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2006/05/25

ブログ封印

 ダメ。マジでやばすぎ。仕事が全然おわんない。なのでしばらくブログ封印します。ブクマには「あとでコメント」ネタがたまっていってるんだけど…。ここで下手に手出すともろもろ生産性が落ちそうなのであしからず。あ、封印期間中も無法系コメント・トラバは容赦なく削るのでそのようにご理解いただければ。では。

03:47 午前 日記・コラム・つぶやき コメント (67) トラックバック (3)

2006/05/19

書評:「ヒルズ黙示録―検証・ライブドア」

ヒルズ黙示録―検証・ライブドア なんか最近書評ばっかり書いてる気がするが、まあいいや。たまたま面白い本によくぶち当たるので、きっと幸せなんだろう。AERAの大鹿靖明記者が書いた、『ヒルズ黙示録―検証・ライブドア』。既にあちこちのブログで書評が書かれているので、特に内容そのものの総括レビューはしない。

 自分自身、このブログでホリエモンの日本放送買収の記者会見模様のライブエントリを書いたり、ライブドアやホリエモンについていろいろ考えたことを書いてきたこともあり、「あーなるほど、あのときの裏はこうだったのか~」とか、いろいろ考えながら読んだ。そして最後に大鹿記者が指摘しているように、ライブドアという会社がある意味で自分を含む団塊ジュニア世代の「パンク・ムーブメント」だったことを実感した。驚いたのは、実は自分もこの10年あまり、想像以上にその舞台上の登場人物たちの近くにいたことを知ったことだ。

 この本を読んでいて僕が一番興味を持ったのは、ホリエモンをはじめとするライブドアの経営陣の面々ではなく、最近シンガポールに国外脱出した村上世彰氏その人である。

 実は、僕は今から10年前駆け出しの記者の時代に、通産省(当時)にいた村上氏を見ていた。といっても、村上氏に会いに行ったわけでもなく、たまたま別件で取材に行った通産省で見かけただけだった。見かけたのも横顔ぐらいまでだったし、もちろんその人が村上氏だなんてことも教わらなかったし、その当時には知るわけもなかった。

 でもあのとき、あそこにいたのは間違いなく村上氏だったのだと確信している。通産省サービス産業課という表札の出た部屋の中で、ロッカーに貼られた座席表に「企画官」と書かれた席に彼は腰掛けていた。椅子にそっくり返って座り、窓際の机に向かって足を放り上げ、電話の受話器を肩で挟んで大声で話していた。その大声の会話は、10メートルほど離れた小さな会議スペースでパイプ椅子に腰掛けて取材していた僕にまで筒抜けだった。

 取材していた内容はほとんど記憶に残っていないのに、10年たった今も、その甲高い声ははっきり耳に残っていて、その内容さえはっきりと覚えている。「おお、久しぶりだなあ。元気か?そうだよ、中小企業庁なんて要らねえんだあんなもん。そうそう…」。会話の相手は、旧知だが別の部課あるいは省庁にいる同僚かと思われた。いずれにせよ、役所取材経験が浅い新米記者にとって、鮮烈すぎる光景だった。

 当時ヒヨッコ記者だった僕は、「通産省という役所はすごいなあ、まだ30かそこらのキャリア官僚が、自分の役所の出先機関を『要らねえんだよ』って一刀両断するのかあ」などと感心していたが、それはたぶん誤解だったのだろう。あんなことを大声で役所の中で、しかも机に足を乗せながら電話でまくしたてるような人は、その後僕が知り合ったどんな官僚にもいなかった。あれこそが村上氏だったのだと、この本を読んで分かった。もしかしたら、あの会話の相手が、本の中に出てくる(当時野村證券から通産省に出向していた)丸木強氏(現・M&Aコンサル副社長)だったのかも知れない。

 その2年後、彼は通産省を辞してファンドを立ち上げる。村上ファンドの投資手法に対する評価は賛否両論があるが、そのギャップの理由を大鹿記者は、

村上には、あざとく立ち回り、巧みに利益を追求する、したたかなファンドマネージャーの顔がある反面、株主への還元やコーポレートガバナンスなどを訴えるオピニオン・リーダーとしての「正義」の顔ももっている。その二面性は、前と後ろに2つの顔を有し、光と闇、善と悪などあらゆる対立物を象徴する古代ローマの神・ヤヌスを思わせる。(p.140)
 と述べている。ちなみに、この「ヤヌス神」の喩えは、大鹿記者のオリジナルではなく、2005年10月のAERAを見ると「(村上氏の)知人の金融機関幹部」の言だそうだが、言い得て妙という感じだ。そういえば今週の週刊東洋経済にも、彼の矛盾するこの2つの側面を徹底的に叩く記事が載っていた。

