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2005/12/31

変化の波に洗われる巨船と波乗り木の葉

 今年は大掃除もせず、おせちも作らず、正月飾りもなく、これで正月が迎えられるのかと思うほどだらけた年越しだった。まあ、ものがあまりない家だから掃除するのも片づけるのも、ものすごく簡単になったということなんだけど。家具がまったくない家というのはいいものだ。

 我が家にとっては転職あり、引っ越しありと、大騒ぎの1年だった。この歳になって人生の光景ががらっと大きく変わるというのも感慨深い。転職してからというもの、「10年後にどんなことをしていると思いますか?」と、よくいろいろな人に聞かれるけど、自分でもまったく想像がつかない。昨年までのように記者をやっていたとしたら、「10年後も同じように記者をしている」ことが期待されていたと思うし、自分もそうとしか答えられなかっただろう。

 今年、社会人になって以来9年近くお世話になった会社を飛び出してみて、最も強く感じたことは「変革の波に最も激しく洗われているのは、どんどん変化する組織よりも変わろうとしない組織の方だ」ということだ。今の僕には、10年後の自分がどんな仕事をしているか想像が付かないにもかかわらず、不思議と「変化の波に襲われている」という気がしない。むしろ今、これまで右肩上がりでずっと安定を享受してきた組織の方が、変化の波に呑み込まれそうになって右往左往しているという印象を受ける。僕の方が、それよりもずっと小さい木の葉のような舟に乗っているはずなのに。

 ここで言う「変わろうとしない組織」というのは、もちろんマスコミもそうだけど、それ以外の大企業も含んでいる。最近、たまたま2件ほど売上高が1000億円単位の大企業の相談に乗る機会があったのだけれど、どちらも方向としては完全に行き詰まっていて、あとはぬくぬくしてきた人事制度に手をつけて社内に嵐を起こすか、それとも事業を細切れにばらして心機一転独立採算でやり直すか、どちらかしか打つ手がないだろうというような状況でアドバイスに困り、頭を抱えた。

 自分自身、そういう企業の中に身を置いていた経験からすれば、経営陣によほどの覚悟がない限り、状況を打開する有効な手を講じられないままじりじりと縮小均衡のスパイラルに入りたくなるのも仕方がないだろうなあと思うわけだ。格好良く言えば「イノベーションのジレンマ」ということなのかもしれないが、なんというか実際にはそのレベルでさえない。単に「成長できる余地がなくなった」というだけであり、目先のキャッシュは潤沢、社内の無駄遣いさえきちんと切りつめていけばまだまだ全然利益は増やせる。問題は右肩上がりに慣れきったじゃぶじゃぶのコスト体質の方なのだ。

 そういう企業が本当に取るべき手というのはだから、おそらく事業戦略の転換でさえない。変化の波を起こしているインターネットに正面から突っ込むのは、彼らにとってはむしろ事業戦略的にどう見てもマイナスでしかなく、一番賢明なのはじりじり続く事業の縮小均衡に耐えられるHRシステムを作ることの方だったりする。だが、まさにそれこそが彼ら自身のもっとも取りたくない方策だったりもするので、にっちもさっちもいかなくなってしまう。

 結局、個人も会社も「どうにでも変化できる」「変化に対応するのが楽しい」という体質になっておかないと、ステイブルであろうとする限りじり貧に追い込まれてしまうような気がする。陳腐な喩えだが、鏡の国のアリスの赤の女王の言葉、「同じ場所に止まるために全力で走らなくてはならない」を今さらながら実感した年だった。

 今年もう1つ思ったのは、ブログの登場で文字通り「誰でもメディア」の時代がやってきたなあということだ。

 昨年の年末のエントリを見ると、ブログ界の今後は昨年末に思い描いていたものにはまだ全然たどり着いていないようだ。むしろもっと裾野が広がったというか、良くも悪くも世の中のいろいろなものが「ブログ」化したというか、まあそんな感じ。一方でブログから何か新しいものが生まれたのかというと、あまりそういう気もしない。北新の高田さんのまとめエントリなどで鋭く指摘されているが、ブラックジャーナリズム的なものもブログ界に押し寄せてきたし。

 個人向けのブログホスティングサービスそのものがいつまで続くのかとか、今の状態の持続可能性についてはいろいろな意見も出ているが、インターネットの発展が情報発信・流通・受信のコストをこれからもどんどん下げていくであろうことは事実だ。その意味で、今年起こった様々な変化は不思議なことでも何でもない。

 テキストどころか音楽や映像でさえも、今やパソコンとカメラが1台あれば何でもできてしまう時代になった。あれだけ大がかりな制作・配信システムの必要なテレビの世界がインターネットの浸食にさらされるなんて、数年前には思いもつかないことだった。人間の脳からコンテンツが生成されるまでの手間やコストもどんどん低くなるだろうし、それが他人に伝達されるまでのコストもどんどん低くなる。

 というわけで、今後の競争のカギは情報流通のプロセスではなくその前か後ろ、つまり人間の脳から有意義なコンテンツを生成するだけの仕組み作りと、コンテンツを受け手の脳に的確に叩き込む仕掛け作りとなる。つまりネットの「外側」にどういう仕組みを作るかに注力すべきであり、今からインターネットに突っ込んでいって一生懸命ビジネスしようなどと、絶対に考えてはいけない。そんなことすれば、せっかくの虎の子のコンテンツやビジネスモデルを無料開放するだけであり、経営陣の「俺だってインターネットぐらい知ってるぜ」というプライドを満足させるのと引き替えに未来のキャッシュをどぶに捨てるのと同じだと思うのだが、どうも皆さんそういうふうには考えないらしい。

 つくづく残念なのは、少なくともこの「前と後ろの仕掛け作り」の何たるかについて、既存の大企業はそのコツを知っていたはずなのに、それをうまく自分のビジネスの中で再構成できてないということ。それどころか、今や彼らはその暗黙知を生かすよりも、社員に経済的ダメージを与えるのを回避することばかりに気を取られて自らそれを放棄したり、壊して回るようなことをしているということだ。

 例えば26日に朝日新聞が発表した編集改革委員会の報告と来年からの改革案を読んで、僕は正直あっけにとられた。読者からの記事評価とか、編集局の組織改正とかは正直どうでもいいと思ったが、最後の「朝日ジャーナリスト学校を将来は社外にも開かれたものにする」って、どういうことなんだろ。

 どこの企業が自社社員の養成システムを社外の一般人に開放するわけ?そんな教育研修システム、企業の競争力につながらないんだから作るだけ意味ないじゃん。ていうか、一般人に公開できるような研修制度なら、どうせ大したことは教えられないでしょ。そんなのに2ヶ月も張り付けられる新入社員カワイソス。それとも、何かの情報公開のつもりなのか。お人好しにもほどがある。

 あるいは、彼らは朝日というメディアの競争力が、自社の社員じゃなくて記事や写真といったコンテンツや新聞個配網といった流通プロセスにあるとでも思っているのだろうか。つくづくおめでたい方々だ。でもこういう美しい誤解が、今や朝日などのメディア企業に限らず既存の大企業に蔓延しているところが、何ともはやという感じだ。

