『技術空洞』を読んで考えたリーダーシップの意味
このブログでもこれまで時々ソニーの経営について書いてきたが、ハコフグマン氏のブログで同世代の元ソニー技術者による告発本『技術空洞 Lost Technical Capabilities』が紹介されていたので、さっそく入手して読んでみた。
んでもって、自分が以前の取材などでも得ていた印象とほとんど同じだったので、がっかりといえばがっかり、納得といえば納得。今さらそれ以上書くこともないかなあと思いつつ、とはいえいろいろと思うところもある本だったので、書評でも書こうかと気を取り直してメモ作ったり他に書評しているブログを探したりして徘徊していたら、僕の思ったことと同じことをこれ以上ないくらいに簡潔にまとめたブログを見つけてしまい、書評を書く気が完全に失せた。そこで、今回はこの本を読んで思い浮かんだことについて書いてみたい。
著者の宮崎氏は、こちらのブログでもまとめられているように、技術系ソニー社員の典型例みたいで、まあでも出井さんにもいろいろ事情はあったみたいよ、ということで事務系ソニー社員によるソニー批判の代表例である竹内慎司著『ソニー本社六階』なんかも引用していたりしているが、まあ要するに「俺たちをやる気にさせられなかった出井政権下のマネジメント連中が悪い」という結論。
この手の愚痴はソニーほどの大会社ともなるとやはりそれなりに面白いが、しかしそもそも井深・盛田時代から続く創業家のドロドロとそれを覆い隠してきたソニー・ブランドを巡る暗闘まで書かなければ、暴露本としてはやはり物足りないし、そもそも単なるゴシップ以上の何でもないですねというAmazonのレビューの批判にも応えられないわけで、読んでも大して得られるものがあるわけでもない。
もしこの本から得られるものがあるとすれば(そして僕の思考もまさにそこに向かっていたわけだが)、こういう30代の(経営を“見る目”はそれなりにある)それなりに優秀な若手・中堅社員をモチベートして会社に居続けさせるようなマネジメントというかリーダーシップというのは、どういうものなんだろうということへの思索かもしれない。
じゃあいったい出井氏がどうすれば良かったのか、歴史に「if」を持ち出すのは禁じ手だし、僕にだってそれはよく分からないが、少なくとも2003年以降のソニーに見られなかったらしい「良いリーダーシップ」について、僕が最近感じたことを書きとめておくのも悪くないだろう。自分の勤め先の話なんでやや口はばったいのだが、ある意味心から「すごい」と思えたエピソードだったので。
最近、一部の部署で担当役員が入れ替わったのだが、僕も多少関わりのある隣の部署の新任役員が新しい事業方針についてその部署に関わっている他部署の社員にも説明したいということで、僕も呼ばれた。それで、何の気なしに話を聞きに行った。
1時間半ほどのミーティングだったのだが、その役員は自分から一方的に話したりせず、参加者の1人1人に「今、あなたは我が社のお客様にとってどのような役に立っていると思うか?」「これから、あなたは我が社のお客様や世の中にとって、どのような形で役に立ちたいと思うか?」といったことを、次々に尋ねる。居並ぶ社員は思い思いに自分の考えをしゃべるのだが、それを彼は「つまり、AさんとBさんとCさんの言うことをまとめると、こうなりたいということかな?」などと言いながら、一つのフレーズにうまくまとめて皆を納得させていく。そしてまた、次の質問を投げかける。
