初めての360度評価
転職した会社は年俸制で、そのものさしとして360度評価が使われる。前職でも360度評価を導入するという話が人事制度改革で持ち上がっていて、僕も1度だけ先輩を評価する機会を得たことがあったが、自分自身は結局360度評価を受けずに辞めてしまったので、今回が初めての360度評価体験だった。
前職では、テスト導入で360度評価を受けた管理職が、集まった部下や同僚からの評価の自己評価とのあまりのギャップに色を失って逆切れし、経営側から労働組合に年2回の360度評価を2年に1回に減らす修正案が出されたというお笑いのオチがついていた。
笑っている場合ではなくて、これはまさにプリミティブな360度評価をそのまま組織に入れた時に起こる反応の典型例だと思う。自分が自分で思っているよりもずっと低くしか他人から評価されていないと、数字で示されたときの人間の受けるショックというのは大変なものだ。プライドも何もない入社半年の僕でさえショックを受けた(笑)のだから、自分の仕事ぶりにそれなりのプライドを持って何十年も生きてきた人なら、筆舌に尽くしがたいものがあるだろう。
僕自身も、自己評価は相当低めに付けたつもりだったのだけれど、それでも自己評価を下回る評価点の項目が(それも、自分としてはいろいろな尺度の中では比較的よくできていたと思っていた項目で)いくつもあった。
数字だけ眺めていると、「表面的なところしか見ずに点を付けられてるな~」という悔しさが募ってくるのだが、その後に「ギフト」という名前の、各評価者からの定性コメントが添付されていて、それを読んで自分がなぜそういう評価点をつけられたのか、初めて納得できた気になった。
評価の数字だけ見ていると「表面的」であることに腹が立ってくるものだが、コメントと一緒に読むと、むしろ周囲のそういう意見を「表面的」と断罪する自分の感覚こそが「表面的」なのだ、ということに気がつく。
そうか、回りの人たちは一緒に仕事をする者として、より快適に仕事をしていけるために僕にこういう立ち居振る舞いを求めているのだ。それが何よりも自分自身、より高い生産性で仕事をするために必要だから、こういうフィードバックを送ってくるのだ――。
そう気がついたとき、360度評価が来年度の年俸に反映されるのがとても自然だと思えるようになった。目の前でその評価結果を見せられて、それとともに来年度の年俸額を提示され「サインして下さい」と言われるのは、何というかすごく「米国的」だなあとは思ったけれど、不思議に違和感が全然ない。
リクルートの2003年の調査によると、360度評価を導入している企業は約20%。うち半分は「導入はしたが改訂の予定」だそうな。たぶん、前職の会社のように入れてはみたものの、社内から不満が噴出して対応に苦慮してるのだろうな。で、よくある失敗の理由として「360度評価制度を処遇決定(昇進昇格基準や賃金決定)に直接反映させている、もしくは、直接反映しているのではないかと従業員に「思われている」」ことにある、という。
逆に聞きたいが、社内で一緒に仕事をしている人たちが「あなたのこういうところが私の生産性に好影響を及ぼしている、逆にこういうところは生産性にマイナスだ」と評価した声が、年俸でもボーナスでも昇進でもいいのだけれど、何ら処遇に反映されないとしたらそれって何のためにやっているのだろうか。変な話だ。
他人に評点を付けるのはそれだけで大変な手間がかかる。もし人事部の独りよがりで「うちも先進的ツールは導入しています」ということを言うためだけにこんなしちめんどくさいことを従業員に強いているのだとしたら、それ自体が壮大なムダだと思う。
たぶん、360度評価をうまく機能させるために必要な要件は、360度評価を処遇に反映するかしないかではないのだ。社員同士が上も下も関係なく、たがいのことを信頼し合い、より良い仕事ができるように意見を言い合い、それを常にポジティブに受け止められる、そういうビヘイヴィアを有形無形に「強制」するような組織文化がないとダメなのだ。
これって、言うは易しだけど実際にやるのは相当難しいだろうな。特に、組織が大きくなればなるほど、組織内にいろいろなベクトルが存在し、それとともに政治的な思惑を異にする人たちが存在するのを許容せざるを得なくなり、その人たちの間で信頼関係を維持するのが難しくなる。まあ、そういう人たち同士で360度評価し合わなければいいのかも知れないけれど、それが営業と生産とか、補完関係にある組織だったりするとそうもいかなくて大変だろうし。
結局、そういう組織では本音でものを言い合ってお互いがムダに傷つくのを防ぐために、当たり障りのないことを360度評価に書くようになって、結果的に評価作業そのものが壮大なムダになるんだろうな。
