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2005/08/31

コピペレポート論議で思う大学教育の価値軸

 加野瀬さんのところ(ARTIFACT@ハテナ系)で、大学生のコピペレポートのことが盛り上がっている。

 大学のレポートのコピペ問題(8/28)
 レポートコピペする大学生は何のために大学行ってるんだろうか?(8/29)
 丸写しレポートとの戦い(8/30)

 コメント欄での議論も含めて非常に面白い。高等教育という権威が崩壊する過程の阿鼻叫喚を見るようだ、という意味で。特に、紹介されていた「ハッピーキャンパス」というサイトがあり、のぞいてみてびっくりした。凄いクオリティの膨大な量のレポート、論文が共有用に公開されてる。僕が大学生の時にこんなものがあったらもっと楽に(以下略)。

 冗談はさておき、そのエントリからのリンク先やコメント欄にコメントを寄せている大学の先生たちのとらえ方に、僕としてはやや違和感を感じる。

 「大学生のレベルなんて所詮どこかの他人が言ったことを引用するしかないんだし、コピペそのものはしょうがない」とか言ってる人がいるが、そりゃ個々の学問分野のヒエラルキーの中の話ではそうだけれどもさ、そもそも学問のヒエラルキーの中に位置づけてもらいたいとも思ってない学生たちにとっては、コピペする時にそんな言い訳じみた意識さえ持ってないと思うよ。完全に大学教員のマスタベーションですな。

 コメント欄のコメントを見ると、そのへんの教員と学生の根本的な意識ギャップが見えてくる。以下、コメント欄から一部引用。

ブラウザの印刷機能を使って、ボタンとかまで印刷されたものを出してくる人もいるんですって(実話)。ちなみに、ネット上にある私の文章を印刷して、私に対してレポートとして提出した人もいます(これも実話)。著者名を見なかったのか?あるいは教師の名前を知らなかったのか?(sarutora氏)

 「バレるって気付かないのか?」という疑問も以前はあったのですが、むしろタダのコピペをレポートとして提出することが悪いことであるという認識がそもそもないのであろうと思っています(webページを見せられて「これをコピペして提出すればいいですよね」と真顔で問われた経験もあります)。(jmk氏)

 まあ、そういうことですよ。他人の文章をそのまま提出するということがいいかどうかという常識以前に、学校の「知」というものに対する方法論がまるで違うと思った方がいい。正確に言えば「知」に対する認識自体は一致していて、だからこそそうなるのだ。

 既存の高等教育における「知」とは、ぶっちゃけて言えば「何を」知っているかで評価されるものだ。もちろん、新しい事実や知見を見つけることがもっとも評価されるわけだが、何が新しいかは過去のさまざまな学者の積み上げた「知」を知らなければ分からないので、結局は過去の「知」の蓄積をどれだけ広く知っているかが評価のベースになる。

 そしてそれを知るためには「本」という紙の束を延々とかき集めて読みまくるしかなかった。紙の論文の世界は、少なくとも「いつ書かれたか」のタイムスタンプが物理的に判別できるので時間的な前後から知見の「オリジナリティ」を決めることが可能だ。また、その論文がどこか別の紙から引き写されたかどうかを示すルールも厳密に決まっているので、ある知見や事実の「オリジナル」がどこにあるか、遡及して真偽を確認することもできる。そして、これまでの世の中は「紙こそがオリジナル、デジタルは真偽・時間ともに不明のコピー」というアカデミズムの価値観を追認してきた。

 ところが、今大学生の人たちというのは、ものごころついた時にはWindows95があり、中高生の時には授業そっちのけで携帯メールをバンバン飛ばし、ニュースは新聞より先に2ちゃんのニュー速で読んでいたら、雑誌や新聞に「インターネットの某掲示板によれば」とか言いながらまとめ記事が掲載されてた、みたいな人が多いんじゃないか。

 つまり、ディスプレーに表示される情報の方が紙よりも「早く」て「オリジナル」な時代に生きてきた人たちにとってみれば、「何を」で定義されるような「知」というのはほとんどの場合Google先生が知っているのであり、世界で最も物知りな「知の権威」とはGoogle先生にほかならない。

 言い換えれば、Google先生に対してどう質問するか(=検索ワードをどう選ぶか)こそが、「何を」知ることができるかの決め手となる技能だっていう理解なんじゃないのかな。だからこそ、彼らは検索した結果を「自分の能力の証明」としてそのままプリントアウトして提出してくるのだ。ここで問われているのは、そういう課題を出す大学の教員の質とか他人のウェブサイトをそのままプリントアウトする学生の質とかそういうことではなく、大学教育という「知」のヒエラルキーの価値軸の問題だと思う。

 そういえば、似たようなことを半年ぐらい前にも議論していたような気がする。とある人と社会人教育のある分野について話していた時に、「その分野の人たちは自分たちのやっていることについて今さら大学の先生に何か教わりたいとは思ってないんですよ。だって自分はそれなりにやってきたという自負があるから」っていう話になって、それを教えてくれた人はアカデミズムに片足突っ込んでいることもあってたいそう憤っていたが、僕から見ると「そりゃ当然だろ」って思えた。

 だって、今の大学が教えてくれることって所詮は知識の量に過ぎないのであって、それを知ったからといって学問のヒエラルキーの中でより上位に位置づけられる以外の意味なんて、別にないわけだからねえ。大学に認められてハクをつけたいと思う人はともかく、そういうニーズを全然感じない人に向かって何を言っても、無駄だ罠。

 今の大学生も含めて、高等教育機関で学ぶ「知」の評価軸をどうするかっていうのは、これから結構深刻な問題になると思うよ。たぶんこれまでの議論を見るに、2つの方向性があると思う。

 1つは「大学にハクをつけてもらいたいと思う人をたくさん集める」、つまり既存のアカデミズムの共同幻想をなるべくたくさんの人に植え付ける、あるいはそういう幻想を持ちつづけてくれる人たちの中で圧倒的なブランドを持つようにマーケティングすること。これはたぶん内田樹センセイなども含めて、人文系の学者が目指すべき方向性だろう。市場全体の縮小傾向は避けられないかもしれないが、その中で生き残りを目指すという戦略である。

 もう1つは教育機関自身がこれまでの「知」の定義を変えて、Google先生が一番偉いという評価軸を別の評価軸にすり替えることだ。ぶっちゃけ、「たくさんのことを知っている」「オリジナルを知っている」こと自体には積極的な価値を認めず、「自分で考えられる」とか「強い意志を持つ」とか、Google先生に勝てそうな別の何かを価値軸にし、それを評価できるような仕組みや学習の体系を作るという戦略だ。

 これは既存の学問体系を、全部とは言わないまでもかなり否定してしまうことになるので結構大変なことではある。だが、社会学系の学問分野の人たちは、「実学」を掲げる以上、ある程度こちらの戦略をミックスしてお客様たる学生に訴えていかざるを得ないんじゃないかな。

 ぶっちゃけ、やっている教育がどこまでの「高等教育」なのかっていう問題にもなってくるのだけれど、本来自分の頭で考えたことをロジカルに組み立てて他人に分かってもらえるように表現するっていう作業は、教育を受ける中で一番ベースの能力として教えてもらわなきゃいけないものでしょう。だとしたら、レポートの書き方というか、自分の頭を使って文章を書く方法ぐらい、レポート課題を課す前にこってり教えればいいのにね。

