専門職と丁稚奉公
そういえば世の中は、就職活動たけなわの時期ですねえ。ついこの前年が明けたと思ったのに、早いことです。はぁ(ため息)。
就職活動と言えばこの時期、また愚にもつかない「人気企業ランキング」などというものがあちこちで出回るわけだが、あんなもの就職先を決めるのに何の役にも立たない。就職情報サービスの会社にたくさん広告出稿した企業への表彰状みたいなもんだしね。最近は大学の就職説明会回りとホームページだけで中小企業でも結構優秀な人を集められるんだし、就職情報サービス会社への広告出すのなんか、くだらないからやめちゃえばいいのにね。
今どきの学生に直接話を聞いたことって正直あまりないからよくわかんないんだけど、僕の時代とは全然違うってことだけはとてもよく分かる。
僕の時代の就職活動って言えば、だいたい大学のゼミ(文系経済学部)から行くところってば都銀(金融機関)・商社・マスコミあたりと相場が決まってて、ときたま重電やエネルギーなどの大企業に行く人がいる程度。金融機関でも外資系とか、あるいは売上高1000億以下の会社に就職するなんて言ったら「ハァ?どこそれ?」みたいな顔されたわけです。
今の学生には、そんな「大企業幻想」なんて全然ない。なんせ一番頭がいい奴が行くところはマッキンゼー、BCGなどの戦略コンサルか外資系投資銀行と相場が決まっている。そこまでいかなくてもそこそこできる学生の関心事は「どういうキャリアパスを想定して就職先を選べばいいのか」であって、大企業に一生勤め上げようなんて気はこれっぽっちもない、らしいですよ。
それで注目を浴びるのが企業に所属しなくても食っていける「手に職のついた人」、すなわち「専門職」というキャリアなわけだが、これがくせものだ。特に、将来は出産でキャリアを中断しなければならないかもしれないと考える女子学生ほど「手に職」を求める傾向が強いと思うのだが、そもそも目に見える「手に職」っていうのは存在するのだろうかと、自分自身社会人としてつくづく思う。
そりゃー、何十年と積み重ねたものがないとできない職業っていうのはいっぱいありますよ。医者とか弁護士とかっていう「士業」がその代表みたいなやつだし、そうじゃないものでも、いろいろあるよね。これに対比されるのが、典型的な例で言うといわゆるサラリーマン、事務屋さんとかかな。
でも、何十年と積み重ねたキャリアがその仕事になくてはならない商売っていう定義で言うと、実は「大企業のサラリーマン」こそがまさにそれなんじゃないかっていう気がするよ、僕は。
なぜって、大企業のサラリーマンっていうのは、毎日社内政治するのが仕事なわけだ(もちろん、生産的な仕事もちゃんとしてるけど)。偉くなればなるほど組織内の調整業務が多くなって、会議と書類作りとに忙殺されるようになる。それがいいことか悪いことかは別にしてね。
で、そういう仕事っていうのは、たとえばシステマティックに学習可能なスキルとしての「マネジメント」を学んだところで、絶対にできない。その会社の過去何十年の歴史とともに生き、○○事業部の△△部長は俺の元部下だった、××事業担当の◇◇専務ならあの人の若い頃の話をいろいろ知ってるから話つけられるよ、そういう「しがらみ」を振り回すことでしかこなせない仕事がたくさんあるからだ。
そこそこ歴史のある日本の大企業が、部長以上のマネジメント職にまったく何の関係もなかった外部の人間を突然迎えるなんてことを絶対にしようとしないのは、それがその企業にプロパーとして入って何十年積み重ねた奴にしかできない仕事のポジションだからだ。まあ、だからこそ彼らはリストラとかで社外に放り出されると、まったく何もできない人になっちゃうんだけれども。
医師や弁護士みたいな、法律で定められた資格職と「大企業の管理職」という仕事以外のほとんどの職業は、別にそんな特殊なキャリアって要らないんじゃないだろうかと思う。そういう意味では、「手に職」をつけたいっていうのは、ほとんどの職業あるいは就職先を選ぶ時の選択基準にはならない気がする。
ただ、それじゃあ「特定の企業を離れても食っていける人になるにはどうしたらいいのか」っていう質問の答えになっていないので、「やる気と根性があれば人間たいていのことはできる」っていうことはまず前提として置くとして、どんな人になれば「特定の企業に所属しなくても食える」のかということを考えてみる。
