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2005/03/31

辞めさせる前に責任問えよ(笑)

 社外取締役ってのも、軽くなったものよのう。

 ニッポン放送社外取締役3人が辞任(NIKKEI.NET)

 ていうか君たち、それって何のつもり?ライブドアに対する抗議?それとも新株予約権発行とか、亀ちゃんが大株主に向かって「ずるい」とか非難を連発したことに対する、責任回避?…いや、それとも今後のニッポン放送の(ry

 なんつか、社外取締役がまともに機能を果たせませんでしたっていうのを証明してるような出来事ですな。別に、社外取締役のいないライブドアはどうなのよっていう声もあるとは思うけど、なんかね。情けなくて涙が出てくるですよ>ド派手ネクタイの先生

 彼らの法的な責任についてはisologueの磯崎さんあたりがきっと詳しく解説してくれるだろうと思いつつ、速報エントリ。

03:52 午後 経済・政治・国際 コメント (9) トラックバック (4)

色の付いたおカネの話

 「世界で唯一、カネだけが無色透明で、フェアな基準ではないか」といったホリエモンだが、僕は97年ぐらいからずっと「おカネに色を付ける方法」のことを考えている。

 考えている内容が自分だけの仮説のレベルでしかないので、ブログでもあまり書いてこなかった。だが、たまたま今日その絡みのニュースが2つほど上がっていたので、生煮えではあるがおカネの色のことについて書いてみたい。

 気になったニュースとは、以下の2つ。

 はてなポイント、楽天スーパーポイントへの移行が可能(CNET Japan)
 電子マネーEdyと電子マネーSuicaの優劣と将来性。(FPN)

 僕自身は、ポイントシステムというのは要するにおカネに色を付けることなのだと理解している。

 日本でポイントシステムを「色の付いたおカネ」として大々的にぶち上げて認知させた最初の企業は、たぶんヨドバシカメラだ。それまでもアニメ「ちびまる子ちゃん」などに出てくるように、ポイントサービスというのは全国の商店街などで行われていた。でもそれってたいていは買い物で集めたポイントで商店街のくじ引き抽選に参加できますよ、という程度のもので、ポイントそのもので再びその商店街で商品が買えますというものではなかった気がする。

 これに対し、ヨドバシは10%の値引きを現金ではなく自社での買い物にしか使えないポイントにすることで、(1)割引した分が自社以外の消費に使われるのを防ぎ、(2)顧客のリピート率を高め、(3)さらに現金値引きに比べて利益率を高めることに成功した。

 (1)と(2)は直感で分かると思うが、どうして(3)まで成り立つのか?と不思議に思う人がいるかもしれない。このからくりはオーソドックスなもので、知っている人は知っていると思うがちょっと解説しよう。

 カメラ・家電量販店というビジネスは、多々ある流通業の中でも例を見ないほど売上げの構成が特殊だ。買い上げ点数で見ると、売価数百円の商品が売上げの95%を占めるにもかかわらず、売上げ額で見ると売価数万円から数十万円の商品が売上げの8割(粗利益額で見ても6~7割)を占めるのである。つまり、周辺機器やサプライ(消耗品)は利益率も高くたくさん売れるが、実際の売上げの大部分はパソコンや冷蔵庫などの大きな商品から出るということだ。

 店としては、売上げと利益の大半を支える大物商品の商品説明や販売に力を入れたいところだが、数百円の消耗品もきちんと売らないと客数が稼げない。だが現実問題としては、そちらにわざわざ販売員を張り付けることは粗利の額から考えれれば到底できないというジレンマがある。

 ヨドバシは「人は張り付けられないが利益率の高い消耗品を効率よく売りたい」というこのジレンマを、ポイントで解決した。1万円の家電製品を買って、ポイントが10%(1000円)分ぐらい付いてくると、たいていの人はその場か次回来店した時にこのポイントを使って、以前に買った家電製品の予備の電池など消耗品を買ってくれる。

 だが、この消耗品は粗利率が3~5割もあるので、実際の「仕入れ値」、つまり店が客に現金で値引きしたと仮定した時の値引き額はせいぜい600円程度に過ぎなくなる。10%のポイントによる値引き率は、現金換算した場合には5~7%で抑えられるという仕掛けだ。しかも、販促の手間を掛けずに売りたい価格帯の消耗品を、わざわざ他店に優先して買いに来てくれるというおまけまでついてくる。

 このうまい仕掛けに気がついて、80~90年代に多くの専門小売店がこの方式を導入した。まあ、この流通系のポイントサービスは、実は一方で不都合な部分も多々あることが認知されて、今では廃止するところも増えてきたのだが、ここでは本筋の話ではないので省略。

 僕が思うのは、顧客側から見たヨドバシのポイントの功績とは、「家電製品の購入だけに使えるおカネ」というものが世の中に存在するということを知らしめたことではないかということだ。つまり、ホリエモンの言う無色透明な「現金」というおカネ以外に、色のついたカネが世の中に存在し、しかもそれがある種のメリットを生むということが、明らかになったんじゃないかと思う。そう言えばライブドアも同社の色付きポイントを発行していらっしゃるみたいだし。おカネに色がないなんて、ウソじゃんホリエモン。

 で、冒頭の2つのニュースに戻るのだが、そういう視点で考えた時、世の中にある様々なポイントというのはどういう意味を持って作られたものか?ということを(作る企業も、使う消費者も)よく考えることが、すごく大事だと思うのだ。

 では楽天のポイントの意図は何か?簡単である。ネットで物を買う消費者を、なるべく「楽天市場」というモールの枠内だけに閉じこめておきたい。それだけだ。

 楽天はこれまで、同社以外のネットモールで使えるポイントとの相互互換を一切認めていない。ANAマイレージとは相互互換だが、これはANAマイレージがネットショッピングに使われることがほとんどないこと、唯一競合する可能性のある「楽天トラベル(旧・旅の窓口)」での決済についても全日空との包括提携を抱き合わせるなどの手を打った上での判断だ。この点、楽天ポイントの意図は極めて明確で一貫している。

 従って、はてなとのポイント提携では、はてなP→楽天Pという一方通行しか認めなかった。このことは、恐らく「はてなが将来はてなポイントでの物販をやるかもしれない」といった可能性を考えていたからだろう。

 では、はてなポイントの意図は何なのか?これは正直、複雑だ。

 はてなポイントは当初、人力検索で答えてくれた人への「お礼」をする評価システムとして始まった。それがダイアリーの(擬似的な)有料の機能を利用するための決済用途にも発展してきた。言うなれば、ネット上でのコンテンツ(質問への答え、ちょっとした機能拡張etc.)などの少額決済を簡略化するためのポイントだったのである。

 聞くところによるとはてなのポイントの残高は数千万円を超えるまでになってきており、これはそっくりそのままはてな自身のバランスシートの負債項目(未払い預り金)に乗っかってくるので、彼らとしては自己資本比率を無意味に悪化させたくない(=なるべく現金やコンテンツなどに換金して使ってもらいたい)という考えがあったのだろう。その1つの方法が、楽天ポイントへの兌換だったのだろうと推測する(あと、楽天側がはてなをTSUTAYAにとられたくないという政治的な意図を持って提携を持ちかけた可能性もあるとは思うけど)。

 だが僕は本当のところ、この「貯めるのも簡単(答えてあげられそうな質問に答えればいい)、使うのも簡単(はてなのシステムでポチッとボタンを押すだけ)」というはてなポイントの「色」を、もっと強く意識してほしかったと思っている。日本でそういう意味の「色」が付いたおカネというのは、なかなか他に存在しないからだ。

 例えば、ダイアリーの記事の下に「このコラムが面白かったと思ったはてな会員は、下のボタンを押して50ポイントを管理人に寄付してね!」みたいな投げ銭ボタンを付けられる機能が実装されたら、僕は即座にこのブログをはてなダイアリーに移転すると思う(笑)。楽天ポイントに変えて買い物しようなんて思わせるのでなく、そういったはてなの中だけで許される遊び心のようなポイント流通の仕組みを、もっとはてなには作ってもらいたかったというのが正直な気持ちだ。

 さて、もう1つのJRのSuicaについてだが、FPNの上村氏が奈辺の意図をもってこういう記事を書いているのかよくわからんのだけど、SuicaもEdyも基本的な電子マネーとしてのチップのアーキテクチャはまったく同じ(Felicaチップ)であることは知っていて書いているようなので、要は「Suicaは早くEdyみたいな機能を持て」というニュアンスなのかな。

 逆に僕が知りたいのは、Edyってそんなに世の中で使われてるの?ということだ。いや、一応僕もFOMA買った時にEdyの登録はしましたけど、今まで1回も使ってませんよ。だってEdyで決済しなきゃいけない必要も便利さも、感じたこと全然ないし。Suicaは定期券+プリペイドカードとして便利に使ってますが(でもJRの駅のコンビニとかでもの買うのに使ったことはまだない)。

 上村氏がどのくらいこのテーマの深層を理解して書かれているのかよく分からないが、Edyの戦略というのは別にEdy単体でどうこういうレベルではなく、上に書いたようなヨドバシ型のポイントカードを単独では到底(システム投資や顧客情報管理などの負担が大きすぎて)実現できない流通企業に、相乗り型でポイントカードを作りましょうよ、そうすれば1社ごとにかぶるコストは低くなるから――ということなのである。

 でもね、僕はこれってポイントカードという「おカネの色」を無視した所業だと思うのですよ。消費者は、ポイントという「おカネ」に様々なイメージ、色を付けて自分の生活を便利にしようと思っている。店に入るとき、いちいち「ここではEdy使えるのかな?Suicaは?ANA、JALのマイレージは?」とか考えながら入るの、嫌じゃないですか。

 「JRの駅構内の決済は全部Suica」とか、「ビックカメラのお店ではビックポイント」とか、TPOに合わせて自然にポイントを使うのが、一番良いわけですよ。そういう意味で言うと、Edyってすごく供給者側の論理だと思うんだよね。

 実は他のポイントシステムを作ってる企業も、虎視眈々とEdy端末が普及するのを待っているというのが現状だと思う。でもEdyは「色付きおカネ」としての明確な便利さを消費者に訴求できるまでに至ってない。その意味では、Suicaの方がずっとうまく行っていると思うんだけど。

 あと、上村氏の記事の中の表で「Suicaに関心を持っている企業」としてマツモトキヨシが入っているんですが、本当ですかね?マツキヨって昨年まではEdyのプラットフォームに乗ると言われていたと思うんですが。いつのまにSuica陣営にスイッチしたんだ?ビックカメラが、Edyシステムでポイントカード作りながら店頭での決済端末には結局Suica入れたのを見て、Edyを見切ったのかな。真偽情報求む。

10:57 午前 経済・政治・国際 コメント (29) トラックバック (9)

2005/03/30

メディアビジネスのバリューチェーン(その1)

 ベンチャーキャピタリストの梅田望夫氏がはてなの取締役に就いたらしい。こういう時にはおめでとうございますとか言うんだろうか。何と言えば良いのかよく分からないが、とにかく我が事のように嬉しいのは不思議なことだ。

 梅田氏と僕は年齢も離れているしまったく面識がないのだけれど、実は彼と僕にはある共通点がある。お互い、あるとても近しい関係だった人を心の底から尊敬していて、しかもその人から可愛がられていたのだ。しかも梅田氏がブログで書いているはてなの近藤社長に対する思いも、なぜかすごく似ている。大げさな話だけれど、何か非常に深い縁のようなものを感じた。梅田氏に精一杯のエールを送ると共に、このエントリのシリーズを僕が人生で最も尊敬していた、あの人に捧げたい。

 さて、これまで「ブログと情報強度」というタイトルで3回のシリーズを続けてきた。そして前回(その3)の最後で、メディアビジネスのバリューチェーンの中でマスメディア企業が果たす役割が大きく変化するだろうと書いた。

 今回からメディアビジネスのバリューチェーンについて、さらに突っ込んで考えてみたいと思う。そこでタイトルもそのように変えた。

 前回のエントリのトラックバックやコメント欄でいろいろな意見もいただいた。1つ1つ答えたいところだが、今の僕にはそれだけの時間と気力がない。ごめんなさい。単刀直入に話題に入りたい。

 最近、大手の新聞やテレビが(僕自身は新聞もテレビもほぼまったく見ない生活を送っているので知らないのだが)しきりにブログを攻撃してるらしい。トラックバック及びコメント欄でkagami氏が怒りまくっていたフジの「報道2001」は見てないのでよく分からないが、ネットで読めるところで言うと、産経新聞の3月18日付「産経抄」と、毎日新聞の渡辺記者による3月17日付「記者の目」あたりか。産経抄は書いた奴の署名がないのがむかつくけど。

 ネットで話題になってた頃にはまともに読んでいなかったが、今読むと主張そのものはともかくとして、ネットと新聞それぞれの機能について指摘してる部分はどちらもごくまっとうな話しか書いてないように思うが。まあ、要するにそういう事実認識を踏まえて個々の記者がどう日々の取材をするか、ということが問われてるだけなんじゃないの。むしろ問題はそっちのほうであって。

 で、思ったのは世の中の多くの人が、そこで「ホリエモンか、新聞か」みたいなゼロサムの議論に入っていくということ。このブログのコメント欄でも「マスコミとネットは別物だ」「いや、クオリティはネットが上」とか、そういう議論ばかりが繰り広げられる傾向にある。

 僕はすごく不思議だ。ホリエモンがそういう二者択一みたいなものの言い方をしてるのは確かだし、それで突っ走っているライブドアPJがなぜか斜め上の方へ走っていってしまっているのも事実。だけどもし僕らがインターネットとマスメディアの両方からうまくベネフィットを引き出したいなら、ゼロサムじゃなくてプラスサムの議論をしなきゃ。

 こういう時にはまず、混乱の元になっている言葉を定義することから始めよう。混乱の元になっているのは「クオリティ」という言葉だ。いったい、誰にとってのクオリティなのか?そして、それは具体的にどういうものか?

 前々回(その2.5)で僕は「ネット時代の情報強度とは、その情報を確からしいと判断するための思考の枠組みが開示されていること」である、というような話を書いた。情報の解釈それ自体(ex.ホリエモンは外資の手先である)よりも、その解釈を引き出す思考の枠組み(ex.外資って具体的に誰?誰が彼の行動を左右してるの?など)があれば自分で判断できるよ、というのがその言い分だった。

 でもこういう情報の与えられ方を望む人というのは、毎日ブログを好んで読むような一部のリテラシーの高い人たちだけだということを、忘れてはいけない。

 世の中の多くの人は、物理的にインターネットにアクセスできる環境を持っていても、こうした情報の与えられ方を好まない人たちだ。こういう言葉を使うとかなり語弊があるかもしれないが、ブログの書き手・読み手を「積極思考者層」とするなら、今のマスコミはそれとは違うグループ、いわば「無思考者層」に向けて情報を発信することで販売なり広告なりの収益を得ている。

 注意してほしいのは、世の中の人間が必ずこの二分法のどちらかに分類されるわけではないっていうことだ。例えば僕は、ITや経済の分野に関しては「積極思考者」に入ると思うが、ペットとかインテリアとか野球とかは何の興味もないので「無思考者」である。マスコミが流す情報をちらっと見て納得し、それ以上考えることはしない。だからそっち方面のブログも全然関心はない。

 つまり、あまり深く考えたいと思わない分野の話は適度に解釈・圧縮してくれるマスコミの情報で十分だけど、自分のこだわりがある分野についてはマスコミの勝手な解釈や圧縮は気にくわない、というのが情報の受け手側の言い分なのだろう。

 では世の中の人がそういう二層に分かれているとして、その人たちに提供すべき「クオリティのある情報」とはそれぞれ何か。言い換えれば、何をやれば「カネがもらえるか」。

netmedia ここでは、モデルを単純化して考えよう。あるニュースが発生した(ex.ホリエモン、ニッポン放送の株を買い占め!)時から、世の中にはどういう情報が時系列で発生していくか、そしてどのレベルの情報を人々は欲しがるのか。左の図を見ながら、読んでほしい。横軸がニュースの発生を0とした時間の軸、そして縦軸はそのニュースを解釈して生み出される情報の「構造化の度合い」である。一番下がただのニュースで、上に行くにつれて解釈やコメント、意味づけなどが強まる。

 最初の段階では、まず「LDがニッポン放送の株を買い占めた」という事実だけがいっせいに流れる。だがこれは(経済の分野は特にそうだが)、1刻1秒を争う特殊な人(証券市場関係者など)を除けば、ほぼ無料でネットで流れてしまう。ネタそのものを半日以上握っていられる1社だけのスクープは別だが、それ以外の第1報に過剰な力を注ぐのは、もはや経営資源の無駄遣いと言える。

 第1報が流れた瞬間、世の中に解釈されてないカオス(高い情報エントロピー)が出現する。積極思考のユーザーは「この出来事にはどういう見方があるか、どんな背景が考えられるか」を整理できる「枠組み」を欲しがり、一方で無思考ユーザーは「最終的にオレに何の関係があんのかだけ教えろ」と考える。

 これまでのマスコミはほとんどが後者のニーズだけに対応しようとしてきた。だから、取材する記者が情報を整理するのと同じスピードでニュースが解釈され、要約・圧縮されていき、最後に「要するに世の中にどういう影響があんのか」という話だけがころっとアウトプットされて終わる。この解釈された(つまりエントロピーの低い)情報は、日々のニュースに対してであればその日か翌日の新聞に載り、週末の雑誌に載り、最後に半年後ぐらいの書籍にまとめられる。

 ところが、インターネット(とGoogleとブログ)が出現すると、これとはまったく違う情報エントロピー生成のプロセスが起こるようになった。ネット上では積極思考のユーザーだけが集まって、投げ出された1次情報をよってたかって整理し、思考の枠組みを持ち寄り、そして議論の末いくつかの解釈を生み出す。このプロセスが、場合によってはマスコミよりも早く行われるようになった。時には1次情報の収集もマスコミより早かったりするから、その解釈のスピードもマスコミよりもっと速くなる。

 ただしネットの欠点は、時間の経過とともに有象無象含めて多数の人間がこのプロセスに首を突っ込むようになることだ。そうすると1人の人間が摂取しきれないほどの解釈情報があふれ返る(産経抄ふうに言えば「情報の奔流を泳ぐ」ような状況に陥る)ので、ある程度の時間が経過してしまうとマスコミより情報のエントロピーはむしろ高くなってしまう。

 これを防ぐために時々「まとめサイト」などが出現する場合もあるが、所詮ボランティアに頼っているのでいつでもどんなテーマの話題にでも的確なまとめサイトが生まれるとは限らない。

 ネットにこれだけマスコミを批判する言説が氾濫しているというのに、その中に書籍というメディアそのものを批判するものがほとんど見かけられないのは、実は「まとめ機能」で見たときにネットは書籍の足もとにも及ばないからだ。

 微妙なのは雑誌である。よほどの業界専門誌は別として、バラエティネタを中心とする総合誌になればなるほど、個々のニュースの「まとめ」ではネットの方がずっと早くて役に立つレベルに達してしまう。元職業がそっち方面だったため、今も雑誌編集者との付き合いがいろいろあるが、ネットの出現で一番その存在意義を失いつつあるのは雑誌だろう。

 個人的には、今どき中途半端なバラエティ誌にカネを払って読む人というのは、ネットで自分の関心を持ったテーマについての情報収集をするスキルさえない「知的能力の弱い人」なんじゃないかと思うこともある。これは僕の勝手な思いこみというよりは、当の雑誌を作っている編集者本人たちからため息まじりに吐露される意見でもある。

 前回(その3)のエントリで「メディア企業がこのままネットの隆盛を指をくわえて眺めるままでいたら、そのうち彼らはデジタルデバイドされたマイノリティのためのミニコミ媒体になる」と書いたのは、既に雑誌の分野でその兆候が現れているからでもある。

 こうした状況に対抗するためには、一義的には「ネットに負けない解釈のクオリティとスピード」を1次情報に付加するということを、マスコミ側が常に実現していればいいわけだ。実際にエース級の記者や著名なフリーランスのジャーナリストとかっていう人たちは、それを1人でやる能力を持っている。