 他人に理解してもらえる文章を書くことなんて、もちろんどういう分野のどんなレベルの内容かにもよるけれど、1年間訓練すれば相当のことができるようになると思う。僕も、自分の文章力ってもちろん記者時代に培われたっていうのもあるけど、それ以前に中学校の国語のクラスで毎回最初の5分間、与えられたテーマについて考えたことを200字で書く「5分間作文」をやらされ続けたことがベースになっていると思うし。

 携帯メール以上の長文を書いたことのない学生に「1600字程度でレポートを提出せよ」っていきなり言ったって、できるわけないんだから。大学でそのくらいのこと、教えてあげればいいんじゃない?社会に出て一番役に立つのって、どんな内容もそれぐらいの字数できちんとオチまで付けて述べられる論理構成力と表現力だと思うんだけどね。

06:17 午後 学問・資格 コメント (36) トラックバック (22)

2005/08/30

「ふるさと」という贅沢

sakana 夏休み最後の週末は更新をgoo選挙特集の方にお任せして、お金持ちな某氏のお招きにあずかって僻地へと遠征しておりました。データ通信カードのPHSどころか、携帯電話も通じない。東京からたった1時間のところにこんなすげえ僻地があるのか。もう、焦る焦る。完全にネットワーク中毒者でございます。

 で、そこでバーベキューと相成ったわけだが、表に出てビールとか飲んでると、横にたまごの形をした巨大なかまどがプスプスと煙を上げている。「何焼いてるんですか?」と聞くと、中を見せてもらってびっくり。70~80センチはあろうかという巨大な魚を2匹も丸焼きしている。

 うひゃーこれが今日のメインディッシュ?とか思っていたら、違った。魚は前菜、メインディッシュは和牛のサーロインステーキでした。これがまた何枚も、次から次へと出てくる。食べきれねえええええ。

 さっすがお金持ちは違うねー、とか思っていたんだけど、聞いてみたら魚も肉も、地元の漁師さんとか昔ながらの肉屋さんとかから格安でいただいたものらしい。確かにゴージャスなんだけど、別に贅沢しようとしてそうなったわけではなく、普通に「お客さんが来るんで、おいしい食材を」と地元の知り合いに頼んだら手に入った、ということのようだ。最後に出てきたおにぎりも、聞いてみたらやっぱり地元産の新米に、自家製の梅干しを握ったものだった。

 そうなんだよね。本当の贅沢っていうのは、別に難しいことじゃないんだな。東京のど真ん中にいるとどうしても難しいけれど、田舎でその土地で取れた旬の食べ物を、人づてにタダみたいな値段で買って来て食べていれば、それって十分贅沢なんだと思うのだよね。

 前に親しくさせてもらっていたあるコンサルタントの人が引退して、「これからどうされるんですか」って尋ねたら、山陰地方の水のきれいなコメどころに第2の居宅を構えることに決めたと言われた。「米と野菜がうまいところに居れば、生活費もかからないしそれ以上何も要らないよ」というのがその人の言い分だった。

 僕自身は、東京ではないけれど都会生まれの都会育ちなので、生まれてこの方「ふるさと」というのを持ったことがない。結婚したカミサンも、「ふるさと」の田舎はあることにはあるが、盆暮れに里帰りするような習慣はなかった。お盆に周囲の人が里帰りしているのを見ると少しうらやましくなる。

 個人的には、人生の次の目標っていうのは、40歳か50歳ぐらいまでに、くだんのコンサルタント氏のように気が向いた時に里帰りできておいしいものを食べられる快適な「ふるさと」を持つことかなあ。といっても、そんなもんどうやって持てばいいのか皆目わからんのだけど。これから時間をかけて、少しずつ調べてみようかな。

 というようなことを考えながらおにぎりを頬張りつつ、梅干しの漬け方談義に花を咲かせた楽しい週末でした。

04:57 午後 日記・コラム・つぶやき コメント (10) トラックバック (2)

2005/08/27

【速報】自民党、ブロガー巻き込み戦術を加速

 世耕弘成議員のブログの8月26日のエントリに、「民主党との若手議員討論会に、先日お招きしたブロガー、メルマガ作者もご招待する」とのくだりが。

 そっか、なるほどね。29日の党首討論会は日本記者クラブの主催でブロガーは会場に入れられないから、ブロガーを入れるためにそれとは別の若手議員討論会を提案したっていうわけか(ウソ)。

 しかし今度はマスコミ記者と並んでの取材になるわけだ。ブロガーとマスコミの熾烈な情報戦が始まる!なんてね。

 それにしても、自民党の熱意は買うけれど、しかしあのセレクトはどうよ。政治系のネタへのツッコミが得意なブロガー(gori氏、mumur氏など)や、速報ニュースやインタビュー系に強いブロガー(コグレマサト氏@ネタフル、松永氏@ことのは、渡辺聡氏@情報化社会など)が入ってないから、全然つまんない。ブログ開いているっていうだけで、1ヶ月以上更新してないようなベンチャーの社長とかも呼ばれてたし。なんじゃありゃ。

 ただし、日本のブロガーって1次情報としてのインタビュー記事をブログにあまり載せないからねー。正面からそれに延々と取り組んでるのって、今のところGripBlogの泉あい氏だけかもしれないな。実際、インタビュー記事って読まれないんだよね、ブログでは。僕も去年(前身のブログのときに)ちょっと載せてみたけど、まったくPV取れなかった。

 だけどそろそろそういう壁も、あえて破っていかないといけないのかも。思ったことだけを書くというスタンスから、他人から聞いた話を書くっていう、「自分を一歩下がったところに置いて語れる」テクニックを持ったブロガーも、少しずつ増えてこないといけないね。

 あと、自民党もさ、ペンネームやハンドル名のブロガーにも、連絡とって身元調べてから招くぐらいのことやった方がいいよ。いや、別に僕を呼んでくれって言ってるわけじゃないんだけど、そういう人にもスポット当てていかないと個人名で政治ネタ書けるほどのリスク取れる人なんて、限られちゃうと思うからさ。市民からの声を拾いたいなら、そのくらいの労は厭わないようにしないと。

 あー、また釣られて政治ネタ書いちゃった。今度こそ本当にもう止めるぞ。おしまい。

09:12 午後 経済・政治・国際 コメント (5) トラックバック (10)

総選挙はブログをどう変えるか

 というタイトルにでもすべきだったかな。gooのニュースサイトに、今回の衆院選に至るまでの日本の選挙マーケティングの流れについての分析を、特別寄稿しました。ご覧ください。

 ブログは選挙マーケティングの何を変えたか(gooブログ 特設:2005年衆議院選挙)

 これから週末~週明けの3日間にわたって連載してくれるそうです。すっげえ長い原稿だった。もう、しばらく政治の話は書くの、やめよう。疲れた。(8/31追記:前編中編後編へのリンクを張っておきます)

 ま、端的に結論を言っちゃうと、自民党は魚鱗の陣、民主党は鶴翼の陣なんだよね、今回の選挙に関しては。そしてそれのどっちが有利かは、結構一目瞭然なのかもね、と。

 こうなる前に、民主党には先手を打っておいてもらいたかったと、個人的には思います。2000年に「小泉メルマガ」が出て、あれだけ話題になったんだから、タイミングを見計らって「岡田ブログ」とかぶち上げれば良かったのにね、民主党。

 今さら繰り言を言っても仕方ない。賽はもう振られた。とにかく全力で戦わなくちゃ。では、がんばってください>各党候補者の皆様

02:54 午後 ウェブログ・ココログ関連 コメント (4) トラックバック (8)

2005/08/25

自民党がブロガーを集めて会見するだって?!

