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2005/11/30

ファイナンスした人が責任取れば?

 つらつらとウェブを巡回していたら、D通の高広さんが今日をもって辞めますという報告をブログにアップしてるのを発見。藤代さんがまとめた『ブログ・ジャーナリズム~300万人のメディア』の対談で末席を汚させていただいた時に同席してしゃべってみて、「同じぐらいの歳なのに世の中にはすごい人がいるもんだ」と感動したことを思い出した。報告エントリを見ると、「広告業界の明日を考えすぎた」とか書いてある。これもブログで辞めたの一例になるのか?なんつって。次どこに行くのか、激しく気になる。

 それはおいといて、例のマンションの耐震強度偽装の件は、何かこの機会にみんなカミングアウトしちゃえという感じで、収拾がつかなくなってきた感があり。踊る新聞屋氏がブログ界の反応、主要メディアの動向などを総括しているが、まあ実際業界みんなで「オレも、オレも」ってここぞとばかりに暴露しまくりながら、国交省の公的資金税金投入を待ちわびてるんじゃないかね。

(12/17 6:10追記)悪徳不動産屋さんが同じことを書いていた。こっちの方が現実的な手だてかも。勉強になる。

 昔、某大手ゼネコンの債権放棄の記者会見に行ったことがあるが、その時見た社長は、言葉は丁寧なんだけど顔はいかにも「こんだけ政治家のためにいろいろしてやってんだから税金くれて当たり前だろ」みたいなことが書いてあるように見えるほどふてぶてしく、記者連中が「経営責任はどう取るのか」「世間の感覚とはずれていると感じないのか」とかいろいろ詰問しても罵声を浴びせても、顔色一つ変えなかった。建設業界っていうのはこういう鉄面皮な人が偉くなる業界なんだーと、不思議に感心した覚えがある。

 今回の事件に関してはいろいろな意見があるだろうけれど、僕は実際に強度不足を指摘されたマンションの住民の方の書くブログを丹念に読んでいて、この人(gskay氏)が言っていることが一番冷静でかつ的を得ていると思う。正直、この事件を報道するメディアを含め、関心があり、何かを言いたいと思う人たちはそこに書いてあることをきちんと読んでから言うべきだろう。

 gskay氏の論点は非常に明快だ。この問題の本質は、ファイナンスである。建築基準法がどうたらという議論をしている人が多いけれども、それはどうでもいい。行政のさじ加減で法律の細かいところを決めていた時代の名残の法律が、チェック業務自体の民営化に対応した細かい規定などを持たずに規制緩和が走り始めてしまったので云々というのも、よくある話である。

 新しい状況に合わせて法律をまったくのゼロから1本書くならまだしも、古い時代にガラス細工のようにして作られた法律を、状況の構造的な変化に合わせて書き直すというのは、たぶん4~5人の官僚の気を狂わせて死に追いやるほど大変な作業だろう。それができてなかったというのも、国交省の官僚を責めたてる口実にはなろうが、だからといって目の前の問題を解決する手だてにはならない。

 規制緩和、民営化というのは、何もかもが行政の仕事ですねと役所に帳尻を持っていき、誰かがミスしたら税金を払えと喚き、行政はミスをあげつらわれないために際限なく人を増やし手続きを煩雑化し、最後にはほとんど誰も通れないような迷宮のごとき手続きのトンネルに何百人もの役人が通ろうとする人間を突っつき回すためだけに張り付いているという事態を改善するために行われる施策である。

 いや、今回の建築確認の民間開放が間違いでござんした、やっぱり役所でやった方が正確、効率、無謬でござんす、という手のひらを返したような結論を立法府が出すのならそれはそれで仕方ないなと思うけれども、だいたい今回申請をチェックしていた人って全員自治体からの天下りノンキャリだったんでしょ?仕事を役所に戻しても彼らがまた机を民間企業から役所に移すだけだと思うよ?それで何が変わるの?という気がする。

 一度民間に任せたことは、とにかく最後まで民間でやらせればいい。ただし、いくつか原則をはっきりさせておくべきだと思う。一つは、こういう時に一番立場が弱い、だからツケを回されやすい「個人」には、消費者保護の観点からツケを回さないということ。

 gskay氏が書いているように、問題の本質は「違法な建築のはずの建物が、基準に合致していると判を押され、それを正しいと思って金融機関が購入者たる住民に住宅ローンを融資、つまり信用を供与した」ことなのである。ここでもし違法な建築であるということが分かっていれば、カネのやり取りはヒューザーと建設会社や設計士の間、つまり業者同士だけで終わっていたはずなのだ。建築確認が通ったということが、金融機関にファイナンスを可能にさせ、住民がそれを買うことを可能にした。つまり被害を一般人にまで広げた。

 であれば、まず国交省と金融庁は「債務者が預かり知らないところで作られた違法建築に対して供与された住宅ローンは、本来債務者に返済義務はない」として、金融機関にまず責めを負わせればいいと思う。銀行と住宅公庫は、もちろんそれでは収まらないだろう。違法建築を建てた責任は誰かということを、銀行と住宅公庫が売り主、設計事務所、建築確認した会社を相手取った裁判で争って明らかにすればいい。

 どうせ建設業界のことだから、この手の話は関係者全員が少しずつ薄々は気づいていて、でもあうんの呼吸でやっているものだからおおっぴらにすると誰も責任を取れない、取らない仕組みになっているはずだ。売り主は「値段を下げてくれと建設会社に頼んだだけだ」と言うだろうし、建設屋は「鉄筋の値段が最近上がってるんだよね、と設計士に愚痴っただけだ」と言うだろう。姉歯氏は既に「資材を極限まで少なくしてくれという圧力はあったが、たぶん建築確認のところで撥ねられるだろうと思った」とか心にもないことを言ってるみたいだし、確認屋は「偽装は簡単には見つけられなかった」と言い張る。

