Main

2008/05/26

書評『グーグルに勝つ広告モデル』

グーグルに勝つ広告モデル マスメディアは必要か 最近、久しぶりにテレビや新聞、雑誌などマスメディア各方面の関係者の集まる席に顔を出す機会があったのだが、なんだかそこで話を聞いていると、僕がメディア業界を離れてからまだ3年ばかりしか経っていないのに、マスメディアの内部というのはかなりひどい勢いで人材の劣化が進んでいるんだなあと思わされる話ばかりだった。出席している人たちはそういう業界動向からやや距離を置いていたり、既に引退されたりしている人が多かったのだが、僕よりもかなり前に引退された方にとっては、そこで関係者から次々報告されるエピソードや結構な地位の責任者の仰天発言などに、目を白黒させて「信じられない」といったふうだったので、まあ信じられない事態が進行中なのだろう。

 そういう最近のマスコミの絶望的な雰囲気に当てられてからこの本、『グーグルに勝つ広告モデル』を読むと、何という天使のような優しきオプティミズムに立った本だろうと感動する。皮肉で言っているのではなく、心からそう思う。帯には「消費者がわからない、モノが売れないと悩む人、広告・マスコミ関係者必読!」とあるが、ひたすら「あっち(ネット)側」の世界の知についてのオプティミズムを語る梅田本などより、それなりの責任ある地位にいるマスコミ人の方々には、帯のとおりむしろこちらの本をこそ熟読してもらいたいと強く思う次第だ。これを読んでまだ何か動き出さなければと思わないマスコミ人がいるとすれば、正直そういうマスコミ人にはマスコミに居る意味などないとすら思う。

 著者は広告代理店を経て外資系コンサルファームでメディア、エンターテイメント企業の変革に従事した経験を持つと略歴にあるが、書かれていることは見事なまでに戦略コンサルのロジック展開そのものである。マスコミ内部から見れば、ややことを単純化しすぎているように見えるかもしれないが、ロジックが単純化されているからといって、そこから導き出された結論に正面から論理的に反論できるマスコミ人など1人もいないだろう。そのくらい、単純明快な論理と快刀乱麻を断つがごとくの筆致が、最初から最後まで冴え渡っている。また、ものすごくロジカルに述べているにもかかわらず、「おっとどっこい」「ゼンゼン違う」「クリエイションしない」など、妙に崩れたギョーカイっぽい言い回しや多くの喩えも用い、努めて平易に書かれているので、非常に理解が楽である。

 とりわけ、1章「マスメディアの本質は『注目=アテンション』の卸売業」から3章「マスメディアの競合としてのインターネットメディア分析」までの議論は、ネットのことをかなりよく知っているマスコミ関係者でもきちんと整理して理解されていない論点が見事なまでにまとめられているので、このわずか20ページあまりのパートだけでも一読する価値はある。端的に言ってしまえば、著者は「インターネットは(特にGoogleは)マスメディアと直接競合しているわけではない」ということを明確に示している。今のマスメディアが「アテンションの奪い合い」という“仕入れ”の局面で競合しているのは、インターネットではなく、実は自らが生み出してきた「過去のコンテンツ」である。競合としての「過去」を浮上させるきっかけになった1つはもちろんインターネットかもしれないが、おそらくインターネットがなかったとしても、デジタル化技術が遅かれ早かれこうした事態を引き起こしていただろうと考えれば、マスメディアの地盤沈下はもはやインターネットを潰せば済むような問題ではないと言える。問題は、いかに自分の生み出した「過去」と戦うのか、あるいは戦い方を(収益モデルを)変えるのかということに尽きるわけだ。

 このあと、本書はテレビ、ラジオ、新聞、雑誌の順に、4つのマスメディアがどのようにインターネットと戦うべきか、その行く末にはどのような将来像があり得るのか、これまた明快な論理で明らかにしていく。この本がただのマスコミ評論本と大きく異なるのは、その分析から導出された「このメディアが生き残るためにはこうするのが論理的必然」というところまで、具体的にきっちり踏み込んで書かれている点だ。著者は「ここに書かれていることが正解とは限らない」と述べつつも、ここまで論理的に明快に喝破されては、「そうじゃないでしょ」とはたぶん誰も言えないと思う。少なくとも、僕も彼の導いた結論以外の妥当な方向性を思いつかない。

 ちなみに、著者は決して「マスコミ不要論」に立脚しているわけではない。むしろ逆で、11章「なぜ、それでもマスメディアは必要なのか」において、「マスコミは健全な民主主義を維持するための最後の防波堤」「社会の中で知の拠って立つ基盤」と庇い、これに対して「ネットはアノミー」「ネットは寄生虫」とまで断言している。マスコミ人にとってある意味ジャーナリズム産業の最後の拠り所となる「健全な民主主義の担い手」という言葉を、堂々と主張してあるというだけでもきちんと読む必要のある本だろう。もっともその防波堤、基盤が今まさに突き崩されようとしている状況に対してどうすべきかということについては、恐らく最近のマスコミが取ろうとしている方向とはまったく逆を本書は指し示しているわけだが。

 今後、マスメディアがこの著者の導く論理的帰結を冷静に受け止められるかどうかが、マスメディアの拠って立つレゾンデートルである「健全な民主主義」を本当に守れるかどうかの試金石となるだろう。つまり、今後の日本のマスメディアの将来を占う時には、極端に言えば「この本の言うとおりになっていればセーフ、違う方向に進んでいたらアウト」と判断しても良いだろうと思う。その意味では、本書は数年後には偉大な「預言書」になっているかもしれない。

 また、マスコミ関係者以外も読んでおくべき内容として、12章「コンテンツ論」と13章「マーケッターに求められるパラダイムシフト」という稿がある。特に、コンテンツ論に書かれている「今後は、メディアの枠組みそのものを作っていく、そしてその枠組みが市場の文脈の中でどのような利用のされ方をするか素早くセンス(察知)して、枠組みとコンテンツの両方を進化させていく、といった能力が、クリエイターには求められるようになる」といった言葉は、その1つ1つの言葉の意味をしっかりとかみしめて受け止める必要があるだろう。

 また、この本のすごいところとして、各章や節の終わりに、さまざまな文献からの警句の引用がされているのだが、この引用元の幅がまたすごい。「徒然草」から「ガンダム」まで、古今東西あらゆる名言隻句が引き合いに出されている。本書を読み終わったときには、こういうさりげない部分にも、著者の言う「デジタル化時代」の恐ろしさの片鱗のようなものを感じることができるかもしれない。

 新書なのでさっと読めるが、それだけにスルメイカのように何度も何度も1語1句をかみしめて読み込んでおきたい、すごい本である。個人的には、織田信長がゼロサムゲームを抜け出した日本人の代表例として紹介されているのにびっくりした。なるほど、千利休が秀吉に殺されたのは、彼が当時の日本の事実上の「日銀総裁」だったからなわけですね(この意味の分からない人は本書24ページをどうぞ)。というわけで、最近読んだ本の中では高橋洋一の『さらば財務省!』と並ぶ、超お勧めの1冊。

07:30 午前 書籍・雑誌 コメント (3) トラックバック (6)