社員の離職率は異常に高いので評判だったが。

 ま、これはかなり極端なケースではあるが、実際ほとんどの企業のマーケティングというのは気の狂いそうなほど単調でめんどくさく、それでいて緻密さと粘着性の要求される仕事である。それを延々積み重ねて、それだけでは解決できないある段階まで到達したごくごく限られた者だけが、学生のイメージする華やかな「アイデアの飛躍」を許され、「凄腕マーケター」として世の中にその名を知られるチャンスを与えられるのだ。

 こんな大変な仕事、「専門職」としての誇りでも与えられていなければ、到底やっていけない。だから実際多くの会社は「将来経営者候補なんだから」というアメをぶら下げられた文系管理職があてがわれて、でも彼らもめんどくさくてそこまでやりたくないから「結局ヒット商品なんて狙ってできるものじゃないッスから」とか言いつつ手抜きして、それで売れないと責任をうやむやにしてどこかに埋めてしまうのである。ヒット商品が出ないのはお前らのせいだよ、そこのうやむや手抜き野郎め。

 突拍子もないアイデアを次から次へと口にし、生産部門や営業部門に尻拭いさせて遊び回るだけのマーケターを社内に増やす必要はもちろんないが、セオリーに従った市場調査やデータ分析をとことんやり抜き、マーケット・コントロールにプロとしての責任を持つ「マーケティング専門職」というのは、特に消費財を扱う会社は必ず抱えなければいけないコア人材の1つだと思う。

 ところが、日本で組織としてそういう人材をきちんと育てている会社というのはほとんどない。たいていが親方と弟子の間の口伝か、外部のコンサルタント依存かである。世界的に有名なマーケター養成企業としてはP&Gがよく挙げられるけど、僕は最近は松下電器のマーケティングの仕事が、日本企業では群を抜いて良いと思っている。マーケター志望者が今目指すなら、松下のP&Nマーケティング本部が穴場かも。

 IT関連と違ってマーケティングは組織文化として根付かせないといけないものでもあるので、新商品を作るたびにそこらのコンサルタントに頼んで間に合わせてというだけでは、長期的な企業の文化風土には結びつかないと思う。その意味で、今後は社内大学など教育研修充実のニーズは高まるだろう。

 あと、最近はIT関連の影響か、「技術マーケティング」とか言われて新技術の開発動向もちゃんと考えろとか言われるようになってきているので、勉強しなきゃいけないことは死ぬほど多い。向学心旺盛でしかも長期持続型の粘着質な努力のできる人でないと、つとまらない商売になってきているように思う。これからマーケターを目指すという人は、そのあたりをちゃんと覚悟してもらいたい。

 そう考えてみると、ブログのタイトルにうたってるにもかかわらず、僕みたいな飽きっぽい人間は、実はマーケティングって全然向いてないのかも(笑)。マーケターを観察するのは大好きなんだけどねえ。本質的に、自分にないものを持っている人たちに興味が湧くからかなあ。ま、そんなところで。

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2005/02/07

ガンダムを月面用建設重機と偽ることについて

 いろいろと忙しいので、今日は簡単なネタで。

 あんまり書いてると三菱粘着ヲタと思われそうな気もしないでもないが、それにしてもですね、これは何ですかこれは。

 どこまでもプロモーションのへたくそな会社がどうしてこんなことを突然思いついたのかとクビを傾げるが、電通あたりの入れ知恵なんだろうな。きっとそうに違いない。

 というか、元ネタはこちらでしょう。→「前田建設工業 ファンタジー営業部」 三菱君にマジレスするとだな、いきなり一番最初にガンダムそのものを選ぶっていうのは、どうかと思うよ。

 前田建設はコンスト(土木)中心で、重工の商材は機械全般だからっていうのはもちろんあるけどさあ。それにしても、いきなりガンダムは難易度高杉でしょう。どうせやるなら鉄人28号とか、タイムボカンあたりから始めればよかったのに。部材が「超軽量高剛性材料」っていうけど、僕昔ガンプラ作ったときの経験から言えば、ガンダムは腰部分の装甲がゴムみたいに曲がらないと、しゃがみ姿勢とか取れないんですが。あそこだけ部材違うんですか?

 しかも月面開発用の人型建設ロボット??ガンヲタをなめるのもエエ加減にせえよ(※注)。あれは当初から戦闘兵器として開発されたのだ。しかも月ぢゃない!サイド7だ!!それに建設機械が何で最初からビームサーベルとかビームライフル持ってるねん!!

 …はっ?!もしかして、戦闘兵器なのに「建設機械」と偽っている…そうか、このモビルスーツ開発プロジェクトを月の裏側のサイド3、ジオン公国に知られぬようにするのが、三菱重工様の狙いだったわけですねっ!!さすが防衛庁ご用達、(砲口以外から)火を噴く戦車の開発メーカーは考えることが深い!前田建設さんとは公権力の悪巧みに取り入るリアルさのケタが違う!

 ということはもちろん、地球連邦からの製造発注には対ジオン戦用プロトタイプとしてのガンダムだけでなく、量産型ジムやボールに至るまで継続が見込まれているということですね!!ではぜひ“東証のガンダムじゃなくてガン細胞”、三菱自動車を100%子会社化して市場から抹消し、モビルスーツの製造メーカー「ミツビシ・モビルスーツ・コーポレーション(MMC)」に業態・社名を変更してください!そうすれば就職希望の学生とか中途採用に応募する技術者もきっと増えますよ!いやむしろアキバ系中心に殺到すると思います!!これで自工さんも安泰ですね!!(TECHSIDE風)

 ってだれか14、15日の会社説明セミナーで質問してみてくれ。その後選考に進めるかどうかは当サイトでは一切保証しないけど。

(注:ちなみにR30はガンダム世代ですがガンヲタではありません。念のため)

05:24 午前 経済・政治・国際 コメント (10) トラックバック (1)

2005/02/06

専門職と丁稚奉公

 そういえば世の中は、就職活動たけなわの時期ですねえ。ついこの前年が明けたと思ったのに、早いことです。はぁ(ため息)。

 就職活動と言えばこの時期、また愚にもつかない「人気企業ランキング」などというものがあちこちで出回るわけだが、あんなもの就職先を決めるのに何の役にも立たない。就職情報サービスの会社にたくさん広告出稿した企業への表彰状みたいなもんだしね。最近は大学の就職説明会回りとホームページだけで中小企業でも結構優秀な人を集められるんだし、就職情報サービス会社への広告出すのなんか、くだらないからやめちゃえばいいのにね。

 今どきの学生に直接話を聞いたことって正直あまりないからよくわかんないんだけど、僕の時代とは全然違うってことだけはとてもよく分かる。

 僕の時代の就職活動って言えば、だいたい大学のゼミ(文系経済学部)から行くところってば都銀(金融機関)・商社・マスコミあたりと相場が決まってて、ときたま重電やエネルギーなどの大企業に行く人がいる程度。金融機関でも外資系とか、あるいは売上高1000億以下の会社に就職するなんて言ったら「ハァ?どこそれ?」みたいな顔されたわけです。

 今の学生には、そんな「大企業幻想」なんて全然ない。なんせ一番頭がいい奴が行くところはマッキンゼー、BCGなどの戦略コンサルか外資系投資銀行と相場が決まっている。そこまでいかなくてもそこそこできる学生の関心事は「どういうキャリアパスを想定して就職先を選べばいいのか」であって、大企業に一生勤め上げようなんて気はこれっぽっちもない、らしいですよ。

 それで注目を浴びるのが企業に所属しなくても食っていける「手に職のついた人」、すなわち「専門職」というキャリアなわけだが、これがくせものだ。特に、将来は出産でキャリアを中断しなければならないかもしれないと考える女子学生ほど「手に職」を求める傾向が強いと思うのだが、そもそも目に見える「手に職」っていうのは存在するのだろうかと、自分自身社会人としてつくづく思う。

 そりゃー、何十年と積み重ねたものがないとできない職業っていうのはいっぱいありますよ。医者とか弁護士とかっていう「士業」がその代表みたいなやつだし、そうじゃないものでも、いろいろあるよね。これに対比されるのが、典型的な例で言うといわゆるサラリーマン、事務屋さんとかかな。

 でも、何十年と積み重ねたキャリアがその仕事になくてはならない商売っていう定義で言うと、実は「大企業のサラリーマン」こそがまさにそれなんじゃないかっていう気がするよ、僕は。

 なぜって、大企業のサラリーマンっていうのは、毎日社内政治するのが仕事なわけだ(もちろん、生産的な仕事もちゃんとしてるけど)。偉くなればなるほど組織内の調整業務が多くなって、会議と書類作りとに忙殺されるようになる。それがいいことか悪いことかは別にしてね。

 で、そういう仕事っていうのは、たとえばシステマティックに学習可能なスキルとしての「マネジメント」を学んだところで、絶対にできない。その会社の過去何十年の歴史とともに生き、○○事業部の△△部長は俺の元部下だった、××事業担当の◇◇専務ならあの人の若い頃の話をいろいろ知ってるから話つけられるよ、そういう「しがらみ」を振り回すことでしかこなせない仕事がたくさんあるからだ。

 そこそこ歴史のある日本の大企業が、部長以上のマネジメント職にまったく何の関係もなかった外部の人間を突然迎えるなんてことを絶対にしようとしないのは、それがその企業にプロパーとして入って何十年積み重ねた奴にしかできない仕事のポジションだからだ。まあ、だからこそ彼らはリストラとかで社外に放り出されると、まったく何もできない人になっちゃうんだけれども。

 医師や弁護士みたいな、法律で定められた資格職と「大企業の管理職」という仕事以外のほとんどの職業は、別にそんな特殊なキャリアって要らないんじゃないだろうかと思う。そういう意味では、「手に職」をつけたいっていうのは、ほとんどの職業あるいは就職先を選ぶ時の選択基準にはならない気がする。

 ただ、それじゃあ「特定の企業を離れても食っていける人になるにはどうしたらいいのか」っていう質問の答えになっていないので、「やる気と根性があれば人間たいていのことはできる」っていうことはまず前提として置くとして、どんな人になれば「特定の企業に所属しなくても食える」のかということを考えてみる。

 最近じゃ、言われた通りのことさえもできない奴が増えているので、それは当たり前って言い切ってしまうのもどうかと思うが、言われた通りのことができればフリーターレベルの仕事にはありつける。

 そうではなくて、大企業でも中小企業でも「正社員として雇いたい」と思う、つまり割高な給与と(仕事のあるないにかかわらず)持続的な雇用をある程度保証しても囲っておきたいと思う人っていうのは、並河助教授のブログの言い方をそのまま引用すれば、「人と話し合いつつ現場でその日その日の困ったことを何とかする能力」を持った人のことだろうね。分解すると「コミュニケーション能力」と「問題発見・解決能力」ってことかな。

 では、そういう能力を身につけさせてくれる企業ってどこ?という話になると、「そんなところありません」というのが結論かも(笑)。正確に言うと「今はもうありません」かな。

 昔、少なくとも僕が新卒で入社した頃までは、先輩や上司にすっげえおっかない人とかねちっこい人がいて、学生気分で入社してきた僕らのプライドと小賢しい問題回避能力(笑)を、完膚無きまでに粉砕してくれて、社会人の流儀というのを鉄拳でもって教えてくれたような記憶がある。そんなことしてもその上司や先輩には一文の得にもならないんだけど、彼らも社会人の先達としてのプライドみたいなものがあったのだろうか、熱心にそういうのをたたき込んでくれた。

 しかしそれから人間関係はどんどん希薄になり、新入社員に粘着して鉄拳制裁したり怒鳴りとばしたりする人はほぼ絶滅した。それには2つ、理由があったと思う。長い右肩下がりの不況を経て、そんな労力を費やしても会社が評価してくれなくなったこと。もう1つは新卒社員が、怒鳴りとばしてもそのまま凹んで、気がついたら会社辞めちゃってましたみたいな奴ばかりになって、おいそれとプライド粉砕攻撃とかできなくなっちゃったこと。

 前者の理由は「デフレ経済」「不況」で納得できるんだけど、後者の理由はよく分からない。僕はゆとり教育のせいなんじゃないかと思ってるけど、違うかもしれない。

 とにかく、新入社員に手間をかけてコミュニケーション能力と問題解決能力をたたき込んでくれる企業はなくなった。つまり、今どきどこの大企業に就職したって、それだけで世の中を渡っていける「スキル」なんて手につかないってことだ。今どき「手に職」が欲しかったら、自分で盗み取るしかないのだ。

 で、タイトルに戻るわけだが、もし「特定企業に属さなくても世の中をわたっていける」能力のことを「専門職」というのなら、それは自分で盗んで身につけるしかなくなったのだと思う。企業もそのことをよく分かっていて、世の中にある「専門職」系の仕事であればあるほど、正社員(=スキルのある人)と契約その他(=スキルない人)の給与格差が激しくなっている。

 例を挙げればきりがないほどなのだが、たとえば僕の従兄弟が服飾デザイナーを目指していて、「それってどうやったらなれるの?」と聞いたことがある。返ってきた返事は「とにかくどこかのデザイン事務所にもぐりこみ、そこでほとんど無給で丁稚奉公する。それしかない」というものだった。
 
 無給に近い「丁稚奉公」を10年近く続けないと、正社員という「親方」になれない業界というのは、伝統的なガテン系やプロスポーツなどだけでなく、これまで知的労働とされてきた分野にまで、すごい勢いで広がっている。

 知っている限りで言うと、医者や建築家、各種デザイナー、大学教授などは既にそういう世界になっている。法科大学院がスタートして法曹人口が一気に増える弁護士業界も、これから同じ道をたどるだろう。かろうじて既得権益が守られているのは会計士ぐらいか。

 そして次にそういう波をかぶるだろうなあと僕が思っているのが、マスコミ、ジャーナリズムの世界である。

 以前に映画「ニュースの天才」の批評で、米国のジャーナリストというのは、そのほとんどが専門学校を出たばかりの若造ばかりだということを書いた。米国のジャーナリストというのは、年収300万円以下の丁稚奉公を5~10年勤めて取材や執筆の技術を盗まないと、署名入りで記事が書ける「コラムニスト」にしてはもらえない。

 僕はたぶんそれが身につく前に修業を放棄してしまったクチだと思うが(笑)、ジャーナリストとしていっぱしの能力を身につけるには5~10年かかる、というのは、元朝日新聞記者のフリーランス・ジャーナリスト、烏賀陽弘道氏も自身のウェブサイトでこう語っているので、感覚的にそれほど間違っていないだろう。

朝日に限らず新聞社や通信社にいる同僚たちにはぜひ伝えておきたいのだが、新人記者になって最初の5年間くらいの初期トレーニングは、かなり強力な武器をぼくらに残してくれる。これはaccuracy checkとでも言えばいいのだろうか、記事に書くデータをチェックして、間違いがないようギリギリまで詰める実務のことだ。当たり前のことのように思うかもしれないが、ずっとフリーで育った人は、このアキュレシー・チェックが意外に弱い人が多い。人によって違うが、入社5~10年目までのトレーニングというのは、プロのライターとして渡っていくには、けっこう貴重な財産なのだ。
 逆に言えば、その能力が身に付くまでの半人前の若造が、日本のマスコミではまだべらぼうな給料をもらっていると言ってもいい。

 ここまで書いたら、たぶん多くの人は「R30は市場原理主義者だから、世の中みんな丁稚奉公になっちまえばいいっていう結論になるだろう」って予想するだろう(笑)。でも正直、僕はこれに関しては「事実世の中はそっちの方へ向かっているし、そうしないとマスコミは企業として生き残れない」という現実は直視したいと思っているけれど、それがいいと思うか悪いと思うかと聞かれると、黙るしかない。

 若いときにはタダ働きみたいなことばかりさせられて、ようやく余暇を謳歌できる時間と金が手に入った時には、人生のたいがいの楽しみは味わえない年齢になっているって、本当に幸せな世の中なのか。人間、年齢や分相応で使い切れないほどのカネをもらっても、悪いことをするだけだろう。誰もが必要な時に必要なだけのお金が手に入る暮らしの方が、どんなにか人間的だと思うのだが。

 とはいえ、僕自身は「特定企業に属してマネジメントになれるまで数十年の歳月を積み重ねる」という生き方に幻滅を感じてさっさと放棄してしまった人間だし、特に「手に職」もついてないので、これから数十年先までニートとかにならずにまともに生きていけるかどうか心許ない。

 したがって就職活動をしている学生たちに贈れるような言葉も持ち合わせてないわけだが、一つだけ言えることがあるとすれば、「とりあえず最初に社会に出る時には、法人相手のビジネスしている大企業に入っとけ」ってことぐらいだろうか。

 消費者からカネをもらう会社はこれからどんどん辛くなる時代である。有名じゃなくてもいいから、大企業相手に商売しているそこそこの大企業に入っておけば、とりあえず「手に職」になりそうな何かを盗むまでの10年間は何不自由なく養ってくれるはずだ。僕みたいにそこから転がり落ちて外に出ることは、その気になればいつだってできるのだからね。

 なんか、何が言いたいのかよく分からないのにどえらい長文になってしまった。皆さんゴメン。

02:51 午前 経済・政治・国際 コメント (11) トラックバック (8)

2005/02/04

トップ人事へのコメント3件

水曜日に記事をアップできなかった償いを少々。隊長風のエントリを試してみる。

三井住友・西川社長が辞任へ(Yomiuri Online)

 UFJへのTOB合戦は単なるMTFGへの営業妨害かと思ってたが、違ったというわけだな。実は三井住友の不良債権問題が噴出するのを隠蔽するための戦略だったと。で、そこに金融庁も気がついて裏から締め上げたと。

 しかし、この程度のことはゴールドマン・サックスの持田社長様に泣きつけばどうにでもなったと思うのだがな。西川君もついに尻の毛までむしり取られて持田君に見放されたか。これからSMBCは厳しくなるな。日本の金融の中心は野村との結託を模索するMTFGと、無手勝流でクレディ・セゾンとかアライアンス組みまくったみずほグループに収斂か。南無。

(13:00追伸。NIKKEI.NETが打ち消し報道「三井住友FG、社長辞任報道『全く白紙、事実無根』」をアップ。香ばしくなって参りましたw)

社長は「現場の独断」と強調 JFEスチール排水投棄(asahi.com)

 満を持して社長交代を発表したばかりなのに、いきなりこれですか。なんかすごく臭うな。新聞内示が出たあとでの暴露だから、下垣内現社長周辺の陰謀とかそういう筋じゃないだろうな。社長交代のどさくさ紛れに乗じて、といったところが真相だろう。

 しかしそれにしても有毒物質の垂れ流しを10年間隠蔽してきたっていう、雪印や三菱自工並みの不祥事に、社員や管理職にも責任を取らさず、社長も辞任しないっていったいどうよ。JFE叩きになりかねないんでないの。社長は知らなかったって言い張るんなら、少なくとも現場社員と管理職のクビははねないとだろ。

 それができないってことは、…もちろん数土君が責任取るっていう意味だよね?あ、責任って言ってもJFEホールディングスの社長に異動するっていう責任じゃないよ(笑)。ていうか、ごまかさずにトップ全員辞めろ(怒)。

三菱自新会長「しっかり経営すれば将来明るい」(NIKKEI.NET)

 んなわけねーだろ!と突っ込み入れたくなる能天気ぶり。現場の社員及びグループ金融機関担当者諸氏の激烈な心労が推察されます。南無。

 前のエントリで「三菱自工はスリーダイヤグループの取締役候補の廃棄処分場になった」って書いたけど、重工の西岡会長が新たにトップになるって発表を聞いて、読みが全然間違っていたってことに気がついた。

 はぐれバンカー氏のブログで裏事情について解説されているのでそっちを読んでいただきたいが、要するに前の3役は日産に工場ごと軽自動車の事業を売却しようとして、西岡の虎の尾を踏んじゃったわけだ。で、飛ばされたと。

 ここまで来たら、会社として現有する信用価値に見合うだけの身の丈まで事業を縮小しなきゃいけないぐらいのこと、普通の経営者だったら分かるんじゃない?たった1年間でそこまでの話をまとめようとした3人を、「工場売却なんてまかりならん」という、それだけの理由で斬首ですか。三菱ってホントに腐ってるな。

 まあ、西岡が会長になった以上、とどのつまりは重工に吸収合併させて市場から抹消っていう処理にするんだろな。軽自動車とトラックのOEM専業自動車メーカーとして(笑)。歴史上かつてなかったビジネスモデルかもね。さしあたって1年ぐらい後がめどですか。親方防衛庁な企業はさすが太っ腹ですね。

10:32 午前 経済・政治・国際 コメント (0) トラックバック (1)

財務省の役人は救いがたい低能である件について

 なんかベンチャーキャピタル業界が大騒ぎになってるみたいだね。Richstyles!経由で知った。火元はNIKKEI.NET「海外投資家への源泉徴収方針、ファンド9社が反対」、「業界そのものが消える」と悲鳴を上げているのがこちら(小林雅ブログ)とかこちら(堀義人ブログ)とかこちら(元リップルウッドのスタッフのブログ)とか。にしても小林氏のブログ、最近ファイアーしてますな。そのうちヤバイこと口走るんじゃないかと、冷や冷やしてますが(笑)。

 その小林氏のところなどでだいたい書き尽くされてるかなとも思うのだが、この問題はベンチャーキャピタル業界だけの問題じゃないわな。実は財務省が自分で自分のクビを締めている希ガス。

 何でかっていうと、Richstyles!氏も書いているが、要するにこの課税強化というのは、取れるところからはなりふり構わず税を巻き上げたい石"ストーン・ヘッド"弘光・政府税調会長と財務省主税局のストーン・ヘッドぶりを余すところなく露呈しているからだな。

 まあ、別に今に始まったことじゃないので「またかよ財務省」って感じなのだが、しかしそれにしてもこのバカっぷりというのは目を覆うばかりというか目を見張るばかりというべきか。

 特に興味深いのは、今回の件が財務省の愚劣低能ぶりを2段階の鉄板論理で証明しているところである。2段階というのは、1つは、税金を取るという行為の意味を、それによって企業や個人という国民経済を支えている経済主体がプラス・マイナスどういう影響を受けるかというPolitical Scienceの観点からではなく、単に国家財政にとってカネがいくら足りねえのかというレベルでしか思考できないこと。

 Richstyles!のエントリでは、「ドラフトワン」に対する酒税税率アップという事例で説明していたが、まあ酒税に関してはそもそも税法自体が論理も何もない欠陥法だからしょうがないのだけど、もしかして主税局の担当官がたまたまマッコリとか紹興酒とかが大嫌いで、「おっ、ドラフトワンから税金ふんだくるついでにマッコリと紹興酒も潰しちゃえ、どうせ俺嫌いだし」とか考えたのだとしたらこれはまあ納得できる。ていうか納得できないけど笑える。

 だけど、今回の件は今まさにこうした独立・外資系M&Aファンドの圧力によってようやく健全でリーズナブルな市場に生まれ変わろうとしている日本の株式市場のクリーンアップのモメンタムを根こそぎ引っこ抜き、状況を10年ぐらい巻き戻しさせかねない税制改正なわけだ。

 いや、こんな言い方しても税務署での殿様接待しか受けずに育ったスポンジ脳な主税局の連中には理解できんだろうな。しょうがない。もうちょっと分かりやすくNHK週刊子供ニュース的に言うとだな、こういうことだ。

 こいずみしゅしょうは、これから5年のあいだに、がいこくのお金もちにこれまでよりもずっとたくさんのお金を日本へもってきて、日本のきぎょうのためにつかってもらいたいと言っています。ところが、こいずみしゅしょうの言うことをきかなければいけない人たちが、日本のくににひつようなお金がたりないといって、がいこくのお金もちからぜいきんをとるときめようとしています。このせいで、がいこくのお金もちはけっきょくこれまでよりずっとすくないお金しかもってきてくれなくなりそうです。こいずみしゅしょうは、きっとおこるとおもいます。どう?理解できた?

