2007/01/14

「選び、捨てる」のできないオールドメディア

 昨年から藤代さん@ガ島通信に誘われて参加していた情報ネットワーク法学会の分科会の1つ、「デジタル・ジャーナリズム研究会」が、先週の土曜日にとりあえず一段落した。とか言って、実は昨年5月から7月ぐらいまでの何回かと、昨年末の学会でのパネルディスカッションに出た以外はほとんど顔を出さなかった僕が言うようなセリフじゃないですね、「とりあえず」とか(笑)。お前が何やったんだよ、と怒鳴られそう。

 で、最終回のテーマは「ジャーナリズムと経営」ということだったらしい(らしい、というのは、所用で参加が1時間弱遅れて、前半の議論にほとんどついていけなかったから)。実はどうやら僕に司会みたいな役割が期待されていたらしいのだけど、遅れて行ってみたら既に別の人が司会役をやらされていて、僕は最後までまったく何の役にも立たなかった。まったくもって使えねえ奴でございます。

 最初の回で「ジャーナリズムの定義」というテーマで「ネットの言論はフラットかそうじゃないか」で議論が堂々巡りしているのを見て「なんて不毛な研究会だ」と呆れていたにしては、昨年末の研究大会でのパネルディスカッションはずいぶんと面白かった。そして最終回の議論も、まあいろいろな意味で興味深いものではあった。

 プレゼンターはとあるネット媒体のニュース欄担当の方と、戦略ファームのコンサルタントの方の2人で、僕は後者のプレゼンの最中に会場にたどり着いたのだが、新聞を中心としたオールドメディア関係者の方々はそのプレゼン内容をどう理解して良いのやら分からず、無反応状態(笑)。ま、そりゃそうだよな。メディア業界って、自社の財務諸表すら見たことない人たちの集まりですからね。「コストに占める変動費比率が~」とか「保有するコンテンツのマネタイズが~」とか言われても、宇宙人と会話するぐらい訳分かりませんって言われるのが関の山(笑)。

 コンサル氏は要するに「既存のマスメディアはファイナンス面から見る限り、決して将来が暗いわけではない」というのと「良いコンテンツを持っているがそれをうまくマネタイズできてないという意味では、オールドメディアとYouTube、MySpaceなどのweb2.0企業は同じポジションにある」ということを言いたかったようなのだけど、聞いている人たちからは「で、それって僕たちにどういう意味があんの?」的なきょとんとした雰囲気しか感じ取れなかったのが、はたから見ていて面白かった。

 その後の議論は、2人のプレゼンターのプレゼンを華麗にスルーしつつ、最近勃興してきているローカル系のネットメディアのビジネスモデルなどの話になっていったのだけど、「あそこはあーしている」「こっちはこーしている」みたいな情報交換の合間に、突然(これまた僕よりもさらに遅れてやってきた)藤代さんが、がーっと割って入ってしゃべりまくる、みたいな不思議な議事進行で、結局何がどうまとまったのかさっぱり分からずじまい。飛び交っていた事例の情報はそれなりに面白かったけど、最後まで何一つ意味のあるフレームワークも提示されなければ結論も出ないという、オールドメディア関係者と会話すると必ず陥る、絵に描いたような典型的な結末を迎えて研究会はおひらきとなった。年明け早々、まったくめでたい会でございました。

 昨年12月の学会研究大会のパネルも含め、議事録らしきものが今後まとまって出るそうなので、興味のある方は気長にそちらを待っていただくとして、ここでは僕個人の感想めいたものをちょっと述べておきたい。

 前々から思っていたことなんだが、最近改めてつくづく感じるのは、オールドメディア業界の人ってほとんどが「真面目な職人さん」なんだよね。ネット界隈の巷では「マスゴミ」なんぞと呼ばれ蔑まれているが、報道業務に「世間を自分の意のままに動かしてやろう」なんていう悪意を持って携わってる人間なんて、それこそナベツネぐらいのレベルのところにしかいなくて、ほとんどの記者は「これが社会のためになっている」と思いこんで日々体を壊す寸前まで働きづめになりながら、目の前に降ってくる事件を追い、ニュースをさばき、取材をこなしているのが実態なんだよね。だから、あまり知られてないけど、マスコミって40代半ばぐらいでからだボロボロになって突然死しちゃう人とか、20~30代でうつ病になって失踪したり自殺したり引き篭もっちゃったりする人とか、普通の企業に比べてめちゃくちゃ多いわけで。

 で、幸いにもそういう過酷な環境でドロップアウトしなかった人が生き残って上に上り詰めて「経営者」になるわけなんだけど、上り詰める人もはっきり言ってただの「真面目な職人さん」の一種に過ぎないのだね。たまたま多少「真面目」度がちょびっと低かったりとか、ローテーションの運に恵まれたりとかいう事情があって、過労死しなくて済んだだけのことで、本質的には一兵卒の「真面目な職人」と何ら違う人種じゃない。

 こういう悪意もかけらも持たない、心から「メディア」という仕事を天職だとか思いこんでいる善意の固まりの真面目な「職人」が、メディアという事業のマネジメントをやることの弊害というのが、実は甚だ大きい。なぜかというと、真面目な職人というのはその真面目さゆえに、やるべきこととそうでないこととを冷徹に選び取り、残りをばっさり捨てるということができないからだ。

 「あなたは真面目で誠実なんです、そしてそれこそがあなたの最大の欠点なのです」なんて言われたら、人間誰しも自分が人格否定されたとしか思わないだろうから、誰もそういうことは当の本人に面と向かって言ったりしないのだけど、実際メディアビジネスに関わっている人の最大の致命的な欠点とは、彼らが「真面目で誠実」であり、まさにそれ故にビジネスをしていくうえでの冷徹かつ大胆な取捨選択の判断が下せないことなのだ。

 DJ研最終回のプレゼンターの某コンサル氏によれば、「実際問題としてオールドメディアの方がネットメディアより従業員の年俸も圧倒的に高く、仕事自体公共性が高いと言われてもいるはずなのに、オールドメディアの従業員のモチベーションはネットメディアより全然低い」。このパラドクスの原因は、結局オールドメディアの人々というのが上から下まで誰も「選び、捨てる」という経営的判断ができないことにある、と僕は思う。

 かつては僕は「メディア業界がダメなのはメディア企業の経営トップが無能ゆえである」と思っていたが、最近は少し違うと思うようになった。なぜかというと、優れた企業というのは経営トップだけでなく、役員会からミドル、現場まであらゆるレベルの階層で、従業員が「経営」的な視点からの判断を下そうとするのを重んじる組織文化があるからだ。

 例えば、トヨタといえばトヨタ生産方式(TPS)やトヨタウェイなどが有名だが、世の中の多くの人がTPSやトヨタウェイを「現場が一定のルールに従うだけで自動的に生産性が上がっていく」ような管理システムや行動規範だと思っているのではないか。でもそれは、全然違う。トヨタという会社は、役員から現場の新人社員に至るまで、組織内のあらゆるレベル、あらゆる職種の人間に「経営視点からの判断」を求める組織風土がある。そして、それこそがTPSやトヨタウェイの本質だ。トヨタの社員は、1人1人が毎日毎日「我々は会社全体、事業全体、SCM全体から見てこの仕事をやるべきか、やるべきでないか」ということを考えて、取捨選択をし続けているのである。

 オールドメディアの業界の人で、会社の経営方針や業界の行く末に関して不満や不安、愚痴を漏らしたり、経営トップやミドルマネジメントをくさしたりする人はいくらでもいるけれど、自分が今やっている仕事が会社の、事業の、あるいは業界全体から見てどうして必要なのか、あるべき姿とは何なのか、そこに近づくためにはやるべきなのかやるべきでないか、やるべきとしたらどのようにした方が良いのか、といったことをきちんと筋道立てて議論できる人に、残念ながらこれまでお目にかかったことがない。そういう議論ができる人は、たいてい30代半ばぐらいまででそこからいなくなる。メディアの世界に居続ける人というのは、誰もが自分の仕事に対する情熱のつぎ込み方がハンパなものではないのだけれど、一方で上から下まで、組織全体や経営的な視点から見たあるべき姿の議論というのが、極端に苦手だし、そういうことが考えられるようになることが必要だとも、誰も思ってない。

 でもそのことが、実はまだまだいくらでも「何とかしようがある」はずのオールドメディア業界を、さらに悪い方向に追い込んでいっているのだと、僕は感じている。こちらのブログでも書かれているように、成長著しいネットメディア業界だって誰もが同じようにおいしい思いをしているわけではなく、容赦ない淘汰が進んでいるのである。なのに、ネット業界のような激烈な競争もなく、ぬるい馴れ合いとさまざまな規制・保護で守られているオールドメディア業界の方がネット業界よりも士気が下がっているのだとしたら、それは他の誰のせいでもなく業界の中の人たち自身のせいでしかない。メディア業界の人たちは、自嘲気味に業界の行く末を嘆いたり経営トップの悪口を言ったりする前に、自分の意識を変えるべく他業界や他社、他人にもっと謙虚に学び、自分の業界や仕事を見る視点を上げるべきだと思う。

