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2005/03/03

過去のことは忘れなければならない、あるいはknowledgeの生まれる場所

 何のことだかワカランという人は勝手にスルーしてください。今日のエントリは独り言です。

 よく「前にも似たような議論をした覚えが…また同じ話をぐるぐると性懲りもなく」とか言う人がいる。あ、鈴木謙介氏@SOUL for SALEだっけな。まあいいや。で、僕が思うのは「同じ話をぐるぐるとする。それが何でいけないのだろう?」ということだ。だって4000年昔のエジプトだかどっかの象形文字を解読したら「最近の若い者は…」って書いてあったって言うじゃん。人間なんて、そんなもんでっせ。

 その点、ネットっていうのは恐ろしい。だって昔の議論が全部残ってるから。残ってるって言っても、今はまだせいぜい98年か2000年以降ぐらいの分しか残ってないさ。だからもしかしたらまだ議論してないことがあるかもしれないし。

 だけど、これを10年や20年続けていったらどうするよ?あらゆる話は、もう何年か前に議論され尽くしたことになっていて、もし「昔議論した話は過去ログ読め」で終わるんだとしたらさ、そこに何の偶有性も反映されなくね?それって悪夢みたいな未来だと思うな。

 最近すっげえ嫌な予感がするんだよね。「はてな」って、質問の数も、質問に対する返事の数も昔よりずっと減ってない?もちろんカテゴリの数増えてるってこともあると思うんだけどさ、なんかすごく嫌な予感がして。

 なんつーか、質問しても「ああ、この質問過去に答えたような気がするし」とか思って答えないとか、質問する人もささっと検索してみたら過去質問が残っていたんで結局質問しなくて良くなっちゃうとか、もっと言えば、質問しようと思ったんだけど、でもきっと誰かが過去に質問したような気がしてそれもあっさり答えられちゃってるような気がして、それだけで質問する気が失せるとか。

 ブログの議論とかはさ、まだフローの要素強いからそれなりに面白いけどさ、でも1年ぐらい見てると、季節柄出てくるネタとか必ずあって、「またその話か」みたいな感じで飽きてくるよね。

 実は僕も隊長よりは少し遅くだけど、大学3・4年~社会人出てすぐぐらいの頃にニフティのFBMANにはまってたことあって、マーケティング会議室あたりのオフ会にも1回ぐらい行ったことあったんだけど、議論のスタイルとかデザインとかは多少違っていても、コンテキストはほぼ同じことがブログという新しい場の中でも繰り返されてるだけじゃないかっていうデジャヴにとらわれるようになってきたんだよな、最近。

 まあ、その既視感が既視感なだけで終わればそれはそれで結構無問題なんだけど、FBMANと違ってブログって過去ログが流れないじゃん?つまりブログ上では流れたように見えるけど、Google先生がいつでも発掘しちゃうわけで。削除してもなおキャッシュで発掘されちゃうわけで。

 となるとさ、FBMANで議論していた内容はすっかり忘れたけど、あそこで何かすごく頭から火噴くほど知恵振り絞って議論したぞ、みたいな思い出が僕にはあるんだけど、今の時代ってさ、例えば何かを頭から火噴くほど考えようとしても、その矢先に「過去ログ残ってるから嫁」とか言われた人たちは、なんか頭から火噴くほど考えもしないうちに過去のブログとか読んでそのターミノロジーに頭を支配されて、自分で言葉つむがなくなって終わるんじゃないかと思うわけだ。

 まあ、過去ログっていうのは、その時誰がどういうことしていたとか、ファクトベースでなら資料価値もあるよ。だけどそこで考えられていたことっていうのは、つまりナレッジ(知恵)は、過去ログ読んだからって追体験して頭にすっと入ってくるものじゃないわけでしょう。

 ましてブログなんてどこまでがファクトでどこからウソなのか、それ自体としては検証もできない話、つまり事実確認の資料価値はほぼゼロなものばっかりなわけでしょ?そんなものがずっと残って、ファイル消してもブログ主死んでも残ってるって、いったいどうなのよっていう気がする。

 話は少し飛ぶかもしれないんだけど、IQの低い人たちの会社があるとするじゃん。でもそれがIQ高い人たちの会社に比べてだめな会社かっていうと、それとこれとは全然関係ないわけだ。じゃあいったい良い会社と悪い会社の違いは何かっていうと、突き詰めれば会社ってのはゴーイング・コンサーンなわけでしょう。だとすれば上から下までその時々の判断はバカっていうか間違ってても、時間とともにそれが修正されて品質が上がり、正しい方向に向けばいいだけなんだよね。