 だけど、この「理想論」には2つ問題がある。1つは、マスコミに所属して記事を書いているあらゆる人間がネットを凌駕するレベルに達することは、当たり前だが到底不可能だということ。それともう1つは、マスコミに期待するエントロピー低減の「方向」が、個々の読者によって違うということだ。

 後者を分かりやすく言うと、要するに同じ無思考者の中でも、朝日のレッズぶり、産経の国粋主義、読売のナベツネイズムが気になる人とならない人がいるってことだ。もっと言えば「○○新聞の××記者の書く記事だけは嫌い」って人がどうしても出てくる。どんなに「クオリティ」そのものが高くても、「オレはそっちの方向にまとめようとするお前の価値観(思考の枠組み)が気にくわねえ」と言われれば、せっかくのクオリティには何の意味もなくなってしまう。

 このマスコミごとに違う「まとめる際の価値観」のことを、マスコミでは「編集権」と呼び、外から記事の方向性にクレームを付けようとする人に対しては、「おたくは当社の編集権の独立を侵害するつもりですか」と脅すのが常套句となっている。

 どこかの論壇ブログが「編集権なんてものはなくて、それって報道の自由って言えばいいだけなんじゃないの」と以前に書いていたように思う(追記:これも「ジャーナリズム考現学」の3月18日の記事でした)。「編集権」という概念は、実は「ジャーナリズム考現学」に書かれている通り、戦後にGHQがメディア各社を通じて報道規制を敷くための口実としたものという歴史的背景があるので、「編集権なんてやめちまえ」という言い分にもそれなりの意図があるのは分かるのだが、ことメディアビジネスのバリューチェーンを考えた時に、それを「報道の自由の中に入れてしまえ」という意見は、見当違いだと思う。

 編集権の独立は、1次情報の報道の自由とは別に、メディアのキモであり必要だ。だけど、これまでは取材と編集のプロセスは密接不可分だったがゆえに、1次情報の報道の自由と混同されて、それが各メディア(の記者、編集者、そして経営者)の独りよがりの判断でも許されてきたというだけの話なのだ。だが今、まさにネットの登場によって、「積極思考」の読者から見たその正当性をどう担保するかが強く問われているということなのだと思う。

 なんか難しい話になってきた。自分でも頭が痛くなりそうだけど、我慢して読んでくださってどうもありがとうございます。ますます続きます。では次回。

11:30 午前 メディアとネット コメント (28) トラックバック (13)

2005/03/29

オピニオン: 名誉毀損は竜頭蛇尾の時代

【偽GJニュース 03月29日 東京都】-前置きをまったくせずに話し始めてしまうが、湯川氏@時事通信が実況中継してくれていた大陸間弾道ミサイル先生と我らが子ども新聞生扉PJニュースの小田親分のバトルのことである。昨日15時に小田親分が上・中・下からなる迎撃ミサイル「ブログ時評という論理破たん」3部作の最終回を堂々完成した。

 そしてそのたった3時間後に、間髪入れず弾道ミサイル先生から「ライブドアPJへ:自ら出発点の欠陥を正すのが先だ」と題した、これまたいつもの居丈高調の反論エントリがものすごい勢いでアップされた。

 記者はたいていのパソコンの前ではお茶を噴かない冷静さを持つ人間であったが、さすがに小田親方のこの最終作品を読み終わった瞬間、17インチの液晶ディスプレーをもう少しで復旧不能の故障に追いやってしまうほどの量のお茶を噴いてしまった。記者の口から見事に大量のお茶を噴出させた張本人とは、小田親分の華麗にして荘厳なる迎撃ミサイル3部作の最後に添えられた、

*この原稿はPJ個人の見解であり、ライブドアの見解ではありません*
 の太字加工された1行である。

 弾道ミサイル先生に向かって「朝日新聞社員の~」と組織名も名指しで批判を繰り広げ、「名誉毀損」とまで大見得を切ったのなら、当然ながら小田親分は生扉を代表して言っているのだろうと誰もが思ったはずだ。まだ噂の段階ではあるが。

 なのに、最後の最後に出てきたのは「個人の見解」であったことであるよ。あーりーえーなーいー。もう君たち勝手にそこでとぐろ巻いてなさい。ママぜんぶ許してあげるから。

 記者は常日頃から弾道ミサイル先生の居丈高ぶりはブログやネットジャーナリズムとそぐわないと思って生ぬるく冷やかしてきたが、今回ばかりは単純にネットで発表する文章の持つべき最低限のロジックという点で、弾道ミサイル先生のほうに圧倒的な軍配が上がったと思えてならない。記者の「妄想」かもしれないが。

 ライブドアの堀江貴文社長は、商法上の所有権は株主のものであるが、心の所有権は拘束できないと語っていた。生扉PJの小田親分も、弾道ミサイルを迎撃するなら読者から孤立したメディアは立ちゆかないということも無縁ではないと思われることを知ったほうがいい。ソースはRなんとかっていうサイトで見たような気がするが忘れた。とにかくそういうことだ。

 ホリエモンが新風を吹かすのはフジテレビだが、記者がお茶を噴かすのは昨年末に買ったばかりの液晶ディスプレーだったことを忘れてはならない。名誉毀損はどうでもいいが、物品損壊には断固として謝罪と賠償を要求する。そしてみんなでカネの勉強を始めよう!【了】

生扉・偽GJジャーナリスト R30
この記事に関するお問い合わせ先:r30marketing@livedoor.com

01:01 午前 日記・コラム・つぶやき コメント (10) トラックバック (10)

2005/03/28

続・働く人のキャリアの作り方

 前に書いた転職話が隊長のブログで取り上げられてトラックバックとかコメント欄とかで「R30はホリエモン並みの拝金主義者」だとか、いいように叩かれた件についてちょっとコメント。

 まあ、ブログに書いたことだけが僕のすべてじゃないし、むしろポジショントーク的なものとかプライベートは伏せてたりするとかいろいろあるわけで、自分では自分のことを拝金主義とか全然思ってないけど、そういうふうに読まれるエントリを書いたことは反省すべきなのかな。よくわからんけど。

 隊長のエントリについてまとめておくと、僕が挙げた4つの役割以外に雇用流動性のほとんどない「特殊技術分野の職人」とか「企業文化の維持に従事する人」という仕事があるんでないの、ということと、人の評価っていうのはスキルやキャリアよりもその人物の「人間としてのこだわり」の何かではないの、ということかな。

 エントリでは書いていなかったけど、専門的な技術・技能を持つ職人というのは、僕の雇用流動化論の枠内には入らないと思っていたし、事務系でもやはり「仕事そのものは大したことやってないように見えるが、存在そのものが企業文化である」ような人というのはいるわけで、そういう人は確かに動けないものかもしれない。でも正直、そのへんはあまり具体的な実感が沸かないんだけどな。

 そもそも企業文化なんてのはバーチャルなわけで、業種業界といった下部構造に規定される部分もないわけではないけれど、ほとんどはその企業のマネジメントや社員の中で規定されたルールに過ぎないんじゃないかと。だとすればそれに自分の人生としての半分を賭けてしまうのはどうよ、と思ったりもする。人事屋みたいに、沈む直前まで船長と運命をともにするのが一種の職務上の倫理であるような職種というのは、一定数あるとは思うけどね。

 ただ、それ以上に隊長と僕の考えの違いの生まれる大きなポイントはと言えば、隊長はやっぱり雇う側として発言してると思うし、僕は雇われる側としてものを言っているという、立場の問題だと思う。

 だって、例えば僕が「やっぱり企業は終身雇用を保証すべきだ。俺にやりたいことをやらせて安定雇用せよ」って言ったら、こんなご時世にそんなに虫の良い話あるかいな、この大企業で脳のふやけた不良債権社員めが!と誰もが思うだろう。逆に隊長が「社員は1つの会社にしがみつかずに、スキルアップのためにも渡り歩いてほしいわけです、ていうかそこのお前仕事中に遊んでんじゃねえよ派遣に変えるぞこの野郎」とか言ったら、極悪非道経営者!お前みたいな奴らが経営者だから俺たちは苦しんでるんだよ氏ね!って思うじゃないですか。

 つまり社員は会社を思うがゆえに「いつ会社のために腹を切れと言われようとも覚悟はできております」って言うのが社員だし、経営者は社員を思うが故に「君たちの苦しみは私の苦しみ。どんなことあっても私が一生面倒見るから、後顧の憂いなく働いてくれ」と言うのが経営者だよな、っていうだけの話かと。どっちも現実にはそうじゃない人が圧倒的に多いけど。それが武士道、それが建前というものです(笑)。

 建前は建前で美しくなきゃいかんのだけれども、それと目の前の現実とを混同すると、挙げ句の果てにコクドの総務部員や西武鉄道の小柳社長のようになってしまう。

 別にあのレベルじゃないにせよ、企業というのはその一挙手一投足で常に誰かしらを犠牲にしているものだ。100%の従業員や利害関係者の意向を満足させることができないのは当たり前といえば当たり前なんだが、自分がこのたびその犠牲の対象者と相成りましたってことに気がついて初めて「そんなはずじゃないだろ」とかいくら叫んでも無意味。勝手に建前と現実を混同させていた自分が悪いんだから。世の中そんなに甘くないよ。犠牲に祭り上げられる前に自分の行動を変えなきゃ意味がない。

 そういう、建前と現実を区別するための知恵みたいなもんをちょこっと書いたのにそれを「物象化論」だとか「拝金主義」だとか言われるとかなり頭に来るわけなんだが、まあそう思う人はそれでいいよ。建前に身を捧げて一生を終えられる境遇の人は幸せだと思うし、そういう道を自分から選んだ結果どこかで間違ったりして絶望することになっても、まあそれはその人の自由だし。いわゆるひとつの自己責任。

 むしろ隊長や僕のようなレベルの議論というのは、世の中のもっと別の世界の人々から見れば極楽とんぼのようなものだということの方が重要な気がする。例えばid:ueyamakzk氏のブログの3月25日のレポートなんかを読んで、そういう選択の自由さえ与えられない層の存在に、胸が潰れそうになるわけだよ。請負で働く35歳月給7万円のフリーターに「建前への奉仕か、現実を直視した自己研鑽か」みたいな問いの投げかけは、まったく無意味だ。

 討論会の記録そのものが、何人ものはてなダイアラーの出席者によって様々にレポートされているところが非常に興味深い(このレポートの翌日の日記に、参加者の感想をまとめた感想が記されている)。正社員として月収25万円もらう代わりに月100時間サー残して自分の体と精神と家庭生活をぶっ壊すか、それとも契約・派遣になって健康とプライベートを確保する代わりに月収7万円の生活保護以下の貧困を受け容れるのか。その究極の二者択一を迫られる人々が同じ日本の国の中に何百万人いるという現実に、僕は言葉を失う。

 個人的なことを言えば、経済誌記者としての最後の数年、僕は世の中一般にはやし立てられる好業績企業、急成長企業などに、ほとんど何の興味も持てなかった。特に流通サービスの世界ではそうだが、そういう企業はほぼ例外なく従業員のほとんどを契約・パートで賄い、露骨な労働搾取の結果の上に成り立っているからだ。

 いくら株主の利益になるからといって、同じ日本人の生活をそこまで踏み台にして企業が成長を希求することが、許されて良いのか。単純にそれを「おかしい」と思う感覚を、しかし職場の中で公然と記事に書くことは許されなかった。

 だから最後の1年ぐらい、僕はなるべく「それほど人目につかないが、社員や顧客が賃金を受け取って労働する、ものを買うという以上の何かにハッピーな関係を見出している企業」ばかりを意図的に取り上げるようにしていた。

 その取材経験から言えば、工場でも物流センターでも量販店でも、どんなに低廉な人件費が必要な分野でも、マネジメントに「従業員を幸せにしたい」と願う正しい心とそれを実践する知恵と勇気があれば、その会社は適切なコスト競争力を持ちながら、従業員に体も精神も壊さず、家族を幸せにする仕組みを作れる。

 そのためには、正しい心と知恵と勇気を持ったマネジメントに、素早い意思決定を下せる権限を与えてしまうことが必要になる。というか、そういう企業においては変化のスピードが競争力の1つにもなるから、労働組合を持つ動きの鈍い企業と同じ水準に落ちた瞬間に、社員の幸せと企業としての競争力の両立が不可能になる。つまり、建前論で話が延々と堂々巡りし、無為に時間を浪費させる頭の悪い労働組合は存在しないほうが良い。

 そこには、従業員の雇用環境を守るのが役割のはずの労働組合が、結果的に企業経営の仕組みの中で企業が従業員の雇用環境を守りつつ競争力を持って生き延びることを不可能にする最大のリスクファクターになってしまうという矛盾がある。

 id:ueyamakzk氏によれば、フリーターの問題は情報収集(当事者たち)と賃金闘争(支援する労働組合)の2つしか解決法が提示されていないようだが、社会化されている問題である以上はマネジメントの改善という第3の方法があり得るのではないか。どうやって?という問いに、僕もまだ答える術がないけれど。

 ただ、少なくともそういう思いを持った企業経営者の絶対数を増やさなければ、今の日本の「働く」ということの建前と現実の二極化の解決は、永久に不可能なんじゃないのかな。話がスキルやキャリアから逸れてえらくシリアスな話になってしまい、オチも何もありませんが。

08:03 午前 経済・政治・国際 コメント (14) トラックバック (9)

2005/03/25

【ヲチ総括】経営は1人ではできない

 昨晩の発表と大混乱の中、いろいろなブログがいろいろな意見を発表されていたようですが、R30は今回、冷静にお勉強させていただいたうえで総括コメントを述べさせていただきます。うわっ、最強の後出しじゃんけん(笑)

 切込隊長ブログのコメント欄で既にかなり分析がされているが、SBIが絡んだスキームが「孫社長とは関係ない」という北尾吉孝SBI社長のコメントは、まあ「ウソではない」ことだけは事実だろう、と(何だこの表現w)。

 端的に言えばCXグループが用意したうまい棒25億本を使って、まさに今日確定したLF保有のCX株の議決権をライブドアからうまく逃がすスキームを作ったわけで、さすが日本におけるM&Aの教祖様、北尾先生(笑)だけのことはある。あ、ここあくまで皮肉ですよ皮肉。

 これで少なくともライブドアがLFを傘下に入れたとしても、そのCX株保有分を利用しつつCX本体へのLBOを仕掛けるなどの荒技は、使えなくなってしまった。ライブドアが貸株契約の法的差し止めを求めて訴える可能性もあるだろうが、SBIの作った合弁会社は求められればLFに対して貸株の運用利息は払うつもりだろうし、たぶん裁判で勝つことはできない。ま、どちらにしろ既成事実として今年のCXの株主総会でLFの持分の議決権がライブドアによって行使されることはなくなったと考えて良いだろう。

 一方LFそのものがライブドアの傘下に入ったかどうかはまだ分からないわけだが、とりあえず彼らが占領軍(役員)を送り込んでくれば、前から宣言していたようにCXグループは一切の取引関係をうち切ることはできるわけで、LFは単体で赤字会社になってしまうだろう。課題として残っているのは映像や音楽の著作権を集めているポニーキャニオン株の行方だが、まあこれなどは6月のLFの株主総会の議案にライブドアがどんなものを出してくるかによって対応を決めればいいので、急ぐ必要はない。

 つまり、CXとしてはライブドアに対してLFの「赤字」を人質にして役員や社員を守ることができるようになったわけで、逆に言えば単独で赤字を解消できるめどをつけてからでなければライブドアも役員を総入れ替えするなどの荒技に出るのは無理になった。言うなれば、総会で「増配しろ」と吠える村上ファンドと同等以上のことは、もうできないということだ。

 今回の一連の騒動はいろいろな人との会話の中に出てきたが、2月以来の情報交換の中で僕なりに感じたのは、堀江貴文という男がフィナンシャルな部分できわめて才能のある人であるというか、数字をかぎ分け、利益の出所を見抜き、ムダなコストを潰すことにかけてはある種の天才だったんだろうなあということだ。

 ただその一方で彼に決定的に欠けている能力というのもあって、それはそうしたフィナンシャルな合理性というものが時にどれほど人の神経を逆撫でするかとか、実際の日本の大企業においてはフィナンシャルな合理性を何重にもオブラートにくるんで差し出さなければ絶対に受け付けてもらえないものであるということを、理解できない人なんだろう。経営のタームでいうと、「マーケティング・コミュニケーション」の能力が抜け落ちてしまっているということか。

 さる投資銀行の人が「彼は非常に頭がいい男だ。マスメディアに対してはフカシやブラフをかませたりするが、投資家の前ではとても正直だ。そしていろいろなことがよく分かっている。だが残念なのは、あの規模の会社はもはや天才1人では経営できないということだ」と話しているのを聞いた。

 今回の騒動を総括するとすれば、この言葉に尽きるのではないか。堀江氏の周りから、これまでにもおびただしい数の有能な人材が、実にささいな理由で去っていった。それは彼が、事業の判断をフィナンシャルな合理性のみで決めようとし、社内の人間に対しても「誠実なコミュニケーション」というものを使って来なかったからだと思う。

 あと、もう1つ思うのは、これは隊長なども何度も書いていた話だが、彼はマスメディアというものの「本質」は分かっていたのかもしれないが、「使い方」は分からなかったんだろうなということ。

 うーん、「本質」という言葉はちょっと違うかもしれないな。これもある人から聞いた話だが、個人的に、日本のITベンチャーと呼ばれる企業の経営者として、メディアビジネスというものに一番興味を示し、一生懸命勉強していたのはたぶん堀江氏だったと思う。

 この点に関しては、僕はやや世代論的なものを感じる。今の40代以上の経営者は、コンテンツの何もないところにネットのビジネスを作ってきた人たちが多くて、だから彼らは「ネットにリッチなコンテンツなんか要らないんだ」という言葉を、今も繰り返し繰り返し唱えている。楽天もソフトバンクも、プロ野球に乗り出したのは「会社として一流である」という権威と財界入りのパスポートが欲しかっただけで、別に野球をコンテンツとして自社のビジネスに生かしたいといったつもりは毛頭なかっただろうと推測している。

 そういった先達に比して、堀江氏はむしろこの点においては「ネットのコンテンツを見ながら育ってきた」世代だけに、ネット発のコンテンツやメディア事業に対してもっといろいろな夢というか期待を持っていたのではあるまいか。

 ここからはいささか僕自身の希望的な読みになるが、彼は先輩世代の起業家がわざと無視して通り過ぎてきたメディア分野が、日本という国の最後に残る巨大な「構造問題」だという意識を持っていたに違いない。そして自分がこれまでやってきたフィナンシャルな能力を、この"ムダ"の塊のような分野の改革に生かせたら…といったことを思い描いていたのではないか。恐らく、そうした彼の思いが自然と伝わっていき、メディア業界の構造変化の必要性を一番感じている団塊世代や団塊ジュニア世代(=ネット住人の主要構成員)からの期待を一身に集めてしまった部分もあったのだろう。

 だがメディアの楼閣の最上階に居座る爺さんたちの目には、堀江氏の主張する経済合理性は「脅威」としか映らなかったのだろう。いや、それも含めて堀江氏はマスメディアに、自分の考える経済合理性を「オブラートにくるんでばら撒かせる」のに失敗したんだと思う。その意味で、彼はメディアビジネスのビジネスとしての「本質的価値」は見抜いていただろうとも思うが、自分がビジネスを遂行していくうえでの「利用の仕方」は知らなかったと断言できる。誰か、ライブドアの広報担当に、メディア懐柔に長けた老獪な「スピンドクター」(ソフトバンクにおけるH氏のような)を1人、おいておくべきだった。そうすればもう少し事態は変わっていただろう。

 まあ、終わったことをとやかく言っても仕方がない。ライブドアはLF株が上場廃止になる前に、誰かに引き取ってもらわなければならないだろう。CXは永久に取引に応じるつもりはないだろうし、他のはめ込み先も見つからないだろうから、市場で大損失を出しながら売却するしかないのではないか。今回の騒動のもう1つの教訓があるとすれば、買収戦を仕掛けるときにはやれ産経を経済紙にするだのラジオでPodcastingだの本体をLBOだのと、マスコミの前で手の内をべらべらしゃべらないことだ。せっかくの落とし所の可能性を自らどんどん潰していくあの様子だけ見ていても、堀江氏は「マーケティング・コミュニケーション」の能力が欠如していると強く思った。