しばらくそうやって、だんだん自分たち(とその役員の担当部署)が今やっている仕事の意味、目指すべき方向性などが言葉にされて、明確になってくると、次にその役員は「これまでの『ミッション』『ビジョン』を、みんなの意見に沿って言い換えてみると、こういうことじゃないかと思う」と、それまで社員に発言させて納得させた言葉を簡潔に並べたフレーズと、従来の部署の『ミッション』『ビジョン』とを並べて、プロジェクターでスクリーンに映写した。従来のものに比べて業務の方向性が格段に具体的にイメージしやすく、しかもこれまでの議論が見事に反映されていて納得するしかない。当然、プレゼン資料として事前に用意されていたものなわけだが、よく練られているなと感心した。
また、次に「やるべきこと、やるべきではないこと」というタイトルの資料が投影された。これも非常に分かりやすい。事業を拡大させていこうとするとついついあれもこれもということで方向が拡散しがちになる(実際、これまでも何度もそういう議論をするたびに、もっと隣接領域のビジネスまで幅広くやるべきじゃないのかという話が出ては消えていた)が、少なくともこれで事業領域についての堂々巡りの議論に明確な線が引かれた、と感じることができた。
すると、そこで彼が再び質問を投げかけた。「この新しいミッション、ビジョンをもし具体的な成果目標として設定するとしたら、どのような数字であるべきだろうか。我々は質と量、どちらを優先して追求すべきだとみんなは思う?」 これにも全員がいろいろな意見を言い始める。「自分は自分で質の維持できると思える仕事しか受注してこないようにしている」「質を落としたら量なんか取れっこない」「いや、量がないのにいくら質の良さを叫んでも、世の中が我々を認めるだろうか?」「まず量を追求して、質は仕組みで担保すべきだ」等々…。
彼がそれを引き取る。「仕組みで担保、いい指摘だ。みんなの言うとおり、量と質、もちろんどちらも大切だが、我々の仕事の質は、受注した後に仕組みとして作り込み、維持していくべきものだ。まず受注がなければ仕組み作りも始まらない。俺は、その意味で量をまず追求したいと思う」。そして次のスライドが投影される。皆、そこで息を呑む。
そこには、「今後×年間で××万人を我々の顧客にする」と書かれている。すごい数字だ。今の事業規模を単純に倍にしても追いつかない。彼がその数字の根拠を説明し始める。確かに正論だ。今まで話し合ってきたビジョン、ミッションから言えば、このぐらいの数字を目標に掲げなければ嘘になる。そして最後に彼は質問した。「みんな、どう思う?」
指名されて、何人かが「目標は理解できるが、それは現状の体制から言ってかなり難しい…」的なことをつぶやく。確かに、今の事業内容の延長線上でこの数字は到底実現不可能だ。しかし、役員の彼はそんな反論が出てくることはとっくに承知の上でこの話を持ち出してきた。しかも、周到なステップを踏んで。
「この数字と今の我々の現状にはもちろん、大きなギャップがある。それは恐らく目標期間内に何らかの大きなイノベーションを起こさなければ実現できない。でも、それをやろう。でなければ我々のミッション、ビジョンに偽りがあると言われても仕方ない」。そう力説されれば、聞いている側もだんだんと「この目標、達成はかなり困難だけど、挑戦のしがいはありそうだな。いっちょやってやるか」という気になってくる。少なくとも、自分たちがさっき意見を言い、納得したミッションとビジョンから導き出された数字だけに、「できない、やりたくない」とは言えない。
「実際にどうやればいいかは、今後みんなでさらに深く話し合っていこう」と彼が締めて、ミーティングが終わった。うまく言えないが、この役員のやってみせたことこそ「リーダーシップ」の(全部とは言わないが)最も重要なポイントだと思った。
「野心的な目標を掲げるのが理想的なリーダー」っていうのはよく言われる話だけど、僕が言っているのはそういう意味じゃない。無茶な目標をぶち上げることなんか、誰だってできる。野心的な目標を、自分ではなくて現場の人間から引き出して掲げさせ、当然同時にやる気にさせるのが、たぶん本当のリーダーなのだ。