 「村上のやっていることなんてただの総会屋と変わらない」とか、「新手の仕手の一種だろう」とか指摘する人は僕の回りにも多かった。だが、総会屋というのは会社にこっそり取り入って金品を要求する人たちのことだし、一方仕手というのは複数の人間でつるんで株を買い上がり、個人投資家を食い物にして利食うことだ。大量の株を買って堂々と会社の経営者に経営改善を要求し、個人投資家が大損をこくような局面で株を売るようなずるいマネもしない村上氏は、総会屋でも仕手ではない。

 村上ファンドの動きは、阪神電鉄の時もそうだが、ちゃんと市場を見ている人間には予測もできるし、手口が分かるものである。逆に言えば、村上ファンドにつけ込まれるということは、その企業の経営者が資本市場からの監視に対してあまりに無為無策であることの証左なのである。その意味で、村上氏は株式資本主義の申し子そのものだし、磯崎氏のところで書かれているような、村上ファンドを潰そうとするさまざまな法規制は、結果としてそもそも資本政策に歪みのある日本企業を温存してしまうだけなんじゃないかというふうに思う。

 とはいえ僕も、一方で買収対象の企業を「改革せよ」と脅しながら、大株主として経営の改善を見届けるのでなく、その前にライブドアや楽天に持ち株を「はめ込んで」逃げてしまう村上ファンドのイグジット(投資回収)の手法が良いとは決して思わない。少なくとも、「健全な資本主義」という視点からは肯定できない。

 でもそれは、ウォーレン・バフェットのような長期投資ではなく、そういう短期勝負のイグジットでなければ投資資金を集めることも回収することもできない日本の株式市場のせいなんじゃないかと思う。巨大資金を持つ者がつるんで株をつり上げるインサイダー取引がはびこり、しかもそれを誰も摘発しない。摘発されないのなら、非対称な情報をもとに大きな資金を動かせる人間の方が儲かるに決まっている。本書では、今回のライブドア事件の意味を東京地検の元特捜部長の1人の言葉、

「今回の事件は、やりすぎの『すぎ』のところに光を当てている。(中略)自由な経済活動と車の両輪である遵法意識やモラルがこれまで軽視されすぎていたのではなかったか」
 によって総括している。

 そもそも検察が法律の埒外にある「モラル」をどうこうする権限があるのか、と言えば確かにそうなのだが、結局は証取委なり検察なり、誰かがそれをやらなければならなかったから仕方なかったのだろう。だが、それは本来なら、「見せしめ」的に行われるのではなく、もっと適切なプロセスを踏んできちんと「日本版SEC(米国証券取引委員会)」のようなものを作った上で行われるべきだったろう。でなければ今日も日々行われているインサイダー取引などはなくなるはずもない。

 個人的には、ライブドア事件でホワイトナイトを演じ、ホリエモンを「清冽な資本市場の流れを汚してはいけない」と喝破したSBIの北尾吉孝氏を、誰か引っ張り出して日本版SECのトップにでもしてくれないかなと夢想する。市場というのは、たぶん北尾氏の指摘するような、「誰でも入れる、だが悪意のある人間、義を守らない人間は永久にたたき出す」という鉄のルールが日々守られてはじめて機能する存在なのだ。であれば、より新参者にはハードルの高い(しかし既存のプレーヤーには甘い)法規制を次々作るよりは、不心得者を厳しく摘発する組織を作るべきだ、というのが、米国にならって始まった90年代の金融ビッグバンの教訓の1つではなかったのか。

 北尾氏はもう事業家としての孫正義氏に付いて行こうという気はないみたいだから、ポスト小泉政権の目玉政策として、日本版SECの初代トップとかになって「公益に尽くして」くれないだろうか。そんなことを、この本を読んでつらつらと考えた。

05:20 午後 書籍・雑誌 コメント (12) トラックバック (9)

2006/05/14

PVではなくFeedがウェブの価値基準になる?

