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2005/04/30

(Exciteブログニュースで初の1位取った記事への)独り言

 こんだけ時間が経ったから、どこかからチクリが出てくるかなと思ったけど出てこないな。タレこむ元気もなくしてるのだろうか彼らは。あるいは本当に現場の暗部だから出てこないのかな。会社に首を握られていればやはり無理なのかもしれんな。だから当局による事情聴取でしか、本音は出てこないのかも。想像以上に深刻だな。

 近い話はちらほら出ているが、結局これってのも糸且合の話だ。ちなみに北と匹と丸はリストラが急務だったので匡労系の糸且合員は採用しなかった。だから問題は真ん中の3つだった。上の方だって今もってガイア小隊が全員役員に残っているのを見ても分かる通り、結局真ん中の3つは今もこの問題を引きずり続けている。

 ガイア小隊の中でも束はCや酉ほど糸且合の弱体化が激しくないから、割と勤務時間の上限やら厳しく守られているらしいが、それ以外は相当えげつないことやってきたわけだ。糸且合員がどんなめにあったか(人木才活用センターとか)の話は、ぐぐればいろいろ出てくるさ。でもそういうのは末節な話。被害に遭った奴が大声でいうから記事になったりするだけで、この15年、本当に現場、特に酉やCで起こっていた問題ってのは実際もっと深刻だった。

 結局匡労の斗争の切り札はダイヤを止めるってことだったので、上は「要するに運転士と車掌がじゃぶじゃぶいればいくらオルグしても止められないだろ=匡労あぼーん」って考えた。それで、工房も千問卒も全員車掌に、ちょう簡単な試験さえ通れば全員運転士にしたわけだ。つまり能力一切不問。それが対匡労対策だったわけ。

 しかも真ん中の3つは「新幹線あって儲かるんだろ」とか言われながらすんごい借金背負わされてのスタートだったから、キャッシュ稼ぐのにもう必死。とはいえ束は人口集中する首都圏地盤だし、Cは$箱路線抱えてるから何とかなったが、酉は三洋なんて政治のために作られただけにぜんぜん儲かんねえし、在来はことごとく私鉄と競合だし、もうめちゃくちゃ。98年に追加負担の議論が国会で出た時に、社長の難谷も怒ってたよなあ。そりゃ怒るよ。ていうか、土壇場で日和って逃げたCの大風呂敷男、あいつ本当にきたねえ奴だよマジで。末田はスクラム組んで戦おうって言ってたのにな。風呂敷男氏ね。

 で、結局あれからさらにすごい勢いで人員削減することになったわけだ。酉のサイトみたら、2001年の中経で社員数を5年で4万1000から3万2000へ、2割以上減らすつもりだったんだな。切られるのは当然ながら年くったベテランと民営化の時に人が足りなくてしょうがなく雇った匡労糸且合員。で、現場から経験豊富な人間がごっそりいなくなっちまったと。

 つまり、分かりやすく言うと、この15年というのは経営的に言うと2つの期間に分かれるわけだ。87~97は、計画通りの匡労潰しと計画通りの借金返済という、ガイア小隊のメンバーが自分で描いた絵を実行していた時期。それから98~2005は、真ん中3つで合計うまい棒135億本の追加負担を受け入れなきゃいけなくなって匡労以外の社員にも締め付けを強化した時期。

 10年単位で見通しがそんなに狂うわけない商売だから、逆に言えば永田町から降ってきた合理性を完全に無視したこの(匡労潰しに対する意趣返しみたいな)この案が、ガイア小隊たちの経営見通しをどれだけ狂わせたかってことを、当時大手紙の中で唯一真ん中3つへの追加負担に賛成の論調を張った朝日新聞はもう一度想像しなおして反省しろ。ていうか論説委員氏ね。おまえらに企業批判する資格なし。

 話が逸れた。まあそんなわけだから、今の酉にはトータルな仕組みとして安全を考えられる奴も、現場で臨機応変にまともな判断をできる車掌も運転士も、残ってないってこってすよ。匡労はいざ知らず、非糸且でももうそういう骨のある奴はいないだろうね、残念ながら。

 といったような話を言うと「そら見ろ!やっぱり政治家が悪いんだ!」とか「公的資金負担を減らす国会案を支持した国民が悪い!」とか言う奴が出てくるでしょうから、もう一言申し上げておくと、そうは言っても酉の当期純益は、5年前と前期を比べると連結で2倍、単体でも1.5倍に増えてるんですわ。FCFで見ても、ここ3年ぐらいはコンスタントにうまい棒40億本ぐらいはキープしてるし。

 しかも今回やっちまった部分は鉄の中のセグメント別(三洋、在来、都市網)で見ると唯一の増収増益部門だった。せっかく去年の3月に完全に自由放免の身になったことだし、キャッシュは一番搾れるところからもっと搾り取ろうぜってことだったのだよ。霞ヶ関の株売却っていうのは、つまりは「最後のたがが外れる」って意味だったのかもしれんね。だはは。

 で、「上が腹切りゃーいいってもんじゃないだろ」とかコメント欄でおっしゃっている方々がいるようですが、皆さん運転士や車掌である前に生殺与奪の権を会社に握られたしがないサラリーマンなのですから、上の物言いが変わらない限り組織なんて変わりませんや。というわけで独り言による分析、おしまい。独り言なんで詮索不可。

 追記。僕は糸且合ってのはむしろ会社を強くする、と思ってる人間。なんでかっていうと、上の際限ない合理化の無茶な要求に、現場レベルから適切な歯止めをかける機能があるから。話を聞く感じでは匡労が「適切」な歯止めになり得たかどうかは微妙だが、少なくとも草恋に変わった段階できちんと現場チェックの経営の中に組み込むべきだったと思うのだな。そうやってトヨタは強くなったわけだし。社長が替わってもそれが出来なかった、許されなかったのは、やはり上に居座っていたガイア小隊たちの過剰な思い入れがあったから、のような希ガス。丼も風呂敷男もこの際全員ヤメレ。おまえらがガンなのだ。でないと何度も繰り返すぞ、きっと。

12:02 午前 経済・政治・国際 コメント (12) トラックバック (10)

2005/04/28

JR事故が経営者の責任じゃないならいったい誰の責任だというのか

 尼崎のJR脱線事故は、調査の結果も明らかになってきたようだ。完全な断定はできないものの、置き石説はJR西日本(JRW)のフカシで、主な原因はスピードの出しすぎ+カーブに入る直前の急ブレーキ(による車輪摩擦の増大)というあたりのようだ。

 このあたり、あちこちのブログや掲示板からのコメントを集めてきた、てるてる日記の「尼崎での脱線事故について関連記事・ブログなど」というエントリが出色だ。ここのリンクを読めば、背景にあるJR西日本の労働組合問題なども含めて、原因がほぼ推測できる。

 新聞やらブログの世界は、そろそろ原因究明から責任追及の議論に入っていてもおかしくないと思うのだが、朝日の今朝の社説なんか読むと、finalvent氏でなくても「無内容」の一言でうっちゃりたくなるぐらい中身がない。論説委員は事故が起きてからずっと3日ぶっ続けで天に祈り続けてるのか?僕は1日だけだったけどな。

 ライブドアPJなんて、もっとめちゃくちゃ。「責任は国民にある」とか言っちゃうし。おいおい、JRの経営者と政治家がバカなのはどっちも国民のせいなのかよ(笑)。利便性を求めるのは消費者の当然の行動で、それを否定したら資本主義が成り立たないよ。100%の安全を維持しながら消費者の利便性にどう応えるか考えて実現するのが企業の役割だろ。そんなもんまで国民の責任にするなよ。

 脱線のメカニズムは理系の専門家の分析に任せるとしても、マスコミもブログ書く人も、文系なら文系なりのロジックをもう少し持って考えてほしいと思うんだが。

 この問題を超マクロで見ると、25日の「ニュースの現場で」のエントリのように「リストラ社会」に原因があるように見えてくる部分もあると思うのだが、それは問題の設定を巨視化しすぎだと僕は思う。「ニュース~」の高田氏もさすがに少し考え直したのか、27日のエントリで改めて朝日新聞の6年前の記事を引きながら問題の核心に触れているが、要するにこの問題は企業としてのJRWの安全管理の仕組みの問題である。それ以上でもそれ以下でもない。

 どんな業務でもそうなのだが「あるルーティンワークを人間にさせる時、二律背反となるようなルールを同時に課してはいけない」というのが、オペレーション・マネジメントの基礎の基礎だ。

 例えば、ある工場で労働者にベルトコンベアー上に流れる製品に対する部品の組み付け作業を行わせていたとする。この時、労働者にルールとして100%徹底させなければならないことは何かと言えば、「自分の後ろの工程にきちんと部品を組み付けられなかった製品を送ってはいけない」というルールだ。

 「できるだけ早く、かつ正確に部品を組み付けよう」というのは、典型的な「指示してはいけないルール」である。部品組み付けの早さは、ベルトコンベアーの速度をコントロールする管理者が決めることだ。それは組み付けラインにいる作業者(オペレーター)の決めることではない。

 もし「きちんと部品を組み付ける」というルールと「早く部品を組み付ける」というルールの両方を100%やれと指示したら、たぶんどちらも100%はできないだろう。なぜなら、早く作業しようとするほど組み付け失敗の起こる確率は高まるからだ。そして、組み付けに失敗した製品を後工程で検査して手直しして、とやっているうちに、結局ライン全体の生産効率は落ちてしまう。

 JR西日本は、どうやらこのことを根本的に理解していなかったように思える。「時間厳守で、かつ安全に電車を運行せよ」という命令は、特にラッシュ時のようなクリティカルな状況に置かれる運転手に対して指示されるべきものではない。両方をやろうとするあまり、どちらも達成できなくなるからだ。

 運転士に「ダイヤ通りに運行する」ことをルールとして課すならば、その前提として「100%安全に運行する」ことはほかの誰か、恐らくダイヤを組む人間とATSやら護輪軌条やらを付ける役割の人間の両方が、責任を持たなければいけない。今回の事故の取材で、JRWに「こんな過密なダイヤを組んだのは誰ですか」と質問しに行く記者がいないのは不思議だ。

 というか、実はJRのダイヤというのはコンピューターのプログラムで組まれている、という話を以前どこかで聞いたことがある。「コンピューターが組んでいるから間違いはありません」とか答えてるのかな、JRWの広報は。だとしたらそのコンピューターのプログラムを何とかしろっての。やばいよマジで。

 少なくとも、人員に余裕のまったくない状態でギリギリの運行ルーティンを毎日やらなければならず、そのためにオーバーランや制限速度違反が常態化していたことを定量的に計測して改善策を打つ社内ルールを作っておかなかったこと、それ自体がJRW「安全対策」の最大の問題だったという認識を、マスコミやブロガー諸氏は持つべきだと思うよ。

 で、その責任を取るべきなのは、当然ながら安全対策に最大の責任を持つ経営者だろ。社長時代に東西線を開通させ、今のJRWの運行システムを企画した総責任者である南谷会長は、一番その責めを負うべきだ。会長辞任は当然として、関経連副会長を降りないっていうのはどういう了見なのか。関電の美浜原発の件といい、関経連も本当に腐ってるな。もしかして、ことは関西経済界の知能麻痺であって、JRWの企業体質の問題だけではないのかもしれない。

09:30 午前 経済・政治・国際 コメント (60) トラックバック (48)

2005/04/27

在京キー局の株持ち合い問題をIR的に考える

 FPNの佐藤賢也氏からのトラックバックで、在京キー局の株式持ち合いの話を知った。元ネタはNIKKEI.NETのこの記事。テレ朝の社長が、キー局5社でお互いの株を2%ずつ持ち合い、それぞれ8%の安定株主を確保しようと提案したというもの。佐藤氏は「プロ野球以上の村社会」「業界丸ごと引きこもり作戦」とコテンパンに断罪している。短いエントリなのに面白く読めた。

 コテンパンにした方が痛快なのは確かなんだが、僕は「8%程度でそこまで言うこともないんじゃないの」と思う。この話は別にテレビ局やマスコミだけの問題ではなくて、日本企業が多かれ少なかれ抱える問題でもあると思うからだ。

 この問題に関しては、ライブドア騒動の総括として、あちこちでいろいろな人が論じているので、少しまとめておこう。

 まず、上場テレビ・ラジオ局の株主構成については、とーます投資研究所の「上場している放送局の株主は?」というエントリに詳しい。テレ朝、テレ東、日テレなど、新聞社が親会社にいるテレビ局は、33%以上をこれら未上場の親会社が持つことが多い。

 例外はTBSとフジ。TBSは毎日系列ということになっているが、公表されている上位10株主を見ても金融機関ばかりで、毎日グループの顔はほとんど見えない。外資19.99%と書いてあるが、第三者が株主判明調査をかければおそらく完全に外資の割合が3分の1を超えているだろう。そして、フジテレビはご存じの通り。ちなみに、LF保有分の株式を誰にも譲渡せず完全に消却したとすると、筆頭は東宝の7.3%になる。

 ちなみに、報道機関の株式保有に関しては、先日のGLOCOMシンポジウムでの切込隊長のコメントがインプレス・ウォッチのレポート記事に出ていた。隊長のコメントのポイントをまとめると、

  • 欧米ではクロスメディア(メディアが他の種類のメディア企業の株式を保有すること)は禁じられている(日本でもそれを禁じるべきではないのか)
  • 電波は公共の資産であり、外資など資本の論理で自由にしていいものではない。外資規制をはじめ、公共性の機能の定義とそれを守るためのルールを政府がきちんと決めるべき
 という2点のようだ(発言の意図が違っていた、ということであればご指摘ください>隊長およびシンポ参加者)。

 で、僕の考えだが、これは口にするだに無意味な話なのかも知れないが、問題は結局日本と欧米という、彼我の資本市場の層の厚さの差の問題である。

 米国ではもちろん実際にメディアの外資規制はガチガチなものが存在している(そしてそのこと自体を米国人自身がほとんど知らない)のだが、一方でテレビ局も新聞社も主なところは株式を公開していて、特段のメディアコングロマリットを形成しているわけでもないが、やはりその媒体の社会的な役割まで含めて理解した上で年金基金や個人投資家が相当割合の株式を安定保有しており、よこしまな意図を持った誰かが買収しようと思ったり、記事内容や事業展開に株主の影響力を及ぼそうとしても、そうは問屋が卸さないようになっている。

 これに対して、日本は個人投資家の層がそこまで分厚くなく、年金資金もサラリーマン運用しかされてないから、社会的な意味まで考え抜いた株主の責任など果たしようもない。でも、だから持ち合い、だから非上場という逆行が許されるかというと、もはやそういうレベルの話でもないわけで。

 テレ朝社長の言っているのは、おそらく現行外資規制(20%)に抵触しちゃう部分は緊急避難的に業界内持ち合いしましょうぐらいの意味だろうと推測するし、8%という数字を見てもほぼそれ以上の実効性はない。むしろ、地上波デジタル化の投資負担を全部株主になすりつけたくてそのへんの事情を全部黙って上場し、企業としてのビジョンを伝え、個人投資家を取り込もうといったIRを怠ってきた各社の稚拙な経営のツケが、結局ここにきて一気に回ってきたと言ってもいいんじゃないかと思う。

 よく考えたら、本当にテレビが社会にとって必要だとみんなが思っているのなら、そういう人に株主になってくれと必死に呼びかければいいわけだし、それってテレビ局にとってはいとも簡単な話なのだ。少なくとも他の事業会社がどうやって投資家に自らの声を伝える機会を作るか、必死になって知恵を絞らなきゃいけない時に、テレビ局はCMの空き枠使ってあっさり自社広告できるわけだからね。あるいは広告主たる大企業にもってもらったっていいと思う。

 そういう努力をしたうえで、それでも一定以上安定株主が確保できないというなら、ポイズン・ピルでも黄金株でも何でもやればいいわけですよ。でも、その前に総務省にどうこうって言う隊長の意見は、欧米はそうだぞっていう話があるとしても、やっぱりちょっと違和感がある。