宮崎氏が『技術空洞』で批判している出井氏も、95年に就任して98年に絶頂に上り詰めるまでは、ソニー社内からも絶大な評価を得ていたと書かれている。たぶん、その時点では彼は大賀時代の負の遺産を覆い隠しつつ、「現場の人間をやる気にさせる」非凡なリーダーだったのだろう。ただ、あの当時すでにそうした出井氏のギミックを見抜き、「ソニーは市場を騙している」と激烈な口調で出井氏を批判する株式アナリストも、少ないながらも確実に存在した。
ネットバブルが崩壊した2000年、ソニーの株価は暴落したとはいえ、出井氏個人の名声はまだ揺るいではいなかった。あのタイミングで大賀氏の禅譲を拒み、「経営陣の若返りを図る」とか言いながらスパッと社長を退任していれば、「名経営者」としての出井氏の評価は永久に揺るがぬものになっていただろう。しかし彼はそうしなかった。思えば、あの頃から出井氏は、自分で必死に演出したはずの幻想を自ら信じ始めてしまったのではないだろうか。つまり、現場をやる気にさせられなくなり、リーダーシップを失ったのではないか。そんな気がする。
あと、もう1つ思ったこと。ソニーの出井氏があるときには非凡なリーダーだったが、その後リーダーシップを失ったということを、不自然に思う人がいるかも知れない。彼は優秀なリーダーだったのか、そうでないのか、はっきりさせろというような。世の中何でも白黒つけたがる人というのは必ずいるものだ。でもそういう人はリーダーシップというものに関して1つの大きな誤解をしていると思う。
米国のウォーレン・ブランクというコンサルタントが、「リーダーシップは固有の能力から生じたり、継続的な状態として存在するものではない」という趣旨のことを言っている。世の中というのは何にでも慣性の法則が働くので、経営者として褒めそやされた人ほど自分にそういう「能力」が備わっていると思いがちなのかも知れないが、実際のリーダーシップとは「瞬間的な出来事」のようなものだ、というのがブランクの言い分だ。そして、「旬」の時期というのは本当に短い。自分がリーダーとしての「旬」を過ぎた、という予感がしたら、さっさとリタイアしてまたリーダーになれる新たなチャンスを探す、というのが正しいように思う。
リーダーとは自分で何かを言い出す人なのではなく、部下から何かを引き出す人のことである。また、リーダーシップとは能力や継続的状態のことではなく、ある瞬間の出来事のことだ。僕が宮崎氏の『技術空洞』を読んで感じたのは、そんなことだったように思う。ああ、結局何が言いたいのかよく分からないエントリになっちゃったな。ま、いいか。
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コメント
書きようによっては単なる自社自慢に陥りかねない危険性もあるエントリーだったけれど、リーダーシップのよい具体例をきかせていただきました。身近に単純なトップダウンではないよいモデルがいて羨ましい。
投稿: ADELANTE | 2006/05/08 08:13
トラバを送ったのですが、反映されていないみたいです。残念。
投稿: そらっち | 2006/05/08 12:40
ぬう、恐ろしい・・・。
その実例のような人間、今まで会った事がないぞ。
目の前にしたらゾッとするだろうな。
投稿: 通りすがり | 2006/05/08 17:02
ウチの現場に来たら、ウザいトロいで爪弾きにされるんじゃないの? とか言って。そりゃないけど。
人に口利かせてお前言ったんだからやれよなー的プレッシャーを掛けるとか誰ぞの意見に偏重しないで中庸的にまとめるとか総花狙うとコケるから適度に的絞るとか予め言質取ってから無茶な目標立てるとか、要約すると腕利き極道のやることにしか見えないのにシャッチョサンが紹介すると素敵な上司に見えるのは何故?