 まあいいや。いずれにせよ、2005年は新聞からテレビまで、オールド・メディアの右往左往ぶりが際立った年だった。それは言うまでもなく、ニュー・メディアにとってのチャンス到来を意味する。2006年は雨後の竹の子のように、次世代の日本を代表するメディアがいくつも出現する年になるだろう。そこにオールド・メディアがどのように絡んでいけるのかいけないのか、僕の関心はまさにそこにある。

 2005年は大変お世話になりました。僕に新しい出会い、チャンスを与えてくれたすべての方々、そしてこのブログの読者の方々にお礼を申し上げます。皆さんも良いお年をお迎えください。では。

10:54 午後 メディアとネット コメント (11) トラックバック (5)

2005/12/29

なんで年末になると少子化対策の話になるんだろう

 去年もなんか12月末から1月にかけて、こんな記事とかこんな記事を書いた覚えが。読み直すと、あの頃はコメント欄の長文レスにもまじめに答えてたなあと感慨深い。それにしても、毎年飽きもせずにこのネタが繰り返されるのは、政府の来年度予算案関連の報道がトリガーになっているからなんだろうか。

 今年は非モテ論とかが僕みたいな妻子持ちの素人には手が出せないぐらい燃え上がったこともあって、これ系のネタは無視しようと思っていたが、何やら突然H-Yamaguchi.netで議論の歴史的経緯とか非モテの琴線とかをまったく無視した暴論エントリが上がっちゃいました。

 暴論:「負け犬」男性を救え!(H-Yamaguchi.Net)

 あーあ。山口さん、やっちまったよ。というわけで、ちょっとなだめ気味に歴史的経緯のご説明をば。

 山口さんが1つまったく踏まえてないなーと思うのは、そもそも酒井順子の『負け組の遠吠え』っていうのは、女性性側における20年以上続いた「未婚vs既婚論争」の一方的敗北宣言だったということだ。

 つまり、この本は30台にもなって未婚のくせに、恋愛資本主義における「非抑圧者」としての女性性という枠組みから逃走できた(つまり結婚して生活臭にまみれることから逃避できた)ことを根拠に、子育てに忙殺されている既婚の女友達に向かって、「どうだ、ルイヴィトンのバッグいいだろー」とか勝ち誇るのはもう止めようぜ未婚の同志たちよ、という、それまで20年以上続いてきた「未婚vs既婚」論争における白旗敗北降伏勧告の書なわけですよ。そのへんの詳しい経緯はエキサイト・ブックスの「ニュースな本棚」での、「『負け犬の遠吠え』が書かれた理由」をご覧ください。

 で、それを

世間での論じられ方をみていると、実は「負け犬」であることをあえて引き受けるというか、ある種の「誇り」を持っているような気がする。「何が悪い」「これでいいじゃん」というわけだ。雑誌のコピー風にいえば「私らしく」かもしれない。実際、このカテゴリーに入る女性たちの中には、元気で輝いている人たちがたくさんいる(と紹介されることが多い)ような印象がある(もちろんそうでない人たちも多いだろうが)。
 とか言っちゃったら話が20年前に戻っちゃうわけですよ。それをあえて「負け犬」と呼ぼう、というのが酒井氏の言い分なわけだし、少なくともあの本がベストセラーになったということで、「クロワッサン症候群」に始まる20年の論争は、1つの終着点を得た訳だから。

 ところで、問題はそれの反対側、つまり山口さんが「本当の負け犬」と呼ぶところの男性性の側なんだな。山口さんはここで

男性の「負け犬」はどうだろうか。あくまで漠たる印象でしかないが、「元気で輝いている」といった印象からは程遠い感じがする。「負け犬」女性と比べて、「負け犬」男性はかなりさびしいというか情けないというか、そんな扱われ方がされている感じがするのだ。
 と書いているが、だってそれが今までの日本社会のジョーシキだったのだから当然のことである。30後半、40歳になっても結婚できない男が「甲斐性なし」と後ろ指さされる風潮は、別に今に始まったことではない。

 女性性の側ではそうした既存の女性抑圧の価値観に抗ってきた20年間の闘争を、この本によって「結局、誰が悪いんだかわかんないけど、やっぱり結婚できないあたしたちってフツーじゃないよね」「いくら仕事がバリバリできたって、結婚も出産もできないようじゃ世間様から一人前と思われないんだね」みたいな、ある意味総括して“降伏”を宣言したわけなんだけど、男性は抑圧されない側だっただけに意識改革も遅れてて、最近やっと既存の価値観に対する宣戦布告が始まったばかりなんだわ。つまり女性に比べて約20年のビハインド。

 山口さんはこれに対して「理屈や『べき』論はともかくとして、マクロレベルでこうした男性を『なんとか』しないと、社会が望ましくない方向へ向かってしまうのではないか」と、少子化問題というマクロ論へと問題を接続しようとするのだが、これはご本人も「暴論」とおっしゃっている通り、危険な方向性の議論ではある。

 この問題に対する僕のスタンスは、約1年前に居座り君改めantiECO氏からあれだけDISられたにもかかわらず基本的にはまったく変化していない。最初にリンクした2つの記事で書いた通り、「出産数を増やすためには、政策ターゲットを『1人目を出産したが2人目を躊躇っている夫婦』に絞れ、そして子作りの『目先のコストというハードル』を下げるのではなく『将来のQOLの期待値』を上げろ」という立論である。すなわち、非モテの人をいきなり「お前が少子化の元凶なんだYO!」ってDISってはいけませんということ。

 ちなみに、僕の主張はこちらの記事に対するコメント欄でantiECO氏がご指摘の通り、「共働きかつ高学歴な子供を望む世帯にとってだけ都合の良い政策」だとは思うが、逆にこれからの世の中で男性の側だけに専業主婦を養えるほどの収入があり、かつ子供に義務教育以上の高学歴を望まない家庭というのが政策ターゲットとしてそれほど多数存在するとは思えないからそういう立論にしている。もし「世の中の大勢はそうじゃない」という新事実が出てくるようであれば、主張の撤回にはやぶさかでないけれども。

 でもって、たぶん山口さんのエントリのきっかけになった、いったい政府の少子化対策の何が問題なんだろう、これから何をすればいいんだろうというそもそも論に戻って考えてみたい。

 幸い12月までの少子化社会対策推進会議の議事録とか、今年3月に調査したっていう子育て女性の意識調査とかが全部ネットに乗っているので、ざっと目を通してみた。それで思ったのは、まず推進会議の委員の誰かも言ってたけど、これまでに政策としてやれることはだいたいもう出尽くしてるんだね。でも、圧倒的に「誰にも知られてない」の。おしなべてほとんどの政策について、8割以上の人が「政策の名前も内容も聞いたことがない」か「名前だけ聞いたことあるが内容は知らない」のどっちか。