 すごい。今日夜7時から、自民党がブロガーを集めて懇談会を開くそうだ。

 緊急!!自民党 武部幹事長、安倍幹事長代理への質問募集(Grip Blog)

 出席者は武部勤幹事長、安倍晋三幹事長代理。おそらく世耕弘成広報対策本部長代理も出てくるだろう。自民党の選挙対策の幹部が勢揃いである。すごい。というか、平河クラブ(自民党内の記者クラブ)の頭越しに、こんなことして大丈夫なのだろうか。まあ、米国みたいに、マスコミと同じ記者会見会場にブロガーを入れたわけじゃないからいいのか。それにしても戦々恐々としてるだろうなあ、記者連中は。

 で、今日の15時までという期限で、出席する泉あいさんが読者から質問を募集している。コメント欄に続々と質問が集まっているようだが、ざっと見たところ靖国とか世襲の話とか、記者クラブの番記者がするよりはるかにくだらない質問ばかりが集まっているようだ。

 ブロガーといってもその程度か、と見くびられるのも悔しいので、泉さんに向けて僕の思うところを述べて、トラックバックしておこうと思う。

 まず、出席者が小泉首相ではなく、武部-安倍という、選挙対策の司令塔の2人であるというところがポイントである。自民党の政策については、これまで国会での審議も含めて無数の想定問答が作られてきているはずだし、たかが1~2時間の会見で2~3問しか質問をぶつけるチャンスがないのに、そんな質問をしたところで通りいっぺんの返事が返ってくるだけだ。彼らもブロガーに党の政策転換や新見解などリークするわけがない。

 僕なら、質問する内容は、彼らの今の仕事つまり今回の衆院選の選挙対策の基本方針に絞るべきだと思う。郵政反対派への対抗馬擁立なんて、マスコミがさんざん騒いで取材しているのだから、今さらどうでもいい。尋ねるべきポイントはズバリ、ブログとメディアについて、どのような戦略を持っているのか?ここである。以下、質問例。

  • なぜ、ブロガーを集めて懇談会を開こうと考えたのか?その動機、意図は?
  • ブロガーといっても、日本には今ブログを書いている人口が100万人以上いると言われる。先日の解散について言及したブログの数だけ見ても、2万以上はあるだろう。その中からどのようにして会見に呼ぶブロガーを決めたのか?
  • 世耕広報本部長代理は、ブログで自民党のメディア・コミュニケーション対策を日々公開している。なぜ小泉首相や安倍幹事長代理といった「自民党の顔」ではなく、広報対策本部長代理という「裏方」の活動をブログで公開しているのか?
  • 自民党の新顔候補者の中にも、ブログで日々の活動報告をアップしている人が27人もいる(無所属の堀江貴文氏を入れると28、ちなみに民主党候補者のブログは44:政治家ブログ“ele-log”調べ)。こうした活動は、自民党広報対策本部としてある程度積極的に推奨しているものなのか?
  • 前の質問に関連して。もし候補者にブログ活用を推奨しているとしたら、選挙対策本部としてどんな話題をどのように書けといった活用のガイドラインなどを与えているか?あればその内容を教えてほしい。
  • 世の中のブロガーが選挙や政治についてのコメントを書いて発表することについて、自民党としてはどのようなマーケティング効果を期待しているのか?マスメディアに対してブログ・メディアとの距離を縮めるメリットとは何だと思うか?
 あまりたくさん書きすぎるのも何だからこのあたりでとどめておく。

 僕が言いたいことは、ブログと選挙コミュニケーション戦略の関わりについての自民党の見解を、なるべくたくさん引き出してほしいということだ。この手の話は、マスコミの既得権侵害にあたるので、とにかくストレートな検証記事は出てきにくい。しかし、本来こういう話こそが、「ブログ総選挙」とも言われる2005年の衆院議員選挙の記録として残されるべきであると僕は思う。

 ブロガー会見での泉あいさん他のブロガー諸賢の健闘に、大いに期待したい。

11:10 午前 経済・政治・国際 コメント (18) トラックバック (19)

2005/08/20

政治家ホリエモンをなめてはいけない

 日本一敵の多い男ホリエモンが、日本一怖いしずかちゃんこと亀井静香氏と正面衝突することになったというので、「もっとやれぇ」というプロレスのリングサイド的な声援あり、「有権者をなめてるのか」というため息ありと、ブログ界の反応もさまざまなようだ。「お前ならどう思うよ?」というトラックバックもいただいた。

 かくいう僕も、これが自分の選挙区じゃないから「もっとやれぇ」とか心の中で思っているが、自分の選挙区だったらどうかなと思うとかなりビミョー。でも2人がいっぺんに見られるターミナル駅前での演説会とかあったら、絶対万難を排して見に行っちゃうだろうな。

 だって、選挙演説というのはテレビでも党首や3役クラスの政治家のはさすがにちょろっと放映するけれど、政治的公正を保つために基本的にはほとんど電波に乗らない。自分の目でナマを見なければ心ゆくまで鑑賞できない、今や数少ない「ハードルの高い娯楽」なのである。

 選挙演説を娯楽などというと「不謹慎」と思われる方もいるかも知れないが、この娯楽性はギリシア・ローマ時代からの由緒あるものだ。不謹慎でも何でもない。我ら大衆にはそれを楽しむ権利がある。

 …と、大上段にかぶったところでホリエモン話に戻る。

 まず、「報道機関の長が選挙に出るってどうよ?」というめたか氏の話だが、僕は「いいんじゃないの、 別に」と思う。表に出てくるだけ大した度胸だ。昔から選挙の裏で報道機関と政治家がどう離合集散してるかなんてのは、表に出てこないだけでいくらでもある話だ。

 むしろ僕は、急成長中のベンチャー企業の社長が選挙なんか出て会社傾かないか?という方が心配だ。ま、本人が大丈夫と言ってるならそうかもしれないし、よく分からない。

 というかそういうことよりも、亀井静香の妙な自信の方が気になる。asahi.comの記事「『堀江さんは戦いやすい。粉砕する』 強気の亀井静香氏」によると、

 国民新党の亀井静香前衆院議員は19日、朝日新聞のインタビューに答えた。自身が立候補予定の衆院広島6区にライブドアの堀江貴文社長が立候補することについて、「堀江さんの経営姿勢は、強者が弱者をむさぼるという小泉さんの経済政策と一致する。そういう意味では選挙戦を戦いやすい。(選挙という)入り口で粉砕するしかない」と述べ、対抗意識をむき出しにした。
 だそうな。

 まあ、吠えるのは勝手だけれどね、ホリエモンをあまり見くびると大変だよ。既に今朝のフジテレビの番組でカメラ中継でバトルやったみたいだけど。

 僕は別にホリエモン支持するわけでもないけど、亀井氏はホリエモンの演説、聞いたことあるんかな?今年5月の連休に、「ラジオ版・週刊!木村剛」でホリエモンと山本一太参院議員が出演してしゃべってるの、一度聞いてみるといいよ。

