メディアビジネスのバリューチェーン(最終回)
昨日は古谷先生とのお茶会だった。ブロガー同士が会って話すとブログで書けない話ばかりが飛び交うというのが通例であって、今回もとっても面白い話が多かったが、どれも書けないことだらけ。というわけで何を話したかは秘密です。どうして会えたかもしばらくは秘密。いずれどこかでタネ明かししますが。うふふふ。
ところで全然関係ないんだけど、3月から断続的に連載してきた「ブログと情報強度」あるいは「メディアビジネスのバリューチェーン」というタイトルのネットメディア論シリーズに、そろそろ落ちをつけておこうかなあと思い立った。理由は湯川氏@時事通信のブログに久しぶりに反応しなきゃなあという義務感(笑)と、YOMIURI ONLINEのブログ導入のネタがあったから。
湯川氏はそのYOMIURI ONLINEのブログ機能実装記事を評して、
炎上しない程度に盛り上げる・・・。この微妙なバランス感覚をつかむことが大事なんだろうなあ。と述べているが、トラックバック機能だけで盛り上げるのって結構大変だと思うよ、正直言うと。
眞鍋様や古田様のように、メジャー芸能人属性に許されるギリギリの下ネタで突っ走るか、そうでなければガ島通信ぐらいツッコミどころ満載の煽り記事をガンガン連打するぐらいでないと、トラバってそうそう集まらないし。そのガ島通信のnikkeibp.jpでの連載記事でも、TB数は最大で60本ぐらいでしょう。先週アップされた最新の記事に至っては、重複含めてもまだ11本しかないし。
でも、これってすごくポジティブに捉えられる話だと思っていて、要するに「ブログのトラックバックシステムを使えば、読者参加型にしても荒れない」ことが判明したわけですよ。いや、そんなこと分かってる人にはとっくの昔から分かってたんだけど、ネットに関しては決定的にリテラシーのないマスコミの中の人にも、それははっきり目で見て分かるようになったんじゃないかと。
今さら今さらのおさらい話なんだけど、コメントが荒れやすいのに何でトラックバックが荒れないかっていうと、
- コメントは「書く」→「送信ボタン押す」の2ステップで書けちゃうけど、トラックバックは「自分のブログ開く」→「書く」→「公開する」→「相手のブログのトラバURLをコピる」→「自分のブログのトラバ欄に張り付け」→「更新ボタン押す」っていう、6ステップぐらいが必要で、そのあいだに沸騰した意識が冷やされる
- 意見を言うにしても「自分のブログを通して」言うことになり、発言者の主体性が問われるので慎重になる
- 長い意見を書いても相手のブログでは2~5行程度しか表示されないので、読む側が「TB先のブログに対する意見」として感情移入して読むよりは、「関連トピック」としてざっと斜め読みするため、煽り記事に対するハレーションが起こりにくい
分かりやすく言うと、トラックバックは「書き込み者の主体性(=発言の連続性)を明らかにする」「そのページの主体(ブログ主)以外の発言は機械的に途中カットされる」という2つの効能を持つが故に、無責任な殴り書きコメントの殺到、つまり「荒らし」を抑制する効果を持つ。ただし、書き込みに対するハードルが(手順と主体確認の両面で)高くなることによる効果の代償として「盛り上がらない」という副作用もあるわけで、これが湯川氏のつぶやきの原因だと思う。
で、僕は前からこのMTの「コメント≠トラバ」という分離の機能にすごく違和感を持っていて、何でこの2つの機能を分離させたものとして持つんだろう、何で誰も両方のメリットをうまく取り入れた新しい機能を作らないんだろう、ずっとそう思っていた。
いや、正確に言うと、実はこの2つのメリットをうまく合わせたCMSを、ブログの草創期に見たことがあるのだ。覚えている人がいるかもしれないが、2年ほど前に「リネージュ」というオンラインゲームのユーザーサイトで「リネージュ記者クラブ」というのが存在した。
このサイト、今から思い返しても非常に良くできたCMSで、一定頻度以上訪問してサイトを巡回している読者に対し、予告されないタイミングで、あるCookieを発行するという仕組みになっていた。
このCookieがコメント書き込み者の個人認証として使われるようになっていて、Cookieを持たない読者(過去1ヶ月以上そのサイトを訪問したことのない読者)は、コメントができないようになっている。また、例えばある記事にCookieを持っている読者がコメントを付けたとする。するとコメントの横の小さな吹き出しアイコンが表示されて、それをクリックすると、その読者が過去に書き込んだコメントが全部一覧できるようになっていた。