 つまりこれ、簡単な話で、政策マーケティングが全然出来てないのだよ。それなりに一生懸命政策を作って実施している(僕に言わせると、それでも上記の理由でピント外れなものが多いと思うが)にもかかわらず、そのことをまさにちゃんと知っていてもらいたい政策ターゲット(子育て中の女性)に、全然リーチしてないのだ。ここでは調査対象に入ってないから分からないが、現在子育てしている(つまり関心が最も高いはずの)女性にさえこれっぽっちしか認知されてないってことは、おそらく結婚を控えた独身男女には、政策の存在すらほとんど知られてないんだろうな。

 で、今子育てしている女性が何にも知らないので、子供を産もうかどうしようか迷っている女性に対しては、“経験者”たる子持ち女性から「サービスの悪い民間(無認可)保育園には法外なカネがかかる」「幼稚園は遅くまで面倒見たりしてもらえず、全然使えない」「小学校以降は学校以外の教育費にべらぼうなお金がかかる」といったネガティブな噂だけが伝わっていくのだろう。もうねアフォかとバカかと。

 内閣府と少子化社会対策会議は、1人でもいいから民間のプロのマーケティング・コンサルタントでも雇って、政策をどうやって実際のターゲット顧客層に周知徹底して「子供生んでも大丈夫なんだ」という心理状態を生み出すか、真剣に相談しろよ。少子化対策なんて、インプットが女性のディシジョン・メイキングで、アウトプットの数値目標が地域と年齢層別の出生率という定量目標でしょ。こんなにモダン・マーケティングの応用に適した政策分野はないんだからさ。

 だいたいね、いろいろ手は打ってますって言われたって、その内容を「少子化社会対策基本法では~」とか「少子化社会対策大綱における~」とかの枕言葉をつけて説明されたら、頭に入る奴なんかいるわけないじゃん。ちゃんと清涼飲料買うときみたいに分かりやすく説明してもらわなくっちゃ。というわけで、猪口大臣と内閣府共生社会政策担当室は、テリー伊藤まで起用した同じ内閣府の郵政民営化準備室の広報戦略でも見習って、ちょっとはソーシャル・マーケティングにお金かけましょうね。ぜひぜひ。

02:07 午前 経済・政治・国際 コメント (13) トラックバック (12)

2005/12/22

郊外出店規制じゃなくて、中心市街地商店廃業強化が必要じゃね?

 すったもんだの挙げ句にようやく出てきました、大型店出店規制のまちづくり3法改正案。でもおまいら遅すぎですよ&何だかスジが悪そげ。

 大型店の郊外出店を制限、1万平方メートル以上対象・政府案(NIKKEI.NET)

 1万㎡以上っていうと、家電量販で首都圏最大規模って言われているケーズデンキ東京ベイサイド浦安店の売り場面積が約8000㎡だから、単独の専門業態店でこの規模を超えるところってたぶんほとんどない。規制の焦点は明らかにイオン、ベイシア、プラントなどのウォルマートライクな大規模スーパー、ショッピングモール、あと一部のホームセンターか。

 しかし今さら遅すぎだっちゅーの。ホームセンターについては、10月にこんな記事とかも出てたしねえ。流通業の側からしたら、今さら政府に言われなくっても店舗面積の上限に挑戦する時期というのはもうとっくに終わってると思うんですが。

 地方都市のスプロール現象を防ぐための大型店出店規制は、今年の5月頃に内閣府がやった調査で国民の50%が「大型店イラネ(゚⊿゚)」と答えた、とか発表されるなど、足場作りは進んでいたっぽいが、例によって邪巣湖などからおアシをいただいているネオ自民党が大反発、国交省内で進んでいた都市計画法改正案が止まってた。っていう理解で、いいのかな?それとも反発したのはクラシック自民党の方だろうか。意外に、そっちのスジのほうがあり得るかも。よくわからん。

 アンチ邪巣粉の私R30としては、出店規制そのものには賛成。でも日経の記事によれば、この規制は「郊外への店舗進出に歯止めをかけ、停滞する中心市街地の活性化を促す」のが狙いだそうだ。残念ながら、そういう意味ではこの法改正、以下の2つの理由でこの狙いは実現できないと断言してもいいと思う。

 1つは「もう小売りはSC内場所貸しがメインの一部の企業を除き、別の方向(つまり店舗面積の適正化)を向いてますよ」ということ。専門業態店で1万㎡以上の店構えが必要なところなんてないわけだから、この規制そのものが日本の地方の幹線道路沿いのチェーン店だらけのみっともない光景をなくすわけでもないし、ましてや幹線道路沿いのロードサイドの方が商業集積として便利な以上は、規制したからすぐに中心市街地に客のにぎわいが戻ってくるなんてことはない。

 もう1つは、大型商業施設を開発できる地域を中心市街地に限ったからといって、イオンなどの流通デベロッパーが中心市街地を何とか開発したろうとは、絶対思わないよということ。彼らが郊外の市街化調整区域に開発の目を向けたのは、カネを積まれれば広大な田畑を手放してもいいやと思う地主農家がたくさんいたからであり、しかも1万㎡の店舗を作るのに必要な土地(店舗はたいてい平屋建てなので、その2倍近い駐車場と合わせると最低でも3万㎡以上の土地が必要)が簡単に手に入ったからだ。

 ところが中心市街地はそうではない。商店街には開店休業のシャッター通りになっているにも関わらず、税務署にはまだ「営業」していることにして、猫の額みたいな土地なのに固定資産税の大部分を免除してもらって暮らしている人がたくさんいる。彼らは農家と違って何よりその地面の上に住んでいるし、近くに大型商業施設が来れば棚ぼたで自分の土地のあるところの回りにも客が来ることを知っているから、簡単には土地の買収にも応じない。デベロッパーは、そんな猫の額地主がうじゃうじゃいるところで3万㎡の商業施設用地を手に入れられるのか?まあ、まずあり得ないでしょう。

 そんなバカなことするぐらいなら、郊外の幹線道路沿いに駐車場を取り囲むようにして5000㎡ぐらいの店を3店ぐらい建て、その回りに「勝手に」チェーン店を集めるネイバーフッド型SC(NSC)でも作った方がずっとましだ。で、たぶんこれから日本の地方の商業開発はウォルマート型メガスーパーや大型専門店を核とした高集積RSCから、集客力のあるいくつかのチェーン店を3つほど集め、中央に供用駐車場を作るNSCにシフトすることだろう。だからやっぱり中心市街地に商業施設は戻ってこない。

 そもそも、日本の田舎というのはもうクルマしか移動手段がないのである。で、中心市街地というのはたいてい古くからの町とかであればあるほど、まっすぐの大きな道路がなくて細い道がくねくねと走っている。そんなところにでかい商業施設など作って週末になるたびに郊外からクルマが殺到したら、都市機能はすぐにパンクしてしまう。

