書評「ウェブ進化論―本当の大変化はこれから始まる」・下
前回の書評の最後に「明日続きを書く」と言っておきながら放置モードに入ってしまったのはいくつか理由があって、一つは仕事が猛烈に忙しくなった(正確に言うと梅田氏新著出版イベントに出るために棚上げしていた膨大な仕事が棚から崩れ落ちてきた)、一つはあと何回書けばこの話が終えられるのかが自分で分からなくなっていた(笑)。もう1つは、イベントをきっかけにいろいろなブログで論評が書かれていたので、それらを読みながら考えを巡らせていた。
今も棚の上の仕事が全部無くなったわけではないので、実はこんなことを書いているヒマはないのだけれど、書くと言っておいて書かないとまたまた後でいろいろな厄災が降りかかってきそう(笑)なので、もう見切り発車で続きを書いておく。
前回、「Googleの本当の功績とは、ネット上での情報の組織化の効率性を現実世界よりも高めるイノベーション競争に火をつけたことだ」と書いた。梅田氏の言葉で言うと「ネットのこちら側からあちら側へのシフト」だ。
これに対して明確に「それは違う」という反論は、(Googleのやり方が好きかどうかはともかくとして)イベントから1週間たった現在でもまだ出てないようなので、まずはネット住民の共通理解になったと思っていいのだろう。で、問題は「だから、何なの?」ということだ。それがどういう意味合いを持っているのか。マスメディアを解体するのかしないのか、僕らの身近な社会を変えるのか変えないのか。
実を言うと、イベントの席上で僕は梅田氏がそういう(マスメディアは滅びる、的な)論を展開するだろうと思って、「ネットのあちら側にすべてが移るわけではない」という論を、前日にいろいろな角度から反論を検討し、身構えていた。だが、いざ始まってみると、梅田氏はいきなり「マスメディアには何も起こらない」というベタな話を始めたので、慌てて僕は議論を面白くするためにと、あべこべにネット革命論を展開するはめになってしまった。
結果として、「ネットに対する世代ごとの意識差を浮き上がらせる」という梅田氏一流の戦略的トラップに見事はめられたなあと思った。まあ、それでも皆さんが面白がってくれたなら良かったのではないかと。
Googleの起こしたイノベーション競争の意味するところ、つまり「だから、何なの?」の部分に関しては、1つはファッションライターの両国さくらさんのブログが、僕の言いたかったことについてだいたいまとめてくれている。
ファッションという、感性の領域の現場にいるライターさんから見た「生き残るオールドマスコミとそうでないもの」の区別が、面白い。彼女によると、ネットに単純に収斂しそうにないカテゴリーとして「外資系ラグジュアリーブランド、芸能人、スポーツ」という3種類のコンテンツが挙がっている。これらのコンテンツを扱うメディアは、ネットにはシフトしないだろうという。鋭い指摘だ。
この3つのコンテンツに共通するのは、たぶん「絵(画像・映像)で見なきゃ分からない、面白くない」「言葉で説明しきれない、フィーリングがある」「情報提供元が一極に集中しており、しかも彼らがメディアチャネルごとの情報の出し方を強くコントロールしている(したがっている)」みたいなところじゃないだろうか。
思うに、上記3種類のコンテンツを扱う以外にも生き残るメディアはいくつかあると思うのだが、いずれもこの3つのポイントを押さえられているということが条件になるだろう。
なぜこの3つのポイントが押さえられれば生き残れるのか。それは、これらのポイントが「Googleの死角」だからだ。Googleは「現実世界よりも効率的に情報のマッチングができる空間をネット上に作った」と、前回僕は書いた。しかしこのマッチングの対象となる「情報」とは、テクノロジーであったりビジネスアイデアであったり、いわば「言語化」できるものの領域である。
Googleの弱点は、(確か梅田氏も書籍のどこかに書いていたと思うが)「自然言語解析」のテクノロジーで対応できない領域、つまり理知的じゃない領域の話だ。
