NHK「日本の、これから」は逆啓蒙電波だ
パーパの死んだ話とか、弾道先生が少し柔らかくなってきた話とか、書きたいことはいろいろあるんだがオチを考えるとうまく書けない。なんだかお笑い芸人みたいになってきた。
なんでもうめんどくさくなってきたので、とりあえず週末に珍しく見てしまったテレビの感想でも述べておこうか。散人先生のブログを見て放映中だってことを知った、NHKの「日本の、これから」。既にあちこちのブログで感想が述べられている。
見た、といっても実は最後の30分あまりしか見てなくて、しかもちょろっと見ただけで最高につまんなかったしくだらなかったのだが、その全体的なくだらなさというかバカっぷりが妙に気になった。まったくなあ、こういう番組に参加する奴は事前に内田センセイが「このところずっとこのことばかり考えてる」って書いている階層化社会についてのエントリぐらい、前知識として読んでから来いっつーの。
普通にくだらないテレビ番組にはいちいち感想を言おうとか思わない人間なので、何で感想を書こうと思ったのか自分で考えていたんだが、そう思いながらあちこちのブログを見て回っていたら、僕の言いたいことをずばり書いてくれていたところ(こことここ)があったので紹介しておく。むちゃくちゃ鋭い論考だ。
番組の感想を書いているブログのほとんどが「堀江の言い分は分かる、努力もしない貧乏一般人は嫉妬し杉」とか「奥谷みたいな人身売買で稼いだオバハンに『それなりに頑張れば幸せになれる』とか言われたくねー」とか、個別の登場人物に対する意見表明だった(あるいはただ単に日刊スポーツの嫉妬系まとめ記事に釣られただけ)のに対し、id:Arisanは「競馬場でたまたま勝ってる客と負けてる客が言い合ってる感じ」と一刀両断。や、まったくその通り。
2つのエントリともそんなに長い論考ではないので、詳細はぜひリンク先を読んでほしいが、今「格差社会」という言葉が急速に注目を集めている理由というのは、内田センセイも書いている通り、実際の経済的な格差とか学歴による差別がどれくらい固定的であるか、ということよりも、そもそもそういう格差以前のところで「やる気の持てる人、持てない人」という格差が固定化されてんのじゃないか、という話である。
少々くどいかもしれないが、その意味で山田昌弘の『希望格差社会』という本は、内田センセイも暗に指摘している通り、苅谷剛彦の『階層化日本と教育危機-不平等再生産から意欲格差社会へ-』の焼き直しに過ぎない。NHKの番組の議論は、まずこのレベルの水準にさえ達してない。Arisan氏の言う通り、資本主義社会という競馬場で負けた客が勝った客に向かって「俺は一生懸命予想したけどたまたま外れただけなんだ。お前の大穴馬券の上がり少し寄こせ」って言ってるだけの話で、それ自体が論者の知的水準の低さを物語る格好の証左だ。
「努力すれば誰だって俺みたいになれる」って言うホリエモンもホリエモンだし、それに対して「あなたみたいな成功者には(僕らの気持ちは)分からない」って食ってかかるフリーターもバカ。ホリエモンは内田ブログ嫁。それからフリーターのお前、資本主義って言葉の意味、分かってます?今すぐ泳いで北朝鮮かキューバに逝っていいよ。お前の理想郷だ、楽しいぞきっと。
あの番組が露呈した真の問題は、2つある。1つはNHKや番組の感想を述べているブログを含めて、多くの人が経済格差以前のやる気(or希望)格差が今論じるべきテーマであるという論理的認識を持っていないということ。もう1つは、Arisan氏の言うように「自分が相手の立場に立つ可能性を想像し、相手の言い分を聞いてそこから普遍的な論理を抽出する」という知的能力が、日本人の大人に致命的に欠如しているということである。
前者の問題は、多分にNHKと三宅アナのファシリテーションやコメンテーターの議題設定能力に問題があったと言うべきだろうが、気になるのはそういう「うまく立ち回った奴とそうじゃない奴の間に知的能力、教養、そして経済力で格差ができるのは当たり前じゃねーか」という資本主義の原点がそもそもインプットされてない参加者がやたら多かったこと。
これは、もともと日本の国が数年前までは実質的な社会主義国みたいな前提で動いていたのだから誤解が残っていて当然と言えば当然なんだが、それをきちんと解毒する対策をどうやっていくか(主に教育の部分で)という議論も必要なんじゃないか。
後者の問題については、もう少し話はややこしいだろう。Arisan氏は、それが東浩紀の言う「ネオリベ的環境管理型権力」のなせる技ではないかという仮説を立てている。一方内田センセイは、恐らくこうした階層間の認識断絶そのものが、所得格差(とそれに伴う家庭環境、両親の知的水準の格差)によって生じているという苅谷説を支持し、(その前の『希望格差社会』の書評のエントリを読む限りでは)コミュニタリアニズムに救いを見出そうとしているようだ。