 あと、今回最も驚いたのは、トヨタの奥田会長という、第二日本政府とさえ言われる超巨大企業の頂点に立つ人物があれほどまでに堀江氏の肩を持ったことである。トヨタという企業の、ある種の"日本離れ"した徹底的な合理主義と、経済界とメディア界の間に存在する目に見えない"溝"が実は相当に深いものであるということとを改めて実感することになった。つまり、マスコミにとって文字通り最大のスポンサーだったはずの人物が、マスコミの現状に強い不満を持っているということがはしなくも露わになったというわけだ。このことは、今後の日本のマスコミの業界再編のゆく末を考える上で、見逃せない伏流になっていく気がする。

参考:切込隊長ブログ「お金があっても手に入らないもの」(2004年11月3日)

(3/26 22:10追記)北尾氏は、ポニーキャニオン株を「公開を前提にSBIとフジの合弁ファンドで20~30%引き受ける予定」と日経にコメント。今の段階で打ち手を見せるってことは、ポニー株までは絶対に影響が及ばないことを見越したうえでの余裕の防御表明と取るべきだろう。つまり、その前に何枚も鉄壁があることを、暗に示したのと同じ。ホリエモン、無念。

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2005/03/24

ブログと情報強度(その3)ローエンド破壊されるマスコミ

 せっかくだから気分が勢いに乗っているうちに書いてしまおう。情報強度の話、3回目である。

 ところで僕が「情報強度」という言葉を思いついたのは、国際政治の分野で、イラク戦争のような一国の正規軍同士の正面衝突である「戦争」に対して、ゲリラによる散発的な銃撃戦とかを「低強度紛争(Low Intensity Conflict)」と呼ぶことを思い出したからだ。

 ブログって、既存マスメディアという「正規軍」に対する「ゲリラ」みたいなもんだというイメージがあるんだよね。なんか、ひょろひょろした頼りなさげな民兵みたいなやつらがパラパラと沸いては消え、沸いては消えして物陰からエアガンでピシピシ狙撃してくるみたいな。

 既存のマスコミや識者な人たちは、パチンコ弾があさってを向いてる初めの頃は大して気にもとめなかったんだけど、そのうちやたら自分たちの顔に弾がピシピシ当たるようになって、なんか当たり所悪かった奴が突然「炎上」とか言って倒れたりして(笑)、「このクソ愚民どもめが!」とか怒鳴りつけたりもするんだけど、そのうちますます狙撃兵の数が増え始める。武器は相変わらずエアガンなんだけど(笑)。

 で、ささいなミスにいちいちパチンコ弾を撃ち込んでくる狙撃兵に神経を消耗するうちに、気がついたら陣地の外堀も埋められ、柵にもはしごが掛けられて、ひょろひょろ兵が陣地内をうろちょろするようになってた、とか(笑)。ゲリラ兵をバカにしちゃいけません。LICの始祖たる毛沢東も言っているじゃないですか、「敵を我々の領内に誘い入れれば、我々は弱くても四方から敵を取り囲める」と。

 なんかこれってブログそのものだなーと思って、それで「情報強度(Info-Intensity)」という造語をでっちあげてみたんだけど、最近もっとこの事態を説明する直接的で良い言葉を見つけた。技術経営(MOT)の分野では知られた「ローエンド破壊」という言葉だ。『イノベーションへの解』の中でクレイトン・クリステンセンが唱えた概念で、昨年6月頃にちょっと話題になったので知っている人もいるだろう。

 ローエンド破壊という言葉を分かりやすく説明してくれているのは、CNETの渡辺氏のブログの昨年5月26日のエントリ「ローエンド破壊の進むプリンタ市場:Dell vs HP」である。デルは「ローエンド破壊型イノベーション」を、米国でも日本でもクリステンセンのセオリーに忠実に実行し、ものの見事に競合企業(米国ではHP、日本ではセイコーエプソン・キヤノン)の当初の予想を裏切って大成功した。

 この記事に書かれてない部分を含めて、少しその戦略の解説を補っておこう。デルが家庭や小規模オフィス向けのインクジェット&レーザープリンター市場に参入したのは、米国で2003年、日本は2004年のいずれも前半からだ。商品そのものは、低価格プリンターメーカーとして名を馳せているレックスマーク・インターナショナル(本当の生産は船井電機)によるOEM(相手先ブランドによる製造)品である。

 HPのフィオリーナ会長(当時)も述べているように、デルのプリンターには機能面で何ら新規性は見られず、「ただ他のメーカーの格安プリンターにデルのロゴをつけて売っているだけ」と誰もが思っていた。日本でもエプソン、キヤノンは当初まったく同じ反応を示していた。つまり、ハナからバカにしていた。

 ところがふたを開けてみると、デルのプリンターは圧倒的な勢いで売れ始めた。デルのパソコンは米国で市場の33%を握る。このユーザーが、こぞってプリンターもデルから買い求めはじめたのだ。米国では既に四半期シェアを20%台に乗せたという話も出ている。

 日本でも昨年から同じことが起きている。日本の場合、国内市場でのデルのパソコンのシェアはまだ10%だから、米国に比べてその影響は小さめではある。それでもこれまで10年以上キヤノンとエプソンの2社以外でインクジェットプリンター市場でのシェアを2ケタに乗せたメーカーはなかったのだから、もしデルが日本でパソコン同様にインクジェットプリンターでもシェア1割を取るようなことになれば、大変なできごとには違いない。

 HPやキヤノン、エプソンとデルの、いったい何が違ったのだろうか。製品そのものはどう見てもデルより他社の方が品質は上だ。デルが悪いというわけではないが、製品だけ見てもデルをわざわざ買う必然性は見あたらない。

 違っていたのは、その流通とサービスサポートだ。プリンターの故障を経験した人なら分かると思うが、ちょっと面倒なトラブル(たいていはプリンタドライバーとかソフトの問題)だと、メーカーのサポート窓口に電話で問い合わせても「それはお客様のパソコンに問題があると思われますので、パソコンメーカーにお問い合わせください」という返事しか返ってこないものだ。

 だいたい家でプリンターを使う時は、年賀状印刷など休日作業でしかも今日明日中に済ませてしまいたい用事である。いちいち月曜日まで待ってパソコンメーカーに問い合わせているヒマはないので、電話口で怒髪天を衝くことになる。ちくしょう、二度とお前のとこの商品なんか買ってやるか。

 デルはこのすき間を突いた。プリンターには何の変哲もないが、変哲があるのはパソコンとデル自身だ。デルのパソコンにはプリンターのドライバーなども一通りインストールしておき、どんな問い合わせにもパソコンとプリンター一緒に対応できる。ついでにインクも切れかけたら表示が出て、デルの通販ですぐに買える。この便利さが「たかがプリンターに余計な時間をかけたくない」という顧客の気持ちをつかんだわけだ。

 要するに「ローエンド破壊」とは、単に超低価格な商品を出して既存のライバルを出し抜くことではない。低価格品でもいいということは、その商品そのものにはもはや誰も特別な機能や価値を求めていない、つまりコモデティだということだ。

 コモデティ化した商品の価値は、「必要な時に、正確に届く」「使うのが面倒くさくない」「他のもっと魅力的な商品と抱き合わせで手に入る」といった、デリバリーやアフターのプロセスで生じる。インクジェットプリンターはもうコモデティだと見切ったデルが、大した広告宣伝もせずにインクジェットプリンター市場への参入で成功を収めたのは、まさにこのプロセスの付加価値化に目を付けたからだ。

 翻って、ブログを見てみよう。マスメディアの流す情報はコモデティか?たぶん、そうだろうね。どこにいても聞こえてくるし、よほどニュースに敏感な仕事をやっているのでもなければ、朝や晩に食事しながらテレビとネットをちらっと見れば、世の中のたいていの動向はキャッチアップできる。

 一方でブログの情報は、マスメディアが流すニュースやコラムに比べれば、確かにまったく取るに足りないクオリティしか持ってない。少なくとも、99%はそうだ。だが、ほとんどは「無料で」しかも「関心事のキーワードをgoogleに入れて1クリックするだけで」すぐに手に入る。1つ1つの記事のクオリティは低いかもしれないが、トラックバックなどで関連するブログをざっと見れば、少なくともそのテーマの問題点が奈辺にあるかはだいたい分かる。意見を述べている人にお礼や反論が言いたくなれば、すぐにコメントも書ける(他の魅力的なサービスと抱き合わせてある)。

 つまり、一見「レベルが非常に低い」ように見えるブログは、その実『マスメディア(特に活字メディア)』というビジネスを、着実に「ローエンド破壊」しているのである。このことに気がついてないマスコミ関係者があまりにも多い。

 では、もともとその市場の寡占を謳歌していた事業者は、「ローエンド破壊」で市場に参入してくるライバルとどのように戦うべきか?クリステンセンはその著書の中で「ローエンド破壊される市場にもともといた事業者たちが最後まで逃げずにいることは、ほとんど不可能である」とだけ書いている。それ以上の示唆はない。

 僕なりに考える方策を述べておこう。一番簡単なのは、その製品やサービスの市場の外側で決着を付けることだ。それが可能ならば、という注釈はつくものの、HPにとってインクジェットプリンター市場を荒らすデルを駆逐する最善の方法は「デルを買収し、HPの中に取り込む」ことである。実際には、HPはデルを買うことなどできないわけだが。

 ブログについても基本は同じだ。もしマスコミがブログに完膚無きまでに市場をローエンド破壊されたくないのなら、何らかの形で「自分の中にブログを取り込む」しかない。単に「これまでやったことがないから」という理由でブログの取り込みを拒否するようなメディア企業は、「EPIC2014」にも描かれたように、ニュースという市場の本流から駆逐されて、高齢者や低所得層など、デジタルデバイドされたマイノリティのためだけのミニコミ媒体に成り下がるだろう。

 すでに米国のメディア企業は、インターネットとの間の競争の主戦場が「コンテンツのクオリティ」ではなく「デリバリーのプロセス」に移ったことを認識している。これまたCNETの渡辺氏が「ジャーナリズムと資本論:フジ/ライブドアを絡めて」という3月18日の記事で書いているが、米国のメディアは全国的なニュースに対しては既に独自にニュースを取材するのをほとんど止めて、APやロイターなどの通信社に任せっきりにするようになっている。各社横並びでほとんど同じニュースを遅れじと1面トップに並べる日本の大手一般紙とは、既に感覚がかなり違う。

 また、ブログを中に取り込む動きも加速し始めた。ニューヨークタイムズがAbout.comを買収したのは記憶に新しいが、About.comはシステムをMovable Typeで構築した「ブログメディア」そのものであり、「EPIC2014」を見たNYT幹部が焦りまくったのがこの買収のきっかけだ、というまことしやかな噂さえある。

 日本のマスコミでも、今年後半ぐらいからこうした「ブログメディア取り込み」の動きがあちこちで始まりそうな気配を感じる。その時、「取材-執筆(編集・編成)-報道(配信)」というメディアビジネスのバリューチェーンの中で、マスメディア自身が果たす役割も大きな変化に直面することになるだろう。

 ライブドアのようなとんでもない新参者がどこから現れるか分からない激戦区の中で、その荒波を乗り越えていけるかどうかが、今のメディア企業に問われ始めていると言ってもいいように思う。

 気分によってはまだ続きます(笑)。では次回。

03:05 午後 メディアとネット コメント (22) トラックバック (18)

2005/03/23

カジテツもニートって、どうも政府見解らしい。

 ずっと前に冗談交じりでブログに書いたこと現実に。最近、現実が自分を一生懸命追いかけてきているが追いついてない予感(ウソ)。

 finalvent氏の日記のコメント欄でも指摘されているけど、これってなんか今の政策の方向と矛盾してないか?つまり、本当にニート=カジテツの方向でいくなら、「仕事させる」んじゃなくて「結婚して子供作らせる」の方向に向けないと、少子化対策と逆行すんじゃね?ていうか、それでもなんか政府が政策関与するって巨大なお世話っぽいし。

 finalvent氏は、「移民受け容れへの防御策なんでは」と解釈してるが、確かにそういうスジの狙いもありそうかも。まあ、カジテツの皆さんがどうなろうと、正直カジテツの親でもない私には激しくどうでもいいことですが。

02:06 午後 経済・政治・国際 コメント (7) トラックバック (10)

ブログと情報強度(その2.5)ネットという“思考の枠組み”

 前回のエントリから少し間が空いたのは、単にこの週明けに大きな仕事の締切があってそっちに没頭していたからで、ブログを止めようとか悩んでいたわけじゃない。

 ただ、昨年11月以来どっぷりネットにはまっていたのを少し変えてみようかなという気分はあって、あえて更新をサボってみた。その間にも書きかけの文章はどんどん増えていっているので収拾がつかないというか、結局書き続けてなければ気が収まらない人間なんだなあということだけはよく分かったが。

 さて、連載しますと宣言したまま放置していた「ブログと情報強度」のテーマ(ちなみにその2はこちら)だけど、既に前回のエントリにすごい量のコメントがついて、楽しいことになっている。

 最初のほうのコメントは割と「がんがれ」とか「すざけるな」とかの肌感覚なものが多かったのだけど、週末に近づいてからだんだん分析的なコメントも増えてきた。nomadさん、makiさん、ねなしさんのコメントが、僕的にはインパクトを感じたかな。

 特に、意味を説明もせずに放り出したままにしてあった「情報強度」というタームを勝手に分析してくれたねなしさんのコメントは面白い。そのあたりから話してみよう。

 ねなしさんは、情報強度という言葉を「論点に対してかけられた時間」に比例するもの、と捉えている。たぶん、「突っ込まれるリスクの少なさ」というような意味で解釈されたんだろう。他人から突っ込まれそうな点をどれだけカバーできる論拠を並べたか、あるいはレトリックを磨いたか、みたいなことを「情報強度」と考えたわけだ。

 ねなしさん的な情報強度の捉え方をする場合、もっとも情報強度が高いのは、情報発信者が当事者あるいはリアルで直接見た情報をそのまま書いた「1次情報」だろう。1次情報から離れて解釈の部分が増えれば増えるほど、情報としての強度(突っ込まれやすさ)が落ちるという説明は、確かに直感的に分かりやすい。

 だが、それでは「最も強い情報を求めるあなたには、1次情報だけを提供します」と言われた瞬間に、たぶん世の中の誰も仕事ができなくなるに違いない。ある事柄についての1次情報は、マスメディアやコミュニケーションメディアの発達によって身の回りにものすごくたくさんあふれている。普通の人間がそんなものを全部受け取っていたら処理しきれずに身動きがとれなくなってしまう。

 かくして、人は1次情報ではなく、「自分の価値判断の役に立つ程度に仕分け・要約・解釈を加えられた情報」を求める。すべての1次情報に当たるのではなく、解釈し絞り込まれた情報を受け取れば、時間の節約になるからだ。多くの人は時間を節約したいから、1次情報を適度に解釈してくれた人にお金を払ってでもそれを買う。これこそが、マスコミの収益の源泉だった。

 ガ島通信で20日にあったGLOCOMの若手研究会の話がちょこっと書いてあったが、面白かったのはその中での、「既存メディアの確からしさ」に関するガ島氏の以下のような発言だ。

すでに既存メディアは確かではない。確かなものがほしいという、願望のようなものを担保しているだけで、新しいシステムになれば誰か(ブロガーかブロガー集団、もしくは会社のようなもの)がそれを代行することになるだろう
 さすがである。逆に言えば、メディア人としてこの発見を率直に吐露してしまうほどビジネスライクに頭が良かったゆえに、彼は新聞社を辞めなければならなくなってしまったとも言える。

 ブログ界隈では既に多くの人がこの「願望」というか「幻想」の存在に気がついている(願望から完全に自由な人というのはまだそうたくさんはいないが、少なくとも自覚している人はかなり多い)と思う。いつの日か、この幻想が完全に消滅する時がくれば、その時は恐らくマスコミの収益も大部分が雲散霧消するだろう。

 実際のところ、日本のマスコミはこの「願望」こそが収益の源泉だと見定めて、これまで過剰なまでの経営資源をここに集中投下してきた。具体的に何をやったかと言えば、「偉そうな物腰でものが言える偉そうな人材を育てる」、つまり読者という信者の願望に答え、その願望を再生産して社会にばらまく人間の養成である。だから、そういう人材つまり「記者」に対してもものすごい人件費を支払い、彼ら自身にも「自分は社会を教導する役目を負う特権階級なのだ」という暗示をかけまくった。

 柄谷行人風に言えば、ここである超越論的転倒が生まれる(笑)。つまり当初は「1次情報をいちいち自分で解釈し、絞り込んで取り入れるのが面倒だから、うまく解釈してくれ」とお金を払って頼んだはずの相手(マスコミ)が、いつの間にか1次情報をよく見ずに考えついた勝手な妄想を、お金を払っている人(読者)に押しつけて来るようになってしまったのだ。つまり、今の多くの人は1次情報とはあまり直接的に関係のない「解釈の流儀」だけに、年間何万円ものお金を払っているわけである。

 とはいえ、その解釈には一応あてはまりそうな1次情報も多少くっつけられて送られてくるので、役に立たないわけではない。情報を伝えるための手段という意味では、新聞や雑誌やテレビ(NHK)は確かに便利といえば今も便利だしね。ウンウン。

 でも、インターネットという媒体が入ってくると、こうしたマスコミの存立を支える前提が全部ひっくり返る。

 まず、ネットの中には1次情報も解釈情報も含めて、あらゆる情報が無限に存在する。求めれば、既に公になっているものについては誰かが投げてよこしてくれる。少なくとも、本来は公になっているはずの情報を、ちまちまと時間差をつけてしかも膨大な妄想的(つまり一般人にとって役に立たない、あるいは事象を誤解させるため有害な)解釈をくっつけて配布するようなマスコミは、お呼びでなくなる。

 むしろものすごく必要になってくるのは、膨大な1次情報を「どうやって効率的に解釈して振り分け、受け取ればいいのか」という、これまでマスコミが独占的に資本投下して囲い込んでいたはずの、あの作法である。それさえあれば、一般の人間も1次情報を自分なりに解釈して結論が出せるようになり、日常生活や仕事に役立てられる。

 僕は、ネット時代の情報強度とは、一般人にとってあるテーマ、事象に関して「膨大に存在する1次情報を、どのような思考の枠組みで解釈し、振り分けたか」が分かり、他の解釈の方法も示され、その中で自分が「最も確からしい」と思ったものを選択できることを意味すると思う。

 例えば、人権擁護法案について考えてみよう。この法案に対して、マスコミはほとんど言及していないか、あるいは報道による人権侵害の規制に反対という文脈でしか言及していない。これでは、法案そのものに反対なの?賛成なの?と言われても、さすがに今どき、「新聞では反対って書いてあるから俺も反対」などと間抜けなことを言う人もいないだろうし、「判断のしようがない」としか言いようがない。

 それでネットを検索してみると、いろいろな情報が出てくる。「賛成か反対か」という結論はさておき、出てくる意見がよって立つ「思考の枠組み」を整理してみると、次のようなものがあることに気がつく。

  • 人権擁護委員の資格に、国籍条項がない点(在日朝鮮人などでも委員になれる!とか拉致問題解決の障害になる!とか)
  • 組織体制に関するコントローラビリティとカバレッジという点(全国に2万人の人権擁護委員を、法務省にいる数人の人権委員でコントロール・監督できるのか?とか)
  • 人権擁護委員に与えられている調査権などが、警察の持つ捜査権を超えるほど強権であるように見える点(捜査令状もないのに自宅捜査されちゃう!とか)
  • 人権擁護委員による逆人権侵害が発生した場合にどうなるか?という点
  • そもそも誰のための法案なのか?という点(人種差別撤廃条約に批准したいというのがそもそものきっかけ?とか、入管業務の話とか)
  • 報道被害に対する法的措置の是非という点(憲法の表現の自由、報道の自由とのかねあい?とか)
 で、新聞のどこを探しても書いていないこうしたことが、ネットではちょこっとぐぐるだけで、あるいは「まとめ」と題したいくつかのブログを読むだけで、ほぼ網羅できる。

 個人的に「このポイントはどうでもいいや」と思うところはすっ飛ばし、「ここは重要だな」と思うところはリンク先を読み進めたりしてさらに深く考えればいい。一生懸命反対を煽っている2ちゃんねるのようなところもあれば、冷静にそれぞれの切り口の意味を斟酌しているブログもある。そういう「視点の多様性」や「枠組みを俯瞰できるところ」というのが、一方的な解釈を押しつけるマスコミと違う、ブログやインターネットのいいところである。

 湯川氏のブログなどでも既に書かれているが、ブログというのは、1つ1つのエントリには間違いもあるし、思いつきだけに過ぎないものも多いし、どこから突っ込まれても叩き返せるマスコミの鉄壁解釈とは違う柔さがあるのだけれど、それがたくさん集まって、検索やコメントやトラックバックというかたちでネットワークを形成することで、マスコミを上回る「解釈の枠組み」の有用性が生まれるのだと思う。

 既に公になっている1次情報を、いくら記者クラブで囲い込んでも意味がない。そしてこれまで投資してきた解釈の鉄壁性の部分でも、ネットの登場とその本質的変化についていけない古い頭の人たちがのさばっていることで、想像以上に社会への影響力(つまり収益力)の劣化が進んでいる。今のマスコミの状況を簡単に言い表すと、こういうことだろうね。

 これを、共同通信の小池氏のように「年上の俺たちの言う通りに雑巾掛け仕事をしない若いやつはダメだ。文句ばかり垂れるような頭でっかちは来るんじゃねえ」とか言い放っちゃうと、ただでさえ凋落するマスコミがますます既得権益にしがみつくジジババの姥捨山化するわけですな。

 ま、別に妄想誤報を連発する共同通信に優秀な新卒学生が全然入らなくても、今どきインターネットがあるので誰も困らない。どんなビジネスであれ、世の中のニーズをつかみ損ねたビジネスは、資本主義社会の中では存続を許されないわけですし。さようなら共同通信。さようなら産経抄(笑)。

 コメントしてくださったねなしさんをはじめ、世の中の人はまだ「1次情報が最も強度があり、それに近い人が発言する解釈情報に次に強度がある」と考えていると思うが、実はそうではない。1次情報を持たない、強度の低いブログでも、個々のブログが提示する「思考の枠組み」のネットワーク的総体が、1次情報に近い人の情報強度を追い抜く可能性がある。つまり「柔よく剛を制す」のがネット時代の情報強度ですよと、こういうことが言いたかったんである。

 ちなみに、この話まだまだ続きます。では次回。

01:16 午後 メディアとネット コメント (8) トラックバック (17)

2005/03/20

オープンが、オールドタイプということなのか!

