メディアビジネスのバリューチェーン(その3)
連載シリーズ第3回だが、今回は少し軽めの、というかつれづれ系の語りで行こうと思う。ゴリゴリのマーケティング理論やればやるほど反応が少なくなっていく気がするので(笑)。
最近、ネットとメディアのかかわりについて、既存のメディアの内部から非常に骨太の議論が出てくるようになった。いいことだと思う。これまで、マスコミの内部にはインターネットや2ちゃんねると自分たちがどう「競合」するのかについて、口にすることさえおぞましいみたいな雰囲気が漂っていたが、現役の記者がタブーを率先して破ることで、マスコミ内部の雰囲気も少しずつではあるが、かなり変わってきたんじゃないかと思う。
なんていうか、ここまでいろいろな議論が出てくると、もう僕がむきになって「メディアビジネスのバリューチェーン」なんて連載を書かなくてもいいんじゃないかと思い始めた。そろそろメディア論について語るの、やめようかしら。
それはともかく、最近読んだ中で素晴らしいなと思ったのは、「ガ島通信」の藤代氏が毎日新聞に寄稿したこの文章だ。これまで読んだネットとメディアの議論の中で最もロジカルでよくまとまっていると思えたし、語り口にも読む人間の心を揺さぶるものがある。白眉の出来だと思う。
それ以外にも「札幌で~」の高田氏は、ニュースメディアがブログ化した時に想定しうる問題について、実際の現役新聞記者の立場から鋭い指摘を書いている。高田氏のコラムのいいところは、それがロジカルに鋭くて正しいというだけではない。藤代氏とも共通するのだが、何というか、地方紙の方々ならではの「読み手と同じ高さの目線」でものを語ろうとする優しさ、熱意みたいなものが強く感じられるのだ。こういう語り方は、やはりそれ以前のネット世代とも違う、ブログ世代独特のコミュニケーションなのかもしれない。
藤代氏や高田氏の対極に位置するのが・・・と、また某記者ブログに罵詈雑言を吐きたくなったけどやめとこ。言わなくても分かるでしょ。なんていうか、やっぱり自分の文章や媒体の読者がどのくらい身近にいたかっていうことが、その書き手のコミュニケーションの様式を決めちゃう部分というのが、あるんだろうねえ。
そういう意味では、ブログやネットとのシナジーを生み出す可能性は、全国紙より地方紙、総合誌より業界専門誌のほうが多いと思う。高田氏はコミュニティーサイトにおけるメンテや監視の大変さなどを懸念しているが、そんなものは2ちゃんねるの「削除人」システムを見習うとか、何とでもできるわけで。実際、世の中にそれをやってきた会社はいくらでもある。ITに疎いマスコミ人が知らないだけ。
それと、この問題の解決方法として、システマティックにTB、コメントの監視をする以外にもう1つの方法がある。「監視しない」という方法だ。どういうことかというと、監視の責任を(少なくとも表面上は)記者個人に帰してしまうのだ。
例えば「このブログで公開されている内容は、○○新聞社の正式な査読を経ずに担当記者個人の責任で掲載しているものです。事実確認が取れていないものなども含まれますが、それをご了承いただいた上でお読みください」とか、サイトの入り口にでも大書しておく。そして、一定期間を経て内容の妥当性が確認されない限り、ブログ本文とそれについたTB、コメントは、この注意書きをきちんと読んで「同意します」のボタンを押した登録したユーザー以外、閲覧・書き込みできないようにしておくのだ。
新聞社にとっては冒険だが、「記者もまた、発言する一個人である」ということを認めさえすれば、担保すべきコンテンツの品質コストは大幅に下がるのは確実だ。まして高田氏のエントリを読むと、そもそも個人が自分の人格と知見を賭けて書いた文章の根本的な信頼性を、(訴訟が起きた時の費用負担などはともかくとして)所属組織が肩代わりしてあげられるわけがないという割り切りを、マスコミがすべきタイミングがそろそろ訪れるのではないかと思えてくるのだ。
つまり、世の中にいるのは信頼できる記者と信頼できないブロガーの2種類なのではなく、信頼できる書き手(記者orブロガー)と信頼できない書き手(記者orブロガー)の2種類なのである。海の向こうでは、記者とブロガーを差別するのを止めればいいと考える人が国民の半数を超えた。常識的に考えれば、個人としての発言に価値が見出せない人間が、新聞記者になったからといって突然その発言に価値が付くわけがないのだから、当然と言えば当然のことだ。
こうしたことが実現したマスメディアの近未来を、見事に描いてしまったkatz氏のブログがある。なんか、僕のエントリにコメントしてくれたブログをまた引用するのって恥ずかしいものがあるが(笑)、たぶんこの記述は新聞業界の人間を心胆寒からしめる仮想現実の世界が書かれているので、その部分をあえて引用しよう。