 今年初めぐらいからあちこちで言われていたことが少しつながったような気がしたのでメモ書き。

 気になっていた1つめは、こちらのブログでさりげなく書かれていた話。ページビュー(PV)とかリーチで見た日本のインターネットの伸びが、今年第1四半期で頭を打ったというもの。

 こちらのブログでは「インターネットが右肩上がりである、というオプティミズムは、意外に早く崩壊するかも」と、ネガティブなファクトと受け止めていたのだが、僕自身は何か腑に落ちないものを感じていた。実感として、日本人のネット利用時間がここに来て減り始めているという印象はない。

 まあ、6月末になれば総務省の情報通信白書が出てくると思うので定量的なものが明らかになるだろうが、今年初めからのYouTubeの大人気ぶりなどを見ていても、むしろ情報メディアとしてのネットの勢いは、ここに来て一気に加速し始めたというほうが感覚値的には正しい。

 じゃあどうしてPVやリーチが下がるのか。これに対する仮説の1つとしてピンと来たのが、こちらの話題。はてなと大手新聞社サイトという、局所的なレベルでのアクセスの話でしかないんだけど、ここでgitanezさんが挙げているはてなのPVの理由が、「はてなは無数のFeedを吐いていて、それに対するRSSアグリゲーター(リーダー)のアクセスがPVのかなりの割合を占めてるんじゃないか」というもの。

 もちろん、htmlファイルとrdfやxmlのどっちのアクセスがどれだけかなんてことは、はてなの中の人にしか分からないんであくまで仮説に過ぎないんだけど、確かにはてなってそこら中のページがFeedを吐いている(Firefoxを使っていると、アドレスバーの右端にオレンジのFeedマークが表示されるのでよく分かる)ので、それはあり得ない話じゃないなあと。

 しかし、一方でRSSリーダーが一般のネットユーザーに普及しているとは到底思えないので、gitanezさんの言うように「必ずしも人間が見てる数が多いんじゃないのかも」というところにこの謎を解く鍵があるような気がする。たとえば、僕もGoogle パーソナライズのコンテンツに「はてな注目エントリー」のRSSを登録してあって、Googleを開くとGmailのメール一覧などの横にいつも「最新の注目エントリー」がずらっと表示されるようにしてあるんだけど、Ajaxを使ったそういうウェブサイトの機能が、元サイトのPVにあまり影響を与えずにFeedだけで事足りるようにしてしまっていたり、あるいはFeedを吐いてないサイトへのアクセスを自然と減らしていたりするのかもね。

 実はこのブログも、連休前からRSSで配信する内容をこれまで「見出しと本文の一部」だったのを、「本文全文」に変えてみた。PVは大して変わらないので、何がどう変わったかは管理者側からはあまり分からないんだけど、読者側からしたらこのほうが圧倒的に便利なんでしょうね、きっと。そうしてサイトを訪問せずにコンテンツだけFeedで読む人が増える、と。

 次のニーズはここだな。Feedがいつどのくらい、どんな人に読まれているのかという「Feedアクセス解析」。これがちゃんとできるシステムがあったら、ブロガーとしては絶対使ってみたくなるよね、たぶん。今のFeedはどっちかっていうとタダで投げっぱなしだが、このへんがFeedアグリゲーターの側の情報まで引っ張って見せられるようになればかなり受けそうな気がする。

 というところで連想したのが、サイトのFeedを特定のアグリゲーターの利用者にしか読ませないという朝日新聞と小川浩氏@Speed Feedの実験。反応を見ると「オープンであるべきFeedに認証をかけて、特定アグリゲーターにしか読ませないってのはどういうことだ、反Web2.0的だ」とかネガティブなものが多いみたいだけど、僕個人はこの試みの発想自体は大いに評価する。少なくとも、そこにマーケティング・チャンスを見出したということは、とっても正しい。

 ただ、そこで配信されるコンテンツ(W杯ドイツ大会特集の記事)が、配信先であるFeedpathの「ITビジネスパーソン」というターゲット顧客層とどうマッチするのか全然わかんないのと、アグリゲーター側でユーザー捕捉するのだからPVどうこう言う必要もないのに、なぜか全文配信ではなく記事の抜粋のみであるっていうところが、なんか歯車1つ飛んでいる感じがして超ナイス。コンセプトが正しくてもこういうUIのささいなところがダメだと、こういうミスマッチが結局ユーザーの気持ちを掴めなくて終わっちゃうんだよなあ。もったいない。