 逆に、ある瞬間に正しい方向性を見極めた人がいたとしても、そいつがそれ以降たくさんの人数の上司とか部下とか同僚とかとともに正しい方向に進み続けられるかっていうと、実はそんな保障どこにもないわけで、最初の奇跡の大ジャンプの後に、2度と奇跡が起こらなくてそのまま逝っちゃう会社なんてたくさんあるわけだし、正しい!と思う方向にずんずん進んでいても少しずつ道をそれてそれに気づかずに気がついたら出口の見えない藪に紛れ込んで野垂れ死んじゃう会社もある。

 つまり人も会社も社会もそこで何を見聞きし、記憶し、文字で書き付けたかをたくさん貯めれば正しい方向に進むかっていうと、全然そんなことないんじゃないの。そりゃ大所高所に立って会社や社会、国家の向かうべき方向を判断する立場の人が四書五経や孫子からランカスター、クラウゼヴィッツ、チャーチルまで読んで判断しますよって言われればそれはすごいと思うよ、感心すると思うけど。でも実際そこまでの政治家なんていないわけだし、庶民の誰1人として元首や会社社長にそこまでのことなんか求めないわけでしょう。

 つまりある一瞬において頭がいいとか悪いとかいうこと、つまり過去ログをたくさん読んで知っていることよりも、ゴーイング・コンサーンの条件というのは、もっと時間をかけて自分たちを正しく追い込んでいけるのかとか、その場でどんだけ同じことを壊れたテープレコーダーみたいに繰り返し続けられるのかとか、むしろそういう「過去ログ読まない強さ」みたいなものに依存するのじゃないか。

 そしてナレッジ(知恵)というのも、僕の感覚では過去ログというストックの束から生まれてくるというよりは、ストックを忘れる瞬間、つまり過去の事実の輪郭をぼやかして今目の前にあるものと重ね合わせた時の類似項として生まれ落ちてくるものだと思うのだよな。それは別に古典作品でなくても書籍でなくても、ネットでまさに昨日書かれたばかりの他人のブログのエントリでもいい。つまり今ここにいる自分と化学反応を引き起こせる自分の“外側”の存在となるような何かがあればいいだけ。

 ブログを書いていると時々「僕が書いたこの文章はインターネットという空間に半永久的に残るのか?いつまでもGoogle先生がいる限り、他人の質問にさりげなく僕のブログのエントリのURLを返してそっとここへと導いて下さるのか?」といったような超越神を信じたくなる心境に陥ることがある。

 だがそんなのはまやかしだ。むしろ有害だ。思索のためのテキストの過去ログなど消えてしまえ。物理的に残っていても決して他人に「ああ、かつてこの人がこんなに考えているのだから既にこの問題は解決しているのだな」などと思われたくない。むしろみんな忘れてくれ。延々同じように見える議論をループしてくれ。自分の頭を使って、無意識のうちに思考を規定する偏在的なコンテンツ、ブログから身を隠せ。そしてそのループから脱出せよ。

 蓄積しておけば手間を省く知、我々をこれまでよりもう少し遠くにまで連れていってくれる知、というものは確実に存在する。だからそういうものを蓄積で残すのは良い。しかし今のインターネットの中で多く流通しているのは、僕らがどこかに連れ去られようとしている時にうたった鼻歌である。鼻歌だけをどんなにたくさん集積してみても、音程のあやふやなハミングコーラス以外にはなりようがない。

 ネットはあらゆる多様な解釈を許容するし、またそれを平等に広める。逆に、いやむしろだからこそ、解釈の根っことなる知の基盤については、より厳密に集約され整然と凝縮されていなければならないのではないか。解釈の多様性と知の基盤の厳密性。これがより強く求められていくはずなのに、これまで社会的な知の基盤を担っていた「知の腐敗のペンタゴン」はそのまったく逆、曰く厳密で偏狭な解釈と知の基盤のずさんさを志向していた。今、それがまさに否定されようとしているのではないか。

 とにかく、我々は大勢の人を命令で同じ方向に歩かせることはできても、大勢の人々の思考を全く同時に同じことを考えるよう強制することはできない。とすれば、知を組織あるいは社会全体に敷衍したいと思えば、その方法はあちこちで同じような思考のループが創発的に大量発生するようにし向ける(させるのではなく)ということでしかあり得ない。