rssという技術を利用すると、自分の信頼できる人の「者説」をダイレクトに講読できる。セット販売よ、さらば、なのだ。そういうことだ。高田氏を初めとするごく一部の「デキル記者」にとっては、可能性が大きく広がる。そして、記者クラブに居座って生きているだけの圧倒的多数の「デキない記者」と「1行も記事を書かない上司」、そして業界内のおつき合いに忙殺されて「何も意思決定しない経営者」にとっては、危機が訪れる(笑)。もし、本当に、「記者の顔が見える報道」がなされ、販売形態もそれに対応できるようになったとしたらどうだろう。
優秀な記者にとっては、すごいことになる。
「いま、自分のrssを個別指定している読者が、このまえの特集で一気に5万人増えて25万人になったので、予算局からの取材費割当が増えて、専属バイトを雇えることになった」とか「固定読者が30万人になったので、人事局から異動オプションをもらえた。これで次のタイミングでニューヨーク支局に行こう。僕のrss講読読者にだけ先行通知しておこうか」とか。それはもうすごい競争ですよ。
優秀じゃない記者だと、「本社社会部チームにいるのに、読者獲得の実績が全然あがっていないため専属バイトは取り上げ」とか「地方支局から出直してこい」みたいなことになるだろう。こわい世界であるが、ダイナミックな世界でもあるぞ。
ま、それは冗談だけど、じゃあそういう社内衆愚制民主主義の分厚い壁を乗り越えられたと仮定して、それならばマスコミがここで書かれたとおりに変わるのかというと、必ずしもそうとは言えないのが難しいところだ。ここでkatz氏が見落としていることが1つある。それは結局マスコミって広告費で食っている産業だということ。
これについては、百年コンサルティングの鈴木貴博氏が非常に分かりやすい解説を最近連発しているので、リンクした上で核心部分を引用する。
簡単に言えば、映像・音楽コンテンツよりも広告の方が金になるのである。それにもかかわらず通信各社はなぜテレビCMではなく番組の方を配信しようとするのだろうか。“韓流ドラマ”の権利を獲得して独占的に配信しようが、最新の映画をPPVで配信しようが、所詮はレンタルビデオ市場の一部を握るにすぎない。WOWOWもスカパー!の売り上げ規模が700億円程度であることを考えれば、コンテンツを配信することがいかに効率の悪いビジネスかが分かるはずだ。蛇足的に言うならば、このことをもっとも良く理解して「広告そのものをコンテンツにする」ことだけにまい進してきた企業が「リクルート」だ。同社の16年3月期の売上高は3622億円、恐らく今年あたり朝日新聞(4061億円)を追い抜くだろう。
紙のビジネスはまだまだ規模は大きいが、その内部は瀕死の状態だ。読者の関心を引きつけ続けていくためにやらなきゃいけないことは、もうあちこちで議論され出尽くしている。問題は、それをどうやって「収益」に変えていくかなのだ。
直観で言うならば、単純なニュース、単純なコメントを流す仕事というのは、おそらくこれからかなりの部分がネット上のボランティアで賄われるようになってしまうだろう。それはボランティアが大量発生するから、という意味ではなくて、結局それが「売れない」のならタダにするしかない、というだけの話だ。奇しくも昨日掲載された日経BPのウェブサイトでの連載で、藤代氏が同様のことを書いている。
ここから先は、絞れる限りの知恵を絞っての陣取り合戦の世界だ。僕も若干ではあるが、この戦いにコミットしてないわけではない。したがって手の内もしゃべれません。それでは~。
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コメント
ガ島氏、こういう方向へ行ってたのか・・・
日経BP第三回のクオリティ高いですね。見事だ。
なんで自分のBlogで書かないんだろう。
リクルートのビジネスモデルが見事なのは同意です。しかし、「映像・音楽コンテンツよりも広告の方が金になるのである」どうだろう・・・リクはここらへん手がけたことあるんですかね?なんか分野が違うような。広告産業の事業規模が大きいのと、広告が映像・音楽媒体から独立し得るかどうかは全く別な問題な気がしますが。
とまれ、三回にわたるエントリお疲れ様です。リンク先などを見ると、ニュースのコモディティ化は最早避けられない印象ですね。陣取合戦、頑張ってください。
投稿: ねなし | 2005/04/16 02:18
熱い人が多くてワークワークしますなー。
なんかガ島さんとか男塾っすよ。そりゃ男に惚れる奴が続出でアナル貞操の危機です。切込隊長はもうガバガバっす。
で、その熱い思いを引用してみせるR30氏の決意とは!ポータル化の秘策とは!?
