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2007/01/21

某えん罪事件の映画の件

 映画そのものは見てもいないわけですが、あちこちで盛り上がり始めているのでちょっと一言。例の、前田有一氏曰く「すべての男が見るべき大傑作」磯崎先生曰く「他人にどうすすめてよいのか分からない」と悶絶されるところの、あの映画でございます。

 まあ、いろいろな意味でフジテレビ亀ピーGJ、なんでしょうね。素直にそう思います。痴漢えん罪がどうこうというのでなく、司法というのがいかに不条理な世界であるかというのを、これから4年以内に「裁判員制度」が始まる前に、国民の皆さんがよく知っておいた方がよろしかろうと。 知ったからどうこうなるものでもありませんが。

 不肖私もこの前とある刑事事件で地元の警察に原告側証人として呼ばれ、調書作りにつき合わされたのですが、いやもうなんというか「職業としての司法」というのはこういうものかと絶句致しました(警察は厳密には行政ですがね)。最近は公務員に成果主義導入とか話題になっているようでございますが、警察には既に業績評価賃金が導入されているかのごとくでございます。とにかく明確で疑いを差し挟む余地のない事件を立件するのが職務ですから、そのために刑事さんってのはグレーもすべて「クロ」と断言させようと、誘導尋問しまくりなんですな。

 こちらは一応原告(被害者)の人にとって唯一の頼れる証人ということもあり、あいまいな証言をすると加害者が無罪放免になっちゃう恐れもあり、まあ多少の誘導尋問には目をつぶるしかないかと思ってもいたんですが、それにしてもこっちの話の意図や目撃内容を必死にねじ曲げて、あたかも犯罪があったのが自明であるかのようにでっち上げようとする様子が、本当に痛々しいことでございました。

 逆に考えると、自分が何かのはずみで事件に巻き込まれ、加害者の嫌疑をかけられたら、裏でこうやってものすごい勢いで周辺に誘導尋問されて罪をでっち上げられるんだろうなと思うと、とにかくああいう場にかかわりにならない生き方をするのが善良なる市民の責務でさえあると思うようになりました。

 以前にどこかで読んだ気もするのですが、満員電車の中で女性に手を捕まれて「あなた、痴漢でしょ!」とか叫ばれたら、「違う」と主張したり「出るとこ出てやろうじゃないか」とかバカなこと考えたりしないで、とにかく脊髄反射的にすぐに手を振り切って、脇目もふらずに電車を降りて(あるいは別の電車に飛び乗って)人混みに紛れて逃げるのが最上の策であるらしいですね。自分自身は痴漢したい衝動に駆られたことも痴漢したこともありませんが、万が一痴漢扱いされたら脊髄反射で脱兎の如く逃げられるように、いつも心構えはしているつもりです。

10:13 午前 日記・コラム・つぶやき コメント (14) トラックバック (6)

2007/01/14

「選び、捨てる」のできないオールドメディア

 昨年から藤代さん@ガ島通信に誘われて参加していた情報ネットワーク法学会の分科会の1つ、「デジタル・ジャーナリズム研究会」が、先週の土曜日にとりあえず一段落した。とか言って、実は昨年5月から7月ぐらいまでの何回かと、昨年末の学会でのパネルディスカッションに出た以外はほとんど顔を出さなかった僕が言うようなセリフじゃないですね、「とりあえず」とか(笑)。お前が何やったんだよ、と怒鳴られそう。

 で、最終回のテーマは「ジャーナリズムと経営」ということだったらしい(らしい、というのは、所用で参加が1時間弱遅れて、前半の議論にほとんどついていけなかったから)。実はどうやら僕に司会みたいな役割が期待されていたらしいのだけど、遅れて行ってみたら既に別の人が司会役をやらされていて、僕は最後までまったく何の役にも立たなかった。まったくもって使えねえ奴でございます。

 最初の回で「ジャーナリズムの定義」というテーマで「ネットの言論はフラットかそうじゃないか」で議論が堂々巡りしているのを見て「なんて不毛な研究会だ」と呆れていたにしては、昨年末の研究大会でのパネルディスカッションはずいぶんと面白かった。そして最終回の議論も、まあいろいろな意味で興味深いものではあった。