 というのも、欧米と違って日本の官庁は電波の割り当てだけじゃなくて、放送免許という許認可権も持ってるからね。もし国民国家としてわきまえるべき「公共性」を逸脱するようなことを買収されたメディア企業がやろうとしたら、少なくともテレビ・ラジオ局に関しては許認可を取り消せばすむだけの話だし。むしろ問題なのは「報道の公共性」とは何かという議論を、これまで誰もが棚上げしてきた現実じゃないかと思う。

 どうせならせっかくの機会だし、この際テレビやラジオだけじゃなくて、一度新聞や雑誌、さらにはインターネットも含めた「報道機関の公共性」について、必要要件とそれによって認められる権利の範囲をきちんと議論すればいいんじゃないの。そしてそれを明らかにしておけば、記者クラブ問題とかプロバイダー責任法からさらに踏み込んだネットコミュニティーのルールとかも明確になると思うけどね。

 これだけ材料がいろいろ出たんだから、本当はそういう議論をこそ、政府ではなくマスメディアが率先して国民会議みたいなものを設置してやらなきゃいけないと思うのだけれど、今の日本のマスコミを見てるとまさに彼らだからこそそういう議論はしないだろうという気もする。というわけで、結局のところこの話について僕もほとんど諦観しか持ち得ない。

 本来ならこの手の議論は民間がやらなきゃいけないことではあるけど、おそらく頭の良い官僚がちょこちょこ根回しして、官主導で進むんだろうな。それもまた日本という国のあり方というべきか。願わくば、その際にインターネット住民の存在が考慮されますように。

04:58 午後 メディアとネット コメント (2) トラックバック (1)

ブログブームの終わり

 最近、いくつかの経験があって、ぼんやりと感じるようになっていたことがあったのだが、梅田望夫氏のはてなダイアリー「BLOG論2005年バージョン」を読んで、ぼんやりとしていたものがかたちになったような気がした。

 2003年12月にはてなダイアリーがβ版サービスを開始して始まった日本のブログ・ブームは、そろそろ「終わった」と断言しても良いんじゃないか。さらなる成長を遂げるためには、どこかで明確なタームの転換が必要になりそうだ。

 なぜそんなことを考えたかというと、まずこのブログのアクセスがまったく伸びなくなったということがある。そりゃーおまえがつまんねーことばかり書いてるからだ、とか、ストレートニュースに脊髄反射系が最近減ったからだよね、という原因はちゃんと自覚してるんだが、それにしてもPVの推移が少し重すぎる。

 それでAlexaではてなダイアリーとLivedoor BlogのPVとかリーチを調べてみたんだが、どちらも4月に入ってから伸び悩んでいる感じ。はじめは社会人になった新卒学生が就活ブログを止めて抜けたのが原因かなあとか思っていたのだが、4月中旬を過ぎても回復の傾向が見えてこないので、やっぱり世の中全体の傾向なのかなと思った。

 あと、ちょっと具体的には言えないんだがある人が言っていた「ブログのアクセスが多いなんていうのは幻想」みたいな話を聞いて、ま、そりゃそうだろなと。とするとこの1年半ばかり、日本のブログ界がリアル世界において生み出した成果とは何だったんだろうか。

 思いつくまま挙げてみると、梅田望夫を媒介にして米国のブログ・ムーブメントの思想をネット住民がリアルタイムで受け止め、山本一郎や真鍋かをりという端くれ者を突然メディアの寵児に祭り上げ、磯崎哲也や湯川鶴章という新たな文化・知識人を生み、藤代裕之や伊藤春香というニューウェーブのライター、あるいは現役女子大生タレントを生んだ、そんなところか(以上敬称略)。

 それ以外、例えばホリエモン騒動と「ファイナンス」というものに対する世間の異様な関心の高まりなどは、ブログがあってもなくても今の日本でいつか起こるべきものだったような気もするし、ブログをまとめたいくつかの本も、別にブログがなくてもそのうち出てきたもののような気がする。

 そしてむしろ、明らかになった問題の方が大きい。それは、梅田氏がまとめているように「確かに知的生産性は一気に向上した、だが時事性の話題に優れた考察を加える専門家のシリアスなブログは、これからまだ増えるのだろうか?」ということなのであり、価値ある情報ほど極度に囲い込んで出さない、日本の知識人の「知」のあり方なのである。

 個人的には、米国というのは良くも悪くもこうした「知」の体系の構造変化には後先考えずに突っ込んでいく人たちが(エスタブリッシュメントさえも)多いところで、だからこそブログの情報伝播力を最大限活用しようとするビジネスがいくつも立ち上がってくるし、マスメディアを巻き込んだドラスティックな「ジャーナリズム革命」みたいなものもブログ回りで起こってくる。

 でも日本のエスタブリッシュメントやマスメディアというのは、表面的な部分では世相にものすごく左右される割には、「知」の構造変化に対しては慎重だと思う。だからこそ新聞や出版業界も表面上はブログに対して特に目立った動きを見せない。

 ある意味でそれは、ブログがブームであることを無意識のうちに折り込んで行動しているようにも見えるし、実は単に保身と既得権益だけがすべて大事という姿勢にも見える。たぶんその両方だ。そして、これから後の展開を予測するのもそれほど難しくない気がする。端的に言えば、徹底して構造変化に抵抗し続けるという、97年以前の銀行業界のような戦略をとり続けるが故に、世間の構造変化の加重が一定値を超えた瞬間、ある日突然バキーンと轟音を立てて業界ごと崩れ落ちることになるのかもしれない。が、実際のところそのへんは僕にも分からない。

 僕について言えば、紙メディアからそうでない領域に昨年転職したばかりで気が乗らなかったということもあるし、「R30」という、どう見てもリアル世界ではブランドとして不適切なハンドルでブログのブランディングをしてしまったということもある。いずれにせよ、いくつもあったマスメディアからの執筆のお誘いをすべて断り、第1次ブログブームの間にライターデビューする機会はつかみ損ねた、ということだけは言えるだろうと思う。

 別に、ライターデビューするのが目的で始めたブログでもないし、「旬のメディア」という流れで言うと、そろそろブログの次のものが出てきそうな気がするのでそれ自体残念とも何とも思わないのだが、少々残念かなと思うのは、梅田氏と同じように、どうやらこれ以上面白いコンテンツを持った知識人やタレントがブログ界に参入してこなくなりそうな気がするのと、切込隊長のようにネット住民からリアル有名人に「転出」してしまう人が出てきて、ネットの言論空間が寂れていきそうな気配がすることだ。

 僕自身は、自分の考えていることを確認したりいろいろな人に投げかけて反応をもらったりしていたいから、今すぐ何かを変えたりこのブログを止めたりするつもりもないのだが、そろそろ打ち上げ花火を止めて、リアルの側のインセンティブの構造といった何かを変えなきゃいけないような気もしている。

 いろいろ書きたいことがたくさんあるのだが、5月に入るまでは忙しすぎてまともに思索を巡らせる時間もない。といっても、連休中もやらなければならないこと(主に仕事)がたくさんあるので、休みに入れば少し更新頻度を上げられるかというとそうでもないのだけれど。

 これからはブログの世界も踊り場というかバブル崩壊の敗戦処理というか、「巡航速度」のあり場を探す展開になっていくのだろうなと思う。

11:39 午前 メディアとネット コメント (30) トラックバック (54)

2005/04/26

僕らは・・・

何気ない日常を生きる人々の上に
突然降って湧いた惨劇を目の当たりにする時、
どんな言葉も虚ろにしか響かない。
それでも人は言葉によってしか何かを伝えられない。
だからしゃべる。
書く。
どんな言葉も虚ろにしか響かないと分かっている。
分かっていながらも、書き続ける。
語り続ける。

労働強化のせいだという人がいる。
逆に労務管理がなってなかったのだという人もいる。
品質のことをつぶやく人がいる。
市場の競争のせいにする人もいる。
これこそマイクロテロリズムだろうという人もいる。
鉄道の線路の下には戦後の闇が埋まっているという人もいる。
みんな、虚ろに響くことが分かっていながら、
それでも語り続けなければならない時、
人はその心の中にある真の関心事を口にしてしまう。
そしてそれらはどれも、
虚ろにしか響かない。

目にした悲惨を、ひたすらありのままに語ろうとする人がいる。
亡くなった人ひとりひとりの物語を語ろうとする人がいる。
やり場のない怒りをどこかにぶつけようとする人もいる。
目に見えない恐怖を血眼になって探す人もいる。
「言葉を失った」と書く人もいる。
彼らは何を伝えようとしているのだろう。
彼らは何かを探し当てるために語っているのか?
彼らは何かを必死で忘れようとしてしゃべり続けるのか?
彼らは自分が涙をこぼさないために言葉をつづっているのか?
それとも、彼らは何かを隠蔽するために書き散らすのか?
それとも、彼らは何かの商売のために?
それとも、彼らは祈るために?
何かを、祈るために。

今、ここで、何気ない日常を生きる我々に、
その祈りは届いているか?

12:16 午前 日記・コラム・つぶやき コメント (12) トラックバック (11)

2005/04/24

メディアビジネスのバリューチェーン(その4)

 メディア論を書くのはもう止めようかとか、気が向いた時にだけ書くことにしようかとか、いろいろと考えた。でも前回さらっと流すつもりで書いたエントリに、ずいぶんたくさんのトラックバックが集まったのを見て、やっぱりこの話みんな好きなのね、と改めて認識(笑)。PVが取れる間はしばらく書いてようかとも思う。

 つくづくあざといなと自分でも思うのだけれど、マスメディアについての赤裸々な論考っていうのは、まさにそれが今までマスメディアが最も扱ってこなかった話題であるがゆえに、コンテンツとしてはものすごく読まれるんだよね。よく考えたら、マスメディアなんてただのニッチ産業に過ぎないはずなのに、この絡みのネタは今まで「需給バランス」が悪すぎたのだ。

 というわけで、今回も与太話をひとくさり。前回エントリにつけられたトラックバックやコメントに絡んでいくだけで1本終わりそうな予感ですが。

 fareaster blogのskywolf氏が「広告産業もメディア産業なので」という、一番乗りトラックバック。氏は広告主の立場からマスメディアを眺めているそうだが、この中に面白いフレーズが。

ユーザー、メーカー双方がもっとも欲しがっている情報は、「信頼できる第三者による評価」なのでしょう。信頼できる、がどの程度なのかはさておき、(中略)つまり、メーカーにしてもショップにしても必要なコンテンツは「適した言葉で語られた言葉」であり、商品設計においてもユーザーをひきつけられる語りを設けられるか、ということが重要になってきます。
 ブランドは広告でつくれない広告も「マス」に知られていればいいという、量の評価の時代は終わっていて、むしろ「信頼できる」とか「新しい価値がある」といった、質に関する評価が大事な時代になっているということ。広告会社がよく使うけど、これがいわゆる「ブランディング」というやつですな。そして「ブランドは広告でつくれない」という、例のあの本につながっていくわけです。

 で、実はこういう「場に適した言葉」あるいは逆に「言葉に適した場」という問題を、広告ではなくマスメディアそのものに対してぶつけたブログがある。ライターの松岡美樹氏だ。「ガ島通信@藤代氏が毎日新聞に書いた「つまらない原稿」を深読みする」という、これまた刺激的なタイトル(笑)で書かれたコラムだが、非常に興味深い。最初の段落からして「文章が死んでいる」とかから書き始めるあたりは、切込隊長の「けなす技術」でも書かれているとおりの正攻法。

 前回のエントリで僕が毎日新聞の藤代氏の文章を褒めたのは、ブログ界隈で散々語られてきたことを、そっくりそのまま「新聞に書いた」ことの凄さを見たからであり、松岡氏はそれを逆さまにした、すなわちブログ界隈から見たときのあの文章の「新聞文体」ゆえのつまらなさを見たわけだ。そして彼は言う。

結論をいえば、ブログであれだけおもしろい文章を書く藤代氏を人並みにさせてしまう新聞という名の装置が悪いということになる。
 ま、そういうことなんだよな。僕だって紙ではこのブログとは似ても似つかんつまんない文章しか書いてなかった。それがネットに向けて記事を書くと思うと、少し変わる。個人でブログに書くとなると、もっと変わるのである。人によってどちらが面白いかはもちろん違うだろうけど、僕にとってみればダンゼン後者の方が面白いのだ。

 まあ、松岡氏の言うように「固くて重々しくて権威の衣(鎧?)をまとっている」文章こそが「事実を伝える」マスメディアのフォーマットなのだから、しょうがないわね。で、僕は金輪際紙媒体になんか出ていかねえ、もっと言えば大マスコミ様の紙面に載っちゃうような文章なんか書かねえ、と心に決めちゃったわけだし。あちこちから来るコラム連載のお願いとか、紙もネットも全部蹴っ飛ばしたりしてるし。我ながらひっでえ傲慢ライターだ。今後マスコミ業界から二度と相手にされなくなるに違いない(笑)。

 ま、それはおいといて、要するに「大組織のブランド」をバックにして「独自取材したネタ」を、「信用できる話」ですと言い張って「不特定多数の人」相手にばらまく、という既存マスメディアの構造から規定される文体というものに、僕ら(ネット住民)はある種飽きてしまったんだと思う。

 それは、skywolf氏が言う広告のスタイルでも同じことだ。無菌培養された、華麗で権威の衣をかぶった広告の言葉より、カカクコムや2ちゃんねるで名無しさんが語るぼろくそな商品評価の言葉の方が信用できる、と考える人が、世の中全員とは言わないまでも、ネットリテラシーの高そうな人たちを中心に、それなりの数に達してきたよということ。これが好むと好まざるとにかかわらず、現在のメディア状況である。

 ちなみに、松岡氏が「死んでいる」と斬った藤代氏@ガ島通信の記事を、antiECO氏が「メディア、ニュースと商売」というエントリで、こう述べている。

だが、極力金の臭いがしない方が、真実度というか信頼性が高まるというよりも、お金の臭いがすると急にうさんくさくなるのだ。だから、ユーザはなるべく金に絡む話を聞かされたくないと思っているし、メディア側も如何にそんな臭いをさせずに発信するかに気を遣っていることだろう。(中略)最近なんだかなぁと感じているのは、金やビジネス、広告の話に自ら触れるメディアやメディア関係の人は自らの首を絞めているように感じてならないのだ。ニュースの質やあり方に終始すればいいと思うのに、残念だ。
 antiECO氏のこのへんの気持ちは、僕にもわからんでもない。ただ、一方で今メディア不信を唱えている人も、まさにそこ(既存のメディアがカネ絡みで言ってることとやってることが違いすぎる点)を問題にしていると、僕は思う。

 例えば、日経新聞があれだけ経済絡みの話を書いていながら、それでも最低限経済ニュースのソースとしては認められているのはなぜかと言えば、「記者が自分の株の売り買いのために書いているわけではない」という前提が信用されているからだ。企業から取材やなんやで接待ぐらいは受けているかもしれないが、少なくとも裏でインサイダーをやったりだけはしてないという、その一点においてソースの価値が成立している。

 同じように、朝日新聞も例えばもしあれが中国共産党との太いパイプによって作られているという前提が読者に共有されていれば、それはそれで有用なニュースソースであるはずなのだ。問題は、今の朝日が読者に前提としてもらえるような取材・編集上のポジションをふらふらと動かしてばかりで、きちっと定めもしないし明かしもないことにある。

 例えばものすごく乱暴な話だけど、週刊朝日が武富士から広告費5000万円をもらっていたという話だって、もし朝日が「武富士っていうのは、俺たちの基準では『犯罪企業』だ。犯罪企業から5000万円奪取してこれこれの社会正義実現のために使ったというのに、褒められこそすれ罵られる覚えなど1つもない」とか言い張ってくれれば、それはそれでありだったと僕は思うのだ。