 内閣府の調査を見て疑問に思うのは、この調査に答えた「全国の成人男女3000人」のうち、首都圏と近畿圏以外の人って何人なんだよ?ということだ。大都市圏に住んでいる人間にしてみたら、そりゃ郊外型大規模店なんて要らないだろうさ。でも、田舎の大規模店というのは、家族が週末に遊びに行ってそれぞれの興味の持てるものを眺めて楽しめ、帰りに1週間分の食料も買いだめして来られる「レジャーランド」、田舎における実用性を兼ねた数少ない娯楽なんだよ。

 で、そういうまとまったレジャーランドを、中心市街地でシャッター通りにしがみついてる商店主のおっさんおばさんが邪巣粉の代わりに提供できるのか?というのが問われているわけだ。やったるというならそれでいい。だけど、普通無理でしょ。だったらそこにしがみつくのを止めろ。できるやつにとっとと土地を渡せよ、と思う。

 問題は、そういう人たちの店が開店休業状態でありながら、中小事業者振興なんたらかんたらの補助金だのをたくさん受け取って利益が上がらないのをチャラにして固定資産税さえ払わずに暮らしているということにあるのだ。そういうぶら下がり中小商店主を、やる気やアイデアのある順に選別するか追い払うかする仕組みを一緒に作らないと、多くの地権者が複雑に入り組む中心市街地の土地の流動性は郊外並みには上がらない。とすれば、市街地活性化は絵に描いた餅で終わるだろう。

 あと、地方では高齢化が進むにつれて、今後消費者の流動性が急速に落ちていくはずだ。既に家電店やドラッグストアなど、最寄り品を多く扱う業態ほど流通業者の店舗面積は次第に小さくなり、店舗が人口の少ない地域にまで分散していく傾向が表れ始めている。

 とすれば、中心市街地のシャッター通りに陣取って「人が来ねえ」と嘆いている商店主こそ、とっととそんな店は引き払い、もっと地方のコミュニティーがあるところに店を移転して、本腰を据えて自宅にひきこもりがちな高齢者相手の商売を始めるべきだろう。そっちの方がずっとビジネスチャンスになるはずだ。なのにそれができないのは、上で述べたように、やる気がない、もっと言えば「リスクを冒してまでシャッター通りの商店街にある土地を手放すメリットがあまりにも少ない」からだ。

 目ざとく商機を見つけて動こうとするインセンティブを中小企業から補助金漬けで奪い取っているくせに、一方で「郊外のレジャーランドはもう建てるな」はないものだ。日本の小売業の生産性統計を見ると、90年代まで存在していた旧大店法(500㎡以上の店舗の出店には厳しい規制がかかっていた)が、小売業の生産性向上の最大の阻害要因になっていたことが分かる。だが、大店法が改正されて出店に対する規制は緩和されたものの、変化に取り残された「負け組」プレーヤーへの退出規制が相変わらず厳しかったため、既得権者としての中小商店主が割拠する中心市街地はゴーストタウンになってしまった。

 今市街地活性化のために本当に必要なのは、郊外の出店規制を再び強化することよりも、実は中心市街地にはびこる既得権益を取り除き、市街地での競争を激化させることのほうだと思う。「負け組の退出障壁」を下げないくせに、いくら郊外のプレーヤーを市街地に追い込もうとしても、誰もそんなお誘いには乗らないと思うんだが、どうなんだろね。

 参考:大型店とまちづくり―規制進むアメリカ,模索する日本(Passion for the Future)
    [研究]大型店出店規制条例(the other side of ernst)

11:11 午前 ビジネス コメント (9) トラックバック (15)

2005/12/19

メディアについて何となくいろいろ

 年末進行の世界からは去年で足を洗ったはずなのに、年末に向けていろいろとやらなきゃいけないことがあってやけに忙しい。どうなってるんだまったく。

 この1週間もいろいろとブログ上で言いたいことがあったのだけど、どれもうまくエントリの文章に昇華できないでいる。ただ、今の世の中を非常に象徴しているなあと思ったメディア批判言説がたまたま2つ、シンクロするように出てきたので、ちょっとそのことについて書いておこうか。まとまんなさそうだけど。

 強度偽装事件については、加野瀬氏@ARTIFACTから盗作電波ブログ認定されたきっこブログにイーホームズの藤田社長まで釣られて大変なことに。まあ、でも電波でも何でも釣った奴が勝ちだわね、世の中というのは。

 ちなみにきっこ氏の匂わせるに、ブログ上での一連のリークの裏には自民党から口封じの圧力を受けた記者連中がいるって言うらしいんだけど、加野瀬氏のそれが本当かどうか分からないが、こういうかたちで個人ブログがリークの回路に使われるのってどうよ、という気がする。

 てか、きっこ氏の言うことがもし本当だとしたら、これってメディアの自殺行為だよ?ときの政権の圧力で記事に書けないようなことを、芸能界のおしゃべりヘアメークごときにばらしてどうするっつーの。本当だったらその記者が文春や新潮に原稿を持ち込むことも知らない相当なお人好しの間抜け記者か、それともその新聞の社会部デスクの目が特ダネに目をつぶってでも政治部のプレッシャーを受け入れるヘタレどあほうか、どっちかですよ。てゆーか、どっちも普通あり得ないってば。

 とはいえ、こういう、メディアが書くネタを巧妙にパクって、あたかも自分のネタのようにして世の中を煽り立てるブログの存在感が高まってる(イーホームズという、渦中の人間でさえもそれに釣られてしまう)ということは、とりも直さずマスメディアの議題設定能力を、ブログを初めとするネット陣営が着々と奪い取りつつあるということを示しているように思う。

 大手のマスメディアだってもちろんウェブサイトを立ててはいる。しかし、もはやネット上にいる人たちの多くは、いちいちメディアサイトを巡回することなく、Google先生の検索やブログを初めとするXML系のウェブアプリケーションを通じてそれらの存在や話題を知る。

 と、いうところで思い出したのが、今話題になっているもう1つのブログサイト、「月刊FACTA」の阿部重夫編集長のブログだ。ソニーの販促ブログやCDへのrootkit組み込みの話などをネタにばっさり斬ってネットで話題になっている。だが、その人気ぶりも辛辣なソニー批判によって、というよりは「意識的または無意識の世論操作装置と化している既存ジャーナリズム」とか、「新聞が資本の論理に屈してコストのかかる「調査報道」は見る影もなくなった」とかいうような、マスコミ批判のボルテージによって共感を得てるんじゃないのか、という気もしないでもない。

 それが証拠に、「本当のニュースとは何かをプレビューしていただきたい」と銘打って掲載されてるロシアの資源戦略外交の話の方が、ソニーのゲートキーパーネタなどより記事としてはずっと価値があるはずなのに、TBが1つも付いておらず、ほとんど無視されているかのようだ。なんだかなあ。

 自分でも何が言いたいのかよくわかんなくなってきたが、要するにこの2つの話のどちらも、なんか腑に落ちない部分があるってことが言いたかった。腑に落ちないということは、そこに見えてる関係者の誰かが読者を騙してるか、あるいは本当のことをしゃべってないってことなんだと思う。誰が、どういうふうに騙したりしてるかは僕にもわかんないけど。