 まあ、この程度のことはポリサイのポの字も知らない財務省主流派の沙汰としては常套の話なので今さら何とも思わない。だが、仮にそれに納得してもさらにもう1つの理由で愚劣低能となってしまうのが、今回の件のすごいところだ。

 Richstyles!でも指摘されているが、主税局が課税できそうなネタを必死で探している一方で、理財局(国債の発行・管理する部局)は、郵政民営化が秒読みに入ったこともあって、これまで95%以上が国内で消化されていた日本国債を、海外投資家にも買ってもらえるようにするにはどうしたらいいか、昨年から議論を重ねてきているのだ。

 で、その議論の議事録の中に、傑作なことが書いてある。読んでもらえれば分かるが、日本の国債が海外投資家にほとんど購入されない理由として、

  • 日本の税制が複雑すぎて、非居住者(海外投資家)には手続きが面倒&高コスト
  • 利回りが低すぎる
  • 国内の"特定の投資家"(もちろん郵貯のこと)が保有しすぎていて、流動性ショックが起こるのが心配だ
  • 英語での情報開示がほとんどない
 という4つが上がっている。

 ちゃんと最初の方に「税制の複雑さが日本への投資を細らせている」って書いてあるのに、そして理財局が必死に国債を買ってもらおうと海外投資家に頭下げて回っているというのに、そのそばで「ハゲタカ野郎は二度と日本に来んな」と喚いて回る主税局。がははは。こいつら、頭イカレてんじゃねーの?下手なジョークもほどほどにしてくれよ。

 Richstyles!氏は「財務省も含めてもっと『金融のプロ』を育成してもらいたい」と総括しているが、まあ無理だわな。理財局は傍流だし、日銀と一緒にALMとか必死に勉強して金融の知識を身につけていると思うが、主税局なんてもうダメダメだ。金融のプロどころか、政策のプロと呼ぶことさえおこがましい。堺屋太一センセイじゃないが、「官僚は優秀に見える?違います。官僚は"あたまが悪い"のです!」って叫びたくなるな。

 主税局ってのはさあ、キャリアで入ったらまず全国の税務署にいきなり署長として赴任し、「若殿」とか言われながら地元企業が出来レースで献上する「脱税摘発」の実績の勲章をもって本省に帰り、それ以降はずっと税調のストーンヘッドな学者や政治家につき合わされるわけですよ。税を政策誘導のインセンティブに使うなんていうポリサイのテクニックとか、まったく知らずに法律ひたすら書かされる。そりゃ、そんな生活を数年も続ければ本人たちもストーンヘッドになるのは当然だと思うよ。ストーンヘッドのくせに「俺たちが日本の財政を支えてるんだ」とか威張りくさるからますます手に負えない。

 金融庁は、何とか財務省から切り離して外部の民間人を大量に入れたことで多少ともまともになったが、財務省の中枢である主計・主税は、もうどうしようもないんかもねえ。

 以前に、住専問題当時の銀行局長だった西村吉正氏(早稲田大学アジア太平洋研究科教授)に話を聞いたことがあるが、彼は「財務省っていうのは、いまだにインターネットでそこら中に転がっている統計資料よりもっと古いものを後生大事に抱えて政策判断している。あれで現実が分かるわけがない」と嘆いていた。

 結局どんだけ間違った政策を作っても、政治家に最終的な責任を転嫁しちゃえる以上、官僚に責任を問うことはできないし、政治家がバカだとどうしようもないし。

 うーん、なんか希望のない話になっちゃったな。せめて財務省自体にもっと民間人を入れて人事交流することはできないんか。それだけでもやればずいぶん変わると思うんだが。

03:32 午前 経済・政治・国際 コメント (2) トラックバック (9)

2005/02/01

ドンキホーテの"本音チン列"

 先週ちょっと用事があって秋葉原に行ってきた。用事はあっという間に済んだのだけど、元記者の習性で、店が建ち並んでいるところに行くとほとんど無意識のうちにふらふらと店の中に入ってあれこれ観察してしまう。

 会社に入ったばかりの頃と辞める直前の通算5年、流通サービス業界の担当記者として僕は、都心から田舎、百貨店から田舎のパパママ電気店まで、本当にいろいろな店や商業集積を観察し、取材した。店を観察する手法を科学的に学ぼうと思って、ストア・コンパリゾンの技術なんかも必死で勉強した。挙げ句に断りなしに店内の見取り図書きながら偵察してて、店長に見つかって捕まり、店をつまみ出されたりしたこともあったな。普通そこまでやる記者いねえだろっての(笑)。

 で、記者辞めても相変わらずその癖が抜けないのであちこちの店に用もないのに入ってしまうわけだが、今回本当に久しぶりに入った店があった。ドンキホーテ秋葉原店だ。

 実は僕はドンキがまだ店頭公開する前の頃の安田隆夫社長に取材したことがあって、今じゃ考えられないことだけど当時の本社のあった府中店の近くのファミレスで安田社長と3時間半ぐらいぶっ続けでしゃべっていたこともあった。新人記者の頃会った中でも、一番強烈なイメージの残っている経営者の1人だった。

 ドンキの秋葉原店は、もともとラオックスのアソビットCITYの入ってたビルからラオックスを追い出して、2~4階の3フロアに昨年8月にオープンした。ラオックスがアソビットCITY撤退の会見で「特に不採算だからということではなく、ビルの所有者の都合で…」と言葉を濁していたから、どうしたんだろうって思ったんだが、今から思えばたぶんドンキがビルの持ち主を口説き落としたんだろう。ドンキ恐るべし。

 今じゃあそこら中にドンキがあるんで秋葉原店も別に珍しくも何ともないが、あの店はつい先日ちゆ12歳さんところに放火予告のカキコがあって警察から問い合わせが来たりして、ちょっとした騒ぎになったことで覚えてる人も多いんじゃないだろうか。

 個人的に言うとドンキは全然肌に合わないので、プライベートでドンキに目的買いに行くことはあり得ないんだけど、ふらふら歩いていたら目の前にあったので(笑)何となく入ってみた。たぶん、たまたま耳栓が買いたくてドンキなら売ってるんじゃないかって思ったのと、「秋葉原のドンキって、いったい何売ってるんだよ」っていう興味がちょっと沸いたからだと思う。

 ドンキの店に入って1時間以上かけてMDを眺めたのは何年ぶりだったか。渥美俊一大先生あたりに言わせると、ドンキなんてストア・コンパリゾンするに全く値しない店の一言で切り捨てられるんだろうけど、僕にとってはドンキの何たるかを改めて、いや新たに認識させられたといってもいいぐらい、ものすごく衝撃的で面白かった。

 何が衝撃的だったかって、3階の衣料品売り場である。エスカレータを上がったところすぐのところから左奥にかけての照明が、何だか普通のところと違う。蛍光灯にわざわざピンクの色フィルムがかけてある!つまり、3階のそこだけなぜか秋葉原の他のどこにもない、怪しい雰囲気が漂っているのだ。

 なんでここはピンクの照明なんだ、と思いながらエスカレータを降りて棚を見た瞬間に、意味が分かった。踊り場すぐ左の、まず最初に目に付く棚は上から下まで「全身編みタイツ」とか「透明エプロン」とか「ゴスロリ風メイド服上半身だけ」とか、そういうすごいコスチュームが並んでいる。棚の角にはマツケンとギター侍の着流しが飾ってあるが、回り込んで通路を進むと、再び「女の魅せパン」というタイトルの、各種のギリギリ系(笑)下着が幅5mぐらいの棚にびっしり。

 で、通路の反対側はというと、通路沿いのエンドには「チャイナ服どれでも2着3990円!」とか、セーラー服、スチュワーデス、ミニスカポリス、ヒョウ柄ブラ&パンツなどが所狭しと並んでいる。もちろん、バカ殿のお面とか「男女両用」のセーラー服&金髪カツラとか、明らかに宴会芸用のアイテムもあるわけだが、宴会芸アイテム売り場なら照明をわざわざピンクにする必要はない。

 売り場を見渡すと、男女のカップルがいちゃいちゃして「どうする~?」とか言いながらセーラー服とかチャイナドレスとかを手にとって眺めてる。それを見て僕は心から感動した。2次元やフィギュアに萌えてる奴らがウヨウヨしてる秋葉原でこういう商売が成り立つとは思わなかったよママン。

 食品&雑貨売場の2階もすごい。1Fのパチンコ屋「アイランド」横のエスカレータを上ってすぐ目の前にあるのが売り場の中で一番目立つ、巨大な「スキン」の棚である。それも、裏にはベビー用品とかが入れてあるじゅう器の、わざわざスキンの方をエスカレータからフロア中央に抜ける主通路に向けて置いてあるのだ。スキンてのはさあ、一番目に付かないところに並べるのが定石だろ。パパ、うっかりその棚の前で立ち止まって振り向いたとたん、飛び上がりそうになっちゃったじゃないか。マジで勘弁してクレヨ。

 2階で心臓が止まりそうになり、3階で後ろめたい気分にさせられ、4階の家電売り場まではとうとうたどり着けなかった。予想するに、4階もバイブレーターの棚がエスカレータ上がってすぐのところにどかーんと置いてあるんじゃないか、きっとそうだよ。まるで女の子だけがいない風俗店だよ、ドンキ。

 思うに、ああいうズバリ人間の本音に訴えかけるMDというか陳列というのが、ドンキのドンキたるゆえんなのだろうな。消防法適用で圧縮陳列できなくなっても、ドンキは生きていけるような気がした。流通業界では、よく「百貨店はハレ、コンビニはケ」なんて言うけれど、ドンキの「ケ」ぶりはセブン・イレブンも真っ青だぞ。でも、あのケは栗先生もブログで言ってるように「女の子を連れていっていちゃいちゃできる」ケだよな。セブンの店内でいちゃいちゃできないけど、ドンキならできる。確かに。

 考えてみると、世の中でドンキ並みに「本音チン列」(笑)のできてる店って、ないと思うんだよね。下半身を計算し尽くしたマーチャンダイジングとサービスのある店っていうのは、例えば歌舞伎町のフィリピンパブとか、すすきののキャバレーとかはそうだけどさ、物販で下半身計算し尽くした店って他にないでしょう、さすがに。

 マスコミもドンキを「規制破壊の旗手」とか持ち上げるんならさ、そろそろドンキのことをバカの1つ覚えみたいに「圧縮陳列」って表現するのやめて、「本音チン列」(しつこいw)とか呼べばいいんじゃないのかな?世の中的には「圧縮=延焼の原因」みたいに思われるようになっちゃったし、しかも今のドンキの競争力の核心はもう圧縮陳列じゃない気がしたし。

 実際、よくよく見たら1つ1つの商品が安いわけでもないし、相変わらず僕自身はああいう下品なMDの店には好き好んで行かないとは思うけど、やっぱりドンキの陳列ノウハウって、日本の中ではたぐいまれな競争力があると思うよ。秋葉原であれはどうよ?っていうのはもちろんあるけどな(笑)。

02:20 午前 経済・政治・国際 コメント (5) トラックバック (0)

2005/01/31

クビ大なんてマジでどうでもいい

 首都大学東京(クビ大)の話で、Remember309さんのブログから大仰な内容のエントリのトラックバックをいただいた。

 それによると僕の前回のエントリの内容を「日本の歴史・文化的背景を理由に、クビ大よりも都立大のような大学の方が、公立大学としては、不要であると主張されているようだ」とご理解されたようなので、ちょっと補足しておこう。クビ大も都立大もぜんぶ不要だと思ってますが、何か?(´ ∀ `)

 なんていうか、クビ大話というのはあまりにもケチを付けるべき要素が多すぎて、いわゆる「難波OK通りを疾走する突っ込みどころ満載のトラック」みたいなところがあって、困るのである。

 本当は関係者全部に悪口を言いたいのだが、関係者全部そこそこに知能が発達していらっしゃる方々ばかりなので、あっちの悪口を言うとこっちの人が「それみたことか、やっぱり俺たちの言い分が正しいんだ」とか意味不明の悦に入ってしまう。

 それで「(日本社会の要請とかヒトラーとかその他いろいろな理由で)本質的に日本には公立大学なんて要らねんだよゴルア」とか申し上げてみた次第だったのだが、どうも僕のご説明が低レベル過ぎたようで、それでもやっぱり誤解されてしまうようだ。頭のいい人たち、恐るべし。

 本当のところ、僕個人の立場としては彼ら(ヒトラー&スターリン、東京都庁、クビになる&ならない大学関係者の方々)全員にこうした論点に気がつかずに、そのまんまさりげなく逝っていただいた方が実は大変ありがたいのであるが、一方で頭の良すぎる人たちを見ると絡まずにいられなくなってしまうという卑しい性の持ち主でもあるので、ブログのネタとして晒してみたい。

 クビ大の批判ポイントは無数にあり、しかもそれが次元の違う論点として折り重なっている。ちょっと整理しておくと、以下のような感じだと思う。

  1. 国公立大学そのものの存在は是か非か
  2. 仮にそれが是として、従来の都立大をぶっ壊す(COE追放、人文潰しetc.)のは是か非か
  3. 仮にそれが是として、クビ大という再編の方向性は是か非か
 これまでのクビ大批判を見ていると、この3つのレベルの批判がぐちゃぐちゃになっている。

 remember309氏を初めとするクビダイ・ドットコム関係者の方々は、2.や3.についてはそれなりに議論を深めているようだが、2.や3.の主張を支える前提である1.について語っている人が誰もいないように見えた。なので僕が1つめの論点を提示して差し上げたという次第だ。

 日本で国公立大学そのものの存在意義(おフランス語で申し上げるとレゾン・デートル)がもはやないという件については、僕のような回りくどく諧謔的な表現を読み解かなくても、極東ブログの1年半も昔のこのエントリあたりが非常に的確かつストレートに述べているし、社会背景はそれ以来何も変わってないので、そちらを参照されたい。

 極東ブログの記事に付け加えておくならば、まあ今さら言っても詮無いことではあるのだが、本来もっとも適切な都立四大学の再編方法は「民営化」であった。

 もっと分かりやすく言うと、あんたらのやってることは郵貯と同じですよと、こういうことだ。存在そのものが高等教育の市場原理を歪めている。もちろん、郵貯に比べると月とスッポンぐらいの違いですがね。哲学的に言えばスッポンだろうと何だろうとおかしいものはおかしい。

 だいたい、内田センセイの今日のブログでも書かれているが、ただでさえ今の私立大学は少子化で30~40%が実質無試験、応募さえすれば入れるという状況に追い込まれている。その上さらに税金で賄われる学費格安の公立大学が、横から学生を奪い取ってどうしますか。どうして誰も「民業圧迫」って指摘しないのだ。

 論点の2.については僕は意見を言えるだけの情報がないので、態度を保留する。あえて一市民として言うなら、「内田樹という知性を生んだ環境がなくなるっちゅーのは、なんとなく残念だねえ」という程度だ。経済学のCOEとか、マジで超どうでもいいし。

 で、3.の論点について僕なりにちょっと述べておきたい。仮に公立大学にそれなりの存在意義があるとして、では彼らはどちらの方向へ向かえばよかったのか?という話だ。

 なんか、中央に政府の立てた総本山があって、その門下生を大量に吸収し続けなきゃいけないので地方に税金でボコボコ箱作って、気が付いたら少子高齢化で客がどこにもいなかったって、これ医療の世界とそっくりだな。医療機関は、近くになければときには命にかかわる分、なんだかんだ言いつつ地域にとっての必要性は高いけど、大学なんてなくても命にまったく別状ないし。

 「知識の集積」が必要というだけなら、東京でも大阪でも大都市に出れば、いくらでも有名な大学はある。ということは、恐らくこれからの公立大学というのは、保有する専門科目のどれもが日本で5本の指に入るレベルだぐらいの自信がない限り、「知の集積」なんてものを売りにして成り立つと考えてはいけないということだ。

 その意味で、クビ大が目指す第一の方向、つまり「実益重視」で経営学や法学の専門大学院を充実させるというのは、明らかに間違っている。

 MBAスクールなんて、首都圏だけでも一橋や慶応を筆頭に早稲田、法政、立教など名だたる国私立大学が死にものぐるいで力を入れ、収益化しようとしている。民業圧迫という批判はさておいても、クビ大ごときが今さら参入して勝てるとでも思っているのか。都庁職員への割引サービスで学生数を確保しようと思っているのかもしれないが、そんなことをすればただでさえこんな大学構想を考えついてしまう都庁職員の損傷した脳みそを、なお一層劣化させるだけだ(笑)。

 ではどうすればとなるが、実益重視がダメならカルチャーセンターを目指すしかない。ここで問題になってくるのは、前回エントリにTBを打ってくださった並河助教授のブログでもご指摘の通り、「互いに相手を意識して関係ができれば、教えるという行為がまったくなくても学習組織として成り立つ」という現実である。したがって大学経営上の課題は、別に研究能力の高い教授がいるかどうかなんてどうでもよくて、学生に対してそういう「関係」を与える場をどう作るかということになる。

 石原都知事が言うように、かつてそれは「同じ釜の飯を食い、酒を酌み交わして論じ合う」という旧制高校の文化として存在していたこともあった。だが、都知事は最近の若者の実態を知らない。今どきの若者を1つの部屋にぶち込んで食物とアルコールを与えても、恐らく彼らは自分のパソコンやゲーム機に向かって黙々1人遊びするだけである。その程度のことで交流や教養が深まると思うなど、まったく笑止千万だ。現代の若者の卓越したニート的コミュニケーション拒絶能力をなめてもらっては困る(笑)。

 せいぜい可能なのは、石原氏の知り合いの知識人にボランティアで精力的に教壇に立ってもらって、石原流の「教養」とやらを振りまいてもらうぐらいだろう。石原プロが全面バックアップして渡哲也とか舘ひろしとかが講義すれば、タレント教授を一目見ようと南大沢周辺のジジババがたくさん受講しに来そうだな(笑)。ま、それにしたって、最近NHKまで使い始めた「三色旗ソリューション」の発動には、はるかに及ばないだろうけど。しかもこの戦略は、石原氏が知事を辞めたらその瞬間に大学そのものも意味がなくなるという諸刃の剣。

 話が少し脱線したが、要は都知事の思いこみと世間のトレンドに何となく便乗して大学をいじっただけで、今の公立高等教育ビジネスにどういうブレークスルーが可能なのかといった検討がまったくなされてないとしか思えないのが、今のクビ大の実態だ。別に大学教員がサボってるんじゃないのとか、そういう問題ではない。頭の良いRemember309氏も分かっているように、「仮に実益重視という観点に立ったとしても(あるいはカルチャーセンター化を目指すとしても)、クビ大構想がいずれ破綻するというのは、明白」なのですよ。

 そんなわけで、僕としては石原都知事には財政難でも何でも理由にこじつけて、クビ大を存続させようとしたりせずに、早いところ潰したり売却してもらいたいと考えるものである。別にクビ大がやらなくても、教養ある市民を育てる役割は他の誰かがやる。ていうか、「クビ大が、どのようにして終わっていくかの実証的な検証」なんて、マジでどうでもいいよほんとに。頼むからそういうくだらない後ろ向きなことに都民の税金使わないでください大学の先生方(笑)。

01:30 午前 経済・政治・国際 コメント (8) トラックバック (17)

2005/01/29

中国の社会的起業家?

