オピニオン: 名誉毀損は竜頭蛇尾の時代
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色の付いたおカネの話

2005/03/30

メディアビジネスのバリューチェーン(その1)

 ベンチャーキャピタリストの梅田望夫氏がはてなの取締役に就いたらしい。こういう時にはおめでとうございますとか言うんだろうか。何と言えば良いのかよく分からないが、とにかく我が事のように嬉しいのは不思議なことだ。

 梅田氏と僕は年齢も離れているしまったく面識がないのだけれど、実は彼と僕にはある共通点がある。お互い、あるとても近しい関係だった人を心の底から尊敬していて、しかもその人から可愛がられていたのだ。しかも梅田氏がブログで書いているはてなの近藤社長に対する思いも、なぜかすごく似ている。大げさな話だけれど、何か非常に深い縁のようなものを感じた。梅田氏に精一杯のエールを送ると共に、このエントリのシリーズを僕が人生で最も尊敬していた、あの人に捧げたい。

 さて、これまで「ブログと情報強度」というタイトルで3回のシリーズを続けてきた。そして前回(その3)の最後で、メディアビジネスのバリューチェーンの中でマスメディア企業が果たす役割が大きく変化するだろうと書いた。

 今回からメディアビジネスのバリューチェーンについて、さらに突っ込んで考えてみたいと思う。そこでタイトルもそのように変えた。

 前回のエントリのトラックバックやコメント欄でいろいろな意見もいただいた。1つ1つ答えたいところだが、今の僕にはそれだけの時間と気力がない。ごめんなさい。単刀直入に話題に入りたい。

 最近、大手の新聞やテレビが(僕自身は新聞もテレビもほぼまったく見ない生活を送っているので知らないのだが)しきりにブログを攻撃してるらしい。トラックバック及びコメント欄でkagami氏が怒りまくっていたフジの「報道2001」は見てないのでよく分からないが、ネットで読めるところで言うと、産経新聞の3月18日付「産経抄」と、毎日新聞の渡辺記者による3月17日付「記者の目」あたりか。産経抄は書いた奴の署名がないのがむかつくけど。

 ネットで話題になってた頃にはまともに読んでいなかったが、今読むと主張そのものはともかくとして、ネットと新聞それぞれの機能について指摘してる部分はどちらもごくまっとうな話しか書いてないように思うが。まあ、要するにそういう事実認識を踏まえて個々の記者がどう日々の取材をするか、ということが問われてるだけなんじゃないの。むしろ問題はそっちのほうであって。

 で、思ったのは世の中の多くの人が、そこで「ホリエモンか、新聞か」みたいなゼロサムの議論に入っていくということ。このブログのコメント欄でも「マスコミとネットは別物だ」「いや、クオリティはネットが上」とか、そういう議論ばかりが繰り広げられる傾向にある。

 僕はすごく不思議だ。ホリエモンがそういう二者択一みたいなものの言い方をしてるのは確かだし、それで突っ走っているライブドアPJがなぜか斜め上の方へ走っていってしまっているのも事実。だけどもし僕らがインターネットとマスメディアの両方からうまくベネフィットを引き出したいなら、ゼロサムじゃなくてプラスサムの議論をしなきゃ。

 こういう時にはまず、混乱の元になっている言葉を定義することから始めよう。混乱の元になっているのは「クオリティ」という言葉だ。いったい、誰にとってのクオリティなのか?そして、それは具体的にどういうものか?

 前々回(その2.5)で僕は「ネット時代の情報強度とは、その情報を確からしいと判断するための思考の枠組みが開示されていること」である、というような話を書いた。情報の解釈それ自体(ex.ホリエモンは外資の手先である)よりも、その解釈を引き出す思考の枠組み(ex.外資って具体的に誰?誰が彼の行動を左右してるの?など)があれば自分で判断できるよ、というのがその言い分だった。

 でもこういう情報の与えられ方を望む人というのは、毎日ブログを好んで読むような一部のリテラシーの高い人たちだけだということを、忘れてはいけない。

 世の中の多くの人は、物理的にインターネットにアクセスできる環境を持っていても、こうした情報の与えられ方を好まない人たちだ。こういう言葉を使うとかなり語弊があるかもしれないが、ブログの書き手・読み手を「積極思考者層」とするなら、今のマスコミはそれとは違うグループ、いわば「無思考者層」に向けて情報を発信することで販売なり広告なりの収益を得ている。

