なんで年末になると少子化対策の話になるんだろう
去年もなんか12月末から1月にかけて、こんな記事とかこんな記事を書いた覚えが。読み直すと、あの頃はコメント欄の長文レスにもまじめに答えてたなあと感慨深い。それにしても、毎年飽きもせずにこのネタが繰り返されるのは、政府の来年度予算案関連の報道がトリガーになっているからなんだろうか。
今年は非モテ論とかが僕みたいな妻子持ちの素人には手が出せないぐらい燃え上がったこともあって、これ系のネタは無視しようと思っていたが、何やら突然H-Yamaguchi.netで議論の歴史的経緯とか非モテの琴線とかをまったく無視した暴論エントリが上がっちゃいました。
暴論:「負け犬」男性を救え!(H-Yamaguchi.Net)
あーあ。山口さん、やっちまったよ。というわけで、ちょっとなだめ気味に歴史的経緯のご説明をば。
山口さんが1つまったく踏まえてないなーと思うのは、そもそも酒井順子の『負け組の遠吠え』っていうのは、女性性側における20年以上続いた「未婚vs既婚論争」の一方的敗北宣言だったということだ。
つまり、この本は30台にもなって未婚のくせに、恋愛資本主義における「非抑圧者」としての女性性という枠組みから逃走できた(つまり結婚して生活臭にまみれることから逃避できた)ことを根拠に、子育てに忙殺されている既婚の女友達に向かって、「どうだ、ルイヴィトンのバッグいいだろー」とか勝ち誇るのはもう止めようぜ未婚の同志たちよ、という、それまで20年以上続いてきた「未婚vs既婚」論争における白旗敗北降伏勧告の書なわけですよ。そのへんの詳しい経緯はエキサイト・ブックスの「ニュースな本棚」での、「『負け犬の遠吠え』が書かれた理由」をご覧ください。
で、それを
世間での論じられ方をみていると、実は「負け犬」であることをあえて引き受けるというか、ある種の「誇り」を持っているような気がする。「何が悪い」「これでいいじゃん」というわけだ。雑誌のコピー風にいえば「私らしく」かもしれない。実際、このカテゴリーに入る女性たちの中には、元気で輝いている人たちがたくさんいる(と紹介されることが多い)ような印象がある(もちろんそうでない人たちも多いだろうが)。とか言っちゃったら話が20年前に戻っちゃうわけですよ。それをあえて「負け犬」と呼ぼう、というのが酒井氏の言い分なわけだし、少なくともあの本がベストセラーになったということで、「クロワッサン症候群」に始まる20年の論争は、1つの終着点を得た訳だから。
ところで、問題はそれの反対側、つまり山口さんが「本当の負け犬」と呼ぶところの男性性の側なんだな。山口さんはここで
男性の「負け犬」はどうだろうか。あくまで漠たる印象でしかないが、「元気で輝いている」といった印象からは程遠い感じがする。「負け犬」女性と比べて、「負け犬」男性はかなりさびしいというか情けないというか、そんな扱われ方がされている感じがするのだ。と書いているが、だってそれが今までの日本社会のジョーシキだったのだから当然のことである。30後半、40歳になっても結婚できない男が「甲斐性なし」と後ろ指さされる風潮は、別に今に始まったことではない。
女性性の側ではそうした既存の女性抑圧の価値観に抗ってきた20年間の闘争を、この本によって「結局、誰が悪いんだかわかんないけど、やっぱり結婚できないあたしたちってフツーじゃないよね」「いくら仕事がバリバリできたって、結婚も出産もできないようじゃ世間様から一人前と思われないんだね」みたいな、ある意味総括して“降伏”を宣言したわけなんだけど、男性は抑圧されない側だっただけに意識改革も遅れてて、最近やっと既存の価値観に対する宣戦布告が始まったばかりなんだわ。つまり女性に比べて約20年のビハインド。
山口さんはこれに対して「理屈や『べき』論はともかくとして、マクロレベルでこうした男性を『なんとか』しないと、社会が望ましくない方向へ向かってしまうのではないか」と、少子化問題というマクロ論へと問題を接続しようとするのだが、これはご本人も「暴論」とおっしゃっている通り、危険な方向性の議論ではある。
この問題に対する僕のスタンスは、約1年前に居座り君改めantiECO氏からあれだけDISられたにもかかわらず基本的にはまったく変化していない。最初にリンクした2つの記事で書いた通り、「出産数を増やすためには、政策ターゲットを『1人目を出産したが2人目を躊躇っている夫婦』に絞れ、そして子作りの『目先のコストというハードル』を下げるのではなく『将来のQOLの期待値』を上げろ」という立論である。すなわち、非モテの人をいきなり「お前が少子化の元凶なんだYO!」ってDISってはいけませんということ。
