個人をネタにするブログのリスク
ARTIFACT@はてな系で紹介されていた女子大生ブログ関連の話。昨年から今年にかけて学生ネット界最大の話題の1つだったさきっちょ&はあちゅうの片方は内定を辞退、そしてもう片方もネットベンチャー経営者と組んでイベントプロデューサーに。そして、そのイベントの方は250人も応募者があるらしいっすよ。
つまりあれですか、自分を晒すネタブログ作って平々凡々な日々から脱出せよ!っていうのが最近の女子学生の流行りってことですか。脳内平凡日常から脱出できても、はあちゅうみたいなイベントプロデューサーになれるかはビミョー。いかにも2匹目のドジョウがいなさそうな企画だなあ。詳しくはid:SNMR氏@ダメ東大女子のまとめエントリを読まれたし。
というわけで話題に乗り遅れまくりなR30ですが、よーしパパ東大受験生に戻った気分で果敢にid:gachapinfan氏の東大文系現代文論述問題に答えちゃうぞー。
1. 『電車男』との異同を論ぜよ。(25点)
電車男とさきっちょ&はあちゅうの最大の違いは、電車男が「ネタの盛り上がり」(2ちゃんねる上)と「書籍化」(新潮社編集部)が、少なくとも表面上は全く別の主体によって行われたのに対し、さきっちょ&はあちゅうの場合、ネタ作りと書籍化あるいはイベント(いい女塾)が同じ主体によって行われている(ように見える)ところが最大の違いである。そして、オーディエンスの批判というか不快感も、まさにこの点に集まっている。
2. 「がんばってブログやってるんだから多少の報酬はあってもいいじゃないか」という主張がありうる(起業家利得正当化論)。これに対してどう応えるか。(10点)
がんばってブログやることと、商業的な利益を得るために何をどう利用するかということはまったく関係がない。がんばって心に残った詩をメモしたという安倍なつみが、著作権法に違反してまでそれを出版して儲けていいかというと、そんなことはあり得ないのと同じ。よってこの正当化論は詭弁。
3. 「個人ブログ」の内容はまったく個人の自由なのか、それとも何らかの制限・義務が課されるべきなのか。(各10点)
3.1. 商業目的の利用は問題となるか。
問題は大きく分けて2つある。1つは著作権という法律上の問題、もう1つは読者を「釣る」ことに対する倫理的不快感の問題である。
「商業目的」にもいろいろとレベルはあって、エントリの部分だけをまとめて出版することは既に「鬼嫁日記」等を含めさまざまなかたちで行われている。それ自体は何の問題もない。
ただ、ユーザーコメント欄での盛り上がりを勝手に書籍化していいかというと、これは非常に難しい。法律の専門家でも何でもないR30の勝手解釈では、ブログの著者がエントリ内に「引用」したものに関してはギリギリOKというところで、メアドやブログURLの付加されているユーザーのコメントを無断で利用するのはクロだと思う。
ブログのコンテンツそのものの販売ではなく、もっと別の意味で商用利用という意味では、例えば個人ブログでもアフィリエイトで稼いでいる人はいっぱいいるわけだし、あるいは個人でネット通販のお店を開くための広告宣伝としてブログを使っている人もいる。したがってこれも何ら問題ではない。
問題は、著者が主催するイベントに読者を呼ぶという形式だ。ブログが他人やよその社会事象のメタ言語のブログであればそれも成り立つ。だが、著者は「ネタ」でもあるがイベントプロデュースを手がける「メタ」の立場にも立つという場合、「著者というネタ」で盛り上がっていた読者は、突然その相手が「メタ」として自分たちを見下ろす立場にもいた(つまり自分が「釣られていた」)ことに気がついて、(人によっては)激しい不快感を抱くことになる。
つまり、自らをネタにするブログが、突然「実はこのネタブログは私自身のイベントorセミナーの勧誘のためでした」とカミングアウトする形式は、読者に「よくも釣りやがったなこのアマ倫理的にルール違反だ」といった不快感をもたれないようにするのが非常に難しいということである。
3.2. 「やらせ」は許されないのか。
