書評「ウェブ進化論―本当の大変化はこれから始まる」・上
この本は、おそらく梅田氏が日本に来るたびになんども口を酸っぱくして説明している日本のエスタブリッシュメント層の人々、なかんずく大手メディア企業の幹部を想定読者として書かれたものだろうと思う。内容が過去3~4年ぐらいの間に梅田氏によって書かれたウェブや雑誌での連載、講演などをまとめたものであることや、あとがきの語り方からもそれは見て取れる。つまり、少なくともネットで梅田氏のブログや講演録をリアルタイムで読んでソーシャル・ブックマークしているようなネット住民たる僕たちに対して書かれた本ではない。
ウェブの世界(とそれに絡むビジネス、広い意味での情報産業)において、今何が起きているのかがどうしても分からないという方々にはまず無心にこの本を読んでいただくのが一番良いと思う。僕ごときがくどくど言わなくても、ここにもっと分かりやすい言葉で書かれているからだ。で、僕たちウェブの世界にどっぷり浸かっている人間が考えなければならないこと、それは「この本に何が書かれていないか」ということである。
一言で言うと、この本は「Google論」だと思う。Googleがどういう会社であるか、どんなパラダイム・チェンジをウェブの世界(とそれに繋がる情報社会)に引き起こしたのか、それがどのような思想的な特徴を持っているのか、そういったことが最新のキーワードをちりばめつつ書かれている。
しかし、僕の目から見ると、ある非常に重要な1点のことが、なぜかこの本には書かれていない。正確に言うと、話が何度もそれに近いところまで接近するのだが、なぜかその1点を明言せずに通り過ぎてしまうのだ。梅田氏が自分のビジネスにもかかわることであるがゆえにあえて外しているのか、それとももっと別の理由があるのかは分からないのだけど。
書かれていないこととは、Googleの本当の功績が、「ネット上での情報の組織化の効率性を現実世界よりも高めるイノベーション競争に火をつけた」ことにあるという点だ。
90年代のインターネットブームが教えたことを、梅田氏は「ネットでは(世の中に革命的なことは)何も起こらない」だった、とまとめている。この総括は厳密には正しくない。90年代のインターネットブームでビジネスの人々が学んだのは「ネットはそれ自体でビジネスを完結させない(させにくい)が、現実のビジネスの強力な支援ツールになる」ということだったからだ。つまりこの時点では、インターネット(の少なくとも主流)はエスタブリッシュメントの掌中にある、と思われていたのである。
このことは実はネットバブル崩壊などと関係なく、シリコンバレーという地域経済モデルを研究したことのある人なら分かっていたことだった。シリコンバレーの強みとは、無数のベンチャー企業やエンジニアの生み出した技術の「順列組み合わせ」をものすごいスピードで試行錯誤できることだった。そこにぶちこまれた技術は、必ずしも最先端のものばかりでもなかったが、万に一つの面白い組み合わせから巨万の富を生み出すビジネスが生まれる可能性があると、みんなが信じていたし、実際にそういうビジネスがたくさん生まれた。
だが、実際の順列組み合わせを実現させているのはエンジニア同士の人的なつながりだったりベンチャー・キャピタリストだったりと、「ネットの外側」の原理だった。シリコンバレーの中は「るつぼ」でも、その外にこぼれ出てくるものはあくまで順列組み合わせの済んだ、完成品のビジネスだったわけだ。それは、ネットがそもそも技術同士、あるいは技術とビジネスの無数のマッチングを試みるための場(プラットフォーム)としては、シリコンバレーのカフェやベンチャー・キャピタリストの電話帳リスト、「サンノゼ・マーキュリー」などのマスメディアなどに比べると、全然不十分だったからである。
「インターネット技術のイノベーション」と言いつつ、実際のイノベーションのスピードはカフェ・サロンや友人のネットワークに依存するという矛盾が、2000年のインターネットバブル崩壊の遠因だったと、僕は思っている。