 昨日、秋葉原に行ってiPod mini見たらすごく欲しくなった。でも新しく買った携帯の電話番号を移すヒマもないぐらい忙しいのに、iPodなんか買ってたら生活破綻しそう。今の仕事が一段落してから考えよう。

 さて、先日絡みエントリを書いていろいろと騒いだインド洋津波関連での寄付の話だけれど、そう言えば少し古い話だが、国境なき医師団や国際赤十字が相次いで「十分お金が集まったので募金やめます」宣言を出したらしい。津波もすごかったが、その後の寄付の津波も国際的には負けず劣らずものすごかったようで。そんなことを考えつつ、今回の津波とは直接関連はないのだけれど、非営利組織ネタを書いてみたい。

 とあるところで、中国のNGOについての話を聞く機会があった。中国のNGOと聞くと、まずちょっと中国のことを知っている人なら「政府の縛りがあれだけきつい国で、NGOなんて存在するのか?」と思うところだ。まったくその通りで、つい最近まで中国にはNGOというものはほとんど皆無だった。

 ところが、ネガティブとポジティブ、2つの要因からここ1~2年の間に、NGO・NPOが急速に中国人の関心を引くようになったらしい。

 ネガティブな要因というのは、国内の地域ごとや階層ごとの貧富の格差があまりに激しくなって、社会的な不安が増していること。一方、ポジティブな要因は、そういった社会問題の解決に取り組むことそれ自体を事業にする「社会的起業(Social Entrepreneurship)」というのが、どうも欧米やら日本にはあるらしいということを彼らが知ったことだ。

 「日本に社会的起業の事例がある」という認識自体には、結構反論が出そうだ。たとえば、日本では圧倒的多数のNPO・NGOが「福祉・介護」の分野におけるものなので、ほとんどはボランティア集めてお年寄りや障害者の面倒見てるだけだと思われている。まあ、実際のところそれがほとんどだ。

 だから、社会的弱者の保護でお金を集めてちょっとでも超過利潤を出したりすると、いくらそれは活動を広げるために再投資するんですと説明しても、「弱い人々を食い物にして儲けている」といった批判にさらされる。ましてやそこに「社会的起業」みたいな言葉を持ち出してくると、「奴らはどうせエセ宗教団体かアカい政治勢力に違いない」みたいな偏見で見られてしまう。日本で「社会的起業家」と名乗って成功するのは、「ベンチャー起業家」として成功するより100倍は難しい。

 だが、中国の場合はNPOにも「お金を儲けること」自体にもまったく偏見がなくて、むしろ「え、お金を儲けながら社会的弱者を助けることもできるの?素晴らしいじゃん!」みたいな感動が、社会的起業に対するイメージとしてあるようだ。つまり、自分でビジネスを興すことを夢見る多くの人たちにとって、「目の前にある貧困や差別を解決」できて、しかも「商品・サービスの売り上げだけでなく、寄付や公的資金も収益に組み入れられる」という社会的起業は、新しいSMB(Small and mid-size Business)の開業手法として魅力的に見えるものらしい。

 その話を聞いていて、僕は結構複雑な気持ちになった。

 日本で「社会的起業」の話が盛り上がったのは、僕の実感だと2001年頃からかなあと思う。町田洋次氏の「社会起業家」が発刊されたのが2000年11月。その本によれば、Social Entrepreneurの概念が初めて示されたのは90年代後半の英国だというから(本当か?という気はするが、ここでは検証はしない)、まあそれほど昔からあった話ではないだろう。

 もちろん、その前段階では、米国におけるベン&ジェリーやパタゴニア、スターバックスなどに見られるような「社会的責任を果たす会社」の考え方があったはずで、社会的起業とそのブリッジとなったのが、1998年に発刊された森孝之氏の「『想い』を売る会社」あたりだろう。

 その後、ETIC.の主催でソーシャル・アントレプレナーのコンテスト「STYLE」が始まって大盛り上がりしたのが2002年4月だから、社会的起業家というのはちょうどネットバブルとその崩壊とパラレルに生まれたタームだと思って間違いない。

 で、じゃあいったい日本においてはその後どうよ?というと、たかが3年やそこいらで世にとどろくような大成功者が出てくるわけもないのだけれど、それにしてもETIC.の育てた起業家インターンの学生がビジネスを始めて大成功したという話も聞かないし、既存のNPOセクターが影響を受けて活性化したという話も聞かない。NPOに関しては、なんかもう80~90年代前半までの話が手あかの付いた「成功事例」として紹介されるばかりで、新しい話は何も出てこない。

 思うに、ETIC.もそうだが、日本のちょっと山っ気のある若者は、社会的弱者やその歪みをことごとく世の中から隠蔽する日本の“きわめて優秀な”行政と、そのニッチを占拠してお山の大将よろしく既得権を主張する既存のNPOとに阻まれて、社会的弱者を助けるような事業を自ら興そうとは、思わなかったのだろう。

 僕は、そういう若者が日本にいなかったわけではないと思う。だが、彼らは自分のエネルギーを発揮する場所として、社会的起業の代わりにITベンチャーを選んだのではないか。

 シリコンバレーのテクノロジーベンチャーと違い、ソフトバンクや楽天などはテクノロジーそのもののアドバンテージを追求する代わりに営業力や規制突破力、そして巧妙な財務戦略をその事業コアとした。だから、逆にネットバブル崩壊以降も生き残り、既存の社会ヒエラルキーをぶっ壊したい野望を持つ若者を吸い集めたのだ。残念ながら日本では、ITベンチャーの方がNPOよりも若者にとっては魅力的だったのである。

 中国でこれから社会的起業家というのがどのくらい選択肢として有効たりうるかは、正直なところまだ分からないけれども、経済格差や社会的な歪みという点では日本の比ではないし、くだらない既得権を主張するNPOも存在しないという意味では、中国で社会的起業が今後ちょっとしたブームになりそうな気もしないでもない。

 で、その彼らの言うには「だから、欧米や日本の『社会的起業』の成功例を、なるべくいろいろと知りたい」のだという。日本では手あかのついた事例でも、海外に“輸出”すると大きな価値を持つという事実を聞くと、ここ10年近く大したイノベーションもないことを省みるに忸怩たる思いがあるのだが、でも先進国になるということはそういうことなのだろう。

 そして、幸いなことに最先端の電子部品製造装置などの技術特許の類いとは違って、NPOや社会的弱者支援のノウハウなど、途上国にいくら盗まれても痛くもかゆくもないどころか、「最初に井戸を掘った人」として感謝されるものである。となれば、ここは手あかの付いた成功事例でも何でも、精一杯相手に恩を売りつつ「これは日本発のノウハウで~す」と中国に売り込みまくるのが、日中関係改善の有効な手だてと言えるのではないだろうか。

 というわけで、その話を教えてくれた友人は、社会的起業(笑)ノウハウ移転のためのNPOのウェブサイトの運営業務を助けてくれる人(もちろん有給スタッフ)を募集しているそうな。ここはちょいと、切込隊長にならって人材募集をしてみたい。

 以下の条件で働いてみたい人は、こちらの団体のウェブサイトから、事務局長に連絡を取ってみてください(事務局長は日本語ができます)。僕も、この団体の活動に今後少しずつ協力していこうと思っています。

  • 毎日2~3時間程度を、コミュニティーサイトにおける日中英3カ国のユーザーの問い合わせや団体のスタッフメンバーからのリクエスト対応、サイト保守に費やせる方
  • ちなみに、そのやりとりは半分以上が英語なので、英語の読み書き能力は必須(中国語はできれば良いが、できなくても問題ない)
  • 今すぐできる必要はないが、phpベースのウェブアプリケーションをある程度理解でき、ちょっとしたサイトのデザイン修正などもできる
  • 月給13~15万円、オフィスはとても小さいので基本的に在宅勤務を希望、ただし東京で月1~2回程度の打ち合わせに出席できる方

03:51 午後 経済・政治・国際 コメント (4) トラックバック (0)

2005/01/26

首都大学東京に思う、大学は何する所ぞ

 内田樹センセイのブログ回りで、首都大学東京、通称「クビダイ」の話が盛り上がっている。元都立大仏文科の助手だった内田氏が、「大学に文学部なんかいらねんだよ」とうそぶいた石原“スターリン”慎太郎都知事と、東北大学長時代に自分の研究室に学生が本を持ってくるのを禁じたという西澤“ヒトラー”潤一学長を、すごい勢いで罵倒している。

 門外漢にもなかなか楽しい文章なので、地方から東京の大学を受験しに来ようと思っている甥、姪のいたりする人は、彼ら彼女らに間違ってもクビダイを受けさせないようにアドバイスするためにも、ぜひ読んでおきたい。

 内田教授の言うことはいちいちもっともなのだけど、彼の書いたエントリにあちこちから張られたトラックバックを読みあさりながら、何か頭にひっかかるものを感じた。

 いったい何だろうと思っているうちに、このブログとかこのブログのエントリ及びそのコメント欄でのやりとりが、その「ひっかかり」の原因かなあと思うようになった。

 つまり、大学改革を議論すると必ず出てくる論点なのだが、そも大学とは何をするところなのか、という話である。

 リンク先のブログでは、「大学って、『効率』だけを求めて良いのだろうか」という言い方で問題が提起されている。でもね、これは経営学のターミノロジーで言うと明らかに「誰もそんなこと聞いてない」類の問いですよ。首都大を肯定するつもりなんてさらさらないが、少なくともこのような言い回しの問いを立てた時点で、大学人の共感は集めても世の中の人の共感は決して集められないだろうね。

 それが何かは知らないが、大学も1つの組織である以上、何らかの目的を持った存在だろう。だとしたら、その目的を達成するために(常識の範囲で)なるべく少ないコストで(つまり効率的に)運営するのは、別に企業だろうが大学だろうが同じように努力すべきことである。内田教授だって「効率的であるべきではない」なんて、そんなことはブログに一言も書いてない。仮に「目的のない存在であること」が大学の目的…と主張するなら、そもそもそういう組織に税金をつぎ込むこと自体、世間の建前上は認められないだろうし。

 では、大学とは何をするところなのか、言い換えれば「どういう目的を持って存在するのか」ということについては、正直言って、日本は今端境期に来ているんではないかと思う。

 元々日本の属する東アジア儒教文化圏というのは徹底的にプラグマティズムを重んじるので、「芸術」とか「学問」それ自体を敬い、慕うという考えはなかった。古代中国では天文学、測量術、代数学など実益的な学問が飛躍的な発展を遂げたが、古代ギリシアで最も重視された幾何学、形式論理学、弁論術など「学問のための学問」みたいなものはほとんど進歩しなかった。また、芸術という点でも写実的な彫刻様式を完成させたギリシアに対し、中国にはインドから仏教と結びついた美術が導入されるまで、まともな芸術がなかった。

 日本も元々芸術なんてのは中国からの舶来芸術か、そうでなければ能、歌舞伎などの大衆芸能しかなかったのが、明治維新を迎えて西洋の学問体系を必死に輸入する中で、学問や芸術それ自体を権威の象徴として敬うべきという文化が一緒に持ち込まれたのである。

 西欧における学問観というのは、まさに貴族のそれであって、そのことはよく引き合いに出される言い方で言えば、Study(学問)school(学校)という単語の語源が、ラテンギリシャ語の「何もしない、ヒマである」を意味するStudium(ストゥディウム)skhole(スコレー)であるということからも推察できるというものだ。

 東京都が掲げる、実益重視の公立大学改革(破壊)計画にロジカルに反論しようとしてもなかなかうまくいかないのは、日本人の多くが、明治以来日本が官主導で押し進めてきた西欧的価値体系の輸入が、結局きちんと社会に根付かなかったことを暗に認めてしまっているからではないだろうか。

 その意味で、Shig氏のブログのこのエントリについた、remember309(T)氏による「フランスの教育では、『人文学』は、もっとも重視されていました。政治家も官僚も、並ならぬ文芸的教養の持ち主です。こういうものを潰すというのは、むこうでは、軽蔑されます。」という、歯ぎしりの聞こえてきそうなコメントこそが、この問題の本質をかいま見せてくれているように思う。

 つまり、首都大問題で見えてくるのは、社会に実益をもたらさないものは何であれ一切不要という「儒教的プラグマティズム」か、それともヒマを持て余す者だけが最高の教養を持つと信じる西欧的な「貴族的skhole至上主義」か、公的高等教育機関はどちらを目指すべきなのかという根本が揺らぐ、現代日本の知の構造そのものなのだ。

 芸術系のNPO活動をしている人たちにとっても、これは結構シリアスな問題である。彼らは、自治体から公的な補助金をもらうために、自分たちがどれほど社会のために役立っているかを毎年毎年、予算編成の時期になると必死に役人に説明して回らなければならない。「芸術は社会に必要だ」という大前提に理解のある役人が担当者ならそれほど苦労しないのだが、そうでない役人が窓口に出てくると、もう大変である。最後には泣き喚いたり一銭の儲けにもならない福祉施設向けサービス興行を提案したり政治家センセイの名前を出したり、もうあらん限りの大騒ぎをしてやっと予算を通してもらう。涙ぐましい限りである。

 これに対して、フランスやオランダでは、極端な話、「私は芸術家です。こういう芸術活動をします」という申請書を出すだけで、政府が1年分の生活費を支給してくれるらしい。フランスではそういう“芸術振興予算”が年1兆円以上あるらしいが、政府は「年1兆円程度でフランスの文化的価値を世界に発信してくれるピカソみたいな芸術家が10年に1人も出てくれば、国として十分ペイする」と思っているのだそうな。うらやましいね。

 でも、これからの日本社会の思潮を考えると、流れとしてはよりフランス的になっていくというよりは、どんどん明治以前に回帰していくように僕は思うのですよ、経済も社会も文化も。

 だとするならば、市民の税金をつぎ込んで運営する高等教育機関には、中小企業の工場労働者とか100円ショップの店員を育てる役割を持たせるべきだ、というヒトラーやスターリンの主張も、それなりに理解できる。むしろ問題は、1940年代ソビエトやドイツではなく2000年代の日本に、そういう高等教育機関で教育を受けたいという世間の側のニーズがあるかどうかの方だろう。これについては、内田教授は「歴史的失敗を遂げるだろう」と予言されているが、僕自身の考えはまた別の機会に譲りたい。

 というわけで、大変悲しいことではあるけれども、「大学はStudiumskholeの場であるべき」と考える方々は、既に芸術系の人たちがやっているように、そういう考え方を理解してくれるパトロンのいる場所(私立大学とか、大金持ち個人の主催する研究所とか)に逃げ込み、生き延びる戦略を考えるべきだと思う。「こんなことじゃ日本はどうなっちゃうんだ」みたいなことを言うのが、一番見苦しい。どうなっちゃうもこうなっちゃうも、内田教授みたいな人が減って100円ショップが増えるというだけのことでしょうが(笑)。僕らみたいなちっぽけな存在が、天下国家を憂えて吠えててもしょうがないしね。

 それに、フーコーだってデリダだって、ギリシア以来の正統派西欧哲学をあまりにも罵倒しすぎたため、本家フランスの論壇ではキチガイ扱いされてまともに相手されていなかったというではないか。公的資金をもらう立場でいながら、世間の常識に反することを唱えていたいと駄々をこねるというのは、真の学究者としては少々考えがぬるいのではないかな。電波飛ばしたいならブログだけにしとけって(笑)。

 ま、1つだけはっきり言えるのは、これだけ豊かになった日本に、税金で丸抱えの公立大学なんてもう要らないってことですよ。クビダイ、逝ってよし。

(15:10追記:コメント欄で文中の語法に間違いの指摘がありましたので訂正しました)

11:09 午前 経済・政治・国際 コメント (16) トラックバック (10)

2005/01/24

いっそ四半期に一回の更迭でもよろしいんじゃないでしょうか、三菱自様は

 書くだけで不愉快な気分になるので長らく無視していたが、お久しぶりな三菱自工ネタが。ここまで来ると、もう三菱グループ内の取締役候補のババ抜き祭りの様相だなあ。

 以前にこのブログ(の前のブログ)で「初めて筆頭株主が自社の利害だけを考えてくれる人になったんだから、社員ともども心入れ替えて頑張って下さい」って書いたのが確か5月ごろだったかと記憶。それからたった半年で実は投資銀行(とヘッジファンド)だけ大儲けさせて5000億円をどぶに捨てたことになったんでトップ3人更迭って、何よ。

 いったい岡崎会長以下の3人は、どうすりゃ良かったっていうのさ。三菱グループの首脳さんたちは、安全性に関する信頼が完全に地に墜ちた企業の作る「クルマ」という商品の販売を、トップ3人クビすげ替えただけで半年後には回復させられるとでも思っていたんだろうか。あり得ないよそんなこと。株のトレーディングじゃねえんだからさ。あんまり消費者の記憶力をなめんなよ。

 それとも、5000億円つぎ込んだのに株価が昨年前半までの水準に戻らないことに腹を立ててるのか?だったらそもそもJPモルガンと共謀してわざわざ株価下落を誘うようなさや抜きのディールを仕組んだ、筆頭株主フェニックス・キャピタルの安東代表(三菱自工事業再生委員長)こそが責任取って辞めるべきだろ。

 実際のところ、1000億円近くを内外の投資家から集めて出資したフェニックスは、これでメンツ丸つぶれだし、3人と前後して辞めるかもな。驚異的なスピードでの人材使い捨て、三菱グループ恐るべし。

 今後の展開を予想してみよう。重工、商事、銀行から次々と「社長レースに敗れた」幹部が自工に放り込まれる。自工プロパーの優秀な人間も、親会社の人身御供に差し出される。そのたびに工場の追加閉鎖とか人員リストラとか手っ取り早く売れる事業の売却とか、その場しのぎの手を繰り出すが、半年から1年経つごとに業績はさらに悪化。で、そのたびに「経営の責任をとって」とか言って、経営トップのクビを飛ばす。

 かくして50~60代の社長候補でババを引いた奴、次々と引退。親会社3社の実権を握る人の取り巻き以外はどんどん「泥沼」への片道切符を渡されていなくなる。三菱自工が中身スカスカ、事業ガタガタのブラックホールになる頃には、三菱グループの役員の平均年齢は10歳ぐらい若返る、と。めでたしめでたし(笑)。

 ま、何でもいいんだけど、既に三菱自工なんてこの世に存在する意味なんか限りなくゼロに近くて、超新星が自分の重みに押しつぶされて白色矮星からブラックホールへと潰れていくように、ひたすら小さく小さく自重で押し潰されていくしかない会社だから、これ幸いとばかりに憎き政敵を放り込んでやれとか社内政治家が考えたとしても不思議でもなんでもない。

 ならば、いっそのこと半年とかかったるいこと言ってないで、四半期ごとにトップを交代させてみたらどうか。会長、副会長、社長の3人を地獄送りにできるわけだから、政敵処理の能力も1年間で12人、スピードは2倍にアップだ。ついでに自工のリストラ・切り売りスピードも2倍にアップして、この世から消えるまでの時間も半分に短縮できるというメリットもある。いかがでしょう。この案、ぜひご検討下さい>三菱グループ首脳各位

 それにしても、一番ちゃっかりしてるなあと思うのは我らがカルロス・ゴーン大先生だよなあ。三菱の中で一番まともでコスト競争力もある軽自動車事業だけ「提携以上でも以下でもない」とか防御戦張りながら取引をどんどん増やしておいて、三菱の側に切り売りするものがなくなりかけたところで「従業員の雇用だけは保証してあげよう」とかもったいつけながら二束三文に値切り倒して買い取っちゃうつもりだよ、きっと。すごいなあ。

 他にもちっちゃな事業とかいろいろ持っていたりしそうだから、世の中の皆さんは欲しい事業があったら「まずは提携しましょう」とか何とか言い寄ってこっそりデューデリやっておくようにね~。資本提携までしたらいざという時足が抜けなくなるから大変だけど、そうならない程度に他社より先に唾つけとけば、後々いいことあるかもよ!

 というわけで、三菱自動車のニュースを精一杯明るい内容でお伝えさせていただきました。チャンチャン。

01:48 午前 経済・政治・国際 コメント (2) トラックバック (2)

2005/01/21

あおぞら信託買収で1700億円の財布を手に入れる(はずの)ソフトバンク

 忙しくてブログ書いてる場合じゃないという悲鳴があちらからもこちらからも聞こえて参りますが、で私もヤバイぐらい忙しいわけですが、そう書いたら「ブログ書いてるくせに忙しいふりすんじゃねえバーカ」とか煽られたので歯を食いしばって書き続けてやるぞちくしょう。

 前の記事で「ヤフー(とソフトバンク)は当面キャッシュの流出になるようなM&Aをするつもりはないだろう」と書いた矢先に、ヤフーが100億円以上出してあおぞら信託を買収するというニュースが飛び込んできたので、ちょっと追加エントリを書いておきたい。

 さっそく切込隊長氏がこのニュースで「ふーん。」というやる気のない感想を表明してるが、なかなかどうしてこのニュースは非常に意味深である。

 いずれ消えてしまうNIKKEI.NETの記事(こちらこちら)を要約しておくと、以下の通りだ。ヤフーはあおぞら銀の100%子会社であるあおぞら信託(資本金50億)に130億程度を出資(あおぞら信託があおぞら銀に対して発行する新株及び普通株転換予約権付き株式(なんだそりゃ??)を買い取り)、3月末までに66.6%の株式を保有して子会社化する。あおぞら銀は信託をネット専業に転換してヤフー上でコンテンツやオークションによって動くユーザーの資金の流れ(月間約660億円)を取り込み、収益化を目指すと。

 同じ銀行への出資でも、今回と前回(オリックス、東京海上とともにあおぞら銀へ出資し、2003年に株を売り払った件)とでは、意味が全く異なる。前回は大証とナスダック・ジャパン構想をぶちあげる中で、「ナスダックに来た会社にはお金も借りられますよ~」という見せ金、言い方が悪けりゃ誘い水として買ったわけだ。で、ナスダックJがぽしゃったんで要らなくなったから売っちゃった。

 今回の狙いは、実質的な「ヤフー銀行」の設立である。いや、マジで多分3月に金融庁が出資を認めたら「ヤフー銀行」に社名変更すると思うよ、彼らは。今ジャパンネット銀行などにそっくり取られているオークションの参加料決済とか代金決済とかイー・トレード証券での新株売買とかを、全部ヤフー純正サービスで乗っ取るつもりなんだな。JNB様、ご愁傷様。三井住友様、さようなら。

 月間660億円もの決済業務が新しい銀行に雪崩れ込んできたら、手数料0.5%としたって年間30億円以上の売り上げがすぐに稼げる。今からまた新銀行設立だのどーのって金融庁や政治家センセイたちともめてもめてもめまくる手間を考えりゃ、殻を買うための130億の資金なんて、安いものだよ。ホッホッホ。

 ここまではだいたい想像が付くわけだが、気になるのはこの先だ。こっち方面は専門家の切込隊長氏も書いているように、現在ソフトバンクはブロードバンド事業の収益性という点では1人負けに近い。資金調達も今は隊長が言うような「風呂敷を使った市場からの吸い上げ」が利かなくなり、金融機関のシンジケート団からのコミットメントラインや、海外機関投資家に向けたユーロ建て社債発行などにシフトしてきているのが実情だ。

 とすると、ここで銀行業務を子会社の傘下におさめるというのは、当然「ソフトバンクにとっての財布」が1つ増えることを意味する…んじゃないの、という話になる。

 ヤフオクに依存しまくりで成功した決済専門銀行であるジャパンネット銀行の昨年9月中間決算を見てみると、経常収益(いわゆる売上高)が半期で50億、経常利益、純利益ともに赤字だった昨年同期から黒字に転換している。半期の営業キャッシュフローが1185億。ヤフー全体で半年に動くカネは4000億ぐらいだから、そっくりそのままだとすればJNBはヤフーで2~3割のシェア持ってるわけだね。ま、だいたい想像に近い水準だ。

 うぉーと思ったのは、JNBの総資産が3120億、預金残高が1700億円っていう点だね。僕がソフトバンクグループの経営者ならここでこう考えるだろう。「ヒャッホウ!見ろよ!ヤフー公認銀行作ったら、何も考えてねーオークション参加者とかプチ株式投資家とかが、俺たちに1700億円も黙ってカネ貸してくれるんだゼ!やるっきゃないだろ!」

 なんか、昔ダイエーが銀行団から融資を受ける際に財務をよく見せようとして、ある日突然期末決算書の中に「レジの中に入っているお釣り用の現金 ウン百億円」という項目が追加されていた、みたいな話を彷彿とさせますな。いやそれはチミの財テクに使っていいおカネじゃないんだけどなーっていう(笑)。

 というわけで、130億円の銀行免許買収資金はもの言わぬ消費者から1700億円ぐらいのお金を黙って俺様のものにするための準備金であるということをご説明申し上げた次第でございます。どこまでも頭の良い我らがIT革命の同志にして偉大なる指導者、孫正義様マンセー。

09:58 午前 経済・政治・国際 コメント (0) トラックバック (5)

2005/01/19

ヤフーはブログサービスを買収するか

 奥一穂氏のブログ経由で、米Internet Stock Blogの「Yahoo! to acquire Six Apart?(ヤフーはシックス・アパートを買収するか?)」という記事を見た。

 こういう完全な飛ばし、というか100%憶測だけで記事が書けるところがブログの素晴らしい(笑)点である。しかもそのノリそのままで、引用した奥氏は「日本ではどうなのか?ヤフーが買うとしたら、やっぱり、はてな?」などと、風説を流布しまくりだ。さっそく僕も悪ノリして風説の流布に荷担してみたい。

