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2007/01/14

「選び、捨てる」のできないオールドメディア

 昨年から藤代さん@ガ島通信に誘われて参加していた情報ネットワーク法学会の分科会の1つ、「デジタル・ジャーナリズム研究会」が、先週の土曜日にとりあえず一段落した。とか言って、実は昨年5月から7月ぐらいまでの何回かと、昨年末の学会でのパネルディスカッションに出た以外はほとんど顔を出さなかった僕が言うようなセリフじゃないですね、「とりあえず」とか(笑)。お前が何やったんだよ、と怒鳴られそう。

 で、最終回のテーマは「ジャーナリズムと経営」ということだったらしい(らしい、というのは、所用で参加が1時間弱遅れて、前半の議論にほとんどついていけなかったから)。実はどうやら僕に司会みたいな役割が期待されていたらしいのだけど、遅れて行ってみたら既に別の人が司会役をやらされていて、僕は最後までまったく何の役にも立たなかった。まったくもって使えねえ奴でございます。

 最初の回で「ジャーナリズムの定義」というテーマで「ネットの言論はフラットかそうじゃないか」で議論が堂々巡りしているのを見て「なんて不毛な研究会だ」と呆れていたにしては、昨年末の研究大会でのパネルディスカッションはずいぶんと面白かった。そして最終回の議論も、まあいろいろな意味で興味深いものではあった。

 プレゼンターはとあるネット媒体のニュース欄担当の方と、戦略ファームのコンサルタントの方の2人で、僕は後者のプレゼンの最中に会場にたどり着いたのだが、新聞を中心としたオールドメディア関係者の方々はそのプレゼン内容をどう理解して良いのやら分からず、無反応状態(笑)。ま、そりゃそうだよな。メディア業界って、自社の財務諸表すら見たことない人たちの集まりですからね。「コストに占める変動費比率が~」とか「保有するコンテンツのマネタイズが~」とか言われても、宇宙人と会話するぐらい訳分かりませんって言われるのが関の山(笑)。

 コンサル氏は要するに「既存のマスメディアはファイナンス面から見る限り、決して将来が暗いわけではない」というのと「良いコンテンツを持っているがそれをうまくマネタイズできてないという意味では、オールドメディアとYouTube、MySpaceなどのweb2.0企業は同じポジションにある」ということを言いたかったようなのだけど、聞いている人たちからは「で、それって僕たちにどういう意味があんの?」的なきょとんとした雰囲気しか感じ取れなかったのが、はたから見ていて面白かった。

 その後の議論は、2人のプレゼンターのプレゼンを華麗にスルーしつつ、最近勃興してきているローカル系のネットメディアのビジネスモデルなどの話になっていったのだけど、「あそこはあーしている」「こっちはこーしている」みたいな情報交換の合間に、突然(これまた僕よりもさらに遅れてやってきた)藤代さんが、がーっと割って入ってしゃべりまくる、みたいな不思議な議事進行で、結局何がどうまとまったのかさっぱり分からずじまい。飛び交っていた事例の情報はそれなりに面白かったけど、最後まで何一つ意味のあるフレームワークも提示されなければ結論も出ないという、オールドメディア関係者と会話すると必ず陥る、絵に描いたような典型的な結末を迎えて研究会はおひらきとなった。年明け早々、まったくめでたい会でございました。

 昨年12月の学会研究大会のパネルも含め、議事録らしきものが今後まとまって出るそうなので、興味のある方は気長にそちらを待っていただくとして、ここでは僕個人の感想めいたものをちょっと述べておきたい。

 前々から思っていたことなんだが、最近改めてつくづく感じるのは、オールドメディア業界の人ってほとんどが「真面目な職人さん」なんだよね。ネット界隈の巷では「マスゴミ」なんぞと呼ばれ蔑まれているが、報道業務に「世間を自分の意のままに動かしてやろう」なんていう悪意を持って携わってる人間なんて、それこそナベツネぐらいのレベルのところにしかいなくて、ほとんどの記者は「これが社会のためになっている」と思いこんで日々体を壊す寸前まで働きづめになりながら、目の前に降ってくる事件を追い、ニュースをさばき、取材をこなしているのが実態なんだよね。だから、あまり知られてないけど、マスコミって40代半ばぐらいでからだボロボロになって突然死しちゃう人とか、20~30代でうつ病になって失踪したり自殺したり引き篭もっちゃったりする人とか、普通の企業に比べてめちゃくちゃ多いわけで。

