2008/07/28

「日本語吹き替え番組禁止法」はいかが?

先月、仕事の関係で少しまとまった時間を欧州で過ごす機会があり、その時にアフリカ・中南米を含めた世界中のかなりインテリジェントな人たちと長時間一緒に議論した。当然ながら日本人として自分の英語の出来なさ加減にうんざりしたりとかいろいろあったわけだが、北欧・東欧あたりの歯に衣着せない物言いをする人たちから「酷い英語だね」と面と向かって言われたりしたこともあり、さすがに(その通りだとは分かっていたが)彼らに正面切って聞いてみた。「そういうあなたはどうやって英語を身につけたのさ?」

典型的日本人として予想していた答えは「小学校から英語を勉強してるよ」とかそういう類いの(日本の"ダメダメな"教育制度に責任を押しつけられる)ものだったが、この予想は見事に裏切られた。「英語の勉強なんて高校から始めた」とか、そういう人がほとんどだったのである。

もちろん彼らも流暢な英語をしゃべるわけではなく、いやむしろはっきり言うと僕みたいな日本人が聞いていてさえ分かるほど「酷い発音、酷い文法」の英語だったりもするのだが、それでも場の議論の内容を踏まえて言いたいことは言いたいスピードでちゃんと言えるレベルであり、しかも相手の言うことをきちんと受け止めて議論し、時にはジョークだって言う。彼らに言わせると、アメリカ人のしゃべる英語は「米国語」であり、英語ではないとのこと(笑)。

冗談はともかく、ではなぜ彼らは、高校ぐらいから英語を勉強し始めるにもかかわらず仕事で議論できる程度の英語がちゃんとしゃべれるようになるのか。その理由を聞いてみると、多くの人が同じような答えを言うのに気づいた。「小さい頃からハリウッド映画やCNNなどのテレビ番組を英語で見ていたから」というのだ。もちろん、彼らは自国語で使う文字も基本的に同じアルファベットだから、日本人よりも自国語と英語の間にある壁も低いのだろうが、それにしても家族や学校などが自国語の環境であるにもかかわらず英語をしゃべれる・聞けるようになるのは、日常触れているマスメディアに英語が流れている影響が大きい。

なぜそう言えるかというと、いろいろな国の人たちの英語での会話力を見比べていると、フランスやドイツなど、経済的に明らかに大きくて、「ハリウッド映画が自国語に吹き替えられている」割合の多い国の出身者に比べて、北欧や東欧、アフリカなど、自国の言語はせいぜい字幕を入れるのが精いっぱいで、場合によっては英語のソフトをそのまま輸入して上映・放送するしかないほどの国の出身者のほうが、明らかに英語が上手という傾向があったからだ。

もちろん、会議の席での発言頻度や積極性にはそれ以外の要素も大きく絡む。アジア系は皆同じ国の出身者同士でつるむ傾向があり、発言も求められなければ滅多に自分から言い出さないのは日本人に限ったことではない。北欧系の人たちは、場の空気とかまったく読まないし、自分がこういう発言をしたらその裏の意味をどう受け取られるかとかを全然考えずにずけずけと思ったことをそのまま口に出して言う。

「英語で会話する」というのは、そうしたコンテクスチュアルな側面も含めて「口に出さなきゃお前の考えてることなんか分からない」という欧米の文化を受け入れるかどうかの問題であり、100%の適応は日本人には無理だということは分かっている。ただ、別にそれは日本人に限ったハンディでもないし、それ以上に「日常的に英語を聞く環境があるかどうか」ということが、国際会議などの場での英語の議論について行けるかどうかの基礎力を左右するのだということがよく分かった。

そう考えてみると、日本というのはつくづく恵まれた国だなと思う。ハリウッド映画のほとんどは吹き替え版で提供されるし、吹き替えで原作を超えるほどの演技を披露できる声優すら両手に余るほどたくさんいる。テレビも、CNNやBBCをいちいち衛星放送で見る必要すらないほど、世界中のニュースが地上派で無料で(しかもご丁寧にほとんどの外国人の話が吹き替えられて!)垂れ流されている。これほどの規模であらゆる外国語の吹き替え番組を作るだけの国力がある国というのも、世界広しと言えどもそうそうないと思う。素晴らしいことだ。

もっともその中には、外国の学者の発言を全然違う意味に吹き替えて納豆のダイエット効果を証明するのに使った「あるある大事典」みたいな番組も出てくるし、中国様関連のニュースは中国様のご意向に逆らわないように取捨選択・修正して放送する某民放みたいな放送局も出てきたりといった弊害もあるわけだが、そんなことは些末な話だろう。

ただ僕の思うに、問題なのは日本人が「恵まれすぎている」ことだと思う。強みはある日突然足かせに変わる。その「ある日」は、最近自民党国家戦略本部が画策している「移民1000万人受け入れ計画」によってもたらされるのではないかと考えている。民主党も基本的には同じような考え方を以前から提唱しているから、この政策がついに自民党内から出てきたという時点で、ほぼ実現が決まったと言っても過言ではなかろう。この政策についての(ある程度積極的な立場からの)解説は、katoler氏のブログのエントリ「第三の開国へ、内向きの日本志向、情緒的な鎖国主義を排せ!」がよくまとまっているのでここに紹介しておく。

移民の受け入れ制限の緩和については、これまでも「単純労働者を受け入れると日本人のための雇用が失われる」といった批判が強く、実現してこなかった。しかし、いよいよ人口減少が本格化し、このままではそもそも国内で雇用したくとも人がいないという状況が今後各方面で深刻化するのは火を見るより明らかであり、それがこういった議論に真実味を帯びさせている原因だろう。森永卓郎がどういうロジックで鎖国論を唱えようが、もはやこの話は「蓋然性の高い未来」としてあると受け止めたほうが良いだろうと僕は思う。

ただ、自民党としてもこうした反対論に対しては「対策は講じていますよ」というポーズは取らざるを得ないだろうから、いろいろなアドバルーンが上がることになろう。既に上がっているものとして「単純労働者でも日本語ができる人しか受け入れません」というものがある。まあ、こんな意味不明なルールは1000万人という需要の前になすすべもなく崩壊するのは分かっているからどうでも良いのだが、1つのヤマ場になるだろうと思うのが、医師や国際弁護士や教師・学者といった、国内でも優秀な人材が足りなくて困っているサービス系高度専門職人材の受け入れだ。

ここはこれまで受け入れそのものは自由だったにもかかわらず、国内の業界団体が受け入れを抵抗しまくってきたがゆえに国際的な人材獲得競争で完敗している領域である。単純労働系の移民受け入れが本格化すれば、その人たちが求める社会的サービスの必要性も高まり、これらの高度専門職系の職業にも需要が生まれるだろう。「日本語ができる」なんて形だけであり、実際には日本人がこれらの移民向けサービスニーズに対応するより海外から専門家を受け入れたほうが対応は早いに決まっているから、遅かれ早かれこうした専門職人材の受け入れのハードルも下がるに違いない。つまり、結局は全産業分野にわたって労働市場が開放されるだろうということだ。

考えてみれば良い。今日本が受け入れている移民の出身国を見ても、1000万人の移民のうち恐らく9割以上は英語かスペイン語か中国語の3つの言語のどれかを母語または母語並みに使える人たちであることは容易に想像がつく。3等分して300万人以上の人々がそれぞれ、口々に「英語と中国語とスペイン語で受けられる社会的サービスがほしい」と主張したら、この3カ国語は世界的なレベルでさまざまな社会インフラ的なサービスが開発されて切磋琢磨されているから、そのプラットフォームに乗って人を受け入れ、サービスを提供したほうが、国内で日本人がゼロから対応するよりもはるかに効率的だ。政府の主張する「あなたたちは日本語ができるはずでは」などという建前は一瞬で吹き飛ぶであろう。

さて、問題はその時に「日本人はどうなるのか」である。もし言語的なハードルが実質的になくなれば、国内でも誰もが容赦なく国際的に共通のサービスプラットフォームの上での競争に晒されることになる。別に日本人の能力が海外に比べて劣っているとはまったく思わないが、「英語/スペイン語/中国語の土俵に乗って戦えるか」というレベルで比較されるのであれば、現時点ではほとんどがそもそも「競争の土俵にすら上れない」ということになりかねない。移民を1000万人受け入れるという決断を下すのであれば、少なくとも「日本語を前提としない社会」の出現を前提に日本人をあらかじめトレーニングしておくしかないと思うのだよね。

その準備で一番簡単にできることは、小学校から英語を習わせることではなくて、実は「テレビや映画での海外ソフトに対する日本語吹き替えを禁止する」こと、さらにできれば「国内のあらゆる番組を日本語以外に3つの言語のどれかもう1つで同時提供することを義務づける」ことではないかというのが、最近の僕の考えだ。

あらゆる外国映画を吹き替えではなく、英語や中国語などの原語で(字幕付きで)見ざるを得なくなり、またテレビ番組も副音声に切り替えさえすれば外国語で流れてくるような状況になれば、子どもだけでなく大人だって自然に英語や中国語、スペイン語などを聞く耳ができると思う。テレビメディアの影響力は落ちたと言われるが、それでも子どもを日常的に外国語に触れざるを得ない状況を作り出すぐらいのことは、まだ十分できるだろう。

確かにフルタイムの多言語対応はコンテンツ制作に大きなコスト負担になるかもしれないが、官民合わせて1兆円にも上ろうという地デジへの投資を止めれば、すぐに何とかできるレベルではないか。また最近社会的な信頼を失っているように見える日本のマスコミもこれで日本人の国際競争力向上に貢献すると胸を張って言えるだろうし、作り出すコンテンツ自体のグローバル競争力も上がって一石二鳥なんじゃないかな。あとついでに、外国語の映像をネタにファクトをねつ造するとかも防げるって考えると、一石三鳥になるかも(笑)。

逆に、そのぐらいのことをやらないままで日本の(特に国内のサービス産業の)労働市場を開放すれば、遠からず日本人は「日本語という難解なローカル言語をしゃべる生産性の低い国民」ということになって、国の富の上澄みはすべて英語や中国語をしゃべる優秀な人材に取って行かれるということにもなりかねない。労働市場を開放するというのは、単純に言えば「日本人のお金を日本人が海外で使う・海外のモノを買う分だけ取るのではなく、海外の人が日本に来て巻き上げることも認める」ということなのだから、そういう事態が起こることも想定すべきと思うのだけれど、自民党議員の皆さんは分かってるんでしょうかね。正直あまり分かってなうわなにすrzわえsxrdcftvgびゅhんじmこ

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2007/01/14

「選び、捨てる」のできないオールドメディア

 昨年から藤代さん@ガ島通信に誘われて参加していた情報ネットワーク法学会の分科会の1つ、「デジタル・ジャーナリズム研究会」が、先週の土曜日にとりあえず一段落した。とか言って、実は昨年5月から7月ぐらいまでの何回かと、昨年末の学会でのパネルディスカッションに出た以外はほとんど顔を出さなかった僕が言うようなセリフじゃないですね、「とりあえず」とか(笑)。お前が何やったんだよ、と怒鳴られそう。

 で、最終回のテーマは「ジャーナリズムと経営」ということだったらしい(らしい、というのは、所用で参加が1時間弱遅れて、前半の議論にほとんどついていけなかったから)。実はどうやら僕に司会みたいな役割が期待されていたらしいのだけど、遅れて行ってみたら既に別の人が司会役をやらされていて、僕は最後までまったく何の役にも立たなかった。まったくもって使えねえ奴でございます。

 最初の回で「ジャーナリズムの定義」というテーマで「ネットの言論はフラットかそうじゃないか」で議論が堂々巡りしているのを見て「なんて不毛な研究会だ」と呆れていたにしては、昨年末の研究大会でのパネルディスカッションはずいぶんと面白かった。そして最終回の議論も、まあいろいろな意味で興味深いものではあった。

 プレゼンターはとあるネット媒体のニュース欄担当の方と、戦略ファームのコンサルタントの方の2人で、僕は後者のプレゼンの最中に会場にたどり着いたのだが、新聞を中心としたオールドメディア関係者の方々はそのプレゼン内容をどう理解して良いのやら分からず、無反応状態(笑)。ま、そりゃそうだよな。メディア業界って、自社の財務諸表すら見たことない人たちの集まりですからね。「コストに占める変動費比率が~」とか「保有するコンテンツのマネタイズが~」とか言われても、宇宙人と会話するぐらい訳分かりませんって言われるのが関の山(笑)。

 コンサル氏は要するに「既存のマスメディアはファイナンス面から見る限り、決して将来が暗いわけではない」というのと「良いコンテンツを持っているがそれをうまくマネタイズできてないという意味では、オールドメディアとYouTube、MySpaceなどのweb2.0企業は同じポジションにある」ということを言いたかったようなのだけど、聞いている人たちからは「で、それって僕たちにどういう意味があんの?」的なきょとんとした雰囲気しか感じ取れなかったのが、はたから見ていて面白かった。

 その後の議論は、2人のプレゼンターのプレゼンを華麗にスルーしつつ、最近勃興してきているローカル系のネットメディアのビジネスモデルなどの話になっていったのだけど、「あそこはあーしている」「こっちはこーしている」みたいな情報交換の合間に、突然(これまた僕よりもさらに遅れてやってきた)藤代さんが、がーっと割って入ってしゃべりまくる、みたいな不思議な議事進行で、結局何がどうまとまったのかさっぱり分からずじまい。飛び交っていた事例の情報はそれなりに面白かったけど、最後まで何一つ意味のあるフレームワークも提示されなければ結論も出ないという、オールドメディア関係者と会話すると必ず陥る、絵に描いたような典型的な結末を迎えて研究会はおひらきとなった。年明け早々、まったくめでたい会でございました。

 昨年12月の学会研究大会のパネルも含め、議事録らしきものが今後まとまって出るそうなので、興味のある方は気長にそちらを待っていただくとして、ここでは僕個人の感想めいたものをちょっと述べておきたい。

 前々から思っていたことなんだが、最近改めてつくづく感じるのは、オールドメディア業界の人ってほとんどが「真面目な職人さん」なんだよね。ネット界隈の巷では「マスゴミ」なんぞと呼ばれ蔑まれているが、報道業務に「世間を自分の意のままに動かしてやろう」なんていう悪意を持って携わってる人間なんて、それこそナベツネぐらいのレベルのところにしかいなくて、ほとんどの記者は「これが社会のためになっている」と思いこんで日々体を壊す寸前まで働きづめになりながら、目の前に降ってくる事件を追い、ニュースをさばき、取材をこなしているのが実態なんだよね。だから、あまり知られてないけど、マスコミって40代半ばぐらいでからだボロボロになって突然死しちゃう人とか、20~30代でうつ病になって失踪したり自殺したり引き篭もっちゃったりする人とか、普通の企業に比べてめちゃくちゃ多いわけで。

 で、幸いにもそういう過酷な環境でドロップアウトしなかった人が生き残って上に上り詰めて「経営者」になるわけなんだけど、上り詰める人もはっきり言ってただの「真面目な職人さん」の一種に過ぎないのだね。たまたま多少「真面目」度がちょびっと低かったりとか、ローテーションの運に恵まれたりとかいう事情があって、過労死しなくて済んだだけのことで、本質的には一兵卒の「真面目な職人」と何ら違う人種じゃない。

 こういう悪意もかけらも持たない、心から「メディア」という仕事を天職だとか思いこんでいる善意の固まりの真面目な「職人」が、メディアという事業のマネジメントをやることの弊害というのが、実は甚だ大きい。なぜかというと、真面目な職人というのはその真面目さゆえに、やるべきこととそうでないこととを冷徹に選び取り、残りをばっさり捨てるということができないからだ。

 「あなたは真面目で誠実なんです、そしてそれこそがあなたの最大の欠点なのです」なんて言われたら、人間誰しも自分が人格否定されたとしか思わないだろうから、誰もそういうことは当の本人に面と向かって言ったりしないのだけど、実際メディアビジネスに関わっている人の最大の致命的な欠点とは、彼らが「真面目で誠実」であり、まさにそれ故にビジネスをしていくうえでの冷徹かつ大胆な取捨選択の判断が下せないことなのだ。

 DJ研最終回のプレゼンターの某コンサル氏によれば、「実際問題としてオールドメディアの方がネットメディアより従業員の年俸も圧倒的に高く、仕事自体公共性が高いと言われてもいるはずなのに、オールドメディアの従業員のモチベーションはネットメディアより全然低い」。このパラドクスの原因は、結局オールドメディアの人々というのが上から下まで誰も「選び、捨てる」という経営的判断ができないことにある、と僕は思う。

 かつては僕は「メディア業界がダメなのはメディア企業の経営トップが無能ゆえである」と思っていたが、最近は少し違うと思うようになった。なぜかというと、優れた企業というのは経営トップだけでなく、役員会からミドル、現場まであらゆるレベルの階層で、従業員が「経営」的な視点からの判断を下そうとするのを重んじる組織文化があるからだ。

 例えば、トヨタといえばトヨタ生産方式(TPS)やトヨタウェイなどが有名だが、世の中の多くの人がTPSやトヨタウェイを「現場が一定のルールに従うだけで自動的に生産性が上がっていく」ような管理システムや行動規範だと思っているのではないか。でもそれは、全然違う。トヨタという会社は、役員から現場の新人社員に至るまで、組織内のあらゆるレベル、あらゆる職種の人間に「経営視点からの判断」を求める組織風土がある。そして、それこそがTPSやトヨタウェイの本質だ。トヨタの社員は、1人1人が毎日毎日「我々は会社全体、事業全体、SCM全体から見てこの仕事をやるべきか、やるべきでないか」ということを考えて、取捨選択をし続けているのである。

 オールドメディアの業界の人で、会社の経営方針や業界の行く末に関して不満や不安、愚痴を漏らしたり、経営トップやミドルマネジメントをくさしたりする人はいくらでもいるけれど、自分が今やっている仕事が会社の、事業の、あるいは業界全体から見てどうして必要なのか、あるべき姿とは何なのか、そこに近づくためにはやるべきなのかやるべきでないか、やるべきとしたらどのようにした方が良いのか、といったことをきちんと筋道立てて議論できる人に、残念ながらこれまでお目にかかったことがない。そういう議論ができる人は、たいてい30代半ばぐらいまででそこからいなくなる。メディアの世界に居続ける人というのは、誰もが自分の仕事に対する情熱のつぎ込み方がハンパなものではないのだけれど、一方で上から下まで、組織全体や経営的な視点から見たあるべき姿の議論というのが、極端に苦手だし、そういうことが考えられるようになることが必要だとも、誰も思ってない。

 でもそのことが、実はまだまだいくらでも「何とかしようがある」はずのオールドメディア業界を、さらに悪い方向に追い込んでいっているのだと、僕は感じている。こちらのブログでも書かれているように、成長著しいネットメディア業界だって誰もが同じようにおいしい思いをしているわけではなく、容赦ない淘汰が進んでいるのである。なのに、ネット業界のような激烈な競争もなく、ぬるい馴れ合いとさまざまな規制・保護で守られているオールドメディア業界の方がネット業界よりも士気が下がっているのだとしたら、それは他の誰のせいでもなく業界の中の人たち自身のせいでしかない。メディア業界の人たちは、自嘲気味に業界の行く末を嘆いたり経営トップの悪口を言ったりする前に、自分の意識を変えるべく他業界や他社、他人にもっと謙虚に学び、自分の業界や仕事を見る視点を上げるべきだと思う。

 というわけで、デジタル・ジャーナリズム研究会も春からまた2期目が始動するのかどうか知らないけれど、できればそういう「マネジメント」の切り口から議論を再開してほしいなあと思ったりしたのだった。出席率の異様に悪い不良会員なので、こんなとこであまり偉そうな口を叩くもんでもないと思いますが。

 あと、個人的にはネットにも今のメディアにも、何となく飽きた感が強まってきたので、今年から少し活動の領域と方向を変えて行こうかと思っております。このブログはたまーに釣り堀、ブラックジョーク、チラシの裏、またはアサマシの場としてちょろちょろ更新はしようと思いますが、僕の日々のアイデアやら動静を知りたいという方は、僕とリアルで知り合いになったうえでmixiに来られることをお勧めします。ていうか、今後は知り合いでもない方々に自分の論考をタダでは提供しないことに決めたので、あしからず(また気が変わるかもしれませんが)。リアルでおつき合いのある皆様は、今年もどうぞよろしくお願いします。

02:53 午前 メディアとネット コメント (13) トラックバック (2)

2006/12/08

コンテンツ品質とIT活用のコストはタダではありません

 なーにが「過剰」だよ。インターネットをバカにするのもいい加減にしろ。ふざけんな。僕だったらこんな仕事、7億円ぽっちじゃあ到底引き受けねーぞ。無茶言うなよ。

 過剰広報予算:小泉メルマガ、官邸HPに年間7億円超(MSN毎日インタラクティブ)

 毎週一国の総理とその閣僚に旬の話題のコラムを書かせ、誰が読んでも分かりやすいように書き直しつつ、文章の中に含まれている文言に関係する省庁すべてに筋を通すという気が遠くなるような調整作業を毎週1回のメルマガに間に合うように超スピードでこなし、しかも一方で購読者200万人に毎週同じ曜日の決まった時間に遅滞なく配信する。これだけのサーバのキャパシティを確保し、高品質のコンテンツを作り出し続けることに一体どれほどのコストがかかるか、その手間と苦労と技術水準を想像することすらできない党の党首さんに、「実は私、宮崎アニメのファンなんです」とか眠たいことをぬかして欲しくないわけですよ。もうね、豆腐の角でヘディング100回ぐらいして死んでくださいと。

 面白いことをちょこっとしゃべるだけならそりゃ小泉首相1人でもできただろうけど、あれだけ豊富な話題を、しかも旬なネタを逃さず漏らさず、きちんと拾い集めて回りながらしかも読み手にとって分かりやすく面白いコラムを数本、毎週発信するなんて、相当にプロフェッショナルな組織でなければ到底できないこと。読者がせいぜい数千数万の、誰の了解を取らなくても責任も発生しない言いたい放題の放言を党の方針に沿って書き殴り、配信数もせいぜい数千数万と、そこらのメルマガASPで十分配信できちゃう泡沫政党のメルマガやHPとは訳が違うのだよ。

 それとも、インターネットの情報発信なんてタダでもできるじゃねえかとか言いたいのかね。じゃあ、逆に紙媒体で全国200万の読者に無料で毎週2~3本の面白いコラムを送り届けるコストがどれぐらいかかるのかと、比べてみればいいよ。年間7億どころか、50億だってきかねえぞ。それを7億でやっちゃってるコストパフォーマンスを、何だと思ってるんだ。社民党は、プロフェッショナルなIT屋さんやコンテンツ屋さんの労働コストをどこまで削れば気が済むんですかね。関係者全員年収150万円ぐらいの奴隷労働者にでもなれってことですか。すんばらしい。格差社会に涙がちょちょぎれまっせ。

 そもそもこれまで、日本の政治で支持者にしか理解できないイデオロギー用語じゃなく、誰でも分かる平易な言葉で政治家や政府がステートメントを発信したのって、小泉メルマガが初めてでしょ。しかもインターネットを使いこなしている政党すらほとんど存在しなかった時代に。社民党がそこまでネットを使いこなして、ウェブの活用で先頭走ってきたから言うってんならいいけどさ。実際にはサイトデザイン1つとっても、どう見てもそうじゃないわけでしょ。むしろ社民党のこの分野の遅れっぷりは目を覆うばかり。

 社民党のウェブサイトなんて、未だに首相官邸サイトの足許にも及ばないしょぼさじゃん。トップページは可変幅でリーフは固定幅とか、バナー広告みたいなロゴ脇Flashはクリックしても微動だにしないわ、過去記事一覧へのリンクさえないわ、検索窓はGoogleそのまんまだわ(笑)。デザインポリシーもIT戦略もへったくれもないページ作ってる政党から「首相官邸がウェブサイトに金かけるとはけしからん」なんぞ、言われたかぁないわけですよ。せめて民主党のウェブサイト並みにFlashでトップナビゲーション作ったうえで「おまえら7億もかけてトップページに動的ナビゲーションさえ置けないわけ?どんなヘボ業者使ってんだよバーカ」とか言うなら分かるけどね。

 技術と戦略とコストパフォーマンスで先頭を走っている政党が「政府はもっと安くできることに金を使いすぎだ」とか言うなら分かるけどねえ。最近のはただ単に「広報とかITの戦略活用には一銭も使うな」って言ってるだけ。もうね、社民党は日本のITとネット業界関係者にケンカ売ってるとしか思えない。で、その社民党の質問に「過剰予算」とか見出し付けるマスコミもマスコミですよ。おまいら、コンテンツで飯食ってるんじゃないんかと。いったいどれだけの給料の記者を首相官邸と永田町に張り付けてんのかと。まあ、日本のマスコミにIT活用とかコンテンツ戦略がどうとか、今さら求めてもしょうがないしねえ。あーあ。どうでもいいや。しょーもないことに怒りをたたきつけちゃったかな。反省。

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2006/10/26

SBの「号外」プロモーションのメディア的意味

 相変わらず派手にやってくれますな。新料金プランなどにコメントしてほしいような人もいるようだが、そっちには個人的に全然興味ないので、大西さんのとこでもお読みいただくとして、僕のほうはあえて本筋を外したコメントをしておこうかと。

 ソフトバンクの奇策 広告で「新聞号外」(Livedoor News)

 これには正直、たいしたものだなと思った。「号外」という、新聞メディアの粋とも言える発行形態を一企業が自分でビッグイベントのプロモーション手段に使い、新聞側もそれを許容して輪転機を貸してしまう?というこの事態。しかも記者会見からここまで、メッセージの組み立てやその露出させ方と、消費者を店に引きずってくるまでのプロセスとが完全に計算されている。このキャンペーン仕切った人は、広告屋冥利に尽きるでしょう。教科書の事例にしたいぐらい、見事なものだ。

 ただ、新聞業界的に言うと、広告営業的には「よくやった」なのかも知れないけれど、たぶんオールドタイプな新聞人からは「号外っていう特権的な媒体のカタチと名前を、よりによってあんな話の広告に使わせるのか。お前らにプライドってものはないのか」というため息が聞こえてきそう。(古き良き新聞人の「号外」に対するプライドというのは、それはそれはすごいものがあるのですよ)

 SBの取ったこのキャンペーンは、メディア的には2つの点で大きな意味があると思った。

 1つは、昨日発表した(それまでは社外どころか社内でも極秘だった)内容を、すぐさま版におこして印刷し、今日全国の街頭で配布するというこのプロモーション戦略のスピードを実際に可能にできる仕組みを持つマス媒体と言えば、新聞しかないということ。つまり、SBの広告がマス媒体としての新聞の大きな可能性を、世間に改めて認識させたとも言える。

 反面このキャンペーンは、はからずも「新聞の価値はその中身ではなく“情報を半日以内に物理的な手段で全国にばらまき、人々が受容する”という、その媒体の形状」にあることも明らかにしたように思える。ぶっちゃけた話、これが成功したってことは「新聞の号外に“記事”が載ってなくても、それには広告的に十分価値がある」ということを意味しているわけだから。

 今回のキャンペーンを考えたのがSB広報か代理店のどっちかは分からないが、まあ既存の代理店や新聞社の広告局からこういう発想が出てくるとはとても思えないので、恐らくSB広報に相当な切れ者がいたということなんでしょう。まあ、日本の新聞各社も、これをきっかけにして、もっと広告で工夫して稼ぐ努力をすればいいかもね。今回示されたように、媒体としての価値はまだまだいろいろなところにたっぷり残っているわけだし。

 久しぶりのエントリは結局全然SBの話じゃないけど、そんなところがオチということでひとつ。

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2006/09/16

メディアの適正規模

 タイトルがややミスリーディングな気もするが、まとめてみるとなかなか示唆深い。

インタビュー:渡辺聡氏「メディアはどう変わるか(5)――メディアの適正規模とは」(FACTA Online)

 情報の流れが双方向になった瞬間、サービスはスケールするけれども、狭義の「メディア」はスケールしないということをmixiは示している。メディアをスケールさせるためには、少なくとも一次的な発信者側と受け手のレスポンスとに非対称性を持たせることが必要。

 とはいえ、あからさまな情報非対称のサービス、つまり旧来型マスメディアは、それこそ井戸端会議のネタもとの地位でもゲットしない限り、サービスとしてのネットワーク外部性が働かないため、そもそもスケールしなくなってしまう。

 ネットサービスが黒字化するラインというのは、意外に普遍的でUU20万人がボーダーである。つまりそこまでは対称性を上げていかなければならないわけで、それと情報の流れの質をどう維持するかという問題とは、バランスを取るのが非常に難しい。

 限りなく下辺の層まで取り込もうというのなら、徹底して完全な対称性を実現すればいいわけだが、実際にそこまでいくとメディアとしてのプレミアム性というか、そのメディアが表象する読者集団のプレステージ、つまり広告媒体としてのブランド価値はゼロになる。トラフィックが発生はしているのでノンブランドの広告まで含めれば収益を発生させることはできるが、認知広告だけでサービスのランニングコストを大幅に上回る収益を上げようとするのは、もはや困難だろう。少なくとも、これまでのマスメディアが享受してきたようなべらぼうな超過利潤は、望むべくもない。

 したがって、サービスのスケラビリティ、つまり情報の対称性と、サービスの品質、つまり情報の非対称性のバランスの設計が、今後のネット上のメディアビジネスのKSFってことになる。とは言いつつ、この構図もあくまでテキストに限定した話だし、動画の爆発的普及とか、電子ペーパーの技術革新など、どこか1つのレイヤーを揺さぶるマクロ状況の変化が何か1つ起こった瞬間に、もろくも吹き飛んでしまうことになるのだろうけど。

 なーんてことは、もう分かってる人にはとうの昔に分かってるし、分からない人にはこの程度の説明では永久に分からないのでどうでもいいや。続きはmixiで。

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2006/09/07

そろそろ

どうなんだろうかね。こういうのがただの偶然であるはずもないし。ここでは人の意識は連鎖する。

http://eiji.txt-nifty.com/diary/2006/09/post_d12b.html
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20060907/1157620305
http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0608/28/news013.html

 まあ、いろいろあって、いろいろ難しいですな。実際、ぶっちゃけ分かる相手にしか語りたくない、余計な言葉は控えたいみたいなところでもあるし。

 端的に言っちゃうと、要するに「もはや知的生産の道具としては役に立たなくなった」ということなんじゃないかと。パーソナライズドされた検索結果から機械的に知的生産に役立たないゴミクズを「見えなく」し、しかもゴミクズからの一切のアクセスを禁じるという技術が生まれないと、どうにもならない気が。でもそれって結局人でフィルタするしかないわけだし、つまりはSNSっつーことじゃないですか。じゃあブログでやる意味なんか、ないよね。

 で、Voxどうよ?つー話になるのかもなんだけど、ちょっといじってみて思ったのは、「自分で読んでもらいたい人登録するなんてめんどくさい」、この一点に尽きる気がしましたですよ。mixiに行けばたいてい誰でもいて、その中からリアル知り合いをマイミクで選んでいけばいいだけなのに、いちいち招待しなきゃいけないVoxって何?しかもレイアウトちまちましてないし(笑)。

 つーかVoxがmixiとかGREEのクッキーをそのままぶっこ抜いて、mixiのIDで認証とかしてくれれば、万事解決するような気がするんだけどな。要するに勝手に他のSNSのIDとつないで、バーチャル分散SNS化すればいいんじゃね?とか妄想したりするんだけど。作ってるのが6Aだけに、そんな日本の特殊事情には合わせてくれないんだろうな。

 ま、例の方なんかもあと数年したらPC使ってる奴のほうがデジタル・ディバイドって呼ばれるようになるぞって予言していらっしゃるし、そろそろこの界隈も卒業のしどきなのかもね。こんな時間まで連日仕事に忙殺されている今日この頃、ぼんやりとそんなことを考えてみましたよ。ではでは。

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2006/07/18

「メディアイン」というパラダイム

Think20060718 単著どころか単に特集にちょろっと寄稿しただけで、自慢にも何にもなりませんが、明日(もう既に今日)発売の「Think!」に拙稿が掲載されましたので少々ご紹介させていただきます、ハイ。ご興味のある方は買ってお読みください。

 んでもって話はあっという間に自分の原稿よりももっと別の記事へと移ってしまうのだけれど、今号のThink!の見本誌が届いたのでぱらぱらと読んでいたら、久しぶりに目からウロコがぽろぽろと落ちた気分のする記事にぶち当たってしまった。ブーズ・アレンの山口周シニアアソシエイトによる、「ポストWeb2.0時代の広告・マーケティング戦略」というタイトルの論考である。

 山口氏の論考は、Googleの登場によって食い荒らされ、このままだとどうなってしまうのかと不安に思っているマスメディアの人々に最後通牒をたたきつけるがごときストレートな結論で始まっている。曰く、「Web2.0がもたらす広告へのインパクトを一言で言えば、広告のROIが下がるということになります。それも若干とか少々とかいうレベルではなく、(中略)平たく言うと『広告が全然効かなくなる』恐れがあるのです」。

 その理由も、論文の中では平易な言葉と論理で理路整然と述べられていていちいち納得できるが、ここでは省略する。興味のある人はぜひ買って読んでみてほしい。まあ、その内容は彼も文中に述べている通り、米国では既に大きな問題として提起されているので、頭の中がきちんと整理されている人はとうの昔に知っている類の話ではある。

 僕が何よりも惹かれたのは、むしろそのあとの部分だ。既存のマスメディア広告の凋落の結果として起こっている、企業側の根本的な認知の誤りを、「メディアアウト」という言葉で明確に定義していることである。メディアアウトとは、まず製品ありきで売り込みを考える「プロダクトアウト」の変化形で、「マス広告やセールスプロモーションの企画がまず先にあり、それに見合わない特性の製品やターゲット顧客はマーケティング戦略の初めから除外されてしまう」ようなビジネス展開の枠組み(パラダイム)を言う。

 これに対して、Web2.0を前提とした世界では、「どんな情報を消費者に伝え、あるいは伝えないかという決定権が企業から失われている」という現実を認識したうえで、既存のメディアとインターネットとを混同せず、インターネットからは消費者の意見・動向を吸い上げて製品改良や企業活動全体に反映させていくような「メディアイン」のパラダイムに転換すべき、というのが山口氏の言い分である。

 頭では分かっていても、実際にマーケティングプランを切るとなると、やっぱりインターネットで「露出」することを考えてしまう、というのが世の中の多くのマーケターの現実だろう。その意味で、山口氏の論考にある「メディアアウトではなくメディアインになれ」という言葉は、多くのマーケターにとって痛烈な警句であり、大きな衝撃を与えるものではないだろうか。

 とはいえ、実際にマーケターの思考をメディアインに切り替えることは、言うほど簡単ではない。ことの影響がアフターサービス体制の構築から製品の開発プロセスの変更にまで及ぶだけに、企業がメディアインのパラダイムに対応した社内の仕組みを作り上げるまでには、今後かなり時間がかかるだろう。しかし、山口氏が言うようにこれはマーケターという職業の「情報テクノクラートとしての権力」の終焉であると同時に、「消費者と等身大の目線を獲得」する手段の獲得でもあるわけで、発想の転換をものにできたマーケターにはチャンスが広がっているということなのかもしれない。

 空中戦的な話のサワリだけ引用したが、ほかの論考に比べて具体例もたくさん盛り込まれていて、それらを例に引きながら実際の「メディアイン」のやり方の解説がされているので、とても分かりやすく参考になる。最近の消費財マーケターの本音をズバリ言い当てる内容だし、理屈としてはよく分かるのだが、「そうは言っても、実際の成功例があまりないんだよねー」と愚痴っていた向きには、かなりお勧め。何より山口氏がこのトレンドを「メディアイン」といううまいキャッチフレーズで整理してみせているのが、秀逸だなあと思った。

06:16 午前 メディアとネット コメント (12) トラックバック (4)

2006/07/17

悪夢のロングテール考

 いつも興味深く読ませていただいている池田信夫氏のブログだが、一昨日にちょっと首肯しかねるエントリが上がったのでそれについて。

 マルクスとロングテール(池田信夫Blog)

 最近よく聞くのだが、どうもあちこちでロングテール論を悪用する人たちが増えているようで、ITの時代に入った途端に突然あらゆるところでパレート法則が無効になってしまったかのような物言いがされる。んなわきゃーない。ニハチの法則はいつまでたってもニハチなのだし、だいたいたまたま自分がニハチのニだからって偉そうに「キミたちもぜひハチでもロングテールに」とか言わないでくださいよお願いします。

 池田氏のコラムについての反論は、山形浩生氏の「ネットワークのオプション価値」という、古い論文でも見ていただければ十分ではと思う。ロングテールはテールにあるものがある日何かの弾みにヘッドのほうに飛び上がってくる「可能性」において成り立っている。山形的に言えば「オプション価値」である。

 通常の企業活動ではある一定値以下の可能性しか持たないものは、手を付けるだけ無駄と考えられるので切り捨てられる。つまり初めからロングテールなどという場に出てこない。ところが、ネットの世界ではロングテールの列に並ぶだけなら誰でも何でも(ほぼ)タダで並べる。つまり無限に小さいオプション価値に対してコストのほうも無限に小さくなったので、切り捨てられるものが減りました、というだけである。

 ここでロングテールが成り立つために大事なことが、2つある。列に並べるのは、並ぶコストが無限に小さいものだけであるということ。つまり並んでいることによって保管のコストがかかったり人間が時間を確保しておいたりする必要が一切ないものでなければならない。もう1つは、それが単に列に並んでいるだけではいつまで経ってもオプション価値が顕在化しないので、並んでいるものをテールからヘッドに飛び上がらせるよう、何らかの工作をしなければいけないということだ。

 と、いう条件を考えると、池田氏の言うように、ロングテールによって人間がネット上で適当な情報生産を行う「自由な時間」だけで暮らしていけるようになるためには、そこでやり取りされる“商品”が長期間保存可能でしかも保管コストがかからないものであることと、“商品”の取引そのものにも人手が一切かからない(=取引に備えて時間を確保しておく必要もない)ことの2つが最低限成り立つ必要がある。つまり、例えば書籍や(パッケージ)ソフトウェアみたいに、手離れの良い商品じゃなきゃダメだということだ。

 残念ながら、このどちらも実は「手離れの良い商品」にするために、高いハードルが存在し、結構な初期コストがかかる。もちろん、適当なことを書き散らしたり、適当な動きをするソフトウェアなら、誰でも作れるだろう。だがそれを「手離れの良い商品」のかたちにできる(チャンスと能力に恵まれた)人は、ごくごくわずかしかいない。それでも、世の中に出る商品の「8割」以上は思ったよりも全然売れないので、サンクコストに目をつぶり、ロングテールのテールのほうに並ぶことで何とか敗者復活を期するわけだ。

 そういうわけで、ロングテールは「コンテンツとしてクオリティの高いものでありながら、マスマーケティングのタクトに乗っかれずたまたま発売当初のタイミングではうまく売れなかったもの」を救済するためのロジックであり、もっと言えばそういう商品を「流通させる」側のロジックである。たとえば、そういうものがゴロゴロしている分野を見つけたら、おたくもAmazonみたいに儲かるビジネスが作れまっせーという説明の中で使われるべき言葉なのである。

 ところが最近、この言葉がなぜか商品を「作る」側を説得する材料のために使われていたりするらしい。「これからはロングテールですから、売れない商品も作っておけばいつか売れるかも知れませんよ」とか。あるいは、商品ですらなく、赤字のサービスやどうでもいい顧客の存在に目をつぶらせる呪文にさえなっているらしい。「今はあまり買い手がいませんが、いやなにロングテールですからそのうちそれなりにお客さんが付くようになります」とか、「こういう、ちょっとしか買わないお客さんも、今はロングテールのテールですが、いつかはたくさん買ってくださるようになるかと」など。

 そんなわけは未来永劫ないのであって、不採算のサービスや顧客に対してロングテール論を適用するのはほとんど詐欺だと言ってもいい。

 もっと言えば恋愛や職探しのような人間のマッチングにロングテール論を適用するのは、詐欺を通り越してほとんど犯罪だと思う。なんとなれば、ロングテールの列に並び続けようとする人に対しては断続的な負担が強いられるうえに、列に並びながら同時にテールからヘッドにジャンプアップしてオプション価値を顕在化するための「裏工作」が実は必要という、場合によっては人間を信じられなくなるような努力をしなければならないことも起こるからである。

 分かりやすく言えば、例えば悪質なお見合いサービスを想像すると良いと思う。「ロングテールな人にもご希望のおつき合いの相手が見つかります」というような売り込みで列に並ばせておき、期待を裏切るように女性が誰も寄ってこない人に対して「もっと着飾らなくてはモテませんよ」と言って服を売りつけたり、「うちにお金を払ってもらえれば優先的に美人の女性が紹介されます」とか言ってさらにお金をふんだくる、といったようなことが、ロングテール論を悪用することによって起こりうる。

 ロングテールは贈与経済ではない。まして、オープンソースなど決して贈与経済ではない。あれはただのインフラ・プロモーションの一手法である。ネットは歴然とした市場原理の、場合によってはリアルな世界よりももっと透明で苛烈な市場原理の働く世界だ。リアルの世界は目の前の仕事、目の前の女性だけが自分にとって最高の選択肢だったと思い込んでいればいい。だがネットの世界は常に他の誰かとの競争が存在する。自分がニハチのハチの部分にさえ入らない、圧倒的なテールに位置する人間なのだと否応なく認めさせられる。そこでは自分のことを疎外された物的存在だと自分で諦めてしまわない限り、永久に動き続ける市場から「もっと最適な存在たれ」と要求され続ける。これが「マルクスの言う自由時間」なわけがない。むしろ強迫神経症一歩手前の世界だ。

 マルクスの言わんとしていたことは、自分がホーリスティックに自分であるような、そして同時に他人がホーリスティックであることを否定しないような、そういう生き方を見つけなさいということなんだと、僕は思っている。自然発生的な分業をアウフヘーベンしろということは、つまり市場原理から自分を遮断し、自分を自分で切り刻んで生きるのではない時間を持てということだ。ロングテールは、自分の生産物を自分と完全に切り離して流通させられる人間にとっては福音かもしれないが、それとても市場原理の一変態であることに変わりはないのである。

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2006/07/08

YouTube-Google型企業になるための4つの法則

YouTube 横目で見ているはずだったイノベーション勉強会になぜか引きずり込まれて、宿題もやってないのに飛び入り参加。でもなかなか面白かった。

 他人の褌を借りまくって分析した結果分かったのは、YouTubeが非常に良い意味でプロシューマ、あるいはgeek向けのインフラサービスに特化しているなあということだ。よく考えたら、テクノロジー面の「強み」と思えるようなものが何もない。ある意味全部オープン、それでいて圧倒的なユーザー数を抱える。まさにCGMの王道を行く会社である。

 また、その戦略のそこかしこにGoogleに投資したVC、セコイア・キャピタルの影響を見て取ることができる。ある意味「ネットベンチャーはGoogleから何を学ぶべきか」というテーマに関するショーケースのような企業とも言える。

 結論を言ってしまうと、YouTubeはGoogleが象徴する「ネットインフラ型企業」と、Web2.0と称される「CGMビジネス」のエッセンスをうまくハイブリッドさせた、「インフラ志向型消費者参加型メディア」である。僕がそう考えたポイントを、以下にまとめてみよう。

1.標準技術ばかりをパッチワークのように使い、高付加価値なサービスを目指さない

 動画処理はそっくりMacromediaのFlashだし、通信プロトコルも何の衒いもなくHTTPだ。既存の資産を膨大に抱えるCPやそれを保護しながら送受信しなければならないCDNみたいに、secureであろうという姿勢を初めから放棄しているので、Protocol上の特殊性もない。あるとすればあれだけの転送量をさばくload balancingやcacheの技術あたりだろうが、それとても他社が絶対に真似できないものでもない。その結果、非常に低コストでスケールフリーなサービスを実現した。

 つまりGoogleと同じで、技術的にはデファクト・スタンダードなものばかりを使い、いつでも誰でもやろうと思えばやれることをやっているのである。ところが、それが曲者なのだ。著作権侵害、暴力・グロ・エロ、検索やインターフェースの不便さ、不親切さ。「失うものを持つ」既存プレーヤーは、怖くてそんなところに手が出せない。それこそが彼らの思うつぼというわけだ。既得権者の資産を負債化する戦略である。

2.コンテンツ置き場というインフラに徹し、ポータル=「編集」の機能は外部に任せる

 勉強会では何人かのアップロード利用経験者から一様に「YouTubeのUIはアップロードは非常に簡単だが、サイト内を検索したり動画をいじろうとしたりすると決して便利とは言えない」という指摘が出ていた。これもまた、彼らの戦術だろう。あえて映像を見つけにくくし、Napsterのようにポータルサービスとして完結させないのだ。

 ポータルの機能をあえて持とうとしないのは、いくつか理由があると思われる。1つは、映像という、Google以上に著作権侵害にナーバスにならざるを得ないサービスであるがゆえだろう。ポータル的な機能を備えて、コンテンツの整理やおすすめの表示などの「編集」を行った瞬間に、著作権者から「他人の著作物を勝手に売り物にするな」と訴えられる。であれば、「編集」の機能は世界中のブログやSNS、掲示板などに任せ、YouTubeは動画のホスティングと最低限のタグ付与など、Folksonomy機能だけ持てばいい、という割り切りだ。

3.トラフィックという「余計なもの」ではなく、コンテンツの蓄積に徹底集中する

 ポータル機能を持たないもう1つの理由が、「それは余計な機能だから」というのがある。YouTubeには世界中のブログ、掲示板から大量の人がなだれ込んでいるが、YouTube側のページにはトラックバックなどの機能がないため、同じ映像を紹介している他のサイトを探し出すことが極めて難しい。つまり、YouTubeに入ってくる方向のトラフィックはたくさんあるが、YouTubeから外部へのトラフィックは発生しない。それどころか、YouTubeに来なくてもブログなどに映像を貼り付けて見ることもできる。初期のGoogleがよく言っていた、「ユーザーには、Googleにとどまらずなるべく早くサイトを通り抜けてほしい」というサービスポリシーに酷似している。

 ここから分かるのは、YouTubeがトラフィック(PV)の獲得よりも動画コンテンツそのものの蓄積を最優先しているということだ。CGMなのだからある意味当たり前だと思われるかもしれないが、トラフィックの方がマネタイズが楽なので、かなり有力な資金源がバックに付いており、しかも経営者の肝が相当据わってなければ取れない戦略である。

4.視聴者ではなく、表現者の囲い込みと“経済圏”の構築が今後カギ

 ここからは多少僕自身の推論が入る。YouTubeがGoogleと異なるのは、彼らが映像を勝手にネット上から集めてくるのではなく、ユーザーにアップロードしてもらって初めて意味をなす「CGM」である、という点である。この点で、ひたすらオーガニックサーチの研究に没頭していれば良かったGoogleとは、少し向かうべき方向が変わってくる。ユーザーがアップロードするコンテンツをたくさん蓄積するためには、当たり前だがアップロードするユーザーをリスペクトし、囲い込むことがまず必要だ。彼らが今、最も戦略的にフォーカスしているのは、だから恐らく「映像をアップロードするユーザーの数」を増やすことだろう。

 そのためにはまず、表現者たる彼らに最大限の自由と利便性を提供することだ。そして、e-Mailアドレスをしっかり把握することで、緊密に連絡が取れるようデータベースを常に洗い替えしておく。おそらく、今後数ヶ月以内にYouTubeは動画への広告の自動挿入とコンテンツ-広告の自動マッチングの技術を開発し、動画に挿入された広告が視聴された回数に応じて表現者のユーザーに広告収入を還元する「動画版Adsense」をリリースするだろう。

 面白い映像をアップしてたくさんの人に見てもらえた表現者の手元に、1本で何万円という広告収入が転がり込んでくる可能性がある。すでにNBCがPodcastingで配信している有料番組では、1DLあたりのマージンが$1.50という数字で「美味しすぎる」という話が出ている。プロの制作した動画でもこの程度のリターンがあれば「十分すぎる儲け」と言えるのであれば、仮に動画に挿入する広告のフィーをこの10分の1とし、YouTubeが50%のマージンを取ったとしても、1000PVを獲得した動画をアップした表現者の取り分は8000円ぐらいになる。トップページに載っている、何万というPVをたたき出した動画などは、何十万円の収入にもなるのではないか。

 というわけで、次にネットで小銭を稼ぎたい人は、今のうちに面白い自作のショートフィルムをたくさん作り貯めておくか、そういうものを作るノウハウを研究したほうが良い。コンテンツは初動がすべてである。今年の後半から来年にかけて、「YouTubeバブル」の津波がやってくる気がする。

参考:ブロードバンド2.0(池田信夫blog)
   YouTubeを強くするのは動画版AdWordsと家電連携だ(キャズムを超えろ!)