ところが、Googleとブログが登場したことによってこの様相が根本から覆った。そのことに多くの人が気づいたのは、たぶん2003年頃だったと思う(ここは梅田氏も指摘しているとおり)。個々の技術者やビジネスマンの持つ、無数の技術とアイデアの順列組み合わせ、つまり「情報の組織化」が、ある日突然現実世界を介さずともネット上だけで効率的にできることを、人々が発見してしまったのだ。
ここで初めて「ネット上で完結するビジネス」というのが出現する。これはECのことではない。楽天などのECモデルは、顧客とモールの商取引はネットで行われるかもしれないが、店舗の運営や商品のデリバリーには現実世界のビジネスが介入する。だからこそ楽天のモールビジネスはネットバブル崩壊にも強かったし、これまで着実に業績を伸ばしてきた。
ところが、ビジネスにおいて最大の課題である「売り手と買い手のマッチング」が、どのような規模でもネットの中だけで効率的に行われるとなると、あらゆる商行為がすべてネットで完結するようなビジネスが爆発的に増える。それがAdsenseのような広告ビジネスであったり、さまざまなWeb2.0的サービスであったりするわけだ。
個人的には、Googleは「ひとりシリコンバレー」だと思う。梅田氏の本を読んで、ますますその意を強くした。社内に5000人ものPh.D取得者がいて研究開発を行っており、情報共有をしてイントラネット上で「順列組み合わせ」を試す。いけると直感したら小さなチームで猛スピードの開発を進め、それらの中から「マーケットにインパクトがありそうなもの」を順番に“上場”(サービスリリース)していく。
これって、「シリコンバレー」の仕組みそのものではないか。かつて多くの技術者とキャピタリストが集まっていたサンノゼのカフェは、今やGoogleのイントラネットの中、そしてGoogleが提供するインターネット・アプリケーションのプラットフォーム上に移ったのだ。恐ろしいことである。
…というわけで、話がまだまだ長くなりそうなのでとりあえずはここまで。明日、梅田氏がこの本に書かなかったもう1つのことについての続きを書きたいと思う。
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コメント
「ひとりシリコンバレー」ってのは面白い譬えですね。実際に見たわけではありませんが、実にリアルな感じです。今年に入ってからの本ブログの濃密化(ていうか真面目路線?)の最初のピークになるんではないでしょうか。。次のエントリーも楽しみにしております。
投稿: katshi | 2006/02/07 22:18
関心を持つ位置や意味が異なることで、見える風景が違うという事は嫌と言うほど知ってるが、こりゃ目から鱗で面白かった。
後編も期待大です。
自分はグーグルのフィルター機能やアンチフィルター運動?の方に関心が移ってましたから。
投稿: トリル | 2006/02/08 02:19
ウイルスって宿主がいないと滅びますね。Google(サーチエンジン)もネット上の検索元となるデータがないと意味がないですね。もちろんシンボリックな意味でも現実に照らした比喩でいってもウイルスとGoogleは全然違うでしょうが、なにか共通項があるような気がするのです。
投稿: くまさん | 2006/02/08 14:48
ネットワークの学者の研究だったと思うが、Googleに登録されているWEBサイトはWEB全体の20%に満たないそうだ。
「WEBのすべてを検索できる」というのは虚構だということは覚えておきたいな、と思いませんか。
投稿: tarou | 2006/02/08 17:57
> Googleに登録されているWEBサイトはWEB全体の20%に満たないそうだ
グーグルジャパンの村上さん↓も1%もオーガナイズできていないと言っています
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/event/2006/01/31/10701.html
投稿: マルセル | 2006/02/08 18:48
googleを梅田さんが俎上に載せ、
梅田さんをR30さんが解体する。
どちらも評論家に過ぎないと思いますね。
はやし立てることで「革命的変化」に乗ってる気分になってるだけ、じゃない?
投稿: 月夜の晩 | 2006/02/08 20:34
>月夜の晩
自己言及して面白いか?