 それはおいといても、以前にサイボウズラボの奥さんが言っていたようなFeedの認証配信に世の中の関心が向かってきたのはとても良い流れだと思うし、エンドユーザーをしっかり掴んでいるRSSアグリゲーターがマーケティング上の立場で強くなるのは当然のことだと思う。といっても、現時点でこの領域の最大のプレーヤーはやっぱりGoogleになってしまうのかもしれないが。日本のネットサービス企業には今後ぜひ、簡単で使いやすいFeedアグリゲーションのアプリケーション・サービス開発に血道を上げていただきたいものだ。

 …とかいって、今Googleパーソナライズをいじっていたら、すごいことに気が付いた。去年の12月ぐらいからあった機能みたいなんだけど、英語版のPersonalizedの「Add Contents」のメニューの中に、パックマンとかテトリスとかクロスワードパズルとかが入ってる!しかもどのゲームもタダでやりたい放題。ディルバートとかの漫画もある!ちょう凶悪!あーあ、こんなもの見つけちゃって、これからデスク仕事がますます滞るぞ…困ったなあ。トホホ。

07:30 午前 メディアとネット コメント (8) トラックバック (6)

2006/05/08

『技術空洞』を読んで考えたリーダーシップの意味

技術空洞 Lost Technical Capabilities このブログでもこれまで時々ソニーの経営について書いてきたが、ハコフグマン氏のブログで同世代の元ソニー技術者による告発本『技術空洞 Lost Technical Capabilities』が紹介されていたので、さっそく入手して読んでみた。

 んでもって、自分が以前の取材などでも得ていた印象とほとんど同じだったので、がっかりといえばがっかり、納得といえば納得。今さらそれ以上書くこともないかなあと思いつつ、とはいえいろいろと思うところもある本だったので、書評でも書こうかと気を取り直してメモ作ったり他に書評しているブログを探したりして徘徊していたら、僕の思ったことと同じことをこれ以上ないくらいに簡潔にまとめたブログを見つけてしまい、書評を書く気が完全に失せた。そこで、今回はこの本を読んで思い浮かんだことについて書いてみたい。

 著者の宮崎氏は、こちらのブログでもまとめられているように、技術系ソニー社員の典型例みたいで、まあでも出井さんにもいろいろ事情はあったみたいよ、ということで事務系ソニー社員によるソニー批判の代表例である竹内慎司著『ソニー本社六階』なんかも引用していたりしているが、まあ要するに「俺たちをやる気にさせられなかった出井政権下のマネジメント連中が悪い」という結論。

 この手の愚痴はソニーほどの大会社ともなるとやはりそれなりに面白いが、しかしそもそも井深・盛田時代から続く創業家のドロドロとそれを覆い隠してきたソニー・ブランドを巡る暗闘まで書かなければ、暴露本としてはやはり物足りないし、そもそも単なるゴシップ以上の何でもないですねというAmazonのレビューの批判にも応えられないわけで、読んでも大して得られるものがあるわけでもない。

 もしこの本から得られるものがあるとすれば(そして僕の思考もまさにそこに向かっていたわけだが)、こういう30代の(経営を“見る目”はそれなりにある)それなりに優秀な若手・中堅社員をモチベートして会社に居続けさせるようなマネジメントというかリーダーシップというのは、どういうものなんだろうということへの思索かもしれない。

 じゃあいったい出井氏がどうすれば良かったのか、歴史に「if」を持ち出すのは禁じ手だし、僕にだってそれはよく分からないが、少なくとも2003年以降のソニーに見られなかったらしい「良いリーダーシップ」について、僕が最近感じたことを書きとめておくのも悪くないだろう。自分の勤め先の話なんでやや口はばったいのだが、ある意味心から「すごい」と思えたエピソードだったので。

 最近、一部の部署で担当役員が入れ替わったのだが、僕も多少関わりのある隣の部署の新任役員が新しい事業方針についてその部署に関わっている他部署の社員にも説明したいということで、僕も呼ばれた。それで、何の気なしに話を聞きに行った。

