メディアビジネスのバリューチェーン(その2)
前回の「メディアビジネスのバリューチェーン(その1)」のエントリには、切込隊長はじめいろいろな方から示唆に富むトラックバック及びコメントをいただいた。皆さんどうもありがとう。
1つ1つにコメントをつけるのは面倒だしあまり生産的でもない気がするので省略させてもらいます。ただ、隊長のトラックバックはやはりかなり核心を突いてるので、今回はそれをネタに話を引っ張ってみよう。
隊長の言い分をまとめるとこういうことかな。
- ネット上で何を議論するかを決める最初のファクトは、主にマスメディア側が提出の権限を持っていて、ネットからは出てこない
- ファクトの検証や論考は、ファクト(あるいは設問)が可視となってから始まるので、ファクトに先にリーチできるマスコミの方が有利。ネットにできるのは公開情報に基づく基礎調査だけ
- 企業や人物の実像(と次に起こる事態の予測)に迫るには、公開情報を集めて推論を立て、取材による検証を繰り返しながら分析するしかない。ネットからは予測は出てこない
- オリジナルな情報を集めてこられるユーザーの情報能力が一番高いという事実は変わらない
個々の論点を議論する前に、ここで隊長が前提としている記事の質について指摘しておこう。これらの論点の前提は「公開情報は基礎調査の足しになる程度」、「最初のファクトはマスメディアから流れる」「次に起こる事態の予測が重要」といったことだ。多くの人はお分かりと思うが、これは僕が昨年論じていた「プロのジャーナリズムとは何か」のシリーズと同じ、ビジネス・経済の分野の話である。
一方、ほかのジャンルの記事は必ずしもそうではない場合も多い。政治分野のニュースというのは(発表情報をせき止めている記者クラブという“ダム”はあるにせよ)圧倒的に公開情報の量が多く、法律や政策科学の専門知識(宮台真司の言う「法のプロのリテラシー」)を使ってそれらのデータをどう読み込み分析するかが決定的に大事だ。
また社会分野では、先日の竹ノ塚駅の踏切事故などが典型的だが、「最初のファクト」や「様々な関連情報の集積と分析」がマスメディア以外で盛り上がるケースも非常に多い。というか、警察や役所の外に出てしまえば、ネットの一次情報の収集・集積力はマスコミの到底敵わないレベルまで来ているというのが実情だろう。
というエクスキューズは置いた上で、議論の対象になっているビジネス分野の報道に関して、隊長の論点について僕の考えを述べる。
1.については、現時点ではまったくその通りだ。ただし、多少マクロが絡む分野では生じるファクトは決して突発的なものではなく、一連の流れの中から生まれるトピックスである場合が多い。とすれば、マスコミが気がつく以前にその道のプロは問題を認識して、かつそれをウェブに書いていることも増えてきている。
2.もまったくその通りだが、だからこそ「公開情報を精査するネット」と「ファクトの一足早い論考をするマスコミ」とが補完関係になれると思う。逆の言い方をするならば、ファクトを一足早く集めて検証を加えるというリアル機能を付加しない限り、ネットジャーナリズムを標榜する組織は報道機関足り得ないと、僕は思う(これはライブドアPJに対する皮肉)。
3.は、1.で書いたことにも少し関連するが、僕はむしろマスコミの方が日々のニュースに踊らされて冷静で精緻な企業や人物分析を怠っている気がしてしょうがない。ま、印象論で言ってもしょうがないわけだが(笑)、特にその企業や個人を見聞きした人間のパーソナリティが明らかである限り、その人間が表明する「直観」が読者にとって貴重な「傍証」になりうる場合に、既存のマスコミというのはほとんど無力である。
例えばマスコミでは、客観的にそう言い切れるだけの情報ソースを明記しない限り、地の文で「ホリエモンはいかがわしい人物だ」とは書けない(書くマスコミもないわけではないが、少なくともまともな新聞や雑誌はごくごく一部の論説委員とか言われる人たち以外の記者に、そういう主張を書くことを許さない)。だが、ネットでは書き手個人のパーソナリティは過去記事をたどればだいたい分かるので、読者と書き手のパーソナリティという前提を共有できる限り、このような「傍証」を記事化することが簡単にできる。そして、それはかなりの確率で次に起こる事態の予測にもつながるだろう。
