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2005/05/28

私は生きてます宣言としばらく更新停止のお知らせ

 ネット世間ではブログが終わっただの匿名野郎は市ねだのとメタ論議がかまびすしいが、どっちも今さら議論に乗る気にもなれず華麗にスルー。どっちも過去記事に僕の考えは書いたし、なんつーか超どうでもいい。

 更新が滞っておりますがこうして夜中の4時にブログ更新したりしてるように、死んだり病気になったりしているわけではありません。詳しくは言えませんが仕事上てんやわんやになっており6月上旬までに100ページぐらいの本を1冊書かなきゃなんねーとかプロジェクト3つぐらい大車輪で回しつつも一方で自分は引っ越ししなきゃいけねーとか複数の他人の人生相談に同時進行で乗らなきゃいけねーとかあれやこれやもうなんかパニックになりそうなほどいろいろございましてマジで洒落にならん。そんなわけでブログ書くことに頭使ってる時間がほとんどないというのが実態です。

 というわけで周辺事態がしばらく落ち着くまでブログ更新を停止させていただきます。更新を楽しみにされているごくごく一部のマニアな方には申し訳ありませんがはっきり言いましょう。あなたはマニアです(笑)。というわけで6月中旬までごきげんよう。

 というかむしろ真の問題はこのエントリがライブドアBlogニュースのどこのカテゴリに入るかということかもしれない。

04:02 午前 コメント (12) トラックバック (7)

2005/05/24

メディアビジネスのバリューチェーン(最終回)

 昨日は古谷先生とのお茶会だった。ブロガー同士が会って話すとブログで書けない話ばかりが飛び交うというのが通例であって、今回もとっても面白い話が多かったが、どれも書けないことだらけ。というわけで何を話したかは秘密です。どうして会えたかもしばらくは秘密。いずれどこかでタネ明かししますが。うふふふ。

 ところで全然関係ないんだけど、3月から断続的に連載してきた「ブログと情報強度」あるいは「メディアビジネスのバリューチェーン」というタイトルのネットメディア論シリーズに、そろそろ落ちをつけておこうかなあと思い立った。理由は湯川氏@時事通信のブログに久しぶりに反応しなきゃなあという義務感(笑)と、YOMIURI ONLINEのブログ導入のネタがあったから。

 湯川氏はそのYOMIURI ONLINEのブログ機能実装記事を評して、

炎上しない程度に盛り上げる・・・。この微妙なバランス感覚をつかむことが大事なんだろうなあ。
 と述べているが、トラックバック機能だけで盛り上げるのって結構大変だと思うよ、正直言うと。

 眞鍋様や古田様のように、メジャー芸能人属性に許されるギリギリの下ネタで突っ走るか、そうでなければガ島通信ぐらいツッコミどころ満載の煽り記事をガンガン連打するぐらいでないと、トラバってそうそう集まらないし。そのガ島通信のnikkeibp.jpでの連載記事でも、TB数は最大で60本ぐらいでしょう。先週アップされた最新の記事に至っては、重複含めてもまだ11本しかないし。

 でも、これってすごくポジティブに捉えられる話だと思っていて、要するに「ブログのトラックバックシステムを使えば、読者参加型にしても荒れない」ことが判明したわけですよ。いや、そんなこと分かってる人にはとっくの昔から分かってたんだけど、ネットに関しては決定的にリテラシーのないマスコミの中の人にも、それははっきり目で見て分かるようになったんじゃないかと。

 今さら今さらのおさらい話なんだけど、コメントが荒れやすいのに何でトラックバックが荒れないかっていうと、

  1. コメントは「書く」→「送信ボタン押す」の2ステップで書けちゃうけど、トラックバックは「自分のブログ開く」→「書く」→「公開する」→「相手のブログのトラバURLをコピる」→「自分のブログのトラバ欄に張り付け」→「更新ボタン押す」っていう、6ステップぐらいが必要で、そのあいだに沸騰した意識が冷やされる
  2. 意見を言うにしても「自分のブログを通して」言うことになり、発言者の主体性が問われるので慎重になる
  3. 長い意見を書いても相手のブログでは2~5行程度しか表示されないので、読む側が「TB先のブログに対する意見」として感情移入して読むよりは、「関連トピック」としてざっと斜め読みするため、煽り記事に対するハレーションが起こりにくい
などの要因があるわけだ。

 分かりやすく言うと、トラックバックは「書き込み者の主体性(=発言の連続性)を明らかにする」「そのページの主体(ブログ主)以外の発言は機械的に途中カットされる」という2つの効能を持つが故に、無責任な殴り書きコメントの殺到、つまり「荒らし」を抑制する効果を持つ。ただし、書き込みに対するハードルが(手順と主体確認の両面で)高くなることによる効果の代償として「盛り上がらない」という副作用もあるわけで、これが湯川氏のつぶやきの原因だと思う。

 で、僕は前からこのMTの「コメント≠トラバ」という分離の機能にすごく違和感を持っていて、何でこの2つの機能を分離させたものとして持つんだろう、何で誰も両方のメリットをうまく取り入れた新しい機能を作らないんだろう、ずっとそう思っていた。

 いや、正確に言うと、実はこの2つのメリットをうまく合わせたCMSを、ブログの草創期に見たことがあるのだ。覚えている人がいるかもしれないが、2年ほど前に「リネージュ」というオンラインゲームのユーザーサイトで「リネージュ記者クラブ」というのが存在した。

 このサイト、今から思い返しても非常に良くできたCMSで、一定頻度以上訪問してサイトを巡回している読者に対し、予告されないタイミングで、あるCookieを発行するという仕組みになっていた。

 このCookieがコメント書き込み者の個人認証として使われるようになっていて、Cookieを持たない読者(過去1ヶ月以上そのサイトを訪問したことのない読者)は、コメントができないようになっている。また、例えばある記事にCookieを持っている読者がコメントを付けたとする。するとコメントの横の小さな吹き出しアイコンが表示されて、それをクリックすると、その読者が過去に書き込んだコメントが全部一覧できるようになっていた。

 要するに、「リネージュ記者クラブ」の掲示板システムは、個人情報を取るわけではないがユニークユーザーの認証をかませることによって、手間をかけずに書き込めるコメントでありながら主体性(発言の連続性)は担保するという仕組みだった。

 残念ながらトラックバックのもう1つの機能である「長い発言の自動省略」機能はなかったので、それでもコメント欄が荒れる傾向は完全にはなくならないようだったが、たぶんその機能が実装されていれば、せいぜい数千人が参加するサイトでありながら荒れることなく2ちゃんねる並みの盛り上がりが演出できるサイトになっていただろうと思う。ちなみに「リネージュ記者クラブ」は、個人ユーザーの管理していたサイトだったため、そのユーザーが運営に「飽き」た時点で閉鎖されてしまった(正確に言えば、他の有志に引き継がれて、現在は「リネージュ2記者クラブ」として存続しているが)。

 話を元に戻すと、この「メディアビジネスのバリューチェーン」という連載で、僕は「ネットジャーナリズム」あるいは「参加型ジャーナリズム」のスタートアップを予想して、というよりは、むしろ既存のマスメディアがネットにおいてもうまくユーザー(読者)と親和していくためにはどうすべきか、ということを念頭に置いてきた。

 メディアが生み出す「価値」には、読者に対する価値以外に、広告主に対する価値というのもあるのだが、それを読者層へのリーチだけに単純化すると、結局どれだけ狙った層の読者にコンテンツを読んでもらうかに還元されるので、ここでは議論はしない。

 以前に書いたが、「難しいことは考えたくないから、とりあえずおたくの一定の価値判断に基づいてまとめた情報だけよこしてくれ」という読者層(無思考ユーザー)は、今も昔もマスコミのロイヤリティ・ユーザーであり問題ない。だけれど、自分でネットやリアルからデータを集めて事実の真偽やマスコミによる編集の価値判断の是非を検証できる、またはしようとするユーザー(積極思考ユーザー)は、もはやマスコミがパッケージで提供する情報だけで納得しない。

 それでもマスコミ情報を「参考資料」としては必要とする人はまだいいが、ずさんな取材や偏った価値判断による編集に我慢できなくなった人は「ネットがあるからマスメディアは要らない」と愛想を尽かして購読を止めてしまう。広告価値として「リーチが減る」ことは単純にマイナスだから、もし新聞や雑誌の収益を維持したければ、こうした人々を媒体に引きずり戻すことだけ考えればいい。

メディアのバリューチェーン再構築 といったことから僕が考えていたのは、左図のようなメディアのバリューチェーンの再構築(デコンストラクション)だった。

 要するに、これまでマスメディアの内部機能(つまりコストセンター)の1つだった「編集」を、外部に対して価値提供する機能(プロフィットセンター)に変えてしまうというアイデアだ。ついでに「取材」という機能も、コストセンターであることは変わりないが、それ自体も外部とミックスして機能をアップさせることも可能だろう。そして、これらはすべてブログなどのインターネットCMSによって可能にできる。

 「編集」の機能だけを独立させてどうやって収益化するんだ?と疑問に思われる人もいるかもしれない。だが、「積極思考ユーザー」という人種の読者からすれば、自分の意見が「投書」というかたちだけではなく、記者や編集者との議論というかたちでメディア変革に反映される(かもしれない)という権利が、その成果物である「媒体」の購読に付随していれば、「参加」してみたくなるものである。