 ここは、各人の言い分を聞いていてもしょうがないので、とにかく新しいルールを入れるしかない。金融市場のルールに倣う、つまり「与信のもととなるエビデンスにゴーサインを出した奴が責任とれ」、ということにするしかない。企業のファイナンスであれば、与信の論拠となる財務諸表にはんこを押した会計士が責任を取れということになっている。

 今回も、銀行は裁判所の指示に従いつつ、取りっぱぐれた住宅ローンの回収のたしになるように、イーホームズを身ぐるみ剥がして持っていけば良い。業界トップの日本ERIでさえ総資産が26億しかないような、吹けば飛ぶようなベンチャーのようだから、大したカネは回収できないだろうが、まあ損失の1割ぐらいにはなるかもしれん。

 そして、銀行はこれに懲りたら次からはまともな審査と補償能力がある企業に建築確認を頼む、あるいは銀行のグループ内にそういう審査機能を持った子会社を作ってそこで確認業務を請け負うことにすれば良いのだ。ファイナンスとは、そういうものである。リスクを行政におっかぶせておけば安心という時代は終わったのだよ、と銀行に分からせればいいのだ。業界全体で150億程度の授業料、安いものである。

 逆にこういう処理ができず、今回も公的資金を投入とか意味不明のスキームで決着するようだとしたら、日本の規制緩和なんて全部嘘だ。ノンキャリの天下り先を守るためにイーホームズを潰さない、なんていう結論が出るようじゃあ、結局行政が最後の帳尻合わせの役を負わされて、何かあると税金投入をせざるを得なくなるに違いないと誰もが(特にファイナンスの世界の人間が)思いこむ。そうすれば未来永劫、日本にまともな建築を作ろうと思う人はいなくなるだろう。だってまともじゃない建築を作っても、税金がケツ拭いてくれるんだから。ばれるまでは適当にやって蓄財しておけばいいや、ぐらいにしか思えなくなって当然である。

 そして、日本の最大の問題は、こういう事件が起こったときに真っ先に個人の一般消費者を保護するというルールが、そもそもないことだ。ブログ界隈でも出ていたが「ヤバイマンションを買ったのはお前が間取り図を読んで構造がおかしいと気づかなかったからだろう」的な議論がすぐに出てくる。これは、絶対におかしい。消費者というのは、そのことに気がつく奴もいるかも知れないが、気がつかないレベルだから「消費者」なのである。構造というのは、表からは見えないものだ。それに気がつくのがマンション購入の前提というのでは、個人を法人事業者と対等にみなしているということにほかならない。そんなの、あり得ないじゃん。でも、日本ってこれを「あり得ない」と思う人がほとんどいないんだなあ。残念ながら。一応民法とかにはそう書いてあるんだけど。

 というわけで、個人的にちょっと思うことがあるので、これからぼちぼち自分の家の購入の経験談でも書いていこうかと思う。

(追記)エロサイトからのTBスパムがすごいので、いったんTB受付を止めます。夜にまた復活させますので、しばらくお待ちを。

(16:10追記)トップにダミーエントリを立てることでTBスパム回避できるかどうか試すことにしました。TB受け付け再開します。ライブドアニュースのこのページからの流入でアクセスPVがすごいことになってます。そして検索キーワードでは「ローストビーフ」が初の1位(笑)。ブログ始まって以来の1日2万PVいくかもしれん。

(12/1 0:10追記 TBスパムは撃退できたが、散人先生から「ライブドアニュースのトップに張り付くエントリを書く偽証系PV乞食ブログ」とか罵倒されたので、ライブドアニュースの都合なんざ知るかボケと思いつつトップのダミーエントリを削除。これでアダルトTBスパムがまた集まるようならもう知らん。ニフティ撤収してはてなでも行くか。)

06:05 午前 ビジネス コメント (83) トラックバック (53)

2005/11/27

財布バトン

 というのが、栗先生から回ってきた。そこに全財産を持ち歩いている俺が来ましたよ。

Q1.どんな財布使ってはります?

小銭とお札とカード類が全部入る、2つに折りたたむやつ。ブランドはRYKIEL homme。色は焦げ茶色。

Q2.ズバリ、現在中身の金額は?

1万1025円。たいてい1~2万円の間。

Q3.ポイント・メンバーズカードあったりして?

ヨド、ビック、祖父のポイントはid:matsunagaさん同様、常備。それ以外は時々ベストとか。あと、ツタヤと近くのショッピングモールのポイントカード。

Q4.診察券あったりして?

腰痛で通っている接骨院と整形外科のもの。

Q5.なにかレシートあったりして?

毎年青色申告していた父親の「領収書は1枚たりとも捨てるな」という教えを忠実に守り、コンビニからタクシーまで、あらゆる領収書は全部財布に入れて取ってある。今はセブンイレブンのが最多。

Q6.なにか割引券あったりして?

図書券500円。もう1年以上入ってる。いつも本屋に行くたびに使うのを忘れる。

Q7.その他あんなものこんなものあったりして?

クレジットカードはJCB系2枚、VISA系2枚。キャッシュカードはみずほ、UFJ、三井住友の3枚。あと、変わったところでは10年以上使っていない赤十字の献血手帳とか。それ以外はひ・み・つ

Q8.財布おとしたことある?

ない

Q9.財布拾ったことある?

あったっけな?あったかも知れないが過去のことは覚えてない。

Q10.誰の財布の中身知りたい?