 というわけで、デジタル・ジャーナリズム研究会も春からまた2期目が始動するのかどうか知らないけれど、できればそういう「マネジメント」の切り口から議論を再開してほしいなあと思ったりしたのだった。出席率の異様に悪い不良会員なので、こんなとこであまり偉そうな口を叩くもんでもないと思いますが。

 あと、個人的にはネットにも今のメディアにも、何となく飽きた感が強まってきたので、今年から少し活動の領域と方向を変えて行こうかと思っております。このブログはたまーに釣り堀、ブラックジョーク、チラシの裏、またはアサマシの場としてちょろちょろ更新はしようと思いますが、僕の日々のアイデアやら動静を知りたいという方は、僕とリアルで知り合いになったうえでmixiに来られることをお勧めします。ていうか、今後は知り合いでもない方々に自分の論考をタダでは提供しないことに決めたので、あしからず(また気が変わるかもしれませんが)。リアルでおつき合いのある皆様は、今年もどうぞよろしくお願いします。

02:53 午前 メディアとネット コメント (13) トラックバック (2)

2006/12/08

コンテンツ品質とIT活用のコストはタダではありません

 なーにが「過剰」だよ。インターネットをバカにするのもいい加減にしろ。ふざけんな。僕だったらこんな仕事、7億円ぽっちじゃあ到底引き受けねーぞ。無茶言うなよ。

 過剰広報予算:小泉メルマガ、官邸HPに年間7億円超(MSN毎日インタラクティブ)

 毎週一国の総理とその閣僚に旬の話題のコラムを書かせ、誰が読んでも分かりやすいように書き直しつつ、文章の中に含まれている文言に関係する省庁すべてに筋を通すという気が遠くなるような調整作業を毎週1回のメルマガに間に合うように超スピードでこなし、しかも一方で購読者200万人に毎週同じ曜日の決まった時間に遅滞なく配信する。これだけのサーバのキャパシティを確保し、高品質のコンテンツを作り出し続けることに一体どれほどのコストがかかるか、その手間と苦労と技術水準を想像することすらできない党の党首さんに、「実は私、宮崎アニメのファンなんです」とか眠たいことをぬかして欲しくないわけですよ。もうね、豆腐の角でヘディング100回ぐらいして死んでくださいと。

 面白いことをちょこっとしゃべるだけならそりゃ小泉首相1人でもできただろうけど、あれだけ豊富な話題を、しかも旬なネタを逃さず漏らさず、きちんと拾い集めて回りながらしかも読み手にとって分かりやすく面白いコラムを数本、毎週発信するなんて、相当にプロフェッショナルな組織でなければ到底できないこと。読者がせいぜい数千数万の、誰の了解を取らなくても責任も発生しない言いたい放題の放言を党の方針に沿って書き殴り、配信数もせいぜい数千数万と、そこらのメルマガASPで十分配信できちゃう泡沫政党のメルマガやHPとは訳が違うのだよ。

 それとも、インターネットの情報発信なんてタダでもできるじゃねえかとか言いたいのかね。じゃあ、逆に紙媒体で全国200万の読者に無料で毎週2~3本の面白いコラムを送り届けるコストがどれぐらいかかるのかと、比べてみればいいよ。年間7億どころか、50億だってきかねえぞ。それを7億でやっちゃってるコストパフォーマンスを、何だと思ってるんだ。社民党は、プロフェッショナルなIT屋さんやコンテンツ屋さんの労働コストをどこまで削れば気が済むんですかね。関係者全員年収150万円ぐらいの奴隷労働者にでもなれってことですか。すんばらしい。格差社会に涙がちょちょぎれまっせ。

 そもそもこれまで、日本の政治で支持者にしか理解できないイデオロギー用語じゃなく、誰でも分かる平易な言葉で政治家や政府がステートメントを発信したのって、小泉メルマガが初めてでしょ。しかもインターネットを使いこなしている政党すらほとんど存在しなかった時代に。社民党がそこまでネットを使いこなして、ウェブの活用で先頭走ってきたから言うってんならいいけどさ。実際にはサイトデザイン1つとっても、どう見てもそうじゃないわけでしょ。むしろ社民党のこの分野の遅れっぷりは目を覆うばかり。

 社民党のウェブサイトなんて、未だに首相官邸サイトの足許にも及ばないしょぼさじゃん。トップページは可変幅でリーフは固定幅とか、バナー広告みたいなロゴ脇Flashはクリックしても微動だにしないわ、過去記事一覧へのリンクさえないわ、検索窓はGoogleそのまんまだわ(笑)。デザインポリシーもIT戦略もへったくれもないページ作ってる政党から「首相官邸がウェブサイトに金かけるとはけしからん」なんぞ、言われたかぁないわけですよ。せめて民主党のウェブサイト並みにFlashでトップナビゲーション作ったうえで「おまえら7億もかけてトップページに動的ナビゲーションさえ置けないわけ?どんなヘボ業者使ってんだよバーカ」とか言うなら分かるけどね。

 技術と戦略とコストパフォーマンスで先頭を走っている政党が「政府はもっと安くできることに金を使いすぎだ」とか言うなら分かるけどねえ。最近のはただ単に「広報とかITの戦略活用には一銭も使うな」って言ってるだけ。もうね、社民党は日本のITとネット業界関係者にケンカ売ってるとしか思えない。で、その社民党の質問に「過剰予算」とか見出し付けるマスコミもマスコミですよ。おまいら、コンテンツで飯食ってるんじゃないんかと。いったいどれだけの給料の記者を首相官邸と永田町に張り付けてんのかと。まあ、日本のマスコミにIT活用とかコンテンツ戦略がどうとか、今さら求めてもしょうがないしねえ。あーあ。どうでもいいや。しょーもないことに怒りをたたきつけちゃったかな。反省。

10:48 午後 メディアとネット コメント (48) トラックバック (15)

2006/10/26

SBの「号外」プロモーションのメディア的意味

 相変わらず派手にやってくれますな。新料金プランなどにコメントしてほしいような人もいるようだが、そっちには個人的に全然興味ないので、大西さんのとこでもお読みいただくとして、僕のほうはあえて本筋を外したコメントをしておこうかと。

 ソフトバンクの奇策 広告で「新聞号外」(Livedoor News)

 これには正直、たいしたものだなと思った。「号外」という、新聞メディアの粋とも言える発行形態を一企業が自分でビッグイベントのプロモーション手段に使い、新聞側もそれを許容して輪転機を貸してしまう?というこの事態。しかも記者会見からここまで、メッセージの組み立てやその露出させ方と、消費者を店に引きずってくるまでのプロセスとが完全に計算されている。このキャンペーン仕切った人は、広告屋冥利に尽きるでしょう。教科書の事例にしたいぐらい、見事なものだ。

 ただ、新聞業界的に言うと、広告営業的には「よくやった」なのかも知れないけれど、たぶんオールドタイプな新聞人からは「号外っていう特権的な媒体のカタチと名前を、よりによってあんな話の広告に使わせるのか。お前らにプライドってものはないのか」というため息が聞こえてきそう。(古き良き新聞人の「号外」に対するプライドというのは、それはそれはすごいものがあるのですよ)

 SBの取ったこのキャンペーンは、メディア的には2つの点で大きな意味があると思った。

 1つは、昨日発表した(それまでは社外どころか社内でも極秘だった)内容を、すぐさま版におこして印刷し、今日全国の街頭で配布するというこのプロモーション戦略のスピードを実際に可能にできる仕組みを持つマス媒体と言えば、新聞しかないということ。つまり、SBの広告がマス媒体としての新聞の大きな可能性を、世間に改めて認識させたとも言える。

 反面このキャンペーンは、はからずも「新聞の価値はその中身ではなく“情報を半日以内に物理的な手段で全国にばらまき、人々が受容する”という、その媒体の形状」にあることも明らかにしたように思える。ぶっちゃけた話、これが成功したってことは「新聞の号外に“記事”が載ってなくても、それには広告的に十分価値がある」ということを意味しているわけだから。

 今回のキャンペーンを考えたのがSB広報か代理店のどっちかは分からないが、まあ既存の代理店や新聞社の広告局からこういう発想が出てくるとはとても思えないので、恐らくSB広報に相当な切れ者がいたということなんでしょう。まあ、日本の新聞各社も、これをきっかけにして、もっと広告で工夫して稼ぐ努力をすればいいかもね。今回示されたように、媒体としての価値はまだまだいろいろなところにたっぷり残っているわけだし。

 久しぶりのエントリは結局全然SBの話じゃないけど、そんなところがオチということでひとつ。

02:12 午前 メディアとネット コメント (20) トラックバック (1)

2006/09/16

メディアの適正規模

 タイトルがややミスリーディングな気もするが、まとめてみるとなかなか示唆深い。

インタビュー:渡辺聡氏「メディアはどう変わるか(5)――メディアの適正規模とは」(FACTA Online)