ちなみに、僕の主張はこちらの記事に対するコメント欄でantiECO氏がご指摘の通り、「共働きかつ高学歴な子供を望む世帯にとってだけ都合の良い政策」だとは思うが、逆にこれからの世の中で男性の側だけに専業主婦を養えるほどの収入があり、かつ子供に義務教育以上の高学歴を望まない家庭というのが政策ターゲットとしてそれほど多数存在するとは思えないからそういう立論にしている。もし「世の中の大勢はそうじゃない」という新事実が出てくるようであれば、主張の撤回にはやぶさかでないけれども。
でもって、たぶん山口さんのエントリのきっかけになった、いったい政府の少子化対策の何が問題なんだろう、これから何をすればいいんだろうというそもそも論に戻って考えてみたい。
幸い12月までの少子化社会対策推進会議の議事録とか、今年3月に調査したっていう子育て女性の意識調査とかが全部ネットに乗っているので、ざっと目を通してみた。それで思ったのは、まず推進会議の委員の誰かも言ってたけど、これまでに政策としてやれることはだいたいもう出尽くしてるんだね。でも、圧倒的に「誰にも知られてない」の。おしなべてほとんどの政策について、8割以上の人が「政策の名前も内容も聞いたことがない」か「名前だけ聞いたことあるが内容は知らない」のどっちか。
つまりこれ、簡単な話で、政策マーケティングが全然出来てないのだよ。それなりに一生懸命政策を作って実施している(僕に言わせると、それでも上記の理由でピント外れなものが多いと思うが)にもかかわらず、そのことをまさにちゃんと知っていてもらいたい政策ターゲット(子育て中の女性)に、全然リーチしてないのだ。ここでは調査対象に入ってないから分からないが、現在子育てしている(つまり関心が最も高いはずの)女性にさえこれっぽっちしか認知されてないってことは、おそらく結婚を控えた独身男女には、政策の存在すらほとんど知られてないんだろうな。
で、今子育てしている女性が何にも知らないので、子供を産もうかどうしようか迷っている女性に対しては、“経験者”たる子持ち女性から「サービスの悪い民間(無認可)保育園には法外なカネがかかる」「幼稚園は遅くまで面倒見たりしてもらえず、全然使えない」「小学校以降は学校以外の教育費にべらぼうなお金がかかる」といったネガティブな噂だけが伝わっていくのだろう。もうねアフォかとバカかと。
内閣府と少子化社会対策会議は、1人でもいいから民間のプロのマーケティング・コンサルタントでも雇って、政策をどうやって実際のターゲット顧客層に周知徹底して「子供生んでも大丈夫なんだ」という心理状態を生み出すか、真剣に相談しろよ。少子化対策なんて、インプットが女性のディシジョン・メイキングで、アウトプットの数値目標が地域と年齢層別の出生率という定量目標でしょ。こんなにモダン・マーケティングの応用に適した政策分野はないんだからさ。
だいたいね、いろいろ手は打ってますって言われたって、その内容を「少子化社会対策基本法では~」とか「少子化社会対策大綱における~」とかの枕言葉をつけて説明されたら、頭に入る奴なんかいるわけないじゃん。ちゃんと清涼飲料買うときみたいに分かりやすく説明してもらわなくっちゃ。というわけで、猪口大臣と内閣府共生社会政策担当室は、テリー伊藤まで起用した同じ内閣府の郵政民営化準備室の広報戦略でも見習って、ちょっとはソーシャル・マーケティングにお金かけましょうね。ぜひぜひ。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
あれからほぼ一年なんですね、あの節はどうもです。
来年もご活躍、期待しております。
ところで、私も、少子化に関しては主義主張はまったく変化しておりません、
「子供は国の宝、どこんちの子に生まれても(子育てに)かかるコスト(&負担)は国が丸抱えというのが、経済大国、文化大国の懐の深さの象徴」という理想論で突っ走ります。
それでは、よい冬休み休暇をお過ごし下さい。
投稿: antiECO | 2005/12/29 07:02
すいません。トラックバック2回打ってしまいました。おんなじことしてすいません。
というか、ココログ反応遅いよー。
失礼しました。
投稿: 山口 浩 | 2005/12/29 10:07
こういうトコこそ政策マーケのプロ、世耕たんの出番ではあるが...