僕自身はどう思っているか?Arisan氏にも内田センセイにもそれぞれ一理はあると思うが、僕自身は前回のエントリでも述べたように、こういう「他人の話を聞いて、自分がその立場に立つ可能性を想像しながら論理を抽出する」能力というのは、教育(それも、小さい頃だけではなくて恐らく生涯続く教育)としてインプットされなければできないことだと思うし、そういう努力を是とする社会規範、言語空間をきちんと作り続けなければならなかったはず、という意味でマスコミが一番その責を負うべきなんじゃないかと思う。
つまり、世の中で一番声の大きい奴が人の言うことを聞かずに論理を組み立ててしゃべりまくっているというのに、いったい他の誰が「他人の言うことを聞いたうえで論理を構築しなければいけないなあ」なーんて思うんだよ!ってこってすよ。しかも一番問題なのは、マスコミの中でも一番啓蒙主義的な立ち位置を自認してきた朝日とNHKがこの体たらくであるということで(笑)。
というわけで、こういうクソの役にも立たない、一般大衆の資本主義原理に対する無知蒙昧と知識人の議題設定能力のなさ加減をあまねく天下に知らしめ肯定するようなバカげた「逆啓蒙」番組を電波に乗せるNHKに、最大限の侮蔑と冷笑をお返ししたいというのが僕のささやかな感想である。つーか、いい加減に受信料払うの止めるぞコラ。
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コメント
文中で紹介されているふたつのblogのリンク先ですが、
どちらも同一のアドレスとなっています。
投稿: とまと | 2005/04/04 11:56
微妙に違うんですが…。よくご覧になってください>とまとさん
投稿: R30@管理人 | 2005/04/04 11:59
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1112512501/
格差社会討論 ライブドア堀江氏に集中砲火2[04/03]
2ちゃんねるの同番組スレ。これの1はもっとほりえもん憎しで固まってました。
嫉妬っていうのはなかなか手強い感情みたい。
投稿: くもり | 2005/04/04 12:22
自己を否定せざるを得なければ自分か他人かどちらかを殺すしかないですからそれは根深いものになるでしょう。存在を否定しないで格差を社会で内包するのに「事実を隠す」という方法以外があるはずだと思うんですが。
私が12年ほど受けた教育(除大学)で政治、つまり自分以外の他者と共同してより高度な自己実現をする技術に関して道徳とか言う原始宗教的教条以外授かった覚えがないです。文部省の考える日本社会像から外れてしまった場合は万人の万人に対する闘争しか選択肢がないのかもしれません。
でもこれは新聞テレビが何かできることではないのではないかなあ。国会議員の先生は憲法の序文に道徳を突っ込んでフリーターに嬲り殺される将来より義務教育に政治経済科目を組み込むことを検討された方がいいと思います。
投稿: あああ | 2005/04/04 13:01
結局、あの中でまともな事を言ってたのは金子氏だけだったような気もしますね。
ホリエモンは、成功者としての想像力しかないというよりは、自分の「チャレンジャー」としての経験を過剰に信頼しているだけなのかも(フリーターの待遇の話しかり)。もちろん、仮に彼が「負け」ていたとして、同じ台詞を吐けるかは疑問ですけど。
「やる気格差社会」ですが、「低階層の人間はやる気なぞ持てない」=「パターナリスティックにリソースを強制することこそ解決策」という風になってしまい、結局、「現状のシステム」=「『階層』の再生産体制」の維持という方向に持っていく議論をよく見かけるので、個人的には良い感情を持っていません。
こういった認識は間違いでしょうか?もしそうなら、ご指摘いただけると幸いです。
投稿: 臆病な匿名 | 2005/04/04 13:17
NHKは問題番組を作る事で社会的議論を巻き起こし、世の中を良くして行こうという意図があるようです。
投稿: lulu | 2005/04/04 13:40
ただ、相手の立場に立てない者同士が対立する立場で罵り合っても、溝を更に深くするだけのような気もしますね。出演者に1日くらい、該当テーマについてのレクチャーとかできないものなのだろうか。出演料を5倍くらいにして(笑。
投稿: 臆病な匿名 | 2005/04/04 13:46
人と人との溝ばかり見せているNHKということらしいけど、
そんなことしていたら、自分で自分の首をしめるだけ。
R30チンは理性的に文句をいうだけで済ませているけど、
番組をみて、「ムカツク」ことがあるなら、
その集団心理が、またNHK自信の無理解な姿勢を露呈したときに、おお、コワ!
