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2006/02/26

映画評「THE 有頂天ホテル」

THE 有頂天ホテル 今頃になって観てきましたよ。まあそこそこには笑えたのだけど、東京サンシャインボーイズの「ラヂオの時間」を観てしまった人間としては、やっぱり何か違うなーと。全然あのレベルに届いてない。2時間半の長尺を見終わった時には、「三谷さん、どうしてこんな映画でそのあふれる才能を浪費するの、早く舞台に戻ってきてよ!」という切ない気持ちで一杯になった。

 でもそれからまた考えていたのだけど、三谷幸喜は自分が「ラヂオの時間」やら「ショー・マスト・ゴーオン」といった舞台作品を超える映画を作れていない、ということを自覚した上でこうした試みを延々繰り返しているのではないか。そして、舞台ではなく「映画」や「テレビ」という、それぞれの場でしかできないこととは何かを一生懸命考えているのではないかと。そんなことを思った。

 ただ、今回はその「映画でしかできないこと」が状況設定に寄りすぎているという気がした。確かに隣同士のスイートルームで起こる出来事が、壁一枚を通じて隣の部屋の人物に影響を与えるというのは設定として面白いし、舞台でこれをやってみせようとしても無駄に面倒なだけだ。だがそれが本当に「映画でしかできないこと」なのか。三谷のチャレンジは、何か方向が間違ってないか。

 Amazonに「有頂天ホテル」を非常に的確に批評したコメントが書いてあった。「三谷幸喜は、察するに和製のビリー・ワイルダーか、二ール・サイモンあたりを狙っているのだろうが、ひとつだけ彼らにあって、彼に足りないものがある。それは色気である。」いや、「狙っているのだろう」どころか、日芸時代の彼の仲間たち(今回の映画にもたくさん出ている)と作った劇団の名前が「東京サンシャインボーイズ」というぐらいだから(「サンシャインボーイズ」はニール・サイモンの劇のタイトル)、彼がそこを目指しているのは間違いないのだ。

 問題は、彼がコメディの脇筋の「泣かせどころ」として、登場人物が「自分の職務に狂おしいまでの必死さで取り組む姿」を描くという技しか持てないでいることにある。今回でいうと、例えば副支配人の新堂(役所広司)と受賞者の妻・堀田由美(原田美枝子)との複雑な情感を、この程度にしか演出できないというのだけで、彼がいかに脚本家・演出家として「愛や恋」が苦手かということが分かる。

 これだけのウェルメイド・コメディを描ける日本を代表する脚本家かつ演出家が「ほろ苦い愛や甘酸っぱい恋」を描けないというのは、もはや極めて深刻な事態だと思う。三谷幸喜は一度シチュエーション・コメディの路線から足を洗って、ガーニーの「ラヴ・レターズ」あたりの演出をじっくりやってみたりしたらいいんじゃないだろうか。大人の恋、人間の愛というものが三谷コメディで大笑いした後の余韻として感じられるようになったら、その時こそ日本最高の喜劇作者が誕生すると思うのだが。

03:53 午前 映画・テレビ コメント (0) トラックバック (0)

みんす党は(国会で)何もしないを、しよう。

ブログキャスター 東洋経済から届いた「ブログキャスター」の見本誌、読んでいてすごく面白かった。何が面白いって、書いているブロガーの経歴をずらっと眺めることができたこと。「へぇー、こんな人もブログ書いてるんだー」というカタログ感覚が良い。あと、自分も含めて微妙にブログ本体の中心的話題とずれたテーマのコラムを書かされているのも面白かった。その方が、出たとこ勝負の文章力が問われるしね。僕のコラムがどうだったかは、読み手の皆さんにご判断を任せるとして。

 で、その自分の書いた政治ネタのコラムを読みながら、これを書いた時のことをちょっと思い出したりしていたのだが、その頃はまだ通常国会の開幕前で、マスコミが「ポスト小泉」の下馬評でそこそこ盛り上がっていたりした時期だった。政治の世界の先は分からないとはいえ、コラムを書いてから1カ月しか経っていないのに、想像のはるか斜め上を行く急展開っぷりである。なんじゃこりゃ。