 ご存じとは思うが、シックス・アパートとはもっともメジャーなブログアプリケーション「Movable Type」を開発した会社で、日本でもネオテニーと合弁で日本法人を作り、@niftyココログなどのサポートを受託している。ブログ業界でほぼ唯一「儲かっている」会社かもしれない。

 その米親会社が先日、米国でブログホスティング大手「Live Journal」を買収し、自社のホスティングサービス「Type Pad」とあわせて650万人のユーザーを抱える、業界最大手のホスティングサービスになった。ところで皆さん、検索マッチング広告におけるYahoo!のライバル、Googleは「Blogger」を既に買収している。MSNは「スペースブログ」を始めた。ヤフーにはブログサービスってありませんよね?じゃあヤフーがシックス・アパートを買うなんて時間の問題じゃないですか、というのがリンク先の元記事の内容である。

 僕でも10秒で思いつくような単純な理由だけでこんなにも断定的な風説を流布させるわけねーだろうと思い、POP辞書とか使って一生懸命英文を読んでみたが、本当にそれだけしか書いてない。アホかこいつ。もうちょっと謎めいた話でも書いていてくれれば、こっちもあれこれ謎解きでいじって楽しめたのに。

 この際、未上場企業であるシックス・アパートがどういう株主構成になっていて、株主がIPOやら売却といったエグジットをどこまで考えているかは問題にしない。その上で、ヤフーにとって本当にブログホスティングあるいはブログアプリケーション開発の会社を今買うメリットがあるかどうか考えてみよう。

 InternetStockBlogのロジックはこうだ。広告の市場規模、単価ともに急成長している検索マッチング広告において、より多くのカネをかき集めるためには、よりたくさんのブログを広告出稿先として「直接」抱えなければならない。なぜなら、ブログユーザーは自分のブログに入れるキーワードマッチング広告がGoogle AdsenseなのかOverture Precision Matchなのか、そんなことはどうでもよくて、要はブログの開設と同時に契約できて口座が開ければいいのだ(米国では、TypePadが既にAmazon.comのアフィリエイトをブログ開設と同時に契約できるようにしている、とのこと)。

 もしブログ開設と検索マッチング広告契約とを同時にできることが、検索マッチング広告市場におけるシェアを左右するのならば、検索マッチング広告で稼ごうと思っている企業はブログホスティングサービスでもシェアを取らなければならないことになる。だから、ヤフーはシックス・アパートを買収しにかかるだろう、というものだ。

 なんていうか、まるで電機メーカーに対して「彼らが自社製品を最もたくさん売るには系列店で売るのが一番楽だ。だから家電量販店を買収するにちがいない」って言っているような無茶さですな。んなわけねー(笑)。だったらAmazon.comもブログサービス持たなきゃいけなくなっちゃうじゃん。

 確かに、大手ポータルでブログサービスを持ってないのはヤフーだけになったっていえばそれはその通りだけど、じゃあ米GoogleのトップページにBloggerへのお誘いメッセージとリンクが貼ってあるかというとそんなものないわけだし、OvertureなんかそもそもまだAdSenseみたいなブログに貼れる広告さえやってないわけだし。OvertureがAdsenseやったら、「両方どちらでも使えます」ってうたうブログホスティング業者が絶対出てくるだろうし。

 まあ、米国のヤフーのポジショニングについてはよく分からない(そうは言ってもやっぱり広告の垂直統合を目指すつもりなのかどうか)のだけれど、「日本のヤフーがはてなを買うのでは?」という奥氏の予想に至っては、まず今の状況では絶対あり得ないと思う。

 はてなが株を売るかどうかは別としても、そもそもブログユーザーというのは、最大手のライブドアでさえ20万人、はてなが10万人、その他にも数万人を擁するサービス業者が10社ぐらい並んでいて、端的に言って「どんぐりの背比べ」状態である。その中でよほどマーケティング、技術上のアドバンテージがあるのでもない限り、ヤフーがどこか1社にカネをつぎ込んで買収するなんてことは考えにくい。

 それに、津田ふみかの日記のM&Aアーカイブあたりを見ていただければだいたい分かるが、今の日本のヤフーは親会社ソフトバンクの通信関連投資資金を捻出するためのキャッシュ・カウ(金のなる木)扱いされていて、新サービスに対する自前でのM&Aはほとんどしていない。

 むしろここ数年の同社の動きで目立つのは、リクルート(Yahoo!リクナビ)やブライダルネット(Yahoo!ウェディング)など、外部の企業とのアライアンスである。これらはいずれも、外部の企業を“買う”のではなく、ヤフーの持つ圧倒的なリーチ、PVを外部の企業にまとめて“売る”ことで収益化しようという意図のほうが強いように思える。

 ブログは必ずしも「広告-コンテンツ-ユーザー」という3つの間に垂直統合の関係ができるかどうかが明らかにもなってないうえ、米親会社が買収したOvertureの営業戦略が広がってこないことには収益化できるかどうかも分からない。となると、PV稼ぎ以外のメリットが見えない中で日本のヤフーがブログ関連企業への積極的な投資に動くとは到底思えないというのが僕の結論だ。

 彼らが腰を上げるとすれば、ブログホスティング業者がある程度淘汰されて、残った企業のどこかと組めば、ユーザー、PV、収益などをうまくシェアできると見た時だろう。正直、そうなるまでにはまだあと2~3年は少なくともかかる気がする。…あれ、風説の流布に荷担するつもりだったのに、反対の結論になっちゃった(笑)。

 まあ、確かに今のヤフーのメニューに個人HP、スケジューラー、掲示板、メッセンジャー、出会い系など主要なインターネットツールが一通りそろっている中でブログが入っていないのは違和感があるかもしれないよね。だけど、「横綱相撲」を取るプレーヤーが乗り出してくるほどには、ブログというのはメジャーでも何でもない世界なんだと思うよ、きっと。

 あと、もし万が一ヤフーがブログ買うとしたら、はてなじゃなくてヤプログとかの方がいいんじゃないかなあ。雰囲気からしても、ヤプログの方がヤフーと親和性高いと思うけどな。絵文字とかあってカワイイし。ま、これは蛇足。

11:28 午前 経済・政治・国際 コメント (3) トラックバック (9)

2005/01/14

寄付文化が知りたきゃ米国の爪の垢でも煎じて飲め

 毎度ながらブログを始めたばかりの人のところに難癖つけるエントリばかり書いていて、弱いものいじめみたく見られそうでちょっとアレなのだけど、さすがに堂々とトラックバック送ってこられたら黙ってるわけにもいかないので。

 「ニュースを読む 未来を読む」というブログで、僕の「国際人道援助の投資戦略」のユニセフに関する解説の一部だけを引用して、僕の意図とまったく逆のことが主張されているので、この際くぎを刺しておきたい。

 このブログの著者のgauya氏という人物はどうも寄付を集める民間団体というのはみんなオウム真理教と似たり寄ったりの宗教団体であるという理解をされているようだ。ま、NGOに対するこの手の不勉強さというか不信感というのは40代以上の人には割と一般的に見られることなので、恐らく彼もそのような一般人だと思うが、「(欧米に比べて)日本の民間の寄付が少ないかどうかはっきりしない」などという変な予見でもって僕のブログを引用しないでもらいたい。

 内閣府あたりのデータを調べてもらえば分かるが、確か僕の調べた範囲では、日本の寄付の総額は米国の10分の1もないのである。イギリスやドイツにも劣る(はず)。先進国としては「恥」と言えるレベルで「少ない」。これははっきりしている。(1/22追記:朝日がスマトラ島沖津波関連の寄付だけまとめた記事が出ました。ご参考まで)

 理由は簡単である。大金持ちの遺産寄付がほとんどないからだ。米国の寄付のほとんどは死んだ、あるいは生きている大金持ちからの寄付である。

 以前(確か2002年)に米BusinessWeek誌が「社会に貢献した資産家・貢献していない資産家ランキング」という、日本の納税者番付も真っ青な露骨な特集を掲載していた。1位は妻を自分の名前を冠した財団の理事長に据え、エイズ予防から芸術活動までさまざまなNGO、NPOに莫大な寄付をしていたビル・ゲイツ。ウォーレン・バフェットやアンドリュー・グローブなども上位に入っていたと思う。みんな1年間に「億ドル」単位の寄付をしている大富豪だ。ちなみに、ワーストの1位は自分がどんな寄付をしたか一切明らかにしないオラクルのラリー・エリソンCEOだった。

 日本の富裕層による寄付が少ない理由も簡単だ。大金持ちから寄付を引き出す「営業努力」をする団体というのが、ほとんどないからである。

 なぜないかと言えば、理由はこちらのブログなどを見てもらえば分かる。寄付金の所得税控除を受けられる資格を持つ一般人相手の非営利団体は、日本赤十字やユニセフなど指折り数えるほどしかない。それ以外のほとんどは企業が自社の社会貢献(+税金逃れ)のために役所に大金を積んで設立した財団だ。そんな団体が金持ち相手に寄付集めの営業などするわけがない。

 かくして、一般人の寄付を集めるのは菊のご紋を背負った赤十字か、国連を初めとする海外のコングロマリットNGOの息のかかった集金専門NGOと相成るわけである。こんちくしょう。

 活動のための資金を本当に渇望しているさまざまなNGO・NPOは、オウム真理教みたいな奴が入ってきたら大変だ(というのは建前で、実際には中央政府を経由せずに国民が自分の所得から公益目的の資金を大々的に動かし始めたら大変だ)と考える財務省の分厚い壁によって寄付金控除の資格を得られず、スタッフはかすみを食って野垂れ死ぬというわけだ。

 したがって、「ニュースを読む」ブログが引用している町村外相の意見も、gauya氏同様に全くの見当違いも良いところである(実際は質問した記者が不勉強なだけなのだろうが)。確定申告するサラリーマンがほとんどいない日本で1万円の寄付控除枠引き下げなどしても無意味だ。政府が本気で民間寄付を増やしたいのなら、「寄付集めの営業努力」をする非営利団体の数をもっと増やせ。つまり寄付金控除が受けられる資格を、一般の特定非営利活動法人にまで拡大せよ。それだけの話である。

 あと、gauya氏に本当はぜひ読んでもらいたいのだが、「日経ビジネス」の購読者限定ウェブサイトにブルッキングス研究所の谷口智彦研究員のコラムがあり、その1月7日付の記事「『半旗全体主義国』とブッシュ氏の運動神経」で、米国ではクリントン前大統領までテレビ出演して国民(小学生にまで)に寄付を呼びかけている、という話が書かれている。読めない人も多いだろうと思うので、以下少々長くなるけど引用。

 「この番組見てる子供たちもきっといると思うんです。ぼくは8ドル持ってるよ。わたしも 10ドルならお小遣いで出せるわと、そう思ってる小さい子もいるでしょう。そういう子供たちに、わたしは言いますが、1ドルだって無駄にはならない。その 10ドル紙幣、寄付するといいよってね」

  クリントン氏はテレビのインタビューに答え、案の定こういう物の言い方をした。「案の定」というのは、子供に向けたこの種スウィートな話を大真面目にして白粉(おしろい)の臭いを感じさせない指導者がいる国は他に滅多にないばかりでなく、中でもクリントン氏くらい、そこに長けて老若男女を頷かせてしまうカリスマを持つ人はざらにない。大統領はそれらすべてを計算ずくで、クリントン氏を使ったに違いないからである。クリントン氏にあるのが人たらしの天才としたら、時宜を得てそれを使う才がブッシュ氏の側にあった。

  予想に違わず、翌日のニュースは全米各地で子供たちが立ち上がり、スーパーの店頭などで寄付を呼びかけ始めた姿を紹介した。善意のアメリカが、うなりを上げ出した。

 「寄付文化など要らない」とか寝ぼけたこと抜かす前に、こういう「善意のTSUNAMI」を起こすことにかけては決して他国にひけを取らない、というか世界で断然のトップを自認する米国の実態でも、目をこすってよく見たらどうか。そういうのをちゃんと見てたら、政府が公的資金でも出さなきゃ先進国並みの貢献もできない日本なんて、恥ずかしくて恥ずかしくて口が裂けてもそんなこと言えないと思うけどね。

 ま、gauya氏の最後のまとめ「募金は政府機関がやって、自衛隊に支援物資を送ってほしいものだ」には、まったく別の意味で大賛成ですが(笑)。どのくらい日本の政府が国民から信頼されてるかの、いいテストにもなりそうだし。それで集まった募金額が赤十字より少なかったら、マジで笑える。

12:05 午前 経済・政治・国際 コメント (8) トラックバック (7)

2005/01/12

天下の暴論的少子化対策のアイデア

 えーと皆様ごぶさたです。ブロードバンド環境が確保できなくて、ネット見るのにも四苦八苦してるR30@丁寧語仕様です。

 少子化対策の話題、ぼやぼやしてるうちにコメント20個以上つくわ、論点整理してくれたりいろいろなヒントを挙げたりしてくれる人たちがトラックバックしてくれるわで、なかなか盛り上がってますね。

 論点が多岐にわたるテーマの議論は、こうしていくつものブログが論点を提出して、それを誰かが交通整理したりと「自己組織化」されるのを待つというのもいいなあと、今回強く感じました。論争に火を付けた僕自身がそれにきちんと応えられるかどうかは、まったくの別問題なわけですが(笑)。

 今回、コメント欄における皆様の議論が読解力の足りない一部のバカを除き、あまりにも鋭い応酬の連続なので、それに敬意を表するべくここまで丁寧語で書かせていただきました。以下、耐えられなくなったのでだ・である調に転換。

 でもって全部のTB、コメントには到底応えられそうにないので、気になったものだけピックアップしつつコメント。

 当ブログを含めたあちこちでの議論の概要と各所の主張は、ぎょろぐさんとこのエントリにまとまっているので、そちらを参照のこと。

 で、最初にいちゃもんを付けた新米コンサルタントの起業日記からの反論に応えるかたちで、僕の考える少子化対策を述べよう。

> その負担の大きさについては当然考慮が必要ですが、他の予算との兼ね合いがつくならば、それもまたありでしょう。
> その優先順位のつけ方を真剣に考えるべきです

 と述べているが、何度も言うように新規の財政支出を仮定している時点で、外れ。日本人をこれ以上公的資金漬けにする案は、少なくとも僕的には検討の余地なし。

 実は従来の少子化対策の問題は、書きながら本人も気がついているように、『「少ないから意味がない」のか、「いくらあっても意味がない」のかどちらなんでしょう』ということ。つまり並河助教授の指摘している通り、ここで必要とされているカネは「アベレージ故なのか、リスク故なのか」ということなのだ。

 マクロの政策論に持っていこうとすると、この2つは「財政支出が伴う」というだけで同じことになってしまう。だけど本当は全然違う。そして行政はほとんどの場合、アベレージの部分でしか問題を解決してこなかった、あるいはしようとしてこなかった。これが、従来の少子化対策政策が機能しなかった最大の理由だと僕は思う。

 そもそも少子化は問題なのかとか、移民を入れれば万事解決とかいう指摘には、ここでは答えません。そういう議論は別のところでやってくださいよろしく。

 さて、少子化をくい止めるために必要な合計特殊出生率を回復し維持する、つまり1人の女性が人口維持に必要な数(2人)の子どもを産むためにはどんなハードルがあるか。

 結婚する前の女性にとっては、「結婚したいと思うに足るイイ男が見つからない」ということに尽きると思う。ここは少子化問題の1つの大きなヤマではあると思うのだが、極めて個人的な価値観の領域の問題でもあり、またニート、引きこもりなどにも通じるコミュニケーション論の問題でもあるので、このエントリで論じるのはパスしたい。

 次に、結婚した女性が子どもを産むかどうかについてだが、どこかで「結婚した女性が最低1人は子どもをもうける確率はかなり高い」と読んだ記憶がある。つまり今の日本では「結婚する=籍を入れる」というのはある種「子どもを嫡子と認定する」ための準備であると捉えられている部分が高いわけで、物理的な問題を抱えている夫婦でない限り、「結婚→第一子出産」のハードルはそれほど高くないと考えて差し支えなかろう。

 となると、2つめのヤマは蓮舫議員も言う通り、第一子出産後、第二子以降の出産にたどり着かない人が圧倒的に多いことであると言える。そこで、僕の思考ももっぱらこの点に焦点を合わせた。

 僕の提案する少子化対策は、以下の2つである。

1.健康保険で被扶養者を1人以上登録していない従業員の割合が30%を超える企業の法人税率(あるいは外形標準課税の税率)を、10~20%引き上げる。公共機関及び政府・自治体はこの比率を常時30%以下(できれば25%以下)に抑えることを義務づける。

2.保育園から大学まで、あらゆる教育機関で教育を受ける際の費用負担を、高等教育ほど高い比率でバウチャー(利用券)によって賄う。大学以降の教育は、教育内容にもよるがほぼ100%の公的負担とする。

 これら2つの案は、新規の財政支出を一銭も必要としない。むしろ1.などは新たな収入増につながる部分があるかもしれない。2.教育バウチャー制度は、規制改革会議などでも教育改革の側面から議論されたことがあると思うが、「少子化対策」として提案されたという話は、寡聞にしてまだどこでも見聞きしたことがない。もし似たような政策が論評、あるいは効果検証されているところがあったら教えて下さい。

 それぞれについて意図を解説しておく。

 1.は、子どもを産むか産まないか、何人産むかという個人の価値観の問題に直接政策介入せず、労働市場を通じて無理のないレベルで長期的に影響を及ぼそうというアイデアである。

 企業の労働者を20歳から59歳までで各年代とも同人数いるとすると、20代(25%)の5分の3(15%)と、それ以外の年代(75%)の5分の1(15%)までは未婚者がいてもしょうがないよね、でもそれ以上未婚者や既婚でも子どもを2人以上作らない人がたくさんいるってことは、企業として「従業員が安心して子どもを産み育てる」労働環境作りを怠っていると見なしてもいいんじゃないか、という発想だ。

 確か、年金問題に絡めてパート・アルバイトにも社会保険加入を必須とするというルールの適用が検討されていたと思うが、これが実現されれば同時に現在はパート労働者に適用されていなかった各種の育児支援制度を、社会保険加入をトリガーとして適用できるようになる。できれば社会保険と国税とで納税者データを交換し、徴税にも役立ててもらいたい。

 また、この制度を入れると企業は恐らく(税率引き上げが大きな影響を及ぼす大企業ほど)2つのことを率先してやるようになるだろう。

(1)被扶養者登録従業員比率を大きく左右する20代若手社員の結婚・出産を推奨
(2)(1)だけでカバーしきれない場合、30代以上の中途採用で有子者を優遇

 入社時にほぼゼロである有子者率を20代トータルで5分の2に持っていくためには、29歳の時点で5分の4以上の社員が男女にかかわらず子どもを作っていなければならない。その意味で(1)は若手従業員の労働・育児環境改善につながると期待できる。

 また、(2)によって30代以上の中途採用市場では「被扶養者がいること」が転職成功の実質的な最低条件になるだろう。もちろん独身者、子どものいない既婚者であっても優秀で非登録者枠に余りがあれば雇う企業もあるだろうが、子どもがいる方が有利となれば、実際には転職しなくてもその可能性を潰さないために子どもは作っておこうと考えるのが常人の発想だ。

 かくして、「職探しでも、子どもを保育園に入れられなければダメと言われる」「保育園では一定以上の収入がある人は入れられないと言われる」という、並河助教授の指摘するような行政のジレンマを、企業側の対応を「市場適応」によって変えさせることで解消できる。

 それでも子育ての制約を言い訳にして24時間すべてを会社に捧げない従業員など要らないと豪語する企業には、「長期的な人口維持による社会の安定化を否定する反社会的企業」というレッテルを貼って懲罰的に税金を取り立てよう。しかも、赤字を言い訳にさせない外形標準課税が理想。これで十分筋が通る。

 次に2.であるが、前のエントリへのとおりすがり氏のコメントで「旦那の収入、将来性が安定していなければ、そうそうギャンブルにも出てられないという人も多い」というものがあったが、彼の言う通り、既婚の有子者夫婦にとっては子どもを作ることがすなわちギャンブルであるという認識が強いと思う。

 正直、1人の人間を「生存」させるという話なら、育ち盛りの子どもでも1年に50~60万円もあれば事足りる。暮らしていくだけなら、税や住居費等を除いた手取り収入が年300万円もあれば夫婦に子ども2人が余裕で暮らしていける。夫婦共働きでも子どもが成人するまでの20年にわたってこれだけの収入確保の見通しさえ立たないという家庭は、それほど多くはないだろう。

 それなのに子どもを作るのが「ギャンブル」に見えてくるのは、生活費ではなく、中学、高校、大学…と続く教育と「親のせいで良い学校に行けなかった」などと思われないための課外学習とにかかる、莫大なコストを考えてしまうからだ。

 20~30代前半の世代にとっては、公務員でもない限り仕事と収入なんて一瞬先は闇である。いつ会社が潰れるか、自分の仕事がなくなるかも分からない。3年先ぐらいまでなら予想できないこともないが、10年先の自分がどこの会社でどんな仕事をしていくらの給料をもらっているのか、正確に予測するなんて不可能だと思っている。

 そういう自分自身の人生のリスクに加えて、子どもにかかる経費が10年後、20年後に加速度的に増える「リスク」があるとしたら、その時点で「子どもはほしい」と「リスクを最小化する」の妥協点として「1人でガマンする」という結論が出てくるのは当然だ。

 そこで、遠い将来になればなるほど増加する「リスク」をカバーするべく、高等教育になればなるほど(つまり収入ダウンのリスクが高くなる将来になればなるほど)教育コストは公的負担で賄われるようにする。これなら、2人目、3人目の子どもができたら誰かを大学にやれなくなるかも…と悩むこともなくなるし、40歳を超えてから子どもを作っても、定年前のリストラや定年後の収入減におびえなくていい。

 「公的負担って税金じゃないか」と思われるかも知れないが、違う。これらの負担は、公的セクターが過半を占める教育産業の大幅な効率化で捻出する。それが「教育バウチャー制」である。どんなものなのか、公的支出は必要ないのかなどはこちらあたりを参照。

 これまでの議論では、私学振興共済事業団が握る年3200億円の私学助成金、文部省の所轄する国公立大学の補助、2兆5000億円にのぼる義務教育国庫負担金などが既に幾度もやり玉に挙がっている支出だ。これらのほとんどをバウチャーに切り替え、しかも高等教育に傾斜配分する。

 バウチャー制度というのは、教育を受ける側の人間が自分で「公的資金を援用すべき教育機関」を選び、補助金の分配額を決める制度だ。今までは文部官僚がこの権益を一手に握り、あらゆるバウチャー制に反対してきたが、来年から始まる三位一体改革で義務教育国庫負担金が地方に権限委譲されることになり、部分的ではあるが地方自治体の権限で小中学校に限りバウチャー制度を取り入れる余地が生まれた。実際に導入したいという動きは埼玉県を始めあちこちで出てきており、実際に導入されればこれが日本の公教育というダムにとって「蟻の一穴」になるだろう。