藤代さん(id:gatonews)
切込隊長(id:kirik)
オーシマさん(id:nekoprotocol)

てか、これ聞いて何かいいことあるん?よくわかんないけど。

08:05 午前 日記・コラム・つぶやき コメント (14) トラックバック (2)

2005/11/25

今週は特になし。つれづれ雑感のみ

 ネタをいろいろと考えたりもしたが、どうにも筆が進まない。先週からずっと1つ下のエントリが大人気ですが、「どっちもやれぇ」とかはやし立てるコメント、TBがてんこ盛り。皆さん本当に揉め事が好きですな。ブログ界=ネット野次馬というか。どうでもいいけど。

 それはさておき、今週の話題の中心は、マンションか。これについては、ウチダ先生からbewaad instituteFIFTH EDITION五号館のつぶやき松本のコーヒー屋氏に至るまで、あちこちのブログで秀逸な情報収集、批評エントリが上がっている。新聞も雑誌もテレビも一切見ずに、この件についてこれだけの情報とこれだけの考察がタダで読め、自分の知恵にできる時代。僕はなんと幸せな時代に生きているのだろう。

 建築についてはいろいろ思うところもあるのだが、うまくまとまらない。というか、もうこれだけエントリが書かれているのに、今さら付け加えて言うことなど何もないかもしれない。

 世はバブル。お金があちこちでうなりを上げて、目先の欲に目がくらんだ人々を地獄に巻き込んでいく。怪しいバブル紳士がまたぞろ跋扈し始める。なんつーか、景気が良くなると人間って悩みが増えないか。これが幸せな事態とは、とても思えないんだが。

 で、こういうマネーゲームってお金持ちの人たち同士でやってくれれば一般庶民には何の関わり合いもないことでござんす、で終わるのだが、世の中よくできたもので、めったに見ない札束やらチャンスやらに目がくらんで欲の皮を突っ張らせてその上で滑って転ぶ役どころってのはたいてい一般庶民に回ってくる。お金持ちな人というのはそういう鉄火場で巧みに経ち振る舞って、あらかた滑って転ぶ人続出する頃には手仕舞って雲散霧消。

 それを考えると、一般庶民にとって景気がいいと嬉しいことなんてほとんどない気がするのだが、どうなんだろ。かく言う僕も実はバブルの渦中の経験というのは2000年のITバブルに続いてまだ2度目でしかないので、その中での人間の振る舞い一般法則であるとかバブル経済状況に対する一般庶民的対処法であるとかについては、何とも言えず分からないのだけど。

 ある経営者が、「従業員に渡すお金は、少なすぎても多すぎてもその人をダメにする」と言っていたのを思い出した。たくさんカネを手にした時の人間のしでかすことって、本当にろくなことじゃない。自分がそういう人間にならないように、欲の灯を滅する修業は日々怠らないようにしないといけないよなー。

追記:そうそう、bewaadさんが悩んでいらっしゃる奥田ヒロシ君の例の「カルテル」発言ですが、アレですよきっと、ドラッカーに遅れること1週間、ついにお亡くなりになったヨシツネ先生にインスパイヤされたトリビュートものだとおもうわけですよ。そゆことで、よろしく。(やっぱりカタカナ使いまくり><)

03:49 午後 日記・コラム・つぶやき コメント (9) トラックバック (4)

2005/11/20

消費者は偉大だ

 久しぶりに見た「オレが消費者だ文句あるか」って感じの日記。禿しく心を揺り動かされた。ネットの外側の世の中のほとんどの人はアルファなんとか言って本まで出しちゃう連中をイタイ奴扱いするんだろーなーという悟りと目覚め。しかもコメント、TB一切拒否。これぞはてダの鑑。そして自分はこういう人から「分かんねえ」と言われてしまうような文章を書いてしまったことに、反省しきり。ネットって、こういう「何の関係もない人からの容赦ない言葉」が素で聞けるっていうのが、本当にすごいと思う。

 弊ブログは通常どのようなネットユーザー様に対してもまったくのタダでご提供、お読みいただいているものではありますけれども、そういったことを言い訳にせず、この件をきっかけと致しまして今後はより一層の品質およびお客様満足の向上と信頼関係の構築と強化に努めて参る所存でございます。(棒読み)

 それはともかく、この日記の中の人にはこれからも末永く消費者ブログ日記を続けていただきたいものだ。いや、これは冗談ではなく。ネットも世の中も多様性が大事ですよ。いや、ほんとに。

08:46 午後 日記・コラム・つぶやき コメント (44) トラックバック (14)

2005/11/19

【書評】スティーブ・ジョブズ-偶像復活

スティーブ・ジョブズ-偶像復活 既にあちこちで告知され始めてますが、どういう経緯でだかよく分からないうちに今月のET研「アップルコンピュータ」にパネリストとして出席することになりました。なんつーかものすごいミスキャスティングな悪寒。だって確かにエントリは何本も書いたけど、自身は未だにiPodを持っておらず、それどころかアップルを取材したことさえこれまで1度もない僕がアップルについていったい何を語れるのだろうか。はなはだ心配。

 このままだと渡辺さんが呼んだもう1人の相方パネリストの方に木っ端微塵に撃破されるのではないかと思い、不安の余り11月5日に発売されたばかりの「スティーブ・ジョブズ-偶像復活」(ジェフリー・ヤング、ウィリアム・サイモン共著、井口 耕二訳、東洋経済新報社)を取り寄せて死にものぐるいで読んでみました。ET研の参考になったかどうかは自分でも分からないが、とりあえず感想をまとめてみる。

 こういうイベントの事前準備というプレッシャーがなければ、この本は本当に面白いものだったに違いない。いや、実際のところ激しく面白い。当たり前だ。スティーブ・ジョブズについて書いた本は、 何だって面白いに決まっているのである。スティーブ・ジョブズ自体が面白いんだから、当然なのだ。