 特にこの1カ月の間に強烈なスポットライトを浴び続けているのは、党首以下、忘年会にやり残した宴会芸のつもりで国会に取り組んでいるんじゃないかと思うほどのダメっぷりを露呈しまくる我らがみんす党だ。送金メールの真偽なんてさぁ、自分で確かめられないなら馬渕議員の秘書通じてどっかの第三者ブログ(笑)に「怪文書ハッケーン!」とかリークさせてみて、2ちゃんでどう反応出るか確かめてからおもむろに取り上げても良かったのに。脇がアスパルテーム並みに甘い甘い。

 んでもって、国対委員長が「真実をこれ以上補強できない(=間違いでしたゴメンナサイ)」と事実上の白旗を揚げてるっちゅーのに、なんで党首が「説明責任を果たす」とか言いながら謝らないわけ?もう全然訳わかんない。心配しなくてもあんたの首取ってこんなダメダメ党の党首に成り代わりたい人なんていないっての。とっとと謝っちゃえばいいのに。

 思うに、昨年10月にみんす党のお茶会に招かれた時に既に感じていたのだが、どうも今のみんす党の人たちというのは、上から下まで自分たちがどれだけ追いつめられた立場にいるかという自覚がないのだな。だから、既に選挙民から「あんたたちはもう国会にいても意味がないよ」と言われたのにも気がつかず、まだ国会で自民党に真正面から噛みついてみせて「ほら!僕ちゃん、こんなに噛み付くことができるんだよ!」とか、選挙民にしっぽを振って見せているわけだ。見苦しいったらありゃしない。

 というわけで、一人で自爆して窮地に陥って自民党のイエスマンとか我ら選挙民を唖然とさせているみんす党の皆さんに、永田町の常識に関してはまったくの門外漢が考えた今後の身の振り方を以下ご提案してみようと思う。

 まず、前原党首は記者会見してお詫びすべきだ。「あのメールは間違いでござんした」と。でもそれだけだと誰もが「何を今さら」と思ってしまう。そこで、お詫びついでに大向こうをあっと驚かせる一大博打に打って出るのだ。それが、「出直し的解党」宣言である。

 「解党的出直し」というのは、政権運営に行き詰まった時の自民党の紋切り型常套句である。本当に解党するわけがないことぐらい誰でも知っているのでインパクトがない。なので、みんす党としてはむしろ「甘い党内体制をたたき直して出直すためにいったん解党する」と宣言しちゃうわけだ。本当に解党するのである。

 永田町にある本部も、賃料を払うだけ無駄なのでとっとと引き払う。そして、ネット上に「元みんす党バーチャル無所属議員連合本部」を作り、これから一切の政策論議は各議員の地元支部と議員会館の部屋、そしてネット上だけで行うことにする。

 無所属議員の集まりに過ぎないので、国会で質問する時間とかがほとんどもらえなくなるだろう。いいのである。どうせ国会は3分の2を占有する与党連合のものなのだ。たまに質問の時間が回ってきても「小泉さんはこれこれこんなことを最近おやりになりました」とか政府発表をおうむがえしにしゃべるとかだけにしてニュースバリューをゼロにし、マスコミがみんす党の発言や行動を一切報道できないようにするのである。

 そうすると、マスコミは必然的に政府と自民党の言い分を垂れ流すようにしか報道できなくなるか、仕方なく自民党内の些細な意見の相違とかをほじくり返しては報道するかのどちらかに向かう。これは自民党にとって、なにげに結構恐ろしい事態だ。党内が常に一枚岩、小泉首相に大賛成ではニュースバリューがなくなってしまうし、かといって話題を作るために党内で違う意見があることを明らかにすれば、せっかく小泉首相が「小さな政府、官から民へ」といったスローガンでまとめてきた政策のブランドイメージがぼやけて、党としてのまとまりが見えなくなってしまう。

 その間、元みんす党の議員は国会で「何もしないを、する」ことで浮かせた時間を、2年後の衆院選に掲げる包括的な政策プランの構築と、地元有権者の支持固めと政策の周知徹底のために丸々使う。政策テーマごとにmixiでコミュニティを作って参加者と議論を重ねてゆく。もちろんmixiのコミュニティには自民党関係者は入れない(笑)。

 そして、今後20~30年後までの日本の将来の変革プランと政策体系をまとめ上げ、ネット上と地元選挙区とで合意を固めたうえで、満を持して衆院選前に党を再結成し、大規模なPRキャンペーンを展開して国民に問う。それまではとにかくあらゆるコストを節約し、2年間けちけちで生き延びるのである。