4.最後の点については、ま、当たり前でしょという感じ。マスメディアの情報、ネットの情報、それらだけを信じて行動を起こすなんて、ビジネスであり得ないぐらいのことはまあ常識かと。隊長が日経新聞を読んでいなくても全然驚かないが、隊長とさしで商談しようっていう人が今日の日経に書いてある記事も知らずに延々ゲーム業界の最新動向について自説を開陳したりしたら「大変恐縮で申し訳ないのですが貴様顔を洗って出直してきやがりませんか」って言われて当然だし。
それはいいとして、隊長のエントリの最後のところに書いてあって気になったのが、僕が前回述べた情報の「積極思考層」と「無思考層」というリアクティブなスタンスから見たレベル分けに対して、「それはファクトが出てからの話」として、ファクトが出てくる以前のプロアクティブなスタンスから「独自に情報を入手できる層」と「既知の情報を吟味・解釈する層」「独自情報も持たずネット(の公開情報)にもアクセスできない層」という3つに分類するというフレームワークを提出してきたことだ。
ねなし氏@sageがこの2つのフレームワークの構造を1つの図にまとめるエントリを書いてくれている。これは非常に重要な図だ。何が重要かというと、僕が「積極思考層」という言葉で一くくりにした「顧客グループ」を、さらにどのようにセグメントするべきかが示されているからだ。あまりに重要なので、ちょっと引用させてもらおう。
この図を元に言うと、既存のマスメディアは領域(III)の顧客(ここはこれまでもこれからもマスコミにとっての優良顧客だった)だけを相手にしようとしているように見える((IV)のセグメントの顧客で、読者投稿欄への寄稿掲載と500円程度の図書券で満足しない奴らのことを、彼らはこれまで「クレーマー」「うるさい読者」と呼んでいた)。
ところが、今多くの消費者がネットの影響で(I)や(II)の領域に流入しつつあることに対し、マスコミは(毎日新聞などの例外?を除き)ただひたすらに目をつぶりたがっている。だからこの前の読売新聞のような、「ネットユーザーはみんなクレーマー」とでも言わんばかりの記事が出てくるわけだ。
僕ももちろん、(I)や(II)の領域にいる人々が多数派とまでは思わない。だが、インターネットそのものはもはや国民の大多数に普及している。そして、そのネット上で誰が人々の行動に最も影響を与える「オピニオン・リーダー」か、「アーリー・アダプター」か、と言えば、それは(I)や(II)の人たちに決まっているのだ。
前回のエントリでも少し述べたが、インターネットは情報サービス産業にとって、本質的には「ディストリビューションの破壊的な新チャネル」だ。これまでのチャネルで従来の顧客が商品を買ってくれているからといって、破壊的イノベーションの威力(少なくとも潜在力)を持った拡大する新チャネルに集まる顧客への商売を考えもせず、それどころか新チャネルを自社にとっての「脅威」とさえ認識しないのは、愚かというしかない。
まあ、少なくとも今の新聞は米国並みにあからさまにネットを攻撃してくるようになったという意味では、「脅威」ぐらいは感じているのかもしれないね。それならそれで、いいと思う。それっていずれ自分たちの中に「破壊的イノベーション」そのものを取り込まざるを得なくなるっていう、C・クリステンセンの言うような「想定の範囲内」の行動なわけだし(笑)。
というわけで、今回は顧客の定義までで力尽きた。さらに次回に続きます。
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コメント
うはっリンク&TBありがとうございます。
ついに「バリューチェーン」が登場するであろうその3に期待しております。
投稿: ねなし | 2005/04/08 14:35
ねなしさん、記念すべき1000件目のコメントでした。おめでとうございます~。景品はありませんw
投稿: R30@管理人 | 2005/04/08 14:39
まじでか!!