で、世の中に飛び交う「情報」というもののうち、左脳的、理知的な内容のものって実は割合としてそんなに多くないような気がする。「外資系ラグジュアリーブランド、芸能、スポーツ」のどれにもほとんど興味がないので、僕自身はあまりそういう実感を持たないのだが、ネット上のトラフィックを見ているだけでもそれは言えるだろうと思う。
まして、現代の情報消費社会は人間が本来必要とするレベルの何倍、何十倍もの情報が身の回りにあふれるところである。それだけの情報を流通させようと思ったら、それが「真実」かどうかなんてぶっちゃけどうでも良くて、限りなく嘘でもいいから「面白い」「快い」情報を次から次へとでっち上げるしかない。受け取る側も、真実ではないことを薄々理解しつつ「でも面白いからいいや」と割り切って情報に接する。
その意味では、「電車男」なんてまさにそういう「右脳的コンテンツ」の典型だろう。あの話そのものは確かにネットから出てきたかもしれないが、「面白い」と思われた瞬間に既存のメディアチャネルでこれでもかと取り上げられた。あれを見ていると、マスコミが本当のところどういう“情報”を常日頃から欲しているのかがよく分かる。
そういう右脳的、感情的なコンテンツをうまく扱えるマスコミは、メディアとしてちゃんと生き残ると思う。逆に言うと、メディアとして生き残りたければ右脳的、感情的なコンテンツをうまくコントロールできるようになってなければいけないんじゃないかな。
むしろ、ネットを使ったビジネスを考えている人が、これから完全なオープンネットの領域で何かしようとするのは、もう止めた方がいいと思う。この前もある人が「著名ブログの執筆者にご協力いただき、ブログを使った新しい広告ビジネスを始めたいのだが」と相談に来られたが、「今からブログなんておやめなさい」と忠告した。
ブログすなわちGoogleワールドの原理というのは、Google様の指先1つでビジネスのルール変更が可能な世界なのである。そこに会社としての基盤を依存するなんて、どう考えても正気の沙汰ではない。もちろん、それでも何かあるかもしれないと思ってチャレンジする「はてな」のような会社には男気を感じるし、がんばってほしいと思うわけだが、少なくとも既存のビジネスでそれなりのボリュームを持っている「失うもののある」企業が、オープンネットの世界に今から挑むなど、戦略的にあり得ない選択肢と断言しても間違いないだろう。
むしろチャレンジすべきだと思うのは、同じデジタルでもGoogleによって「組織化」されてないメディアや情報の領域だ。Podcasting、SNSなんかはその例だろうし、今密かに注目を浴びているのは「企業内(イントラ)ネットワーク」だったりする。あと、僕が個人的に非常に関心を持っているのは、映像メディアの領域だ。映像というコンテンツが、どのような要素によって視聴者に感情的な影響を与えるのかを何らかのメソドロジーで解析することができないかというのを、最近ずっと考えている。
なにしろ簡単に言語化できない領域の話なので教えてくれる人がいるのかどうかも分からず困っているのだが、たぶん映像の与える感情への影響が分析できるようになれば、つまり本当の意味で映像という表現形式を駆使したコンテンツを自分の手で作れるようになれば、かの「Googleワールド」から逃げる時間を稼げると思うのだ。
そんなわけで、このテーマについて何か良い資料、情報源等をご存じの方はぜひ教えてください。マスコミってこういう「コンテンツのノウハウ」が極端にシステム化されてない領域だからな~。やっぱりテレビの現役ディレクターさんなんかに会って、直接いろいろお話を聞いたりしたほうがいいのかも…。
(ちなみに筑摩書房の福田さんから昨日メールで「書評の続きも楽しみにしてますからね!」と激しいプレッシャーをかけられたのはここだけのヒミツだ。あの方は本当に優秀な編集者だ…梅田さんも大変だったろうな)