どんな経営ツールも同じだけど、そのツールが大きな効果を上げるだけの組織文化を作りあげることの方が、ツールを導入するよりもずっとずっと難しい。だけど、ツールを入れるのにはお金がかかるけど、組織文化を変えるのにはお金はかからない。C/Pで言うと組織文化を変える方が安上がりなはずなんだが、世の中の経営者でそれに気がついている人というのは本当に少ない。僕がこれまで会った中でも、指折り数えるほどしかいないかも。
あと、「そういう組織文化をまず変えなきゃね」と言われて、二言目に「そんなこと無理だ。議論するだけムダだ…」と言う人は、結局のところ自分は、あるいは企業は何も変えられないよ、と言っているに等しいのかも知れない。
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コメント
>より良い仕事ができるように意見を言い合い、それを常にポジティブに受け止められる、そういうビヘイヴィアを有形無形に「強制」するような組織文化がないとダメ
激同。でも
>組織が大きくなればなるほど(中略)政治的な思惑を異にする人たちが存在するのを許容せざるを得なくなり、その人たちの間で信頼関係を維持するのが難しくなる
って何だか如何にも文系な発言だとオモタ。(文系じゃなかったら失礼。)
投稿: catfrog | 2005/06/21 09:42
> 結局、そういう組織では本音でものを言い合ってお互いがムダに傷つくのを防ぐために、当たり障りのないことを360度評価に書くようになって、結果的に評価作業そのものが壮大なムダになるんだろうな。
360度評価が効果的に働くように再教育すれば良い。
ツールは文化を変える為に使うものですよ。そんなの基礎中の基礎。
それができない経営者は、まあ会社ごと衰退するのでしょう。
投稿: hiyohiyo | 2005/06/21 09:59
労使交渉ね。じゃあ被雇用者の言う台詞はひとつ「馬鹿な、安すぎる!」しかない。
つうかまず人件費の総額の妥当性があってそのあとにそれぞれの取分の正当性ってものがあると思うんですよ。だからまず人件費の総額はどうよって話をしないと成果応報という名の下に社員同士の社内ゲバルトに戦場を限定する経営側の独り勝ちを不戦敗で持っていかれているわけで。そんな費用圧縮システムをコンサルする側でなければ、ツール以前にああ敗けちゃってますなとしか見なされないのではないかと。
投稿: afg | 2005/06/21 10:35
>>組織が大きくなればなるほど(中略)政治的な思惑を異にする人たちが存在するのを許容せざるを得なくなり、その人たちの間で信頼関係を維持するのが難しくなる
>
>って何だか如何にも文系な発言だとオモタ。
こういう問題を文系的発想とか理系的発想だとかを区分けする事には、何の意味も無いと思われ。
事実と現状は理系文系に関わらず、そこに現象として確かに存在するわけで。
それを読み取れないのは理系でもなければ文系でもなく、ただの鈍い人。
そんでこの手の評価制度を見て思うんだけど、確かに成熟したコミュニケーションの中でしか成立しえないのだろうなとは思うんだけど、それとは別ベクトルとしての「表現力」も大いに問われると思われ。
表現力も広義の意味ではコミュニケーション能力の一部として位置づけられはするけども、よくよく口頭で聞けば理解できる話を、評価書では全く意味不明の、喧嘩を売っているとしか思えない書き方(表現の仕方)しかできない人が多い、こうでこうでこうだからこうなんだ的な書き方をせず、いきなり結論に飛んでたりするので、読んでてワケワカメ。
この手の評価制度を導入する時は、確かに書き方の手引きみたいな指導がある程度入っているものもあるけど、もう少し表現する方法を身につけさせてから導入すべきだと思えてならないよーな。
投稿: くれふ | 2005/06/21 12:57
面白うございました。
で。
日本は言霊の国ですから。縁起にしても事実にしても悪いこといったら更に悪くなるって感覚があるから、言っただけよ? みたいな評価方法は受け入れられないと思われ。そういうのが通用する人間は、ヒジョーに稀。
日本的によろしいのは、「あなたのやり方の○○の部分はいいと思うけど、更に○○すればもっと助かるんだけどなぁ…」式のべんちゃら責め。もしくは当人より明らかに力量のある人物に間近で仕事させて実際に見習わせるか。
徒弟制度モロだしですなあ。
投稿: うんこ | 2005/06/21 20:46
組織文化を変えるのにはお金はかからない。か?
あたりまえだけど、しゃちょーが社内報に一言かけば企業文化が変わるほど甘かないでしょ。
人が動けば、(外に払う)お金は発生しないけど、確実にコストは発生する。
たとえばしゃちょー念仏(あえてそう呼ばしてもらおう)を従業員に1時間聞かせたら100人の事業所でもウン百万円のコスト(労務費)が発生するのよ。。。ましてや1万人の企業でやろうとした日には・・・
よっぽどツールで何とかなったほうが安いと思うけどなぁ
たぶん企業文化なんてものを変えようとしたらガイジンしゃちょーを連れて来るか、滅茶苦茶な外圧にさらされるしかないじゃなかろうか?