 彼のしゃべりって、特に僕ら若い世代にとっては、何というか有無を言わさない説得力があるんだよね。文字におこして過去の発言と比べたり、ロジックをよくよく吟味してみたりするとおかしいところも見つかるけれど、演説聞いてる人っていちいちそんなことしないしね。まさに「書き言葉(langueecriture)」ではなく「話し言葉(parole)」として発言を聞くから、しゃべりとしての説得力がある方が勝ちなんだよな。

 で、残念ながら亀井静香ってそういうところが滅法弱いんだよね。以前に小泉とかと一緒に総裁選挙に出たときに、有楽町の外国人記者クラブで記者会見に臨んだんだけど、記者が首をかしげるようなとんちんかんなロジックでものを言おうとするんだよね。しかも喩えとかがオヤジくさくて下品。

 政治ってのは、つまるところ「言葉(parole)」と「偶像(icon)」の力の勝負だからねえ。あいにくとホリエモンって、この両方とも強烈に持ってる。いわゆる「オーラ」が出てるタイプ。少なくとも、プロの政治家としてなめてかかっていい相手ではないと思う。

 でも亀井って長らく地元の支持団体と寝技系でつき合って当選してきたタイプなんだろうな。それもそれで大事なんだろうけれど、政治の本質みたいなところを見落としてホリエモンを見くびっているとしたら、しっぺ返しが大きい気もするなあ。

 あまり政治の中身の話には立ち入りたくないので、とりあえずホリエモン出馬についての感想だけ。では。

01:43 午後 経済・政治・国際 コメント (33) トラックバック (32)

2005/08/18

書評:「中村邦夫 『幸之助神話』を壊した男」

中村邦夫 『幸之助神話』を壊した男 7月末から8月のお盆にかけて、夏休みの読書と思って4冊ぐらい本を読んだ。その中の1冊を、ご紹介しておこう。「中村邦夫 『幸之助神話』を壊した男」(森一夫著・日本経済新聞社)である。内容についてはここではとやかく紹介しない。リンク先のアマゾンのエディターズ・レビューでも読んで下さい。全然エディターズ・レビューになっていないというか、単に内容を要約しているだけの記事なので。

 実は僕自身、かつての記者時代に松下電器の「創生21」改革やその前史については相当深く取材したことがあり、中村社長を始めこの本の中に登場する過去・現在の松下電器グループの経営トップの方々の多くとも1度どころか何度も実際にお会いしてお話しさせていただいていたので、正直なところこの本に書いてあることの半分以上は既知の話だった。

 しかし、その僕にとってもこの本はものすごくためになったと思う。それは、おそらく著者の森一夫氏が、この本を通じて「企業にとって戦略とは何か」ということを問い続けているからだ。実はこのこと自体が、いかにこの本に書かれている事実のほとんどを知っていたとしても、この本を一度は読む価値があると言い切れる最大の理由である。

 そして、著者が「経営戦略とは何なのか」ということを考え続けたということこそが、まさにこの本の主題である「中村邦夫とはいかなる経営者なのか」というテーマに対する答えでもある。それほど、中村邦夫という経営者は、周囲にいる者に「戦略とは何か」を考えさせる経営者なのだ。

 なぜだろうか。僕らは普通、明快な経営戦略とは、社員や取引先、顧客の誰にでも分かる明快なビジョン(理念)を打ち立てるところから出発する、と思っているからだ。その典型が、まさに松下幸之助であった、と森氏は言う。

 よく知られているとおり、幸之助は、家が没落したために小学校を中退し、火鉢店と自転車店の丁稚から身を興した苦労人である。だが、たたき上げの経営者には珍しく、原理原則を非常に重視した。
 (中略)著書『実戦経営哲学』(PHP研究所)の冒頭に「まず経営理念を確立すること」と書いている。「『この会社は何のために存在しているのか。この経営をどういう目的で、またどのようなやり方で行っていくのか』という点について、しっかりとした基本の考え方を持つ」ことから始めなければ、経営の健全な発展はないと言っている。
 (中略)創業から11年目の1929年(昭和四年)に「綱領」と「信条」を作る。(中略)どちらも、いかにもクラシックな社是社訓という趣で、読み方によっては単なるきれいごとに聞こえる。しかし、当時三四歳の中小企業の経営者が日々の仕事に追われながら、「社会正義」や「社会生活の改善」などを考えていたとは驚きである。
 そして、経営思想家たる松下幸之助が唱えたこの経営哲学は、日本中どんな中小企業に行っても「社是」「経営理念」といったものが額に入って社長室の壁に飾られているという、今の日本の姿を生んだ。

 しかし、中村邦夫という経営者が真にイノベーティブだった、もう少しひねて言えば「イノベーティブたらざるを得なかった」のは、まさにこの「スーパー常識」を、根本から覆したところにある。

 2000年6月に社長に就任した中村が、その経営改革「創生21」の最初に発したメッセージとは「創業者の経営理念以外には聖域を設けず、破壊と創造を徹底的に進める」だった。しかし、実際に中村が「21世紀に引き継ぐべき創業者の理念」として示した言葉は、わずか3つである。その3つとは「日に新た(常に革新的であれ)」、「企業は公器なり(すべての経営資源を効率的に使え)」、そして「企業は顧客のためにある(顧客中心主義)」だ。

 しかしよく考えてみれば、この3つは株式を上場している企業であればどんな企業にも言える原則だ。資本主義市場における株式会社の生存法則といってもいい。ぶっちゃけ「企業なんだから当たり前だろ、んなこと」のレベルの話であって、企業理念でもビジョンでも何でもない。これ以外全部変えていいというのは、つまりは文字通り「すべてまっさら」と言っているのと同じである。「まずしっかりとした経営理念を確立すること」と説いた幸之助の経営哲学に、根本から逆らっている。

 中村がなぜこのようなことをしたのか。森氏は、その原点が中村の87年から97年まで約10年間の海外勤務経験、なかんずくその時に目の当たりにしたIBMのドラスティックな変革にあるのではないかとしている。以下、再び引用。

巨象も踊る 93年、コンピューター業界の巨人として長いあいだ高収益を謳歌してきたIBMは、経営再建のためRJRナビスコのCEO(最高経営責任者)だったルイス・ガースナーを、会長兼CEOに迎えた。期せずして、松下の社長が谷井から森下に代わったのとほぼ同時である。日米両国を代表する企業のビジネスモデルがそろって時代遅れであることを告げる、象徴的な出来事だった。
 ガースナーは、最初の記者会見で興味深い発言をしている。著書の『巨象も踊る』(山岡洋一・高遠裕子訳、日本経済新聞社)によると、「皆さんに申し上げたいのは、今のIBMにもっとも必要ないもの、それがビジョンだということだ」と言って記者たちを戸惑わせた。
 「今最優先すべきは収益性の回復だ。会社のビジョンを掲げるのであれば、その最初の項目は、利益を出して、収益を回復することにすべきだ」。御託を並べているときではない。「ほんとうの問題は、市場に出ていき、市場で日々行動を起こすことだ」
 これらの言葉は、松下にもそっくりそのまま当てはまる。
 7年遅れて、中村はガースナーと同じことを松下に対して言ったのではないか。「ビジョンなど要らない。御託を並べる暇があったら、収益を回復すべし」と。