 あるいは、自分の意見が反映された媒体が発行されていたら、それを周囲の人間に購読させたくなる人もいるだろう。メディアの中の人間だってそういう経験はあるに違いない。かつて大手の新聞に投書が掲載されるとなると、掲載号を知人友人が競って買い求めたりもしたものだ。僕の父母だって、僕が記者をやっている間中、頼みもしないのにずっと僕が仕事をしている雑誌を購読していた(笑)。要はその感覚を、なるべく多くの人に持たせればいいだけのことなのだ。

 ということは、マスコミの編集に対して特にたくさん良い提言をしてくれ、あまつさえ周囲の読者獲得までしてくれる「スペシャル」な読者(ブロガー)には、それなりのチップを出したっていいわけだ。投書欄に載るだけで500円の図書券を送っているのだから、毎日ブログで編集に的確な提言を寄せてくれるブロガーに対しては、月1~2万円払ってあげてもいいぐらいの感覚でいればどうだろう。どうやってそのコミュニティーを作るかは、上で紹介した「リネージュ記者クラブ」のシステムが参考になる。

 ここで以前に書いた「編集権」の話にも飛ぶのだが、結局のところマスコミの経営者というのは自分があまりにもマネジメントとしての能力がないゆえに、その権力が経営者ゆえではなく「編集権」という伝家の宝刀の保持者であることでしか維持できないと分かっているから、この編集権をことさらに振り回そうとするのである。しかし、本来編集権の権力は「民主主義」の名の下に記者ならびに一般読者に与えられるべきものであり、自身がまともな組織経営もできない経営者に与えられるべきものではない。

 湯川氏は何だか韓国や米国で起こっているようなネットジャーナリズムあるいは参加型ジャーナリズムの日本での出現を絶望しているかのようだが、そんなに悲観的にならなくても良いのではないかと思う。別に、儲かりもしないネットだけのジャーナリズムなんて、雇用の吸収力がないのなら無理矢理出現する必要もない。

 むしろ北海道新聞の高田昌幸氏が最近書いているように、憲法改正や性犯罪者監視を口実としためちゃくちゃな人権弾圧が平気な顔をしてまかり通るようになっているのを見ると、僕はマスコミが本来戦うべき領分からどんどん外れていき、はっきり認知できないがゆえにより恐怖を感じてしまうネットユーザーの圧力に対抗するかのように、こうした「編集権」を頑なに囲い込み続けることで、結果的には一般読者の意識から彼らのポジションがかい離していくことを深く憂慮する。

 もしかして、「権力の横暴に楯突く」という本当のマスコミの役割がどんどん機能不全になっていけば、ブログどころでは補えないほど取り返しのつかない社会的損失が生じるのではないか。「ここで戦わずしていつ戦うのだ、記者諸君よ、権力に立ち向かえ!」と鼓舞する人々の声が、マスメディアの中枢にきちんと届かなくなっていくことの方が、僕にはずっとずっと恐ろしく思える。

 最後になんだかわけのわからない文章になってしまったけれど、僕はこの連載を決してカネ儲けのためだけに論じてきたのではないということが、最後に分かっていただければと思います。マスコミにいる皆さんは、たぶん8割ぐらいおカネの問題で日々頭を悩ましているのではないかと思うけれど、松下幸之助も言った「先義後利」(商売とはお客に喜んでもらうもの。理念を追求すれば、儲けは後からついてくる)の言葉を忘れないでほしいと思う。

 ちなみに、過去の連載コラムは以下の通り。皆様これまでご愛読ありがとうございました。
  ブログと情報強度(その1)ブログという“公共圏”
  ブログと情報強度(その2.5)ネットという“思考の枠組み”
  ブログと情報強度(その3)ローエンド破壊されるマスコミ
  メディアビジネスのバリューチェーン(その1)
  メディアビジネスのバリューチェーン(その2)
  メディアビジネスのバリューチェーン(その3)
  メディアビジネスのバリューチェーン(その4)

12:25 午後 メディアとネット コメント (13) トラックバック (10)

2005/05/21

ネット時代の「マネ下デンキ」戦略の成否

 ライブドアブログニュース問題をきっかけに、さっそくあちこちで釣られた人たちが盛り上がっている。で、さっそく「絵文録ことのは」の松永氏から、格好の釣り餌が垂らされてきた。なんかもう、これに食いつかなかったら「マーケティング」の看板下ろすしかないだろうって感じの(笑)釣り餌なので早速釣られてみる。

 ライブドアは「松下電器型」か。ブログニュースに見るサービス展開スタイル(絵文録ことのは)

 松永氏は『「おんなじものを今さら」やるというのが、ライブドアなのだと思う。そして、そのやり方の先駆者として、日本を代表する家電メーカー松下電器がある』と述べている。…大変いいポイントである(笑)。

 ここでは、現在の松下電器産業がどのような商品戦略を取っているかは、松永氏と同様、とりあえず脇に置いておき、ライブドアの何でもパクリ作戦と、かつての(60~80年代ぐらいまでの)家電の王者松下電器とが、戦略的に同じかどうか?だけを問題にする。結論から言うと、「全然違う」。

 かつての松下電器のような「ソニーが何か新製品を出すと、すかさずそれとそっくりの商品を売り出す」というのは、いわゆる「同質化戦略」と言われる手法である。これは、本来はシェアで劣る二番手、三番手企業の取るべき戦略ではない。ソニーが丹精込めて作った独特の新製品をあっと言う間に色あせさせ、コモディティ化させるのは、その市場において新参者の影響力を可能な限り薄めておきたいトップシェアの企業が取る戦略である。

 まずその点において、家電の流通チャネルで圧倒的なトップシェアを握っていた松下と、ネット企業としての総合的なブランド力やリーチでヤフー、楽天の2社にまだまだ及ばないライブドアは、同列には論じられない。

 いや、そうは言ってもライブドアは既にヤフー、楽天に続く「トップグループ」のプレーヤーじゃないか、という反論もあるだろう。それでも僕は、「ライブドアは松下とは違う」と思う。

 その理由は、まさに松永氏のエントリに彼自身が「松下電器の戦略」について書いている部分で示されている。

製品を出してくるのは二番手、三番手、あるいはそれより後かもしれない。だが、かならず松下電器は先発の製品をよく研究し、そのよいところ、悪いところを見て、消費者になじみやすい「合格点」の、あるいは「無難」な製品を出してくる。こだわりがあるとか、プロならばもっと別の専門的なメーカー、個性的なメーカーの製品を選ぶのだろうが、普通に使いたい一般のユーザーにとって、パナソニックなら「外れはない」というところを突いてくるし、そして大体の家電品については商品ラインナップが揃っていて「安心」できる。
 往年の松下の「マネ下デンキ」たるゆえんは、まさにこの「後からかならず、無難な、合格点の」商品を出してくるというところにあった。

 松下幸之助翁のエピソードは数多いので、僕も実はうろ覚えなのだが、確かこんな話があったと思う。マーケティングの世界で、プライシング(価格戦略)の秀逸な事例として今でも伝説になっている話だ(間違っていたら誰か指摘してください)。

 ある商品(もちろん他社が作った商品の後追い)を作った社員が、幸之助にそれを見せて「どのくらいの値段で売りましょうか」と相談した。幸之助はその社員に「どのくらいで売ろうと思てるねん」と尋ねた。社員が「競合が値下げで追随できないぐらいの価格(確か3割ぐらい下だったか)にしようかと思てます」と言うと、幸之助はこう言ったという。

 「おまえさん、そら、あかん。まず最初は、競合が値下げで追随できるぎりぎりのところに値段をおくんや。2割5分ぐらいや。そしたら、たぶん向こうは必死になってコスト見直して、値段を下げてきよるやろ。下げてきたとたんに、こっちはひょいとまた3割に下げるんや。これで競合は『松下はあれでもまだ値下げの余地があるんか。これ以上正面から打ち合っても勝てん』と諦めて、値下げして来んようになるんや。よう覚えとき」
 なんともはや、えげつない手口である(笑)。これでこそ松下。

 最初に製品を作ったメーカーの商品には「世界初」「日本初」などのブランド・プレミアムが乗る。松下にはそれがない分、オリジナルより少しだけ使い勝手の良い商品をオリジナルが追随できない程度の低価格で売る必要がある。その、「追随できない」ということを、2段階で相手に思い知らせるというのが、経営の天才と呼ばれた幸之助独特の心理作戦の真骨頂であった。

 翻って、ライブドアのサービス戦略はどうだろうか。消費者向けのネットサービスはほとんどタダなので、プライシングの工夫は存在しえない。とすれば、幸之助の「2段階」をサービス内容のみでやって見せなければならない。つまり、競合より「ちょっと使い勝手の良い」サービスを、ちょっとずつ改良して見せて、常にこの分野でトップは譲らないよ、ということを示さなければならない。

 だが、これまでライブドアが競合のマネをして始めたサービスが、競合より「ちょっと良かった」試しなどあるだろうか。あったら実例を教えてほしいものだ。ヤフーの劣化コピーのようなサービスはいくらでも存在するが、ヤフーより「ちょっと良い」ものなんて、ほとんどないのではないか。

 一方、最近のヤフーはかつての「松下」的な戦略に忠実である。はてなをパクろうとした「知恵袋」こそコケたが、業界最後発で参入したブログも、なんだかんだ言われつつ作成者数のシェアでは10%、ネットユーザーのリーチで24%(ブログ閲覧経験者の中では39%)も取っている(詳しい調査データはこちら参照)。ネット業界の「マネ下」の称号を冠するなら、ヤフーこそそれにふさわしいと思うんだが。