 1時間半ほどのミーティングだったのだが、その役員は自分から一方的に話したりせず、参加者の1人1人に「今、あなたは我が社のお客様にとってどのような役に立っていると思うか?」「これから、あなたは我が社のお客様や世の中にとって、どのような形で役に立ちたいと思うか?」といったことを、次々に尋ねる。居並ぶ社員は思い思いに自分の考えをしゃべるのだが、それを彼は「つまり、AさんとBさんとCさんの言うことをまとめると、こうなりたいということかな?」などと言いながら、一つのフレーズにうまくまとめて皆を納得させていく。そしてまた、次の質問を投げかける。

 しばらくそうやって、だんだん自分たち(とその役員の担当部署)が今やっている仕事の意味、目指すべき方向性などが言葉にされて、明確になってくると、次にその役員は「これまでの『ミッション』『ビジョン』を、みんなの意見に沿って言い換えてみると、こういうことじゃないかと思う」と、それまで社員に発言させて納得させた言葉を簡潔に並べたフレーズと、従来の部署の『ミッション』『ビジョン』とを並べて、プロジェクターでスクリーンに映写した。従来のものに比べて業務の方向性が格段に具体的にイメージしやすく、しかもこれまでの議論が見事に反映されていて納得するしかない。当然、プレゼン資料として事前に用意されていたものなわけだが、よく練られているなと感心した。

 また、次に「やるべきこと、やるべきではないこと」というタイトルの資料が投影された。これも非常に分かりやすい。事業を拡大させていこうとするとついついあれもこれもということで方向が拡散しがちになる(実際、これまでも何度もそういう議論をするたびに、もっと隣接領域のビジネスまで幅広くやるべきじゃないのかという話が出ては消えていた)が、少なくともこれで事業領域についての堂々巡りの議論に明確な線が引かれた、と感じることができた。

 すると、そこで彼が再び質問を投げかけた。「この新しいミッション、ビジョンをもし具体的な成果目標として設定するとしたら、どのような数字であるべきだろうか。我々は質と量、どちらを優先して追求すべきだとみんなは思う?」 これにも全員がいろいろな意見を言い始める。「自分は自分で質の維持できると思える仕事しか受注してこないようにしている」「質を落としたら量なんか取れっこない」「いや、量がないのにいくら質の良さを叫んでも、世の中が我々を認めるだろうか?」「まず量を追求して、質は仕組みで担保すべきだ」等々…。

 彼がそれを引き取る。「仕組みで担保、いい指摘だ。みんなの言うとおり、量と質、もちろんどちらも大切だが、我々の仕事の質は、受注した後に仕組みとして作り込み、維持していくべきものだ。まず受注がなければ仕組み作りも始まらない。俺は、その意味で量をまず追求したいと思う」。そして次のスライドが投影される。皆、そこで息を呑む。

 そこには、「今後×年間で××万人を我々の顧客にする」と書かれている。すごい数字だ。今の事業規模を単純に倍にしても追いつかない。彼がその数字の根拠を説明し始める。確かに正論だ。今まで話し合ってきたビジョン、ミッションから言えば、このぐらいの数字を目標に掲げなければ嘘になる。そして最後に彼は質問した。「みんな、どう思う?」

 指名されて、何人かが「目標は理解できるが、それは現状の体制から言ってかなり難しい…」的なことをつぶやく。確かに、今の事業内容の延長線上でこの数字は到底実現不可能だ。しかし、役員の彼はそんな反論が出てくることはとっくに承知の上でこの話を持ち出してきた。しかも、周到なステップを踏んで。

 「この数字と今の我々の現状にはもちろん、大きなギャップがある。それは恐らく目標期間内に何らかの大きなイノベーションを起こさなければ実現できない。でも、それをやろう。でなければ我々のミッション、ビジョンに偽りがあると言われても仕方ない」。そう力説されれば、聞いている側もだんだんと「この目標、達成はかなり困難だけど、挑戦のしがいはありそうだな。いっちょやってやるか」という気になってくる。少なくとも、自分たちがさっき意見を言い、納得したミッションとビジョンから導き出された数字だけに、「できない、やりたくない」とは言えない。

 「実際にどうやればいいかは、今後みんなでさらに深く話し合っていこう」と彼が締めて、ミーティングが終わった。うまく言えないが、この役員のやってみせたことこそ「リーダーシップ」の(全部とは言わないが)最も重要なポイントだと思った。