 団藤先生のブログ時評に、ついにfinalvent氏が激突。「『ブログ時評』というスタンスをもうやめたほうがいいと思う。普通のブログとまったく同じ地べたに立って、発言していくほうがいいと思う。」と、ばっさり。

 ついでに、ブログ時評のコメント欄では1月にmumurブログにガソリンぶっかけられて逆上した鮫山ネギが「ネット右翼なんて右翼じゃない。ただのゴロツキです」と、意味不明な絶賛コメントを寄せている。ブロゴスフィアを敵視するブロガー2人の美しいレゾナンス(笑)。

 さて、ますます香ばしくなってまいりました。

 団藤先生は最近、mumurや週刊オブイェクトなどの過激な街宣車系(笑)ブロガーだけじゃなくて、札幌の高田氏、猫手企画など、マスコミ関係者のブログや、むなぐるま氏など「穏健良識派」と見られるサイトからも集中砲火を受けていたので、業界関係者同士のおつき合いをどうするつもりなんかなーと思っていたが、相変わらず唯我独尊のシカトぶっこいているようだ。

 朝日新聞がカナロコみたいにブログニュースのサイト始めたら、オーディエンスのコメントをばっさばっさ削除し、反論TBには「私の築いたブログに泥を塗るゴロツキですね」みたいな放言をぶちまける超不愉快な巨大ブログ集団(笑)が突如出現するんだろうなー。その時日本のブロガーたちはいったいどうするんだろうか。

 誰かが、「『誰に対してもオープンでリスペクトを示すべき』という、絵文録ことのはとかが主張するブログのルールは所詮『オールドタイプ』なんだ」、みたいなことを書いていた気がするが、朝日とかの異論排除系マスコミが本格的にブログ界に進出してきたら、それってもうすぐリアルな話になってしまうのかも。悲しいけど、これ、現実なのよね。

 個人的にはそういう朝日的なブログというのは、いみじくも団藤先生自らおっしゃっているようにクローズドな認証エリアで展開してもらいたいというか、オープン・インターネットの世界でコメントとかTBを募集しないでいてほしいと思うわけですが。そこんとこ、どう思いますのか。

08:16 午前 メディアとネット コメント (33) トラックバック (10)

2005/03/18

ガ島さんと転職のこと

 一昨日、東京に来られたガ島通信氏と会って昼飯(カレーライス)食って茶しばいてきた。えーガ島さん、ちょー背高くて(たぶん180cmはある)ちょーイカシたナイスガイだぞ!!いや、マジで。僕が女なら目がはぁと♪になってしまうところだ。あれで独身なんか?!ありえねえ。××(彼の居住地)の女の目はみんな節穴なのか、オイ??

 というのはさておき、彼と1時間半ほどマスコミ、転職絡みのことをいろいろと話し合った。驚くほどお互いに考えていることが似ていたので大笑い。僕的には「ゴールドラッシュの横でジーンズを売る」っていう喩えにはまった。いやあ、楽しかったです。

 ま、彼の転職の真意みたいなものの詳しい中身は彼のコンテンツであるし、そのうちガ島通信で連載があると思うのでここでは語らない。その代わり、転職ということについて語ってみたい。

 1つだけはっきりしていることは、ほとんどの人が転職せずに1つの会社を勤め上げて一生を終えるという時代は、もはや終わったということなんだろうと思う。

 理由は、簡単だ。1つの会社が40年間継続して成長するなんてことはほとんどまれである、ということにみんなが気がついた。それだけのことだ。

 企業の発展は、よく軍事作戦に喩えられる。どんな事業でもその始まりから終わりまでに必要なタイプの人間とは、大きく分けて4種類だ。市場機会があると思われるところに危険を省みずパラシュート降下したり、暗闇に紛れて上陸作戦を敢行したりして橋頭堡を築く「コマンドー」、その地域に橋頭堡が築かれたら集団で上陸し、巧みな波状攻撃でもって戦力を面展開し占領する「歩兵」、そして占領された地域に入って統治し、その地域から上がる収益をなるべく豊かにする「警察」、最後に、侵攻に失敗したり撤退する時に、後ろから追ってくる敵をうまく手なずけて被害を最小限にとどめる「しんがり」だ。

 面白いことに、よほど特殊な分野でもない限り、人は勉強さえすればたいていの分野の軍事作戦をこなすことができる。生まれつき電気製品のビジネスにしかかかわれない人とか、保険以外のどんな事業をやらせても失敗する人、などというのはいない。

 だが、この4種類のうち1人の人間が2種類以上こなせる能力があるケースというのは、極めて稀だ。画期的な技術を開発する技術者が、同時に冷徹な大組織の管理の天才でもあったなどという例は滅多にない。

 どの企業にもこの4種類のタイプの人間がいるが、企業の成長フェーズによって必要なタイプの割合というのは変わってくる。生まれたてのベンチャー企業にはたくさんの「コマンドー」とごくわずかの「歩兵」しかいないだろうが、成長期にはトップ以外にも才能ある「歩兵」の右腕がいなければ会社は回らない。そして、成長の止まった巨大企業では「コマンドー」は慎重に排除され、冷徹な「警察」と場合によっては「しんがり」が、膨大な社員を操ってコストと事業展開領域をコントロールすることになる。

 戦後の焼け野原からずっと、日本の企業は量的拡大を続けてきた。つまり成長軌道に乗ったときのタイプ別社員構成をそのまま微修正程度に維持しながら、事業領域をどんどん拡大し続けることで組織を再生産してきたわけだ。それで戦後50年近くうまくやってきた。

 ところが、バブルが弾けて成長が止まってみると、この成功方程式がまったく通じなくなってしまった。いくらもがけど、本業の周辺に新たな事業拡大の余地はもうない。本当は「警察」と「しんがり」に会社の操舵を任せ、領地の統治に必要最低限の人間以外は切り捨てて新たにまったく別の方面に向けて外部も含めた生きのいい空挺部隊を編成し、侵攻させなければならないところなのに、上層部には未だ「歩兵」出身のボスが居座って、脳天気な突撃命令を繰り返している。おまけにその下には上の突撃命令に盲目的に従うことしか知らない思考停止なミドルしかいないから、本丸の裏手の「株式市場」から、ある日突然ITベンチャーの空挺隊がワラワラと降ってきても、そういうのは見えなかったんだとでも言わんばかりに明後日の方向に突撃するふりを繰り返すのをやめようとしない。

 別に城が落ちてしまっても、社員の方はと言えば、勉強さえし直せば領地を拡大している他の会社に雇ってもらえるわけだから、城とともに自分の地位や老後の報酬が決まる上層部以外は、組織そのものに執着する必要なんかさらさらない。むしろ、「警察」のつもりだった人間が、奇襲攻撃に大慌ての上層部にある日突然「明日から君は敵奇襲部隊迎撃のためのコマンドーを命ずる」とか言われても困る。そもそも本人の能力ではできもしない、やりたくもないことを押しつけられて、不幸になるだけである。

 つまり、量的拡大という大前提が崩れた瞬間に、働く者にとって会社という「殻」が持っていた意味は、根本から変わってしまったのである。

 もちろん、相変わらず成長し続けている企業だって少ないが存在はする。トヨタとかしまむらとか。そういう会社には一生勤め上げることもできるだろうし、実際のところ転職というのはそれはそれで個人にとって結構な一大事なので、転職しなくてもいい境遇というのは、ある意味で「幸せ」ではあるだろう。

 だが、別の意味では会社という枠を超えて自分の人生を自発的に選び取り、エンジョイするという快楽、スリルを味わえずに雇われ人生を終わるというのも、正直もったいないなと思う。まあ、そういうスリルや快楽が要らないという人も世の中にはいると思うので、そんな心配は余計なおせっかいだろうけど。

 ただ、継続的に右肩下がりの、つまり既に保有する領地さえうまく統治できないような会社というのは、よほどの手腕がトップにない限り、社員を幸せにすることはできない。そういう会社にいる若い人は、悪いことは言わないから転職先を探しにかかったほうがいいと思う。

 転職先は、探すだけならタダである。ただし自分にぴったりの仕事が見つかるのはタイミングの問題でもあるから、納得のいく仕事を見つけるには時間をかけなければダメだ。結婚と違って、相手探しにかける時間が少なければ少ないほど、条件の悪い相手しか見つからない(結婚は逆…のような気がする)。僕も前の会社の右肩下がりが3年続き、社内でいろいろと情報収集した結果、さらに今後数年かそれ以上は悪化が続くと見切ってから転職活動を本格化させたが、それでも納得のいく転職先を見つけるのに1年かかった。

 最初の話に戻ると、ガ島さんもある意味、僕と同じようなことを考えての決断だったようだ。繰り返すが、彼と僕に共通するのは、1つの会社に居続ければ、その中で自分が必要な能力も経験も自然のうちに与えてもらえるという時代は、もう終わってしまったという認識だ。

 僕も(たぶん)彼も、前の会社が嫌いではない。むしろ精一杯愛して、自分のため以上に、会社のために働いてきた。でも、その経験から「これ以上ここにいても、この会社に必要とされている能力や経験を、僕は身につけられない」と悟ってしまったのだ。だから、会社という殻の外に出て経験を積み、能力を磨くことにしたのだ。

 こういう考えを言うと、「日本的雇用に対して何でも『米国では~』とアンチを言い張る外国かぶれ」的な目で見る人も少なくない。でもそれは全然違う。米国のマネをしてこういう結論にたどり着いたのではなく、日本の経済社会の仕組みが、あらゆる企業が画一的に量的拡大を続けるなどという戦後経済成長の特殊幻想から完全に解き放たれたというだけの話なのである。

 そんなわけで、ガ島さんにはぜひ転職してからも自分の目標を見失わずにがんばってほしいと思う。彼がまた東京に出てくることがあったら、あのルックスをエサに知り合いの女性を食事に誘うとしよう。

02:29 午後 日記・コラム・つぶやき コメント (14) トラックバック (14)

2005/03/17

ビバ!ホワイトデー(鬼嫁日記風)

 一昨日はホワイトデーだった。1ヶ月前の同じ日に比べると、世の中の大騒動(中止宣言発表、切込隊長荒れるetc.)などの度合いは全然静かな記念日である。この日本という資本主義社会がいかに今もって男性中心の価値観で回っているかが、これほど分かるイベントもない。

 ところが、ここに世の中と正反対な集団がある。R30の勤務先の会社である。うちの会社は社員のちょうど半分を女性が占める。しかも(お局様とかそういう意味ではなく)枢要なポジションを占めている人が多い。

 するとどういうことが起こるかというと、男性陣の女性に対する気の使い方といったら、もう大変なレベルである。

 ホワイトデーの前の週末に入る前、僕の上司(男性)から、僕を含めた数人の男性社員にメールが届いていた。「3月14日はホワイトデーです。女性の方々にバレンタインのお返しをしないといけないので、皆さんで相談して1人500~1000円相当のものを月曜日に人数分買ってきてください」

 入社2ヶ月しか経ってない僕は、そのメールを見てのけぞった。バレンタインデーに女性陣から配られたチョコレートというのは、おやゆびの先ほどの大きさの箱に入った、2センチ四方ぐらいの小さなトリュフチョコ2つだった。うちのカミサンの値踏みでは、「どう見ても200円はかかってない代物」である。

 そのお返しが500~1000円なのか。倍返しどころの騒ぎではない。必殺MAX5倍返しである。しかもホワイトデーの主役は、チョコレートに比べて体積当たり単価の安いクッキーである。ディズニーショップで売っている高さ10cm以上の円筒形のクッキー缶でさえ、800円ほどである。

小指の先ほどのチョコのお返しに1人1つの缶入りクッキーかよ。藁しべ長者も腰を抜かすぞ。

 一瞬上司の真意を疑ったが、まさかここで返信メールで「ボスはそんなに職場の女性が恐いんですか」とか、いちいち確かめるわけにもいかない。しかも徹底した年次主義のマスコミ文化で育った僕にとっては、上司の命令は常に絶対である。メールの宛先になった人のうち、一番入社が新しいのは僕である。とすれば、まずは黙って買いに行くしかない。

 さっそく日曜日の午前中に近くのショッピングモールに行き、こじゃれた雑貨店に行くと、白い小さなセラミックボールに入ったカワイイくまの顔の小さなクッキーが並んでいる。しかも476円。見た目よりは安い、ビミョーな金額だ。

 「お、これ良さそう♪」

 と思った僕は、ケータイで写メを上司に送った。他の先輩方から「買っときます」連絡も入ってなかったので、これで十分だろうと思い、そのまま月曜日に出社した。

 すると、月曜日に上司からメールをもらった先輩のうち、僕以外にも2人がプレゼントを買ってきていた。しかも先輩たちのは、僕の買ったのよりもさらに体積がでかい。メールの指示通り、数百円台後半ぐらいのクッキーを買ってきたらしい。

 僕「なんだ、重複してたんですか・・・(´Д`;)」

 メールを出した上司も来ていて、ばつが悪そうに頭をかいて立っている。

 上司「いやー、分散して頼んでおけば買い忘れるっていうリスクが最小化できると思ったんだよ」
 

・・・上司、そんなところまでリスクマネジメント能力発揮しなくても。

 先輩「しょうがない、全部詰め合わせて配ろう」

 そう言うと、先輩が首尾良く持ってきていた大きめの手提げ袋にみんなのもってきたクッキーを1つずつ詰め始めた。僕も手伝う。1つ1つもきれいに包装されているのをさらに包むので、

 先輩「まるで福袋かクリスマスプレゼントみたいだなあ・・・・(´ロ`;)」

 僕の脳裏にフラッシュバックする、2月に女性陣からもらった親指の先ほどのチョコ。

あのチョコのためになぜここまでやらないかんのか(。´Д⊂)うぅ・・・

 その後、3月のサンタクロースよろしく、先輩とともに大量の袋を抱えて、職場中の女性の席を1人1人まわって「2月の折はありがとうございました」と言って頭を下げながら配って回る。ここまで腰の低いホワイトデーは、生まれて初めてだ。_| ̄|○

 普通の会社の女性社員なら、ホワイトデーに男性にここまでされたら甘エビでカツオを釣ったかのように狂喜乱舞するだろうと思う。だが、うちの会社は違う。一応「わーありがとー」と棒読みの返事を返しつつ、誰もが袋の中の品物チェックに余念がない。

 そのうち1人が、僕の買ってきたセラミックボール入りのクッキーを見つけて、こう言った。

 「このクッキー、なんかかわいくない?こんな商品、××(部署名)の男性陣が見つけてこられるわけがない!(゚Д゚)クワッ」

 「奥さんの手を借りた人がいるわね!誰?」

 皆さん、そこまで言うか(汗)・・・うちの部署の男は本当はみんな心優しいんですよ、卑屈なまでに・・・(;´Д`)ノ

 僕「あ、それ、僕が買ってきたんスけど・・・(;´Д`)」

 女性陣「R30さんだったのね!奥さんが選んだんでしょ!(゚Д゚)」

 僕「いや・・・そ、その、僕が自分で・・・(´ロ`;)」

 女性陣「えーっ、ウッソー!!R30さんってこんなの選ぶ人なの?!信じらんな~い!」
 

サンタクロースがここまで言われたら、来年は代わりにブラックサンタを差し向けようとか思うに違いない('A`)

 その日家に帰ると、カミサンが家でいくつものクッキーの箱に埋もれていた。「会社でいろんな人からお返しをもらった」らしい。そう言えば管理職なカミサンは、2月には部下や上司(社長)に必死に気を使って、チョコを配りまくってたからなあ。会社用のチョコだけで5000円以上散財してたんじゃないだろうか。彼女の場合はお返しがあって当然だ。

 そのカミサンから嬉しい言葉が。「私こんなにクッキー食べきれないから、食べていいわよ。あげる」

 僕「ホント?(゚∀゚;≡゚∀゚;)じゃあ、明日1箱会社に持っていってみんなで食べてもいいかな?」

 カミサン「ええ、どうぞ」

 やった。これでおやつのエサのたしになる。翌日、僕はクッキーを1箱、会社に持っていって、誰でもつまめるようにミーティング用の机の上に並べた。

 すると、めざとくそれを見つけた人が取り調べモードに。

 女性「R30さん、それ何?」

 僕「クッキー」

 女性「そんなこと、分かってるわよ!(゚Д゚) 誰のクッキーかって聞いてるのよ!」

 僕「僕が持ってきたんだけど・・・いや、みんなで食べてもらえればと」

 女性「じゃなくて、昨日のホワイトデーのでしょ?誰がもらったもんなの?」

 僕「あ、うちのカミサンがもらったもので・・・食べきれないって言うから('A`)」

 女性「ああ、やっぱりR30さんの奥さんだったのね!じゃあ『R30の奥様からの差し入れです』って、ポストイットに貼っておくわ!(*´∀`)」
 

何が何でもR30の細やかな気遣いの賜物とは認めたくないようだ・・・(´ロ`;)ぬぁぁぁ

 3月14日は、心の底から企業カルチャーの差というものを実感した日でした。

(ちなみにこの話はいかなる現実の個人・団体・組織とも関係ありません。(´ロ`;)実録鬼嫁日記の文体のマネって、難しいねえ・・・orz)

03:06 午前 日記・コラム・つぶやき コメント (11) トラックバック (1)

2005/03/15

ブログと情報強度(その1)ブログという“公共圏”

 コメントやトラックバックは基本的に「レスしたいものだけレスする、荒らしはスルー・放置」を原則としてるのだが、最近ちょっと看過できないコメントがいくつかあったので、それについて書いておく。

 たいていの批判コメントはあまり気にならないというか、「間違いを指摘してくれてありがとー」という程度に受け止める僕なのだが、2月23日にアップしたニッポン放送の新株予約権発行は違法では?というエントリに付けられた以下のコメントには、マジでむかついた。

全然違法ではありません。 感情に任せていい加減なことを書きなぐるんではなくて、もう少しお勉強して冷静に書いてください。

投稿者: 名無し@左翼ですか? (February 23, 2005 07:01 PM)

 なんでむかついたかというと、別にあの新株予約権が結果的に裁判所でクロと出たからとか、そういう話ではない。「感情にまかせていい加減なことを書きなぐった」ブログのどこがいけないのか?ということだ。

 はっきり言おう。大手の新聞に載る文章だって、感情にまかせて書きなぐられたものが少なからずある。もちろん、一見そうは見えないように言葉遣いはお化粧してあるが、本質的に論理がむちゃくちゃなものなんて、当たり前のようにあるのですよ。

 それに対して、「すざけるなこの野郎」と、名無しの分際が出ていって対等の立場でものが言えるかというと、絶対に言えない。それがマスメディアの権威というものだ。

 このブログは、R30という筆者が好き勝手に書きなぐったものに対して皆さんがいちゃもんをつけるプロセスをすべてオープンにしているものである。右翼の名無しさんが「おめーの言ってることは全然見当違いなんだよボケ」って書いても、それはそれで意見である。僕とはブログというメディアに対する姿勢がまったく相容れないと思う某弾道ミサイルブロガーからのトラックバックでさえ、削除したことがない。コメントも、議論に全然関係ないアスキーアート以外は、これまで一切削除したことがない。

 もう1つ腹が立ったのもあったが、こちらはちょっと微妙だ。2月17日にアップした京都議定書についてのエントリに、今ごろついた以下のようなコメント

なーんか、こんななんの文責も持つ気のない人の、 ただの便所の落書きみたいな文章が 普通のニュースのページと並んでるのってすごく問題ある気がするなぁ。

投稿者: エキサイトニュース見てた人 (March 15, 2005 03:26 AM)

 便所の落書きにコメントつけてるの、あなたですが何か?とか言いたくなるが、このコメント主が本当に文句をつけるべきなのは、普通のニュースの下にブログニュースのリンクを貼るというエキサイトニュースの編集方針に対してである。R30は、1度たりとも「エキサイトのこのニュースの下に僕のブログのヘッドラインを貼ってくれ」などとお願いしたことはない。

 マスコミの文章と比べれば、そりゃーこのブログなんてウェブを巡回して知った知識と自分の浅はかな耳学問だけを元に「バカ」とか「アホ」とか言いながら書いてんだから、クオリティは比べるべくもない。だけど、文句がある人はコメントつけられるわけでしょ?