12:26 午後 メディアとネット コメント (6) トラックバック (21)

2006/06/14

世界観と経済圏

とがダイレクトに結びつく企業というのは、とてつもなく厄介な存在だということ。

米Google,自身が「evil」であることを認める(ITpro)

 しかし、逆に言えばそこがGoogleの弱点でもある。つまり資本主義を採用している限り、経済圏だけなら拒否できないが、世界観は明確に拒否することができる。少なくともシステム上では。

 前に右脳がどうとか書いたけど、どうもそこまで大げさな話でもなかった。Googleに対抗するためには単に「Googleとは違う世界観を持ち、Googleの世界観を拒否する」だけでいいのかもしれない。後は、隣の芝生が青くないことをどうやって納得させるかだが、世界観というのは宗教のレベルにまで高まれば、人に隣の芝生を見せないようにすることもできる。要するに対抗する世界観を宗教にしてしまえば良い。それだけのこと。難しい話ではない。

 隣の芝生は情報がタダだ、という言い分もあるかもしれないが、実際のところ、タダより高いものもないわけで。つまり異なる宗教の範疇でリアルの取引コストに結びつくような情報をちゃんと環流させることが大事。Google教の通じる範囲というのは取引コストのとてつもなく高い世界であると言い切ってしまえばいい。というのは、今度出る本の中でもWeb2.0時代のビジネスの要諦としてさんざん書いた話。

 残念なことにというか幸いなことに、Googleというのは意外なほどネットワーク外部性とのリンケージが弱い。なぜならばレイヤー内での相互互換性は決して否定できなくて、商品それ自体の品質だけが唯一無二の競争優位性だったから。しかもサプライサイドから見れば世界規模のスケールが働くのかもしれないが、ユーザーから見れば単に個別市場のプレーヤーでしかない。それらのことは日本の状況を見れば一目瞭然

 してみると例の有名な標語を掲げて構築した世界というのは、そもそもある意味莫大な「裏金」が動く原理をその成功とともにビルトインしていたわけで、実はその原理自体が某掲示板住民さんたちあたりが毛嫌いするところの「evil」な世界観だった、と言えるかもしれない。何とも皮肉な倒錯。しかし、これからどうなっていくのでしょうね。よく分かりませんが。

09:39 午前 メディアとネット コメント (5) トラックバック (7)

2006/06/10

烏賀陽さんがぶち切れている

 やや亀レスなんだけど、コメント欄・はてブともに盛り上がってるみたいなので。

みなさん、さようなら。ブログ連載から降ります。(烏賀陽(うがや)弘道の音楽コラム)

 失礼ながらこの記事がはてブのトップページに出ているのを見て、烏賀陽さんがAFPBBでコラム書いているのを初めて知った(笑)。だって「烏賀陽」でぐぐっても1ページ目にそのコラムの片鱗さえ出てこないんだもん。しょうがないじゃん。

 かつてならこの記事を読んで「Web2.0時代に何を今さら。烏賀陽さん、梅田本ぐらいちゃんと読んでください」みたいな感想しか持たなかったんだけど、自分自身もまたじわじわと書き手・編集者・メディア設計の側に多少踏み込みかけていることもあり、今回については思うこといろいろ。

 烏賀陽さんのお気持ちは分からなくもないのだが、例えば今は「原稿料タダ」の媒体(ネットじゃないよ)だって出てきてるわけで、ライター業を取り巻く状況全体はより悪い方向へと加速度的に転がっていってるわけです(もちろん、そんなのは烏賀陽さんの書くような媒体じゃないけどさ)。

 だから烏賀陽さん1人がブログに書くことを止めても、その穴はまた他の誰かが劣化した原稿で埋めるだけのことであり、AFPBBという場全体の質の劣化にはつながっても付加価値の向上、まして原稿料のアップとかには絶対つながらない。ま、烏賀陽さんにAFPBBの質の劣化を防ぐ義務など何もないのだけどね。

 ただ、ひっじょーに気になったのが以下のフレーズ。

ライターが書く原稿は「商品」ではありません。知的財産です。知財です。シャツやフリースとちがって、コストダウンには限界があります。製造原価(つまり原稿料)を安く叩くと、ライターが離れてしまう、クオリティが低下するのを避けられないのです。
 「知的財産」というのは、そのコストによって定義されるものではない。何もしてない時にふっと思いついた事業アイデアだって「知財」だし、10年以上の研究を重ねてついに生み出した画期的な医薬品の化学組成だって「知財」。

 では、烏賀陽さんの言う「Tシャツみたいな商品」と「知財」を分かつものは何かというと、商品はそれを売ってしまえばお終いなのに対して、知財というのは「そこから派生してくる成果(アウトカム)に対して正当な対価を要求できる」ことだと思うわけだ。

 もし「自分の原稿は知財なのだ」と烏賀陽さんが思うのであれば、「原稿料」というかたちでブログに書く記事の対価を受け取るべきじゃない。それはつまり、自ら「商品」としてそれを売り渡しているに過ぎないんだから。それで安すぎるとか文句言っても、しょうがないでしょ。

 そもそも新聞メディアの(それも烏賀陽さんみたいな超のつく良心的な)記者の書く原稿というのは、その作成プロセス自体がネットメディアの要求するものよりはるかにオーバークオリティなのだしね。裏取りしてないでいい加減なこと書いても、誰かがそれで怒り出さなければとりあえずそれでオッケーなわけだし、仮に一生懸命裏取りしたところでPVが増えるわけでもなく、誰も褒めてくれない。

 自分の原稿が知的財産だと思うなら、「原稿料は要らない。その代わり、俺の記事を掲載して生まれるPVに対し、1年間は1PVあたり1円の対価を払ってくれ」とか何とか、そういう契約を要求すればいいんじゃね?と思うわけだ。僕が編集長なら、上限キャップはめたりとか多少のリスク管理はすると思うけど、そういう契約も実験してみてもいいかなと思う。PVだけが成果の尺度とは限らないけど、まあそういう考え方もアリだろう。

 というところまで考えて、さらに思ったのだけど、そもそも知財であるはずの原稿を「商品」扱いして、一番ウレシイのは出版社や新聞といった「チャネル」側の人たちなんだよね。だって、その人たちって本来は知財である原稿から生まれてくるはずの成果を、すべて独り占めにできるのだから。なのに、どうしてそんな美味しい業界が「ヨレヨレであります」ってことになるの?という疑問が生まれた。

 つまりそれって、自分だけ美味しい思いをしようとして、結果的にライターのモチベーションを下げ、より低コストで「商品」を調達できるインターネットに負けちゃったから、そうなってるってことじゃないのだろうか。エコシステムとして非常に無理が来ていたところに、インターネットという強力な競合エコシステムが生まれて、それでダメになったとも言える。

 でもよく見ると、インターネットだって実は既存メディアのエコシステムを「劣化コピー」してるだけに過ぎない。原稿を「商品」として買い取ってるし、それをすごい勢いでフローとして費消している。知財としての原稿のストックからアウトカムを生み、それを最大化するようなマネジメントをやっているとは、到底思えないわけだ。

 だったら、エコシステムとしてもっと原稿を「知財」として扱うような仕組みを作ったら、うまく行くんじゃないの?なんてことを、ちょっと思ってみたですよ。どんな仕組みなのかは分かりませんがね、ええ。そんなわけでライターの皆さん、頑張ってください。

10:36 午前 メディアとネット コメント (20) トラックバック (9)

2006/06/09

公共WebAPIとか

こんな法改正が成立してたんだ。面白い。

落とし物検索、ネットで可能に 改正遺失物法が成立(NIKKEI.NET)

よく考えたらこれって公共機関が提供するWebサービスとして、一番ありそうでなかったネタ。考えて法案化した官僚、偉い。素直に褒めてあげたい。「遺失物WebAPI」とか公開してくれてマッシュアップさせてくれたら、もっと褒めてあげたい(笑)

03:33 午後 メディアとネット コメント (5) トラックバック (2)

2006/05/14

PVではなくFeedがウェブの価値基準になる?

 今年初めぐらいからあちこちで言われていたことが少しつながったような気がしたのでメモ書き。

 気になっていた1つめは、こちらのブログでさりげなく書かれていた話。ページビュー(PV)とかリーチで見た日本のインターネットの伸びが、今年第1四半期で頭を打ったというもの。

 こちらのブログでは「インターネットが右肩上がりである、というオプティミズムは、意外に早く崩壊するかも」と、ネガティブなファクトと受け止めていたのだが、僕自身は何か腑に落ちないものを感じていた。実感として、日本人のネット利用時間がここに来て減り始めているという印象はない。

 まあ、6月末になれば総務省の情報通信白書が出てくると思うので定量的なものが明らかになるだろうが、今年初めからのYouTubeの大人気ぶりなどを見ていても、むしろ情報メディアとしてのネットの勢いは、ここに来て一気に加速し始めたというほうが感覚値的には正しい。

 じゃあどうしてPVやリーチが下がるのか。これに対する仮説の1つとしてピンと来たのが、こちらの話題。はてなと大手新聞社サイトという、局所的なレベルでのアクセスの話でしかないんだけど、ここでgitanezさんが挙げているはてなのPVの理由が、「はてなは無数のFeedを吐いていて、それに対するRSSアグリゲーター(リーダー)のアクセスがPVのかなりの割合を占めてるんじゃないか」というもの。

 もちろん、htmlファイルとrdfやxmlのどっちのアクセスがどれだけかなんてことは、はてなの中の人にしか分からないんであくまで仮説に過ぎないんだけど、確かにはてなってそこら中のページがFeedを吐いている(Firefoxを使っていると、アドレスバーの右端にオレンジのFeedマークが表示されるのでよく分かる)ので、それはあり得ない話じゃないなあと。

 しかし、一方でRSSリーダーが一般のネットユーザーに普及しているとは到底思えないので、gitanezさんの言うように「必ずしも人間が見てる数が多いんじゃないのかも」というところにこの謎を解く鍵があるような気がする。たとえば、僕もGoogle パーソナライズのコンテンツに「はてな注目エントリー」のRSSを登録してあって、Googleを開くとGmailのメール一覧などの横にいつも「最新の注目エントリー」がずらっと表示されるようにしてあるんだけど、Ajaxを使ったそういうウェブサイトの機能が、元サイトのPVにあまり影響を与えずにFeedだけで事足りるようにしてしまっていたり、あるいはFeedを吐いてないサイトへのアクセスを自然と減らしていたりするのかもね。

 実はこのブログも、連休前からRSSで配信する内容をこれまで「見出しと本文の一部」だったのを、「本文全文」に変えてみた。PVは大して変わらないので、何がどう変わったかは管理者側からはあまり分からないんだけど、読者側からしたらこのほうが圧倒的に便利なんでしょうね、きっと。そうしてサイトを訪問せずにコンテンツだけFeedで読む人が増える、と。

 次のニーズはここだな。Feedがいつどのくらい、どんな人に読まれているのかという「Feedアクセス解析」。これがちゃんとできるシステムがあったら、ブロガーとしては絶対使ってみたくなるよね、たぶん。今のFeedはどっちかっていうとタダで投げっぱなしだが、このへんがFeedアグリゲーターの側の情報まで引っ張って見せられるようになればかなり受けそうな気がする。

 というところで連想したのが、サイトのFeedを特定のアグリゲーターの利用者にしか読ませないという朝日新聞と小川浩氏@Speed Feedの実験。反応を見ると「オープンであるべきFeedに認証をかけて、特定アグリゲーターにしか読ませないってのはどういうことだ、反Web2.0的だ」とかネガティブなものが多いみたいだけど、僕個人はこの試みの発想自体は大いに評価する。少なくとも、そこにマーケティング・チャンスを見出したということは、とっても正しい。

 ただ、そこで配信されるコンテンツ(W杯ドイツ大会特集の記事)が、配信先であるFeedpathの「ITビジネスパーソン」というターゲット顧客層とどうマッチするのか全然わかんないのと、アグリゲーター側でユーザー捕捉するのだからPVどうこう言う必要もないのに、なぜか全文配信ではなく記事の抜粋のみであるっていうところが、なんか歯車1つ飛んでいる感じがして超ナイス。コンセプトが正しくてもこういうUIのささいなところがダメだと、こういうミスマッチが結局ユーザーの気持ちを掴めなくて終わっちゃうんだよなあ。もったいない。

 それはおいといても、以前にサイボウズラボの奥さんが言っていたようなFeedの認証配信に世の中の関心が向かってきたのはとても良い流れだと思うし、エンドユーザーをしっかり掴んでいるRSSアグリゲーターがマーケティング上の立場で強くなるのは当然のことだと思う。といっても、現時点でこの領域の最大のプレーヤーはやっぱりGoogleになってしまうのかもしれないが。日本のネットサービス企業には今後ぜひ、簡単で使いやすいFeedアグリゲーションのアプリケーション・サービス開発に血道を上げていただきたいものだ。

 …とかいって、今Googleパーソナライズをいじっていたら、すごいことに気が付いた。去年の12月ぐらいからあった機能みたいなんだけど、英語版のPersonalizedの「Add Contents」のメニューの中に、パックマンとかテトリスとかクロスワードパズルとかが入ってる!しかもどのゲームもタダでやりたい放題。ディルバートとかの漫画もある!ちょう凶悪!あーあ、こんなもの見つけちゃって、これからデスク仕事がますます滞るぞ…困ったなあ。トホホ。

07:30 午前 メディアとネット コメント (8) トラックバック (6)

2006/04/27

連合のブログマーケティングはマジっぽい

 H-Yamaguchi.netガ島通信保田さんのところなどですでにネタになっている「連合がブロガー懇談会を開くらしい」という話。実は、うちにもお誘いが来ていた。昨日の夜だったので、もう終わったはずだ。僕の見た限りでは、あちこちのイベントと重なっていたこともあり、誘われたけど「出られない」と書いているブロガーばかりだった。まだどこのブログにも報告は上がってないっぽいが、このイベントに参加した人はどのくらいいたのだろうか。

 初めはH-Yamaguchi.netの辛辣なコメントを読みながら「自民党、民主党に続いて連合もか。永田町界隈で『ブロガーは与し易し』みたいなブームでも起こってるんじゃまいか」などとくすくす笑っていたのだが、どうも彼らはただブームに乗ってブロガー懇談会を開こうとしたわけではなく、かなり本気でブログマーケティングをやるつもりらしいことに気がついた。すごいぞ。誰だ、このマーケティングプラン書いたのは。

 というのは、昨日ココログのシステムメンテがあってしばらく管理画面をいじれなかったわけだが、終わってみると管理画面の手前のページにこんな表示が。

 2006.04.24
増税について考えよう!『ブログパーツ』を提供開始しました

増税額をチェックできるブログパーツを提供開始しました。ご自分のココログのサイドバーに貼って年収や家族構成などを入力すれば、簡単に試算することができます。(配布期間:6月23日(金)まで)

詳しくはコチラ

 で、「コチラ」をクリックすると、なんとココログが提供する、増税額計算Flashをブログのサイドバーに貼り付けるスクリプトの使い方が解説されているページに飛ぶ。おおおお。手が凝ってるぜ。

 で、サンプルでも計算できるようになっていて、計算すると当然ながらあの「think-tax.jp」の人生ゲームチックなムービーに誘導。そして、例の「ズシリ度」グラフが出てくる。ご丁寧にトラックバックセンターまであるよ~というアナウンス。トラックバックセンターには、連合地方支部の中の人ブロガーのトラックバックとかも集まっている。いやはや、連合さん、すごいIT化度ですね。自民党や民主党といっしょくたにして笑ってしまい、すみません。おみそれ致しました。

 増税反対キャンペーンの内容については、サラリーマンとして納得する部分もあるし、「でも連合のいう政策提言が実現してもうちの場合、ほとんど何のメリットもないし」という気もするので、まあどうでもいいやと思ったりする。税額が増えてもそれだけ各種の社会保障増やすというのがたぶん今の国民の増税に対するコンセンサスだと思うので、まあそれに反したことやれば来年の参院選で自民党はコテンパンになり、せっかく選んだポスト小泉がいきなりレイムダックになりまっせ、という気もするし。と考えると、増税の部分だけ見て批判するのも、ちょっと大人げないよなあと個人的には思うわけです。

 まあ、それはいいんだけどでもこのFlash貼り付けキャンペーン、誰にどのくらい効果があるんだろうかね。面白がってサイドバーにぺたぺた貼り付けるブロガーが6月までにどのくらい出てくるか。でも1回計算したらもう後は同じものしか出てこないから、つまんないよなあ。政治家や税調委員の発言をおちょくるようなメッセージがランダムに表示されるとか、「My節税対策軍師」とか名乗る諸葛亮孔明が現れて「我が君、税金を1銭でも余計に払うのは愚かなことですぞ!」とか言いながらランダムな節税のアドバイスをしてくれるとかしたら、超喜ばれたかも。

 連合もここまでブロガーを使ったキャンペーンを考えたのは偉いと思うけど、そういうところが実は画竜点睛を欠いてる気がするんだなあ。やっぱり本当のところは、中の人がブロガーの習性をあまり分かってないからじゃないだろうか。26日の懇談会にしても、お誘いメールが来たときに「非常に興味があるんですが、僕は都合が付かなくて出席できないんです。僕のブログで代わりに参加して会の記録をアップしてくれる人を募ってみたいですけど、いいですか?」と尋ねたら、事務局からは「お申し出はありがたいが、こちらが選んだブロガー以外の人が殺到すると対応しきれなくなるかも知れないので、今回はご勘弁を」(意訳)という返事が来て、がっくりだったし。

 このキャンペーンをアドバイスしたマーケティング・プランナーの方、ネットマーケティングの要諦はそういう細かいインターフェース・デザインの部分なんですよ。そこのところ、連合の方々にもっとちゃんと教えてあげてくださいな。

07:56 午前 メディアとネット コメント (12) トラックバック (6)

2006/04/06

なんだかなあ

 ええ、もうがっくりですよ。なんつーかですね、トラックバックとコメントを全ページにつければ「Web2.0」だと思ってるんじゃないですか。そりゃぜんぜん違うでしょ。

 いやもちろんね、その機能を実装するのだけでも大変だった、お金もかかった、しかもこれからいつ炎上して膨大な投稿が来るかも知れないのを24時間監視し続けなきゃいけない、俺たちはがんばってるんだというのは分かりますよ。でもそれと「2.0」とはぜんぜん関係ないですわね。一言で言えばただの「自己満足」。何のためにトラックバック、コメントが必要なのか、分からずにやってるとしか思えない。

 何でかって言うと、そのトラックバックアドレス、あるいはコメント投稿へのリンクが、ページ内のよーく目を凝らして探さないといけないようなところにしか付いてないわけですよ。要するに「トラバ、コメントは怖いし面倒だからとりあえず目を付けてくれるな」って言いたいわけなんですね。いや、そう受け取れますよあのデザインは。でもまあそれはいい。この前もつまらないことで炎上したばかりですしね。

 でも、それならコメント欄閉じればいいだけでしょ。トラバで汚い言葉の投稿を送ってくる人ってのは珍しいんだから。当てこすり程度のトラバなんかだったら大して気にもならないですし。そういう話じゃないんですよ。つまりですね、今ネットで情報サイトをやることの意味って分かってます?ってことなんですよ。

 米国でもこんな現象が起こったりしていて、要するにユーザー自身が「自分が貢献している」と思えるようなウェブサービスでないと、もうトラフィックを集めることなんかできないんですよ。それでもYahoo!とかMSNみたいに、これまでのトラフィックがあれば別ですよ。ゼロから始めようっていう時に、「2.0」のパワーを無視してどうするんですか。

 一番気になるのはですね、送られてきたトラバを「情報」とも思わないそのデザイン思想なんですよ。そもそもトラバやコメント機能が何のために必要と言われてるのか、分かってますか?ただの「大手サイトに名前を乗せたがる目立ちたがりユーザーのガス抜き」みたいなもんだと思ってるでしょ?ぜんぜん違いますよ。トラバも貴重な「情報」なんですよ。本来はサイトの情報価値を高めるために、頭下げてでも送ってもらわないといけないようなもんなんですよ。

 だから送ってもらったトラバは、一般のエントリと同じぐらい目立つところに並べてあげるぐらいのつもりがなきゃダメなんですよ。コメントだって本当はそう。無責任なコメントが多いからそんなことできないって言うなら、そもそもじゃあなんでコメント投稿に掲載前のチェック機能なんか付けてるんですか。「有意義なコメントのみ掲載します」って言うなら、堂々と表に出して「情報」としての価値を認めるべきなんですよ。

 むしろ自分たちの出す情報と一般ユーザーの情報とを対等に並べるようなことはできないと思うなら、トラバもコメントも無理矢理つけなくったっていいんですよ。そもそも大手サイトなんてそんなもんだと、みんな思ってるんだから。だけど、実際には「情報」の価値っていうのは、他の誰にも接触できないようなディープスロートから得られた極めてトップシークレットに近い情報でなければ、A社がB社を買収したのはなぜなのか、なんてのはみんなの知っている知識を寄せ集めた方が推測の正確さも上がるんですよ。そのためのトラックバック、コメントでしょ。

 というようなことをぜんぜん理解せずにトラバ、コメント機能だけ実装して「Web2.0でござい」なんて言ったって、ちゃんちゃら可笑しいだけなんですよ。

 あと、これも本当にがっかりしたのは、サイト上やメールで情報のサマライズとか、価値の重み付けの判断がぜんぜんなされてないってことなんですよね。少なくともユーザーにはそれがまったく見えない。膨大な量のタイトルが全部「等価」扱いで並んでる。

 暇なひきこもりネットオタク相手にサービスやってるならいいですよ、別にこれでも。でもそうじゃないんでしょ。だったら、すべてのコンテンツに10秒で読めるサマリー付けて、オススメをもっときっちり選んで「今日はともかくこれだけを読んでください」って、一目で分かるように差し出すデザインを考えなきゃだめですよね。こんなもの、誰も読まないですってば。僕の隣の人にメール見せたら、3秒で閉じて二度と読みませんでしたよ。働いてる人間は、みんな忙しいんですよ。

 等価扱いで膨大な量の情報を投げるんであれば、そういうのに適した情報の投げ方がありますよね?RSSとか、キーワードリスティングを絡ませるとか、Cookie使ってカスタマイズドページに誘導するとか。時間がなかったかも知れない。でもそれにしたって、あのメールはないでしょ、あのメールは。

 こちらのブログでまさにそのものずばり書かれてますけど、お客様の立場に立って考えてサービスするというのは、「Web2.0」とかそういうトレンド以前の、基本の基本なんですよ。そもそもそれってビジネスなんですよね?だったらどこのどういうお客様のためにこのビジネスをやるのかがお客様に伝わらなきゃ、どうしようもないじゃないですか。

 お客様に伝えたい価値があるなら、まずその価値が徹底的にしっかり伝わるように、何もかも(仕組みも、デザインも、サービスも)分かりやすくするべきなんですよ。提供したい価値はあるんでしょ?え?そもそもそれがよく分からない?…そうですかそれは失礼。いやはや。

11:43 午前 メディアとネット コメント (11) トラックバック (4)

2006/03/09

3/31に緊急イベントやります:ソフトバンク×ボーダフォン

 1つ前の「ソフトバンク×ボーダフォン関連まとめ」というエントリを書きながらいろいろなブログに目を通したが、やはりブログの世界と新聞やテレビの世界とでは、この問題への切り込みの深さが根本的に違うなあと思った。

 マスメディア、特に新聞は元ネタとなるニュースが出てこないと、それこそ1行も記事が書けなくなる。本当はこの問題をきっかけに通信業界が今どんな役割を産業全体の中で果たすようになってきているのか、ソフトバンクの孫正義という経営者はどういう戦略性を持ってこの買収を進めようとしているのか、分析すべきことはたくさんあると思うのだが、どうも話がそちらに行かない。

 テレビはもっと表面的だ。どこかのブログでニュース番組か何かのとんちんかんな解説を嗤ってるのを見たが、こういうファクトもあまりなくて「どこからどう語れば良いのか分からない」出来事に、的確な解説を加えるためのフレームというか時間というのがテレビにはないから、もう何がなんだか分からなくなって、結局「あまりにも深くて重要な問題すぎるがゆえに大きく扱えない」という、訳の分からない状況に陥ってしまう。

 ただ、最近の僕は「マスメディアがやらない」ことに対する文句を言うのではなく、彼らがやらない、やれないことは自分でやろうと思うようになってきたので、早速やってしまうことにした。この件でCNETのコラムニストの渡辺聡さんといろいろ連絡を取っているうちに、「きちんとイベントのかたちにして全部解説しちゃいましょう」というアイデアが出てきたので、僕もお手伝いさせていただくことにしたのだ。

 3月31日(金)の18:30から、マーケティング戦略論やコンテンツとメディア、情報通信などの専門家の方々を集めて、パネルディスカッションを開こうと思う。渡辺さんに専門家の方々のモデレータをお願いし、僕自身はブログでの告知と、イベントの設計、運営などの裏方業務に徹することにした。イベントの詳細はこちらのリンクをご覧ください。概要は、以下の通り。

■タイトル
 グロービス+Emerging Technology研究会共催(グロービス先端セミナー第1回)
 「ソフトバンク、ボーダフォン買収で幕が上がる120兆円情報通信産業の波乱の行方」

■パネリスト:
 森祐治 氏(株式会社シンク 代表取締役)
  元NTT、マイクロソフト、マッキンゼーのご出身で、情報・メディア論がご専門の方です。

 降旗淳平 氏(日経ビジネスアソシエ 副編集長)
  日経エンタテインメント、日経ビジネス、日経ビジネスアソシエで15年以上エンタテインメントやコンテンツ・メディア業界をウォッチされてきた、メディアビジネスの裏の裏までご存じの方です。

 塩川博孝 氏(アスクドットジェーピー社長兼CEO)
  日航、外資系広告会社、外資系損保などを経てネットベンチャーの社長や取締役をいくつも兼任されている「プロ経営者」の方です。

■モデレータ:
 渡辺聡
 (渡辺聡事務所・Emerging Technology研究会主宰・CNET「情報化社会の航海図」)

 会場運営の費用などの都合で参加費を少々いただくことになるが、たぶんその金額をはるかに上回る深い内容をご提供できると思うし、集まる人たちとの貴重なネットワークを得られる場にもなると思っている。年度末の金曜日という厳しいタイミングになるが、実際にはソフトバンクから今回のディールの詳細が発表されるタイミングにも重なると思うので、目の前で起こっている事柄が情報通信ビジネスの業界全体にどう波及するかをリアルタイムで読み解くという、スリリングなイベントになるはずだ。

 当日は参加者とパネリストの質疑応答の時間もなるべくたくさん取りたいと思っているので、「我こそは」と思う方にはぜひご参加の申込みをしていただければと思います。よろしくお願いします。

08:57 午前 メディアとネット コメント (0) トラックバック (3)

2006/03/02

泡沫ブロガーが何か言ってます。

 大笑いしながら眺めていた例のテンプレですが、はあちゅう先生自らコピペをご講評いただけるとの情報をid:maroyakasaさんのところで見たので、さっそく講評に間に合うよう、徹夜明けのテンションであちこちの記事からインスパイアされたものを一気に書いてしまいました。関係各所にひきつった反応を引き起こしそうな内容ですが、実在の人物・団体・固有名とは一切関係ございませんのであれこれ類推なさいませんよう、何とぞよろしくお願い致します。



ねえ、
日本が可及的速やかに、しなきゃいけないことは何だと思う?

私は絶対教育改革だと思う。

この前もちおのブログのコメント欄で
「なんで世の中みんなネットのあちら側で処理しなきゃいけないのか説明してください」
とか執拗に書き込んでる某自称市民ジャーナリストを見て、
「は?」って思った。
もしあれが私の子供だったら、末代までの恥。
世の中には説明の要ることと要らないことがあって、
その質問は後者のカテゴりーに属するでしょ。
Googleのすごさを知らないからそんな質問出てくんだろうね。
あたしも大して知らないけどさ。
Googleの起こすあちら側の変化がどれだけすごいかって知ってたら、
そんな質問できなくない?
そういう低レベルなことぼやいてる奴らをまとめて、アマゾンの市川デポとかに全員ボランティアで逝かせるべきだと思った
向こうも迷惑だろうけど、頭下げて勉強させてもらいに行くべき。
Web2.0の世界が実現したらこちら側の世界には単純労働しか残らないことを目の当たりにしたら、
「なんでネットのあちら側じゃないといけないか」なんて言えなくなるはず。
こういう感覚を持った奴がエスタブリッシュメント側にいること自体間違ってるよ。
日本、なんか最近情けなくない?
この前、どっかの国営放送の記者が取材相手に「こっちの言うことは聞いてください、でも取材に一切条件は付けないで」って言ってて、
「終わってるな」って思ったんだけど。
国営放送の記者がそんなこと言う時代?
友達と話してた時、その子が
「最近のマスコミはジャーナリストの三大義務である
公正中立、客観的、謙虚のどれも満たしてないからウジ虫以下だ」

って言ってて、
すごい説得力あった。
最近のマスコミっていうのは、「自分だけべらぼうな高年俸で勝手放題に仕事してればいい」っていう感覚が根底にある気がする。マスコミをよく知らないから全否定はできないけど、
日本人がこのままマスコミの奴隷化して、「みんな黙って俺たちに教導されてればいい」
ってなったら、国は滅びることだけは確か。
そもそも、一億総表現者であることがWeb2.0の市民の姿なのに。
表現力が落ちてる!!
表現力を上げる教育が必要不可欠だと思われ。

ていうか、「なんで一生懸命自分の目で確かめようって意欲が失われつつあるの?」
って考えたんだけど、私なりの推測は、「メディア・リテラシーがないから」。
ネットという表現の場をもって自分のテキストサイトを作って、
てっぺん極めたら、
最後にパブリックジャーナリストに名乗りを上げるのが本来の市民の姿だと私は思うのね。
それを放棄するのは、ネットを愛してないからじゃない?

ふだんからテレビ漬けで洗脳されてると、メディア・リテラシーなんて意識しないけど。
だからこそ、若者はもっとネットで発言したりしなきゃ。
マスコミの言うこと鵜呑みにしてないでさ。
で、若者のメディア・リテラシーを上げるには教育から変えていくべきじゃないかと。
あちら側っていうものは実体が掴めないから、結局はGoogle、Amazon、Yahoo、はてなとかの利用経験がリテラシーになるんだと思うの。
で、それらを「使うこと」が出来ないなら、教育が絶対悪い。親と学校とマスコミが悪い!
メディア・リテラシーがないと、ネットの使い勝手は向上しないから、ブロードバンドの回線だけ敷きまくった日本は簡単にGoogleに植民地化されちゃうであろう。
教育を徹底改革して、子供にはタッチタイピングを叩き込むべきだと思う。

NIE教育は間違ってる。
あれは、朝日新聞の天声人語の読者を増やすだけ。
個人的には、総務省事業で視察した韓国のオーマイニュースに感動したので、あれを普及させるべきだと思ってる。(韓国のPC房についてはまた別エントリーでかくかも。)まあ韓国はネットユーザーの頭が悪いから、それを生かせてないけど。あの国はいろいろなもののバランスが悪すぎる。でも、ホロン部の巣窟ではある。
ていうかここまで思いつくままに書いてきたけど、何が言いたいのかよくわからなくなってきた…。
いろんな方向に飛びすぎ。書きたいことが多すぎて。
つまりまあ、まとめると、
私は教育改革に興味があるよって書こうとして、途中でいろんな問題にすりかわっちゃった…?盛り込みすぎた韓が否めない。

書いてて思ったけど、私の意見って、ネット知らずでリテラシー不足の意見だと思うのね。(しかも、まとまってないし。)
でも大事なのは問題意識があるか、意見を持てるか、ネットで表現できるかってことな気がする。
finalvent先生が、「最近のブロガーは『きっこの日記のどこがおかしい?』ってきいても、自分で検証ができない」って嘆いてた。
こんなの、他国ではないってさ。
デマゴギーの検証ができない子が増えたっていうのも、教育に問題があると思う。
では肝心の、どこをどう直したいのかということは、また別のときにでも書こうと思う。
そういえば朝日と「ブログキャスター」の原稿が終わってないのを思い出した。
そして今夜は1時からアサマシブログ書かなきゃいけないことも。

全日本ブログ団体連絡会総連合会
世界統一ブログ協会

ふと思ったんだけど、この国のネットをあやつってるのって、
どうやらNTTグループじゃなさそうだよね。
この国のネットを変えたいと思ったら、
どこに逝くのが一番てっとりばやいの?
ライブドア?楽天?

08:37 午前 メディアとネット コメント (32) トラックバック (5)

2006/02/03

梅田さんの新著出版記念イベントに出ます

 既に梅田望夫氏ご本人のブログでも何回か告知されているが、氏の新著「ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる」の出版記念イベントに、「ゲストパネリストその1」として出席することになった。なんか「村人その1」みたい。

 その準備として、昨日筑摩書房より謹呈本が届いたので、仕事からの帰りの電車の中で読み始め、たった今、読了。別に夜を徹して読んだ訳ではないが、現在ネットの世界で起こりつつあることの位置づけとかいったテーマについて、なるべく体系的に(ネットが分からない40歳以上のおじさんにも理解できる程度に)書かれていて、でも分かる人には分かる含蓄のある話がたくさん入っていて、するすると読めるとても良い本だった。

 発売前なので、内容についてはこれ以上触れないが、本を読んでうーんと唸り、そのイベントに向けて梅田さんが投げかけたアジェンダを見て、もう1回うーんと唸ってしまった。

 どちらも、最近考えなくちゃと思いつつ、面倒くさかったり今さら青臭い議論をブログに書くのもどうかなと思ったりして放置してあった問題がたっぷり含まれていて、週末から週明けにかけて脳髄に相当な負荷をかけざるを得なくなりそうな気配である。しかも、ちょうどいろいろな事象が起きて考えをめぐらせ、以前に書いた自分の考え方に修正をかけなければならないと感づいていた問題だっただけに、超微妙と言うほかない。

 しかもトークイベントの内容はPodcastingですぐにネットに流れるそうなので、自分のブログで書くより先にオンラインに流れてしまうかと思うと、絶妙のタイミングというか泣けるというか。

 ただ、最近1年ぶりぐらいにいろいろインプットが起こってきているので、頭の中が少し活性化されている気もする。とりあえず、7日夜のイベントで梅田さんや他の参加者の方々にも「R30を呼んで良かった」と思っていただけるよう、これからブログのエントリ5回分ぐらいのネタを準備しようと思っていますので皆さんお楽しみに。

 あと、7日夕方にイベントやってる最中に、このブログに書評が自動アップされるように設定しておこうかな、「同時多発的批評デスマッチ」とかいう感じで(笑)。あああ、こんなイベントがあったら、近々に本に書いたりしなきゃいけないネタも全部出してしまいそうで恐ろしい。まあいいや、そん時はそん時でまた考えよっと。

10:21 午前 メディアとネット コメント (2) トラックバック (3)

2005/12/31

変化の波に洗われる巨船と波乗り木の葉

 今年は大掃除もせず、おせちも作らず、正月飾りもなく、これで正月が迎えられるのかと思うほどだらけた年越しだった。まあ、ものがあまりない家だから掃除するのも片づけるのも、ものすごく簡単になったということなんだけど。家具がまったくない家というのはいいものだ。

 我が家にとっては転職あり、引っ越しありと、大騒ぎの1年だった。この歳になって人生の光景ががらっと大きく変わるというのも感慨深い。転職してからというもの、「10年後にどんなことをしていると思いますか?」と、よくいろいろな人に聞かれるけど、自分でもまったく想像がつかない。昨年までのように記者をやっていたとしたら、「10年後も同じように記者をしている」ことが期待されていたと思うし、自分もそうとしか答えられなかっただろう。

 今年、社会人になって以来9年近くお世話になった会社を飛び出してみて、最も強く感じたことは「変革の波に最も激しく洗われているのは、どんどん変化する組織よりも変わろうとしない組織の方だ」ということだ。今の僕には、10年後の自分がどんな仕事をしているか想像が付かないにもかかわらず、不思議と「変化の波に襲われている」という気がしない。むしろ今、これまで右肩上がりでずっと安定を享受してきた組織の方が、変化の波に呑み込まれそうになって右往左往しているという印象を受ける。僕の方が、それよりもずっと小さい木の葉のような舟に乗っているはずなのに。

 ここで言う「変わろうとしない組織」というのは、もちろんマスコミもそうだけど、それ以外の大企業も含んでいる。最近、たまたま2件ほど売上高が1000億円単位の大企業の相談に乗る機会があったのだけれど、どちらも方向としては完全に行き詰まっていて、あとはぬくぬくしてきた人事制度に手をつけて社内に嵐を起こすか、それとも事業を細切れにばらして心機一転独立採算でやり直すか、どちらかしか打つ手がないだろうというような状況でアドバイスに困り、頭を抱えた。

 自分自身、そういう企業の中に身を置いていた経験からすれば、経営陣によほどの覚悟がない限り、状況を打開する有効な手を講じられないままじりじりと縮小均衡のスパイラルに入りたくなるのも仕方がないだろうなあと思うわけだ。格好良く言えば「イノベーションのジレンマ」ということなのかもしれないが、なんというか実際にはそのレベルでさえない。単に「成長できる余地がなくなった」というだけであり、目先のキャッシュは潤沢、社内の無駄遣いさえきちんと切りつめていけばまだまだ全然利益は増やせる。問題は右肩上がりに慣れきったじゃぶじゃぶのコスト体質の方なのだ。

 そういう企業が本当に取るべき手というのはだから、おそらく事業戦略の転換でさえない。変化の波を起こしているインターネットに正面から突っ込むのは、彼らにとってはむしろ事業戦略的にどう見てもマイナスでしかなく、一番賢明なのはじりじり続く事業の縮小均衡に耐えられるHRシステムを作ることの方だったりする。だが、まさにそれこそが彼ら自身のもっとも取りたくない方策だったりもするので、にっちもさっちもいかなくなってしまう。

 結局、個人も会社も「どうにでも変化できる」「変化に対応するのが楽しい」という体質になっておかないと、ステイブルであろうとする限りじり貧に追い込まれてしまうような気がする。陳腐な喩えだが、鏡の国のアリスの赤の女王の言葉、「同じ場所に止まるために全力で走らなくてはならない」を今さらながら実感した年だった。

 今年もう1つ思ったのは、ブログの登場で文字通り「誰でもメディア」の時代がやってきたなあということだ。

 昨年の年末のエントリを見ると、ブログ界の今後は昨年末に思い描いていたものにはまだ全然たどり着いていないようだ。むしろもっと裾野が広がったというか、良くも悪くも世の中のいろいろなものが「ブログ」化したというか、まあそんな感じ。一方でブログから何か新しいものが生まれたのかというと、あまりそういう気もしない。北新の高田さんのまとめエントリなどで鋭く指摘されているが、ブラックジャーナリズム的なものもブログ界に押し寄せてきたし。

 個人向けのブログホスティングサービスそのものがいつまで続くのかとか、今の状態の持続可能性についてはいろいろな意見も出ているが、インターネットの発展が情報発信・流通・受信のコストをこれからもどんどん下げていくであろうことは事実だ。その意味で、今年起こった様々な変化は不思議なことでも何でもない。

 テキストどころか音楽や映像でさえも、今やパソコンとカメラが1台あれば何でもできてしまう時代になった。あれだけ大がかりな制作・配信システムの必要なテレビの世界がインターネットの浸食にさらされるなんて、数年前には思いもつかないことだった。人間の脳からコンテンツが生成されるまでの手間やコストもどんどん低くなるだろうし、それが他人に伝達されるまでのコストもどんどん低くなる。

 というわけで、今後の競争のカギは情報流通のプロセスではなくその前か後ろ、つまり人間の脳から有意義なコンテンツを生成するだけの仕組み作りと、コンテンツを受け手の脳に的確に叩き込む仕掛け作りとなる。つまりネットの「外側」にどういう仕組みを作るかに注力すべきであり、今からインターネットに突っ込んでいって一生懸命ビジネスしようなどと、絶対に考えてはいけない。そんなことすれば、せっかくの虎の子のコンテンツやビジネスモデルを無料開放するだけであり、経営陣の「俺だってインターネットぐらい知ってるぜ」というプライドを満足させるのと引き替えに未来のキャッシュをどぶに捨てるのと同じだと思うのだが、どうも皆さんそういうふうには考えないらしい。

 つくづく残念なのは、少なくともこの「前と後ろの仕掛け作り」の何たるかについて、既存の大企業はそのコツを知っていたはずなのに、それをうまく自分のビジネスの中で再構成できてないということ。それどころか、今や彼らはその暗黙知を生かすよりも、社員に経済的ダメージを与えるのを回避することばかりに気を取られて自らそれを放棄したり、壊して回るようなことをしているということだ。

 例えば26日に朝日新聞が発表した編集改革委員会の報告と来年からの改革案を読んで、僕は正直あっけにとられた。読者からの記事評価とか、編集局の組織改正とかは正直どうでもいいと思ったが、最後の「朝日ジャーナリスト学校を将来は社外にも開かれたものにする」って、どういうことなんだろ。

 どこの企業が自社社員の養成システムを社外の一般人に開放するわけ?そんな教育研修システム、企業の競争力につながらないんだから作るだけ意味ないじゃん。ていうか、一般人に公開できるような研修制度なら、どうせ大したことは教えられないでしょ。そんなのに2ヶ月も張り付けられる新入社員カワイソス。それとも、何かの情報公開のつもりなのか。お人好しにもほどがある。

 あるいは、彼らは朝日というメディアの競争力が、自社の社員じゃなくて記事や写真といったコンテンツや新聞個配網といった流通プロセスにあるとでも思っているのだろうか。つくづくおめでたい方々だ。でもこういう美しい誤解が、今や朝日などのメディア企業に限らず既存の大企業に蔓延しているところが、何ともはやという感じだ。

 まあいいや。いずれにせよ、2005年は新聞からテレビまで、オールド・メディアの右往左往ぶりが際立った年だった。それは言うまでもなく、ニュー・メディアにとってのチャンス到来を意味する。2006年は雨後の竹の子のように、次世代の日本を代表するメディアがいくつも出現する年になるだろう。そこにオールド・メディアがどのように絡んでいけるのかいけないのか、僕の関心はまさにそこにある。

 2005年は大変お世話になりました。僕に新しい出会い、チャンスを与えてくれたすべての方々、そしてこのブログの読者の方々にお礼を申し上げます。皆さんも良いお年をお迎えください。では。

10:54 午後 メディアとネット コメント (11) トラックバック (5)

2005/12/10

米Yahoo!、ソーシャルブックマーク「del.icio.us」を買収

 うわ、キターてな感じ。ついに買っちゃいましたか。

 Yahoo!、ソーシャルブックマークサイト「del.icio.us」を買収(ITmedia News)

 昨日のET研「Googleの戦略分析」で、Yahoo!=クローズド帝国、Google=オープン帝国という意見が出ていたが、この買収なんかを見ると明らかにそうだよなあ。Googleがソーシャルブックマークを買収するか?と言われれば、たぶん「ノー」だろう。だって、del.icio.usを買収しなかったんだから。必要だと思うなら、自分でやるんだろうなGoogleは。

 それにしても昨日の研究会で一番強い印象に残ったのは、「インターネット関連のベンチャーに、そもそもVCからの資金提供を必要とするようなイニシャルのかかる事業がほとんどなくなってきたにもかかわらず、イニシャルの低いベンチャーのバリュエーションがどんどん高くなっている」という意見だった。

 そうだよなあ、自宅の一昔前のオンボロPCをサーバーにすればサービスインフラなんていくらだって作れるし、面白いサービスを作れたらお客が集まってアフィリエイトとアドセンスでお金が入ってきて、最後はYahoo!が買収しに来るか、Google・・・に税金取られるかだもんな~(笑)。ことネット業界に関しては、VCなんてもう要らないのかも。

 となると、お金の行き所は純粋にネットの中だけでサービスが閉じるベンチャーではなく、ネットをレバレッジ(てこ)にしてリアルの事業を切ったり張ったりする人たちの手元なんジャマイカ、というのが昨夜帰り道で考えたことだ。

 事実、今年1年を振り返ってみると資金の集まりどころはそういう流れになっている気がする。2000年の米国発のITバブルの時に投資対象になったような、ネットの中だけでサービスやっている企業には投資云々の話が不思議とない。例えばはてなとかは絶対にIPOするつもりなさそうだし、「mixi」やってるイーマーキュリーも事業切り売りはしてるけど、1年以上前にサイバーエージェント向けに増資したきり、未だにVC入ってないっぽいし。

 むしろ、既に今年ライブドアと楽天という2つの企業がやらかしたことを見ても分かるが、ネットに絡めてリアルの高収益ビジネスを一気に拡大する!って言い張る人の手元に巨額の買収資金が集まる、というタイプのバブルなのかもしれない。

 つまり、実際に実現するかどうかと関係なく、言ったもん勝ち、絵を描いたもん勝ちのバブル。ま、バブルってもともとそういうものだけど、今回のは「リアル企業をでっかくします!」とネット側からとびついたものの勝つバブルってこと。とすると、TBSに声掛けた楽天の三木谷社長も、もしかしてそこまで読んでやっていたのかもしれない。

 ネットは個人からお金は取れない。でもリアルの企業で個人や企業から多額のお金をさくさく取れるサービスというのは、探せばまだまだある。そういうサービスをやっている企業や団体を「うちが買収できたら、ネットとの相乗効果で事業を拡大してあげます!」と叫ぶのが、これから半年ぐらい流行るんじゃないかな。で、そのたびに株式市場から、金融機関から、お金がわっと集まるという。

 と、表題と全然関係ないことをいろいろと妄想してみた師走の土曜の朝でした。おしまい。

10:46 午前 メディアとネット コメント (7) トラックバック (9)

2005/12/05

ブロガー・シンジケーション広告

pressblog 11月後半がリリースだったみたいなんで少し話題に乗り遅れた感もあるけど、ブロガーを集めて広告媒体として使いましょうという業者が、ついに出てきた。

 press@blog

 こちらのブログで分析されてるように、要はリードメール(メールを読んだだけで1円もらえるとかのやつ)ライクな感じらしいが、それをブログで書くだけで50円から200円もらえると。まあすごい!(笑)

 しかし、リリースが送られてきただけでその商品やサービスについての(たぶん肯定的な)コメント書くのって、実際に使った商品に惚れ込んでアフィリエイトするのよりずっと難しそうな気がする。アフィリエイトのうまい人って、やっぱりなんだかんだ言って自分自身も物欲旺盛な衝動買いの多い人(つまり紹介する商品がいつの間にか本当に好きになってる人)だと思うからなあ。そういう、感情移入の対象がないのに紹介文書けるもんなのかねえ。そこんとこ、どうよ。

 でも、広告主の企業からしてみれば、僕みたいにイベント呼ばれてタダ飯食わしてやったくせにボロックソ悪口書くようなブロガーはあらかじめ弾いたうえで、穏やかにちゃんと商品の名前をネット上で連呼してくれる穏便なブロガーのリストだけをちゃんと揃えてブログからSEO対策の外部リンクを張りまくってくれるっていう広告代理店には、すぐにでもすがりたくなるだろうな。

 営業方法にもよるけど、広告出す企業はかなり簡単に集められるような気がする。例えば外部リンクを1000件張ってもらうとして、200円×1000カ所=20万円払えばその商品名がネット上のいろいろなドメインから一気に外部リンク張ってもらえて、Googleからの評価が高まるんだったら、喜んで金払う企業って多そう。これって結構ヒットしそうな予感。

 あとは、ある程度ドメインをばらけさせた上で、1件50円とか100円とかのはした金で外部リンク張りに協力してくれる1万人程度の穏便なブロガーを集められるかどうかだな。たぶんそこがカギ。てか、ふつうにアフィリエイトやって月に何万円程度稼げてる人なら、そんなしょーもない商売には目もくれないと思う。だからアフィリエイトなんかやってない、フツーのブロガーがターゲットになるだろうけど、そこまでこの登録会員を広げられるかどうか。

 それとも、そういうアフィリエイターって結構どん欲で、アフィリエイトとAdSenseとやりながら「これもやっちゃおう」とかって感じになるのかな?そういう世界のこと、よくわかんないけど。

 まあ、メディアというのはすべからく広告的ポジションからスタートしていくものだと思いますんで、こういう試みにはいろいろな人がチャレンジしてみるのはよろしいことなんじゃないでしょうか。僕はこういうの、絶対いの一番に弾かれそうだからやらんけどね(笑)。

03:03 午後 メディアとネット コメント (4) トラックバック (3)

2005/12/03

cybozu.nite 2.0に逝ってきた

 目端の利く広告屋さんの計らいか何か知らないけど、ネット企業のプレス&関係者向けパーティーにご指名で招かれたので逝ってきましたよcybozu.nite 2.0。渋谷のクラブ貸し切ってやった豪勢なイベント。

 普通のマスコミならここでタダ飯食わせてもらったお礼にヨイショするまではいかなくとも冷静に新会社紹介とかサービスの特徴のレポートとかするのが礼儀だろうと思うが、別に僕は別にカネもらってブログ書いてるわけでもないのでそういう義理はないってことで。というか、あまりのトンチンカンぶりに一言言わずにおられない。

 話の概要は要するにサイボウズ単独ではグループウェア以上のことはできんと。で、グループウェアで持ってる顧客ベースを生かすためにビジネスポータルをやりたいと。なのでサイバーエージェントグループと提携してポータル作ります、その会社にサイボウズのブランド貸してグループウェアからトラフィックも提供するから4割出資もさせてください。そこまではいい。青野社長がそうしたいんだから。

 で、問題はその提携してやるサービスの内容だ。ターゲット顧客は「ITビジネスパーソン」だと。誰それ。んで、例によってWeb2.0ときた。世の中はこれからXML。すべてのウェブはパッケージじゃない、サービスになる。XMLを流通させる仕組み、Feedで全部を統合するんだ。複数のブログを1つのインターフェースでいじれたり、好きなブログやニュースのRSS Feedも登録して更新管理したりするサービス。で、それをポータルサイト「cybozu.net」に実装するぜ!すごいだろ!っての。

(°Д°)ハァ?

