ポリバレント=多能工って言えばいいんじゃね?
磯崎さんのところで見た新語にちょっと興味を引かれたので、つらつらと思うことを。
ポリバレントな人材(isologue)
「Polyvalent」って本来は化学用語らしいけど、日本語にすると要するに「多能工」ってことでしょ。英語にすると新しい話みたいに聞こえるけど、日本の製造業はもう数十年以上前から多能工の持つ価値を見抜いていて、その生産性の高さを引き出すための方法すら編み出している。そう、いつものアレです、「トヨタ生産方式」です。
こういう、耳新しいカタカナ語で語るとすぐに皆さん飛びつくんだけど、なんだかなあという感じ。いちいち英語で言われて気づく前に、日本オリジナルの知恵をもっとよく勉強して、大事にすればいいのに。そんなに難しいことじゃないと思うんだけどな。
ものづくりの世界での「多能工」の意味には、まず作業負荷の平準化がある。つまり、ある工程の作業ができる人というのがライン内に複数いることで、その工程の作業の負荷が一時的に増えてもそれを前後の工程の人が分担できる、だから生産ライン全体で見るとボトルネックが生じにくい、というのがそれだ。
ただ、多能工のメリットはそれだけではなくて、複数の工程をこなせるため仕事に飽きが来ない、複数工程にまたがる「カイゼン」の提案ができる、そして熟練すれば単工程の作業をこなせる人よりも多くの人から尊敬を集められる、といったこともある。言うなれば作業者のモチベーションそのものを高めることができまっせ、というのが多能工化の本質的な価値である、とトヨタ生産方式の中では言われているわけだ。
これだけ明確に謳われているにもかかわらず、ものづくりの世界から一歩出ると、多能工化を嫌う人が世の中本当に多いのね。特にその傾向が顕著なのが、磯崎さんのブログでも書かれているような「士業」の世界、それから学問の世界の人たち。いわゆる「専門家ホワイトカラー」系の世界の住人である。この方々は1つの領域に深く深くはまってる人にこそ最高の価値があると思っていて、複数の領域を股にかけて何の専門家なのかよく分からないぐらいいろいろな領域に足を突っ込んでいる人を、ことさらに卑下するさげすむ傾向がある。
「専門性」という名の下に隠蔽されたこれら「専門家」の視野狭窄、柔軟性のなさ、そしてもっとぶっちゃけて言うと「使えなさ」みたいなものは、最近とみに深刻だと思う場面が増えているのだけど、当の専門家の間にはそういう世間の評価に対する反省というのがまったくないというのがさらに深刻ですな。要するに、知的退廃というヤツでしょうか。率直に言って頭が悪いんですな、特定の「専門領域」しか持たない人たちというのは。あるいは現実の社会を知らないというか。
個人的には、その元凶となっているのが「大学」だと思うわけで。アカデミズムの世界ほど、特定分野の専門性を掲げずにいろんな領域を横断的に考える人間の評価を、不当に貶めているところもないと思う。確かに純粋科学の領域などでは、特定の専門領域に深く深く入っていく、生涯をかけて取り組むことで達成できる何かもあるとは思いますよ。でも実際の世の中で役に立てようと思ったら、複数領域の専門性を併せ持っている「多能工」な人のほうがずっと高い価値を生み出せる。だったら、純粋学問と社会の間の「実務系学問」の領域ぐらい、多能工専門家の評価をもっと高くする仕組みとか、あってもいいんじゃないかと思うのだが。
こと「士業」の世界では、純粋学問の人たちの人材に対する価値観がそのまま実務的専門家の評価にも滲み出してしまうものだから、社会的ニーズの高まりそっちのけで融通の利かない視野狭窄な専門バカが大量に生まれるという弊害が生まれているわけだ。そして、既存のアカデミズムに依存しなければ自分の目で人材が有能かどうかの判断すら付かない人たちが、その価値観をさらに再生産するという悪循環が延々続く。まったくもって、どうしようもない。
まあ、既存のアカデミズムはそういうところは永久に変わらないかも知れないだろうけど、せめて実務家の側からでもそういう価値観に異を唱えることはしていくべきじゃなかろうかと。多能工の本質的価値というものを、もう少しホワイトカラーの人たちも考え直して、人材評価に反映させるとかした方がよろしいんじゃないでしょうか。なんてことを思ったですよ。そんな話はどうでもいいですかそうですか。では。
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コメント
士業や学問系の人が視野狭窄でダメだっていう原因がまったく指摘されてないからただの感情論になってるですけどなんとかしてください
投稿: 通りがかり | 2007/05/18 01:23
大学教授の多数は、研究が複数の分野に
またがる事が出来る「多能工」だと思います。
そうでなければ、准教授にすらなれません。
一つの柱となる学問があり、それに複数の
付随する分野をやっているからこそ長い間に
渡り大学で研究職をやっていられるのでは
ないですか?