最近じゃ、言われた通りのことさえもできない奴が増えているので、それは当たり前って言い切ってしまうのもどうかと思うが、言われた通りのことができればフリーターレベルの仕事にはありつける。
そうではなくて、大企業でも中小企業でも「正社員として雇いたい」と思う、つまり割高な給与と(仕事のあるないにかかわらず)持続的な雇用をある程度保証しても囲っておきたいと思う人っていうのは、並河助教授のブログの言い方をそのまま引用すれば、「人と話し合いつつ現場でその日その日の困ったことを何とかする能力」を持った人のことだろうね。分解すると「コミュニケーション能力」と「問題発見・解決能力」ってことかな。
では、そういう能力を身につけさせてくれる企業ってどこ?という話になると、「そんなところありません」というのが結論かも(笑)。正確に言うと「今はもうありません」かな。
昔、少なくとも僕が新卒で入社した頃までは、先輩や上司にすっげえおっかない人とかねちっこい人がいて、学生気分で入社してきた僕らのプライドと小賢しい問題回避能力(笑)を、完膚無きまでに粉砕してくれて、社会人の流儀というのを鉄拳でもって教えてくれたような記憶がある。そんなことしてもその上司や先輩には一文の得にもならないんだけど、彼らも社会人の先達としてのプライドみたいなものがあったのだろうか、熱心にそういうのをたたき込んでくれた。
しかしそれから人間関係はどんどん希薄になり、新入社員に粘着して鉄拳制裁したり怒鳴りとばしたりする人はほぼ絶滅した。それには2つ、理由があったと思う。長い右肩下がりの不況を経て、そんな労力を費やしても会社が評価してくれなくなったこと。もう1つは新卒社員が、怒鳴りとばしてもそのまま凹んで、気がついたら会社辞めちゃってましたみたいな奴ばかりになって、おいそれとプライド粉砕攻撃とかできなくなっちゃったこと。
前者の理由は「デフレ経済」「不況」で納得できるんだけど、後者の理由はよく分からない。僕はゆとり教育のせいなんじゃないかと思ってるけど、違うかもしれない。
とにかく、新入社員に手間をかけてコミュニケーション能力と問題解決能力をたたき込んでくれる企業はなくなった。つまり、今どきどこの大企業に就職したって、それだけで世の中を渡っていける「スキル」なんて手につかないってことだ。今どき「手に職」が欲しかったら、自分で盗み取るしかないのだ。
で、タイトルに戻るわけだが、もし「特定企業に属さなくても世の中をわたっていける」能力のことを「専門職」というのなら、それは自分で盗んで身につけるしかなくなったのだと思う。企業もそのことをよく分かっていて、世の中にある「専門職」系の仕事であればあるほど、正社員(=スキルのある人)と契約その他(=スキルない人)の給与格差が激しくなっている。
例を挙げればきりがないほどなのだが、たとえば僕の従兄弟が服飾デザイナーを目指していて、「それってどうやったらなれるの?」と聞いたことがある。返ってきた返事は「とにかくどこかのデザイン事務所にもぐりこみ、そこでほとんど無給で丁稚奉公する。それしかない」というものだった。
無給に近い「丁稚奉公」を10年近く続けないと、正社員という「親方」になれない業界というのは、伝統的なガテン系やプロスポーツなどだけでなく、これまで知的労働とされてきた分野にまで、すごい勢いで広がっている。
知っている限りで言うと、医者や建築家、各種デザイナー、大学教授などは既にそういう世界になっている。法科大学院がスタートして法曹人口が一気に増える弁護士業界も、これから同じ道をたどるだろう。かろうじて既得権益が守られているのは会計士ぐらいか。
そして次にそういう波をかぶるだろうなあと僕が思っているのが、マスコミ、ジャーナリズムの世界である。
以前に映画「ニュースの天才」の批評で、米国のジャーナリストというのは、そのほとんどが専門学校を出たばかりの若造ばかりだということを書いた。米国のジャーナリストというのは、年収300万円以下の丁稚奉公を5~10年勤めて取材や執筆の技術を盗まないと、署名入りで記事が書ける「コラムニスト」にしてはもらえない。
僕はたぶんそれが身につく前に修業を放棄してしまったクチだと思うが(笑)、ジャーナリストとしていっぱしの能力を身につけるには5~10年かかる、というのは、元朝日新聞記者のフリーランス・ジャーナリスト、烏賀陽弘道氏も自身のウェブサイトでこう語っているので、感覚的にそれほど間違っていないだろう。