 みんす党が地元とネット上との組み合わせでがっちり日本の将来プランについての合意をまとめ上げる頃には、実質的な野党不在の国会での自民党の独り相撲に国民はもう飽き飽きしているに違いない。「もう自民党には2年間、さんざん好き勝手にやらせたんだから、今度はちょっと別の連中にやらせてみたいね。そういえば、みんす党とかいう政党、2年間完全に地下に潜って長期的な政策を練りに練っていたそうじゃないか。どうだい、今度は10年ばかりみんす党で行ってみないか」。選挙民にそう思ってもらえれば、みんす党の勝ちである。

 ・・・てなワケで、某第三者ブログのような切り出し方で申し訳ないのだが、そろそろみんす党は国会のスタンドプレーで「何かを、しよう」とするのを止めてほしい。3分の1以下の議席数で何をしても自民党にとっては、痛くもかゆくもないどころか、与党内のさまざまな雑音を打ち消したり、3分の2の議席を持っているという重大な事実から国民の意識を逸らせたりするのに役立ってしまうだけなのだ。

 ここはいっそ思い切って、国会では「何もしないを、する」つまり“気配”を消すことに逆に専念してみてはいかがだろうか。最大野党に“気配”を消されて一番困るのは、党内のノイズがごたごた好きなマスコミを通じて国民に筒抜けになってしまう自民党自身なのである。あるいは、カウンターのいない圧倒的多数の議席を独占しているという危険性を国民にいつも意識されると一番困るのも、自民党なのである。

 みんす党としては、ここで1997年のスティーブ・ジョブズを見習ってほしいと思う。巨人マイクロソフトにとって一番困るのは、ビル・ゲイツが市場の独占者ではないことを示す「健全なライバル」がいなくなることだった。アップルはそれが一時的にはユーザーの猛反発を食らうことを分かっていながら、マイクロソフトからの出資や技術協力を受けた。生き延びるためには、巨人の最大の弱点につけ入るのが、実は一番効果的だったからである。

 ジョブズのやったように、今のみんす党にとって自民党と全面提携しちゃうというのも1つの手ではある。だが、企業である以上消滅するわけにいなかったアップルとは違い、みんす党には「(国会からは)消滅したようにみせる」という、最大の嫌がらせ手段を取ることも可能なのである。

 「ブログキャスター」を書いた時にはもう少しのんびりとしたことを書いたけど、ここまで来たら、もう徹底的に意表を突く奇手を繰り出すしか、みんす党にとっては形勢挽回の方法がない。幸い、衆院選まで時間は2年半あるんで、「説明責任」とか言ってないで、マジでどうにかしてください本当に。

(洒落の分からない人のために申し添えておくと、この提言はほとんどジョークですのでよろしく)

02:45 午前 経済・政治・国際 コメント (27) トラックバック (5)

2006/02/22

日常の亀裂

 このところ、更新が滞っております。理由はいろいろあって、1つはこのブログにウェブネタを3回も連続して書いてしまい、(ブログ用の)脳内が自家中毒に陥ってしまったこと。もう1つは本職で原稿執筆に追われまくっていること。そして最後に、このクソ忙しいのに長編マンガにはまってしまい、身動きがとれなくなっていたこと。

 何のマンガかというと、実は「ガラスの仮面」だった。最近になってカミサンが文庫版23巻を買い集めていたのを盗み読みし始めて、気がついたら止まらなくなってしまったのだ。竹熊先生いわく「現代の合法ドラッグ」という意味がよく分かった。毎晩2巻ずつぐらいを床に入ってから読み続け、10日ほどかけてやっと全巻読破した。読破しないと仕事が手につかないとあって、もう必死だった(笑)。

 詳しくは語らないのだけど、実は僕は高校から大学にかけて演劇青年だった。高校から大学にかけて、新劇から小劇場、高校や大学の演劇など年間50本以上の芝居を観に行っていたし、2年生の時には図書室にあった小田島訳のシェークスピアの全集37巻を読破したり、スタニスラフスキーシステムや鈴木メソッドの本なども読んだりしていた。

 観るだけでなく、自分でやる方もかなり手を出した。高校時代に役者、脚本、演出はもちろん、大道具、小道具、音響、照明などまですべてこなし、「衣装以外の仕事は全部やれます」とよく自己紹介の時にしゃべっていた。おまけに大学の時はある大きな学生劇団で制作をやりながら、名前を隠して別のところで演劇批評も書いたりしていた。