 それと、どうでもいいことだけど、ブログってやっぱり燃えやすいネタを投入した時のバイラル・マーケティング効果ってものすごいんだなと改めて納得した。そういう意味で、そろそろバイラル・マーケの舞台になりそうな一部の有名ブログには「裏」からの資金の流れが発生していくんではないかと思ったり。FACTAがバイラル・マーケだけを狙ってブログをやっているとは思わないけれど、この雑誌がこれからどうやって収益モデルを作っていくのか、興味津々で見守りたいと思う。

 書くことがまとまらないのに書いたんですっごく疲れた。中途半端だけどもう頭もまわんないし、今日はこんなところで。

03:54 午前 日記・コラム・つぶやき コメント (18) トラックバック (12)

2005/12/13

別冊宝島「このブログがすごい!2006」に掲載されますた

このブログがすごい! 2006 宝島社の「このブログがすごい!2006」という本に、(たぶん)昨年の「極東ブログ」の後継の論壇系ブロガーとして、栄えある3位に掲載されました。別冊宝島編集部様、ありがとうございます。m(_"_)m

 昨年は1位の「実録鬼嫁日記」がドラマ化、2位の「食い倒れ日記」が書籍化という、非凡な戦果を挙げたブログ本企画だった。そんなすごい本になぜここが選ばれたのか。送られてきた掲載誌の中の28ページから始まる選考子の座談会トークをよくよく読んでみたところ、このブログの選定理由に費やされているのは本文250行中6行。ふむ。で、その理由はというと…「全体のバランスを考えて社会派のブログも入れておきたいですよね」

 全体のバランスを考えて
 全体のバランスを考えて
 全体のバランスを考えて
 全体のバランスを考えて
 全体のバランスを考えて

 全体のバランスを考えて入賞したR30でございます。今後ともよろしくお願いします。m(;;_"_;;)m

 ちなみに、昨年のトップ20ランキングというのが巻末に載っていたが、20のブログ中更新終了したのは4カ所だけで、後はまだ続いてるらしい。1年もしたら止めるブログってもっと多いかと思ってた。みんな、結構続くもんですな。つーてもそこで選ばれてるブログって半分も見たことないのばっかりだったが。

 一方、今年のブログ20選は、全体的にプロのライターのお送りする戦略的エンタテイメントというよりは、より素人っぽさを強調するほろり感動モノか、逆により変態的というか好奇心肥大傾向の感じられるものが多くなったような気がする。「ロト6成金」とかは前者な気がするし、「30日間0歳生活」とか「工場萌え」「見学に行ってきた。」とかは後者かな。んーでもロト6もあえて言えば十分イタイ変態ブログかもしれん。

 一昔前はマンガがテレビドラマの原作ネタ元という時代があったが、これからしばらくはブログが脚本家をインスパイアするネタ元になるんでしょうかね。そう考えると、良くも悪くもブログというのは日本の社会にとけ込んだなあと思った。って、こんなこと書いてる場合じゃないぐらい仕事がせっぱ詰まっているのでこのあたりで失礼。

10:59 午前 ウェブログ・ココログ関連 コメント (13) トラックバック (1)

2005/12/11

LOHASは「サブマリン商標」の成功事例か

 調べてみたら今年のあたまぐらいからひそかに話題にしていたブログとかあったみたいだが、日経が書いちゃったのでもうバレバレですかね。

 三井物産、「ロハス」のブランド管理(NIKKEI.NET)

 「ソトコト」を出してる会社のグループ企業と三井物産とで、「LOHAS」「ロハス」の商標権を独占してビジネス展開するとのこと。こちらのブログのコメント欄を見ると、今年の初め頃にソトコトがイースクエアというコンサル会社から雑誌の特集と引き替えでロハスの商標を譲渡されたらしいとのこと。さんざん自分たちでバズワードを煽っておいて、十分広まったところで「実はそれうちの商標ですが」というわけか。「サブマリン特許」ならぬ「サブマリン商標」とでも呼んだらどうかな、このビジネスモデル。

 関連するブログとか見て回ってたのだが、一番ワロタのが「R25」のブログ。「LOHAS、知らないな~んて言ってるあなた?相当カッコ悪いですよ」って、カッコワルイのは君だ。で、最後のまとめが「少しずつ、自分のため・将来のために 俺のライフスタイルはLOHASを取り入れてる! って言えるようになるのが、モテモテへの近道?」だって。禿藁wwww

 ちなみに取材した人によると、ロハス的企業の代表とされていた米パタゴニアのCEOも、「うちはロハスとは関係ない」と断言。んで、こちらのブログはロハス関連のドメイン、マスコミに報道された新規事業をざっとさらった上で「これはのまネコの二の舞になる」と結論づけてる。

 僕はそこまでは思わないなあ。だって、ロハスってそもそも「ソトコト」自身が煽って広めて、「ロハスクラブ」とかまで作ってムーブメントに仕立てたものでしょ。だったら「ソトコト」がそのコンセプトに乗ってタダで稼ごうとするやつからライセンス料徴収して、当たり前じゃん。もっとも、それでロハスを単なる理想のライフスタイルを目指す言葉だとか信じてそれに対する信仰を表明した方々は思いっきりバカを見た、ということになるわけですが。

 ロハス商法を、「ホワイトバンド」よろしくきれい事言いながら裏でがっぽり儲ける汚い商売だと思うか、それとも「さすが小黒編集長!98年にLOHASが出現してすぐの99年に『ソトコト』発刊するなんて、すごいマーケティング的先見の明!」と感動するか、それは人それぞれだと思う。個人的にはこういうマーケティングはこれからいろいろ増えていくだろうと思うし。

 ま、ソトコトの小黒さんには、ここまでやったらいっそのこと、神戸空港の「ロハスターミナル」から法外なネーミングライセンス料を徴収してもらいたいものだ。そうすればバズワードにただ乗りする公権力からカネをふんだくった最初の成功例としてあがめられるだろうし、国交省や地方自治体の知的財産保護に関する意識も一気に高まることでしょうよ。

 ただ、今カミングアウトすることのデメリットがあるとすれば、タイミングとして早すぎなかったか、ということだろうね。ロハスが特定企業の商標だってことが判明した時点で、マスメディアはたぶんロハスの記事内での使用を禁止すると思うし。別のうまい環境系ライフスタイルを表現するマーケティング用語を誰かが発明して広めてくれるまでは、しばらく不自由な期間が続きそうな気配。

 あと、こちらのブログが2006年1月号の「ソトコト」のイタさっぷりをレポートしてくれているが、この手の「きれい事マーケティング」というのは、最後までその欲の深さという鎧を見せちゃいけないんだね。見せた瞬間に「イタイ奴」扱いされてしまう。ソトコトも「我々はロハスを商標登録することでロハスとは明らかに違う意味でロハスを使って金儲けしようとする団体・個人を牽制するが、それ以外で商標権を使うことはしない」とか表明してれば、もうちょっとイメージは変わったかもしれないけど、「スローライフ」まで商標登録しようとしたり、三井物産と組んじゃったりした時点で終わりかも。