 注意してほしいのは、世の中の人間が必ずこの二分法のどちらかに分類されるわけではないっていうことだ。例えば僕は、ITや経済の分野に関しては「積極思考者」に入ると思うが、ペットとかインテリアとか野球とかは何の興味もないので「無思考者」である。マスコミが流す情報をちらっと見て納得し、それ以上考えることはしない。だからそっち方面のブログも全然関心はない。

 つまり、あまり深く考えたいと思わない分野の話は適度に解釈・圧縮してくれるマスコミの情報で十分だけど、自分のこだわりがある分野についてはマスコミの勝手な解釈や圧縮は気にくわない、というのが情報の受け手側の言い分なのだろう。

 では世の中の人がそういう二層に分かれているとして、その人たちに提供すべき「クオリティのある情報」とはそれぞれ何か。言い換えれば、何をやれば「カネがもらえるか」。

netmedia ここでは、モデルを単純化して考えよう。あるニュースが発生した(ex.ホリエモン、ニッポン放送の株を買い占め!)時から、世の中にはどういう情報が時系列で発生していくか、そしてどのレベルの情報を人々は欲しがるのか。左の図を見ながら、読んでほしい。横軸がニュースの発生を0とした時間の軸、そして縦軸はそのニュースを解釈して生み出される情報の「構造化の度合い」である。一番下がただのニュースで、上に行くにつれて解釈やコメント、意味づけなどが強まる。

 最初の段階では、まず「LDがニッポン放送の株を買い占めた」という事実だけがいっせいに流れる。だがこれは(経済の分野は特にそうだが)、1刻1秒を争う特殊な人(証券市場関係者など)を除けば、ほぼ無料でネットで流れてしまう。ネタそのものを半日以上握っていられる1社だけのスクープは別だが、それ以外の第1報に過剰な力を注ぐのは、もはや経営資源の無駄遣いと言える。

 第1報が流れた瞬間、世の中に解釈されてないカオス(高い情報エントロピー)が出現する。積極思考のユーザーは「この出来事にはどういう見方があるか、どんな背景が考えられるか」を整理できる「枠組み」を欲しがり、一方で無思考ユーザーは「最終的にオレに何の関係があんのかだけ教えろ」と考える。

 これまでのマスコミはほとんどが後者のニーズだけに対応しようとしてきた。だから、取材する記者が情報を整理するのと同じスピードでニュースが解釈され、要約・圧縮されていき、最後に「要するに世の中にどういう影響があんのか」という話だけがころっとアウトプットされて終わる。この解釈された(つまりエントロピーの低い)情報は、日々のニュースに対してであればその日か翌日の新聞に載り、週末の雑誌に載り、最後に半年後ぐらいの書籍にまとめられる。

 ところが、インターネット(とGoogleとブログ)が出現すると、これとはまったく違う情報エントロピー生成のプロセスが起こるようになった。ネット上では積極思考のユーザーだけが集まって、投げ出された1次情報をよってたかって整理し、思考の枠組みを持ち寄り、そして議論の末いくつかの解釈を生み出す。このプロセスが、場合によってはマスコミよりも早く行われるようになった。時には1次情報の収集もマスコミより早かったりするから、その解釈のスピードもマスコミよりもっと速くなる。

 ただしネットの欠点は、時間の経過とともに有象無象含めて多数の人間がこのプロセスに首を突っ込むようになることだ。そうすると1人の人間が摂取しきれないほどの解釈情報があふれ返る(産経抄ふうに言えば「情報の奔流を泳ぐ」ような状況に陥る)ので、ある程度の時間が経過してしまうとマスコミより情報のエントロピーはむしろ高くなってしまう。

 これを防ぐために時々「まとめサイト」などが出現する場合もあるが、所詮ボランティアに頼っているのでいつでもどんなテーマの話題にでも的確なまとめサイトが生まれるとは限らない。

 ネットにこれだけマスコミを批判する言説が氾濫しているというのに、その中に書籍というメディアそのものを批判するものがほとんど見かけられないのは、実は「まとめ機能」で見たときにネットは書籍の足もとにも及ばないからだ。