 実際の学生が定員の半分を割っているような私立高校や大学への補助金を大幅に削り、定員割れを起こしている公立幼稚園も民間に転用するか保育園機能を持たせるかして集客力をアップさせるなどして補助金支出のムダを削る一方、集客力のある民間教育機関にはどんどん公立学校の運営を任せて受益者のニーズに合わせていく。こうすれば、高等教育の学費のかなりは既存の公的支出の範囲内で賄われるようにできるだろう。

 官僚の抵抗もあって一気にそこまでは行けないというなら、住宅ローン減税のような期間限定の政策として、今後3年間に生まれる子どものみ保育園から大学卒業までの教育費の50~80%を税金で賄うとぶち上げてみればいいのではないかと思う。少なくともすぐに巨額の財政支出が発生するものでもないし、3年間の出生率が大幅に向上すれば、今後も政策として継続し、一方で教育の効率化を含めて財源の論議を進めればいい。

 この制度は、将来の無制限な教育支出の懸念を解消してみせることで、出産に伴う「将来リスク」を大幅に下げるという心理効果を狙っている。並河助教授の言う「リスク」への対応だ。

 だが、それと同時にもう1つ狙っている効果がある。この政策が、仮に出生率向上に効果がなかったとしても意味があると思うのは、少子化の深刻化に伴い移民受け入れが不可避となったときにも、「日本人である以上はこれだけの高等教育を極めて廉価で受けられる」という、移民との差別化になるということだ。

 このあたりは北欧諸国で実際に導入されている制度なので、より詳しく知りたい方はそちらの文献なりをご参照いただきたい。

 というわけで、書き込みが非常に困難な環境ではあるのだが、とりあえず「生きていますよ~」というメッセージ代わりにこんなハードなエントリをアップ。バカですね僕って(笑)。次回はもう少しまったりしたネタにします。

01:41 午前 経済・政治・国際 コメント (37) トラックバック (16)

2005/01/09

少子化問題メモ

 今、成田空港のサクララウンジから書き込み中。なかなか居心地のいいところ。

 少子化対策に関して、前エントリにニートネタ並みの勢いでTB、コメント殺到中。アクセスの方はニートほどではないところを見ると、こっちの方がサロン的な議論をしばらく続けて行けそうかな。

 僕のアイデアも書きたいのだけれど、あと30分ほどしか時間がない。ので、これまで出た意見や気になったサイトに関してメモ。

 少子化対策は若い母親への手当金で◇泉幸男

 新米コンサルタント氏もマッツァオ(死語)の札束で若い女性の頬をはたけ論がこちらに。彼の試算によると、20代の女性に月額子ども1人あたり5~10万円の手当をはずむと、そのためだけに6兆3000億円=消費税を3.3%上げなければならない規模の財政支出が必要になるらしい。ぎゃっはっは。これ以上役人にカネ使わせてどうすんだYO!気でも狂ったか(笑)。

 僕が想定していた子育てに関する経済的な問題の指摘はmiamotoさんとこの昨年11月のエントリでだいたいカバーされているかなという気も。

・よほど経済的に余裕のある家庭でない限り、乳幼児をあずけて仕事をするのはカネがかかりすぎる
・仕方なく多くの家庭では子どもが就学するまで夫婦どちらかが仕事を放棄して子どもの面倒を見ることになる
 (R30注:このあたりが「子育てで中断されたキャリアを再構築できない」という女性のキャリア論とつながってくる)
・(キャリア繋がりという点で)雇用する企業側が子育て支援をするのが最も効果的なのだが、それこそほとんど期待できない
・(キャリア優先にする結果、それなりに道筋が立つ30代になってからの結婚・出産となるが)40代で会社から放り出されるご時世で、50歳過ぎてから数千万円単位の金額を子どもの学費として支払うなんてことは、考えたくもない
・(結論として誰も)社会全体で子育ての問題なんて真剣には考えていない

という話。いや、まったくその通りでございます。

 あと、誰かのサイトで民主党の蓮舫が「結婚してない女性に対してと、結婚して1人子どもを産んだ女性に対してでは、取るべき少子化対策は違う」てなことを発言していた、というのを見たな。それも重要な発言だ。メモメモ。

 これから、ネット環境を確保するのにちょっと手間のかかるところに行くんで、更新などが少し不定期になりますが、あしからず。有益な情報やご意見をたくさん寄せて下さる皆さん、どうもありがとうです。引き続きコメント欄にて議論をお楽しみ下さい。

09:26 午後 経済・政治・国際 コメント (5) トラックバック (8)

2005/01/08

出産育児手当は少子化対策になる…わけねーだろ

 Loveless zeroさんのとこ経由で見た、新米コンサルタントの起業日記の「的の外れた?少子化対策」に、ちょっと絡んでみたい。

 年明けから日経新聞読むの止めたので(笑)日経の「少子化」連載がどういう内容なのか知らないんだけれどもさ、どうしてこうも「カネで解決」的な議論ばかりが出てくるかなぁ。理解に苦しむ。以下、結論部分を引用しておくと。

 少子化対策に限れば、ダイレクトに「子どもを産むことにインセンティブを与え、働かなくても安心して子どもを育てられる余裕をもってもらうこと」が最も効果的だと思います。 出産・育児手当を支給(それも若いお母さんほど厚い手当を)し、それでも個人的に働きたいという人には働いてもらう。 そして、結果的に女性の「選択肢」を増やすのが国家として最大公約数を満たした政策ではないかと思います。
 公明党のごり押しして法案が通過した昨年4月から、年収780万円未満の世帯には小学3年生まで1人あたり月額5000円(第3子以降は1人1万円)の児童手当が支給されていること、自治体によっては3~5歳までさらに手当の上積みがあることなど、このコンサルタント氏は知らないのだろうか。本人、前段で「働くことと子どもを産むことは全く別」って書いてるのに。

 正直、そんなお金をもらわなくても今やおじいちゃん、おばあちゃんが夫婦両方とも生き残っており、2つの実家を週末にピストン往復するだけで育児に必要なものや不必要なものまで何でもそろう世の中である。お金をかけずに子育てしようと思えば、かなりのところまでできる。これ以上手当を税金から払っても、層化信者のお布施を増やすだけですよ(笑)。

 結婚して1人は子どもを産んだ女性に、2人目を産まない理由を聞いてみるといい。「お金が…」とかいろいろな答えが返ってくると思うが、核心にあるのは「自分のための時間がこれ以上育児によって削られるのが嫌だ」である。恐らくこの考えは、専業主婦もキャリアウーマンでもほぼ同じだ。「お金に余裕がない」というのは、たいていは「その時間を買い戻すために大変な金額がかかるから嫌だ」というほどの意味である。

 それと、新米コンサルタント氏は「働かなくても子育てできる余裕」が大事と考えているようだが、今の女性にとって、子育てと労働はトレードオフの関係にあるものではない。

 子育てしようがしまいが、仕事はしていたいのである。よほどの富裕層に嫁ぐのでない限り、社会人経験がなく、自分で小遣い程度のカネさえも稼げない女性は、そもそも男性の方が結婚相手として望まない。それに、女性の方も夫の財布に生活のすべてを依存するリスクをいやというほど自覚しているし、子育てによって家庭に閉じこめられることによる社会からの孤立感を恐れる。

 僕の回りの同世代の既婚者は、世間一般からするとかなり所得の高い人たちだと思うが、30代前半から下で妻が専業主婦という家庭は(一時的なケースを除き)いまだに聞いたことがない。そのくらい、共働き率は上がっている。

 つまり労働と出産・育児をトレードオフと見なし、出産・育児に伴う逸失費用を補填すれば出生率が高まるだろうと考えるのは、今どきの女性の結婚・出産のディシジョン・メイキングのプロセスをまったく理解してないということにほかならない。

 …と思うのだが、新米コンサルタント氏に限らず世の中にこういう「生産と再生産のトレードオフ」的発想をする人があとからあとから止めどなく現れてくるし、あまつさえそれが政策やら憲法改正案やら(このあたり参照)にまで盛り込まれそうになっているのを見て、いったいこの非論理的な反動政策の隆盛をどうやったら止められるのかなと最近思案に暮れている。

 新米コンサルタント氏は、おそらく何の考えもなく頭の中にある経済学的知識と学校や家庭で押しつけられたステロタイプな古典的女性観のみでこういう論を立てたのだと思う。その意味では本人が反省しさえすれば、大した罪はなかろう。

 だが、世の中ではほぼ確信犯的にこういう意見を声高に唱え、女性を無理矢理に「生産と再生産のトレードオフ」関係に押し込めようとする動きが、自民党を中心にまん延し始めている。これだけグローバル化した日本企業に、今さら「労働力としての女性の活用を諦めて下さい」とか言って、どうにかなるとでも思っているのだろうか。それともごくごく一部の男性のコピーとなる訓練を受けたような独身サイボーグキャリアウーマンを除いて、世の中の女性労働者はみんなお茶くみOLかスーパーのレジ係でもしていればいいとでも?

 子どもをちゃんと育てていくのに家族や地域社会といった共同体の機能が大事だってことは、僕も否定しないよ。だけどそれと女性を「生産か再生産か」の二者択一に押し込むことって、どうつながるの?共同体は女性にやらせとけってことなのか?全然ワカラン。

 この共同体問題に関しては、前から触れたいと思っていたのだが、finalvent氏の日記の12月29日のコメント欄で、非常に興味深いやり取りがされていた。彼の言葉を借りて曰く「農村部というか田舎の倫理的な崩壊」というのが、自民党の憲法改正案にも非常に色濃く反映されているのではないか、というのが僕の印象である。「農村の倫理的崩壊」というのがピンと来ない人には、2002年に放映された人気テレビドラマ『北の国から '98 時代』のストーリーを思い出してほしい。

 これまで農作物を育てる「土地」と「水」を仲介関係として強固な結束と互助の機能を誇っていた農村が、それを利用した農協の金融システムによって搾取する対象として利用され、人々の上に立っていた村長(むらおさ)、さらにその上に立つ政治家が「口利き」を通じて金融のシステムに融合し、既に収益事業としての農業が滅びたにもかかわらず人々に対して金銭面を含めたあらゆる生殺与奪の権力を共同体内で握る者として機能するようになる。

 すると、もともと生産関係をベースにして行われていた冠婚葬祭、果ては性の倫理といったことまでが、際限なく金融システム、もっと言えば金銭関係の中に回収されていく。「北の国から」でも、確か(農業の失敗によって)立場をなくした青年を、村人たちが「返済が滞っていた借金の取り立て」という名目で村から追い立てるシーンがあったように思う。

 僕には農村のことはよく分からないが、最初に述べたような反動的論理に基づく一連の政策は(公明党のような低所得層を支持基盤とする特定政治団体は別として)、女性を「再生産」のプロセスのみに押し込めることによって、こうした農村の倫理的崩壊を立て直すことができると考えた結果ではないかと勘ぐりたくなる。自民党の政治家たちは、本気でそんなアナクロな退行がこの問題の解決につながると考えているのだろうか。

 正直、僕にはよく分からない。ただ、都市の少子化と共同体の問題は、もっと別のアプローチによる解決が可能なはずであると、僕は考えている。それに関してはまた次の機会に論じたい。

10:48 午前 経済・政治・国際 コメント (44) トラックバック (18)

2005/01/07

ただいま勉強中 GPL改訂問題

 奥一穂氏のブログで、「神か悪魔か - GNU の見えざる手」という長大な連載が進んでいる。2~3回で終わるのかなと思ったら、今4回目まで掲載し終わり、さらに3回以上続けるつもりらしい。

 一線のソフトウエア技術者でありながら英語の文献もバリバリ読みこなしてIPについて論じる知的体力に感服する限り。文系の僕たちも、ぜひこの機会に彼のブログとそのトラックバックなどを読んで勉強しておきたい。ちなみにGPL、GNUといった言葉を知らない!という人は、前知識としてこちらをお読み下さい→【特集】 History of GNU - GPLとはなにか

 奥氏は、TBしている「法務だけど理系女子の綴るblog」のMichyさんが言っているように「私の今までの経験からいけばそんなこと考えていててくれるプログラマなんて神に等しい」という、その神に相当するプログラマ(笑)なので、マジで日本にとって貴重な人です。

 当面の問題はGPLという、Linuxなどに独特のライセンス方式の改訂の方向性にあるわけなんだけど、これを読んでいて僕は(法律に詳しくないのでとんだ見当違いかもしれないけれど)、何となくキムタケブログの引用を巡る論争に似たものを感じ取った。

 ま、専門外なのでこの件がどこまで大きな問題になるのか、文系の僕らの仕事にどう影響してくるのか何ともコメントできないんだけれども、何しろ米国というのは奴らの法律を勝手に外国の企業にも平気で適用してくるしね。海のこちらの我々も勉強しておくにしくはなし。

 とりあえず今日のところはこのへんでお茶を濁させていただきます。では皆様、良い週末を。

07:47 午後 経済・政治・国際 コメント (0) トラックバック (0)

2005/01/04

国際人道援助の投資戦略

 案の定、スマトラ島沖地震災害で知り合いを亡くした方から前回のエントリに対してクレームが来た。

 ま、そりゃそうだろうなとは思う。新年早々、目の前で死んだ人たちやその家族をどうやって助ければいいか、涙をこらえつつ必死で活動している人たちと、遠く離れた日本でパソコンの前に座って好き勝手書き散らしている僕みたいな人間と、互いに理解できないほどの温度差はあって当然だ。それに、それぞれの立場にいるからこそ見えているもの、見えないものというのはある。

 だから僕は未曾有の災害に遭った人たち、それを助けようとしている人たちの活動についてとやかく言うつもりはない。「頑張って下さい」としか言いようがない。

 ただ、救援のための資金を動かせる立場にある先進国の僕たちには、被災地現場の人々を思いやる以外にも、考えて行動に移すべきことがある。それは僕らの富をどうやって大規模災害の救援に役立てるのがもっとも多くの人のためになるか、といったことだ。

 日本が国際社会でどうあるべきか、そのために常日頃から何をすべきかという問いへのヒントは、どんな分野においてもたいてい80年代後半から90年代前半に起こった出来事に遡れるのではないかと思っている。

 例えばサッカーに関して言えば93年の米国W杯最終予選での敗北(いわゆるドーハの悲劇)だろう。あのとき、日本人は「カズやゴン程度の個人プレーでは到底世界のW杯に出られないのだ」ということを学び、システムサッカーの必要性に目覚めたのだろうと思う。

 一方、今の日本の外交戦略の原点は90年の湾岸戦争だ。あのとき、日本の海部内閣は国民1人当たり1万円もの増税を敢行し、合計135億ドルもの戦費を米国に支払いながら、米国からは「湾岸戦争で貢献度の低かった国」に名指しされた。30歳以上の人なら忘れもしないだろう、あの理不尽な仕打ちと屈辱。カネをただ出すだけでは決して国際社会の中で認められないし、尊敬もされないということを、嫌と言うほど日本人は学んだ。

 僕が前回エントリで「日本人はもっと寄付リテラシーを持つべきだ」と言ったその意味も、まさにそこにある。要するに、自分が出したカネがどのように使われるか、もっときちんと考えて寄付しろよと言いたいのだ。

 使い道をきちんと考えるためには、払ったこともすぐに忘れちゃうような金額じゃダメだろと。数百円、数千円なんてケチなことすんな。福沢諭吉先生を出せ。身銭を切れ。ちょっとでも無駄遣いされたらその団体の事務所を焼き討ちするぞぐらいの呪いを込めて寄付をしろ。

 こと、この話になると僕は完全に国粋主義者である。以下の論調は多分に偏向しているので、そのことにご留意しつつ読んでいただきたい。

 こうした大災害や戦禍が起きた地域への国際人道援助というのは、国際社会における各国のプレゼンスを競い合う、あるいは海外援助という「産業セクター」の存亡を賭けた「もう1つの戦場」である。

 緊急人道援助活動には、現地政府や関係機関との密接な関係構築から、援助の最も効果的な地域への迅速なベースキャンプ設置、優秀な現地スタッフの確保など、初動のスピードと大変な政治力が必要だ。そして、このスピード感覚と政治ノウハウを蓄積した組織はますますプレゼンスを高め、政府から受け取る補助金額も増え、雇うスタッフを増やし、したがって次回の援助の際にも有利になる。

 国連傘下の各機関や海外の大手NGOなどはこうした人道援助産業の「コングロマリット」を形成している。彼らにとって、日本というのは活動資金となる「寄付」を集める巨大な資本市場だ。例えばユニセフを例に取ると、2003年の総収入16億8800万ドルのうち、日本政府は1億ドル日本ユニセフ協会は1億1830万ドルの資金を提供している。政府援助では米、英、ノルウェー、スウェーデンに次いで5位、民間寄付額では2位のドイツを3000万ドル以上引き離してダントツのトップだ。米国の民間寄付額など、日本の3分の1にも満たない。

 日本が官民合わせて2億ドル以上の資金を拠出していながら、ユニセフの人道援助で実際に現地に行って活動するのはほとんどが欧米人のスタッフである。つまり日本人はカネを払うだけで、日本国内にほとんどノウハウが残らない(ユニセフもさすがにこの状況がまずいと思ったのか、スマトラ島沖地震の緊急支援では日本人スタッフも現地に行っていることをHPなどで告知し始めているが、組織運営のイニシアチブを日本人が持っていないことは変わらない)。

 こんなケースはユニセフだけでなく、そこら中に転がっている。ここには「カネだけ出しておけばとりあえず自分の良心のとがめはなくなるからいいか」という、90年代前半に痛い目を見たはずの日本人のあのさもしい心情がそっくり残ったまま、頭のいいガイジンどもにいいように利用されているのである。

 それでも、国内に「これではまずい」と考える人々だっていないわけではない。日本にも、「日本のイニシアチブで国際人道援助活動で競争していこう」と考えるNGOが、いくつか生まれ始めている。

 赤十字やユニセフが緊急人道援助のコングロマリットだとするならば、日本のNGOはまだ生まれたてのベンチャー企業だ。ほとんどの団体が本部職員数人の規模でしかない。あまりにも小さくて、虫眼鏡で見ないと見つからないほどだ。

 だけれど、ベンチャーにはベンチャーなりの良さもある。政府による支援や巨大NGOの手が回らない地域や特定分野に特化して、小回りの効く機動的な緊急援助を実施しているところもある。日本人なら、赤十字やユニセフではなく、そういう「国産NGO」にもっと寄付して応援すべきだと僕は思う。

 え?いちいちそんな小さなNGOを虫眼鏡で探しているヒマがないので寄付していられない?いや、まったくおっしゃるとおりだ。我々は忙しい。だからこそ、そういう“ベンチャー企業”をまとめて適切に寄付金を配分する「人道援助のベンチャーファンド」が1999年に生まれたのだ。「ジャパン・プラットフォーム」である。詳しくはHPをどうぞ。

 前回のエントリでも述べたように、日本ユニセフ協会は寄付収入の20%以上を事業経費として使っている。その中にはオンラインでクレジットカード募金を受け付け、即座に領収証まで発行するなどの決済システムや、みかまま氏にまで送りつけられてきたメールのダイレクトマーケティングシステムなどへの億単位の情報化投資も含まれる。これだけの投資が行われてきたからこそ、年間100億円超の寄付を集められるのだ。ちなみにそのうち75%が、個人によるものだ。

 一方、ジャパン・プラットフォームの2002年度の会計報告を見ると、ユニセフと全く逆であることが分かる。たった7億足らずの総収入に占める外務省の助成金比率が80%を超えており、支出の部を見ると一般管理費と雑費が合わせて3%、2000万円しかない。これは、主たる収入である外務省の助成金が、一般管理費として使ってはいけないという縛りをかけられたカネであるためだ。

 つまり、民間寄付が集まらない→政府助成金に頼る→寄付集めのための投資やマーケティングができない→さらに寄付が集まらなくなる→助成金に頼る…の、悪循環に陥っているのである。だから彼らが募集しているスマトラ島緊急援助の寄付も、窓口は基本的に郵便振替しかないのだ(12月29日から東京三菱銀が振込手数料無料のサービスを開始した)。

 ユニセフの事例を考えても分かるように、数億円のシステムやマーケティング投資をしても、そのレバレッジ(てこ効果)として寄付が100億円集まれば全然問題ないはずなのだ。ところが、日本政府が出す金というのは、こうした投資に使うことを認められない。民間の寄付者も「私の寄付したカネは1円も残さず被災者のために使え」と迫る。そういう声を聞くと、僕は無性に腹が立つ。NGOのスタッフには、かすみでも食ってろと言いたいのかお前らは。

 国際コングロマリットNGOにあって日本のNGOに足りないのは、大規模災害への人道援助という目先のやり繰りを超えたところでの、こうした活動維持・拡大のための長期的なスパンを見据えた先行投資の発想である。

 だから僕はあえて声を大にして言いたい。この国のことを思う日本人なら、数万円単位で寄付をしろ。それも、きちんと日本人を現地に派遣するNGOに寄付をしろ。そして、できれば被災者への援助に対する寄付ではなく、NGO自身の日常の組織運営やマーケティング投資に資する寄付をしろと。

 「被災者の人たちがカワイソウ」という目先の感情だけで言い訳程度に数百円、数千円の寄付をしたところで(もちろんそれにまったく意味がないとは言わないが)、それは国際人道援助分野において今日本が抱える本質的課題の解決にはまったくつながらないのである。

 あと可能ならば、どうせ領収証など発行してくれないはてなのポイント寄付が、こうした国産NGOへ重点的に配分されるようになることを一国粋主義者として今後期待しつつ当該サイトへトラックバックを打っておく。

06:09 午前 経済・政治・国際 コメント (6) トラックバック (7)

2005/01/03

寄付する前に立ち止まれ

 大規模な災害が起きている横で冷ややかな口調でこういう話をすると、必ず「たくさん苦しんでいる人がいるのに不謹慎だ」みたいな反応が返ってくるので嫌なんだけど、不思議とそういう議論をする人があまりいないようなので、ちょっと書いておく。

 災害などは特にそうだが、不幸なことが起きると必ずあちこちで寄付を募る活動が始まる。渋谷や新宿などでは、「何年前の出来事だよ?」と思うような災害についての募金や署名運動をやっている人もいる。そばを通り過ぎる時に、胡散臭いと思いながらも「もし彼らが本当に困っているのだとしたら?もしそうなら、無視して通り過ぎる自分はなんて薄情な人間なのだろう」と良心が痛んだことのない人はいないだろうと思う。