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コメント
広義で映像ということでしたらゲーム業界の方がノウハウ確立している分、分析・実践等はしやすいと思いますよ。
聞く人を相当吟味しないと、というのは大前提で。
投稿: mgkiller | 2006/02/14 11:08
「名機」が販売禁止に 4月に迫る「電気用品安全法」
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0602/14/news017.html
これって家電の「著作権法」にするんじゃないの。
特に
> 家電製品の安全性向上のため、電気用品安全法など関連法令を改正する方向で
> 検討に入った。購入から一定期間がたつと製品が作動しなくなる「タイムスタンプ」
> 機能を製品に付け、消費者に定期点検を促す案などが浮上している。
http://www.mainichi-msn.co.jp/keizai/it/computing/news/20060116org00m300093000c.html
とてもいかがわしく見えます。
ネットだけでなくリアルも逆コースですぜ、旦那。
投稿: a | 2006/02/14 14:28
「電車男」は、欲望的であって、右脳のエレガントさは…
ネットの弱点は、欲望が満たされるところにいきつかず迷宮にさまよってしまうところ。
で、起こりそうなのは、階級序列化する。あれあれ、初段とか二段とか、免許皆伝とか。
もしかすると、ある人の検索や閲覧行動をスパイ的に追跡して検索テーブルにポイントにより加算される。かなぁ。
か、もともとヤフーのディレクトリー型がヤフーのスタッフによって手動でおこなっていたことを、
グーグルニュースの技術で、ディレクトリーを日々つくって、それをRSSで配信するとか?
投稿: 野猫 | 2006/02/14 22:45
「映像の与える感情への影響が分析できるようになれば」とあるが、分析できるようになれば、結局Googleワールドに引き込まれる気もしますね。
Googleという場所から逃げようとしている時点で、Googleワールドに引きこまている気もしますしね。
どうだろう。受動的なユーザーに対して、感情を一方的に操作できるコンテンツを流すということは、既存のTVやメディアでもやられてきたわけで、そこを目指しても堂々巡りな気がします。
能動的な感情とそこから産まれる価値のスパイラルが新しい何かを生み出すような気がしますね。
まぁ超簡単に言うと「脳を鍛える大人のDSトレーニング」というのが、ごく僅かに漏れた未来の小さな光かもしれないですね。
まぁ梅田さんも「SNSはWeb1.0だ」みたいなことを言ってましたが、
そういう意味での範疇を超えたモノ、価値が提供できることが次の世代に来るんでしょうね。
わかりにくいけど、やっぱり脳を鍛える~が見せる片鱗はかなり未来を具現化していると思います。
投稿: Minoru Araki | 2006/02/14 22:57
>やっぱりテレビの現役ディレクターさんなんかに会って
呼んだ?あ、事務屋はいらない?
というか、Dに話なんか聞いても駄目。コンテンツは自分で創ってみないと実感として手に出来ない。
今はHDですら家庭でなんとかなる時代なんだから、話なんか聞くよりも、5分映像でいいから、自分でやってみるのが一番いい。
話を聞くのはその後でいい。
僕も自主映画撮ってみたよ。
投稿: 孝好 | 2006/02/15 00:26
脳を鍛える~はそういうものなのかな? もちろん浅田さんなどの功績は非常に大きいとは思うけれど、それは新しい手法や考え方というわけではなくて、むしろ物・サービスづくりの誠実な基本に立脚した戦略の結果だと思うのだけれど。
投稿: スープ | 2006/02/15 01:22
非テキストデータはコメント数やコメント内のキーワード、リンク数やダウンロードリンク先の属性や好みで品質や面白みを自動判断できないかな?
