悪夢のロングテール考
いつも興味深く読ませていただいている池田信夫氏のブログだが、一昨日にちょっと首肯しかねるエントリが上がったのでそれについて。
マルクスとロングテール(池田信夫Blog)
最近よく聞くのだが、どうもあちこちでロングテール論を悪用する人たちが増えているようで、ITの時代に入った途端に突然あらゆるところでパレート法則が無効になってしまったかのような物言いがされる。んなわきゃーない。ニハチの法則はいつまでたってもニハチなのだし、だいたいたまたま自分がニハチのニだからって偉そうに「キミたちもぜひハチでもロングテールに」とか言わないでくださいよお願いします。
池田氏のコラムについての反論は、山形浩生氏の「ネットワークのオプション価値」という、古い論文でも見ていただければ十分ではと思う。ロングテールはテールにあるものがある日何かの弾みにヘッドのほうに飛び上がってくる「可能性」において成り立っている。山形的に言えば「オプション価値」である。
通常の企業活動ではある一定値以下の可能性しか持たないものは、手を付けるだけ無駄と考えられるので切り捨てられる。つまり初めからロングテールなどという場に出てこない。ところが、ネットの世界ではロングテールの列に並ぶだけなら誰でも何でも(ほぼ)タダで並べる。つまり無限に小さいオプション価値に対してコストのほうも無限に小さくなったので、切り捨てられるものが減りました、というだけである。
ここでロングテールが成り立つために大事なことが、2つある。列に並べるのは、並ぶコストが無限に小さいものだけであるということ。つまり並んでいることによって保管のコストがかかったり人間が時間を確保しておいたりする必要が一切ないものでなければならない。もう1つは、それが単に列に並んでいるだけではいつまで経ってもオプション価値が顕在化しないので、並んでいるものをテールからヘッドに飛び上がらせるよう、何らかの工作をしなければいけないということだ。
と、いう条件を考えると、池田氏の言うように、ロングテールによって人間がネット上で適当な情報生産を行う「自由な時間」だけで暮らしていけるようになるためには、そこでやり取りされる“商品”が長期間保存可能でしかも保管コストがかからないものであることと、“商品”の取引そのものにも人手が一切かからない(=取引に備えて時間を確保しておく必要もない)ことの2つが最低限成り立つ必要がある。つまり、例えば書籍や(パッケージ)ソフトウェアみたいに、手離れの良い商品じゃなきゃダメだということだ。
残念ながら、このどちらも実は「手離れの良い商品」にするために、高いハードルが存在し、結構な初期コストがかかる。もちろん、適当なことを書き散らしたり、適当な動きをするソフトウェアなら、誰でも作れるだろう。だがそれを「手離れの良い商品」のかたちにできる(チャンスと能力に恵まれた)人は、ごくごくわずかしかいない。それでも、世の中に出る商品の「8割」以上は思ったよりも全然売れないので、サンクコストに目をつぶり、ロングテールのテールのほうに並ぶことで何とか敗者復活を期するわけだ。
そういうわけで、ロングテールは「コンテンツとしてクオリティの高いものでありながら、マスマーケティングのタクトに乗っかれずたまたま発売当初のタイミングではうまく売れなかったもの」を救済するためのロジックであり、もっと言えばそういう商品を「流通させる」側のロジックである。たとえば、そういうものがゴロゴロしている分野を見つけたら、おたくもAmazonみたいに儲かるビジネスが作れまっせーという説明の中で使われるべき言葉なのである。
ところが最近、この言葉がなぜか商品を「作る」側を説得する材料のために使われていたりするらしい。「これからはロングテールですから、売れない商品も作っておけばいつか売れるかも知れませんよ」とか。あるいは、商品ですらなく、赤字のサービスやどうでもいい顧客の存在に目をつぶらせる呪文にさえなっているらしい。「今はあまり買い手がいませんが、いやなにロングテールですからそのうちそれなりにお客さんが付くようになります」とか、「こういう、ちょっとしか買わないお客さんも、今はロングテールのテールですが、いつかはたくさん買ってくださるようになるかと」など。
そんなわけは未来永劫ないのであって、不採算のサービスや顧客に対してロングテール論を適用するのはほとんど詐欺だと言ってもいい。