 「まず経営理念あるべし」という、松下幸之助によって打ち立てられた20世紀企業経営の「鉄の常識」は、ガースナーによって疑われ、中村邦夫という経営者によって完全に覆された。これは実はかなりショッキングな事実だと僕は思う。もし、企業の戦略が経営理念やビジョンから演繹されて出てこない(少なくとも、そんなものから演繹されるような戦略はクソなのだ)とすれば、我々は次に「いったい経営戦略とはどのように構造的に構築されるのか?戦略とは何か?」という、経営学の難問にゼロから答えなければならなくなるからだ。

 では、この本の中で「戦略とは何なのか」という疑問に対する答えは、どのように出されているのだろうか。これまた非常に意味深な中村語録が紹介されている。三度、引用。

 中村は2005年の社内での年頭の挨拶で、厳しい生存競争を予想して、「高いシェアを獲得して生き残りを賭ける競争と、それまでの局面を一手でひっくり返すオセロゲーム型競争が同時に起こっている」という認識を語っている。オセロゲームでは、たくさん石を並べても、打ち方を誤ると敵の石に両端を挟まれ、大量の石が一気にひっくり返され敵方の石になってしまう。最近の競争は、たしかにそれに似ている。
 石全体のつながりを読みながらどこに石を置くのかが、きわめて重要なのだ。中村を見ていると、非常に戦略的に判断して手を打っていることがわかる。「エンパワーメント」を鼓吹し、組織戦略に重点を置いているようでいて、ここぞというときは自ら果断に動く。
 そしてこの後、社長就任後数ヶ月経った頃に敗退寸前のデジタルスチルカメラ市場への再挑戦を指示したエピソードが続く。

 事業部制の時代には、個々の事業には「売上高を伸ばし、収益を上げること」という意味しかなかった。松下のデジタルカメラ再参入の背景には、SDメモリーカードのネットワークでデジタル家電分野をどれだけ包囲するかという、一段上の戦略的意義が与えられている。

 こうしたネットワーク外部性を前提とした製品戦略、あるいは技術経営戦略を考えれば、「オセロゲーム型競争」の意味はある程度分かりやすく見えてくる。だが僕自身には、まだ中村邦夫という経営者の示す「戦略」の本質が何なのかはよく分からない。森氏が書いているように、単なる「管理」を主軸とした組織戦略というわけでもない。

ソニーと松下 中村就任以前の松下電器を分析して評した経営書の代表といえば、立石泰則の『ソニーと松下』(講談社)であるとされてきた。2001年1月に発売されたこの本は、会長の森下洋一を「松下家の言うなりになって周囲にイエスマンばかりを集めている」と痛罵し、松下の「戦略の欠如」をあげつらっている。「12年もの間、松下を取材してきた」という立石氏の言い分も分からないでもないが、彼にとっての「戦略」とは、「他人が賞賛するもの」という以上の意味はない。

 『中村邦夫』と読み比べると、個々の経営者の性格描写も多分に極端に走りすぎの嫌いがある。個々の経営決定に黒白をはっきりつけようとするあまり、その決定を下した経営者の人格まで批判したり褒めちぎったりしているのだ。MCA売却など負の遺産処理に追われて業績が低下した森下洋一率いる松下には「戦略がなく」、出井伸之CEOの絶妙なイメージ戦略で社員の意気が揚がっていたソニーを「戦略的である」とする評価方法は、ぶっちゃけて言えば「後出しジャンケン」に過ぎない。

 今のソニーと松下がどうなったかを見れば、こうした経営者の人格とその意思決定をごっちゃまぜにして論じる立石氏の批評方法に対して歴史がどういう審判を下したかが自ずと分かる。だからここではこれ以上立石氏に対する批判はしない。むしろ、これまでのどんな経済ジャーナリストも立石氏と似たような判断基準しか持たずに企業取材をしていたと思うからだ。

 僕個人の考えで言えば、森氏が言うように松下創業家の世襲阻止に長い時間をかけて周到な準備と根回しを重ねて「中村改革の基礎」を築き、中村社長を生んだ後も会長におさまって創業家の経営介入に対する無言の重石役となった森下会長には、「戦略的経営者」の呼称はつけられないかも知れないが、経営者として決して無能というわけではなかったと思う。

ハーバード・ビジネス・レビュー9月号 ただ、中村社長以前の歴代の松下電器トップにはない何かが中村社長にはある。そういえば中村社長は今年9月号の「ハーバード・ビジネス・レビュー」にも、『「ものづくり日本」の一翼を担って 「メイド・イン・ジャパン」を鍛える』と題する論文を寄稿している。これまた僕にとってはほぼ既知の内容で、特に驚きなどはなかったが、多くの浅薄な「出羽の守」系マクロ経済評論家には耳の痛い、素晴らしい内容と論理構成の論文であった。それにしてもたしか中村社長自身の論文がHBRに掲載されるのは、これが3回目ではなかったか。日本人の大企業経営者でこの雑誌に論文を寄稿できるということ自体が、彼が従来型の経営者ではないことの証でもあろう。

 裏返して言えば、中村邦夫以降の経済ジャーナリズムには、単に周囲の評判や人格的イメージの良し悪しのみで経営戦略の巧拙を論じる従来型の評価軸から抜け出して、新たな「戦略とは何なのか」という論理武装を図らねばならなくなったとも言えるだろう。21世紀とは、もはや素人がジャーナリストたり得ない時代なのかもしれない。

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2005/08/15

コードレス掃除機に燃料電池を!

 日曜日、家族でふらふらとちゃりんこに乗って遊びに出かけた。するとカミサンが突然「新しい掃除機が欲しい」と言い出す。

 今の掃除機は確か結婚した時に近くのヨーカ堂で売価の半額以下で在庫処分大安売りしていたのを衝動買いした奴で、当時流行始めたサイクロン方式。一応まだちゃんと使えてるんだけど、新しい家に移ってきてから、いくつか困った点が出てきていた。

 一番困ってるのは、掃除機が結構大きくて重いので、ダイニングテーブルの子供の座るところの床(食い散らかした食べ物のかすでしょっちゅう汚れる)を掃除するために引っ張ってくるのに骨が折れるってこと。

 あと、掃除機の電気コードが微妙に短くて、家中に掃除機が届くコンセントというのがなく、3カ所ぐらいを差し替えつつ掃除しないといけない。前の家は2カ所差し替えれば済んでいたのだけど、新しい家はそれより広くなったのだからしょうがないと言えばしょうがないが、これも結構面倒だ。

 で、カミサンいわく「だからコードレス掃除機がほしい」。家電量販店に行って物色しつつ店員さんにオススメを聞いてみると、松下電器の「MC-BB1」と三菱電機の「HC-Z11」、そして日立の「PV-BM2」の3機種だった。店員さんいわく、「日立は集塵ケースの構造があまり良くない。三菱はハンドルを立てすぎるとスイッチが切れるので背の高い人には向いてない。よって松下がオススメ」ってことだったが、実際に操作してみると松下のは確かに便利そうではあるが、集塵タンクがハンドルの中程にあって不格好。よって三菱が第一候補に決定した。

 ただ、その後家にあった商品券を持ってきて買おうと話して店を後にし、夜にもう一度行って買おうとしたところ、何と売り切れに。ガーン。掃除機の売り切れなんて初めて見た。お盆だから在庫の取り寄せにも時間がかかるという。