投稿: トリル | 2006/02/15 01:56
電車男にしても、最近はやりのブログの書籍化にしても見方を変えればコンテンツ産業がテストマーケティングを放棄しちゃったようにしか思えないんだよね。
「こういうものが面白い。だからこういうコンテンツをつくりました」ではなく「こういうものがありす。これを違う形のコンテンツにしちゃいましょう」って具合に。
つまり「キリスト教の与太話が面白い。だからダビンチコードを書きました」っていうのが右脳型コンテンツの典型だと思う。
でもって「電車男という面白い話があります。これをドラマ、マンガ(略)にしちゃいました」てことで前者と後者では似て異なると思う。
また単純に後者の話は角川春樹氏のメディアミックスとなにが違うのだろう? と思ってみた。
疑問でもなんでもないことツラツラと・・・失礼しました。
投稿: ハンドルネーム考え中改め、児玉遼太郎 | 2006/02/15 02:42
孝好さん、自主映画撮ったんだ。すぐに検索して数字を調べたり、電話取材したり、常々思ってましたが、事務屋にしておくのは惜しいですね。
私は一応Dを8年やりましたので、何かお聞きしたいことがあれば、どうぞ。ただR30さんの話は難しすぎて、(メソドロジーて何や)私の風船頭では理解できないかもしれませんが。あと、僕の場合、分野がすごく偏ってますけど、今考えている新しい事業について、そのキレまくりの見解も少し伺ってみたいです。
投稿: hakohugu | 2006/02/15 12:58
インターネット化できる教育、できない教育というのも似た話でしてね。知識の伝達だけなら、
http://www.helsinki.fi/WebEc/
なんていう怪物がもうのっしのっししているわけです。英語圏じゃないからポータルの形成が遅れてるだけですが、個々には公開された講義ノートがそこらじゅうにあります。
じゃあ何が残るかというと、指導。適時に適所をぐさりとやる指導。場を選ばないと伝わらないメッセージがわたしらの飯の種ですね。もう現在進行形で。
煎じ詰めると消費者にとって、教師は立体映像でしかないのかもしれません。その発するメッセージは、受け取る側にぴたりとはまる受容体がたまたまあったときにだけ意味があるのですが。
投稿: 並河 | 2006/02/17 10:38
脅威という視点はマルクスのように世界を僻んだ「革命者」にとってはご機嫌な
おもちゃなのだろうと思うが、活版印刷が登場したときあとの教会、写真機が登場したあとの
画家のように脅威なんかごく限られた人間にしかなく一般化して語る内容ではない。
そして重要なのはGoogleというのは新しい価値観の頭脳集団などではなく
インフラ競争後登場した本格的なネットワークサービスの装置産業であるということである。
彼らがマスプロダクトするのは情報なんかでは絶対に無い。検索等のサービスなのだ。
そして彼らの競争力を担保するのはDr.の数でなく古典的にも資本力だ。
したがってコンテンツがどうとかいう見方は完全に論点を見誤っている。
エンドユーザーにとってはごく安価(対価は広告出稿者への製品購入)にサービスを
得られるのであって価値の変化を語るのであればこれを起点にした論理構築でなければ
意味を成さない。
投稿: aaa | 2006/02/17 11:46
Googleの検索表示されたのをスクロールして見ているとウォーホルのキャンベルスープを想起します。Yahooも同じではあるが、多少違う部分はあります。
「ウェブ進化論」の中に書いてある『GoogleとYahooの違いはこの2社が映像コンテンツを巡って戦うことになると将来もっとはっきり見えくるはずだ』というのはそのとおりだとおもう。
わたしは「現代美術」のコンテンツをブログというスタイルで運営していますが、ちなみにテストしてみるとYahooの検索では今まで記載した投稿タイトルを検索にかけると殆どトップページに表示される。Googleはその記事によってばらつきがある。両者のシステムの互いがもの凄くでている。
コンテンツが映像や嗜好性が問題のとき、Googleは新たにシステムを構築するから、結局見る側が良質の1つのムーヴメントをつくる作用として働きかける以外ない。アートはとくにそうです。それが文化になります。
長い文で失礼しました。
「作者の画像と文」以外掲載できないのでトラックバックしませんでした。どうぞこのブログを御覧になって下さい。アメリカ的なあるいは西欧的ノマッド思考(Googleも含め)を掲載しています。
http://youjnsu.livedoor.biz/archives/50381518.html
投稿: yama | 2006/02/17 18:05
>並河さん
>何が残るかというと、指導
どうだろう。
トラブルシューティングのアーカイブ化では?