 世の中で本当に信頼できる相手を見分ける最も有効な方法は、そいつがどういうふうにカネを扱うかを見ることだ。いくら口で「真実」とか「信頼」とか言っていても、なりふり構わずブラックマネーを掴んじゃうような人は誰も信頼しないし、なりふり構わずブラックマネーを掴まないようにするためには、それなりにきちんとした経営というものが必要なのだ。antiECO氏の言うように、「ユーザーはなるべくお金に絡む話を聞かされたくないと思っている」のは事実なんだから、上から下まで社員がお金に汚いことをしないようにするのが、マスコミ経営者の最たる役目だと思う。

 それから、前回のエントリをなぜか希望格差社会の話と接続して解釈されたacmilanit氏のブログ「カップチネマ」のエントリ。うーん、どうしてそういう解釈になるかなあ(笑)。

 これはこの前話したあるフリージャーナリストの言葉だけど、そもそも(広告以外の)マスメディア人というのは、世の中の多くの人たちに、放っておけば富める者、強い者だけに偏在しがちな「価値ある情報、正しい情報を再配分しよう」という思いを持って、マスメディアで働いている(少なくとも入社当初はそういう理想を持っていた)人たちだと思うのよ。これはたぶん、左から右まであらゆるマスメディアで共通することだと思う。

 ところが、今のマスコミの現実はそういう「情報の再配分」の理想とは遠い。だからこそ、ブログ界に北海道新聞の高田氏や時事通信の湯川氏のような優秀な現役記者が流出してくるわけだ。ちゃんとした文章をブログで書ける記者と書けない記者に「淘汰」されるという言い方は、確かに格差の拡大に聞こえるかもしれないが、その中で淘汰されるべき記者というのは、マスメディアの本当の使命たる「価値ある正しい情報の再配分」という読者との約束を破る人であるべきなのである(残念ながら、今のマスコミはそういう人でもなぜか社内力学で偉くなってしまう時がある)。

 そりゃ、誰だって「今日は昨日より幸せだし、明日は今日より幸せなはず」と思って生きていたいに決まってる。でも、その職業に社会が期待した最低限のモラルを正しく果たせない人がその職に就いたまま幸せでいられるべきとまでは、誰も思わないんじゃないの。

 その他にも、前回引用したkatz氏のブログの「RSS読者ランキングで決まる記者人事」というストーリーに違和感を表明してくれた人がたくさんいたが、僕個人は別に「記者を人気ランキングで評価しろ」とまでは思っていない。ただ、読者もバカじゃない(ネットの読者は特にそうだ)から、ガセネタを飛ばしまくったり読者から猛クレームを受けるような記事を書く記者には、ごひいきの読者なんてそんなにたくさん付きませんよと思う。だからその記者の書く文章の「信頼性指標」として、ごひいき読者の数というのを評価項目に入れる時代は、いつかやってくると思うよ。

 それから、最後に前回エントリにコメントをいただいたお二人の業界インサイダーにお返事。

 Marcさん、あなたの言っている話とまったく同じ話がクレイトン・クリステンセンの『イノベーションへの解』の中に米国に新聞社のオンライン部門の事例として書かれています。少し長いですが、引用しておきましょう。
イノベーションへの解

初期段階にこれ(オンライン化)を脅威と位置付けたことで資源のコミットメントが引き出された後、数社がオンライン部門を独立運営、独立採算型のプロフィットセンターとしてスピンアウトさせた。こうなると、新しい独立部門のメンバーは俄然考え方を変えた。自分たちが大きな成長性を秘めた機会に関わっていることを見て取ったのである。その結果、これらの組織は単なる新聞のオンライン版であることを止めて、別の形へと急速に発展していった。主流の紙版の新聞とは異なるサービスを提供し、異なるサプライヤーを見つけ、異なる広告主から収入を得たのだ。だが対照的に、オンライン・プロジェクトの責任をその後も主流部門に負わせている新聞社は、中核事業を守るためにオンライン新聞を提供し、共食いという自滅型の進路をたどり続けている。
 日本の活字メディアのほとんどは後者の道を取ったわけですが、実は国内でも既に前者となって成功し、オンライン部門を株式上場させた会社だってあるのです。それがゴルフダイジェスト・オンラインです。

 そして高田さん。あなたのコメントへのお返事になっているかどうかわかりませんが、このエントリ全体がお返事のつもりです。いずれにせよ、この話は現場でどうするかの具体論をもっと考えていく必要がありますね。

(注:ちなみに今日のエントリに、前言翻してAmazonアソシエイトをちょっと入れてみました。まだ実験段階ですが感想など聞かせてください)

08:38 午前 メディアとネット コメント (22) トラックバック (2)

2005/04/21

ライブドアはテレビより前に電話を潰しますのか

 テレビだラジオだと騒いでいたのがそれ自体壮大な煙幕だったんじゃないのかと思うほどに、最近の無線LAN関係の動きは激しい。ライブドアが川上からの提携で動き出した。

 ライブドア、公衆無線LAN参入へ・パワードコムと連携(NIKKEI.NET)

 しかし日経もほんま、ええ加減やな。「大手通信会社以外の参入は珍しい」って、んな嘘言うなよ。MISのどこが大手通信会社やねんと。それに無線LANなんか、僕だって参入だけやったらいつでもできるがな。家の無線LANアンテナを外に出して、「10m四方のサービスですー」って言うだけやけど(笑)。

 まあ、そんな憎まれ口はどうでもいいんだけど、無線LANはNTT東西やソフトバンクはじめ、あちこちの企業が散々アドバルーンをぶち上げては落としを繰り返してきたし、最近ではまた鷹山が「年末からアステル東京の基地局インフラを使ってWiMAXを」とかほざいてるので、ベロベロ手によだれ垂らして眉毛ゴシゴシっていう感じしまくりなわけだが、ライブドアには何となく期待できそうな気がしてしまう。

 NTT、ソフトバンク、鷹山に比べて、ライブドアならもしかするとやっちゃうんじゃないかと僕が思う理由は、以下のとおり。

  • クライアント・アプリで最も有望な「Skype」を握っている
  • 基幹IP網とアンテナ利権を持つところとアライアンスを組んだ
  • コンシューマに「タダのサービス」というブランド認知が行き渡っている
 並べてみると3番目とかはトホホな理由だったりするが、これはこれで結構大切だ。

 Skypeって何?という手合いについては、日経ビジネスExpressが「ダイヤルSを回せ!未来型電話スカイプが無料の先に目指すモノ」というタイトルで、ド素人でも分かる記事を無料公開してくれているので、そっちを読んでください。まあ、このブログ読んでいる人でSkypeを知らない人もいないと思うが(笑)、Skypeのコア技術って何なの?みたいなところは、意外に知られてないかもと思うので。

 で、2つめは今回の話。ライブドアがパワードコムと組んだのには、それなりの意味がある。結局通信の世界というのはラストワンマイルをどうするかがKSFだからだ。無線LANは基地局から電波の届く距離が数百メートルが限界と言われており(鷹山の採用するWiMAXはそうでもないらしいが)、結局どれだけアンテナをきめ細かに設置できるかが勝負を分ける。

 FPNの徳力氏の解説がそのあたり詳しいが、ADSLではNTTのダークファイバー(未使用ファイバー線)を借りて基地局までファイバー網を引くことに成功したソフトバンクも、無線LANではマクドナルドやスターバックスなど飲食店にアンテナ網を依存せざるを得ず、結局広がらなかった。

 その点、パワードコムは九電力が親会社の「元祖・電柱屋」である。電力会社が送電線と一緒に引いた光ファイバーの通信網を使い、日本全国の電柱にアンテナを取り付けるなど、造作もないことだ。

 そして、最後は普及のてこになる消費者認知だろう。渋谷の女子高生に「鷹山って知ってる?」とか聞いても99.99%の確率で「知らな~い」と返されること請け合いだが、「ライブドア知らない」などという人はほとんどいないだろう。何してる会社かは知らないって言われる可能性は高いけど(笑)。

 あとは、Skype内蔵の携帯端末をどこから持ってくるか、だな。まさか「皆さん、ノートパソコン持って出て下さい!」って言うわけにもいかんだろうから、「iPAQ with Skypeホリエモン・モデル」とか、「ブラックベリーby Livedoor」みたいな端末を持ってこなきゃね。

 んで、そいつを新宿ヨドバシの前とかで赤いウィンドブレーカー着たお姉ちゃんたちに「今ならケータイタンマツ、3ヶ月無料でーす!」とか言いながら配らせるっていうのはどうよ?ていうかフジテレビからぶんどった400億円の一部だけでもいいから使って無料で配ってくださいぜひぜひ。そしたらテレビとラジオはぶっ潰せないかもしれないけど、NTTドコモ潰せまっせ。なーんて妄想爆発中。(うは、グダグダの記事になってしまった)

11:45 午前 経済・政治・国際 コメント (23) トラックバック (6)

2005/04/20

AdobeとMacromediaはXMLの夢を見るか

 AdobeとMacromediaのM&Aについては特にコメントするつもりもなかったのだが、極東ブログがこの件で業界内をざっと概覧するエントリを立てていたので、それに対するカウンターでもやっておこうかと思う。

 DTPやウェブ開発ツールの普及が、製品の技術的先進性やクオリティとはほとんど何の関係もないことは極東ブログでの指摘のとおり。finalvent氏はこれを「(普及の成否は)それを支えるエンジニアやデザイナーの労働市場に依存するだろう」と書いているが、そうとも言えるしそうでないとも言える。というか、このポイントこそがAdobeとMacromediaのコア・コンピタンスを分けてきたものだ。

 Adobeが圧倒的な強みを持つペーパー系のデザインやドキュメント作成ツールについては、広告会社や出版社、編プロ、あるいはそこに人材を供給するデザイナー学校など、ユーザー企業の投資動向に依るところが大きいと思うし、逆にMacromediaが強みを持つウェブ系のツールについては個人のネットワーカーにとってavailableかどうかが大きいと思う。

 結果的に、ユーザーから見れば2社は似たような機能の製品群をたくさん持っている。M&Aでそれらの商品ラインナップがなくなるのではないかと懸念する声も大きい。だが、FLASHを使って遊んでいる2ちゃんねらに「最新バージョンではFireworksをPhotoshopのサブセットにしたから3万円ぐらい余計にカネ払ってね」なんて言ったら、たぶん誰もその製品を買わないだろうし、逆にCreative Suiteを使ってDTPをこなそうと思っているグラビア誌のデザイナーに「今Suiteのプレミア版をお買いいただければDreamweaverも付いてきます!」とか言われても「なにそれー」で終わるだろう。

 つまり、微妙にかぶっているように見えるプロダクツ群も、それぞれの会社が得意としてきたユーザーが欲する程度の価格と機能で作られてきたのであり、単純に似た機能の群を統合すればどうなるというものではないと思うわけだ。

 では、なぜAdobeはMacromediaと一緒にならなければならなかったんだろうか?彼らの狙いは、いったい何か?

 僕の勝手な予想だが、それはたぶんXMLのためなのだろう。

 Adobeが抱えてきたペーパーパブリッシング系のユーザーは、今おそらく10年に1度の大きな転換期を迎えている。日本でも既に起こっていることだが、ウェブサイトが雑誌や広告の市場を荒らし、紙だけを作っていたのではもう収益を稼げない時代に入ってきた。従来テキストや画像処理など、それぞれの領域だけで進められてきたデジタル化を、プリプレスのプロセス全体で統合し、さらにXML化したデータをリアルタイムでウェブなどにコンバートする技術が必要になっている。

 ところが、XDFをウェブの世界に持ち込めるかというと、これがつい2年前ぐらいまでは全く「ノー」だった。ウェブの世界はブログが出てきてやっとXMLベースのサイト構築がメインストリートに躍り出てきたものの、これまではDreamweaverを使ったゴリゴリのHTMLカスタマイズですべてが作られていたからだ。それがようやくXMLベースで議論ができるようになってきた。

 でも、AdobeにはXMLの原則は分かっても、それをウェブデザイナーに納得させて使わせるだけのアプリケーションを開発するノウハウがない。なんせ何十万円もするような高級ソフトばかり作って企業向けに売ってきた人たちに、2ちゃんねらでも使えるようなソフトをばらまくマーケティングのノウハウなんて、あるわけない。彼らは常にソフトウエア界の貴族だったのだ。

 というわけで、じゃあユーザーをMacromediaごと買っちゃって、彼らウェブデザイン系の人たちと我々パブリッシングデザイン系の人たちで共有できるXMLプラットフォームをちゃんと決めましょう、というのがAdobeの狙いなんではないかと、思っている。

 実際のところ、「DTPソフトに入力した記事を、そのままウェブサイトのフォーマットに変換してページを自動生成して、しかも著作権保護をかけたFLASHにコンバートしてPDAブラウザ向けにばらまけないのか」とかいうことをしょっちゅう考えていたが、こんな壮大なコンテンツ配信のフロー、ある程度のアプリケーションがなければできるわけがない。そして、今はXMLというバックエンドのDBにリアルタイムでジョイントできるDTPソフトも、ウェブ開発ソフトも、マルチメディアオーサリングソフトも、まだ存在しない。

 というわけで僕はかの業界を見切ってしまった。今になって思うと、僕が転職したのはAdobeやMacromediaのせいだ。そうに違いない(笑)

 なんて意味のわかんないことを書いてしまったが、極東ブログが言うように、AdobeだってMacromediaだって、彼らの製品群が技術的・市場的にデッドエンドに来ていることに対する自覚ぐらいはあるだろう。そして、フロンティアがむしろその背後のXMLフォーマットの領域にあることも。だからAdobeはSix Apartと提携したのだ。今や、XMLの世界で最も枢要なアウトプット・アプリケーションを握る同社と。

03:35 午後 経済・政治・国際 コメント (10) トラックバック (15)

2005/04/19

青梅についてのあれこれ

umeboshi このブログの来訪者の検索エンジンキーワードで、いつも上位に入っているのが「ローストビーフ」である。昨年12月に書いたエントリが原因なのだけど、確かにGoogle先生に「ローストビーフ 作り方」と入れて検索すると3位に出てくる。最近増えているのが、「水出し紅茶」。こちらも5位。でもこういうの、何かちょっと嬉しいよね。

 で、またグルメ話に振ってしまうのだけれど、今日は梅干しの話。昨年も5月に梅の話を書いた。個人的にはまだ根に持っている話なので、その時のエントリを引用しておこう。

 うちの実家は毎年自家製梅干しを漬けることになっていて、特に大量の梅を洗って拭いたり、赤紫蘇を揉んだりする作業は重労働なので、僕も小さい頃から手伝わされてきた。で、独立した今でも必ず毎年10kgの梅干しを漬けている。

 かつては家の近くの八百屋で母が青梅を買ってきてくれたのだが、独立してからあちこちのスーパーなどで仕入れようとしたものの、10kgというのはどうも一般には並大抵の量ではないようで、梅も紫蘇も店にあるものを全部買い占めてもまだ足りなかったりする。それで、ネットでいろいろと仕入先を研究するようになった。

 最初に梅干し作りの情報で頼りにしていたのは、知る人ぞ知る超有名サイト、荻窪の鈴木青果店。最近でこそあちこちに増えたが、梅干しの作り方や梅加工品に関する情報では、ここが最も詳しい。このサイトが確か3~4年前から、自家製梅干しだけでなく、南高梅の産地、和歌山県南部川村の農家と提携してネットで青梅の販売を始めた。僕もその頃からネットで青梅を仕入れるようになった。

 ネットで青梅を仕入れるメリットは、スーパーなどで買うのに比べて、いくつかある。

(1)量をまとめて買える
 うちは10kgとかいっぺんに漬けるので、1~2kg単位の袋で売っているスーパーの青梅では持ち運びしにくいし、量も間に合わない。粒の揃った梅を段ボールでまとめて自宅まで送ってもらえるのは、非常に助かる。

(2)農家の直販なので小売り価格より安く買える
 小売りで買うと、特売でも1kg800円以上は確実にする。ちょっと気を緩めると1kg1200円とかになる。でも農家からの直送だと、その3分の2から半分近くにまで落ちる。たくさん買う身としては、10kgまとめて半額になれば、送料を1000円乗せてもまだずっと安い。

(3)追熟のタイミングを考えなくてもいい
 子どもの頃は、段ボールに入った青い梅が黄色く色づくまで、自分の部屋に置いて、部屋いっぱいに広がる梅の香りを楽しんでいた。これはこれで良いのだが、サラリーマンになってみると、ちょうど土日に熟し切ってくれないと漬け込み作業が大変になってしまう。ネットで買えば、週末に日時指定して届けてもらった完熟梅をすぐに漬けられる。

 といったわけでネット仕入れを使うようになったのだが、今年もさあそろそろ予約しておくかな、とウェブを探してみて驚いた。南高梅の青梅の価格が、どこもほとんど同じになっているのだ。取り決めでもしたかのように、どこも1000円/kg+消費税に揃えられている。なんだこりゃ??去年までは楽天で「青梅」と検索したら、いろいろなサイズ、価格の梅があちこち出てきたのに(ちなみに去年僕が買ったのは、税抜きで10kg8000円の梅だった)。

 おかしいな~と思いながら検索していると、昨年は見なかったサイトを発見。「JAみなべいなみ」とその直営ネットショップ@楽天である。HPにある概要を読むと、どうも昨年4月に、印南町・南部川村・南部町という、南高梅の主生産地3町村のJAが合併して発足したらしい。そこの青梅の販売価格が、10kg10,500円となっている。HPのトップページには「ネットショップ再開しました」の文字が。

 試しにGoogleで「南高梅 青梅」を検索してしらみ潰しに当たってみたが、南部川・印南地域の農家でこの価格以下で青梅を売っている店は、楽天内外を含めて存在しない。一部売っていたらしいところは、既に「予約完売しました」の文字が表示されている。まだ連休が明けたばかりなのに、そんなにすぐに完売するわけないだろ!!