投稿: マルセル | 2005/12/29 10:31
少子化が何故問題なのか分かりません。
でも、原因は、非婚化だと思います。
結婚しない、したくてもできないという人も多いと思います。
とりわけ男性は、そういう思いが強いのではないでしょうか?
独身の30代、40台、50台には世間は冷たい気がします。
私の住む地方では、アジア女性との結婚が多いですよ。
中国、朝鮮、タイ、ベトナム、フィリピンなど。
これは、やはり男性が、結婚したくてもできないことの表れだと思います。
投稿: watarajp | 2005/12/29 20:17
少子化対策のターゲットは2人目だというのも的をえているように思いますし、以前のエントリーにあった「被扶養者数による法人税率の引上げ」「教育バウチャーの導入」というのもなかなか考え付かない妙案だと感心しました。しかし、この2案は目の前のハードルを越える後押しになるかもしれませんが「将来のQOLの期待値を上げる」にはなってないような気がするのですが…。
対象者となる女性が現時点での時間を引き合いに出産を躊躇うのだとしたら、それと釣り合うだけの「将来のQOL」って何?って話をもう少し掘り下げる必要がある気がします。それがマーケのプロを使った広報活動だったら、ちょっと違うのでは?と思ったりしました。
しかし、かく言う私も代案はありません。「失った時間を何で補うのか?」と聞かれたら「お金(年金か?)」ぐらいしか思いつきません。実際、子育てで一旦家庭にはいった女性は社会復帰したとしても、そうでない女性と比べ生涯賃金で1億円もの差が出るそうです。このギャップを埋めない限り、リスクをしょってまで子供を2人3人と産もうという人は増えないでしょう。
少子化が社会的な問題だとしたら、結婚しない(できない)、子供はいらない(できない)と言う人に子供を期待するのは酷ですが、金銭面での協力はしてもらっても良いかと思ったりします。
投稿: iseeker | 2005/12/29 21:23
ただ「子作りの目先のコストのハードルを下げる」政策が少子化対策になるはずがないのは仰るとおりで、それは2ちゃんねるですら常識となっているくらいに一部では割と一般的な意見でもあるようです。
しかし、R30さんの「将来のQOLの期待値を上げる」政策もまた少子化対策としての有効性はあまりないように思います。なぜなら晩婚化進行にも関わらず既婚者が持つ子供の数の平均値は長い間微変動しかしておらず、よって現在の統計で確認できる出生率低下は、共働き家庭の増加や不況や階層化進行などとは大して関係なく進行していると考えるのが自然であるためです。
ですからその「将来のQOLの期待値を上げる」政策は、現在の統計には出てきていないものの将来出てくる可能性が無いとも言い切れない急激な出生率の低下を防ぐことができるかもしれないという何ともあやふやな政策でしかなく、現在の統計で確認できている、慢性的に進行する出生率低下の原因改善にはならないでしょう。
とはいえ家庭における義務教育や高等教育のコストを下げ質を上げることは、少子化対策とはまた別の面で非常に有意義ですからそれ自体はもちろん悪い政策ではありません。そのついでに、政策内容そのものの効果ではないものの、上手な政策PRによって発生するかもしれない結婚・育児観の変化という副次効果を狙うくらいはやる価値あるかもね、とは思います。(大きな成果は期待できなくても、どうせPRするなら世のためにもなるPRをしてほしいですから)
投稿: スープ | 2005/12/30 01:45
こんにちは。
ワタシも少子化のなにがいけないの?と思ってしまいます。
少子化対策として出てくるのはもっぱら銭金の話で、子育てのコストばかり強調されますが、例えば、子供を育てることによって得られる精神面での充足というメリットもあって、それも子作りの大きな動機になっている(た)のかな、と。
江戸時代でも「物見遊山やおいしいものが食べられなくなるから」と間引きする庶民がいたそうで、魅力的な遊びがたくさんある現代日本で子育ての魅力が相対的に下がるのは仕方がないことかもしれません。
そんなこんなで少子化の原因なんて複雑に絡み合っていて、分析・特定しようとしても、難しい。
そうすると、「少子化対策」を考えるのではなく、「少子化時代の社会システムのあり方」を考えた方が、実は話がはやいんじゃないかなあ、と思います。
投稿: ヤマギ | 2005/12/30 01:51
すいません・・・
>そもそも少子化は問題なのかとか、
>移民を入れれば万事解決とかいう指摘には、
>ここでは答えません。
>そういう議論は別のところでやってくださいよろしく。
失礼しました。
投稿: ヤマギ | 2005/12/30 02:09
わざわざ知恵を使って燃えないゴミを増やすな、といった按配ですかな。
>で、今子育てしている女性が(中略)アフォかとバカかと。
みたく「イメージの問題として」出産数が少ないのって、どうやっても自業自得。そんなもんでイチイチうろたえたり自分の小遣いが減ることを懸念するような奴は、産んでもマトモに育てねー可能性のほうが高いでしょ。
流され消える浮き草にまともな期待をするほうが無理なんで、勝手に生きて勝手に死ねで放っておけばいいんじゃないですかね? つか、実際のところ幾ら偉そうに言った所でそれ以上関わりようが無いわけだし。
投稿: 私 | 2005/12/30 02:33
さっき墓参りに行って来たんでいろいろ見といたけど、100~200年前の農村(つーか俺んち)
でも、意外に晩婚というか高齢出産のケースは多いみたいよ。
曽祖父と曽々祖父の年齢差は34歳だった。その前の世代も35,6年くらい開いてたみたい。150年くらい前で。ちなみに祖父と父の年齢差は40、父と私の年齢差も40。
早婚、早産を推奨するかしないかってのは多分に地域性や経済力の問題で、間に合ってるところでは遅くて構わない(産まなくてもいっそオッケー)ちゅうのは、昔っから何一つ変わらんのじゃないですかね?