 付け加えて言うと、僕の大好きなピクサーについても、その成立初期からIPO、「Mr.インクレディブル」の公開に至るまでに社内でどんなことがあったか、事細かに書かれている。これを読むと、「Mr.インクレディブル」のDVDの特典映像の中に、さんざんピクサー社内の風景やジョン・ラセターを初めとするスタッフの紹介がされているにもかかわらず、CEOのジョブズについてだけまったく姿が見えず、その存在がヒラのスタッフの「CEOは僕らに何でも任せてくれて、自由にやらせてくれているよ」という一言でスルーされているのがなぜなのかも、とてもよく分かる(笑)。スタッフ全員が、彼について極力触れたくないのだということが。

 元マイクロソフトの古川享氏もブログで3回ほどこの本について言及しているが、そこでもさらに披露されている、日本でのジョブズの恐ろしいエピソードの数々。古川さんに限らない。彼について語った本、ブログ、雑誌、その他あらゆるものはジョブズのイカレたエピソードでてんこ盛りになるのである。誰が見ても彼はキチガイなのだ。そして、そのキチガイがビル・ゲイツに次ぐ大金持ちであり、しかもビル・ゲイツにも成し遂げられなかった数々の成功と名声を得ているというその事実自体が、世界最大の不思議の1つなのである。

コンピューター帝国の興亡 ちなみに、僕が最初にジョブズについて書かれた本を読んだのは、いにしえのアスキーから出版された名著、「コンピュータ帝国の興亡―覇者たちの神話と内幕〈上〉」「同(下)」(いずれもロバート・X. クリンジリー著)という2冊の本だった。1993年に発売されたこの本は、1975年に世界初のパーソナル・コンピュータ「Altair(アルテア)」が作られて以来、コンピューター産業というものがどのような人たちによって作られ、どう発展してきたのかを、ユーモアたっぷりの筆致で余すところなく描いた傑作である。この中でもスティーブ・ジョブズはとにかくボロクソに書かれている。最近、「上司は思いつきでものを言う」といったタイトルの本が確かヒットしていたようだが、ジョブズは「常に思いつきでクビを言い渡す」タイプの経営者である。よくこんなむちゃくちゃな人格破綻者が経営をやれるものだと呆れるが、常軌を逸した人格破綻者でもカネさえ握ればあらゆる権力が握れるのが資本主義国米国の良いところ(恐ろしいところ?)である。

 そんなことはどうでもいい。で、僕がこの本を読んだ理由は、そういうスティーブ・ジョブズという人間のキチガイぶりを堪能するためではない。そんなことは10年以上前から知っていたし、どうでもいいことだから。大事なのは、iPodとiTunesという大ヒット商品を出したAppleがいったいどこに向かおうとしているのかという、11/27のET研のテーマに対するヒントを知るためである。

 これまたApple Fellowsの1人であったアラン・ケイの有名な言葉「未来を予測する最も優れた手段は、それを創り出すことである」という言葉に、今も昔ももっとも忠実な企業とはやはりAppleだろう。この本でも述べられているように、「歴代CEOの中で、暴れ馬のようなAppleという企業を御し得たのは後にも先にもスティーブ・ジョブズその人しかいなかった」。それは常軌を逸したマイクロ・マネジメントと、それが誰のものだろうと未来を創るのに必要な成果は必ず奪い取ってくるのが、ジョブズという経営者の、そしてAppleのやり方だからである。Appleという会社は何があってもジョブズの持つキャパシティよりは大きくならないだろうが、当のジョブズがどこまで大きくなるかはたぶん世界中の誰にも想像がつかない。きっと彼を止められるのは、寿命という名の自然法則だけだろう。

 この本の著者であるヤングとサイモンは、2005年時点のジョブズが目指しているのは「コンピュータ業界の覇権をビル・ゲイツから奪い返すこと」だと指摘している。現実問題としてそんなことが可能かどうかは分からないが、70年代からジョブズの回りを取り巻いている「現実歪曲フィールド」からすれば、それはあながちあり得ない話ではなさそうだ。そして恐ろしいことに彼の回りの現実歪曲フィールドは、時々その歪曲を世界全体に敷衍してしまうことがある。これからも、もしかすると神のいたずらによってそういうことがまた起こるかも知れない。

 現実歪曲フィールドの行き着く先のことは分からないが、少なくとも80年代よりも今の時代のほうが、ジョブズの持つ「マイクロ・マネジメント」の魔法の力が威力を発揮する場が増えているということは事実のような気がする。そしてそのことをジョブズ自身が割とよく分かっているのではないかと思う。

 Appleを、Microsoftのようにロジカルな事業戦略に基づいて動く会社として理解しようとすると、大きく予測を誤ると思う。だが、彼らがたどり着くところは、やはり常にその強みが生きるロジックが存在する場所であることは間違いなく、そしてスティーブ・ジョブズという経営者は、そういう場所を嗅ぎ当てる能力、そこに漂着する運の強さという意味では世界に並ぶ者のない人物でもあると思う。来週のET研では、そうしたことを念頭に置きながら議論に参加してみたい。ご興味のある方はぜひご参加ください。

02:40 午前 書籍・雑誌 コメント (3) トラックバック (5)

2005/11/18

生活保護は国の責任だとか言ってるご都合主義者どもに告ぐ

 三位一体改革で相変わらず霞ヶ関の抵抗というか、握ったひもは死んでも離したくない人たちの思惑が顕わになっていて笑えるわけだが、政府のやり口を批判する側も結局なんだかんだ言って、総論では地方分権に賛成なのだけど各論では反対という、相変わらず知恵の足りない反応しかできないのがなんだかなーと。