ほら、折角エログ宣言したんだし・・・
なんかこぅ・・・ないですか?
大川氏ひみつ画像とか。
投稿: ねなし | 2005/04/08 14:48
隊長を意識するのは分かるけど彼の意見は「面白そうだから俺も混ぜろ」であって
もやもやした問題意識をエントリー化しただけなのでクソ真面目に分析に組み込むと
グダグダになる、というかなってるので合掌。
投稿: ペペ | 2005/04/08 19:15
切込隊長ブログはそこまで意識しなくても玄関先に野ぐそするくらいの勢いで上等じゃないかと。
まーったく意識しない状態で書いてみれば? そのほうが面白く読めるかもしれませんね。
投稿: うんこ | 2005/04/08 20:55
宿主がお題を出してるんだ。コメントアブラムシとしては生であっても〆切と金曜の夜を返上して美味しく頂かねばなるまい。
お題からしてこのシリーズの主題は
メディア産業の利益構造(バリューチェーン)を現状に照らし合わせ分析し
「メディア産業の進むべき方針の提示」あるいは「産業がニッチ以上にはなり得ない証明」
を果たそうとするのもだと解釈している。
その動機はウェブさらにはブログという簡単なパブリッシングのツールによって
「メディア産業の利益源たる情報発信経路は技術的な進歩によって一般化した。故にメディア産業は利益源を失い滅亡する」
という見解が持ち上がったことにある。これはホリエモン以前にネット原理主義者の唱える従来メディアに対するネット優位論だ。
しかしここで当然反論と肯定の応酬がある。(○:メディアサイド、反論 ●:ネットサイド、肯定)
○情報の価値は経路にない。
●パブリッシングに必要な資本が極小化したことで情報産業は個人との競争になる
○媒質である情報の安定した質的優位は経済的な裏打ちのあるメディア産業にある
●個々のネットの情報は質的にもマスコミを十分に凌駕している
○世論の形成にはブロードキャスティングは必須だ
●それが恣意的かどうかネットは判断を下す
etc...
もちろんお互いの主張は重要性はともかく多分にポジショントークを含んでいる。
ここでR30氏のポジションが問題になる。フラフラしてるからだ。当初はネット原理主義にシンパシーがあったはずだ。それは個人的な状況とブログにコミットしているせいかもしれないがそんなことはどうでも良い。しかし保守派からの反論にあたってどっちに行きたいのか見えなくなってきている。
ココはステージだ。観客は無謬性ではなく堂々とした己の芸:パフォーマンスを見に来ている。期待するのは天啓のごとき「R30、俺の主張」もしくは議論百出のこの話題をいかに俯瞰しエレガントに要素と関係を纏め上げてくれるかのどちらかだ。
ユーザーの設定もどうなんだと。企画書でいえばクライアントにも「企画書を読む人」「はんこ押すだけの人」がいて「事情に精通し各プロセスを評価できる人」「書いてある内容で整合性を評価できる人」「馬鹿」のどれかに属するなんてたいして意味ないだろ。ほかには「送り仮名にうるさい人」「打ち合わせに来ない人」「部長に見えるけどヒラのうえに他部署の人」とか用意するといいのか?企画書(情報)の必要性(換金性)と関係ないと思うんだけど。
ユーザー間の格差、ディバイドと言うがバカと賢者の差というのは昔からそんなに変わっていない。ネットがどの程度の教育啓蒙の効果があるのか分からないが国民皆就学と経済成長による知的分布の変動ほどあったと思えない。これもネットは何もしない、問いかけられるのを待つのみという受動性ゆえか。情報の理解に格差があるのかは2つの理由による。一つは個人の器質によるもの。もう一つは必要でない、必要が認められないため。
そして対象(情報の中身)と目的を明確にする必要があるが(その1)で済んだことになっているのだろうか。
テレビの番組欄を眺めてみるとニュースというのは瑣末な存在だということに気が付く。夜中の半娯楽大枠以外はたいてい10分とか。しかし地震が起こったときにはまずテレビを点ける。
