変化の波に洗われる巨船と波乗り木の葉
今年は大掃除もせず、おせちも作らず、正月飾りもなく、これで正月が迎えられるのかと思うほどだらけた年越しだった。まあ、ものがあまりない家だから掃除するのも片づけるのも、ものすごく簡単になったということなんだけど。家具がまったくない家というのはいいものだ。
我が家にとっては転職あり、引っ越しありと、大騒ぎの1年だった。この歳になって人生の光景ががらっと大きく変わるというのも感慨深い。転職してからというもの、「10年後にどんなことをしていると思いますか?」と、よくいろいろな人に聞かれるけど、自分でもまったく想像がつかない。昨年までのように記者をやっていたとしたら、「10年後も同じように記者をしている」ことが期待されていたと思うし、自分もそうとしか答えられなかっただろう。
今年、社会人になって以来9年近くお世話になった会社を飛び出してみて、最も強く感じたことは「変革の波に最も激しく洗われているのは、どんどん変化する組織よりも変わろうとしない組織の方だ」ということだ。今の僕には、10年後の自分がどんな仕事をしているか想像が付かないにもかかわらず、不思議と「変化の波に襲われている」という気がしない。むしろ今、これまで右肩上がりでずっと安定を享受してきた組織の方が、変化の波に呑み込まれそうになって右往左往しているという印象を受ける。僕の方が、それよりもずっと小さい木の葉のような舟に乗っているはずなのに。
ここで言う「変わろうとしない組織」というのは、もちろんマスコミもそうだけど、それ以外の大企業も含んでいる。最近、たまたま2件ほど売上高が1000億円単位の大企業の相談に乗る機会があったのだけれど、どちらも方向としては完全に行き詰まっていて、あとはぬくぬくしてきた人事制度に手をつけて社内に嵐を起こすか、それとも事業を細切れにばらして心機一転独立採算でやり直すか、どちらかしか打つ手がないだろうというような状況でアドバイスに困り、頭を抱えた。
自分自身、そういう企業の中に身を置いていた経験からすれば、経営陣によほどの覚悟がない限り、状況を打開する有効な手を講じられないままじりじりと縮小均衡のスパイラルに入りたくなるのも仕方がないだろうなあと思うわけだ。格好良く言えば「イノベーションのジレンマ」ということなのかもしれないが、なんというか実際にはそのレベルでさえない。単に「成長できる余地がなくなった」というだけであり、目先のキャッシュは潤沢、社内の無駄遣いさえきちんと切りつめていけばまだまだ全然利益は増やせる。問題は右肩上がりに慣れきったじゃぶじゃぶのコスト体質の方なのだ。
そういう企業が本当に取るべき手というのはだから、おそらく事業戦略の転換でさえない。変化の波を起こしているインターネットに正面から突っ込むのは、彼らにとってはむしろ事業戦略的にどう見てもマイナスでしかなく、一番賢明なのはじりじり続く事業の縮小均衡に耐えられるHRシステムを作ることの方だったりする。だが、まさにそれこそが彼ら自身のもっとも取りたくない方策だったりもするので、にっちもさっちもいかなくなってしまう。
結局、個人も会社も「どうにでも変化できる」「変化に対応するのが楽しい」という体質になっておかないと、ステイブルであろうとする限りじり貧に追い込まれてしまうような気がする。陳腐な喩えだが、鏡の国のアリスの赤の女王の言葉、「同じ場所に止まるために全力で走らなくてはならない」を今さらながら実感した年だった。
今年もう1つ思ったのは、ブログの登場で文字通り「誰でもメディア」の時代がやってきたなあということだ。
昨年の年末のエントリを見ると、ブログ界の今後は昨年末に思い描いていたものにはまだ全然たどり着いていないようだ。むしろもっと裾野が広がったというか、良くも悪くも世の中のいろいろなものが「ブログ」化したというか、まあそんな感じ。一方でブログから何か新しいものが生まれたのかというと、あまりそういう気もしない。北新の高田さんのまとめエントリなどで鋭く指摘されているが、ブラックジャーナリズム的なものもブログ界に押し寄せてきたし。
個人向けのブログホスティングサービスそのものがいつまで続くのかとか、今の状態の持続可能性についてはいろいろな意見も出ているが、インターネットの発展が情報発信・流通・受信のコストをこれからもどんどん下げていくであろうことは事実だ。その意味で、今年起こった様々な変化は不思議なことでも何でもない。