 情報の流れが双方向になった瞬間、サービスはスケールするけれども、狭義の「メディア」はスケールしないということをmixiは示している。メディアをスケールさせるためには、少なくとも一次的な発信者側と受け手のレスポンスとに非対称性を持たせることが必要。

 とはいえ、あからさまな情報非対称のサービス、つまり旧来型マスメディアは、それこそ井戸端会議のネタもとの地位でもゲットしない限り、サービスとしてのネットワーク外部性が働かないため、そもそもスケールしなくなってしまう。

 ネットサービスが黒字化するラインというのは、意外に普遍的でUU20万人がボーダーである。つまりそこまでは対称性を上げていかなければならないわけで、それと情報の流れの質をどう維持するかという問題とは、バランスを取るのが非常に難しい。

 限りなく下辺の層まで取り込もうというのなら、徹底して完全な対称性を実現すればいいわけだが、実際にそこまでいくとメディアとしてのプレミアム性というか、そのメディアが表象する読者集団のプレステージ、つまり広告媒体としてのブランド価値はゼロになる。トラフィックが発生はしているのでノンブランドの広告まで含めれば収益を発生させることはできるが、認知広告だけでサービスのランニングコストを大幅に上回る収益を上げようとするのは、もはや困難だろう。少なくとも、これまでのマスメディアが享受してきたようなべらぼうな超過利潤は、望むべくもない。

 したがって、サービスのスケラビリティ、つまり情報の対称性と、サービスの品質、つまり情報の非対称性のバランスの設計が、今後のネット上のメディアビジネスのKSFってことになる。とは言いつつ、この構図もあくまでテキストに限定した話だし、動画の爆発的普及とか、電子ペーパーの技術革新など、どこか1つのレイヤーを揺さぶるマクロ状況の変化が何か1つ起こった瞬間に、もろくも吹き飛んでしまうことになるのだろうけど。

 なーんてことは、もう分かってる人にはとうの昔に分かってるし、分からない人にはこの程度の説明では永久に分からないのでどうでもいいや。続きはmixiで。

04:46 午後 メディアとネット コメント (9) トラックバック (2)

2006/09/07

そろそろ

どうなんだろうかね。こういうのがただの偶然であるはずもないし。ここでは人の意識は連鎖する。

http://eiji.txt-nifty.com/diary/2006/09/post_d12b.html
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20060907/1157620305
http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0608/28/news013.html

 まあ、いろいろあって、いろいろ難しいですな。実際、ぶっちゃけ分かる相手にしか語りたくない、余計な言葉は控えたいみたいなところでもあるし。

 端的に言っちゃうと、要するに「もはや知的生産の道具としては役に立たなくなった」ということなんじゃないかと。パーソナライズドされた検索結果から機械的に知的生産に役立たないゴミクズを「見えなく」し、しかもゴミクズからの一切のアクセスを禁じるという技術が生まれないと、どうにもならない気が。でもそれって結局人でフィルタするしかないわけだし、つまりはSNSっつーことじゃないですか。じゃあブログでやる意味なんか、ないよね。

 で、Voxどうよ?つー話になるのかもなんだけど、ちょっといじってみて思ったのは、「自分で読んでもらいたい人登録するなんてめんどくさい」、この一点に尽きる気がしましたですよ。mixiに行けばたいてい誰でもいて、その中からリアル知り合いをマイミクで選んでいけばいいだけなのに、いちいち招待しなきゃいけないVoxって何?しかもレイアウトちまちましてないし(笑)。

 つーかVoxがmixiとかGREEのクッキーをそのままぶっこ抜いて、mixiのIDで認証とかしてくれれば、万事解決するような気がするんだけどな。要するに勝手に他のSNSのIDとつないで、バーチャル分散SNS化すればいいんじゃね?とか妄想したりするんだけど。作ってるのが6Aだけに、そんな日本の特殊事情には合わせてくれないんだろうな。

 ま、例の方なんかもあと数年したらPC使ってる奴のほうがデジタル・ディバイドって呼ばれるようになるぞって予言していらっしゃるし、そろそろこの界隈も卒業のしどきなのかもね。こんな時間まで連日仕事に忙殺されている今日この頃、ぼんやりとそんなことを考えてみましたよ。ではでは。

11:32 午後 メディアとネット コメント (10) トラックバック (2)

2006/07/18

「メディアイン」というパラダイム

Think20060718 単著どころか単に特集にちょろっと寄稿しただけで、自慢にも何にもなりませんが、明日(もう既に今日)発売の「Think!」に拙稿が掲載されましたので少々ご紹介させていただきます、ハイ。ご興味のある方は買ってお読みください。

 んでもって話はあっという間に自分の原稿よりももっと別の記事へと移ってしまうのだけれど、今号のThink!の見本誌が届いたのでぱらぱらと読んでいたら、久しぶりに目からウロコがぽろぽろと落ちた気分のする記事にぶち当たってしまった。ブーズ・アレンの山口周シニアアソシエイトによる、「ポストWeb2.0時代の広告・マーケティング戦略」というタイトルの論考である。

 山口氏の論考は、Googleの登場によって食い荒らされ、このままだとどうなってしまうのかと不安に思っているマスメディアの人々に最後通牒をたたきつけるがごときストレートな結論で始まっている。曰く、「Web2.0がもたらす広告へのインパクトを一言で言えば、広告のROIが下がるということになります。それも若干とか少々とかいうレベルではなく、(中略)平たく言うと『広告が全然効かなくなる』恐れがあるのです」。

 その理由も、論文の中では平易な言葉と論理で理路整然と述べられていていちいち納得できるが、ここでは省略する。興味のある人はぜひ買って読んでみてほしい。まあ、その内容は彼も文中に述べている通り、米国では既に大きな問題として提起されているので、頭の中がきちんと整理されている人はとうの昔に知っている類の話ではある。

 僕が何よりも惹かれたのは、むしろそのあとの部分だ。既存のマスメディア広告の凋落の結果として起こっている、企業側の根本的な認知の誤りを、「メディアアウト」という言葉で明確に定義していることである。メディアアウトとは、まず製品ありきで売り込みを考える「プロダクトアウト」の変化形で、「マス広告やセールスプロモーションの企画がまず先にあり、それに見合わない特性の製品やターゲット顧客はマーケティング戦略の初めから除外されてしまう」ようなビジネス展開の枠組み(パラダイム)を言う。

 これに対して、Web2.0を前提とした世界では、「どんな情報を消費者に伝え、あるいは伝えないかという決定権が企業から失われている」という現実を認識したうえで、既存のメディアとインターネットとを混同せず、インターネットからは消費者の意見・動向を吸い上げて製品改良や企業活動全体に反映させていくような「メディアイン」のパラダイムに転換すべき、というのが山口氏の言い分である。

 頭では分かっていても、実際にマーケティングプランを切るとなると、やっぱりインターネットで「露出」することを考えてしまう、というのが世の中の多くのマーケターの現実だろう。その意味で、山口氏の論考にある「メディアアウトではなくメディアインになれ」という言葉は、多くのマーケターにとって痛烈な警句であり、大きな衝撃を与えるものではないだろうか。

 とはいえ、実際にマーケターの思考をメディアインに切り替えることは、言うほど簡単ではない。ことの影響がアフターサービス体制の構築から製品の開発プロセスの変更にまで及ぶだけに、企業がメディアインのパラダイムに対応した社内の仕組みを作り上げるまでには、今後かなり時間がかかるだろう。しかし、山口氏が言うようにこれはマーケターという職業の「情報テクノクラートとしての権力」の終焉であると同時に、「消費者と等身大の目線を獲得」する手段の獲得でもあるわけで、発想の転換をものにできたマーケターにはチャンスが広がっているということなのかもしれない。

 空中戦的な話のサワリだけ引用したが、ほかの論考に比べて具体例もたくさん盛り込まれていて、それらを例に引きながら実際の「メディアイン」のやり方の解説がされているので、とても分かりやすく参考になる。最近の消費財マーケターの本音をズバリ言い当てる内容だし、理屈としてはよく分かるのだが、「そうは言っても、実際の成功例があまりないんだよねー」と愚痴っていた向きには、かなりお勧め。何より山口氏がこのトレンドを「メディアイン」といううまいキャッチフレーズで整理してみせているのが、秀逸だなあと思った。

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2006/07/17

悪夢のロングテール考

 いつも興味深く読ませていただいている池田信夫氏のブログだが、一昨日にちょっと首肯しかねるエントリが上がったのでそれについて。

 マルクスとロングテール(池田信夫Blog)

 最近よく聞くのだが、どうもあちこちでロングテール論を悪用する人たちが増えているようで、ITの時代に入った途端に突然あらゆるところでパレート法則が無効になってしまったかのような物言いがされる。んなわきゃーない。ニハチの法則はいつまでたってもニハチなのだし、だいたいたまたま自分がニハチのニだからって偉そうに「キミたちもぜひハチでもロングテールに」とか言わないでくださいよお願いします。