どうでもいい記事満載のSPAの企画で記憶しているのは独身サラリーマンのオナニーの回数とかなんとかの特集だった。
ホリエモン騒動でひとつ気になることがある。それ以前にあったある種の話題が霧散したことだ。杉田かおるの旦那がどうとか二階堂的なネタ。
ホリエモンのLF買収は誰に意味があるのか。よく考えると国民のほとんどにとってどうでもいいことだったりする。誰も聞いちゃ居ないLFはもちろんのことCXにしても他にも民放はあるわけで経営者がすげ変わったぐらいでは国民の9割以上にまず影響なんかないと断言できる。日枝と堀江とその取巻きどもがお台場で全裸で集団自殺しても俺の知ったことではない。経済的な波及など彼らの自大な方便に過ぎない。判決の結果だって日々裁判が行われその判断によっては法治国家の根幹が揺らぐが気にする人間は居ない。
我々が何かを知る必要が在るのはその情報の中心にある対象と直接関与するからだ。分かりやすいのは株をやる人間にとっての企業の業績動向。しかしそんな情報はどうでもいい。テレビ東京が株式市場の前と後になんかやってるがそんな情報のニーズはテレビ欄の占有率を見れば旦那をコケにするワイドショーのありふれたコメント以下でしかないと分かる。我々の生活のほとんどは食って寝る、そして食って寝るための何かだ。今日の昼飯には何が最適であるかという同僚のヒントの方が遥かに合目的だ。
ネットで成功した情報サービスに価格COMがある。自分が買いたいものの最安値が一発で分かる。これは今まさに行おうとする購買で出費を最低限にしたいというユーザーにとって対象と利得の明確なサービスである。
また悪徳商法マニアックスとその周辺も「隠された事実」がネットによって暴かれた好例と言われる。これも閲覧者の多くは実際のあるいは潜在的な当事者である。心の安息とか求めていればどうだか知らないがほとんどの人は騙されたり効果のないものに金を支払うことを好まない。
情報はそこらじゅうにありふれて溢れていている。それが選択的に必要なのは関係あるか無いか、今後関係するかどうかだ。元々関係があればユーザーは自ら情報を獲得する。関係を説明できれば提供される情報を受け入れる。
切込隊長の言う一般は知りえない情報は流通しない時点で情報産業的に意味がない。客はコーラが飲みたいのであってコーラの製法に興味は無い。
マスメディアが提供するのは稀な「アラート(警報)」と圧倒的な「パン(プロモーション)」と「サーカス(娯楽)」だ。
アラートとして一度に一定の共有すべき知識とともに問題をキャストできるマスコミのアドバンテージは大きい。コミュニケーションは問題とそれに関連する知識を共有して起こる。問題は様々な知見と同様にいつでも転がっているが、頃合を見定めて「あなたに利害するこんな事態が起こっていますぜ」とコミュニティーに提示しなければ議論は起動しない=対応に向かわない。そしてネットがフォローするのはパブリッシングで無くコミュニケーション主体のツールだからだ。
ここ最近のマスコミのアラート的(≒ジャーナリズム?)功績は何かと尋ねられたら私は戦場で取材する必要も無く、政府の意向にも反していないが「オレオレ詐欺とその予防」と言いたい。これほど関与する対象と、広範囲に報じる目的が明確なものは他になかった。この報道の批判は特に聞かない。一方喧々諤々の三途の川向こう、ライブドア騒動のご報告はSPAのオナニー回数と同列にある。当事者は悲鳴を上げているが傍観者は各々の部屋で劣情をティッシュにぶちまけているという様はエロビデオというサーカス以外の何者でもない。本質は同じなのにアニメやスポーツでどれだけネットが盛り上がっても情報の品質云々されない無視のされっぷりと対照で面白い。当事者がアラート扱いで自分の困難を晒すからセンズリの対象になるのだ。