投稿: 野猫 | 2005/04/04 14:15
無駄とか何とか言うが、どのような人生も、無駄になりうる可能性は常にある。会社はいってサラリーマンをしても、学者をしても、会社を立ち上げても、どこでもむなしい落とし穴はある。それを踏み越えていくしかないので、いままでの自分の人生は無駄とか言われても、なんとも言いようがない。生活設計の問題と、生き甲斐の問題とは別だし。社会に必要にされるように商品性を高める以外にないじゃあないか。これは疎外とかなんとか言ってみてもしょうがない。自分が生活するための金は、自分の労働を認める他人が払う無のだからね。他者からの収奪で自分の生活は成り立っているのだよ。
投稿: ここまで | 2005/04/04 14:26
いつも楽しく見ております。
資本主義は、要するに資本を奪い合っているわけで、そのさなかにいる人ほど、戦場のメンタリィティに近い状態になるのではないかと思います。
実弾飛び交う戦場で、自分が相手の立場に立つ可能性なんて想像してしてられませんよね。
フジvsライブドアなんて、まさに戦争を見ているようでしたし。
資本主義こそが、「自分が相手の立場に立つ可能性を想像し、相手の言い分を聞いてそこから普遍的な論理を抽出する」スキルを欠落させる大元なのではないでしょうか?
投稿: えむえむ | 2005/04/04 15:28
一通り読みました。
気になるんですが、
以前の日本(まぁたとえば昭和期)なら、
あるいは他の国であれば、
>「他人の話を聞いて、自分がその立場に立つ可能性を想像しながら論理を抽出する」能力
を持っている人が多いのでしょうか?
あまりそうとは思えないのですが・・
というか、こういう能力を普遍的につけさせることのできる教育というものが正直想像できません。
何か具体例はないでしょうか。
投稿: ねなし | 2005/04/04 15:37
同業界人を除けば、苅谷剛彦の教育社会学の話をNHKの「人間講座」で知ったという人はかなり多いだろうと思います。取りあげた時期もそれなりに早かったですし。「大衆教育社会のゆくえ」出版時から追っている一般人はあまり多くないでしょう。(どちらかというと「知的複眼思考法」で有名な人でしたね) というわけでNHKを真っ二つの切るのはちと忍びないかんじです。
どちらにせよ、この番組のフォローにはなりませんが(笑)
投稿: スープ | 2005/04/04 15:38
内田センセも山田センセも全然間違いだとはもちろん言いませんが、もっと明るく楽しくこの問題を議論できないのかなあと思っちゃったりします。いいじゃん、社会的弱者でも、ひきこもりでも、っちゅう感じなんですが。それもそれなり楽しいよ、って議論はないのでしょうか? 明るいひきこもり、強くたくましい若人的社会的弱者をめざそー!ってのは言語矛盾か?
もうひとつ。ホリエモンは、全然成功が足らんとも思います。あの程度じゃ。もっともっと社会的強者が必要とも思うんですが。質量ともに。
まあ、相手の立場に立つ立たない、は、正確に言うと弱者をきちんと救えるかどうか、です。まず、年取ったひと、子供、障害を持ったひとなどなどの弱者のことを我々はどれだけ本気でケアできるか、しているか、をもうすこし、ちゃんと考えるべきだと思うけどなあ、と。やる気ない症候群はその後だと。
投稿: soulnote | 2005/04/04 15:52
ん。
「(わからないのは)堀江さんが成功者だからですよ」と言われたのはフリーターのかた
ではなくて、会社役員のおっさんで説得力がありましたよ。
投稿: Cyberbob:-) | 2005/04/04 16:07
ホリエモンはカイジ。
あんな世界で生きたいとは思わないという発言をほりーは一切理解していなかった。
みんな黒沢になりたいんだよ!!