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2005/12/10

米Yahoo!、ソーシャルブックマーク「del.icio.us」を買収

 うわ、キターてな感じ。ついに買っちゃいましたか。

 Yahoo!、ソーシャルブックマークサイト「del.icio.us」を買収(ITmedia News)

 昨日のET研「Googleの戦略分析」で、Yahoo!=クローズド帝国、Google=オープン帝国という意見が出ていたが、この買収なんかを見ると明らかにそうだよなあ。Googleがソーシャルブックマークを買収するか?と言われれば、たぶん「ノー」だろう。だって、del.icio.usを買収しなかったんだから。必要だと思うなら、自分でやるんだろうなGoogleは。

 それにしても昨日の研究会で一番強い印象に残ったのは、「インターネット関連のベンチャーに、そもそもVCからの資金提供を必要とするようなイニシャルのかかる事業がほとんどなくなってきたにもかかわらず、イニシャルの低いベンチャーのバリュエーションがどんどん高くなっている」という意見だった。

 そうだよなあ、自宅の一昔前のオンボロPCをサーバーにすればサービスインフラなんていくらだって作れるし、面白いサービスを作れたらお客が集まってアフィリエイトとアドセンスでお金が入ってきて、最後はYahoo!が買収しに来るか、Google・・・に税金取られるかだもんな~(笑)。ことネット業界に関しては、VCなんてもう要らないのかも。

 となると、お金の行き所は純粋にネットの中だけでサービスが閉じるベンチャーではなく、ネットをレバレッジ(てこ)にしてリアルの事業を切ったり張ったりする人たちの手元なんジャマイカ、というのが昨夜帰り道で考えたことだ。

 事実、今年1年を振り返ってみると資金の集まりどころはそういう流れになっている気がする。2000年の米国発のITバブルの時に投資対象になったような、ネットの中だけでサービスやっている企業には投資云々の話が不思議とない。例えばはてなとかは絶対にIPOするつもりなさそうだし、「mixi」やってるイーマーキュリーも事業切り売りはしてるけど、1年以上前にサイバーエージェント向けに増資したきり、未だにVC入ってないっぽいし。

 むしろ、既に今年ライブドアと楽天という2つの企業がやらかしたことを見ても分かるが、ネットに絡めてリアルの高収益ビジネスを一気に拡大する!って言い張る人の手元に巨額の買収資金が集まる、というタイプのバブルなのかもしれない。

 つまり、実際に実現するかどうかと関係なく、言ったもん勝ち、絵を描いたもん勝ちのバブル。ま、バブルってもともとそういうものだけど、今回のは「リアル企業をでっかくします!」とネット側からとびついたものの勝つバブルってこと。とすると、TBSに声掛けた楽天の三木谷社長も、もしかしてそこまで読んでやっていたのかもしれない。

 ネットは個人からお金は取れない。でもリアルの企業で個人や企業から多額のお金をさくさく取れるサービスというのは、探せばまだまだある。そういうサービスをやっている企業や団体を「うちが買収できたら、ネットとの相乗効果で事業を拡大してあげます!」と叫ぶのが、これから半年ぐらい流行るんじゃないかな。で、そのたびに株式市場から、金融機関から、お金がわっと集まるという。

 と、表題と全然関係ないことをいろいろと妄想してみた師走の土曜の朝でした。おしまい。

10:46 午前 メディアとネット コメント (7) トラックバック (9)

2005/12/09

マンションを買うということ

 少し前のエントリで「自分の家の話でも書こうかと思う」と宣言したので、その話。

 といっても、別に「俺はこんなに世間知に長けてるんだぜベイベー!」とかアフォな自慢話をするつもりとかは全然なくて、むしろとりあえず終わった話だから書ける「よい子の皆さんはこんなことしないようにね!」的な恥さらしである。

 このブログでもちょろちょろと書いてきたが、僕は今年の6月に持ち家のマンションに引っ越した。それまでは賃貸マンションに住み、「年収の3倍以内で買えるぐらいに値段が下がるまで、家は買わない」と公言していた。それが突然マンションを買うことにしたのは、いろいろ理由もある。その理由はこちらとかこちらのエントリに書いた。

 ライフスタイルと住まいとの関係については語り始めると長くなるので省略。ここではお金の話だけしたい。

 今回の耐震強度偽装事件でもいろいろ言われているが、新築マンションを買いたいという人の気持ちも、分からないでもない。広さとかデザインとか間取りがどうとか言う前に、中古マンションを買って自分の好きなように間取りやデザインを変更するのは、単純にファイナンスの問題で非常に大変だからだ。

 僕の場合、昨年春頃から引っ越し先を探し始めて、確か6月頃に今の家を見つけた。で、元の持ち主と不動産屋を仲介にして価格交渉し、8月に購入を決め、9月にローンを組んでカネを払った。専有面積は92平米で、決着した購入価額は3900万円だった。

 このとき、内装は古いままでしかも僕らが購入する前には賃貸にしていたこともあり、かなり汚れていた。サーフェスリフォーム(いわゆるクリーニング)をかければ200万円もかからないできれいになることは知っていたが、そもそも間取りが4LDKと異様に細切れで気に入らなかったこともあり、最初から全面リフォームが前提だった。

 当初、リフォームの費用は建築士にも相談し、設計費を含めて1100万円と弾いていた。造作の期間は3ヶ月。年末までに解体して年明けから取りかかれば、4月には入居できると踏み、マンションの購入費用に加えて解体100万、3月までの賃貸住宅の家賃に100万、引っ越しやその他もろもろに100万円程度で、合計1500万円もあればすべて終わるだろうと思っていた。

 ちなみにその時持っていた自己資金は1500万円程度。銀行からは住宅ローンの与信枠として4500万円でも全然OKと言われていた(今から考えると、それは僕の収入に対する信用ではなくて、マスコミという勤務先に対する信用だったのだが)。そこで僕はうかつにもこう考えた。

 「費用は全部合わせて4400万円。自己資金が1500万円以上あるのだから、マンションの躯体部分には500万円ぐらいは自己資金で払って借り入れは3400万円に抑え、リフォームが終わった段階でさらに必要な金額を500~600万円借りればいいや」

 しかし、この目論見は実際のリフォーム着工が(これは純粋に設計を頼んだ建築家のせいだが)3ヶ月以上遅れ、しかも昨年末に僕が転職したことで大きく狂った。

 まず、建築家にリフォームのプランを作ってもらい、年末が近づいてからあちこちの工務店に見積もりをかけ始めたのだが、これが思った以上に時間と費用がかかることが明らかになった。そのへんの細かい話はまた省略。最後にはリフォームとその周辺の費用を全部合わせて、1600万円ぐらいかかることになった。これに、実際の入居が6月までずれ込んだ分の費用とかも全部合わせると、たぶん1800万円ぐらい出費がかさんだ。