 微妙なのは雑誌である。よほどの業界専門誌は別として、バラエティネタを中心とする総合誌になればなるほど、個々のニュースの「まとめ」ではネットの方がずっと早くて役に立つレベルに達してしまう。元職業がそっち方面だったため、今も雑誌編集者との付き合いがいろいろあるが、ネットの出現で一番その存在意義を失いつつあるのは雑誌だろう。

 個人的には、今どき中途半端なバラエティ誌にカネを払って読む人というのは、ネットで自分の関心を持ったテーマについての情報収集をするスキルさえない「知的能力の弱い人」なんじゃないかと思うこともある。これは僕の勝手な思いこみというよりは、当の雑誌を作っている編集者本人たちからため息まじりに吐露される意見でもある。

 前回(その3)のエントリで「メディア企業がこのままネットの隆盛を指をくわえて眺めるままでいたら、そのうち彼らはデジタルデバイドされたマイノリティのためのミニコミ媒体になる」と書いたのは、既に雑誌の分野でその兆候が現れているからでもある。

 こうした状況に対抗するためには、一義的には「ネットに負けない解釈のクオリティとスピード」を1次情報に付加するということを、マスコミ側が常に実現していればいいわけだ。実際にエース級の記者や著名なフリーランスのジャーナリストとかっていう人たちは、それを1人でやる能力を持っている。

 だけど、この「理想論」には2つ問題がある。1つは、マスコミに所属して記事を書いているあらゆる人間がネットを凌駕するレベルに達することは、当たり前だが到底不可能だということ。それともう1つは、マスコミに期待するエントロピー低減の「方向」が、個々の読者によって違うということだ。

 後者を分かりやすく言うと、要するに同じ無思考者の中でも、朝日のレッズぶり、産経の国粋主義、読売のナベツネイズムが気になる人とならない人がいるってことだ。もっと言えば「○○新聞の××記者の書く記事だけは嫌い」って人がどうしても出てくる。どんなに「クオリティ」そのものが高くても、「オレはそっちの方向にまとめようとするお前の価値観(思考の枠組み)が気にくわねえ」と言われれば、せっかくのクオリティには何の意味もなくなってしまう。

 このマスコミごとに違う「まとめる際の価値観」のことを、マスコミでは「編集権」と呼び、外から記事の方向性にクレームを付けようとする人に対しては、「おたくは当社の編集権の独立を侵害するつもりですか」と脅すのが常套句となっている。

 どこかの論壇ブログが「編集権なんてものはなくて、それって報道の自由って言えばいいだけなんじゃないの」と以前に書いていたように思う(追記:これも「ジャーナリズム考現学」の3月18日の記事でした)。「編集権」という概念は、実は「ジャーナリズム考現学」に書かれている通り、戦後にGHQがメディア各社を通じて報道規制を敷くための口実としたものという歴史的背景があるので、「編集権なんてやめちまえ」という言い分にもそれなりの意図があるのは分かるのだが、ことメディアビジネスのバリューチェーンを考えた時に、それを「報道の自由の中に入れてしまえ」という意見は、見当違いだと思う。

 編集権の独立は、1次情報の報道の自由とは別に、メディアのキモであり必要だ。だけど、これまでは取材と編集のプロセスは密接不可分だったがゆえに、1次情報の報道の自由と混同されて、それが各メディア(の記者、編集者、そして経営者)の独りよがりの判断でも許されてきたというだけの話なのだ。だが今、まさにネットの登場によって、「積極思考」の読者から見たその正当性をどう担保するかが強く問われているということなのだと思う。

 なんか難しい話になってきた。自分でも頭が痛くなりそうだけど、我慢して読んでくださってどうもありがとうございます。ますます続きます。では次回。

11:30 午前 メディアとネット

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Comments

これはまた良エントリですね。お疲れ様です。
確かに、書籍は旧来のメディアであるのに批判する動きはあまりない。
これも組み入れて考えたほうがより正確な議論が出来そうですね。

ひとつ質問があります。
Blogメディアでは、いったんエントロピーが減少するように書かれています。
たしかにアルファブロガー周辺だけをウォッチしていると
議論が収束していくように見えるときもありますが、
Blogメディア総体でみるとエントロピーは最初から単調増加ではないでしょうか?
最初から見当はずれな方向へ飛んでって帰ってこないBlogも沢山あると思うので。