 「野心的な目標を掲げるのが理想的なリーダー」っていうのはよく言われる話だけど、僕が言っているのはそういう意味じゃない。無茶な目標をぶち上げることなんか、誰だってできる。野心的な目標を、自分ではなくて現場の人間から引き出して掲げさせ、当然同時にやる気にさせるのが、たぶん本当のリーダーなのだ。

 宮崎氏が『技術空洞』で批判している出井氏も、95年に就任して98年に絶頂に上り詰めるまでは、ソニー社内からも絶大な評価を得ていたと書かれている。たぶん、その時点では彼は大賀時代の負の遺産を覆い隠しつつ、「現場の人間をやる気にさせる」非凡なリーダーだったのだろう。ただ、あの当時すでにそうした出井氏のギミックを見抜き、「ソニーは市場を騙している」と激烈な口調で出井氏を批判する株式アナリストも、少ないながらも確実に存在した。

 ネットバブルが崩壊した2000年、ソニーの株価は暴落したとはいえ、出井氏個人の名声はまだ揺るいではいなかった。あのタイミングで大賀氏の禅譲を拒み、「経営陣の若返りを図る」とか言いながらスパッと社長を退任していれば、「名経営者」としての出井氏の評価は永久に揺るがぬものになっていただろう。しかし彼はそうしなかった。思えば、あの頃から出井氏は、自分で必死に演出したはずの幻想を自ら信じ始めてしまったのではないだろうか。つまり、現場をやる気にさせられなくなり、リーダーシップを失ったのではないか。そんな気がする。

 あと、もう1つ思ったこと。ソニーの出井氏があるときには非凡なリーダーだったが、その後リーダーシップを失ったということを、不自然に思う人がいるかも知れない。彼は優秀なリーダーだったのか、そうでないのか、はっきりさせろというような。世の中何でも白黒つけたがる人というのは必ずいるものだ。でもそういう人はリーダーシップというものに関して1つの大きな誤解をしていると思う。

 米国のウォーレン・ブランクというコンサルタントが、「リーダーシップは固有の能力から生じたり、継続的な状態として存在するものではない」という趣旨のことを言っている。世の中というのは何にでも慣性の法則が働くので、経営者として褒めそやされた人ほど自分にそういう「能力」が備わっていると思いがちなのかも知れないが、実際のリーダーシップとは「瞬間的な出来事」のようなものだ、というのがブランクの言い分だ。そして、「旬」の時期というのは本当に短い。自分がリーダーとしての「旬」を過ぎた、という予感がしたら、さっさとリタイアしてまたリーダーになれる新たなチャンスを探す、というのが正しいように思う。

 リーダーとは自分で何かを言い出す人なのではなく、部下から何かを引き出す人のことである。また、リーダーシップとは能力や継続的状態のことではなく、ある瞬間の出来事のことだ。僕が宮崎氏の『技術空洞』を読んで感じたのは、そんなことだったように思う。ああ、結局何が言いたいのかよく分からないエントリになっちゃったな。ま、いいか。

06:32 午前 書籍・雑誌 コメント (24) トラックバック (8)

2006/05/01

80年代洋楽のお勧めPV一気読み

 関学の柿原先生がYouTubeについてのエントリを書いていて、あーやっぱり洋楽の懐かしいプロモーションビデオ(PV)が見られてすごく嬉しい人って世の中に多いんだろうなと思った。って、そのあと延々とYouTubeがGoogleを超えるかみたいな話を熱く語っている柿原先生にすごく悪い話題のそらし方かもしれないが(笑)、同好の話のほうが面白いからしょうがない。

 もちろん、僕も80年代はラジオのヒットチャート番組やらできたばかりのMTVに夢中になってかじりついていたクチなので、洋楽のPVについては思い出がいろいろある。せっかくYouTubeにいろいろ公開されているので、連休の暇つぶしにでもちょっとご紹介してみますか。

 PVの歴史ってあまりしっかり紹介しているウェブサイトが見あたらないのだけれど、あえて言うとBritish Council Japanの中のこのページがルーツを書いていた。あと、ベストPVを選んでるところはないのかと探してみたら、米国のChannel4.comが「THE 100 GREATEST POP VIDEOS」という企画をやっていて、ここに過去の有名なPVはだいたい上がっている。その中から僕の好み、というか洋楽のことをよく知らない人にまずは見てもらいたいPVとそのうんちくを少々述べてみたい。