 これに加えて参ったのは、転職が明らかになった瞬間に、銀行が手のひらを返してきたことだ。確かに転職で年収は多少下がったのだが、実際には前職の企業は今後どうあがいても給料が右肩下がりなことは(少なくとも僕には)火を見るより明らかだったし、転職先の収入も契約の額面上は確かに下がっているが、もろもろ含めると転職前より上がることは分かっていたので、自分としては決して自分の信用が落ちたとは思わなかった。

 しかし、銀行は「これ以上ご融資できません」の一点張り。よく話を聞いてみると、要するに転職先がどこだろうが、転職して3年以内の人間には貸さないというのがルールだという。めちゃくちゃ腹が立ったが、まあそれがルールだというのだからしょうがない。昨年のうちにあと500万円余分に借りて、自己資金を温存しておけば何とかなったのにと思っても後の祭りである。

 4月に入ってからは着工の前金500万円を自己資金で支払い、入居予定が延びたこともあってキャッシュポジションがじりじりと下がっていく。着々とリフォーム工事が進む中、工事会社の人には平然とした風を装いつつ、どうやって足りない資金を調達しようか必死で悩む日が続いた。

 まず最初に考えたのは、銀行を変えればどうかということ。だが、これはちょっと話を聞いただけですぐにダメだということが分かった。

 購入した物件は築20年の中古マンションである。1981年の建築基準法改正以降の物件なので、躯体も管理組合も非常にしっかりしていて、メンテナンスもこまめに行われており、あと40~50年は余裕で持つと言われていたが、金融機関からすると不動産物件の価値は25年で消滅するため、担保価値はないも同然。そんなところに既に他の銀行が3000万円以上貸しているのに、さらに抵当権順位第2位でローンを貸すバカはいないという。

 となると、次に頼れるのは公的金融機関だ。実は、僕は新卒入社以来父親に言われて、毎月給与から天引きで2万5000円を財形貯蓄に積み立て続けていた。残高は300万円弱。この積み立ての実績があれば、住宅金融公庫から財形融資を借りられるかも、とひらめいた。

 それで当たってみたところ、何とか条件は満たせるという。ただし、転職した時にきちんと継続の手続きを取っているかどうかがポイントと言われた。うっかり、いったん解約して転職先の財形貯蓄で(その残高だけを移して)新規に積み立て始めていたりすると、いくら過去の積み立て実績があっても融資は受けられないという。

 祈るような気持ちで金融機関に照会したところ、「継続」ステータスであるという。助かったと思い、最初にローンを借りたのと同じ銀行の別の支店を通じて財形融資申請の準備に入った。

 ところが、これが銀行内で伝わったのかどうかは知らないが、その銀行のローン窓口になった支店の支店長が、5月の連休明けになって突然、僕への融資では無理だが、カミサンへの融資ということでなら追加のローンを組めるかも知れない、と連絡してきた。

 カミサンも一昨年に今の会社に転職したばかりであり、しかもその会社は前職に比べて10分の1以下の今の僕の勤め先の、さらに10分の1ぐらいの規模の、どこからどう見ても吹けば飛ぶような中小零細企業である。何が「転職3年以内は貸せない」だ、よく言うよなあと思ったが、それでも頼れるものは何でも頼りたい。で、改めてローンの申請をしたところ、その支店長が行内で必死になって説得に回ってくれたらしく、「最初のローンにカミサンの連帯保証をつけ、逆にカミサンの借りる追加ローンの連帯保証に僕が入る」という条件でゴーサインが出た、と言われた。貸出金額は1000万円。財形貯蓄を含めた手元資金がまだ数百万は残るだけの、十分な金額だった。助かった。

 これが、6月になって工事が完成して入居し、細かい不具合の補修もほぼ直し終わった、6月下旬になってのことだった。リフォーム工事会社の連絡してきた支払期限ぎりぎりである。住公の財形融資は、この時点で申請を取り下げた。最後まで決まるかどうか心配でならなかったからだ。

 ローンが決まるまではカミサンと二人で「このままどこも貸してくれなかったら、カードローンで2人合わせて500万借りるしかないかなー」などと、恐ろしいことを話していた。たった3ヶ月足らずではあったが、夫婦でナニ金的地獄の淵の底をちらりと見てきた感じである。

 この資金繰りから学んだ教訓はたくさんあったと思うが、その中でも最も大きかったのは、やはり「キャッシュ・イズ・キング」ということだ。特に大企業の庇護の元を離れて自分の腕一つで食っていこうと思う人間にとって、キャッシュほど大事なものはない。特に大きな買い物をするときは、余計に借金してでもキャッシュはしっかり握ってろ。それが学べたことが一番大きかったような気がする。

 あと、住宅を買う資金を何段階にも分けて支払うというのは、本当に大変なことなのだと思った。その間に信用状態は変化するかもしれないし、建築計画やら収入やら、何が起こるか分からない。代金を受け取りに来たリフォーム工事会社の経理担当の人も「最近のリフォームブームで話はいっぱい来るんですが、資金を都合できないといって着工ぎりぎりでお止めになる方とか、たくさんいるんですよ」と話していた。

 だからみんな我慢して、間取りが好みでないとか思いつつも新築マンションを買うのである。そちらの方が、資金の決済が1回きりでリスクが少ないから。でも、それって本当に良いことなのだろうか。単に「我慢してる」だけじゃないのか。金融機関にそういう融資スキームを積極的に作らせてこなかった国の政策の歪みが表れてるだけでしょ。僕が今の日本の住宅に深い問題とチャンスを感じるのは、そういった理由からである。

 とりあえず今日はこんなところ。バカな奴だとあざ笑う人はどうぞ。しかし、住宅を買うというのは、ほとんどの人にとって自分の一生を賭けた博打であると思う。少なくとも今の日本では、いろいろな意味でね。これが博打でなくなる時代が、早く来てほしい。

11:49 午前 住まい・インテリア コメント (21) トラックバック (13)

2005/12/05

ブロガー・シンジケーション広告

pressblog 11月後半がリリースだったみたいなんで少し話題に乗り遅れた感もあるけど、ブロガーを集めて広告媒体として使いましょうという業者が、ついに出てきた。

 press@blog

 こちらのブログで分析されてるように、要はリードメール(メールを読んだだけで1円もらえるとかのやつ)ライクな感じらしいが、それをブログで書くだけで50円から200円もらえると。まあすごい!(笑)

 しかし、リリースが送られてきただけでその商品やサービスについての(たぶん肯定的な)コメント書くのって、実際に使った商品に惚れ込んでアフィリエイトするのよりずっと難しそうな気がする。アフィリエイトのうまい人って、やっぱりなんだかんだ言って自分自身も物欲旺盛な衝動買いの多い人(つまり紹介する商品がいつの間にか本当に好きになってる人)だと思うからなあ。そういう、感情移入の対象がないのに紹介文書けるもんなのかねえ。そこんとこ、どうよ。

 でも、広告主の企業からしてみれば、僕みたいにイベント呼ばれてタダ飯食わしてやったくせにボロックソ悪口書くようなブロガーはあらかじめ弾いたうえで、穏やかにちゃんと商品の名前をネット上で連呼してくれる穏便なブロガーのリストだけをちゃんと揃えてブログからSEO対策の外部リンクを張りまくってくれるっていう広告代理店には、すぐにでもすがりたくなるだろうな。