 まっ、しょうがないやっと思って帰宅してから、ネットでいろいろ情報収集してみた。だいたいはkakaku.com経由。それで分かったこと。

  • 三菱の「HC-Z11」のデザインは、実は松下の2000年発売のコードレスモデル「MC-B25M」のパクリだった。でも、吸引力は三菱の方が評価が全然上。三菱製品は2002年の発売から3年以上経った今も評判が落ちてない。
  • 松下は、三菱の改良版を見てかどうかは知らないが、先端部に電池と集塵ケースを集めることを放棄し、「小さなすき間も掃除できる」小型ヘッドタイプにデザインを変更。しかしユーザーからは「15分しか動かないのは不便」「刀型ノズルがないとすき間や毛ぼこり掃除できない」など不満が出ている。刀型ノズル付けて吸引力が改善できるような代物じゃないんだってば。
  • 日立のは2000年発売のモデル。当初から集塵ケースの構造が悪いことは指摘されていたみたいだが、バッテリーの持続時間と軽さとでそこそこ売れ、そのまま放置。哀れ。
  • 三菱の「HC-Z11」は2002年2月発売で、その前のモデルは1999年発売。99年当時のプレスリリースに「コードレス掃除機の98年の国内市場は年間92万台、前年度150%の伸長」とあるのに、その3年後の2002年の製品のプレスリリースには「市場は年間50万台の需要と予測」とあり、2000~01年頃以降大きく落ち込んだもよう。
 ニッチな業界だけど、調べてみると面白いもんである。

 ちなみに、掃除機の国内市場規模は年間約560万台程度で安定しているようなので、2000年以降伸びるかに見えたコードレス掃除機に一転して不利な状況が現出し、掃除機市場内のシェアを取られたと思われる。不利な状況とは、たぶんサイクロン掃除機のブームと吸引力競争、排気ゼロ掃除機など、コード付き掃除機の分野での性能向上のイノベーションだろう。

 実際、三菱電機も今年はサイクロン掃除機の新機種を発売して人気は上々のようだから、もうしばらく吸引力競争は続くのかもしれない。ただ、そろそろサブカテゴリであるコードレス分野にも目を向けてほしいなあと思う次第だ。

 コードレス掃除機は、部屋の隅に立てかけておいて、掃除したい時にさっと掃除するという用途が主だ。つまり、収納しなくてもいいというインテリア性と、電気コードをつないで伸ばして…といった面倒の要らない手軽さが、主流の掃除機に対する優位性である。

 一方、電池で駆動させるために、長時間使ったり吸引力を強くするのは不得意だ。だから現行機種の多くはノズル部分のローラーでゴミを集めたりといった工夫で、機能を高めている。だが、これらはもしかするとどれも「電池性能の向上」で解決できる問題なのではないかと思う。

 だとすれば、家庭用電池の性能が劇的に向上するこれから数年が、コードレス掃除機においてイノベーションを起こすチャンスである。何で電池の性能が向上するのかって?燃料電池が実用化されるからだ!

 既に東芝やNECが燃料電池を使ったノートパソコンのプロトタイプを発表したりしており、総重量1~3kg程度のモバイル機器にも使える燃料電池は作れることが明らかになっている。ただ、問題はある。ノートパソコンに使った場合、発生する水(蒸気)をどうやって排出するかが解決されてないのだ。実際、これに各メーカーとも頭を悩ませている。

 その点、掃除機なら話はより楽になる。掃除機の上から蒸気で空気中に放出してしまってもあまり問題にはならないだろうし、ちょっと発想を変えて、発生する水をノズルの後ろで床にすりつけて「掃除と水拭きがいっぺんにできる」とかいう機能に仕立ててもいいかもしれない。

 いずれにせよ、ノートパソコンに水蒸気を吹き上げさせたり排水タンクを付けたりするよりは、掃除機の方が燃料電池のずっとましな使い方ができるだろう。まじめな話、家庭用掃除機というのは数年後には「電気コードをコンセントに差し込んでから使う」のではなく、「燃料タンク口にメタノールを100ccほど注いでから使う機械」になっているかもしれない。

 …なんて夢想をしながら結局まだ掃除機は買ってないのだが、なぜかというとどのメーカーも2000年から2002年にかけてコードレス掃除機を発売したまま、新機種が発売されていないことに気がついてしまったからだ。だって、それってば今年あたりがコードレス掃除機の3~4年ぶりの新モデル投入のタイミングってことだよね?

 まじめな話、三菱電機がHC-Z11の後継をいつ発売するのか、すっごく気になるんですが。もし今年中だったら、現行機種を買わずにそっちを待ちたいんだけどなー。関係者の方がいたら、誰かこっそり教えてくれませんか?(^-^;)

02:14 午前 日記・コラム・つぶやき コメント (11) トラックバック (0)

2005/08/11

マナーからルールへのパラダイムシフト

 解散・総選挙絡みのネットの盛り上がりが面白い。政治家も支持者も評論家もみんなごっちゃまぜにブログ立ち上げて大騒ぎすればいいと思う。誰がどのポジショントークしてるのか、選挙運動なのかどうかも分からなくなって、公職選挙法のインターネット利用禁止規定なんか無意味になっちゃうからさ。

 テクノラティの特集見てると、月曜日に解散してから3日かそこいらで、2万はゆうに超える関連エントリがブログに上がってる。たぶん選挙が終わるまでに50万エントリぐらいいっちゃうんじゃないか。全国各地の政治家の演説なんかもリアルタイムでレポートがブログに上がるだろう。マスコミとネットとどっちが面白いかを決める、一大実験が始まった。

 テクノラティは統計サイトだと思うのだけど、誰か話題別や政治家別のまとめサイトつくらねえのかなと思っていたら、早速そういうのが立ち上がってましたよ。紹介しておこう。→「2005夏衆院総選挙まとめブログ」

 ブログで作るよりは、Wikiとかはてなグループで作った方がいいんじゃね?とか思ったりもしたが、トラックバックセンター的な役割を果たしていくには、やっぱりブログの方がいいのかな。よくわからん。まあ、いろいろな試みをやればいいと思う。

 まずは、個別の政治家別、政党別のトラックバックセンターを作ることかな。あと、うまく機能するかどうかわかんないけど、全特、官公労(含む旧全逓・全郵政)を初めとする組織支持団体の動向ヲチのトラックバックセンターとか。さすがに300の小選挙区全部のトラックバックセンターを作るのは大変かな。でもロングテールが(以下略

 さて、総選挙ブログ祭りの話はおいといて、昨日巡回していて面白かったのが「霞ヶ関官僚日記」のこのエントリ。小泉首相は、自民党の中に昔からあった「慣習、先例」を踏みにじって、あくまで法律に基づいた「ルール」上は正しいやり方でことを進めようとしている、という内容だ。

 これを読んで、まず思い出したのがくだんのライブドアのニッポン放送買収。あれも、「ルール」上は正しいが、M&Aの「マナー」としてはどうですかね、という批判が上がっていた。結果は、ライブドアが1400億円ゲッツして勝利宣言、フジテレビは連結自己資本比率を一気に12%もダウンさせ、日枝会長は株主総会で一般株主から「カネ返せバカ野郎」の罵声を浴びた。