 それほど演劇にどっぷりはまっていたのに、「ガラスの仮面」は読んだことがなかった。当時は(というか先日まで)ただの少女マンガだと思っていたから。でも「ガラスの仮面」を読んで、そんな学生の頃の気持ちを思いだした。

 今から思えば芝居にどっぷり浸かっていた学生時代だったが、ある時を境目にぱったりと演劇に関心がなくなった。そのきっかけは95年の阪神大震災だった。僕自身が関西出身だったので知り合いがたくさん被災した。大学時代の友人にはボランティアに行った奴もたくさんいた。マイノリティ言語の通訳ができる僕に「手を借りたいからボランティアに来てくれ」と連絡してきた人もいた。

 僕は、神戸には行かなかった。冬休みだったし時間はあったから、行っても良かった。でも、みんなが押し掛けている渦の中に入って何かが見えなくなるような気がした。数週間ボランティアして帰ってきた友人の話を聞いて、僕の判断はある意味正しかったと思った。僕に言わせれば、彼らは震災の現場をただ「見てきた」だけだった。もちろんそれはそれで得られるものはあったに違いないが、そんなことは東京にいたって想像力の範囲内で経験できることだった。

 僕は、神戸に住む親戚や知り合いから聞くことのできた話から、日常の世界にぱくっと開いた目に見えない深い亀裂のようなものを感じ取っていた。そして震災から数ヶ月も経つとその亀裂がまるで何もなかったかのように塞がれ、見えなくなっていったことも、感じていた。

 その後、半年ほどしてある劇団がやった公演を観に行った。ここではその芝居の名を伏すが、内容は暗に阪神大震災をテーマにしたものだった。それまで結構その劇団が好きだったのだが、その芝居を観終わった瞬間に猛烈な怒りと虚しさがこみあげてきた。こんな舞台ごときで、あの震災に開いた「亀裂」のことが表現されてたまるか。こんなのは“ウソ”だ。

 その時、僕は演劇によって生み出せると思っていた日常の「亀裂」がまったくのウソだということに気がついてしまったのだ。演劇だけでなく、ニューアカとか現代思想とか、それまで興味のあったものの多くに対して興味を失った。あの震災に比べれば何もかもが嘘っぱちとしか思えなくなったからだった。

 話は「ガラスの仮面」に戻る。あの出来事から11年が経ち、何かが変わったのかと最近考える。「ガラスの仮面」を読みながら、北島マヤが演じる芝居に心を打たれて何度か涙をこぼした。あれ以来演劇を見限った僕の心の中の何かが、元に戻ったのかも知れないし、そうではないのかも知れない。でも、今度時間のある時にでも、何か芝居を観に行ってみようかなと、ちょっと思った。

 そんなことを思った時に、たまたま面白い記事を読んだ。「日経ビジネスX」の「イッセー尾形に学ぶ『自分』の見せ方」という連載記事だ。昨年6月に行われた、一人芝居で有名なイッセー尾形と、その演出を担当する森田雄三が、素人を4日間の稽古で舞台にのせるという前代未聞のワークショップの様子をレポートしたものだ。台本もなく、ただ集まった100人の一般人が、どのように「舞台で演じる」ことを学んでいったかを連載していくらしい。

 1回目の内容からして、ものすごく面白い。詳しくはリンク先を読んでほしいが、既に1回目にして「演劇とは何か」「人間とは何か」「人生とは何か」ということをこれほど深く考えさせるワークショップはないのではないか、という気がしてくるから不思議なものだ。

 大学の頃制作を手伝っていた劇団の主宰者が、よく「僕らの芝居は、劇場に入る前と見終わって出てきた後とでは、その人にとっての“世界”の意味が少しだけ変わっているような、そんなものを目指しているのです」と話していた。たぶん彼の言おうとしていたのは、劇場を出てもしばらくは観客にとっての日常にぱくっと空いた「目に見えない亀裂」が閉じずに残っているような、そんな体験を2~3時間の中で提供したい、ということだったのだろう。実際、僕らはそういう芝居を(ごく短い期間ではあったが)やっていたと、その頃は自負していた。