朝日に限らず新聞社や通信社にいる同僚たちにはぜひ伝えておきたいのだが、新人記者になって最初の5年間くらいの初期トレーニングは、かなり強力な武器をぼくらに残してくれる。これはaccuracy checkとでも言えばいいのだろうか、記事に書くデータをチェックして、間違いがないようギリギリまで詰める実務のことだ。当たり前のことのように思うかもしれないが、ずっとフリーで育った人は、このアキュレシー・チェックが意外に弱い人が多い。人によって違うが、入社5~10年目までのトレーニングというのは、プロのライターとして渡っていくには、けっこう貴重な財産なのだ。逆に言えば、その能力が身に付くまでの半人前の若造が、日本のマスコミではまだべらぼうな給料をもらっていると言ってもいい。
ここまで書いたら、たぶん多くの人は「R30は市場原理主義者だから、世の中みんな丁稚奉公になっちまえばいいっていう結論になるだろう」って予想するだろう(笑)。でも正直、僕はこれに関しては「事実世の中はそっちの方へ向かっているし、そうしないとマスコミは企業として生き残れない」という現実は直視したいと思っているけれど、それがいいと思うか悪いと思うかと聞かれると、黙るしかない。
若いときにはタダ働きみたいなことばかりさせられて、ようやく余暇を謳歌できる時間と金が手に入った時には、人生のたいがいの楽しみは味わえない年齢になっているって、本当に幸せな世の中なのか。人間、年齢や分相応で使い切れないほどのカネをもらっても、悪いことをするだけだろう。誰もが必要な時に必要なだけのお金が手に入る暮らしの方が、どんなにか人間的だと思うのだが。
とはいえ、僕自身は「特定企業に属してマネジメントになれるまで数十年の歳月を積み重ねる」という生き方に幻滅を感じてさっさと放棄してしまった人間だし、特に「手に職」もついてないので、これから数十年先までニートとかにならずにまともに生きていけるかどうか心許ない。
したがって就職活動をしている学生たちに贈れるような言葉も持ち合わせてないわけだが、一つだけ言えることがあるとすれば、「とりあえず最初に社会に出る時には、法人相手のビジネスしている大企業に入っとけ」ってことぐらいだろうか。
消費者からカネをもらう会社はこれからどんどん辛くなる時代である。有名じゃなくてもいいから、大企業相手に商売しているそこそこの大企業に入っておけば、とりあえず「手に職」になりそうな何かを盗むまでの10年間は何不自由なく養ってくれるはずだ。僕みたいにそこから転がり落ちて外に出ることは、その気になればいつだってできるのだからね。
なんか、何が言いたいのかよく分からないのにどえらい長文になってしまった。皆さんゴメン。
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コメント
アメリカのビジネススクールは講義とそっくり同じ内容の訓練を大企業から委託されることが多くて、収入源として結構大きいんだという話を聞いたことがあります。なぜそういうことをするのかわかりませんでしたが、このエントリを読んでピンと来ました。
能力は上がって欲しいが、どこでも通用する学歴なんかつけるとスピンアウトされちゃうんだ。きっとそうにちがいない。
投稿: 並河 | 2005/02/06 10:45
並河先生、コメントありがとうございます。鋭いですね。
これから、日本企業でもそういう「社内大学」を設けるところが、どんどん増えると思いますよ。そうしなければこれからは本当の競争力を持った人材を囲っておけませんからね。
30代以下の人に「会社への忠誠心」という概念はありません。あるのはギブアンドテイクだけ。ギブしてくれない会社からはテイクするだけして、逃げます(笑)。カネでも教育投資でもギブしてくれない会社は、あっという間に見切りつけられる時代になりました。
投稿: R30@管理人 | 2005/02/06 12:32
いやぁすごい良く理解できます。
自分は、まさに「手に職をもたずに大企業を転がり落ちてしまった」人間なので、正直数十年どころか、数年先の自分もイメージできない日々が続いてます。
難しい選択ですよね、ホント。