 で、幸いにもそういう過酷な環境でドロップアウトしなかった人が生き残って上に上り詰めて「経営者」になるわけなんだけど、上り詰める人もはっきり言ってただの「真面目な職人さん」の一種に過ぎないのだね。たまたま多少「真面目」度がちょびっと低かったりとか、ローテーションの運に恵まれたりとかいう事情があって、過労死しなくて済んだだけのことで、本質的には一兵卒の「真面目な職人」と何ら違う人種じゃない。

 こういう悪意もかけらも持たない、心から「メディア」という仕事を天職だとか思いこんでいる善意の固まりの真面目な「職人」が、メディアという事業のマネジメントをやることの弊害というのが、実は甚だ大きい。なぜかというと、真面目な職人というのはその真面目さゆえに、やるべきこととそうでないこととを冷徹に選び取り、残りをばっさり捨てるということができないからだ。

 「あなたは真面目で誠実なんです、そしてそれこそがあなたの最大の欠点なのです」なんて言われたら、人間誰しも自分が人格否定されたとしか思わないだろうから、誰もそういうことは当の本人に面と向かって言ったりしないのだけど、実際メディアビジネスに関わっている人の最大の致命的な欠点とは、彼らが「真面目で誠実」であり、まさにそれ故にビジネスをしていくうえでの冷徹かつ大胆な取捨選択の判断が下せないことなのだ。

 DJ研最終回のプレゼンターの某コンサル氏によれば、「実際問題としてオールドメディアの方がネットメディアより従業員の年俸も圧倒的に高く、仕事自体公共性が高いと言われてもいるはずなのに、オールドメディアの従業員のモチベーションはネットメディアより全然低い」。このパラドクスの原因は、結局オールドメディアの人々というのが上から下まで誰も「選び、捨てる」という経営的判断ができないことにある、と僕は思う。

 かつては僕は「メディア業界がダメなのはメディア企業の経営トップが無能ゆえである」と思っていたが、最近は少し違うと思うようになった。なぜかというと、優れた企業というのは経営トップだけでなく、役員会からミドル、現場まであらゆるレベルの階層で、従業員が「経営」的な視点からの判断を下そうとするのを重んじる組織文化があるからだ。

 例えば、トヨタといえばトヨタ生産方式(TPS)やトヨタウェイなどが有名だが、世の中の多くの人がTPSやトヨタウェイを「現場が一定のルールに従うだけで自動的に生産性が上がっていく」ような管理システムや行動規範だと思っているのではないか。でもそれは、全然違う。トヨタという会社は、役員から現場の新人社員に至るまで、組織内のあらゆるレベル、あらゆる職種の人間に「経営視点からの判断」を求める組織風土がある。そして、それこそがTPSやトヨタウェイの本質だ。トヨタの社員は、1人1人が毎日毎日「我々は会社全体、事業全体、SCM全体から見てこの仕事をやるべきか、やるべきでないか」ということを考えて、取捨選択をし続けているのである。

 オールドメディアの業界の人で、会社の経営方針や業界の行く末に関して不満や不安、愚痴を漏らしたり、経営トップやミドルマネジメントをくさしたりする人はいくらでもいるけれど、自分が今やっている仕事が会社の、事業の、あるいは業界全体から見てどうして必要なのか、あるべき姿とは何なのか、そこに近づくためにはやるべきなのかやるべきでないか、やるべきとしたらどのようにした方が良いのか、といったことをきちんと筋道立てて議論できる人に、残念ながらこれまでお目にかかったことがない。そういう議論ができる人は、たいてい30代半ばぐらいまででそこからいなくなる。メディアの世界に居続ける人というのは、誰もが自分の仕事に対する情熱のつぎ込み方がハンパなものではないのだけれど、一方で上から下まで、組織全体や経営的な視点から見たあるべき姿の議論というのが、極端に苦手だし、そういうことが考えられるようになることが必要だとも、誰も思ってない。