投稿: トリル | 2006/02/17 23:00
伊藤穣一は「インターネットはビジネスにはなかなかならない。でも、まずは商売抜きで尽力すべき。それを続けていれば、大衆は見逃さないから、いつしかご褒美をもらえるようになる」って言っていたと思う。
梅田氏の、商売抜きでは人はインターネットと関わらないという思想に、私は違和感があるんっすが…。
投稿: sponta | 2006/02/19 08:21
↑伊藤穣一氏の言う「人」は主に顧客か庶民で、梅田氏の言う「商売抜きでは関わらない」人は、主に事業者かと。
違和感を感じるか否かは自分がどちらの立場により近いかの問題で、言ってることそのものは、双方いずれも一理あるかと思われ。
事業者・儲けを考える立場から言えば、いつ出るか分からないご褒美のためにどこまで耐えるか分からない苦労はしたくないだろうし、それで赤字になっても伊藤穣一氏は絶対責任取らないだろうから、いい加減なこと言うなって感じじゃないでしょうかね?
投稿: 私 | 2006/02/19 12:36
伊藤穣一氏の言い分を忠実に実行してる類の人たちって、ネットで言うとアダルトサイトの人たちですよ。ワンクリサイトの人たちかもしれん。まぁ、いずれ商売が軌道に乗ったら過去と決別するのかもしれんですけど。
ゲー○業界で言えば、コー○ーですかな。
基本的に、そのノリで邁進するのはテキ屋、香具師等ヤクザ者の類だと思ったほうがいいでしょうね。
技術が問題な面もあるけど、新たな技術や新システムを「どういう人が使うのか」にも、問題ありでしょうな。
投稿: 私 | 2006/02/19 12:44
↑強引に利益にしようとする人(山師)、ブームらしいからとやっちゃう人(大衆)、そして体力があってポートフォリオで種を蒔いておく人(グーグル、MS、アマゾン、梅田さんなど)
え?だって梅田さんの「はてな」参加はそういう事でしょ。
WEB1.0でがっちり基礎体力固めて、余力でWEB2.0的世界の可能性に面白がるっていうのは。
そういう意味では、グーグルでさえ資本体力の源泉と投入先は当然別であり、山師や大衆が単純にWEBから両方得ようと試みてるより構造がしっかりしてる。
投稿: トリル | 2006/02/19 14:10
そっか。思い出した、ジョイ伊藤って、業界からは、そういうふうに見られていたんでしたっけ。思い出した。納得なっとく。
結局のところ、私の考えも相対的に考えればいいし、梅田氏の考えも相対的に考えれば罪はないのか。ふむ。
でも、私は民主主義は捨てたくナインだけどなぁ。むずかしや、むずかしや。
投稿: sponta | 2006/02/19 14:31
私は伊藤氏のことも梅田氏のことも、なーんも知らんのですけど、対比比較として考えるなら、事業者(統制主義)vs庶民(ヤクザ・パワーゲーム至上派)という区分けになるんじゃないかな? と。そんな感じ。
道あるところ先人ありですから、方向性の極致にいる人を想定すれば、(向こうから)どんな世界がやってくるのか、ある程度分かりそうな気も。
次なる世界には、必ず「先住人」が居るんですよ。誰も居ないフロンティアなんか南極以外にあり得ない。
アメリカ人だって、インディアン皆殺しにしてるでしょう。
投稿: 私 | 2006/02/19 15:00
>私さま
事業者vs庶民という構図を逃れられるのがインターネットであり、オプティスミスティックな未来のために、それを指摘しないのは、ペシミスティックだと思うなぁ…。
投稿: sponta | 2006/02/19 18:20
でも現実には事業者が居ないとインターネット事業そのものが成り立たないと思いますよ。