 営業方法にもよるけど、広告出す企業はかなり簡単に集められるような気がする。例えば外部リンクを1000件張ってもらうとして、200円×1000カ所=20万円払えばその商品名がネット上のいろいろなドメインから一気に外部リンク張ってもらえて、Googleからの評価が高まるんだったら、喜んで金払う企業って多そう。これって結構ヒットしそうな予感。

 あとは、ある程度ドメインをばらけさせた上で、1件50円とか100円とかのはした金で外部リンク張りに協力してくれる1万人程度の穏便なブロガーを集められるかどうかだな。たぶんそこがカギ。てか、ふつうにアフィリエイトやって月に何万円程度稼げてる人なら、そんなしょーもない商売には目もくれないと思う。だからアフィリエイトなんかやってない、フツーのブロガーがターゲットになるだろうけど、そこまでこの登録会員を広げられるかどうか。

 それとも、そういうアフィリエイターって結構どん欲で、アフィリエイトとAdSenseとやりながら「これもやっちゃおう」とかって感じになるのかな?そういう世界のこと、よくわかんないけど。

 まあ、メディアというのはすべからく広告的ポジションからスタートしていくものだと思いますんで、こういう試みにはいろいろな人がチャレンジしてみるのはよろしいことなんじゃないでしょうか。僕はこういうの、絶対いの一番に弾かれそうだからやらんけどね(笑)。

03:03 午後 メディアとネット コメント (4) トラックバック (3)

2005/12/03

cybozu.nite 2.0に逝ってきた

 目端の利く広告屋さんの計らいか何か知らないけど、ネット企業のプレス&関係者向けパーティーにご指名で招かれたので逝ってきましたよcybozu.nite 2.0。渋谷のクラブ貸し切ってやった豪勢なイベント。

 普通のマスコミならここでタダ飯食わせてもらったお礼にヨイショするまではいかなくとも冷静に新会社紹介とかサービスの特徴のレポートとかするのが礼儀だろうと思うが、別に僕は別にカネもらってブログ書いてるわけでもないのでそういう義理はないってことで。というか、あまりのトンチンカンぶりに一言言わずにおられない。

 話の概要は要するにサイボウズ単独ではグループウェア以上のことはできんと。で、グループウェアで持ってる顧客ベースを生かすためにビジネスポータルをやりたいと。なのでサイバーエージェントグループと提携してポータル作ります、その会社にサイボウズのブランド貸してグループウェアからトラフィックも提供するから4割出資もさせてください。そこまではいい。青野社長がそうしたいんだから。

 で、問題はその提携してやるサービスの内容だ。ターゲット顧客は「ITビジネスパーソン」だと。誰それ。んで、例によってWeb2.0ときた。世の中はこれからXML。すべてのウェブはパッケージじゃない、サービスになる。XMLを流通させる仕組み、Feedで全部を統合するんだ。複数のブログを1つのインターフェースでいじれたり、好きなブログやニュースのRSS Feedも登録して更新管理したりするサービス。で、それをポータルサイト「cybozu.net」に実装するぜ!すごいだろ!っての。

(°Д°)ハァ?

 えーとそれって本当に「ポータル」なんですか?めっちゃカスタマイズの必要なただのAjax遊びツールじゃないのって気がするんですが?それって何てGoogleIG?てか、そんなカスタマイズツールに、ビジネスパーソンって寄ってこないよ。寄ってくるのは毎日ブログ更新するような社内で干されてるヒマヒマ窓際ビジネスパーソンとか引き篭もりネットヲタとかのような気がするンスけど。サイボウズのお客さんにそんな引き篭もりヲタって多かったっけか?

 あと、「複数ブログに一度にエントリを投稿可能」って、ウェブの世界はマルチ投稿はしないのがマナーじゃなかったんかい。システマティックにスパムブロガー量産してどうすんだっつーの(笑)。だめ押しが「競合はiTunesです」。・・・なんかもう、FeedpathのどこがiTunesと競合すんのか、バカな僕にはまったく理解できなかったざんすよ。どうみても精子です本当にごめんなさい。

 トータルの感想としては、「広告屋さんというのは、世の中の人の流れの一番激しいところをめざとく見つけてそこに企業のカネを引っ張ってくる術には長けているけど、彼らにメディアとしての『議題設定機能』を期待するのはやっぱり無理なんだろねー」というもの。ポータルになるということ、つまりメディアを持つということの意味が、根本的に分かってないねこの人たち、というのが正直な印象だった。今のcybozu.net見ても、ヤフーのトップ見てる方がまだ今日のトピックスがさっと目に入ってきて役に立つ罠。First glanceで既にヤフーに負けてるポータルって何か意味あるの?

 なんだか最近のサイボウズの動きを見るに、カネが有り余って有り余って、でもどう使えばいいのかわかんなくてしゃにむにあちこちと提携して投資案件を決めて、ってやっているようにしか見えんのだよね。

 まあなんだか新しい動きに投資しまくった結果、ひところ低迷していた株価が上がってるのは喜ばしいことなんだろうけど、中長期的な方向としてはどうよと。ますますわけわかんなくなってるように思えてしょうがない。それより配当増やせとか村上ファンドに買い占められたらどうすんのよと。今回のcybozu.netなんて別に1000万円ちょっとのカネだからどうってことないっちゃどうってことないわけだけどさ。

cybozu.nite 2.0 それともこれってゼロックスPARCのようなITコミュニティーへの社会貢献ですかそうですか。それなら良いですもちろん。反対はしませんけどね。だとしても、新会社作ってブロガーやらネット業界の関係者やら、よだれが出そうなほどの有名人ばかり(除く僕)をイベントにかき集めておいて、会場からの質問・意見とか何にも募らないってのもね。もったいないというかブロガー招いておいて勇気あるというか広告屋さんの考えそうなイベントだなあというか参加型うんたらは嘘なんだろなあというか。僕としてはブログに書くネタ、書けない話がたくさん集められたから別にいいんだけど。

 ま、「ビジネスパーソンをもっと元気にする!」って言うなら、もう少しはその「ビジネスパーソン」とやらをきちんとマーケティングしたらどうですかね。とかなんとか場末のブロガーが飲み足りなくてグダグダ言ってますが、いやまあ別にいいですよ社会貢献ならそれはそれで。

 というわけで最後は何だか弱気になってしまった。その後の忘年会できれいな女性のネットワーカーの方をたくさん見て良い気持ちで酔っぱらったから、まあいいや。せっかくなんでケータイで撮った会場の写真でもはっとくか。何がなんだか全然わかんないけど(笑)。壇上でしゃべってるのが小川さんね。ともかくも裏方スタッフな皆様は本当にお疲れ様、ご招待いただきありがとうございました。こんな糞ブロガーで良ければまたお誘いくださいまし。

01:45 午前 メディアとネット コメント (8) トラックバック (8)