 前のエントリで僕が「追求すべきはエキサイトブログニュースとの違い」と書いたのも、既に「ブログニュース」のサービスではエキサイトが(中身はともかく)トップブランドであり、後発で勝ちたいならエキサイトより「ちょっと良い」サービスをやらんとダメだぜ、という意味を込めたものだ。これが「サービス内容は同じだけど、価格がちょっと安い」なら分かるのだが、ネットサービスに価格もくそもない(しかもヘッドラインをクロールするブログがうちを含めてエキサイトと似たようなラインナップになることが既に見えている)以上、巡回サイトをエキサイトから切り替えるだけのメリットみたいなものが、やはりユーザー側に提示されてしかるべきと思うのだ。

 …とまあ、これはネットのサービス=リアルの製品、という比喩が成り立つものとして論を立ててみたわけだけれど、実際に劣化コピー的サービスの山を築きながらもここまでのし上がってきたライブドアを見るにつけ、実はもう「マネ下」的な同質化戦略の効果というのはほとんどなくなっているのかも知れないと思う。

 その証左というか、まさに本家本元の松下が2000年に入ったあたりから「V商品」とか「破壊と創造」とか叫びながら、製品戦略においても「他社よりちょっと良くて安い」という往年の松下流をかなぐり捨てようと必死になっているのを見ると、そのあたりの競争のルールそのものが、何やら根本から変わってしまったのではないかという気もしてしょうがない。

 経営学とかマーケティング理論とかをまじめに考えている人がいたら、ここらへんを「なぜ」で掘り返していくと、意外と面白い発見があるかもしれませんよ。やる気のある方はぜひどうぞ。良い理屈を考えついたら、ぜひ教えてください。

11:28 午後 メディアとネット コメント (12) トラックバック (8)

2005/05/19

【速報】ライブドア、6月初めに「ブログニュース」欄を開設

 以前から立ち上がるという話のあった一般のブログのヘッドラインを並べた「Blogニュース」のコーナーを、Livedoorニュースが6月初旬にサービス開始することになったらしい。コンペティターとして「エキサイト・ブログニュース」を明確に意識したものと言えそう。

 ついさっき、ライブドアメディア事業本部担当者から、このブログも「Blogニュース」にヘッドラインを並べさせてもらいたい、との趣旨のメールが送られてきた。ちなみに、開設当初の参加ブログは30ほどを予定しているそうな。ホリエモンの社長ブログとかはもちろん入るんだろうけど、それ以外にエキサイトの方とどういう違いを打ち出すのか、興味あるところ。(5/20 12:00追記あり)

 ちなみに、メールにはブログニュースコーナーの開設理由として、「RSSリーダーの敷居が高いというユーザー層は、まだまだ多く存在します」とあるが、これってどうよ。個人的には、はてなブックマークとかRSSを吐き出すサービスがこれだけ増えまくって、当然ながらかなりのネットユーザーが1~2種類のRSSリーダーを何となく使ってるんじゃないかと思う今頃になって、別にRSSリーダー非利用者の存在を理由にしたサービスを作る必要も、ないと思うんだがねえ。

 むしろ追求すべきは、「エキサイトブログニュース」との違いでしょ。「うちはもっと協力ブログの幅が広い」とか、「小ネタ、論壇、ギーク、海外、芸能などのカテゴリ別に分けて提供するぞ」とか、そういうのがあればちょっとは「へぇ」とか思うんだろうけど、おんなじものを今さらやってもねえ。

 あと、笑えたのはライブドアおなじみ「支障がありましたら、お手数なのですがご連絡を願えませんでしょうか」という、ネガティブ・オプションのみの依頼メール(笑)。いつも面白いなあ、ネット企業は。いやほんとに。そういう態度を改めるところからでないと、顧客の信頼って得られないと思うよ。いや、別に僕はいちいち断らんけどさ。

 あえて面白い返事でも書いてみようかと考えたけど、忙しいしめんどくさいので止めた。切込隊長か栗先生あたりが笑える厨反応してくれるのをかすかに期待(笑)。

(5/20 12:00追記)TBいただいたtachのアレゲ日記さんのところで晒されているが、メール自体が全ブログの管理者メアドをbcc:に入れて一括送信したもののよう。「興味深いエントリを活発にUPされている」とか、すげーしらじらしい。何やら香ばしく(ry。一応私信だと思ったから晒すのやめとこうかと思ったが、主要ブログにばらまかれただけのスパムメールなら、晒しちゃってもよさげ。しかもこの前までケンカしてたはずのブログ時評にまでスパム送って弾道先生の神経、ジョリジョリ逆撫でしてるし(爆)。おもすれーwwwww。香ばしすぎて面白いので、僕はあえてレスせず黙ってることにしました(笑)。

10:53 午後 メディアとネット コメント (12) トラックバック (12)

新聞販売店のずさんすぎる個人情報管理

 4月から会社の仕事は寝ても覚めても個人情報個人情報で、昨日も「そこまで言うか」的な管理マニュアル確認の会議が延々続いていて疲れ切っていたわけだが、こちとらがそんなにしてまで個人情報管理に神経すり減らしている時に、マスコミはそのはるか斜め上ですよ。

 新聞止めた家狙い空き巣 元販売店の夫婦ら送検(共同ニュース via gooニュース)

 元新聞販売店経営者が、新聞の「休み止め」読者のリストを販売店に忍び込んで盗み出しては、留守宅を狙った空き巣を首都圏で100件以上やっていた、というもの。判明しただけで48件、5600万円の被害があったらしい。(15:50追記あり、タイトルも変えました)

 しかし、なるほどと膝を打つアイデアだ。ていうか、膝打ってる場合じゃないし。新聞販売店って、(犯罪も含めて)商売のネタになる個人情報の宝庫なんだな。この手口がプロの空き巣狙いに知れたら、全国的に被害がすごいことになりそうだけど。配達のアルバイトのふりして販売店に入るなんて、いとも簡単なことだろう。

 思えば新聞やテレビとかのマスコミって、「マス」って付くだけあって、一番個人情報保護に疎い人たちなんかもしれない。個人の顔見て仕事するってことがほとんどないからね。でも、本当の意味でのマスメディアは、テレビしか存続し得ないだろうから、新聞の人たちは早く自分たちが「マスメディア」じゃなくて「ターゲットメディア」だって意識を切り替えて、個人情報管理をきちんとした方がいいんじゃないのかな。

 個人情報を管理する際に一番大事なのは、データベース管理の際の注意点と同じ。つまり「分散させず、なるべく一カ所に集めて管理する」、「切り出す時はデータベース全体が分からないようなクエリを組む」、そして「アクセス履歴をきちんとトレースする」、この3つだと思う。

 その意味では、新聞って販売店ごとに顧客情報を管理してるわ、それぞれの配達員の担当地域の状況すべてが分かるようなデータの作り方をしてるわ、誰がアクセスしたかのトレースもできないわで、全然なってないんだろうな。

 今回みたいな、販売店のずさんな顧客情報管理が甚大な犯罪被害を起こしちゃったという場合、被害者が新聞販売店を盗難被害の補償を求めて民事訴訟に訴えるってことは、あり得るのだろうか。今話題の偽造カードによる被害も、金融機関側に原則補償の責任があるわけだし、不適切な情報管理によって起きた被害は相当額事業者側の責任が問われるのではないだろうか。

 法律のことはよく分からないのでこれ以上何とも言えないけれど、「報道機関は個人情報保護法の適用外」とか嘯いてこの問題を放置してたら、そのうち販売組織が訴訟の嵐に巻き込まれて崩壊しそうな気がするな。というか、それ以前に賢明な人は販売店から宅配で新聞買うの、止めるだろ。

 逆に、このピンチを新聞社の顧客情報管理体制を一元管理に変革して、プッシュからプルに販売施策の軸を切り替える、またとないチャンスにするっていう手もあると思う。いずれにせよ、日本の新聞販売店にもそろそろ近代化が必要なんじゃないかねえ。

 しかし、それにしても個人情報管理って、めんどくさいよなあ。

(15:50追記)新聞販売店の休み止め情報を使った空き巣の手口って、以前からあったものなのね。(asahi.comのこちらのニュース(Googleキャッシュ)。年が分からないが、昨年か?)逆に言えば、ここで「販売店に対し、顧客情報の管理に万全を尽くすようお願いしていきます」と朝日新聞の広報部のコメントが出ているということは、新聞各社も顧客情報管理が問題の一端であることは認識していたということだな。これは結構大きな問題になりそうな気がする。

(16:00さらに追記)大手紙の過去の紙面DBを検索してみたら、やっぱり。上の追記のニュース(昨年5月のもの)も今回のものも、ほとんどどの新聞社も記事にしていなかった。そりゃそうだよなあ。1年たっても顧客情報管理に何も手を打って来なかったことがばれちゃったら、企業としての責任を問われるだけじゃなくて、「防犯のためにも新聞を定期購読するの止めましょう」って論理が成り立つもんな。ネットでこのニュースを流した共同通信、GJ。

05:32 午前 メディアとネット コメント (10) トラックバック (2)