もっと言えば恋愛や職探しのような人間のマッチングにロングテール論を適用するのは、詐欺を通り越してほとんど犯罪だと思う。なんとなれば、ロングテールの列に並び続けようとする人に対しては断続的な負担が強いられるうえに、列に並びながら同時にテールからヘッドにジャンプアップしてオプション価値を顕在化するための「裏工作」が実は必要という、場合によっては人間を信じられなくなるような努力をしなければならないことも起こるからである。
分かりやすく言えば、例えば悪質なお見合いサービスを想像すると良いと思う。「ロングテールな人にもご希望のおつき合いの相手が見つかります」というような売り込みで列に並ばせておき、期待を裏切るように女性が誰も寄ってこない人に対して「もっと着飾らなくてはモテませんよ」と言って服を売りつけたり、「うちにお金を払ってもらえれば優先的に美人の女性が紹介されます」とか言ってさらにお金をふんだくる、といったようなことが、ロングテール論を悪用することによって起こりうる。
ロングテールは贈与経済ではない。まして、オープンソースなど決して贈与経済ではない。あれはただのインフラ・プロモーションの一手法である。ネットは歴然とした市場原理の、場合によってはリアルな世界よりももっと透明で苛烈な市場原理の働く世界だ。リアルの世界は目の前の仕事、目の前の女性だけが自分にとって最高の選択肢だったと思い込んでいればいい。だがネットの世界は常に他の誰かとの競争が存在する。自分がニハチのハチの部分にさえ入らない、圧倒的なテールに位置する人間なのだと否応なく認めさせられる。そこでは自分のことを疎外された物的存在だと自分で諦めてしまわない限り、永久に動き続ける市場から「もっと最適な存在たれ」と要求され続ける。これが「マルクスの言う自由時間」なわけがない。むしろ強迫神経症一歩手前の世界だ。
マルクスの言わんとしていたことは、自分がホーリスティックに自分であるような、そして同時に他人がホーリスティックであることを否定しないような、そういう生き方を見つけなさいということなんだと、僕は思っている。自然発生的な分業をアウフヘーベンしろということは、つまり市場原理から自分を遮断し、自分を自分で切り刻んで生きるのではない時間を持てということだ。ロングテールは、自分の生産物を自分と完全に切り離して流通させられる人間にとっては福音かもしれないが、それとても市場原理の一変態であることに変わりはないのである。
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コメント
ん?
雑誌や新聞読むのとネット読んだり書いたりしてんのとどっちの時間が長いんですか。
投稿: cyberbob:-) | 2006/07/17 16:23
↑どっちの時間が長くてもどうでもよくね?
茶髪ロンゲvs.キンパチ先生みたいなもんでしょ。
投稿: けろやん。 | 2006/07/17 17:08
ごめんなさい。
規制で、どうせ書けないと思い、
ヘンなコメント入れてしまいました。
本件については、本当にごめんなさい!!
投稿: けろやん。 | 2006/07/17 17:11
茶髪ロンゲが地毛でキンパチがヅラ。
投稿: cyberbob:-) | 2006/07/17 17:40
なんか頭の中だけで書いた感じで痛々しい。クオリティ下がりすぎ。日経ビジネス時代を思い出して取材したほうがいいと思います
投稿: とおりすがり | 2006/07/17 23:36
ここは僕の妄想を書く場所です。きちんとした取材に基づく記事が読みたければ、日経ビジネスをちゃんとカネ払って買ってください。>とおりすがり
投稿: R30@管理人 | 2006/07/17 23:51
お返事どもです。タダで書くブログなんぞに労力かけられっか、ってのはよくわかるし、正しい姿勢だと思います。ただ、妄想の質が落っこちてるということは基礎体力も落ちているということなので、ちょっとおせっかい言ってみました
投稿: とおりすがり | 2006/07/18 00:48
>並んでいるものをテールからヘッドに飛び上
>がらせるよう、何らかの工作をしなければい
>けないということだ。
これは勘違いではないのですか?
「塵も積もれば山となる」が一般的で、
必ずしもリバイバル・ヒットする必要はない。
投稿: 恐竜のしっぽ | 2006/07/18 03:44
要するに払う金が無いか金あっても払う気が無いかのどっちかなんでタダで楽しませろってことで宜しいか>通りすがりの中の人
投稿: 私 | 2006/07/18 07:35
どうもこのエントリで言うロングテールは、「いままで特に話題になっていなかった作品、なにかの拍子に話題になる」という現象を引き起こす為の武器である、という扱われ方をしている気がしますが……。
それはロングテールとは違うのではないでしょうか?