 プレゼンターはとあるネット媒体のニュース欄担当の方と、戦略ファームのコンサルタントの方の2人で、僕は後者のプレゼンの最中に会場にたどり着いたのだが、新聞を中心としたオールドメディア関係者の方々はそのプレゼン内容をどう理解して良いのやら分からず、無反応状態(笑)。ま、そりゃそうだよな。メディア業界って、自社の財務諸表すら見たことない人たちの集まりですからね。「コストに占める変動費比率が~」とか「保有するコンテンツのマネタイズが~」とか言われても、宇宙人と会話するぐらい訳分かりませんって言われるのが関の山(笑)。

 コンサル氏は要するに「既存のマスメディアはファイナンス面から見る限り、決して将来が暗いわけではない」というのと「良いコンテンツを持っているがそれをうまくマネタイズできてないという意味では、オールドメディアとYouTube、MySpaceなどのweb2.0企業は同じポジションにある」ということを言いたかったようなのだけど、聞いている人たちからは「で、それって僕たちにどういう意味があんの?」的なきょとんとした雰囲気しか感じ取れなかったのが、はたから見ていて面白かった。

 その後の議論は、2人のプレゼンターのプレゼンを華麗にスルーしつつ、最近勃興してきているローカル系のネットメディアのビジネスモデルなどの話になっていったのだけど、「あそこはあーしている」「こっちはこーしている」みたいな情報交換の合間に、突然(これまた僕よりもさらに遅れてやってきた)藤代さんが、がーっと割って入ってしゃべりまくる、みたいな不思議な議事進行で、結局何がどうまとまったのかさっぱり分からずじまい。飛び交っていた事例の情報はそれなりに面白かったけど、最後まで何一つ意味のあるフレームワークも提示されなければ結論も出ないという、オールドメディア関係者と会話すると必ず陥る、絵に描いたような典型的な結末を迎えて研究会はおひらきとなった。年明け早々、まったくめでたい会でございました。

 昨年12月の学会研究大会のパネルも含め、議事録らしきものが今後まとまって出るそうなので、興味のある方は気長にそちらを待っていただくとして、ここでは僕個人の感想めいたものをちょっと述べておきたい。

 前々から思っていたことなんだが、最近改めてつくづく感じるのは、オールドメディア業界の人ってほとんどが「真面目な職人さん」なんだよね。ネット界隈の巷では「マスゴミ」なんぞと呼ばれ蔑まれているが、報道業務に「世間を自分の意のままに動かしてやろう」なんていう悪意を持って携わってる人間なんて、それこそナベツネぐらいのレベルのところにしかいなくて、ほとんどの記者は「これが社会のためになっている」と思いこんで日々体を壊す寸前まで働きづめになりながら、目の前に降ってくる事件を追い、ニュースをさばき、取材をこなしているのが実態なんだよね。だから、あまり知られてないけど、マスコミって40代半ばぐらいでからだボロボロになって突然死しちゃう人とか、20~30代でうつ病になって失踪したり自殺したり引き篭もっちゃったりする人とか、普通の企業に比べてめちゃくちゃ多いわけで。

 で、幸いにもそういう過酷な環境でドロップアウトしなかった人が生き残って上に上り詰めて「経営者」になるわけなんだけど、上り詰める人もはっきり言ってただの「真面目な職人さん」の一種に過ぎないのだね。たまたま多少「真面目」度がちょびっと低かったりとか、ローテーションの運に恵まれたりとかいう事情があって、過労死しなくて済んだだけのことで、本質的には一兵卒の「真面目な職人」と何ら違う人種じゃない。

 こういう悪意もかけらも持たない、心から「メディア」という仕事を天職だとか思いこんでいる善意の固まりの真面目な「職人」が、メディアという事業のマネジメントをやることの弊害というのが、実は甚だ大きい。なぜかというと、真面目な職人というのはその真面目さゆえに、やるべきこととそうでないこととを冷徹に選び取り、残りをばっさり捨てるということができないからだ。

 「あなたは真面目で誠実なんです、そしてそれこそがあなたの最大の欠点なのです」なんて言われたら、人間誰しも自分が人格否定されたとしか思わないだろうから、誰もそういうことは当の本人に面と向かって言ったりしないのだけど、実際メディアビジネスに関わっている人の最大の致命的な欠点とは、彼らが「真面目で誠実」であり、まさにそれ故にビジネスをしていくうえでの冷徹かつ大胆な取捨選択の判断が下せないことなのだ。