Blog周辺の議論で思うのは、個々のBlogを見た時とBlog全体を見た時では
定性的な評価が変わってくることですね。そこで混乱が生じていると思います。

あ、多分この記事の本旨とは別なところなので、
めんどかったらスルーしてくださいw

POSTED_BY:ねなし @2005/03/30 15:00:29

マスコミとネットの対立を強調してもしょうがない。→ agree
ネット時代の情報強度とは、それを判断するための思考の枠組みの開示。→ agree でもそれって昔から当たり前のような気もしますが。ブログで便利にはなったとは思います。
上記は情報リテラシーの高いヒトだけ。既存大手マスコミはもっと広い層を相手にしている。→ agree だから、それがもう成り立たない時代なんでしょうね。ブログ、インターネットがそれを加速してるんでしょうね。総合デパート、スーパーマーケット、総合電機はビジネスモデルとして成立しなくなりましたね。マスコミ、メディアもターゲットをフォーカスしないと。
理想論は不可能 → disagree ターゲットを絞れば可能だと思いますよ。そこで質の高い記者を揃えればいいんだから。価値観についてはあって当然でしょう。これそのものが「思考の枠組みの開示」でしょ。
以上、感想です。

POSTED_BY:soulnote @2005/03/30 17:36:07

コメントどうもです。

ブロゴスフィア、あるいは2ちゃんねるも含むサイバーカスケードは、時間が経てば良い意見も出てくる反面、議論が拡散しすぎて収拾がつかなくなるというトレードオフが存在していて、トータルで見てこのネットの情報エントロピー曲線が「本当に山型なのか?」というところはもうちょっときちんと見なければならないところです。特に、山型だとしたらその「ピーク」を高く、早く作るにはどうしたらいいのか、といったことは。>ねなしさん

ターゲットを絞れば理想論は実現可能、というご指摘。さすがです。次回のために取っておいたネタを次々見抜かれますねえ。_| ̄|○>soulnoteさん

POSTED_BY:R30@管理人 @2005/03/30 17:57:16

エントロピーってどういう意味で使っている言葉ですか?
それが、わかれば、R30さんのエントリーを理解できるような
気がするのですが。

POSTED_BY:四十九次 @2005/03/30 18:40:14

面白いエントリーをありがとうございます。
TBさせていただきました。(※ブログのシステム工事のため3/30の21;00〜4/1の09:00までアクセスできなくなります。)

ブログのメリットをうまく既存マスメディアが利用して行くのが大事なのに、けんかしてちゃダメだと思います・・・

POSTED_BY:p-style @2005/03/30 18:50:03

ワシャァ、感覚波じゃけん、R30チンが混乱しているのは、感じたぞ。

長いのを書くときは、小見出しを入れてくれ。

POSTED_BY:野猫 @2005/03/30 19:47:58

ブログマンセー論に対する疑問について思いあたったので投下。
エントリーと筋が違ってる気もするが匿名の俺様が気を使うことでは無い。

ある事柄の追加情報の告知、肯定、反論の応酬が容易である点においてネットのコミュニティが有利であるのは認める。しかし何が引っかかっていたかというとその話題に注視する強制力がネットの掲示板なりブログには無い、極めて弱いことが総意を紡ぎ出すには決定的に欠如しているということだ。
寛容なネットはオルタナティブなカテゴリでコミュニティを形成し世でははじかれる変態、キチガイ、引きこもりが落ち着くことのできる場所を提供する。しかしそれは一方で屈辱的な、自己の利益を損ねる見解を受け入れるのが適当であっても無視、事実に反した認識にふける逃げ場所を提供することでもある。

ネットの利便性は実体や実生活からかなり割り切ることのできる仮想化によってもたらされている。その現実とネットの間には戦争と戦争ゲームの違いが横たわっている。
目の前にあるパイの分割には取り分という担保を以って戦争が有効になる。ではパイが仮想化されて無限に設定できる場面で戦争することはできるのか。ブログはとめどなく、そして簡単に、例え途中からであってもゲームのテーブルを立てることのできる仕組みだ。こりゃ楽チンだが仮想パイと現実のパイの関係を定義しなければ現実の解決(パイにナイフを入れること)はできない。
まとめサイトを作る、ハブを作るというのはそれらのゲーム(議論)を取りまとめてランキング(調整)して現実との折合いをつけますかという話なのだろう。
しかしゲームは評価を受け付けない。仮想だけにリソースが無限にあって仮想上の影響は空気のように軽いからだ。一人何回でも投票できる選挙ごっこは選挙の参考にならない。手間のかかる整合性のある論理も物量に圧倒される。
その「戦争」も仮想だ。以前は2ちゃんねるで現実同様に実体のあるユーザーの感想だと誤解してフレームにショックを受けた人間も「買ってない、実際は居ない、関係ない」と他の裏付けが無ければ無視するようになっている。