 義務教育の国庫負担金は中教審のホゲ答申にへつらって国負担堅持をうたうくせに、生活保護は削減して地方に分権してもいいんじゃね?とかぬかしてる自民党のボケ爺どもはもはや「抵抗」でさえなく「低脳勢力」の一言でほっとくとして、それにしても「生活保護は憲法で保障された最低限のセイフティーネットだから地方分権しちゃいけない」とか、まったく意味のわかんねーことを言ってるのはどこのアホですか。勘弁してください。てか本当に憲法で決まってる国の役割は地方分権しちゃいけないとか言うなら、知事会は自衛隊と米軍の部隊配備計画にいちいちグダグダ口出すなよマジで。国防は国の役目なんだからな。

 とか煽っていてもしょうがないわけなんだけど、さて本題の生活保護の話。まず最初にワタクシのスタンスを。住宅扶助全額、生活扶助と医療扶助は2分の1とかわけわかんねーこと言ってねーで、とっとと全部全額地方に分権しろ厚労省。なんでちょっとずつ中央のひもを残すんだよ。結局またそこで国の言うこと聞かざるを得なくなるじゃねーか。やり口が汚ねーんだよ。これが結論。

 ちなみに、この件についての新聞の社説を見ると「総論賛成、各論反対」の典型。朝日の11/16付け社説は「子育てとか在宅福祉の三位一体はいいけど、生活保護はどうかなー」だって。ヤの字の方々の既得権益だったり耶蘇教の方々の縄張りだったりする生活保護は、見栄えの良い福祉を食い扶持にする左巻きさんたちにとってはうまみが少ないですかそうですか。いやはや大変ですな。

 これに対して読売の11/18付け社説は新自由主義風。「生活保護は地域によって保護対象の実態も違うから、地方の裁量を大きくするのは基本的によろしいんじゃないでしょうか」と言った最後に、「でも支払いはもっと厳正にね!」とチクリ。基本的なところでは異論はないんだけどさ、むしろ生活保護の支出は所得が二極分化する以上は、これから増える一方でしょ、好むと好まざるとにかかわらず。

 ただ、トータルとして「収入が少ないから生きていけない」という人は世の中全体でかなり減ってると思うのだよね。スラドで最近議論になっていたけど、アニメーターとか役者とか建築家とかポスドクとか、アート系の職業というのは常に年収50万とか100万円だったりするわけで、でも裕福な親とかが裏で生活を支えてたりするので生きていけるわけだ。

 こういう、言い方は悪いけど「好き好んで生活保護レベルの水準に生活を落としている」人、企業で言えば「将来が楽しみな赤字」な人と、世の中の何かの間違いで突如貧困に落ちちゃった人や気がついたら隅田川の川縁にたたずんでいた人とかを同じ収入基準で判断して「生活保護」の対象にしようとする方が無茶なわけで。まさに収入基準以外のいろいろな事情というかライフスタイルというかによってその人をどう処遇すべきかというのも変わって当然なんである。

 非常におおざっぱに言うと、首都圏や大阪とそれ以外の地域での生活保護対象というのは、困窮している部分が正反対という意味で本来打つべき手がまったく違うと思う。大都市の生活保護世帯というのは「ホームレス」という言葉が象徴するように、住む場所の確保を巡ってのトラブルにまず直面するわけだ。そしてその状況を食い物にする人々というのも世の中には存在する。

 山谷とかに行って話を聞くとよく分かるが、生活保護でもらったお金を、ホームレスが役所から出てきたところでそっくり全部巻き上げる宿屋(ドヤという)商売が存在する。で、ドヤの回りにはちょうどその日稼いだ日銭で良い具合に飲み食いできる安酒屋がびっちり軒を連ねたりしているわけで、こういう環境に住んでいる限り永久にそこから出られなくなる。結局こういう、地域まるごと生活保護を食い物にして成り立つ「産業」の存在を何とかしない限り、何ともならんのだ。

 一方、地方の生活保護というのは住まいはあるんだけれど仕事が恒常的に、ない。地方はただでさえ仕事がないのに、生活保護受ける世帯とかっていうのは、さまざまな事情があって本当にない。これまでは公共事業がある程度の生活保護的雇用創出を担っていたわけだけど、今や公共事業そのものが減ってるし、その元締めだった組織は完全に既得権益死守にやっきになってるだけだしね。もう悲惨なもんですよ。

 そんなに悲惨な話、全然聞いたこともないだって?そりゃそうでしょうよ、これまでそういうのは国がほとんど財源の面倒を見てくれたし、地方自治体はとにかく悲惨な人たちの集まってるところをなるべく人目に触れない一部のエリアに限定して、世間から隠し通すことだけを考えてきたのだから。そして、政治家も子育てや老人介護は「票」につながるから声高に訴えるけど、生活保護の仕組みの改善や充実なんて票にも何もならないから、とにかく目を背ける。住民も、ホームレスや生活保護の人を集めて収容する施設が自宅のそばにできるというだけで猛反対。結局誰もひたすら目をつぶろうとしてきただけなんだよね。

 で、マスコミもマスコミで、生活保護というと「働けるのにもらってる人がいた」とか不正受給の事例を挙げて非難したり、読売みたいに「支給の審査を厳しくすればいい」とか言ったりするばかりで、生活保護者を食い物にして成り立つ産業の問題点やその解決策について議論しようともしない。平成17年度の一般歳出47兆2800億円、うち社会保障費20兆3000億円のうち、生活保護支出は2兆円を超えますがそれについては見て見ぬふりですか?まったく、社会全体で資本主義の臭いものには蓋をすればいいっていうこの体質、酷いもんだよね。

 問題の根源は、生活保護が単に収入や財産という外形基準だけで受給される制度である限り、その制度を悪用して生活保護者を社会の最低層に閉じこめてロックインするという「生活保護産業」をなくすことはできないし、それを解決しようとする社会的なアクションを起こすきっかけも作れない、ということだ。もっと言えば、読売のこの記事が書いているように、都市部の高齢者世帯においては生活保護が実質的に年金に代わる仕組みになっている以上、この問題は国民年金の未払い率にも無縁じゃない。