 池田氏のコラムについての反論は、山形浩生氏の「ネットワークのオプション価値」という、古い論文でも見ていただければ十分ではと思う。ロングテールはテールにあるものがある日何かの弾みにヘッドのほうに飛び上がってくる「可能性」において成り立っている。山形的に言えば「オプション価値」である。

 通常の企業活動ではある一定値以下の可能性しか持たないものは、手を付けるだけ無駄と考えられるので切り捨てられる。つまり初めからロングテールなどという場に出てこない。ところが、ネットの世界ではロングテールの列に並ぶだけなら誰でも何でも(ほぼ)タダで並べる。つまり無限に小さいオプション価値に対してコストのほうも無限に小さくなったので、切り捨てられるものが減りました、というだけである。

 ここでロングテールが成り立つために大事なことが、2つある。列に並べるのは、並ぶコストが無限に小さいものだけであるということ。つまり並んでいることによって保管のコストがかかったり人間が時間を確保しておいたりする必要が一切ないものでなければならない。もう1つは、それが単に列に並んでいるだけではいつまで経ってもオプション価値が顕在化しないので、並んでいるものをテールからヘッドに飛び上がらせるよう、何らかの工作をしなければいけないということだ。

 と、いう条件を考えると、池田氏の言うように、ロングテールによって人間がネット上で適当な情報生産を行う「自由な時間」だけで暮らしていけるようになるためには、そこでやり取りされる“商品”が長期間保存可能でしかも保管コストがかからないものであることと、“商品”の取引そのものにも人手が一切かからない(=取引に備えて時間を確保しておく必要もない)ことの2つが最低限成り立つ必要がある。つまり、例えば書籍や(パッケージ)ソフトウェアみたいに、手離れの良い商品じゃなきゃダメだということだ。

 残念ながら、このどちらも実は「手離れの良い商品」にするために、高いハードルが存在し、結構な初期コストがかかる。もちろん、適当なことを書き散らしたり、適当な動きをするソフトウェアなら、誰でも作れるだろう。だがそれを「手離れの良い商品」のかたちにできる(チャンスと能力に恵まれた)人は、ごくごくわずかしかいない。それでも、世の中に出る商品の「8割」以上は思ったよりも全然売れないので、サンクコストに目をつぶり、ロングテールのテールのほうに並ぶことで何とか敗者復活を期するわけだ。

 そういうわけで、ロングテールは「コンテンツとしてクオリティの高いものでありながら、マスマーケティングのタクトに乗っかれずたまたま発売当初のタイミングではうまく売れなかったもの」を救済するためのロジックであり、もっと言えばそういう商品を「流通させる」側のロジックである。たとえば、そういうものがゴロゴロしている分野を見つけたら、おたくもAmazonみたいに儲かるビジネスが作れまっせーという説明の中で使われるべき言葉なのである。

 ところが最近、この言葉がなぜか商品を「作る」側を説得する材料のために使われていたりするらしい。「これからはロングテールですから、売れない商品も作っておけばいつか売れるかも知れませんよ」とか。あるいは、商品ですらなく、赤字のサービスやどうでもいい顧客の存在に目をつぶらせる呪文にさえなっているらしい。「今はあまり買い手がいませんが、いやなにロングテールですからそのうちそれなりにお客さんが付くようになります」とか、「こういう、ちょっとしか買わないお客さんも、今はロングテールのテールですが、いつかはたくさん買ってくださるようになるかと」など。

 そんなわけは未来永劫ないのであって、不採算のサービスや顧客に対してロングテール論を適用するのはほとんど詐欺だと言ってもいい。

 もっと言えば恋愛や職探しのような人間のマッチングにロングテール論を適用するのは、詐欺を通り越してほとんど犯罪だと思う。なんとなれば、ロングテールの列に並び続けようとする人に対しては断続的な負担が強いられるうえに、列に並びながら同時にテールからヘッドにジャンプアップしてオプション価値を顕在化するための「裏工作」が実は必要という、場合によっては人間を信じられなくなるような努力をしなければならないことも起こるからである。

 分かりやすく言えば、例えば悪質なお見合いサービスを想像すると良いと思う。「ロングテールな人にもご希望のおつき合いの相手が見つかります」というような売り込みで列に並ばせておき、期待を裏切るように女性が誰も寄ってこない人に対して「もっと着飾らなくてはモテませんよ」と言って服を売りつけたり、「うちにお金を払ってもらえれば優先的に美人の女性が紹介されます」とか言ってさらにお金をふんだくる、といったようなことが、ロングテール論を悪用することによって起こりうる。

 ロングテールは贈与経済ではない。まして、オープンソースなど決して贈与経済ではない。あれはただのインフラ・プロモーションの一手法である。ネットは歴然とした市場原理の、場合によってはリアルな世界よりももっと透明で苛烈な市場原理の働く世界だ。リアルの世界は目の前の仕事、目の前の女性だけが自分にとって最高の選択肢だったと思い込んでいればいい。だがネットの世界は常に他の誰かとの競争が存在する。自分がニハチのハチの部分にさえ入らない、圧倒的なテールに位置する人間なのだと否応なく認めさせられる。そこでは自分のことを疎外された物的存在だと自分で諦めてしまわない限り、永久に動き続ける市場から「もっと最適な存在たれ」と要求され続ける。これが「マルクスの言う自由時間」なわけがない。むしろ強迫神経症一歩手前の世界だ。

 マルクスの言わんとしていたことは、自分がホーリスティックに自分であるような、そして同時に他人がホーリスティックであることを否定しないような、そういう生き方を見つけなさいということなんだと、僕は思っている。自然発生的な分業をアウフヘーベンしろということは、つまり市場原理から自分を遮断し、自分を自分で切り刻んで生きるのではない時間を持てということだ。ロングテールは、自分の生産物を自分と完全に切り離して流通させられる人間にとっては福音かもしれないが、それとても市場原理の一変態であることに変わりはないのである。

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2006/07/08

YouTube-Google型企業になるための4つの法則

YouTube 横目で見ているはずだったイノベーション勉強会になぜか引きずり込まれて、宿題もやってないのに飛び入り参加。でもなかなか面白かった。

 他人の褌を借りまくって分析した結果分かったのは、YouTubeが非常に良い意味でプロシューマ、あるいはgeek向けのインフラサービスに特化しているなあということだ。よく考えたら、テクノロジー面の「強み」と思えるようなものが何もない。ある意味全部オープン、それでいて圧倒的なユーザー数を抱える。まさにCGMの王道を行く会社である。

 また、その戦略のそこかしこにGoogleに投資したVC、セコイア・キャピタルの影響を見て取ることができる。ある意味「ネットベンチャーはGoogleから何を学ぶべきか」というテーマに関するショーケースのような企業とも言える。

 結論を言ってしまうと、YouTubeはGoogleが象徴する「ネットインフラ型企業」と、Web2.0と称される「CGMビジネス」のエッセンスをうまくハイブリッドさせた、「インフラ志向型消費者参加型メディア」である。僕がそう考えたポイントを、以下にまとめてみよう。

1.標準技術ばかりをパッチワークのように使い、高付加価値なサービスを目指さない

 動画処理はそっくりMacromediaのFlashだし、通信プロトコルも何の衒いもなくHTTPだ。既存の資産を膨大に抱えるCPやそれを保護しながら送受信しなければならないCDNみたいに、secureであろうという姿勢を初めから放棄しているので、Protocol上の特殊性もない。あるとすればあれだけの転送量をさばくload balancingやcacheの技術あたりだろうが、それとても他社が絶対に真似できないものでもない。その結果、非常に低コストでスケールフリーなサービスを実現した。

 つまりGoogleと同じで、技術的にはデファクト・スタンダードなものばかりを使い、いつでも誰でもやろうと思えばやれることをやっているのである。ところが、それが曲者なのだ。著作権侵害、暴力・グロ・エロ、検索やインターフェースの不便さ、不親切さ。「失うものを持つ」既存プレーヤーは、怖くてそんなところに手が出せない。それこそが彼らの思うつぼというわけだ。既得権者の資産を負債化する戦略である。

2.コンテンツ置き場というインフラに徹し、ポータル=「編集」の機能は外部に任せる

 勉強会では何人かのアップロード利用経験者から一様に「YouTubeのUIはアップロードは非常に簡単だが、サイト内を検索したり動画をいじろうとしたりすると決して便利とは言えない」という指摘が出ていた。これもまた、彼らの戦術だろう。あえて映像を見つけにくくし、Napsterのようにポータルサービスとして完結させないのだ。

 ポータルの機能をあえて持とうとしないのは、いくつか理由があると思われる。1つは、映像という、Google以上に著作権侵害にナーバスにならざるを得ないサービスであるがゆえだろう。ポータル的な機能を備えて、コンテンツの整理やおすすめの表示などの「編集」を行った瞬間に、著作権者から「他人の著作物を勝手に売り物にするな」と訴えられる。であれば、「編集」の機能は世界中のブログやSNS、掲示板などに任せ、YouTubeは動画のホスティングと最低限のタグ付与など、Folksonomy機能だけ持てばいい、という割り切りだ。