 ちなみに昨年青梅を仕入れた楽天最大の梅農家の店のページからは、青梅の販売のページが跡形もなく消えている(配送説明などのところには、「青梅を送る際には~」といった表記がまだところどころ残っているが)。

 …あくまで推測に過ぎないが、これって“カルテル”なんじゃないの?JAさん、直営でネットショップやるからって組合員の自主流通を規制しちゃいかんでしょうが。ひどいなあ。 

「さて、青梅の季節ですが…」(05/14/2004 03:56:15 PM)
 …というような話が昨年あったわけだ。さて今年はどうなのかなと思ってひとしきりネット内を巡回してみたが、やはりJAみなべの影響下にある梅関連のネットショップは、今年の南高梅の販売価格を「1kg=1400円以上」ということで価格協定を結んでいるようだ。

 上の記事中で紹介した荻窪の鈴木青果店のサイトを見ると、2003年が1kg=1100円、2004年が1200円とじりじり値上げ方向に動いている。今年あたり、JAみなべ協定価格の1400円にさらに近づくのではないだろうか。

 昨年に続き、今年も僕は和歌山県南部川地区ではなく、もっと安い奈良の農園のネット販売で購入することにした。とはいえ、こちらも今年は10kg6400円と、昨年に比べて400円の値上げ。今年はオイシックスなども奈良産の青梅を扱い始めたようだが、価格はじわじわとJAみなべの設定した価格帯に収斂しつつあるようだ。

 僕のように、10kgまとめ買いで漬けたいからキロ600~700円で寄こせなんて文句を言い出す人は、もうごくわずかしかいないのだろうね。しかも、うちも実家が梅干しをあまり食べられなくなってきたようなので、専ら自家消費のみになってきた。しばらく、毎年10kg漬けるのを止めるかなあ。それとも、漬けた梅干しを「余りました~食べ切れません!欲しい人に譲ります」とか言いながら、このブログ上で売ってみようかしら(笑)。

12:37 午後 グルメ・クッキング コメント (20) トラックバック (0)

2005/04/18

サラリーマン経営はオーナー経営より強し

 「ああ、とうとう勝負あったか」と思った。今朝の日経のニュース「メディセオとパルタックが経営統合」を読んで、ふとそんなことを考えた。

 一般人からはあまり見えない業界の話なので、ピンと来ない人も多いだろう。少し説明しておくと、メディセオホールディングスは、2004年にクラヤ三星堂とアトル、エバルスという3つの医薬卸が合併してできた国内最大手。パルタックもこれまで多くの問屋が合併してできた会社で、日用雑貨卸の国内最大手である。

 メディセオの前身であるクラヤ三星堂は、国内最大の製薬メーカー、武田薬品工業の系列卸であり、病院や薬局に圧倒的な取引の強みを持つ。ここ数年、医薬卸は業界再編が相次いでおり、メディセオは武田直系という商品力に加えて、規模の競争でもその先頭に躍り出た。

 ただ、メディセオにも弱点があった。それは大衆薬である。大衆薬の国内最大手は大正製薬。武田の商品力にものを言わせられない分野だ。しかも、主要流通ルートであるドラッグストアは近年ものすごい勢いで成長し、しかも安売り乱売合戦を重ねてきたので、厚労省が決める「薬価」などというカルテルは存在しない。

 しかも、ドラッグストア向けは他に日雑、食品の卸も入り乱れての競争となる。メディセオのドラッグストア向け卸売り事業は、1兆2000億にのぼる連結売上高のわずか4.5%に過ぎない。今年4月にスズケンから大衆薬卸部門の譲渡を受けて医薬卸業界の最大手にのしあがったコバショウ(売上高1650億円)の3分の1の規模しかなく、タケダブランドを使ったごり押し以外に売り上げ拡大のすべがなかった。

 武田薬品の強みはなんと言っても医家向け医薬品であり、ドリンク剤や風邪薬といった一般向け医薬品で特段の目玉商品があるわけでもない。メディセオにとっても、たかが5%にも満たない売上高など、これだけ医家向けの取り扱い規模が拡大すれば、切り捨てても何の不都合もないだろう。そのうちスズケンのように、大衆薬に見切りを付けるのではと思っていた。

 ところが、メディセオはドラッグストアをあきらめていなかった。日用雑貨卸で国内最大手のパルタック(売上高3846億円)を株式交換で吸収合併した上で、メディセオの大衆薬事業を譲渡するという「ウルトラC」を打ち出したのだ。

 コバショウの強みは、小林製薬という、製薬メーカーでありながら芳香剤で圧倒的なシェアを持つ会社の傘下で、日雑と医薬の両方をカバーする品揃えを握っていたことにある。ドラッグストアが物流合理化などの意識を強めれば強めるほど、武田薬品の薬以外なら日雑と薬のどちらも扱え、物流システムのノウハウを持つコバショウが有利になると見られていた。

 ところが、低コストの物流構築では圧倒的なノウハウを持つパルタックがメディセオに合流することで、この分野の業界地図はまったく変わる。ドラッグストア向け卸の売上高では、メディセオ+パルタック連合が約4400億円と、コバショウの2.5倍という圧倒的な規模に達する。品揃えも、これまで他の医薬卸が決して扱えなかった武田薬品系のラインナップが加わることで、ほぼ完全なフルラインとなる。これをひっくり返すのは、並大抵のことではできないだろう。

 ところで、僕が「勝負あったか」と思ったのは、大衆薬卸のシェア争いのことではない。大衆薬あるいはドラッグストア分野における、卸と小売りの覇権争いのことだ。

 ここ数年、ドラッグストア各社は医薬分業の進展を追い風にものすごい勢いで売上高を拡大してきた。だがこれは、はっきり言ってしまえば医薬卸がパパママ経営の零細調剤薬局向けに提供していた運転資金提供の仕組みを逆手に取って実現した成長で、実はドラッグストア自身の経営イノベーションがもたらしたものではない。

 だから、本当であれば急成長のために悪用した医薬卸の仕組みが消える前に、その果実をきちんと確定するべきだった。つまり、ある程度の店舗網を作り上げた会社は、それをうまく利用しつつさらに小売り側から覇権を狙えるだけの仕組みを作った会社に身売りして規模を拡大すべきだった。

 でも、そうはならなかった。業界内にはいくつかの規模拡大の核になりそうな会社(マツキヨ、イオンウエルシア等)が出てきたものの、結局寄り集まった仲間をうまくまとめるのに失敗し、規模を生かした次のステップへ進むことができないでいる。

 その間に、今度は卸の側がM&Aを繰り返して規模と取り扱い領域をどんどん拡大し、ドラッグストア側に制度悪用されないような対策を打ち始めた。おそらく、その象徴がメディセオ+パルタック連合だ。

 今、地方で群雄割拠する中小規模のドラッグストア企業は、どこも従来のような勢いでの店舗網の拡大も利益の増大も狙えなくなり、窮地に陥っている。おそらくこれから2~3年の間に、倒れる企業が続々と出てくるだろう。

 いや、むしろ誰も倒れないかもしれない。卸各社は小売りを「分割して統治」するのが一番おいしいことを知っているから、倒れそうになった会社は必死で経営指導して何とか生き返らせ、オーナー経営者をちやほやして、他の大きなチェーンに吸収合併されるのを嫌がるようにし向けるだろう。

 ドラッグストアが急成長していたころ、「もしかしてこの中から米国のウォルグリーン(米国最大のドラッグストアチェーン)になるような会社が出てくるのではないか」という期待が漂っていた。だけど、たぶん日本のドラッグストアチェーンからは、これ以上型破りな規模に成長するような企業は、出てこないだろうと思う。卸がその前に規模を拡大して、強くなってしまったからだ。

 小売りよりメーカー、卸のパワーが強い分野では、小売りは絶対に一定規模以上に大きくならない。衣料品ではそういう巨大メーカーが存在しなかったから、ダイエーやイトーヨーカ堂、ジャスコのような巨大小売りが出現した。一方、食品分野は菱食、国分などの卸が非常にしっかりしていたので、食品スーパーはせいぜい2~3県をまたぐ規模のチェーンしか生まれなかった。

 ドラッグストア業界は、日雑と医薬と美容という3分野に商品がまたがっているだけに、強い卸が出てこなければ全国制覇する小売りがもしかしたら生まれていたかもしれない。だが、メディセオとパルタックという「サラリーマン経営者」の経営する会社が、猿山のボスザルのような「オーナー経営者」だらけのドラッグストアチェーンよりも、結果的に先に規模の旗を立てた。こうなっては、もはやマツキヨといえどもタダの「首都圏地盤のドラッグストア」に過ぎない。

 日本の流通業界を見ていると、経営者たちが自らのオーナーシップにこだわるあまり、業界としてのイノベーションを起こせずに企業を立ち枯れさせていくケースがあまりにも多いと感じる。もしかして、「ウォルマートのような企業が生まれない」という意味ではそれがいいことなのかもしれないが、どこか寂しい気持ちもするのは僕だけか。

05:30 午後 経済・政治・国際 コメント (15) トラックバック (2)

2005/04/16

メディアビジネスのバリューチェーン(その3)

 連載シリーズ第3回だが、今回は少し軽めの、というかつれづれ系の語りで行こうと思う。ゴリゴリのマーケティング理論やればやるほど反応が少なくなっていく気がするので(笑)。

 最近、ネットとメディアのかかわりについて、既存のメディアの内部から非常に骨太の議論が出てくるようになった。いいことだと思う。これまで、マスコミの内部にはインターネットや2ちゃんねると自分たちがどう「競合」するのかについて、口にすることさえおぞましいみたいな雰囲気が漂っていたが、現役の記者がタブーを率先して破ることで、マスコミ内部の雰囲気も少しずつではあるが、かなり変わってきたんじゃないかと思う。

 なんていうか、ここまでいろいろな議論が出てくると、もう僕がむきになって「メディアビジネスのバリューチェーン」なんて連載を書かなくてもいいんじゃないかと思い始めた。そろそろメディア論について語るの、やめようかしら。

 それはともかく、最近読んだ中で素晴らしいなと思ったのは、「ガ島通信」の藤代氏が毎日新聞に寄稿したこの文章だ。これまで読んだネットとメディアの議論の中で最もロジカルでよくまとまっていると思えたし、語り口にも読む人間の心を揺さぶるものがある。白眉の出来だと思う。

 それ以外にも「札幌で~」の高田氏は、ニュースメディアがブログ化した時に想定しうる問題について、実際の現役新聞記者の立場から鋭い指摘を書いている。高田氏のコラムのいいところは、それがロジカルに鋭くて正しいというだけではない。藤代氏とも共通するのだが、何というか、地方紙の方々ならではの「読み手と同じ高さの目線」でものを語ろうとする優しさ、熱意みたいなものが強く感じられるのだ。こういう語り方は、やはりそれ以前のネット世代とも違う、ブログ世代独特のコミュニケーションなのかもしれない。

 藤代氏や高田氏の対極に位置するのが・・・と、また某記者ブログに罵詈雑言を吐きたくなったけどやめとこ。言わなくても分かるでしょ。なんていうか、やっぱり自分の文章や媒体の読者がどのくらい身近にいたかっていうことが、その書き手のコミュニケーションの様式を決めちゃう部分というのが、あるんだろうねえ。

 そういう意味では、ブログやネットとのシナジーを生み出す可能性は、全国紙より地方紙、総合誌より業界専門誌のほうが多いと思う。高田氏はコミュニティーサイトにおけるメンテや監視の大変さなどを懸念しているが、そんなものは2ちゃんねるの「削除人」システムを見習うとか、何とでもできるわけで。実際、世の中にそれをやってきた会社はいくらでもある。ITに疎いマスコミ人が知らないだけ。

 それと、この問題の解決方法として、システマティックにTB、コメントの監視をする以外にもう1つの方法がある。「監視しない」という方法だ。どういうことかというと、監視の責任を(少なくとも表面上は)記者個人に帰してしまうのだ。

 例えば「このブログで公開されている内容は、○○新聞社の正式な査読を経ずに担当記者個人の責任で掲載しているものです。事実確認が取れていないものなども含まれますが、それをご了承いただいた上でお読みください」とか、サイトの入り口にでも大書しておく。そして、一定期間を経て内容の妥当性が確認されない限り、ブログ本文とそれについたTB、コメントは、この注意書きをきちんと読んで「同意します」のボタンを押した登録したユーザー以外、閲覧・書き込みできないようにしておくのだ。

 新聞社にとっては冒険だが、「記者もまた、発言する一個人である」ということを認めさえすれば、担保すべきコンテンツの品質コストは大幅に下がるのは確実だ。まして高田氏のエントリを読むと、そもそも個人が自分の人格と知見を賭けて書いた文章の根本的な信頼性を、(訴訟が起きた時の費用負担などはともかくとして)所属組織が肩代わりしてあげられるわけがないという割り切りを、マスコミがすべきタイミングがそろそろ訪れるのではないかと思えてくるのだ。

 つまり、世の中にいるのは信頼できる記者と信頼できないブロガーの2種類なのではなく、信頼できる書き手(記者orブロガー)と信頼できない書き手(記者orブロガー)の2種類なのである。海の向こうでは、記者とブロガーを差別するのを止めればいいと考える人が国民の半数を超えた。常識的に考えれば、個人としての発言に価値が見出せない人間が、新聞記者になったからといって突然その発言に価値が付くわけがないのだから、当然と言えば当然のことだ。

 こうしたことが実現したマスメディアの近未来を、見事に描いてしまったkatz氏のブログがある。なんか、僕のエントリにコメントしてくれたブログをまた引用するのって恥ずかしいものがあるが(笑)、たぶんこの記述は新聞業界の人間を心胆寒からしめる仮想現実の世界が書かれているので、その部分をあえて引用しよう。

rssという技術を利用すると、自分の信頼できる人の「者説」をダイレクトに講読できる。セット販売よ、さらば、なのだ。

もし、本当に、「記者の顔が見える報道」がなされ、販売形態もそれに対応できるようになったとしたらどうだろう。

優秀な記者にとっては、すごいことになる。

「いま、自分のrssを個別指定している読者が、このまえの特集で一気に5万人増えて25万人になったので、予算局からの取材費割当が増えて、専属バイトを雇えることになった」とか「固定読者が30万人になったので、人事局から異動オプションをもらえた。これで次のタイミングでニューヨーク支局に行こう。僕のrss講読読者にだけ先行通知しておこうか」とか。それはもうすごい競争ですよ。