Googleがフロントエンドプロセッササービスを提供するのはいい。
でも知を司れるかといえばバベルの塔にしか思えん。
ATOKが全ての人へリテラルな表現力を提供したかというとアレだわね。
投稿: a | 2006/02/08 20:48
そうだATOKの候補に広告枠つけたらどうだ。
“どんきでなぐった…”
ad. ドンキ(ショッピングアミューズメント 激安の殿堂 →□)
1. 鈍器(wikipedia →□)
2. ドンキ
3. どんき
世界が変わるかもしれないぞ。英字圏はダメか。
投稿: a | 2006/02/08 21:02
グーグル村上社長「2009年には“人類の知”がすべて検索可能に」
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/event/2006/01/31/10701.html
という記事もありますね。
投稿: トリル | 2006/02/08 21:49
「現実世界よりも高めるイノベーション競争」
まさにこのことこそがWeb2.0とキーワードが出てきた所以でしょうね。
既存にあるものへの寄生的植物から、自らが根を持って育ち始める新しい植物への転換が始まるのですね。
googleという大木がある中で、その大木に寄生するだけでは今までのWeb1.0時代とやっていることは大差ない気もします。
その延長戦ではない、根からの成長が少しづつ産まれ始めた時、本当の意味でのワールドが広まるような気がしますね。
考える良いきっかけになりました。
後編、期待しています。
投稿: Minoru Araki | 2006/02/08 22:13
シリコンバレーだったおもうけど、小学校のネットワーク化はぜんぜん進んでいなかった。
そこにクリントンがゴアといっしょにヘリコプターで飛んできて、
LANの配線を手伝ったんだよね。
社会基盤をつくることに対して質素で堅実なところがアメリカの強み。
技術以前の温かさがある。
で、Googleにもある。
あとは、●●で書けない、ふふふ。
投稿: noneco | 2006/02/09 20:50
今(2月11日午前0時45分)読了しました、後半梅田さんの筆が逡巡しているように感じました、それは若者を支えるはずのおっさんたちにどのように説明しようか悩んでいるように見えます、おっさんとは1955年近辺生まれの孫さんのようなビル・ゲイツ世代はもちろん、1975年より前に生まれた三木谷さんたちの世代を既に含むという、あまりにも残酷な状況を説明し難いとすら言っているように思えます
投稿: マルセル | 2006/02/11 00:58
広告の分野でイベント屋から紙やらWEB製作に転向した僕の体感では、Google自体はWEBページの紹介を無料で出稿できるフリーペーパーみたいなもん。だからSEO対策に必死。
でもって、紙でいうところのタイアップがAdsens(無茶苦茶な比喩で混乱を招くかもしれない)。
そう考えると、これと言って画期的なことは無いような・・・。
投稿: ハンドルネーム考え中 | 2006/02/11 02:53
じゃあフリーペーパーでGoogleを代替してみたら?
なんでも自分の既存フレーム内に納まるとは驚くほどDQNだな。
投稿: へほ | 2006/02/11 11:45
>じゃあフリーペーパーでGoogleを代替してみたら?
ごめんごめん。早速、誤解を与えてっしまった。
GoogleはインターネットっていうインフラとWWWサーバっていうハードがあって成り立つサービスなのだから、実際それができないのは承知している。
ただ、現実的に読み手側(ユーザ)はお金を払わず、サービスやコンテンツが提供され、提供側は広告収入でまかなうのは、Googleもしかり、なんだか実態が見えてこないWeb2.0だったりするんだよね。
ディティールの差異はあれバックグランドは一緒ってことに思えてしまうし、またはそう考ざるを得ない事情ってのがあって、クライアント(企業側)に説明をするポジションに僕より近い人々なんかがこのへんで一番苦労してるのかな。
そういう意味では「****の部屋」からだいぶ進歩したような気もしないわけでもない。
まーなにを「画期的」と市場において位置づけるのはサービスの提供者側やエンジニアではなく、サービスを利用する人だろうね。
小柴教授のニュートリノは画期的な発見であることは確かだ。ただ僕らは生活には画期的にはならない。
>>R30氏へ
長文すみません。
なるはやでブログを立ち上げます。
投稿: ハンドルネーム考え中 | 2006/02/11 15:37
マスメディアとWebメディアでは情報の受け手の対象が全く異なるのが根本的な要因になると思っています。
マスメディアが扱う一般大衆は情報を得るためにスイッチをひねる以上の労力を使いません。
Webがそのレベルに入る可能性は見えていません。しかしながら興味グループ内での情報密度はマスメディアを超えマスメディアからも無視できない存在にはなっていくと思います。
投稿: rtf | 2006/02/11 17:47