 えーとそれって本当に「ポータル」なんですか?めっちゃカスタマイズの必要なただのAjax遊びツールじゃないのって気がするんですが?それって何てGoogleIG?てか、そんなカスタマイズツールに、ビジネスパーソンって寄ってこないよ。寄ってくるのは毎日ブログ更新するような社内で干されてるヒマヒマ窓際ビジネスパーソンとか引き篭もりネットヲタとかのような気がするンスけど。サイボウズのお客さんにそんな引き篭もりヲタって多かったっけか?

 あと、「複数ブログに一度にエントリを投稿可能」って、ウェブの世界はマルチ投稿はしないのがマナーじゃなかったんかい。システマティックにスパムブロガー量産してどうすんだっつーの(笑)。だめ押しが「競合はiTunesです」。・・・なんかもう、FeedpathのどこがiTunesと競合すんのか、バカな僕にはまったく理解できなかったざんすよ。どうみても精子です本当にごめんなさい。

 トータルの感想としては、「広告屋さんというのは、世の中の人の流れの一番激しいところをめざとく見つけてそこに企業のカネを引っ張ってくる術には長けているけど、彼らにメディアとしての『議題設定機能』を期待するのはやっぱり無理なんだろねー」というもの。ポータルになるということ、つまりメディアを持つということの意味が、根本的に分かってないねこの人たち、というのが正直な印象だった。今のcybozu.net見ても、ヤフーのトップ見てる方がまだ今日のトピックスがさっと目に入ってきて役に立つ罠。First glanceで既にヤフーに負けてるポータルって何か意味あるの?

 なんだか最近のサイボウズの動きを見るに、カネが有り余って有り余って、でもどう使えばいいのかわかんなくてしゃにむにあちこちと提携して投資案件を決めて、ってやっているようにしか見えんのだよね。

 まあなんだか新しい動きに投資しまくった結果、ひところ低迷していた株価が上がってるのは喜ばしいことなんだろうけど、中長期的な方向としてはどうよと。ますますわけわかんなくなってるように思えてしょうがない。それより配当増やせとか村上ファンドに買い占められたらどうすんのよと。今回のcybozu.netなんて別に1000万円ちょっとのカネだからどうってことないっちゃどうってことないわけだけどさ。

cybozu.nite 2.0 それともこれってゼロックスPARCのようなITコミュニティーへの社会貢献ですかそうですか。それなら良いですもちろん。反対はしませんけどね。だとしても、新会社作ってブロガーやらネット業界の関係者やら、よだれが出そうなほどの有名人ばかり(除く僕)をイベントにかき集めておいて、会場からの質問・意見とか何にも募らないってのもね。もったいないというかブロガー招いておいて勇気あるというか広告屋さんの考えそうなイベントだなあというか参加型うんたらは嘘なんだろなあというか。僕としてはブログに書くネタ、書けない話がたくさん集められたから別にいいんだけど。

 ま、「ビジネスパーソンをもっと元気にする!」って言うなら、もう少しはその「ビジネスパーソン」とやらをきちんとマーケティングしたらどうですかね。とかなんとか場末のブロガーが飲み足りなくてグダグダ言ってますが、いやまあ別にいいですよ社会貢献ならそれはそれで。

 というわけで最後は何だか弱気になってしまった。その後の忘年会できれいな女性のネットワーカーの方をたくさん見て良い気持ちで酔っぱらったから、まあいいや。せっかくなんでケータイで撮った会場の写真でもはっとくか。何がなんだか全然わかんないけど(笑)。壇上でしゃべってるのが小川さんね。ともかくも裏方スタッフな皆様は本当にお疲れ様、ご招待いただきありがとうございました。こんな糞ブロガーで良ければまたお誘いくださいまし。

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2005/11/06

やっぱり本命はドコモでしたか

 またまたiPodネタ。この話、いくら書いても面白い。Appleってすごいなあ(笑)。で、日本のカウンターパートが決まりそうな気配。

 NTTドコモ、タワーレコードを傘下に(NIKKEI.NET)

 ドコモが、タワーレコードが米MTSから離脱したときの株主だった日興プリシンパル・インベストメンツから32%の株を買い取り、さらに第三者割当増資も引き受けて40%の株を持つ。これで、タワーレコード(マーケティング)-Napster(システム)-ドコモ(端末、回線)という音楽ネット配信のトライアングルができましたな。ドコモさすが。Apple対抗の日の丸連合の筆頭に浮上でしょう。

 今から思えば、タワーレコードの伏見博之CEOが9月にCNETで「定額ダウンロードし放題」というサービスを米Napsterと始める、と述べていたのは、これが伏線としてあったわけだ。

 100万曲が聞き放題に――タワーレコードがナップスターと組んだ理由(CNET Japan)

 AppleのITMSは、1曲ごとのダウンロード課金方式を採っている。単に音楽を聴く人のビヘイビアを考えた時には、サブスクリプションよりもPPD(Pay per Download)の方がいいのに、なぜ?と思っていた。上の記事で伏見CEOは「音質が向上したら、PPDではダウンロードし直すことができないが、サブスクリプションなら可能」と語っていた。だが、それ以前に聴きもしない音楽に毎月いくら取られるということ自体にユーザーの感じる抵抗感の方が大きいはずだ。

 とすれば、サブスクリプションで音楽サービスを購入する顧客というのはかなり限られる。タワーはわざわざ自分からユーザー層を絞り込むようなことをどうしてするのかと訝しく思っていたが、これで謎が解けた。課金はドコモのシステムを丸ごと利用するつもりだったのだ。だから携帯電話料金の請求と一緒にサブスクリプションにした方が、ユーザーにとって抵抗感が少なくて良いということだったのだ。納得。

 国内だけ見たら、この勝負ドコモに結構分があるかもと思う。まず、端末をばらまく能力で言ったら、ドコモはAppleの比じゃない。携帯電話機能をつければ通信回線のチャージが別立てで可能だから、イニシャルの端末価格はAppleより安くできる。

 iTunesの役割を果たすソフトウェアは、タワーレコードと提携した米Napsterが提供する。そしてその上でレコード会社をまとめ、ネットに音源を載せてマーケティングするのはタワーレコードがやるだろう。あとは、PC上のNapsterとドコモの携帯端末をうまく結ぶ組み込みソフトだけ作ればいい。ここはNapsterの「Napster To Go」というサービスが既にあるから、それをうまく携帯に組み込むよう、ドコモが端末メーカーに投げればいいことで、というか既にそういう発注は行ってるだろうな、一部のメーカーには。

 問題は、PCとつないで音源を転送できる便利なインターフェースのある携帯端末ができるかどうか。ドコモは本当はFOMAでネットから直接音源をダウンロードしてほしいと思ってるかもしれないが、アルバムまとめて大人買いみたいなニーズはFOMAの回線ではiモード料金が恐ろしくてできない。当面はPC経由のダウンロードを優先し、携帯端末のPCとのコネクティビティの向上に神経を集中してほしいところ。あと、細かいところで言うと、会社と自宅の両方で充電できるクレードルのようなアクセサリとかも欲しいね。

 iPod nano並みのメモリを積んでiPod nano並みにカッコイイ音楽端末携帯がドコモから出てきてくれるとかなり嬉しいのだが、たぶん最大の課題はそこだろうなー。現時点でドコモの端末メーカーでデザイン力が一番あるのはソニエリだと思うのだが、彼らは親会社の意向もあるし、激しく嫌がりそう。そうすると松下か三菱あたりに期待ってことになるのかな。松下のデザイナー、がんばって!

09:55 午前 メディアとネット コメント (16) トラックバック (20)

2005/10/31

ついに来た。メール向けAd-Sense

gmail_ad Gmailの画面をいつものように眺めていたら「おっ?」と思った。ついにキタ━━━━(゜∀゜)━━━━ !!!!! メールの内容を検索して関連広告張るサービス!Gmailアドセンスだ!

 今はまだメール内容に関連するGoogle Newsのヘッドラインが表示されるだけだが、やっぱりGoogleはGmailも内容をちゃんと検索して読んでいたことが判明。日本でもコンテンツ連動の広告が出るのも時間の問題となったわけだ。さすがGoogle。他人のメールを全部広告スペースにしてしまおうというその発想、大したものだ。

 実は1つ前のエントリで、本当はYahoo!とGoogleの話を書こうと思っていたのだった。でも話がいつの間にか逸れて楽天についてだけのエントリになってしまった。何を書こうと思っていたかというと、検索に関するYahoo!とGoogleの手法の差というのは、実は実際の差というよりもマーケティング・コミュニケーション上の差なんだよということだった。

Yahoo!は昔から、キーワードに沿ったサイトをスタッフが人力で探し出してリンクを張っていた。機械的な検索が中心になってきた今でも、実は裏でスタッフがキーワードごとにどういう順番で検索結果を表示すればいいかとか、毎日細かいチューニングを行っている。というのを、この前出たとあるパーティーで、Yahooの中の人に教えてもらった。

 逆にGoogleは「検索はプログラムがやっています。人間は一切判断していません」と言っているが、だいたいプログラムというのは人間が書いてるんであって、何をどういう順番で表示するかは当然ながらプログラムする人間の判断が含まれているわけだ。その意味でGoogleの検索だって「中の人がチューニングしている」ものであることは変わらないはずなのに、彼らは常に「プログラムがやっています。人間は判断してません」という常套句を言い続けているのだ。

 今では両社ともそんなに変わらないことをやっているはずなのに、なぜGoogleは人の手の関与をことさらに否定するような言い方をするのか。その理由が、まさにこれ。つまり、彼らは通常なら広告など入れようのないプライベートなインターネット空間にも、「機械しか見てませんから」という言い訳とともに、広告を入れたかったのである。

 友だちとの他愛ないメールのやり取り、チャット、会話など。その横に広告を入れられれば、広告の可能性そのものを広げることになる。でも、それを可能にするためには「Google自身はプライベートをのぞき見してはいない」ということを強調する必要がある。だから、ああいう説明が繰り返されてきたのだ。

 実際には、Googleも人手を使って検索機能をチューニングしていることが明らかになったらしい。ってプログラミングの意味を知ってればそんなに驚くべきことでもないのだが、要するにそういう事実を明らかにしたこと自体が彼らにとってダメージになりかねないということで驚かれているのだろう。

 ま、そんなことはどうでもいい。ここまで考えていたのかGoogleということで、僕もこれからGmailにはあまり社外秘的、個人秘的な内容は書かないようにしようっと。

01:25 午前 メディアとネット コメント (4) トラックバック (7)

2005/10/21

ただいまチーム組成中

 「アルファブロガー」の本のインタビュー受けた頃には、「メディアは批評の段階を終え、実行のフェーズだ」とか大見得切ったくせになんもやってねーじゃねーかと読んだ人にガン飛ばされるんじゃないかと実は内心冷や冷やしていたんだけど、世の中うまくできているというかやっぱりなるようになったというか、結局また実行フェーズに思いっきり関わることになってしまった。しかも2件。

 具体的なことはもちろんこんなところでは言えないんだけど、今って通常業務も死にそうなほど忙しいんですがその上にアドオンで2件もプロジェクトのスタートアップが絡んでくるって、いったいどうよ。神はいないのか。

 怒濤のプロジェクト立ち上げに関わって改めて心に刻んでいるのは、某飲料メーカーの凄腕マーケターが言っていたある一言。「新規事業の立ち上げが成功するかどうかは、その船にどういう順番で誰を乗せるかで、80%が決まるんです」

 これって後から振り返って(失敗したり成功したりした人が)つぶやくのは割と簡単な言葉なのだけど、まさに現在進行中の立ち上げ作業の中で「誰を、いつこの船に乗せるか」について、完全にそのタイミングとメリット・デメリットを読み切って判断を下すのは、本当に至難の業だよね。

 正確に言えば、今回そうとしているプロジェクトには驚くべきことに、プロジェクトを直接回す人たちに想像もつかないほどすごい面々が集まりつつあるのだけれど、問題はもっと身近な、そしてそのプロジェクトによって影響が及びそうな周囲に位置する人々への対処である。

 まず、プロジェクトに関係がありそうな人、どうしてもどこかの段階で手を貸してもらわなきゃいけない人、割り込んできそうな人、敵に回りそうな人…というのを目を凝らして精査し、それぞれの人物についてのプロコン、現有キャパシティ、任せて良いことと良くないこと、そして人格的なケミストリーを把握しておく必要がある。

 個人的には、目の前にいる人のそれらを把握するのはそんなに難しくないと思うが、やはりプロジェクトの中で明らかに足りなくなってくるだろうと思われるリソースを持っている、あるいはいざというときにそれを知り合いや身の回りからかき集めて提供してくれそうな人というのが、たいていはプロジェクトスタートの時点では目に入ってなかったりすると大変だ。後から追加で船に乗せていくことになるわけだが、そうするともともと船に乗っていた人とバッティングしたりしてすったもんだが起きたりして、結局もといたメンバーの方を泣いて馬謖を斬らなければならなくなったりする。

 そうならないようにプロジェクトの途中経過でどんなリソースが必要になってくるかを予想して、いざという時にケミストリーとか役割分担が大きく食い違わないような人を選んでおき、根回し確保しておいて、いざというタイミングでさっとカードを切るという技が必要になってくる。大事なことは、ここぞという時に切れるカードの数を豊富に持っておくことと、何よりプロジェクトの細かい進め方、どこでどんな話を動かさなければいけないかのロードマップをきっちり見切っておくことである。

 しかしネットメディアをやるときに一番大変なのは、コンテンツ回りの開発スピードや意思決定と、システム回りの開発スピードや意思決定の順番とが、全然別のスパンで動くことだ。これが、下手なプロマネが手がけたプロジェクトのロードマップの当てにならない最大の理由である。

 したがっていかにブログの機能が発達しようとASPのアプリケーションがたくさん出回っていようと、この2つのロードマップをきっちり書き込んだものを関係者全員でまず共有してから走り出さなければならない。たとえどんなにそれをきっちり徹底していても、コンテンツ屋というのはシステム屋が思いもつかないようなポイントで突然これまで進めてきたことをそっくりちゃぶ台返そうとしたりするものなのだ。まして、中長期的なマイルストーンを設定せず、つまりロードマップに何のコンセンサスも取らないで走り始めたプロジェクトというのは、たいていがコンテンツ屋とシステム屋の決定的仲違いで失敗する。

 あと、ケミストリーの点で言うと、プロのコンテンツ屋は気乗りのしないコンテンツを作れと命令されても、たいていは無理矢理何とか原稿をでっち上げて締切までに間に合わせる。それがプロだと教えられてきたからだ。しかしシステム屋というのは、高い金を積んでやってもらう大手のSIerは別だが、少人数のプログラマのチームはコンテンツ屋や経営トップの都合で理不尽な仕様変更とかを押しつけられると、とたんにやる気をなくして開発速度もクオリティもぐぐっと低下する。これが時にはそのプロジェクトに壊滅的なダメージを与えかねないものとなる。

 なのでそういう爆発が起きないようにするためにも、プロジェクトで想定するサービスのイメージを(途中での仕様変更等も多少は織り込んだ上で)相当かっちりと明確に持ち、それに合わせてシステムの仕様を書かなければならない。これが一番骨が折れる。

 一番骨が折れるというのにそれを近々やらなければいけないので今からかなりグロッキーである。しかし世の中にシステム屋と会話が成立するコンテンツ屋というのがほとんどいない。ご多分に漏れず今回のプロジェクトもどうやら僕1人だ。プラン書きは必死に他人に振りまくっているがシステムの仕様とりまとめだけはやらざるを得なくなりそうな気配。あああ死ぬ。どうしよう。うーむこまったな。誰か代わりに仕様書書いてくれる人はいないもんか。

 とかつぶやいているうちにも、目の前のいろいろな仕事の締切は走馬燈のように過ぎ、無力感に打ちひしがれた僕は何もせずにふて寝して結局は時間を浪費するのであった。あうあうあう。

11:58 午後 メディアとネット コメント (5) トラックバック (2)

2005/10/15

Video iPodに勝つためには何をすればいいか。

 ある映像関連業界の人から表題のような相談を受けた。当面は投資家向けの説明をどうすればいいかっていう話だが、その向こうには今後5年ぐらいのスパンでどう事業をやっていけばいいかという話も含まれているっぽい。知るか、そんなこと。

 とか切って捨てるのもかわいそうだし、まあ投資家向けの言い訳はいろいろとアドバイスをしてあげたのだけれど、ゼロベースで考えた時にiPod流のコンテンツ配信ビジネス破壊にどうキャッチアップできるかについて、ちょっと考えたことをまとめてみたい。

 iPodでふつうに映像見られるようになったら、地デジとか1セグとかもう要らないし、という話はアイドル並みにちょうカッコイイ孝好先生がこちらとかこちらでお書きになっていらっしゃる。ま、その通りだろう。

 携帯電話は、女子高生だろうが主婦だろうがビジネスマンだろうが、世の中から自分が孤立していないことを証明する唯一無二のコンタクト・ポイントである。その意味で、携帯電話の電池が切れることほど恐ろしいことはない。そして、これだけ液晶が高密度になりカメラが付き機能が増えているにもかかわらず、携帯電話の電池寿命というのは1990年代後半から進歩がない。

 だから、この端末の上で映像コンテンツを1時間も見たりしたらどうなるか、世の中の人はほとんど完璧なまでに的確にその結果を予測できる。電池切れが起こって、その日の残り半分、充電器のある自宅にたどり着くまでは、自分が世の中から完全に隔離されるということを。何度も言うが、だから携帯電話で3分以上の映像を見ようと思う奴は絶対に出てこない。

 「いや、でも別にそれが1セグケータイでなくてiPodだからって外で移動中とかにテレビ見ようとは思わないと思うなあ」と反論する人もいる。例えば、ハコフグマン氏などはそういう感想を述べている。これもまた、まったくその通りだ。

 Video iPodの登場の意味は、「テレビ映像を持ち運べて見られるようになった」ことにあるのではない。ここを勘違いしてはいけない。実際のVideo iPodは、おそらく音楽を聴くのに使用時間の99%が使われるだろう。ではいったい何の意味があるのか。既に「映像コンテンツを有料ダウンロードして見る」という可能性が開かれたこと、そしてPodcastingを使って「定期的に購入する」という販売モデルが、既に可能になっていることだ。

 iTunesのインストールベースはアップルが公表していないので分からないが、個人的にはiPodの国内累計販売台数の10倍近く、約500~600万ユーザは行っているんじゃないかと思う。例えば、毎週見てもらえるような15分程度の短い映像コンテンツを作り、このユーザーユニバースのうちの1%に定期購入してもらえたとしよう。米国並みに、1回300円の販売収益が出たとすると、それだけで週に1500万円の売り上げが上がることになる!!

 アニメやヒーローものなど、ユーザーのsticknessの高い映像コンテンツを作っている制作プロダクションなら、(地上波での放送さえ考えなくて良いなら)馬鹿馬鹿しくて民放キー局などに番組売るのを止めたくなるだろう。ま、そういうことである。しかもこれで番組中に広告主の販促物を映し込んだりしてインフォマーシャルの手法を盛り込んでいけば、バックドアから広告収入も同時に受け取れることになる。そうなると、制作会社は企画力と営業力さえあれば、キー局なんかすっ飛ばしても良いわけだ。iTunesばんざい!電波利権をぶっ壊せ!(笑)

 っていう話は、ここの本筋ではない。「映像配信ビジネスで、iPodに勝つ手はあるか?」というのがここでのテーマだ。

 音楽の分野において、今さらAppleの確立したポジションをひっくり返すことは、並大抵のことではない。2200万というユーザーベースとほとんどの音楽会社がコンテンツを提供しているというインフラを無視してかかることなど、そう簡単にはできないからだ。でも、ここで述べたようなVideo iPodの戦略は「Video対応のiTunesを今のiTunesユーザーがダウンロード」して、なおかつ「主要な映像コンテンツホルダーがAppleにコンテンツを提供」すればという前提付きだ。前者の蓋然性はかなり高いものの、後者に至ってはまだどうなるか分からない。

 だから、映像分野でソニーや松下といった日本勢が音楽業界の轍を踏みたくないのであれば、とにかく今からコンテンツホルダーを囲い込みまくることである。直取引でもコンソーシアム形式でも、何でもいい。とにかくAppleに卸すよりこちらに卸した方がメリットが大きいというユーザー向け映像配信インフラを大急ぎで築いて、それにコンテンツホルダーをかき集めて載せておくことだろう。

 ところが、コンテンツ屋というのは、自分が儲からないプラットフォームにコンテンツを売っていくことには非常に慎重なものである。だから、コンテンツ屋を動かしたければ、iTunes並みに利用が手軽なコンテンツ配信インフラをまず軽くユーザベースで100~200万ほど築いてしまう必要がある。いったい、どうやって?

 一番簡単なのは、パソコンのソフトを作ってタダでダウンロードさせることだ。だけど、ダウンロードさせること自体をユーザーの自発性に頼らなければいけないのでは、これは相当のメリットがなければユーザーは動かない。とすれば、あとはあの手しかない。「ヤフーBB商法」である。

 一番安い携帯音楽プレーヤーを、街頭で100万個ぐらいタダで配ってしまうのだ。で、パソコンとの接続には専用ソフトがなければダメで、それをダウンロードするとごくわずかの月額課金がかかるようにする。最初から料金を取るのは大変だから、コンテンツ購入にも使える「ソフト使用料最大3ヶ月無料の1000円クーポン」というのを無料配布するプレーヤーにつけておき、月額200~300円の課金を最初は無料にして最大限楽しんでもらい、生活にとけ込んだところで課金を始めるという仕組みがいい。定額課金とインターネット接続環境を既に持っているユーザーがターゲットなので、端末ばらまきは既存の大手ISPを通じて全ユーザーに送りつけてしまうのもいいだろう。

 インフラができてしまえば、あとはもっといろいろな機能のついた高価格のプレーヤーをアップセルするなり、魅力的なコンテンツをガンガンダウンロードさせるなり、いろいろと儲ける手口もできるだろう。

 だが、ここまで達するのにおそらく間接コストを含めて400~500億円の初期投資は優にかかる。それだけの赤字を垂れ流してリッチコンテンツ配信ビジネスの主導権をアップルから奪い返そうというソフトバンクのような豪胆な日本企業が、いったい出てくるだろうか。その時の競争相手はAppleだけでなく、そういう業界破壊的なアプローチを取ることに猛反発する同業他社でもある。また、日本国内で仮にシェアを奪回できたとしても、海外市場を握るスケールメリットではAppleに最後まで勝てないかもしれない。

 といったことを考えると、もはや第2第3のソフトバンクなど出てこないかも知れないね。楽天とか、TBSなんていう電波利権業者買収ごときに900億もつぎ込んでる場合じゃないでしょ。ライブドアなんか、フジテレビから1000億もゲットしたんだったらこっちにぶちこんでみない?あーあ、やっぱりダメかなあ。みんなiPodの軍門に下れってか。

 しっかしさあ、これって総務省とか自民党政治家とか一部国粋主義的なジャーナリズムとかが一番嫌がってる、「外資にメディア業界の主導権を握られる」構図そのものじゃねえの?そこんとこ、どうよ?いや、僕は別にまったくどうでもいいと思うんだけどさ。

11:32 午前 メディアとネット コメント (20) トラックバック (30)

2005/10/03

WiLL「朝日は腐ってる」特集を読んだ

WILL 11月号 finalvent氏の10/1のはてなダイアリーのコメント欄で、月刊WiLLに朝日新聞批判の特集が載っていて「やたら面白い」と評されてるのを見た。目次はこちら→月刊ウィル最新号目次

 ネットを見てると、朝日新聞批判は食傷気味になるほどあちこちにあるのだけど、同じマスコミで特集まで組んで朝日を批判するのもずいぶん思い切ったことだなと思ったのと、とは言えNHK問題やこの前の選挙報道のねつ造あたりで新しいファクトでも出てるんかしらと思って、買ってみて読んだのだが、全然新しい話なんかなかった。

 finalvent氏の「極東ブログ」での分析を読んでる方が、ずっとシンプルに選挙報道ねつ造事件の問題点が理解できる。というか、あの事件に関してのコメントは、極東ブログの推論とまったく同じじゃん。意味ねー。

 WiLL自体が彼のための雑誌とも言えそうな渡部昇一大センセイは相変わらず「反日思想云々」うるさいし、その他の寄稿も最高につまらん。finalvent氏の日記でid:eternalwind氏が「本田(雅和)ウォッチャーにはお勧め」と書いてあった福田文昭氏の文章も、別に本田雅和の新たなインサイトに迫っているわけでもない。あっそ、の世界。匿名座談会は、むしろ「朝日ってトップが下手踏むと現場からそんなにメールやら何やらで突き上げがある会社なんだ~」と、むしろ感心した(笑)。ある意味、腐った組織の事例としてはまだ健全な方かも。

 今号のWiLLでむしろ見るべきコラムは、フジテレビの報道2001の黒沢祐治キャスターが書いている「テレビの中の人間から見た、小泉劇場の評価」というやつ。淡々と今回の自民党と民主党のコミュニケーション戦略についてテレビ側から見た比較分析を書いていて、なかなか興味深い話でした。あと、勝Pの「築地をどり」コラムが(コテコテ)^2のレトリックで、中身はどうでもいいんだけど相変わらず過ぎて笑えた。

 で、話を戻して朝日特集なんだけど、WiLLってまさに朝日批判専門誌って感じで別にこういう企画自体既視感満点というか、もはや今は朝日叩き自体が(勝Pコラムのように)一種の論壇エンタテインメントの一手法として確立されつつあって、まあ花田紀凱編集長はその第一人者なんでしょうねえと。そして、結局新しい話というか新しい切り口は何もなし。それ以上でもそれ以下でもない。

 渡部昇一とかが「朝日は日本のプラウダである」って結論づけてるけど、「だから、何?」って思う。プラウダでもカナル・プリュでも何でもいいけど、それで儲かってんだから、いいじゃねーか。余計なお世話だよ。

 むしろ問題の端的な本質は、朝日新聞という企業がそれだけ「腐って」いて、「経営者がバカ」で、「言ってることとやってることが違う」らしい組織でありながら、昨年度は単体でも連結でも増収増益、113億円もの純利益が上がって隆々たる経営状況だということのほうだ。この数字にまったく触れずに「朝日はプラウダだ」とか喚いてみても、説得力なかろうに。

 ブログ界を眺めていると、内田樹センセイが「朝日新聞の購読はもう止めた」と宣言したり、この半年で割とコアな朝日新聞読者だった人の朝日離れが進み始めているような印象もあるのだけれど、実際のところどうなんだろう。だいたい、朝日を購読してる人ってネットのネの字も分からないようなイメージがあるから、ネット内だけでサンプリングしていてもわかんないんだよね。そういうのを調べてくれることを、朝日批判雑誌には期待するんだけどな。

 単に朝日新聞のクラッシュがいつ頃来そうか、ということが知りたければ、例えばこのエントリとかこのエントリとか読めば分かるわけだし、新聞というものの将来を考えてみたければこのエントリとかを読んだりすればいいわけで、今さら雑誌でネットに氾濫する朝日毒舌をまき散らしたところで何になるんだろう、とか思う。その意味ではWiLLもネタにするものの対象こそ違えど、内田樹の言うように「あなたが知らないことを私は知っている」というネタの差し出し方で雑誌を売ってカネを稼ぐという点で、朝日と何ら変わるものではなく、同じ大文字の「ジャーナリズム」村の住人にすぎない。

 ま、会社なんて従業員が泣こうが喚こうが変わらないものは変わらないのであって、本当に会社が変わるのは株主が変わる時か、顧客が消える時だけですよ。だって会社は株主のもの、利益は顧客がくれるものだから。

 朝日新聞も、村山家の持ち株相続問題の時限装置が刻一刻と迫っていて、しかもその株式を買い取るための資金を作っておこうという経営陣の意志もこの財務諸表からは読みとれないので、今後10~20年のどこかでこの問題がきっかけに同社が変わることは間違いないでしょう。良い方向か悪い方向かは別にして。僕はfinalvent氏のように「朝日には再起するだけのインテリジェンスがある」とかは思わないけど、支配権を持つほど大きな比率の株式の所有権移動が起きることで、朝日に何らかの変化が起きることは間違いないと思う。そんだけ。

07:29 午前 メディアとネット コメント (13) トラックバック (4)

2005/09/30

紙メディア初のPodcasting登場!!

 やってくれました。日経ビジネスが、創刊36周年記念リニューアルで、10月からPodcastingを始めました。

 日経ビジネスPodcast

 聞いてみたけど、たった10分弱で、宣伝が大半ではあるものの、なかなかオモロイ。特に井上編集長の大げさな語り口が(笑)。わざとらしく声を潜めるところがめちゃくちゃ聞き取りにくいのは、愛嬌ではあるが。編集長!!もうちょっと普通にしゃべってください(´д`;)

 既にPodcastingで実績のあるラジオNIKKEIの協力でやってるので、録音の質は申し分なし。日経ビジネスの井上編集長がパーソナリティのみずさわキャスター相手に次号の特集や目玉記事の紹介を語るという内容。

 初回は誌面改革の宣伝が中心だが、2回目以降どんな内容が出てくるのか楽しみ。というか、もう少し1つの記事の解説にもう少しじっくりと時間をかけてほしいな。そうしたら編集長が口を滑らせそうな気配が満点なので(笑)。あと、記事中に出てくる経営者などにゲスト出演させるってのもやってみてほしい。「記事とは別の角度からこの経営者の魅力をお伝えします!」みたいな。あるいはゲスト出演が無理なら、インタビュー時のテープからハイライトの部分を流しちゃうとか、インタビュー冒頭だけ流しておいて、「いやー、実はですね、この続きにすっごい爆弾発言があるんですけど…それはぜひ誌面で読んでくださいね!」みたいに釣るとかも、いいかも。

 今週号でいうと、ソニーの中鉢社長あたり引っ張り出したら面白かっただろうが。しかし、ウォークマンでiPodの防戦に必死なのに「Podcastingにインタビューで特別出演してもらいたい」とか言ったら、すげえマズイ雰囲気になりそう。それもまたビミョーで面白そうだけど(笑)。

 ・・・とかいろいろ考えていてちょっと思ったのだが、Podcastingって実はテキスト・ビジュアル中心の紙媒体と、いろいろな補完が利く媒体なのかもね。記事を読みながら「ここでこの経営者はどんなニュアンスを込めてこの台詞をしゃべったんだろう」というのを、今まで僕らは想像しながら読んでいたわけだけど、それをPodcastingが埋めてくれるわけだから。

 さしあたっての問題は、これを誰が聞くのかってことだな。日経ビジネスを読んでそうな社長や役員や部長さんたちで、iPod持ってるって人はなかなかいない気がする。とすると、やっぱりネットに浸かっていて、通勤電車の中で聞けるPodcastingネタを探している30代のビジネスマンあたりか。だとすると、単純な誌面の宣伝よりは、コンテンツのチラリズムの方が効果高そうな気もするな。

 ま、とにかく日本の紙メディアでPodcasting一番乗りはめでたい。Podcastingデビュー、おめでとうございます>井上編集長

(追記)・・・と、思ったら、既にソトコトが7月からやってたんですね。2番乗りか。まあ、いいや。

10:52 午前 メディアとネット コメント (2) トラックバック (6)

2005/09/11

2005年衆院選開票速報結果

 自民党単独で300、公明党あわせて340をうかがう、ですか。衆議院だけを見る限り、これで与党連立政権だけで憲法改正が可能になったな。画期的なことだ。ま、もちろん参院は3分の2に届いてないわけだし、小泉首相の奇襲戦法が今後何回も通じるものでもないと思うけどね。岡田君、残念でした。2度の選挙で天才マーケターの罠にはめられたあなたは、ほぼ確実にクビですよ。

自民公明民主共産社民その他
NHK285~32528~3684~1276~103~12 ??
 日テレ 30933 1049718
TBS307341058620
フジ 306361018920
テレ朝3043310410816
テレ東

 NHKの無所属・郵政反対派の議席数(??のところ)は、ザッピングした段階で細かくメモ取れなかったので省略。まあ、大勢には影響なしってことで勘弁ね。あと、テレ東は例によって8時45分から特番。なんか、後出しじゃんけんの人を同列に並べて当たったとか当たってねえとか評価されるのも、他のテレビ局にとっては心外だろうから、載せないことにした。誰か8時45分の時点でチェキラできたら、コメント欄にでも書き込んでみてください。

 これだけ激戦と言われていたからさぞかし局ごとに予想の差が出るのかなと思っていたら、ほとんど出てないなあ。NHKの幅予想は別にしても、民放4社の自民、民主の予想議席数の差がどれも各党議席数全体の2%以内に収まってるというのは驚異的。「自・民激突」とか言っていたほとんどの選挙区は、出口調査だけで完全に勝ち負けが読めたっていうことかな。開票予想の当たり外れの焦点だったのは、郵政民営化反対候補に自民党が対抗馬を立てた20やそこいらの選挙区だけだった、と。

 というわけで、速報値を見ての感想はこのぐらいにして、この予想がどのくらいの精度で当たったか、また明日の朝に検証してみたい。おやすみなさい。

08:38 午後 メディアとネット コメント (21) トラックバック (17)

2005/09/02

はてなぶくまの投げ銭を集計してみた。

 8月10日にはてなブックマークの投げ銭機能が実装されてから20日あまり経った。実際にどのくらいのポイントが投げられてるのか、特にはてな以外のブログでどれだけの効果があるのか、finalvent先生はじめ興味津々な方もいらっしゃったと思うので、このブログについての結果を一挙公開してみたい。

 以下は8月10日以来、新規にはてなブックマークで登録されたすべてのエントリについて、ブックマーク数(複数のカテゴリ登録に分かれている場合はそれらの合計)と、そこから受け取った投げ銭の件数とポイント数の合計をまとめたもの。投げ銭してくださった皆さん、ありがとうございます。

 ちなみに★印のついているエントリはブックマーク登録されたのが8月10日以前だったが、その後ブックマークによる投げ銭を受け取った。

エントリ名 ブックマーク日 ブックマーク数 投げ銭件数 投げ銭獲得率 ポイント数(合計)
[R30]: ひさびさの大型ブログサイト登場 7月14日★ 6 1 16.7% 10
[R30]: テレビ番組のアフィリエイト、何で誰もやらないの? 7月21日★ 56 1 1.8% 50
[R30]: 投げ銭システム、実装してみた 8月10日 48 13 27.1% 179
[R30]: マナーからルールへのパラダイムシフト 8月11日 19 3 15.8% 40
[R30]: コードレス掃除機に燃料電池を! 8月15日 6 1 16.7% 10
[R30]: 書評:「中村邦夫 『幸之助神話』を壊した男」 8月18日 39 1 2.6% 10
[R30]: 政治家ホリエモンをなめてはいけない 8月20日 21 1 4.8% 10
[R30]: 自民党がブロガーを集めて会見するだって?! 8月25日 57 0 0% -
[R30]: 【速報】自民党、ブロガー巻き込み戦術を加速 8月27日 13 2 15.4% 11
[R30]: 総選挙はブログをどう変えるか 8月28日 1 0 0% -
[R30]: 「ふるさと」という贅沢 8月30日 3 0 0% -
[R30]: コピペレポート論議で思う大学教育の価値軸 8月31日 70 2 2.9% 80
         合計 400

 率直に言って、どういう傾向があるのかちっとも分からない(笑)。「投げ銭システム、実装してみた」のエントリは、投げ銭できるかどうかの実験に使われた+これまでのR30ブログに対する「いつも読んでますよ、ありがとう」的なものが多かったのかなあと思っている。なのでこれはイレギュラー・バウンド。

 見るべきなのはそれ以降のエントリに対する投げ銭の発生率なのかなあと。例外もないわけではないが、10件以上ぶくまされるエントリにはたいてい1件程度の投げ銭はコンスタントに発生しているとみて良さげ。

 ちと残念だったのは、gooブログに寄稿した長大な記事に対する投げ銭が、皆無だったということ(笑)。まあ、あの記事を読んだあとに、投げ銭のためだけにこちらのブログをわざわざぶくまする人もいないわけで、当然か。

 あと、ちょっと意外だったのはAmazonアフィリエイト張りまくりだった書評エントリに対しても投げ銭が飛んできたこと。「アフィリエイトでがっぽり儲かるんだからいらねーだろ」とか思われるかなぁと予想していたんだけど、ああいうエントリでも投げ銭は飛んでくるんだね。まあ、ただ本を紹介するだけじゃない、ごりごりの内容だったからかもだけど。

 で、20日間でいただいたポイントは400ポイント、イレギュラー・バウンドを除くと約220ポイント。最初は「もらったポイントを少しは還元しないとなー」とか考えていたのだが、僕自身ははてなブックマークをほとんど活用していない人間なので、そもそも投げ銭以前の段階でぶくまする気が起こらない。しかもはてなのその他の有償サービスもほとんど使う機会がない。なのでやっぱりポイントは貯まる一方になってしまいそう。還元を期待している皆さん、申し訳ない。

 最後に、「投げ銭で小遣いが稼げるようになるか?」ということについて今のところ僕が思うのは、ぶくま→投げ銭に至るまでの比率はたぶん今後もそれほど変わらないだろうと思うので、月に1万とか2万とかのはてなポイントを稼ぐブロガーが出てくるとしたら、書くエントリが片っ端からはてなブックマークで数百、数千単位でぶくまされるような超人気コラムを書き続けるか、それとも投げ銭の最低ポイント数を50とか100ポイントとするなどの「単価アップ」か、どちらかだろう。

 個人的には、多少投げ銭回数が減ってもいいので、当面は投げ銭ポイントの単価アップをはてなに期待したいところかな。ここのところ更新頻度が多少上向いているのも、投げ銭が来るっていうことが励みになってるように思うので。

03:11 午後 メディアとネット コメント (2) トラックバック (3)

2005/07/21

テレビ番組のアフィリエイト、何で誰もやらないの?

 ずいぶん前の話になっちゃうのだけど、そろそろ自分的に時効だからいいか、みたいな感じになってきたので書いてしまおう。最近、民放が相次いでネット映像配信をぶち上げていて、今日もTBSがツタヤとなんかやるぞみたいな発表をしていたわけだが。

 TBSとツタヤがタッグ--番組のDVD強化後、ネット配信はイバラの道(CNET Japan)

 この提携自体は、単にこれまでパッケージソフトの自前流通チャネルを持たなかったTBSが、CCCと共同でレンタルやセルDVDを流通させまっせ、という話に過ぎなくて、まあそれは可もなく不可もなし。僕が「何だかなあ」とクビをひねりたくなるのは、やっぱりその後の「ネット配信」あたりの話である。

 テレビの人たちって、口を開けば「番組は著作権関係がややこしすぎるのでネット配信は簡単ではない」とか言うけれど、実際にはハコフグマン氏のブログで書かれているように、下請けの制作会社がネット関連の著作権処理もこなした上で番組を着々制作し始めているので、あれって何かの言い訳に過ぎないんだよね、実は。

 で、何の言い訳だろうと考えると、やっぱりテレビにはテレビというチャネルしかないっていう、まさにその弱みが原因だろうと思うわけだ。フジみたいにポニーキャニオンという流通会社をグループで握っているメディア・コングロマリットはいい。あと、NHKも。だけど他のテレビ局って自前のチャネルがないから、ソフトを販売しても大して売れなければ他人の資本の流通会社を潤わせるだけで終わってしまう。だからやらないってことだったんじゃないかと思うわけだ。

 でも、別にテレビの映像コンテンツのリセールチャネルって、パッケージソフトだけじゃないと思うんだよね。そりゃもちろんネットで課金して映像を売れればベストだけど、それには著作権とCDNの問題が…ていうんなら、別にネットじゃなくったっていいじゃん。ケーブルテレビとか衛星放送だって、あんだからさ。

 パッケージだとあまりにも流通コストが高すぎて、結局ロングテイルの末端部分は全部「利益出ない」の一言で切り捨てざるを得ないけど、多チャンネル放送とかなら特定ジャンルだけループで垂れ流して、課金は番組単位のPPVってことでスクランブルかけりゃいいわけでしょ?そしたら、DVDじゃなくったってリセールできるじゃん。もちろんツタヤで売るよりはリーチする市場が小さいかも知れないけどさ。

 で、それで思い出すのが「ネコプロトコロル」のオーシマさんが6月26日のダイアリーで書いていた、テレビのアフィリエイトというアイデア。

 「昨日見たTV面白かったよと書いてもあなたのプログ読者も遡って番組参照することができないわけで、記事として参考になりにくい」、だから「TVに限って言うならばTV局は番組の放送後すぐに、番組データをNET上にあげるべきなのです。それを有料配信する仕組みにしておいて、プロガーは紹介エントリで有料配信サイトへ誘導、TV局はプロガーに対し紹介料を支払うようなそんなビジネスあったっていいじゃん」って書いている。

 …いや、実は僕ね、これとまったく(厳密に言うとネットではなくてCATVを使うという)同じアイデアを、某(以下検閲削除)に持ち込んでたわけよ。テレビチャンネルのアフィリエイトシステム、作りましょうってね。でもそこの社長が「つまんね」とか言って蹴ったわけさ。

 ま、オーシマさんと僕が考えつくぐらいだから、どうせ既にどこかの誰かが考えついてるんだろうし、湯川氏も「求められているのはネット配信ではなくてオン・デマンド」というエントリを書いているように、メディアビジネスをじーっと目を凝らして見ている人にはほぼ自明の話だと思うんだよな。メディアの中の人たちにとってはむしろ自明じゃないらしいってのがちょっと笑えるけれども。。

 そんなときに、テレビ系の映像コンテンツはたぶん、映像そのものはネットの外側に置いたまま、ブログやRSS、SNS、SBMと段階を踏んだ発展のステップを、ほぼそのまま踏んで進歩すると思うのだが、どうよ。ツタヤも、はてなツタヤオンラインとかやってる場合じゃなくて、早くツタヤオンラインにブログ+チャンネル・アフィリエイト実装しようよ、マジで。でないとテレビ屋さんに抜かれちゃうよ。

 あと、全然関係ないけど最近つくづく信じられなかったのが、NTT東が「ひかり電話」のイメージキャラにSMAPの中居正広を使ってること。別にネットサービスじゃなければいくらジャニ系使おうがカネ余ってる企業の勝手だと思うけどさ、ネットのサービス売るのにネットで画像使えないタレント起用してどうすんだよ。

 ま、NTTだしバカ高いカネかけた広告の効果なんてどうでもいいんだろうけど。うちもそのうちNTTの電話切ってIP電話に完全移行するしな。NTTさいなら。

12:08 午前 メディアとネット コメント (5) トラックバック (10)

2005/07/15

SBMってオーソライズ機能にならないのかな

 昨日は久しぶりに1日のPVが1万に届きそうだった。ブログニュースサイトを意識して見出し立ててみたからなんだけどね。ところでリファラを見ると2%ぐらいが「http://www.ameba.jp/」から来てるんだけど、アメブロのトップページって、どこにもこのブログへのリンクなんか張られてないし、いったいなぜこんなに飛んできてるのだろう。

 それはともかく、僕と同様に最近更新頻度が落ちているParsley氏のブログからこんなトラックバックをもらったのだが、それを読んで結構考えさせられた。

 確かにガ島通信とか、更新停止した著名ブログもいくつかあるのだけれど、僕が巡回してるところはまあペースは落ちてもそこそこ続いているところも多いし、フリーランスのライターさんなど新しい書き手も常に流入はしているし、ブログ界隈のコンテンツ生産能力はそんなに落ちてないと思う。

 でもなんか活気がなくなったように思う理由の1つが、ブログの読み方がだんだん単発のエントリのクオリティではなく、文脈(コンテキスト)依存型になってきたからじゃないかというのがParsley氏の仮説。以下引用。

 とはいえ、ニーズの問題や、形態の問題以外に、オーソライズの形を再構築する必要もある。これが簡単ではないだろうなぁ。
 おそらく「読ませる」記事というのは、そこら辺に転がってはいる。が、それを権威づける媒介がないと、存在さえもが知られずに眠ったままで過去ログへと流されていく。
 個人商店が基本のblogだと、ひとたびの粗相で、たちまちのうちに評判がガタ落ちになり、その後に良質なエントリーをアップしても、決して元には戻らないことがままある。
 (中略)blogという縦軸でなくて、点単位のエントリーで捉える発送を、閲覧者に求めるのは、ちょっと無理がある。それを強制する手段として、情報の詰め合わせの配送業に徹することにより、雑誌屋が生き抜くことが出来ないかなぁ。
 そんな戯言はともかく、まっさらな状態でエントリーを評価し、伝播させる仕組みを考える時期が近づいているというのは、偽りのない私の実感ではあるのだ。
 ひところの「匿名vs実名」論争あたりも、同じ問題意識に端を発していたようにも思う。

 Parsley氏は「雑誌」のパッケージング(詰め合わせ)機能に期待してるみたいだけど、まさにそこがカギだと思う。テキストコンテンツって、実は書くことよりもそれを面白いパッケージに詰め合わせる(編集する)方がずっとずっと手間がかかるし、能力が必要なんだな。

 たぶん、ソーシャルブックマークっていうのがそういうニュースクリップ機能になるか?というのが今年上半期の期待だったと思うのだけれど、いやもちろんそれはなるのだろうけれど、でもそれって「はてな」っていう集合意識のニュースクリップ(しかも最強のスピードと情報収集能力のあるクリップ)が1つできました、っていうだけの話。

 個々人の編集するSBMにスポットを当てるという方向にはベクトルが向いてないから、結局「他人が面白いと思うだろうと思うページを自分もブックマーク」という、ケインズの美人投票と同じことになっちゃってるんじゃないかと思うわけだ。ウェブコンテンツの(株式)市場化という点では意味があるのかもだけど、特異なパーソナリティや切り口を持った人のニュースクリップを見て楽しめるという、ネットならではの多様性を楽しみたいという向きには、はなはだ残念な方向に向かっているような気がしてならない。

 希望があるとすれば、クリッピングの機能やSBMのページデザインに最大限個性を反映できるようにして、「あの人のSBMはとにかくコメントが面白い!」「デザインがかっこいい!」とか言われるようなものを生み出して、株式市場ではなくて個人のポートフォリオをフィーチャーする方向性をこれから作れるかどうか、ってことじゃないかなあ。世の中に星の数ほど雑誌があるように、ネットの世界にも星の数ほど個性的なブックマーク集があって、その上でTOPIXみたいな「相場全体の動向」としてのはてなブックマークトップページがある、というのが一番望ましいと思うんだけど。どうなんでしょうね。

11:25 午前 メディアとネット コメント (6) トラックバック (5)

2005/06/27

マスコミ人の行く末は「没落」しかないのか?