カイジはヤンジャン、黒沢はなんだっけ? みたいに
格差は固定してもいいから、安心して身の丈にあった
格差の住み分けと格差間での流動を確立させてくれる
そんな媒体が求められているのです。
投稿: ai-n | 2005/04/04 16:54
なんかトラックバックが効いていないっぽいんでコッチに貼ります。
http://column.chbox.jp/home/jienology/archives/blog/main/2005/04/04_170058.html
投稿: ウェブログ図書館 館長 | 2005/04/04 17:10
完全に無駄の無い人生なんてありえますかね?やはり多少の無駄は必要だと思います。
遊びの部分が無いと壊れ易くなってしまいます。
完全に無駄な人生というのも無いとは思いますが・・・これに関しては0とは言えないかもしれません。
投稿: 春日 | 2005/04/04 17:17
マスコミが啓蒙を主体的に行うなんて期待はできない、という当然を再確認したのみってところでしょうか。
こういう話題を見るたびに、いかにして「自己相対化」を大衆に身につけさせるかということを考えます。そして結論が「憎まれっ子世にはばかる」わけですけどね(苦笑)。
投稿: einzbren | 2005/04/04 17:34
>>春日
客観的には人間が何をしようと全くの無駄ですよ。主体を失わない限度で還元すれば自分がどれだけ幸せに感じるかということかと。
ということで無駄と思いさえしなければ無駄にはならないですが他人と肩並べて生きる以上横目で無駄だなあといわれれば心穏やかには居られませんな。
以下話題展開
ゲーム慣れしたある種の場では勝者総取敗者奴隷というのは熱くて楽しい。徹夜もしたくなります。
でもどのルールで卓を囲んでいるのか分かってないと勝敗の意味とか役満の上がり易さについての議論は空回りしますね。
満貫縛りなら役満は狙えてもブーマンではイカサマ以外考えられないとか。
じゃあルールが違うだけで世にイカサマが無いかというと中東・アフリカに対して先進国は壮絶なイカサマを仕込んでいる訳で。
我々もそんなイカサマの残飯でボソボソ食ってるんですがどの辺に仁義を置いておけば当面穏やかに暮らせるんでしょうかね。
投稿: 鶏 | 2005/04/04 17:57
エログ宣言どおりか...
かく語ってみましたってところ? 嘆かわしや~
投稿: ななし | 2005/04/04 21:27
客観的な視点を構築しないとルールを制御することが難しくなる。
客観も所詮主体に包括された立ち位置の一つとはいえ、その主
体をいかに客観に落とし込んで悲惨なゲームにならないようコン
トロールできるかも自己言及的にルールに組み込めないと、戦争
的な悲劇を楽しめっていう場の展開になりかねない。そんな熱さ
は誰もイランよって話だろう。
というわけで空虚だろうと客観性を推し進めて世界ルールにぶち
込んどくのは戦略としてはありだろうし、見返りとしての幸福感
はメサイアコンプレックス的な実存の充足。今の日本が一番必要
としているポジションかもしれず、時に青臭い正論も役に立つと
思われ。
投稿: ねえ | 2005/04/04 22:02
うちのばあさんがよく言っていた。
雨漏りの家にしか住めない小作人の子供が大学に行く時代が来るとは思わなかった、と。
江戸時代には結婚せずに死んでいく奉公人たちもたくさんいたと聞く。
みんなが希望を持てるような社会を作る必要は多分ないのだろう。今後、治安のコストが上がるであろうことは仕方がないことだ。
金持ちが勝つ社会に、ちょいとお勉強の出来る人たちが入ってきた、というだけで、ベースメントはあまり変わっていなくて、何か一時的に見えていた甘い希望が霧のように消えただけなのではないだろうか。
投稿: 三島八雲 | 2005/04/04 22:31
みんなが希望が持てるという人参ぶら下げといて搾り取った社会の方がつえぇからでは。
今の日本は人参がなくなって勝負に負けそうじゃんって時代に突入で、一部強いヤツだけでも集中して温存しとくか、一か八かで全体を維持できる方法を探すかの二者択一の土俵際なんでしょう。後者なんかは超天才でも出てくれることを祈るしか。
投稿: ねえ | 2005/04/04 22:57
>ねぇ氏
そこでヒトラー登場ってわけですな。
投稿: ねなし | 2005/04/04 23:45
むしろほりえもんに泣きつくのび太がイメージされます。あなおそろしや。
投稿: ねえ | 2005/04/05 00:39
某国営放送に限らず視聴者参加型番組など観てると、その意味の無い応答をわざわざ電波に乗せる意図は、逆に編集部による局上部批判では無いかとさえ思うが、だとしてもまったく役に立ってないぞ!!と言いたい。本気ならば、視聴者を馬鹿にしてるか、編集が馬鹿か、その両方だ。
ゲーム理論的には、資本主義であればなおさら相手の行動や考えを読んで利得を得ようとするので、「自分が相手の立場に立つ可能性を想像し、相手の言い分を聞いてそこから普遍的な論理を抽出する」スキルを要求するのではないでしょうか?