3.トラフィックという「余計なもの」ではなく、コンテンツの蓄積に徹底集中する

 ポータル機能を持たないもう1つの理由が、「それは余計な機能だから」というのがある。YouTubeには世界中のブログ、掲示板から大量の人がなだれ込んでいるが、YouTube側のページにはトラックバックなどの機能がないため、同じ映像を紹介している他のサイトを探し出すことが極めて難しい。つまり、YouTubeに入ってくる方向のトラフィックはたくさんあるが、YouTubeから外部へのトラフィックは発生しない。それどころか、YouTubeに来なくてもブログなどに映像を貼り付けて見ることもできる。初期のGoogleがよく言っていた、「ユーザーには、Googleにとどまらずなるべく早くサイトを通り抜けてほしい」というサービスポリシーに酷似している。

 ここから分かるのは、YouTubeがトラフィック(PV)の獲得よりも動画コンテンツそのものの蓄積を最優先しているということだ。CGMなのだからある意味当たり前だと思われるかもしれないが、トラフィックの方がマネタイズが楽なので、かなり有力な資金源がバックに付いており、しかも経営者の肝が相当据わってなければ取れない戦略である。

4.視聴者ではなく、表現者の囲い込みと“経済圏”の構築が今後カギ

 ここからは多少僕自身の推論が入る。YouTubeがGoogleと異なるのは、彼らが映像を勝手にネット上から集めてくるのではなく、ユーザーにアップロードしてもらって初めて意味をなす「CGM」である、という点である。この点で、ひたすらオーガニックサーチの研究に没頭していれば良かったGoogleとは、少し向かうべき方向が変わってくる。ユーザーがアップロードするコンテンツをたくさん蓄積するためには、当たり前だがアップロードするユーザーをリスペクトし、囲い込むことがまず必要だ。彼らが今、最も戦略的にフォーカスしているのは、だから恐らく「映像をアップロードするユーザーの数」を増やすことだろう。

 そのためにはまず、表現者たる彼らに最大限の自由と利便性を提供することだ。そして、e-Mailアドレスをしっかり把握することで、緊密に連絡が取れるようデータベースを常に洗い替えしておく。おそらく、今後数ヶ月以内にYouTubeは動画への広告の自動挿入とコンテンツ-広告の自動マッチングの技術を開発し、動画に挿入された広告が視聴された回数に応じて表現者のユーザーに広告収入を還元する「動画版Adsense」をリリースするだろう。

 面白い映像をアップしてたくさんの人に見てもらえた表現者の手元に、1本で何万円という広告収入が転がり込んでくる可能性がある。すでにNBCがPodcastingで配信している有料番組では、1DLあたりのマージンが$1.50という数字で「美味しすぎる」という話が出ている。プロの制作した動画でもこの程度のリターンがあれば「十分すぎる儲け」と言えるのであれば、仮に動画に挿入する広告のフィーをこの10分の1とし、YouTubeが50%のマージンを取ったとしても、1000PVを獲得した動画をアップした表現者の取り分は8000円ぐらいになる。トップページに載っている、何万というPVをたたき出した動画などは、何十万円の収入にもなるのではないか。

 というわけで、次にネットで小銭を稼ぎたい人は、今のうちに面白い自作のショートフィルムをたくさん作り貯めておくか、そういうものを作るノウハウを研究したほうが良い。コンテンツは初動がすべてである。今年の後半から来年にかけて、「YouTubeバブル」の津波がやってくる気がする。

参考:ブロードバンド2.0(池田信夫blog)
   YouTubeを強くするのは動画版AdWordsと家電連携だ(キャズムを超えろ!)

12:26 午後 メディアとネット コメント (6) トラックバック (21)

2006/06/14

世界観と経済圏

とがダイレクトに結びつく企業というのは、とてつもなく厄介な存在だということ。

米Google,自身が「evil」であることを認める(ITpro)

 しかし、逆に言えばそこがGoogleの弱点でもある。つまり資本主義を採用している限り、経済圏だけなら拒否できないが、世界観は明確に拒否することができる。少なくともシステム上では。

 前に右脳がどうとか書いたけど、どうもそこまで大げさな話でもなかった。Googleに対抗するためには単に「Googleとは違う世界観を持ち、Googleの世界観を拒否する」だけでいいのかもしれない。後は、隣の芝生が青くないことをどうやって納得させるかだが、世界観というのは宗教のレベルにまで高まれば、人に隣の芝生を見せないようにすることもできる。要するに対抗する世界観を宗教にしてしまえば良い。それだけのこと。難しい話ではない。

 隣の芝生は情報がタダだ、という言い分もあるかもしれないが、実際のところ、タダより高いものもないわけで。つまり異なる宗教の範疇でリアルの取引コストに結びつくような情報をちゃんと環流させることが大事。Google教の通じる範囲というのは取引コストのとてつもなく高い世界であると言い切ってしまえばいい。というのは、今度出る本の中でもWeb2.0時代のビジネスの要諦としてさんざん書いた話。

 残念なことにというか幸いなことに、Googleというのは意外なほどネットワーク外部性とのリンケージが弱い。なぜならばレイヤー内での相互互換性は決して否定できなくて、商品それ自体の品質だけが唯一無二の競争優位性だったから。しかもサプライサイドから見れば世界規模のスケールが働くのかもしれないが、ユーザーから見れば単に個別市場のプレーヤーでしかない。それらのことは日本の状況を見れば一目瞭然

 してみると例の有名な標語を掲げて構築した世界というのは、そもそもある意味莫大な「裏金」が動く原理をその成功とともにビルトインしていたわけで、実はその原理自体が某掲示板住民さんたちあたりが毛嫌いするところの「evil」な世界観だった、と言えるかもしれない。何とも皮肉な倒錯。しかし、これからどうなっていくのでしょうね。よく分かりませんが。

09:39 午前 メディアとネット コメント (5) トラックバック (7)

2006/06/10

烏賀陽さんがぶち切れている

 やや亀レスなんだけど、コメント欄・はてブともに盛り上がってるみたいなので。

みなさん、さようなら。ブログ連載から降ります。(烏賀陽(うがや)弘道の音楽コラム)

 失礼ながらこの記事がはてブのトップページに出ているのを見て、烏賀陽さんがAFPBBでコラム書いているのを初めて知った(笑)。だって「烏賀陽」でぐぐっても1ページ目にそのコラムの片鱗さえ出てこないんだもん。しょうがないじゃん。

 かつてならこの記事を読んで「Web2.0時代に何を今さら。烏賀陽さん、梅田本ぐらいちゃんと読んでください」みたいな感想しか持たなかったんだけど、自分自身もまたじわじわと書き手・編集者・メディア設計の側に多少踏み込みかけていることもあり、今回については思うこといろいろ。

 烏賀陽さんのお気持ちは分からなくもないのだが、例えば今は「原稿料タダ」の媒体(ネットじゃないよ)だって出てきてるわけで、ライター業を取り巻く状況全体はより悪い方向へと加速度的に転がっていってるわけです(もちろん、そんなのは烏賀陽さんの書くような媒体じゃないけどさ)。

 だから烏賀陽さん1人がブログに書くことを止めても、その穴はまた他の誰かが劣化した原稿で埋めるだけのことであり、AFPBBという場全体の質の劣化にはつながっても付加価値の向上、まして原稿料のアップとかには絶対つながらない。ま、烏賀陽さんにAFPBBの質の劣化を防ぐ義務など何もないのだけどね。

 ただ、ひっじょーに気になったのが以下のフレーズ。

ライターが書く原稿は「商品」ではありません。知的財産です。知財です。シャツやフリースとちがって、コストダウンには限界があります。製造原価(つまり原稿料)を安く叩くと、ライターが離れてしまう、クオリティが低下するのを避けられないのです。
 「知的財産」というのは、そのコストによって定義されるものではない。何もしてない時にふっと思いついた事業アイデアだって「知財」だし、10年以上の研究を重ねてついに生み出した画期的な医薬品の化学組成だって「知財」。

 では、烏賀陽さんの言う「Tシャツみたいな商品」と「知財」を分かつものは何かというと、商品はそれを売ってしまえばお終いなのに対して、知財というのは「そこから派生してくる成果(アウトカム)に対して正当な対価を要求できる」ことだと思うわけだ。

 もし「自分の原稿は知財なのだ」と烏賀陽さんが思うのであれば、「原稿料」というかたちでブログに書く記事の対価を受け取るべきじゃない。それはつまり、自ら「商品」としてそれを売り渡しているに過ぎないんだから。それで安すぎるとか文句言っても、しょうがないでしょ。

 そもそも新聞メディアの(それも烏賀陽さんみたいな超のつく良心的な)記者の書く原稿というのは、その作成プロセス自体がネットメディアの要求するものよりはるかにオーバークオリティなのだしね。裏取りしてないでいい加減なこと書いても、誰かがそれで怒り出さなければとりあえずそれでオッケーなわけだし、仮に一生懸命裏取りしたところでPVが増えるわけでもなく、誰も褒めてくれない。