 書いていいことなんかどうかわかんないけど、まあどうせ世の中に出るんだし、書いたらそれなりに編集者は焦ってくれるんだろうから、いいや。土曜日にここの人とここの人とここの人と、4人でマスコミ話をガーッとやってきました。近日中に本になるそうです。お楽しみに。

 だいたいネットワーカーの問題意識というのは深いところで常にシンクロしているもので、その時の話題も今旬なこことかこことかのイシューを巡っていた気がする。で、3時間+その後新宿で飲みながらさらに3時間しゃべった話を自分なりに整理して、さらにしゃべり足りなかったこと(笑)を少し書いてみる。

 与えられたお題は「ネットはマスメディアを救えるか?」みたいな話だったのだけれど、その議論の詳細についてはまとまった本とかを買って読んでいただくとしてですね。

 結局話が行き着くところというのは労働問題なわけだ。いつも。つまり
「マスコミにだってビジネスの“強み”はある」
→「でも強みと弱みをごっちゃにしか認識してないから、後から出てきた、強みだけマネる事業者にあっさり負ける」
→「なぜ強みと弱みをごっちゃにしか認識できないかというと、経営者にそれをきちんと分けて議論する訓練がされてないからである」
→「きちんと分けて議論することができれば、強いところだけうまく生かしながら新ビジネスを立ち上げたり、弱いところを中途採用で補強したりしてまだやっていけるはず」
→「で、そんなに簡単に人の入れ替えってできるわけ?」

 というところで、議論が止まるわけだ。なぜ議論が止まるかというと、マスコミの人間(特に編集・記者畑の人間)というのは、現在所属する企業の外におけるキャリア形成など、考えてみたこともないからである。というか、最近のマスコミの経営のダメダメぶりを見ていると、どうやら社外でのキャリアを考えるという思考回路を従業員に与えて来なかった(がゆえになかなか人材流出が起きない)ことを、自社の「強み」と思いこんで乱脈経営してるんじゃないかと錯覚するほどだ(笑)。

 ま、それは冗談としても、マスコミ人のパーソナルキャリアに関する思考の停止ぶりというのは、最近書かれたこちらのコラムとかを読んでも分かる。彼は思考停止しているというよりは、「記者は社長になれるのか」という、マスコミにおいて問うてはいけないタブーの質問をコラムに書いて、そこであえて「深遠な問題だ」とか言いつつ筆を止めているので、おそらく確信犯だろう。答えはもちろん「否、少なくともそのままでは」だ。

 今のマスコミの記者・編集者に広い視野からキャリアを考えさせることを阻んでいる大きな理由の1つが、この「記者というのはそのままステップを上がっていくと経営者につながる」という、不思議なゼネラリスト信仰的キャリア観だ。

 さすがに今どき「社内政治の最終勝者が社長になるべきである」と、少なくとも胸を張って言う大企業など日本のどこにも残ってないと思うのだが、マスコミというのは、今後はそれじゃいけないから将来の経営幹部と目される層に経営者養成の専門教育を施すとか、そういう発想さえ存在しない企業である。

 だもんだから、世の中のことを何も知らない大卒入社1年目の記者とかまでが、自分のこの仕事はずーっと続けていくとその最終地点は「社長」であるような深遠かつ崇高なるゼネラリスト業務である、と勘違いする。んなわけねーだろが。記者とか編集者なんてどこまで行ってもタダの物書き、ブンヤなんだよ。

 でもそれに気がつくのは、記者として先が見え始める30歳を過ぎてから。で、その頃には一般事業会社でも早いところは同年代で幹部候補としてのキャリアを歩み始めたりMBA留学にたたき込まれたりして、トップクラスは着々と「経営者」に向けた歩みを始めていて、中にはとっととスピンオフして六本木ヒルズの近くで社長やってる奴もいたりして、だから転職市場でもベンチャー企業クラスなら事業部門のマネジャーとしての能力を見られる。タダの物書きしかしてこなかったマスコミ人は、「やっぱり記者ってのはつぶしが利かないんだよね」とかつぶやきながら、諦めて早々に社内に引きこもるわけだ。

 だけど、自分が「つぶしが利かない」って思い込むのは、ある意味サラリーマンとしての自爆以外の何者でもない。記者・編集者という仕事に関して言えば、「他人に読ませられる文章を書く」というのは、意外と汎用的な価値は高い。

 問題は「何について」書くのか、あるいは「誰に向かって」書くのかということだ。今どき、世の中のどんな新商品も「誰にでも売れます、何でもできます」なんて言って商品化を認めてもらえるものなんて存在しない。「どこのどんな人をターゲットに、どのような他にない価値をご提供できます」と言って、初めてユニークさを認識してもらえる。

 梅田氏や楠氏がおそらく念頭に置いているであろうところの「知のチープ革命」の犠牲者たるマスコミは、まあ確かに今はもうすぐ来るべきクラッシュに耐えられないと目される人たちの筆頭だと思うのだが、マーケティングによってはそれも結構高く売れるようになると僕は思うよ。要は、「分かりやすくものを書く」という基礎能力の回りに、どういうマーケットバリュー(誰々の関心を引くような文章なら何でもござれ、とか、この分野の文章はオレがとにかく第一人者、とか)をくっつければいいかを考えればいいのだ。

 以前のエントリでも少し書いたけど、マーケター的視点で外から見ていると、マスコミ業界の経営はもはや法律で消えゆく既得権益を必死に強化でもしてもらうほかないくらい、クラッシュ寸前なのだ。「明日から記事の半分を外部ライターに書かせるから、キミたち給料半分にするか退職金もらって辞めるかどっちか選んで」とか、いつ言われてもおかしくない状況なのだ。それに気が付いてないのは、実は中の人間だけ。マスコミ人って、自分の会社のことについて驚くほど何も知らない。

 別にマスコミ人に限らないと思うんだけど、人間って今の境遇が恵まれていればいるほど、そこからずり落ちることを想定した努力っていうのには頭が向かないんだよな。だから僕の知っている相当優秀なマスコミ人(マーケティングすれば、他の分野でも高く売れそうな能力持ってる人)でも、自分が置かれてる境遇(社内の政治とか評価とか)を嘆くばかりで、自分の能力にちょっとでも付加価値つけて副業を手に着けようとかいう努力をしないんだ、これが。

 別に転職するだけが能力じゃなくて、マスコミなんてペンネーム作って会社に見つかりさえしなければアルバイト原稿とか社外の講演活動とかやり放題なんだからさ。ちゃんと付加価値付ける努力をしましょうね。やってる人はもうやってますよ、真面目な話。そこのあなたが知らないだけで。

 そういうわけで、梅田氏や楠氏が「特権階級の没落」とか「悪夢」とか、背筋が寒くなるような“北風”言葉をビシバシ使っているので、R30はやさしく“太陽”言葉でフォローしてみました(笑)。

01:53 午前 メディアとネット コメント (7) トラックバック (8)

2005/06/08

テキストエフェクト百花繚乱

 最近は泥のように疲れていてネットサーフィンも全然できない毎日なのですが、そんな中でふらっと立ち寄った踊る新聞屋ー氏のブログがいつの間にか
 

文字エフェクト批評ブログ

 に衣替えしておった。面白い(@∀@;)!!ていうか、このへんのあたりの可能性って、大文字のジャーナリズムとかブログ論云々論じる人たちってあまり議論しないよなあ。でもネット上の表現の可能性を考えるには結構大事なポイントかも。

 この手のテキストエフェクトの源流ってどのへんなんだろう。調べたことないけど、やっぱりかの有名な侍魂あたりからなのかな。うちはリニューアルの時に固定幅から可変幅に切り替えたのであまりテキスト遊びできないっていうか、するセンスもないのでやってこなかったが、個人的にはセンスの利いたテキストエフェクトのブログを読むのは大好きだ。鬼嫁日記とかも含めてね(「さきっちょ&はあちゅう」みたいに、文字がどんどん小さくなる方向なのは、Firefox使ってることもあって勘弁してほしいと思うけど)。

 そういえばかの高橋メソッド以来、この手のエフェクトがプレゼンの分野と融合しているようで面白い。もんたメソッドとかも先週あたり祭りになっていたようだけど、あれもブログに実装するプラグイン(?)とかがすぐ出てきて、融合のスピードはどんどん早くなっていってるみたい。となると次は、ああいうメソッドをうまく使いこなすブログが出てくるのが楽しみになる。

 で、テキストエフェクト評論家になられた踊る新聞屋さんによれば、「活字離れの著しい現在に一席を投じられるのではないかと思ったりしたのですが…物理的限界のある(新聞)紙では無理」ということだが、そんなことはなくて、新聞だってテキストエフェクトはやりまくってるわけですよ。「見出し」の部分でね。夕刊紙とかになったら、本文中の文言とかも「千年一日のごとく構造改革を言い続ける割にはサラリーマンをねらい打ちした増税や自民党内抵抗勢力を放置し改革する気のまったく見えない、デタラメばかりがのさばる狂気の小泉政権」とか、平気でポイント変えてるわけだし。紙だからやれないという問題は、ないわけで。

 むしろ今の新聞が、こういうテキストエフェクトの可能性を縦横に追求するビジュアルとコンテンツの新境地開拓をやってきてないんじゃないかと、こう思うわけですよ。全国紙の政治面とか社会面でやっちゃったりすると「ふざけてるのか」とかクレーム来そうだけど、家庭面とか、いいじゃんやっちゃえば。どうせそんなの気にするような堅物のおっさんとか、家庭面なんか読まないんだし。

 というわけで踊る新聞屋さん、面白いテキストエフェクトサイトを拾ってきてあれこれ紹介して下さい。期待してます。なーんて、「復帰しました」と言いつつ何も書かないのもアレかなと思い、spanタグの練習を兼ねてぐだぐだな下らないネタを一本。orz

01:16 午後 メディアとネット コメント (12) トラックバック (0)

2005/05/24

メディアビジネスのバリューチェーン(最終回)

 昨日は古谷先生とのお茶会だった。ブロガー同士が会って話すとブログで書けない話ばかりが飛び交うというのが通例であって、今回もとっても面白い話が多かったが、どれも書けないことだらけ。というわけで何を話したかは秘密です。どうして会えたかもしばらくは秘密。いずれどこかでタネ明かししますが。うふふふ。

 ところで全然関係ないんだけど、3月から断続的に連載してきた「ブログと情報強度」あるいは「メディアビジネスのバリューチェーン」というタイトルのネットメディア論シリーズに、そろそろ落ちをつけておこうかなあと思い立った。理由は湯川氏@時事通信のブログに久しぶりに反応しなきゃなあという義務感(笑)と、YOMIURI ONLINEのブログ導入のネタがあったから。

 湯川氏はそのYOMIURI ONLINEのブログ機能実装記事を評して、

炎上しない程度に盛り上げる・・・。この微妙なバランス感覚をつかむことが大事なんだろうなあ。
 と述べているが、トラックバック機能だけで盛り上げるのって結構大変だと思うよ、正直言うと。

 眞鍋様や古田様のように、メジャー芸能人属性に許されるギリギリの下ネタで突っ走るか、そうでなければガ島通信ぐらいツッコミどころ満載の煽り記事をガンガン連打するぐらいでないと、トラバってそうそう集まらないし。そのガ島通信のnikkeibp.jpでの連載記事でも、TB数は最大で60本ぐらいでしょう。先週アップされた最新の記事に至っては、重複含めてもまだ11本しかないし。

 でも、これってすごくポジティブに捉えられる話だと思っていて、要するに「ブログのトラックバックシステムを使えば、読者参加型にしても荒れない」ことが判明したわけですよ。いや、そんなこと分かってる人にはとっくの昔から分かってたんだけど、ネットに関しては決定的にリテラシーのないマスコミの中の人にも、それははっきり目で見て分かるようになったんじゃないかと。

 今さら今さらのおさらい話なんだけど、コメントが荒れやすいのに何でトラックバックが荒れないかっていうと、

  1. コメントは「書く」→「送信ボタン押す」の2ステップで書けちゃうけど、トラックバックは「自分のブログ開く」→「書く」→「公開する」→「相手のブログのトラバURLをコピる」→「自分のブログのトラバ欄に張り付け」→「更新ボタン押す」っていう、6ステップぐらいが必要で、そのあいだに沸騰した意識が冷やされる
  2. 意見を言うにしても「自分のブログを通して」言うことになり、発言者の主体性が問われるので慎重になる
  3. 長い意見を書いても相手のブログでは2~5行程度しか表示されないので、読む側が「TB先のブログに対する意見」として感情移入して読むよりは、「関連トピック」としてざっと斜め読みするため、煽り記事に対するハレーションが起こりにくい
などの要因があるわけだ。

 分かりやすく言うと、トラックバックは「書き込み者の主体性(=発言の連続性)を明らかにする」「そのページの主体(ブログ主)以外の発言は機械的に途中カットされる」という2つの効能を持つが故に、無責任な殴り書きコメントの殺到、つまり「荒らし」を抑制する効果を持つ。ただし、書き込みに対するハードルが(手順と主体確認の両面で)高くなることによる効果の代償として「盛り上がらない」という副作用もあるわけで、これが湯川氏のつぶやきの原因だと思う。

 で、僕は前からこのMTの「コメント≠トラバ」という分離の機能にすごく違和感を持っていて、何でこの2つの機能を分離させたものとして持つんだろう、何で誰も両方のメリットをうまく取り入れた新しい機能を作らないんだろう、ずっとそう思っていた。

 いや、正確に言うと、実はこの2つのメリットをうまく合わせたCMSを、ブログの草創期に見たことがあるのだ。覚えている人がいるかもしれないが、2年ほど前に「リネージュ」というオンラインゲームのユーザーサイトで「リネージュ記者クラブ」というのが存在した。

 このサイト、今から思い返しても非常に良くできたCMSで、一定頻度以上訪問してサイトを巡回している読者に対し、予告されないタイミングで、あるCookieを発行するという仕組みになっていた。

 このCookieがコメント書き込み者の個人認証として使われるようになっていて、Cookieを持たない読者(過去1ヶ月以上そのサイトを訪問したことのない読者)は、コメントができないようになっている。また、例えばある記事にCookieを持っている読者がコメントを付けたとする。するとコメントの横の小さな吹き出しアイコンが表示されて、それをクリックすると、その読者が過去に書き込んだコメントが全部一覧できるようになっていた。

 要するに、「リネージュ記者クラブ」の掲示板システムは、個人情報を取るわけではないがユニークユーザーの認証をかませることによって、手間をかけずに書き込めるコメントでありながら主体性(発言の連続性)は担保するという仕組みだった。

 残念ながらトラックバックのもう1つの機能である「長い発言の自動省略」機能はなかったので、それでもコメント欄が荒れる傾向は完全にはなくならないようだったが、たぶんその機能が実装されていれば、せいぜい数千人が参加するサイトでありながら荒れることなく2ちゃんねる並みの盛り上がりが演出できるサイトになっていただろうと思う。ちなみに「リネージュ記者クラブ」は、個人ユーザーの管理していたサイトだったため、そのユーザーが運営に「飽き」た時点で閉鎖されてしまった(正確に言えば、他の有志に引き継がれて、現在は「リネージュ2記者クラブ」として存続しているが)。

 話を元に戻すと、この「メディアビジネスのバリューチェーン」という連載で、僕は「ネットジャーナリズム」あるいは「参加型ジャーナリズム」のスタートアップを予想して、というよりは、むしろ既存のマスメディアがネットにおいてもうまくユーザー(読者)と親和していくためにはどうすべきか、ということを念頭に置いてきた。

 メディアが生み出す「価値」には、読者に対する価値以外に、広告主に対する価値というのもあるのだが、それを読者層へのリーチだけに単純化すると、結局どれだけ狙った層の読者にコンテンツを読んでもらうかに還元されるので、ここでは議論はしない。

 以前に書いたが、「難しいことは考えたくないから、とりあえずおたくの一定の価値判断に基づいてまとめた情報だけよこしてくれ」という読者層(無思考ユーザー)は、今も昔もマスコミのロイヤリティ・ユーザーであり問題ない。だけれど、自分でネットやリアルからデータを集めて事実の真偽やマスコミによる編集の価値判断の是非を検証できる、またはしようとするユーザー(積極思考ユーザー)は、もはやマスコミがパッケージで提供する情報だけで納得しない。

 それでもマスコミ情報を「参考資料」としては必要とする人はまだいいが、ずさんな取材や偏った価値判断による編集に我慢できなくなった人は「ネットがあるからマスメディアは要らない」と愛想を尽かして購読を止めてしまう。広告価値として「リーチが減る」ことは単純にマイナスだから、もし新聞や雑誌の収益を維持したければ、こうした人々を媒体に引きずり戻すことだけ考えればいい。

メディアのバリューチェーン再構築 といったことから僕が考えていたのは、左図のようなメディアのバリューチェーンの再構築(デコンストラクション)だった。

 要するに、これまでマスメディアの内部機能(つまりコストセンター)の1つだった「編集」を、外部に対して価値提供する機能(プロフィットセンター)に変えてしまうというアイデアだ。ついでに「取材」という機能も、コストセンターであることは変わりないが、それ自体も外部とミックスして機能をアップさせることも可能だろう。そして、これらはすべてブログなどのインターネットCMSによって可能にできる。

 「編集」の機能だけを独立させてどうやって収益化するんだ?と疑問に思われる人もいるかもしれない。だが、「積極思考ユーザー」という人種の読者からすれば、自分の意見が「投書」というかたちだけではなく、記者や編集者との議論というかたちでメディア変革に反映される(かもしれない)という権利が、その成果物である「媒体」の購読に付随していれば、「参加」してみたくなるものである。

 あるいは、自分の意見が反映された媒体が発行されていたら、それを周囲の人間に購読させたくなる人もいるだろう。メディアの中の人間だってそういう経験はあるに違いない。かつて大手の新聞に投書が掲載されるとなると、掲載号を知人友人が競って買い求めたりもしたものだ。僕の父母だって、僕が記者をやっている間中、頼みもしないのにずっと僕が仕事をしている雑誌を購読していた(笑)。要はその感覚を、なるべく多くの人に持たせればいいだけのことなのだ。

 ということは、マスコミの編集に対して特にたくさん良い提言をしてくれ、あまつさえ周囲の読者獲得までしてくれる「スペシャル」な読者(ブロガー)には、それなりのチップを出したっていいわけだ。投書欄に載るだけで500円の図書券を送っているのだから、毎日ブログで編集に的確な提言を寄せてくれるブロガーに対しては、月1~2万円払ってあげてもいいぐらいの感覚でいればどうだろう。どうやってそのコミュニティーを作るかは、上で紹介した「リネージュ記者クラブ」のシステムが参考になる。

 ここで以前に書いた「編集権」の話にも飛ぶのだが、結局のところマスコミの経営者というのは自分があまりにもマネジメントとしての能力がないゆえに、その権力が経営者ゆえではなく「編集権」という伝家の宝刀の保持者であることでしか維持できないと分かっているから、この編集権をことさらに振り回そうとするのである。しかし、本来編集権の権力は「民主主義」の名の下に記者ならびに一般読者に与えられるべきものであり、自身がまともな組織経営もできない経営者に与えられるべきものではない。

 湯川氏は何だか韓国や米国で起こっているようなネットジャーナリズムあるいは参加型ジャーナリズムの日本での出現を絶望しているかのようだが、そんなに悲観的にならなくても良いのではないかと思う。別に、儲かりもしないネットだけのジャーナリズムなんて、雇用の吸収力がないのなら無理矢理出現する必要もない。

 むしろ北海道新聞の高田昌幸氏が最近書いているように、憲法改正や性犯罪者監視を口実としためちゃくちゃな人権弾圧が平気な顔をしてまかり通るようになっているのを見ると、僕はマスコミが本来戦うべき領分からどんどん外れていき、はっきり認知できないがゆえにより恐怖を感じてしまうネットユーザーの圧力に対抗するかのように、こうした「編集権」を頑なに囲い込み続けることで、結果的には一般読者の意識から彼らのポジションがかい離していくことを深く憂慮する。

 もしかして、「権力の横暴に楯突く」という本当のマスコミの役割がどんどん機能不全になっていけば、ブログどころでは補えないほど取り返しのつかない社会的損失が生じるのではないか。「ここで戦わずしていつ戦うのだ、記者諸君よ、権力に立ち向かえ!」と鼓舞する人々の声が、マスメディアの中枢にきちんと届かなくなっていくことの方が、僕にはずっとずっと恐ろしく思える。

 最後になんだかわけのわからない文章になってしまったけれど、僕はこの連載を決してカネ儲けのためだけに論じてきたのではないということが、最後に分かっていただければと思います。マスコミにいる皆さんは、たぶん8割ぐらいおカネの問題で日々頭を悩ましているのではないかと思うけれど、松下幸之助も言った「先義後利」(商売とはお客に喜んでもらうもの。理念を追求すれば、儲けは後からついてくる)の言葉を忘れないでほしいと思う。

 ちなみに、過去の連載コラムは以下の通り。皆様これまでご愛読ありがとうございました。
  ブログと情報強度(その1)ブログという“公共圏”
  ブログと情報強度(その2.5)ネットという“思考の枠組み”
  ブログと情報強度(その3)ローエンド破壊されるマスコミ
  メディアビジネスのバリューチェーン(その1)
  メディアビジネスのバリューチェーン(その2)
  メディアビジネスのバリューチェーン(その3)
  メディアビジネスのバリューチェーン(その4)

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2005/05/21

ネット時代の「マネ下デンキ」戦略の成否

 ライブドアブログニュース問題をきっかけに、さっそくあちこちで釣られた人たちが盛り上がっている。で、さっそく「絵文録ことのは」の松永氏から、格好の釣り餌が垂らされてきた。なんかもう、これに食いつかなかったら「マーケティング」の看板下ろすしかないだろうって感じの(笑)釣り餌なので早速釣られてみる。

 ライブドアは「松下電器型」か。ブログニュースに見るサービス展開スタイル(絵文録ことのは)

 松永氏は『「おんなじものを今さら」やるというのが、ライブドアなのだと思う。そして、そのやり方の先駆者として、日本を代表する家電メーカー松下電器がある』と述べている。…大変いいポイントである(笑)。

 ここでは、現在の松下電器産業がどのような商品戦略を取っているかは、松永氏と同様、とりあえず脇に置いておき、ライブドアの何でもパクリ作戦と、かつての(60~80年代ぐらいまでの)家電の王者松下電器とが、戦略的に同じかどうか?だけを問題にする。結論から言うと、「全然違う」。

 かつての松下電器のような「ソニーが何か新製品を出すと、すかさずそれとそっくりの商品を売り出す」というのは、いわゆる「同質化戦略」と言われる手法である。これは、本来はシェアで劣る二番手、三番手企業の取るべき戦略ではない。ソニーが丹精込めて作った独特の新製品をあっと言う間に色あせさせ、コモディティ化させるのは、その市場において新参者の影響力を可能な限り薄めておきたいトップシェアの企業が取る戦略である。

 まずその点において、家電の流通チャネルで圧倒的なトップシェアを握っていた松下と、ネット企業としての総合的なブランド力やリーチでヤフー、楽天の2社にまだまだ及ばないライブドアは、同列には論じられない。

 いや、そうは言ってもライブドアは既にヤフー、楽天に続く「トップグループ」のプレーヤーじゃないか、という反論もあるだろう。それでも僕は、「ライブドアは松下とは違う」と思う。

 その理由は、まさに松永氏のエントリに彼自身が「松下電器の戦略」について書いている部分で示されている。

製品を出してくるのは二番手、三番手、あるいはそれより後かもしれない。だが、かならず松下電器は先発の製品をよく研究し、そのよいところ、悪いところを見て、消費者になじみやすい「合格点」の、あるいは「無難」な製品を出してくる。こだわりがあるとか、プロならばもっと別の専門的なメーカー、個性的なメーカーの製品を選ぶのだろうが、普通に使いたい一般のユーザーにとって、パナソニックなら「外れはない」というところを突いてくるし、そして大体の家電品については商品ラインナップが揃っていて「安心」できる。
 往年の松下の「マネ下デンキ」たるゆえんは、まさにこの「後からかならず、無難な、合格点の」商品を出してくるというところにあった。

 松下幸之助翁のエピソードは数多いので、僕も実はうろ覚えなのだが、確かこんな話があったと思う。マーケティングの世界で、プライシング(価格戦略)の秀逸な事例として今でも伝説になっている話だ(間違っていたら誰か指摘してください)。

 ある商品(もちろん他社が作った商品の後追い)を作った社員が、幸之助にそれを見せて「どのくらいの値段で売りましょうか」と相談した。幸之助はその社員に「どのくらいで売ろうと思てるねん」と尋ねた。社員が「競合が値下げで追随できないぐらいの価格(確か3割ぐらい下だったか)にしようかと思てます」と言うと、幸之助はこう言ったという。

 「おまえさん、そら、あかん。まず最初は、競合が値下げで追随できるぎりぎりのところに値段をおくんや。2割5分ぐらいや。そしたら、たぶん向こうは必死になってコスト見直して、値段を下げてきよるやろ。下げてきたとたんに、こっちはひょいとまた3割に下げるんや。これで競合は『松下はあれでもまだ値下げの余地があるんか。これ以上正面から打ち合っても勝てん』と諦めて、値下げして来んようになるんや。よう覚えとき」
 なんともはや、えげつない手口である(笑)。これでこそ松下。

 最初に製品を作ったメーカーの商品には「世界初」「日本初」などのブランド・プレミアムが乗る。松下にはそれがない分、オリジナルより少しだけ使い勝手の良い商品をオリジナルが追随できない程度の低価格で売る必要がある。その、「追随できない」ということを、2段階で相手に思い知らせるというのが、経営の天才と呼ばれた幸之助独特の心理作戦の真骨頂であった。

 翻って、ライブドアのサービス戦略はどうだろうか。消費者向けのネットサービスはほとんどタダなので、プライシングの工夫は存在しえない。とすれば、幸之助の「2段階」をサービス内容のみでやって見せなければならない。つまり、競合より「ちょっと使い勝手の良い」サービスを、ちょっとずつ改良して見せて、常にこの分野でトップは譲らないよ、ということを示さなければならない。

 だが、これまでライブドアが競合のマネをして始めたサービスが、競合より「ちょっと良かった」試しなどあるだろうか。あったら実例を教えてほしいものだ。ヤフーの劣化コピーのようなサービスはいくらでも存在するが、ヤフーより「ちょっと良い」ものなんて、ほとんどないのではないか。

 一方、最近のヤフーはかつての「松下」的な戦略に忠実である。はてなをパクろうとした「知恵袋」こそコケたが、業界最後発で参入したブログも、なんだかんだ言われつつ作成者数のシェアでは10%、ネットユーザーのリーチで24%(ブログ閲覧経験者の中では39%)も取っている(詳しい調査データはこちら参照)。ネット業界の「マネ下」の称号を冠するなら、ヤフーこそそれにふさわしいと思うんだが。

 前のエントリで僕が「追求すべきはエキサイトブログニュースとの違い」と書いたのも、既に「ブログニュース」のサービスではエキサイトが(中身はともかく)トップブランドであり、後発で勝ちたいならエキサイトより「ちょっと良い」サービスをやらんとダメだぜ、という意味を込めたものだ。これが「サービス内容は同じだけど、価格がちょっと安い」なら分かるのだが、ネットサービスに価格もくそもない(しかもヘッドラインをクロールするブログがうちを含めてエキサイトと似たようなラインナップになることが既に見えている)以上、巡回サイトをエキサイトから切り替えるだけのメリットみたいなものが、やはりユーザー側に提示されてしかるべきと思うのだ。

 …とまあ、これはネットのサービス=リアルの製品、という比喩が成り立つものとして論を立ててみたわけだけれど、実際に劣化コピー的サービスの山を築きながらもここまでのし上がってきたライブドアを見るにつけ、実はもう「マネ下」的な同質化戦略の効果というのはほとんどなくなっているのかも知れないと思う。

 その証左というか、まさに本家本元の松下が2000年に入ったあたりから「V商品」とか「破壊と創造」とか叫びながら、製品戦略においても「他社よりちょっと良くて安い」という往年の松下流をかなぐり捨てようと必死になっているのを見ると、そのあたりの競争のルールそのものが、何やら根本から変わってしまったのではないかという気もしてしょうがない。

 経営学とかマーケティング理論とかをまじめに考えている人がいたら、ここらへんを「なぜ」で掘り返していくと、意外と面白い発見があるかもしれませんよ。やる気のある方はぜひどうぞ。良い理屈を考えついたら、ぜひ教えてください。

11:28 午後 メディアとネット コメント (12) トラックバック (8)

2005/05/19

【速報】ライブドア、6月初めに「ブログニュース」欄を開設

 以前から立ち上がるという話のあった一般のブログのヘッドラインを並べた「Blogニュース」のコーナーを、Livedoorニュースが6月初旬にサービス開始することになったらしい。コンペティターとして「エキサイト・ブログニュース」を明確に意識したものと言えそう。

 ついさっき、ライブドアメディア事業本部担当者から、このブログも「Blogニュース」にヘッドラインを並べさせてもらいたい、との趣旨のメールが送られてきた。ちなみに、開設当初の参加ブログは30ほどを予定しているそうな。ホリエモンの社長ブログとかはもちろん入るんだろうけど、それ以外にエキサイトの方とどういう違いを打ち出すのか、興味あるところ。(5/20 12:00追記あり)

 ちなみに、メールにはブログニュースコーナーの開設理由として、「RSSリーダーの敷居が高いというユーザー層は、まだまだ多く存在します」とあるが、これってどうよ。個人的には、はてなブックマークとかRSSを吐き出すサービスがこれだけ増えまくって、当然ながらかなりのネットユーザーが1~2種類のRSSリーダーを何となく使ってるんじゃないかと思う今頃になって、別にRSSリーダー非利用者の存在を理由にしたサービスを作る必要も、ないと思うんだがねえ。

 むしろ追求すべきは、「エキサイトブログニュース」との違いでしょ。「うちはもっと協力ブログの幅が広い」とか、「小ネタ、論壇、ギーク、海外、芸能などのカテゴリ別に分けて提供するぞ」とか、そういうのがあればちょっとは「へぇ」とか思うんだろうけど、おんなじものを今さらやってもねえ。

 あと、笑えたのはライブドアおなじみ「支障がありましたら、お手数なのですがご連絡を願えませんでしょうか」という、ネガティブ・オプションのみの依頼メール(笑)。いつも面白いなあ、ネット企業は。いやほんとに。そういう態度を改めるところからでないと、顧客の信頼って得られないと思うよ。いや、別に僕はいちいち断らんけどさ。

 あえて面白い返事でも書いてみようかと考えたけど、忙しいしめんどくさいので止めた。切込隊長か栗先生あたりが笑える厨反応してくれるのをかすかに期待(笑)。

(5/20 12:00追記)TBいただいたtachのアレゲ日記さんのところで晒されているが、メール自体が全ブログの管理者メアドをbcc:に入れて一括送信したもののよう。「興味深いエントリを活発にUPされている」とか、すげーしらじらしい。何やら香ばしく(ry。一応私信だと思ったから晒すのやめとこうかと思ったが、主要ブログにばらまかれただけのスパムメールなら、晒しちゃってもよさげ。しかもこの前までケンカしてたはずのブログ時評にまでスパム送って弾道先生の神経、ジョリジョリ逆撫でしてるし(爆)。おもすれーwwwww。香ばしすぎて面白いので、僕はあえてレスせず黙ってることにしました(笑)。

10:53 午後 メディアとネット コメント (12) トラックバック (12)

新聞販売店のずさんすぎる個人情報管理

 4月から会社の仕事は寝ても覚めても個人情報個人情報で、昨日も「そこまで言うか」的な管理マニュアル確認の会議が延々続いていて疲れ切っていたわけだが、こちとらがそんなにしてまで個人情報管理に神経すり減らしている時に、マスコミはそのはるか斜め上ですよ。

 新聞止めた家狙い空き巣 元販売店の夫婦ら送検(共同ニュース via gooニュース)

 元新聞販売店経営者が、新聞の「休み止め」読者のリストを販売店に忍び込んで盗み出しては、留守宅を狙った空き巣を首都圏で100件以上やっていた、というもの。判明しただけで48件、5600万円の被害があったらしい。(15:50追記あり、タイトルも変えました)

 しかし、なるほどと膝を打つアイデアだ。ていうか、膝打ってる場合じゃないし。新聞販売店って、(犯罪も含めて)商売のネタになる個人情報の宝庫なんだな。この手口がプロの空き巣狙いに知れたら、全国的に被害がすごいことになりそうだけど。配達のアルバイトのふりして販売店に入るなんて、いとも簡単なことだろう。

 思えば新聞やテレビとかのマスコミって、「マス」って付くだけあって、一番個人情報保護に疎い人たちなんかもしれない。個人の顔見て仕事するってことがほとんどないからね。でも、本当の意味でのマスメディアは、テレビしか存続し得ないだろうから、新聞の人たちは早く自分たちが「マスメディア」じゃなくて「ターゲットメディア」だって意識を切り替えて、個人情報管理をきちんとした方がいいんじゃないのかな。

 個人情報を管理する際に一番大事なのは、データベース管理の際の注意点と同じ。つまり「分散させず、なるべく一カ所に集めて管理する」、「切り出す時はデータベース全体が分からないようなクエリを組む」、そして「アクセス履歴をきちんとトレースする」、この3つだと思う。

 その意味では、新聞って販売店ごとに顧客情報を管理してるわ、それぞれの配達員の担当地域の状況すべてが分かるようなデータの作り方をしてるわ、誰がアクセスしたかのトレースもできないわで、全然なってないんだろうな。

 今回みたいな、販売店のずさんな顧客情報管理が甚大な犯罪被害を起こしちゃったという場合、被害者が新聞販売店を盗難被害の補償を求めて民事訴訟に訴えるってことは、あり得るのだろうか。今話題の偽造カードによる被害も、金融機関側に原則補償の責任があるわけだし、不適切な情報管理によって起きた被害は相当額事業者側の責任が問われるのではないだろうか。

 法律のことはよく分からないのでこれ以上何とも言えないけれど、「報道機関は個人情報保護法の適用外」とか嘯いてこの問題を放置してたら、そのうち販売組織が訴訟の嵐に巻き込まれて崩壊しそうな気がするな。というか、それ以前に賢明な人は販売店から宅配で新聞買うの、止めるだろ。

 逆に、このピンチを新聞社の顧客情報管理体制を一元管理に変革して、プッシュからプルに販売施策の軸を切り替える、またとないチャンスにするっていう手もあると思う。いずれにせよ、日本の新聞販売店にもそろそろ近代化が必要なんじゃないかねえ。

 しかし、それにしても個人情報管理って、めんどくさいよなあ。

(15:50追記)新聞販売店の休み止め情報を使った空き巣の手口って、以前からあったものなのね。(asahi.comのこちらのニュース(Googleキャッシュ)。年が分からないが、昨年か?)逆に言えば、ここで「販売店に対し、顧客情報の管理に万全を尽くすようお願いしていきます」と朝日新聞の広報部のコメントが出ているということは、新聞各社も顧客情報管理が問題の一端であることは認識していたということだな。これは結構大きな問題になりそうな気がする。

(16:00さらに追記)大手紙の過去の紙面DBを検索してみたら、やっぱり。上の追記のニュース(昨年5月のもの)も今回のものも、ほとんどどの新聞社も記事にしていなかった。そりゃそうだよなあ。1年たっても顧客情報管理に何も手を打って来なかったことがばれちゃったら、企業としての責任を問われるだけじゃなくて、「防犯のためにも新聞を定期購読するの止めましょう」って論理が成り立つもんな。ネットでこのニュースを流した共同通信、GJ。

05:32 午前 メディアとネット コメント (10) トラックバック (2)

2005/04/27

在京キー局の株持ち合い問題をIR的に考える

 FPNの佐藤賢也氏からのトラックバックで、在京キー局の株式持ち合いの話を知った。元ネタはNIKKEI.NETのこの記事。テレ朝の社長が、キー局5社でお互いの株を2%ずつ持ち合い、それぞれ8%の安定株主を確保しようと提案したというもの。佐藤氏は「プロ野球以上の村社会」「業界丸ごと引きこもり作戦」とコテンパンに断罪している。短いエントリなのに面白く読めた。

 コテンパンにした方が痛快なのは確かなんだが、僕は「8%程度でそこまで言うこともないんじゃないの」と思う。この話は別にテレビ局やマスコミだけの問題ではなくて、日本企業が多かれ少なかれ抱える問題でもあると思うからだ。

 この問題に関しては、ライブドア騒動の総括として、あちこちでいろいろな人が論じているので、少しまとめておこう。

 まず、上場テレビ・ラジオ局の株主構成については、とーます投資研究所の「上場している放送局の株主は?」というエントリに詳しい。テレ朝、テレ東、日テレなど、新聞社が親会社にいるテレビ局は、33%以上をこれら未上場の親会社が持つことが多い。

 例外はTBSとフジ。TBSは毎日系列ということになっているが、公表されている上位10株主を見ても金融機関ばかりで、毎日グループの顔はほとんど見えない。外資19.99%と書いてあるが、第三者が株主判明調査をかければおそらく完全に外資の割合が3分の1を超えているだろう。そして、フジテレビはご存じの通り。ちなみに、LF保有分の株式を誰にも譲渡せず完全に消却したとすると、筆頭は東宝の7.3%になる。

 ちなみに、報道機関の株式保有に関しては、先日のGLOCOMシンポジウムでの切込隊長のコメントがインプレス・ウォッチのレポート記事に出ていた。隊長のコメントのポイントをまとめると、

  • 欧米ではクロスメディア(メディアが他の種類のメディア企業の株式を保有すること)は禁じられている(日本でもそれを禁じるべきではないのか)
  • 電波は公共の資産であり、外資など資本の論理で自由にしていいものではない。外資規制をはじめ、公共性の機能の定義とそれを守るためのルールを政府がきちんと決めるべき
 という2点のようだ(発言の意図が違っていた、ということであればご指摘ください>隊長およびシンポ参加者)。

 で、僕の考えだが、これは口にするだに無意味な話なのかも知れないが、問題は結局日本と欧米という、彼我の資本市場の層の厚さの差の問題である。

 米国ではもちろん実際にメディアの外資規制はガチガチなものが存在している(そしてそのこと自体を米国人自身がほとんど知らない)のだが、一方でテレビ局も新聞社も主なところは株式を公開していて、特段のメディアコングロマリットを形成しているわけでもないが、やはりその媒体の社会的な役割まで含めて理解した上で年金基金や個人投資家が相当割合の株式を安定保有しており、よこしまな意図を持った誰かが買収しようと思ったり、記事内容や事業展開に株主の影響力を及ぼそうとしても、そうは問屋が卸さないようになっている。

 これに対して、日本は個人投資家の層がそこまで分厚くなく、年金資金もサラリーマン運用しかされてないから、社会的な意味まで考え抜いた株主の責任など果たしようもない。でも、だから持ち合い、だから非上場という逆行が許されるかというと、もはやそういうレベルの話でもないわけで。

 テレ朝社長の言っているのは、おそらく現行外資規制(20%)に抵触しちゃう部分は緊急避難的に業界内持ち合いしましょうぐらいの意味だろうと推測するし、8%という数字を見てもほぼそれ以上の実効性はない。むしろ、地上波デジタル化の投資負担を全部株主になすりつけたくてそのへんの事情を全部黙って上場し、企業としてのビジョンを伝え、個人投資家を取り込もうといったIRを怠ってきた各社の稚拙な経営のツケが、結局ここにきて一気に回ってきたと言ってもいいんじゃないかと思う。

 よく考えたら、本当にテレビが社会にとって必要だとみんなが思っているのなら、そういう人に株主になってくれと必死に呼びかければいいわけだし、それってテレビ局にとってはいとも簡単な話なのだ。少なくとも他の事業会社がどうやって投資家に自らの声を伝える機会を作るか、必死になって知恵を絞らなきゃいけない時に、テレビ局はCMの空き枠使ってあっさり自社広告できるわけだからね。あるいは広告主たる大企業にもってもらったっていいと思う。

 そういう努力をしたうえで、それでも一定以上安定株主が確保できないというなら、ポイズン・ピルでも黄金株でも何でもやればいいわけですよ。でも、その前に総務省にどうこうって言う隊長の意見は、欧米はそうだぞっていう話があるとしても、やっぱりちょっと違和感がある。

 というのも、欧米と違って日本の官庁は電波の割り当てだけじゃなくて、放送免許という許認可権も持ってるからね。もし国民国家としてわきまえるべき「公共性」を逸脱するようなことを買収されたメディア企業がやろうとしたら、少なくともテレビ・ラジオ局に関しては許認可を取り消せばすむだけの話だし。むしろ問題なのは「報道の公共性」とは何かという議論を、これまで誰もが棚上げしてきた現実じゃないかと思う。

 どうせならせっかくの機会だし、この際テレビやラジオだけじゃなくて、一度新聞や雑誌、さらにはインターネットも含めた「報道機関の公共性」について、必要要件とそれによって認められる権利の範囲をきちんと議論すればいいんじゃないの。そしてそれを明らかにしておけば、記者クラブ問題とかプロバイダー責任法からさらに踏み込んだネットコミュニティーのルールとかも明確になると思うけどね。

 これだけ材料がいろいろ出たんだから、本当はそういう議論をこそ、政府ではなくマスメディアが率先して国民会議みたいなものを設置してやらなきゃいけないと思うのだけれど、今の日本のマスコミを見てるとまさに彼らだからこそそういう議論はしないだろうという気もする。というわけで、結局のところこの話について僕もほとんど諦観しか持ち得ない。

 本来ならこの手の議論は民間がやらなきゃいけないことではあるけど、おそらく頭の良い官僚がちょこちょこ根回しして、官主導で進むんだろうな。それもまた日本という国のあり方というべきか。願わくば、その際にインターネット住民の存在が考慮されますように。

04:58 午後 メディアとネット コメント (2) トラックバック (1)

ブログブームの終わり

 最近、いくつかの経験があって、ぼんやりと感じるようになっていたことがあったのだが、梅田望夫氏のはてなダイアリー「BLOG論2005年バージョン」を読んで、ぼんやりとしていたものがかたちになったような気がした。

 2003年12月にはてなダイアリーがβ版サービスを開始して始まった日本のブログ・ブームは、そろそろ「終わった」と断言しても良いんじゃないか。さらなる成長を遂げるためには、どこかで明確なタームの転換が必要になりそうだ。

 なぜそんなことを考えたかというと、まずこのブログのアクセスがまったく伸びなくなったということがある。そりゃーおまえがつまんねーことばかり書いてるからだ、とか、ストレートニュースに脊髄反射系が最近減ったからだよね、という原因はちゃんと自覚してるんだが、それにしてもPVの推移が少し重すぎる。

 それでAlexaではてなダイアリーとLivedoor BlogのPVとかリーチを調べてみたんだが、どちらも4月に入ってから伸び悩んでいる感じ。はじめは社会人になった新卒学生が就活ブログを止めて抜けたのが原因かなあとか思っていたのだが、4月中旬を過ぎても回復の傾向が見えてこないので、やっぱり世の中全体の傾向なのかなと思った。

 あと、ちょっと具体的には言えないんだがある人が言っていた「ブログのアクセスが多いなんていうのは幻想」みたいな話を聞いて、ま、そりゃそうだろなと。とするとこの1年半ばかり、日本のブログ界がリアル世界において生み出した成果とは何だったんだろうか。

 思いつくまま挙げてみると、梅田望夫を媒介にして米国のブログ・ムーブメントの思想をネット住民がリアルタイムで受け止め、山本一郎や真鍋かをりという端くれ者を突然メディアの寵児に祭り上げ、磯崎哲也や湯川鶴章という新たな文化・知識人を生み、藤代裕之や伊藤春香というニューウェーブのライター、あるいは現役女子大生タレントを生んだ、そんなところか(以上敬称略)。

 それ以外、例えばホリエモン騒動と「ファイナンス」というものに対する世間の異様な関心の高まりなどは、ブログがあってもなくても今の日本でいつか起こるべきものだったような気もするし、ブログをまとめたいくつかの本も、別にブログがなくてもそのうち出てきたもののような気がする。

 そしてむしろ、明らかになった問題の方が大きい。それは、梅田氏がまとめているように「確かに知的生産性は一気に向上した、だが時事性の話題に優れた考察を加える専門家のシリアスなブログは、これからまだ増えるのだろうか?」ということなのであり、価値ある情報ほど極度に囲い込んで出さない、日本の知識人の「知」のあり方なのである。

 個人的には、米国というのは良くも悪くもこうした「知」の体系の構造変化には後先考えずに突っ込んでいく人たちが(エスタブリッシュメントさえも)多いところで、だからこそブログの情報伝播力を最大限活用しようとするビジネスがいくつも立ち上がってくるし、マスメディアを巻き込んだドラスティックな「ジャーナリズム革命」みたいなものもブログ回りで起こってくる。

 でも日本のエスタブリッシュメントやマスメディアというのは、表面的な部分では世相にものすごく左右される割には、「知」の構造変化に対しては慎重だと思う。だからこそ新聞や出版業界も表面上はブログに対して特に目立った動きを見せない。

 ある意味でそれは、ブログがブームであることを無意識のうちに折り込んで行動しているようにも見えるし、実は単に保身と既得権益だけがすべて大事という姿勢にも見える。たぶんその両方だ。そして、これから後の展開を予測するのもそれほど難しくない気がする。端的に言えば、徹底して構造変化に抵抗し続けるという、97年以前の銀行業界のような戦略をとり続けるが故に、世間の構造変化の加重が一定値を超えた瞬間、ある日突然バキーンと轟音を立てて業界ごと崩れ落ちることになるのかもしれない。が、実際のところそのへんは僕にも分からない。

 僕について言えば、紙メディアからそうでない領域に昨年転職したばかりで気が乗らなかったということもあるし、「R30」という、どう見てもリアル世界ではブランドとして不適切なハンドルでブログのブランディングをしてしまったということもある。いずれにせよ、いくつもあったマスメディアからの執筆のお誘いをすべて断り、第1次ブログブームの間にライターデビューする機会はつかみ損ねた、ということだけは言えるだろうと思う。

 別に、ライターデビューするのが目的で始めたブログでもないし、「旬のメディア」という流れで言うと、そろそろブログの次のものが出てきそうな気がするのでそれ自体残念とも何とも思わないのだが、少々残念かなと思うのは、梅田氏と同じように、どうやらこれ以上面白いコンテンツを持った知識人やタレントがブログ界に参入してこなくなりそうな気がするのと、切込隊長のようにネット住民からリアル有名人に「転出」してしまう人が出てきて、ネットの言論空間が寂れていきそうな気配がすることだ。

 僕自身は、自分の考えていることを確認したりいろいろな人に投げかけて反応をもらったりしていたいから、今すぐ何かを変えたりこのブログを止めたりするつもりもないのだが、そろそろ打ち上げ花火を止めて、リアルの側のインセンティブの構造といった何かを変えなきゃいけないような気もしている。

 いろいろ書きたいことがたくさんあるのだが、5月に入るまでは忙しすぎてまともに思索を巡らせる時間もない。といっても、連休中もやらなければならないこと(主に仕事)がたくさんあるので、休みに入れば少し更新頻度を上げられるかというとそうでもないのだけれど。

 これからはブログの世界も踊り場というかバブル崩壊の敗戦処理というか、「巡航速度」のあり場を探す展開になっていくのだろうなと思う。

11:39 午前 メディアとネット コメント (30) トラックバック (54)

2005/04/24

メディアビジネスのバリューチェーン(その4)

 メディア論を書くのはもう止めようかとか、気が向いた時にだけ書くことにしようかとか、いろいろと考えた。でも前回さらっと流すつもりで書いたエントリに、ずいぶんたくさんのトラックバックが集まったのを見て、やっぱりこの話みんな好きなのね、と改めて認識(笑)。PVが取れる間はしばらく書いてようかとも思う。

 つくづくあざといなと自分でも思うのだけれど、マスメディアについての赤裸々な論考っていうのは、まさにそれが今までマスメディアが最も扱ってこなかった話題であるがゆえに、コンテンツとしてはものすごく読まれるんだよね。よく考えたら、マスメディアなんてただのニッチ産業に過ぎないはずなのに、この絡みのネタは今まで「需給バランス」が悪すぎたのだ。

 というわけで、今回も与太話をひとくさり。前回エントリにつけられたトラックバックやコメントに絡んでいくだけで1本終わりそうな予感ですが。

 fareaster blogのskywolf氏が「広告産業もメディア産業なので」という、一番乗りトラックバック。氏は広告主の立場からマスメディアを眺めているそうだが、この中に面白いフレーズが。

ユーザー、メーカー双方がもっとも欲しがっている情報は、「信頼できる第三者による評価」なのでしょう。信頼できる、がどの程度なのかはさておき、(中略)つまり、メーカーにしてもショップにしても必要なコンテンツは「適した言葉で語られた言葉」であり、商品設計においてもユーザーをひきつけられる語りを設けられるか、ということが重要になってきます。
 ブランドは広告でつくれない広告も「マス」に知られていればいいという、量の評価の時代は終わっていて、むしろ「信頼できる」とか「新しい価値がある」といった、質に関する評価が大事な時代になっているということ。広告会社がよく使うけど、これがいわゆる「ブランディング」というやつですな。そして「ブランドは広告でつくれない」という、例のあの本につながっていくわけです。

 で、実はこういう「場に適した言葉」あるいは逆に「言葉に適した場」という問題を、広告ではなくマスメディアそのものに対してぶつけたブログがある。ライターの松岡美樹氏だ。「ガ島通信@藤代氏が毎日新聞に書いた「つまらない原稿」を深読みする」という、これまた刺激的なタイトル(笑)で書かれたコラムだが、非常に興味深い。最初の段落からして「文章が死んでいる」とかから書き始めるあたりは、切込隊長の「けなす技術」でも書かれているとおりの正攻法。

 前回のエントリで僕が毎日新聞の藤代氏の文章を褒めたのは、ブログ界隈で散々語られてきたことを、そっくりそのまま「新聞に書いた」ことの凄さを見たからであり、松岡氏はそれを逆さまにした、すなわちブログ界隈から見たときのあの文章の「新聞文体」ゆえのつまらなさを見たわけだ。そして彼は言う。

結論をいえば、ブログであれだけおもしろい文章を書く藤代氏を人並みにさせてしまう新聞という名の装置が悪いということになる。
 ま、そういうことなんだよな。僕だって紙ではこのブログとは似ても似つかんつまんない文章しか書いてなかった。それがネットに向けて記事を書くと思うと、少し変わる。個人でブログに書くとなると、もっと変わるのである。人によってどちらが面白いかはもちろん違うだろうけど、僕にとってみればダンゼン後者の方が面白いのだ。

 まあ、松岡氏の言うように「固くて重々しくて権威の衣(鎧?)をまとっている」文章こそが「事実を伝える」マスメディアのフォーマットなのだから、しょうがないわね。で、僕は金輪際紙媒体になんか出ていかねえ、もっと言えば大マスコミ様の紙面に載っちゃうような文章なんか書かねえ、と心に決めちゃったわけだし。あちこちから来るコラム連載のお願いとか、紙もネットも全部蹴っ飛ばしたりしてるし。我ながらひっでえ傲慢ライターだ。今後マスコミ業界から二度と相手にされなくなるに違いない(笑)。

 ま、それはおいといて、要するに「大組織のブランド」をバックにして「独自取材したネタ」を、「信用できる話」ですと言い張って「不特定多数の人」相手にばらまく、という既存マスメディアの構造から規定される文体というものに、僕ら(ネット住民)はある種飽きてしまったんだと思う。

 それは、skywolf氏が言う広告のスタイルでも同じことだ。無菌培養された、華麗で権威の衣をかぶった広告の言葉より、カカクコムや2ちゃんねるで名無しさんが語るぼろくそな商品評価の言葉の方が信用できる、と考える人が、世の中全員とは言わないまでも、ネットリテラシーの高そうな人たちを中心に、それなりの数に達してきたよということ。これが好むと好まざるとにかかわらず、現在のメディア状況である。