 今の日本に、「観に来たあなたの日常世界にぱくっと亀裂を開いて差し上げます」と宣言する劇団がどれほどあるだろうか。残念ながらほとんどないのではないか。しかしイッセー尾形と森田雄三は、どうやらそれをやってのけたらしいということが、このレポートから分かる。日本の演劇もまだ捨てたものではないと、何となく思えた。もちろんこのワークショップだけが日本の演劇というわけでもない。今日もどこかで誰かが芝居を演じている。そして僕は北島マヤの演技に涙している。

 そんなわけで近々また芝居を観に行こうかと思い立ったりしたのだが、さて芝居を観に行かなくなってからもう10年近いブランクが空いている。いったいどこの芝居を観にゆけばよいのやら。これだけインターネットで情報が入る時代だというのに、自分がどの芝居を観に行けば良いかも分からない。こういう時にGoogle先生は役に立たない。困った困った。

 そうそう。言い忘れていた。20日に発売された、東洋経済から出た「ブログキャスター」という雑誌に、1本コラムを書きました。専門と全然違うところ(政治ネタ)になぜか有名ブロガー、カトラー氏とともに登場しています。ご興味のある方はどうぞ。

11:55 午後 日記・コラム・つぶやき コメント (38) トラックバック (0)

2006/02/14

書評「ウェブ進化論―本当の大変化はこれから始まる」・下

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる 前回の書評の最後に「明日続きを書く」と言っておきながら放置モードに入ってしまったのはいくつか理由があって、一つは仕事が猛烈に忙しくなった(正確に言うと梅田氏新著出版イベントに出るために棚上げしていた膨大な仕事が棚から崩れ落ちてきた)、一つはあと何回書けばこの話が終えられるのかが自分で分からなくなっていた(笑)。もう1つは、イベントをきっかけにいろいろなブログで論評が書かれていたので、それらを読みながら考えを巡らせていた。

 今も棚の上の仕事が全部無くなったわけではないので、実はこんなことを書いているヒマはないのだけれど、書くと言っておいて書かないとまたまた後でいろいろな厄災が降りかかってきそう(笑)なので、もう見切り発車で続きを書いておく。

 前回、「Googleの本当の功績とは、ネット上での情報の組織化の効率性を現実世界よりも高めるイノベーション競争に火をつけたことだ」と書いた。梅田氏の言葉で言うと「ネットのこちら側からあちら側へのシフト」だ。

 これに対して明確に「それは違う」という反論は、(Googleのやり方が好きかどうかはともかくとして)イベントから1週間たった現在でもまだ出てないようなので、まずはネット住民の共通理解になったと思っていいのだろう。で、問題は「だから、何なの?」ということだ。それがどういう意味合いを持っているのか。マスメディアを解体するのかしないのか、僕らの身近な社会を変えるのか変えないのか。

 実を言うと、イベントの席上で僕は梅田氏がそういう(マスメディアは滅びる、的な)論を展開するだろうと思って、「ネットのあちら側にすべてが移るわけではない」という論を、前日にいろいろな角度から反論を検討し、身構えていた。だが、いざ始まってみると、梅田氏はいきなり「マスメディアには何も起こらない」というベタな話を始めたので、慌てて僕は議論を面白くするためにと、あべこべにネット革命論を展開するはめになってしまった。

 結果として、「ネットに対する世代ごとの意識差を浮き上がらせる」という梅田氏一流の戦略的トラップに見事はめられたなあと思った。まあ、それでも皆さんが面白がってくれたなら良かったのではないかと。

 Googleの起こしたイノベーション競争の意味するところ、つまり「だから、何なの?」の部分に関しては、1つはファッションライターの両国さくらさんのブログが、僕の言いたかったことについてだいたいまとめてくれている。

 ファッションという、感性の領域の現場にいるライターさんから見た「生き残るオールドマスコミとそうでないもの」の区別が、面白い。彼女によると、ネットに単純に収斂しそうにないカテゴリーとして「外資系ラグジュアリーブランド、芸能人、スポーツ」という3種類のコンテンツが挙がっている。これらのコンテンツを扱うメディアは、ネットにはシフトしないだろうという。鋭い指摘だ。

 この3つのコンテンツに共通するのは、たぶん「絵(画像・映像)で見なきゃ分からない、面白くない」「言葉で説明しきれない、フィーリングがある」「情報提供元が一極に集中しており、しかも彼らがメディアチャネルごとの情報の出し方を強くコントロールしている(したがっている)」みたいなところじゃないだろうか。