どっちかというと、「需要のテール部分と、供給のテール部分を組み合わせて価値を生む」のがロングテールではないかという気がします。
投稿: turisugari | 2006/07/18 13:01
うわ、マルキストって凄いな。ここまで来ると聖書の解釈学、いやノストラダムスだ。
マルクスはインターネットの到来まで予言されていた訳ですか。
しかも言い訳しまくった結果、ビルゲイツの寄付行為が資本主義の終焉とは、池田センセーの脳ミソには妖怪が歩き回ってますね。
投稿: 帰社部落 | 2006/07/18 17:17
>、「いままで特に話題になっていなかった作品、なにかの拍子に話題になる」という現象を引き起こす為の武器である、という扱われ方をしている気がしますが……。
それはロングテールとは違うのではないでしょうか?
そうだよね。凄い断定されたんで自分が間違ってたかと思っちゃったな(ホ
そういう意味のロングテールなら別にどうでもよい。
投稿: mixt jp | 2006/07/18 21:00
アマゾンを自動車あたりに置き換えると・・・
恐竜の頭:ベストセラー本=トヨタ・カローラ(単価は安し、大量生産)
恐竜の尻尾:専門書=アストンマーチン(単価は僕のマンションより高い。生産はごくわずか)
でR30氏の指摘する詐欺的な恐竜の尻尾とは・・・
パイが小さいということで、売るために安くした単価。単価を下げるためにコストを抑える。その結果、下手すと無料のフリーペーパー、でもって読者に商品を買わせてペイするっていうのは、ロングテールでもなんでもないだろうって解釈でOK?
なら納得。
投稿: 児玉遼太郎 | 2006/07/19 01:17
あー、分かった。
「尻尾の方の商品でも、誰かが求めている」という方ではなく、
「尻尾の方の商品でも、クチコミで頭になれる」という方ですね。
恋愛や職探しでいえば、同じ尻尾同士でくっついていればいいのに、
着飾ったり、金を払えば、頭になれると妄想しているような人たちには
だまされるのも、良い社会勉強ではないでしょうか。
ただ、ロングテールは「尻尾の方の商品でも、誰かが求めている」×「たくさん」
により、利益が出るという理解をしている人が多いと思います。
×「ロングテールはテールにあるものがある日何かの弾みにヘッドのほうに
飛び上がってくる「可能性」において成り立っている。」
投稿: にじの | 2006/07/19 11:53
ようは、短期決戦売れ筋商品を売るのが商売だと思っていたらさにあらず、地味な品物でも世の中にはスキモノがいて、オレ的にはコレが一番良いわ、とある程度のシェアはある。それを領域全般長期タームで見てみれば、あ~らなんとこれでも食ってくやり方があるやん? ということでは?
投稿: mixt.jp | 2006/07/19 15:00
ところで、ロングテール部分の在庫管理コストはどうなるんでしょうか?
販売側はネットで低コストだけど、モノの管理は必要なんですが。
投稿: 通りすがり | 2006/07/20 09:44
>>通りすがり氏
もともとロングテールって言葉はアマゾン(本屋)発。
本屋の在庫は配本・・・つまり返品できる在庫だからリスクなし。
投稿: 児玉遼太郎 | 2006/07/23 09:24
>>児玉遼太郎さま
それもちょっと違うんじゃ。
ロングテール論はアメリカ発ですが、
アメリカでは普通は返品できませんよ。
かつては在庫として取り置いておいたら二度と日の目を見なかったものが、ネット上では陳列のコストがほとんどゼロなので、半永久的に陳列しておけて、どういう経緯かその陳列棚に辿りついて購入する可能性がある。そして、その塵も積もれば山となる現象によって、ロングテールを活用する商売は成立する、みたいな。
投稿: akira | 2006/07/24 02:04
どっちも正しくないような。
本やCDの場合、取り寄せの場合は日本でも原則、返品不可です。
ネットショップでは、注文が入ると取り寄せて配送するから、在庫管理リスクゼロ。
しかし、ゲームやCDや人気本の場合、発売日の売上が大きいので、
当日配送や人気商品の品切れを防ぐために、事前に発注するようにすれば、在庫リスクが発生。
どう判断するかは、ショップ次第、ということです。
Amazonも、昔は取り寄せ主体でしたが、今は事前発注を行っているようで、
ときどき、売れ行きが悪い商品を投売りしてますね。
投稿: にじの | 2006/07/24 11:53
はじめまして。ロングテールというキーワードに引っかかってきました。ロングテールがもてはやされている一番の問題は、ロングテールをコアコンピタンスとするビジネスモデルというのは、突き詰めれば結局「何でも屋」の中でも「一番でかい(品揃えが多い)会社が勝つ」ということで、第二のアマゾンみたいな会社の中で一番でかい会社が勝つということ、つまり皆が幸せになれるビジネスモデルではないのに、皆幸せになれると思っている勘違いが一番問題だと思います。
投稿: y | 2006/07/30 23:27