 ちなみに、松岡氏が「死んでいる」と斬った藤代氏@ガ島通信の記事を、antiECO氏が「メディア、ニュースと商売」というエントリで、こう述べている。

だが、極力金の臭いがしない方が、真実度というか信頼性が高まるというよりも、お金の臭いがすると急にうさんくさくなるのだ。だから、ユーザはなるべく金に絡む話を聞かされたくないと思っているし、メディア側も如何にそんな臭いをさせずに発信するかに気を遣っていることだろう。(中略)最近なんだかなぁと感じているのは、金やビジネス、広告の話に自ら触れるメディアやメディア関係の人は自らの首を絞めているように感じてならないのだ。ニュースの質やあり方に終始すればいいと思うのに、残念だ。
 antiECO氏のこのへんの気持ちは、僕にもわからんでもない。ただ、一方で今メディア不信を唱えている人も、まさにそこ(既存のメディアがカネ絡みで言ってることとやってることが違いすぎる点)を問題にしていると、僕は思う。

 例えば、日経新聞があれだけ経済絡みの話を書いていながら、それでも最低限経済ニュースのソースとしては認められているのはなぜかと言えば、「記者が自分の株の売り買いのために書いているわけではない」という前提が信用されているからだ。企業から取材やなんやで接待ぐらいは受けているかもしれないが、少なくとも裏でインサイダーをやったりだけはしてないという、その一点においてソースの価値が成立している。

 同じように、朝日新聞も例えばもしあれが中国共産党との太いパイプによって作られているという前提が読者に共有されていれば、それはそれで有用なニュースソースであるはずなのだ。問題は、今の朝日が読者に前提としてもらえるような取材・編集上のポジションをふらふらと動かしてばかりで、きちっと定めもしないし明かしもないことにある。

 例えばものすごく乱暴な話だけど、週刊朝日が武富士から広告費5000万円をもらっていたという話だって、もし朝日が「武富士っていうのは、俺たちの基準では『犯罪企業』だ。犯罪企業から5000万円奪取してこれこれの社会正義実現のために使ったというのに、褒められこそすれ罵られる覚えなど1つもない」とか言い張ってくれれば、それはそれでありだったと僕は思うのだ。

 世の中で本当に信頼できる相手を見分ける最も有効な方法は、そいつがどういうふうにカネを扱うかを見ることだ。いくら口で「真実」とか「信頼」とか言っていても、なりふり構わずブラックマネーを掴んじゃうような人は誰も信頼しないし、なりふり構わずブラックマネーを掴まないようにするためには、それなりにきちんとした経営というものが必要なのだ。antiECO氏の言うように、「ユーザーはなるべくお金に絡む話を聞かされたくないと思っている」のは事実なんだから、上から下まで社員がお金に汚いことをしないようにするのが、マスコミ経営者の最たる役目だと思う。

 それから、前回のエントリをなぜか希望格差社会の話と接続して解釈されたacmilanit氏のブログ「カップチネマ」のエントリ。うーん、どうしてそういう解釈になるかなあ(笑)。

 これはこの前話したあるフリージャーナリストの言葉だけど、そもそも(広告以外の)マスメディア人というのは、世の中の多くの人たちに、放っておけば富める者、強い者だけに偏在しがちな「価値ある情報、正しい情報を再配分しよう」という思いを持って、マスメディアで働いている(少なくとも入社当初はそういう理想を持っていた)人たちだと思うのよ。これはたぶん、左から右まであらゆるマスメディアで共通することだと思う。

 ところが、今のマスコミの現実はそういう「情報の再配分」の理想とは遠い。だからこそ、ブログ界に北海道新聞の高田氏や時事通信の湯川氏のような優秀な現役記者が流出してくるわけだ。ちゃんとした文章をブログで書ける記者と書けない記者に「淘汰」されるという言い方は、確かに格差の拡大に聞こえるかもしれないが、その中で淘汰されるべき記者というのは、マスメディアの本当の使命たる「価値ある正しい情報の再配分」という読者との約束を破る人であるべきなのである(残念ながら、今のマスコミはそういう人でもなぜか社内力学で偉くなってしまう時がある)。

 そりゃ、誰だって「今日は昨日より幸せだし、明日は今日より幸せなはず」と思って生きていたいに決まってる。でも、その職業に社会が期待した最低限のモラルを正しく果たせない人がその職に就いたまま幸せでいられるべきとまでは、誰も思わないんじゃないの。

 その他にも、前回引用したkatz氏のブログの「RSS読者ランキングで決まる記者人事」というストーリーに違和感を表明してくれた人がたくさんいたが、僕個人は別に「記者を人気ランキングで評価しろ」とまでは思っていない。ただ、読者もバカじゃない(ネットの読者は特にそうだ)から、ガセネタを飛ばしまくったり読者から猛クレームを受けるような記事を書く記者には、ごひいきの読者なんてそんなにたくさん付きませんよと思う。だからその記者の書く文章の「信頼性指標」として、ごひいき読者の数というのを評価項目に入れる時代は、いつかやってくると思うよ。

 それから、最後に前回エントリにコメントをいただいたお二人の業界インサイダーにお返事。

 Marcさん、あなたの言っている話とまったく同じ話がクレイトン・クリステンセンの『イノベーションへの解』の中に米国に新聞社のオンライン部門の事例として書かれています。少し長いですが、引用しておきましょう。
イノベーションへの解

初期段階にこれ(オンライン化)を脅威と位置付けたことで資源のコミットメントが引き出された後、数社がオンライン部門を独立運営、独立採算型のプロフィットセンターとしてスピンアウトさせた。こうなると、新しい独立部門のメンバーは俄然考え方を変えた。自分たちが大きな成長性を秘めた機会に関わっていることを見て取ったのである。その結果、これらの組織は単なる新聞のオンライン版であることを止めて、別の形へと急速に発展していった。主流の紙版の新聞とは異なるサービスを提供し、異なるサプライヤーを見つけ、異なる広告主から収入を得たのだ。だが対照的に、オンライン・プロジェクトの責任をその後も主流部門に負わせている新聞社は、中核事業を守るためにオンライン新聞を提供し、共食いという自滅型の進路をたどり続けている。
 日本の活字メディアのほとんどは後者の道を取ったわけですが、実は国内でも既に前者となって成功し、オンライン部門を株式上場させた会社だってあるのです。それがゴルフダイジェスト・オンラインです。

 そして高田さん。あなたのコメントへのお返事になっているかどうかわかりませんが、このエントリ全体がお返事のつもりです。いずれにせよ、この話は現場でどうするかの具体論をもっと考えていく必要がありますね。

(注:ちなみに今日のエントリに、前言翻してAmazonアソシエイトをちょっと入れてみました。まだ実験段階ですが感想など聞かせてください)

08:38 午前 メディアとネット コメント (22) トラックバック (2)

2005/04/16

メディアビジネスのバリューチェーン(その3)

 連載シリーズ第3回だが、今回は少し軽めの、というかつれづれ系の語りで行こうと思う。ゴリゴリのマーケティング理論やればやるほど反応が少なくなっていく気がするので(笑)。

 最近、ネットとメディアのかかわりについて、既存のメディアの内部から非常に骨太の議論が出てくるようになった。いいことだと思う。これまで、マスコミの内部にはインターネットや2ちゃんねると自分たちがどう「競合」するのかについて、口にすることさえおぞましいみたいな雰囲気が漂っていたが、現役の記者がタブーを率先して破ることで、マスコミ内部の雰囲気も少しずつではあるが、かなり変わってきたんじゃないかと思う。

 なんていうか、ここまでいろいろな議論が出てくると、もう僕がむきになって「メディアビジネスのバリューチェーン」なんて連載を書かなくてもいいんじゃないかと思い始めた。そろそろメディア論について語るの、やめようかしら。

 それはともかく、最近読んだ中で素晴らしいなと思ったのは、「ガ島通信」の藤代氏が毎日新聞に寄稿したこの文章だ。これまで読んだネットとメディアの議論の中で最もロジカルでよくまとまっていると思えたし、語り口にも読む人間の心を揺さぶるものがある。白眉の出来だと思う。

 それ以外にも「札幌で~」の高田氏は、ニュースメディアがブログ化した時に想定しうる問題について、実際の現役新聞記者の立場から鋭い指摘を書いている。高田氏のコラムのいいところは、それがロジカルに鋭くて正しいというだけではない。藤代氏とも共通するのだが、何というか、地方紙の方々ならではの「読み手と同じ高さの目線」でものを語ろうとする優しさ、熱意みたいなものが強く感じられるのだ。こういう語り方は、やはりそれ以前のネット世代とも違う、ブログ世代独特のコミュニケーションなのかもしれない。

 藤代氏や高田氏の対極に位置するのが・・・と、また某記者ブログに罵詈雑言を吐きたくなったけどやめとこ。言わなくても分かるでしょ。なんていうか、やっぱり自分の文章や媒体の読者がどのくらい身近にいたかっていうことが、その書き手のコミュニケーションの様式を決めちゃう部分というのが、あるんだろうねえ。

 そういう意味では、ブログやネットとのシナジーを生み出す可能性は、全国紙より地方紙、総合誌より業界専門誌のほうが多いと思う。高田氏はコミュニティーサイトにおけるメンテや監視の大変さなどを懸念しているが、そんなものは2ちゃんねるの「削除人」システムを見習うとか、何とでもできるわけで。実際、世の中にそれをやってきた会社はいくらでもある。ITに疎いマスコミ人が知らないだけ。

 それと、この問題の解決方法として、システマティックにTB、コメントの監視をする以外にもう1つの方法がある。「監視しない」という方法だ。どういうことかというと、監視の責任を(少なくとも表面上は)記者個人に帰してしまうのだ。

 例えば「このブログで公開されている内容は、○○新聞社の正式な査読を経ずに担当記者個人の責任で掲載しているものです。事実確認が取れていないものなども含まれますが、それをご了承いただいた上でお読みください」とか、サイトの入り口にでも大書しておく。そして、一定期間を経て内容の妥当性が確認されない限り、ブログ本文とそれについたTB、コメントは、この注意書きをきちんと読んで「同意します」のボタンを押した登録したユーザー以外、閲覧・書き込みできないようにしておくのだ。

 新聞社にとっては冒険だが、「記者もまた、発言する一個人である」ということを認めさえすれば、担保すべきコンテンツの品質コストは大幅に下がるのは確実だ。まして高田氏のエントリを読むと、そもそも個人が自分の人格と知見を賭けて書いた文章の根本的な信頼性を、(訴訟が起きた時の費用負担などはともかくとして)所属組織が肩代わりしてあげられるわけがないという割り切りを、マスコミがすべきタイミングがそろそろ訪れるのではないかと思えてくるのだ。

 つまり、世の中にいるのは信頼できる記者と信頼できないブロガーの2種類なのではなく、信頼できる書き手(記者orブロガー)と信頼できない書き手(記者orブロガー)の2種類なのである。海の向こうでは、記者とブロガーを差別するのを止めればいいと考える人が国民の半数を超えた。常識的に考えれば、個人としての発言に価値が見出せない人間が、新聞記者になったからといって突然その発言に価値が付くわけがないのだから、当然と言えば当然のことだ。

 こうしたことが実現したマスメディアの近未来を、見事に描いてしまったkatz氏のブログがある。なんか、僕のエントリにコメントしてくれたブログをまた引用するのって恥ずかしいものがあるが(笑)、たぶんこの記述は新聞業界の人間を心胆寒からしめる仮想現実の世界が書かれているので、その部分をあえて引用しよう。

rssという技術を利用すると、自分の信頼できる人の「者説」をダイレクトに講読できる。セット販売よ、さらば、なのだ。

もし、本当に、「記者の顔が見える報道」がなされ、販売形態もそれに対応できるようになったとしたらどうだろう。

優秀な記者にとっては、すごいことになる。

「いま、自分のrssを個別指定している読者が、このまえの特集で一気に5万人増えて25万人になったので、予算局からの取材費割当が増えて、専属バイトを雇えることになった」とか「固定読者が30万人になったので、人事局から異動オプションをもらえた。これで次のタイミングでニューヨーク支局に行こう。僕のrss講読読者にだけ先行通知しておこうか」とか。それはもうすごい競争ですよ。

優秀じゃない記者だと、「本社社会部チームにいるのに、読者獲得の実績が全然あがっていないため専属バイトは取り上げ」とか「地方支局から出直してこい」みたいなことになるだろう。こわい世界であるが、ダイナミックな世界でもあるぞ。

 そういうことだ。高田氏を初めとするごく一部の「デキル記者」にとっては、可能性が大きく広がる。そして、記者クラブに居座って生きているだけの圧倒的多数の「デキない記者」と「1行も記事を書かない上司」、そして業界内のおつき合いに忙殺されて「何も意思決定しない経営者」にとっては、危機が訪れる(笑)。

 ま、それは冗談だけど、じゃあそういう社内衆愚制民主主義の分厚い壁を乗り越えられたと仮定して、それならばマスコミがここで書かれたとおりに変わるのかというと、必ずしもそうとは言えないのが難しいところだ。ここでkatz氏が見落としていることが1つある。それは結局マスコミって広告費で食っている産業だということ。

 これについては、百年コンサルティングの鈴木貴博氏が非常に分かりやすい解説を最近連発しているので、リンクした上で核心部分を引用する。

簡単に言えば、映像・音楽コンテンツよりも広告の方が金になるのである。それにもかかわらず通信各社はなぜテレビCMではなく番組の方を配信しようとするのだろうか。“韓流ドラマ”の権利を獲得して独占的に配信しようが、最新の映画をPPVで配信しようが、所詮はレンタルビデオ市場の一部を握るにすぎない。WOWOWもスカパー!の売り上げ規模が700億円程度であることを考えれば、コンテンツを配信することがいかに効率の悪いビジネスかが分かるはずだ。
 蛇足的に言うならば、このことをもっとも良く理解して「広告そのものをコンテンツにする」ことだけにまい進してきた企業が「リクルート」だ。同社の16年3月期の売上高は3622億円、恐らく今年あたり朝日新聞(4061億円)を追い抜くだろう。

 紙のビジネスはまだまだ規模は大きいが、その内部は瀕死の状態だ。読者の関心を引きつけ続けていくためにやらなきゃいけないことは、もうあちこちで議論され出尽くしている。問題は、それをどうやって「収益」に変えていくかなのだ。

 直観で言うならば、単純なニュース、単純なコメントを流す仕事というのは、おそらくこれからかなりの部分がネット上のボランティアで賄われるようになってしまうだろう。それはボランティアが大量発生するから、という意味ではなくて、結局それが「売れない」のならタダにするしかない、というだけの話だ。奇しくも昨日掲載された日経BPのウェブサイトでの連載で、藤代氏が同様のことを書いている。

 ここから先は、絞れる限りの知恵を絞っての陣取り合戦の世界だ。僕も若干ではあるが、この戦いにコミットしてないわけではない。したがって手の内もしゃべれません。それでは~。

01:40 午前 メディアとネット コメント (7) トラックバック (17)

2005/04/12

新卒学生に見放されるマスコミ業界

 東京では満開の桜ももう終わり。昨日の雨で、ほとんど散ってしまった。言いようもない侘びしさを感じる。

 さて、少し古い話だが、「札幌から ニュースの現場で考えること」の高田氏が、3月26日のエントリで秀逸なメディア経営論を書かれている。本人は「ぼんやりと感じたことをランダムに記した」と言っているが、ランダムに書いたつもりのメモでもロジックを貫き通してしまうのが優秀な記者というものだ(笑)。

(4/14 20:16 リクルートの発表に合わせて少し追記しました)

 このメモランダムは、そのまま既存の通信社のビジネスモデル批判であり、地方新聞社の経営の可能性を示唆する内容になっている。ありていに言うと、密かに書こうと思っていたことを、全部書かれた。orz それはともかくだが、マスコミの現場最前線の人間からの知見として、これ以上の重みを持った言葉もないだろう。

 マスメディアとネットのかかわり方について、昨年からいろいろなエントリを書いてきた。当時はまだあまり注目してくれる人も少なかったが、今年2月のホリエモンの一件以来、まさにこのことが日本全体の大きなテーマになった気がする。2005年はマスメディア大変化の年だなあ。

 そういえば、高田氏のブログのコメント欄に、「マスコミの終焉って感じのデータが3月末に出てくる」と書いた。もったいぶったくせにその後その話に何も触れてこなかったのはそれなりの理由があったのだが、あまりもったいぶっていてもしょうがないし、ちょこっと書いておこう。

 そのコメントを書いた高田氏のエントリで触れられていた、共同通信の小池氏の発言に絡むことなのだが、マスコミの中の人に言われるまでもなく、今どきの学生はマスコミを見捨て始めていますよ、という話だ。

 とあるところで入手した、2005年卒と2006年卒(予定)の新卒学生が「就職したい」と答えた業界の比率の、変化のデータである。

  メーカー27%→35%
  金融・商社17%→19%
  情報・通信・コンサル  14%→12%
  人材・サービス16%→17%
  マスコミ25%→14%

 出所はちょっと言わないでおこうと思うが、サンプル数は万単位、信頼精度はかなり高い調査である。「求人企業の広告の影響を受けていない団体の調査」であるとだけ言えば、業界の人は分かるだろう。

 さすがに僕も最初見たときは、マスコミ業界のこの突出した落ち込みぶりに「でっち上げじゃないのか」と目を疑ったのだが、現時点では残念ながら検証可能な別のソースからのデータがない。なので、嘘だと思うのは読者の勝手ということにしておこう。

 実際のところ、就職市場におけるマスコミ人気というのはここ数年はげ落ちかかっていた気配はあったのだが、実際にここまで露骨な数字になると、きついものがあるね。

 原因は僕もよく分からないが、そもそも就職における企業の人気というのは、ベタなところで学生が日常的に接する企業ブランドの多さみたいなものに比例する傾向が昔から強い。いかに優良企業であっても、BtoBのビジネスだけに特化した会社は新卒学生を集めるのに苦労する。

 それから考えると、マスコミ人気の低下の原因は、おおざっぱに言って若い世代のマスメディア接触頻度が落ちて来ているからというのはあるんじゃないだろうか。もちろん、共同通信の小池氏のように「志の高い奴は来るな」と放言したり、インターネットへの対応を聞かれて「僕の目の黒いうちは紙の新聞や雑誌はなくならないよ、はっはっは」などと呑気に答えて学生に呆れられてしまうような業界内の偉い人のせいというのもあるだろうけれど。

 少なくとも業界の中の人間が、ぬるま湯な思考停止的態度か極度に悲観的な自虐的態度しか示せないというのは、口コミ情報のウェイトが飛躍的に高まってきている新卒就職の市場では致命的な問題には違いない。僕自身も、以前(といっても数年前だが)にOB訪問しに来た学生に、「これからこの業界はものすごい勢いで給与水準の是正と企業淘汰が進む。そういう縮小均衡業界で果敢に戦ってやるという気概がない限り、ここに就職しても辛いだけだよ」と話したことがある。言葉は多少違うかも知れないが、学生の身の上を思ってアドバイスすると、結局小池氏のようなことを言わざるを得ないのが今のマスコミ業界なんだろうなとも思う。

 以前にある企業の人事担当者が、「採用市場というのは、突き詰めると『学生に自社の将来をどう売り込むか』というマーケティングなんだ」と言っていた。そういう意味で言えば、今のマスコミ業界には新卒採用のマーケティング戦略が全然足りない、ということが上のデータの意味なのかもね。

 ところで、最後にアナウンス。もう気がついている人もいるかもしれないが、自分自身、その議論を振り返る意味で過去のエントリを読み直し、月別のバックナンバーを1行コメント付きで一覧にまとめてみた。まだ全部完成してないが、昨年11月から今年2月までの3ヶ月分を入れてみたので、興味のある方はご覧ください。右メニューのカテゴリー欄の「バックナンバー一覧」から見られます。

(4/14 20:16 追記)リクルートから恒例の「就職人気企業ランキング」(PDFファイル)の発表が出た。フジテレビ、朝日新聞、NHKの定番御三家とも大幅下落。つられて電通もなぜか順位を下げている。一方でベネッセ、講談社、博報堂、テレ朝などがなぜか健闘(笑)。他の新聞やテレビなどが分からないが、御三家のランクダウンがやはり影響しているっぽいね。

11:59 午前 メディアとネット コメント (17) トラックバック (10)

2005/04/08

メディアビジネスのバリューチェーン(その2)

 前回の「メディアビジネスのバリューチェーン(その1)」のエントリには、切込隊長はじめいろいろな方から示唆に富むトラックバック及びコメントをいただいた。皆さんどうもありがとう。

 1つ1つにコメントをつけるのは面倒だしあまり生産的でもない気がするので省略させてもらいます。ただ、隊長のトラックバックはやはりかなり核心を突いてるので、今回はそれをネタに話を引っ張ってみよう。

 隊長の言い分をまとめるとこういうことかな。

  1. ネット上で何を議論するかを決める最初のファクトは、主にマスメディア側が提出の権限を持っていて、ネットからは出てこない
  2. ファクトの検証や論考は、ファクト(あるいは設問)が可視となってから始まるので、ファクトに先にリーチできるマスコミの方が有利。ネットにできるのは公開情報に基づく基礎調査だけ
  3. 企業や人物の実像(と次に起こる事態の予測)に迫るには、公開情報を集めて推論を立て、取材による検証を繰り返しながら分析するしかない。ネットからは予測は出てこない
  4. オリジナルな情報を集めてこられるユーザーの情報能力が一番高いという事実は変わらない
 といったところか。

 個々の論点を議論する前に、ここで隊長が前提としている記事の質について指摘しておこう。これらの論点の前提は「公開情報は基礎調査の足しになる程度」、「最初のファクトはマスメディアから流れる」「次に起こる事態の予測が重要」といったことだ。多くの人はお分かりと思うが、これは僕が昨年論じていた「プロのジャーナリズムとは何か」のシリーズと同じ、ビジネス・経済の分野の話である。

 一方、ほかのジャンルの記事は必ずしもそうではない場合も多い。政治分野のニュースというのは(発表情報をせき止めている記者クラブという“ダム”はあるにせよ)圧倒的に公開情報の量が多く、法律や政策科学の専門知識(宮台真司の言う「法のプロのリテラシー」)を使ってそれらのデータをどう読み込み分析するかが決定的に大事だ。

 また社会分野では、先日の竹ノ塚駅の踏切事故などが典型的だが、「最初のファクト」や「様々な関連情報の集積と分析」がマスメディア以外で盛り上がるケースも非常に多い。というか、警察や役所の外に出てしまえば、ネットの一次情報の収集・集積力はマスコミの到底敵わないレベルまで来ているというのが実情だろう。

 というエクスキューズは置いた上で、議論の対象になっているビジネス分野の報道に関して、隊長の論点について僕の考えを述べる。

 1.については、現時点ではまったくその通りだ。ただし、多少マクロが絡む分野では生じるファクトは決して突発的なものではなく、一連の流れの中から生まれるトピックスである場合が多い。とすれば、マスコミが気がつく以前にその道のプロは問題を認識して、かつそれをウェブに書いていることも増えてきている。

 2.もまったくその通りだが、だからこそ「公開情報を精査するネット」と「ファクトの一足早い論考をするマスコミ」とが補完関係になれると思う。逆の言い方をするならば、ファクトを一足早く集めて検証を加えるというリアル機能を付加しない限り、ネットジャーナリズムを標榜する組織は報道機関足り得ないと、僕は思う(これはライブドアPJに対する皮肉)。

 3.は、1.で書いたことにも少し関連するが、僕はむしろマスコミの方が日々のニュースに踊らされて冷静で精緻な企業や人物分析を怠っている気がしてしょうがない。ま、印象論で言ってもしょうがないわけだが(笑)、特にその企業や個人を見聞きした人間のパーソナリティが明らかである限り、その人間が表明する「直観」が読者にとって貴重な「傍証」になりうる場合に、既存のマスコミというのはほとんど無力である。

 例えばマスコミでは、客観的にそう言い切れるだけの情報ソースを明記しない限り、地の文で「ホリエモンはいかがわしい人物だ」とは書けない(書くマスコミもないわけではないが、少なくともまともな新聞や雑誌はごくごく一部の論説委員とか言われる人たち以外の記者に、そういう主張を書くことを許さない)。だが、ネットでは書き手個人のパーソナリティは過去記事をたどればだいたい分かるので、読者と書き手のパーソナリティという前提を共有できる限り、このような「傍証」を記事化することが簡単にできる。そして、それはかなりの確率で次に起こる事態の予測にもつながるだろう。

 4.最後の点については、ま、当たり前でしょという感じ。マスメディアの情報、ネットの情報、それらだけを信じて行動を起こすなんて、ビジネスであり得ないぐらいのことはまあ常識かと。隊長が日経新聞を読んでいなくても全然驚かないが、隊長とさしで商談しようっていう人が今日の日経に書いてある記事も知らずに延々ゲーム業界の最新動向について自説を開陳したりしたら「大変恐縮で申し訳ないのですが貴様顔を洗って出直してきやがりませんか」って言われて当然だし。

 それはいいとして、隊長のエントリの最後のところに書いてあって気になったのが、僕が前回述べた情報の「積極思考層」と「無思考層」というリアクティブなスタンスから見たレベル分けに対して、「それはファクトが出てからの話」として、ファクトが出てくる以前のプロアクティブなスタンスから「独自に情報を入手できる層」と「既知の情報を吟味・解釈する層」「独自情報も持たずネット(の公開情報)にもアクセスできない層」という3つに分類するというフレームワークを提出してきたことだ。

 ねなし氏@sageがこの2つのフレームワークの構造を1つの図にまとめるエントリを書いてくれている。これは非常に重要な図だ。何が重要かというと、僕が「積極思考層」という言葉で一くくりにした「顧客グループ」を、さらにどのようにセグメントするべきかが示されているからだ。あまりに重要なので、ちょっと引用させてもらおう。ユーザーの2層化×3層化

 この図を元に言うと、既存のマスメディアは領域(III)の顧客(ここはこれまでもこれからもマスコミにとっての優良顧客だった)だけを相手にしようとしているように見える((IV)のセグメントの顧客で、読者投稿欄への寄稿掲載と500円程度の図書券で満足しない奴らのことを、彼らはこれまで「クレーマー」「うるさい読者」と呼んでいた)。

 ところが、今多くの消費者がネットの影響で(I)や(II)の領域に流入しつつあることに対し、マスコミは(毎日新聞などの例外?を除き)ただひたすらに目をつぶりたがっている。だからこの前の読売新聞のような、「ネットユーザーはみんなクレーマー」とでも言わんばかりの記事が出てくるわけだ。

 僕ももちろん、(I)や(II)の領域にいる人々が多数派とまでは思わない。だが、インターネットそのものはもはや国民の大多数に普及している。そして、そのネット上で誰が人々の行動に最も影響を与える「オピニオン・リーダー」か、「アーリー・アダプター」か、と言えば、それは(I)や(II)の人たちに決まっているのだ。

 前回のエントリでも少し述べたが、インターネットは情報サービス産業にとって、本質的には「ディストリビューションの破壊的な新チャネル」だ。これまでのチャネルで従来の顧客が商品を買ってくれているからといって、破壊的イノベーションの威力(少なくとも潜在力)を持った拡大する新チャネルに集まる顧客への商売を考えもせず、それどころか新チャネルを自社にとっての「脅威」とさえ認識しないのは、愚かというしかない。

 まあ、少なくとも今の新聞は米国並みにあからさまにネットを攻撃してくるようになったという意味では、「脅威」ぐらいは感じているのかもしれないね。それならそれで、いいと思う。それっていずれ自分たちの中に「破壊的イノベーション」そのものを取り込まざるを得なくなるっていう、C・クリステンセンの言うような「想定の範囲内」の行動なわけだし(笑)。

 というわけで、今回は顧客の定義までで力尽きた。さらに次回に続きます。

11:00 午前 メディアとネット コメント (10) トラックバック (7)

2005/04/02

知のバランサーを欠く社会 ~北田暁大「嗤う日本のナショナリズム」雑感

 エイプリルフールネタをトップから外すためだけのヒマネタをぼんやり考えていたんだけど、なんか少し深刻な話になりそうな予感。

 今日、Amazonから北田暁大氏の『嗤う日本の「ナショナリズム」』(NHKブックス)が届いて、それをつらつらと読んでいた。本の感想はまた今度書いてみたいと思うが、昨日あったいろいろなことを頭の中で反芻していて、ふっと思い浮かんだのが以前に「首都大学東京」に関するブログ界隈の論争が巻き起こったときに読んだ、内田樹氏のこの記事である。

 内田氏のこの記事の最後に以下のようなくだりがある。

教育というのはつねづね申し上げているように、ある種の「幻想」をビルトインするかたちでしか機能しない。
そこに行けば、何か素晴らしいことがあるのではないかという(しばしば根拠を欠いた)思い込みが若者たちをして教育の場へ足を向けさせる。
「数値」によってひとは学びを動機づけられるわけではない。「幻想」によって衝き動かされるのである。
 この文章の「教育」というところを「マスコミ」、「学び」というところを「ジャーナリズム」あるいは「ニュースの購読」とかに置き換えて読むと、そっくり今のマスコミの話に当てはまるような気がするのだ。

 藤代氏@ガ島通信がnikkeibp.jpで立花隆と並んで連載を始めたことの意味をぼんやり考えていたんだけど、結局マスコミが企業として存立しえていたのは、彼らが発するニュースが信頼に足るものである、もっと言えば記者というのは信頼できる人種である、という幻想が社会にビルトインされていたからだ。少なくとも、日本のマスコミはそういう幻想性を仮定して商売を構築してきた。特に朝日新聞は。

 だけど実はこれって特殊な状況なんだと思う。海外に行くと、国によってはジャーナリストというのをウジ虫以下の職業と思っているところが少なくない。少なくともジャーナリストは「知的な職業」ではないと思われている国は、決して少なくない。

 僕はどっちがいいとか言うつもりは全然ない。その国の文化によって、何により価値を置くかが違うのは当然だ。日本の方が優れているとか言うつもりもないし、海外が「普通」とか言うわけでもない。問題は、そういう文化的な価値観の体系の中に置かれたマスメディアが、企業としてどういう収益モデルを築いているかということだ。ウジ虫にはウジ虫なりのカネの稼ぎ方があるわけで、ウジ虫的な扱いを受ける国では戦略的にウジ虫的立場を利用するだけのこと。

 で、週刊朝日が武富士から5000万円もらって「広告」と一言も言わずに収益にしていた件について、極東ブログでは「朝日新聞社はすでに自社の統合を喪失した状態」なのではないかと語っている。この「統合の喪失」という言葉をどういう意味に取るかが問題だと思うのだが、それは恐らく一言で言えば「言論の一貫性」というよりは「経営の一貫性」が失われている、という意味なのだろう。

 このことは、id:kanryo氏の「霞ヶ関官僚日記」で紹介されている昨年8月の「くまりんが見てた!」の「朝日新聞編集部の方に聞いてみました」の記事を読むと、何となく実態が伝わってくる。要するに彼らには(過去に)国民を思うとおりに引っ張り回して新聞を購読させるのに成功していた「イデオロギー」のパワーが落ちていることの自覚はあるのだけれど、一方で「購読部数が落ちている」という経営上の現実にどう対処して良いのか分からず、仕方なく既に朽ちかけている「イデオロギー」にさらに強くしがみつくしかないという状況に陥っているのではないかと思うわけだ。

 昨日も書いたが、大学やマスコミというのは所詮「ニッチ産業」であって、自動車のように取引業者のすそ野がばかでかいわけでもないし、家電のように我々の生活の利便性にクリティカルにかかわるわけでもない。存在しなければしないで、弱小ライターや零細編プロやしがない非常勤講師が食い扶持を失うだけで、それ以上世の中の誰も困らない。

 だが、今問われているのは「本当に、本当に大学やマスコミは『なくても困らないから切り捨てて良い』と言えるのか?」という命題だ。

 このまま「知のバランサー」としての国家装置が次々とこうした経営不全によって失われていくようなことになると、北田暁大が言うような20代以下の「誠実であるべき自分の実存」と「国民国家という究極の恣意性」を単純に重ね合わせる「クボヅカ的知性=実存+ロマン主義的短絡ナショナリズム」を中和するものが、なくなるような気がする。

 もちろん僕はそれが武富士から5000万円受け取ってしまうようなモラルハザードを起こした従来の朝日的イデオロギーによって中和できるとは既にまったく思わないのだが(そしてこのことも既に北田暁大は指摘しているが)、だからといってこの社会から「知のバランサー」を全部消去してしまっても良いということにはつながらないだろう。

 だが、現実はまさにそちらの方向へ進みつつあるのではないか。それは、企業としての朝日新聞社がダメになるという意味ではなく、既に「朝日」というラベルの付いた言説は何であろうと信用しない、という思考回路の形成において。

 「権力者に誰がなろうがそれは雲の上の話、我々の生活には関係ない、と日本人の多くが思ってきた。だが、権力者の誤りによって最も被害を受けるのは、誰あろうこの我々自身である。そのことに日本人は早く気づくべきだ」と、作家の塩野七生は言った。

 彼女は93年に55年体制が崩壊して成立した細川内閣以来の政治の混迷、頻繁で節操のない元首の交代を見てこの言葉を吐いたわけだが、これはそのまま「第四の権力」とも言われる今のマスコミの状況に対しても言えるのではないか。ただ、問題は政治家は国民が投票で選べるのに対し、朝日新聞社という一民間企業の経営陣は投票などの民主的手段によっては選べないということであるが。

 あまり書いちゃうと藤代氏@ガ島通信のnikkeibp.jpでの連載のネタがなくなってしまうかもと思ったのでこのへんでやめておくが、マスコミ(特に朝日的な立ち位置に近かったという自覚がある媒体)ほど、イデオロギーに代わる「信頼確保のメカニズム」を編み出す経営努力が、今一番必要とされている気がするんだよな。

06:33 午前 メディアとネット コメント (27) トラックバック (10)

2005/04/01

自分でガソリンかぶって炎上する天才の連載始まる

 今ネットの中で一番アツイ男は誰だと聞かれたら、間違いなくコイツだ。身の上話からライブドア騒動まで、書くネタがことごとくトラックバック、コメント欄で猛烈な賛否両論を集める「舌禍」男、それがついに実名でメジャーデビュー!

 連載タイトルは刺激的にも「メディア崩壊の現場を歩く」、さらに今日の朝イチの巻頭コラム扱い、ネタは性懲りもなくライブドア、しかもコメント欄付き!(笑)うーむ、日経BP本気なのか。こんな危険な男にコメント欄付きの連載させるなんて。どははは。とにかく、ネット右翼・アンチマスゴミを自認する荒らし野郎はいますぐコメント欄に急げ!!

 ちなみに日経BPさん、トップページの「詳細」のリンク先、間違ってまっせ(笑)。

 というわけで、煽ってばかりでコラムの内容に一言も触れないのも失礼だろうから少々。

 ライブドアについてはほぼ個人的に「今さら」感漂いまくりなので、タイトル見て「外した?」とか思ったが、内容を読むと連載タイトルの「メディア崩壊」について語る前振りとしての扱いに過ぎないようなので、ちょっと安心。

 書いてあることは、元マスコミの人間から見ると「あっちゃー、言っちまったか」という内容多々あり。「元ディスクジョッキーや元記者の経営者には、確かに『愛』はあるだろうが、中には帳簿も読めない人もいる」とか。アイタタタ…。あーあ、やっちまった(笑)。もう少しダイレクトに「亀ちゃんは帳簿が読めない」って書いてほしかったかな(爆)。

 彼は元新聞社で労働組合の幹部として経営団交までやったらしいから、たぶん僕以上にマスコミの経営の現場のモーロクぶり、腐敗ぶりを見せつけられたんだろうなと思う。確かに、どこの企業だって多かれ少なかれそうだぜと言われればそうなのかもしれないし、実際そういうことを知ったふうに囁く自己正当化に長けたマスコミ人もたくさんいるわけだが、別に世の中「他人がバカだから俺もバカでいい」っていうものでもない。

 あと、この手のマスコミ自己批判系の議論は、業界内ではひとしきり話題になったりもするのだが、一般読者にとっては「おめーらの問題をどーのこーの人前でさらすなボケ」というレスポンスが返ってくるようになる。ま、そりゃそうだわな。他人の業界の内輪揉めは生暖かくヲチする以外の価値はない。ソニーやトヨタの人間が社内で揉めているのを見るのは、取引業者が膨大だからそれなりに価値があると思う人が多いが、それに比べてマスコミはしょせんニッチ産業である。取引業者は零細ライターとか弱小編プロばかりだし、買う側の一般消費者からすればマスコミがなくても日々の生活にはまったく困らない。しかも広告主は黙って去るのみ。

 というわけで、そのへんのレスポンスをライブでうまく打ち返しながら、「マスコミがこんなにダメだってことは、消費者の皆さんにも大いに利害があるし、皆さんもそれを改革するために一役買えるんです!」みたいな方向にうまく話を持っていかないと、商業メディアのコンテンツとしてはなかなか厳しいっちゅーことになりかねない。ガソリンかぶる天才の藤代氏@ガ島通信ならうまくやってくれると信じているが。

 あと、どうでもいいけどMT使ってサイト構築してるんだったらトラックバック実装してくれ。日経BPの読者って、みんな死にそうなほど長くてうざいコメントつけるやつばかりなんだから、コメント欄が読みにくくてしょうがないよ。いっそコメント廃止してトラックバックだけにしたら?

08:44 午前 メディアとネット コメント (10) トラックバック (5)

2005/03/30

メディアビジネスのバリューチェーン(その1)

 ベンチャーキャピタリストの梅田望夫氏がはてなの取締役に就いたらしい。こういう時にはおめでとうございますとか言うんだろうか。何と言えば良いのかよく分からないが、とにかく我が事のように嬉しいのは不思議なことだ。

 梅田氏と僕は年齢も離れているしまったく面識がないのだけれど、実は彼と僕にはある共通点がある。お互い、あるとても近しい関係だった人を心の底から尊敬していて、しかもその人から可愛がられていたのだ。しかも梅田氏がブログで書いているはてなの近藤社長に対する思いも、なぜかすごく似ている。大げさな話だけれど、何か非常に深い縁のようなものを感じた。梅田氏に精一杯のエールを送ると共に、このエントリのシリーズを僕が人生で最も尊敬していた、あの人に捧げたい。

 さて、これまで「ブログと情報強度」というタイトルで3回のシリーズを続けてきた。そして前回(その3)の最後で、メディアビジネスのバリューチェーンの中でマスメディア企業が果たす役割が大きく変化するだろうと書いた。

 今回からメディアビジネスのバリューチェーンについて、さらに突っ込んで考えてみたいと思う。そこでタイトルもそのように変えた。

 前回のエントリのトラックバックやコメント欄でいろいろな意見もいただいた。1つ1つ答えたいところだが、今の僕にはそれだけの時間と気力がない。ごめんなさい。単刀直入に話題に入りたい。

 最近、大手の新聞やテレビが(僕自身は新聞もテレビもほぼまったく見ない生活を送っているので知らないのだが)しきりにブログを攻撃してるらしい。トラックバック及びコメント欄でkagami氏が怒りまくっていたフジの「報道2001」は見てないのでよく分からないが、ネットで読めるところで言うと、産経新聞の3月18日付「産経抄」と、毎日新聞の渡辺記者による3月17日付「記者の目」あたりか。産経抄は書いた奴の署名がないのがむかつくけど。

 ネットで話題になってた頃にはまともに読んでいなかったが、今読むと主張そのものはともかくとして、ネットと新聞それぞれの機能について指摘してる部分はどちらもごくまっとうな話しか書いてないように思うが。まあ、要するにそういう事実認識を踏まえて個々の記者がどう日々の取材をするか、ということが問われてるだけなんじゃないの。むしろ問題はそっちのほうであって。

 で、思ったのは世の中の多くの人が、そこで「ホリエモンか、新聞か」みたいなゼロサムの議論に入っていくということ。このブログのコメント欄でも「マスコミとネットは別物だ」「いや、クオリティはネットが上」とか、そういう議論ばかりが繰り広げられる傾向にある。

 僕はすごく不思議だ。ホリエモンがそういう二者択一みたいなものの言い方をしてるのは確かだし、それで突っ走っているライブドアPJがなぜか斜め上の方へ走っていってしまっているのも事実。だけどもし僕らがインターネットとマスメディアの両方からうまくベネフィットを引き出したいなら、ゼロサムじゃなくてプラスサムの議論をしなきゃ。

 こういう時にはまず、混乱の元になっている言葉を定義することから始めよう。混乱の元になっているのは「クオリティ」という言葉だ。いったい、誰にとってのクオリティなのか?そして、それは具体的にどういうものか?

 前々回(その2.5)で僕は「ネット時代の情報強度とは、その情報を確からしいと判断するための思考の枠組みが開示されていること」である、というような話を書いた。情報の解釈それ自体(ex.ホリエモンは外資の手先である)よりも、その解釈を引き出す思考の枠組み(ex.外資って具体的に誰?誰が彼の行動を左右してるの?など)があれば自分で判断できるよ、というのがその言い分だった。

 でもこういう情報の与えられ方を望む人というのは、毎日ブログを好んで読むような一部のリテラシーの高い人たちだけだということを、忘れてはいけない。

 世の中の多くの人は、物理的にインターネットにアクセスできる環境を持っていても、こうした情報の与えられ方を好まない人たちだ。こういう言葉を使うとかなり語弊があるかもしれないが、ブログの書き手・読み手を「積極思考者層」とするなら、今のマスコミはそれとは違うグループ、いわば「無思考者層」に向けて情報を発信することで販売なり広告なりの収益を得ている。

 注意してほしいのは、世の中の人間が必ずこの二分法のどちらかに分類されるわけではないっていうことだ。例えば僕は、ITや経済の分野に関しては「積極思考者」に入ると思うが、ペットとかインテリアとか野球とかは何の興味もないので「無思考者」である。マスコミが流す情報をちらっと見て納得し、それ以上考えることはしない。だからそっち方面のブログも全然関心はない。

 つまり、あまり深く考えたいと思わない分野の話は適度に解釈・圧縮してくれるマスコミの情報で十分だけど、自分のこだわりがある分野についてはマスコミの勝手な解釈や圧縮は気にくわない、というのが情報の受け手側の言い分なのだろう。

 では世の中の人がそういう二層に分かれているとして、その人たちに提供すべき「クオリティのある情報」とはそれぞれ何か。言い換えれば、何をやれば「カネがもらえるか」。

netmedia ここでは、モデルを単純化して考えよう。あるニュースが発生した(ex.ホリエモン、ニッポン放送の株を買い占め!)時から、世の中にはどういう情報が時系列で発生していくか、そしてどのレベルの情報を人々は欲しがるのか。左の図を見ながら、読んでほしい。横軸がニュースの発生を0とした時間の軸、そして縦軸はそのニュースを解釈して生み出される情報の「構造化の度合い」である。一番下がただのニュースで、上に行くにつれて解釈やコメント、意味づけなどが強まる。

 最初の段階では、まず「LDがニッポン放送の株を買い占めた」という事実だけがいっせいに流れる。だがこれは(経済の分野は特にそうだが)、1刻1秒を争う特殊な人(証券市場関係者など)を除けば、ほぼ無料でネットで流れてしまう。ネタそのものを半日以上握っていられる1社だけのスクープは別だが、それ以外の第1報に過剰な力を注ぐのは、もはや経営資源の無駄遣いと言える。

 第1報が流れた瞬間、世の中に解釈されてないカオス(高い情報エントロピー)が出現する。積極思考のユーザーは「この出来事にはどういう見方があるか、どんな背景が考えられるか」を整理できる「枠組み」を欲しがり、一方で無思考ユーザーは「最終的にオレに何の関係があんのかだけ教えろ」と考える。

 これまでのマスコミはほとんどが後者のニーズだけに対応しようとしてきた。だから、取材する記者が情報を整理するのと同じスピードでニュースが解釈され、要約・圧縮されていき、最後に「要するに世の中にどういう影響があんのか」という話だけがころっとアウトプットされて終わる。この解釈された(つまりエントロピーの低い)情報は、日々のニュースに対してであればその日か翌日の新聞に載り、週末の雑誌に載り、最後に半年後ぐらいの書籍にまとめられる。

 ところが、インターネット(とGoogleとブログ)が出現すると、これとはまったく違う情報エントロピー生成のプロセスが起こるようになった。ネット上では積極思考のユーザーだけが集まって、投げ出された1次情報をよってたかって整理し、思考の枠組みを持ち寄り、そして議論の末いくつかの解釈を生み出す。このプロセスが、場合によってはマスコミよりも早く行われるようになった。時には1次情報の収集もマスコミより早かったりするから、その解釈のスピードもマスコミよりもっと速くなる。

 ただしネットの欠点は、時間の経過とともに有象無象含めて多数の人間がこのプロセスに首を突っ込むようになることだ。そうすると1人の人間が摂取しきれないほどの解釈情報があふれ返る(産経抄ふうに言えば「情報の奔流を泳ぐ」ような状況に陥る)ので、ある程度の時間が経過してしまうとマスコミより情報のエントロピーはむしろ高くなってしまう。

 これを防ぐために時々「まとめサイト」などが出現する場合もあるが、所詮ボランティアに頼っているのでいつでもどんなテーマの話題にでも的確なまとめサイトが生まれるとは限らない。

 ネットにこれだけマスコミを批判する言説が氾濫しているというのに、その中に書籍というメディアそのものを批判するものがほとんど見かけられないのは、実は「まとめ機能」で見たときにネットは書籍の足もとにも及ばないからだ。

 微妙なのは雑誌である。よほどの業界専門誌は別として、バラエティネタを中心とする総合誌になればなるほど、個々のニュースの「まとめ」ではネットの方がずっと早くて役に立つレベルに達してしまう。元職業がそっち方面だったため、今も雑誌編集者との付き合いがいろいろあるが、ネットの出現で一番その存在意義を失いつつあるのは雑誌だろう。

 個人的には、今どき中途半端なバラエティ誌にカネを払って読む人というのは、ネットで自分の関心を持ったテーマについての情報収集をするスキルさえない「知的能力の弱い人」なんじゃないかと思うこともある。これは僕の勝手な思いこみというよりは、当の雑誌を作っている編集者本人たちからため息まじりに吐露される意見でもある。

 前回(その3)のエントリで「メディア企業がこのままネットの隆盛を指をくわえて眺めるままでいたら、そのうち彼らはデジタルデバイドされたマイノリティのためのミニコミ媒体になる」と書いたのは、既に雑誌の分野でその兆候が現れているからでもある。

 こうした状況に対抗するためには、一義的には「ネットに負けない解釈のクオリティとスピード」を1次情報に付加するということを、マスコミ側が常に実現していればいいわけだ。実際にエース級の記者や著名なフリーランスのジャーナリストとかっていう人たちは、それを1人でやる能力を持っている。

 だけど、この「理想論」には2つ問題がある。1つは、マスコミに所属して記事を書いているあらゆる人間がネットを凌駕するレベルに達することは、当たり前だが到底不可能だということ。それともう1つは、マスコミに期待するエントロピー低減の「方向」が、個々の読者によって違うということだ。

 後者を分かりやすく言うと、要するに同じ無思考者の中でも、朝日のレッズぶり、産経の国粋主義、読売のナベツネイズムが気になる人とならない人がいるってことだ。もっと言えば「○○新聞の××記者の書く記事だけは嫌い」って人がどうしても出てくる。どんなに「クオリティ」そのものが高くても、「オレはそっちの方向にまとめようとするお前の価値観(思考の枠組み)が気にくわねえ」と言われれば、せっかくのクオリティには何の意味もなくなってしまう。

 このマスコミごとに違う「まとめる際の価値観」のことを、マスコミでは「編集権」と呼び、外から記事の方向性にクレームを付けようとする人に対しては、「おたくは当社の編集権の独立を侵害するつもりですか」と脅すのが常套句となっている。

 どこかの論壇ブログが「編集権なんてものはなくて、それって報道の自由って言えばいいだけなんじゃないの」と以前に書いていたように思う(追記:これも「ジャーナリズム考現学」の3月18日の記事でした)。「編集権」という概念は、実は「ジャーナリズム考現学」に書かれている通り、戦後にGHQがメディア各社を通じて報道規制を敷くための口実としたものという歴史的背景があるので、「編集権なんてやめちまえ」という言い分にもそれなりの意図があるのは分かるのだが、ことメディアビジネスのバリューチェーンを考えた時に、それを「報道の自由の中に入れてしまえ」という意見は、見当違いだと思う。

 編集権の独立は、1次情報の報道の自由とは別に、メディアのキモであり必要だ。だけど、これまでは取材と編集のプロセスは密接不可分だったがゆえに、1次情報の報道の自由と混同されて、それが各メディア(の記者、編集者、そして経営者)の独りよがりの判断でも許されてきたというだけの話なのだ。だが今、まさにネットの登場によって、「積極思考」の読者から見たその正当性をどう担保するかが強く問われているということなのだと思う。

 なんか難しい話になってきた。自分でも頭が痛くなりそうだけど、我慢して読んでくださってどうもありがとうございます。ますます続きます。では次回。

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2005/03/24

ブログと情報強度(その3)ローエンド破壊されるマスコミ

 せっかくだから気分が勢いに乗っているうちに書いてしまおう。情報強度の話、3回目である。

 ところで僕が「情報強度」という言葉を思いついたのは、国際政治の分野で、イラク戦争のような一国の正規軍同士の正面衝突である「戦争」に対して、ゲリラによる散発的な銃撃戦とかを「低強度紛争(Low Intensity Conflict)」と呼ぶことを思い出したからだ。

 ブログって、既存マスメディアという「正規軍」に対する「ゲリラ」みたいなもんだというイメージがあるんだよね。なんか、ひょろひょろした頼りなさげな民兵みたいなやつらがパラパラと沸いては消え、沸いては消えして物陰からエアガンでピシピシ狙撃してくるみたいな。