 自分の原稿が知的財産だと思うなら、「原稿料は要らない。その代わり、俺の記事を掲載して生まれるPVに対し、1年間は1PVあたり1円の対価を払ってくれ」とか何とか、そういう契約を要求すればいいんじゃね?と思うわけだ。僕が編集長なら、上限キャップはめたりとか多少のリスク管理はすると思うけど、そういう契約も実験してみてもいいかなと思う。PVだけが成果の尺度とは限らないけど、まあそういう考え方もアリだろう。

 というところまで考えて、さらに思ったのだけど、そもそも知財であるはずの原稿を「商品」扱いして、一番ウレシイのは出版社や新聞といった「チャネル」側の人たちなんだよね。だって、その人たちって本来は知財である原稿から生まれてくるはずの成果を、すべて独り占めにできるのだから。なのに、どうしてそんな美味しい業界が「ヨレヨレであります」ってことになるの?という疑問が生まれた。

 つまりそれって、自分だけ美味しい思いをしようとして、結果的にライターのモチベーションを下げ、より低コストで「商品」を調達できるインターネットに負けちゃったから、そうなってるってことじゃないのだろうか。エコシステムとして非常に無理が来ていたところに、インターネットという強力な競合エコシステムが生まれて、それでダメになったとも言える。

 でもよく見ると、インターネットだって実は既存メディアのエコシステムを「劣化コピー」してるだけに過ぎない。原稿を「商品」として買い取ってるし、それをすごい勢いでフローとして費消している。知財としての原稿のストックからアウトカムを生み、それを最大化するようなマネジメントをやっているとは、到底思えないわけだ。

 だったら、エコシステムとしてもっと原稿を「知財」として扱うような仕組みを作ったら、うまく行くんじゃないの?なんてことを、ちょっと思ってみたですよ。どんな仕組みなのかは分かりませんがね、ええ。そんなわけでライターの皆さん、頑張ってください。

10:36 午前 メディアとネット コメント (20) トラックバック (9)

2006/06/09

公共WebAPIとか

こんな法改正が成立してたんだ。面白い。

落とし物検索、ネットで可能に 改正遺失物法が成立(NIKKEI.NET)

よく考えたらこれって公共機関が提供するWebサービスとして、一番ありそうでなかったネタ。考えて法案化した官僚、偉い。素直に褒めてあげたい。「遺失物WebAPI」とか公開してくれてマッシュアップさせてくれたら、もっと褒めてあげたい(笑)

03:33 午後 メディアとネット コメント (5) トラックバック (2)

2006/05/14

PVではなくFeedがウェブの価値基準になる?

 今年初めぐらいからあちこちで言われていたことが少しつながったような気がしたのでメモ書き。

 気になっていた1つめは、こちらのブログでさりげなく書かれていた話。ページビュー(PV)とかリーチで見た日本のインターネットの伸びが、今年第1四半期で頭を打ったというもの。

 こちらのブログでは「インターネットが右肩上がりである、というオプティミズムは、意外に早く崩壊するかも」と、ネガティブなファクトと受け止めていたのだが、僕自身は何か腑に落ちないものを感じていた。実感として、日本人のネット利用時間がここに来て減り始めているという印象はない。

 まあ、6月末になれば総務省の情報通信白書が出てくると思うので定量的なものが明らかになるだろうが、今年初めからのYouTubeの大人気ぶりなどを見ていても、むしろ情報メディアとしてのネットの勢いは、ここに来て一気に加速し始めたというほうが感覚値的には正しい。

 じゃあどうしてPVやリーチが下がるのか。これに対する仮説の1つとしてピンと来たのが、こちらの話題。はてなと大手新聞社サイトという、局所的なレベルでのアクセスの話でしかないんだけど、ここでgitanezさんが挙げているはてなのPVの理由が、「はてなは無数のFeedを吐いていて、それに対するRSSアグリゲーター(リーダー)のアクセスがPVのかなりの割合を占めてるんじゃないか」というもの。

 もちろん、htmlファイルとrdfやxmlのどっちのアクセスがどれだけかなんてことは、はてなの中の人にしか分からないんであくまで仮説に過ぎないんだけど、確かにはてなってそこら中のページがFeedを吐いている(Firefoxを使っていると、アドレスバーの右端にオレンジのFeedマークが表示されるのでよく分かる)ので、それはあり得ない話じゃないなあと。

 しかし、一方でRSSリーダーが一般のネットユーザーに普及しているとは到底思えないので、gitanezさんの言うように「必ずしも人間が見てる数が多いんじゃないのかも」というところにこの謎を解く鍵があるような気がする。たとえば、僕もGoogle パーソナライズのコンテンツに「はてな注目エントリー」のRSSを登録してあって、Googleを開くとGmailのメール一覧などの横にいつも「最新の注目エントリー」がずらっと表示されるようにしてあるんだけど、Ajaxを使ったそういうウェブサイトの機能が、元サイトのPVにあまり影響を与えずにFeedだけで事足りるようにしてしまっていたり、あるいはFeedを吐いてないサイトへのアクセスを自然と減らしていたりするのかもね。

 実はこのブログも、連休前からRSSで配信する内容をこれまで「見出しと本文の一部」だったのを、「本文全文」に変えてみた。PVは大して変わらないので、何がどう変わったかは管理者側からはあまり分からないんだけど、読者側からしたらこのほうが圧倒的に便利なんでしょうね、きっと。そうしてサイトを訪問せずにコンテンツだけFeedで読む人が増える、と。

 次のニーズはここだな。Feedがいつどのくらい、どんな人に読まれているのかという「Feedアクセス解析」。これがちゃんとできるシステムがあったら、ブロガーとしては絶対使ってみたくなるよね、たぶん。今のFeedはどっちかっていうとタダで投げっぱなしだが、このへんがFeedアグリゲーターの側の情報まで引っ張って見せられるようになればかなり受けそうな気がする。

 というところで連想したのが、サイトのFeedを特定のアグリゲーターの利用者にしか読ませないという朝日新聞と小川浩氏@Speed Feedの実験。反応を見ると「オープンであるべきFeedに認証をかけて、特定アグリゲーターにしか読ませないってのはどういうことだ、反Web2.0的だ」とかネガティブなものが多いみたいだけど、僕個人はこの試みの発想自体は大いに評価する。少なくとも、そこにマーケティング・チャンスを見出したということは、とっても正しい。

 ただ、そこで配信されるコンテンツ(W杯ドイツ大会特集の記事)が、配信先であるFeedpathの「ITビジネスパーソン」というターゲット顧客層とどうマッチするのか全然わかんないのと、アグリゲーター側でユーザー捕捉するのだからPVどうこう言う必要もないのに、なぜか全文配信ではなく記事の抜粋のみであるっていうところが、なんか歯車1つ飛んでいる感じがして超ナイス。コンセプトが正しくてもこういうUIのささいなところがダメだと、こういうミスマッチが結局ユーザーの気持ちを掴めなくて終わっちゃうんだよなあ。もったいない。

 それはおいといても、以前にサイボウズラボの奥さんが言っていたようなFeedの認証配信に世の中の関心が向かってきたのはとても良い流れだと思うし、エンドユーザーをしっかり掴んでいるRSSアグリゲーターがマーケティング上の立場で強くなるのは当然のことだと思う。といっても、現時点でこの領域の最大のプレーヤーはやっぱりGoogleになってしまうのかもしれないが。日本のネットサービス企業には今後ぜひ、簡単で使いやすいFeedアグリゲーションのアプリケーション・サービス開発に血道を上げていただきたいものだ。

 …とかいって、今Googleパーソナライズをいじっていたら、すごいことに気が付いた。去年の12月ぐらいからあった機能みたいなんだけど、英語版のPersonalizedの「Add Contents」のメニューの中に、パックマンとかテトリスとかクロスワードパズルとかが入ってる!しかもどのゲームもタダでやりたい放題。ディルバートとかの漫画もある!ちょう凶悪!あーあ、こんなもの見つけちゃって、これからデスク仕事がますます滞るぞ…困ったなあ。トホホ。

07:30 午前 メディアとネット コメント (8) トラックバック (6)

2006/04/27

連合のブログマーケティングはマジっぽい

 H-Yamaguchi.netガ島通信保田さんのところなどですでにネタになっている「連合がブロガー懇談会を開くらしい」という話。実は、うちにもお誘いが来ていた。昨日の夜だったので、もう終わったはずだ。僕の見た限りでは、あちこちのイベントと重なっていたこともあり、誘われたけど「出られない」と書いているブロガーばかりだった。まだどこのブログにも報告は上がってないっぽいが、このイベントに参加した人はどのくらいいたのだろうか。

 初めはH-Yamaguchi.netの辛辣なコメントを読みながら「自民党、民主党に続いて連合もか。永田町界隈で『ブロガーは与し易し』みたいなブームでも起こってるんじゃまいか」などとくすくす笑っていたのだが、どうも彼らはただブームに乗ってブロガー懇談会を開こうとしたわけではなく、かなり本気でブログマーケティングをやるつもりらしいことに気がついた。すごいぞ。誰だ、このマーケティングプラン書いたのは。