 でもそのことが、実はまだまだいくらでも「何とかしようがある」はずのオールドメディア業界を、さらに悪い方向に追い込んでいっているのだと、僕は感じている。こちらのブログでも書かれているように、成長著しいネットメディア業界だって誰もが同じようにおいしい思いをしているわけではなく、容赦ない淘汰が進んでいるのである。なのに、ネット業界のような激烈な競争もなく、ぬるい馴れ合いとさまざまな規制・保護で守られているオールドメディア業界の方がネット業界よりも士気が下がっているのだとしたら、それは他の誰のせいでもなく業界の中の人たち自身のせいでしかない。メディア業界の人たちは、自嘲気味に業界の行く末を嘆いたり経営トップの悪口を言ったりする前に、自分の意識を変えるべく他業界や他社、他人にもっと謙虚に学び、自分の業界や仕事を見る視点を上げるべきだと思う。

 というわけで、デジタル・ジャーナリズム研究会も春からまた2期目が始動するのかどうか知らないけれど、できればそういう「マネジメント」の切り口から議論を再開してほしいなあと思ったりしたのだった。出席率の異様に悪い不良会員なので、こんなとこであまり偉そうな口を叩くもんでもないと思いますが。

 あと、個人的にはネットにも今のメディアにも、何となく飽きた感が強まってきたので、今年から少し活動の領域と方向を変えて行こうかと思っております。このブログはたまーに釣り堀、ブラックジョーク、チラシの裏、またはアサマシの場としてちょろちょろ更新はしようと思いますが、僕の日々のアイデアやら動静を知りたいという方は、僕とリアルで知り合いになったうえでmixiに来られることをお勧めします。ていうか、今後は知り合いでもない方々に自分の論考をタダでは提供しないことに決めたので、あしからず(また気が変わるかもしれませんが)。リアルでおつき合いのある皆様は、今年もどうぞよろしくお願いします。

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コメント

R30タソ酷い・・・・
水着でのし上がったのに
売れてからは急に脱がなくなるみたいな
グラビアアイドル手法を展開するなんて・・・・ョョョ

投稿: BigMiss | 2007/01/15 03:19

「職人」の定義が間違っているから、
このテキストは不可!

単に「仕事依存症の集団」ということなんじゃないの?
ちなみに、ホンモノの職人は、
仕入れや売掛や利益見込み、
人を使うことも育てることも、
すべてできなければ、職人とは呼ばれない。
どちらかというと、経営芸術家のこと。

投稿: 野猫 | 2007/01/15 07:00

>自分の論考をタダでは提供しない

これは良い! 一番良い!!

ただし、論考を正しく誰かに差し上げるスタンスとシステムについては、常に考えていた方がいい。
良い企業経営にはあったはずなんだよ。
今はないな。
安く買えばいいと思っているバカじじーが大杉
で、バカじじーを喜ばせている、クソもうじゃうじゃ。

騙されて、儲かっていると勘違いしていて、
気がつくと丸ハダカ、
その上、関係ない人間にまで迷惑の嵐。
ったく!

投稿: 野猫 | 2007/01/15 07:10

金を取れる確信のある論考ならいいけどね。
ここは試論を出して叩いてもらう釣堀くらいの
スタンスで良いんじゃないかと。

とはいえ、Webで書きまくり~なんとなく停滞~
無料提供はやめやめ、の流れで成功してる人は
知らないねぇ。
そういう事をわざわざWebで書いちゃうってのは
負け犬の遠吠えに近いものがある。

投稿: 通りすがり | 2007/01/15 10:55

>僕の日々のアイデアやら動静を知りたいという方は、僕とリアルで知り合いになったうえでmixiに来られることをお勧めします。

何とかリアルで知り合いになりたいものです。
「タダでは提供できない。というかネット上では後悔するべきではない種類の論考という物がある」部分については同意しますが。