マトモな議論は脆弱な紳士協定が前提だ。手段に制限が無い問題は利害が深く絡むほど顕在化する。それでもなお正面から議論するにはオープンであるかクローズであるか、匿名か実名かといった聞き飽きた話に至る。つまりまとめを自分勝手な情報の集積でなくまとめたらしめるためには現実と繋がる自分自身を担保に差し出すかどうか。
世の中は善人の方が多いので紳士協定を前提として考えても急には問題にはならないだろうが、分かる人間から分かる人間へというのは結局細分化の圧力となる。大いに期待されている一面である「現実への政治的関与」(複数の人間の利害調整)は水平展開するブログの仕組みでは考慮されるべきモノではないのではないか?
現実との関わりは何らかの担保を必要としている。マスコミは同一性ある実在する組織として権威を有し、これを担保と差し入れ閲覧者の意思決定権限に一方的にアクセスする。その権威が失われれば担保は消滅しアクセス権利も失う。
ブログは一見誰でも各人の意思決定に影響できるように見えるが実はお互い十分な代替可能性によってユーザーがアクセスする、されることを選択している為に最初から影響できていない。受け手の問題、自己責任というのは関与出来ていないことを表している。
望まないが認めざるを得ない見解を突きつけることのできる権威あるブロガー、権威ある団体、この果たす機能はマスコミと何が違うのだろう。個人情報や労力や人気といった担保が若干周囲より多いミニマスコミではないのか。そしてそれはブログスフィアとかではなくそのキーパーソンが差し出す担保の自己犠牲の上にしか成り立たないのではないだろうか。

POSTED_BY: @2005/03/30 19:51:46

亡くなったK・Oのことをおっしゃっているのですね、きっと。

POSTED_BY:Mochio Umeda @2005/03/30 20:36:14

>個人情報や労力や人気といった担保が若干周囲より多いミニマスコミではないのか。

 ということだとしても、十分意味あると僕は思います。今まではメディアと言うものを持とうとすれば多額の資本が必要でしたが、ブログでは容易にできるという点に優れていると思います。
 メディアに広い意味で競争をもたらす可能性がいいのではないでしょうか?
#ってWebページや掲示板でもできたはずかもしれませんが(^^;

POSTED_BY:ひろ @2005/03/30 22:15:02

>情報理論
横レスに横レスだが、そうじゃないだろ。
「情報エントロピー」はある程度定義付けられたタームなのでちゃんと使え、ってことでしょ?(仮にそうでなくてもオレはそう突っ込みたい)
感覚としてはなんとなく伝わるけどこのエントリで言ってるのは「情報エントロピー」では無いだろ。だから混乱してるんだろうな。
情報工学の先生も適当に使いがちだが、このエントリの文脈で言えば「解釈のエントロピー」とかになるんじゃない?
せっかくだから小倉先生のようにどんどん新語を作ろうぜ!

POSTED_BY:information entropy @2005/03/30 22:23:47

>>ひろ
言いっぱなしアジテーションでない世論形成というのでしょうか、
そういう積極的な行動のためには「敵視」するマスコミを模倣する
必要があるのではないかということです。
そうすると権威だか担保だかの体力競争になっていかないかなあと思うんですよ。
金と余暇と知性を持て余すボランティアが世に溢れているなら良いんですが。

POSTED_BY:ペ2 @2005/03/30 22:57:56

>そうすると権威だか担保だかの体力競争になっていかないかなあと

 手っ取り早いのは、すでにそういったものを持っている人に参加してもらうことでしょうね。
 実際、ぽつぽつとそんな人たちが現れているようです。
 もちろん、ブログから生まれた権威、みたいなものもできると面白いでしょうね(^^