 ホームレスの流動性の高い首都圏や近畿圏では、首都圏ならおそらく東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県の1都3県が、包括的な自立支援活動をやっているこういったNPOなどとも共同でホームレス自立支援と都市計画を合わせた広域政策大綱をまとめて実施しなければ問題は解決しないだろうし、地方においては公共事業に頼らない民間主導の雇用創出策とセットで生活保護を考えなければいけないだろう。

 いずれにせよ、「セーフティーネット」というのは、お金の問題ではなく地域社会の問題である。もはやカネをいくらばらまけばいいのかとか、誰がカネをばらまくのかという次元の話ではない。施設整備費を委譲せずに生活保護という「票にならない」カネのやりくりだけを地方に押しつけようとする厚労省のやり口も確かに酷いとは思うけれど、だからといって地方自治体と地域住民が生活保護の抱える問題にこれまでのように無関心を貫いていて良いわけがないのだ。

 というわけで、霞ヶ関の悪口をうそぶきながら「民にできることは民で、地方にできることは地方で」とか偉そうに主張するくせに、生活保護の話になった途端に憲法だとか国の責任だとかごね始める朝日新聞をはじめとするご都合主義者どもは、厚労省の前で豆腐五丁にヘディングして氏んでいただければと存じます。以上よろしく。

09:12 午後 経済・政治・国際 コメント (18) トラックバック (8)

2005/11/12

アップルパイの季節

紅玉煮込み中 秋、と言えば人によっていろいろなものを連想するだろうが、僕の場合はこれ。アップルパイ。秋になると紅玉をたくさん切って適当に砂糖で煮て冷やしておき、好きなときにパイ皮に包んでオーブンで焼くだけでできる。ちょう楽チンなおやつだ。

 季節はちょうどサンクス・ギビング間近。米国では「おふくろの味」と言えばアップルパイのことを指すらしいけど、うちの家も結構それに近いかも。といっても、りんごの皮をむいて煮るところまでは僕の役割なので、子供には「おやじの味」とか覚えてもらいたいですが。

 作り方とかは、まとめるのも馬鹿馬鹿しいぐらい。コツ的なものは特にない。リンゴ切る→砂糖とレモン汁と一緒に煮る→冷やす→買ってきた冷凍パイ皮に包む→卵黄を少し塗ってからオーブンで焼く。こんだけ。

 細かい話をすると、りんごは切ったらほっとくと色が悪くなるので塩水にさらしておきましょうとか、煮終わったところでシナモンを一ふりしておくと大人っぽい味にできるよとか、ちょこちょこあるけど、まあそんなのはどうでもいい。あと、うちはりんごを煮る時もささっと15分ぐらい火にかけて、吹きこぼれそうになったら弱火にしてちょっとかき混ぜて、全体に火が通ったかどうかぐらいのところで止めてしまう(水分を飛ばすために煮詰めない)ので、ちょういい加減。それでもおいしいから問題なし。

ApplePie2 アップルパイについてのうんちくをネットで調べて何かくだくだと書こうかと思ったけど、あまりなかった。てか、料理の話にくだくだうんちく書いてもつまんないし。でもwikipediaを見ると、りんごを砂糖で煮るだけのアップルパイってのは、どうも日本特産のようですね。素材の持つ味を最大限引き出す、これ日本人の基本。欧米のものはもっといろいろ入れたりナツメグ、シナモンたっぷり入れたりするらしい。ナツメグ??うまいのかそれ??よくわからん。

 というわけで、今リンゴ煮ができたところですので、またアップルパイに焼き上がったら写真撮ってアップしたいと思います。皆さんも秋を楽しんでください。

02:21 午後 グルメ・クッキング コメント (8) トラックバック (2)

2005/11/11

見慣れない場所のビジネス

 もう最近カモシカのように寝ても覚めても働きまくっている。なんでカモシカかはよく分からないけど。昨日も一日引き篭もってデスクワークと決めていたのに諸々こなしていたら結局やろうと決めた仕事の半分も終えられなかった。ヤバイ死ぬ。

 でそんな中、オアシスのような「naoyaのダイアリー」の名エントリに噛みついてみる企画。

 最近つくづく思ったのは、ビジネスとゆうのは結局人が簡単に行き来できないところの両側を橋渡しすることなのだなとゆうことだ。当たり前の話なのだがその「簡単に行き来できない」とゆうのは空間的な要素であったり時間的な要素であったり、あるいははたまた技術や心理的な壁だったりする。で、普通の人が越えられないその壁をうまく越えていける道を発見した人は、儲かりますよと。

 重要なのは、その道を発見しただけであったり、あるいは壁を越えて向こう側に行ってしまったきり戻ってこなくなったりしては、そもそもビジネスにならんということだ。壁を越えられた人間は得てして「自分は壁を越えられた」と悦に入ってしまうものだが、悦に入ったところで誰も知ったこっちゃない。

 聞けば「そんなことは当たり前だ」と思うだろうが、これが実際に自分がそうゆう立場に立ってみると、ほとんどの人が悦に入るか、「あっち側に残っている人にはこっちのことは分かってもらえない」とか得意げに憂えてみたりするだけなのだ。いやもう、ほとんどたいていそうである。世の中の人はみんな、君が壁を越えたかどうか、いやそれ以前に自分が壁を越えられるかどうかにさえ、これっぽっちも関心ありませんから!