 実際、この京都議定書のエントリにはいろんな人が反対意見のトラックバックやコメントを残していってる。それを全部読めば「京都議定書が狙っているCO2削減というのは、本当のところ環境(特に温暖化防止)にどれだけ貢献するのか、誰も分からなくて、結局のところこれは欧州が作り上げた米国の覇権に対抗するための経済的権利体系である」ってことが分かるようになっている。

 それに対してさらに「いや、それは違うんだ。おまえら全員便所虫レベルの認識なんだよバカ」って言いたいのなら、ちゃんとそう言えばいいわけで。R30にだけ向かって「何の文責を持つ気もないのか」って言われても、まー僕はもともと頭が悪いですから、僕の文章なんて100%のうち10%ぐらいしか真実混じってませんよ。としか答えようがない。この世に100%の真実があると仮定しての話だけど。

 それともこのコメント主は、コメントやトラックバックを書いた他の博識な方々も含めてブログ全体が「便所の落書き」って言いたいのか?それはそれでたいそうな自信だが、そこまで頭が良いという自信があるのなら、こんなブログへコメントしに来ないでエキサイトニュースの本体だけ読んでいてくださいおながいします(笑)。

 ま、そういう話はともかくとして、最近ブログがものすごい勢いで世の中に広まったことで、なんかこのブログに求められるものもずいぶんと変わってきてるのじゃないかと不安になることが多くなってきた。

pv 端的に言って、たとえば先週1週間のこのサイトのアクセスPVは、10万を超えた。昨年の3月に前身のブログを開設して以来のPVの8分の1を、先週というたった1週間で稼いでしまっている。

 見てもらえば分かる通り、アップしたエントリは8本、そのうちニュースに脊髄反射して書いた(笑)飛ばしネタが5本、他人のブログの冷やかしが2本、生活雑記が1本。昨年12月頃のこのサイトを知っている人なら、どう見ても「薄まった」と言わざるを得ない内容だ(自分で言うし)。なのに、PVはこれまでの熟考を重ねたエントリより多い。

 脊髄反射でもソースをリンクしてエキサイトニュースのどこよりも早くヘッドラインが流せればそれはそれでいろんな人が反応してくれるし、僕が書き損ねた情報の断片を他の読者が持ち寄ってコメントやトラックバックしてくれればニュースの全体像も見えるし、いいかなと思ってやってきた。

 ところがアクセスが増えてくると、逆に上のような「無謬性」を求める人が現れる。お前らは何を勘違いしとんじゃと、声を大にして言いたい。僕は毎月niftyに1000円近く払って、このブログに毎日3時間ぐらい費やしてエントリ書いたり情報収集したりしとるんやぞ。カネなんか一銭ももらってない。

 しかも僕は、絶対にGoogle AdsenseもAmazonアフィリエイトも貼らないと決意してる。僕の半分以下のPVで毎月2万円以上の小遣いをアフィリエイトで得ている人も知ってるけど、やらない。広告を意識して、自分の心に素直に書きたいことが書けなくなるなんて、嫌だからだ。時たま、ブログ界の発展を願ってはてなのアフィリエイトに無断リンクさえしてる(笑)。これが憲法に保障された表現の自由の実現と、ブロゴスフィアという公共への奉仕でなくて何ですか。それ以上、僕に何を求めてるの君らは?

 ここを便所の落書きとか批判するなら、その前に隠語でわけわかんないこと書いて、「うんこまみれ」とか「ババア」とか書きまくってる切込隊長のとこにいちゃもんつけてからにしろよ。PVもうちの5倍以上ですから。うちが公衆トイレなら、あっちは落書きスタジアムでっせ。「このブログは何を言ってるか分かりません。もっとお勉強して冷静に書いて下さい。文責を明らかにして下さい」って、コメントしてみろっての。火だるまになるだろうけど(笑)。

 それはともかく、あれですかね。お金を一銭も受け取ってなくても、アクセス数が増えることによる責任というのは、自動的に増すんですかねブログというのは。参加型ジャーナリズムというのは、もう少し「ネタをネタと見抜け(ry」な頭の良い人たちが読者であるような場所だと思っていたんだけどね。

 というような話を、少し連載(爆)してみたいと思ったので、タイトルの「情報強度」という言葉の意味や解説がどこにも出てこないまま、1回目終了(笑)。以下次回。

(14:00追記)既に第2回を僕に先駆けて書いてくれた脊髄反射ブログ出現。敬意を表してリンク。なるほどー、アフィリエイトには「合法的シカケ(←印刷業界用語で写真、グラフなどテキスト以外の図表のこと)」って意味もあるんだね。

10:05 午前 メディアとネット コメント (54) トラックバック (19)

2005/03/14

また弁護士辞任って…ライブドア、どこかの宗教団体じゃん(´Д`;)

 isologueのコメント欄で速報。ライブドアの新保弁護士が辞任したそうです。裏とれてませんが、とりあえず第1報ということで。

 こんなに弁護士がころころ辞める話って、最近そうそうない気がするんだけど?だって覚えてる限りでもオウム麻原とか東電OL殺人事件とか、国選弁護士の処遇関連がほとんどでしょ。

 企業の雇った弁護士が辞めるのって、その企業ヤバイとかどうとか言う前に、仕事受けた人間としての職業倫理の問題なんじゃないのか?それとも「報酬はライブドア株式で払うから」とか「ストックオプションで」とか「MSCBで」とか言われたんでせうか?(笑)

 基本的にヤバ系のネタだから触れないようにしようと思いつつ、でも結局面白すぎるネタが次々と周辺で起こるのでヲチを止められなくなってきてるよなあ。はぁぁ(ため息)。

 でも、隊長が長文ネタでのいじりに走り始めたんで、たぶん問題の焦点は機関車野郎どもから、その裏の木管(ryとか宗(ryとかに移りつつあるのだと思われ。しかし木管楽器がそそのかし系だったとは、ちょっと予想してもみなかった。最近の木管楽器、あらゆるところに首突っ込んでるんだなあ。まさに日本経済の裏の仕切り屋、マッチポンプ。これをネタにしてあちこちの会社にポイズン・ピル導入のコンサルテーションを営業して回っているに違いない。

 あとはホワイトナイトが誰かってところでしょうなあ。後ろでパックマンゲームして遊んでた人が気になるところ。当然、このシチュエーションで出てくる可能性がある人は、六本木ヒルズの住人に限られてくるだろうからねえ。でも最近ブログ始めた方はあまりご興味ないだろうね。やっぱりパックマンのお兄さんかしら。

05:35 午後 経済・政治・国際 コメント (4) トラックバック (8)

2005/03/12

“集団自殺”するテレビ局、ソースを出す日経

 今回の騒動を海外メディアは「M&Aでは当たり前すぎる話」と、ほとんどニュースバリューを認めていないらしい。まあ、確かに大騒ぎするほどのファクトは何も出ていないわけで、なのに毎日の紙面最低1ページ程度をこのネタで埋め続けなければならない新聞各社の担当記者さんたちのムダな苦労のほどは想像に難くない。

 だが、そういう下らなさすぎる既存メディアのコンテンツ面での低能乱痴気騒ぎとは別に、2005という暦年と「ライブドア」という言葉は、恐らく日本のメディア史上永遠に刻まれるだろうという確信がある。
(23:00追記 コメント欄での指摘を受けて、本文を大幅に書き直しました)

 その理由の1つは、もうテレビに頼らなくても映像ニュースの配信は十分できる、というか人々に「テレビよりネットでニュース映像を見る」というビヘイヴィアが植え付けられ始めた、ということだ。

 昨日20時半、僕は家でカミサンと一緒に遅い夕食を食べながら、テレビではなくパソコンの画面を眺めていた。パソコンの画面には、ライブドアの記者会見中継映像が全画面表示で映り、3メートル離れた食卓からでも十分見られるようになっていた。すぐ横にあるテレビは、消していた。

 これだけ毎日マスコミがあおり立てて話題になっているのだから、今日の記者会見でほりえもんがどんなことをしゃべるのか、また口を滑らせてとんでもないことを言うんじゃないかとか、誰だってリアルタイムで見てみたいだろうと思うのだが、首都圏の地上波キー局でインタビュー風景を生中継したチャンネルは1局もなかった。視聴者の見たいものを、すぐにでも生中継できるものを生中継で見せない。信じられないことだ。テレビの自殺行為である。

 これと対照的だなあと思うのは、日経新聞の動きだ。ニッポン放送に対して、東京地裁が下した仮処分命令の要旨本文債権者債務者双方の法廷での主張、本件(新株予約権)の要綱などを、すべて生データでウェブサイトに掲載したのである。これも、国会冒頭での首相の所信表明演説さえ全文ではなく要旨しか載せず、まして個々の民事裁判の判決をデータベース化されるのを裁判所が極度に嫌がるのを知っている新聞にとっては、極めて異例のことだろう。

 実は、前にいた雑誌でウェブサイトを作ったときに、どんなコンテンツを載せればいいかという話になり、上司から「記事の元になったインタビュー取材を、記事に書かなかった部分も含めてそっくり全部載せたらどうか」という提案があった。当時、ウェブサイトのディレクションをしていた僕は「記事のソースのインタビューを全文載せても、読者には読まれません」ときっぱり断ったことがある。

 あの時の決断は、当時としては間違っていなかったと思っている。なぜなら、僕のかかわっていた雑誌の読者はウェブサイトで記事のソースを読みたいとは思っていない、というマーケティング上の確信があったし、ソースを出しても誰がそれをかみ砕いて伝えるのか、という点が何も解決されていなかった。

 でもそれからかなりの時間が経って、今や無数のブログがインタビューそのものや役所、企業の公式発表を読みくだし、解釈してニュース記事を生成するようになった。ソースを解釈して記事を書くのがマスメディアの独占的役割だった時代は、そろそろ終わろうとしている。日経のこの判決文全文掲載というアクションは、こうした圧倒的な速報性の求められるニュースでは、インターネットに対していちいち解釈した(=タイムラグのある)ニュースではなく、スピーディーに「ニュースソースそのままを提供する」ことこそがマスメディアに求められていると、彼らなりに結論づけた結果ではないだろうか。

 今朝の朝刊を読んでないので分からないが、さすがにこれらの文章が全部紙面にも掲載されたわけではなかろうし、紙面には載せる価値もないと思う。だが、要約や解釈のないニュースが読者にとって読むに耐えないのと同じぐらい、ニュースソースのはっきり示されていないニュースが読むに値しないということを、ネットの世界の人々は既に知っている。専門情報紙である日経新聞がそのことに気がついて、ネットを後者のために活用し始めたのだとしたら?

 これもホリエモンのおかげと言ったらさすがにマスコミの人間に良い顔はされないだろうが、しかし2005年早々に投下された21世紀の「FAT MAN」に、マスメディア業界の日本と米国の差を一気に何年も縮めるほどの、想像を絶する秩序破壊とブレークスルーのパワーが潜んでいたことは、おそらく後世の誰もが指摘するに違いない。そして、フジテレビの日枝会長は昨夜半「ライブドアと話し合ってもいい」と、従来の発言を翻したというニュースまで飛び込んできた。

 イノベーションは徐々にではなく、ある日突然起こる。日本のマスコミがネットによって大変貌を遂げるのも、米国に比べてそれほど遅くならないのかもしれない。

(念のため注記:文中で用いたレトリックは決して米国から見た広島・長崎の出来事を正当化する等の意図を持ったものではありませんので誤解無きよう)

04:58 午後 メディアとネット コメント (14) トラックバック (12)

2005/03/11

三角合併、一時凍結…そして霞ヶ関の深謀

 とりあえず、速報。自民党が今頃になって法改正の意味に気がつき、恐れをなしたらしい。

 外国株式対価の合併、1年凍結・会社法案で自民部会(NIKKEI.NET)

 ライブドアのせいでやっと気がついたとは言え、遅すぎんだよおまいらは。(19:20追記)しかし、これってよく考えたら霞ヶ関の壮大な「釣り」のような気がしてきた。R30は、ここで経産省の陰謀説をぶち挙げてみる。

 ライブドアによる新株予約権発行差し止め請求が認められたのは、驚くことでも何でもない。こちらは予定通り。つまり裁判所と法務省、経産省は当然ながらちゃんと連携しているということだね。ということは、欽ちゃんもということか。おっと。こちらの話には口を出さないんだった。あうあう。

 三角合併はこちらのブログなどが書いているように、関係者にとっては「何を今さら」という類の話なんだけど、やっぱりライブドアミサイルは威力があったね。自民党の部会で延期されてしまった。

 ちょうど昨日夜(つまり今日の朝)のタイミングで米国からこれに対して規制改革協議の席上でいちゃもんが。とは言え、凍結の話の方が会議より後だったのだろうから、いちゃもんをつけさせてガス抜きした上での部会決定・発表、と計算ずくだったのだろうな。これは、まあしょうがない。だって、ポイズン・ピル法制ができただけでは、あらゆる上場企業が対応策を導入するかどうか判断するのに間に合わない可能性があるわけだからね。

 …と、考えてみると、このタイミングとライブドア騒動の勃発、なんか出来過ぎているような気がするわけだよね。こちらのブログの読みというのは、ある意味すごく陰謀論的ではあるけれども、意外に当たってるような気がする。つまり、フジテレビという今回のターゲットは、「一番目立つ、だから政治家も世の中も三角合併の危険に気がついて大騒ぎになって意識高まる、そして結果的には買収失敗、あるいは最悪でもドローになって実害は及ばない」という条件で選ばれたんじゃないかと。ホリエモンはただの当て馬だったとか。うーん。

 この仮説、あまりにも大胆すぎてちょっとビビってしまうのだが、これとそっくりな事件というのが、日本ではしょっちゅう(4~5年に1回ぐらい)起こっているんだよね、これまでも。

 僕が鮮明に覚えているのは、93年に細川内閣が押し通した米のミニマムアクセス輸入の事件である。あの年は、夏頃から米の作況指数が記録的な凶作になると言われ、小売店の店頭から米が消えて大騒ぎになった。そのおかげで輸入絶対反対を叫んで聞かない農協は世論に押し切られてミニマムアクセスを認め、タイ米とカリフォルニア米を数十万トン輸入することになった。

 余談だが、あの時僕は心底憤った。ミニマムアクセスで輸入されたカリフォルニア米は国内産の米に負けず劣らずおいしい米だったらしいが、タイ米はカリフォルニア米の「さしみのつま」役として輸入されただけだった。当時、タイ政府に知り合いのいる人が「タイは日本に最高級の香り米(それでも日本の米の3分の1以下の価格)を輸出したがっていたが、買い付けに来た日本の商社から『日本人はタイ米の香りを好まない。香りのついていない、家畜の飼料に近いランクの米を買いたい』と言われ、その結果日本市場でまずい米と酷評された。日本の商社のおかげでタイ米のブランドに傷が付いた」と怒っていたのだった。

 その後、ミニマムアクセスは99年に関税方式に変更され、日本国内でもコストコなど外資系の小売店舗に行けば最高級の香り米が入手できるようになったのだが、今でも「タイ米はまずい」と思っている日本人はきっとものすごく多いに違いない。つまり、あの騒動は米国産の米を少量でも良いから「輸入した」という実績を作るために行われたもので、それ以上でもそれ以下でもなかったのだ。

 それに気がついたのは、あの後、2ちゃんねるだったかどこかで、当時の不作は「農水省のでっち上げたデータだった」とする追跡取材記事を見たからだ。その記事には、7~8月時点で農水省が発表した作況指数(確か80台)は、特に猛暑の影響がひどい地域のものを恣意的に選んで出したもので、その後9月に入って全国平均は90台半ば(ほぼ平年値)まで回復したのにもかかわらず、数字を訂正せずにマスコミを動員して「凶作」を宣伝させ、ミニマムアクセスの輸入権をちらつかせながら商社に市場に流通する米の買い占めを指示し、世論の危機感を煽りに煽って輸入解禁に持ち込んだ、という話が書いてあった。

 とりあえず、今検索した限りではウェブ上にはこのあたりしか見つけられなかったが。というか、あれってまさにこの萬晩報の伴武澄さんの記事だったかも。

 何やら、今回の会社法改正関連のスケジュールとライブドア騒動の成り行きが、妙にあの時に似ていると思うのは僕だけか。こちらは逆に、国内企業に日米投資イニシアチブの約束事の危険性を気づかせて、6月の株主総会で買収防衛策を導入させるためという点で少し状況が異なるが。

 まあ、それが陰謀だったにせよ何にせよ、個人的にはとりあえず対策とっとかないとやばそうな国内企業がポイズン・ピルを導入するまでの時間が稼げたという意味では、本当に良かったんじゃないかと思う。

 これが「ライブドアがフジテレビ」なんてお笑いネタじゃなくて、「エクソン・モービルが新日本石油+コスモ石油+出光興産の国内勢まとめていただき」とか、「GEが三菱重工と石川島播磨など防衛庁下請けを全部お買いあげ」とかなったら、マジで洒落になんねえよ。リベラルブロガーなんで国体とか国防とか言いたくないけど(笑)、そのへんが全部終わるでしょう、これって。ヨーカ堂がウォルマートに買収されたりとか、花王がP&Gに買収されたりとか、そういうレベルの話じゃなくなるわな。