 というのは、昨日ココログのシステムメンテがあってしばらく管理画面をいじれなかったわけだが、終わってみると管理画面の手前のページにこんな表示が。

 2006.04.24
増税について考えよう!『ブログパーツ』を提供開始しました

増税額をチェックできるブログパーツを提供開始しました。ご自分のココログのサイドバーに貼って年収や家族構成などを入力すれば、簡単に試算することができます。(配布期間:6月23日(金)まで)

詳しくはコチラ

 で、「コチラ」をクリックすると、なんとココログが提供する、増税額計算Flashをブログのサイドバーに貼り付けるスクリプトの使い方が解説されているページに飛ぶ。おおおお。手が凝ってるぜ。

 で、サンプルでも計算できるようになっていて、計算すると当然ながらあの「think-tax.jp」の人生ゲームチックなムービーに誘導。そして、例の「ズシリ度」グラフが出てくる。ご丁寧にトラックバックセンターまであるよ~というアナウンス。トラックバックセンターには、連合地方支部の中の人ブロガーのトラックバックとかも集まっている。いやはや、連合さん、すごいIT化度ですね。自民党や民主党といっしょくたにして笑ってしまい、すみません。おみそれ致しました。

 増税反対キャンペーンの内容については、サラリーマンとして納得する部分もあるし、「でも連合のいう政策提言が実現してもうちの場合、ほとんど何のメリットもないし」という気もするので、まあどうでもいいやと思ったりする。税額が増えてもそれだけ各種の社会保障増やすというのがたぶん今の国民の増税に対するコンセンサスだと思うので、まあそれに反したことやれば来年の参院選で自民党はコテンパンになり、せっかく選んだポスト小泉がいきなりレイムダックになりまっせ、という気もするし。と考えると、増税の部分だけ見て批判するのも、ちょっと大人げないよなあと個人的には思うわけです。

 まあ、それはいいんだけどでもこのFlash貼り付けキャンペーン、誰にどのくらい効果があるんだろうかね。面白がってサイドバーにぺたぺた貼り付けるブロガーが6月までにどのくらい出てくるか。でも1回計算したらもう後は同じものしか出てこないから、つまんないよなあ。政治家や税調委員の発言をおちょくるようなメッセージがランダムに表示されるとか、「My節税対策軍師」とか名乗る諸葛亮孔明が現れて「我が君、税金を1銭でも余計に払うのは愚かなことですぞ!」とか言いながらランダムな節税のアドバイスをしてくれるとかしたら、超喜ばれたかも。

 連合もここまでブロガーを使ったキャンペーンを考えたのは偉いと思うけど、そういうところが実は画竜点睛を欠いてる気がするんだなあ。やっぱり本当のところは、中の人がブロガーの習性をあまり分かってないからじゃないだろうか。26日の懇談会にしても、お誘いメールが来たときに「非常に興味があるんですが、僕は都合が付かなくて出席できないんです。僕のブログで代わりに参加して会の記録をアップしてくれる人を募ってみたいですけど、いいですか?」と尋ねたら、事務局からは「お申し出はありがたいが、こちらが選んだブロガー以外の人が殺到すると対応しきれなくなるかも知れないので、今回はご勘弁を」(意訳)という返事が来て、がっくりだったし。

 このキャンペーンをアドバイスしたマーケティング・プランナーの方、ネットマーケティングの要諦はそういう細かいインターフェース・デザインの部分なんですよ。そこのところ、連合の方々にもっとちゃんと教えてあげてくださいな。

07:56 午前 メディアとネット コメント (12) トラックバック (6)

2006/04/06

なんだかなあ

 ええ、もうがっくりですよ。なんつーかですね、トラックバックとコメントを全ページにつければ「Web2.0」だと思ってるんじゃないですか。そりゃぜんぜん違うでしょ。

 いやもちろんね、その機能を実装するのだけでも大変だった、お金もかかった、しかもこれからいつ炎上して膨大な投稿が来るかも知れないのを24時間監視し続けなきゃいけない、俺たちはがんばってるんだというのは分かりますよ。でもそれと「2.0」とはぜんぜん関係ないですわね。一言で言えばただの「自己満足」。何のためにトラックバック、コメントが必要なのか、分からずにやってるとしか思えない。

 何でかって言うと、そのトラックバックアドレス、あるいはコメント投稿へのリンクが、ページ内のよーく目を凝らして探さないといけないようなところにしか付いてないわけですよ。要するに「トラバ、コメントは怖いし面倒だからとりあえず目を付けてくれるな」って言いたいわけなんですね。いや、そう受け取れますよあのデザインは。でもまあそれはいい。この前もつまらないことで炎上したばかりですしね。

 でも、それならコメント欄閉じればいいだけでしょ。トラバで汚い言葉の投稿を送ってくる人ってのは珍しいんだから。当てこすり程度のトラバなんかだったら大して気にもならないですし。そういう話じゃないんですよ。つまりですね、今ネットで情報サイトをやることの意味って分かってます?ってことなんですよ。

 米国でもこんな現象が起こったりしていて、要するにユーザー自身が「自分が貢献している」と思えるようなウェブサービスでないと、もうトラフィックを集めることなんかできないんですよ。それでもYahoo!とかMSNみたいに、これまでのトラフィックがあれば別ですよ。ゼロから始めようっていう時に、「2.0」のパワーを無視してどうするんですか。

 一番気になるのはですね、送られてきたトラバを「情報」とも思わないそのデザイン思想なんですよ。そもそもトラバやコメント機能が何のために必要と言われてるのか、分かってますか?ただの「大手サイトに名前を乗せたがる目立ちたがりユーザーのガス抜き」みたいなもんだと思ってるでしょ?ぜんぜん違いますよ。トラバも貴重な「情報」なんですよ。本来はサイトの情報価値を高めるために、頭下げてでも送ってもらわないといけないようなもんなんですよ。

 だから送ってもらったトラバは、一般のエントリと同じぐらい目立つところに並べてあげるぐらいのつもりがなきゃダメなんですよ。コメントだって本当はそう。無責任なコメントが多いからそんなことできないって言うなら、そもそもじゃあなんでコメント投稿に掲載前のチェック機能なんか付けてるんですか。「有意義なコメントのみ掲載します」って言うなら、堂々と表に出して「情報」としての価値を認めるべきなんですよ。

 むしろ自分たちの出す情報と一般ユーザーの情報とを対等に並べるようなことはできないと思うなら、トラバもコメントも無理矢理つけなくったっていいんですよ。そもそも大手サイトなんてそんなもんだと、みんな思ってるんだから。だけど、実際には「情報」の価値っていうのは、他の誰にも接触できないようなディープスロートから得られた極めてトップシークレットに近い情報でなければ、A社がB社を買収したのはなぜなのか、なんてのはみんなの知っている知識を寄せ集めた方が推測の正確さも上がるんですよ。そのためのトラックバック、コメントでしょ。

 というようなことをぜんぜん理解せずにトラバ、コメント機能だけ実装して「Web2.0でござい」なんて言ったって、ちゃんちゃら可笑しいだけなんですよ。

 あと、これも本当にがっかりしたのは、サイト上やメールで情報のサマライズとか、価値の重み付けの判断がぜんぜんなされてないってことなんですよね。少なくともユーザーにはそれがまったく見えない。膨大な量のタイトルが全部「等価」扱いで並んでる。

 暇なひきこもりネットオタク相手にサービスやってるならいいですよ、別にこれでも。でもそうじゃないんでしょ。だったら、すべてのコンテンツに10秒で読めるサマリー付けて、オススメをもっときっちり選んで「今日はともかくこれだけを読んでください」って、一目で分かるように差し出すデザインを考えなきゃだめですよね。こんなもの、誰も読まないですってば。僕の隣の人にメール見せたら、3秒で閉じて二度と読みませんでしたよ。働いてる人間は、みんな忙しいんですよ。

 等価扱いで膨大な量の情報を投げるんであれば、そういうのに適した情報の投げ方がありますよね?RSSとか、キーワードリスティングを絡ませるとか、Cookie使ってカスタマイズドページに誘導するとか。時間がなかったかも知れない。でもそれにしたって、あのメールはないでしょ、あのメールは。

 こちらのブログでまさにそのものずばり書かれてますけど、お客様の立場に立って考えてサービスするというのは、「Web2.0」とかそういうトレンド以前の、基本の基本なんですよ。そもそもそれってビジネスなんですよね?だったらどこのどういうお客様のためにこのビジネスをやるのかがお客様に伝わらなきゃ、どうしようもないじゃないですか。

 お客様に伝えたい価値があるなら、まずその価値が徹底的にしっかり伝わるように、何もかも(仕組みも、デザインも、サービスも)分かりやすくするべきなんですよ。提供したい価値はあるんでしょ?え?そもそもそれがよく分からない?…そうですかそれは失礼。いやはや。

11:43 午前 メディアとネット コメント (11) トラックバック (4)