個人ブログやってる人ならみんな分かるが、「やらせ」「ネタ」のない人気ブログなんてあり得ない。それをいかに「やらせ」と見るメタ視点に読者を引かせないか、あるいはメタ視点からわざと見せて笑わせるか、等のテクニックの問題があるだけ。
個人ブログの「やらせ」問題そのものに対して「お前、よくもやらせで俺のこと騙したな!」って怒り出す読者がいるとすれば、それは単にその読者がバカなだけであって、「ネタをネタと見抜け(ry」という例のフレーズを返すか、それともそういう読者をブログに呼び込んでしまった著者のマーケティングセンスを恥じるべき。前者の対処をした場合にはR30のように二度とお天道様の当たるところには出ていけなくなる(笑)。
3.3. 読者の期待(「フツーの女子大生がけなげに頑張ってほしい」願望)に応えなければならないのか。
「フツーの女子大生がけなげに頑張ります!」というメッセージを発した時点で、そういう期待を持つ読者を呼び込んださきっちょ&はあちゅうがどういうマーケティングを考えていたかによる。
これが、例えば今話題のライブドア・パブリッシングからの出版のお願いが突然舞い込んで、「ええ~私たちのあんな話でも出版してよかとですか??ええ~ええ~信じらんないウソみたいキャー」とか盛り上がる無邪気なカマトトエントリなんかがアップされていたら、ライブドア死ねってコメントは出たかもしれないが、少なくとも2人の女子大生に対する批判は起こらなかっただろうと思う。イベントも同じ。はあちゅうが主催するイベントでなければ、たとえ「審査員として呼ばれちゃいました…」とか書いてもそれほどのハレーションはなかったと思う。
だが、「悪あが記」スタートの時点で発されていた「フツーの女子大生」のメッセージとは矛盾するこれらのスタンスが、いくら「これは自分がこの数ヶ月で考えが変わった結果でして…」と説明しても、読者には納得されないのは当たり前。読者は生身のさきっちょやはあちゅうに触れたことなどなく、ブログ上に表明されたブランド・プロミスに反応して集まってきただけなのだから。
不特定多数の読者の読むエンタテインメントとしてのブログで、自分自身のライフスタイルをネタにする際には、少なくとも「最初に読者と握った前提(ブランド・プロミス)を商業化の段階でも維持できるかどうか」を確認してからでないと、大きなリスクを抱えることになる。これは自分をネタにするブロガーの人たちにとって図らずも貴重な教訓になっていると思う。
4. 「より広く知ってもらうために営利企業と提携するのはよいことではないか」という主張がありうる(パートナーシップ論)。これに対してどう応えるか。なお、「学園祭において、営利企業との提携イベントを企画するという行為」と類比するかたちで論じてもよい。(20点)
そのパートナーシップ論というのは、言葉の意味が全然違う。非営利団体(あるいは個人)と営利企業のパートナーシップというのは、企業がカネを出すのに対して、パートナー側が企業に対して間接的なパブリシティーや観客動員、名声(reputation)などを提供することを言う。別にはあちゅうが自分のイベントに企業からお金を取ろうが何しようが全然構わないが、今回の問題とは本質的に関係ない。
5. ブログ主を非難する必要性はあるのか。成文法に抵触しないのであれば、「市場の判断」にゆだねる(=アクセス数減少)だけで十分ではないのか。(15点)
もし書籍に自分のコメントが無断で引用されたとして、それを著作権侵害で訴えるのであれば、それはそれで理屈が通っている。ただ倫理的な不快感(釣られたこと)に対しては、法的な対策は一切取れないわけだから、コメントスクラムでも誹謗中傷サイト開設でも個人情報暴きでも何でもやるよろし。名誉毀損とかで逮捕されても僕は知らん。現実的には、アクセス数減少以外の裁きは必要ないと思います。
というわけで、東大生のSNMRさん、採点よろしくお願いします。ペコリ(o_ _)o))
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