要するに、「リネージュ記者クラブ」の掲示板システムは、個人情報を取るわけではないがユニークユーザーの認証をかませることによって、手間をかけずに書き込めるコメントでありながら主体性(発言の連続性)は担保するという仕組みだった。
残念ながらトラックバックのもう1つの機能である「長い発言の自動省略」機能はなかったので、それでもコメント欄が荒れる傾向は完全にはなくならないようだったが、たぶんその機能が実装されていれば、せいぜい数千人が参加するサイトでありながら荒れることなく2ちゃんねる並みの盛り上がりが演出できるサイトになっていただろうと思う。ちなみに「リネージュ記者クラブ」は、個人ユーザーの管理していたサイトだったため、そのユーザーが運営に「飽き」た時点で閉鎖されてしまった(正確に言えば、他の有志に引き継がれて、現在は「リネージュ2記者クラブ」として存続しているが)。
話を元に戻すと、この「メディアビジネスのバリューチェーン」という連載で、僕は「ネットジャーナリズム」あるいは「参加型ジャーナリズム」のスタートアップを予想して、というよりは、むしろ既存のマスメディアがネットにおいてもうまくユーザー(読者)と親和していくためにはどうすべきか、ということを念頭に置いてきた。
メディアが生み出す「価値」には、読者に対する価値以外に、広告主に対する価値というのもあるのだが、それを読者層へのリーチだけに単純化すると、結局どれだけ狙った層の読者にコンテンツを読んでもらうかに還元されるので、ここでは議論はしない。
以前に書いたが、「難しいことは考えたくないから、とりあえずおたくの一定の価値判断に基づいてまとめた情報だけよこしてくれ」という読者層(無思考ユーザー)は、今も昔もマスコミのロイヤリティ・ユーザーであり問題ない。だけれど、自分でネットやリアルからデータを集めて事実の真偽やマスコミによる編集の価値判断の是非を検証できる、またはしようとするユーザー(積極思考ユーザー)は、もはやマスコミがパッケージで提供する情報だけで納得しない。
それでもマスコミ情報を「参考資料」としては必要とする人はまだいいが、ずさんな取材や偏った価値判断による編集に我慢できなくなった人は「ネットがあるからマスメディアは要らない」と愛想を尽かして購読を止めてしまう。広告価値として「リーチが減る」ことは単純にマイナスだから、もし新聞や雑誌の収益を維持したければ、こうした人々を媒体に引きずり戻すことだけ考えればいい。
といったことから僕が考えていたのは、左図のようなメディアのバリューチェーンの再構築(デコンストラクション)だった。
要するに、これまでマスメディアの内部機能(つまりコストセンター)の1つだった「編集」を、外部に対して価値提供する機能(プロフィットセンター)に変えてしまうというアイデアだ。ついでに「取材」という機能も、コストセンターであることは変わりないが、それ自体も外部とミックスして機能をアップさせることも可能だろう。そして、これらはすべてブログなどのインターネットCMSによって可能にできる。
「編集」の機能だけを独立させてどうやって収益化するんだ?と疑問に思われる人もいるかもしれない。だが、「積極思考ユーザー」という人種の読者からすれば、自分の意見が「投書」というかたちだけではなく、記者や編集者との議論というかたちでメディア変革に反映される(かもしれない)という権利が、その成果物である「媒体」の購読に付随していれば、「参加」してみたくなるものである。
あるいは、自分の意見が反映された媒体が発行されていたら、それを周囲の人間に購読させたくなる人もいるだろう。メディアの中の人間だってそういう経験はあるに違いない。かつて大手の新聞に投書が掲載されるとなると、掲載号を知人友人が競って買い求めたりもしたものだ。僕の父母だって、僕が記者をやっている間中、頼みもしないのにずっと僕が仕事をしている雑誌を購読していた(笑)。要はその感覚を、なるべく多くの人に持たせればいいだけのことなのだ。
ということは、マスコミの編集に対して特にたくさん良い提言をしてくれ、あまつさえ周囲の読者獲得までしてくれる「スペシャル」な読者(ブロガー)には、それなりのチップを出したっていいわけだ。投書欄に載るだけで500円の図書券を送っているのだから、毎日ブログで編集に的確な提言を寄せてくれるブロガーに対しては、月1~2万円払ってあげてもいいぐらいの感覚でいればどうだろう。どうやってそのコミュニティーを作るかは、上で紹介した「リネージュ記者クラブ」のシステムが参考になる。