 というわけで、まあ何が何だか分からないけれど、この読み筋から行くと「日本経済のために当て馬を自ら買って出たホリエモンは尊い、皆の衆は骨を拾って丁重にお祀り奉るように」っていう結論になりそうな気がしますな。霞ヶ関マジック恐るべし。真実は永久に闇の中ですが。

03:48 午後 経済・政治・国際 コメント (7) トラックバック (4)

2005/03/10

だれか事業化してくれません?画期的なタクシーのサービス

 タクシーに乗るたびに「不景気なのに車両数ばっかり増えて全然儲からない」的な愚痴を運転手から聞かされるのにうんざりしていたんだが、最近わざわざ電話で呼び出してでも使いたくなるタクシーの画期的なアイデアを思いついた。誰かベンチャースピリットに富んだ人は、MKタクシーが参入する前にやってみてください。

 その新しいアイデアとは、「タクシーの運転手に心理カウンセリングの技術を身につけさせる」というものだ。

 だいたい、タクシーに乗っている時間はヒマなのである。本当はクルマで移動している間に本や資料を読んだりメールを見たりできればベストなのだが、揺れるクルマの中でテキストを集中して読むと気分が悪くなってしまう人は少なくない。いや、むしろ気分が悪くならない人が珍しいぐらいだろう。僕もその1人だ。

 ということは音声系の情報ツールしか使えないということになるが、2人以上で乗っていれば打ち合わせや商談もできるが、1人で乗っている時には音楽を聴くぐらいしかない。それでもいいのだろうが、せっかくタクシーに乗るのだ。何か付加価値、つまりコミュニケーションがほしい。

 しかし運転手としゃべると、これがまたむかつくことがやたら多い。官僚や政治家の悪口で盛り上がる程度ならまあ新橋の赤ちょうちんの会話の延長だし多少のストレス解消にもならんこともないが、ライフスタイル的な話に踏み込んだ瞬間に話が合わなくなる。

 こっちは自腹で数千円のタクシー代を払おうという人間であり、夫婦ともにしゃかりきで働いているわけである。ところがたまに気の利かない運転手がいて「やっぱり子供はちゃんと母親の手でしっかり育てないとねえ。子供をほったらかして働きに出る母親なんて、何考えてんだろうねえ」みたいなネタをふりやがる。

 後ろから頭をぶん殴って「今すぐクルマを止めて降ろせこの野郎」と叫びたくなるのを抑えて我慢して黙っていると、こっちに相づちを打ってもらいたいのか、話がどんどんエスカレートする。家の前で降りた時には、仕事で疲れ果てた頭にさらに血が上って吐き気まで催すという最悪の事態。

 外側のどこかに「このタクシーで気に障るトークを運転手にされた場合には無料とさせていただきます」みたいなシールを貼っているタクシー会社はないものかなどと思っていたら、先日カミサンが「すごいタクシーに乗った」と報告してきた。

 何でも、仕事に疲れ果ててタクシーを拾ったところ「お客さん、私はカウンセリングの資格を持ってるんです。ずいぶんと心労がたまっていらっしゃるご様子ですが、お話しされてみませんか?」と言い出し、カミサンが悩み事をしゃべると「それはね、お客さん、自分をとにかく褒めることですよ。どんなことでもいいから、自分を褒めてあげてごらんなさい。きっと良くなります」と、何とも的確なアドバイスを返してくれたのだとか。

 今、心身ストレスで鬱になったり精神に異常を来したりするサラリーマンが激増していると言われている。だが、実はその受け皿になる心療内科の数は非常に少なく、ほとんどの心療内科は1ヶ月先まで予約で一杯の状態だ。しかも、そもそも精神の病で病院に行くということ自体に、多くの人にとってものすごい抵抗がある。潜在的な心理療法のニーズを持つ人は、莫大な数にのぼるだろう。

 ちょっと自宅まで距離のある人なら、月に2~3回はタクシーに2~30分乗ることがあるだろう。心療内科の病院に行くところまでは思い切れないが、心が疲れたと思った時にさりげなくタクシーの中で心理カウンセリングが受けられるとしたらどうだろう。運転手の方も、専門的な訓練を受ければ客の声を聞くだけである程度的確なアドバイスが出せるに違いない。

 医療行為とは言えないからカウンセリングそれ自体に対して料金を取ることはできないだろうし、薬の処方もできないだろうが、仕事上のストレスなどであれば、リラックスできる音楽をカーステレオで流しながらゆったりと相談に乗ってあげるだけで、相当和らげることができるものである。長距離の客なら、電話で予約してでもそのタクシーを利用したいという人は多いのではなかろうか。

 というわけで、カミサンにはそのタクシーの運転手の連絡先を聞き出して携帯電話番号を調べるように言ったぐらいなわけだが、誰かこのアイデア、事業化しませんか。すごい付加価値になると思いますよ。

05:46 午後 日記・コラム・つぶやき コメント (11) トラックバック (4)

幕張地域が宇宙人に制圧されました

 昨年末から店舗売却の打診をしていたらしいが、とうとう撤退ケテーイ。しかも売却先はあの宇宙人社長の会社。

 仏カルフール、イオンへの日本事業売却額は100億円弱(NIKKEI.NET)

 海浜幕張ってイオンの本社があるのに、最寄り店が2駅離れた稲毛海岸にしかないもんだから何でだろうと不思議に思っていたんだが、目の前の巨大店がいずれ潰れるだろうと思って待っていたというのが真相なのかもな。ダイエーは論外だろうし、ヨーカ堂もすぐ近くに店があって買いに来るわけないだろうという読みで。

 しかし最近小売業はひそかにまた再編ブームなのかしら。ダイエーの再建が動き出せば、これからまたあちこちで地殻変動が起こりそうな。

 最近の流通再編の大きな特徴の1つとしてあるだろうと思うのは、小売りサイドの合従連衡もさることながら、その背後に必ず中間流通の再編の影が見えることだ。

 一昔前までは、小売りがどんどん吸収合併を繰り返して大きくなっていくことによって、中小の卸は赤字を出してでもその取引を失うわけにはいかない状況に追い込まれ、結果的に小売りサイドにバーゲニングパワー(価格交渉力)が集まるという仕組みがあった。

 だが、今はむしろ規模が大きくても消費者のグリップ力の弱い小売りがどんどん増え、相対的に物流や需要予測でハイテク化した卸に価格決定の主導権が移るケースも出てきている。地場の食品スーパーの競争力を分析しようと思ったら、デポ運営から棚割までをどこの卸が握っているかを知るのがまず最初のステップとされるほどに、卸の影響が強まってきた。

 たとえばダイエーについてもさっそく丸紅からこんなアナウンスが出ているが、この背景には食品卸だけ見てももともと強かった独立系(国分)に加えて、三菱系(菱食)、伊藤忠系(日本アクセス+伊藤忠食品)、三井系(三井食品+加藤産業)という財閥系が着々とM&Aを繰り返して巨大化している現実がある。

 ダイエーの仕入れなんて、もともと丸紅1社程度でまかなえるような規模じゃないんだから勝俣社長の言う「何がなんでも丸紅系列の食品卸を使え、ということはしない」なんてのは当たり前。むしろこれは「良い条件さえ出してもらえれば、4グループのどこかにデポ(物流センター)運営も含めて集約してもいいですよ~」と秋波を送っているものと読むべきだろう。だからこそ「物流情報システムではイオンとかウォルマートとかでも」など、突然競合相手の名前まで飛び出してくるわけだ。

 ここで極端なケースを考えてみる。小売業が持つべき4つの基本機能(立地、価格、MD、販促)のうち、MDと価格を卸に丸投げしても成り立つのだとすれば、実際の小売企業のやるべきことは出退店の判断とチラシ撒きや陳列、レジといった広い意味の店舗運営だけである。ということは、この2つの機能を可能な限り低リスクでやる仕組みを作れた企業が最終的に勝つに違いないのであって、それ以上でもそれ以下でもない。

 となると、話がまた以前の「中小店の復権」に戻ってくるのだが、一番出退店の投資リスクが低いのは、実は巨大ショッピングモールではなくて中小型のパパママ店である。そしてネットなどを使ってローコストで的確なターゲット顧客へのワン・トゥ・ワンのプロモーション(電子チラシ・電子クーポン)が実現できるのなら、実は巨大ショッピングモールよりもコンビニタイプの店の方が儲かるよ、という話になる。

 食品スーパーではないが、家電量販店の世界ではMKSパートナーズのラオックス買収、ビックカメラのソフマップ買収に続き、アキバ系の店がまた再編に飲み込まれた。新生銀行主導の企業再生で復活したマツヤデンキがサトームセンに経営支援というニュースがそれ。500㎡以下の店舗が多いマツヤデンキが、昨年11月に東京に本社を移転して急速に店舗展開の攻勢に出ていることも、小型店の投資効率の高さを証明する一事例になるような気がする。

 話を戻すと、宇宙人の会社さんはそもそも卸に丸投げするつもりもなく、自分でメーカーと直取引して卸機能も持とうとしているわけだ。まあそれはそれで逆張りという1つの壮大な生き残り戦略ではあると思うのだけれど、一方で現実の利益はほとんどSC開発という、タダ同然の田畑を買い上げてそれを高値で他人に貸し付けるという錬金術的事業から生まれている。つまり、まだ誰も宇宙人が音頭を取って始めた、本業のGMSでの一気通貫独自流通戦略の方の成否を知らないわけだ。あちこちで「全然ダメ」という噂は聞くんだけど、それもどこまで本当だかさっぱり分からないし。

 10年後の幕張はどうなっているんでしょうかねえ。日本の田舎の未来がかかっているだけに、恐竜みたいにいきなり絶滅とかしてほしくないわけですが。

 ちなみに、勉強熱心な皆さんのご参考まで。流通関連業界の業界再編動向ヲチページ。業界地図を作る時にはぜひご利用下さい。

02:57 午後 経済・政治・国際 コメント (6) トラックバック (3)

2005/03/09

世紀の大発明、ステルスコメントスクラム

 前のエントリで「うんこつんつん」モードで突っついてみた団藤大明神のブログ自評ブログが、エキサイトブログの独自機能を使った新発明を、我らネット右翼の集うニッポンのブロゴスフィアにもたらしてくれた。

 その名も「ステルスコメントスクラム」。すべてのコメントが「公平に」非公開という素晴らしい光景である。非公開コメントの洪水の中にぽっかり潜水艦の潜望鏡のごとくに浮上している、団藤氏ご本人の次のようなコメントがすべてのネットワーカーの心を激しく揺さぶる。

公開しているルールに従って、公平に非公開コメントにさせてもらっています。(中略)自分の存在証明をする意味でも是非、自分のブログなりを立ち上げてコメントを寄せてください。ネットでの礼儀の初歩でしょう。
 まさにキタ━━━━(゜∀゜)━━━━ !!!!! である。さすがは日本のネットの知のピークを広く利用されてきた、大朝日新聞の編集委員様であられる。個人のブログアドレスを保有しない人のコメントはすべて「非公開」とするのがネットの礼儀の初歩らしいですよ。きっと97年にinfoseekが立ち上がった瞬間からのネットの常識なのですよ!!皆さん、ちゃんと知ってましたか??

 ステルスコメントスクラム。団藤氏がこの世に生み出した、そのあまりの美しいコメント欄に感動した。いや、全米が3週間にわたって延々と泣いた。

 我々ブロガーは、2ちゃんねるを含むネットの住人が皆97年以来の礼儀の初歩を完全に理解する遠い未来のいつの日か、切込隊長のブログのエントリにつく数百を超えるコメントがすべて「ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。」という文字で埋め尽くされる光景を想像し、感涙のあまり17インチ液晶ディスプレーの画面の文字がかすんで見えなくなってしまうのである。ああ、世界は何故こんなにも美しいのだ。

 これからネット右翼の人々の注目を一身に集めて炎上したいと望む朝日的英雄ブロガーは、ぜひとも他のブログに比べて女っ気の足りないエキサイトブログにブログを開設し、「ネット右翼」「民主主義の敵」「訴訟も可能」などの言葉を濫用して美しいステルスコメントスクラムを雨後の筍のごとくに現出させ、陽炎のごとく透明な青き炎をめらめらと立ち上らせてもらいたい。それでこそ我らがインターネッツの華である。超どうでもいいけど。

03:42 午前 ウェブログ・ココログ関連 コメント (16) トラックバック (10)

2005/03/08

祭りの場を面白くするネット左巻きの剽軽 [ブログ時評13]

 ブログの世界を中心に時事問題への議論を収集して4ヶ月余り、ブログに左巻き的言論人の参入が相次いでいるのに、2チャンネラに囲まれての炎上ばかりで由緒ある左翼発言がほとんど無いことに驚いている。NHK・朝日問題に関連して、在米研究者の卵による「むなぐるま」は「日本ではリベラルブロガーのハブはないのだろうか」と問いかけて話題になった。私の立場からは炎上しない朝日系の記者サイトこそ教えて欲しい。「ブログ時評」の「公論の場を貧しくするネット右翼の病理」が「ネット右翼では『右』を代表することは出来ないと早く気付くべきだ」と指摘する頓珍漢に近い。

 「ネット右翼」と目される集団が押しかけ、多数のコメントの山を残した「小倉秀夫の『IT法のTop Front』」では、ネット右翼というものがあるのなら自分こそと名乗ってみて、との趣旨の呼びかけがされたものの、切込隊長に華麗にスルーされたようだ。ネット上で主に対米国、対NHK、対切込隊長関連でアナクロ左翼的言辞を並べている朝日ブロガーの立場には共通点がある。「自分はノンポリ。ピンクがかって見えるのは、あなたが緑だからでしょう」といった感覚。そして、読者のコメントを強制削除し、トラックバックを打ってきたブログを「Googleでの検索が足りません」などと見下して、昔ながらの信者グループとだけ集団を作って居心地の良さに納得している。

 中国を誇る、社会主義への真っ直ぐな思いを貫いている――信者集団の光景は第2次インターナショナリズムに極めて近い。G7サミットでテレビ中継が始まった瞬間に、コイズミ・ブッシュ・クタバレに切り替わってしまう心情である。どちらも、地上の理想国家建設という夢が生まれるメカニズムは共通している。国連という脳内共同体の一員として、北の将軍様の抱える貧しい人々の幻想にバーチャルに共感し、米帝覇権主義を意識する場面だ。「ブログによるコメントスクラム」を非難するスタンスも同じである。このメカニズムで生まれた左巻き的思考である限り、目を転じて国際政治の現実に対処する思想を持たない。国内に向かっては「謝罪と賠償」で一致していても、外交の論理は支離滅裂だ。

 大政翼賛会が磐石だった時代、最初から存在しない民衆の代表に代わって朝日新聞がファシズム政権擁護の柱だった。今、プロ市民、労働組合を含めてリベラルが群衆動員のモデルを見失い、攻め手の朝日新聞も取材を録音したテープさえ提示できない。こんな時代だからこそネット上にお祭りの場を造りだす意味が大きいと考えているが、ネット左巻きでは「リベラル」を代表することは出来ないと早く気付くべきだ。惰性に任せては先行きが見えない社会を変えるために、時には謝罪と賠償も必要と左巻きの立場で考えたら、相当に巨額の税金を取り立てて投入せねばならない。ネット右翼の立場ならニート・ヒッキーのためにお祭りするくらいでも笑いは取れる。現政治状況に当てはめると、村山元首相なら、不肖の後継者・福島瑞穂氏の党職員首切り路線に忸怩たる思いをしているはずである。

 :マジでどうでもいい。つかメディア人だったらガ島通信について一言ぐらいコメントしたらどうか。当事者意識のないやつめ。

09:24 午前 日記・コラム・つぶやき コメント (20) トラックバック (14)

2005/03/07

ブログがソニーの社長候補のクビをとばした件について

 ゾンビ出井、イエスマン安藤とともに、ミスター「それが俺様仕様だ」の久夛良木君もクビが吹っ飛んでしまったようですね

 まあ、英語にまで翻訳されて海外でも晒されまくった日経ビジネスのインタビュー記事の影響も大きかったと思うが、やはり世論を動かして久夛良木君の社長候補としての最終選考となったPSPを無様なリコールに追い込んだ切込隊長の功績(こちらこちら)も大きかったのではないかと思うわけだ。ブログ万歳。

 しかしそれにしても何というか、一度上り詰めた経験から来るプライドというものは恐ろしいものである。ソニーには本当に人材がいなくなってしまったのかと、今さらながらに痛感してしまい、悲しい。ストリンガー氏がCEOというのはともかくとして、中鉢氏っていうのは、恥ずかしながら僕はまったくのノーチェックだったのだが、社内的にそんなに人望のある人なのだろうか?エレキ出身の人を誰か上に置かなければならないという政治的妥協の産物ではないのか?だとすると今後も厳しいなあ。

 あと、今回のトップ人事で、エンタ・エレキ系の大波乱とは逆に、財務・金融系の人事は淡々と予定調和通り進んだところが気になるといえば気になる。伊庭-徳中ライン直系の伝統を汲む井原CFOに、そのまま引き継がれた。横車を押し続けていた久夛良木先生の退任による反動で、グループシナジー戦略や商品開発の面ではこれからまたいろいろと波乱も起こりそうだが、財務面での隆々たる低空水平飛行は揺るがないといったところだろうか。

 ただ、人事機構改革のリリースを見ると、井原氏が家電エレキの新担当になったというところが気にかかる。これってもしかして、エレキ事業部門大再編の予兆ではないの?