優秀じゃない記者だと、「本社社会部チームにいるのに、読者獲得の実績が全然あがっていないため専属バイトは取り上げ」とか「地方支局から出直してこい」みたいなことになるだろう。こわい世界であるが、ダイナミックな世界でもあるぞ。

 そういうことだ。高田氏を初めとするごく一部の「デキル記者」にとっては、可能性が大きく広がる。そして、記者クラブに居座って生きているだけの圧倒的多数の「デキない記者」と「1行も記事を書かない上司」、そして業界内のおつき合いに忙殺されて「何も意思決定しない経営者」にとっては、危機が訪れる(笑)。

 ま、それは冗談だけど、じゃあそういう社内衆愚制民主主義の分厚い壁を乗り越えられたと仮定して、それならばマスコミがここで書かれたとおりに変わるのかというと、必ずしもそうとは言えないのが難しいところだ。ここでkatz氏が見落としていることが1つある。それは結局マスコミって広告費で食っている産業だということ。

 これについては、百年コンサルティングの鈴木貴博氏が非常に分かりやすい解説を最近連発しているので、リンクした上で核心部分を引用する。

簡単に言えば、映像・音楽コンテンツよりも広告の方が金になるのである。それにもかかわらず通信各社はなぜテレビCMではなく番組の方を配信しようとするのだろうか。“韓流ドラマ”の権利を獲得して独占的に配信しようが、最新の映画をPPVで配信しようが、所詮はレンタルビデオ市場の一部を握るにすぎない。WOWOWもスカパー!の売り上げ規模が700億円程度であることを考えれば、コンテンツを配信することがいかに効率の悪いビジネスかが分かるはずだ。
 蛇足的に言うならば、このことをもっとも良く理解して「広告そのものをコンテンツにする」ことだけにまい進してきた企業が「リクルート」だ。同社の16年3月期の売上高は3622億円、恐らく今年あたり朝日新聞(4061億円)を追い抜くだろう。

 紙のビジネスはまだまだ規模は大きいが、その内部は瀕死の状態だ。読者の関心を引きつけ続けていくためにやらなきゃいけないことは、もうあちこちで議論され出尽くしている。問題は、それをどうやって「収益」に変えていくかなのだ。

 直観で言うならば、単純なニュース、単純なコメントを流す仕事というのは、おそらくこれからかなりの部分がネット上のボランティアで賄われるようになってしまうだろう。それはボランティアが大量発生するから、という意味ではなくて、結局それが「売れない」のならタダにするしかない、というだけの話だ。奇しくも昨日掲載された日経BPのウェブサイトでの連載で、藤代氏が同様のことを書いている。

 ここから先は、絞れる限りの知恵を絞っての陣取り合戦の世界だ。僕も若干ではあるが、この戦いにコミットしてないわけではない。したがって手の内もしゃべれません。それでは~。

01:40 午前 メディアとネット コメント (7) トラックバック (17)

2005/04/15

家電量販:首都圏の陣取り分析

 三越の跡地争いの軍配は、ビックじゃなくてヨドバシでしたか。

 ヨドバシカメラ、三越横浜店跡に大型店開業へ(NIKKEI.NET)

 横浜の家電量販店勢力図は、立地面でどうみてもヨド優勢だったので、三越横浜は今の店舗がヨドバシの川向こうで駅から距離のあるビックが必死に取りに来るかもと思っていたけど、あにはからんや。

 秋葉原の巨艦店の開店が今年9月、そして11月に横浜か。店員確保が追いつくのかと思うぐらいの矢継ぎ早だな。ビックが大阪でヤマダ電機対策に気を取られている間に、ヨドは首都圏を着々と制覇しつつあるなあ。東京東部は錦糸町と秋葉原で盤石だろうし、南部は川崎駅前の巨艦と今回の横浜店移転でほぼおしまいか。

 残る死角エリアは、渋谷と、新宿以北、つまり池袋かな。さいたまは中心ターミナルと目されるところが見つかりにくいので難しいだろう。ビックの大宮もずいぶん苦戦してるみたいだし。となると最後の決戦地はビック発祥の地、池袋かあ。どこを狙ってるんだろうか。

 ところで最近、個人的に最もよく使う家電量販店はビックカメラ、ついでなんとベスト電器になってきました(笑)。なんで今さらベスト?とか思われそうだが、別に大した意味はない。ひいきにしてるつもりもなかった。でも、この前たまたま安かったので携帯電話を買ってしまった。ベストって楽天の中にネットショップ出してるんだけど、これも意外に安い。結構びっくり。まだ何も買ってないけど、そのうちネットでも何か買うかも。

 そう、1つ不思議だなあと思うのが、ヨドってあそこまで規模がでかくなっているのに、オリジナル商品作ろうとかまったく思わないのかな。ヤマダもコジマも、だいたいある程度の規模に達した量販店はみんな「これでオリジナル作ったら粗利が増えて儲かる」って思うものだと思うんだけど、カメラ系というのは頑なにオリジナルには突っ込まないよなあ。その代わりとにかく品揃え。そういうところ、徹底してる。

 あそこまで脇目も振らずに品揃えだけ追求するっていうのも、経営としては本当に勇気がいるというか、飽きないことの恐ろしさというか、僕には絶対にできない発想なだけに感心する。ある意味、流通業の経営者っていうのは中途半端に頭が良かったりするのはむしろマイナスで、やっぱり徹底的に愚直で一途でパラノイアじゃないと成功できないのかもね。最近そんな気がする。

10:57 午前 経済・政治・国際 コメント (9) トラックバック (0)

2005/04/14

所得税改革にサンセイのハンタイなのだ

 更新が思いっきり遅れてすみません。夜中に仕事から帰ってきてエントリ書いていたつもりだったのだが、朝気がついたらソファで寝ていた。プライベートの多忙が原因なので言い訳できないんですが、ネットよりリアルが優先なのでしょうがない。

 さて、立ててから24時間ぐらい放置していた所得税の税制改革のエントリについて。一昨日の政府税調の発表を受けて、なんか面白いエントリを立てる人でも出てくるかと思っていたけど、あまり面白いことを言うブログもなさそうだ。やっぱり税制改革の議論は、一般人には敷居が高いのかもね。

 それでも、昔みたいに迷路あるいはおみくじのような意思決定で決まっていた時代に比べれば、税制もずいぶんと一般人の感覚であーだこーだ言えるところまで降りてきたように、思うんだけどね。

 特に今回政府税調の改革は、個人に一番影響の大きい所得税関連の改革である。エントリ予定地でこの文章を書く前に、既にいろいろとコメント書き込んでくださった方がいるが、「増税する前に公的財政のムダを削れ」とか「役人から先に増税しやがれ」みたいな、ガキの喧嘩みたいな言い分でうんこ投げるんじゃなくて、そろそろこれからの50年ぐらいのこの国の支え方を精緻に議論する雰囲気が出てきてもいいんじゃないの。と思うわけですよ。

 だから、今回の石“ストーンヘッド”弘光氏率いる政府税調の答申には、政治的な配慮をし過ぎて本質的な議論ができてないんじゃないの、という意味でちょっとうんこを投げてみたい。

 まず、そもそも今回の税調の答申が個人の立場から見てどうなのか、というのが最もよくまとまっているなと感じたのが、朝日新聞のこの記事。まずこれを読んでおいてほしい。

 僕がいちゃもんをつけたいと思っていたポイントも、だいたいここに出てきている。

 世の中的には、サラリーマンの給与所得控除と退職控除、そして扶養控除の3つの控除を廃止・縮小という「増税」の側面が注目されているようだが、それはどちらかというと枝葉末節のほうだ。今回の改革の議論で最も注目すべきなのは、その前提としてある「所得税と地方住民税の役割」のほうなのである。

 問題の核心部分について、朝日の記事を引用する。

政府税調は当初、04年の「三位一体」改革で決まった国から地方への税源移譲案を受けて、所得税(国税)を軽くし、住民税(地方税)を重くする具体策を検討しつつ、税率や各種控除を見直す考えだった。

 しかし、細かい移譲額が固まっていない上、「(所得税を軽くするための控除拡大など)いいところだけとられかねない」(石会長)との懸念もあるため、移譲策の検討を今秋以降に先送りして「数年先までに行うべき基本的な改革案を示す」(同)作業を先行させることにした。

 政治家による、いいところだけの「つまみ食い」を恐れる石氏の気持ちはわからんでもない。だが、これまで社会構造の変化にきちんと対応できない税制を生んだ諸悪の根元が、この「つまみ食いを恐れるあまりの政策の細切れ化」なのである。

 所得税と地方住民税の「抜本的改革案」を出す作業のスタートで、こういう姑息な政治配慮を優先させて国民的議論の喚起を封じつつ、失望感を先物買いするって、どうよ。政府税調もいい加減、そのマイナス面を自覚してほしいんだが。

 本当にこの改革が「抜本的」改革であるのなら、各種控除の廃止や縮小と児童減税の抱き合わせが結果として増税か減税か、そんなことどうでもいい話だと思うよ。だって根本から構造を変えるんでしょ。そんな議論したって、意味ないじゃん。

 そもそも、なぜ所得税改革が「抜本的」でなきゃいけないのか?それは、もともと国税と地方税が持っていた役割分担の意味が、社会構造の変化によって根本から変わってしまったと思うからだ。

 もともと、地方住民税は水道や病院、図書館といった地方自治体の提供する「公共サービス」の代価としての性格が強く、これに対して国税は公共事業や医療などの福祉政策を通じて、都市と地方、富裕層と貧困層などの間での富の再配分や景気調整に使われる役目だった。

 でも、今や地方自治体にハコモノ建設や上下水道の供給拡大などの旺盛な資金需要などあるわけもない。だったら税率を下げ、住民サービスを充実させれば良さそうなものだが、実際にはバブル時代に作りすぎた泥沼みたいなハコモノの借金返済に、ひたすらドボドボと地方税をつぎ込んでいるに過ぎない。かといって地元の実情に合わせた税率などの柔軟な変更もままならないので、結局目の前にうんこの山ができあがっているにもかかわらず、顔を背けることさえままならないというのが、今の地方自治体の現状である。

 一方、国税の方も公共事業による内需喚起と景気回復という、ケインズ型の経済政策の有効性が小泉内閣で木っ端微塵にされてしまい、それでも大幅に落ち込んだとは言え税収は入ってくるものだから、ひたすら従来通りの公共事業にドボドボとつぎ込まれている。つまり、地方税も国税もその集める目的と集め方が、時代に全然そぐわなくなってきている。

 もし、日本の公的部門をこれからサービス重視、多様性重視に変えたいのなら、まずこの所得税・住民税の役割分担を変えなきゃだろうと思う。

 税調でも議論されたみたいだけど、やらなきゃいけないのは「住民税=低率&定率」「所得税=再配分目的、強累進性」ではなくて、むしろ逆への転換だ。所得税は3~5%の低いレベルで薄く広く取り、人頭税みたいにしてしまう。代価となるサービスは「国防」とか「外交」とか。一方、福祉や富の再配分、産業振興などの機能は全部地方に渡す。住民税は、各自治体ごとに自由に設定できるようにする。

 これやったら、ものすごく面白いことが起こりそうだ。例えば、東京や大阪は莫大な借金を抱えている。これを返済するために、5年間の期限付きで住民税を5%引き上げるとか。あるいは、どこかの田舎の過疎地域に産業を誘致して人口を一気に増やすために、5年限定で住民税をタダにする、とか。その間に死にものぐるいで住民が定住せざるを得ないようなマーケティングを打ちまくる。

 あるいは、金持ちだけを集めたい地域は、低所得者に苛烈な住民税を課す代わりに金持ちの住民税を優遇。その代わり地域内での富裕層向けサービス業者に高額の法人税を課してその分を回収するとか。社会主義的に平等な社会を作りたいと住民が決めた地域では、住民税は富裕者ほど加速度的に重くなる累進税率とし、役所にトップクラスのマーケターや事業家を集めて、域外居住者や海外向けの観光産業や新商品の“輸出"で地域内の住民向けサービスの原資を稼ぐとか。

 そういう時代が来れば、きっとどこに住むかを考えるのも、楽しくなると思う。今は日本の中で東京だけが特殊な「ライフスタイル」のある街で、それ以外の地域はどこに住んでも大して変わらないと思われているんじゃないだろうか。南の島とか、北の国とかは別にしてね。それよりは、それぞれの地域が自分の地域に合った住民を集めたい、あるいは住民が自分たちに合った地域にしたい、という思いが実際の税や政策にもっとストレートに反映されるような制度があると、楽しいだろうと思う。それがたぶん、多様化という意味なんだろう。

 で、そういう議論があった上で「それじゃ、少子化対策はどうすんべえか」とか「低所得者層はどこまで税負担軽減する?」みたいな話が出てくるべきだと思うのだが、なーんか議論が枝葉から入るというの、逆さまだよねえ。政治家で誰かこういう本質論を言う人って、出てこないのかなあ。

09:17 午前 経済・政治・国際 コメント (37) トラックバック (6)

2005/04/12

新卒学生に見放されるマスコミ業界

 東京では満開の桜ももう終わり。昨日の雨で、ほとんど散ってしまった。言いようもない侘びしさを感じる。

 さて、少し古い話だが、「札幌から ニュースの現場で考えること」の高田氏が、3月26日のエントリで秀逸なメディア経営論を書かれている。本人は「ぼんやりと感じたことをランダムに記した」と言っているが、ランダムに書いたつもりのメモでもロジックを貫き通してしまうのが優秀な記者というものだ(笑)。

(4/14 20:16 リクルートの発表に合わせて少し追記しました)

 このメモランダムは、そのまま既存の通信社のビジネスモデル批判であり、地方新聞社の経営の可能性を示唆する内容になっている。ありていに言うと、密かに書こうと思っていたことを、全部書かれた。orz それはともかくだが、マスコミの現場最前線の人間からの知見として、これ以上の重みを持った言葉もないだろう。

 マスメディアとネットのかかわり方について、昨年からいろいろなエントリを書いてきた。当時はまだあまり注目してくれる人も少なかったが、今年2月のホリエモンの一件以来、まさにこのことが日本全体の大きなテーマになった気がする。2005年はマスメディア大変化の年だなあ。

 そういえば、高田氏のブログのコメント欄に、「マスコミの終焉って感じのデータが3月末に出てくる」と書いた。もったいぶったくせにその後その話に何も触れてこなかったのはそれなりの理由があったのだが、あまりもったいぶっていてもしょうがないし、ちょこっと書いておこう。

 そのコメントを書いた高田氏のエントリで触れられていた、共同通信の小池氏の発言に絡むことなのだが、マスコミの中の人に言われるまでもなく、今どきの学生はマスコミを見捨て始めていますよ、という話だ。

 とあるところで入手した、2005年卒と2006年卒(予定)の新卒学生が「就職したい」と答えた業界の比率の、変化のデータである。

  メーカー27%→35%
  金融・商社17%→19%
  情報・通信・コンサル  14%→12%
  人材・サービス16%→17%
  マスコミ25%→14%

 出所はちょっと言わないでおこうと思うが、サンプル数は万単位、信頼精度はかなり高い調査である。「求人企業の広告の影響を受けていない団体の調査」であるとだけ言えば、業界の人は分かるだろう。

 さすがに僕も最初見たときは、マスコミ業界のこの突出した落ち込みぶりに「でっち上げじゃないのか」と目を疑ったのだが、現時点では残念ながら検証可能な別のソースからのデータがない。なので、嘘だと思うのは読者の勝手ということにしておこう。