投稿: ムック | 2007/05/18 04:33
>ムックさん
コメントどうもです。まあ、そういう意味では「多能工」の言葉がやっぱり適切じゃないのかも。付随する分野とかそういうのじゃないですね、僕がpolyvalentという言葉でイメージしてるのは。もっと全然違う領域(例えば、哲学と工学と法律とか)です。
実際にはそういう、領域を乗り越えていくことに非常に意欲的な教授がたくさんいることも、知ってますよ。ええ。ですが「アカデミア」に所属する人々の大多数は、そういう一部の動きを見ないようにしてるようにすら見えますね。個人的な印象ですので、「どこの誰が」とか詰めないでください。はい。
投稿: R30@管理人 | 2007/05/18 08:40
大学が「役に立つ」ことばかり研究する、というのは空恐ろしい状態だと思います。
むしろ、役に立たなくても研究できるという自由が必要だと思うのです。
もちろん、全員が役に立たない研究ばかりされても困りますが。
ま、「役に立つ」も、言葉としては曖昧で、何に役に立つとか、将来的には役に立つとか、社会の利益に貢献するとか、いろいろと留保がつくと思います。
投稿: AOI-CAT | 2007/05/18 09:05
あらゆる大学がそうなればいい、などとは言ってませんので。ちゃんと読みましょうね。>AOI-CATさん
投稿: R30@管理人 | 2007/05/18 10:34
多能工とTQCは、とてもヤリガイがある分野なんだけど、困ったことに、コンピュータでのライン管理が行き渡ってしまうと、生産の効率性で突っ走る。つまり、品質管理が疎かになってしまうわけ。で、不良品が、市場にでる割合が上がっているはず。私がいたころは、ちょうど、そのハザマだったな。バイトだったのに、フロア全部の仕事とPCと品質検査と、いい経験になった。大きい工場で。いろんな人がいて面白かったし。品質検査は、統計的手法の実践だし!
(たぶん、学問の世界も、紙に鉛筆で書いて考え、黒板や掲示板で連絡していた頃の方が、ずっと学問だったのだと思うよ。つまり、「考えなくなった!」 忙しくてね。)
マンションだって、構造計算がPCでできるようになって、安く早く建てるニーズから結局不正につながったのだと思うよ。現場には、自らの安全のために、現場現場で経験を生かしきって、とにかく建てていたんだろうけどね。とにかく、立つのが早すぎる。正常にすすんでいる物件も。建築物が安普請すぎる。こういうことをしていると、若い人材が育つわけがない。困ったものだ。
ま、一番、プロとしての基本の、経済観念(読み書きそろばん)と、掃除片付けが下手な人は、なにをやってもダメ。天才は別格なのに、あたかも天才のつもりでやろうとしたり、「諸君、自らの天才性を信じろ!」とか煽っているひとたちもいるし。「大志を抱け」は、「夢」をみろとは違うしな。
ただ、R30チンの目線はよくわかるけど、そろそろ切り替えた方がいいかも。ネットって、本物のエリートがいないのだよ。私も知り合いにはいないけど、バリバリで第一線の最前線の若目のエリートがすれ違うだけで、存在感の切れがスルドイというか、ま、そのときの連れは、ヨボヨボのひねくれた経営陣のジジーだったけど、この落差がすごかった。そっちの切れる方を探した方がいいと思うよ。
ま、そういう人がいるからって、落胆することはないけどね。人生は長い。いろいろな人やモノを見ている方が楽しいってもんだ。上から下すべて見られほうがいいってもんだけど。目線だけは、自分で変えない限り、永遠に変わらないものだよ。
世界は広いから、底辺労働は中国から、エリートは欧米から、日本を支えるというか利用されるというか、ボチボチは暮らせるのかも、日本人は。国際社会の潤滑材というか、なんでも神仏にしてしまう大らかさで、なんとかやっていくのかもね。で、多能工とTQCは、中国に売れるだろうし、なんだかんだで、受け入れてなんとかしてしまう慣習は、欧米に売れると思うよ。せめて、どっかの一国に嫌われないようにだけはしてほしいけどね。
あと、ニートは、ぜひ、家の中の多能工になってください。脱却の近道。ニートの専門家でいると、ずっと難しくなるだけ。品質へのこだわりは強くある分、この点ではすぐれているのだしね。
投稿: 野猫 | 2007/05/18 11:49
世の中には「器用貧乏」という言葉もあるのですよ。
「専門家」の中には「なんでもできます」が「何をやらせても2流以下」と同義の場合があって、そういう分野では「器用貧乏」は存在価値が無くなります。
ピッチャーもできるしバッティングもそこそこだけど2流以下の選手より、バッティングだけ超一流の4番バッターや投げることだけなら超一流のピッチャーの方がギャラは高い。専門家とはそういうものでは。
投稿: とおりすがり | 2007/05/18 13:32
大学のとくに情報工学まわりのひとびとはそのことに気づいているように思います。ただ、(学会などの)システムがついてきていないのはたしかでしょうか。根本的に、もうちょっと柔軟な評価システムができてもよいでしょうね。教育でも、専門家になるのも、プロデューサになるのも評価されるシステムがほしいです。とくに工学分野では。
あと、個人的には軸足があってこその多能工だと思います。組織的活動をする場合は特に。
投稿: ねる | 2007/05/26 20:14
>>シャチョサン
なんか弁当爺さんちの裏庭で将棋指してる客人が「シャチョサン何か書かないとフルボッコ」とか言ってたんで何も書かずにフルボッコ希望します。全力で死んで吉。
投稿: 渡辺裕 | 2007/09/21 20:13