 既存のマスコミや識者な人たちは、パチンコ弾があさってを向いてる初めの頃は大して気にもとめなかったんだけど、そのうちやたら自分たちの顔に弾がピシピシ当たるようになって、なんか当たり所悪かった奴が突然「炎上」とか言って倒れたりして(笑)、「このクソ愚民どもめが!」とか怒鳴りつけたりもするんだけど、そのうちますます狙撃兵の数が増え始める。武器は相変わらずエアガンなんだけど(笑)。

 で、ささいなミスにいちいちパチンコ弾を撃ち込んでくる狙撃兵に神経を消耗するうちに、気がついたら陣地の外堀も埋められ、柵にもはしごが掛けられて、ひょろひょろ兵が陣地内をうろちょろするようになってた、とか(笑)。ゲリラ兵をバカにしちゃいけません。LICの始祖たる毛沢東も言っているじゃないですか、「敵を我々の領内に誘い入れれば、我々は弱くても四方から敵を取り囲める」と。

 なんかこれってブログそのものだなーと思って、それで「情報強度(Info-Intensity)」という造語をでっちあげてみたんだけど、最近もっとこの事態を説明する直接的で良い言葉を見つけた。技術経営(MOT)の分野では知られた「ローエンド破壊」という言葉だ。『イノベーションへの解』の中でクレイトン・クリステンセンが唱えた概念で、昨年6月頃にちょっと話題になったので知っている人もいるだろう。

 ローエンド破壊という言葉を分かりやすく説明してくれているのは、CNETの渡辺氏のブログの昨年5月26日のエントリ「ローエンド破壊の進むプリンタ市場:Dell vs HP」である。デルは「ローエンド破壊型イノベーション」を、米国でも日本でもクリステンセンのセオリーに忠実に実行し、ものの見事に競合企業(米国ではHP、日本ではセイコーエプソン・キヤノン)の当初の予想を裏切って大成功した。

 この記事に書かれてない部分を含めて、少しその戦略の解説を補っておこう。デルが家庭や小規模オフィス向けのインクジェット&レーザープリンター市場に参入したのは、米国で2003年、日本は2004年のいずれも前半からだ。商品そのものは、低価格プリンターメーカーとして名を馳せているレックスマーク・インターナショナル(本当の生産は船井電機)によるOEM(相手先ブランドによる製造)品である。

 HPのフィオリーナ会長(当時)も述べているように、デルのプリンターには機能面で何ら新規性は見られず、「ただ他のメーカーの格安プリンターにデルのロゴをつけて売っているだけ」と誰もが思っていた。日本でもエプソン、キヤノンは当初まったく同じ反応を示していた。つまり、ハナからバカにしていた。

 ところがふたを開けてみると、デルのプリンターは圧倒的な勢いで売れ始めた。デルのパソコンは米国で市場の33%を握る。このユーザーが、こぞってプリンターもデルから買い求めはじめたのだ。米国では既に四半期シェアを20%台に乗せたという話も出ている。

 日本でも昨年から同じことが起きている。日本の場合、国内市場でのデルのパソコンのシェアはまだ10%だから、米国に比べてその影響は小さめではある。それでもこれまで10年以上キヤノンとエプソンの2社以外でインクジェットプリンター市場でのシェアを2ケタに乗せたメーカーはなかったのだから、もしデルが日本でパソコン同様にインクジェットプリンターでもシェア1割を取るようなことになれば、大変なできごとには違いない。

 HPやキヤノン、エプソンとデルの、いったい何が違ったのだろうか。製品そのものはどう見てもデルより他社の方が品質は上だ。デルが悪いというわけではないが、製品だけ見てもデルをわざわざ買う必然性は見あたらない。

 違っていたのは、その流通とサービスサポートだ。プリンターの故障を経験した人なら分かると思うが、ちょっと面倒なトラブル(たいていはプリンタドライバーとかソフトの問題)だと、メーカーのサポート窓口に電話で問い合わせても「それはお客様のパソコンに問題があると思われますので、パソコンメーカーにお問い合わせください」という返事しか返ってこないものだ。

 だいたい家でプリンターを使う時は、年賀状印刷など休日作業でしかも今日明日中に済ませてしまいたい用事である。いちいち月曜日まで待ってパソコンメーカーに問い合わせているヒマはないので、電話口で怒髪天を衝くことになる。ちくしょう、二度とお前のとこの商品なんか買ってやるか。

 デルはこのすき間を突いた。プリンターには何の変哲もないが、変哲があるのはパソコンとデル自身だ。デルのパソコンにはプリンターのドライバーなども一通りインストールしておき、どんな問い合わせにもパソコンとプリンター一緒に対応できる。ついでにインクも切れかけたら表示が出て、デルの通販ですぐに買える。この便利さが「たかがプリンターに余計な時間をかけたくない」という顧客の気持ちをつかんだわけだ。

 要するに「ローエンド破壊」とは、単に超低価格な商品を出して既存のライバルを出し抜くことではない。低価格品でもいいということは、その商品そのものにはもはや誰も特別な機能や価値を求めていない、つまりコモデティだということだ。

 コモデティ化した商品の価値は、「必要な時に、正確に届く」「使うのが面倒くさくない」「他のもっと魅力的な商品と抱き合わせで手に入る」といった、デリバリーやアフターのプロセスで生じる。インクジェットプリンターはもうコモデティだと見切ったデルが、大した広告宣伝もせずにインクジェットプリンター市場への参入で成功を収めたのは、まさにこのプロセスの付加価値化に目を付けたからだ。

 翻って、ブログを見てみよう。マスメディアの流す情報はコモデティか?たぶん、そうだろうね。どこにいても聞こえてくるし、よほどニュースに敏感な仕事をやっているのでもなければ、朝や晩に食事しながらテレビとネットをちらっと見れば、世の中のたいていの動向はキャッチアップできる。

 一方でブログの情報は、マスメディアが流すニュースやコラムに比べれば、確かにまったく取るに足りないクオリティしか持ってない。少なくとも、99%はそうだ。だが、ほとんどは「無料で」しかも「関心事のキーワードをgoogleに入れて1クリックするだけで」すぐに手に入る。1つ1つの記事のクオリティは低いかもしれないが、トラックバックなどで関連するブログをざっと見れば、少なくともそのテーマの問題点が奈辺にあるかはだいたい分かる。意見を述べている人にお礼や反論が言いたくなれば、すぐにコメントも書ける(他の魅力的なサービスと抱き合わせてある)。

 つまり、一見「レベルが非常に低い」ように見えるブログは、その実『マスメディア(特に活字メディア)』というビジネスを、着実に「ローエンド破壊」しているのである。このことに気がついてないマスコミ関係者があまりにも多い。

 では、もともとその市場の寡占を謳歌していた事業者は、「ローエンド破壊」で市場に参入してくるライバルとどのように戦うべきか?クリステンセンはその著書の中で「ローエンド破壊される市場にもともといた事業者たちが最後まで逃げずにいることは、ほとんど不可能である」とだけ書いている。それ以上の示唆はない。

 僕なりに考える方策を述べておこう。一番簡単なのは、その製品やサービスの市場の外側で決着を付けることだ。それが可能ならば、という注釈はつくものの、HPにとってインクジェットプリンター市場を荒らすデルを駆逐する最善の方法は「デルを買収し、HPの中に取り込む」ことである。実際には、HPはデルを買うことなどできないわけだが。

 ブログについても基本は同じだ。もしマスコミがブログに完膚無きまでに市場をローエンド破壊されたくないのなら、何らかの形で「自分の中にブログを取り込む」しかない。単に「これまでやったことがないから」という理由でブログの取り込みを拒否するようなメディア企業は、「EPIC2014」にも描かれたように、ニュースという市場の本流から駆逐されて、高齢者や低所得層など、デジタルデバイドされたマイノリティのためだけのミニコミ媒体に成り下がるだろう。

 すでに米国のメディア企業は、インターネットとの間の競争の主戦場が「コンテンツのクオリティ」ではなく「デリバリーのプロセス」に移ったことを認識している。これまたCNETの渡辺氏が「ジャーナリズムと資本論:フジ/ライブドアを絡めて」という3月18日の記事で書いているが、米国のメディアは全国的なニュースに対しては既に独自にニュースを取材するのをほとんど止めて、APやロイターなどの通信社に任せっきりにするようになっている。各社横並びでほとんど同じニュースを遅れじと1面トップに並べる日本の大手一般紙とは、既に感覚がかなり違う。

 また、ブログを中に取り込む動きも加速し始めた。ニューヨークタイムズがAbout.comを買収したのは記憶に新しいが、About.comはシステムをMovable Typeで構築した「ブログメディア」そのものであり、「EPIC2014」を見たNYT幹部が焦りまくったのがこの買収のきっかけだ、というまことしやかな噂さえある。

 日本のマスコミでも、今年後半ぐらいからこうした「ブログメディア取り込み」の動きがあちこちで始まりそうな気配を感じる。その時、「取材-執筆(編集・編成)-報道(配信)」というメディアビジネスのバリューチェーンの中で、マスメディア自身が果たす役割も大きな変化に直面することになるだろう。

 ライブドアのようなとんでもない新参者がどこから現れるか分からない激戦区の中で、その荒波を乗り越えていけるかどうかが、今のメディア企業に問われ始めていると言ってもいいように思う。

 気分によってはまだ続きます(笑)。では次回。

03:05 午後 メディアとネット コメント (22) トラックバック (18)

2005/03/23

ブログと情報強度(その2.5)ネットという“思考の枠組み”

 前回のエントリから少し間が空いたのは、単にこの週明けに大きな仕事の締切があってそっちに没頭していたからで、ブログを止めようとか悩んでいたわけじゃない。

 ただ、昨年11月以来どっぷりネットにはまっていたのを少し変えてみようかなという気分はあって、あえて更新をサボってみた。その間にも書きかけの文章はどんどん増えていっているので収拾がつかないというか、結局書き続けてなければ気が収まらない人間なんだなあということだけはよく分かったが。

 さて、連載しますと宣言したまま放置していた「ブログと情報強度」のテーマ(ちなみにその2はこちら)だけど、既に前回のエントリにすごい量のコメントがついて、楽しいことになっている。

 最初のほうのコメントは割と「がんがれ」とか「すざけるな」とかの肌感覚なものが多かったのだけど、週末に近づいてからだんだん分析的なコメントも増えてきた。nomadさん、makiさん、ねなしさんのコメントが、僕的にはインパクトを感じたかな。

 特に、意味を説明もせずに放り出したままにしてあった「情報強度」というタームを勝手に分析してくれたねなしさんのコメントは面白い。そのあたりから話してみよう。

 ねなしさんは、情報強度という言葉を「論点に対してかけられた時間」に比例するもの、と捉えている。たぶん、「突っ込まれるリスクの少なさ」というような意味で解釈されたんだろう。他人から突っ込まれそうな点をどれだけカバーできる論拠を並べたか、あるいはレトリックを磨いたか、みたいなことを「情報強度」と考えたわけだ。

 ねなしさん的な情報強度の捉え方をする場合、もっとも情報強度が高いのは、情報発信者が当事者あるいはリアルで直接見た情報をそのまま書いた「1次情報」だろう。1次情報から離れて解釈の部分が増えれば増えるほど、情報としての強度(突っ込まれやすさ)が落ちるという説明は、確かに直感的に分かりやすい。

 だが、それでは「最も強い情報を求めるあなたには、1次情報だけを提供します」と言われた瞬間に、たぶん世の中の誰も仕事ができなくなるに違いない。ある事柄についての1次情報は、マスメディアやコミュニケーションメディアの発達によって身の回りにものすごくたくさんあふれている。普通の人間がそんなものを全部受け取っていたら処理しきれずに身動きがとれなくなってしまう。

 かくして、人は1次情報ではなく、「自分の価値判断の役に立つ程度に仕分け・要約・解釈を加えられた情報」を求める。すべての1次情報に当たるのではなく、解釈し絞り込まれた情報を受け取れば、時間の節約になるからだ。多くの人は時間を節約したいから、1次情報を適度に解釈してくれた人にお金を払ってでもそれを買う。これこそが、マスコミの収益の源泉だった。

 ガ島通信で20日にあったGLOCOMの若手研究会の話がちょこっと書いてあったが、面白かったのはその中での、「既存メディアの確からしさ」に関するガ島氏の以下のような発言だ。

すでに既存メディアは確かではない。確かなものがほしいという、願望のようなものを担保しているだけで、新しいシステムになれば誰か(ブロガーかブロガー集団、もしくは会社のようなもの)がそれを代行することになるだろう
 さすがである。逆に言えば、メディア人としてこの発見を率直に吐露してしまうほどビジネスライクに頭が良かったゆえに、彼は新聞社を辞めなければならなくなってしまったとも言える。

 ブログ界隈では既に多くの人がこの「願望」というか「幻想」の存在に気がついている(願望から完全に自由な人というのはまだそうたくさんはいないが、少なくとも自覚している人はかなり多い)と思う。いつの日か、この幻想が完全に消滅する時がくれば、その時は恐らくマスコミの収益も大部分が雲散霧消するだろう。

 実際のところ、日本のマスコミはこの「願望」こそが収益の源泉だと見定めて、これまで過剰なまでの経営資源をここに集中投下してきた。具体的に何をやったかと言えば、「偉そうな物腰でものが言える偉そうな人材を育てる」、つまり読者という信者の願望に答え、その願望を再生産して社会にばらまく人間の養成である。だから、そういう人材つまり「記者」に対してもものすごい人件費を支払い、彼ら自身にも「自分は社会を教導する役目を負う特権階級なのだ」という暗示をかけまくった。

 柄谷行人風に言えば、ここである超越論的転倒が生まれる(笑)。つまり当初は「1次情報をいちいち自分で解釈し、絞り込んで取り入れるのが面倒だから、うまく解釈してくれ」とお金を払って頼んだはずの相手(マスコミ)が、いつの間にか1次情報をよく見ずに考えついた勝手な妄想を、お金を払っている人(読者)に押しつけて来るようになってしまったのだ。つまり、今の多くの人は1次情報とはあまり直接的に関係のない「解釈の流儀」だけに、年間何万円ものお金を払っているわけである。

 とはいえ、その解釈には一応あてはまりそうな1次情報も多少くっつけられて送られてくるので、役に立たないわけではない。情報を伝えるための手段という意味では、新聞や雑誌やテレビ(NHK)は確かに便利といえば今も便利だしね。ウンウン。

 でも、インターネットという媒体が入ってくると、こうしたマスコミの存立を支える前提が全部ひっくり返る。

 まず、ネットの中には1次情報も解釈情報も含めて、あらゆる情報が無限に存在する。求めれば、既に公になっているものについては誰かが投げてよこしてくれる。少なくとも、本来は公になっているはずの情報を、ちまちまと時間差をつけてしかも膨大な妄想的(つまり一般人にとって役に立たない、あるいは事象を誤解させるため有害な)解釈をくっつけて配布するようなマスコミは、お呼びでなくなる。

 むしろものすごく必要になってくるのは、膨大な1次情報を「どうやって効率的に解釈して振り分け、受け取ればいいのか」という、これまでマスコミが独占的に資本投下して囲い込んでいたはずの、あの作法である。それさえあれば、一般の人間も1次情報を自分なりに解釈して結論が出せるようになり、日常生活や仕事に役立てられる。

 僕は、ネット時代の情報強度とは、一般人にとってあるテーマ、事象に関して「膨大に存在する1次情報を、どのような思考の枠組みで解釈し、振り分けたか」が分かり、他の解釈の方法も示され、その中で自分が「最も確からしい」と思ったものを選択できることを意味すると思う。

 例えば、人権擁護法案について考えてみよう。この法案に対して、マスコミはほとんど言及していないか、あるいは報道による人権侵害の規制に反対という文脈でしか言及していない。これでは、法案そのものに反対なの?賛成なの?と言われても、さすがに今どき、「新聞では反対って書いてあるから俺も反対」などと間抜けなことを言う人もいないだろうし、「判断のしようがない」としか言いようがない。

 それでネットを検索してみると、いろいろな情報が出てくる。「賛成か反対か」という結論はさておき、出てくる意見がよって立つ「思考の枠組み」を整理してみると、次のようなものがあることに気がつく。

  • 人権擁護委員の資格に、国籍条項がない点(在日朝鮮人などでも委員になれる!とか拉致問題解決の障害になる!とか)
  • 組織体制に関するコントローラビリティとカバレッジという点(全国に2万人の人権擁護委員を、法務省にいる数人の人権委員でコントロール・監督できるのか?とか)
  • 人権擁護委員に与えられている調査権などが、警察の持つ捜査権を超えるほど強権であるように見える点(捜査令状もないのに自宅捜査されちゃう!とか)
  • 人権擁護委員による逆人権侵害が発生した場合にどうなるか?という点
  • そもそも誰のための法案なのか?という点(人種差別撤廃条約に批准したいというのがそもそものきっかけ?とか、入管業務の話とか)
  • 報道被害に対する法的措置の是非という点(憲法の表現の自由、報道の自由とのかねあい?とか)
 で、新聞のどこを探しても書いていないこうしたことが、ネットではちょこっとぐぐるだけで、あるいは「まとめ」と題したいくつかのブログを読むだけで、ほぼ網羅できる。

 個人的に「このポイントはどうでもいいや」と思うところはすっ飛ばし、「ここは重要だな」と思うところはリンク先を読み進めたりしてさらに深く考えればいい。一生懸命反対を煽っている2ちゃんねるのようなところもあれば、冷静にそれぞれの切り口の意味を斟酌しているブログもある。そういう「視点の多様性」や「枠組みを俯瞰できるところ」というのが、一方的な解釈を押しつけるマスコミと違う、ブログやインターネットのいいところである。

 湯川氏のブログなどでも既に書かれているが、ブログというのは、1つ1つのエントリには間違いもあるし、思いつきだけに過ぎないものも多いし、どこから突っ込まれても叩き返せるマスコミの鉄壁解釈とは違う柔さがあるのだけれど、それがたくさん集まって、検索やコメントやトラックバックというかたちでネットワークを形成することで、マスコミを上回る「解釈の枠組み」の有用性が生まれるのだと思う。

 既に公になっている1次情報を、いくら記者クラブで囲い込んでも意味がない。そしてこれまで投資してきた解釈の鉄壁性の部分でも、ネットの登場とその本質的変化についていけない古い頭の人たちがのさばっていることで、想像以上に社会への影響力(つまり収益力)の劣化が進んでいる。今のマスコミの状況を簡単に言い表すと、こういうことだろうね。

 これを、共同通信の小池氏のように「年上の俺たちの言う通りに雑巾掛け仕事をしない若いやつはダメだ。文句ばかり垂れるような頭でっかちは来るんじゃねえ」とか言い放っちゃうと、ただでさえ凋落するマスコミがますます既得権益にしがみつくジジババの姥捨山化するわけですな。

 ま、別に妄想誤報を連発する共同通信に優秀な新卒学生が全然入らなくても、今どきインターネットがあるので誰も困らない。どんなビジネスであれ、世の中のニーズをつかみ損ねたビジネスは、資本主義社会の中では存続を許されないわけですし。さようなら共同通信。さようなら産経抄(笑)。

 コメントしてくださったねなしさんをはじめ、世の中の人はまだ「1次情報が最も強度があり、それに近い人が発言する解釈情報に次に強度がある」と考えていると思うが、実はそうではない。1次情報を持たない、強度の低いブログでも、個々のブログが提示する「思考の枠組み」のネットワーク的総体が、1次情報に近い人の情報強度を追い抜く可能性がある。つまり「柔よく剛を制す」のがネット時代の情報強度ですよと、こういうことが言いたかったんである。

 ちなみに、この話まだまだ続きます。では次回。

01:16 午後 メディアとネット コメント (8) トラックバック (17)

2005/03/20

オープンが、オールドタイプということなのか!

 団藤先生のブログ時評に、ついにfinalvent氏が激突。「『ブログ時評』というスタンスをもうやめたほうがいいと思う。普通のブログとまったく同じ地べたに立って、発言していくほうがいいと思う。」と、ばっさり。

 ついでに、ブログ時評のコメント欄では1月にmumurブログにガソリンぶっかけられて逆上した鮫山ネギが「ネット右翼なんて右翼じゃない。ただのゴロツキです」と、意味不明な絶賛コメントを寄せている。ブロゴスフィアを敵視するブロガー2人の美しいレゾナンス(笑)。

 さて、ますます香ばしくなってまいりました。

 団藤先生は最近、mumurや週刊オブイェクトなどの過激な街宣車系(笑)ブロガーだけじゃなくて、札幌の高田氏、猫手企画など、マスコミ関係者のブログや、むなぐるま氏など「穏健良識派」と見られるサイトからも集中砲火を受けていたので、業界関係者同士のおつき合いをどうするつもりなんかなーと思っていたが、相変わらず唯我独尊のシカトぶっこいているようだ。

 朝日新聞がカナロコみたいにブログニュースのサイト始めたら、オーディエンスのコメントをばっさばっさ削除し、反論TBには「私の築いたブログに泥を塗るゴロツキですね」みたいな放言をぶちまける超不愉快な巨大ブログ集団(笑)が突如出現するんだろうなー。その時日本のブロガーたちはいったいどうするんだろうか。

 誰かが、「『誰に対してもオープンでリスペクトを示すべき』という、絵文録ことのはとかが主張するブログのルールは所詮『オールドタイプ』なんだ」、みたいなことを書いていた気がするが、朝日とかの異論排除系マスコミが本格的にブログ界に進出してきたら、それってもうすぐリアルな話になってしまうのかも。悲しいけど、これ、現実なのよね。

 個人的にはそういう朝日的なブログというのは、いみじくも団藤先生自らおっしゃっているようにクローズドな認証エリアで展開してもらいたいというか、オープン・インターネットの世界でコメントとかTBを募集しないでいてほしいと思うわけですが。そこんとこ、どう思いますのか。

08:16 午前 メディアとネット コメント (33) トラックバック (10)

2005/03/15

ブログと情報強度(その1)ブログという“公共圏”

 コメントやトラックバックは基本的に「レスしたいものだけレスする、荒らしはスルー・放置」を原則としてるのだが、最近ちょっと看過できないコメントがいくつかあったので、それについて書いておく。

 たいていの批判コメントはあまり気にならないというか、「間違いを指摘してくれてありがとー」という程度に受け止める僕なのだが、2月23日にアップしたニッポン放送の新株予約権発行は違法では?というエントリに付けられた以下のコメントには、マジでむかついた。

全然違法ではありません。 感情に任せていい加減なことを書きなぐるんではなくて、もう少しお勉強して冷静に書いてください。

投稿者: 名無し@左翼ですか? (February 23, 2005 07:01 PM)

 なんでむかついたかというと、別にあの新株予約権が結果的に裁判所でクロと出たからとか、そういう話ではない。「感情にまかせていい加減なことを書きなぐった」ブログのどこがいけないのか?ということだ。

 はっきり言おう。大手の新聞に載る文章だって、感情にまかせて書きなぐられたものが少なからずある。もちろん、一見そうは見えないように言葉遣いはお化粧してあるが、本質的に論理がむちゃくちゃなものなんて、当たり前のようにあるのですよ。

 それに対して、「すざけるなこの野郎」と、名無しの分際が出ていって対等の立場でものが言えるかというと、絶対に言えない。それがマスメディアの権威というものだ。

 このブログは、R30という筆者が好き勝手に書きなぐったものに対して皆さんがいちゃもんをつけるプロセスをすべてオープンにしているものである。右翼の名無しさんが「おめーの言ってることは全然見当違いなんだよボケ」って書いても、それはそれで意見である。僕とはブログというメディアに対する姿勢がまったく相容れないと思う某弾道ミサイルブロガーからのトラックバックでさえ、削除したことがない。コメントも、議論に全然関係ないアスキーアート以外は、これまで一切削除したことがない。

 もう1つ腹が立ったのもあったが、こちらはちょっと微妙だ。2月17日にアップした京都議定書についてのエントリに、今ごろついた以下のようなコメント

なーんか、こんななんの文責も持つ気のない人の、 ただの便所の落書きみたいな文章が 普通のニュースのページと並んでるのってすごく問題ある気がするなぁ。

投稿者: エキサイトニュース見てた人 (March 15, 2005 03:26 AM)

 便所の落書きにコメントつけてるの、あなたですが何か?とか言いたくなるが、このコメント主が本当に文句をつけるべきなのは、普通のニュースの下にブログニュースのリンクを貼るというエキサイトニュースの編集方針に対してである。R30は、1度たりとも「エキサイトのこのニュースの下に僕のブログのヘッドラインを貼ってくれ」などとお願いしたことはない。

 マスコミの文章と比べれば、そりゃーこのブログなんてウェブを巡回して知った知識と自分の浅はかな耳学問だけを元に「バカ」とか「アホ」とか言いながら書いてんだから、クオリティは比べるべくもない。だけど、文句がある人はコメントつけられるわけでしょ?

 実際、この京都議定書のエントリにはいろんな人が反対意見のトラックバックやコメントを残していってる。それを全部読めば「京都議定書が狙っているCO2削減というのは、本当のところ環境(特に温暖化防止)にどれだけ貢献するのか、誰も分からなくて、結局のところこれは欧州が作り上げた米国の覇権に対抗するための経済的権利体系である」ってことが分かるようになっている。

 それに対してさらに「いや、それは違うんだ。おまえら全員便所虫レベルの認識なんだよバカ」って言いたいのなら、ちゃんとそう言えばいいわけで。R30にだけ向かって「何の文責を持つ気もないのか」って言われても、まー僕はもともと頭が悪いですから、僕の文章なんて100%のうち10%ぐらいしか真実混じってませんよ。としか答えようがない。この世に100%の真実があると仮定しての話だけど。

 それともこのコメント主は、コメントやトラックバックを書いた他の博識な方々も含めてブログ全体が「便所の落書き」って言いたいのか?それはそれでたいそうな自信だが、そこまで頭が良いという自信があるのなら、こんなブログへコメントしに来ないでエキサイトニュースの本体だけ読んでいてくださいおながいします(笑)。

 ま、そういう話はともかくとして、最近ブログがものすごい勢いで世の中に広まったことで、なんかこのブログに求められるものもずいぶんと変わってきてるのじゃないかと不安になることが多くなってきた。

pv 端的に言って、たとえば先週1週間のこのサイトのアクセスPVは、10万を超えた。昨年の3月に前身のブログを開設して以来のPVの8分の1を、先週というたった1週間で稼いでしまっている。

 見てもらえば分かる通り、アップしたエントリは8本、そのうちニュースに脊髄反射して書いた(笑)飛ばしネタが5本、他人のブログの冷やかしが2本、生活雑記が1本。昨年12月頃のこのサイトを知っている人なら、どう見ても「薄まった」と言わざるを得ない内容だ(自分で言うし)。なのに、PVはこれまでの熟考を重ねたエントリより多い。

 脊髄反射でもソースをリンクしてエキサイトニュースのどこよりも早くヘッドラインが流せればそれはそれでいろんな人が反応してくれるし、僕が書き損ねた情報の断片を他の読者が持ち寄ってコメントやトラックバックしてくれればニュースの全体像も見えるし、いいかなと思ってやってきた。

 ところがアクセスが増えてくると、逆に上のような「無謬性」を求める人が現れる。お前らは何を勘違いしとんじゃと、声を大にして言いたい。僕は毎月niftyに1000円近く払って、このブログに毎日3時間ぐらい費やしてエントリ書いたり情報収集したりしとるんやぞ。カネなんか一銭ももらってない。

 しかも僕は、絶対にGoogle AdsenseもAmazonアフィリエイトも貼らないと決意してる。僕の半分以下のPVで毎月2万円以上の小遣いをアフィリエイトで得ている人も知ってるけど、やらない。広告を意識して、自分の心に素直に書きたいことが書けなくなるなんて、嫌だからだ。時たま、ブログ界の発展を願ってはてなのアフィリエイトに無断リンクさえしてる(笑)。これが憲法に保障された表現の自由の実現と、ブロゴスフィアという公共への奉仕でなくて何ですか。それ以上、僕に何を求めてるの君らは?

 ここを便所の落書きとか批判するなら、その前に隠語でわけわかんないこと書いて、「うんこまみれ」とか「ババア」とか書きまくってる切込隊長のとこにいちゃもんつけてからにしろよ。PVもうちの5倍以上ですから。うちが公衆トイレなら、あっちは落書きスタジアムでっせ。「このブログは何を言ってるか分かりません。もっとお勉強して冷静に書いて下さい。文責を明らかにして下さい」って、コメントしてみろっての。火だるまになるだろうけど(笑)。

 それはともかく、あれですかね。お金を一銭も受け取ってなくても、アクセス数が増えることによる責任というのは、自動的に増すんですかねブログというのは。参加型ジャーナリズムというのは、もう少し「ネタをネタと見抜け(ry」な頭の良い人たちが読者であるような場所だと思っていたんだけどね。

 というような話を、少し連載(爆)してみたいと思ったので、タイトルの「情報強度」という言葉の意味や解説がどこにも出てこないまま、1回目終了(笑)。以下次回。

(14:00追記)既に第2回を僕に先駆けて書いてくれた脊髄反射ブログ出現。敬意を表してリンク。なるほどー、アフィリエイトには「合法的シカケ(←印刷業界用語で写真、グラフなどテキスト以外の図表のこと)」って意味もあるんだね。

10:05 午前 メディアとネット コメント (54) トラックバック (19)

2005/03/12

“集団自殺”するテレビ局、ソースを出す日経

 今回の騒動を海外メディアは「M&Aでは当たり前すぎる話」と、ほとんどニュースバリューを認めていないらしい。まあ、確かに大騒ぎするほどのファクトは何も出ていないわけで、なのに毎日の紙面最低1ページ程度をこのネタで埋め続けなければならない新聞各社の担当記者さんたちのムダな苦労のほどは想像に難くない。

 だが、そういう下らなさすぎる既存メディアのコンテンツ面での低能乱痴気騒ぎとは別に、2005という暦年と「ライブドア」という言葉は、恐らく日本のメディア史上永遠に刻まれるだろうという確信がある。
(23:00追記 コメント欄での指摘を受けて、本文を大幅に書き直しました)

 その理由の1つは、もうテレビに頼らなくても映像ニュースの配信は十分できる、というか人々に「テレビよりネットでニュース映像を見る」というビヘイヴィアが植え付けられ始めた、ということだ。

 昨日20時半、僕は家でカミサンと一緒に遅い夕食を食べながら、テレビではなくパソコンの画面を眺めていた。パソコンの画面には、ライブドアの記者会見中継映像が全画面表示で映り、3メートル離れた食卓からでも十分見られるようになっていた。すぐ横にあるテレビは、消していた。

 これだけ毎日マスコミがあおり立てて話題になっているのだから、今日の記者会見でほりえもんがどんなことをしゃべるのか、また口を滑らせてとんでもないことを言うんじゃないかとか、誰だってリアルタイムで見てみたいだろうと思うのだが、首都圏の地上波キー局でインタビュー風景を生中継したチャンネルは1局もなかった。視聴者の見たいものを、すぐにでも生中継できるものを生中継で見せない。信じられないことだ。テレビの自殺行為である。

 これと対照的だなあと思うのは、日経新聞の動きだ。ニッポン放送に対して、東京地裁が下した仮処分命令の要旨本文債権者債務者双方の法廷での主張、本件(新株予約権)の要綱などを、すべて生データでウェブサイトに掲載したのである。これも、国会冒頭での首相の所信表明演説さえ全文ではなく要旨しか載せず、まして個々の民事裁判の判決をデータベース化されるのを裁判所が極度に嫌がるのを知っている新聞にとっては、極めて異例のことだろう。

 実は、前にいた雑誌でウェブサイトを作ったときに、どんなコンテンツを載せればいいかという話になり、上司から「記事の元になったインタビュー取材を、記事に書かなかった部分も含めてそっくり全部載せたらどうか」という提案があった。当時、ウェブサイトのディレクションをしていた僕は「記事のソースのインタビューを全文載せても、読者には読まれません」ときっぱり断ったことがある。

 あの時の決断は、当時としては間違っていなかったと思っている。なぜなら、僕のかかわっていた雑誌の読者はウェブサイトで記事のソースを読みたいとは思っていない、というマーケティング上の確信があったし、ソースを出しても誰がそれをかみ砕いて伝えるのか、という点が何も解決されていなかった。

 でもそれからかなりの時間が経って、今や無数のブログがインタビューそのものや役所、企業の公式発表を読みくだし、解釈してニュース記事を生成するようになった。ソースを解釈して記事を書くのがマスメディアの独占的役割だった時代は、そろそろ終わろうとしている。日経のこの判決文全文掲載というアクションは、こうした圧倒的な速報性の求められるニュースでは、インターネットに対していちいち解釈した(=タイムラグのある)ニュースではなく、スピーディーに「ニュースソースそのままを提供する」ことこそがマスメディアに求められていると、彼らなりに結論づけた結果ではないだろうか。

 今朝の朝刊を読んでないので分からないが、さすがにこれらの文章が全部紙面にも掲載されたわけではなかろうし、紙面には載せる価値もないと思う。だが、要約や解釈のないニュースが読者にとって読むに耐えないのと同じぐらい、ニュースソースのはっきり示されていないニュースが読むに値しないということを、ネットの世界の人々は既に知っている。専門情報紙である日経新聞がそのことに気がついて、ネットを後者のために活用し始めたのだとしたら?

 これもホリエモンのおかげと言ったらさすがにマスコミの人間に良い顔はされないだろうが、しかし2005年早々に投下された21世紀の「FAT MAN」に、マスメディア業界の日本と米国の差を一気に何年も縮めるほどの、想像を絶する秩序破壊とブレークスルーのパワーが潜んでいたことは、おそらく後世の誰もが指摘するに違いない。そして、フジテレビの日枝会長は昨夜半「ライブドアと話し合ってもいい」と、従来の発言を翻したというニュースまで飛び込んできた。

 イノベーションは徐々にではなく、ある日突然起こる。日本のマスコミがネットによって大変貌を遂げるのも、米国に比べてそれほど遅くならないのかもしれない。

(念のため注記:文中で用いたレトリックは決して米国から見た広島・長崎の出来事を正当化する等の意図を持ったものではありませんので誤解無きよう)

04:58 午後 メディアとネット コメント (14) トラックバック (12)

2005/02/27

今日の一言ツッコミ

 …肉感スポーツって、もしかしてこことisologueのサイト見て記事のネタ探ししてるんじゃないか。これってさすがに自意識過剰とは言えないと思う。たぶんそうだなきっと。

 ライブドア買収成功で広告出稿激減か(日刊スポーツ on Livedoorニュース) この記事の元ネタはこちら。→非常に重い奥田碩日本経団連会長のライブドア批判(nozomu.net) 文中の一節をほぼそのまま引用している。

Open Your Mind ~小さな羽根ひろげて あと、id:kanryoさんのすすめてくれたこのアルバムの曲が、この1週間ほぼ徹夜漬けだった自分の精神安定にかなり役に立った。いや、別に「ああっ女神さまっ」の方は全然どうでもいいんですが(笑)。

 CDを買に行くヒマさえもなかったので、公式HPにアップされていた1分足らずの試聴曲をダウンして無限ループ。きつすぎる仕事で参りそうになっていた神経をかなり癒してくれました。ちなみに、今も(在宅労働中ですが)ヘヴィロテしつづけてます。kanryoさん、ありがとう(笑)。てか、麻薬みたい。しかもこんなところではてなのアフィリエイト収入に貢献してどうする>俺。まあいいや。

03:50 午後 メディアとネット コメント (0) トラックバック (2)

2005/02/22

またぞろ外資規制だってさ…メディア株全部投げ売りだよバカだな

 単に投資信託の損益を確定しようとしただけのふとっちょネタなぞ放置しておけばいいものを、よりによって大の政治家たる片山虎之助殿が思いっきり釣られており、もはや嘲笑を隠しきれない。

 ま、これでメディア株全部、明日から底の見えない投げ売りに突入だろうな。投資家の皆さんご愁傷様。実態と乖離した外資規制を規制緩和の御旗の元ようやく実態に合わせようかという流れになっていた矢先にこれだ。放送各社の密やかな経営努力もこれで全部水の泡。しかも株価が下がって、ふとっちょには予想だにしていなかったLF株買い増しの絶好のチャンス到来だ。面白すぎる。

 てめーのネズミ並みの脳みそを棚に上げて「カネで何でも買えるとは教育のせいだ」などと文教族として精一杯の空威張りをしてみせるシンキロウ元首相の知能もシンキロウ並みだが、ついこの前まで自分が大臣だった役所の所轄業界に「俺はまだ影響力があんだぞ」とマーキングよろしくションベンひっかけてみせる片山もそれ以上だよ。

 自民党の政治家ってみんな底抜けのド阿呆ばかりですね本当に。自分でやったことがどういう影響及ぼすか、分かってるのかしら。シンキロウ君は教育であれだけカネのことを教えているって言っているが、カネのこと全然分かってないアホがここにおるやんけ。片山君、チミ学校でいったい何習ったの(爆)。

 ほりえもんが記者会見で言い放ったように、ソニーがテレビ放送を全部インターネットに放流できるレコーダーを発売して、テレビ視聴率が何の意味もなさない数字になるチキンレースの号砲が既に鳴っているのだ。ただでさえ株価が爆下がりしてもおかしくない状況だっていうのに、自民党参議院の大幹部ともあろう御仁が突然テレビ局の後ろから水平射撃みたいなことして、日本の放送局を全部討ち死にさせたいとでも言うんだろうか。

 …はっ!?そうか、片山君は放送局の株価を爆下げして、フジテレビはふとっちょに、日テレは禿か髭に、TBSはふとっちょにLF株を売ってキャッシュ握ってる欽ちゃんあたりに早く買われちゃってくださいって言いたくって、それでこんな素敵お花畑発言をしたのですねっ!さすが元大臣、脳内の花びら回転の速さは尋常じゃないっ。鉄火場マンセー、禿鷹マンセーーー。(クダラネ)

07:43 午後 メディアとネット コメント (2) トラックバック (2)

2005/02/16

【ヲチ中】ライブドアもろもろ

週刊プレイボーイ中吊り 昨日の電車の中に、週刊プレイボーイの吊り広告があったんだけど、この見出しが笑えた。「買っちゃえ!ホリエモン 本誌・週プレも買ってくれ~!」って何だよ!儲かりまくってるくせに心にもないこと言うなよ、集英社は。マジで他の出版社、みんな洒落になんねえぜ。雑誌の目次ウェブサイトには一言も載ってないところを見ると、中吊りだけのネタ見出しってことですかね。

 にしてもライブドアの件、このブログにもあちこちから刻々とTBが寄せられていますので、TBの先を読んでいるだけで状況変化がつかめて面白いですな。

 ライブドア絡みではTBしてくださったブログに対してもいろいろと言いたい、書きたいことはあるんだけれど、少し様子見を決め込みたい。僕自身の基本的な読みはあまり変わってないが、それって有意味な情報がないからというだけの消極的な理由なので。もう少し追加の動きが見えてきてからかな。

 ただ、こんな発表をするところを見ると、ほりえもんは当初思っていたより相当危ない橋を渡ったという印象。「フジが25%超の株式を取得しても、対抗して増資すれば比率を下げられる」なんて、商法をちょっとでも知ってる人間が見たら「アホか」としか言いようがないぞ。第三者割当増資っていうのは、既存株主に保有比率分の優先引き受け権があるんだから、増資したところで25%は25%に変わりないし。この点、誰も突っ込まないのが不思議。

 ていうか商法の基本のキも知らずにほりえもんのコメントをよりによって「マネーニュース」欄でそのまま書きとばしてしまう読売新聞って、もしかするとラブリーなほどに無知ってことかしら。読売新聞万歳(笑)。

 今んところ見てる限り、持久戦に持ち込まれたらフジ有利なのは確実。乗っ取りやるなら1000億円ぐらい借りておかないとじゃなかったのかな?とにかく、磯崎さん@isologueが株式大量保有報告書を見てきてくれるまで、しばらく手控えモード。あしからず。

08:57 午前 メディアとネット コメント (2) トラックバック (3)

2005/02/12

マスコミっていうのはくだらない意地を張るのが好きな人たちである件について

 普通に考えればこのタイミングですごい視聴率が取れるはずのほりえもんの出演番組の放映を突然拒否したフジテレビ首脳の香ばしさ加減もたいがいなわけですが、再びここに ネ申 王見 わ る 。

 NHK、一転生中継・ラグビー日本選手権(NIKKEI.NET)

 …マジでこういうアホな理由で、ギョーカイ内輪同士の泥の投げ合いに何の関心もないラグビーファンの視聴者を困らせるの、やめてください。ホントに。あなた方は本当に「みなさまのNHK」なんですか。この嘘つきめ。みんな、こうなったら受信料支払い拒否だ~!!!(嘘

12:43 午後 メディアとネット コメント (4) トラックバック (4)

エキサイトブログニュース萌え萌え

 ニュースにくだらないエントリ入れるなとかいいんじゃないのとか、ご近所同士馴れ合って盛り上がりまくってるわけですが

 僕の理解だとこれは栗先生仕掛けたところの「エキサイトブログニュースのブロガーたちがタイトルでリレーコラム書く企画」と理解してたんですが違うんですか?(ぉ

 前にも書いたように(というか、このエントリがそもそもの火種だったようにも思うのだけどそれは自意識過剰かも)、僕は別に「どうでもいい」とか思っているので今さらどうこう言いませんが。「英国~」とか「雅楽多~」とかの見出しをヘッドラインの中に入れてるのも、それはそれでエキサイトの運営者側の判断だと思うし。

 ていうか、「あのブログだからタイトルは引っかけだ」とか、「あのブログはタイトルがつまんなくても読みでがある」とか判断してもらえればいいなと思ったからこそ、ブログのタイトルの前に短縮表記つけようぜ!っていう話になったんだと思ってたんだけどなあ。

 だって、前者の場合はタイトルをクリックする前に後ろの小さな薄い文字で書かれたブログ名を見れば分かるけど、後者の場合はタイトルの後ろの見えづらいブログ名を、目を細めて見ていかないと見えないでしょう?え?そんなことしてる奴いないですかそうですかサルマタ失敬。

 でも、少なくともR30が嫌いな奴は、ブログニュースでタイトルの前に「[R30]:」って付いてるのを見て「あ、またあの他人の悪口ばかり書いてるクソブログか」ってクリックせずに逃げてくれると期待してつけたんだけどな。

 ていうかさあ、エキサイトの中でニュース見てる奴の中のさらにブログニュース見てる奴の数なんてたかがしれてるじゃん。むしろ読売新聞や朝日新聞のように、毎日思わずクリックしたくなる欲望をかき立てる魅惑的なタイトルのエントリを大量にポータルサイトに提供してもいないブログ界のお歴々が、ネットの片隅のランキングで目くじら立てて口から泡吹きながら議論してどうするよ。みんなもうちょっと英国とか雅楽多のエントリの多さを見習え。(ぐは

 というわけで、そういうご近所様の喧噪とはなるべく間を取りつつ生きていきたいと思うR30なのでした。(どこがだ)

11:08 午前 メディアとネット コメント (3) トラックバック (0)

2005/02/09

またまたぁ、みーんなほりえもんに釣られてぇ~(笑)

 って嗤うエントリを書こうとしたら、タッチの差で言われちまいましたよ、切込隊長に。

 あっちこっちで「ほりえもんがメディア王に!」とか興奮してるブログが見かけられるが、おまえらそんなに簡単に釣られるなよ(笑)。証券市場を手玉にとる稀代の錬金術師が記者会見で言ったことを、そのまま鵜呑みに信じてどうするよ。ざっと見た感じ、冷静なのは隊長とガ島通信ぐらいかなあ。ガ島さん、あなたなら東京で経済ジャーナリストできますよ。それ以外のみんな、頭に血が上りすぎ。

 まずみんなiPodCastingとか言ってるほりえもんの「ラジオ放送とネットの相乗効果」とかを信じてるわけだが、・・・その時点でダメポ。あのさあ、ニッポン放送のウェブサイトぐらい見てから言えよな?ニッポン放送ってAM(中波)しか持ってないんだよ?つまり「しゃべり」中心の放送のノウハウしかないんだよ?パソコンやりながらネットラジオでそんなにべらべらしゃべりまくる番組なんか、聞きたくねーよ。ほりえもんが自分で言ってるんだからさ。FMもってこい、FMを。

 それにさ、「フジテレビのHPでオークションとか掲示板とかあったらそこから外に行かないだろう」って、おまえら本当にそんなこと思うか?スマ×スマやってる最中にテレビに無理矢理「ところで今、ネットで話題沸騰中の健康器具がなんとお値段1万円!!」とかポップアップ出てきたら、アクセスしますか?むしろぶち切れ、抗議電話殺到ですよ。そんなことありえねーだろ。

 だいたい、ラジオとかテレビとかっていうのは、本質的に電波利用権を持ってる以外の優位って何もなくて、ガ島通信書いてたけど「空虚な箱」なんだよ、本当に。通信と放送のことをちょっとでもかじったことがある人なら、これから広告がスカスカになってデジタル地上波の投資負担を負わされる民放キー局っていうのがどれほど巨大なリスク抱えた事業か、バカでも分かるんだよ。

 だから、ライブドアの今の事業展開の延長線上に700億円突っ込んで買う価値のあるものがフジサンケイグループに何かあるかって言われれば、それはプロ野球球団と産経新聞社が持ってる政府・自治体・株式市場などの記者クラブに入る特権、この2つぐらいしかないんだよ(あ、ちなみに球団はほりえもんの趣味ですけどねっ)。

 あと、どうせ2月後半になったら大量保有報告が出てくるから分かると思うけど、村上ファンドがライブドアに株を売ってたとしても売ってなかったとしても、どっちにしてもニッポン放送をライブドアが子会社化することはできないよ、きっと。

 詳しくは隊長が書いてるから省くけど、僕もこの会見ははっきりと「ブラフ」だと思う。だって、この状況ってどう見てもフジテレビ側にしてみれば「わざわざ人の裏庭に穴が空いていたところから入ってきた泥棒」にしか見えないわけですから。その泥棒が「えーと大変申し訳ないんですが、おたくの2階にある古いタンス、あれどうしても僕欲しいんですけどあれだけいたただませんでしょうか」って下手に出たら、「ふざけんなこの野郎」ってたたき出すじゃない~?

 でも泥棒が刃物振り回しながら「おいっ、この家の奴ら全員ぶっ殺してやる!覚悟しろ!カネの問題じゃねえんだ!」って叫んでたら、そりゃー震え上がって「どうか許してください、いったい何がお望みなんですか、お金と命以外なら何でも差し上げますから!」って叫ぶでしょ?(笑)

 そこですかさず「じゃあ~、あの2階にある古ぼけたタンスでももらうかな!ったく、あんな骨董品だけもらっても三文の得にもなりゃしねえんだが、今日のところはこれで許しておいてやるよ!」とか言えば、丸く収まるじゃないですか(笑)。ほりえもんも、そのあたりを狙ってるんだと思いますね。

 フジサンケイグループの中で見たら、フジテレビは当然ながらNHKを除く日本の映像分野で最強の事業会社だし、ニッポン放送は300億円しか売上がないのに1600億円の資産を貯め込んだ、フジサンケイグループの「貯金箱」。それに比べれば全国紙で堂々の5位に甘んじ続ける産経新聞と日経の足下にも及ばないクソ記事しか書けないビジネスアイ、そして底なし出版不況に沈む扶桑社なんか、700億円と引き替えなら熨斗つけてくれてやってもいいぐらいだ。

 しかも今話題のフリーペーパーだって、わざわざ産経新聞なんかタダで配らなくったってフジサンケイグループには都会のOLに圧倒的ブランド力を誇るディノス(旧フジサンケイリビングサービス)がありますから!残念!!(ギター侍長杉><)

 だーかーらー、何で誰も記者会見で「産経新聞社との相乗効果は考えていらっしゃらないんでしょうか?将来的にビジネスアイをライブドアニュースとくっつけたいといった考えは?」とか聞かねえんだよこのぼんくら記者ども!!(湯川さん除く)。というわけで、R30は「ほりえもんは記者会見で本音は一言も言わなかった」に100万トルクメニスタン・テネシ。

06:11 午後 メディアとネット コメント (6) トラックバック (23)

2005/02/08

ライブドアキタ━━━━(゜∀゜)━━━━ !!!!!