少なくとも現場でど突き合いしている戦術レベルにはわからなくても、本気で勝とうと戦略的に考えるならば必要な要件だと思います。
投稿: トリル | 2005/04/05 02:32
したくないことにも耐えて頑張れる能力が必要なのでしょう。
体を壊し何週遅れにもなってしまい、未だに健康な体を取り戻すこともできず、
夜ぐっすり眠ることすらできない日々を続けている自分としては、
分不相応な希望は持たず、他人様にできるだけ迷惑をかけず、
できるだけ目立たずに独りで細々と生きていこうと思っています。
投稿: 社会のゴミ | 2005/04/05 02:33
なんだかんだ言いながらもみんなテレビ見るのが好きなんだと思った。
投稿: antiECO | 2005/04/05 07:44
ワタシのうちには、テレビがない。へへ。
今後もおくつもりない。
だって、いつも騙された気分がする。
たまに誰かの家などで見ることがあると。
その点、ネットは、選択できるし。
ただ、まだ、ネットには面白いことはないので、
きっと、テレビが勝るのかもしれないけど、
ここで、R30チンが、面白いことをすれば、
テレビの視聴率を下げられると思うので、ガンバレ。
投稿: 野猫 | 2005/04/05 11:19
>見た、といっても実は最後の30分あまりしか見てなくて、しかもちょろっと見ただけで最高につまんなかったしくだらなかったのだが
>「他人の話を聞いて、自分がその立場に立つ可能性を想像しながら論理を抽出する」
矛盾してるような・・・。ようは番組では教育格差の問題や希望格差の問題にも触れていました。ただ、確かにもっと掘り下げるべきだったとは私も思います。
私の持論では、「社会権」を看板に掲げて国家がもっと各個の家庭に踏み込んで、教育の「強制」を金をかけて行うべきだと思ってますし、希望格差是正のため、高齢者への再教育を国家、自治体が積極的すべきだと思ってます。海外と比較しても、大学に二十歳近くの若者ばかりがいるのは非常に歪んだ教育形態だと思いますしね。まぁ、結局予算がないんでしょうけど。
投稿: うむうむ | 2005/04/05 12:07
女性の方がいきなり本日のギャラと席順が給料の多い順なのは許せない と発言した所は笑いました
あとやはり30超えてフリーターの人は本人に問題があるんだなぁと。
また親は子へ環境と選択肢を与える、人の道を説くという事が必要だなぁとも思いましたね
投稿: ノン | 2005/04/05 18:13
R30さん
しつこくまた、別なコメントしてしまいますが、「やる気」ってそんなに重要なんでしょうか?「希望」を我々は持つべきなんでしょうか? それとは別に、好きなもの、とか、好きなひととかじゃあ、だめなんでしょうか? また、経済的裕福さを我々全員は手にいれるべきなんでしょうか? また、我々は、みな、お互いに理解しあうべきなんでしょうか? 私の立場は、すべて、そもそも、ネガティブなんですが。ネガティブであるにもかかわらず、行動する、つまり生きるっちゅうことなんですが。ちょっと、悲しみが足らんきがするなあ。
投稿: soulnote | 2005/04/05 18:57
迷惑かけていないなら、本人の自由だとおもうよ。
ただ、誰かに喜ばれるって、かなり気持ちがいいことではあるね。
あと、切羽詰って、その時逃げなければ、なんとかなるかもしれないし。
どうじゃ>R30さま
投稿: 野猫 | 2005/04/05 19:36
どうじゃ、とか問い詰められても・・・(苦笑)
soulnoteさんに反応してすごーく個人的な思いを言いますと、「希望」を持ちたくない人は別に持たなくてもいいが、好きな人とずっと一緒にいられるとか、好きなものをずっと持ち続けていられるというのも一種の「希望」なわけで、やはり人間はなにがしかの「希望」なしで生きるのは辛いんじゃないかと。
ただ、今の世の中「経済的な裕福さの向上=希望」と思っている人が多すぎで、でも実はそんなことはまったく幻覚というか幻想だ、と言い切れる(完全な主観ではなくある程度は共同主観的)根拠を持てない社会になっているように思えるのは、嫌だなあと。
あと、お互い理解し合うということについては、「する」か「しない」かというゼロサムで語れるほど世の中の「理解」というものは簡単なものではなくて、「理解した気になる」というのも理解だし「理解し合えないことを理解する」も理解の1つかもね。こんなんでよろしいでしょうか?