 壁を越えたいと自覚的に思っているのは君の友だちか取り巻きかそれとも能力がなくてあるいはパージされてヒマになって悪事を成そうとか余計なことを考えたりしている小人、つまりニート、つまり2ちゃんねらだけである。それ以外の人にとっては壁の向こう側にどんな知的刺激があるか、どんな素晴らしい新世界があるかなんて激しくどうでもいい。それよりは毎日こっちの世界で粛々と社畜として食い扶持を稼いであるいはサッカーチームを応援してあるいは食ったものを日々排泄して暮らしていくのに精一杯なのである。壁の向こう側なんて暇人か能力がなくてパージされたやつがたまたまひねり出した妄想の世界だろうぐらいにしか思っていないし実際のところそれは半分ぐらい事実であったりする。

 ビジネスとゆうのはそうゆう人たちにいかに壁を越えることが食い扶持を増やすことや仕事を楽することやサッカーチームの応援以上にわくわくすることや健康的にたくさん食って排泄できることであるかを耳元でささやき、足を1歩伸ばしただけで彼らがナチュラルにスムーズに無意識にまるであたかもずっと昔から自分はそれを当然と思っていたかのように壁をするっと越えさせるようにし向けること、そしてその瞬間にどこかで「ちゃりん」とお金が落ちる音が聞こえてくるような仕組みを設計するところまでのことを言うのである。

 向こう側に行くことが本当のことを知ることであるかあるいは本当に楽しくて面白いことであるか、そんなことは正直どうでもいい。しょせん世の中に「本当のこと」などどこにもないのだし単にこちらの世界にはでっかいぴかぴか光るガラス板だとか灰色の木くずと油の束とかが存在していてそれらが「これが本当だ」とか世の中の人間みんなに向かって日々刻々ささやいているので何となく誰もがそれを本当のことだと信じているだけのことである。

 一方あちらの世界にはそういうぴかぴかしたものが存在しないから真っ暗闇の中で隣にいる人と手を握り合って「君だけは嘘をつかないよね」とか言いながら前に歩いていかなければならないので隣にいる人のしゃべっていることが本当に思えるだけのことである。まあ実際そこで嘘をつくと手をつないでいる人間が両方とも崖から落っこちてしまうので嘘をつかないとゆうだけのことなのだが中には大嘘こきながら手をつないでる人間を全員ありもしない方向に引っ張っていってそこで楽しくキャンプファイヤーとかやったりする人もいて、まあそれも楽しくわいわいやりながら生きていられるとゆう意味では嘘ではないのかもしれないとゆう程度の確からしさしかない。

 要するにいつも目の前にある食い扶持とガラス板や木くずの言うことを信じるだけで生きているという実感を持てるのか、それとも暗闇の中で隣の人と手をつないでいることが生きている実感だと思う人なのかによって生きる場所が違いますねとゆうだけの話であって、どちらが勇気があるとかトンマであるとかゆうようなものでもない。単に人間いろいろ人生いろいろ、価値観の違いの問題だけである。

 ビジネスとゆうのは、その両方を行き来して、たとえばこっち側に居残っている人たちには「世にも奇妙で珍しくわくわくしてためになる話を聞かせてあげますよ」とか言いながら暗闇の中で隣の人から聞こえてきたひそひそ話を適当に面白おかしく脚色して金を取って聞かせ、一方暗闇の世界ではその金を見せびらかしながら「ほらほら、ここでの面白い話をオレに聞かせてくれたらあっち側の世界のローソクが買える金をあげるよ」とか言って適当にキャンプファイヤーでもやりながら人を集めて次の商売のネタを仕入れるとゆう、そうゆうことを言うのである。

 考えてみると簡単なことのように思えるが、これを着実にかつ大規模にやってうまく自分の回りに「ちゃりん」とお金が落ちてくる仕組みを作れる人とゆうのは本当に少ない。日本で言うと孫正義とか。そう考えるとやっぱり孫さんとゆうのは本当にすごい人だ。なんかちっともオチになってないが今ちょうどカモシカ並みの思考力しか残ってないからなのでこれにておしまい。

11:23 午前 ビジネス コメント (6) トラックバック (10)

2005/11/06

やっぱり本命はドコモでしたか

 またまたiPodネタ。この話、いくら書いても面白い。Appleってすごいなあ(笑)。で、日本のカウンターパートが決まりそうな気配。

 NTTドコモ、タワーレコードを傘下に(NIKKEI.NET)

 ドコモが、タワーレコードが米MTSから離脱したときの株主だった日興プリシンパル・インベストメンツから32%の株を買い取り、さらに第三者割当増資も引き受けて40%の株を持つ。これで、タワーレコード(マーケティング)-Napster(システム)-ドコモ(端末、回線)という音楽ネット配信のトライアングルができましたな。ドコモさすが。Apple対抗の日の丸連合の筆頭に浮上でしょう。

 今から思えば、タワーレコードの伏見博之CEOが9月にCNETで「定額ダウンロードし放題」というサービスを米Napsterと始める、と述べていたのは、これが伏線としてあったわけだ。

 100万曲が聞き放題に――タワーレコードがナップスターと組んだ理由(CNET Japan)

 AppleのITMSは、1曲ごとのダウンロード課金方式を採っている。単に音楽を聴く人のビヘイビアを考えた時には、サブスクリプションよりもPPD(Pay per Download)の方がいいのに、なぜ?と思っていた。上の記事で伏見CEOは「音質が向上したら、PPDではダウンロードし直すことができないが、サブスクリプションなら可能」と語っていた。だが、それ以前に聴きもしない音楽に毎月いくら取られるということ自体にユーザーの感じる抵抗感の方が大きいはずだ。

 とすれば、サブスクリプションで音楽サービスを購入する顧客というのはかなり限られる。タワーはわざわざ自分からユーザー層を絞り込むようなことをどうしてするのかと訝しく思っていたが、これで謎が解けた。課金はドコモのシステムを丸ごと利用するつもりだったのだ。だから携帯電話料金の請求と一緒にサブスクリプションにした方が、ユーザーにとって抵抗感が少なくて良いということだったのだ。納得。