 ライブドアがニッポン放送の株式の35%を取得。とりあえず読み筋を書いておく。

 isologueでも延々解説されていたとおり、ニッポン放送はフジテレビの大株主であり、以前ソフトバンクの孫社長が株を買い集めようとして大騒ぎになったことでも分かる通り、フジサンケイグループのガバナンス構造の中に突き刺さった骨である。

 それをフジテレビがTOBで買い集めて子会社化しようとしていた矢先に、ライブドアが買っていきなり35%の、経営拒否権発動できるレベルまでの筆頭株主になっていた。たぶん、村上ファンドが譲渡したんだな。ホリエモン恐るべし。

 さて、ホリエモンが何を狙ってるか、ちょっと予想しよう。

 フジテレビをどうこうしたいんじゃないだろうというのは、何となく想像が付く。というか、テレビ局の経営に口を突っ込もうというのは、以前にJ-sky B絡みでSBがやろうとして猛烈な反発を買ったのでも分かるとおり、総務省がただじゃ置かない話である。ライブドアごときの分際が総務省に喧嘩を売って得することなど何もない。

 だからそっちには出ていかないとして、じゃあ何が望みなのか。僕は、産経新聞社を買収したいんじゃないかと思う。んで、ライブドアのネットメディアとくっつけて、「東京経済新聞」(商標登録済み)を立ち上げるんじゃないか。

 本当はずっと以前から、「ライブドアはメディア事業を立ち上げる時にどっかの新聞社を買うんじゃないか」って書こうと思っていたのだ。だけど、狙っているらしい経済専門紙というのは、日本に数えるほどしかない。だから、「もしかして京都経済新聞?」とかってギャグでもかますしかないか…と思っていたわけだ(笑)。

 でも、産経新聞を手に入れれば、傘下のフジサンケイビジネスアイ(元日本工業新聞)という経済紙が手に入る。産経はリストラして朝刊だけになって身軽だから、駅配布のフリーペーパーにでもしちゃえば十分やれるだろう。経済メディアのビジネスアイは、ネット事業と統合する。そんなことを考えてるのじゃないだろうか。

 問題は、ニッポン放送株35%と引き替えという条件で、フジテレビがこれを飲むかどうか。新聞業界にとっての宣戦布告でもあるわけで、産経新聞を売り飛ばしたらフジはマスメディア業界でそうとう叩かれるんじゃないかと思うが、日経によると総投資額700億円ということだから、傘下の新聞2紙のお値段としてはフジテレビにとってほとんど破格とも言える条件でもあると思う。

 さて、社運を賭けた投資に乗り出したライブドアの今後の動きが楽しみだ。今年1年は、日本のメディア業界がそのあり方とともに大再編を迎える年になる。

(追記:isologueさんが早速解説記事をアップ。夕方4時半から記者会見とのこと。楽しみですね。)

12:38 午後 メディアとネット コメント (2) トラックバック (26)

2005/01/18

「絡まれ系キャラ」は褒め言葉と受け取っておきます。

 出会い系オタのブログARTIFACTでネタにされ、栗先生からは「絡まれ系キャラ」とのご紹介を賜りましたR30でございます。

 実のことを言うと仕事が結構忙しくなってきてブログの更新頻度が落ちそうなムードがまん延してきてるのだけど、にもかかわらず書きたいことはたくさんある。ブログ論争整理ツールのことや、湯川さんとこで語られている記者ブログの話など。一気に2つ以上のテーマをぶち込んで効率よく語るみたいなことを、試しにやってみようか。

 切込隊長氏が絡んでくる件については、まあ独身と既婚子持ちという彼我の立場の差を利用したお約束のネタだと思ってるので別にどうとも思わない。ていうかアクセス増やしてくれてありがとーぐらいにしか思っていないのでどうでもいいのだけど、コメント欄に論文を発表して下さったとおりすがり改め居座り君ことantiECOさんに関しては、結構どう反応しようか悩んだ。

 個人的には、ブログっていうのは2ちゃんねるみたいなショートコメントの積み重ねによる議論ではなく、書いている人が(仮名か実名かはともかく)固有名で意見を述べ合うという仕組みだと思っているので、まあその意見に対する反応の仕方は人それぞれでも良いけれども、少なくとも意見を「述べる」だけで他人との「応酬」がなければブログの面白さ、意義は味わえないと思ってる。

 なので、本当のことを言うとコメント欄での書き込みは自分のブログでエントリ立てるまでもないショートコメントのみってことで、10行以上のコメントは自動削除(笑)にしようかと思ったりもしたんだけど、でもいろいろ考えて意見を書いてくれる人の書き込みをむげに消すのもなんだしなあと。

 ま、それはおいといて、要するにブログっていうのは、他のブログやらウェブサイトやらにいかに面白く絡むかという「カラミニュケーション」のメディアなんだと思うわけだ。酔っぱらったふりして絡む、180度違う角度から共感してみせる、事実認識に因縁つける、背景にある価値観にもの申す、反証データを募集する、読者信者に総攻撃を呼びかける、みたいな各種の絡み方の芸を見せるのが一種のエンタメであるわけで。

 僕だって別に切込隊長に絡まれてるばかりじゃなくて、僕自身も他のブログにさんざん絡んだり、あるいは「ここでこういうネタ書いたらあのブロガーが絶対絡んでくるよな~」みたいなことも考えながらエントリを書いたりしてるので、「絡まれ系キャラ」の認定というのはむしろブロガーとして「芸がありますよね」ってほめられたようなもんかなと思ってる。

 で、話は少し変わってマスコミ記者のブログについてなんだけど、湯川氏@時事通信が北海道新聞の高田氏とミッドナイトパックス氏のブログの話を挙げつつ「われわれプロの言論人こそ議論の仕方を学び直さなければならないのかもしれない」とか書いているのを読んで、「いや、別にそんな大仰な話でも何でもないのだけどなぁ」というのが正直な感想だ。

 マスコミ人といっても、職業として見たときはそれは新聞やら雑誌やらテレビやら、彼or彼女の所属する媒体に特化した必要な文章or映像を決められたプロセスに従って作ってアウトプットする人、ということを意味する以上でも以下でもないので、例えば雑誌でばりばりいい記事を書く人がすべからくいいブログが書けるかというとそんなことはまったくない。だって彼or彼女は雑誌の文章の書き方は知っているけどブログの書き方は知らないからだ。

 それは、例えば僕が雑誌の記事をたくさん書いていたからと言って、じゃあテレビドラマのシナリオも書けるかというと、当たり前だが素人同然にまったく書けないのと同じ理屈である。実際、僕の元職場の同僚でも、インターネットの原稿を書くのはどうも苦手だと言ってはばからない人もたくさんいた。それは、ある意味で記者や編集者という専門職にいる人間として持っていて当たり前の自覚というか謙虚さだと思う。

 それでもネットやらブログやらに手を出すマスコミ人あるいは言論人は、キムタケみたいにお金をもらってやってるのでない限り、以下の3通りのどれかだろうな。

  1. 本業で閑職に追いやられ、ヒマを持て余して「会社は認めてくれないけど、ネットなら俺様を認める奴はたくさんいるだろう」と考えたカンチガイ野郎
  2. ネット上での情報発信の巧拙が将来のメディア企業にとって存亡を左右すると直感し、それを今のうちに身につけておこうとする愛社精神&マーケティングセンスに長けた奇人変人
  3. 本業もそこそこにこなして普通のマスコミ人を演じてはいるが、今後の所得減or転職などに備えて副収入になりそうなネタをネット界隈で見つけておこうと考えた商売人
 自分の周囲にいる「記者ブロガー」はこの3種類にほぼ分類できるし、ネットの中を見回しても(ごくごく一部に例外はいそうだけど)たいていこの3つのどれかじゃないかな。誰がどこに分類されるかは語弊がありすぎるのであえて言いませんが(笑)。ちなみに僕は最初2.だったのだけど、昨年11月に考えが変わって3.になりました。

 で、1.のカンチガイなセンセイは放置&隔離の方向として、僕は2.や3.の人たちには、今さら言い古されてきたことだが「ネットでの文章作法は、あなたの仕事上の文章作法とは微妙に、あるいはかなり根本的に違う」と分かってほしいと思う。

 マスコミの人間というのは、特に文章の「内容」を価値だと思い、良い内容の文を書けば読まれるのだと思ってる人が多い。ネットにおいては、これは大きな勘違いだ。毎日、毎週更新するブログで奇抜な話、他人があっと驚く話を書き続けるのは不可能である。慣れないうちに無理矢理アクセスを集めようと欲張って奇抜な話を書くと、読者から根本的なミスを指摘されて自爆するのがオチである。

 それより、当たり障りない身の回りの話を、まず「自分ならではの文体」で書いてみることを心がけるべきだと僕は思う。簡単に言っちゃったけど、自分なりの文体っていうのを書くのはチョー難しい。マスコミで書かされる文章は、特に新聞などは激しくそうだが、文体は「ちょっとでも個性的であってはいけない」と教えられ、徹底的にスタンダードを押しつけられる。だから文体の個性を出す作業というのは、ほとんどのマスコミ人にとっては初めての経験なのだ。

 それで悪戦苦闘して、ある程度自分のオリジナルな文体とか、アクセスの集まりがちな書き方みたいなものが分かってきたら、話題になっているネタを語って人気ブログにトラックバックを送る(つまり「絡んでみる」)などして、ネット論壇にデビューしていけばいいと思う。

 さっきも言ったようにブログというのは「カラミニュケーション」だから、内容や表現にいちゃもんつけてくる人が必ず出てくる。その時によほど論争して勝てると思うネタでない限り「降りる」か「スルーする」のが原則だ。特にトラックバックを打って絡んでくる人というのは、本当にあなたの書いた記事の内容に文句が言いたいというよりも、単にあなたのブログから読者を“かすめ取りたい”と思っている場合が半分以上なのである。だからスルーあるいは「そうですねー、おっしゃることもまったくその通りだと思いますですよー」みたいなリアクションで流しておく。

 ただ、読者からのコメントなどでも応戦を促すような雰囲気が漂ってきたら、果敢に叩き返しに行くのもエンターテイメントとしてはアリだ。反論する際に注意しておきたいのは、反論には「今ごろ反論してちょっと遅いかな」ぐらいがいいということだ。じっくり考えて論理の抜け穴を埋め、リアルで周囲の友人にも相談して自分の意見の妥当性を確認した上で、満を持して反論に出る。そうすれば、再反論で手痛いダメージを負うことだけは避けられる。

 っていうようなことは、マスコミでは絶対に教えてくれないのですよ。僕が会社に入って最初に上司から習ったことと言えば、「いいか。取材先が電話してきて文句を言って、それがどんなに“筋が通ってる”と思えるクレームでも、絶対に電話口で『すみませんでした』って言うんじゃねえぞ」ってことだった(笑)。多くの人が勘違いしている部分もあると思うが、マスコミというのは組織的に「謝らない、傲慢な人間」を育てる。なぜなら読者や取材先1人1人にいちいち謝っていたら仕事なんかできなくなるから。それが「マス・コミュニケーション」というものだから。

 これに比べて、ブログの「カラミニュケーション」はまったく逆だ。ブログを開いて最初に相手にするのは、誰も知らないサイトに来てわざわざくだらない文章を読んでくれる、奇特な読者だ。そういう人たちには最大限「いじって絡んで遊んでいって下さい」と頭を下げるべきだ。人が増えてくれば、またそれはそれで対応が少しずつ変わっていくべきだろうが、ネットだもの、締切もないし記事を書き続ける義務もないし、読む側も気にくわなければ読まなくなるまでの話。読者と書き手、そこで語られているネタの3つが適度に「絡み」合わないことには、面白くも何ともない。

 僕が言いたいのは、別にブログ的な議論方法を学ばなくてもマスコミ人は言論人たりうるよ、ということ(現在のマスコミ人が本来あるべき姿の言論人であるかどうかは別だけどね)だし、ブログ界では記者だろうが記者じゃなかろうが、そういう作法を分かった人だけがブログをやって楽しみ、何かを得ればいいんじゃないかってことだけだ。

 というわけで読者の皆さん、これからもどんどん絡んでください。ただしコメントはできるだけ10行以内で(笑)。

11:03 午前 メディアとネット コメント (14) トラックバック (10)

2004/12/28

メディアリテラシーで猛烈に反省

 前回の「ニュースの天才」の映画評で、AERAやSPA!を「あの記事に書かれていることが全部事実だと思って読んでいる人はメディアリテラシーが足らない」と書いた。そのことについて強い反省を込めて少し追記したい。

 あの映画のことは、その後もいろいろと考えていたのだが、ちょうど27日から「元読売記者のメディアリテラシー日記」というブログで、この映画に関する考察が始まっているのを見つけた。まだ書きかけのようなので、どういった感想を持たれたのかとても楽しみだ。

 で、その元読売記者氏曰く、「Yahoo!ムービーの映画評では『ただこの雑誌のチェックが甘かっただけの話。レベル低い』などと切り捨てられている」というので、ちょっと見てきたんだけど、まあそりゃ娯楽映画としてこの映画を観たら、そのメッセージは分からないよね。これは単にレビュアーがバカなだけで、どうでもいい。

 ただ、ちょっと面白いなあと思ったのは、多くのレビュアーが「スティーブン・グラスは精神異常のガキ」と書いていたことだ。ガキであることは認めるが、彼は決して精神異常なんかじゃない。むしろあのマインドは、現代のほぼすべてのマスメディア関係者に共通するものだ。

 だからあの映画を観て「グラスはただの精神異常じゃん」という人は、このブログにTB打ってくれた「セカンド・カップ はてな店」のエントリにあるような、

 メディアが主導でファッションから意見から見解からの流行を作るってのはここの殆どデフォルト体制なんだろと思う。北米のクリスマスなどはまさにそうやって出来たもののうちで、最良のものの1つだろう。それにもかかわらずこれでいいかと人びとが苦情を言わないのは、まんざらウソでもないから良しとする、いいところもあるからこれでいいことにしておこう、といった漠とした諦観があるからではなかろうか。
 というくだりの意味を、まったく自覚していないことになる。ぶっちゃけ、自分の身の回りにある多くのものが「まんざらウソでもない」中にさりげなく混ぜ込まれた「でっち上げ」であることに気がついてない、ただの阿呆ということだ。言い換えれば「メディアリテラシーがない」人という意味である。

 と、ここまで考えてはたと考え込んだ。

 しかし、この映画の場合、グラスの書いた27本目の記事の「明らかなウソ」を見破ったのは、担当業界のネタをすっぱ抜かれたことを編集長に叱られた競合媒体の記者だった。つまり、それまでの26本に対しては、米国広しと言えど誰もこの権威ある雑誌の「ウソ」に気がつかなかったのだ。大統領をはじめ、米国政財界のトップクラスの知性の持ち主であるはずのこの雑誌の読者は、そろいもそろってみんな「メディアリテラシーが足りなかった」のだろうか?

 おそらくそうではないだろう。メディアリテラシーとは、この映画のように「この記事は嘘っぱちだ!」と叫ぶ誰かが出てきて、はじめて生まれうるものなのだ。批判、検証のないところに「ウソをウソと見抜ける」知性が突然生まれるわけもない。AERA、SPA!の記事がどれもでっち上げばかりだ、ということだって、僕はたまたまその記事と同じ情報ソースを取材したから分かったけれど、普通の人には(特に朝日新聞の看板を背負い、大まじめなふうの文章を装うAERAなどは特に)あれがウソだと見抜けるわけがないのだ。

 そんなことを考えていたら、少し前にずばりそのものの話を書いてくれている人が、いた。ハイブローな文章なので原文をご参照いただきたいが、少しだけ引用しておく。

「うそをうそと見抜けないやつ」を馬鹿にする言説には、誰でもリテラシーの有無にかかわらず本質的にだまされうる存在であるという認識がかけているし、メディア・リテラシーが、メディア情報の恣意的な再解釈にならないための歯止めになりうる部分が欠けている。そうした歯止めがないかぎり「わかってるやつ」と「わかってないやつ」という符牒によって内外を分ける言説としてしか機能しないのではないか。
 これを読んで僕は猛烈に反省した。「ニュースの天才」という映画が示していることは「現代のマスコミは必然的にウソをつく。だからマスコミの内部ではなくその外部に検証者が必要なのだ」というメッセージだったのであり、その検証者は「すっぱ抜く」だけを基準に競争を繰り広げる同じ土俵のマスコミではなく、マスコミのソースを参照しながらその報道性・解説性を検証し、論調を練り上げていくネットジャーナリズムであるべきなのだ。

 僕自身、「AERA、SPA!はでっち上げ記事ばかりだ」と書いたが、あれこそまさに批判されるべき「内外を分ける言説」だったと思った。どこぞのにわか銀行家先生のように「マスコミはウソばかり書く」あるいは「○○はウソ記事を書く媒体である」などと述べることには、実際のところ彼の文章を読む人間に向かって「俺は知っているが、お前らは知らない」と言っているだけにほかならない。その意味で僕もかの先生と同類だったと思い、赤面した。

 メディアリテラシーを云々するのなら「○○に掲載されたどの記事のどの部分が事実と違う、それはかくかくしかじかの理由で」ということを、きちんと指摘しなければならない。これはあの映画を見ても分かる通り、正直とても骨の折れる作業だ。だがネットがもしいろいろな情報ソースをあちこちから集めてこられる“摩擦ゼロの効率性”を持っているのなら、それを活用してこうした「メディアリテラシーのための検証システム」を作るべきなのだろう。

 ネットがこれまで、メディアリテラシーの向上に資してきたことは疑う余地もないが、一方で記者もインターネットを使いこなして取材するようになっており、ネットで簡単に見破れるウソばかりでもなくなってきている。でっち上げにでっち上げで対抗する2ちゃんねるのフラッシュモブのような活動だけでなく、ネットの側ももっと緻密にメディアを検証するための仕組み作りに知恵を絞る時期が来ていると、僕は思う。

08:50 午後 メディアとネット コメント (5) トラックバック (3)

2004/12/27

【ヲチ中】ブログ整理ツール

 ウオッチしますと宣言したブログ論争の整理ツール関連メモ。+ニート論争樹形図について一言。

 このブログにもTBいただいたが、例の樹形図に触発されたのか、BMFEditで閲覧できる「ニート論争」のBMFがmaki氏によって作られた。→こちら 類似の意見のブログエントリをまとめる「フォルダ」機能のようなものが追加されたもよう。

 yuco氏のブログでも指摘されているが、現時点ではこのBMFは完全に手作りするしかない。むしろ欲しいのはトラックバックを自動的に追いかけて、エントリの主従関係を樹形図に加工してくれるツールなのだけれど…と、少し煽ってみる。

 次に、matome.jp関連。こちらもトラックバックいただいたが、opendice氏のブログで、Firefox用のmatome.jp検索プラグインが公開された。っていっても使い方分からないんですが(汗)。デフォルトでURLウィンドウの横に付いてるGoogle窓みたいなものを追加あるいは置き換えできるのかと思ったんだが、違うのかな。このあたりどうしようもなく初心者なので誰か解説plz。

 ついでにもう1つ。matome.jpに「新着ブログ」の表示機能がついたもよう。キーワード検索すると、1時間以内に書かれたそのキーワードの含まれるブログが、トップに囲まれて表示される。これ、キーワード指定しておくと新着が更新されるたびにRSS配信される、みたいな機能ができると、特定のネタをリアルタイムで追いかけるのにすごく役に立ちそうだ。

 ただ、よく見ると囲みの外の検索結果の中にも、公開された時間が1時間以内のものがあったりするので、なぜ囲みの中のものだけが「新着」に選ばれるのか、そのあたりのロジックがよく分からん。とりあえず、以上。

 あ、それからニート論争樹形図に自分のポジションを書き足してほしいっていうトラックバックがたくさん来ている件についてですが、いいですかみなさん。

 僕がいつ「TBくれたら書き足してあげる」などと言いましたか!?

 あの樹形図はネタですってちゃんと書いたし、今後の議論の参考にして下さいっていうつもりで作ったまでなので。TBくれたら書き足すよなんてことは一言も言ってませんからそこんとこよろしく。書き足したいなら自分のブログで勝手に書き足してください。ていうか、本当にああいう分類でMECEなのかとか、あの分類方法自体に問題があるんじゃないかとか、そういう議論する人がちっとも出てこないのは何故ですかね?

02:17 午前 メディアとネット コメント (5) トラックバック (7)

2004/12/26

ネット上の論争を整理するツールが登場

 真に優秀な技術者というのは、社会の中の人々の動きを観察し、人々が(無意識にのうちに)究極の目的としていることとそれにたどり着けない原因とを見抜いて、そのオーバーヘッドを劇的に低減させるツールを瞬時に作ってしまう人のことだと思う。そして、インターネットにはそういう感性と情熱を持つ技術者が多い。

 最近相次いで勃発したブログ上の論争(ネットジャーナリズム、ニート、オタクetc.)に参画する際に、僕は自分の記事の中に、密かにこうした技術者の人々をインスパイアしそうな「工学的視点」を盛り込んで書いてきた。優秀なエンジニアならきっとそれに気がついて、何らかのリアクションを起こしてくれるに違いないと思っていたからだ。

 そうしたら、あっという間にその動きが表面化してきた。しかも全く別々のところから2つも出てきましたよ。僕としては、狙ったとおりのことが起こりつつあるという意味で、非常に嬉しい。

 本当はこういう便利なツールの存在はこっそり自分だけの秘密にして、ブログの内容をブラッシュアップするために使いたい…なんてことを文系人間としてはすぐ考えたくなるのだが、インターネットというのはそういう“囲い込み”を許さないところだし、そういうことをしてもツールは進化しない。なので、このブログを読んでいる文系、理系の皆さんにぜひその先駆者たちの偉業を見ていただき、さらにたくさんの意見を募りたいと思う。

 では、その2つのツールのご紹介と、それらに対する僕自身の意見を述べておきたい。

1) ブログの論争追跡システム「BmfEdit」

 トラックバックを元に、あるテーマの議論が複数のブログ上でどのように展開していったのかを追跡し、ツリーににして見せる「Blog Marshalling Feed(ブログ整列フィード)」というXMLドキュメントのフォーマットを作成・表示するツール「BMFEdit」が、maki氏によって開発され、登場した。

 昨日公開されたばかりのver0.1(仮)は、まだあらかじめ作られたBMFをツリー表示し、リンク先のブログエントリをツリーの下の窓に表示する機能しかない。しかし、例えば論争勃発のきっかけと思われるブログのURLを入れるだけで、そのトラックバックをざーっと追いかけて取り込み、ツリー構造にして自動表示するという仕組みができれば、これはものすごく便利と思われる。

 また現時点ではツール上に表示されていないが、BMFのドキュメント内にはXMLの一般的なページ説明要素「description」とは別に、「excerpt」つまり「要約」のタグが設置してある。maki氏がどういう意図で作ったのかが分からないので何とも言えないが、長文のエントリにいちいち全部目を通さなくても、エグセクティブ・サマリやキーワーディングだけを樹形図にしてざっと斜め読みすることもできるようになりそうだ。

 この部分については、現在は手動で作成しているようだが、例えばMS-Wordをインストールしている人はBMFEditからWordの文書要約作成機能のOLEを呼び出して、ウェブサイトの文章を食わせて要約文を自動作成できるとか、それが一般的でないならそのツリーの中に頻出するキーワードでそのエントリをGoogle検索した際のサマリ文をインポートして表示できるようにするとか、いろいろな工夫ができそうだ。

 いずれにせよ今後の機能追加が期待されるユニークなソフトである。makiさん、がんばってください。

2) Blog論争のまとめ検索システム「matome.jp」

 BMFEditが、おそらくは今のところリンクやトラックバックという外形的な要素でしかブログ間の論争を追跡できないのに対して、こちらはGoogle、Yahoo!からBulkfeeds、未来検索、はてな、Wikipedia、ぐるなびに至るまで、ネット上の特長あるすべて検索エンジンを駆使してあるキーワードを巡る議論を展開しているサイトを全部かき集めようというウェブアプリケーションだ。

 例えばmatome.jpで「参加型ジャーナリズム」というキーワードを検索すると、Googleでは湯川氏のブログの記事がトップに来るわけだが、ここではkazumaro氏の「参加型ジャーナリズムのリスクとコスト/ネット上のジャーナリズムについてゆっくり考える その1」という記事がトップにヒットする(ちなみに、この記事は考察がきちんとされていて非常に良いです)。

 この記事はgoo検索からピックアップされたもののようだが、Googleでドメイン限定で検索しても、この記事はヒットしない。つまりGoogleのクロール対象になっていない小さなサイトも含めて、matome.jpはかなり広い範囲を網羅していることになる。カバレッジにあと2ちゃんねる検索が加われば、もはや国内最強か。2ちゃんの場合、過去ログも網羅するとなると有料になってしまうところが苦しいが。

 最初は単純なメタ検索システムなのかと思ったが、あれこれ試してみているとどうもそうではないようだ。試しに「まとめ検索」というキーワードで検索してみたところ、まとめ検索のトップページはどこにも出てこず、まとめ検索についてコメントしたブログが延々と並ぶ。これってある意味ですごい「まとめ」機能かも(笑)。まとめ検索について誰がどう思ったか、ネット上の意見をすべて回収できるわけだ。

 このmatome.jpの検索結果が、トラックバック、リンク、掲載日付などの外形基準とキーワード出現頻度などのセマンティックな基準の両方で解析され、BMFのような議論の樹形図に加工され出力され、しかもそれがmaki氏の言うような「まとめフィード」のような形でリアルタイムにRSS配信される、みたいなことになってくると、既存のマスメディアの「まとめ」機能はたぶん本当に必要とされなくなってしまうだろう。

 僕は、ブログ的コミュニケーションを用いたネット・ジャーナリズムが成立しうるとすれば、素早い解説・論点整理の機能をベースにして専従のジャーナリストによる報道性をミックスしたものだろうと、以前のエントリで述べた。

 だがこれに対し、奥一穂氏からは「速報性にこそウェブのビジネスチャンスがある」という指摘もされている。確かに、BMFEditやmatome.jpを見ていて思うのは、1次情報の速報性まではたどり着かないかもしれないが、報道・解説的な部分のスピードは、もうまもなくリアルのマスメディアが逆立ちしてもウェブにかなわなくなるだろうという現実だ。

 文系人間と理系人間のコラボレーションが快感だなあと思うのは、こういうアプリケーションが登場するのを目の当たりにした時である(笑)。引き続きこの分野の技術開発動向については、ウォッチを続けてみたい。

12:56 午前 メディアとネット コメント (0) トラックバック (6)

2004/12/24

映画評:ニュースの天才

ニュースの天才 「ジャーナリズム論を語るなら、これを見ておいた方がいいですよ」と、ある後輩から勧められたのが12月から東宝系で公開されているこの映画。1998年に実際にあった事件を題材にしたノン・フィクションである。映画の案内などはPocket Warmerさんのところにリンクしておくのでそちらを参照のこと。

 米ニュー・リパブリック誌の若き敏腕記者、スティーブン・グラスは社会ネタを面白おかしく取り上げることで人気ジャーナリストとなり、若干24歳にして同誌の共同編集人(編集委員みたいなもんかな)に。ヘイデン・クリステンセンが、競合誌や編集長から記事のウソを突っ込まれて隠しきれなくなり、ボロを露呈していく若きジャーナリストを見事なまでに演じている。

 映画としての評価は専門の方々にお譲りするとして、似たような雑誌の記者の1人だった者としてこの映画を見た感想を書こうと思う。

 この映画は、映画としての面白みを多少犠牲にしてまで、実話に徹底的に忠実に作られている。だから日本のメディア関係者にとっても参考になる部分がたくさんあるはずだ。

 その1つに、スティーブンがジャーナリスト学校の後輩たちに自分の仕事を説明する中で、記者の書いたものがどのようにチェックされて記事になるのか説明する部分がある。

 「記者が書いた原稿は、まずシニアエディターがチェックし、次にチェック係(恐らく校閲のこと)と弁護士が、記事が事実であるかどうか、問題になりそうなところはないか、世の中のデータベースや過去の記事、法律的見解などを元にチェックする。それをレイアウトし、プリントすると、さらにチェック係、そして弁護士によるチェックが繰り返される。もちろん、編集長もチェックする。こうして2重3重の厳重なチェックを通って記事になるのだ」
 「だけれども、こうした体制ではチェックしきれないこともある。それは例えばデータベースに載っていない小さな企業の存在、市井の庶民の声などだ。これらは記者の取材ノート以外に事実確認のしようがない」

 日本の新聞や雑誌で、上のような校閲体制を敷いているところは、恐らくどこにもない。米国では、ある程度まともなメディアは、少なくとも法務チェックは当然のように仕組みとして持っているし、大手の雑誌ではそれに加えて記者からあらゆる取材メモ、テープ、写真等を提出させて記事との整合性をチェックする体制を持っている。「記者の出す生原稿に対する信頼の置き方」は、日本の方がはるかに高い。

 なぜこうした差が生まれるのか。その理由もこの映画の中に描かれている。主人公スティーブンが吐く言葉でも分かるように、米国ではジャーナリストという職業は、各誌が抱える一部の看板コラムニストや編集長を除き、基本的に専門学校を出たばかりの、低賃金でこき使われる若いリポーターのことを指す。「大統領専用機に唯一積み込まれている雑誌」ほどのステータスのある「ニュー・リパブリック」誌のスタッフの平均年齢は、なんと26歳である。

 彼らはそういう下積みを経て取材力や文章力を認められると、やがて署名で記事を書けるコラムニストになる。つまり、若手のリポーターをアゴでこき使う立場になる。そうなれないと悟った奴は傍らで勉強して、弁護士やアナリストや政治家といった職業に移っていく(スティーブンもニュー・リパブリックをクビになった後、弁護士に転身している)。

 そういうわけだから、専門学校出たての若造が書く記事なんてそれ単体では絶対に信用されない。で、校閲やら法務やらがよってたかって信頼性を検証し手を加えて、初めて1本の記事になる。だから、ねつ造記事が出るということは、米国の場合、書いた記者1人をクビにすればおしまいというわけではなく、とりもなおさずそのメディアの記事検証体制の質が問われるわけだ。

 ところがニュー・リパブリック誌の事件の後になっても、ワシントンポストやニューヨークタイムズの記者による記事のねつ造が次々と発覚した。しかもねつ造された記事が何十本と掲載された後に、である。2003年にニューヨークタイムズでのねつ造記事が発覚してクビになったジェイソン・ブレア記者の事件(こちら)を見ても、この手の事件の根っこにある米国のジャーナリズムの信頼性問題は全く解決していないように見える。

 もちろん、根本的な背景として「記者の功名心」とか「(支局などを閉鎖して事件が起きたときだけ遊軍記者を派遣して記事を書かせる)パラシュート・ジャーナリズム」などの問題はあるのだけれど、面白い記事を書きたいという気持ちは良い記者に共通のことだし、すべてのメディアが事件の起こる場所にあらかじめ常に人を張り付けておけるわけもない。そんなことを言い始めたら、あらゆるメディアで誤報の可能性は常に防げないということになってしまう。

 で、問題は映画の中でスティーブンが語っている「社会ネタの中には、取材ノート以外にその真偽をチェックできない事実がたくさん書かれている」ということなのだ。

 では日本のマスコミはなぜ記事内容のチェック体制をほとんど持たないにも関わらず、これほどの誤報を連発する記者が現れない(正確に言えば「これまで現れなかった」)のか?

 僕が思うに、それはこれまで「給料の高さ」が原因だとされてきたのだと思う。30歳そこそこで年収1000万円を凌駕する大手マスコミの給料は、下手なでっち上げ記事を書いてその嘘をとがめられた時に彼が失う金銭的利得をすさまじいまでの金額につり上げる。だからあからさまな嘘記事は出ないのだ、と。

 まあ、これに加えて米国とは違う日本のマスコミという職業の社会的信用の高さもあっただろうね。終身雇用制で、いったん大企業をクビになるとほぼ同レベルの社会的信用のある立場に復帰するのがほぼ不可能とされていた時代、誰もそんなリスクは負わなかった。

 だけれど、そろそろ日本でもそうした「機会損失の大きさ」だけを理由に商業メディアの信頼性が維持され得た時代も終わろうとしている。1つには、一昔前の「官僚」と同様、ジャーナリズムに対しても人権侵害を繰り返し好き勝手に振る舞う、汚わしくてずるい人間というイメージが世の中に広まってきていること。ネットで流行っている「マスゴミ」という言葉がそれを象徴している。また、多くのマスコミで従業員の給与水準が下がり始めた。

 またこちらのブログに出ているように、インターネットが既存のジャーナリズムのでっち上げを暴くようになって、実は日本のマスコミの記事も嘘だらけ、他媒体からの無断引用だらけだったということがばれつつあることもその一因だろう。

 映画「ニュースの天才」でも描かれているように、日本でも一般の読者の興味は硬派な政治・経済の話から、面白おかしい身近な社会ネタにどんどん移ってきているのが現実だ。しかし、身近な社会ネタほど今の日本の新聞・雑誌の記者が不得意とするところもない。なぜかと言えば、これまで主なニュースソースが中央省庁や都道府県、市町村などの記者クラブや広報部のしっかりしている大企業ばかりで、「一般社会」との接点が一般人に比べてずっと少ない、というのが“一般のマスコミ人”の実態だからだ(笑)。

 そこで「もっと面白い社会ネタを出せ」と会社に言われれば、これはもうネタをでっち上げて出すしかない。ま、今の日本では幸か不幸か、新聞記者に部数のノルマとか「売り」の圧力が全然かかってないので、そこまで「面白い社会ネタ」が上から要請されることもないのだけれど、毎号売れるかどうかが問われる市販雑誌などでは、実際にもうでっち上げのネタだらけの世界が広がっている。

 例えば「AERA」。自分自身取材したことのある分野の話が記事で載った時に読んで、ああこの雑誌は内容の半分ぐらいがでっち上げなんだと分かった。社会ネタではAERAと双璧をなす「SPA!」に至っては、まさかみんなこれが事実に基づいているなんて思って読んでないよね?ぐらいの勢いでネタだらけである(笑)。え、もしかしてあなた、あれが全部事実だと思って読んでました?それ、メディアリテラシー足りなさすぎですよ。

 まあ、それがよほど政治・経済において大きな意味を持つものでない限り、面白おかしい社会ネタは多少脚色やフィクションが入っていてもいい、と僕は思う。だが社会ネタの取材・執筆の手法と、大企業や政府批判記事のそれとが混同されたら、非常に大きな問題になる。

 スティーブンの取材・執筆手法は、それが「SPA!」である限りあまり問題にはならないのだが、媒体がニュー・リパブリックなどという大変な権威のある雑誌だったから問題になったのだ。実際、映画の中で彼は他の雑誌のアルバイト原稿をたくさん書いていたこともに示されている。本物のスティーブン・グラスは、恐らく媒体によって原稿の信頼度を使い分けるということができず、自分の執筆スタイルがどこでも通用すると思いこんでしまった部分もあったのだろう。

 僕も以前は「日本のマスコミも、米国並みに記事内容に対するチェック体制を厳しくすべきだ」と思ったりしたこともあったが、これっていうのは製造業において「品質を上げるために、生産ラインの一番後ろの品質チェック係のさらに後ろに品質チェック係の品質チェック係をつけました」といって胸を張るのと同じぐらい意味のない議論だと思い直した。

 ではどうすればいいのかということなんだが、もちろん人物名や企業名など最低限のチェック体制は当然のこととしても、結局のところ「面白おかしい記事、世間をあっと驚かせる記事を書く」ことよりも、「裏のとれない話に基づいた記事を書かない」ことを記者の評価のプライオリティにおいて常に優先にする、という以外の方法はない気がする。これ以上品質検査体制にコストをかけても、おそらくそれは今の記者の給料を切り下げる程度ではカバーしきれないだろうと思うからだ。

 逆に言えば、マスコミの記事の品質の問題というのは、記者にジャーナリストとしての分別を持つことに対するプライドを持たせ、でっち上げを決して許さないという鉄の掟を現場に徹底できるかどうかという、マネジメントの品質の問題にほかならないのであって、官僚の給料の問題と同じように「これ以上給料を下げると正確な記事を書くというモチベーションが保てない」とか、そういう類いの話ではないのである。

 スティーブン・グラスのねつ造記事が書かれた当時のニュー・リパブリック編集長だったマイケル・ケリー(故人)は、この映画脚本執筆のためのインタビューに全面協力し、「グラスの不正を容認する結果を招いた自分の行為に対し、決して心の重荷を下ろすことはなかった」と、プロダクションノートでビリー・レイ監督が述べている。でっち上げ記事を書いた記者の出たマスコミは、社長以下その記者の上にいたマネジメント全員がクビを差し出すのが正しい対処方法であって、その覚悟がない人間がマスメディア企業のマネジメントなんかできないよというのが、この映画を見て思ったことだ。

 …とか何とか言いつつ、六本木ヒルズのTOHOシネマズで上映開始前に隣に座ったボブのカワイイ女の子が物欲しそうに僕の手元を眺めていたのに気が付いていたくせに、キャラメルポップコーンをさりげなく差し出しシェアを申し出て会話に入れなかった僕は負け組 orz

12:24 午後 メディアとネット コメント (4) トラックバック (8)

2004/12/20

ハンドルネーム、変えました

 昨日、GLOCOMの情報社会学研究会に呼ばれて、行ってきました六本木ヒルズ(の横のビル)。

 ネット・ジャーナリズムをテーマに、論争の渦中の湯川氏と切込隊長がリアルでバトる!という触れ込みに釣られて行ってみたんですが、隊長ついに降臨せず。(´・ω・`) 最近ブログにハッスルしすぎて、年末進行の原稿とうとう書き終わらなかったんスねきっと…とか言ってたら、ダチの家でDVD見てたんかい!ぉぃぉぃ。_| ̄|○||||

 で、集まった議論好きな面々は、主賓の切込隊長不在のままジャーナリズム論に熱くなり、予定の時間を40分以上オーバーしてしゃべりまくりましたよ。ええ、民主主義の行方から業種別ゼニの儲け方まで、業界インサイドのきわどい話が飛び交い、めちゃくちゃ面白かったっす。

 内容については後日GLOCOMでログをネット上にアップするという話ですし、一部きわどすぎて検閲入りそうな部分が多々ありますので、ここでは触れません。ログが出た段階で、またいろいろとコメントしたいと思います。

 ただ、個人的にショックだったのは、参加者の皆さんが、僕のことを「R30」と呼んでくださってたことでしたね。何でショックだったかというと、

  • ハンドルネームで呼ばれるような会合に出たのは初めてだった!!(実はオフ会というものに、今まで参加したことがなかったのです。オフ会デビュー!!)しかも同業者や著名な論客の方々などすごい面々が居並ぶ席上で「R30さんはどう思います?」などと呼ばれるのがすごい違和感(笑)。ああ僕はR30なのか、とアイデンティファイドされてしまったり。

  • 一応プロフィール欄にはshintakkinというハンドルネームを書いてあるんだけど、そっちは誰も呼んでくれなかった。以前のタイトルの時はそっちで表記されることが多かったんですが、タイトルを変更してから誰もプロフィール欄を読まなくなったのかしらん?いや、きっと口にするのが恥ずかしい響きだからだ。間違いない(爆)
 というわけで少々反省(?)し、これからは「R30」を正式なハンドルネームにすることに決め、プロフィール欄やコメントのユーザー名を過去にさかのぼって修正(細かい(笑))。これからは、Google先生に、TBSの番組サイトよりも強く「R30」であることを認知してもらえることを目指してがんばります(意味不明)。

 GLOCOM研究会に関しては、とりあえず今日のところは参加者のうち最も純粋なブロガー(笑)の1人だった本家みかままの覚書がざっくりレビューを書いていらっしゃったのでそちらにリンクを張っておきます。

03:56 午前 メディアとネット コメント (2) トラックバック (4)

2004/12/15

プロのジャーナリズムとは何かについて考える・最終回

 シリーズ最終回となる今回、通常の1.5倍の長文です。覚悟されたし。

 前回(3回目)のエントリで、「既存の商業ジャーナリズムのコアバリューは調査報道であり、ネット・ジャーナリズムがどんなに技術革新によって進化しても、こればかりはどうしようもない」ということを書いた。

 で、これについてコメント及びTBでまたいろいろな人から反論、指摘をいただいた。1つ1つ目を通して議論の中に位置づけ、文章を書くというのは、はっきり言って非常にしんどい。しんどいが自分1人で考えを煮詰めていたのでは出てこない思考にも出会えるし、マゾ的な快感もある。

 恐らく、「読者からの意見、反論に(取材、熟考の両方で)徹底的に答え続ける」というこのマゾさが、次世代のジャーナリズムにとって重要な要素のかなと思ったりしている。こうしたスタイルのジャーナリストというのは、マスコミの中にも既に存在する。もちろん、ポスト・キムタケを目指す朝日新聞の新米ブロガー某氏ではない(笑)。「日経コンピュータ」という業界誌の記者だった(現在は日経ビズテック編集委員)谷島宜之氏である(氏のコラム及びそのリンクは、ITproの「谷島の情識」に集められている)。

 彼は、ウェブ上の投稿やメールで受け取った読者の声に対し、丁寧に答えたコラムを書く。最近舞い上がっていたどこかのブログご本尊様と違い、どんな反論も決してスルーせず、取材先にもう一度裏を取りに行ったり、自分の過去の取材ノートを全部ひっくり返してまで説明を試みたりする。

 今やIT業界で谷島氏の名前を知らない奴はモグリと言われるほどの有名記者だが、以前にそのご本人と話したことがある。その時、彼はITproなどで連載している読者との双方向コラムについて、こう話していた。

 「よくいろいろな人に『谷島さんは読者の声に本当に丁寧にお答えになるんですね、親切ですね』と言われるんですが、僕は親切心でこんなことをやっているわけじゃないんです。むしろ毎日、読者から送られてくる意見を読んで『くそっ、こいつどうやって反論してぐうの音も出ないように叩きのめしてやろうか』って必死で考えながらコラム書いてるんですよ。ある意味、悪意の固まりだと自分では思うんですがね」

 うはははは。ま、彼一流のレトリックだとは思うのだけれど、それにしてもすごい。まあ、普通の人間は親切心だけで毎日数百通の(中には悪意に満ちたものもある)投稿に1つ1つ丁寧な反論しようとは絶対思わないわな。いくら仕事だからってそんなことしたら気が狂ってしまう。ジャーナリストにとって悪意は大切だ(笑)。

 それはともかく、ブログ登場のずっと前からブログ的コミュニケーションによる取材・執筆を実践してきた谷島氏のような人は、ネット時代のジャーナリストの1つのあり方を考える参考になるだろう。

 さて話を本題に戻して(今の話も本題でしたが)。これまでのエントリにコメント、TBいただいた方々の反応を見ていると、大きく2つあるように思う。1つは前回エントリの「人々は調査報道をやってくれると信じているから新聞を定期購読する」という僕のロジックに対するご批判。前回エントリへのわたなべさんのコメント、simonさんの「日常/非日常Blog」のエントリなどがそれ。

 「新聞や雑誌はクソ記事も含めていろいろなニュースがパッケージにされているから読むんだ」「レイアウトによるニュースの重み表現(レーティング)があるから読むんだ」とのご意見。まあその通りではあるのだが、個人的にはこれもあっさりとGoogle Newsなどによって乗り越えられるだろうと思っている。

 既にNews&Blog Searchなどがやろうとしているが、読者がどんなニュースに日頃から関心を持っているかをサーバ側に記憶させておき、個々のユーザーごとにトップページをカスタマイズして見出しをレーティングするというようなことが、将来は実現するだろう。そうすれば、レーティングを知るために新聞を読む意味はますますなくなる。パッケージだって同じことだ。「紙が便利だから」ってのは、新聞がメディアとして生き残る大きな要素ではあると思うが、ジャーナリズムの要素とは関係ないのでここでは論じない。

 「調査報道」というのは商業ジャーナリズムが「公益性」を主張する際の核になる部分であり、だからこそ僕も「既存のマスコミにできてネットにできないこと」として挙げたのだが、実際のところ多くの人はただ「惰性的な慣習」としてだけ新聞を定期購読しているのかもしれない。固定電話の回線契約みたいなもんか。だとすると結論はさらに悲観的にならざるを得ない。過去の不合理な慣習によってのみ築かれたマーケットは、その習慣を持たない人口が増えれば自動的にシュリンクするのみであり、企業側の自発的な努力で売り上げ規模を回復させるのはほぼ不可能としか言えないわけだからね。そういう結論にはしたくなかったんだけど。

 新聞という旧習に代わる新しい慣習として「Googleをジャーナリズムだと思っている若い人が増えてきている」と指摘してくれているのが、埼玉大学の並河助教授のブログである。えーちなみに私全然疲れてませんよ?>並河さん

 話がまた脇に逸れるが、このブログにはもう1つ面白い話が出ている。知り合いのプロの物書きさんの「プロとは良い原稿を書くのではなく、締切を守る人間のこと」という発言が紹介されている。そういえば僕も入社したての頃、デスクに「遅くて良い記事より雑でも早い記事の方が価値は高い」と言われた覚えがある。

 この「締切」というのは、マスコミ(特に紙媒体)に「印刷」というコンテンツの確定プロセスが必ず入るために発生するタクトの概念だ。マスコミの中には、締切がないとまったく仕事ができないという人が存在する(笑)。だがこのような一種の依存心も、ネットによって崩壊する。

 何度も言うが、情報そのものに価格を付けて扱うジャーナリズムの世界が、インターネットの普及でそのクオリティやビジネスモデル、従業員1人1人の意識に至るまで根本的なルール変更を迫られているという現実は、こういうところにまで表れている。

 さて、TBやコメントに共通していたもう1つの反応は、こちらが数としては圧倒的に多いが、「どうやってカネを稼ぐか」をめぐる意見だ。

 これまでにもあった意見の代表として、kensuke氏のブログ「New UnderGround Commune Style」のエントリを例に挙げておこう。ダン・ギルモアの主張する「参加型ジャーナリズム」の収益源としてGoogle Adsenseはどうよ?という話なのだが、TB元エントリのコメント欄に張ってあったURL(「電子テキストについて考える」というタイトルの、山形浩生氏のHotWiredでのコラム)あたりがずばりこれに対する答えだろう。

 要するにネットの世界では「キャッシュで読める」「過去ログで読める」と思うから誰もカネを払ってテキストを買わない、と。テキストの換金システムとしてはやっぱり紙媒体のほうが圧倒的に優れている。ジャーナリズムではないが、ネットで全部タダで読める「電車男」の書籍を、どうして50万人もの人が買い求めるのかといったあたりにこの話は収斂しそうだ。

 では、どうやってカネを集めればいいのか?そんな質問に答えられるようなら、僕はこんなところでこんなこと書いてませんがな。ま、ここからは一般論は何の意味もなくて、個別のビジネスモデルの話になっていくんでしょうね。で、僕が頭に思い描いていたビジネスモデルの一端を知りたいという方はこちらのエントリをお読み下さい。それ以上はもうしゃべりません。

 ただ、あえて一言言っておくとするなら、冒頭に書いた谷島氏のような人が何人か“事務局”とか“世話人”というかたちで専従し、その回りにシステムを介して多くのアマチュア・ブロガーや読者が集まるというような組織を想定できるんじゃないかと思う。で、読者が「これこれについてどうよ?」と疑問を投げかけ、よってたかって論点を整理したら、事務局の専従ジャーナリストが「じゃ、俺それ調べてきます!」ってすっ飛んでいって取材する、みたいなね。

 で、そのコミュニティーに参加する“ショバ代”みたいな感じで、毎月一定額を支払うとか。あるいは他人のブログのコラムを読むたびに小銭が引き落とされるので、自分で面白いコラムや知見を披露できない人だけはちゃんとお金払って読まなきゃいけない、みたいな仕組み。einzbren氏のエントリにある「革新派」と「保守派」のちょうど中間を取ったシステム、と言ってもいいと思う。

 要は、頭のいい人、面白いことの言える人、1つのことに粘着して徹底的に調べられる人に、みんなが自然に(無意識に)お金を渡す仕組みがあればいいと思うのですよ。で、その中の何人かは専従ジャーナリストになって、調査報道に精を出すと。で、読者やブロガーの中から、「俺さあ、1年だけこのネタ徹底的に調べてみたいんだけど、カネくれない?」みたいなこと言う奴が出てきたら、それも1年間だけの契約で専従ジャーナリストにするとか。

 湯川氏のブログでも書かれていたが、ダン・ギルモアがマーキュリーニュースを辞めてやろうとしているのも、そういうことなんじゃないかと思う。NPOとしてのネット・ジャーナリズム。支えるシステムはもうできつつあると思う。日本でも、誰かやってみませんかね。ちなみに、僕はこの12月でマスコミを辞めます。そういうのをやりたい方がいたら、微力ながらご協力はする所存です(笑)。

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2004/12/13

プロのジャーナリズムとは何かについて考えてみる・その3

 このネタもだんだん長くなってきて、読んでいる方は疲れてるかもしれませんが、幸か不幸か切込隊長からも「待ち切れねーぞコノ野郎」といった趣の丁寧なツッコミTBなどいただいていることですし、それでも読んで脳みそかき回しながらもうしばらくおつきあいいただければと。

 また、このブログを初めて読みに来られて「こんな長い過去ログいちいち読んでられるかボケ」というお忙しい方は、とりあえず以下のあらすじをご参照ください。

【これまでのあらすじ】 これまでのエントリを読んだ人はとばしてね!==>

 最初のエントリでは、梅田ブログ@CNETと切込隊長のキムタケ銀行因縁エントリをネタにして、ジャーナリズムにおけるアマチュアとプロの境界線は「自己満足ではなく、顧客から見たクオリティの意識」と、「一定以上のクオリティの継続的出力」だという話をした。そして、ジャーナリスティックなテクストが持つべきクオリティとは「時事性(スピード)」、「初出情報(ニュース)」、「独自視点(コメンタリ)」の3つだと述べた。

 次に前回(2回目)のエントリでは、TBもらった各ブログの書き込みなどに答えるかたちで、インターネットというメディアの登場によって、そこで綴られるアマチュアのテクストのクオリティが、既存の商業ジャーナリズムに属するプロ(であるはずの人々)のテクストをあっさり超えるようになったと書いた。

 しかも、(特に紙を媒介とする)商業ジャーナリズムには上述のクオリティで初めからインターネットに負けている部分がある。だからネットのアマチュア・ジャーナリズムの活動に「継続的出力」という部分さえシステムで担保されれば、既存の商業ジャーナリズムは本来的な意味での「ジャーナリズム」としては機能しなくなり、結果的に「大衆」という既存の顧客を無意識のうちに捨て去る可能性が高い。実際、米国では一足先に大手商業メディアでそういう状況が生まれつつあり、それに対抗するネット上の参加型ジャーナリズムの立ち上げを叫ぶ気骨あるジャーナリストも現れている。

 と、ここまで書いたところで朝帰りの徹夜ハイな切込隊長氏が乱入。それに呼応してfinalvent氏も出版業界のディープな世界に関してコメント。で、一気にお二人とも僕の亀の歩みのような話から勝手に筋立てを読み取り、ビヨーンとジャンプして一気に結論へ。ぐはぁ(笑)。だ~か~ら~、ちょっと待っててっちゅーの(笑)。

<== 【あらすじここまで】

 さて。今回はTBいただいていたyosomiさんとこのブログのエントリを念頭に置きつつ、前回のエントリで少し説明不足だったなあと思うところを埋める作業に費やしたい。まず、「継続的出力」が担保されさえすればアマチュアもプロ並みのクオリティなんじゃ?という部分について。

 前々回のエントリでpaprikaさんに「切込ブログでは一年以上定期的にこのクオリティのエントリーがでているのではないでしょうか」というコメントをいただいていたが、あれですか、「家の外で三国人が騒いでいる。うるせー馬鹿」というのは、クオリティ・ジャーナリズム(笑)なんでしょうか。

 というのは冗談だが、正直1年なんてのはプロの条件としての「継続」のうちには入らないと僕は思う。僕の言うのは、10年、20年、言うなれば人が一生をかけて取り組む類の話である。

 僕のこれまでの経験から言うと、どんな博識な人でも独自情報のインプットをまったく受けずに(つまり過去の持ちネタだけで)書き綴れる「ジャーナリスティックなクオリティ」の文章というのは、50本が限界だ。毎日書けば2ヶ月でネタ切れするし、1週1本としても1年間がいいところだ。だからそれ以上続けようと思えば、当然ながら毎日必死で情報収集したり勉強したりしなければならない。コメントだけでさえそうだから、ましてニュースを書こうと思えばなおさらだ。つまり、文章を書くこと自体に対する報酬がもらえないことには、生きていけない。

 隊長がTB元エントリの「クオリティがどうであるか、高いか低いかと、それがプロであるかどうかは、ベクトルが違うのだろうと。それはまったく方向が違うというのではなく、相関はあるにしても、隔たりはある」と言っている意味は、そういうことだ。ジャーナリズムの本来的価値の1つである「継続的出力」を実現しようと思えば、どうしてもそれで報酬を受け取る仕組み(組織)の中に入らざるを得なかったわけだ。

 もっと言えば、現実の商業ジャーナリズムにおいては、一生かけて一定以上の水準のクオリティの文章を書く個人など、全体の1%もいない。新聞も雑誌も(特に雑誌はそうだが)、ライターは長くて15年、せいぜい数年で使い捨て、素人同然のライターが書いて送ってくる文章を編集者が読めるものにでっちあげて(クオリティを出して)媒体名の看板の下に並べるという仕組みがあることで、どうにかこうにか「継続的出力」を担保している。つまり切込隊長の言う通り、現実にクオリティ・ジャーナリズムを体現する個人なんて、国中探しても指折り数えるほどしかいないのだ。あとはみんな基準値以下。

 それでも昔は1つ1つの記事のクオリティを比較できなかったから、読者も「そういうものか」と思って受け取ってきた。でも今は、テクストだけ見たら同レベル以上のクオリティの「ネット」というものが転がっているから、商業ジャーナリズムの実態が「基準値以下」だってことが、多くの人にばれちゃった。ようこそ「マスゴミ」の世界へ。

 とはいえ、ネット上のアマチュア・ブロガーだって、「継続的出力」が担保されないっていう点ではあまたのマスゴミのライターと同じだ。しかもクオリティだってピンキリ。既存の商業ジャーナリズムを「マスゴミ」とか笑っていられない。

 しかし、例えばここにライター1万人を擁し、その中からごくごくまれにアップされる面白い(一定基準以上のクオリティの)コラムに点数つけてピックアップし、毎日1本ずつ以上読ませてくれるというシステムがあったらどうなるか?おそらくそのシステムそのものが非常にクオリティの高い「ジャーナリズム装置」として機能しちゃうだろうね。

 そう、それがgoogleやテクノラティ、未来検索などの検索エンジンだ。どれもまだそこまで「ジャーナリズム装置」としての機能を持ってはいないが、考えてみればgoogleだってまだこの世に登場して7年しか経っていないのである。もう数年もすれば、そういう精度の高い「自動ジャーナリズム装置」としての検索エンジンが出てくるに違いない。湯川氏のブログの「参加型ジャーナリズムは技術的革新待ちの状態」というエントリは、このことを議論したものだ。

 おお。ここまで読むと、数年後にすっごいかっちょいいスーパーgoogleが出てきて、そしたらインターネットが既存の商業マスゴミを超えた面白い記事を俺たちにバンバン読ませてくれるようになりますか?みたいな雰囲気が濃厚に漂っちゃうのだが、本当にそうだろうか?