マスコミ死ねという背景は主にこのアラートの恣意的な運用にある。この辺は素直にフィードバックして適度に考え直してもらえば良い。これが彼らの収益を左右するとは思えない。
他の部分はネットがあるからと言って意味がなくなったり消滅したりするものなのだろうかと思う。
コモディティ化というがそれはネットによって生産性が上がったのではなく、実はユーザーの対面する選択肢の増加によって価格分布幅が下方に広がっているからだと思う。工場にいきなり半額で2倍性能の良い製品を作れといっても無理なものは無理だ。マスコミがそれほど高コスト体質なら昼間の蛍光灯を消すなりQC活動すれば良いがそういうものでもないんだろう。プレゼンテーションやデリバリの形を変えるのはアリだと思うが儲かる方法は特に思いつかない。小手先的にはデアゴスティーニな感じで飽きたら終わりそう。
投稿: ちんこ | 2005/04/08 23:53
>ネット上で何を議論するかを決める最初のファクトは、主にマスメディア側が提出の権限を持っていて、ネットからは出てこない
これってマスメディアのニュース記事に関わるような議論だけにしか当てはまらないのでは? ネット全体から見ればかなり狭い範囲の議論だと思うのですが。
投稿: スープ | 2005/04/09 10:19
んあー
先に進んでない…
他の人のコメントはスルーして、
隊長のコメントだけに反応するのはいかがなものかと…
もともと連載ものなんだから
とりあえず全スルーして
R30さんが仮定から結論まで書かないとダミだと思うのはオラだけ?
投稿: 飴市 | 2005/04/09 15:15
今晩は。う~ん、フレームワークとても分かりやすいですね。お見事です。
情報収集力はマスメディアのほうが優れているでしょう。そしてこれは今後も続くとは思います。
しかし、私は、マスメディアが持つ情報と同等の情報を一般の市民が得ることが出来たとき、各分野のプロが分析するようになり、マスメディアに勤める「ジェネラリスト」記者が書く内容とは異次元のものが出来上がるのではないかと考えています。
ですから、ホリエモンであろうが誰であろうがいいので、是非、インタビューや集めた情報を(プライバシー問題を起こさない程度)可能な限りネット上にあげて貰えればなぁとシミジミ思っています。
投稿: hbiki | 2005/04/12 03:12
隊長(?)の主張(3.)とされる部分ですが、重要なのは予測じゃなくて取材でしょ。多大な労力をかけて取材した情報をタダでweb上に公開してたら生活成り立たない。
有益な情報ってのはコストがかかるのであって、そのコストを生むのが既存マスメディアの既存キャッシュフローでしょ。
既存マスメディアってうまく出来てる。
なーんも考えないでテレビ見てCMで流れた商品を買ったり買わなかったりするだけで、既に取材にかかるコストがまかなわれて、なーんも考えずにテレビ見てれば「こういう情報知りたかったでしょ?」って事で、視聴者が出したお金で取材してきた成果をまた、情報として還元してくれる。メディアが間違って、視聴者に有益じゃない情報をもってくれば視聴率に反映されて、メディアが選んで持ってくる情報もまた変わる。
なーんも考えないで見てるだけで、欲しい情報が得られるシステムがネットで可能なら、そら天下とれますけどね。
図については、どうみても(Ⅰ)が既存メディアで(Ⅱ)~(Ⅳ)に対するオピニオンリーダーとなっているのが現状でしょう。「竹ノ塚駅の踏切事故」にしたって、既存メディアが「私の財産・利益を掛けてこの情報は多分皆さんに有益です。あなたに代わってちゃぁんと現場行って確認してきましたよ。」と太鼓判を押してくれたから興味を持つのであって、同じ内容の情報が予めネットに公開されていたからとて、一般人が「一次情報」を得ているとは言えないわけです。
投稿: hal* | 2005/04/12 06:52