とか言って。
投稿: 私 | 2006/05/08 23:27
件の上司、人身掌握術に長けた人だナーというのは感じるけど、人間的にどうよ?って言われると、自分自身が前向きに仕事に取り組めているときはいい人だけど、後ろ向きになったり嫌気が差してるときにこのタイプの上司に遭遇すると精力根こそぎ吸い取られてる感がしてムカつくかもしれんね。
ってか、寸評するシャッチョサンがそもそも(部下としての)適性十分なんじゃねえの? って気も。相性がさりげなく良いとか。そういう部分、結構大きい。
投稿: 私 | 2006/05/08 23:45
R30さま
「僕の思ったことと同じことをこれ以上ないくらいに簡潔にまとめたブログ」の
服部健太郎と申します。ご参照ありがとう御座います。
すんません、なんだか恐縮です。というのも
1)実は著者の宮崎氏と会うことになっており、ぜひ会うときに直接色々申し上げようと
思っていたので流石に事前にブログでコテンパンにするのはフェアではない
2)私自身、ソニーの戦略部門にいた人間として、
「では自分が経営者ならどうするか」をまず自分が示さない限り、
他人の批判など何の意味もない
という2点により、あのような形での短いコメントとなりました。
すでにソニーの経営から離れた人間として、今の立場からソニーをとやかく
申し上げることはやはりフェアではないと考えますし(今、何か言うならそれは
私にとっては昨年までのソニー時代に社内で実行すべきことのはず)、
とくに宮崎氏が言及されていたような悪弊となったEVAやカンパニー制に代わる
明快な代替案も示せませんので(案はいくらでもありますが、最も大事な、それを
現場に導入するアクションプランにまで落とし込めていない)、
何か私からR30様の参考になるような提案が出来ないのは残念です。
ただ一つ社内にいてトップのリーダーシップについて感じたこと、それは出井氏が
急速に社内での求心力を失ったことです。私はその原因は、ソニーが求めるトップ
の資質が変化したことに本人が気が付かなかった(もしくは気が付いていてもイス
にしがみついた)ことにあると見ています。
たしかに彼はビジョンを語るのは天才かもしれません。マーケティングセンスというか、
事業が上手く進んでいるときにそれを伸ばすのには向いている「上り坂用」の経営者。
だがひとたび逆境になったときにそれを撥ね退け、血反吐を吐きながら道なき道を進む
「下り坂用」の経営者には全く別の資質が求められるというのは、自然なことに思います。
比べるならばマーケティングではなく、オペレーションの能力が問われるのではないか。
その点ではカルロス・ゴーンが今おかれている状況が私には近いように見えます。
180計画でオペレーションを改善し立ち直った日産が、新車が売れずに苦しんでいる。
求められる経営の質が変わったであろうことに果たしてどれだけの人間が気づいているか。
松下を復活させた中村社長も、松下アメリカ時代は絶好調のテレビ事業をボロボロにし、
逆に沈んでいた松下本体を復活させました。これも彼の資質のなせる業ではないか。
こういうのって経営者本人は気が付かないのに、下にいる社員は割とみんな良く見ています。
その「経営の質の変革」の期待に答えられない経営者が急速に求心力を失っていく。
結果、現場が付いてこない。だから竹内氏や宮崎氏のような不満分子が出る。
(私としては彼らには是非在職時に改善アクションを起こして欲しかったですが)
その点で「あくまで耐える時期だけのつなぎ」と最初から言い放って就任した中鉢社長の
登場は、
投稿: 服部健太郎 | 2006/05/09 00:18
まるで、ドラッカー先生の本に出てきそうな上司さんですね。
投稿: 黒潮 | 2006/05/09 06:44
ソニーの中身がスカスカしてきているとは思う。でも問題はそれだけだろうか。
むしろ不振は町工場的国内産業から世界的製造業になったことが主要因だと思う。
つまり生産技術がその規模に追いついていないのではないか。
近頃の世の中はなぜかソコソコのものを可能な限り高く売るのが賢いとされる。
しかし本当は安いものを遥かに安く作るというのが製造業の王道で
社会に寄生する山師などと格の異なる基幹産業の正面の課題ではないだろうか。
投稿: ga | 2006/05/09 06:55
まとめブログのような優れた上司ですね。
1ファンとしては悲しい内容でしたが、まだ知り合いも厚木でハンディカムを作っているし、業務用器機ではお世話にならざるを得ない立場です。。
上記服部氏とか優秀な若手をこれ以上流出させないことですね。
投稿: hakohugu | 2006/05/09 10:13
しかし何を言ってもSONYを辞めた人からは
SONYへの愛着というか愛情が感じられますね
そのライバル会社に近いところにいますが、
辞めたって建設的なことは何も言いやしません
せいぜい次働く時、昔の看板を利用するぐらい
きっと、入社する時からSONY愛のようなものを
持って来る人が多いんでしょうね
そういう会社ってやはり日本では珍しい
投稿: csun | 2006/05/09 10:57
好きな女の子と付き合ってみたけど自分が思ってたほどでも無かったって勝手にガックリきてる状態かと。
投稿: 私 | 2006/05/09 21:39
R30さん、少しは反省したらどうなんですか?