ここで以前に書いた「編集権」の話にも飛ぶのだが、結局のところマスコミの経営者というのは自分があまりにもマネジメントとしての能力がないゆえに、その権力が経営者ゆえではなく「編集権」という伝家の宝刀の保持者であることでしか維持できないと分かっているから、この編集権をことさらに振り回そうとするのである。しかし、本来編集権の権力は「民主主義」の名の下に記者ならびに一般読者に与えられるべきものであり、自身がまともな組織経営もできない経営者に与えられるべきものではない。
湯川氏は何だか韓国や米国で起こっているようなネットジャーナリズムあるいは参加型ジャーナリズムの日本での出現を絶望しているかのようだが、そんなに悲観的にならなくても良いのではないかと思う。別に、儲かりもしないネットだけのジャーナリズムなんて、雇用の吸収力がないのなら無理矢理出現する必要もない。
むしろ北海道新聞の高田昌幸氏が最近書いているように、憲法改正や性犯罪者監視を口実としためちゃくちゃな人権弾圧が平気な顔をしてまかり通るようになっているのを見ると、僕はマスコミが本来戦うべき領分からどんどん外れていき、はっきり認知できないがゆえにより恐怖を感じてしまうネットユーザーの圧力に対抗するかのように、こうした「編集権」を頑なに囲い込み続けることで、結果的には一般読者の意識から彼らのポジションがかい離していくことを深く憂慮する。
もしかして、「権力の横暴に楯突く」という本当のマスコミの役割がどんどん機能不全になっていけば、ブログどころでは補えないほど取り返しのつかない社会的損失が生じるのではないか。「ここで戦わずしていつ戦うのだ、記者諸君よ、権力に立ち向かえ!」と鼓舞する人々の声が、マスメディアの中枢にきちんと届かなくなっていくことの方が、僕にはずっとずっと恐ろしく思える。
最後になんだかわけのわからない文章になってしまったけれど、僕はこの連載を決してカネ儲けのためだけに論じてきたのではないということが、最後に分かっていただければと思います。マスコミにいる皆さんは、たぶん8割ぐらいおカネの問題で日々頭を悩ましているのではないかと思うけれど、松下幸之助も言った「先義後利」(商売とはお客に喜んでもらうもの。理念を追求すれば、儲けは後からついてくる)の言葉を忘れないでほしいと思う。
ちなみに、過去の連載コラムは以下の通り。皆様これまでご愛読ありがとうございました。
ブログと情報強度(その1)ブログという“公共圏”
ブログと情報強度(その2.5)ネットという“思考の枠組み”
ブログと情報強度(その3)ローエンド破壊されるマスコミ
メディアビジネスのバリューチェーン(その1)
メディアビジネスのバリューチェーン(その2)
メディアビジネスのバリューチェーン(その3)
メディアビジネスのバリューチェーン(その4)
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コメント
連載お疲れさまでした。
自分はマスコミはどうなるのか、どうしたらいいのかという
その点だけに注目してきたわけですが、
マスコミは積極思考の人々とうまく連携していくことが
生き残りの方策であって、
情報発信の敷居(ネットとかで)が下がったことによる積極思考の皆様の台頭が
その方策に向かわせた、とそんな感じに読み取りました。
で、結局はその積極思考を持つ在野の人材を
どうやって引きずり出すのか。
マスコミが呼び込めば来るものでもないし
積極だからって放っとけば放っといたで
マスコミは外野からの野次と受け止めてしまうのではないかな。
投稿: plau | 2005/05/24 13:11
おもろかった&共感しました。
「個人情報を取るわけではないがユニークユーザーの認証をかませる」
「主体性(発言の連続性)は担保する」
↑この辺とか良い感じ。
僕が将来的な姿として妄想してるのは「リアルとネットの繋ぎ目は一つ」で
「リアルと繋がってるネット上のIDがその他全てのネット上の主体性を担保する」
みたいなもの(その他全てを担保するのがベストかは微妙だが)。
上記のものはそれを既に(そのサービス上では)完成させてたんですね。
「カネ儲けのためだけに論じてきたのではない」のは伝わりました。
投稿: catfrog | 2005/05/24 16:37
面白かったです。
それと、R30さんのリベラルさが健康的で、読んでて新鮮な気分です。
今後とものご活躍を楽しみにしています。
投稿: むぎ | 2005/05/24 17:51
「リネージュ2記者クラブ」行ってみたけどそのシステム無かった…(´・ω・`)
R30型VCモデルだと結局編集部門で直接収益化はできてないのでは?