2006/03/09

3/31に緊急イベントやります:ソフトバンク×ボーダフォン

 1つ前の「ソフトバンク×ボーダフォン関連まとめ」というエントリを書きながらいろいろなブログに目を通したが、やはりブログの世界と新聞やテレビの世界とでは、この問題への切り込みの深さが根本的に違うなあと思った。

 マスメディア、特に新聞は元ネタとなるニュースが出てこないと、それこそ1行も記事が書けなくなる。本当はこの問題をきっかけに通信業界が今どんな役割を産業全体の中で果たすようになってきているのか、ソフトバンクの孫正義という経営者はどういう戦略性を持ってこの買収を進めようとしているのか、分析すべきことはたくさんあると思うのだが、どうも話がそちらに行かない。

 テレビはもっと表面的だ。どこかのブログでニュース番組か何かのとんちんかんな解説を嗤ってるのを見たが、こういうファクトもあまりなくて「どこからどう語れば良いのか分からない」出来事に、的確な解説を加えるためのフレームというか時間というのがテレビにはないから、もう何がなんだか分からなくなって、結局「あまりにも深くて重要な問題すぎるがゆえに大きく扱えない」という、訳の分からない状況に陥ってしまう。

 ただ、最近の僕は「マスメディアがやらない」ことに対する文句を言うのではなく、彼らがやらない、やれないことは自分でやろうと思うようになってきたので、早速やってしまうことにした。この件でCNETのコラムニストの渡辺聡さんといろいろ連絡を取っているうちに、「きちんとイベントのかたちにして全部解説しちゃいましょう」というアイデアが出てきたので、僕もお手伝いさせていただくことにしたのだ。

 3月31日(金)の18:30から、マーケティング戦略論やコンテンツとメディア、情報通信などの専門家の方々を集めて、パネルディスカッションを開こうと思う。渡辺さんに専門家の方々のモデレータをお願いし、僕自身はブログでの告知と、イベントの設計、運営などの裏方業務に徹することにした。イベントの詳細はこちらのリンクをご覧ください。概要は、以下の通り。

■タイトル
 グロービス+Emerging Technology研究会共催(グロービス先端セミナー第1回)
 「ソフトバンク、ボーダフォン買収で幕が上がる120兆円情報通信産業の波乱の行方」

■パネリスト:
 森祐治 氏(株式会社シンク 代表取締役)
  元NTT、マイクロソフト、マッキンゼーのご出身で、情報・メディア論がご専門の方です。

 降旗淳平 氏(日経ビジネスアソシエ 副編集長)
  日経エンタテインメント、日経ビジネス、日経ビジネスアソシエで15年以上エンタテインメントやコンテンツ・メディア業界をウォッチされてきた、メディアビジネスの裏の裏までご存じの方です。

 塩川博孝 氏(アスクドットジェーピー社長兼CEO)
  日航、外資系広告会社、外資系損保などを経てネットベンチャーの社長や取締役をいくつも兼任されている「プロ経営者」の方です。

■モデレータ:
 渡辺聡
 (渡辺聡事務所・Emerging Technology研究会主宰・CNET「情報化社会の航海図」)

 会場運営の費用などの都合で参加費を少々いただくことになるが、たぶんその金額をはるかに上回る深い内容をご提供できると思うし、集まる人たちとの貴重なネットワークを得られる場にもなると思っている。年度末の金曜日という厳しいタイミングになるが、実際にはソフトバンクから今回のディールの詳細が発表されるタイミングにも重なると思うので、目の前で起こっている事柄が情報通信ビジネスの業界全体にどう波及するかをリアルタイムで読み解くという、スリリングなイベントになるはずだ。

 当日は参加者とパネリストの質疑応答の時間もなるべくたくさん取りたいと思っているので、「我こそは」と思う方にはぜひご参加の申込みをしていただければと思います。よろしくお願いします。

08:57 午前 メディアとネット コメント (0) トラックバック (3)

2006/03/02

泡沫ブロガーが何か言ってます。

 大笑いしながら眺めていた例のテンプレですが、はあちゅう先生自らコピペをご講評いただけるとの情報をid:maroyakasaさんのところで見たので、さっそく講評に間に合うよう、徹夜明けのテンションであちこちの記事からインスパイアされたものを一気に書いてしまいました。関係各所にひきつった反応を引き起こしそうな内容ですが、実在の人物・団体・固有名とは一切関係ございませんのであれこれ類推なさいませんよう、何とぞよろしくお願い致します。



ねえ、
日本が可及的速やかに、しなきゃいけないことは何だと思う?

私は絶対教育改革だと思う。

この前もちおのブログのコメント欄で
「なんで世の中みんなネットのあちら側で処理しなきゃいけないのか説明してください」
とか執拗に書き込んでる某自称市民ジャーナリストを見て、
「は?」って思った。
もしあれが私の子供だったら、末代までの恥。
世の中には説明の要ることと要らないことがあって、
その質問は後者のカテゴりーに属するでしょ。
Googleのすごさを知らないからそんな質問出てくんだろうね。
あたしも大して知らないけどさ。
Googleの起こすあちら側の変化がどれだけすごいかって知ってたら、
そんな質問できなくない?
そういう低レベルなことぼやいてる奴らをまとめて、アマゾンの市川デポとかに全員ボランティアで逝かせるべきだと思った
向こうも迷惑だろうけど、頭下げて勉強させてもらいに行くべき。
Web2.0の世界が実現したらこちら側の世界には単純労働しか残らないことを目の当たりにしたら、
「なんでネットのあちら側じゃないといけないか」なんて言えなくなるはず。
こういう感覚を持った奴がエスタブリッシュメント側にいること自体間違ってるよ。
日本、なんか最近情けなくない?
この前、どっかの国営放送の記者が取材相手に「こっちの言うことは聞いてください、でも取材に一切条件は付けないで」って言ってて、
「終わってるな」って思ったんだけど。
国営放送の記者がそんなこと言う時代?
友達と話してた時、その子が
「最近のマスコミはジャーナリストの三大義務である
公正中立、客観的、謙虚のどれも満たしてないからウジ虫以下だ」

って言ってて、
すごい説得力あった。
最近のマスコミっていうのは、「自分だけべらぼうな高年俸で勝手放題に仕事してればいい」っていう感覚が根底にある気がする。マスコミをよく知らないから全否定はできないけど、
日本人がこのままマスコミの奴隷化して、「みんな黙って俺たちに教導されてればいい」
ってなったら、国は滅びることだけは確か。
そもそも、一億総表現者であることがWeb2.0の市民の姿なのに。
表現力が落ちてる!!
表現力を上げる教育が必要不可欠だと思われ。

ていうか、「なんで一生懸命自分の目で確かめようって意欲が失われつつあるの?」
って考えたんだけど、私なりの推測は、「メディア・リテラシーがないから」。
ネットという表現の場をもって自分のテキストサイトを作って、
てっぺん極めたら、
最後にパブリックジャーナリストに名乗りを上げるのが本来の市民の姿だと私は思うのね。
それを放棄するのは、ネットを愛してないからじゃない?

ふだんからテレビ漬けで洗脳されてると、メディア・リテラシーなんて意識しないけど。
だからこそ、若者はもっとネットで発言したりしなきゃ。
マスコミの言うこと鵜呑みにしてないでさ。
で、若者のメディア・リテラシーを上げるには教育から変えていくべきじゃないかと。
あちら側っていうものは実体が掴めないから、結局はGoogle、Amazon、Yahoo、はてなとかの利用経験がリテラシーになるんだと思うの。
で、それらを「使うこと」が出来ないなら、教育が絶対悪い。親と学校とマスコミが悪い!
メディア・リテラシーがないと、ネットの使い勝手は向上しないから、ブロードバンドの回線だけ敷きまくった日本は簡単にGoogleに植民地化されちゃうであろう。
教育を徹底改革して、子供にはタッチタイピングを叩き込むべきだと思う。

NIE教育は間違ってる。
あれは、朝日新聞の天声人語の読者を増やすだけ。
個人的には、総務省事業で視察した韓国のオーマイニュースに感動したので、あれを普及させるべきだと思ってる。(韓国のPC房についてはまた別エントリーでかくかも。)まあ韓国はネットユーザーの頭が悪いから、それを生かせてないけど。あの国はいろいろなもののバランスが悪すぎる。でも、ホロン部の巣窟ではある。
ていうかここまで思いつくままに書いてきたけど、何が言いたいのかよくわからなくなってきた…。
いろんな方向に飛びすぎ。書きたいことが多すぎて。
つまりまあ、まとめると、
私は教育改革に興味があるよって書こうとして、途中でいろんな問題にすりかわっちゃった…?盛り込みすぎた韓が否めない。

書いてて思ったけど、私の意見って、ネット知らずでリテラシー不足の意見だと思うのね。(しかも、まとまってないし。)
でも大事なのは問題意識があるか、意見を持てるか、ネットで表現できるかってことな気がする。
finalvent先生が、「最近のブロガーは『きっこの日記のどこがおか