 思うに、上記3種類のコンテンツを扱う以外にも生き残るメディアはいくつかあると思うのだが、いずれもこの3つのポイントを押さえられているということが条件になるだろう。

 なぜこの3つのポイントが押さえられれば生き残れるのか。それは、これらのポイントが「Googleの死角」だからだ。Googleは「現実世界よりも効率的に情報のマッチングができる空間をネット上に作った」と、前回僕は書いた。しかしこのマッチングの対象となる「情報」とは、テクノロジーであったりビジネスアイデアであったり、いわば「言語化」できるものの領域である。

 Googleの弱点は、(確か梅田氏も書籍のどこかに書いていたと思うが)「自然言語解析」のテクノロジーで対応できない領域、つまり理知的じゃない領域の話だ。

 で、世の中に飛び交う「情報」というもののうち、左脳的、理知的な内容のものって実は割合としてそんなに多くないような気がする。「外資系ラグジュアリーブランド、芸能、スポーツ」のどれにもほとんど興味がないので、僕自身はあまりそういう実感を持たないのだが、ネット上のトラフィックを見ているだけでもそれは言えるだろうと思う。

 まして、現代の情報消費社会は人間が本来必要とするレベルの何倍、何十倍もの情報が身の回りにあふれるところである。それだけの情報を流通させようと思ったら、それが「真実」かどうかなんてぶっちゃけどうでも良くて、限りなく嘘でもいいから「面白い」「快い」情報を次から次へとでっち上げるしかない。受け取る側も、真実ではないことを薄々理解しつつ「でも面白いからいいや」と割り切って情報に接する。

 その意味では、「電車男」なんてまさにそういう「右脳的コンテンツ」の典型だろう。あの話そのものは確かにネットから出てきたかもしれないが、「面白い」と思われた瞬間に既存のメディアチャネルでこれでもかと取り上げられた。あれを見ていると、マスコミが本当のところどういう“情報”を常日頃から欲しているのかがよく分かる。

 そういう右脳的、感情的なコンテンツをうまく扱えるマスコミは、メディアとしてちゃんと生き残ると思う。逆に言うと、メディアとして生き残りたければ右脳的、感情的なコンテンツをうまくコントロールできるようになってなければいけないんじゃないかな。

 むしろ、ネットを使ったビジネスを考えている人が、これから完全なオープンネットの領域で何かしようとするのは、もう止めた方がいいと思う。この前もある人が「著名ブログの執筆者にご協力いただき、ブログを使った新しい広告ビジネスを始めたいのだが」と相談に来られたが、「今からブログなんておやめなさい」と忠告した。

 ブログすなわちGoogleワールドの原理というのは、Google様の指先1つでビジネスのルール変更が可能な世界なのである。そこに会社としての基盤を依存するなんて、どう考えても正気の沙汰ではない。もちろん、それでも何かあるかもしれないと思ってチャレンジする「はてな」のような会社には男気を感じるし、がんばってほしいと思うわけだが、少なくとも既存のビジネスでそれなりのボリュームを持っている「失うもののある」企業が、オープンネットの世界に今から挑むなど、戦略的にあり得ない選択肢と断言しても間違いないだろう。

 むしろチャレンジすべきだと思うのは、同じデジタルでもGoogleによって「組織化」されてないメディアや情報の領域だ。Podcasting、SNSなんかはその例だろうし、今密かに注目を浴びているのは「企業内(イントラ)ネットワーク」だったりする。あと、僕が個人的に非常に関心を持っているのは、映像メディアの領域だ。映像というコンテンツが、どのような要素によって視聴者に感情的な影響を与えるのかを何らかのメソドロジーで解析することができないかというのを、最近ずっと考えている。

 なにしろ簡単に言語化できない領域の話なので教えてくれる人がいるのかどうかも分からず困っているのだが、たぶん映像の与える感情への影響が分析できるようになれば、つまり本当の意味で映像という表現形式を駆使したコンテンツを自分の手で作れるようになれば、かの「Googleワールド」から逃げる時間を稼げると思うのだ。

 そんなわけで、このテーマについて何か良い資料、情報源等をご存じの方はぜひ教えてください。マスコミってこういう「コンテンツのノウハウ」が極端にシステム化されてない領域だからな~。やっぱりテレビの現役ディレクターさんなんかに会って、直接いろいろお話を聞いたりしたほうがいいのかも…。