あとまあ、早婚、早産じゃないとヤバイって認識自体、貧乏臭いかなって気はする。私の場合。基本的に自身の生存ありきじゃないと話にならんわけですから、産めよ増やせよで下手にプレッシャーかけなくてもいいっちゅうか、個々がきちんと自立すれば、その必然として婚姻・出産なんてものは勝手に付いて回るんじゃないですかね?
投稿: 私 | 2005/12/30 11:19
ついでに。
あくまで私んちのケースですが、当家では男よりも女の出産数のほうが多いんですよね。割合的に3:1くらいか。男って意外に貴重品。単純に生命力の問題から言っても男のほうが早死に傾向高いし、虚弱児が出る確率も男のほうが高い。
あと、農村って重労働というイメージがあるから男の誕生がもてはやされたなんつう感覚もあり気ですが、実際のところ男は「丈夫なのが1人居れば十分」(牛とかそんな何頭も飼えねえっちゅうか)で、その他細々した仕事は女のほうが能率よくやっちゃったりして。
男は丈夫で健康な種付け要員が居れば十分っつう感覚のほうが近いかもしんない。
そういう感覚のほうが主流じゃないと、「男尊女卑」には行き着かんのでは? とも思ってみるんですけど。いかがなものでしょうか?
投稿: 私 | 2005/12/30 11:28
いまさらかもしれないけど、議論をする前に確認しておきたいことがある。
ある流れを作りたい場合に、障害を「取り除く」方法と「設置する」方法は似て非なるものではないかということ。
どちらの方法もうまくいけばそれに越したことはない…のだが、うまくいかなかった場合両者には明らかな差が出てしまう。
それは、障害を取り除く方法が失敗した場合、何も起こらないか、せいぜい悪用されてごく一部の人間が得をする程度だが、
障害を設置する方法の場合、望む方向とは別の方向に流れてしまう可能性があり、たいていその別の流れは望む方向とは正反対の結果となることが多いということだ。
この話は別に少子化に限ったことではないけれど、政策で「こうすればよい」系の主張をする人にはぜひ考慮してもらいたい。
(だからこそ、今までの政策は「障害を取り除く」系のものしかできなかったという側面もあると思う)
何か状況に変えるのに多くの人は「鞭」を考えるけど、「飴」を考えるのがマーケッティングの凄みだと思う今日この頃。
そういう意味でR30さんの話はいつも面白いなぁと思っているのだか、政策の話になるとたまに「鞭」が出てくるのは…
それでも「鞭」が必要なのか、「無知」なのか…ぁ (ゴメンナサイゴメンナサイ)
投稿: くりすた | 2005/12/30 14:33
つーか、他のブログなどで検討し続けている人たちは居るんですけど、TV
そうゆう意味では、ネット上でこの問題が年末限定と言うことはないと思います。単に、TV番組などの普段この問題を議論しないブログとの接点がないので、ここのサイトなどにトラックバックを飛ばす機会がないだけで。
ちなみに、R30さんの問題点は、ただ一つ。「結婚後の女性の意見しか聞いていない」でしょ。山口さんは、結婚まで行き着かない男性側の立場での立案、R30さんは、官公庁のデータを元にしたマーケティング的な子育てに関する案。結婚まで行き着かない男性側での議論を行わずに過去の話、都やられていれば、延々と話は蒸し返されると思う。
投稿: うみゅ | 2005/12/31 14:46