 国内だけ見たら、この勝負ドコモに結構分があるかもと思う。まず、端末をばらまく能力で言ったら、ドコモはAppleの比じゃない。携帯電話機能をつければ通信回線のチャージが別立てで可能だから、イニシャルの端末価格はAppleより安くできる。

 iTunesの役割を果たすソフトウェアは、タワーレコードと提携した米Napsterが提供する。そしてその上でレコード会社をまとめ、ネットに音源を載せてマーケティングするのはタワーレコードがやるだろう。あとは、PC上のNapsterとドコモの携帯端末をうまく結ぶ組み込みソフトだけ作ればいい。ここはNapsterの「Napster To Go」というサービスが既にあるから、それをうまく携帯に組み込むよう、ドコモが端末メーカーに投げればいいことで、というか既にそういう発注は行ってるだろうな、一部のメーカーには。

 問題は、PCとつないで音源を転送できる便利なインターフェースのある携帯端末ができるかどうか。ドコモは本当はFOMAでネットから直接音源をダウンロードしてほしいと思ってるかもしれないが、アルバムまとめて大人買いみたいなニーズはFOMAの回線ではiモード料金が恐ろしくてできない。当面はPC経由のダウンロードを優先し、携帯端末のPCとのコネクティビティの向上に神経を集中してほしいところ。あと、細かいところで言うと、会社と自宅の両方で充電できるクレードルのようなアクセサリとかも欲しいね。

 iPod nano並みのメモリを積んでiPod nano並みにカッコイイ音楽端末携帯がドコモから出てきてくれるとかなり嬉しいのだが、たぶん最大の課題はそこだろうなー。現時点でドコモの端末メーカーでデザイン力が一番あるのはソニエリだと思うのだが、彼らは親会社の意向もあるし、激しく嫌がりそう。そうすると松下か三菱あたりに期待ってことになるのかな。松下のデザイナー、がんばって!

09:55 午前 メディアとネット コメント (16) トラックバック (20)

2005/11/01

サルかゴリラになった気分でした。

 政治の話のプライオリティというのは難しいものである。そして、この場ではプライオリティが高いものは何で、低いものは何という行司をやる人間がいなければ、議論を建設的な方向にファシリテートすることはできない。今日(昨日)の民主党ブロガー懇談会で一番強く感じたのはこれ。

 前原代表ほか民主党側の面々はと言えば、正直「ブロガーとはどのような人種なのか」というのを、興味津々で見に来ていた、というのが正確なところではないかと思われる。なんだか動物園のサルとかゴリラになった気分。で、いきなり最初に泉あい氏が「ここの人たち、ほとんど全員初顔合わせなんです!前原さんに会うより、ブロガー同士会うことのほうが緊張してます!」とか言っちゃうし(笑)、小飼氏やBigBang氏あたりからはWeb2.0的な発言がバンバン出るものだから、もう全員目を白黒。トホホ。みんな、もうちょっと優しくしてあげようよ。

(11/1 9:40追記:GripBlogの報告エントリのコメント欄に、細野豪志役員室長が降臨。キタ━━━━(゜∀゜)━━━━ !!!!!てか、もうブログやってるんじゃん、豪ちゃん・笑)

 僕も一応質問らしきものは2~3個用意していったのだけれど、ブロガー側の面々のはしゃぎっぷりを見てこれは突っ込んだ質疑応答には到底ならないなと察知し、即座に記録係に変身。黙々とノートパソコンのキーボードを叩きながら、民主党とブロガーの話のかみ合わなさを見物することに決めた。ま、速記録をアップしたので多少は泉氏にお呼ばれしただけのお役目は果たせたかと思ったり。しかし、個人的には内心結構白けモードでした。ええ。

 んでもって以下、帰り道でつらつらと考えたこと。

 率直に言って、民主党の首脳陣が「与党に衆院で320議席取られたこと」の現実をどの程度リアルに認識しているかということに対して、懸念を禁じ得なかった。比例代表の得票数を見れば前回参院選と大して変わらないと言い張るのかも知れないが、3分の2は3分の2である。国会内でどんなに泣いても喚いても、少なくとも衆議院内で民主党は「要らない」と言われているのと同じであり、また参議院は議会の存在ごと「要らない」と言われているのも同然なのである。この事実の受け止めが、できているのかどうか。話を聞いていて分からなくなった。

 もちろん国会対策は重要だ。しかし自民党からすれば、民主党の対案など「まったく耳を貸さないのもかわいそうだから話ぐらいは聞いてやる」程度の意味しかないのだ。こんなところで正面から戦っていて、何かが得られるわけもない。であれば国会という正面作戦を撤回せよ。あとは遊撃戦あるのみである。つまり、毛沢東を見習え。

「戦略の本質――戦史に学ぶ逆転のリーダーシップ」 民主党にとって「ネット」こそ、現代の日本における井崗山(毛沢東率いる紅軍が国民政府に破れて逃げ込んだ山岳地帯)だと思う。国会をほったらかしても、とまでは言わないまでも、ちょっとはインターネットにいる「ブロガー」とかいうプロレタリア農民とともに、小飼氏の言うような「戦線との距離の格段に短い兵站基地」を築いてみようとか思わないのか。

 とか何とか書いてると、だんだん頭が痛くめんどくさくなってきた。続きは野中郁次郎ほか著『戦略の本質――戦史に学ぶ逆転のリーダーシップ』、これちゃんと読んでください。一応、毛沢東の戦略とリーダーシップが分かりやすく書いてありますから。いや、あの、課題図書っていうのは、みんす党の方々への、って意味だったんですが。うーん、通じてなかったかなあ。トホホ。

01:00 午前 経済・政治・国際 コメント (4) トラックバック (16)