来週までモラトリアム。
投稿: 籠 | 2005/04/16 06:24
>記者もまた、発言する一個人である
記者だけでなく、社長も役人も、
みな、「一個人」なんだよ。
これは、西洋ではあたりまえな考え方だし、
あと、東洋でも、狭い意味の一族の一人であり、結局、大人であることは一個人なんだね。
で、日本の庶民だって、
庶民であればあるほど、自然と一個人。
で、梅干をつけてるR30チンは、
そのときは、一個人。
で、で、これからのメディアは、
一個人を満足させることが求められている。
それが、できるは、やっぱり一個人なんだ。
一対一。
投稿: 野猫 | 2005/04/16 06:33
>そろそろメディア論について語るの、やめようかしら。
やめたいんだったらやめればーとしか言いようがないけど、3回かそこらでやめるくらいだったら初めっからすんなよとも言うね。
出来損ないのジャンプ単行本みたいだ。せめて20巻くらいまで進んでくんないと、総体としての読み応えがないじょー。
人様のご意見を参考にするのもいいけど、それがきっかけで自分の発言意欲が落ちるなら、そりゃ読んでるじゃなくて読まれてるってことだにゃ。
酒は飲んでも呑まれるな。
文は読んでも読まれるな。
頑張るにゃー。
投稿: うんこ | 2005/04/16 10:25
はじめまして。
ガ島氏や高田氏の指摘には基本的に同意しますが、こうした問題意識は決して新しいものではないと思います。90年代半ばに私の上司は「いずれ紙は無くなって電子新聞の時代が来る」と断言していたし(もちろん主流派ではなかったが)、新聞社のニュースサイトに関わっている人間はわかっていました。
それなのに、なぜうまくいかないのか。いろんな理由があると思いますが、組織のあり方と人件費の問題が大きいように感じますね。
どの新聞社でも同じようなものだと思いますが、ネット事業の幹部は編集局出身です。そうした人たちの多くは、編集局の方を向いて動く傾向が強い。ネット事業側が編集局に対して「こういうコンテンツが欲しい」という要求を出せる状況にはないし、独自にコンテンツを作ろうとするとつぶしにかかります。「コンテンツを作るのは編集局だ」という論理で。
コストについていえば、人件費が高いだけでなく、多くの会社が「打ち切り制」という柔軟性が乏しい制度を採用しています。同じ給与体系でニュースサイトを維持していくのは厳しいでしょうね。そして、すべてが朝夕刊という発行体制を前提に組まれています。新聞の収益構造を前提にした賃金体系・労務体系が硬直化していて、ネット事業に十分に対応できません。
広告部門も似た傾向がありますね。もちろん、編集部門よりもましでしょうが。
katz氏が描くような世界は理想ではありますが、残念ながら今の新聞社の人材養成システムでは厳しい。経営がそれほど危機的ではない現状では、ドラスティックに変わることも期待できません。記者個人が、構造転換が起きた時に対応できるように努力するしかないということでしょう。
結局、別の器を作らないとニュースのネット事業は難しいのではないか。新聞本体は、縮小均衡で生き残りをはかるしかないのではないか--というのが最近の考えです。堀江氏に賛同しているわけではありませんが。
それにしても、ガ島氏は、あまり同僚に恵まれていなかったような・・・。世代にもよると思いますが、いまどき、新聞業界の構造的問題に無頓着な記者がいるとは思えません。それに、「記事が読まれているから新聞が売れている」なんて思っている暢気な記者も少数派でしょう。新聞の大切なコンテンツは、テレビ欄、天気予報、そして宝くじの当選番号です。だからこそ、整理部が強い権限を持っているし、人事面でもきちんと扱われているのではないでしょうか?
投稿: Marc | 2005/04/16 23:48
R30さま。大変参考になりました。で、一点だけ。
例えば「このブログで公開されている内容は、○○新聞社の正式な査読を経ずに担当記者個人の責任で掲載しているものです。事実確認が取れていないものなども含まれますが、それをご了承いただいた上でお読みください」とか、サイトの入り口にでも大書しておく。そして、一定期間を経て内容の妥当性が確認されない限り、ブログ本文とそれについたTB、コメントは、この注意書きをきちんと読んで「同意します」のボタンを押した登録したユーザー以外、閲覧・書き込みできないようにしておくのだ。
個人の責任云々は脇に置くとして、事実の最終確認が取れていないものを部下が持って来たとしたら、たとえネット上であっても、「そんな内容はデスクのおれが許さんぞ」という感じですね(^^; そんなに甘いものではないし。記者にそれを認めたら、もうオシマイという気がします。
そもそも私は(自分のブログで何度か書きましたが)、既存メディアの病状は「取材力の劣化」も大きな理由だと思っています。ネットか紙か、という議論の前に、質問する、資料を集める、裏を取る、キーパーソンを探し出す、また質問する、原稿を煮詰める、原稿の穴をふさぐ、、、そういう作業全般の力量低下が著しい。ですから、例えば、「記者クラブから出よ」と言ったりするわけですが、記者クラブから出ただけで取材力が向上するわけではありません。
事実の最終確認が取れてなくて、に関して例外があるとすれば、災害時などの場合でしょうか。「事実確認が6割」よりも「スピード」が要求される、早くネットに掲載しろ、、、そういうケースは確かにありそうです。ただし、ここでも流言蜚語に惑わされない、相当の確認作業が必要になります。私は奥尻島大地震、豊浜トンネル事故、その他地震や台風などの取材を経験しましたが、初動段階では(当然ですが)消防や警察、行政の防災当局の情報も非常にアヤフヤです。
「見る前に跳べ」は私の信条ですが、具体論をもう少し考える必要はあるだろうな、という気がしています。
投稿: 高田昌幸 | 2005/04/17 10:59
あ、失敗。。。上の私のコメント、2段落目に引用マークが抜けました。2段落目はR30さんの引用です。
投稿: 高田昌幸 | 2005/04/17 11:00