まあどこで収益とっても別にいいですかそうですか。
そういうものとしては「ライブドアPJ」「JANJAN」「カナコロ」ってどうなんでしょ。
「日刊ベリタ」とか…
ある程度要件を満たしてるような?
それとどうでもいいことですが図のオレンジの矢印の意味が良くわかんないです。
誰か教えて
投稿: R30はいつも図がイマイチ | 2005/05/25 00:04
リネージュ記者クラブのシステムは、もう失われちゃったみたいです。残念。
編集と取材のプロセスを往復してるオレンジの矢印は、実際には情報と人間がこの両方を行き来しながらコンテンツが形成されていくことを示しています。VCのプロセスとしては別々に表示しましたが、可逆性のプロセスである、という意味です。
編集部門の直接収益化の方法については、昨年11月の記事「はてなの将来と参加型ジャーナリズム」をお読み下さい。
http://shinta.tea-nifty.com/nikki/2004/11/communityjounal.html
投稿: R30@管理人 | 2005/05/25 01:07
む、このスライドはBlog用だけに作ったんじゃないように見えますね。
プロセスへの参加自体をインセンティブとするこのモデルは非常に有望だと思います。
後は有能な人物が、このモデルに従って小回りの効くベンチャーを起こせれば成功できると思います。
誰かリスクをちゃんと取れる人がやってくれることを期待します。私は無理だから(笑)
投稿: ねなし | 2005/05/25 15:27
そしてどうもありがとう。
(´-`)oO(でもその矢印いらないんj)
>直接収益化できてない
とか思ってたけど、考えてみると購読者数を増やす案として
「メディア参画をオプションで付ける」という趣旨ですね。
当然「無思考ユーザー」層にもそのオプションが付くわけで、
その結果積極思考に転ずる可能性もあると。
そういう人はきっと細かく読むだろうから広告リーチも上がりますよと。
win win scenario !(・∀・)
直接収益化については、やっぱわかりませんでした。
頭悪いのかも(´・ω・`)
投稿: Σ(゚Д゚)イマイチとか言ってゴメン! | 2005/05/25 17:34
連載、お疲れ様でした。BLOGを巡る新たな方向性が示されていて、大変参考になりました。
文中言及のあったリネージュ記者クラブですが、確かに大変よくできたコメントシステムだったと思います。CookieとIDを組み合わせて、同一性が保持されるだけでなく、記事中のリンクをポイントするだけでリンク先の記事がポップアップ表示されるとか、工夫されていました。なくなってしまったのは大変残念です。
CookieとIDの組み合わせという仕組みとしては、今はLineage Market Price Turboというサイトがあります。
http://lin1.l2mpt.net/
このサイトは、ニュース記事を載せるサイトではなくて、ゲーム内アイテムの取引価格に関する情報を交換するサイトですが、ただ放っておくと、一人の人が何度も投稿して価格操作(つり上げたり下げたり)という問題が生じかねません。
そこで、CookieとIDを組み合わせて、同一人がどのような投稿の履歴を持っているのか、見ることができるようになっています。また、他人の投稿に対して「(価格操作)疑惑ポイント」を付けることができるようになっていて、一定以上付けられると投稿ができなくなります。同時に、疑惑ポイントを付けた人の信頼度も下がるようになっていて、無実の人に疑惑を付けまくるといった弊害が生じないようにしています。
長くなってしまいましたが、ご参考までに。
投稿: Leoneeds | 2005/05/25 18:18
ちょっとまじめに考えてみた。
その一は個人として…
R30さんは、ブログを公的に発信しているし意識されているように受け止めている。対して、私は私的に発言するように心を砕いている。
まずは、私的発言から。私が現実の日常での会話にしても発言行為にしても、法に触れないなら自由にできる。また、私自身の姿形を見せないで行われたことに対して、その内容が信用されるということはない。よっぽど高度なことをすれば噂として広がるのだろうけど…。
で、対して、公的発信となると、組織の一員としてなら組織の信用が重要で、また、個人になると知名度と実績が信用となる。
ところが、ブログとなると個人で運営することが前提になっていて、どちらかというと無名の人でもあるし、ブログはまだ実績らし実績をあげていないのが実情。で、せめては、自分のブログをもつことや連絡がつくメールアドレスでパーソナルを表明せよという流れが根強く着実に広まりつつある。
しかし、それさえ将来は不満が大きくなると予測できる。過去のネットだと多くが無名の人だけだったのが、ブログになって現実の有名人が参加していて、その有名と無名との間に違和感となる。どんなことをしたって、無名ブロッガーのパーソナルの信用性は曖昧になる。
そこで、現実にある印鑑登録制度を、ネット用にアレンジしてハンドル名に信用度を与え、将来はネットを通じても法的契約書も結べるところまで発展できるシステムを構築してはどうだろうか?