テキストどころか音楽や映像でさえも、今やパソコンとカメラが1台あれば何でもできてしまう時代になった。あれだけ大がかりな制作・配信システムの必要なテレビの世界がインターネットの浸食にさらされるなんて、数年前には思いもつかないことだった。人間の脳からコンテンツが生成されるまでの手間やコストもどんどん低くなるだろうし、それが他人に伝達されるまでのコストもどんどん低くなる。
というわけで、今後の競争のカギは情報流通のプロセスではなくその前か後ろ、つまり人間の脳から有意義なコンテンツを生成するだけの仕組み作りと、コンテンツを受け手の脳に的確に叩き込む仕掛け作りとなる。つまりネットの「外側」にどういう仕組みを作るかに注力すべきであり、今からインターネットに突っ込んでいって一生懸命ビジネスしようなどと、絶対に考えてはいけない。そんなことすれば、せっかくの虎の子のコンテンツやビジネスモデルを無料開放するだけであり、経営陣の「俺だってインターネットぐらい知ってるぜ」というプライドを満足させるのと引き替えに未来のキャッシュをどぶに捨てるのと同じだと思うのだが、どうも皆さんそういうふうには考えないらしい。
つくづく残念なのは、少なくともこの「前と後ろの仕掛け作り」の何たるかについて、既存の大企業はそのコツを知っていたはずなのに、それをうまく自分のビジネスの中で再構成できてないということ。それどころか、今や彼らはその暗黙知を生かすよりも、社員に経済的ダメージを与えるのを回避することばかりに気を取られて自らそれを放棄したり、壊して回るようなことをしているということだ。
例えば26日に朝日新聞が発表した編集改革委員会の報告と来年からの改革案を読んで、僕は正直あっけにとられた。読者からの記事評価とか、編集局の組織改正とかは正直どうでもいいと思ったが、最後の「朝日ジャーナリスト学校を将来は社外にも開かれたものにする」って、どういうことなんだろ。
どこの企業が自社社員の養成システムを社外の一般人に開放するわけ?そんな教育研修システム、企業の競争力につながらないんだから作るだけ意味ないじゃん。ていうか、一般人に公開できるような研修制度なら、どうせ大したことは教えられないでしょ。そんなのに2ヶ月も張り付けられる新入社員カワイソス。それとも、何かの情報公開のつもりなのか。お人好しにもほどがある。
あるいは、彼らは朝日というメディアの競争力が、自社の社員じゃなくて記事や写真といったコンテンツや新聞個配網といった流通プロセスにあるとでも思っているのだろうか。つくづくおめでたい方々だ。でもこういう美しい誤解が、今や朝日などのメディア企業に限らず既存の大企業に蔓延しているところが、何ともはやという感じだ。
まあいいや。いずれにせよ、2005年は新聞からテレビまで、オールド・メディアの右往左往ぶりが際立った年だった。それは言うまでもなく、ニュー・メディアにとってのチャンス到来を意味する。2006年は雨後の竹の子のように、次世代の日本を代表するメディアがいくつも出現する年になるだろう。そこにオールド・メディアがどのように絡んでいけるのかいけないのか、僕の関心はまさにそこにある。
2005年は大変お世話になりました。僕に新しい出会い、チャンスを与えてくれたすべての方々、そしてこのブログの読者の方々にお礼を申し上げます。皆さんも良いお年をお迎えください。では。
10:54 午後 メディアとネット
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それともこれってゼロックスPARCのようなITコミュニティーへの社会貢献ですかそうですか。それなら良いですもちろん。反対はしませんけどね。だとしても、新会社作ってブロガーやらネット業界の関係者やら、よだれが出そうなほどの有名人ばかり(除く僕)をイベントにかき集めておいて、会場からの質問・意見とか何にも募らないってのもね。もったいないというかブロガー招いておいて勇気あるというか広告屋さんの考えそうなイベントだなあというか参加型うんたらは嘘なんだろなあというか。僕としてはブログに書くネタ、書けない話がたくさん集められたから別にいいんだけど。