2005/05/16

リサイクル引っ越しについて考える

 週末はあれこれ忙しくしていて更新できなかった。このまま放置しておくと永久に更新が止まってしまいそうな気がするので、むりやりエントリ。

 来月に引っ越しを予定している。それでいろいろと見積もりを取っていた。ネットが最大の力を発揮する1つの典型が、こういう「一生に数回あるかないか」の頻度でしか買わない商品・サービスを選ぶ局面だ。今回もそういう意識を持っていろいろとネットの活用を試してみた。

 うまく業者を選定して購入するためには、引っ越し業者およびその業界についての基礎知識がまず必要だ。そういう基礎知識も、ネットにしっかりと蓄積されている。

 今回見つけた中でのイチオシは、「引越しのウラオモテ」というサイト。元引っ越し業者で働いていた横浜の中村氏が作ったサイトで、引っ越し業界の概説から料金計算機、見積もりサイトの活用や価格交渉、準備から当日のトラブル、果ては自力での引っ越し方法まで、ここを全部読めばとりあえず引っ越しについて戸惑うことはなくなる。ちょっとした相談のできる掲示板や関連情報のリンクなどもついていてとても便利だ。

 で、引っ越し業者を見積もりに呼ぶわけだが、これがまた最近は本当に便利。ネットで運ぶ荷物の数や住宅の条件などを入力すると、それが自動的に何十社もの引っ越し業者に送られ、見積もり連絡や交渉ができる「一括見積もりサイト」というのがたくさんある。

 今回はその中で、「100社へ引っ越し見積り!100社.com」というサイトと、「あい見積り」というサイト、2つに入力して送ってみた。結果から言うと、「あい見積り」の方はサイトの担当者がすぐに電話してきて「○○社と××社が連絡を取りたいと言っているが紹介して良いか」などの確認があり、その後もメールでレスポンスしてきた業者が多かったと思う。

 ただ、業者の数は多ければいいってものでもない。いちいちメールに返事を書いて時間調整するのも大変だし、訪問見積もりをしてもらうと貴重な休日の時間が1社あたり30分~1時間は潰れる。今回は2日に分けて4社に来てもらったが、多くても4~5社が限界だろう。10社とか見積もりしてもらっても、どこも似たり寄ったりであまり意味がないと思う。

 こういう一括見積もりサイトで連絡してくる引っ越し業者というのは、テレビでCMを流しているような大手ではない(大手も一応加わっているようだが、繁忙期でもないはずなのに連絡はまったく来なかった)。地域限定でやっていたり、ちょっとした特技のある中堅業者だ。でも値段は大手よりたいていは安い(らしい)ので、引っ越し業者のブランドイメージ(ネコやらペリカンやらパンダやらのマークの入ったトラックを新築住居の前に横付けして近隣に見せびらかしたいという欲望)を気にしない人であれば、大手にこだわる必要はないと思う。

 メールや電話で業者から連絡があったら、さっそくお伺いを立てるのがGoogle先生だ。先生に「(引っ越し業者名) 最悪」あるいは「(業者名) site:2ch.net」とでも入れて検索すれば、悪評は一発で見つかる。大手のS社なんて、もう悪評がこれでもかっていうぐらいてんこ盛りで、大いに笑える。

 逆にネットの一括見積もりサイトに登録している中堅業者は、悪評はほとんど出てこない。これは、単純にこなしている件数が大手よりも少ないということもあるだろうけど、ネットに悪評を書かれるようなことをすれば一巻の終わりだということを彼らが相当意識しているからだろうと思う。

 実際、見積もりに来た某社の営業マンも「最近はネットで情報がすごく出回っていますから、本当に下手なことはできないんですよ」と言っていた。いいことだ。下手なことなどしないでほしい(笑)。

 そういう流れを見ていると、少なくとも引っ越し業者の中でもCMを打って企業ブランドを作ろうとするような企業は、これからどんどん法人引っ越しなどのスケールメリットの効く市場にシフトしていくのだろうと思うし、個人客を取って行こうとする中小・中堅企業は、広告宣伝費を使わなくても、ウェブの活用や工夫でかなりのところまで業容拡大していけるんではないだろうか。同じ引っ越しでも、規模によってKSFが明確に変わってくることになるんだろうね。

 かつては、個人向け引っ越しサービスは営業マンを叩けばすぐに何万円と値段が下がるというようなことが言われたが、今回見積もりを取った感じでは、どこも比較的良心的な価格を出してきているように思えたし、材料なしで価格交渉されてもあまり取り合ってくれなさそうな印象が強かった。むしろ思うのは、引っ越しサービスそのものではなく、付加サービスの部分でどのくらい顧客のメリットを追加できるかというところに、競争の力点が移ってきているのではないかということだ。

 各業者のウェブサイトをよく見ると、それぞれにユニークな付加的なサービスをいろいろと取りそろえようとしていることが分かる。その意味で今回見ていて面白いなあと思ったのは、不要な家具や家電製品のリサイクル買い取りというサービスを、何社かが提供していたことだ。

 不要品の引き取り(処分)というのはこれまでもあったが、リサイクルショップを兼営したり、フリーマーケットに常設ショップを持ったりする引っ越し業者が出てきている。これは引っ越しする人と業者の双方にとって結構メリットが大きい。大きな家具のリサイクルコストというのはたいていほとんど運送費だが、引っ越しに使ったトラックでそのまま中古家具を回収してくれば、リサイクルのためだけの運送コストは要らなくなるため、その分通常のリサイクルショップより高い価格で買い取りができる。つまり、顧客にとってもトータルな引っ越し費用を相殺して抑えることができる。

 さらに一歩進んで、買い取った中古家具や家電製品を、手ごろなセットにして単身の引っ越し客に再販売することもできる。こうすれば、例えば一定期間だけ単身赴任する人などにとっては、いちいち赴任先でまた1人用の家具や生活家電を買いそろえなくても、引っ越しと同時にそれらの手配が終わることになり、非常に便利だ。

 特に大きな家具などのリサイクルは、商品価格(と利益)を物流コストがはるかに上回ってしまうため、法人向けのオフィス用品など、取引ロットの大きなものでない限り、これまでなかなか市場が育ってこなかった。だが引っ越し業者を仲介とした中古家具の流通サービスというのがもう少し大きくなってくれば、いろいろと面白いことが起きそうな気もする。

 もし近々そういう引っ越しをしてみたいとお考えの方がいらっしゃったら、僕が見つけた「リサイクル買い取り+引っ越し」の合わせ技サービスをやっている引っ越し業者として、「アルファ引越センター」「リサイクルBOY引っ越しセンター」の2社をご紹介しておく。この2社は関東近辺のみの営業みたいだが、他の地域にも似たような業者が既にあるかもしれない。

 家具の場合は運送コストが大きすぎるのでどうかとも思うが、中古品というのは相場形成のノウハウにおいて一般にスケールメリットが働く。こういうリサイクル引っ越し業者がある程度出てきたら、首都圏とか近畿圏ぐらいの規模で中古家具のネット取引市場を作る企業なども生まれてきそうな気がする。

11:22 午前 ビジネス コメント (4) トラックバック (3)

2005/05/12

往年のセガバンダイが重なって見えるタカラトミー統合

 ナムコ+バンダイに続いて、タカラ+トミーも経営統合ですか。おもちゃ再編ラッシュですな。

 タカラとトミー、経営統合へ(NIKKEI.NET)

 日経のスクープだが、NHKも朝のニュースで流していたから、複数ソースからリークが出てるんだろうな。その後、両社からは一応「協議中」のコメントが出ているようですが、朝一の取締役会で決議して、午後3時にでも発表するんでしょう。合併比率も決めないうちにリーク出すなんて・・・とかいう繰り言はまあおいといて。

 そもそも、ナムコ+バンダイの時に比べて、この2社の負け組連合っぷりはどうよ。シナジーも何もあったもんじゃねえ。

 ナムコ+バンダイは、分かりやすかったんだよな。「セガに振られた組結婚」とかいろいろ言われていたが、僕的には非常に納得感が高かった。だって、ナムコっていろんなゲームセンターをはじめ、「ナンジャタウン」をはじめとしたテーマパークや、「浪速食いしんぼ横町」「池袋餃子スタジアム」とかのフードテーマパークなど、往年のセガがそうだったような「集客力のある施設を作る」ノウハウに徹底集中していた会社なんだよね。その代わり、中のアミューズメント機のうち女の子向けキャラクターものなど、どうしてもナムコ自身の弱い部分というのはコンテンツを持つ他社に頼らざるを得なかった。

 一方、バンダイは「ライダー」や「レンジャー」シリーズ、「おじゃ魔女」「プリキュア」など、小学生から大きいオトモダチまでにリーチするキャラクターを複合商品で展開し、この部分では他を圧倒する強さを持つ。ただし、実際の消費者との接点は、テレビやコミックという空中戦(マスメディア)しかなくて、白兵戦(店舗)での展開は町のおもちゃ屋さんや量販店、それにナムコやセガなどのゲームセンター運営会社頼み。せっかく「ガンダム」など強力なキャラクターの版権も買い集めたのに、それをどうやって拡販するかに悩まされていたわけだ。

 だから、おりしも家庭用ゲーム機向けの市場先行きが怪しくなってきている今、この2社の統合というのは、かなり理想的な組み合わせだと思った。バンダイが作ったものをナムコの抱えるアミューズメント施設で売りまくるというのをうまく実現できれば、おもちゃ業界各社の長年の夢だった「開発からMD、流通まで一気通貫で握る」垂直統合が起きるわけだから。