あと、soulnoteさんの最初のコメントにある
> 明るいひきこもり、強くたくましい若人的社会的弱者をめざそー
> ホリエモンは、全然成功が足らん
という2点には、とても同意です。
投稿: R30@管理人 | 2005/04/05 20:17
前から思ってたんだけど、
>「する」か「しない」かというゼロサム
R30さん、「ゼロサム」の使い方がなんか変じゃないですか?(^^;
それとも私がおかしいのかな。
>「経済的な裕福さの向上=希望」と思っている人が多すぎ
まったく同意します。本来は高度成長の後にそれを考える機会があったはずなのに、
バブルがめちゃくちゃにしちゃったのではないでしょうか。
投稿: ねなし | 2005/04/05 20:57
ああ、そうですね。ねなしさんのご指摘の通りでした。「デジタル」とか、そういうふうに言うべきでしたね>ゼロサム
投稿: R30@管理人 | 2005/04/05 21:59
>バブルがめちゃくちゃにしちゃったのではないでしょうか。
これは逆じゃないですかね? 不況の時代に入ってからむしろ「経済的な裕福さの向上=希望」っていうことを再確認した人が多いんじゃないのかな。
「格差社会」の問題に関しても、景気がもうちょっとよくなれば解決する話じゃないの、と思います。
経済的にそこそこ満足できて、労働環境がもうちょっとよくなりさえすれば、希望格差社会についてだれが悩むんですかね。
自分も社会の階層の中ではまちがいなく底辺ですが、もうちょっと給料が上がって、もう少し労働環境がよくなれば、格差社会であっても別にかまわないです。
多くの人がこの問題を社会学的にとらえていて、「ただ単に不景気だから何じゃないの?」という視点が欠けているように思ったので、ちょっと。
投稿: くもり | 2005/04/05 22:19
コメントどうもです。>くもりさん
> 不況の時代に入ってからむしろ「経済的な裕福さの向上=希望」っていうことを再確認した人が多い
うーんそれはどうだろ。個人的には「気がついたら経済的な裕福さ以外で自分の希望を測るすべをすっかり忘れていた」というところなんじゃないかと思ってます。
それから、今景気は「いい」ですよ。これがあらゆるモノが身の回りにあふれる中で人口が減っていく、日本という国の「好景気」状態です。もしそうだとしたら、それでも解決しない「格差」「希望」って何故存在すると思いますか?
投稿: R30@管理人 | 2005/04/05 23:03
>くもり氏
好景気であれば悩む人が少ないというのは、まったく持って其のとおりで。
ただ、今後すぐに全体的な経済環境の底上げが見込めるかというと、
ちょっと難しいですよね。
だからといって経済格差をなくす方向は、
共産主義国家とほかならぬ社会主義国家日本の失敗で
もはや誰にも現実的と思えないし。
結局、当分は格差を受け入れる方向を模索せざるを得ない。
で、有史以来、物質的に今の日本より貧しく格差が大きくても、
大多数の国民が満足した社会が全くなかったかというと、
そうではないと思うのです。
それは恐らく経済以外の要因によったと思うのですね。
現実的な方向として、そこに解を求めるのは間違いではないと思うのです。
長文スマソ。
投稿: ねなし | 2005/04/05 23:08
>で、有史以来、物質的に今の日本より貧しく格差が大きくても、
>大多数の国民が満足した社会が全くなかったかというと、
>そうではないと思うのです。
具体的には、どの時代のどの国のことですか?