POSTED_BY:ひろ @2005/03/30 23:47:33

さらに思いついて投下

恐らくR30氏と私の認識のギャップはメディアに対する解釈の違いにあるのだろう。氏はマスメディア、ブログを通る情報をキーとして
 ・情報という商品
 ・商品の品質
 ・商品の流通
という点から見ている。
私はマスコミ、ブログで交換されるコミュニケーションをスティグリッツのいう戦争の反対側にある政治行為とみなしていて
 ・情報という意思
 ・意思の競合
 ・競合の解決
という観点で見ている。

マスコミが毛嫌いされるのは数千万の社会を構成する人間の統一意思を発表するためで、そりゃそんな大勢の意見をすり合わせりゃ大半は不満でしょ、と思うわけだ。品質と値段の問題とはあまり思っていない。じゃあブログならこれを回避できるかといえば細切れにすれば不満は少ないだろうけどそれはその小さい社会でしか通用しないんじゃない、マスコミを代替するために同程度の行為をして現状のマスコミより不満が少なくなるとは思いにくいなあ、というわけだ。
いっそマスコミがしがらみを捨てて世にあまたあるブログを評価したりまとめたりするといいんじゃないかなあと思うんですが。

POSTED_BY:ペ3 @2005/03/30 23:53:53

ぺってカトちゃんぺか? いやそれはさておき。
で、これって担保を国みたいな大きな単位に委託して、
従来のマスコミをその間を繋ぐ中間管理職みたいなものに
しちまうことで権力のより公正な運営が実現できるのではって
話ではないのか? とかとか。

POSTED_BY:ai-n @2005/03/31 9:34:58

>>ai-n
担保の話は競合の解決には有限(可能であれば公平)な権利の範囲でないと折合いが付かないから実際に機能するルール設定には必要ですねってことです。国民全員が参加するなら国が担保するのもいいですが。
中間管理職というのはそうかも。代理人というのか世話役というのか政党だったり市民団体だったり業界団体だったり任侠組織だったり。それぞれの参加者の意思のとりまとめと確認、外側に対して提示をするわけで。今までもあったのですが。

そうすると今のマスコミの参加者ってなによといえばテレビなんかは露骨にスポンサー様ですね。担保を提供した人の意思から独立した編集権というのはその直接的な参加者の意思だけでなく間接的な参加者(スポンサーの客、消費者)である一市民、視聴者の意向を汲み取ることが相互の利益になるという知恵という感じがします。回りくどいんですがこのアクロバットを行えるから金になるのかも知れません。直接的な仕組みの市民団体はいかにも貧乏でひ弱です。直接課金のメディアも余り上手く行ってないようですし。

POSTED_BY:ペ@タダの捨てハン @2005/03/31 11:40:15

なるほど。優秀な中間管理職でいてもらうにはなにより金が必要であり、
スポンサー様的な情報の片よりもある程度折り込まれる必要があると。

で、折り込まれてもいいからもうちょっと透明性ましてくれよ、という辺りが
今の国民のニーズかもしれないと思う。
ネットジャーナリスト論などへの期待として現れてきているものとは、
今のマスコミはネットで一次情報に触れやすくなった国民からすれば
管理職風情が権力者気取りかよ身の程わきまえやがれ、
という気分なのではないだろうか。

だからまあ、ぶっちゃけマスコミどもは情報を担保する振りをして
担保しておらんではないか、と購入者の皆様がお怒りになった次第で、
新しく優秀な管理職を探し始めた先がネット君なのだろうと。

POSTED_BY:ai-n @2005/03/31 13:55:31

切込隊長も偉く難しく書いているなぁ。
でもま、読んでいて、リズムがいいので、迷っていることはわかった。

新聞って、最近は、すべて、後だしジャンケンだもの。
だから、つまらない。

ちょっとだけでいいから、未来を予測して、
それが、どのくらい着実に当たるかなんだよね。
楽しいのは。

確かにに、記事では、堤会長が、
今後入院して、今後一切裁判は延期されるかもしれないとは、
ジャーナリズムとしては書けないよね。
でも、そう書かなくても、
読者の想像力をたちあがらせて、それを感じさせることはできそう。

それに近いことをしているのが、
極東ブログかなぁ。

なんだかしらないけど、
西洋人も東洋人も、見通す力があるよね。言葉に。

POSTED_BY:野猫 @2005/03/31 15:49:24

R30さんさぁ、こういう考察、やめてくれない?
ウチらの商売のカラクリを的確に見抜きやがられてて困ります(笑)