 逆に、ネットの中を見渡すと「苦しんでいる人のために寄付をお願いします!祈って下さい!」みたいな書き込みやウェブサイトもあちこちにあって、流石に寄付先は赤十字とかユニセフとかの「信頼の置けそうな団体」ではあるのだが、ネットの世界は広い。探し始めたら困っている人はゴマンといて、寄付し始めたらいったいいくら、どの範囲まで寄付すればいいのか、分からなくなってしまう。

 とはいえ、突然著作権料が数千万円手に入る見通しになった「電車男」でもあるまいし、一庶民たる僕らが自分の暮らしに不都合のない範囲で出せる金なんて大した額じゃない。「寄付したってどうせ数百円とか数千円、災害に遭った人たちが必要な額のお金からすれば微々たるものなのに…それでも寄付する偽善の方がしない偽善よりいいのだろうか?」と悩む人もまた多いだろうと思う。

 感情論のレベルで「寄付すべきか?それともこれは偽善か?」と自問していても答えなんか出ない。それより自分の良心も納得させることができ、かつあらゆる寄付お願い攻撃から身をかわす方法を、ちゃんと普段から考えておくべきだと思う。

 みかまま氏も日記で述べているが、寄付というのは本質的に「“公共のためのお金の使途”を一部、自分で決める行為」である。カミサンがお友達と忘年会に行ったり新しい洋服を買うお金をねだられて出す行為は、そのお金がカミサンの「私益」に使われるので当たり前だが寄付とは呼ばない。見知らぬ他人にお金をあげるとしても、道ばたの物乞いにコインを恵んであげるのは(宗教的行為としての)「喜捨」であって、「寄付」ではない。このあたり、きちんと区別されていないようだが。→「喜捨」「寄付

 税金という形で政府が集めて公共の利益を再配分するのに代わって個人が公共の利益を考えて自分の収入を配分するのだから、たいていの先進国では(範囲の大小は違えど)寄付に対して「税の減免」なる制度が存在する。日本にも(非常に狭くて厳しいが)もちろんある。詳しくはこちらをどうぞ(寄付金控除)

 自分が、ゲームソフトやお菓子を買うのと同じ感覚で、「ちょっといいことしたな」と思いたいだけのために他人にお金を渡しましたと言うのでなければ、「公共の利益のために個人の負担金から支出しました」と、きちんと主張すべきだと僕は思う。主張というのは、「口に出す」という意味ではなく、ちゃんと寄付した相手の団体から領収証をもらって、税務署に提出するという意味だ。

 自分の拠出する公共のための負担金は、自分で使途を決めるというのは、とても大切な考え方だと思う。なぜなら、それこそスマトラ島沖地震の被害が良い例だが、中央政府や地方自治体に「税金」というかたちでお金を渡しても、彼らは国際社会全体に目を配った「公共の利益」までは考えが及ばず、せいぜい自分のいる地域や国の中の「公共の利益」だけにお金の大半を費やして終わってしまうからだ。

 かと思えば、dai-rol氏が言及しているように、結局のところ国が支出する災害救援資金というのは、多かれ少なかれ国際政治の具として使われる。世の中、そういうもんだよと思う人はそれでいいと思うが、いやそれは嫌だよと思う人は、自分で自分のお金が被災地に届くルートを決めればいい。そのルートを決めるためには、税務署に申告しなければ無意味(自分で払った上にさらに政府に召し上げられる税金額も変わらないから)。

 でもさ、たかが数百円とか数千円とかのお金を寄付するのに、領収証をもらって、それを年に1回最寄りの税務署に持っていって確定申告して…って、最高にめんどくさくて嫌じゃない?僕もそう思うわけですよ。

 で、結局僕が考えたのは、「寄付を求められるたびにいちいちその場で自分の『公共の利益のための支出の使途』に迷うのを止めよう」ということだ。

 何事も計画が必要。まず、自分の収入と支出を考えて、自分が「1年間にこれだけなら自分のためじゃなくて、他人のために使っても(寄付しても)いいや」と思える金額を決める。人によってその決め方、基準の作り方は違うだろう。

 前の年に得られた不労所得の一部を寄付しちゃえと考える株式投資家の方もいるだろうし、税控除の上限を超えた所得のかなりを寄付に回す敬虔な社会奉仕家もいらっしゃるに違いない。ちなみに僕の場合、天引き貯金している金額(つまり今すぐ使う必要のないお金)の5%程度を、社会に対するお礼として毎年寄付に回すことにしている。基準が思いつかない人は、年収の1%ぐらいを基準にしてみたらどうかな。1%なら、実際大した負担じゃないし、しかも確定申告して戻ってくる金額は、税務署に行く手間賃ぐらいにはなる。

 次に、自分のお金をどのような「公共の利益」のために使ってもらいたいか考えよう。「日本政府は国際社会への貢献が過小だ」と思う方は、ユニセフや国境なき医師団などへどうぞ。「大きな災害の支援にはとにかく出す」というのなら、赤十字がやっぱり一番強いかな。もっと身近なところで地域や障害者のために尽くす活動を支援したいと考える人は、そういう団体を探すのもいいだろう。人によってもっと支援すべきと思う「公共の利益」は千差万別である。

 僕自身は、日本でこうした「自立した個人の活動」を支える様々な仕組みや意識の変革がもっと行われる必要があると考えているから、寄付予算の80%を「この人は」と思う某政党の代議士の政治団体に寄付し、残りを小さくても広い視野で優れた活動をしているなと思える非営利組織に寄付することにしている。しかも普段はいちいち振り込むヒマがないので、ほとんどは自動引き落としでやっている。

 寄付先の団体を決める際に、1つ注意してほしいことがある。自分が寄付したお金の使い道を、きちんと確認できる団体であるかどうかだ。

 以前にはてなのポイント寄付の議論を見ていて非常に違和感を持ったのは、「ポイント送信のための手数料5%を、はてなが取るのはけしからん」という論調だ(中越地震、スマトラ地震とも、5%分ははてな側からの上乗せ寄付となるみたいだけれど)。どんな寄付も、それを告知し、集め、クレジットカードなら手数料を払い、領収証を発行し、またそういうことをする組織を運営するためには、当然のことながらお金がかかる。それは当たり前だが多かれ少なかれ寄付金の中から拠出するしかない。

 例えば、日本赤十字社が2001年から2004年までに集めた米同時多発テロ被災者救援金の場合、集まった22億円あまりの資金のうち、2200万円が領収証発行、ポスター作成などの事務費に支出されている。日赤の場合は組織の運営費の大半が医療事業などで賄われている(のと、たぶん日本の寄付者の意向にも配慮していると思われる)ため非常に経費比率が少ないが、日本ユニセフ協会のFAQによれば、同協会は年間寄付収入の20~25%が「国内のアドボカシー(政策提言)活動、広報活動、募金活動(カード頒布活動を含む)を実施するための事業費」に使われている。また、事務管理経費の比率も寄付金のうち4%程度かかっている。

 個人的には、集まる寄付金の規模にもよるけれども、きちんと組織が継続的活動を行い「公共の利益」になるためには、寄付金の10~20%程度は組織運営の経費に使われる“べき”だと思う。だからはてながポイントを集めて送るのに5%の手数料がかかったとして、それではてなを「不幸に乗じて金儲けした」って非難する感覚が、僕には分からない。だってもし株式会社はてなが今後経営危機に陥ったとしたら、僕らは多くの人々から手軽に寄付を集めて送るルートを1つ失うことになるんだよ。それでもいいのか?ま、非難してる連中はそれでもいいのだろうな。

 話が逸れたが、このように寄付金の使途がきちんと開示されているかどうかも含めてきちんとチェックできる団体であることを確認して、寄付先を決めるべきだと思う。その際、「全額を○○に使いました!」とかヌケヌケと言い放つ団体は、別のところで寄付金集めのための費用を稼いでいる(つまり管理会計がぐちゃぐちゃである)か、でなければウソをついているんだと思った方が良い。

 こうしたことをきちんと日頃から行っておけば、繁華街などで寄付を募っている人々に出会っても「僕は彼らに寄付をするのとは違う方法で、自分にできるだけの寄付を正しい方法でちゃんと行っている。だから彼らに今お金を寄付する必要はない」と、自分を説得でき、良心も痛まない。しかしいちいち理屈っぽいな、僕って(笑)。

 ちなみに、寄付先進国の米国にはこれまた「寄付先探しのための情報サイト」とでも言うべき、すさまじいウェブサイトが存在する。このサイトは、米内国歳入庁(IRS)に登録されているあらゆるNPO(非営利組織)の収支、役員データなどの開示情報をDB化してストックしており、有料サービスではあるが自分の希望にふさわしい寄付先の団体を検索してくれる機能もある。ちなみに、既にスマトラ沖地震被害の寄付先一覧のページもできている。せいぜい両手で数えられるぐらいしか出てこない日本に比べて、123団体もある。すごい数だ。さすが多様性の国。

 カネを稼ぐのは難しいが、世の中のために上手にカネを使うのはそれよりもっと難しいと僕は思う。日本でもきちんとした「寄付リテラシー」を持つ人が増えて、「公共のため」のお金の流れが変わっていけば、毎年政府の無駄遣いをあーだこーだあげつらう必要もなくなっていくと思うのだけどね。

追記:こちらのサイトに、内外の寄付募集NGOの効率性評価などが掲載されていた。これから寄付先を探したい方にはおすすめ。また、トラベルジャーナリストの寺田直子氏のサイトでは、オンライン募金できる団体の一覧、日米のマスメディアのウェブサイトの比較などが述べられている。

01:56 午前 経済・政治・国際 コメント (9) トラックバック (12)

2004/12/22

「ニート」「ヲタ」で怒濤のアクセスとTBが押し寄せている件について

 なんだかここ数日ニート、ヲタク関連であちこちからトラックバックとアクセスが押し寄せているわけですが。いや、それでもまだ隊長のとこに比べると日当たりPVなんか20分の1ですしアレなんですが。

 僕も忙しい中、こちらにいただくTBとコメントまでは何とかまだ全部目を通してますけど、隊長のとこのコメントとか1000に届く勢いですし、語ってるブログの数は無数ですし、もう論点整理のBuffer Overflow、パニック状態です。いやもうこんな全日本的ストリームなディベートのど真ん中ににうかつにTNT級のよく萌える燃料投下した僕が悪うござんした。ゴメンナサイ。でも一応発言の主として、せっぱ詰まった仕事も横に置いて、少し言い訳します。

 以前のエントリで僕は「ニートとはカジテツの言い換えだ」「人間関係からの撤退という意味で、ニートも非モテ(負け犬、オタク)も同根だ」という話を述べている。このあたりは、何度もリンクしているLoveless zeroさんのサイトでのマッピングやまとめでも既述の話。あちこちのブログを見ていて思った問題は、この負け犬、ヲタク、ニートといった「撤退系」人種に対してどういうスタンスを取るのかということになるのかなと。

 で、僕を武闘派呼ばわりしたid:ajiyoshi氏が、ニートに関する各論者のスタンスを2ちゃんねる型樹形図で分類してくれた。すんばらしい。で、少し僕なりに手を加え、関連ブログへのリンクなども作ってみた。

ほっとこうよ派
 ├どうでもいいんじゃない派(中立派)
 │ ├多様化の苦悩を味わえ派(怨念フェミニズム派)
 │ │ →野菜
 │ │
 │ └三国人のほうが問題だよ派(嫌中韓派)
 │
 ├ニューエコノミーだよ派(楽観派)
 │ ├どうせ働かざるを得なくなったら働くよ派(成り行き派)
 │ │ →おやじまん氏、Colorful
 │ │
 │ ├家事手伝い、専業主婦だってニートだよ派(発想の転換派)
 │ │ →R30のこちら
 │ │
 │ ├働かないなんて最高だよ派(裏社会ユートピア派)
 │ │ →うぐいしゅ氏、おおひらしんすけ
 │ │
 │ └むしろ消費力に注目しようよ派(マーケティング派)
 │   →CMプランナー
 │
 └死ぬまで治らないよ派(悲観派)
   ├自己責任だよ派(リヴァイアサン派)
   │ →いい国作ろう!怒りのブログ
   │
   └働くと雇用環境が悪化するよ派(新古典経済学派)
     →ひろゆき@社長日記

なんとかしようよ派
 ├このままじゃ俺らも困るよ派(自己中心派)
 │    ├治安が悪化して困るよ派(ブルジョア派)
 │    │ →団藤@ブログ時評
 │    │
 │    └税金/年金払えよ派(サラリーマン派)
 │      →G3@大牟田からのつぶやき
 │
 ├社会が悪いよ派
 │  ├ニートが革命をおこすよ派(革命的マルクス主義派)
 │  │ →radionova
 │  │
 │  ├親と政府はなんとかしろ派(社会システム派)
 │  │  ├大人はちゃんと説明しろ派(アカウンタビリティ派)
 │  │  │ →東78系統
 │  │  │
 │  │  ├逆扶養控除だゴルア派(現在制裁派)
 │  │  │ →R30のこちら
 │  │  │
 │  │  ├相続税引き上げろ派(将来制裁派)
 │  │  │ →東京Kitty
 │  │  │
 │  │  └ゆとり教育の弊害だよ派(アンチ文科省派)
 │  │    ├教育勅語復活しろよ派(尊皇攘夷派)
 │  │    │
 │  │    └自衛隊にいれてしまえ派(イラク派兵タカ派)
 │  │      →武部勤・自民党幹事長
 │  │
 │  └企業が悪いよ派(修正資本主義派)
 │    →余丁町散人
 │
 └本人が悪いよ派
    ├他人のために生きてみろよ派(人情派)
    │ →切込隊長
    │
    ├対話力をつけようよ派(コミュニケーション派)
    │ →並河教授@一日一喝
    │
    ├若者が国を支えずしてどうする派(隠居老人派)
    │ →糸山英太郎
    │
    ├親がいなくなったらどうすんだよ派(施設説教派)
    │
    └世の中はやりたくないことだらけだよ派(苦行派)
      →チヤイム

むしろ俺ニートだよ派
 ├自分探し派
 │  ├社蓄なんて嫌だよ派(モラトリアム派)
 │  │
 │  └願望と現実の不一致派(青い鳥派)
 │
 ├ひきこもり派
 │  ├対人恐怖症派(メンヘル派)
 │  │
 │  └FFXI楽しいよ派(ネット依存派)
 │
 └働いたら負けかなと思ってる派(過激派)
    └俺は勝ってる派(急進的過激派)
      →ニート君@とくだね(まとめサイト

 ajiyoshi氏の立てた流派で、該当ブログの見つからなかったところは空欄。また、新しい意見が見つかった場合には少し樹形図を変えた。後半の俺ニート系のところは、力尽きて編集しきれなかった。ゴメン。僕のこれまでのエントリにTB打ってきてくれた人、そのTBからさらにリンク&TBしてるところ、まではだいたいこれで網羅したつもり。意見の書かれてないまとめエントリとかは入れていません。

 ま、この図は今回の論にはあまり関係ないっす。実際には皆さん、もっといろいろなニュアンスを込めて文章を書いてらっしゃるので、こんなにざっくり切り分けられるものでも、実はない。ので、単なるエンタテインメントとして面白がって下さいまし。誰かヲタクに関する意見でも類似のものを作ってくれるとなおウレシイ。

 僕の以前のエントリはニート肯定論だったのだけれど、切込隊長にTBしたエントリは否定論だった。オタクについて言えば、閉鎖以前に書いた「電車男」評は結構否定的だったのだけれど、その後に書いたエントリでは肯定的だった。つまり、1つのテーマについて時間をおいて書くエントリで、それぞれかなりスタンスがぶれている。

 どれが本音なの?と聞かれてあえて答えるなら「肯定論」だろうと思う。でも否定論のほうがずっと書きやすいし、大向こう受けする。毒を吐くのってある意味楽だし、読んでる人は(こき下ろされる対象にされた人を除いて)溜飲が下がるからね。

 過度の楽観論は危険だという声ももちろんある。だけど、どうなんだろ。ブログの世界で交わされる言葉がネガティブな話ばかりになるのって、いいことなのか?正直、あまりそうは思わない。両方まざっているべきだろうと思うしね。論争することはそれ自体楽しいけど、本当に自分がその問題にどう対処するかが問われた時の“知恵”となるのは、やっぱり「いろいろな考え方を俯瞰できるだけの情報量」だと思うし。

 で、自分の書いたエントリに関して少しコメント。

 既に理解していただいている方もいるようだけど、「ニートに語る時の立論方法」については、切込隊長の1本目のエントリで彼が立ち止まっていることに対する投げかけで書いたつもりだったのだけれど、2本目のエントリで彼はニートの内面問題に入っていってしまったので、ちょっと肩すかし食ったかなというところ。

 そこに、dalmacijaさんから「思考停止、単純化の偽社会学だ」という批判を受けたので、ちょっと脇が甘かったな~と反省した次第。このレベルの話で解決する“問題”ではないと思ったからこそ、最初の「ニートってカジテツだよね、よく考えたら」っていうエントリを書いたのだった。

 言葉の切り返しによって“問題”そのものの所在を変えてしまうのが、ニートという“問題”に対しては一番いいのではないかという思いは、今でも変わってない。ただ、その手法はマクロ経済上の労働人口減少という課題に対しては何ら解決策を提示してはいないことには変わりない。

 あえて言うなら、今さら女性を家庭に押し込めるといった時代錯誤な政策が成り立たない以上、多少少子化が進むことも覚悟の上で男女間の社会的役割を交換することも認めたらいいんじゃないのか、という程度かな。その意味で「怨念フェミニズム」と名付けたが、野菜さんの考えに多少近いかもしれない。

 次に、ヲタクについて。この議論についてはぎょろぐさんの猛烈な突っ込みエントリが、「萌えヲタ」という僕の言葉の定義やら調査サンプル数の少なさやらの問題をすべて丹念に指摘してくれていて、それを読んでもらえれば十分かと思う。この件については、「コミケ3日目の一般入場ゲートの開場の瞬間を見てみ。ハナシはそれからだ」とみゆさんのブログで断罪されているので、見たことない僕はやはり白旗上げるしかないかな、と。

 1つだけ、この界隈の話で非常に興味を持ったのが、ぎょろぐさん他の方々が一様に指摘している、単なる謙遜ではなく、強烈な自我の防衛意識の表れとしてコミュニケーションから退行するというヲタクの生き方だ。実際のニートも「働けない」という表層の裏に「本当の俺はこんな惨めな働き方はしてないはず」という自我があって労働から退行しちゃうという側面が、かなり強いのも事実なんだろうね。

 こういう「積極的退却系」の自我意識というのがどこから出てくるのかについて、実は以前にこんなエントリも書いたことがある。前半部分にあるように、マスコミがいろいろなバラ色の可能性のイメージを垂れ流すことで、人間は「現実原則(Reality Principle)ではなく執行原則(Exective Principle)として環境を理解し、『断念する苦痛に耐える心』(フロイト)」をなくすのだよ、という話。

 この話から思いついた、僕が有効ではないかと考える「積極的退却系」の生まれるのを抑止する方法が、テレビも電話もないアジアのど田舎とか無人島とかに、中高校生ぐらいの子どもを数ヶ月くらい放り込んで生活させるというものだ。チヤイム氏の「やりたくないことだけを無理矢理やらせる」という、自我崩壊ぎりぎりの手段もあるとは思うが、それをもう少しポジティブに実現する方法がないものか。

 そんなことを考えて年末の仕事を後回しにしたツケが今後ろからqあwせdrftgyふじこlp;

03:24 午後 経済・政治・国際 コメント (8) トラックバック (26)

2004/12/21

ニートを語る時の立論方法

 隊長がニートについて2回も費やして語っている。(「ニート(無業者)に関する考察メモ」、「無業者(ニート)に関して」)主にマクロ、ミクロの経済から問題の所在を理解しようとしている。

 それが不毛とまでは言わないが、もともと「ニート」という言葉を日本に紹介した玄田有史東大教授は労働経済学の専門家であり、従ってニートというターミノロジーももともとは労働経済学の概念だ。だから労働経済学の範疇で考えていても、玄田教授やらろくな政策を立案できない厚生労働省以上のアイデアは出てこない、と僕は思うんだがどうよ。

 実際、玄田教授は最近役所から出る補助金使って重箱の隅をほじくるようなしょーもない統計調査に熱を上げているだけみたいだし、話題になった梅田望夫氏の「ニート」の書評でも、「原因が仮に解明されたところで、その原因を根絶するようなマクロな政策やビジョンが生まれるべくもなく、ニート増大という現実問題の解決には決してつながるまいという諦念」が玄田教授にはあるのだろうと書かれている。

 たぶん隊長のエントリもそのへんの経済分析的なところから入ったものの、気が付いてみたら出口が見えなくて立ち止まってしまった、みたいな感じなのだろう。

 正直言うと、労働経済の分野ではこの問題についてある程度の分析や結論は出ていると僕は思う。その結論めいたものが、まさに隊長が書いているような話だ。つまり:

  • マクロ経済的に見れば、ニートとは「有効求人がないから働けない」のではなく、「働く必要がないから働かない」層である
    • 「働かない」理由は、30過ぎたフリーターを企業が労働力として求めないという「(主に雇用側ニーズの)外形的ミスマッチ」と、高学歴なのに単純労働しか口がないという「(主に就労側ニーズの)内面的ミスマッチ」の2つがある
    • この世代の支出は、主に親世代からの所得移転によって賄われている。団塊世代が退職を迎える今後数年間で、彼らの支出も大幅に減少する可能性が高い
  • 働く口はあるのにあれこれ理由をつけて働かないというニート、またあれこれ理由をつけるような30男をわざわざ雇いたくないという企業が多い以上、この問題の結語は、「個人が求職のハードルを下げて、働く気を起こせ」という精神論でしか落とせなくなる
  • で、じゃあ何で働く気が起きないとか俺は低能かもしれないとか言ってるわけ?働かなかったらいずれ飢え死にだよ?世の中の奴なんてお前らよりずっと低能だよ?そもそも働いてみなきゃ「自分が何であるか」なんてわかんないじゃん…といった、あっちの世界とこっちの世界の会話してそうで噛み合ってない呼びかけ合いで終わる
 といったところかな、これまでの2つのエントリをまとめると。

 資本主義経済的には、「こいつらが働かないのは経済外部性の問題だから、とりあえずそのセグメントが消滅するまで待ちましょう、レッセフェール」という結論になるのは目に見えているし、だからこそ「ニート税」というかたちで経済的に締め上げる以外に何の「太陽的」政策も提言し得ないし、厚労省が「ニート対策費」なんて予算計上するぐらいならそいつら全員自衛隊に入れてしまえ!的などっかの幹事長さんの暴論が暴発するわけだし、そこまで言われる(そして実際にはそんなことできっこない)ことも全部全部分かっていてニート君たちはニートしているわけだ。

 それじゃあんまりだ、と考えて隊長のように精神論あるいはサイコセラピーの議論に入ってしまうと、TBしてきたニート君たちと隊長の間で延々と終わりなき人生相談劇場が展開されるはめに。はぁくだらない。だって隊長のエントリにトラックバックしてきた「めむひぱにげ」氏のこのブログだけ読んでも、彼らニートがほぼ確信犯的に日本社会にフリーライドしていることは明らかなんだから。分かっていてフリーライドしている人たちに「いいかい、フリーライドってのはしちゃいけないんだよぉ」なんて説教垂れたって無駄だっつーの。