 それに対してタカラとトミーって何ですか。タカラは前社長の積極策が実を結ばなくて傾きかけ、ゲーム屋の大株主にさえ見放されて社長の首が飛んだうえに株が転売されたばかり。トミーは前々期にようやく赤字から脱出したものの病み上がり、しかも未だ創業家が大株主で経営者に座ってるベタベタのオーナー経営会社。しかも両方とも売れる仕組み、商品開発の両方に弱みを抱えてる。

 こんな体質の会社2社くっつけたところで、どうにかなるもんでも何でもないよ。今回は陰にカネ余りのIT企業が控えてるところがちょっと違うっぽいが。なんか、昔、業績の傾きかけたゲーム開発の名門セガと必死になってくっつこうとしたベタベタの創業家経営者山科社長率いるバンダイの姿が思いっきり重なって見えるんですがこれは僕の目が涙でくもっているせいですかそうですか。

 確かにおもちゃ業界ってこのまま行っても先が見えないよーっていう気持ちを持ちたくなるのは分かるんだけどさあ、しょせんはコンテンツ屋、しかも流行り廃りの激しい分野のコンテンツ屋なんだから、そういう認識を持てよと思うわけだ。今までみたいにおもちゃ屋に商品押し込んでなあなあやってれば食っていけた時代も終わったわけだしね。

 コンテンツ屋ってのは、ヒットエンドアウェイが基本。流行を作り出して、その中で波頭をすくい取って儲けたと思ったら、流通にどんなにブー垂れられようが商品を残さず逃げ切る。これですよ。で、そうやってリスク管理を徹底してチビチビ儲けた金をLand Walkerこういうこととかにドカーンと使って世の中に話題をまき、それをまたネタにブームを作り出す。それがコンテンツ屋の仕事というものでしょう。ていうかキミタチ売上高あんだからこのくらいやってくれよ群馬の中小企業がやってんだから。

 そういうケチ臭い科学的経営管理を作らないで傾いちゃいましたって会社が2社一緒になっても、だからって勝てる訳じゃないと思うんだけどなあ。まあ、前日夜の段階で日経に経営統合のリークが流出する時点で、両社とも経営の脇がアマアマな会社ですねということはしれてしまっているので、もはや何も期待してないわけですが。

 夢を売る商売の会社がこうなってしまったらもうダメだな。後は中国の企業あたりに企業規模とキャラのブランド価値を思いっきり誇示しながら買ってもらうぐらいしか、最終処分の方法がないんじゃないかしら。90年代にオーディオメーカーがたどったのと同じ末路を、日本のおもちゃ屋もたどるのかな。

 P.S.ナムコの佐藤様、いつも社内HPからこちらへのリンクありがとうございます。( ̄m ̄* )ムフッ

11:44 午前 ビジネス コメント (12) トラックバック (6)

2005/05/11

運動系な人たちを批評することの難しさ

 昨日気がついたんだけど、今週の日経ビジネスってば特集丸ごとブログの話だったのね。特集タイトルにも章ごとの見出しにも一言も「ブログ」って書いてなかったんで、思わず見落とすところだったよ。マスメディアの話には一言も触れてませんが、ビジネスブログ系の話をかなり広範にカバーしてるので、ご興味ある方はキオスクでどうぞ。

 さて、話題はまったく変わるが時々読んでいる上山和樹氏のブログで、ちょっと気になる話が語られていて、ここ最近ずっとそのことが頭から離れない。『不登校は終わらない』という本の著者である東大大学院の研究者・貴戸理恵氏と、その本の題材となった「東京シューレ」という、不登校児を集めたフリースクールの間の論争についての話。かれこれもう1ヶ月近く前から話題だったようだ。

 僕は東京シューレや代表の奥地圭子氏についても伝聞でしか聞いたことがないし、貴戸氏の著書を1冊も読んだことがなく、自分自身も不登校云々とは何の関係もないという、まあ上山氏的に言うと「究極の非当事者」なわけで、そういう人間がこの論争についてのまとめを書くのはどうかと思う(笑)。ちょうど、非常に読みやすく、かつこの問題について最も的確な解説と問題抽出をしているブログがあったので、まずはそちらにリンクしておきたい。話が全く見えないという方は、まずリンク先の荒井賢氏のエントリをお読みいただければ。

 で、僕は別に東京シューレや貴戸氏のどちらの側にも異議申し立てするつもりはないし、まして稲葉振一郎氏の書評のように、不登校の理由がヴィトゲンシュタイン言うところの「語りえぬもの」である、などというたいそうな議論をするつもりも全然ない。

 では、なんでこの話でエントリを立てたかというと、上山氏の言う「当事者性」というところにひっかかったからだ。不登校、ひきこもり、フリーター、障害者といった個別具体的な属性によって、この「当事者」という言葉の含む意味もさまざまに変わってくるとは思うので、上山氏が言うような「当事者性一般についてのメタ言説」、というようなものが存在し得るのかどうか僕も分からないのだけれど、要するにこれってば「人はいかにして人を批評しうるか」というような話なんじゃないのかな。

 例えば企業の批評というのは、方法論的に言えばある意味非常にシンプルだ。要するに「正しい手段でどれだけの利益を上げているのか」というところに徹底的にフォーカスして論じればいい。この場合の「正しい」を、「法律を守っている」と取るか「人倫にもとらない」と取るか、その幅の解釈はいろいろあり得るだろうが、一方で「利益を上げている」かどうかというのは定量的に確認できるので、その部分については批評のロジックを一貫できる。

 問題は企業じゃない相手、例えば上のような運動系の団体だったり場だったりする。これを批評することは手続きとロジックの両方の意味において、めちゃくちゃ難しい。

 批評の1つの方法が、「私もあなたたちの同類なんだ、あなた方がケアすべき対象は私なのだから私の意見を聞いてくれ」というスタンスからものを言うこと。これが上山氏の言う“当事者が批評”するということだ。ま、これは分かりやすい。

 問題は、研究者だったりマスコミだったりといった、当事者でない人たちがその団体や場を批評することだ。運動にかかわる“当事者”たちにとっては、関係ない外側の人間にあーだこーだ言われる謂われは基本的にまったくないし、もしもその運動が社会から完全に隔絶したところで行われている場合、外側の人間にとってもその運動に対する批評を聞かされる・読まされることというのは単なる「好奇心の発露」以外の何物でもなく、殺人やら犯罪やらが起こらない限り余計なお節介のレベルである。

 だが、その運動が何らかのかたちで社会に関わっている、あるいは将来大きく関わりそうだと思える場合、外側の人間は無関心ではいられないわけで、当然その運動の「批評」を聞いたり読んだりしたくなる。ところが、その運動が既存の社会システムに何らかのアンチを掲げている場合(企業という形態を取らないたいていの運動団体はそうだが)、外側の人間がいかに自分に利害関係があると思って批評したとしても、“当事者”たちにとってはアンチの対象であるシステムの側の人間がわざわざ自分たちにケチを付けにやってきたぐらいにしか思えず、「余計なお世話」という反応に終始してしまう。

 批評するためには、ある程度その実態やら内情やらを取材して回らなければならないので、当然ながらある時点ではマスコミや研究者も完全な外部の人間ではなく、「当事者」や「関係者」のふり、あるいは運動に共感する人間を演じつつ接近しなければならない。運動の関係者として入り込んでおきながら、いざ批評する場合には外部の非当事者にも理解できるレベルで、つまり共感をある程度断ち切って話をまとめなければならないため、ここに常に摩擦が生じる。

 企業の場合、いかに常人に理解されない独自の理念やらビジョンやらがあろうが、外部の社会とは商取引という等価交換を行っていかなければならないので、当然ながらそこには摩擦やギャップをある程度緩和する、あるいは埋める手だてとしての「マーケティング」や「コミュニケーション」が存在しなければならない。

 けれど、運動系の団体や場というのはその成立において、たいてい外部社会とのコミュニケーションをある程度断って仲間同士のコミュニティーを形成する過程を経る。その経緯を今も引きずっている場合、社会とのギャップや摩擦を埋める必要性を企業ほどには感じないことも多い。

 実際のところ、荒井氏のまとめているように、外部の人間の中には、若い時分に「なんか、不登校な奴って自分のポリシーがビシッとあって、惰性で学校に通ってる俺らみたいな奴より何となく格好いいよなぁ」とさえ思わされた経験も少なからずある(実は僕もそうだった)わけで、市民運動の中にはもともとニッチでマイナーな「アンチ社会システム」から出発したにもかかわらず、今となってはそういうさまざまな思想的影響を一般社会に与えるものも少なからず出てきている。

 ところが、残念なことにそれら団体の多くは自分たちのポジションがもはやニッチではないようなウェイトを占めるに至っているのだということに無自覚なままだ。だからいざ運動と社会のかかわり方を外部から批評されかけると「我々は我々の気持ちを理解しない外部の非当事者からの批評は、断固拒否する」みたいなコミュニケーション拒否の態度を示しちゃう。今回のシューレのリアクションは、その典型みたいに見える。

 もっともこのあたりはその批評の主体たるジャーナリストなりアカデミシャンなりの「説得」スキルにもよるわけで、書籍や記事を出す前に、事前に批評される対象に「あなた方もずいぶん社会から思想的ポジションを認められるようになっていて、そろそろその思想を社会システムのニッチな部分に対するアンチとしてではなく、オルタナティブな価値観として世界を包含できるようなものに磨き上げていくべき時期ですよ」とかなんとか、褒めそやしたりすかしたりしながら一定の「外部からの批評」を許容するようにし向けていく役割が、本来彼らには課されているわけ。