 そうそう。プロのクオリティの条件として、1つ忘れてるのがあるよな。「独自に調べた初出情報(ニュース)」ってやつですよ。しかも、それ一発で世の中ひっくり返すような、おっきいやつ。そんなもの、出てくるのか?

 企業、政府といった「権力」は、その暗部を暴き、足をすくおうと手ぐすね引いている「ジャーナリズム」と当然ながら対峙する。そのパワーゲームに対抗するためには、「ジャーナリズム」側にも個人だけでなく組織の力があった方がよいと考えるのが自然だ。実際、新聞社や出版社は、だから本社玄関に屈強な警備員を配置し、社内一優秀な社員を法務部に集めている。

 だが、それでも最近は記事の内容で名誉毀損だの損害賠償だの訴えられて、実被害を認定されるケースが増えている。もちろん、その訴訟費用の負担や賠償責任は直接個人に降りかからないようになっている分、大手商業メディアに所属した方がリスクが少ないと言えばその通りだ。

 だが、だから何なのか?公の場に虚偽の内容を発表して迷惑をかければ、個人だろうが組織だろうが訴えられて、カネを払わなければならなくなるリスクは同じ。だから、訴訟リスク負担の差をもって「個人でニュースを書くジャーナリストなど存立し得ない」などという結論は出ない。勝Pとか戦争系以外のそういう個人ジャーナリストの名前をあまり見かけないから一般人には分からないだろうが、自力で調べたニュースを持ち込むフリーランスのジャーナリストは、日本にだってたくさんいる。

 じゃ、何でネットにはニュースがあまり出なくて、紙や電波媒体には出るのか。そりゃ、簡単な話だ。既存媒体の方がニュースの持ち主にたくさんカネを払うから。つまりニュースを買って売ることで売り上げを得る仕組みができているからだ。

 隊長の突っ込みエントリのコメント欄の22番が「インベスティゲーティブ・ジャーナリズム」つまり日本語で言う「調査報道」という言葉を出しているが、これこそがネット・ジャーナリズムの議論の核心だ。

 つまり、インターネット上のアマチュア・ジャーナリズムがどんなに進化しても、今のところ持てそうな見込みの立っていない、そして既存のマスメディアにはある唯一の機能、それは「カネと時間をかけて、隠された事実を調べて明らかにする“調査報道”が(継続的に)できるかどうか」、この1点に尽きる。それ以外はすべてネットで代替可能である(注:たまたま事件の現場に居合わせた人が1次情報をレポートするのは、「ジャーナリズムではない」と、ブログのエバンジェリストであるRebecca Bloodは述べている)。

 逆に言えば、世の中の多くの人がクソ記事のたくさん載っている新聞や雑誌を月や年単位で定期購読するのも、「たまにはこいつらも、度肝を抜くような調査報道をやって政府や企業のオエライさんどもの鼻をあかしてくれるからなぁ~」と思ってくれているからだ。…とゆーかたぶんそうじゃないかと思ったりしている(弱気)。でなきゃウェブサイトや電車の中吊り広告だけ読んでいればいいわけで。

 山本一郎氏が何をやろうとしているのか、ここまで読まれた方はもうお気づきだろう。彼はネットメディアにも調査報道(とそれによって世の中へ影響力を持つこと)が可能であることを、身をもって証明しようとしているのだ。ま、その突破者的な手法が吉と出るか凶と出るかについては、今は言及を避けておきたいと思うが。

 さて次回、たぶん最終回だが「ではネットに調査報道の機能を持たせることは可能なのか」について考えてみたい。TBいただいているNew UnderGround Commune Styleさんのエントリへのコメントもそちらでやります。では。

12:10 午前 メディアとネット コメント (8) トラックバック (2)

2004/12/12

隊長がすごい勢いで突っ込んできた(泣)

 ちまちまちまちまと書いてる文章を、隊長がものすごい勢いで総括。しかも、気がついたらそれを見てfinalventさんも絡んで来てるし。(爆死)

 あ゛~~分かったよ分かりましたよ。いや、もう反論することなんて何もないし、ていうかあなた2回目の最後の「結論」読んどらんでしょう(笑)。ちゃんと「ジャーナリズムとしてのクオリティがどうであるか、高いか低いかと、それがプロであるかどうかは、ベクトルが違う」のだってこと、書いたからさ~。ちゃんと読んで下さいタノミマス。

 なんでこんなものちまちま書いてるかっていうと、それは19日の準備(たたき台作り)のためですよ。だいたいマスコミ人(特に編集・記者系の人)は、隊長みたく「歴史を動かすのは食えるかどうかである」なんていうマルクス的唯物史観を、なぜか自分の職業においてだけは絶対素直に認めようとしないんだよ。あちこちの記者ブログ見てて分かると思うが、もっとぐるぐる遠回りするんだからさあ。

 そういう「ぐるぐる」で貴重な休日の2時間過ごしたら、つまんないっしょ?だから彼らに納得されるだけの論理書いておこうと思ってるのよ。そんなわけでよろしく。

09:05 午前 メディアとネット コメント (0) トラックバック (0)

2004/12/11

プロのジャーナリズムとは何かについて考えてみる・その2

 前回の続きである。と、その前に、既にあちこちからTB、コメントのツッコミをいただいている。それについて触れておこう。まず、お気に入りのカレー屋さん100のとこでのエントリ。将棋の森内竜王の話をネタに「プロとなるためのあと1歩」の何たるかに関する考察を書いていた。

 これ読んで、前回付け加え忘れたなあと思った「プロであるための条件」が、あった。それは「自分ではない誰か(たいていはお客さん)のための仕事ができるか」ということだ。ま、これはジャーナリズムの場合、僕が前回挙げた「テクストに含まれているべき3つの要素」に含まれていると言えば含まれているのだけれど。

 そして、この点についてTBをくれたもう1つのサイト、einzbrenさんがMovableTypeとの比較検討終了ブログで突っ込んでくれている。で、彼が手厳しいが非常にいい指摘をされている。引用しておこう。

それ(引用者注:他人の意見より的を得、共感を得やすい内容にするか)を満たすために、R30が指摘しているような「時期を読むセンスと唯一性」を磨く。そういう意味では実はweb上の高速道路組のが有利だ。商業におけるジャーナリズムは「煽りによる購読者集め」と「スポンサーへの擦り寄り」という「お金のための意識」が主体であって、時期を選ぶことや的を射ることに必ずしも注力できないからだ。それを補うためにあからさまな表現で個性を出そうとして、結果哀愁を漂わせている自称ジャーナリストは後を断たない。
 まさにその通りで、今の世界中の商業ジャーナリズムが直面している問題は、「時宜を伺うセンス」や「これまでになかった新しい視点」といった、ジャーナリスティックなテクストに求められる要素の3つに2つまでが、インターネットのアマチュアによって(部分的に、ではあるが)乗り越えられちゃっているということだ。このことは、以前に湯川氏@時事通信も「敗北感を感じた」と、語っている。

 これが普通の職業なら、そうはいかない。例えば前回のエントリで引用した梅田氏は、システムエンジニアのアマがプロを超えた例として広島の高校生が作ったスパコンを挙げていた。

 だが、それでは大学や企業がその高校生に研究所で使うスパコンを発注するかと言えば、たぶんそれは「否」だろう。彼は自分の興味のためにスパコンを作ったのであって、それを何億円も取って企業や大学に売っていくつもりはなかったに違いない。

 ところが、ジャーナリズムはちょっと勝手が違う。既存のマスコミ、特に新聞や雑誌系では、原稿は書いてから掲載されるまでに必ずタイムラグがある。新聞なら数時間から数日、雑誌は数日~数週間、発表が遅れる。だからまず「時宜を伺う」点でネットのスピードに勝てない。

 しかも、既存のマスコミ人で、自分の文章の読者がどのくらいいて、どう反応したかをリアルタイムに知っている人はほとんどいない。だから「お客のため」といっても、どの読者のためなのか、社の上層部のためなのか(社の上層部だって「読者」と言えば読者の1人ではあるわけだから)、あるいは広告主のためなのか、だんだん分からなくなってきてしまう。

 これに対し、ネットではPVがリアルタイムでがんがん見える。それによってアマチュアでも書き手が容易に「読者の好み」を想定してものを書くようになる。実はこの時点でプロがアマに「プロ性」で負けている。あとは、これを「継続」するアマが出てきた時点で、プロの付け入るスキはなくなる…ということになる、のかもしれない。

 だがそれでいいのか?何かまずいような気が…。と書いているのがeinzbrenさんだ。以下、ちょっと長くなるが再び引用。

インターネットは弱者が自慰行為に浸るきっかけを大幅に増やした一方で、権力者と弱者の位置付けをより明確にしてしまったのではないかと思う。だが、むしろそれが正しいインターネットなのかもしれない。現代マスメディアに依存しきってしまった大衆が真実という幻想を追いかける場所、ユートピアとして存在し続けることが出来るこの場所は、アイデンティティクライシスという精神病患者末期症状があふれる現代にこそ必要なのだ。インターネットという処方箋によって患者は生き延び、権力者は別世界でラリることはできても食うために渋々現実に顔を出す弱者から油を搾り取る。
 諧謔的な表現で意味が分かりにくいが、要するに「既存マスコミは正義を守るより、カネと政治力を持つ人々により癒着する。ネットは彼らに普段搾取されているそれ以外の貧乏人が、不満をぶちまけて鬱憤を晴らす場になるだけだ」ってことね。つまり、商業ジャーナリズムはこれからますます(もともとはその基盤としていた)大衆から遊離し、それ自体が権力側のシステムになる。クオリティが高くてもカネと権力に拮抗するリアル・パワーのないネット・ジャーナリズムなんて、意味なくない?という疑問だ。

 米国で既にそういう疑問をちゃんと叫んだ人がいる。マーキュリーニュースの技術コラムニスト、ダン・ギルモア氏だ。YAMDAS現更新履歴のところで紹介されている彼の著書「We The Media」が、クリエイティブ・コモンズのルールに基づき前文の日本語訳が公開されているので、それをお読みいただきたい。

 …彼が想像するジャーナリズムの未来とは、こうだ。商業ジャーナリズムはカネと政治の権力側につき、市場はシュリンクするもマスを押さえる広告メディアとして買収・合併を繰り返し寡占を実現しつつ何とか生き残る。だがかつてのようにウォーターゲート事件など権力者の不正を暴いた「公共に奉仕する」ジャーナリズムはメルトダウンし、消える。

 アメリカという社会が健全だなあと思うのは、そこでダン・ギルモアのように「公共に奉仕する意見を言える人間が必要だ、その機能を経済的に支えることが必要だと、我々は訴えなければならない。参加型ジャーナリズムの場に利益を生み出さなければならない」と叫ぶ人が出てくるってことだ。

 日本ではまだ現実の事態がそこまで至っていないとみんなが思っているというのもあるけれど、実際に大手マスコミの中の人の「言いたいことが言えない制約」の多さなど、米国と大して変わらない状況になりつつあるって思うんですがね。

 結論めいたことを言うなら、前回エントリにコメントしてくれたpaprikaさんの言う「食えるかどうか」という現実態としてのプロの条件と、「客のために一定水準以上のアウトプットを出し続ける」という本来的なプロの条件が、ジャーナリズムの世界においては大きくねじれてしまっている、とこういうことなわけです。

 とりあえず、第2回はここまで。こちらマルチメディア支援室 14GさんのTBについては、次回引用させていただきます。あしからず。

01:38 午後 メディアとネット コメント (1) トラックバック (3)

2004/12/10

プロのジャーナリズムとは何かについて考えてみる・その1

 以前のエントリで「不毛の論争はこれっきりだ」って宣言したのがつい数日前なんだけど、その舌の根も乾かないうちにもう一回きちんと書いてみたくなった。というのも、CNETの梅田ブログ「インターネットの普及がもたらした学習の高速道路と大渋滞」を読んで、ものすごく考えさせられたからだ。

 せっかく山本一郎@切込隊長による、身を張ってのネットジャーナリズム実験(笑)も現在進行中であることだし、ここでちょっと冷静になって、自分なりにジャーナリズムの将来について考えをまとめておきたい。ええ、もちろん「なるべく具体的」に、です。

 梅田ブログは、「インターネットはアマチュアにとっての高速道路」という将棋の羽生名人のコメントを引きながら、プロとアマのレベル差が一気に詰まった現代社会の仕組みを非常に的確に言い当てている。

 そこでは、「上達しよう」という強い意志さえあれば誰でもプロまであと一歩のところまではあっという間に到達できる。ただ、羽生名人は「その一群は、確かに一つ前の世代の並のプロは追い抜いてしまう勢いなのだが、そうやって皆で到達したところで直面する大渋滞を抜け出すには、どうも全く別の要素が必要なようである」とコメントして終わっている。

 梅田氏の思惟は、「ネット業界でも同じことが起こっている。例えば、システムエンジニアがプロと認められるための“あと一歩”とは何だろうか」という問題提起で終わっている。僕がこの記事を読んで考えたことも、まさにこれと同じだった。「いったい、ジャーナリストがプロと認められるための“あと一歩”とは何だろうか」と。

 テクストとしてだけ見た場合、例えば山本氏のキムタケに関する先日のコラム(こちらこちら)は、明らかにプロのジャーナリズムの仕事の水準に達している。

 なぜそう思うか。「今言うべきことを今言っている」という、団藤氏@朝日新聞の尊敬する新井直之教授によるジャーナリズムの基本定義(笑)を満たしていることに加えて、「独自に調べた1次情報」、「これまでになかった新しい見方」という、他人が読む価値のある文章の基本と思われる2つの要素が含まれていると思うからだ。

 最初のエントリは、冷静に読めば振興銀の中間決算発表を受けた分析に終始していて、しかもネタは週刊誌などが書いているもののまとめに過ぎない。山本氏の分析(竹中大臣とのコネクションの問題)などが若干含まれているものの、この文を読むだけで憶測の域を出ない。ただ、「中間決算発表を受けて」週刊誌発行のタイミングと合わせて出たものであり、「今書くべきこと」を書いたという意味ではとてもジャーナリスティックだ。

 2本目のエントリは、より純粋にジャーナリスティックだ。まず、「論談」に書かれていた例のネタから読みとれる今回の出来事の構図を、かつての日債銀事件と対比するという「新しい視点」が提示されている。また、複数の関係者から直接話を聞き、一般のマスメディアが書きづらい本人の人格やマスコミ某社(笑)との間の悶着まで取り上げている。これらは十分「1次情報」であり、このエントリは(完全に固有名を伏せるなど表現手法が若干ブラックめいてはいるが)普通に見ればプロのジャーナリズムの仕事そのものだろう。

 なお、この際、山本氏がこの記事をブログで公表することによりどういう影響を狙ったかは、このテクストがジャーナリズムであるかどうかの判断条件には含めるべきでないと、僕は思う。

 思いっきりうがった見方をすれば、彼は問題の構図をおおっぴらにすることで逆説的にキムタケの命だけは守ろうとしたのかもしれないし、あるいは単に週刊誌がこのタイミングで一斉に記事を書くことを察知して自分が少し情報量でアドバンテージがあることを利用し、ネット上での売名行為に及んだだけかもしれない。

 また、今や日本のブログ・ネットワークのハブ(結節点)になってしまったキムタケブログが、そのパワーを政治的にニュートラルではない方に用いようとしはじめたのを見て危機感を覚え、彼のプライベートな人格攻撃を行うことでそのオーソリティーをぶち壊さなければという強い衝動に駆られたのかもしれない。

 しかしそれらの動機は、ジャーナリズムの本質とは関係ない。本職のすごいジャーナリストだって、そりゃあ人間として生きているわけだから様々なしがらみがその裏側にあるし、公共のためなのか私怨なのか区別できないような記事を書くことだってしょっちゅうなのだ。大切なことは、科学者と同じで「どんな研究(記事)を世に出そうが、その引き起こす社会的影響を自分の責任として受け止める」覚悟があるかどうかだけである。

 では、これだけジャーナリズムとしてのクオリティのある記事を書いた山本氏は、果たして「ジャーナリスト」なのかどうか。

 恐らくこのエントリを書いて発表した瞬間の彼は「そうだ」と言えるかもしれない。だが同時に、表に見える範囲で彼がこの記事を書いてカネを稼いだわけではないし、またこうしたクオリティの記事を彼が今後も常にブログに発表し続けるとも到底思えない。

 なぜなら、普通これだけのレベルの記事を書き続けようと思えば、片手間ではできない取材の手間がかかるわけで、一生食っていけるだけの現金がある金持ちが道楽としてやるならともかく、普通はまず「継続」し得ない。彼が「自分はジャーナリストたろうともしていないし、そうであるとも思っていない」と以前のエントリで書いているのはまさにこの点に基づくはずだ。

 繰り返すが、このテクストだけを見た時、山本氏は明らかにトップクラスのジャーナリズムを体現している。だがそれが羽生名人の言う「プロと認められるための“あと一歩”」を超えていないし超えるつもりもないと彼が自称するのは、その水準が「継続しない/できない」からではないだろうか。

 たぶん、アマチュアからプロになるということはそういうことだ。ある水準以上のクオリティーを、常に継続してアウトプットすることが「プロ」のプロたるゆえんなのだと、僕は思う。当たり前と言えば、当たり前すぎる結論ではあるのだが。

 以下、その2に続きます。

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2004/12/03

マスゴミの人と議論することの難しさ

 真夜中に「やれやれぇ」とか言いながらビール飲みつつけしかけてたら、本当に始まっちまいましたよ焦土戦争(爆)。切込隊長はんも、オトコですの~。確かに、ニフティーサーブのフォーラムでこんなのあったよな昔。あまりに香ばしくて、もうツリーごと放置モードみたいな不毛の応酬。

 で、反応してるブログとかコメントとか一通り読んで回ったんだけど、なんつーかもうネットジャーナリズムがどーたらいう範疇を超えてるな、これ。「ブログで2ちゃん並みの焦土戦争はどこまで可能か」が裏テーマになってね?(笑)まあ、お二人ともどっちかが音を上げるまでがんばってくださいって思うわけですが。

 でもさあ、やっぱりバラエティ系ブログって同じ話題が延々並んでてもキモイし、やっぱこんな不毛の論争で自分のブログ汚したくないわけさ。それで、その他のROMな方々にも楽しんで(何が論点なのか分かって)もらいたくてオチャラケた(相対化する)書き方しかしてこなかった。

 今もこのスタンスが変わったわけじゃないので、この件でエントリ入れるのはこれで最後にするつもり。それとあらかじめ言っておくけど、僕が見て意味不明と思える非建設的なコメントやTB打ってくる人がいたら、速攻で削除させていただきますんで念のため。

 とはいえ、オチャラケを誤解された挙げ句に全然意味不明のケンカ売られたら、僕としてもちょっと2~3個ばかり買っとくしかないかなあと。

 で、切込ブログにTBスパム送っている団藤氏@ブログ初心者についてですが。

 切込隊長が、そして僕も湯川氏@時事通信も言ってきたのは、「ネット上で意見を書きっ放すだけなら誰だってできるけど、それが知の営為として継続し集積され“続ける”んでなけりゃ、現実社会の中でそれが“ジャーナリズム”であるとは認知されんでしょうよ」ってことなんだよ。湯川vs切込論争の中で提示された「参加型ジャーナリズムの定義」っていうところを読んでもらえれば、その意味が分かると思う。

 で、それに対して団藤氏が最初のエントリで提示したのは、新井直之(75歳)という、共同通信記者を経て創価大学教授になり左派系の立場からマスコミ批評を始めた、しかもインターネットが登場するはるか以前の(1960年代の)論者という、ものすごく香ばしい人のアナクロなジャーナリズムの定義なわけですよ。それでいて切込氏や僕のブログをまったく読んでいないのかというと、「ブログの上で読むのが大変なぐらい長くて、熱い議論が交わされてきました」ってちゃんと書いてるもんだから、「あんた人の話をちゃんと聞いとんのかい」と、切込氏がばっさり斬りかかったわけです。

 ちなみに指摘しておくと、団藤氏が引いた新井直之のジャーナリズムの定義は、「素人がものを言ってもそれはジャーナリズムである」という一点(切込氏による参加型ジャーナリズムの定義のAのみ)しか満たしてないわけだ。

 ところが、これに対して団藤氏の反論がめちゃくちゃ痛々しい。「切込隊長はマスメディアのことをジャーナリズムと置き換えても何の不自然さもない」という彼の指摘(批判??)は、彼の最初のエントリが引用しているソキウスの「ジャーナリズム論」の一番最初に書かれているくだりをそのまま切込氏に投げ返しただけなのであるが、何の反論にもなってないわけだ。だって切込氏や湯川氏は、まさに産業としてのネット・ジャーナリズムについて議論してきたのであって、別に75歳の赤くて創価の爺ちゃんが唱えるジャーナリズムの理念について議論してきたわけではないからである。

 この、論理的に自分の立ち位置をまったく自覚していない痛々しさに加えて、団藤氏が決定的に口をすべらしたなあと思うのは、彼が反論エントリの中に、

はっきり言って、私には「切込隊長」氏がジャーナリストたろうとしているとは思えない。
 という一文を書いちゃったことだ。

 なぜなら、彼は最初のエントリで「ジャーナリズムとは『隠されがちな事実を伝え、見えなかった意味を言う』ことなのです。これはプロにも素人にも限定されません。」と定義し、さらにその後の引用で、何が目から鱗なのかよく分からないが、自分の意見を言うこともジャーナリズムに含まれる意のことを言っている。だったら切込隊長ブログなんてジャーナリズムそのものじゃないですか。

 真っ向から反論するつもりなら、頭を冷やして筆が走るのを抑え、「私には切込隊長氏の言っているものだけがジャーナリズムだとは思わない」、と冷静に書いておくべきだったろう。あのくだりに対して謝罪を書かない限り、団藤氏は完全に論理破綻していると言われても否定できまい。

 さて、返す刀で団藤氏以外のブログ・コメントについてもざっと紹介&補足を述べておく。

 「finalventの日記」でも、この件が触れられていたが、finalvent氏はこの論争の意味不明さについてぼやくと同時に、団藤ブログが一般のブログとは違う不思議な香ばしさを漂わせていることもそれとなく指摘している。まあ、言うなればこいつ第2のキムタケを目指してるんじゃないか?ってことでしょうね。僕もそう思いますハイ。

 次に、このブログにもTBを送ってくれた「at most countable」さんのとこ。風邪をこじらせてらっしゃるようで、まずはお大事に。で、僕の前のエントリの「スポーツは参加型ジャーナリズムの安全ゾーン」ってコメントしたのにひっかかってらっしゃるみたい。ので、補足しておきます。

 切込氏や湯川氏、そして僕が可能性について議論している「ジャーナリズム」が想定する対象は、企業、政治といった「当事者たちがそもそも外野からあーだこーだ論評されたくないと思っている、論評されること自体が彼らの食い扶持にとって時に死活問題になる」といった領域なんだと思う。その意味で、人口に膾炙してナンボ、チョーさんでもナベツネでも何でも良いから話題振りまいてナンボ、のスポーツとはちょっとワケが違うよ、と言いたかったのだ。

 実際、スポーツでも試合内容や業界動向の批評とかはサポティスタみたいな掲示板+まとめサイトが存在して機能してるわけだし。だけどサポティスタの浜村さんとか岡田さんが、ネット上のサポティスタそのもので「食っている」かというとこれは否だ。あちこちの雑誌に連載を持ったり、本を出したりして生活してるわけで、その意味ではサポティスタは「参加型ジャーナリズム」の機能の完成形ではあるけれども、ビジネスとしてsustainableであるかと言えばそうではない。

 僕や切込隊長、そして湯川氏らが恐らく夢想しているのは、浜村さんや岡田さんがウェブのサポティスタだけで食っていけるような世の中なのだ。で、それにはどうしたらいいんだろね?技術?それとも資本?それとも人?みたいな議論が、今行われてるネット・ジャーナリズムの議論だと思うのですよ。

 次。参加型ジャーナリズムを卒論にしたというyosomiさんとこのエントリ。貴方も切込隊長に劣らずオトコですね。がんばってください。で、彼のコメント「(マスメディアの中の人で)経営感覚に関する主張をしている人がほとんどいない。お金持ちが多いんだ、きっと。」いいとこついてきますねえ。団藤氏もお金持ちなんですよ、きっと。研究の成果、楽しみにしてますよホントに。ぜひ大手新聞社各社に経営の詳細をヒアリングしに行ってみてくださいな。んで、書けたらネットで公開してね。

 TBくれたmiamotoさんとこのエントリ。「R30タソのゆるーいエントリーに激しく共感」アリガトーゴザイマース(笑)。とりあえずこれが一般人の反応ですよ?>団藤タソ

 で、最後に団藤先生の反論エントリの一番最後に戻る。

 ところで「R30」氏は「ネットジャーナリズム・ウヨサヨ論」で「何で切込隊長とか湯川氏とか僕とかがこんなに口角泡をとばしてネットジャーナリズムの産業化の可能性について議論してるのか、全然わかんなくなっちゃうじゃーん」とおっしゃっている。お気遣い無く、ご自分のペースで議論をされたらと思う。
 「ご自分のペース」って何デスカ?絡んできたの、貴方ですが何か?自分の言ってることの意味、分かってるのかなこの人。マスゴミに20年も漬かった人と議論するの、本当に難しいですわ。(byまだ9年目の小僧)

11:36 午前 メディアとネット コメント (5) トラックバック (8)

2004/12/02

ネットジャーナリズム・ウヨサヨ論

 ネット・ジャーナリズムの議論も、本当にエンドレスですなあ。ま、この業界に長く身を置いてきた皆さんの鬱憤がいろいろな意味で沸点に達しつつある状況を見れば、ある意味当然かとも思われるんですがね。

 んで、実質2本目のエントリを入れたばかりの団藤保晴氏のブログにすごい勢いで切込隊長氏がかみついているのを見て、まーなんというか、もっとやれやれみたいな(笑)。今さら僕が入っていっても、議論が重箱の隅に突撃するだけのような気もするし、まったくどうでもいい。

 それよりも、何だかこの延々と繰り返されてきたような気がする砂をかむようなすれ違い感覚は、どこから生まれてくるのかと遡及して考えてしまう。

 で、前々からこの手のすれ違い感ってあちこちで体感するような気がしていたんだけど、どうにも言葉にまとまらない。まとまらないんだけど何となく口に出してみるテスツ。ま、何の論理的根拠もないので読んでむかついた人はスルーして下さい。

 団藤氏と切込氏のすれ違いは、とりも直さずまた再び「ジャーナリズム」の定義をめぐってに見える。戯画的に表現すると、こんな感じかな。団藤氏が「世の中の事象とその意味を自分なりに語れば、それはプロもアマもみんなジャーナリズムさっ」とかいって、原理主義というかノーテンキ論というかいわゆる「サヨ」的夢トークをぶちまけた瞬間に、切込氏が「だ・か・ら、食って行けなきゃしょうがねーって言ってんだヨ!!」みたいな「ウヨ」的回し蹴り炸裂。

 よーするに社会“学”的な「事実+意見の表明」っていうものと、現実の経済における「職業としてのウンタラ」みたいなものの混同が、あれだけ議論して「やっぱ実践あるのみだよな」って落としたにも関わらず、また新たな論者の登場によって振り出しに戻ってるわけだ。てか、も~つきあいきれんよこの堂々巡り。

 なぜこの手のトートロジーが生まれるのか。それってばたぶんこの2つの思考が、ウヨ・サヨみたいな意味の、ある種のアプリオリな「イデオロギー」から生まれてくるものだからじゃないでしょうかね。

 すっごく乱暴な言い方をすれば、切込隊長氏には、多方向的な議論の生み出す新しい言論の次元といったネットジャーナリズムの理念は理解し湯川氏と共有しつつも、毎日必死でカネ稼いで自分と社員を食わせていくためにはそんなアマチャンなこと言ってても俺の一日は始まらねえんだよ資本主義では!みたいな、ITベンチャー的国民派ウヨの現実認識ががっちりあるわけだ。

 これに対して、団藤氏は立ち位置として大手新聞社の中にいて食うには全く困らず岩波の雑誌にも寄稿しちゃったりする典型サヨ知識人生活を送りつつ、ネット内のあちこちの一般庶民がピーチクパーチク言うのをもっと多くの社会の人々に聞いてもらえば世の中もっと真っ当になるに違いない、そうだよ民主主義を追い求めていけば(中略)みんなが幸せになる、みたいな、資本主義社会とのアウフヘーベン(or打倒)が無限遠点の理想としてはあるんだろうね。

 そう考えると…うわ、不毛だなこの議論どうしようもねえ(笑)。

 個人的には(というか僕が仕事しているメディアも)発想は切込隊長氏(=ウヨ)に近いので、団藤氏がどうしても話を振り出しに戻したように見えてしょうがないんであるが、こちらのブログの反応なんかを見たりしていると、世の中には団藤氏的イデオロギーに「そうだそうだ」的共感を示す人たちもいるってことですな。

 ちなみに団藤氏に賛意を示してるそのブログで例として上がってるのがサポティスタだったりnakata.netだったりするわけだが、nakata.netはただのイケメンファッションモデルのプロモサイトだし、サポティスタはそれ自体としては別にただのまとめサイトだし。しかもどっちもスポーツなんていう、赤提灯で飲んだくれた親父でもピーチクパーチク言えるように作ってある「安全ゾーン」なネタが対象だし。なんか全然ネットジャーナリズムの例になってませんよ?あ、それがジャーナリズムですかそうですか。

 団藤氏が2ちゃんのまとめサイト的なものを指してジャーナリズムと呼んでいるのなら、それはそれでまあいいんだけど、だったら何で切込隊長とか湯川氏とか僕とかがこんなに口角泡をとばしてネットジャーナリズムの産業化の可能性について議論してるのか、全然わかんなくなっちゃうじゃーん(笑)。ていうかあんな脱力なコラム今さら書かないでくださいおながいします、もうちょっと空気嫁ってことでFAかな。ネタニマジレス、カコワルイ>俺。

11:52 午後 メディアとネット コメント (1) トラックバック (6)

2004/11/26

はてなの将来と「参加型ジャーナリズム」

 なんか前のエントリで「詳しくは週末に投稿します」とか言ってたら年末進行で忙しいはずの山本一郎@切込隊長がなぜかものすごい勢いで類似エントリを放り込んできたので、生煮えでも早くネタ提供しておくべきかなと思って参戦する次第。

 その前から湯川氏@時事通信のブログで「参加型ジャーナリズム」のための技術革新の話、それから報道ビジネス研究会のブログでも「特ダネ競争よりも配信経路にニュースの価値があるのでは」という、techdirtのサイトの投稿が紹介されていた。

 いやね、techdirtの話はね、もう分かってる人は分かってて、後は「誰がやるか」ってことだけなんですよ。えーと具体的に誰とか聞かないでね(笑)。今まで僕がやろうとしてきたこともまさにそういうことだっt(以下検閲削除)。そういう意味では「技術革新なんか別に要らなくて、そういうビジネスモデルを実際に企画してやるやつがいねーだけなんだよ」という切込氏の主張に全面的に大賛成するものであります。

 で、このエントリのタイトルなわけですが、つまり人力検索システムとしての「はてな」というのは、切込氏が言うような「専門性」つまり読者をその関心対象や得意分野によって分類しコミュニティーに帰属させる仕組みと、「モデレーション」つまりポイントを使って読者により有用性の高い知見を表明するよう動機づけ、出された知見を評価する仕組みとを、既に両方持ちあわせた秀逸なシステムなわけですよ。これだけでも十分湯川氏に対する反論になってると思う。

 僕が思うに、もしかして参加型ジャーナリズムのプラットフォームになるかもしれないはてなに今決定的に足りないものは、2つある。1つはこういうニュースあるいはトピックの知的消化のスパイラルシステムをまさに必要としている人(切込氏の言う「実際に問題に直面しているマネージメントクラスの社会人」)を、リアル社会からはてなの中にまで引っ張ってくるだけのプロモーション手段と資金力。

 もう1つは、はてなでのQ&Aを、切込氏の言う「消費されるトピックとしてのフロー」ではなく「構造的な議案についての知見」と見なし、これにオープンネットでタダであふれかえるフロー情報とは全く別次元の商品価値を与えて、僕の言う「特定多数向けのビジネス」に変える商才、である。

 おそらくこの2つは、ご覧の通り鶏と卵のような関係でもあるので、現状のはてなが自身の中から生み出すことはできないものだと思う。ぶっちゃけて言えば、リアルのメディアと組むことでしか実現しえない。(今回の住所登録義務化の話だって、正しいビジネス化のプロセスが分かってないからあんな話が出てきたのだ、と僕は思っている)

 前回のエントリで書いたように、誰もが「特定多数」のコミュニティーに属し、その中で渦巻く「コミュニティーの人々のための情報」にしか関心を持たなくなるような意識構造が、膨大なマスコミ情報の氾濫とネットの普及という2つの流れの中で世の中の人にどんどんできあがってきている。

 マスコミの情報洪水から身を守るため、あえてコミュニティー内に閉じこもって情報を遮断して暮らそうとしている人々にてめーの情報(ニュース)を伝達しようと思ったら、内容を極めて万人向けの安易でサプライジングなものにするか、あるいはそのコミュニティーに情報を流通させる権限を持っている人に気に入ってもらうか、どっちかしかあり得ないわけだ。

 経営組織論という学問の中で、この「外部情報と接触して、それを選別して組織内に流通させる権限を持つ人」というのは「ゲートキーパー」と呼ばれる。ゲートキーパーとされるのは、組織内にごくわずかしか知り合いがいないような一見窓際系に見える人であることが多いが、実際には組織内の誰よりも圧倒的な外部情報網を持ち、それゆえに組織トップの意思決定をはじめ、組織内のメンバーの行動様式に大きな影響を持つ存在とされている。

 参加型ジャーナリズムでは、メディア(ジャーナリズム)がコミュニティーに属する人々からこの「ゲートキーパー役」のポジションに見なしてもらえるかどうかで成否が決まる。従来、人がコミュニティー内においてただのメンバーなのかそれともゲートキーパーなのかを可視化して知ることはできないと考えられていた。しかしはてなのようにコミュニティー内で頻繁に流通するポイントを使ってモデレーションを行えば、それが可視化できる。つまり可視化できるということは、メディアが自分の「ゲートキーパー度」をきちん確かめ、それによってコミュニティーを統計的にマネジメントすることが可能だということだ。

 モデレーションシステムを通じたコミュニティーメディアの働きの可視化という点では、はてな以外にもスラッシュドットなどがその先駆事例だと思う。要は、ネットの世界はたいていの技術は探せばどこかにある、のである。

 どうもこのことに、ライブドアも気がついているらしいということは、某社長日記でも明らかにされている。湯川氏が「技術革新が起こるまで~」とか間抜けなことを言っている間に、分かってるやつはもう動き出してるってことなのですよ。Welcome to the NEW ECONOMY!ニューエコノミーの世界へようこそ!!(笑)

 あーあ、全部言っちゃった。まあいいや。切込隊長みたいに分かりやすく喩えを並べるなんて親切まったくしなかったし(切込氏があのエントリ書いたのは、デビルマンネタを参加型ジャーナリズムと結びつけて語ったら面白い!って夜中の12時ぐらいに思いついたからに違いない。絶対そうだ)、この抽象的な文章読み切る奴なんてほとんどいないでしょ。ま、分かる人なら分かるってことでそれ以外の人はスルーしてよし。では。

(8:00追記)蛇足ながら付け加えておくと、コミュニティー・マーケティングというのは究極のダイレクト・マーケティングである。この領域に踏み込むということは、メディアがマスからワン・トゥ・ワンへ、マーケティングスタイルを180度転換するということに他ならない。だから(ビジネスモデルから、スタッフ一人ひとりの意識に至るまで)これまでの成功体験をいったんすべて捨てる決断が必要なのである。

03:03 午前 メディアとネット コメント (4) トラックバック (8)

2004/11/25

はてなが住所登録義務化を撤回

 ついさっきメールが来ていた。リリースのリンクはこちら

 この件については僕もアンテナや検索を使っており、ダイアリーも利用を検討しているところだったので、かなり関心を持ってウオッチしていた。とりあえず法曹の専門家からでさえ疑問が唱えられていた一律義務化が全面撤回されたことで、はてなというコミュニティーが守れたことは良かったと思う。というか、おそらくコミュニティー崩壊の一歩手前まで行っていたのだろう。実際、アンテナしか使ってない僕でさえ逃げ出す準備をしていたぐらいだから(笑)。

 はてなについては、少しじっくりと語りたいことがあったのだけれど、この話題が落ち着かないことには…と思っていた。今週末にでも、はてなについて思うことを書いてみたい。

 まあとりあえずは近藤社長、大英断でした。お疲れさまとだけ、申し上げておきます。

10:49 午後 メディアとネット コメント (0) トラックバック (0)

2004/11/17

湯川vs切込論争に思う、ネット・ジャーナリズム論の不毛

 湯川鶴章氏@時事通信切込隊長氏との間で、ネットがリアル世論に比肩する世論を形成しうるかという話が議論になっている。「世論形成」の話が議論になっているはず、だったのに論点がだんだんとずれていき、結局「ネットのジャーナリズムはそれ自体として独立した(ネタ振りの)役割を果たせるか」みたいな方向に行き着いてしまった。なんだかなあ。

 議論を見ると、もともとの世論形成のメカニズムについては、さすがに切込隊長のほうが統計や投票行動分析などの知識を持っているだけあって、単なる印象論で語る湯川氏とは議論の精緻さが全然違うと思えた。特に、「世論」という、社会学的に定義すればそもそも狭いメディア業界の枠を超えたところに存在する言葉を、議論のきっかけになった最初のエントリに書いたという時点で湯川氏の論が「甘い」だけのような気がするのだけれどね。

 まあ、彼のブログは「あちこちに議論を誘発する」のが主たる目的なので、議論に勝とうが負けようが「切込隊長が議論を挑んできた」というだけで、既に彼自身の目的は達成されたも同然だと思うわけだが。

 最近、ネットとジャーナリズムの関係みたいな話がやたらと喧しい(それもただネットの側だけで)が、騒ぎ立てている当の本人というのが週刊木村剛みたいなポジショントーク入りまくりの政治的なブログだったり、新潟中越地震の2chソースな告発だったりするので、なんか参戦しようという気になれなかった。

 なぜかというと、今回の湯川vs切込論争を見ても分かるように、そもそも「ジャーナリズム」というものの定義が論者によって相当違う。湯川氏の所属する通信社のように、小さな街ネタから国際政治の先端のスクープまで、あらゆる「1次情報」をかき集めてホールセールするジャーナリズムもあれば、読売、朝日に代表される全国紙のように取材した1次情報を核に自分のパーセプションをちょっとまぶして「1.5次情報」みたいにして小売りするジャーナリズム、1次情報は他紙からもらいつつ地域性やエンタメ性を加味して再構成して小売りする地方紙や夕刊紙、また単純な1次情報ではなく「識者」や「業界関係者」の2次情報も含めて取材し、パーセプションのユニークさで読ませる週刊誌、1次も2次もほとんどよそから借りてきてタダで垂れ流し、広告をくっつけるだけでカネを稼ぐ民放テレビなど、それはそれはたくさんのビジネスモデルがあるわけである。

 それを十派ひとからげに「ジャーナリズム」という言葉でくくって批判したり、ネットと対比したりしようというのは、いくらなんでも暴挙だと僕は思う。で、この手の議論は結局「ジャーナリストの全員がそんな人ではないと信じてほしい」みたいな、小学生の道徳の時間みたいな結論で終わる。きちんとセグメントができてない所以である。しかも湯川氏の論題は「世論」ときた。そもそもビジネスモデルが全然違う企業が無数にある業界の総称なのに、マスコミの言うことが「世論」だなんて、誰が決めましたか?

 実際のところ、マスコミだって日々「世論」を調査したり追いかけたり代弁したりといった努力をしているのだ。「ネット世論は社会の世論に融合するか」なんて表現、「社会の世論=マスコミの論調」と勘違いしてるメディア業界関係者の驕りから出た以外の何物でもないと思うよ。切込氏の言う通り、「世論とは単なる割合の問題」なのだ。

 で、僕がこの議論を見ていて非常に興味深いなあと思ったのは、ここからである。2ちゃんねるのサーバー管理チームの中核でもあった切込氏が、2ちゃんねるとテレビの広告価値を比較して次のように述べている点だ。

 未来永劫という保証はないにせよ、少なくとも向こう5年から10年ぐらいまでは(ネットがジャーナリズムの1つの形に成ることについて)絶望的である。テレビとの比較が出たので考察するが、例えば2ちゃんねるの正味ユーザー数はおよそ200万人から250万人程度である。日本最大級のコミュニティとして成立しているが、その実態は視聴率1.6%程度、GRPにして月間40ポイント程度の代物である。
 しかも、取り扱うべき情報は多岐に渡るため、コミュニティ一個あたりの視聴率は板数200程度の人口密度によって按分される。したがって、2ちゃんねるの限界収益はテレビ業界の標準を考えるならば年間4億円程度である。 (切込隊長ブログ「新聞業界がこの先生きのこるには
   もちろん、ここで切込氏が言っているのは、おそらく非常に単純にバナー広告という無差別なプロモーションのレベルの広告価値のことなので、2ちゃんねるを「クチコミのパブリシティ媒体」に使う場合の価値などは含まれていないだろうと思う。だが、「既存マスコミと同じ土俵に乗ったら、ネットのプレゼンスなんて鼻クソ以下ですよ」というのを、この数字以上にはっきり証明しているものもない。

 だから、湯川氏はあまり表層的なレベル、例えば「世論形成に果たす役割」といったような既存マスコミの作った土俵の上でネットメディアとリアルメディアの優劣を論じるのでなく、ネットがリアルメディアにないどんな機能を持っていて、それを使ってどんなことができるのか、リアルメディアをどう補完すれば「面白い」&「カネになる」のかを論じた方がいいんじゃないか。

 そんなことはこの業界の人間だって皆必死になって朝夕考えていると思われるかもしれないが、まさにこの部分が「ネットの意見を聞かない」マスコミの悪い点で、ネットがすごい勢いで普及しているというのは、誰もが頭では分かっているのだけれど、それが自分たちの既得権益をがしがしと浸食していると感じた瞬間に、ネットをどう取り込むかということよりもネットを無視し、抑圧するという方向に(湯川氏が言うように、特に経営に近い人ほど)舵を切りたがるのだ。

 だから既得権益の浸食よりも、ネットという技術的・意識的なイノベーションを事業にどう取り込むと「面白い」そして「カネになるか」を論証して見せた方がずっと有益なんじゃないか、と僕は思う。それでもワカラン人はワカランというだろうけど、別に経営トップが変わらなくてもミドルクラスだけでも意識が変わってくれば、いろいろと前向きな変化も生まれてくるだろうしね。

 それとあと1つ思うのは、マスコミはもう少しダイレクトマーケティングの重要さを学んだ方がいいということだ。マスコミは未だに圧倒的多数の「不特定」な大衆に情報を届けられることをパワーだと思っている節がある。それはそれで否定しないのだが、一方で「特定」多数の人々の中だけでシェアされている情報が近年どんどん増えていて、しかもマスコミはそのことをまったく知らないということを、もう少し真摯に捉えた方がいい。

 ネットに関して言うと、無料で見られるブログやらニュースサイトやらの世界というのは、実はインターネットのごく一部に過ぎない。ユーザー認証のかかった掲示板や情報サービスには、google先生も教えてくれず、切込隊長も書いてくれない(笑)、もっと密度の濃い価値ある情報が飛び交っている。

 ネットのオープン領域は広告市場が急成長していることもあって皆注目しがちだが、僕は、マスコミ各社はそんなところはどうでもいいと割り切り、むしろ「ユーザー認証」領域でのビジネスモデル構築にもっと必死にならないといけないと思う。端的に言えば、この領域は顧客DBとコンテンツDBを早く、しかも上手に囲い込んだ奴の勝ちである。

 例えば新聞がもしオープンネットの世界で生き残るつもりなら、リアルの新聞もリクルートやぱどのようなフリーペーパーのビジネスモデルに転向すべきだろう。この世界では、既にブログなどの技術はすごい勢いで取り込まれている。例えば「R25」のウェブサイトは、恐らくMovableTypeで実装され、トラックバック機能まで搭載されている。このスピード感がなければ、オープンネットの世界で真正面から戦っていけない。

 もし販売価格をタダにはできないというのなら、とっととオープンネットの領域で戦うことは諦めて、ユーザー認証の領域に参入して2つのDBを死にものぐるいで(ただしなるべく低コストで)囲い込むべきである。収益がどうとか販売チャネルがどうとか言っている場合ではない。でなければマスコミは、ネットに「殺さ」れはしないにせよ、今後市場の収縮の影響をもろに受けることは避けられないだろう。

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