商業的立ち位置を捨てきれない新聞業界は、ブログを取り込む方向しか生き残れないと思う。取り込み方…神奈川新聞のブログが解の一つだろうけど、他にもチャレンジの方向はあると思う。いちおう、田舎の新聞社でも機会を窺ってるヤツはいるんでね。田舎故にすぐには動かないけどさ。

なので、あんまりネタバラシを先にされると、やりにくくてしゃーない。R30と隊長はアカンよ。
まぁ、上司に「ブログってなにか」を説明するのに、ここら辺りのエントリーを資料にするって手はあるけど。

なんにせよ、続きは読みたいのでよろしく。

POSTED_BY:某地方紙勤務 @2005/04/01 0:32:48

>information entropy氏

私も最初はあやしいなと思ったけど、ちょっと考えて問題ないかなという結論に。>情報えんとろぴ

シャノンの定義だと確率事象に対して確率分布が定義されていれば幅広い応用が可能で、考えられる全ての意見を確率変数に、それぞれの意見に同意する人(あるいは個々のメディア)の割合を分布変数にとれば、まぁ情報エントロピーといえるでしょう。

ただこれを情報量とかいっちゃうと、理論的なタームの定義が世間とさらにずれてえらいことになりますよね、きっと。

POSTED_BY:ねなし @2005/04/01 1:43:30

高速セルフ突っ込み

>分布変数→分布関数

POSTED_BY:ねなし @2005/04/01 1:45:20

野猫さんを受けて…
既存メディアの片隅にいるものです。

結局思うのは、
こういう論考が語られる段階で、
なぜ既存のメディアが「ほんとうに」生き残るためには。という考察がブログ上でなされないのかが不思議でしょうがないのです。
どこの論考もブログが既存のメディアに勝っている部分をプッシュしてあるように思います…。
マスコミとネットの対立があるとすれば、
既存メディア側に立っての考察は当然必要ではないでしょうか?。(これから行われるニオイはビンビンしますがw)
まず、
メディアが真実(一時資料に対して)を語るべきものとする固定概念があり、一方、利益を追求する企業として見られていないのではないかと思います。
実際には真実として語られる事柄は記者個人の思想によって左右(それが記者以外の人物、読者・視聴者の主義主張に反しても)されるものであり、それは編集権の名の下、商業的にも、また別の個人によって選定されます。
その言説には本来、
ブログ界が打破してきた概念=R30さんがおっしゃるように「トレードオフ」を含む(個々の思想においてのカオス)の中にあり、個々の想う「クオリティの差」が存在するのですが、商業的にそれは淘汰されてゆきます。
メディアの生き残りは
ターゲットを絞ることにより可能と言われますが、商業ベースで考えると、
1紙でより多くの人が広義で共感を得る情報を提供することが結果的に読者(=購買=スポンサー=金)を多く獲得する手段になるのではないかと思います。(=編集権…ミニコミ式に思想を分散することは1社内での利益率を低下させるものと思いますので)
しかし、それは、
よりクリティカルな言説からは離れていく方向にあり、それこそがブログの既存メディアに対する
優位ではないかと考えております。
(現場を擁護すると、商業的思考が既存メディア個々の記者の足かせになっていると思います…)
さて、
「既存」のメディアが生き残るにはどうしたらよいのか?
はたまた、「既存」メディアは衰退するしかないのか?
衰退の彼方にはなにが待っているのか?

実感では、当方の周辺管理職は
ブログ?なにそれ?
という感覚しか持ち合わせておりません。
6300万人近くいる日本のインターネット人口の大半、
また、既存メディアに就業している大半は「無思考者層」なのではないかと危機感を持ちつつ、
一ブログ読者として、
R30さんの考察をお待ちいたしますw


POSTED_BY:飴市 @2005/04/01 2:35:55

>飴市さん

>なぜ既存のメディアが「ほんとうに」生き残るためには。という考察がブログ上でなされないのかが不思議でしょうがないのです。
>どこの論考もブログが既存のメディアに勝っている部分をプッシュしてあるように思います…。