(ちなみに筑摩書房の福田さんから昨日メールで「書評の続きも楽しみにしてますからね!」と激しいプレッシャーをかけられたのはここだけのヒミツだ。あの方は本当に優秀な編集者だ…梅田さんも大変だったろうな)

07:54 午前 書籍・雑誌 コメント (26) トラックバック (26)

2006/02/07

書評「ウェブ進化論―本当の大変化はこれから始まる」・上

 この本は、おそらく梅田氏が日本に来るたびになんども口を酸っぱくして説明している日本のエスタブリッシュメント層の人々、なかんずく大手メディア企業の幹部を想定読者として書かれたものだろうと思う。内容が過去3~4年ぐらいの間に梅田氏によって書かれたウェブや雑誌での連載、講演などをまとめたものであることや、あとがきの語り方からもそれは見て取れる。つまり、少なくともネットで梅田氏のブログや講演録をリアルタイムで読んでソーシャル・ブックマークしているようなネット住民たる僕たちに対して書かれた本ではない。

 ウェブの世界(とそれに絡むビジネス、広い意味での情報産業)において、今何が起きているのかがどうしても分からないという方々にはまず無心にこの本を読んでいただくのが一番良いと思う。僕ごときがくどくど言わなくても、ここにもっと分かりやすい言葉で書かれているからだ。で、僕たちウェブの世界にどっぷり浸かっている人間が考えなければならないこと、それは「この本に何が書かれていないか」ということである。

 一言で言うと、この本は「Google論」だと思う。Googleがどういう会社であるか、どんなパラダイム・チェンジをウェブの世界(とそれに繋がる情報社会)に引き起こしたのか、それがどのような思想的な特徴を持っているのか、そういったことが最新のキーワードをちりばめつつ書かれている。

 しかし、僕の目から見ると、ある非常に重要な1点のことが、なぜかこの本には書かれていない。正確に言うと、話が何度もそれに近いところまで接近するのだが、なぜかその1点を明言せずに通り過ぎてしまうのだ。梅田氏が自分のビジネスにもかかわることであるがゆえにあえて外しているのか、それとももっと別の理由があるのかは分からないのだけど。

 書かれていないこととは、Googleの本当の功績が、「ネット上での情報の組織化の効率性を現実世界よりも高めるイノベーション競争に火をつけた」ことにあるという点だ。

 90年代のインターネットブームが教えたことを、梅田氏は「ネットでは(世の中に革命的なことは)何も起こらない」だった、とまとめている。この総括は厳密には正しくない。90年代のインターネットブームでビジネスの人々が学んだのは「ネットはそれ自体でビジネスを完結させない(させにくい)が、現実のビジネスの強力な支援ツールになる」ということだったからだ。つまりこの時点では、インターネット(の少なくとも主流)はエスタブリッシュメントの掌中にある、と思われていたのである。

 このことは実はネットバブル崩壊などと関係なく、シリコンバレーという地域経済モデルを研究したことのある人なら分かっていたことだった。シリコンバレーの強みとは、無数のベンチャー企業やエンジニアの生み出した技術の「順列組み合わせ」をものすごいスピードで試行錯誤できることだった。そこにぶちこまれた技術は、必ずしも最先端のものばかりでもなかったが、万に一つの面白い組み合わせから巨万の富を生み出すビジネスが生まれる可能性があると、みんなが信じていたし、実際にそういうビジネスがたくさん生まれた。

 だが、実際の順列組み合わせを実現させているのはエンジニア同士の人的なつながりだったりベンチャー・キャピタリストだったりと、「ネットの外側」の原理だった。シリコンバレーの中は「るつぼ」でも、その外にこぼれ出てくるものはあくまで順列組み合わせの済んだ、完成品のビジネスだったわけだ。それは、ネットがそもそも技術同士、あるいは技術とビジネスの無数のマッチングを試みるための場(プラットフォーム)としては、シリコンバレーのカフェやベンチャー・キャピタリストの電話帳リスト、「サンノゼ・マーキュリー」などのマスメディアなどに比べると、全然不十分だったからである。

 「インターネット技術のイノベーション」と言いつつ、実際のイノベーションのスピードはカフェ・サロンや友人のネットワークに依存するという矛盾が、2000年のインターネットバブル崩壊の遠因だったと、僕は思っている。