 まず、くだんのランキングでも堂々の1位に燦然と輝き、PV史における金字塔とも言えるのが、マイケル・ジャクソンの「Thriller」である。このビデオの偉大さについては、こちらのサイトで語られていることでもあるし、僕ごときが今さら何も言うまい。たった4~5分の楽曲にその3倍の13分ものビデオを付けて、ご丁寧に劇中劇やったりマイケル本人を含む登場ダンサー全員にゾンビの特殊メイクを施したり、あんたいったいいくらカネ持ってるねん!と突っ込みたくなるような壮絶なPVである。全盛期のマイケル・ジャクソンが金にあかせて作ったこのPVを凌駕する作品は、今後もおそらく永久に現れまい。

 マイケル・ジャクソンといえば、ほかにもたくさんの名PVを作っている。上記のBest100にはほかに「Billie Jean」(7位)と「Scream」(12位)が入っている。Billie Jeanはあの「ムーンウォーク」が初めて披露されたPVと言われているが、今回見直してみた限りでは見つからなかった。どこでやってたんだろ。あと、ついでにオススメしたいのが「Beat It」。こちらは「ウェストサイドストーリー」をぱくったような筋書きのビデオで、それだけ見るとややちゃちいように見えるが、こちらのパロディPVを後で見ると、もう大爆笑。こういうお笑いのネタにもされるところが、いかにも有名PVの貫禄だ。

 2位がピーター・ガブリエルの「sledgehammer」。ピーター・ガブリエルというアーティストのことを知らない人も多いかも知れない。フィル・コリンズに代わるまでのジェネシスの元ボーカリストで、端正な顔の人なんだが、ライブステージでは奇怪なかぶり物とかをして出てくるという、外見とやることにものすごいギャップのあるパフォーマーだった。この曲の入っている最初の5枚目のソロ・アルバム「So」は、確か1枚から4曲もの大ヒットが出たお化けアルバムで、sledgehammerはそのうちの1曲である。

 PVの内容は、粘土でできた人形をちょっとずつ動かして撮影したフィルムをつなげて作る「粘土(クレイ)・アニメ」の手法なのだが、ミュージシャン自身がその素材になって、顔がぐちゃぐちゃになったり崩れたりするシュールなシーンを多用するところがいかにもピーター・ガブリエルらしい。ただ、個人的には同じピーター・ガブリエルのPVでも、sledgehammerよりも同じアルバムからのシングル・カット「Big Time」のほうが良くできていると思う。sledgehammerは後半、ダンスシーンなどが多くなるが、Big Timeのほうは最初から最後までシュールなクレイ・アニメがてんこ盛りだし、セックスを暗喩したsledgehammerよりもホリエモンのような成り上がり者を皮肉った歌であるBig Timeのほうが、歌詞とPVの雰囲気が合っていて面白い。

 シュール系のPVではピーター・ガブリエルはじめ英国系のミュージシャンが圧倒的に強いが、もう1つだけ紹介するとすればピーターがもといたバンド「ジェネシス」の「Land of Confusion」だろう。この曲もまた彼らの大ヒット・アルバム「Invisible Touch」からの2ndシングルで大ヒット作なのだが、PVは英国の政治風刺番組で使われているゴム人形を用いたレーガン大統領の政治風刺劇になっている。ジェネシスのメンバーであるフィル・コリンズ、トニー・バンクス、マイク・ラザフォードの3人もゴム人形で登場し演奏するし、当時の著名ミュージシャンや、国際的な政治家たちのゴム人形がほとんど総出演しているというだけで、もう圧巻である(残念ながら日本の中曽根首相は影もかたちも見あたらないが)。ベスト100にジェネシスが1つも入ってないのは、個人的には不思議でしょうがない。

 3位は、A-haの「Take on Me」である。これまた大ヒット曲なので知らない人もあまりいないだろうが、ノルウェーの片隅のただのビジュアル系アイドルグループのA-haを世界のスターダムに押し上げたのが、まさにこのPVだった。劇画風のコンテ画と実写フィルムの組み合わせでストーリーを綴ったPVは大変な評判になり、MTVで何度も何度も放映された。ビジュアル系アイドルグループの定めのように、A-haも残念ながらその後あまりヒットが続かず消えてしまったが、少なくともこのPVによって彼らは永遠に語り継がれることになったわけである。