 経済的に言えること、それは「フリーライドの余地をなくせ」ということだけだよ。こと、働くということに関しては結婚とは違って、明らかに国民経済上の「義務」と言えるわけだからさ。で、見回してみるとニートなんかよりもっとすごいフリーライドしている奴らがいるじゃん。カジテツとか主婦とか(笑)。で、そいつらの存在を認めるの?認めないの?認めるならどこまでを許容するの?ということが、今政策の現場では問われているわけですよ。

 逆にサイコセラピーの切り口から入るのなら、彼らを責める前にまずその「不就労」に経済的・心理的な容認を与えてしまってる彼らの親世代をあげつらえよな、と僕は思う。以前のエントリでも指摘したように、ニートが何もせずに家にいられる理由というのは、親世代が単に経済的に彼らの居候を許しているというだけではなくて、意識的・無意識的に職業の貴賤観を子どもに植え付け、ホワイトカラーの家系からブルーカラー労働者が出ることを言外に否定して「そこまでして働かなくても…」とか言っているからなのだよ。

 大卒で物流センターの作業員やって何が悪いの?はっきり言って今時の最先端の物流センターの作業なんて、国公立トップクラスの学生にやらせたって作業効率50%にもならないよ。あれってすごい専門職なんだから。大卒エリートだからって日本の製造業やカンバン方式導入した現場に行ったら、ただの役立たずなんだからさあ。

 役人だの大企業のホワイトカラーだのなんて、物流センターのパートさんに比べれば、ホントに何もしてねえんだから実際。お前らエリートだかなんだかしらねえけど、セブンイレブンのバイトとか佐川のセールスドライバーででも一度働いて見ろボケ。そしたら、この世の中を本当は誰が支えてるかが分かるんだよ。

 というような言葉を、「俺はこんなダメ人間のはずじゃなかったのに…」ってうじうじしながら自宅でゲームに高じてるニート君の頭から浴びせかけてやったほうがいいように思うんだよね。それも隊長じゃなくて、もっと身近な人たち、ありていに言えばそいつの親がさ。

 何が問題なのかって、身近にいる奴にそういう厳しい世間の掟を誰も言わなくなった日本の社会全体がダメダメなんだろということでファイナル・アンサー。ん…やっぱりそうすると「子どもを家から叩き出せないダメ親税」というので経済的に締め上げる+国家財政に寄与するというのが、やっぱり一番いい解決方法かもね。

(12:40追記)
id:dalmacijaさんから厳しい、しかも完全に正鵠を射た批判をいただいた。ご指摘の通り、このエントリは実は僕の本音からわざとずらした「レトリック」です。その言い訳は、dalmacijaさんのエントリへのコメントという形で述べさせていただいたので、そちらもぜひお読み下さい。

10:35 午前 経済・政治・国際 コメント (9) トラックバック (19)

2004/12/14

保守エリートのPCコードに騙されてはいけない

 ゴリゴリのジャーナリズム論考ネタを書くのに、僕も少し疲れた。ので、気分を変えて別の話。先日、映像制作会社に勤めるある後輩の女性から「会社を辞めようと思っている」という相談を受けた。

 話を聞いてみると、どうやら彼女がつき合っている男がその原因らしい。だが、その男というのが噴飯モノだが極めてありがちなケース。いわば価値観流動化時代のダメ男の典型例とも言える人物のようなので、ここで晒させていただく次第である。

 ちなみに相手の男は30代前半、某大手都銀勤務。彼女はそいつとは数年前に友だちの紹介で知り合ったらしい。しばらく交際が続いたあと、1年前ぐらいから2人は同居しており、「そろそろ結婚しようか~」という話にはなっているらしいが、問題なのはこの男の最近の言動である。

 最近の彼女は仕事がたまっていて結構忙しい。夜帰るのも結構遅くなったりするのだが、そうすると彼は「そんな仕事に時間とられて、家事をおろそかにするなんて許せない」と激しく怒るんだそうな。

 しかもその理由がふるっている。「君の仕事は、僕の仕事みたいに社会的なステータスがある仕事じゃないだろう」だって。…たかが都銀ふぜいが何をアホぬかしとんのじゃボケとか思うわけだが、これってごまめの歯ぎしりですかそうですか。

 でも、「そこまで言うってことは、要するに彼は、貴女に仕事辞めて家庭に入ってほしいって思ってるんじゃないの?」と聞いてみると、そういうわけでもないらしい。「彼はいつも『○○ちゃんには働いていてほしいと思ってるよ』って言う」んだそうな。しかも絶対正社員、派遣とかパート系の「チャラチャラした仕事」はダメだ、との仰せ。

 で、彼女としては帰宅が夜遅くなる今の仕事を辞めて、もう少し早く帰れる仕事に転職したいんだと。

 で、僕は言った。「君さあ、そいつと別れた方がいいよ。今の君の年齢で、派遣やパートじゃなくて正社員で確実に早く帰れる仕事なんて、そうそう簡単には見つからないって。しかも今の会社だって、いつもいつも遅くなるわけじゃないでしょう?それよりそんな意味不明なこと言う彼氏なんか、結婚したって幸せになれっこないから、別れてもっといい相手探したほうがいいよ」。彼女は「また少し考えてみる」と言って帰っていった。

 僕なりに考えたのは、この都銀勤務の彼氏は、たぶん旧世代と新世代の価値観ギャップを自分の中で整理できてないんだろうなってことだ。

 彼女の話から察するに、彼自身の頭はそれほど良さそうではないが、おそらく父は大企業の役員クラスで母は献身的な専業主婦、それなりに不自由ない環境で育ち一流大学を出てすぐ当たり前のように大手都銀に入ったお坊っちゃまに違いない。妹がいたりすると父親の方針でお嬢様短大に入り、今は兄と同じく大企業でOLしてるか、既に結婚して専業主婦。ま、典型的な都会の保守階級である。

 だがふと世間を見回してみれば男女同権、女性活用が時代の流れ。彼としてもここで「女なんてのは家で子ども産んでオレのために家事してればいいんだ」とか言ったら袋叩きに遭うぐらいのことは、“エリート”だから分かるわな。それで将来の妻となる女性にも一応Political Correctnessのコードに基づき、「働けばいいよ」と優しい顔をしてみせるわけだ。

 だが実際に働くってのは男も女もそんなに楽なことじゃない。というか、本店の暇な部署で役員に見せる報告書だけ毎日書いてるような都銀マンと、テレビ屋や広告屋から毎日低コストだの納期厳守だの言われて搾取されまくっている制作屋じゃ、「働く」の意味が全然違うだろ。しかも女性だぜ。

 というような浮世の現実を、まるで知らないんだよ、丸の内の本社御殿にこもって仕事する銀行マンな彼は。だからPCコードに沿って発言していたつもりが、家事に差し支えない範囲にしろとか、働くなら正社員じゃなきゃダメだとか、本音がボロボロ混ざって支離滅裂な要求に化けちゃうんだ。

 僕としては、やっぱりこういう男性には下手に俗世間のPCなど意識して、いたいけな女性を精神的ダブル・バインドに追い込んだりせず、守旧派の本音を貫いて堂々と「女は子ども産んで家事だけやってろ」と、言い放ってほしいと思うのだよね。

 なぜかって?だってそれはある意味「何が何でも俺の腕だけで一生妻子を養ってみせる」という固い決意の表れでしょ。そこまでの決意を表明できるサラリーマンって、今どきすごく貴重だと思うよ。30歳以下の99%の男どもがそんなこと、とうの昔に諦めちゃってるっていうのにさ。エライよ。

 で、そこまで言われれば「私も家と子どもを守って、一生あなたについていきます」っていう、これまたヤマトナデシコ的な麗しき女性が伴侶に付くというものですよ。会社で働くということと、家で家事をこなすということは、人間にとってまったく別の能力が必要とされるんだと思うからさ。

 あいにくと近年はヤマトナデシコな女性の供給が(フェイク品はともかくも)極めて逼迫しているようだから、本音トークをぶちかまして取引成立にまで至るかどうかは微妙なとこではある。でもさ、本音と建て前の二枚舌で騙して結婚相手つかまえても、誰もハッピーにならないと思うんだけどな。そこんとこ、どうですかね。

12:16 午後 経済・政治・国際 コメント (17) トラックバック (7)

2004/12/07

水に落ちた方の犬が負け

 切込隊長んところが朝から騒がしいと思ったら、キムタケ銀行の告発が始まったみたい。落合伸治氏の告発インタビューが載った東洋経済、エコノミスト発売にあわせてということか。

 「これからマスコミが行う私へのリンチ報道ぶりを是非遠くからみていてください」とかヒーローぶった、意味のわかんないコラムがキムタケブログに載ったので何か臭いなぁと思ってたらこういうことだったのね。そりゃ、切込隊長にもたたかれるわけだ。

 キムタケは「ベンチャービジネスを立ち上げるには様々なトラブルが付き物です」と言っている。そりゃまったくその通り。しかしそれを隠し仰せて表向き立派に見える数字だけを出して初めてベンチャーと言えるのですよ。トラブルやどろどろを隠し切れず、まともな数字も作れないうちに暴かれた時点で、ベンチャービジネスは失敗ですな。ご愁傷様。

 ま、しかしながらキムタケと仲違いして銀行から追い落とされた落合氏というのも叩くとホコリがもうもうと出そうな方でいらっしゃるので、彼の言い分がどこまで正義なのか、そんなことは門外漢には絶対分からない。「木村剛銀行」とか言って批判しているが、じゃあ「落合銀行」になった時にもっとやばいネタが暴かれていた可能性だってあるわけで。てか、株持ってたんなら第三者増資の時点で取れる分をよこせって要求すべきでしょ。しないで乗っ取られたんなら落合氏のほうがバカなだけですよ。

 それと9月中間期の決算数字が問題になっているようだが、これだって金融庁が銀行免許を停止するほどのエビデンスにはならないと判断したのだからキムタケは発表したのでしょ。ベンチャービジネスなんだから筆頭株主になったやつが最後まで責任もてよ。っていうだけの話です。僕としてはキムタケも落合もどっちの肩を持つ気にもまったくなれない。

 切込隊長はこの問題が小泉-竹中ラインという、政権の経済運営中枢にまで波及するかもしれないと述べているが、正直言ってキムタケ・ゲートはあり得るか?僕は、99%ないと思う。

 隊長が言うように竹中氏が学者として以上に政治家として超有能だったってことは結構みんな分かってきている。それに先日の参院選で80万票取って当選してるんだから、今じゃれっきとした自民党の「顔」だ。そんなに票の取れるタレントを、キムタケごときのスキャンダルで自民党が潰すと思う?あり得ませんよ、そんなこと。

 大政治家竹中氏にとって、キムタケなぞ大手都銀に喧嘩売りたい時にたまたま持ってきた駒の1つであって、用がなくなれば切り落とすトカゲの尻尾の1本に過ぎない。既に金融庁の顧問だって辞めてるんだし。新銀行は適当なエビデンスが出てきた段階で、かつての永代信金とかみたいに近くの地銀にくっつけて「お取り潰し」の処分してチョン、でしょ。それで何も問題ない。

 要するに、検査すり抜けようとしていたUFJ銀のコンサルも請け負っていた(by東洋経済)とか、そういう事実が出て来ちゃった時点でもう彼は「水に落ちた犬」だと思う。別にマスコミがどーたら言う話じゃない。切込隊長だって、彼の会社がキムタケといくらかの関係があったことも表に出した(つまり清算した)うえで叩いてるんだから。取引の話が表に出るという時点で、その関係はもう終わりってこと。つまりUFJ銀の話が関係者から出た時点で、彼と金融庁の“特別な”関係ももうおしまいってことなわけです。

 もちろん、キムタケがこれからまたノンバンク界の大物を引っ張ってきて新銀行にくっつけるとか、とんでもないウルトラCを決めて大逆転する可能性だって、残されてないわけじゃない。いっそ、武富士やSFCGと全面資本提携するとかね(笑)。そしたらキムタケはヒーローだよ。ベンチャーっていうのはそういうもの。どぶに落ちたらどうやってそこから這い上がって、世の中の奴らをギャフンと言わせるか、それがすべてだ。

 ま、マスコミの叩き記事が出る前にブログで先制攻撃したっていう政治センスは、少しだけほめてあげてもいいと思うけど、銀行屋なんてネットベンチャーじゃないんだからさぁ(笑)、社長ブログでマスゴミ嘲笑したり自著のアフィリエイト貼ったりする前に、さっさと武富士かSFCGと提携交渉してきなさいってこった。それとも、プロ野球参入でもするつもり?(爆)

09:37 午前 経済・政治・国際 コメント (0) トラックバック (3)

2004/11/22

「結婚したら負けかなと思ってる」

 前回のニートの記事も、小難しい内容よりも先にタイトルが割と共感を呼んじゃったみたいなところがあったので、今回もタイトル先行で行ってみたいと思います(笑)。ネタ元はとくダネのあのニート君の有名なせりふ「働いたら負けかなと思ってる」から。

 以前のブログで「少子化の根本的原因は、子どもが小さいうちは母親が付き添っていないと精神発達が遅れるという『3歳児神話』にある」みたいな話を書いた。そのときは考えもしなかったことなのだが、どうも少子化とニートは、問題の根っこが同じところにあるらしい。

 前回の「ニートになりたい僕たち」で書いた話は、実はもう現実に先取りされていた。読売新聞の9月16日の報道によると専業主“夫”は7年連続で増加しており、昨年は96年の2倍に達し、ついに8万人を突破したとのこと(読売の元記事はもうネット上に存在しないので、このあたりのブログを参照)。要するに、男性と女性の立場がすごい勢いで入れ替わっているだけのことで、これからますます男もカジテツやらセンギョーやらになるわけだ。で、男性は子どもを産むことはできないんだから少子化進んで当然じゃん、みたいなアホくさい結論で終わりそうな気もする。

 というところで終わってもしょーがないので、今度はちょっと逆の側から、つまり女性が結婚しない理由について考えてみたい。

 ずばりそのものの議論については、今年は「負け犬」論争などもあったことだし、小倉千加子センセイなど高名な学者様たちがさんざん論じているテーマなので、ここで正攻法で議論するつもりはない。

 で、何が言いたいかというと、「ニートも非婚化も根っこは同じ気がする」というLoveless zeroのエントリに対する言及だ。僕もまったく同じことを考えているが、それはLoveless~の筆者、秋風さんが書いているような「自己の理想イメージと(結婚、雇用の)相手のオファーとのミスマッチ」というだけではない。それははっきり言える。

 ニートと非婚化の何が共通しているかというと、それは親の存在だ。ニートでも「むりやり就職しなくてもいいという親」の存在がニートを(経済的、精神的に)許してしまっているという声があるが、結婚だって同じなのである。自分の娘がいくら婚期を逃しそうだからって、給料も安定してもらえない男と結婚してもいいと思う親はあまりいない。むしろ親の方が結婚相手の経済力を天秤にかけて、そんなやつと一緒になるぐらいなら30過ぎても家にいなさい、とか言って通ってしまう。前も言ったように女性自身の経済力だって、同世代の男に比べて(相対的に)どんどん上がっている。

 昔はそういうとき、無理矢理結婚相手を見つけて世話しようとするおばさんが必ず近所にいたもんだが、最近はそういうお節介な人は特に都会ではめっきり減った。

 あと、僕がこれは見逃せないと思うのは、経済的な側面だけではなく、「結婚生活そのものに対して、親の世代が何の希望も子ども世代に与えていない」ということである。

 団塊世代の夫婦で、夫婦の寝室が一緒だという家庭の割合は2~3割と聞いたことがある。もっと少ないかもしれない。ほとんどの団塊夫婦は家庭内で別居している。別に夫婦仲が悪いからではない。お互い、それぞれでやりたいことがいろいろとあるからだ。妻は地域内での様々な会合やらネットワーク活動に大忙し。収入は減り気味だけど会社の仕事にも余裕が出てきた夫は、若い頃没頭できなかった音楽や芸術などの趣味に没頭。日中忙しい妻と帰宅後の時間を夜中まで楽しみたい夫は、生活時間が合わなくなる。それで、寝室を分ける。

 若い世代はそれを見て「結婚なんて別に意味ないじゃん。一緒の家で暮らしていても、結局お互いのやりたいことやるだけなんだ…」と思う。で、同年代の男性を見ると趣味にとてもついていけない。20代後半~30代前半はできればニートになりたいとか思ったりする、ひきこもりオタク世代だからだ(笑・僕含む)。

 「子どもはほしいけど結婚したくない」という声が多くの女性から上がるのは、「子どもはカワイイから欲しいけど、こんなキモイ男どもと一緒に暮らしたくないよ~」という理由があるからである。というか、親の世代も含めて、趣味に没頭する男というのがたいてい家族関係をないがしろにしてまでそれをやる、ということが分かってるから結婚したくなくなるのだ。

 本音の部分を補えば、今の若い女性の気持ちは「(経済合理性があって趣味もあう、そんな理想の相手がいれば)結婚したい、でも(ニートひきこもりオタクフリーターとかのダメ男とは)安易に結婚したら負けかな、と思ってる」、みたいなところじゃないでしょうか。実は、ニートとまったく同じ構図(笑)。

 さてここからは、あるマーケティング・コンサルタントの受け売り。

 実は、「団塊世代」「シニア世代」の価値観は、人口で約半数を占めるというボリュームも相まって、今や日本人の全世代に波及している。

 シニア世代の最大の特徴は「夫婦子連れ」という、政府や企業の想定してきた標準的世帯像とは異なる「非標準世帯」であることだ。たいていのシニア世代は「親+子1人ずつ」か「独居」という世帯構成である。なぜか。夫婦の場合はほとんど寝室が別で、家庭内で別居状態である。だから2人の「独居者」のいる世帯と考えて良い。

 一方、ニート、カジテツ、老・老介護などのいる家庭は「親+子1人ずつ」の構成だが、この世帯の特徴は「親と子どもに相互甘え関係がある」ことだ。意識が融合していて、お互いに離れられない。そうでない場合には、たいてい依存の相手として子どもの代わりに「ペット」が存在する。こういう家庭では「1週間に娘/息子より、ペットの顔を見る回数の方が断然多い」。つまり子どもがどうしているか、親の側にまったく関心がない。これはむしろ2人の「独居者」家庭と分類した方がいい。

 彼の話によると、首都圏では既に「標準構成」の世帯比率は、全世帯の15%にまで下がってきている。それ以外の家庭は全部「独居」か「親+子依存」のどっちかである。むしろ標準家庭がとうてい「標準」ではないという実態がある。

 この結論として、彼は「30代半ば負け犬女性も20代後半ひきこもり男性も、マーケティング的には全員『シニア』である」と定義する。他人より自分の価値観を優先し、血縁のある家族より癒しを与えてくれるペットを重視する、そういう価値観の人々が世の中の多数を占めるようになったのである。以上、受け売り終わり。

 ここで狭い意味の50歳、60歳以上のおっさんたちが「世間の伝統的な家族の価値観の崩壊はユユシキことだ」とかほざいたところで、若い世代に「アンタそんなこと言うてるけど自分の家で奥さんと別室で寝とるんとちゃうんかい」と言われてしまうとまったく説得力がない。今さらサーヤも結婚できてやっと当たり前の女性になって良かった良かったとかはやしたててみたところで、今さら上の年代がぶっ壊してしまった枠組みが元に戻るようなものではないと思う。だって、それは今の労働人口問題やら経済の合理的な流れをすべて逆回転させたい、というのと同じことだからね。心情的には分かるけど。

 結局のところ、保守的な人たちのもやもやした気持ち(サーヤを見習え!みたいな)を突き詰めていくと、結婚や労働という「我慢」を若い連中に教えろ、ということに集約されると思うのだけれど、上の世代が我慢から解放されて好き放題していながらそれを言うか、という時点でもはや解決策はないのかもしれない。そういう意味で、保守的な方々は若い連中に苦行としての労働を「人間的成長」とか洗脳しつつ教え込んでる楽天やらソフトバンクといった会社をもっと持ち上げるべきだと思いますがね。これは余談。

 で、僕が思うのは「労働か家庭(家事)か」という二者択一に押し込めようとするから誰もが不幸になるんだよね。だったら、第三の選択肢を広げればいいじゃん?ということだ。つまりですね、地方自治体の仕事とか公共機関の仕事を全部解放して、公務員の仕事をみんながパートタイムとか有償ボランティアでできるようにすればいいんだよ。

 そうすれば、家に閉じこめられてる人にとってもちょっとしたお小遣い稼ぎ&社会に貢献する仕事をしたことの証が得られるかもしれないし、適当に人が入れ替わっていくことで、雇用の流動性も高められるし。

 だいたい、今の公務員っていうのは、学校の登下校の行き帰りで旗を振ってるだけのおばさんが年収800万円だとか、理不尽な話が多すぎるんだよね。ニート対策で230億円の予算とか言う前にそこんとこ何とかしなさいってこった。

10:48 午前 経済・政治・国際 コメント (0) トラックバック (4)

2004/11/15

「ニートになりたい僕たち」への反応の感想

 先週の月曜日にアップしたエントリ「ニートになりたい僕たち」が、何やらものすごい反響を呼んだみたいだ。ちょうどasahi.comに、自分もニートになるんじゃないかと思いながら働いている若者のルポ記事が出たタイミングでもあり、それとセットになってブログ界の人たちなら誰でも知っている超有名ニュースブログに次々とリンクが貼られ、それ以外の個人ブログにもたくさん引用された。

 個人的には少々跳ねた「トンデモ論」を書いたつもりだったのだけれど、引用先のブログを見ると「実は私もニートになりたかった」っていうカミングアウト系、「そう言われれば確かにニートってカジテツのことじゃん」という膝打ち系、「ああ~俺達ってやっぱり割を食う世代なのね」というしょぼーん系など、割と肯定的な反応が多かったです。リンクしてくださった方々、どうもありがとうございます。

 で、コメント欄にも何人かの方からレスいただいた。それに答えるふりをしつつ、もう少し真面目な議論をしてみたいと思う。

 まず、aaさんからいただいたコメント。

インターンシップ行ったが、行ったからといってニートは減らないだろう。彼らはインターンシップ自体行こうとする努力をしないのだから。
 既にニートの人たちはインターンシップとか言っても来ないと思うので同意なんだけど、僕が議論していたのは中高生のインターンシップの話で、基本的に強制参加みたいなものの話だから、aaさんのご指摘はちょっと論理がずれている気がする。

 僕の考えるインターンシップがニート対策にならない理由は、まずニート増加の最大の原因が「親が就職を勧めない」ことにあるからだ。このあたりの話は、前回のエントリでも引用したNHKのクロ現を批判する余丁町散人先生のブログあたりが詳しいのでそちらをどうぞ。