 野次馬サイドの感情論はどうあれ、ビジネス上は「ルール」が「マナー」に完勝したわけである。しかも、放送業界はこれをきっかけにネットとの融合に一斉に走り出すというおまけまでついてきた。

 id:kanryoさんの言う通り、それがいいことか悪いことかは別として、過去から引き継がれてきたマナーよりも「ルールをうまく扱う人間が政治的(or経済的)に成功する」方向に世の中が向かっているという予感は、僕にもある。ニュートラルに言うなら、それこそが今目の前で起きているパラダイム・シフトの意味なんだろう。

 ルールですべてが解決できるとも思わない。だが、パラダイムが新しいものへとシフトしている最中、しばらくはルールの背後にある過去のしがらみだらけの「マナー」を見なかったことにして全部ぶっ壊していくしかないのだろうね。

 人間、ルールだけではホッブスの言うような「万人が万人に後ろからナイフで刺されるかもしれない」状況に生きている気がして、心が安まらないというか、長くは生きられないと思う。やっぱりお互い安穏と長く生きるためにはマナーは必要だ。

 今回の問題は政界で通用していたこれまでのマナーが、あまりにも特定の人々や組織に都合のいいマナーになりすぎたってことなんだろう。為政者がそう判断しているのだから、いったんは「ぶっ壊す」しか手がないんじゃないの、でももうあと10年ぐらいしたらもちょっとまともなマナーができていてほしいなあと思う今日のこの頃でした。おしまい。

 追記:しっかし、それにしても連合って本当に醜いよなあ。民主党がいくら「うちは郵政民営化に反対したわけじゃなくて、小泉内閣の郵政法案に賛成しなかっただけだ」とか言ってても、後ろの支持団体が「法案潰しのためなら党を問わず支援する」とか言った瞬間に、全員ひっくるめて抵抗勢力扱いだってぐらいのこと、ちょっと考えればすぐ分かるだろうに。笹森会長、政治センスなさすぎ。こういう奴にちゃんと釘さしとかない民主党もダメダメ。

01:33 午後 経済・政治・国際 コメント (18) トラックバック (11)

2005/08/10

投げ銭システム、実装してみた

 明日までにやらなくちゃいけない仕事を抱えながらウェブサーフィンでふらふらしていたら、はてなぶくまがブックマークするときに投げ銭する仕組みを作ったらしいと知った。とうとうやってくれましたか、はてな。期待を裏切らないな。

 昔から「はてなポイントの投げ銭システム実装してくれ」と主張していた張本人なので、こらーやらないかんだろうと思い、ココログからでも実装できるかな?と思って実験してみましたよ。ヘルプの通りにブログのテンプレートに埋め込んだら、さくっとできた!うひゃひゃ。

「ポイントを送る」のチェックボックス 試してみたら、ポイント送るのも比較的簡単だ。しかも押しつけがましくない。ここ重要。ぶくま登録画面に慎ましく「エントリーの作者にポイントを送信する」というチェックボックスが出るだけ。チェックボックスにチェックを入れておくと、ぶくました後にポイント額を決める画面に遷移する。デフォルトで出るポイント数も10ポイントと、多すぎず慎ましげでいい。僕なんか自分で自分に向かってポイント増やしながら、「いや、面白かったですしもう少し・・・」とか独り言言っちゃったよ(ウソ)。

 ただ単にポイント送付のためのボタン押す方式ではなく、「面白い」と思ってぶくまするついでに送るっていうのが良い。実際に僕の個別エントリはアップ後24時間でだいたい2000~3000人はユニークで読んでくれているみたいなのだけど、実際にぶくまされるのはせいぜい20~50件程度。まあ、その人たちの1割でもポイント投げてくれれば、1エントリ10~100円ぐらいの投げ銭にはなるかもしれんね。

 といっても、特にポイントの使い道があるわけでもなく(楽天でもほとんど買い物しないし、はてなで質問することもあまりない)、ポイントは貯まるに任せておくことになりそうだ。ま、実利というよりは気持ちのレベルかな。

 あと、メインページやバックナンバーページには投げ銭テンプレは実装せず、とりあえず個別エントリのページのみの実装にしてみました。メインページをぶくましたい方は、後ろめたい気持ちにならずにぶくまできます。ご安心を(笑)。

 追記:野猫さんのご質問に答えて今年の「梅干し製作」をご報告。

 ご心配してくださってありがとうございます。実は今年は7月末の土用前後に自宅を不在にする用事が入っていたので、梅干しがちゃんと干せるかどうか、結構気が気じゃなかったんですよ。で、7月20日ごろにいったん梅雨の合間に快晴になった日が2日ほど続いたので、まずそこで急いで干しました。

 その後天候不順に突入してしまい、いったん干し台も畳んで梅も漬け物樽へしまいこみました。が、家を留守にする前日の7月27日、台風一過で抜けるような快晴に。すかさず早朝から干し台を広げ、漬け物樽から梅干しを出して並べました。

 翌日家を出る前までに見事一昼夜干し終わり、今は樽の中で来年の今頃に向けて熟成を始めたところです(実は、昨年漬けた梅干しを今頃食べ始めたので、昨年産の10kgがまるまるまだ残っているんです)。今年の梅は粒が大きいのを買いましたので、できあがったらかなり見映えのする梅干しになるんじゃないかと思ってます。

 以上、梅干し報告でした~。では。

02:21 午前 ウェブログ・ココログ関連 コメント (3) トラックバック (4)

2005/08/09

郵政解散は「叡山焼き討ち解散」か?

 関係ないエントリのコメント欄にしきりと前回の僕の野次馬評に「普通って何ですか普通って普通って」と粘着してる人がいる。全特あるいは全逓連工作員がこんな場末の飲み屋のやさぐれブログまで進出してきてるのかと思うと結構鬱だ。

 が、いずれにせよ結果から見れば僕の予想は「ハズシ」だったことも事実なので、「普通に」の意味を反省を交えて書いておこうか。ま、何度も言うけど政治そのものの取材経験も別にない、ただの門外漢の「選挙マーケティング」という視点からの憶測に過ぎないんだけどね。

 僕は、この政局における小泉首相の狙いはまさにど真ん中、「郵便と郵貯・簡保の切り離し」だったと見ていた。で、別に郵便(+窓口ネットワーク)は民営化でも公社でも何でも良くて、郵貯・簡保だけが民営化できればいいと、最後のどこかで妥協するとか、あるいは参院で否決されてももう一度衆院に持って帰って可決すればいいんじゃないのとか、やるんじゃないかと思ってたわけだ。

 先週号の日経ビジネスの第2特集を読み、それから昨日の解散に至るまでの様子を見ると、この読みは完全に外れてたことが分かる。小泉首相の狙いは、郵政民営化にあったわけじゃないのだ。

 まあ、もちろん郵政を踏み絵として使ったというのはあるんだけど、そもそももう郵政ネットワーク、そして郵政マネーの「民営化」はとっくの昔に実質的に始まっているわけですよ。そして郵政公社は来年4月に海外物流事業への参入を着々と準備し、財政投融資の預託金(※郵貯から財務省資金運用部を通じて特殊法人に直接融資されている、いわゆる“郵政マネー”)は、2007年にもなくなっちゃう勢いでどんどん減っている。さらに、特定郵便局が握っていた巨額の裏金(さんざん選挙活動に使われていた)もきれいさっぱり一掃され、特定郵便局は削減しなくても今後は勝手に局長が廃業して減っていく見通しが立った。