Web2.0ってのは、ロングテールからの逆襲だから、既存の大手クライアントには脅威だろうし、そこに近い広告代理店も同じように感じるだろうよ。
ロングテール側の需給ニーズの中から将来の「恐竜の首」を生まれる事を思えば、既存の「恐竜の首」を押さえてる層がそう思うのは当然だわな。
むしろ「画期的でないような」と暢気な事言ってる間に既存メディアはジリ貧で化石化するよん。
クリック連動型アドセンスにしてもピンポイント少ない予算で効果を狙えるわけだから、既存メディア広告じゃニッチ市場において太刀打ちできない。
投稿: トリル | 2006/02/11 23:34
いや、エレベーターって便利でイカす代物だと思うんだけど
それって階段と同じでしょってのもおかしいけど、これによって
上下移動が手軽になることで状況の俯瞰を容易にし
情報の非対称性が解消され社会は変わるとか云われても
アホかとしか思わないわけよ。
エレベーターの機能とそれが変える対象は明確にあって
政治力の偏在というのは当然別の要因による事なんか
血液型占いさえ信じてなければ分かると思うんだよ。
なんで何回も何回も下層市民のルサンチマンをカーゴ(技術革新)が
救済するなんて信仰を信じつづけるんだろうな。
それこそが暗愚であり弱者が弱者である構造だろ。
投稿: 諸 | 2006/02/12 02:14
どうでもいいけど、
「つづきは明日」っていつのことよ?>R30
投稿: 月夜の晩 | 2006/02/12 07:02
「オリンピック」でググると先頭にくるのが「ハイパーマーケットのオリンピック」、そして横っちょの広告(スポンサー)には、eBETとオリンピック限定カード(クレジットカード比較ナビ)ってのはどうもねぇ。
オリンピックオフィシャルスポンサーすら出てこないし、トリノオリンピック委員会のページすら出てこないのはちょっとがっかり。
まぁ、今の実力はこんなものなんでしょう、特にマスな話題の場合。
つまり、よりマスな話題ではgoogleは頼りにされず、これよりちょっとニッチな話題に強いってことじゃよないかなぁという実感。
Yahooの方がメジャーな話題を押さえている&頼りにされている分、まだまだ優位だし、広告費をかき集めるパワーは強いし、それよりもまして、既存のメディア、特にTVは巨額なカネが動くイベント中心に今後も安泰なように感じる今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
なぜかネットに暮らす人たちって、TVもよく見てるし、本も良く読んでるみたいだしね。
TV、新聞、本の話題なしでブログやってみ、と言われたら、どのくらい成立するのか楽しみ!
投稿: antiECO | 2006/02/13 01:15
>下層市民のルサンチマンをカーゴ(技術革新)が救済するなんて信仰を信じつづけるんだろうな。
ん。
確かにウェブがその様になっても、テレビのスイッチを捻るだけで階段も上らないしエレベーターにも乗らない層は、カーゴじゃ救えないよ。
ただ個々の下層市民が気安くそうするチャンスやシステムはできるわけで、その分上層の取り分やポストは減る。密室で好きなようにできる度合いも減ると思うよ。
投稿: トリル | 2006/02/13 01:40
うーんオリッピックに関しては言葉の使用頻度の問題だとおもうんだけどな。
僕らの感覚では「オリンピック」といえば夏季と冬季に行われるスポーツの祭典ってことで上位なんだけど、言葉の使用頻度としては低いだけなのかもしれない。
考えてみれば、僕の日々の行動においてオリンピックといえばやっぱり例の流通小売店だし、ところ変わってフランスならサッカーのクラブチームになったりするんじゃないかな?
それがWeb2.0の課題かどうかは知らないけど、オフラインとオンラインの言葉の順位の整理がっ必要なのかなとも思ってみた。
ついでにちょっと青臭い話だけど、インターネットの黎明期に僕らが夢を見ていた知識の共有とか距離を越えたコミュニティの生成とかと、企業や広告における進化論ってだんだん幅が広がっているよね。
少なくともオリンピックの公式スポンサーになっても、現状Google上でそのご利益は薄いと・・・。
投稿: ハンドルネーム考え中 | 2006/02/13 17:53
マスがつくほど大きなメディアよりも
小さい地方のメディア産業にあたえる影響の方が
余計にあると思いますが。
投稿: R29 | 2006/02/13 20:52
例えば、「日本」とか「日本国」でぐぐっても、日本や日本国のことを知ることは難しい。googleの限界はそれを使う人の限界だし、その(使う人の)集合体がマスを代表するものでない限り、マスにたり得ない予感がする。
それよりも今後さらに問題かなと思う点は、当たり前の情報を提供する人がどんどんと減り、当たり前のことがネットになかったりすること。それとニーズとのミスマッチ。今は探し当てられる情報がそのうち見つからなくなるかも知れない、当たり前の境界線がどんどんと上がってしまってね。
投稿: antiECO | 2006/02/14 09:21