 そもそも、エンタメ・コンテンツやISPから最先端の半導体、オールドスタイルの家電製品、そして生命保険や銀行、証券まで、何がなんだかわけわからん業種が雑多にぶち込まれたグループに「全体でのシナジーを」といっても、これはもう無理なんじゃないだろうか。それこそGEのように「あらゆる事業のマネジメント」自体を企業競争力にでもしない限り、収拾がつくとは到底思えない。

 前にもちょっと書いたけど、ストリンガーCEOのやらなければならないことナンバー1は、もしかするとこのごった煮帝国の解体かもしれない。さすがに大賀氏の目の黒いうちはダメかもしれないけど。実際、その前哨戦として来春の金融持ち株会社の上場があるわけで、ネット・エンタメ系の切り離し(あるいはエレキの切り離しとも言える)も、その後1年以内にありうべしと思うのだがどうだろうか。

 松下が一時期ユニバーサルに手を出したものの失敗して、その感想を中村社長が「あんなもの、勉強にもなりまへんでしたわ」と話しているのを聞いたことがある。ものづくり系の人たちとエンタメの世界というのは、やっぱりつかず離れずが一番いいような気がしたものだ。むしろ、その両方の間に金融が接着剤的に挟まっている方が、まだ分かりやすい。

 それにしても中鉢氏がEMCSの責任者だったっていうのも微妙だな…。そもそもソニーがここまで混迷したのも、EMCSの機能障害という気がしないでもない。今さらばらすわけにもいかないのだろうけれど、本体からエレキ事業を分社してEMCSにくっつけてスピンオフさせるというのが、一番あり得るシナリオなのかな。今後の中鉢氏の手腕に期待していきたい。(棒読み)

04:23 午後 経済・政治・国際 コメント (1) トラックバック (31)

【ヲチ撤収】CXグループの怨霊を呼び覚ましてしまったホリエモン

 今ごろ新聞各社の記者さんたちは、今日の夜に明らかになる、フジテレビのニッポン放送株TOBの結果と、おそらくその後に判断が下されるはずの、ライブドアによるニッポン放送の新株予約権大量発行の差し止め仮処分申請の結果を予想しながら、関係者への必死の取材と予定稿作りに明け暮れていることだろう。

 当初はライブドアの謀略勝ちと見られていたこの勝負も、フジ日枝会長の根拠なき強気とニッポン放送の常軌を逸した新株発行計画、そして事の決着を裁判所に持ち込むという反撃によって市場関係者からは「フジ逆転勝ちかも?」の読みが飛び出し、一気に不透明感が漂っていた。ところがさらにここに来てフジサイドにもハプニングが起こり、ことの成り行きはさらに混沌としつつある。

 湯川氏@時事通信をして「メディアの立つ瀬をなくさせるブログ」と呼ばしめたR30のことであるから、ここでもまったく容赦しない。明日・明後日の朝刊のネタをごっそり先取りしてしまおう。

 上にも述べたように、このディールの今後を左右するポイントは、冒頭にも述べたように2つある。1つは今日の夜に締め切られる、フジテレビのLF株TOBが成功するかどうか。そしてもう1つは、その後に発表されるLFの新株予約権発行に対するライブドアの差し止め仮処分申請が裁判所に認められるかどうか、である。

 フジテレビは、LF株式の25%を買うTOBはほぼ成功と発表しているが、これが今2つの新たな事実によって揺らぎ始めた。1つはトヨタが保有するニッポン放送株を売らない、と表明したこと。他の企業ならいざ知らず、トヨタである。表向きは株主代表訴訟のリスクを恐れたものだろうが、何か別の意図もあるように感じる。

 そして、その後出てきたのがこれだ。「鹿内家が大和証券SMBCにニッポン放送株の返還を要求」という、NHKのスクープである。

 isologueの1月23日のこの記事でも「鹿内氏がTOBの予定をちゃんと知っていた上で売却したのであれば(中略)『OK』」と書かれていた、まさにその前提が違っていたという話だから、これは大変なことだ。しかもフジのTOB目標であるLF株25%には、この鹿内家から譲り受けた大和証券の持つ8%分が含まれているので、この返還要求が妥当な内容だとすると大和証券=インサイダー取引、フジ=TOB失敗が確定してしまうという、とんでもないビーンボールである。TOBの成否が読めなくなってきた。

 一方、ニッポン放送による新株予約権発行に対するライブドアの差し止め仮処分申請は、結果がどう出るか神のみぞ知るところではある。ただ、少なくとも明らかなのは、「敵対買収にさらされている企業がこんな施策を打てるのなら、日本のどんな企業に敵対買収を仕掛けても絶対成功しないことが確定」してしまうということだ。

 多くの人が「どちらの買収が企業価値を上げるか」という議論をしているが、そんな話は水掛け論に過ぎない。裁判所は実現してもない企業価値の予想についての判断を下すべきでないというisologueの意見に僕は賛成だし、実際の仮処分の判定もそこまでの判断には踏み込まないだろう。ちなみに、「ライブドア傘下に入ればフジサンケイGとの取引をうち切られるから企業価値が下がる」というニッポン放送側の新株発行理由の説明そのものが、明確な独禁法違反であるという指摘もある。

 しかもこのマターは、経産省などがまさに法制化を検討してきたところのものでもあるので、さすがにそれをシカトしてニッポン放送側のルール違反を認めてしまうという判断はあり得ない。もし認めたら、日本の上場企業のコーポレートガバナンスはほぼ完全にモラル破綻するだろうし、それに伴って株価を上げる経営努力も失せるから、株式市場全体の暴落(カタストロフィー)が起こると思うからだ。もちろん、社運をかけて借りたカネで買い付けたLF株が紙切れ同然と化すライブドアは、おそらくその瞬間に崩壊するだろうし。

 しかしながら、何度も言うが裁判所というのは経済の常識とは何の関係もない丁半博打のようなところなので、明日以降この最悪のシナリオが実現してしまう可能性も、ないわけではない。

ライブドア・LF買収問題の今後の展開 というわけで、この2つのポイントの分析をまとめたのが右のようなクロスチャートだ。

 下半分は実質的にフジテレビの独り勝ちだが、フジ以外の日本の株式市場関係者総負けという壮絶な結果を生むだろうと思うので、まずあり得ないとここでは仮定しておく。問題は恐らく上半分のところで起きるだろう。

 新株発行が止められたものの、LF株の25%を確保すれば、フジテレビには最悪ライブドアが50%超のLF株を市場で買い付けてLFに役員を送り込んだとしても、フジサンケイグループ本体への経営に波及するリスクを最小限に抑えられる。

 また、ライブドアが50%を確保するまでの時間を使って、LFにフジテレビ株を市場で売却させたり、優秀なLF社員をグループ企業に転籍させたりといった「焦土作戦」を展開する時間的余裕が生まれるわけだ。フジもライブドアも、早い段階での次の一手が問われる展開となるだろう。

 逆に、鹿内家の介入などによりTOBの失敗が明らかになれば、フジテレビにとっては正直非常に面倒なことになる。そのままで行けばグループ全体にライブドアの影響が及びかねないので、LF株の買い取り価格を引き上げて再度市場から買い集めるなり、フジ自身が再度特定株主に向けて多額の増資をするなどしてLFの持ち株比率を下げるなりの、緊急対策が必要になってくるだろう。

 ま、おそらくはこの両方をやってくるだろうけれど、そうするとフジ自身のキャッシュを投じなければならないので、投資信託としてのライブドアにあぶく銭を与えることになり、結果としてライブドアの作戦勝ちが濃厚となるわけだ。もっとも、どっちにしろライブドアにはニッポン放送のキャッシュと放送免許などの「抜け殻」しか残らないわけで、それがホリエモンの手に入れたかったものなのかどうかは、僕には分からないが。

 フィナンシャルな切り口から見ると戦況はこんな感じだが、今後注目していきたいのは、ここに来て日枝会長率いるフジサンケイグループにとって長年の「喉にささったトゲ」であった鹿内家が、NHKの報じたようにまたぞろトラブルの種になりつつあることだ。

 引き金を引いたのがホリエモンだったというだけで、この話はもともとホリエモンと何の関係もなかった話である。しかし、歴史も浅く大した闇もないライブドアに比べて、こっちの闇はこちらの記事などでもまとめられているように、そもそもの話が50~60年代の政治主導の反共政策などにさかのぼるだけに闇も深い。

 切込隊長も社長日記の方で書いているが、「汐留の上の方が迫撃砲を仕込んでいる」あたりのくだりを読むと、こりゃかなりヤバイものがあるなあと感じる。

 鹿内家の名前が出てきたことで、この戦争は周辺の無関係な人間も巻き込んでの市街地銃撃戦になることがはっきりしてきたように思う。ホリエモンは、フジの日枝会長が10年かけて封印したフジサンケイグループの「怨霊」の入った箱の鍵を、うっかり開けてしまった。TOB成功目前というこのタイミングで鹿内家が出てきたことは、ホリエモンや村上ファンドといった既視のプレーヤー以外に、日枝会長一派の失脚を狙うもっと上の黒幕が背後にいる可能性を示唆しているのではないかと思う。それは、たとえばホリエモンの登場とは関係なくこういう意見がCXグループから出てきていることでもわかる。

 確かにこのまま行くと死人が出るかもしれない。そういう危ない地雷原には、隊長のように個人で実弾を握って戦えるような人を除いて、踏み込んではいけないというのが世の中の教訓である。というわけでしがない一サラリーマンに過ぎないR30は、新たな展開が見えて闇の危険が遠ざかったことが確信できない限り、この問題については以後コメントを控えたいと思います。あしからず。

(3/9 3:00追記)隊長、やっぱり巻き込まれちゃったようですね。かわいそうに。

03:18 午前 経済・政治・国際 コメント (2) トラックバック (13)

2005/03/05

ものごとを考えるまとまった時間がない

 3月末だからとかそういう理由ではなく、リアル仕事と生活がとても充実している、というか猛烈に忙しい&新しいアイデアがぽんぽん沸いてくる、という状況になると、ブログで書くネタを考えるのがどんどん面倒になってくる。

 思えば昨年12月は思いっきりニートだったのですごい勢いで長文の論考をびしばしここに書いていた。今も考えたいと思っているテーマはたくさんあるし、過去のブログにつけられたトラックバックやコメントに答えたいと思うこともたくさんある。だけど頭をそっちに使うまとまった時間がない。

 ときどき、普通に仕事しながら年間何冊も本を出すような人がいる。まあゴーストライターがいるんでしょと言われればそれまでだが、もし本当に自分で書いているとすればどうやってあんなに書くのだろうか。

 本というのはものすごい密度の沈思黙考を重ねないとできないものだ、少なくとも読みがいのある本はできないものだ、と昔から思っていた。だけど最近はぶちぶちと章ごと、あるいは段落ごとに区切れた本もたくさんある、というかそちらの方がよく売れるみたいだね。

 ということは、ブログもそうだけど、あまり長時間沈思黙考したようなネタというのは受けないのかな。それもなんか悲しいな。脊髄反射みたいなネタもいいけど、たまには自分が沈思黙考すると、思考の冒険でどこまでたどり着けるものか、見てみたいと思うんだが。それを確かめるためのブログだと思うんだけどね。

 でもリアル世界の方で深く強く考える、考えなきゃいけないことがたくさんあると、そういう話を迂闊にブログにリークするわけにはいかなくなってくるので、なかなか辛いものがある。ま、それでも片鱗とかはブログの端々に見えているんだろうけどね。

 転職して2ヶ月足らずだが、もう新しい事業のアイデアが2~3個沸いてきたので、個人的な時間を使ってFSに乗り出しているところ。まだ目の前の仕事もきちんと身につけてないのに気の早い奴とか思われそうだが、思いついちゃうのだからしょうがない。でも提案するまでにきちんと叩いて形にしてからにしないとね。

 新しい会社はそういう提案をバンバン受け付けてくれるところなので非常に嬉しい。少なくとも上層部は新規事業の提案に対して決して嫌な顔をしない。1つにはベンチャーで失うものがあまりないから(笑)というのもあると思うけど、そういう社風は自分にとってはとても気が楽で嬉しい。それだけにやる気もすごく上がる。

 問題は気分がハイになりすぎて、ときどき目の前の仕事をちゃんとこなすことを忘れてしまいそうになることだ(笑)。おいおい。順番が逆やっつーの。気をつけてきちんとしよ。でも、まあこういう奴も1人ぐらいいてもいいよねえ。

 というわけで今日も目の前の仕事をこなしてきます。さいなら。

09:15 午前 日記・コラム・つぶやき コメント (2) トラックバック (0)

2005/03/04

【速報】ガ島通信がガ島脱出

 とうとう脱出するらしい。っていうか行き先決めずにブログでリリースするって…。あり得ない。これも「ブログで辞めた」の殿堂入りするのだろうか。

 マジな話、東京に来るなら相談に乗るけど、でも行き先決めずにっていうのはどうかと思うよ。僕も転職確定して社内調整も終わった段階でブログにリリースしたわけだし。留学退職ネタの時にどこかのブログが言ってたけど、キャリア作りは個人が執り行う人生最大の戦争でっせ。勝敗決まる前に手の内さらけてどうするよ、ガ島くん。

 でも、あなたみたいにいろいろ考えられる人が一地方紙の文化部でうだうだしてるのも実際もったいないとも思っていたので、ぜひ大海原にこぎ出して良い冒険をなされますよう、お祈り申し上げます。

 finalventさんじゃないけど、今日は僕も確定申告&ウェブ休みの日ということでデジタルサバト。これで失礼。

12:17 午後 日記・コラム・つぶやき コメント (1) トラックバック (6)

2005/03/03

もし堤義明氏がホリエモンに家督を譲っていたら

 今朝のニュース番組はどこのチャンネルもみんな西武王国特集だった。検察が引導を渡してくれたのでやっと大手を振ってこれまでの恩人をこき下ろせます、といった風情。醜悪なことこの上ない。

 「ピストル堤」こと堤康次郎氏に始まる華麗なる土地買収の100年史はさておき、ちょっと考えてみたいのは禁断の歴史の「イフ」である。つまり、もし堤義明氏率いる西武王国が未だ健全なりとすれば、どのような姿になっていたか、ということだ。

 ダイエー中内にしても西武堤にしても、結局のところ戦後経済成長のエンジンだった土地資本主義にうまくのっかったものである。「のっかっただけ」とは決して言いたくない。だってそれをうまく利用してあれだけの企業グループを作り上げたのはまぎれもなく彼らの力量なのだし、同じことを試みて失敗して闇に消えた人たちは無数にいるのだからね。

 ただ、世の中的には(そして西武グループ的にも)95年を境目にして、日本土地資本主義は終焉し、代わりに孫正義とかほりえもんとかが暴れまくる株式資本主義が到来したわけだ。いろいろと批判や問題もあろうが、流れとしては明らかにこちらの方向である。

 西武グループも、調べてみると資産や利益などがピークを迎えたのが94年で、それ以降はずっと落ち目である。で、ここにきてようやく証券法違反しても何しても、誰もコクドの大赤字を支えられないということが分かってしまい、明るみに出たというだけの話だ。

 じゃあ、そこに至るまでにもし堤氏がレジーム・チェンジを行い、土地資本主義から株式資本主義への転向を表明していたとしたらどうなっただろうか。

 何を滑稽な話を、と思われるかもしれない。ま、そうだろうね実際のところ。幼少の頃株の売買で一山当てた経験もあった父康次郎氏と違い、義明氏は早稲田大の観光学会で仲間を集めてる時から、土地以外の価値を知らなかったに違いない。「西武鉄道が何で上場しているのか、よく分からない」という例の名言も、彼のそういう生い立ちに依っている。

 でも、彼自身が転向しなくても、跡継ぎにそれをやらせることだってできたのではないか。

 義明氏には二人ほど子供がいるようだが、これまで彼らの名前どころか、存在さえ聞いたことがなかった。ということは、両方とも父親とは比べようもないぼんくらか、それともあえて表に出たがらない平々凡々なタイプの人だったのだろうか。30歳を超えたグループ総帥の御曹司ともあれば、親の方が気を使って小さな事業を任せたり、財界やらにちょこちょこと顔を出させるものだと思うから。

 それに、跡継ぎは嫡子でなくても良い。もしレジームチェンジをするつもりがあったのなら、外部から頭の良さそうな奴、それこそ例えばホリエモンみたいな奴を外から引っ張ってきてとっとと社長にでも据えてやれば良かったのかな。なんかそれもすっごい無理がありそうな気もするが(笑)。

 ま、今さら何を言っても「あり得ない」って言われて終わる話だけれどね。でも本当に100年200年続いている企業グループ(関西の酒造メーカーとか)でも土地がその基盤になっているところは少なくないわけだし、超長期で見て土地資本主義が間違っていると決めつけるわけにもいかないでしょう。

 とすると、やっぱりあまりにワンマンで君臨しすぎて、事業の存続性と後継者育成とを怠った義明氏が、やっぱりそれまでの人だったのねという話で終わってしまうのかな。せめて長野五輪までずるずる引っ張らなければ、もう少し良い方向に向かっていたとも思うのだが。何よりも堅実と旨としてきた不動産屋がある日突然オリンピックという虚構のイベント業に手を染めちゃったのがそもそも間違いだったということか。

 カリスマで知られた経営者だけに、そういう結論で流されて世の中から消えるというのも寂しいですね。堤氏には、ぜひ自らが信じてきた土地資本主義の来し方行く末をまとめた回想録を書いてほしいと思います。

(3/4 9:20追記) 信州のコーヒー屋さんからのTB読んで、衝撃を受けた。未だかつてこれほど見事に堤義明を切ってみせた人物評があっただろうか。素晴らしい。タダのブログでここまでのクオリティの記事が読めることに改めて乾杯。今年のアルファブログエントリ候補、再び登場です。

10:23 午前 経済・政治・国際 コメント (4) トラックバック (12)

過去のことは忘れなければならない、あるいはknowledgeの生まれる場所

 何のことだかワカランという人は勝手にスルーしてください。今日のエントリは独り言です。

 よく「前にも似たような議論をした覚えが…また同じ話をぐるぐると性懲りもなく」とか言う人がいる。あ、鈴木謙介氏@SOUL for SALEだっけな。まあいいや。で、僕が思うのは「同じ話をぐるぐるとする。それが何でいけないのだろう?」ということだ。だって4000年昔のエジプトだかどっかの象形文字を解読したら「最近の若い者は…」って書いてあったって言うじゃん。人間なんて、そんなもんでっせ。

 その点、ネットっていうのは恐ろしい。だって昔の議論が全部残ってるから。残ってるって言っても、今はまだせいぜい98年か2000年以降ぐらいの分しか残ってないさ。だからもしかしたらまだ議論してないことがあるかもしれないし。

 だけど、これを10年や20年続けていったらどうするよ?あらゆる話は、もう何年か前に議論され尽くしたことになっていて、もし「昔議論した話は過去ログ読め」で終わるんだとしたらさ、そこに何の偶有性も反映されなくね?それって悪夢みたいな未来だと思うな。

 最近すっげえ嫌な予感がするんだよね。「はてな」って、質問の数も、質問に対する返事の数も昔よりずっと減ってない?もちろんカテゴリの数増えてるってこともあると思うんだけどさ、なんかすごく嫌な予感がして。

 なんつーか、質問しても「ああ、この質問過去に答えたような気がするし」とか思って答えないとか、質問する人もささっと検索してみたら過去質問が残っていたんで結局質問しなくて良くなっちゃうとか、もっと言えば、質問しようと思ったんだけど、でもきっと誰かが過去に質問したような気がしてそれもあっさり答えられちゃってるような気がして、それだけで質問する気が失せるとか。

 ブログの議論とかはさ、まだフローの要素強いからそれなりに面白いけどさ、でも1年ぐらい見てると、季節柄出てくるネタとか必ずあって、「またその話か」みたいな感じで飽きてくるよね。

 実は僕も隊長よりは少し遅くだけど、大学3・4年~社会人出てすぐぐらいの頃にニフティのFBMANにはまってたことあって、マーケティング会議室あたりのオフ会にも1回ぐらい行ったことあったんだけど、議論のスタイルとかデザインとかは多少違っていても、コンテキストはほぼ同じことがブログという新しい場の中でも繰り返されてるだけじゃないかっていうデジャヴにとらわれるようになってきたんだよな、最近。

 まあ、その既視感が既視感なだけで終わればそれはそれで結構無問題なんだけど、FBMANと違ってブログって過去ログが流れないじゃん?つまりブログ上では流れたように見えるけど、Google先生がいつでも発掘しちゃうわけで。削除してもなおキャッシュで発掘されちゃうわけで。

 となるとさ、FBMANで議論していた内容はすっかり忘れたけど、あそこで何かすごく頭から火噴くほど知恵振り絞って議論したぞ、みたいな思い出が僕にはあるんだけど、今の時代ってさ、例えば何かを頭から火噴くほど考えようとしても、その矢先に「過去ログ残ってるから嫁」とか言われた人たちは、なんか頭から火噴くほど考えもしないうちに過去のブログとか読んでそのターミノロジーに頭を支配されて、自分で言葉つむがなくなって終わるんじゃないかと思うわけだ。

 まあ、過去ログっていうのは、その時誰がどういうことしていたとか、ファクトベースでなら資料価値もあるよ。だけどそこで考えられていたことっていうのは、つまりナレッジ(知恵)は、過去ログ読んだからって追体験して頭にすっと入ってくるものじゃないわけでしょう。

 ましてブログなんてどこまでがファクトでどこからウソなのか、それ自体としては検証もできない話、つまり事実確認の資料価値はほぼゼロなものばっかりなわけでしょ?そんなものがずっと残って、ファイル消してもブログ主死んでも残ってるって、いったいどうなのよっていう気がする。

 話は少し飛ぶかもしれないんだけど、IQの低い人たちの会社があるとするじゃん。でもそれがIQ高い人たちの会社に比べてだめな会社かっていうと、それとこれとは全然関係ないわけだ。じゃあいったい良い会社と悪い会社の違いは何かっていうと、突き詰めれば会社ってのはゴーイング・コンサーンなわけでしょう。だとすれば上から下までその時々の判断はバカっていうか間違ってても、時間とともにそれが修正されて品質が上がり、正しい方向に向けばいいだけなんだよね。

 逆に、ある瞬間に正しい方向性を見極めた人がいたとしても、そいつがそれ以降たくさんの人数の上司とか部下とか同僚とかとともに正しい方向に進み続けられるかっていうと、実はそんな保障どこにもないわけで、最初の奇跡の大ジャンプの後に、2度と奇跡が起こらなくてそのまま逝っちゃう会社なんてたくさんあるわけだし、正しい!と思う方向にずんずん進んでいても少しずつ道をそれてそれに気づかずに気がついたら出口の見えない藪に紛れ込んで野垂れ死んじゃう会社もある。