 今回の東京シューレと貴戸氏のそれぞれの言い分を読んでみると、貴戸氏は「私はアカデミズムに許されているデュー・プロセスに則って不登校を研究・分析した。それのどこが悪いんですか」というロジックを展開しており、一方シューレの側は「そうは言ってもあんたの著作で傷ついたって言ってる生徒だっているわけだし、かつては当事者だったとか言いながら運動のコミュニティーに接近してきたんだったら、コミュニティーに対する仁義ぐらいちゃんと切れよ」という感情論を、無理矢理「原稿修正」というロジックに置き換えて貴戸氏にぶつけているように見える。

 つまり、話が「正論」と「感情論」ですれ違っていて、全然噛み合ってないように見えるのだ。あくまで外野からはそう「見える」というだけの話で、実際もっと事情は複雑なのかもしれないけどね。

 個人的には、もともと取材する側の人間だったこともあり、貴戸氏の側にやや厳しめの印象を抱く。彼女の「理論的にはまったく正しいが、取材対象となった関係者の神経を逆撫でしそう」な回答文を見ると、「正しいことを主張するのは構わないけど、そういうことやってたらこれから不登校の分野でフィールドワークできなくなるよ、あんた」と思ってしまう。人間ってば感情の生物だからね。ま、彼女の行為はそれも分かったうえでの計算ずくなのかもしれないが。

 というわけで、オチなし・余計なお節介の雑感でした。上山氏が両者に取材を試みているようなので、その報告に期待したい。

12:57 午後 日記・コラム・つぶやき コメント (12) トラックバック (7)

2005/05/10

企業の情報システムも安くてヘボい方が勝ち

 ソニーが携帯情報端末(PDA)から撤退したと思ったら、今年に入って気がつかないうちにPDAが復活していたんですと。

 PDA、世界で回復――1-3月は出荷25%増(NIKKEI.NET)

 原因になっているのはこの端末。Palmに比べると、メールやIMなどのモバイル通信系の機能が異様に使い勝手が良く、スケジュールとかメモ帳はクソらしい。まあ、携帯電話でメールやら写メールやらをすごい勢いで使いこなしている日本人からすると「何を今ごろ・・・」という印象しかもてないわけだが。

 BlackBerryのことは、あのクリステンセンも著書の中で書いていたが、何でも「エグゼクティブ・ビジネスマンがちょっとした手すきの合間にメールを読み書きしたり文書をチェックしたり」する用途に特化して機能を絞り込んでいるため、欧米の投資銀行や会計・法律事務所などがスタッフ全員を24時間働かせるために1人1台持たせるようになっているらしい(と、こちらのブログに書いてあった)。

 Palmに携帯電話の機能を早く付けてほしい、なんて話はいったい何年前から言われてきたのか、もうはるか昔の話のような気がしてすっかり忘れてしまったが、結局今ごろになってようやくそういう端末が出てきましたと。で、こういうITガジェットが大好きな投資銀行が飛びついたと。彼らは、日本の土木建築業界の作業員が工事現場で工程管理のためにカメラ付き携帯電話で進捗状況を撮影してメール送信しているという話を聞いたら、いったいどんな顔をするだろうね。

 そういえば、あの「IT Doesn't Matter」でインテルやマイクロソフトに冷や水をぶっかけたあのNicholas Carr氏が、今度は「企業に自前の情報システムなんて要らねんだよ」宣言をしたというニュースがCNETで流れていたが、もし彼の言い分が正しいとするなら、テッテ的に使い倒せるメール端末に特化したBlackBerryの人気はある意味当然とも言えるような気がする。

 結局のところ、ビジネスの世界というのは毎日流れていくフローの情報をいかに素早く処理して打ち返すかということに尽きるわけだ。大量に流れる情報のうち、本当に熟考を重ねなければならないものなんて1%どころか、1‰(パーミル)ぐらいしかないだろう。1日5000通のメールを受け取るホリエモンの場合で言えば、経営者としての大きな決断と行動を迫られる内容のメールというのは、たぶんそのうち5通ぐらいじゃないかと思う。

 だったら、ナレッジマネジメントとか言いながら流通するゴミ情報をわざわざ増やすような仕掛けを社内にあっちこっち作るよりは、外部からの情報がそのまま必要な人のところに流れ込む単純なシステム(それはおそらくメール)だけ作っておいて、あとはそのメールをいかに効率的にフィルタし、判断し、打ち返すかという部分だけに集中しておけばいいわけで。企業が大仰な情報系のシステムを社内に持つ必要なんか、ないとさえ言える。

 結構極論に思えるが、そんなに外れてはいないと思う。以前の大企業にいたときと、中小企業に移ってきた今とでは、何が変わったと言って「受け取るメールの数」がまったく変わった。前の会社では、メールは1日数十通の代わりに、確認しなければならない情報システムの画面がたくさんあった。今の会社は、何でもメールで流れてくるため、1日放置しておくとメールボックスには200~300通のメールがふつうに入っている。

 でもそれで処理に困るかというと、全然困らない。ウィルスメールやスパムメールはThunderBirdが自動的にフィルタしてくれるし、フォルダごとに振り分けて整理してから必要そうなものを順番にさっさと見ていけば、処理に困るといったほどのものはない。

 むしろ、データベースとしてのメールソフトの機能が非常に発達しているので、なるべく全部の情報がメールで蓄積されていれば、後から必要な情報はメールの検索で呼び出すことができる。野口悠紀雄の超整理法でも言われているように、検索対象となるデータベースは、なるべく1カ所に1つのルール(つまり時系列)でまとめてある方が良い。とするならば、企業独自のデータベースというのは少なければ少ないほど良く、結局全部メールで処理できればこれ以上合理的な情報システムはないという結論になる。

 そういう理想論が通じないのは、これまで巨大な独自データベースシステムを社内にいくつも築き上げてきた大企業だ。システムだけでなく、社内の業務フローがそのデータベースに合わせて築かれているから、全部スクラップしてメールをベースにしたシンプルなシステムにしてしまおうと思っても、今さら変えられない。

 Nicholas Carr氏の論文は、大企業にとってはどうしても認めたくない類の話ではあるのだが、クリステンセンの「イノベーションのジレンマ」にあるとおり、「安価でしょぼいシステムで参入してくる新参者に利が大きい」ということの言い換えに過ぎないのだろう。

 と、すれば、BlackBerryに飛びついてメールだけでビジネスを回す仕組みにいち早く動いた投資銀行や会計事務所の業界というのは、それなりに時代の先取りをしている…ということなのかも知れないね。

02:57 午後 経済・政治・国際 コメント (10) トラックバック (7)

2005/05/08

【映画評】交渉人 真下正義

交渉人 真下正義 好き好んで鉄道ネタばっかりエントリ書いてるわけじゃないんだが、何ともはや…(汗)またそっちネタですが申し訳ない。封切り初日でしたが、観てきましたよハイ。

 個人的に「踊る~」のファン、というか亀Pのファンなので、彼の製作指揮した作品はなるべく観に行ったろうと思ってます。彼の「商業主義が何だ、商業主義で悪いかコノヤロウ」的な徹底したマーケティングマインドと、1800円払って「損した」と客に決して思わせないだけのクオリティを見せ続けるというプロとしてのプライドに、心底敬服しているので。今回もそのあたりは完璧でした。ついでに言えば、撮影に全面協力してアーバンネットワークの車両とか出まくりなJR西日本が大事故を起こしている最中にマスコミお得意の「自粛」「延期」などものともせず堂々公開したその大胆さにも、脱帽。

 初日の館内を眺め回してまず驚いたのは、年輩の観客がすごく多かったこと。前回の「踊る~II」は、全世代の琴線に漏れなく触れるように配役や脚本が徹底的に練り込まれていたが、やはりそのあたりの効果は絶大だったようだ。しかし、今回は50代以上を「琴線ターゲット」としていた和久平八郎役のいかりや長介が亡くなったこともあり、前回獲得した年輩層をどうつなぎ止めるかがマーケティング上の1つのハードルだったと思う。

 5月に「交渉人 真下正義」、そして8月に「容疑者 室井慎次」の公開を予定していると聞けば、これが「Matrix」シリーズで確立された「どうせやるなら怒濤の三連荘」パターンの忠実な踏襲だということが分かる。実際、前回の「踊る~II」のDVDではしつこく「交渉人~」のPVが流れていたし、今回の映画の前後(エンドロール後にまでもう一度!)にも、これでもかというぐらい「容疑者~」の予告編が流される。つまりは、「踊る~II」のDVDをトリガーとした三連荘マーケティングの変奏形態なのである。

 ただ、「Matrix」がしょせんは3つ合わせて「単発」の企画だった(だから2(リローデッド)、3(レボリューションズ)は息切れ気味でさんざんな評価だった)のに比べ、こちらは「北の国から」の終わってしまったフジテレビの映画部門が、これから10年はメディアミックスで食いつなぎ続けなければならないシリーズである。しかも、この2作の興行収入が映画事業部の(ということはつまり亀Pの)来年の予算枠を実質的に決めるはず。スピンオフものと言えども、「手抜き」の評価に甘んじてコケるわけにはいかない。

