見慣れない場所のビジネス
もう最近カモシカのように寝ても覚めても働きまくっている。なんでカモシカかはよく分からないけど。昨日も一日引き篭もってデスクワークと決めていたのに諸々こなしていたら結局やろうと決めた仕事の半分も終えられなかった。ヤバイ死ぬ。
でそんな中、オアシスのような「naoyaのダイアリー」の名エントリに噛みついてみる企画。
最近つくづく思ったのは、ビジネスとゆうのは結局人が簡単に行き来できないところの両側を橋渡しすることなのだなとゆうことだ。当たり前の話なのだがその「簡単に行き来できない」とゆうのは空間的な要素であったり時間的な要素であったり、あるいははたまた技術や心理的な壁だったりする。で、普通の人が越えられないその壁をうまく越えていける道を発見した人は、儲かりますよと。
重要なのは、その道を発見しただけであったり、あるいは壁を越えて向こう側に行ってしまったきり戻ってこなくなったりしては、そもそもビジネスにならんということだ。壁を越えられた人間は得てして「自分は壁を越えられた」と悦に入ってしまうものだが、悦に入ったところで誰も知ったこっちゃない。
聞けば「そんなことは当たり前だ」と思うだろうが、これが実際に自分がそうゆう立場に立ってみると、ほとんどの人が悦に入るか、「あっち側に残っている人にはこっちのことは分かってもらえない」とか得意げに憂えてみたりするだけなのだ。いやもう、ほとんどたいていそうである。世の中の人はみんな、君が壁を越えたかどうか、いやそれ以前に自分が壁を越えられるかどうかにさえ、これっぽっちも関心ありませんから!
壁を越えたいと自覚的に思っているのは君の友だちか取り巻きかそれとも能力がなくてあるいはパージされてヒマになって悪事を成そうとか余計なことを考えたりしている小人、つまりニート、つまり2ちゃんねらだけである。それ以外の人にとっては壁の向こう側にどんな知的刺激があるか、どんな素晴らしい新世界があるかなんて激しくどうでもいい。それよりは毎日こっちの世界で粛々と社畜として食い扶持を稼いであるいはサッカーチームを応援してあるいは食ったものを日々排泄して暮らしていくのに精一杯なのである。壁の向こう側なんて暇人か能力がなくてパージされたやつがたまたまひねり出した妄想の世界だろうぐらいにしか思っていないし実際のところそれは半分ぐらい事実であったりする。
ビジネスとゆうのはそうゆう人たちにいかに壁を越えることが食い扶持を増やすことや仕事を楽することやサッカーチームの応援以上にわくわくすることや健康的にたくさん食って排泄できることであるかを耳元でささやき、足を1歩伸ばしただけで彼らがナチュラルにスムーズに無意識にまるであたかもずっと昔から自分はそれを当然と思っていたかのように壁をするっと越えさせるようにし向けること、そしてその瞬間にどこかで「ちゃりん」とお金が落ちる音が聞こえてくるような仕組みを設計するところまでのことを言うのである。
向こう側に行くことが本当のことを知ることであるかあるいは本当に楽しくて面白いことであるか、そんなことは正直どうでもいい。しょせん世の中に「本当のこと」などどこにもないのだし単にこちらの世界にはでっかいぴかぴか光るガラス板だとか灰色の木くずと油の束とかが存在していてそれらが「これが本当だ」とか世の中の人間みんなに向かって日々刻々ささやいているので何となく誰もがそれを本当のことだと信じているだけのことである。
一方あちらの世界にはそういうぴかぴかしたものが存在しないから真っ暗闇の中で隣にいる人と手を握り合って「君だけは嘘をつかないよね」とか言いながら前に歩いていかなければならないので隣にいる人のしゃべっていることが本当に思えるだけのことである。まあ実際そこで嘘をつくと手をつないでいる人間が両方とも崖から落っこちてしまうので嘘をつかないとゆうだけのことなのだが中には大嘘こきながら手をつないでる人間を全員ありもしない方向に引っ張っていってそこで楽しくキャンプファイヤーとかやったりする人もいて、まあそれも楽しくわいわいやりながら生きていられるとゆう意味では嘘ではないのかもしれないとゆう程度の確からしさしかない。
要するにいつも目の前にある食い扶持とガラス板や木くずの言うことを信じるだけで生きているという実感を持てるのか、それとも暗闇の中で隣の人と手をつないでいることが生きている実感だと思う人なのかによって生きる場所が違いますねとゆうだけの話であって、どちらが勇気があるとかトンマであるとかゆうようなものでもない。単に人間いろいろ人生いろいろ、価値観の違いの問題だけである。
ビジネスとゆうのは、その両方を行き来して、たとえばこっち側に居残っている人たちには「世にも奇妙で珍しくわくわくしてためになる話を聞かせてあげますよ」とか言いながら暗闇の中で隣の人から聞こえてきたひそひそ話を適当に面白おかしく脚色して金を取って聞かせ、一方暗闇の世界ではその金を見せびらかしながら「ほらほら、ここでの面白い話をオレに聞かせてくれたらあっち側の世界のローソクが買える金をあげるよ」とか言って適当にキャンプファイヤーでもやりながら人を集めて次の商売のネタを仕入れるとゆう、そうゆうことを言うのである。
考えてみると簡単なことのように思えるが、これを着実にかつ大規模にやってうまく自分の回りに「ちゃりん」とお金が落ちてくる仕組みを作れる人とゆうのは本当に少ない。日本で言うと孫正義とか。そう考えるとやっぱり孫さんとゆうのは本当にすごい人だ。なんかちっともオチになってないが今ちょうどカモシカ並みの思考力しか残ってないからなのでこれにておしまい。
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コメント
いつもとちょっと違うエントリーですね。そういった感じを私の場合は「エージェント」としての役割と考えています。今日も面白く読ませて頂きました。
投稿: 大西宏 | 2005/11/11 17:06
なんでしょう
鉄火場2.0の話でしょうか
投稿: ari | 2005/11/11 18:07
孫さんのキャンプファイヤーは札束をくべて燃えているのではないかと。。燃えれば燃えるほど人が集まるから「不思議だねぇ」って言ってたまに札束を貸してみたりしてる人のことを株主と言うのではないかと。。なんとな~く漠然と思っています。
投稿: hal* | 2005/11/11 20:19
R30さんはいつも興味深いブログを紹介してくれる
ということで、チトずれる^^記事をTBします
投稿: マルセル | 2005/11/12 00:49
う〜ん。少し論点がずれているのでは?
孫さんのやり方と違うやり方を"はてな"はしてますよってことを伊藤氏は言いたいんじゃないかな。
投稿: バナジウム | 2005/11/13 00:25
この話をパラダイム・シフトと関係して読むと、新しいパラダイムを見つけることがビジネスになるのではなく、そこへ既存のパラダイムとどう橋をつけるかにビジネスが存在している、と読め、まさにその通りと思います。その時架ける橋には、自分ひとりで(身内で)架けたほうが良いものと、みんなで共同して架けたほうが良い橋と、見つける壁よって2つのカテゴリーがあると思います。R30氏のここでのコメントは一人で架けるた方が良いような壁を見つけた人が話す話し方として、とても同意できます。一方、naoyaさんのダイアリーの視点も現状は重要な気がします。
乗っている船がタイタニック号だと最初に気づいた人は、気づいていない人とは違うパラダイムにいる(壁をこえている)。その壁の向こうのことに対して、ここでの議論は通じるのだろうか、ということです。
投稿: ngd | 2005/11/17 12:58