ちなみに、私の前の会社も留学制度から帰ってきた社員が皆やめてしまうので問題になっているらしいです。
やはり、社内大学制度になっていくんですかね・・・
投稿: Tokuriki | 2005/02/06 14:16
>もう1つは新卒社員が、怒鳴りとばしてもそのまま凹んで、気がついたら会社辞めちゃってましたみたいな奴ばかりになって、おいそれとプライド粉砕攻撃とかできなくなっちゃったこと。
この部分ちょっと気になりました。
推測ですが、以前の世代は会社に入ったことですでに「身内」として扱われるみたいな前提がお約束として社会全体にあったのかも。それが、以降の世代では「身内」というお約束が希薄なせいで愛の鉄拳が本気の怒りのように感じられるようになってしまったのでしょうかね。
投稿: to | 2005/02/06 22:30
民間は大企業であっても、かなり国の役所より遅れてることがよくわかりますね。
しかも、訓練期間が長いこと。今後かなりの厳しさを持って運営しないと持たない企業やマスコミが多いことがはっきりしたわ。
投稿: アダム | 2005/02/07 00:53
> 消費者からカネをもらう会社はこれからどんどん辛くなる時代である。
すると、マーケティングと呼ばれる職種に就かれている方々はこれからますます辛くなることに…。
投稿: てけてけ | 2005/02/07 13:51
コメントどうもです。>てけてけさん
以下は少々僕の期待も含まれていますが、辛くなるというよりは、当てずっぽうで売り出しても売れる商品がどんどん少なくなり、より専門的な技能を身につけたマーケターが重宝され、エセマーケターが排除されるようになるのだと思います。現に今の日本企業の中に、専門職としての「マーケター」のポジションはほとんどありませんので。
その意味では、マーケティング分野も見よう見まねで誰もが好きなことを言っていられた時代から、「丁稚奉公→親方」の流れを踏む専門職のポジションになるのではないかと思いますね。
投稿: R30@管理人 | 2005/02/07 15:45
マーケティングというと会社内のマーケ部署も入りますかねえ。
いや、私の働いてる会社のマーケ隊はアメリカ本社とのつなぎを取る部署であって、
パートナーやエンドはまるで無視!という天晴れな仕事ぶりです。
君たちの給料はどっから出てるのかと小一時間(ry
そしてしわ寄せは営業部隊がかぶると。トホホです。
投稿: みゆ | 2005/02/07 17:29
TBへのコメントありがとうございました。
常に人はどう生きるかを問われています。
世界と繋がったことにより、日本の社会は変化してしまい、それにあわせて、個が変わらなければならない状況になってしまいました。
問題は誰もが自分の頭で考え行動できるわけではなく、既存のシステムに乗っかって生きている人が多いと言うことなのです。
今は変わることの出来ない個が落ちこぼれていく時代なのかもしれません。
投稿: makiko kuzuha | 2005/02/07 19:16
正直な話、世間の移り変わりが激しすぎて、どこも人材育成にあんまり時間を書けてられる余裕がなくなってるんではないかとは思いますね。
5年後にはゴミスキルになってることが往々にしてありますし。
丁稚系でいえば、理容師と寿司職人がそうですね。
あんまりにも増えすぎたり、利益率の高さにチェーン店が目をつけて価格競争が激化、
独立なんてとんでもないって状態になりつつありますし。
しかしそのなかにあっても人と人とのコミュニケーションは不変でしょうね。
ビジネスマンの基本は物を右から左に流すこと。
それをいかにスムーズにするかですから。
投稿: タツユキ | 2005/02/08 04:35
あと日本固有の問題として、年功序列制度が徐々に崩壊してきてるというのは感じます。
企業にとって最も重要なのは利益です。
当然利益を上げられる社員は若くても偉く、
逆に中年でも利益を上げられない人に高給をだせば、
他の利益上げてる社員に申し訳が立たないでしょう。
たとえがんばって一人前になっても給料がそんなに上がらなくなるなら、
もっと条件のいい職場に転職するのを止めることは出来ないでしょうね。
ある意味なにがしかの才能のない人には、企業の評価は辛い世界になりつつあるかもしれませんね。
投稿: タツユキ | 2005/02/08 04:45