 創発的な思考のループ(フロー)は確たる知の基盤があってこそ成り立つものであり、組織や社会にはその断続的なループから常に澱が沈むように新しい知(ストック)が形成され蓄積されていく。この2つはどちらも欠かせないものであり、その区別と規律ができないままで続いてしまうぐだぐだのコミュニケーションというのはどうしようもなく不毛だ。そういうコミュニケーションしか存在しない会社も、組織も、社会も。決して同じことを延々議論することそれ自体が不毛なのではない、そこから何物も澱を残そうとしない風土の方が不毛なのだと僕は思う。

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コメント

同感。

ワタシの場合これに関して問題意識以上でも以下でもないのだけれど。いずれインターネッツが検索エンジン等を媒介とした巨大な事典として受容するためだけのデバイスなってしまったらインターしてないねって。そんだけ思う。

全く以って話ずれますが、「皮肉にも、ITで可能となった限定的なナレッジ(形式知)の集積が、もう一方の知(暗黙知)を忘却・喪失させている」、とかって何処かの偉いセンセがのたまっていた気がする。機具危惧。

投稿: ぬころ | 2005/03/03 02:30

頭を使わずにでも誰かが過去に残した情報を集めてしまえば、それはそれなりに見栄えもよく満足する形になるし、それに疑問も抱かない自分がいる。
このエントリを読ましていただいて一つ考えたのは、自分自身がインターネット(その情報自体)を、自分の脳の一部のように考えてしまっているということだ。まるで辞書が頭の中に入っているというような感覚である。
前の自分は本にしてもなんにでもしろ、その情報を頭に入れる過程で、考えながらそれを噛み砕いて自分の中に入れているという感覚があった。あまり理解が早いほうではない私は、時間や場所を選ばず、突然思い出し様々な解釈をしながら、不安定な私の理解が落ち着く形にしようと常に頑張っていた。

しかしネットでは私の疑問に対して私より頭の良い人たちが一つの安定した答え理解をくれる。その疑問に対して多様な答えがあっても、いつでもこの情報は簡単に引き出すことが出来るので、自分で噛み砕く必要もなく、いつかそれが必要な時に選べばよいという感覚になってしまっている。自分の脳、思考自体もネットの中に溶け込んで、それを見る自分も、ぼやけてしまっている。

あ~なんか話がずれてますね。

投稿: リィリィ | 2005/03/03 03:39

いや、もうこのエントリ自体最初から最後まで話がずれまくっているので、別に何がずれているとかずれてないとかないです。できればエントリ単位でなく、段落単位で読んでいただければ。なんか聖書みてえだ(笑)

投稿: R30@管理人 | 2005/03/03 10:55

感動しました。大げさですけれど、でも本当に。
そして、好奇心から新しい情報に飛びつくけれど「1つ1つを掘り下げるのは面倒」という自分のような人間がダラダラと「回答済み」に寄りかかってしまうと、「嫌な予感」を現実化させてしまうのだな、と思いました。

もうひとつ、「誰もが"活字"で不特定多数にモノを言える」状況になったのは良いことなのか?ということについても、改めて考えさせられました。
「世の中に出る」までにフィルタ不要という民主的状況(?)は「ビバ!IT技術!」なのかなぁ、と。

投稿: つきっつ | 2005/03/03 11:21

発信する方も受信する方も、そうしたいと思った時にちょっと待ってみたらいいんじゃないですかね。距離を置くとか。
脳の中に生まれた容器をただ埋めるだけなら、ネットにはそれこそ無限にあって、多少形が合わなくたって間に合うし、それを埋めたら他は入らない。容器を埋めたいっていう欲求がムクムクしてる時に、それっぽい中身が目の前にいくらでもあるんじゃ、わざわざそれ以外を探したり作ったりしようなんて気にはならないッスよね。

投稿: 苛沢 | 2005/03/03 13:02

同感もし、内容に感心もし、考えもさせられる話ですね。
確かに、ネットの出現で世の中の流れ・仕組みが大きく変わり、ブログなどで沢山の情報を簡易に記録・保存できる仕組みが出来上がって、人間自身の思考なども変えていくのかとも考えさせられました。
CNETで梅田さんが書かれている将棋の羽生さんの高速道路と大渋滞の話ともつながっているようですね。