 ところが、Googleとブログが登場したことによってこの様相が根本から覆った。そのことに多くの人が気づいたのは、たぶん2003年頃だったと思う(ここは梅田氏も指摘しているとおり)。個々の技術者やビジネスマンの持つ、無数の技術とアイデアの順列組み合わせ、つまり「情報の組織化」が、ある日突然現実世界を介さずともネット上だけで効率的にできることを、人々が発見してしまったのだ。

 ここで初めて「ネット上で完結するビジネス」というのが出現する。これはECのことではない。楽天などのECモデルは、顧客とモールの商取引はネットで行われるかもしれないが、店舗の運営や商品のデリバリーには現実世界のビジネスが介入する。だからこそ楽天のモールビジネスはネットバブル崩壊にも強かったし、これまで着実に業績を伸ばしてきた。

 ところが、ビジネスにおいて最大の課題である「売り手と買い手のマッチング」が、どのような規模でもネットの中だけで効率的に行われるとなると、あらゆる商行為がすべてネットで完結するようなビジネスが爆発的に増える。それがAdsenseのような広告ビジネスであったり、さまざまなWeb2.0的サービスであったりするわけだ。

 個人的には、Googleは「ひとりシリコンバレー」だと思う。梅田氏の本を読んで、ますますその意を強くした。社内に5000人ものPh.D取得者がいて研究開発を行っており、情報共有をしてイントラネット上で「順列組み合わせ」を試す。いけると直感したら小さなチームで猛スピードの開発を進め、それらの中から「マーケットにインパクトがありそうなもの」を順番に“上場”(サービスリリース)していく。

 これって、「シリコンバレー」の仕組みそのものではないか。かつて多くの技術者とキャピタリストが集まっていたサンノゼのカフェは、今やGoogleのイントラネットの中、そしてGoogleが提供するインターネット・アプリケーションのプラットフォーム上に移ったのだ。恐ろしいことである。

 …というわけで、話がまだまだ長くなりそうなのでとりあえずはここまで。明日、梅田氏がこの本に書かなかったもう1つのことについての続きを書きたいと思う。

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2006/02/03

梅田さんの新著出版記念イベントに出ます

 既に梅田望夫氏ご本人のブログでも何回か告知されているが、氏の新著「ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる」の出版記念イベントに、「ゲストパネリストその1」として出席することになった。なんか「村人その1」みたい。

 その準備として、昨日筑摩書房より謹呈本が届いたので、仕事からの帰りの電車の中で読み始め、たった今、読了。別に夜を徹して読んだ訳ではないが、現在ネットの世界で起こりつつあることの位置づけとかいったテーマについて、なるべく体系的に(ネットが分からない40歳以上のおじさんにも理解できる程度に)書かれていて、でも分かる人には分かる含蓄のある話がたくさん入っていて、するすると読めるとても良い本だった。

 発売前なので、内容についてはこれ以上触れないが、本を読んでうーんと唸り、そのイベントに向けて梅田さんが投げかけたアジェンダを見て、もう1回うーんと唸ってしまった。

 どちらも、最近考えなくちゃと思いつつ、面倒くさかったり今さら青臭い議論をブログに書くのもどうかなと思ったりして放置してあった問題がたっぷり含まれていて、週末から週明けにかけて脳髄に相当な負荷をかけざるを得なくなりそうな気配である。しかも、ちょうどいろいろな事象が起きて考えをめぐらせ、以前に書いた自分の考え方に修正をかけなければならないと感づいていた問題だっただけに、超微妙と言うほかない。

 しかもトークイベントの内容はPodcastingですぐにネットに流れるそうなので、自分のブログで書くより先にオンラインに流れてしまうかと思うと、絶妙のタイミングというか泣けるというか。

 ただ、最近1年ぶりぐらいにいろいろインプットが起こってきているので、頭の中が少し活性化されている気もする。とりあえず、7日夜のイベントで梅田さんや他の参加者の方々にも「R30を呼んで良かった」と思っていただけるよう、これからブログのエントリ5回分ぐらいのネタを準備しようと思っていますので皆さんお楽しみに。

 あと、7日夕方にイベントやってる最中に、このブログに書評が自動アップされるように設定しておこうかな、「同時多発的批評デスマッチ」とかいう感じで(笑)。あああ、こんなイベントがあったら、近々に本に書いたりしなきゃいけないネタも全部出してしまいそうで恐ろしい。まあいいや、そん時はそん時でまた考えよっと。

10:21 午前 メディアとネット コメント (2) トラックバック (3)