投稿: イケメン | 2005/04/06 01:34
>イケメン氏
国民の大多数が満足は嘘ですね。言い過ぎました。
私がイメージしたのは江戸期都市生活者、ローマ期イタリアなどです。
経済的に大成功してるじゃんと思われそうですが、これらの社会の庶民が今の日本人より購買力があったかというと、そうではないと思うので。
R30氏のいう通り、いくら格差があいても、今の日本人の購買力は悪くないと思うんです。
トップレベルではないにしろ。消費余力のあるニートなんてものが存在してますしね。
なのに、購買力に対する豊かさや希望の欠落感がある。このギャップの要因が経済格差以外にあると思うのです。
ベタな主張ですけれども。
だた、感覚レベルで書いてしまったので、データなどはありません。理論的な突っ込みをお待ちします。
再びの長文、ご容赦願います。
投稿: ねなし | 2005/04/06 03:24
やはり我等庶民は我等をアトミズムの空虚
から解放する超天才の訪れを
待ち望むしかないのでしょうね…。
投稿: kagami | 2005/04/06 06:00
例えば塩野七生「海の都の物語」に描かれるヴェネツィア共和国なんかは、どうにか利害関係を調整して(どうしても一致点が見つからないときは賄賂などのサイドペイメントでゲームの枠を変えて)生き抜いた国であったと思います。表に出せる世界と出せない世界はありますが。「人の立場に立つ能力」は外交能力とほぼ等しい、と私は考えています。
投稿: 並河 | 2005/04/06 09:15
R30さん、青臭いハナシにリプライありがとうございます。
私の勝手なゴタクですが、「希望」なるものについて言えば、まずそんなモノはないところから出発したいという夢があります。ただし求めはするんですけどね。つい、「やる気格差」の構造での議論をなんかズラせないかナア、と思っての質問でありました。
投稿: soulnote | 2005/04/06 11:07
R30さんは、政策レベルで何が出来ると考えていますか?
結局、言っている事は、朝日新聞と大差なく、なんとなく既存の問題に対して「いかがなものか」って言っているだけなきがする。
今までは、いかがなものかって言いつづけてれば、偉い官僚や政治家がなんとなしてくれたけど、もうそんな時代でも無いのではないかと思う。Blogを見ても、内田さんにしてもR30さんにしても、社会的な地位がある人が、なんとなく問題のこと考えているんですよって言うパフォーマンス以上の意味を見出せない。
必要なのは、具体的な政策だったり提言だったりしないの?
私だったら、階層の再生産を防ぐために、「国公立大学の学費無料」「大学生向けに家賃の安い寮を建てろ」「大学院生に給料払え」ぐらいの事しか言えないけど、それでもそれを提言したい。具体的な案だったら、いろいろまずい所を修正していけるけど、このエントリーのままだと、結局朝日新聞的「いかがなものか」路線の延長でしかないと思う。
希望の格差には、打つ手が無いから、プラグマティックに、実際の格差をどのように再生産させないかを議論しないと、ここで議論して議論に満足して終了しちゃうんじゃないですか?いつまで評論家でいるつもりなのか?
青臭い意見すまん。
投稿: hoge | 2005/04/06 11:27
「内田ブログを読め」
どれほどのブログを読み、いかほどの文献を紐解き、くびれるほどの思考を重ね、あまねく実践し、ことごとく有意差を抽出し、こぼすことなくそれらを言葉にするだけの能力がなければ、議論に参加する資格が得られるのだろう。
ほとほと疲れた。
投稿: 甘太郎ほっけのすけ | 2005/04/06 16:00
もうそろそろ国民クイズが必要ですな
投稿: dev | 2005/04/07 18:35
↑ちょうど読み直してたので禿藁。
「人の足を進めるのは希望でなく意志、
人の足を止めるのは絶望でなくあきらめ」
でもあきらめの語源は悟りらしいので
日本には覚者がいっぱいだ!(笑)
投稿: 酢豆腐 | 2005/04/08 23:36