また、私的発言にもどる。以上のように公的信用度がある発信と区別できるのだから、私的発言を内容で差別化したり人格否定表現の対象にはせず、法に触れないなら自由発言できるようにしてもらいたい。もし、そういう私的発言の多さにブログが混乱するなら、投稿できる場を区別してもいい。
その2はコミュニティーとして…
では同様に私的コミュニティーから。とくにコメント欄において私的コミュニティーの密度が高いと、そのメンバーと関係ない人間は参加しずらくなる。また、荒らそうとするとなると、これも実は難しい。もし危険を感じるならクローズド化もできる。
問題が大きくなるのは、公的性が高いところであり、またブロガー自身が公的に公言しているつもりなところ。で、トラブルが長引くようなら公言していることが私的な利益に偏向していると読者に受け取られるところ。
なので、私的な利益に偏向していないことを示すことが効果的だ。ブロガーとなると、一匹狼であったり、仮にブロガー同士の信頼関係があったとしても見えにくい。そこで、派閥やグループ関係を明示することを提案したい。
先に個人について述べたネットの印鑑登録できるところに、推薦人としてハンドルや推薦文も各自が投稿して、そのブロガーが承認して表示できるようにする。また、そこでも公的な推薦人や私的な応援と区別して、それぞれいつでも取り消すできるように。
ある意味、オープンなSNSなのかもしれない。また、推薦人は組織がついてもいい。予断だけど、finalventさんの推薦人に朝日新聞がついたりすると複雑で面白いと私的には思う。
最後に…
ネットがそれだけ一般化し大きくなったのだろう。私個人なら、私は私的にしか発言しないつもりでもいるし、そうならば、ネットの中が混沌していれば、私自身のコミュニケーション能力を測ることができるが、公私の境界線でトラブルが大きくなりそうだから、公的な人たちでシステム作りした方がいいのだろう。
あと、私的な発言は気にしすぎない方がいいとは思う。
おまけに…(思いっきり私的に)
古谷先生は、自然にやっているんだよなぁ。ブログの方は完全に公的態度で、日記の方は私的見解と私的なコミュニティーになっているし。あと、他のところで古谷先生のコメントを見受けられないのは、いくらURLとメールアドレスを入れてもパーソナルを証明できているわけでないからなのかなぁ。ココログは、本人の個人情報が登録されているのに対して、はてなは連絡はメールアドレスだけだし。現実の環境だって、うまくやれば、問題は起きにくいのだよなぁ。結局は、コミュニティー力なのかも。
投稿: noneko | 2005/05/25 22:15
じつはリネージュIIのプレイヤーであったりするわけですが。まさかここでこんな話をすることになるとは。
「記者クラブ」はどのモンスターが何を落とすか、という情報が最大のウリモノで、読者投稿のほかに、海外のユーザが(おそらくゲームクライアントのデータを解析して、未実装のモンスター名まで含めて)構築したデータベースと、匿名・登録ユーザの投稿データが組み合わさっていました。ところがじつは、一部に誤報があって、情報操作を目的としたものか? とささやかれていたこともありました。ええL2MPTのデータを信じて20万アデナほど財布に穴を空けましたとも。はっはっはっ。
投稿: 並河 | 2005/05/26 00:48
私もこのシリーズ楽しみました。
盛り上がりということに関しては、報道に関心があるアクティブユーザーは現在、数千人程度じゃないかと思いますが、それが10倍になったときに、「祭り」でなくても相乗効果で「盛り上がる」んじゃないかと想像してます。
参加型の編集ですが、各人のブログへのスタンスの違いを見ていると、ソーシャルブックマークみたいに遊び感覚の「軽い・みんなでの」編集と、閉じたコミュニティの中での「密な・時間をかけた」編集に二極化していく可能性があるような気がします。
投稿: maki | 2005/05/26 00:50
連載お疲れ様でした。
いろいろな面でとても勉強になりました。
投稿: 植木屋の恋愛事情・株式上場2005 | 2005/05/26 23:56
以前諫言を労したものですが、
今回の図解を見てその情熱、熱意に感心(動)しました。
益々の発展を祈念しています。
投稿: a | 2005/05/28 02:54