インターネット環境自体が国営でも民営でもなんでもない、国籍も人種思想も関係ない非営利団体の手に委ねられれば話は別だと思いますが。
そういう都合のいい話は、寡聞にしてさっぱり聞いたことがないんで。
投稿: 私 | 2006/02/19 18:58
私さま
なかなか前提や語句の定義に乖離があって、なかなか難しいとは感じているのですが、言葉の壁を越えてコミュニケーションしたい。とか、沢山の人と情報を共有したい。とか、人間の願いって、国籍や人種や宗教を越えて共通の部分が多いんじゃないかな。
だとしたら、立場は違っても協力できる。
大多数の事業者にとって都合のいいことは不可能じゃない。そんなように考えているのです。
まぁ、この言説は私の文脈(個の多様性の許容)からは外れているのかもしれませんが、そう考えることもできるなぁ…。と、私さんの書き込みを読んで感じました。
投稿: sponta | 2006/02/19 21:08
>>sponta氏
インターネットに限っての話ではなく、古今東西それができるのは「お金持ち」って呼ばれる人々なんだよね。
日本で言えば横浜の三溪園の話みたいなもんで。
しかし、今まで様々なインターネット論を読んでみるて思うんだけど「需要があるサービスは対価を得てペイできる」って変な大前提ってに違和感を感じるのは僕だけかな?
住み分けの問題かもしれないけが、サグラダ・ファミリアと六本木ヒルズを同じテーブルで考えているのがインターネット論の曖昧さに思える。
まぁどう間違っても、森ビルはサグラダ・ファミリアみたいな建物は作らない。
投稿: 児玉遼太郎 | 2006/02/20 00:05
三渓園はよくわかんないです。ごめんなさい。
ただ…。なんとなく、ライブドアPJのときにさんざんやった議論に近くなってきた感じがしています。とはいえ、ひとつひとつ、こつこつと、説明をしなければならないんでしょうね。
そして、そういうひとつひとつの説明・説得が来るべきパラダイムシフトに続いていくのだと確信しています。
梅田さんが現在を語ることは彼から見た世界だから、それも良しとできる。でも、彼の立場から見た未来を語ることには疑問符がつく。それにつきるんじゃないかなぁ…。
そして、サイエンティストの立場なら、少なくとも自説を対象化すべきと考える。でなければビジネスマンでしかない…。
あ、そか。梅田さんはビジネスマンだった。
…だよね。
投稿: sponta | 2006/02/20 11:32
少し前の記事なのですが、TBさせていただきました
自分が無知な上に、専門的な知識が多く、読むのが大変だったのですが、過去ログ楽しく読ませていただきました
投稿: もっぱら | 2006/02/22 00:55
えっと、感想です。
・たぶん僕とR30さんは同世代だと思うけど、本音で言って、今でも 「ネットのこちら側」 「あちら側」 って意識あります? せいぜい、「ネットこみ」 「ネット抜き」 位のものじゃないですか。ネット抜きって、せいぜい寿司にシャリがない程度のものだと思いますよ。
・僕が梅田さんが本の中で故意に目立たなくした点は、Google って、テクノロジーで『人の労力』をかき集めたものだよねって事だと思った。
・組織化というなら「コンテンツそのもの」 と 「コンテンツに関する情報」 が紛らわしいので区別して書いてもらえると僕はうれしい。
・「コンテンツそのもの」が Google にリンクしてなきゃGoogleワールドから逃れられる。ってものでもないんでしょうね。
投稿: bywordeth | 2006/02/22 02:16