 DJ研最終回のプレゼンターの某コンサル氏によれば、「実際問題としてオールドメディアの方がネットメディアより従業員の年俸も圧倒的に高く、仕事自体公共性が高いと言われてもいるはずなのに、オールドメディアの従業員のモチベーションはネットメディアより全然低い」。このパラドクスの原因は、結局オールドメディアの人々というのが上から下まで誰も「選び、捨てる」という経営的判断ができないことにある、と僕は思う。

 かつては僕は「メディア業界がダメなのはメディア企業の経営トップが無能ゆえである」と思っていたが、最近は少し違うと思うようになった。なぜかというと、優れた企業というのは経営トップだけでなく、役員会からミドル、現場まであらゆるレベルの階層で、従業員が「経営」的な視点からの判断を下そうとするのを重んじる組織文化があるからだ。

 例えば、トヨタといえばトヨタ生産方式(TPS)やトヨタウェイなどが有名だが、世の中の多くの人がTPSやトヨタウェイを「現場が一定のルールに従うだけで自動的に生産性が上がっていく」ような管理システムや行動規範だと思っているのではないか。でもそれは、全然違う。トヨタという会社は、役員から現場の新人社員に至るまで、組織内のあらゆるレベル、あらゆる職種の人間に「経営視点からの判断」を求める組織風土がある。そして、それこそがTPSやトヨタウェイの本質だ。トヨタの社員は、1人1人が毎日毎日「我々は会社全体、事業全体、SCM全体から見てこの仕事をやるべきか、やるべきでないか」ということを考えて、取捨選択をし続けているのである。

 オールドメディアの業界の人で、会社の経営方針や業界の行く末に関して不満や不安、愚痴を漏らしたり、経営トップやミドルマネジメントをくさしたりする人はいくらでもいるけれど、自分が今やっている仕事が会社の、事業の、あるいは業界全体から見てどうして必要なのか、あるべき姿とは何なのか、そこに近づくためにはやるべきなのかやるべきでないか、やるべきとしたらどのようにした方が良いのか、といったことをきちんと筋道立てて議論できる人に、残念ながらこれまでお目にかかったことがない。そういう議論ができる人は、たいてい30代半ばぐらいまででそこからいなくなる。メディアの世界に居続ける人というのは、誰もが自分の仕事に対する情熱のつぎ込み方がハンパなものではないのだけれど、一方で上から下まで、組織全体や経営的な視点から見たあるべき姿の議論というのが、極端に苦手だし、そういうことが考えられるようになることが必要だとも、誰も思ってない。

 でもそのことが、実はまだまだいくらでも「何とかしようがある」はずのオールドメディア業界を、さらに悪い方向に追い込んでいっているのだと、僕は感じている。こちらのブログでも書かれているように、成長著しいネットメディア業界だって誰もが同じようにおいしい思いをしているわけではなく、容赦ない淘汰が進んでいるのである。なのに、ネット業界のような激烈な競争もなく、ぬるい馴れ合いとさまざまな規制・保護で守られているオールドメディア業界の方がネット業界よりも士気が下がっているのだとしたら、それは他の誰のせいでもなく業界の中の人たち自身のせいでしかない。メディア業界の人たちは、自嘲気味に業界の行く末を嘆いたり経営トップの悪口を言ったりする前に、自分の意識を変えるべく他業界や他社、他人にもっと謙虚に学び、自分の業界や仕事を見る視点を上げるべきだと思う。

 というわけで、デジタル・ジャーナリズム研究会も春からまた2期目が始動するのかどうか知らないけれど、できればそういう「マネジメント」の切り口から議論を再開してほしいなあと思ったりしたのだった。出席率の異様に悪い不良会員なので、こんなとこであまり偉そうな口を叩くもんでもないと思いますが。

 あと、個人的にはネットにも今のメディアにも、何となく飽きた感が強まってきたので、今年から少し活動の領域と方向を変えて行こうかと思っております。このブログはたまーに釣り堀、ブラックジョーク、チラシの裏、またはアサマシの場としてちょろちょろ更新はしようと思いますが、僕の日々のアイデアやら動静を知りたいという方は、僕とリアルで知り合いになったうえでmixiに来られることをお勧めします。ていうか、今後は知り合いでもない方々に自分の論考をタダでは提供しないことに決めたので、あしからず(また気が変わるかもしれませんが)。リアルでおつき合いのある皆様は、今年もどうぞよろしくお願いします。

02:53 午前 メディアとネット コメント (13) トラックバック (2)