 そういう意味で、製作チームには相当気合いが入っていただろうし、実際その気合いが感じられる作品だった。ネタバレしない程度の内容については前田有一氏の「超映画批評」あたりでも読んでもらうとして、個人的に少し感じたことを。

 前段でも述べたが、この映画のマーケティング上のハードルは、いかりや長介なしで年輩層の「踊る~」ファンをどうやってつなぎ止めるか、だったはずだ。それに対する亀P製作チームの結論が、小泉孝太郎以下若手チームの「デジタル&ハイテク」vs寺島進や國村準、金田龍之介といったベテラン陣演ずるところの「勘と経験」のオヤジたちという対立の構図だった。ユースケサンタマリア扮する真下は、その間に立って両方の橋渡しをする役どころである。

 金田龍之介の「ダイヤってのはな、ナマモノなんだよ。ほっとくとすぐ腐っちまうんだ」といった決め台詞などは、脳裏に去来する尼崎の事故とも重なり深い印象を残す。良い芸術は世の中の動きを予見すると昔から言うが、少なくともこの映画はそういう絶妙のタイミングで問題提起を投げかけていることは間違いない。

 ただ、僕はその構図に対するこの映画の結末には違和感がある。デジタルチームは携帯電話を使った犯人の足跡追跡程度しか成果を上げられず、犯人像の特定には結局失敗する。一方、勘と経験チームは爆弾の爆発と列車事故を食い止め、見事“勝利”する。最後に真下が木島警視(寺島進)にある判断の根拠を尋ねられて、こう答える。「いや、ただの勘ですよ!」デジタルの敗北、勘の勝利。年輩客にとっては溜飲が下がる瞬間だ。

 だが、本当にそれでいいのか。「ハイテクばかり頼るな、勘と経験が仕事の醍醐味だ」。それはまったくその通りだ。特にシステムが壊れてしまった非常事態においては。だけれど、僕らの日常は既にデジタルで埋め尽くされている。好むと好まざるとにかかわらず、デジタルとつき合っていかなければならないのだ。

 もちろん、最後の木島の質問に対して、真下が「それはかくかくしかじかの理由で…」と判断の根拠の説明を始めたら、ドラマにならないに違いない。だからあの「勘ですよ」の一言は、木島に対する真下のリップサービスとも考えられるし、勘を駆使して走り回った先輩刑事への感謝の言葉の代わりだったかもしれない。

 にしても、木島の「勘」頼りの捜査はしょぼすぎやしないか。同じ「勘」でも、TTRの指令室の面々や線引き屋の「勘」のほうが、ずっと大きな成果を上げているように見える。一見デジタルに埋め尽くされたように見えるあの部屋には、「鉄道屋の誇り」とも言えるアツイ心と「勘」が満ちている。

 今現実の若い僕たちが直面する問題は、あのアツイ心と勘を、デジタルに囲まれた日常の環境でどうやってまもなく引退する団塊の(あるいはもっと上の)世代から引き継ぐかということなのだ。真下正義は、僕たちのその悩みに何か解決のヒントを提示してくれたのだろうか。残念ながら僕にはそれが読めなかった。

 これまで「踊る~」のコアなファンは、今の30代だったと思う。織田裕二、深津絵里という同世代が出演していて、そしてやんちゃばかりする彼らを「俺は現場を信頼する」と、体を張って守ってくれる柳葉敏郎のような上司が最後に生き残るあの物語に、「組織がいかにダメダメでも、志のある人間は最後に生き残れるんだ」という夢を見て、僕らはうんざりするような日々の仕事に少しだけ希望を持てた。

 だけどこの「交渉人~」は、前作から「踊る~」の新たなファンに加わった中高年層のマーケティングに傾注するあまり、コアファンだった30代を置き去りにした感が否めない。確かにユースケサンタマリアは、自然な演技で良かった。だが、東大出のエリートでロサンゼルス市警に留学して日本初のネゴシエーターになって戻り、CIC準備室の部下5人を率いつつ美人の彼女からデートに誘われている真下正義という男に、いったいどうやって感情移入しろというのか。そりゃ無理というものだ。

 アクション映画としてのクオリティは確かに高い。ペアで観に行くにも、1人で行くにもとりあえずはお勧めだ。この調子なら、次回作もきっと期待できるだろう。だが、これまでベタベタな「全方位琴線マーケティング」を得意としてきた亀Pのチームの作品にしては、意外とも言えるほど基本的な部分での「ハズシ」に、僕は今、どうリアクションして良いのか分からず、戸惑っている。

 ちなみに、これからこの映画を観る方、特に首都圏以外にお住まいの方には、基礎知識としてこちらのページの中の「幻のトンネルの画像」というところを読んでおくことをお勧めしたい。

01:14 午前 映画・テレビ コメント (26) トラックバック (19)

2005/05/07

JR事故の責任は日本国民にあるような気がしてきたぞ

 なんかfinalvent氏も日記で書いてるけれど、ここ数日のボウリングだゴルフだ宴会だみたいなお祭り報道と、id:kanryoさんのところで長文コメント書く学生君の話とか読んだりしているとね、どうも今回のJRの事故は根本的に日本国民の素質に問題があるような気がしてきたよ。

 この事故が起きた時は、僕はともかくこれをきっかけに鉄道の利便性と安全という2つの要素への投資バランスがJRW、もっと言えば日本のすべての鉄道会社の中で見直されなきゃいけないだろうと思ったわけだ。

 JRを初め、日本の企業の現場の多くがこれまでそのへんのバランス感覚をまもなく定年退職する団塊世代の職人技に頼り切っていたのはあちこちで指摘されていること。それを、世代2つぐらい飛び越えて団塊ジュニアやその下のヘタレな就職難世代に引き継ぐためには、もはや職人技ではなくてシステムとして人間と機械が分業を組まなければならないと思っていたわけだよ。なんたって就職難世代の20代は、会社にしがみつくことそれ自体が自己目的と化していて、「○○マンの誇り」なんていう概念は、頭の中のどこにも残ってやしないんだからね。この世代でそういう気概のある奴は、JRみたいな大企業なんか就職せずに中小のベンチャーか独立起業みたいな方向に行っちゃってるわけで。20歳そこそこの運転士にそんなものを求めること自体が間違ってると思ったわけさ。

 ところが、マスコミ報道を見てると、JRのいけないところっていうのはまずとにかくそういうサラリーマン根性らしいんだよな。事故を起こした電車に乗っていた運転士2人がそのまま出社して勤務したとか、全然関係ない管区の車掌たちがボウリング大会に行って居酒屋まで行ったとか、これまた全然関係ない管区の幹部がゴルフコンペやってたとか。遺族とか現場で救助に当たった住民とかがテレビに出てきて「けしからん」とか怒ってるわけだよ。

 でもさ、翻って考えてみたら、僕だって社員ウン万人の大企業にいたら、同じことすると思うんだよな。だって、非番の人間が錯綜する情報と押し掛けるマスコミで大混乱してる本社に突然何十人と現れて「事故があったんですって?僕たちにできること、あります?」とか言い出した暁には、本社の受付のお姉さんだって「てめえら邪魔だバカ。こっちはそれどこじゃねえんだ、とっとと帰れ!」って叫ぶだろうし、平常通りに運行している自分たちの勤務先に出ていったところで「何しに来たのキミたち?このどさくさに紛れて振り替え出勤付けようとかすんなよ」で終わるだろ。結局非番は非番。それ以上でもそれ以下でもなし。

 だったら居酒屋で一杯傾けながら「去年までの俺の上司、尼崎管区に異動になったんだけど、今頃大変なんだろうなあ」とか「責任がどうとか騒ぐ前に、3年前から付ける付けるって言いながら放置しっぱなしの新型ATS、何とかしろっつーの」みたいなとぐろ巻いてストレス解消し、次の日からまた安全運行を心がけますってやった方がサラリーマン的メンタリティとしてはずっと健全だろ。よその職場の心労までいちいち抱え込んだ日にゃあ、体がいくつあっても持たねーよ。

 ところが、マスコミの言い分によるとどうもそういうサラリーマン根性が「鍛え直すべき企業体質」ということらしい。フーン。マスコミってすごい会社なんだねえ。社員数千人でも一部の部署の不祥事に全員が頭を垂れて反省するのかぁ。あれかな、ASAの販売員に週刊朝日の武富士五千万円問題で怒鳴る喚くの八つ当たりしても、ASAの販売員は頭下げるのか。日経の支局の記者たちが、鶴田社長が赤坂のくぼ田でママと遊んでることが発覚した時に居酒屋で飲んでなかったかどうか、調べて発表してもらいたいよね。たぶん誰も酒なんか1滴も飲んでなかったに違いないよ。さすがマスコミ。

 あと、「霞ヶ関官僚日記」のコメント欄にいた東大法学部生君の意見も、すごいと思った。彼の言い分によると、「JR西日本のような体質を持っている組織は、人間が運営するものである限り、全国に腐るほどあると考えるのが自然」であり、「法的責任はともかく、JR西日本のみを事実上責めるのは全く非本質的」なんだそうだ。つまり僕たち全国五千余万人サラリーマンの賤しい「サラリーマン根性」が、今回の事故の「事実上」の「本質的」な原因と、こういうことですな。

 こういう意見を読むと、さすが東大法学部の学生さんは日本の就業人口の8割を占める我らしがないサラリーマンとはものの見方が違うと感嘆する。きっと彼は将来、上司の命令で右往左往したり壁を隔てた隣の部署の不幸を見て見ぬ振りして居酒屋に引き篭もったりするようなしがないサラリーマンとはまったく違う、崇高な人間へとおなりあそばされることであろう。

 このブログのコメント欄でも、「安全に電車を運行しようとしたら関西人の客に怒鳴り殺される」と書いているコメント子がいた。結局こんなバカげた事故が起きるのも、DQNな関西人の乗客と民度の低いヘタレサラリーマンな社員ばかりの世の中だからですぜと。なんつーか、ものすごい説得力である。僕自身、神戸出身という(コメント子曰く)“広域暴力団員関西人”の末裔として、胸に熱く迫るものがある。

 前出のニーチェ的鉄人東大法学部生氏によれば、日本国民なかんずく関西人に顕著なこの「上司の言うことなら何でも聞きます隣の部署の不幸にも目をつぶります的ヘタレサラリーマン根性」と「俺は顧客だ顧客の言うことを聞け的怒鳴り殺し広域暴力団員顧客体質」というのものを矯正し、悲惨な事故の再発を防止するためには、なんとただ1つ、「社会全体がスピードを落とせば良いだけ」でいいそうだ。おおおお!何という単純明快快刀乱麻一刀両断的ご賢察!!僕、「社会の矮小なルールに埋没した詰まらない人間」すぎて全然気がつかなかったよママン!!