 となると今国会の郵政法案は、既に転がり始めている改革を「後戻りさせない」程度の意味しかないし、というかまさか「あの裏金をもう一度復活させろ」とはいくら政治家でも言えないわけで、郵政の実質的な改革はもう「終わってる」と言ってもいい。

 一方、僕は前のエントリを書くときに、もう一つのルールを見立てていた。「一般に自民党政治家というものは選挙で当選する見通しが立たない政策に自分の政治生命など賭けない」というルールである。

 何度も言うけれど、「郵政を民営化すべきか?」という質問には、(いろいろな世論調査も出ているけれど)特に都市部の人にとっては「すればぁ」という以上の反応はない。地方の人にとっても、窓口ネットワークのユニバーサルサービス維持だけが焦点だとすれば、民営化でも「変わらない」と政府が保証するのなら反対する理由はない。とすれば、このイシューはそもそも選挙の争点にもならず、こんなことで解散すれば民主党を利するだけだ。だから、解散という選択肢はないと思ったわけである。

 ところが、この2つの見立てはどちらも外れていたということがやっと分かった。

 まず1つめの見立て。小泉首相は、何を狙いに解散したのか?郵政改革ではなく、「自民党の改革」を後戻りさせない体制を作るのが狙いだったのだ。つまり、亀井派と堀内派・橋本派の一部を中心とした、支持母体である全特や全逓連との関係を切れない守旧派勢力の一掃、である。
 
 そう考えると、小泉首相の不可解な一言の謎が解ける。どこかで読んだが、彼はこの国会中「民主党が郵政民営化に反対したのは最大の戦術ミスだ」と言った、らしい。当初僕はこの意味が分からなかった。けれど今ならこう説明がつく。

 小泉首相は実は解散を望んでいた。郵政法案が今国会で成立するかどうかなんて、どうでもいい。要するに任期残り1年を切った今のタイミングで守旧派を一掃するチャンスが欲しかった。

 守旧派が「郵政煽り」にまんまと乗って造反を決めてくれれば、「小泉=民営化、改革の旗手」対「守旧派=民営化反対、既得権益の代表」という構図が描ける。この構図が選挙で有利に働くのは、とりもなおさず都市部の小選挙区と比例区である。都市部でこの構図を振り回せば、守旧派は一掃できる。

 問題があるとすれば、この構図の中に民主党が割り込んでくることだ。つまり民主党が「民営化、改革の旗手」のポジションを取って「改革の旗手であることは民主党も同じ。小泉か、民主党か」という選択を有権者に突きつけるのが一番怖い。そうなれば小泉支持票の一部は民主党に流れて、守旧派が勝つかも知れない。

 ところが、バカ民主党は見事に「民営化反対」の旗印を掲げて選挙に突入してくれた。今回の選挙の構図は「小泉自民党=民営化」対「民営化反対守旧派+民営化反対民主党+(どことは言わないが民主党を勝たせたがる)左派系マスコミ」だ。これはおいしすぎる。国民の既得権益勢力嫌い、マスコミ不信、2ちゃんねるの嫌中・嫌韓ブームも味方にできる(笑)。

 思うに、旧来の自民党の論理とは、「公約を反故にしてでも、選挙区でお世話になった支持母体は決して裏切らない」というもの(いわゆる組織選挙)だったと思うのだが、小泉首相が突きつけたのは「組織より個人との約束を優先する」論理への転換という踏み絵だったのかなあと。そういえば、今朝のフジの「やじうま」が、政府関係者の発言として「今回の解散は叡山焼き討ちだ」というコメントを紹介していたが、むべなるかなという感じだ。

 カワセミ氏finalvent氏などが早々と今回の選挙での「自民党支持」を明言しているが、そういったリベラル論客の転向も含め、今回の解散には政治における「時代の変化」というものを強く感じるなあ、という感慨をもって「ヤマかけ敗者の弁」としておきたい。

10:24 午前 経済・政治・国際 コメント (10) トラックバック (22)

2005/08/04

iTunesMusicStoreにがっくり

 アップル、iTMSを日本で開始――100万曲・中心価格150円でスタート

 もうね、今日最大のニュースじゃないですか。それで早速iTunes4.9をダウンロードしてやってみようとしたわけですよ。ところがまずHPにつながんない。firefoxがいけないのかと思って久しぶりにIE起こしてアクセスしてみたんですが、それでもダメ。ダウンロードのページの左側が、出てこない。がっくり。

 しょーがねえな、人混みが落ち着くまで諦めるかと思った瞬間に、頭ん中に思い出がフラッシュしたわけですよ。今のノートPCに以前、iTunesのダウンロードだけしてインストールしてなかったことを。

 んで、早速インストール。4.8だったので「アップデートしますか?」って出てきたからアップデート。あっさり成功。んで、MusicStoreに接続!ってやったら出てきましたよ。おー本当に全部150円じゃん。カッコイイなあ。でも実は僕、邦楽には(完全にとは言わないけど)ほとんど興味ないんだよね。僕の原点は80年代洋楽。「アメリカンヒットチャート」とかを聞きながら、FMで流れる英語のロックとかポップスを必死でテープに取っていたクソ生意気な厨房時代。レンタルCD店にもあの頃はまだ洋楽がたくさん並んでた。それもなけなしの小遣いをはたいて借りたっけ。

 確か85年ぐらいにレンタルCD店で洋楽CDのレンタルが禁止されて、それ以来僕はインストゥルメンタル系以外の音楽を聴かなくなった。高校ではジャズ部を兼部してフュージョンとジャズに没頭。日本語の入った歌聴いてる奴なんて死んでまえとか思ってた。でも僕の中のオンガク時間は、80年代で止まったままになってしまった。

 MusicStoreの検索窓に、あの頃聴いてた超マイナーなロックバンドの名前を入れてみた。1つめは出てこない。Mr.ミスターって、どこに消えちゃったんだよあいつら。しょーがねえな。じゃあフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドは?おおおおおお!出たあああ!!

 20年ぶりぐらいじゃないか、「Warriors of the Wasteland」なんて聴いたの。すっげえ懐かしい。懐かしくて涙出る。いくらだよこれ。え?0.99ドル?あ、もう全然オッケ。そんなはした金いくらでも払ったるよ。ん?新規アカウント作れ?そうだよな、カネ払うんだもんな。いいよいいよ。クレジットカード番号、住所っと。ん?zipcodeがまちがっとる?州の名前は2文字以下で書け?適当に入れてやらあ。ん?おまえのクレジットカード番号、米国のじゃないだろって?・・・・・

 何いいいぃぃ!!!結局米国住民じゃなきゃ、洋楽買えないのかよ!!!てか、セリーヌ・ディオンとかマライア・キャリーが洋楽なの当たり前だけど、坂本龍一までも全部「洋楽」扱いって一体どういうわけ??レコード業界氏ね!!いい加減にしろ!!おまえらのせいで俺の中のオンガク時間は永久に80年代で止まってるんだよ!!iTunesで聴くぐらいのこと、勝手にさせろバカあああああ。もういいやiTunesなんかイラネ。(゜Д゜)ケッ

05:46 午後 音楽 コメント (28) トラックバック (15)