 ビジュアル系といえば、やはりこの人たちを外して語れないだろうと思うのがDuran Duranだ。音楽性がかなり独特なので好き嫌いは分かれるが、メンバーのそのサイケデリックな雰囲気は誰にも真似できない独特のものがあった。80年代の英国系ポップ・ロックの歴史を語ると、必ず出てくる5人組のバンドである。

 「007」の主題歌まで歌ったのにPVには最後までろくな女性が登場しなかったA-haに比べ、DuranのPVにはいつもアイシャドウの濃いなまめかしいお姉さんがたくさん出てくるという独特の印象があった。PVも独特なものが多かったが、彼らの世界観を表すユニークな作品が多い。セクシャル過ぎて放送禁止になった「Girls on Film」(18禁…でも今から見ると大したことないw)、「ジェームズ・ボンドになりたければ自分でやる」と言わんばかりに、きれいな青い海に妖艶なお姉さんをたくさん登場させる「Rio」とか、いろいろ話題になったPVはあるのだけれど、その中でも代表作として「Union of the snake」を挙げておこう。(あ、もちろんDuranも「007」の主題歌は歌ってますよ。「A View To A Kill」ね。ちなみにこのPVも、ただの映画のサントラ盤のPVとは思えないぐらい作りが凝ってる。5人とも演技うますぎ)

 で、このエジプトだか中世だかの怪しい世界観をもっと突き詰めたのが、ボーカルのサイモン・ル・ボンとキーボードのニック・ローズ、ドラムのロジャー・テイラーが独立して始めたArcadiaというユニット。「Election Day」「The Flame」などが、ドラマ的な手法をより多く取り込んで作られたPVとして面白い。YouTubeでもところどころ「Arcadia(Duran Duran)」という表記になっているように、どっちかっていうとこのユニットの方がDuran本来の世界観に忠実なのだが、さすがに雰囲気が気持ち悪すぎてあまりヒットしなかった。The Flameのニック・ローズ様とか、美しすぎてヤバイし(笑)。

 一方、置き去りにされたギターのアンディ・テイラーとベースのジョン・テイラーも負けずにPower Stationという名前でユニット活動をやるのだが、こちらはボーカルにロバート・パーマーを招いたこともあり、すごくブラックでアダルトな雰囲気のロックバンドに。個人的には1stシングルの「Some Like It Hot」とか結構好きな曲だけど、PV的には全然見るべきところがなかった。妖艶なお姉さんの演出に、Arcadiaユニットと比べて決定的なセンスの低さを感じてしまうのが悲しい。

 さて、米国のミュージシャンのPVはどうなんだと言われそうなぐらい英国系のPVばかり紹介してきたが、実際こうやって思い返してみると名作PVと言われるものってほとんど英国のバンドのような気がする。Best100のランキング上位にはMadonnaとかNirvanaも入っているが、このあたりについて語り出すと長くなるのでまた次回。

 最後に、たぶんここまで読んできて「米国的なさわやかできれいなお姉ちゃんが見られるPVはないのか!」という欲求不満を抱えた人が多いと思うので、きれいなお姉ちゃんとアホな男どものノー天気な戯れが見られるPVを紹介しておこう。Huey Lewis & The Newsの「Stuck With You」。無人島に絶世の美女と一緒に流れ着くという、男なら誰一度は体験したい(笑)と思うシチュエーションをそのまま映像にして、バンドメンバーのおちゃらけとハリウッド的なハッピーエンドまで用意した、いかにも西海岸的なノー天気PVである。Best100には入ってないが、これを見ればすっきりした気分になれること請け合い。

 あと、最後の最後に「洋楽PV見るならこれだけは最初に見ておきましょう」的なものを1本だけ紹介。PVについてのPVとも言える、ダイアー・ストレイツの「Money For Nothing」。MTVや音楽シーンについて歌っているメタPV的なPVである。MTVのCMとかに流れていたので曲を知っている人も多いだろう。ダイアー・ストレイツも一見米国のバンドのように思えるが、実は英国のグループ。こうして見ると、英国のミュージシャンというのは80年代洋楽のPVの全盛期を文字通り支えていたのだなあと改めて思う。

 ほかにも、テクノ系とか女性ボーカル系とかいろいろ面白いPVを紹介したかったが、疲れた。もし同好の士がおられましたら、自分の見ていたイチオシPVをコメントにてぜひご紹介ください。

12:03 午後 音楽 コメント (26) トラックバック (16)