とりあえず泉さんと松永さんに謝罪しては?
http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_b52b.html#more
滝本:
・・・だから、本当に脱会したかどうかという意味の判断をするには、彼が何をやって来たかをインタビューならいっぱい聞かなきゃいけないんですよ。失礼だけど、それが全然聞かれてないなと思いました(苦笑)。ご自身ひとりでインタビューされたらまだ良かったのかなぁ。悪いけど、若干宗教がかった様な方が横から言ってて、あんな文化論を話してもしょうがないのにね。あれじゃ彼にとってもマイナスだよ。
投稿: masaki | 2006/05/10 17:47
今回の滝本弁護士インタビューはすばらしいものでしたね。
http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_b52b.html
>滝本 :うん。彼も完璧な中堅幹部ですよ。かつ有能だからね。ネット対策では極めて有能だから。
>泉 :教団の中ではかなり発言力があったのかなと、私は勝手に想像してるんですけど。
>滝本 :実務的にはそうでしょうね。ホームページ作りとか、そういう関係ではね。
>上祐派が彼を失い、今、原理派が彼を失うというのは思いっきり痛手でしょう。
>彼は出版部門、ネット部門で、オウムの中ではトップじゃないですか。
やはり松永は中堅幹部だったんですね。
どの口で「自分は末端の一信者にすぎない」なんぞと言うんですかね。
嘘をつくのがワークだったらしいですが、いまだにオウムのワークを続けているんですね。
どっちかというと解離性障害に虚言癖がプラスされている気がしますが。
>上祐も危険だし原理派も危険だし。原理派は、上祐みたいな麻原隠しが我慢できない人達だから、危険がこれから一気に開花する可能性はあります。
>滝本 :そうです。他にも幾つかありますよ。裏付けがしっかりしたら暴露するけど、オウムのダミーサイトはいくらもあるし。
今でもオウムは一般市民を蜘蛛の巣にひっかけるように勧誘を続けているんですよね。
オウムの恐怖は過去の話ではないのです。松永擁護の連中はチンケな正義感を振り回す前に、現実を少しは見て欲しいものです。
おそらくオウム教徒と同じで、ネット外のリアルの中での現実感覚を失っているのでしょうが・・・。
>許さないぞという態度を忘れたならもう終わり。でも、「許さないぞ」という態度を忘れているように感じられる発言が時々あるわけだ。仏教の課題として一般化する議論をしたり、社会論一般にしたりね。
これだけは忘れてはならないと思います。
投稿: soudo | 2006/05/10 18:36
誤爆乙。
つうかちゃんと「火中の栗拾いツアー企画」エントリに書けつうの。
なんだよこのスレぜんぜん上がんねえよってか?
ブログの仕組分かってる?
他サイトの関連記事はそこにリンクされてるんだからお前の行為は
自己中心的な自己満の炎上希望の人格障害の発露なのよ。
>R30
上のコメントを移植か削除したならこれも消してください。意味わかんなくなるから。
投稿: k | 2006/05/10 20:46
masaki=soudoさん、連投&エントリ誤爆乙です。
マナーも守らずにコメント連投する人ってのがいかに頭悪いかの見せしめに、あえて削らず残しておきます(笑)
>kさん、ご指摘ありがとうございます。ま、礼儀知らずの荒らしは放置の方向で。あと、この件についてはまた改めてエントリあげますよ。
投稿: R30@管理人 | 2006/05/10 21:06
>>シャッチョサン
なぜその発言を「私」にしない? とか言って。礼儀知らずも亦人生。ええじゃないですか。人が何を言おうが、やるべきことをキッチリやった人のほうが宜しゅうございますよ。
投稿: 私 | 2006/05/10 23:29
>>シャッチョサン
最近は、アレですか。
>マナーも守らずにコメント連投する人ってのがいかに頭悪いかの見せしめ
↑こんな感じで、あえて解説するのが通ですか。そういえば日曜夜の「さんまのからくりTV」でも、芸人のお父さんが近所の公民館に人集めて息子の晴れ姿を「ご丁寧に解説してる」シーンが出てて、あぁなんだか新世代って感じがしたものですが。そういう流れですかね?