世の中ITが中心になっていく中で、自然回帰が起こるんだろうなと想像もしています。

投稿: maida01 | 2005/03/03 13:19

 この辺りのお話興味深いですねぇ~
 ウェブログ図書館( http://library.jienology.com/ )の運営者ですけど、これは電子図書館の体裁をとっていながら元々の狙いはしぃ(*゚ー゚)言語もといC言語のライブラリのような使われ方を期待してました。クールな関数群がライブラリとして提供されているから自分のソフトウェアに組み入れて新たなコンテンツをつくっちゃおう…というような。
 まあ確かにブログ記事の過去ログを見て回るだけでも結構な時間の消費にはなるはずで、それでお腹いっぱいになっちゃう人とか下痢を起こしちゃう人とかいうのはその程度の資質の持ち主ってことで、仕方がないだろうなって個人的には思ってます。
 創発的な思考を支援ためのシステムのあり方について、もう少し考えてみたいと思います。

投稿: ウェブログ図書館 館長 | 2005/03/03 13:34

些細ながら気になること。
エジプトの石版のエピソードって言うのは元はジョークだったと思うんですがはまり具合が面白いせいか2chあたりでは事実として語られているようで。エジプトだったのかどうかも定かで無し。

投稿: ななし | 2005/03/03 13:47

面白い。とはいえ、人というものは、かれこれ数千年に亘りどれほどどうなってきたかといえば、
そうやら本質的には変わってないんじゃないでしょうかね。

いいひともいればそうでないひともいれば、なんとも一貫性の無いひともいれば一本気なひともいる。
頑固なだけがいいわけでなく、優しさだけでは救われず、強いだけでは生き残れず。
とかなんとかいうような、ただなんとなくぼんやりとした、風のような雲のような空のような海の
ような、海は膿に通じる日本語の奥深さとか、清めが気読めになったりのアレとかソレとか。

知の基準軸に沿うそれと智にして知にあらず血であるが痴であるようなそれとかがあるから
現世利益の新興宗教が社会不安を背景に跋扈し政治介入しまくりだったりもするわけでありますし。

智慧というものを鑑みれば、先人の将に智慧と云えるものはうたなのかもしれませんね。
この場合、和歌などを指します。

投稿: よ | 2005/03/03 15:07

エジプトのやつがジョークだったとしても
2千年暗い前のやつが日本で発見されたって
読売新聞で読んだ記憶が。
大してかわりゃしないのですねぇ。人間は。

投稿: 黒潮 | 2005/03/03 15:42

・書き殴られたコンテンツが膨大になる
・再利用できる優れたコンテンツを作成するには手間がかかる
といった問題点にはWWWの発明者Tim Berners-Lee
を含む多くの研究者が気付いています。
5・6年前からSemantic WebやTopic Mapといった技術を用いて、
・抽象データにより膨大なコンテンツから求めるコンテンツを取り出す手法
・支援ツールにより再利用コンテンツの作成を容易にする手法
などが開発されていたように思います。

歩みは遅いようですが、私はそれらの技術に期待したいですね。

参考:
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4839902879/250-8096304-5265064

投稿: avance | 2005/03/03 16:59

こんにちは。はじめまして。

いくら情報をググって知識が増えても、「知恵」にはならないって事ですよね。

学問は意外にきちんと知恵の集積(澱)をこれまで進めていますよ。しかしその集積を理解するにはトレーニングがいるわけで、たとえばアメリカの民主(リベラル)vs共和(保守・宗教)はこの蓄積を理解しているか否か(理想の社会をどう捉えるか)と整理することもできそうです。
日本においてはリベラルは消滅しつつあるようですが…。

ネット上の情報はそれを人が鵜呑みにするためではなく、その情報からインスパイアされ知恵が生まれる可能性があるから保存されるべきだと思います。

投稿: round-t | 2005/03/03 17:28

いやあ、googleのキャッシュなんてすぐに消えちゃいますよ。
うぇぶあーかいぶなんかではかなり残りますけど、
あれも結局はほんの一部しか残りませんしね。
消えるの早いです、ネットって。