 実際のところ、就職市場におけるマスコミ人気というのはここ数年はげ落ちかかっていた気配はあったのだが、実際にここまで露骨な数字になると、きついものがあるね。

 原因は僕もよく分からないが、そもそも就職における企業の人気というのは、ベタなところで学生が日常的に接する企業ブランドの多さみたいなものに比例する傾向が昔から強い。いかに優良企業であっても、BtoBのビジネスだけに特化した会社は新卒学生を集めるのに苦労する。

 それから考えると、マスコミ人気の低下の原因は、おおざっぱに言って若い世代のマスメディア接触頻度が落ちて来ているからというのはあるんじゃないだろうか。もちろん、共同通信の小池氏のように「志の高い奴は来るな」と放言したり、インターネットへの対応を聞かれて「僕の目の黒いうちは紙の新聞や雑誌はなくならないよ、はっはっは」などと呑気に答えて学生に呆れられてしまうような業界内の偉い人のせいというのもあるだろうけれど。

 少なくとも業界の中の人間が、ぬるま湯な思考停止的態度か極度に悲観的な自虐的態度しか示せないというのは、口コミ情報のウェイトが飛躍的に高まってきている新卒就職の市場では致命的な問題には違いない。僕自身も、以前(といっても数年前だが)にOB訪問しに来た学生に、「これからこの業界はものすごい勢いで給与水準の是正と企業淘汰が進む。そういう縮小均衡業界で果敢に戦ってやるという気概がない限り、ここに就職しても辛いだけだよ」と話したことがある。言葉は多少違うかも知れないが、学生の身の上を思ってアドバイスすると、結局小池氏のようなことを言わざるを得ないのが今のマスコミ業界なんだろうなとも思う。

 以前にある企業の人事担当者が、「採用市場というのは、突き詰めると『学生に自社の将来をどう売り込むか』というマーケティングなんだ」と言っていた。そういう意味で言えば、今のマスコミ業界には新卒採用のマーケティング戦略が全然足りない、ということが上のデータの意味なのかもね。

 ところで、最後にアナウンス。もう気がついている人もいるかもしれないが、自分自身、その議論を振り返る意味で過去のエントリを読み直し、月別のバックナンバーを1行コメント付きで一覧にまとめてみた。まだ全部完成してないが、昨年11月から今年2月までの3ヶ月分を入れてみたので、興味のある方はご覧ください。右メニューのカテゴリー欄の「バックナンバー一覧」から見られます。

(4/14 20:16 追記)リクルートから恒例の「就職人気企業ランキング」(PDFファイル)の発表が出た。フジテレビ、朝日新聞、NHKの定番御三家とも大幅下落。つられて電通もなぜか順位を下げている。一方でベネッセ、講談社、博報堂、テレ朝などがなぜか健闘(笑)。他の新聞やテレビなどが分からないが、御三家のランクダウンがやはり影響しているっぽいね。

11:59 午前 メディアとネット コメント (17) トラックバック (10)

2005/04/11

またむちゃくちゃな目標が・・・

 「毎年20万人ずつ削減」だって?どこから出てくるんだその数字は。

 フリーター年間20万人削減へ…国民会議設置の方針(読売新聞via gooニュース)

 なんつーか・・・、炭酸ガスじゃないんだからさぁ(笑)。そもそもフリーター(非正規雇用者)を十把一絡げに「社会問題」って言うのは、どうかと思うが。最近流行りの「インディペンデント・コントラクター」なんてのも定義上はフリーターに入るんじゃないの?

 というか、そもそも何で減らさなきゃいけないんだ、フリーターを。社会保険に加入してない「フリーライダー」だからか?だったら、パート・バイト全員に社保加入を義務づければ良いだけの話だろうが。パートの社保加入が大きな負担とか言ってる邪巣子とかの流通業は、文句言う前にその常軌を逸した安売りを何とかしろ。

 というか、なんかこの国民会議のメンツを見ていると、毎日新聞で曾野綾子が言ってたような「若者をビシビシ鍛えろ」的なアホな方向に話が進みかねない気がするな。「国民会議」って名乗るぐらいなら、経済3団体と労組の代表だけじゃなくて、もっと若い奴の代弁者を入れろよ。もう、宮台真司とかでもいいからさ。

 それに、だいたい労組なんかフリーターの代弁者でも何でもないだろ。むしろ正社員の既得権益の代表者じゃないか。頼むからちゃんと若い連中と同じ目線で現場を見ている人を、会議に入れてくれ。

 あと、労働三法と派遣法と、全部を抜本改正して、労基署をもっと強化しろよ。今のままじゃ労働関連法制はザルどころか、無法状態じゃねえか。そのぐらいわかってんだろ。あとさあ、マスコミももっとちゃんと取材して現場の話がんがん書けよ。法律違反かどうかはもう棚に上げてさ。要するにみんなが自分の人生におけるエンプロイアビリティをロングスパンで考えながら働くようになればいいんだろ。だったらそういう軸を立てて、もう一度ゼロベースで現場を取材してみろよ。大企業に遠慮して目つぶってないでさ。

 それから、会議に文部科学省を入れろ。おまえらがわけわかんねえ規制で教育機関を縛ってるから、こんなに労働の需給ギャップが広がってるんだよ。わかってんのか。職業訓練の教育事業を大幅に規制緩和して、その代わり教育内容をきちんと評価して格付けする第三者評価機関を早く作れ。でなきゃいつまでたっても日本の教育の質なんか上がるわけねえんだよ。学習指導要領や大学設置規制だけで教育の質が上がるなら、誰も苦労しねえんだ。日本の大学の教育なんか世界的に見て「教育」でも何でもないんだよ。

 こんだけやらなきゃいけないことは前々から言われ続けてきてるのに、何が今さら国民会議だよ。いい加減にしろ。全部おまえらの怠慢のなせる業じゃないか。若者が考えることなんて大した話なんかないんだよ、それなのに都合のいいときだけ「ニートは根性が足りない」とか「フリーターは努力が足りない」とか言うんじゃねえよ。根性も努力も身につけさせなかったのはおまえら年寄りなんだよ。

 というわけで久しぶりにむかついたので毒を吐いてみたが、国民会議の皆様ならびに関係諸官庁の皆々様には熟慮の上、上記の諸政策を可及的速やかに実行に移していただきたく思う所存でございます。

05:52 午後 経済・政治・国際 コメント (21) トラックバック (12)

水出し紅茶、作ってみた。

水出し紅茶 なんか、ペットボトルの紅茶飲料の話を書いたら「そんなもん飲んでないで水出し紅茶を自分で作って持って行け」って、コメント欄でアドバイスをもらったので、早速作ってみたですよ。

 ・・・うまい。こんなにうまい紅茶があったなんて・・・。この存在を知らなかったことで、これまで30年以上もの人生を無駄にしてきたとつくづく思った。色はお湯で出した紅茶に全然及ばないような、薄い色(「本当にこれ、紅茶?」と思っちゃう)なんだけど、香りの深さが普通にお湯で作った紅茶とは全然違う。すごいまろやか。まずそこで感動する。

 それだけじゃない。一口味わってみて、カミサンと2人で「ううう・・・」と唸ってしまった。

 砂糖などまったく入れてないのに、「甘い」のである。飲んでしばらくすると、セイロン紅茶の葉が持っている甘みがほんのりと口の中に広がる。それなのに、一晩葉を浸しておいたにもかかわらず、長時間紅茶の葉をお湯に浸した時に出るようなタンニンの強烈な渋みというのはほとんどない。美味しんぼで言うところの、「ほんのりと甘いのに、それでいて苦くない!!」という、アレである(笑)。

 昨日、これを水筒に詰めてお花見に持っていった。途中のコンビニで、お気に入りのリプトン「リーフイン ストレート」もゲット。カミサンも飲んで「あら、この紅茶思ったよりすっきりした味でおいしいわね。甘いけど」と言う。

 ところが、3歳の息子は違った。最初に水出し紅茶をあげると、ごくごく飲む。その後に、ペットボトルの紅茶を飲ませると、いきなり吐き出しやがった。で、水出し紅茶の水筒を指さして「こっち、こっち」。

 子どもって素直なんだよね。うまくないものは、口にしない。以前に●イ●リヤに行ってパスタを注文したら、一口口に入れたとたんにすごい嫌な顔して吐き出し、二度と手を着けようとしなかった。うちのクソガキ、舌の肥え方だけは一級だ。しかし、幼児のくせに紅茶がぶがぶ飲むってどうよ。

 やっぱりペットボトル飲料ごときでうまいのうまくないの言ってたら、人間がダメになるんでしょうかね。今年の夏は水出し紅茶を冷蔵庫に常備するか。

 むしろ問題は水だなあ。おいしい水を、どうやって確保するか。通販生活でシーガルフォーでも、買わなきゃなのかな。買ってくる以外の方法でおいしい水をどうやったら手軽に手に入れられるか、誰か教えてください。

12:46 午後 グルメ・クッキング コメント (13) トラックバック (7)

2005/04/09

ああ、もう消えてしまった…('A`)

liptonleafin 僕は紅茶、特にセイロンベースの割と香りのしっかりしたストレートティーが好きだ。なので、近所のセブン・イレブンでよくペットボトル入りの紅茶飲料を買う。

 でも、市場シェアトップのキリン「午後の紅茶」シリーズが、香りが人工っぽいのと甘すぎるのとで、どうしても好きになれない。かといって大塚製薬の「ジャワティー」は、おまえそれ紅茶っていうのか!と言いたくなるぐらい嘘っぽい(笑)。それで新商品が出るといつも期待して買ってしまう。

 最近出てきて、これイイ(゚∀゚)カモ!!と思っていたのがリプトンの「リーフイン」。午後ティーほど甘くなく、といってジャワティーほどそっけなくもない。そして、これまで僕があまり好きになれなかったリプトン紅茶特有のティーバッグ臭さがない。なかなかすっきりしたいい味だ。

 で、空きボトルを机の上に積み上げられるぐらいしょっちゅう買って飲んでいたのだが、今日セブン・イレブンに行ってみたら…(゜◇゜)ガーン。リーフインだったところのフェースがすべて「午後ティーROYALワインレッド」に置き換わっていた…。キリンさん、ひどいよ。何も紅茶飲料のフェース全部独占しなくったって、いいじゃない。リプトンには紙パック飲料の売り場しか、残さないつもりなのか。がっくりorz

 いや、僕あややのベリーダンスとかちょうどうでもいいんですけど。でもあややがベリーダンスしながら買ってくれって迫ってきてる気がしたんでとりあえず1本買って飲んでみる。…ううう。人工っぽい午後ティースメルに、ワインの香りが加わって「これでもか」的な香り攻撃炸裂。んでもって決定的に甘すぎ。うまくねえ('A`)

 ああー、かすかに甘いだけのうまいセイロン紅茶がいつも飲みたいなあ。個人的には甘味をまったく加えず香りだけ楽しませるという、大胆きわまりないコンセプトのコーヒー飲料「ルーツ アロマブラック」を出した日本たばこに期待する。JT、ぜひキリン撃墜を目指して紅茶市場に参入してくれ。頼む。

10:56 午前 グルメ・クッキング コメント (18) トラックバック (2)

2005/04/08

今日のマイブレーク:高橋メソッド

 いやー、これ最高に笑った。最強のプレゼンメソッドだな(笑)。

 高橋メソッド

 はてなブックマークの「注目のエントリー」欄が、最近激しく面白い。正確に言えば、たくさんブックマークしている人のいる「00 users」という表記のところを見ると、ブックマークしている人たちの備忘コメントが見られる。これがとても面白いのだ。

 今日、ひときわブックマーク件数の多いページがあるなと思って見たら…これが大爆笑。昼間見たときは50件ぐらいだったのが、今さっき見たら80件突破してる。

 しかも、なんとそれをJavascriptでブラウザ上に簡単に実装するページまで出現。GJ!社内で回りの席の人に見せて、みんなで大爆笑。類似のインプレッション手法として有名な、「ルパン3世」のタイトルメーカーのFLASHをパワーポイントに張り付ける手法を紹介するブログも出てきた。

 ちなみにうちの会社は、プレゼンでやたら小さい字を1枚のスライドにたくさん書き込むのがしきたりになっている。目的を考えるとしょうがないところもあるんだけど、個人的には違和感が強かったので、なおさらこの対照的な手法に痺れた。これ、今度の社内研修の時に一部ギャグで使ってみようかな。

 ただ、このプレゼンが面白いのは、オリジナルの作者である高橋征義氏が、微妙に弱腰な姿勢でプレゼンしているところなのだろう。単に字がむやみとでかいから面白い、というわけではないように思う。

 本当に笑える「高橋メソッド」のプレゼンをやるには、単に字を大きくするだけでなく、高橋氏の編み出した独特の弱腰スタイルも学ばないとダメな気が。精進しなければ(何にだ)。

 あと、この1行コメントの楽しさをうまく使ったはてなブックマークがこれからちょっとヒットしそうな予感。

09:21 午後 日記・コラム・つぶやき コメント (7) トラックバック (5)

【速報・三洋電機】CEOは何をするのが仕事か

 うおおお。遅れたマスコミ業界のことをねちねち考えている間に、世の中でははるか先を逝くできごとが。

 三洋電機CEOに野中ともよ氏、社長に井植敏雅副社長(NIKKEI.NET)

 これまで社外取締役しかやったことのない、50歳の元フリージャーナリストが、売上高2兆4000億円の巨大エレクトロニクスメーカーの会長兼CEOですか。日本も変わったなあ。しかし、いったいここで言うCEOとはなんなのだ。

 取締役会議長として、創業家3代目の若社長を見守ってくれというのが野中氏の役回りか。しかしそれにCEOまでつける必要はあったのか。CEOっていうのは、社内の隅々まで事業のことを理解して、それを間違いなく取締役会の意思決定に反映させるという、ものすごい大変な仕事だと思っていたんだけど。若社長のお守りをCEOとは言わん罠。

 しかも、自分で言うのもなんだけど(笑)ジャーナリストっていう商売は巨大企業の事業運営に一番向いてない職業だと思うんだがな。ニッポン放送の社外取締役でも、特段会社側経営陣の意思決定に異議を唱えたとかいう話も聞かなかったし、経営者としての能力があるのかどうかまったくわからん。

 井植会長もものすごいラディカルな人だから、まあこのくらいのことはしてもおかしくないというのが個人的な印象なのだが、それにしてもいささか合理性が問われる気がする。せめて桑野現社長を副会長で補佐役に残すぐらいのことをしないのか。しかも、会長ご本人はCEOでもCOOでもない「代表取締役」って、何なんだよ。ワケワカメ。

 東ハトの中田英寿取締役っていうのも結構びびったが、あれはあれで一応それなりの成果(会社のビジョンを語る本の出版)になったってことになっているけどねえ。それにしたってまだ「ヒラ」の取締役。今度はわけが違うぞ。

 まあ、今日の夕刊から明日の朝刊にかけて各社が解説で取り上げるでしょうが。「日本にもカーリー・フィオリーナが現れた!」とか大騒ぎするメディアがいたら、大笑いしてあげよう。でもとりあえず野中さんは、すごい。ガンガレ、超ガンガレ。

12:20 午後 経済・政治・国際 コメント (10) トラックバック (14)

メディアビジネスのバリューチェーン(その2)

 前回の「メディアビジネスのバリューチェーン(その1)」のエントリには、切込隊長はじめいろいろな方から示唆に富むトラックバック及びコメントをいただいた。皆さんどうもありがとう。

 1つ1つにコメントをつけるのは面倒だしあまり生産的でもない気がするので省略させてもらいます。ただ、隊長のトラックバックはやはりかなり核心を突いてるので、今回はそれをネタに話を引っ張ってみよう。

 隊長の言い分をまとめるとこういうことかな。

  1. ネット上で何を議論するかを決める最初のファクトは、主にマスメディア側が提出の権限を持っていて、ネットからは出てこない
  2. ファクトの検証や論考は、ファクト(あるいは設問)が可視となってから始まるので、ファクトに先にリーチできるマスコミの方が有利。ネットにできるのは公開情報に基づく基礎調査だけ
  3. 企業や人物の実像(と次に起こる事態の予測)に迫るには、公開情報を集めて推論を立て、取材による検証を繰り返しながら分析するしかない。ネットからは予測は出てこない
  4. オリジナルな情報を集めてこられるユーザーの情報能力が一番高いという事実は変わらない
 といったところか。