まぁ念仏でも100回聞かせれば覚えるかもしれんがな~w
投稿: くりすた | 2005/06/21 23:13
360度評価という言葉をこの記事で初めて知った俺が来たよ(´ー`)ノ
投稿: 松永 | 2005/06/22 00:13
うちも某メーカーだけど、最近360度評価のトライアルをやった。とりあえず部下3人くらい選んで匿名でコメント書いてもらえ、みたいなやつ。
上司と仲悪いもんだから、どうせオレは選ばないだろうと思ってたら、トライアルで給料に影響しないのをいいことに、カウンターあててきやがった。
どうせだから、けちょんけちょんに書いてやろうと思って書き始めたら、いい所と悪い所を5つずつとか言って、悪い所書くスペース足りねえよ!ていうか、いい所一つもないし!
で、しょうがないから、いい所書くスペースに本人と全く逆のイヤミを書いてやった。
「問題が起きても部下のせいにせず、自ら責任を負うところ」とか、「上からやっかいな仕事が落ちてきても部下任せにせず、率先して仕事をするところ」とか。
さすがにカチンと来て、わなわなプルプルするに違いないと思っていたら、数日後、妙にごきげんなのね。急にやさしくなっちゃったりして。
ああ、そうか、そのまんま受け取っちゃいましたか。おめでたいというか、なんというか、とほほ。
・・・と思ったんだけど、なんか最近良くなってきたんだよね、上司の態度。
決して本人は反省したわけじゃなくて、いい自己イメージを与えられて、それに酔っているうちにいい方向に流れてるってだけなんだけど。
ということで、アホな上司のコントロール法としての使い方もありかもしれません。
投稿: 三島八雲 | 2005/06/22 23:09
|360度評価
MikeとかPaulとファーストネームで呼び合うくせに、日本人が考えている以上に肩書きで上下関係のつよい外資系で(もちろん年齢の上下ではない)、こんな評価があったかな。(いかにも悪平等廃止を標榜しそうな日本的な発想のようにもおもえるが…)
いずれにしろ、日本系企業でも外資系企業でも人事権をもっている事業部長(アメリカでいうVice President)以上は360度評価の対象外でしょう。
人事権を持っていない部長職をふくめ中間管理職いじめの何ものでもないとおもうのだが…。
この件にかんしては、外資系で360度評価をやっていたら私の勉強不足ですね。
投稿: 大澤遼 | 2005/06/23 01:16
>この件にかんしては、外資系で360度評価をやっていたら私の勉強不足ですね。
勉強不足以前の問題じゃん。落合信彦ばりの激しい深読みに全米が号泣後挙国一致で北朝鮮に攻め込むだろーが。
投稿: うんこ | 2005/06/23 22:50
うちの会社も360度評価を導入した。
厳しさや主張の強い社員はみんないなくなった。
ただ仲良く仕事をするだけのイエスマン集団になった。
だーれも上司に異見しない。
熱いものがなくなった。熱いものがない社員にとっては居心地のよい社風になった。
360度評価自体には何の問題もない。
問題なのは、360度評価の結果を給与と職級へどう対応づけるか。
うちの会社はそれに大失敗したために、
バランス型のアクがなくて芯もない優等生と、頭がちょっと弱い奴らが残ることになったのだ。
つまらない会社になった。本当につまらない会社になった。
社内から白熱する議論が消えた。たたかいが消えた。
アクの強い、根性の据わった、ずば抜けた能力を持った社員は会社にいられなくなった。無難な社員ばっか残った。
大事なものを失った。
会社に魅力を感じなくなった、興味がなくなったので、転職活動を始めた。
以前は、表層で健全なたたかいがあったから内面はおだやかだった。
スポーツみたいに。
今は、表層はおだやかで、内面は濁っている。
経営陣を見損なった。あいつらは馬鹿野郎だ。
馬鹿だとは思ってたけどここまで馬鹿だと思わなかった。
経営陣には真実は見えない。
社員は経営陣に本心を明かさないからだ。
だから経営陣は見誤りやすい。社内を歪曲して見ることしかできない。
本気で仕事にぶつかっていた奴らはもういなくなってしまって、会社から芯が抜けた。
つまるところ、馬鹿につける薬はないってことだよ。
投稿: 愛知の砂 | 2008/01/09 01:55
まず、経営陣が360度評価を受けることをお勧めしたいですね。自社で実施する意味や今後の活用方法をその上で検討する方が、実感が伴っているし、説得力があると思います
投稿: 360度評価 | 2008/04/10 16:29