 というわけでこのブログを読まれた「誇り高き○○マン」たる日本国民の皆様方には、連休明けから堂々と遅刻したうえで、会社の上司に向かっては「出社時刻に30分遅れたから何だって言うんだコラてめーみてーなヒラメサラリーマン根性の奴がJRの大事故を起こす原因なんだわかってんのかコノヤロウ」と怒鳴り、時間通りの納品を要求する顧客に対しては「お前さんみたいなたかが1日2日納品がずれたからってきゃーきゃー喚く広域暴力団員みたいな客の存在がJRの大事故の原因になったんだちっとは反省しやがれコノヤロウ」と電話の受話器を叩きつけるような、麗しきスローライフを送っていただきたく存じ上げます。日本國万歳。

10:31 午前 経済・政治・国際 コメント (53) トラックバック (40)

2005/05/06

ネットラジオに出演してみた。

 活字媒体への執筆依頼は紙もネットも全部蹴っていると以前に書いたが、僕はこれまで活字以外のメディアに発信者側としてかかわったことが(ずっと若い頃の例外的なチャンスを除き)ほとんどなかった。

 かかわってこなかったのは単にチャンスがなかっただけで、自分としては興味がないわけではなかった。そこにたまたま今回お誘いがかかったので、ひょいひょい出向いてネットラジオに出演してみた次第。

 ゲスト出演してきたのは、このブログのメインコンテンツであるビジネスや経済社会についての硬派なお話とはまったく畑違いの、デスクトップミュージック(DTM)をあれこれ批評するネットラジオ「DTM天国(仮)」。そこのパーソナリティの方(丹マリさん)がこのブログを読んでいて、声を掛けてくれたのである。

 DTMについては僕も高校生の頃に打ち込みとかやっていたこともあるのだけれど、さすがに丹さん、服部さんという2人のパーソナリティについていけるわけもなく、そっち方面の話の時は不用意なことは言わずに黙っていた。番組の中でしゃべったネタは、パーソナリティの丹さんが大好きな紅茶の話。ま、詳しくは番組を聞いていただければと思います。

 7日からライブドアのストリーミングで配信するらしいので、ご興味のある方はどうぞ。真ん中あたりのトークのところ以降に登場しています。なぜか一番最後のエンディングのところで延々としゃべっちゃって、パーソナリティに「今ごろしゃべるな」とか突っ込まれてますが(笑)。30分以上にわたって服部さんの関西弁でのツッコミが冴えまくり、DTMのことを全然知らない人でも十分楽しめる音楽トークの番組です。

 で、今回出演して思ったのは、やっぱりラジオのパーソナリティには、それにふさわしい「しゃべり方」というのがあるんだなあということ。僕は文章を書くことについてはいちおうプロの端くれだったけれど、しゃべってみると全然ダメだった。「ということでぇー、」とか無意識に語尾が伸びるしゃべり方をしてるんで、聞きづらいのなんの。しかも声がくぐもってる。

 それに比べて、パーソナリティの2人、特に服部さんの声のキレはすごい。僕よりも2倍ぐらいマイクから離れてるのに、声の明瞭さは僕よりずっと上。さすがプロは違う。

 ちなみに、7日からストリーミングで放送する分は、あまり音質がよろしくないそうなので、番組の「ねとらじポッドキャスティング」のページ(10日以降は「DTM天国」のブログ)から、192kbpsのmp3ファイルがダウンロードできるようなので、そっちがお勧めです。

 で、今そのページをみていて気がついたのだけれど、5日に「週刊!木村剛」がラジオNIKKEIでポッドキャスティングを始めたようだ。ゲストが山本一太参院議員とホリエモンという豪勢な顔ぶれ。ホリエモンのトークはなかなか面白かった。ラジオNIKKEIのホリデイスペシャル企画のようなので、第2回目以降があるのかどうか分からないけど、これからこういうブロガーのポッドキャスティング進出っていうのも、当たり前になるんだろうな。

 個人的には、iPodでキムタケのダミ声を1時間も聞かされたいとは思わないんだけど、「あのブロガーの考えを活字だけじゃなくてしゃべりでも聞いてみたい」という人は少なくないはずで、そういう意味ではブログとネットラジオの相性っていうのはかなり良いのかも知れない。

 そう言えば、ネコプロトコルのオーシマさんがはてなアイデアに「はてなポッドキャスティングを開発してほしい」というアイデアを出した話を読んで思わず吹き出してしまったのだけれど、でもこれって結構笑いごとじゃなくて、最新の日記を声で記録したものをiPodにダウンロードして朝の通勤電車の中でまとめて聞けるようなサービスというのが望まれているんじゃないかとも思う。オーシマさんでなくとも、美人はてなダイアラーの声を毎朝聞きたいとか考える人がいてもおかしくない。

 ただ、活字のブログと音のポッドキャスティングというのは、ずいぶんとコンテンツの「作法」の違う世界でもあるなあというのが今回の僕の実感だ。両方うまく使いこなせるというのはかなりの情報発信リテラシーのある人だろうし、そういう人がどこかから出てくると面白いかも。

 活字媒体というのは、最小限の量のデータで最大限の情報を伝えられるという意味で、有史以来の人間の英知が詰め込まれたインターフェースだと思うのだけれど、一方でその弱さというのもあって、それは読み手側に非常な意識の集中を強要することだと思う。ありていに言えばテレビやラジオのように「ながら」の情報摂取ができない。

 ブログとネットラジオの併用で、そのへんをうまく補うようなメディアミックスができると面白いと思うんだけれど、どうなんだろうね。このあたりは僕も未踏の領域なんで、何とも言えないが。

08:49 午前 日記・コラム・つぶやき コメント (9) トラックバック (4)

2005/05/05

GW中に誕生日を迎えた人たちへ

 身近な人で、ゴールデンウィークのまっただ中に誕生日を迎える人が何人かいる。祝日に誕生日が重なると、誰も自分の誕生日を真面目に祝ってくれないとか言って怒る人がよくいるが、もうね、何を寝ぼけたことを言ってるんだかと。世の中でGW中に誕生日を迎える人ほど最強の運を持つ人もいないと思うですよ。

 だって、今の世の中には「バースデー割引」というものがあるじゃないですか。夏休みのハイシーズンは、さすがに割引適用は、ない。7月末から8月の1ヶ月半ぐらいの間に生まれた人は、かわいそう。誕生日のメリットがすべて夏休みの前か終わりにしか得られないから。あなたの誕生日より世界の航空会社の営業利益の方がもちろん重要という、市場経済の冷厳な事実を突きつけられるわけです。

 ところがしかし、日本という国の特殊性の象徴というか、4月末から5月上旬の時期にぽっかり浮かび上がる国際的常識外れなグレート・ホリデイ・ウィークにはさすがの航空会社も無力。GWにかかる時期に誕生日を迎えた人にとっては、毎年バースデー割引で日本全国どこに行っても1万円で旅行し放題なのです。うぉぉ、ありえないありえないありえな~い。さすがにバースデー割引で海外までは行けないようですが。

 最近は航空会社だけじゃなくて、ホテルとかレジャー施設とかレストランまでもバースデー割引をやるようになってきてるから、なおさらだ。だいたい、連休とも盆暮れともいかなる祝日とも関係のない平々凡々な日に生まれた人間がこの制度によってどれほど差別されているか少しでも考えを至らせたことが、航空会社のバースデー割引に安易に便乗する割引サービスを実施している施設の運営者はあるというのか。そこんところ、どうなのか。これは信じられないほどの不公平であり不平等であり人権蹂躙、いわば誕生日差別であるっ!!ちくしょうちくしょうちくしょう。

 というわけで、しばらく更新していませんがR30は毎日ガキに蹂躙されながらもちゃんと生きていますよ宣言でした。読者諸賢におかれましては引き続きこんなブログなど読んでねえで楽しいGWをお楽しみください。かしこ。え?何?今日でもう終わり?それはそれはご愁傷様。お互い、明日から頑張って働きましょうや。では。

05:04 午後 日記・コラム・つぶやき コメント (7) トラックバック (2)