 個々の論点を議論する前に、ここで隊長が前提としている記事の質について指摘しておこう。これらの論点の前提は「公開情報は基礎調査の足しになる程度」、「最初のファクトはマスメディアから流れる」「次に起こる事態の予測が重要」といったことだ。多くの人はお分かりと思うが、これは僕が昨年論じていた「プロのジャーナリズムとは何か」のシリーズと同じ、ビジネス・経済の分野の話である。

 一方、ほかのジャンルの記事は必ずしもそうではない場合も多い。政治分野のニュースというのは(発表情報をせき止めている記者クラブという“ダム”はあるにせよ)圧倒的に公開情報の量が多く、法律や政策科学の専門知識(宮台真司の言う「法のプロのリテラシー」)を使ってそれらのデータをどう読み込み分析するかが決定的に大事だ。

 また社会分野では、先日の竹ノ塚駅の踏切事故などが典型的だが、「最初のファクト」や「様々な関連情報の集積と分析」がマスメディア以外で盛り上がるケースも非常に多い。というか、警察や役所の外に出てしまえば、ネットの一次情報の収集・集積力はマスコミの到底敵わないレベルまで来ているというのが実情だろう。

 というエクスキューズは置いた上で、議論の対象になっているビジネス分野の報道に関して、隊長の論点について僕の考えを述べる。

 1.については、現時点ではまったくその通りだ。ただし、多少マクロが絡む分野では生じるファクトは決して突発的なものではなく、一連の流れの中から生まれるトピックスである場合が多い。とすれば、マスコミが気がつく以前にその道のプロは問題を認識して、かつそれをウェブに書いていることも増えてきている。

 2.もまったくその通りだが、だからこそ「公開情報を精査するネット」と「ファクトの一足早い論考をするマスコミ」とが補完関係になれると思う。逆の言い方をするならば、ファクトを一足早く集めて検証を加えるというリアル機能を付加しない限り、ネットジャーナリズムを標榜する組織は報道機関足り得ないと、僕は思う(これはライブドアPJに対する皮肉)。

 3.は、1.で書いたことにも少し関連するが、僕はむしろマスコミの方が日々のニュースに踊らされて冷静で精緻な企業や人物分析を怠っている気がしてしょうがない。ま、印象論で言ってもしょうがないわけだが(笑)、特にその企業や個人を見聞きした人間のパーソナリティが明らかである限り、その人間が表明する「直観」が読者にとって貴重な「傍証」になりうる場合に、既存のマスコミというのはほとんど無力である。

 例えばマスコミでは、客観的にそう言い切れるだけの情報ソースを明記しない限り、地の文で「ホリエモンはいかがわしい人物だ」とは書けない(書くマスコミもないわけではないが、少なくともまともな新聞や雑誌はごくごく一部の論説委員とか言われる人たち以外の記者に、そういう主張を書くことを許さない)。だが、ネットでは書き手個人のパーソナリティは過去記事をたどればだいたい分かるので、読者と書き手のパーソナリティという前提を共有できる限り、このような「傍証」を記事化することが簡単にできる。そして、それはかなりの確率で次に起こる事態の予測にもつながるだろう。

 4.最後の点については、ま、当たり前でしょという感じ。マスメディアの情報、ネットの情報、それらだけを信じて行動を起こすなんて、ビジネスであり得ないぐらいのことはまあ常識かと。隊長が日経新聞を読んでいなくても全然驚かないが、隊長とさしで商談しようっていう人が今日の日経に書いてある記事も知らずに延々ゲーム業界の最新動向について自説を開陳したりしたら「大変恐縮で申し訳ないのですが貴様顔を洗って出直してきやがりませんか」って言われて当然だし。

 それはいいとして、隊長のエントリの最後のところに書いてあって気になったのが、僕が前回述べた情報の「積極思考層」と「無思考層」というリアクティブなスタンスから見たレベル分けに対して、「それはファクトが出てからの話」として、ファクトが出てくる以前のプロアクティブなスタンスから「独自に情報を入手できる層」と「既知の情報を吟味・解釈する層」「独自情報も持たずネット(の公開情報)にもアクセスできない層」という3つに分類するというフレームワークを提出してきたことだ。

 ねなし氏@sageがこの2つのフレームワークの構造を1つの図にまとめるエントリを書いてくれている。これは非常に重要な図だ。何が重要かというと、僕が「積極思考層」という言葉で一くくりにした「顧客グループ」を、さらにどのようにセグメントするべきかが示されているからだ。あまりに重要なので、ちょっと引用させてもらおう。ユーザーの2層化×3層化

 この図を元に言うと、既存のマスメディアは領域(III)の顧客(ここはこれまでもこれからもマスコミにとっての優良顧客だった)だけを相手にしようとしているように見える((IV)のセグメントの顧客で、読者投稿欄への寄稿掲載と500円程度の図書券で満足しない奴らのことを、彼らはこれまで「クレーマー」「うるさい読者」と呼んでいた)。

 ところが、今多くの消費者がネットの影響で(I)や(II)の領域に流入しつつあることに対し、マスコミは(毎日新聞などの例外?を除き)ただひたすらに目をつぶりたがっている。だからこの前の読売新聞のような、「ネットユーザーはみんなクレーマー」とでも言わんばかりの記事が出てくるわけだ。

 僕ももちろん、(I)や(II)の領域にいる人々が多数派とまでは思わない。だが、インターネットそのものはもはや国民の大多数に普及している。そして、そのネット上で誰が人々の行動に最も影響を与える「オピニオン・リーダー」か、「アーリー・アダプター」か、と言えば、それは(I)や(II)の人たちに決まっているのだ。

 前回のエントリでも少し述べたが、インターネットは情報サービス産業にとって、本質的には「ディストリビューションの破壊的な新チャネル」だ。これまでのチャネルで従来の顧客が商品を買ってくれているからといって、破壊的イノベーションの威力(少なくとも潜在力)を持った拡大する新チャネルに集まる顧客への商売を考えもせず、それどころか新チャネルを自社にとっての「脅威」とさえ認識しないのは、愚かというしかない。

 まあ、少なくとも今の新聞は米国並みにあからさまにネットを攻撃してくるようになったという意味では、「脅威」ぐらいは感じているのかもしれないね。それならそれで、いいと思う。それっていずれ自分たちの中に「破壊的イノベーション」そのものを取り込まざるを得なくなるっていう、C・クリステンセンの言うような「想定の範囲内」の行動なわけだし(笑)。

 というわけで、今回は顧客の定義までで力尽きた。さらに次回に続きます。

11:00 午前 メディアとネット コメント (10) トラックバック (7)

2005/04/06

労働組合のマーケティング

 メディアビジネスの話の続きを書こう書こうと思ってるんだけど、ちょっと時間&書く気がままならない。しかも前のエントリのコメント欄で「具体的になんかプラグマティックな提案あんのかよ」とか言われちゃったし(笑)。そこで、今回はコメント欄で議論が盛り上がっている「格差社会」というか、働くことについての話の続き。ちゃんと提案も書いてあげよう。

 昨日に引き続きid:Arisan氏のブログをあちこち読んでいたのだが、今年に入ってから始まったブログのようなんだけど、ものすごい内容の濃さだ。世の中にはまだまだこういうコンテンツを持った人がいる。

 その中で、以前書いた「続・働く人のキャリアの作り方」で取り上げた、上山和樹(id:ueyamakzk)氏のブログでの「フリーター漂流」のイベントについてコメントしたものがあったので、まずそれについて考えたことを書こう。

 僕自身はもちろんイベントには出席していないが、上山氏ほかのブログでのレポートや感想などを読んで、引っかかっていたことがあった。それは労働組合の話だ。

 上山氏は特に労働問題の専門家でもないので、フリーター問題についてのパネルディスカッションで学識者(労働法の専門家)と労働組合からの参加者の見解がどうだったのかについてのまとめがいまいちわかりにくかった。

 ただ、脇田滋・龍谷大学教授に難しい言葉であれこれ言われなくても、労働組合関係者の言い分というのはだいたい分かる。それを、Arisan氏が「フリーター漂流」の番組を見た後、ネット上で労働組合に近い立場の人の意見を聞かせてもらったエピソードとして、見事にまとめてくれている。少々長いが引用する。

 その時に感じたのは、組合の人たちには、企業がフリーターなどの非正規的な雇用を多用することによって、労働者(組合員)の地位や労働条件が悪化する、という観点が強いようだ、ということだった。

 ある人の意見では、労働組合に組織できない非正規的な労働力中心の雇用に企業が切り替えているのは、賃金が安いとかの理由だけではなく、その方が労務管理が楽だという理由があり、労働組合がないから(『フリーター漂流』で紹介されていたような)企業側の思いのままのような労働現場になってしまっている。だから労働者の地位や労働条件を保つために、非正規的な雇用の限度を法的に規制するべきだ、という意見だった。(太字は引用者)

 今の非正規雇用の劣悪な雇用環境がどのようにできあがっているかという事実認識は、彼らも間違っていない。根本的に間違っているのは、「だから、どうすべき」という太字の部分である。

 こちらのサイトを見ても分かるとおり、日本の労働者の労働組合組織率は、2004年6月時点で19.2%と、10年前に比べて5ポイント近く下がっている。しかも、産業別に見てもっとも組織率が高いのが公務員(61%)というのだから、もう冗談のような、笑っちゃう世界である。

 なぜこういうこと(上山氏の言葉を借りれば「ゲーム(ルール)の書き換え」)になっちゃうかと言うと、そもそも日本の労働組合というのが、年次・職種が同じなら給与は基本的に同じという、年功賃金を前提に組織化や運動の戦略を考えてきたからだ。毎年春の賃金テーブル改定時に「春闘」という名のベースアップ要求を掲げ、正社員全員の給与をちょっとずつ上げてね、と言うのが労組の仕事だったのだ。

 ところが現実はどんどん非正規雇用が増大し、年功賃金が崩れる方向に向かっている。たぶん今の日本の会社で、成果主義的な要素を完全に排した賃金体系を維持しているところは、もう1社も残ってないんじゃないか。年齢と年俸の逆転現象が起きている会社も少なくないだろう。

 成果主義賃金が一般的になれば、集団での賃金闘争は無意味化する。また、正社員だけの諸権利を求めていても、会社が正社員を極限まで減らしていくようになれば(現実に、流通・サービス業では従業員の8割以上がパート・アルバイトの会社などざらにある)、ただの「既得権益者集団」としか見られなくなって終わるだろう。

 そんな中で、労組がいくら「非正規雇用を規制しろ」と喚いても、それは内田樹の言うように「ひょっこりひょうたん島で、ドンガバチョがエレベーターの停止階表示の針を止めてエレベーター本体を止めようとする」のに似ている。つまり現実には起こり得ない、時計の針の逆回しである。

 であるならば、以前も述べたように「企業を存続不可能に追いやり、従業員の安定雇用を保証できなくする最大のリスクファクター」である労組は、成果主義賃金体系の普及とともに消え去るしかないだろう。

 と、結論づけて終わってしまっても面白くも何ともない。そもそもここで問題なのは、労組がこの先生きのこるかどうかではなく、労働者の地位や労働条件を改善するにはどうすればいいか、だったはずだ。この問題で労組に何ができるのか。

 僕は、労働組合は自らを「従業員相手の社内サービス業」と位置づけ直すべきだと思う。賃金闘争や条件闘争は、経営者があからさまな不当労働行為をした時には必要だが、平時にそんなことを言っても従業員はもはや関心など持たない。それよりは、今目の前にいる従業員(正社員、パート、契約、派遣も含めて)が皆必要としているサービスを提供し、その代価として「組合費」を受け取ることにすればいいのではないか。

 「従業員の皆が必要とするサービス」とは何か?それは、「人生における生き甲斐、仕事におけるやり甲斐探しの支援」だ。

 類似のサービスは人材派遣会社、紹介会社、再就職支援会社、心理カウンセラー、自己啓発セミナー会社など様々な企業・団体が行っているが、そもそもそれって結局最後は労働者本人がすべて何とかしなければいけないだけの話だ。外部のカウンセラーやコンサルタントが本人のノイローゼの原因が経営者や上司にあると判断しても、それに手を出すことはできない。

 労働組合なら、そうしたことも広い意味での「労働者の権利」として扱い、経営者や管理職と是正の交渉ができる。それに、他の原因によるものも含めて相談に乗り、従業員が心身の健康や自分なりの人生の目標を持ちながら働くのをサポートするプログラムを作ることもできる。

 カウンセリングもキャリアサポートもいらねえ、俺は俺の腕だけで生きていくぜ、という従業員は、別に労働組合に入る必要もないだろう。だけど世の中はむしろそうじゃない人の方がずっと多い。パート、アルバイト、契約、派遣も含めて「働く時のサポートが欲しい」と思う人をなるべく多く取り込んで組合費という名の「保険料」を取りサービスを提供する団体になれば、まだまだ存在の価値はあるのじゃないか。

 ちなみに、僕のこういう発想は決して机上の空論ではない。実はとある大企業の労働組合で運営方針を転換し、こうしたことを既にガンガンやってるところが存在する。ちなみにその企業は、前期も過去最高益だった。

 それにしても、僕自身も会社移って何よりびっくりしたのは正社員と契約や派遣の間に、何の溝もないことだった。前の会社ではどんな優秀な契約社員も、社内ニートみたいなフリーズ正社員よりはるかに少ない給料しかもらえなかったし、任される仕事の内容や利用できる福利厚生制度などにもものすごい差別があった。

 でも転職した会社では、入社時の社長とのランチ&研修に正社員と契約、派遣が分け隔てなく集められて、社長に趣味を聞かれたりビジョンやミッションについて質問したり、自分が仕事を通じて実現したいことを発表したり、和気あいあい。「こんな平等な待遇を受けたのは今まで派遣された会社の中でも初めてです」って派遣社員の人が感動していた。

 入社初めてのランチを社長と一緒に食べ、会社のビジョンを正社員と一緒に話し合う。それだけで派遣だろうが契約だろうがみんながやる気を出して幸せになれるんだから、世の中の会社もさっさとそうすればいいのにと思うのは、僕だけだろうか。

 つくづく思うのは、問題の本質は派遣や契約という地位が労働者としての安定を保証されないとか、そういうことじゃないってことだ。安定してないっていうなら、正社員だって絶対潰れない会社がなくなった(銀行だって潰れる)以上、もう永久の安定なんかあり得ない。問題は、日本企業がいつの間にか人を人とも思わない非道な経営(それは経営ですらない)を、当たり前のようにやるようになったってことなのだ。であるなら、労働組合の闘争も、そこに向かうべきなのだ。

 というかここまで具体的なベストプラクティス(先端事例)の提案したんだから、前エントリのコメント子はちゃんと実行に移してくれよな。自分で労組に入るとか経営者になるとかして。頼んだぜ(笑)。

12:11 午後 経済・政治・国際 コメント (20) トラックバック (17)

2005/04/04

NHK「日本の、これから」は逆啓蒙電波だ

 パーパの死んだ話とか、弾道先生が少し柔らかくなってきた話とか、書きたいことはいろいろあるんだがオチを考えるとうまく書けない。なんだかお笑い芸人みたいになってきた。

 なんでもうめんどくさくなってきたので、とりあえず週末に珍しく見てしまったテレビの感想でも述べておこうか。散人先生のブログを見て放映中だってことを知った、NHKの「日本の、これから」。既にあちこちのブログで感想が述べられている。

 見た、といっても実は最後の30分あまりしか見てなくて、しかもちょろっと見ただけで最高につまんなかったしくだらなかったのだが、その全体的なくだらなさというかバカっぷりが妙に気になった。まったくなあ、こういう番組に参加する奴は事前に内田センセイが「このところずっとこのことばかり考えてる」って書いている階層化社会についてのエントリぐらい、前知識として読んでから来いっつーの。