 つまり人も会社も社会もそこで何を見聞きし、記憶し、文字で書き付けたかをたくさん貯めれば正しい方向に進むかっていうと、全然そんなことないんじゃないの。そりゃ大所高所に立って会社や社会、国家の向かうべき方向を判断する立場の人が四書五経や孫子からランカスター、クラウゼヴィッツ、チャーチルまで読んで判断しますよって言われればそれはすごいと思うよ、感心すると思うけど。でも実際そこまでの政治家なんていないわけだし、庶民の誰1人として元首や会社社長にそこまでのことなんか求めないわけでしょう。

 つまりある一瞬において頭がいいとか悪いとかいうこと、つまり過去ログをたくさん読んで知っていることよりも、ゴーイング・コンサーンの条件というのは、もっと時間をかけて自分たちを正しく追い込んでいけるのかとか、その場でどんだけ同じことを壊れたテープレコーダーみたいに繰り返し続けられるのかとか、むしろそういう「過去ログ読まない強さ」みたいなものに依存するのじゃないか。

 そしてナレッジ(知恵)というのも、僕の感覚では過去ログというストックの束から生まれてくるというよりは、ストックを忘れる瞬間、つまり過去の事実の輪郭をぼやかして今目の前にあるものと重ね合わせた時の類似項として生まれ落ちてくるものだと思うのだよな。それは別に古典作品でなくても書籍でなくても、ネットでまさに昨日書かれたばかりの他人のブログのエントリでもいい。つまり今ここにいる自分と化学反応を引き起こせる自分の“外側”の存在となるような何かがあればいいだけ。

 ブログを書いていると時々「僕が書いたこの文章はインターネットという空間に半永久的に残るのか?いつまでもGoogle先生がいる限り、他人の質問にさりげなく僕のブログのエントリのURLを返してそっとここへと導いて下さるのか?」といったような超越神を信じたくなる心境に陥ることがある。

 だがそんなのはまやかしだ。むしろ有害だ。思索のためのテキストの過去ログなど消えてしまえ。物理的に残っていても決して他人に「ああ、かつてこの人がこんなに考えているのだから既にこの問題は解決しているのだな」などと思われたくない。むしろみんな忘れてくれ。延々同じように見える議論をループしてくれ。自分の頭を使って、無意識のうちに思考を規定する偏在的なコンテンツ、ブログから身を隠せ。そしてそのループから脱出せよ。

 蓄積しておけば手間を省く知、我々をこれまでよりもう少し遠くにまで連れていってくれる知、というものは確実に存在する。だからそういうものを蓄積で残すのは良い。しかし今のインターネットの中で多く流通しているのは、僕らがどこかに連れ去られようとしている時にうたった鼻歌である。鼻歌だけをどんなにたくさん集積してみても、音程のあやふやなハミングコーラス以外にはなりようがない。

 ネットはあらゆる多様な解釈を許容するし、またそれを平等に広める。逆に、いやむしろだからこそ、解釈の根っことなる知の基盤については、より厳密に集約され整然と凝縮されていなければならないのではないか。解釈の多様性と知の基盤の厳密性。これがより強く求められていくはずなのに、これまで社会的な知の基盤を担っていた「知の腐敗のペンタゴン」はそのまったく逆、曰く厳密で偏狭な解釈と知の基盤のずさんさを志向していた。今、それがまさに否定されようとしているのではないか。

 とにかく、我々は大勢の人を命令で同じ方向に歩かせることはできても、大勢の人々の思考を全く同時に同じことを考えるよう強制することはできない。とすれば、知を組織あるいは社会全体に敷衍したいと思えば、その方法はあちこちで同じような思考のループが創発的に大量発生するようにし向ける(させるのではなく)ということでしかあり得ない。

 創発的な思考のループ(フロー)は確たる知の基盤があってこそ成り立つものであり、組織や社会にはその断続的なループから常に澱が沈むように新しい知(ストック)が形成され蓄積されていく。この2つはどちらも欠かせないものであり、その区別と規律ができないままで続いてしまうぐだぐだのコミュニケーションというのはどうしようもなく不毛だ。そういうコミュニケーションしか存在しない会社も、組織も、社会も。決して同じことを延々議論することそれ自体が不毛なのではない、そこから何物も澱を残そうとしない風土の方が不毛なのだと僕は思う。

12:11 午前 日記・コラム・つぶやき コメント (19) トラックバック (16)

2005/03/02

ソフマップとダイエーを交換した丸紅

 ダイエー支援、丸紅連合に内定・産業再生機構(NIKKEI.NET)だそうで。とうとう動き始めましたな。アドバンテッジ・パートナーズと丸紅が、どんな経営者を引っ張ってくるか見物。ローソン新浪とかカネボウ余語みたいに、40代の清新な若手経営者がぜひ就任してほしいと思う。アドバンテッジPにとっても、ここは日本初のMBOファンドとしてこれまで蓄積してきたノウハウの集大成となるディールになるんだろうな。

 というか、ダイエー社内は産業再生機構入りして以来既にかなりいい雰囲気になっているという噂も聞こえてきてる。しがらみがなくなるということがどれほど大きく組織を変えるかということの、良い見本。はい、そこの倒産寸前の腐れ自動車会社と関係者各位は、ダイエーの爪の垢でも煎じて飲んどくように。

 しかしその影で、いくらこれから資金需要があるからって、丸紅にあっさり見放されてビックカメラに持ち株売り飛ばされたソフマップの立場っていったい。ダイエーと引き換えかよ。トホホ。

 まあ、利幅の薄い家電販売なんかとっとと捨てて食品流通に突っ込んでいくという丸紅の経営判断は極めて真っ当だと思うし、中古品にめっぽう強いくせに新品価格はからっきしダメダメなソフマップにとってもこのディールは良いことだったんじゃないですかね。前期はまた赤字転落だったし、このまま行ったら家電量販の負け組確定してたかも。

 リリースには中古流通での提携がメーンで書かれていたが、有楽町駅を挟んだ2つの店の商品価格のあまりの違いにがく然としていた僕個人としては、まずはソフマップの仕入れをビックに統一して新品価格を安くしてほしい。ビック並みの安さで新製品が(中古品を売って)貯まりに貯まったソフマップポイントで買えるかもと思うと、ちょっと嬉しかったりしてますが。ていうかビックとソフマップ、まずポイントカード統合してくれよ頼むから(笑)。

 でもビックカメラには、秋葉原のソフマップの店構えだけはなるべく変えないでほしいなあ。あそこのレンタルボックス、エロゲ売り場はある種の文化的無形財産(笑)だと思うんだがね。ああ、こんなこと言うと僕がアニオタだったりするように思われるけど、全然そんなことないですよ全然。完全に否定しておきますからそこんとこよろしく。それでは。

05:33 午前 経済・政治・国際 コメント (1) トラックバック (2)

何を今さら…留学退職対策も「お役所仕事」なのね

 むなぐるま氏のところやid:pogemuta氏@ダメオタ官僚日記などであれこれ語られているようなので今さらではあるが、読売新聞のこの記事。

若手官僚、留学後の退職多発…費用返還ルール作り悩み(Yomiuri Online)

 何を今さら問題のように書き立ててるんだか、読売は。ネタ古すぎ。産経なんかまったく同じ話を去年の8月に記事にしてますがな。人事院記者クラブの弊害ですかね。

 それにしても記事を読んで驚いたのは、転職する人というのが「留学経験者の10人に1人」ということ。職業柄元官僚の留学経験者ばかり会ってきたからか、財務省筋の元官僚に知り合いが多いからかよくわからんが、実際にはもっと多い気がしてたけどな。この程度なら全然OKなんじゃないの?どうせ人材は天下の回りものだし。

 てか、この手の問題は商社とか銀行とかの民間企業は、もっとずっと前から留学経験者のダダ漏れの流出に手こずってきたわけですよ。それで今は、あの手この手で流出防止策を講じてる。

 そうした大企業の最近の流出防止の必殺技は「33~4歳から留学させる」、これです。なぜこれが必殺技なのか。それは国内の転職市場を見ていれば分かる。

 海外の大学院留学は速習コースでも1年、普通のMBAとかポリサイであれば2~3年だ。これまではだいたい25~7歳で留学に出していた。そうすると帰ってくるのが28~30歳と、ちょうどこれから仕事で猛烈な生産性を上げる年齢にさしかかる。年俸2~3000万円で外資系の戦略コンサルや投資銀行が引き抜いても、3~5年死ぬほどこき使えば、十分元が取れるわけだ。

 しかも転職すれば、本人にも大企業の経営者に向かって「あなたのおっしゃることは間違っている」などと偉そうな口を堂々ときく立場が与えられ、3年もすれば「戦略コンサルファームでコンサルタントとして、ナントカ業界の合併再編を支援」などという箔が履歴書につくわけだ。で、30代後半で再び、今度はベンチャー企業や外資系事業会社の役員や社長として転職というコースができあがっていた。

 その間元の日本企業にいたとしたら、どうなるだろう。相当のトップクラスの大企業でも30歳代前半の社員の年俸は1000万円を超えるぐらいがせいぜい。しかもやらされる仕事は係長とか課長クラスで、巨大組織の重箱の隅をつつくような実務の日々。自社の経営陣と新事業参入の提案を巡って丁々発止のやりとりなんて、この年代の社員じゃ望むべくもないわけだ。で、40歳になったら社内政治のしがらみでがんじがらめ、身動きのとれない事業部長が関の山。これじゃ転職しない方がおかしい。

 ところが、最近の銀行・商社は留学時期を従来より5年以上遅らせ、係長~課長職クラスを派遣するようになっている。こうすると、帰ってくるのは35歳以降。転職市場での人材価値が一気に落ち込んでからとなるわけだ。つまり、MBAなどの箔をつけて帰ってきてもそれほど有利な条件では転職できない。

 個人的には、MBA資格取得者なんて流動化してナンボと思っているので、商社や銀行のやり口はせこいと思うが、辞めてもらいたくないならそれはそれで1つの合理的な対策だ。本当に若くしてコンサルキャリアの道を歩みたければ、自費で留学すればいいわけで。役所も何でそうしないんだろう。30代半ばの課長代理を留学に出せない理由でもあるんかしらね。

 こちらのブログでも書かれているように、日本という国が職業選択の自由を憲法で保障している以上、「公費での留学経験者が役所を辞めて外資系ヘッジファンドで荒稼ぎするなんてケシカラン」とか、言ってみたってしょうがないわけですよ。良い条件とやりがいのある職に乗り換えていくのは本人の責任じゃないんだから。それよりはpogemuta氏が言うように、「外部を経験した目から見ても魅力ある組織に役所を変える」ことが先決だと思うわけだ。

 これについては、面白いエピソードがある。MBA留学後1年ほどして財務省を辞めて民間に転職した僕の知り合いが話してくれたのだが、彼は帰国後、省内で仕事のやり方を変えるようにいろいろと提案を出したのだそうな。

 特に彼が強く問題にしたのが、kanryo氏の日記でも話題になっていた「キャリアのサービス残業」の問題だった。ちょうどその頃、財務省でも過労やノイローゼで年に何人も自殺者が出ていたらしい。だが、それを引き合いに出して就労環境改善を訴えた彼に対して、財務省の上層部が返した答えというのが、「我々はサムライである。民間人や他の省庁とは格が違う。いざという時には国のために命を投げ出すのがサムライたる者の役目だ(だから過労死対策など要らない)」というものだったらしい。彼はその答えに絶望し、その後しばらくして辞表を出した。

 その後日談というのがあって、最近彼は古巣の財務省の先輩に呼ばれたんだそうだ。さすがにこれだけ人材が流出したから、少しは以前の彼の提案を受け容れてくれるつもりにでもなったかと思って行ってみたら、「そろそろ我が省としても一度民間に出た諸君らを再度採用する制度を作りたいと思う。ついては君も戻る準備をしておくように」って命令口調で言われたとか。彼は「いったい何様のつもりなんだろうかね、あの人らは」と呆れ返っていた。

 役所って本当にいろいろな意味で遅れてるよね。その知り合いの話聞いて、僕はもう今さらあれこれ言う気も失せたけどさ。どうせ同じ税金を使うなら、いっそ官僚じゃなくて、民間から「留学後は最低10年役所で働くこと」っていう条件の奨学金でMBAやポリサイの大学院への海外留学希望者募ってみたらどうかな。って書いてから10秒で、「絶対人集まらねえな」とか思ったよ、ゴメン。

02:28 午前 経済・政治・国際 コメント (4) トラックバック (7)

2005/03/01

個人をネタにするブログのリスク

 ARTIFACT@はてな系で紹介されていた女子大生ブログ関連の話。昨年から今年にかけて学生ネット界最大の話題の1つだったさきっちょ&はあちゅうの片方は内定を辞退、そしてもう片方もネットベンチャー経営者と組んでイベントプロデューサーに。そして、そのイベントの方は250人も応募者があるらしいっすよ。

 つまりあれですか、自分を晒すネタブログ作って平々凡々な日々から脱出せよ!っていうのが最近の女子学生の流行りってことですか。脳内平凡日常から脱出できても、はあちゅうみたいなイベントプロデューサーになれるかはビミョー。いかにも2匹目のドジョウがいなさそうな企画だなあ。詳しくはid:SNMR氏@ダメ東大女子のまとめエントリを読まれたし。

 というわけで話題に乗り遅れまくりなR30ですが、よーしパパ東大受験生に戻った気分で果敢にid:gachapinfan氏の東大文系現代文論述問題に答えちゃうぞー。


1. 『電車男』との異同を論ぜよ。(25点)

 電車男とさきっちょ&はあちゅうの最大の違いは、電車男が「ネタの盛り上がり」(2ちゃんねる上)と「書籍化」(新潮社編集部)が、少なくとも表面上は全く別の主体によって行われたのに対し、さきっちょ&はあちゅうの場合、ネタ作りと書籍化あるいはイベント(いい女塾)が同じ主体によって行われている(ように見える)ところが最大の違いである。そして、オーディエンスの批判というか不快感も、まさにこの点に集まっている。


2. 「がんばってブログやってるんだから多少の報酬はあってもいいじゃないか」という主張がありうる(起業家利得正当化論)。これに対してどう応えるか。(10点)

 がんばってブログやることと、商業的な利益を得るために何をどう利用するかということはまったく関係がない。がんばって心に残った詩をメモしたという安倍なつみが、著作権法に違反してまでそれを出版して儲けていいかというと、そんなことはあり得ないのと同じ。よってこの正当化論は詭弁。


3. 「個人ブログ」の内容はまったく個人の自由なのか、それとも何らかの制限・義務が課されるべきなのか。(各10点)

3.1. 商業目的の利用は問題となるか。

 問題は大きく分けて2つある。1つは著作権という法律上の問題、もう1つは読者を「釣る」ことに対する倫理的不快感の問題である。

 「商業目的」にもいろいろとレベルはあって、エントリの部分だけをまとめて出版することは既に「鬼嫁日記」等を含めさまざまなかたちで行われている。それ自体は何の問題もない。

 ただ、ユーザーコメント欄での盛り上がりを勝手に書籍化していいかというと、これは非常に難しい。法律の専門家でも何でもないR30の勝手解釈では、ブログの著者がエントリ内に「引用」したものに関してはギリギリOKというところで、メアドやブログURLの付加されているユーザーのコメントを無断で利用するのはクロだと思う。

 ブログのコンテンツそのものの販売ではなく、もっと別の意味で商用利用という意味では、例えば個人ブログでもアフィリエイトで稼いでいる人はいっぱいいるわけだし、あるいは個人でネット通販のお店を開くための広告宣伝としてブログを使っている人もいる。したがってこれも何ら問題ではない。

 問題は、著者が主催するイベントに読者を呼ぶという形式だ。ブログが他人やよその社会事象のメタ言語のブログであればそれも成り立つ。だが、著者は「ネタ」でもあるがイベントプロデュースを手がける「メタ」の立場にも立つという場合、「著者というネタ」で盛り上がっていた読者は、突然その相手が「メタ」として自分たちを見下ろす立場にもいた(つまり自分が「釣られていた」)ことに気がついて、(人によっては)激しい不快感を抱くことになる。

 つまり、自らをネタにするブログが、突然「実はこのネタブログは私自身のイベントorセミナーの勧誘のためでした」とカミングアウトする形式は、読者に「よくも釣りやがったなこのアマ倫理的にルール違反だ」といった不快感をもたれないようにするのが非常に難しいということである。


3.2. 「やらせ」は許されないのか。

 個人ブログやってる人ならみんな分かるが、「やらせ」「ネタ」のない人気ブログなんてあり得ない。それをいかに「やらせ」と見るメタ視点に読者を引かせないか、あるいはメタ視点からわざと見せて笑わせるか、等のテクニックの問題があるだけ。

 個人ブログの「やらせ」問題そのものに対して「お前、よくもやらせで俺のこと騙したな!」って怒り出す読者がいるとすれば、それは単にその読者がバカなだけであって、「ネタをネタと見抜け(ry」という例のフレーズを返すか、それともそういう読者をブログに呼び込んでしまった著者のマーケティングセンスを恥じるべき。前者の対処をした場合にはR30のように二度とお天道様の当たるところには出ていけなくなる(笑)。


3.3. 読者の期待(「フツーの女子大生がけなげに頑張ってほしい」願望)に応えなければならないのか。

 「フツーの女子大生がけなげに頑張ります!」というメッセージを発した時点で、そういう期待を持つ読者を呼び込んださきっちょ&はあちゅうがどういうマーケティングを考えていたかによる。

 これが、例えば今話題のライブドア・パブリッシングからの出版のお願いが突然舞い込んで、「ええ~私たちのあんな話でも出版してよかとですか??ええ~ええ~信じらんないウソみたいキャー」とか盛り上がる無邪気なカマトトエントリなんかがアップされていたら、ライブドア死ねってコメントは出たかもしれないが、少なくとも2人の女子大生に対する批判は起こらなかっただろうと思う。イベントも同じ。はあちゅうが主催するイベントでなければ、たとえ「審査員として呼ばれちゃいました…」とか書いてもそれほどのハレーションはなかったと思う。

 だが、「悪あが記」スタートの時点で発されていた「フツーの女子大生」のメッセージとは矛盾するこれらのスタンスが、いくら「これは自分がこの数ヶ月で考えが変わった結果でして…」と説明しても、読者には納得されないのは当たり前。読者は生身のさきっちょやはあちゅうに触れたことなどなく、ブログ上に表明されたブランド・プロミスに反応して集まってきただけなのだから。

 不特定多数の読者の読むエンタテインメントとしてのブログで、自分自身のライフスタイルをネタにする際には、少なくとも「最初に読者と握った前提(ブランド・プロミス)を商業化の段階でも維持できるかどうか」を確認してからでないと、大きなリスクを抱えることになる。これは自分をネタにするブロガーの人たちにとって図らずも貴重な教訓になっていると思う。


4. 「より広く知ってもらうために営利企業と提携するのはよいことではないか」という主張がありうる(パートナーシップ論)。これに対してどう応えるか。なお、「学園祭において、営利企業との提携イベントを企画するという行為」と類比するかたちで論じてもよい。(20点)

 そのパートナーシップ論というのは、言葉の意味が全然違う。非営利団体(あるいは個人)と営利企業のパートナーシップというのは、企業がカネを出すのに対して、パートナー側が企業に対して間接的なパブリシティーや観客動員、名声(reputation)などを提供することを言う。別にはあちゅうが自分のイベントに企業からお金を取ろうが何しようが全然構わないが、今回の問題とは本質的に関係ない。


5. ブログ主を非難する必要性はあるのか。成文法に抵触しないのであれば、「市場の判断」にゆだねる(=アクセス数減少)だけで十分ではないのか。(15点)

 もし書籍に自分のコメントが無断で引用されたとして、それを著作権侵害で訴えるのであれば、それはそれで理屈が通っている。ただ倫理的な不快感(釣られたこと)に対しては、法的な対策は一切取れないわけだから、コメントスクラムでも誹謗中傷サイト開設でも個人情報暴きでも何でもやるよろし。名誉毀損とかで逮捕されても僕は知らん。現実的には、アクセス数減少以外の裁きは必要ないと思います。

というわけで、東大生のSNMRさん、採点よろしくお願いします。ペコリ(o_ _)o))

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