 今の20~30代のニート急増は、その親である団塊世代の意識、さらに若い世代特有の、労働をめぐる男女の役割の変化などにあるのであって、そうした社会環境を無視してニート予備軍をむりやりインターンシップにかり出したところで、それほど状況は変わらないと思う。むしろきちんとした方向付け(オリエンテーション)をしないでただ未熟な彼らを労働現場に放り込むだけでは、むしろ「ああ、俺ってこんなに役立たずなんだ」と学生に思わせ、働くことに対する後ろ向きなインパクトを与えて逆にニートを増やしかねないとも言える。

 中高生や大学生のインターンシップを否定するわけじゃないが、それぞれの年齢ごとに「働く現場」を見せることの意味は違うと。ここでは詳しくは述べないが、「ニート対策=インターンシップ」というのは、何やら職業教育のステップというのを踏まえない浅はかな議論のような気がしてしょうがない。

 次、杢さんとjust another neetさんのコメント、

きつい言い方するけど、家事は遊びみたいなもん、主婦はニートみたいなもん、と思っているのは家事をした事のない証拠だし、主夫には向いてないと思うよ。(杢さん)
専業主夫に向いてるとか向いてないとかの話じゃなくて、そもそもそういう適性があるかどうか挑戦して試してみる機会がないって話じゃないですかね。(just another neetさん)

という件。なんていうか、ここには触れてもらいたくなかったというか、この話を考え始めると迷宮に入るんだわ(笑)。ニートを「男カジテツ」って読み替えた瞬間に「それじゃあ家事は価値ある労働じゃないのか」という、これまた僕にとってはアンタッチャブルな議論になってしまうのが半分ぐらい分かってたので。

 これについては、もう何十回もいろいろな文章を書いては消し、消しては書きを繰り返しているが、他人に読ませられるほどのものが書けないでいる。今回も悪戦苦闘してみたがダメだった。

 一言だけ言うとすれば、「ニートになりたい~」で僕は、「男=仕事するべき存在」という日本社会の共同幻想を批判したかった。そのためにあえてああいう書き方をしたのだ。一方で杢さんの書いているような「実は専業主夫は専業主婦より楽だ」という実感も知っていて、男と女に「交換不可能な部分」が存在することについて悩んでいたりもする。要するに、既存の価値観批判以上の「これ」というアイデアが(ぼんやりとしたものなら、ないこともないんだけど)、明確には「ない」のである。

 なので、この議論については、もう少し考えを練ってからまた改めて書きつづりたい。お返事になってないようですみません。

 このほかにも、いろいろと参考になるサイトからのリンクがあった。特に、ニートについての様々な議論は、loveless zeroというブログの11/13のニュースメモが非常によくまとめられているので、さらに多角的に考えたいっていう人はそちらをご訪問いただければ。

 このサイトに大変面白いコラムがあった。ひきこもりとニートを区別するための「退却マップ」というもので、ニートというとよく引き合いに出される労働政策研究・研修機構副統括研究員の小杉礼子氏の4区分などより、こっちのほうがずっとシンプルかつ実感が湧く。つまり分かりやすい。

 ニートの問題に向き合うことは、「働くとは何か」という質問に根本から答えを出すことと同じだ。ここでは、「働かざる者食うべからず」といった伝統的な価値観に基づく説明は一切の意味を持たない。若い人たちは、大人の教えることと実際の現実とがあまりにも矛盾だらけであることを、既に知っているからだ。

 ゆとり教育で教えられたのは「好きなこと、やりたいことの能力を伸ばせば理想の大人になれる」ということだったが、実際は「日常しなければならないことのうちやりたいことなんて1%もなく、嫌なことも必死でやらなければ自分の食い扶持は稼げない」のが現実である。この矛盾に放り込まれた人にとって、大人の価値観に基づいた「働く意味」の説明なんて笑止でしかない。この感情に向き合わない限り、ニートがいなくなることはあり得ないと僕は思う。

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2004/11/08

ニートになりたい僕たち

 知り合いの社長ブログ(笑)に、「ニートはほんとに問題か」っていうエントリが数日前に出た。IT企業の若い社員が「そもそも正社員って何?」と言っているという話、さもありなん。若い人には、正社員よりニートの方がライフスタイルとしてずっと親近感がある。

 NEET(Not in Employment, Education or Training:無業者)については、NHKが今年5月にクロ現で取り上げてからあちこちのブログで話題が沸騰したわけだが、「ニートなんて良くないよ!みんなちゃんと働かなくっちゃ!」という人の意見も、「ニートを生んだのは日本社会であって、彼らは悪くない」的な意見も、どこかぴんとこない。

 どうしてかなぁとずっと考えていたのだけど、何かもやもやして吹っ切れない。今のところ思いついたことを書きとめておこうと思う。

 率直に言ってしまうと、世の中のおおかたの人とは違って僕は、初めてニートという言葉と概念を聞いたとき「それって、僕のなりたいものなんじゃないか…」と思った(笑)。

 実は以前から人に「将来何を目指しているの?」と聞かれるたびに「専業主夫」と、半ば冗談で答えるようにしているが、この答えを聞いた時の相手の反応が面白い。

 僕より5歳以上年上の人だと、この答えを聞いた瞬間にどう反応すれば良いか分からなくなり、視線が宙をさまよう(笑)。40歳以上の人は特に、無言でも「こいつ、何たるふがいない奴だ」という文字が顔に浮かび上がる。30代前半でも、女性とかリベラルな人は笑った後で「その気持ち、わからんでもないよ」と言ってくれるが、企業社会の価値観にどっぷり浸って生きている人は表情が凍りつく。

 ところが、20代に入ると、男性で「そうですよね、その気持ち分かりますよ!」と激しく同意する人が一気に増える。「僕もそれを目指したい!どうやったらなれるんですか?」などとカミングアウトするやつも出る(笑)。逆に、女性の反応はそれほど変わらない(「その気持ち分かりますよ~」という程度)。つまり、90年代後半の就職超氷河期+企業の大リストラ時代を分岐点として、その前後に社会に出た人、特に男性の価値観が大きく変化していることが分かる。

 それで思ったのだが、そもそもニートってこれまで家事手伝い、俗に言う「カジテツ」って呼ばれていた女性の生き方と同じじゃねーのか。あるいは「仕事もせず学校にも行かず職業訓練もしていない」って、それ専業主婦のことじゃねーの?そういえば女性のニートって、今まで聞いたことないし。

 そっか、要するに結婚してない無職男性がカジテツって自称できないからニートなんだね。女性は結婚せず仕事もしなくてもカジテツかよ。男でもカジテツって呼べよ!とか思うのは僕だけだろうか。

 つまり、僕がニートという言葉に何かもやもやしたものを感じていた理由というのは、この言葉自体が「いい年した男性は結婚して働いているべきだ」という社会的偏見をたっぷりと含んでいるからじゃないのか。

 今20代~30代前半の男性が企業で一生懸命働く動機付け要因は、これからどんどん減っていくと僕は考えている。なぜか。能力主義、成果主義人事制度導入で、企業の中で一番割りを食うのがこの世代だからだ。

 成果主義人事は一般にろくに働かない中高年管理職の年俸を下げるのが目的と言われているが、それは嘘だと思う。なぜなら、年俸切り下げのターゲットが中高年管理職であるのは事実だが、同時にこの人々はそれなりに社内政治力も持ち合わせており、制度導入の際にいろいろな「経過措置」なるものを付け加えて定年まで逃げ切る仕掛けを埋め込むからだ。

 そこで実際の人件費削減の原資は、社内政治の右も左も分からない20~30代前半までの若い連中の(主に将来の)給料からひねり出されることになる。大手企業で成果主義を導入しているところを見れば、だいたいそうだ。で、新卒採用を大幅に絞り込んで現存する若手社員の昇級を抑制し、極限までこき使う。音を上げて辞めるやつが出ても会社は全然困らない。給料の高い正社員が減れば、その分をパートや派遣で補ってお釣りが来るからだ。

 というわけで若いやつほど割りを食うのだが、この中で唯一割りを食わない人種がいる。それは、主に20代後半~30代の女性正社員である。

 既にパートや派遣に切り替わっている人は別だが、この年代の女性正社員は大手企業にとって極めて貴重な存在だ。というのも、上場企業中心に強まるCSR(企業の社会的責任)重視の風潮の中、「雇用」の分野でもっとも注目される指標が「女性管理職の比率」だからだ。

 CSRの評価を上げるためには、何が何でも同業他社より女性管理職の比率を高めなければならない。しかし、管理職にできる女性はいるか?社内を見回した時に、40代以上で生き残っているのはあくが強すぎ、20代では心許なさすぎる。となると、30代女性正社員をどこまで囲い込み、マネジャーに育てていくかが最大の課題ということに気がつく。

 だから、企業は若手社員をいじめても、30代女性だけは「幹部候補」というプロテクションをかけて守る。これまで女性採用数の少なかった企業では、この枠が20代後半ぐらいまで降りてくるかもしれない。したがって、20代後半~30代では正社員に限れば男性より女性の待遇のほうが良くなってくるところが増える。

 となると、普通の男性が無理して働く意味はますますなくなる。これまでの女性と男性の社会的役割が、この年代に限ってはひっくり返っているだけなのだ。だから今働いていても、本音では「結婚したら退職したい」とか「親と同居できるなら仕事はパートでもいい」とか考えている男性は多いと思う。

 余丁町散人氏がブログで書いているように、今の20代~30代前半は、団塊世代の親の生き様から大きな影響を受けている。その影響とは「(民間企業で)働くことに対するイメージダウン」であると同時に「労働から解放されて井戸端会議に高じていられる(専業主婦という)身分の(特に老後を迎えてからの)圧倒的優位性」である。成果主義人事という企業の非情な仕打ちを受けて、「何でここで歯を食いしばらなきゃいけないの?嫌だったら専業主夫やカジテツになればいいじゃん」と考える男性が増えるのは、団塊世代の経験を踏まえた、ある意味必然的な帰結ではないだろうか。

 だから、僕個人は「ニートを減らすために中学・高校でのインターンシップを拡充しよう」といった話が出るたびに、「別にそんなことしなくてもええじゃん」という気持ちになる。

 それより、男手だけでも子育てできるぐらい育児環境の整った社会を作れば、ばりばり働きたい女性がもっと増えて企業のCSRにもプラスになるし、『家庭内の大黒柱は男でも女でもいい』っていう社会常識もできるんじゃないの?そしたら無職男性も『カジテツ』とか『センギョー』って呼ばれるようになって、ニートって言葉は自然消滅するよと思うんだけど、どうでしょうかね。

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2004/11/06

続・10年後のマンション価格

注)このエントリは08/11/2004 09:10:53 AMにアップしたものを日付だけ変えてそのまま再録しました、URLは変わっています。リンクされていた方はリンク先変更をお願いします。
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 昨日(といっても数時間前)に書いた、マンションの価値評価の続き。自宅用としてマンションを賃貸でなくわざわざ「買う」人にとっての価値とは何か、10年後に価値の下がらないマンションとは何かというお話です。

 前のエントリでも書いたように、もしこれからの人生に転勤や失業といった“不測の事態”が起きる可能性があって、しかも特定の地域に住み続けなければならないという縛りのない人(独身者とか片方が無職の子なし夫婦とか)だったら、住みたい場所を賃貸で借りて住んでいればいいだけのことだ。

 かつては賃貸住宅は分譲住宅に比べて品質が悪いとか言われていたが、公団(都市再生機構)の最近の賃貸マンションには一昔前の分譲並みクオリティーのものだってあるし、定期借家権制度の普及で、購入した分譲マンションや戸建て住宅が2~3年の短期で貸しに出されるケースも増えてきた。ライフスタイルに合わせて家を住み替えたいという人にとって、賃貸住宅の選択肢は確実に広がっている。

 ではなぜ人はマンションを買うのか。それは、ライフスタイルに合わせて賃貸を住み替えることでは解決できない問題があるからだ。

 今どきマンションを買う人というのは、大きく以下の3種類に分かれると僕は思う。

  1. 子育て中の30代ファミリー
  2. 結婚相手の代わりに自分の根城がほしい30~40代独身女性
  3. 第2の人生のための家がほしい50~60代定年退職夫婦
 昔なら2.の層(俗に言う「負け犬」)は一定年齢が経過した時点で親族によって田舎に強制的に引き戻され結婚相手を引き合わされたりしたものだが、最近はマンション1棟まるごとこういう人たちが買うところもあるほど“顧客層”として厚くなってきた。一方3.の人々も、60歳の定年から後の人生がまだ30年も残っていることをはっきりと意識し、自分の築いた資産を次世代ではなく自分のために使い切ることを決意した、戦後初めて現れた人種である。

 2.と3.はどちらも、山手線内側の都心マンションが飛ぶように売れる「都心回帰」現象の原動力である。だが「これらの人々(とその需要)は、10年後もある(orさらに強まっている)と思うか?」と問われれば、「分からない」としか答えようがない。何しろ、バブル崩壊で地価が20年前の水準にまで下がると同時に、含み益重視からキャッシュフロー重視へと経営の舵を大きく切った日本企業の保有地放出が相次ぐという環境要因が2つ重なったところに現れた、これまでに類のない人生の価値観を持つ人々だからだ。

 彼らが一時的に都心のマンションの需要を増やし、価格をつり上げてプチバブルを演出しつつも時代のあだ花で終わるのか、それともこういう社会構造がますます強まるのか、予測は不可能だ。彼ら自身も、自分がマンションを買って10年後にどうなっているか、正直なところ分からないだろう。ただ、現状に対する漠とした不安と、万が一のときにも生活の支えとなる資産を持っておきたいという気持ちが、YW曰く“資産価値のある”都心マンションの購入に彼らを走らせるのである。

 個人的な(そして不吉な)直観を言っておくと、2.と3.のこうした投資は一部を除き「失敗」に終わるのではないかという気がしてならない。あくまで直観なので明確な根拠はないけれども、本質的にどちらの層も「しっかりした計画があれば買わなくてもいいもの」を買っているという点で、需要(つまり価格)が実態以上にかさ上げされているように見えるからだ。かさ上げの実態が見えた時点でバブルは必ず弾ける。

 それに対して、(1)の顧客というのは今も昔も伝統的な住宅1次取得者層である。自分も含めてこの層の住宅取得動機は明確だ。「子供が育っていくに連れて間取りを増やす必要が生まれるなど、数年単位でライフスタイルの変化が生じる。しかし子供の教育環境を考えると、頻繁な転居はしたくない。少なくとも子供が中学か高校を卒業するまでの15~20年は居住地域を固定したい」というものだ。

 つまり、自分のライフスタイルに合わせて家を「住み替える」のではなく、「つくり変える」ことを希望するからこそ、マンションの賃貸でなく購入を選ぶのである。

 都心マンションの10年後の価格がどうなっているかはさておき、こうした「子育てのために居住地を固定したい」という顧客層にとってのマンションの価値とは何だろうか。マンションそのものに付随するハード的価値(ライフスタイルに合わせた間取り変更などのリフォームのしやすさ、設備や躯体の耐久性etc.)を除けば、それはおそらく公共交通へのアクセス利便性などと並び、いやそれ以上に「その地域の教育環境」が重要な価値になると思う。

 教育なんてどこに住んだって変わらないんじゃ?とか言ってる場合じゃない。10年後を予測するカギとなるのが、今総務省主導で見直しが進んでいる地方財政改革の中の「義務教育に対する国庫負担金廃止」(リンク先はまとめサイト)である。

 義務教育国庫負担金というのは、市町村立学校(主に小中学校)の教職員給与の半分を国が負担する制度のことだ。これが廃止されて地方自治体(実質的には市町村)に財源が委譲されれば、教育にカネをかける自治体とそうでない自治体の差がはっきりと出る。

 これまで、公教育というのは日本全国どこで受けようが同じ、というのが建前だった。実際には教員によって当たり外れがあるとかいろいろ言われてきたが、それでも学習指導要領に縛られた授業内容は、全国共通のものだった。

 しかし、2002年に文科省はゆとり教育に対する批判から、「学習指導要領は最低基準」と方針を翻し、今年の教科書からは指導要領を超える内容を盛り込んだものがほぼ全教科で登場している。つまり、公教育に明確な学校格差が生まれ始めたのだ。このことは、小学生の通信教育最大手の「進研ゼミ」のコース内容の変化や、1対1や2対1の個別指導を軸にしたIE一橋学院のような学習塾が急速に業績を伸ばしていることからも伺える。小中学校での全国共通、あるいは都道府県ごとに共通のカリキュラムというルールは既に崩壊しているのだ。

 となると、公教育にカネをふんだんに使うと宣言している自治体に住まいを構えることは、それだけでカネに代えられない「居住のメリット」を得ることに等しい。あえて金額換算するなら、小中学校の9年間を一定レベルの私学に通わせるのにかかるコストと公立に通わせるコストとの差額(こちらのサイトによると、約660万円)が、そのメリットと言えるだろう。つまり、公教育にカネを使っている自治体内のマンションは、それ以外の条件が同等の他の自治体の不動産に比べて子供1人当たり660万円分は高くてもいいことになる。

 こうした観点から見て、現時点で首都圏でマンションを「買って」でも住むに値する自治体は、「ハタザクラプラン教育特区」で少人数教育を始めようとしている埼玉県志木市、小中学校へのチーム・ティーチング用教員の増員を100%市費で賄っている千葉県浦安市、1学級20人台の小学校を研究指定校内に設置した神奈川県の一部地域などだろう。ちなみに、文科省の調査に対し「少人数学級実施の希望校はない」と返答し、知事自ら「教育にはスケールメリットが必要である」などと意味の分からない発言をくり返している東京都には、間違ってもマンションを買ってはいけない(笑)。

 そして、長期的にはこうした公教育の改革が行われていくかどうかは、その地域の住民の教育への意識が高いかどうかに依存する部分が大きい。インターネットで「少人数学級」などのキーワードで検索して、住民のつくったサイトがひっかかってくるような地域は、マンション購入の条件を満たす可能性が高いと言えるだろう。

 端的に言えば、今後10年はこういう「地方自治体のソフトパワー」が、地域の不動産価格だけでなく、あらゆる意味の生活インフラに大きな差をつけるようになると僕は思う。だから、10年後に価値の下がらないマンションはどこですか、と聞かれたら、僕はこう答えるだろう。「今いる住民の自治意識が高い地域を選びなさい」と。住民のコミュニティーの強度が、ハードの資産価値を左右する時代が、もう目の前まで迫っているのである。

10:35 午前 経済・政治・国際 コメント (2) トラックバック (3)

10年後のマンション価格

注)このエントリは08/10/2004 11:32:55 PMにアップしたものを日付だけ変えてそのまま再録しましたが、URLは変わっています。リンクされていた方はリンク先変更をお願いします。
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 8月22日号のYomiuri Weeklyに「東西430駅マンション10年後の価格」という特集が載っていた。最近、住宅に関心を持っているので買って読んでみたが、例によってYWの空砲だった。不動産評価会社、東京カンテイのマンション売買データをもとに、「10年後に値下がりしにくいマンション」の駅を上位100駅までランキングしたというものだ。

 結論から言うと「下らない」の一言に尽きる。なぜかというと、10年後の価格下落率の予想方法というのが、「現在の新築価格と中古流通価格の単位面積当たりの差を求め、それを中古物件の築年数で割り、1年当たりの減価額の10倍を新築物件の単位面積当たり価格で割る」というものだからだ。

 要するに、単純に過去10年のマンション価格の変動を「年ごとに一定率減価していく」と仮定して、それを新築マンションの価格に乗じて10年後の相場予想を出しただけなのである。

 あほらしい。中古マンションの価格が年ごとに一定率減価するなんて、10年たったら価値がなくなる自動車じゃあるまいし。最近のマンションは、メンテナンスさえちゃんとしていれば躯体寿命は100年である。10年で15%価格下落する地域のマンションは、50年経ったら4分の1の価格ですか。そんなことありえない。

 ま、東京カンテイというデータ屋さんのウリはこの計算方法の分かりやすさにあるわけで、こういうサルみたいな計算式が日本のあらゆる町の不動産屋ほぼ100%に採用されている限り、こういう頭の悪い雑誌の特集もなくならないのでしょう。

 ちなみにランキングの上位10駅は、1位田園調布、2位光が丘、3位品川、4位御獄山、5位吉祥寺、6位月島、7位新浦安、8位平井、9位若葉台、10位代官山。

 分かる人には分かるが、これらの駅はすべて過去10年以内に鉄道の新線が開通した地域か、大規模な地区再開発が実施されたところである。田園調布、御獄山は地下鉄南北線の東急線乗り入れと、東横線複々線化。光が丘、月島は都営大江戸線。若葉台は小田急の新駅開通(予定)。品川、平井、代官山はそれぞれ大規模な(再)開発が行われた地域だ。新浦安は少し古いが90年の京葉線開通に加え、今も海辺の埋め立て地で継続的に住宅・商業地の開発が進んでいる。吉祥寺だけがよく分からないが、ここも駅周辺の商業施設の充実があるのだろう。

 だから本当に「10年後に価格が下がらないマンション」を言い当てたいなら、地域に今後大規模な再開発が起こりそうな、あるいは新線が開通して交通の便が劇的に向上しそうな場所を選ぶべきだろう。今なら、ゆりかもめが再来年に延伸する豊洲とか、有楽町線が延伸する住吉とかの駅まで数分以内のマンションが「お買い得」だと思う。本当に10年後にキャピタルゲインを狙ってマンションを買おうという人は、そういうところを買えばいい。

 だが、マンションを買うのは別に投資家ばかりではなく、むしろ自宅として購入する人の方が多いはずだ。YWのランキングは単に「過去10年余りの間にマンションを買って大損しなかった人の多い地域ランキング」なだけで、今後10年間のマンションの価格変動とは何の関係もないものだが、さらに言うなら「値下がり率」という投資の尺度だけでランキングしているという点で、投資用ではなく自宅用にマンションを購入する人にとっては、二重の意味で何の指針にもならない。

 YWの記事には、「先行き不透明な時代、人生に何が起きるか分からない。不測の事態に備え、将来も値崩れしにくく、高く売れ、人に貸しても高い賃料が取れる物件を買うことが重要」と書かれているが、もし住み替えが必要になるような「不測の事態」があり得る人生ならば、そもそもマンションなど買うべきではなく、賃貸マンションに住んでいればいいのである。

 実際にマンションを「買う」人には、人生に「不測の事態」が起こってそこに引き続き住めなくなるリスクも負ってでも、マンションを「買わなければならない」理由がある。ならばなぜその「理由」をもとに将来の不動産の価値を評価しないのだろうか。

 僕には、10年後にこれが住宅用不動産(主にマンション)の価値を決めるだろうと思われる、決定的な評価軸のイメージがある。ただ、これについて語り始めるとまた長くなるので、続きは次のエントリで。

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