あえて解説。美しいかもしれない。
投稿: 私 | 2006/05/10 23:34
エントリ違いのコメントをほんの少し重ねたらそれで、
>マナーも守らずにコメント連投する人
>礼儀知らずの荒らし
であり、
>いかに頭悪いかの見せしめ
という処遇と罵倒が妥当だということですね。
なるほで大変興味深い。ネットのマナーというものはやはり重要でありますよね。ええ。ええ。
なおこのコメントは上記R30さんのコメントへのコメントですので、場違いではありませんよね、きっと。私は他人の考えを透かして読める超能力者じゃないから断言はできませんけども。いやblogにおけるマナーというものは、実に面白いですね。
どのような発言と行動に良識があってどのようなそれに良識がないのか。深く考えさせられます。
投稿: スープ | 2006/05/10 23:38
そりゃ部下にすれば笛吹いて上手に踊る・踊らせる上司が一番良いんじゃないかと。
会社としては中間管理職は省略できればそれに越したこと無いような。
ところで前から気になってたんだけど、R30さんのコメント欄降臨の基準が全然わからんのよ。
ボケるにしろツッコムにしろ何か空回りしてるような。
モノローグ芸人?
投稿: トリル | 2006/05/11 00:03
>トリルさん
基準なんて、気分ですよ気分。(えー
いや、まあ一応はあるんですけど、何もかも言語化しはじめるようなことは僕はしたくないんで、そういうことにしときます。察してくださいまし。
投稿: R30@管理人 | 2006/05/11 04:44
旧聞になりますが、この件をR30さんはどう思われますか。
上祐がオウムを分裂させるそうですが、そうすると上祐との軋轢でのあった松永は麻原派の中心としてオウムに復帰する可能性がありますね。(もともと脱会したとは思ってませんが)脱会届を出さなかったのは、この上祐派の動きがわかっていたから、ゴタゴタを避ける為に一時避難したのではないかと思います。
オウム真理教分裂へ 上祐代表が新教団を準備
http://www.asahi.com/national/update/0502/TKY200605020353.html
http://news.google.co.jp/news?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rls=GGLG,GGLG:2006-05,GGLG:ja&q=%E4%B8%8A%E7%A5%90
投稿: R50 | 2006/05/11 20:38
R30さんは滝本弁護士もいうように単なる宗教かぶれのお兄ちゃんなので、聞いても無駄かもしれませんよ>R50
投稿: R60 | 2006/05/11 20:47
今回の松永の渦をソシアルトライアルとして、読み取るべきことは、
ブログのユーザーたちが、エントリーとコメントに格差があることに気づいていないこと。
そのことが浅薄だと思う。コメント欄は、実は、観客にも見えている最前列の客席なんだよ。どこまでいってもステージ上でおきていることじゃない。
客席最前列に親衛隊を組んで盛り上げていて、一般の観客を一階席後方や二階席に追いやっている。そんな感じだ。
観客たちを近寄りがたい気持ちにさせる厚いオーラをまとっていないなら、客席などに下りてはいけない。R30氏のだめなところはそういうところでしょうね。
投稿: sougo | 2006/05/12 01:12
↑読みづらい。もうちょっと丁寧に言い回すと吉。
「べきこと」「なんだよ」「じゃない」「いけない」「だめ」
こんだけ断定系否定系の単語が連発されると、なかなか壮観ですな。アナタが荒らし扱いされる要素は、こんなところにあるんじゃないの? どうせコメント欄ですから何言ってもいいんだろけどさ。
>観客たちを近寄りがたい気持ちにさせる厚いオーラをまとっていないなら、客席などに下りてはいけない。
↑とか言ってるけど、どっちかっつーと
>観客たちを近寄りがたい気持ちにさせる厚いオーラをまとっているから、客席などに下りてはいけない。←あなたのこと
なんじゃない? なんつって。
投稿: 私 | 2006/05/12 02:01