それはやっぱり、情報を受け取る消費者を軸に考察するからじゃないでしょうか?
問題なのは、情報に対するニーズがどう変わりつつあるのか、そのニーズをできるだけ満たし、かつビジネスとして成り立つ仕組みはどのようなものになるのかということであって、「「既存」のメディアが生き残るにはどうしたらよいのか?」という問いの答えは、消費者の側に立った新しい仕組みを考える中で自ずと導き出されるものでしかないと思います。
仮に既存のメディアなしで新しいメディアビジネスの仕組みが成り立つとするならば、当然既存のメディアは必要なくなるでしょう。(もちろん、それはあり得ないと思いますが)

それと、
>メディアが真実(一時資料に対して)を語るべきものとする固定概念があり、一方、利益を追求する企業として見られていないのではないかと思います。
ここって実はパンドラの箱じゃないの?と僕個人は思います。メディアは企業利益より、真実の追究とそれをできるだけ公平に人々に届けることが第一だ、というタテマエを守ったほうが、大多数の人にとっては幸せだと思いますけどね。
このタテマエを本気で捨てた日にはメディアが金を発生させる仕組みが事細かに追及されて、某全国紙なんかは正式にどっかの団体の傘下になりかねない気がします。R30さんがそこらへんのカラクリ話をどこまでつまびらかにするのかは楽しみですが。

POSTED_BY:にっく @2005/04/01 4:09:34

>にっくさん

稚拙な文章を読み取っていただきありがとうございます。
R30さんが言われるとおりゼロサムしか生まない、
消費者を軸にした考察はもう語りつくされている気がしているんです。

おっしゃるとおり、メディア側に立って考察をはじめると、そこにはパンドラの箱があると私も思います。

>某全国紙なんかは正式にどっかの団体の傘下になりかねない

ことが起こるのではないかと漠然と思います。
メディアはブログに対抗するため、タテマエを捨てることになるのか?
極論、メディアの実態は広告媒体でしかないのか?
消費者が「自家発電」している(ブログ)に、
電力会社(メディア)が対抗する方法を考えてみることも切り口がかわっていいのかなと思っていたわけです。
カナロコがビジネスとして成立するかどうかも現状はよくわかりませんしw

エントリのタイトルから、R30さんがこのパンドラの箱を開けるニオイを感じて書き込んでみました。
私にはパンドラに見えましたが、R30さんが開けたらなんか中身があったのかな?と
遠足の前日の心境ですw

POSTED_BY:飴市 @2005/04/01 12:57:52

新聞業界の内部では、
本当は気がついていて、
実行しようか迷っているうちに、
ドンドン時間がたっているだけかもしれない。

ワタシは、配達される新聞のニーズは、
土の朝刊、日曜の夕刊、月曜の朝刊で、
あとはお休みでもいいのかも。
たぶん、読者の生活形態と大きく、
配達新聞は関係していると思う。

それと、ワタシは、やっぱり、
紙の方が読みやすいというメリットを生かすのもいいかも。
あのカラーの新聞って、読みにくいような…
あと、資料として、スクラップしやすく、
また、洗剤なんか配らないで、
スクラップ帳とかかなぁ。

末端組織が古すぎるということもあるかも。

POSTED_BY:野猫 @2005/04/01 16:56:03

シャノンの定義では、珍しいことを伝達することは本質的に多くの情報が送られたことになるって意味で、情報エントロピーを定義してるわけだから、情報が整理、解釈された状況をもって、「情報エントロピー」が低い、ってのはマズい罠。どちらかと言うと熱力学的なエントロピーのアナロジーでしょうかね。情報エントロピーもそうといえばそうだけど、建前では無関係なはず。
ウンコ投げるなといわないでね。

で、素人の愚問かもしれませんが、マスコミにあってブログにないもんといえば、第一に「営業」でしょ。プロと思われる人が誰もこれに触れないのは何故なんでしょう。心理的には存在しないとされているのでしょうか。故山本夏彦翁の熱心でない読者として疑問に思います。

POSTED_BY:粘着電脳研究家 @2005/04/02 2:11:35

情報エントロピーも熱力学的なエントロピーも、本質的には同じはずなんですけど、この場合にはどうにも解釈に矛盾が生じてしまいますね。難しい。

POSTED_BY:ega @2005/04/04 23:47:15

本題が始まったと思ったら頭が痛くなって終了ってことだったので残念に思いました。

POSTED_BY:hal* @2005/04/12 5:42:57

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