過去ログ見ろってのにしても、それを踏まえた上で今の時流に合わせてもう一度話をすることだって意義はありますし、さらにそこから発展させることだってできますし。

投稿: スープ | 2005/03/03 18:23

過去ログがあると自分のアイデアが既出かどうか、どのような点で失敗したのかというのがすぐに調べることができると思います。そうすると車輪の再開発や、すでに失敗だと判っている実験をしなくて済むので、賢い人にとっては新しいアイデアをだすための効率がよくなると思うのですが、どうなんでしょうか。意図を読み違えていたらごめんなさい。

投稿: あ。 | 2005/03/03 23:37

 ではごめん被って私も話をずらして。
 ネットでは自分が間違っていると気がつかないバカが一番強いんだぞ、で、バカであることは犯罪じゃないが、バカにバカといったら名誉毀損になるんだぞ、と事あるごとに言い歩いているんですが、自分が痛い目にあうまで、なかなか御理解いただけません。過去ログ読まないバカはちょっと違う亜種ですがけっこう強いです。

投稿: 並河 | 2005/03/04 01:21

そりゃ、資料集めの時間、資料を読む時間、資料整理に使う時間が増えすぎると、
考える時間、意見を書く時間が少なくなるから、議論を掘り下げられないってのはあるだろう。

しかし、資料があることはいいことだ。
別に、既に書いてあることを考えちゃいけないわけでも、繰り返し書き込んではいけないわけでもないし、
幅広い議論を出来るベースになるんじゃないかな。
ただ、過去ログ読んだことが他の人にわからないから、せっかく研究した偉い人の意見が反映されにくくなるかもしれないけど。
昔だったら定番の学術書とかあったけど、もっと流動的になりそうだしね。

オーソライズはいろんな取り組みされるだろうし。
あとは、GOOGLE先生+サイトオーナーの資料整理能力によって、過去ログ嫁といわれるかどうかが決まるのかな。

投稿: m | 2005/03/04 11:21

フローの各トピックには静的なのと動的なものとがあって、静的なものだけを集積するとストックになるのだが、その知識を得たい人は、動的なものに再構成しないと使えない。
武道に例えると、奥義(知)を得るには鍛錬(フロー)が必須だが、それは奥義書(ストック)に全て書いてある。でも書いてあることを理解するためには鍛錬するしかない、みたいな。
そんな私は無限循環系の与太話は大好きです。たぶん何回でも同じ話をしてしまいその度に大笑いするような気がします。

投稿: maki | 2005/03/07 22:52

ぐぐることや、過去ログ読むことで、それが自分の知識として備わったんだと錯覚してしまうことがある。
じゃあ、それが自分の中で生まれたり、良い意味で消化されたことはあったのだろうと考える。

ネット上で議論するにしても、そうやって得た情報を元にし、もっともらしく主張をする。そのほうが、論理が強調されるネット社会においては、叩かれることも少なくなって都合が良いから。
日常会話でも「わかった気になる」ってことが、多少あるくらいが普通ですけど、そういう意味ではネット上の議論はその「わかった気になる」ことが最大限に強調されて、みんながみんな「わかった気」だけで議論してる場合もあるかと思うと、ちょっと滑稽な気が。

私達の場合は、多少は考えて結論を出すことが必要ですけど、この情報がさらに膨大になってくると、「何も考えない」世代が出てくる可能性もありますね。
その考える過程が面白さを生むのに、それが無くなれば、ネットはクソつまらないものになってしまうかも?もちろん、そんなことは有り得ないと思いますけどね。

投稿: マキハラ | 2005/03/21 13:57

本題とはちょっと関係ないことでトラックバックをつけさせていただきました。

私は「過去ログ読め」って言葉は嫌いですし、過去ログを読むこともほとんどありません。
特に2chなんか一度過去ログ化してしまえばhtmlに変換されるまで、ほとんどの人間が読めない訳ですし。

ただ、ブログの過去の記事を辿るとか、スレッドの流れを把握するとかっていうことまでしない人種もいる事も事実で、そういう輩のリクエストに延々つきあうのを嫌う人たちもいます。私は私なりの見解(まとめ)を述べたりしますが。

私は、過去ログに頼るよりかは口伝で(ネットで言うなら書き込んで説明して)伝えた方がよほど分かりやすいと思いますが。


あとちょっとひとつ。
>日本においてはリベラルは消滅しつつあるようですが…。
消滅(もとい、減退)しつつあるのは左派的思想であって、民主党がリベラルを標榜しています。ただ、アメリカ的リベラルのそれには及ばない部分が数多くありますが・・・。

投稿: Spur-kee | 2005/03/26 11:45

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