 普通にくだらないテレビ番組にはいちいち感想を言おうとか思わない人間なので、何で感想を書こうと思ったのか自分で考えていたんだが、そう思いながらあちこちのブログを見て回っていたら、僕の言いたいことをずばり書いてくれていたところ(ここここ)があったので紹介しておく。むちゃくちゃ鋭い論考だ。

 番組の感想を書いているブログのほとんどが「堀江の言い分は分かる、努力もしない貧乏一般人は嫉妬し杉」とか「奥谷みたいな人身売買で稼いだオバハンに『それなりに頑張れば幸せになれる』とか言われたくねー」とか、個別の登場人物に対する意見表明だった(あるいはただ単に日刊スポーツの嫉妬系まとめ記事に釣られただけ)のに対し、id:Arisanは「競馬場でたまたま勝ってる客と負けてる客が言い合ってる感じ」と一刀両断。や、まったくその通り。

 2つのエントリともそんなに長い論考ではないので、詳細はぜひリンク先を読んでほしいが、今「格差社会」という言葉が急速に注目を集めている理由というのは、内田センセイも書いている通り、実際の経済的な格差とか学歴による差別がどれくらい固定的であるか、ということよりも、そもそもそういう格差以前のところで「やる気の持てる人、持てない人」という格差が固定化されてんのじゃないか、という話である。

 少々くどいかもしれないが、その意味で山田昌弘の『希望格差社会』という本は、内田センセイも暗に指摘している通り、苅谷剛彦の『階層化日本と教育危機-不平等再生産から意欲格差社会へ-』の焼き直しに過ぎない。NHKの番組の議論は、まずこのレベルの水準にさえ達してない。Arisan氏の言う通り、資本主義社会という競馬場で負けた客が勝った客に向かって「俺は一生懸命予想したけどたまたま外れただけなんだ。お前の大穴馬券の上がり少し寄こせ」って言ってるだけの話で、それ自体が論者の知的水準の低さを物語る格好の証左だ。

 「努力すれば誰だって俺みたいになれる」って言うホリエモンもホリエモンだし、それに対して「あなたみたいな成功者には(僕らの気持ちは)分からない」って食ってかかるフリーターもバカ。ホリエモンは内田ブログ嫁。それからフリーターのお前、資本主義って言葉の意味、分かってます?今すぐ泳いで北朝鮮かキューバに逝っていいよ。お前の理想郷だ、楽しいぞきっと。

 あの番組が露呈した真の問題は、2つある。1つはNHKや番組の感想を述べているブログを含めて、多くの人が経済格差以前のやる気(or希望)格差が今論じるべきテーマであるという論理的認識を持っていないということ。もう1つは、Arisan氏の言うように「自分が相手の立場に立つ可能性を想像し、相手の言い分を聞いてそこから普遍的な論理を抽出する」という知的能力が、日本人の大人に致命的に欠如しているということである。

 前者の問題は、多分にNHKと三宅アナのファシリテーションやコメンテーターの議題設定能力に問題があったと言うべきだろうが、気になるのはそういう「うまく立ち回った奴とそうじゃない奴の間に知的能力、教養、そして経済力で格差ができるのは当たり前じゃねーか」という資本主義の原点がそもそもインプットされてない参加者がやたら多かったこと。

 これは、もともと日本の国が数年前までは実質的な社会主義国みたいな前提で動いていたのだから誤解が残っていて当然と言えば当然なんだが、それをきちんと解毒する対策をどうやっていくか(主に教育の部分で)という議論も必要なんじゃないか。

 後者の問題については、もう少し話はややこしいだろう。Arisan氏は、それが東浩紀の言う「ネオリベ的環境管理型権力」のなせる技ではないかという仮説を立てている。一方内田センセイは、恐らくこうした階層間の認識断絶そのものが、所得格差(とそれに伴う家庭環境、両親の知的水準の格差)によって生じているという苅谷説を支持し、(その前の『希望格差社会』の書評のエントリを読む限りでは)コミュニタリアニズムに救いを見出そうとしているようだ。

 僕自身はどう思っているか?Arisan氏にも内田センセイにもそれぞれ一理はあると思うが、僕自身は前回のエントリでも述べたように、こういう「他人の話を聞いて、自分がその立場に立つ可能性を想像しながら論理を抽出する」能力というのは、教育(それも、小さい頃だけではなくて恐らく生涯続く教育)としてインプットされなければできないことだと思うし、そういう努力を是とする社会規範、言語空間をきちんと作り続けなければならなかったはず、という意味でマスコミが一番その責を負うべきなんじゃないかと思う。

 つまり、世の中で一番声の大きい奴が人の言うことを聞かずに論理を組み立ててしゃべりまくっているというのに、いったい他の誰が「他人の言うことを聞いたうえで論理を構築しなければいけないなあ」なーんて思うんだよ!ってこってすよ。しかも一番問題なのは、マスコミの中でも一番啓蒙主義的な立ち位置を自認してきた朝日とNHKがこの体たらくであるということで(笑)。

 というわけで、こういうクソの役にも立たない、一般大衆の資本主義原理に対する無知蒙昧と知識人の議題設定能力のなさ加減をあまねく天下に知らしめ肯定するようなバカげた「逆啓蒙」番組を電波に乗せるNHKに、最大限の侮蔑と冷笑をお返ししたいというのが僕のささやかな感想である。つーか、いい加減に受信料払うの止めるぞコラ。

11:35 午前 映画・テレビ コメント (48) トラックバック (19)

2005/04/02

知のバランサーを欠く社会 ~北田暁大「嗤う日本のナショナリズム」雑感

 エイプリルフールネタをトップから外すためだけのヒマネタをぼんやり考えていたんだけど、なんか少し深刻な話になりそうな予感。

 今日、Amazonから北田暁大氏の『嗤う日本の「ナショナリズム」』(NHKブックス)が届いて、それをつらつらと読んでいた。本の感想はまた今度書いてみたいと思うが、昨日あったいろいろなことを頭の中で反芻していて、ふっと思い浮かんだのが以前に「首都大学東京」に関するブログ界隈の論争が巻き起こったときに読んだ、内田樹氏のこの記事である。

 内田氏のこの記事の最後に以下のようなくだりがある。

教育というのはつねづね申し上げているように、ある種の「幻想」をビルトインするかたちでしか機能しない。
そこに行けば、何か素晴らしいことがあるのではないかという(しばしば根拠を欠いた)思い込みが若者たちをして教育の場へ足を向けさせる。
「数値」によってひとは学びを動機づけられるわけではない。「幻想」によって衝き動かされるのである。
 この文章の「教育」というところを「マスコミ」、「学び」というところを「ジャーナリズム」あるいは「ニュースの購読」とかに置き換えて読むと、そっくり今のマスコミの話に当てはまるような気がするのだ。

 藤代氏@ガ島通信がnikkeibp.jpで立花隆と並んで連載を始めたことの意味をぼんやり考えていたんだけど、結局マスコミが企業として存立しえていたのは、彼らが発するニュースが信頼に足るものである、もっと言えば記者というのは信頼できる人種である、という幻想が社会にビルトインされていたからだ。少なくとも、日本のマスコミはそういう幻想性を仮定して商売を構築してきた。特に朝日新聞は。

 だけど実はこれって特殊な状況なんだと思う。海外に行くと、国によってはジャーナリストというのをウジ虫以下の職業と思っているところが少なくない。少なくともジャーナリストは「知的な職業」ではないと思われている国は、決して少なくない。

 僕はどっちがいいとか言うつもりは全然ない。その国の文化によって、何により価値を置くかが違うのは当然だ。日本の方が優れているとか言うつもりもないし、海外が「普通」とか言うわけでもない。問題は、そういう文化的な価値観の体系の中に置かれたマスメディアが、企業としてどういう収益モデルを築いているかということだ。ウジ虫にはウジ虫なりのカネの稼ぎ方があるわけで、ウジ虫的な扱いを受ける国では戦略的にウジ虫的立場を利用するだけのこと。

 で、週刊朝日が武富士から5000万円もらって「広告」と一言も言わずに収益にしていた件について、極東ブログでは「朝日新聞社はすでに自社の統合を喪失した状態」なのではないかと語っている。この「統合の喪失」という言葉をどういう意味に取るかが問題だと思うのだが、それは恐らく一言で言えば「言論の一貫性」というよりは「経営の一貫性」が失われている、という意味なのだろう。

 このことは、id:kanryo氏の「霞ヶ関官僚日記」で紹介されている昨年8月の「くまりんが見てた!」の「朝日新聞編集部の方に聞いてみました」の記事を読むと、何となく実態が伝わってくる。要するに彼らには(過去に)国民を思うとおりに引っ張り回して新聞を購読させるのに成功していた「イデオロギー」のパワーが落ちていることの自覚はあるのだけれど、一方で「購読部数が落ちている」という経営上の現実にどう対処して良いのか分からず、仕方なく既に朽ちかけている「イデオロギー」にさらに強くしがみつくしかないという状況に陥っているのではないかと思うわけだ。

 昨日も書いたが、大学やマスコミというのは所詮「ニッチ産業」であって、自動車のように取引業者のすそ野がばかでかいわけでもないし、家電のように我々の生活の利便性にクリティカルにかかわるわけでもない。存在しなければしないで、弱小ライターや零細編プロやしがない非常勤講師が食い扶持を失うだけで、それ以上世の中の誰も困らない。

 だが、今問われているのは「本当に、本当に大学やマスコミは『なくても困らないから切り捨てて良い』と言えるのか?」という命題だ。

 このまま「知のバランサー」としての国家装置が次々とこうした経営不全によって失われていくようなことになると、北田暁大が言うような20代以下の「誠実であるべき自分の実存」と「国民国家という究極の恣意性」を単純に重ね合わせる「クボヅカ的知性=実存+ロマン主義的短絡ナショナリズム」を中和するものが、なくなるような気がする。

 もちろん僕はそれが武富士から5000万円受け取ってしまうようなモラルハザードを起こした従来の朝日的イデオロギーによって中和できるとは既にまったく思わないのだが(そしてこのことも既に北田暁大は指摘しているが)、だからといってこの社会から「知のバランサー」を全部消去してしまっても良いということにはつながらないだろう。

 だが、現実はまさにそちらの方向へ進みつつあるのではないか。それは、企業としての朝日新聞社がダメになるという意味ではなく、既に「朝日」というラベルの付いた言説は何であろうと信用しない、という思考回路の形成において。

 「権力者に誰がなろうがそれは雲の上の話、我々の生活には関係ない、と日本人の多くが思ってきた。だが、権力者の誤りによって最も被害を受けるのは、誰あろうこの我々自身である。そのことに日本人は早く気づくべきだ」と、作家の塩野七生は言った。

 彼女は93年に55年体制が崩壊して成立した細川内閣以来の政治の混迷、頻繁で節操のない元首の交代を見てこの言葉を吐いたわけだが、これはそのまま「第四の権力」とも言われる今のマスコミの状況に対しても言えるのではないか。ただ、問題は政治家は国民が投票で選べるのに対し、朝日新聞社という一民間企業の経営陣は投票などの民主的手段によっては選べないということであるが。

 あまり書いちゃうと藤代氏@ガ島通信のnikkeibp.jpでの連載のネタがなくなってしまうかもと思ったのでこのへんでやめておくが、マスコミ(特に朝日的な立ち位置に近かったという自覚がある媒体)ほど、イデオロギーに代わる「信頼確保のメカニズム」を編み出す経営努力が、今一番必要とされている気がするんだよな。

06:33 午前 メディアとネット コメント (27) トラックバック (10)

2005/04/01

100まんこえたよ!今日から工口グ宣言!

 R30も開設以来とうとう数日前に累計アクセスが100まんの大台をこえました!丸1年かかったぞこんちくしょう。

 こっちが身を削って書いてきたブログがやっと100まんこえたところなのに、世の中のエログがあっさり毎週のように100まん単位でPVを更新しているのは納得行かない。というわけで、本日より当サイトはタイトルも過激なものに一新して、画像一切なしで毎週100まんこえるPVを目指す「テキスト工口グ」として再出発します!

 これからも「R-30::青少年立ち入り禁止!工口グ激評!」を(エロいコンテンツがまったくないですが)よろしくお願いします♪うふっ

11:17 午前 エイプリル・フール コメント (26) トラックバック (10)

自分でガソリンかぶって炎上する天才の連載始まる

 今ネットの中で一番アツイ男は誰だと聞かれたら、間違いなくコイツだ。身の上話からライブドア騒動まで、書くネタがことごとくトラックバック、コメント欄で猛烈な賛否両論を集める「舌禍」男、それがついに実名でメジャーデビュー!

 連載タイトルは刺激的にも「メディア崩壊の現場を歩く」、さらに今日の朝イチの巻頭コラム扱い、ネタは性懲りもなくライブドア、しかもコメント欄付き!(笑)うーむ、日経BP本気なのか。こんな危険な男にコメント欄付きの連載させるなんて。どははは。とにかく、ネット右翼・アンチマスゴミを自認する荒らし野郎はいますぐコメント欄に急げ!!

 ちなみに日経BPさん、トップページの「詳細」のリンク先、間違ってまっせ(笑)。

 というわけで、煽ってばかりでコラムの内容に一言も触れないのも失礼だろうから少々。

 ライブドアについてはほぼ個人的に「今さら」感漂いまくりなので、タイトル見て「外した?」とか思ったが、内容を読むと連載タイトルの「メディア崩壊」について語る前振りとしての扱いに過ぎないようなので、ちょっと安心。

 書いてあることは、元マスコミの人間から見ると「あっちゃー、言っちまったか」という内容多々あり。「元ディスクジョッキーや元記者の経営者には、確かに『愛』はあるだろうが、中には帳簿も読めない人もいる」とか。アイタタタ…。あーあ、やっちまった(笑)。もう少しダイレクトに「亀ちゃんは帳簿が読めない」って書いてほしかったかな(爆)。

 彼は元新聞社で労働組合の幹部として経営団交までやったらしいから、たぶん僕以上にマスコミの経営の現場のモーロクぶり、腐敗ぶりを見せつけられたんだろうなと思う。確かに、どこの企業だって多かれ少なかれそうだぜと言われればそうなのかもしれないし、実際そういうことを知ったふうに囁く自己正当化に長けたマスコミ人もたくさんいるわけだが、別に世の中「他人がバカだから俺もバカでいい」っていうものでもない。

 あと、この手のマスコミ自己批判系の議論は、業界内ではひとしきり話題になったりもするのだが、一般読者にとっては「おめーらの問題をどーのこーの人前でさらすなボケ」というレスポンスが返ってくるようになる。ま、そりゃそうだわな。他人の業界の内輪揉めは生暖かくヲチする以外の価値はない。ソニーやトヨタの人間が社内で揉めているのを見るのは、取引業者が膨大だからそれなりに価値があると思う人が多いが、それに比べてマスコミはしょせんニッチ産業である。取引業者は零細ライターとか弱小編プロばかりだし、買う側の一般消費者からすればマスコミがなくても日々の生活にはまったく困らない。しかも広告主は黙って去るのみ。

 というわけで、そのへんのレスポンスをライブでうまく打ち返しながら、「マスコミがこんなにダメだってことは、消費者の皆さんにも大いに利害があるし、皆さんもそれを改革するために一役買えるんです!」みたいな方向にうまく話を持っていかないと、商業メディアのコンテンツとしてはなかなか厳しいっちゅーことになりかねない。ガソリンかぶる天才の藤代氏@ガ島通信ならうまくやってくれると信じているが。

 あと、どうでもいいけどMT使ってサイト構築してるんだったらトラックバック実装してくれ。日経BPの読者って、みんな死にそうなほど長くてうざいコメントつけるやつばかりなんだから、コメント欄が読みにくくてしょうがないよ。いっそコメント廃止してトラックバックだけにしたら?

08:44 午前 メディアとネット コメント (10) トラックバック (5)