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2008/01/07

書評『グラミンフォンという奇跡』

グラミンフォンという奇跡 「つながり」から始まるグローバル経済の大転換 久しぶりのブログ更新に、特に意味はない。強いて言うなら、昨今の状況について、少し思うことをそれとなく語ってみたりみなかったりというところか。私のmixiに来ていない方で、まだこちらのブログを読んでいる人もいるかもしれないと思ったりもしたので。

 といっても、別に大上段に「今年の抱負」とかそういうのをブログで語るつもりもない。その代わり、年末年始に読んだ本の中で、特に印象深かった本の紹介をしておこうと思う。『グラミンフォンという奇跡 「つながり」から始まるグローバル経済の大転換』という、昨年7月に出版された本である。

 出版されてから半年近くも経った時に、essaさんのところで知ったのだが、実はリアル知人たちがこの書籍の発刊に関わっていたことをそのときに初めて知った。そのとき「絶対読む」と備忘録に書いてあったものをようやく読んだ次第。著者、訳者の方々の意図とは異なる読み方だったかもしれないが、読んでいろいろと思うことがあった。

 大学時代の専攻が開発経済学だったこともあり、グラミンバンクやら適正技術やらといった話は、私のかつての知的関心のど真ん中の話題でもある。「かつての」と言ったのには、もちろん含意がある。essaさんやyohmeiさんのレビューは、どちらかというと開発経済学的な側面からストレートにこの本に共感を示している。それはそれでまったくその通りなのだが、私自身はそうしたことは理論的には既に大学時代の勉強で見聞きしていたので、特段新しい話という気はしなかった(ソフト化経済センターの町田氏は「途上国の経済開発はこの数年で様変わりした」とブログに書いているが、こうしたフレーム自体はグラミン銀行が登場した80年代後半以降の新成長論や持続可能性を論じる開発経済学の潮流の中では既に議論されていたことで、それが現実化しただけと思える)。

 この本を読みながら私が考えていたこと、それはもっと別のことだった。というか、私自身の過去の視野の狭さに対する痛烈な反省である。2000年頃、フィンランドまでNokiaをはじめとした世界最先端のIT産業の取材に行く機会があったのだが、そのときに「ITで世界最先端」と言われていた北欧諸国の企業(と国)の人々が、どんなビジネスをしようとしていたのかをちゃんと整理して理解せずにいたことを、この本を読むまでまったく気がつかずに今までいた。グラミンフォンが立ち上がるまでの経緯の中で、ノルウェーやスウェーデンの通信企業、コンサル会社、開発局(日本のJBICとかJICAみたいな組織)がちゃんと全部(人脈とか土地勘・ノウハウとか信用補完とかで)クラスター化していることが大きな役割を果たしていることがかいま見える。つまりNokia、Ericssonといった企業は、単独で世界規模の通信企業になれたわけではなく、国ぐるみで(欧米以外も含めた)世界市場にアクセスするための仕組みがあってそうなったのである。少なくともグラミンフォンやアフリカ諸国への通信ビジネスの展開に関する限り、米国は主人公のイクバル・カディーアのビジネス・キャリアであったり創業にあたってのシードマネー的なものは多少提供してはいるものの、途上国の通信市場におけるヒトモノカネの結合の中では(当初は)それほど重要な役割を果たしていたわけではない。つまり、新しい「世界市場」のピラミッドが米国を頂点としていたわけでは、必ずしもないということだ。

 まったく新しい市場、新しいビジネスのピラミッドは、多くの人々にとっては文字通りピラミッドの頂上の1つの石にしか見えない。砂の中に埋まっている巨大な石の構造物は、その存在に気づく能力のあるごく一部の人にしか見えないのである。見えない人があまりにも多く、見える人が1人しかいないところでは、その1人がどんなに巨大なピラミッドの存在に気づいていたとしてもそれは現実化しない。つまり新市場のピラミッドを早く見つけてその発見になるべく多くの人を巻き込み、ヒトモノカネをすばやく集めて動き出すためには、こぢんまりとした産業クラスターの中に、ピラミッドが見えるだけの前提となる知識のある人が集まっており、かつその中に「あいつの話ならまあ信じるに値するだろう」というような信頼関係のある人間のネットワークをきちんと構築しておく必要がある。

 もちろん、地中の構造物が見えたからといってそれを誰でも掘り起こせるわけではない。掘り起こすためには見えないピラミッドに対する信用を作り上げ、莫大な投資資金を集めてくる才覚と、そのスキーム組み立てのあらゆる段階で直面する「鶏か卵か」の議論をねじ伏せ、物事を前に進める力量が求められる。しかしこれらも個人でできる話ではなく、やはりそれをチームワークで成し遂げられる信頼関係のネットワークが必要だ。

 ネット業界でよく「世界展開できるサービスが日本から出てこないのはなぜか」という議論があるが、別に難しいことでも何でもないシンプルな話で、ウェブサービスに限らず「世界(日本以外)にいるお客のキモチが分からない人(たち)に世界向けの製品・サービスなんて作れるわけがない」のであって、それ以上でもそれ以下でもない。アフリカの人に使ってもらえるウェブサービスを作りたいなら、アフリカの消費者の生活事情に精通した人を連れてきて一緒にウェブサービスを作り、マーケティングする以外にないわけである。で、日本にそんな人がいるかというと、少なくともすぐに見つかるところ、声をかけに行ける範囲には誰もいないよねということで、単純に日本という社会のナショナリティに関する多様性の低さが「世界展開できるウェブサービスの出てこない最大の理由」だと私は思う(ネットでアフリカに詳しい人を探し出して尋ねれば良いという人もいるかもしれないが、ネット上で伝わる情報の量にはやはり限界がある)。

 この説明の「ウェブサービス」の部分は、恐らくそれ以外のあらゆる産業や製品・サービスの名前に置き換えてみるべきことだろう。自分の所属してる産業、作ってる製品・サービスはどうか?と考えてみると良い。そこでは世界規模のビジネスは意識されているのか?世界を視野に入れたピラミッドが掘り起こせるだけの力量、才覚のある人たちが信頼できるメンバーでチームを組めるほどの人数いる業界なのか?たぶん、これからの日本で世界に伍していくためには、この疑問を自問できるかどうか、それに判断基準を置いたアクションが起こせるかどうかが大事なのだろう。物理的にシリコンバレーに移住するだけがそうしたプロセスに必要な条件とは思わない。この本が示すように、米国にいたって世界という巨大なピラミッドが見えないことはいくらでもあるからだ。だが、周りに“日本”という国のレベルに収まらない、十分に大きな“ピラミッド”の見える人たちがある程度の数だけいないことは、日本の中で「世界標準」と「国内標準」にあらゆるものが二極化していくこれからの時代、大きなハンディになる可能性がある。元旦から始まった日経新聞の連載「YEN漂流」もまさにそうした未来を示すものだろう。私自身も今年からはそうしたことを意識して過ごさなければと思った次第。

 まあそんなわけで、今年もよろしくお願いします。

12:46 午前 書籍・雑誌 コメント (7) トラックバック (2)