投稿: キングフラダンス | 2007/01/15 13:56

間違えました。
後悔→公開
です。

投稿: キングフラダンス | 2007/01/15 17:55

>僕の日々のアイデアやら動静を知りたいという方は、僕とリアルで知り合いになったうえでmixiに来られることをお勧めします。

 一応、リアルで知り合い(笑)ですけど、どう? 私なんかは居ないほうがいいでしょ? そのへんのところ、メールか何かでご連絡戴ければ。

投稿: ハナ毛 | 2007/01/15 18:56

>誰もそういうことは当の本人に面と向かって言ったりしないのだけど、

 いやあ。言って怒らない人には言ったほうがいいんでない? って、怒らない人ってのが少ないんでしょうけど。怒る人かどうか、仮に怒ったとしてどう行動するか。そこんとこの見極めが、重要ですよね。決してキレない人って、なかなか居ませんからなあ。はっはっは。

投稿: ハナ毛 | 2007/01/15 19:00

 mixiも当面は重要なんでしょうけど、あそこはあそこで色々問題ありますし。金を取る気でなんか言うなら、いっそ書籍を出せば? といったところ。そういえば、ワタナベねーちゃんの本、買っときましたよ。

投稿: ハナ毛 | 2007/01/15 19:03

マスコミちゅーか、報道ですね。

投稿: fratdrive | 2007/01/20 11:41

>今後は知り合いでもない方々に自分の論考をタダでは提供しないことに決めた

なんつうか、まさにオールドメディアですな。

投稿: kitten | 2007/01/21 17:19

オールドメディアへの羨望、片思いが失恋に終わってしまい、「可愛さ余って憎さ百倍」になったような文章にお見受けします。自分の主張が通る場にしか顔を出さない人間は、オールドやらニューやらという議論以前に、「お子様」と笑われるでしょう。

投稿: とほりすかり | 2007/02/18 08:59

イギリスの精神分析家、ウィルフレッド・ビオンは、グループ(会社組織や政府組織『官僚』)は基本となる数種類の体勢がある事を発見しました。
 
(I)作動集団(work group)
 集団が課題を達成しようと協力して機能しているグループ。自我心理学の自我に相当。
 
(II)基底的想定集団(basic assumption group )
 その行動が何らかのファンタジーに基づいているグループ。~のつもり、などの憶測や空気、などによって支配され、集団は課題を遂行できず多くの葛藤を伴う。集団の無意識領域。基底的想定集団は以下の3つに分類される。
 
 a)依存集団(dependency group)
 万能的な、完全に依存できる優秀なリーダーがすべての欲望、欲求を満たしてくれると考える集団。集団は欲求不満に陥った際に用意に依存を攻撃に転嫁させる。
 
 b)つがい集団(paring group)
 グループの課題が何であれ、カップルの間に生まれる新しい何かによってすべてが解決されると空想する集団。現在の不安や課題から無意識的に回避し、躁的に防衛しようとする集団。救世主願望。最終的に救世主は現れないため、無力感に襲われることになる。
 
 c)逃走逃避集団(fight-flight group)
 基底的想定は被害的、妄想的な様相を呈する。各メンバーが疑心暗鬼となり、責任を他人に転嫁し攻撃を開始する。中傷が横行し、集団は分裂する。課題は決して達成されない。

2chでの中傷が横行し、サイバーカスケード集団は楽しむ。

投稿: 構造改革乱用ダメ。ゼッタイ | 2008/01/30 01:50

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とりあえずR30(呼び捨て)ムカツク。 彼のこのエントリについて何がどの程度ムカツクか、書こうと思ってたら、びっくりするほどまとまらなくて、もういいや面倒くさいまとまらないまま書き散らす。 テレビには、スポンサーと視聴者という2つの顧客がある。車輪の両輪みたいなものだ。 CMの理念から言えば、視聴者の利益というのはスポンサーの利益となるべきであるので 通常というか理想ではこの2つは同じ方向で回転している。 ・・・その時は別に問題ない。 しかしながら、ス... [続きを読む]

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