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2005/02/15

伝統と誇るものに大した伝統はない

 これからしばらく仕事が大忙しになりそうな様子。昨年11月からほぼ毎日書き続けてきて、言いたいこともまだまだたくさんあるんだけど、ブログを書く以外のやりたいこと、やらなきゃいけないこともいろいろと出てきたので、どこまで意地になって継続するか、ちょっと悩み中。とはいえ、一度途切れると何かどうでもよくなってしまいそうだし。

 と、そんな状況ですが今日はちょっとまったりした話を。楠木坂コーヒーハウスさんのところで、東亜日報に掲載されたキムチの歴史の話が取り上げられていた。東亜日報の記事を読んで、「そんなことも知らんかったのか韓国人は」という感じだ。

 いったん過去の(日帝支配の部分の)歴史を全否定しなければいけないという負い目を背負った国のことなので、しかたないことなのかとは思うが、もし「伝統」という言葉をここ1~2世紀以内の発祥物に使わないというルールなのであれば、キムチは伝統食でも何でもないことぐらい、アジアの食の歴史に関心のある人ならたいがい知っているものだと僕は思っていた。

 東亜日報の記事は「1920年代、近代化とともにキムチが脚光を浴び始めた」以上のことに何も言及していないが、1920年代というのは日本が韓国を併合した後である。つまり日帝支配下のことだ。こちらの「辛いキムチの起源」というページが、この歴史を割と中立的に述べているのでご参考まで。

 それと、これはソースがうろ覚えなので確からしいかはちょっと自信が持てないが、もともとあった塩漬け白菜などの漬け物に唐辛子粉とにんにく、ニラ、アミの塩辛などを混ぜた「キムチ」ができたのは、当時の朝鮮総督府が敷いた食料統制の影響だという話をどこかで読んだ記憶がある。

 ま、この手の「どこが起源?」ネタにこれ以上深入りしすぎるとニダニダ叫ぶ嫌韓厨が大量に流入してきてコメント欄で収拾がつかなくなりそうなのでやめとく。言いたいのは、別にキムチなんて何世紀も続いた伝統食でも何でもないってこと。

 この手の勘違いっていうのは別に韓国に限らずあちこちにある話なんだけど、特に香辛料絡みの食べ物はそれが多い。普段あまりに食べ慣れてしまったものがつい数十年前は存在しなかったという事実は、やはりどこの国の人間にとってもにわかに信じ難いことだからだろうね。

 唐辛子に限って言うと、そもそもメキシコ原産のこの香辛料がアジア地域に入ってきたのは、クリストファー・コロンブスが東インド諸島を発見した際に手に入れた唐辛子を本国スペインに持ち帰ったのが15世紀末の1493年。その後16世紀初頭にインド・東南アジアへ伝わり、1542年にポルトガル宣教師が九州に持ち込み、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に韓半島にも伝わった。このへんの詳しいくだりはWikipediaの「唐辛子」の項を参照。

 アジア各国に唐辛子が流入したのは16世紀から17世紀にかけてだが、現在唐辛子を使った各国の代表的な料理ができたのは、もっと後になってからのことだ。唐辛子料理の歴史が一番長いのは、Wikipediaによるとインドとのことだ。僕が直接聞いたことがあるのはタイの話で、唐辛子を使った各種の料理(トムヤムクン、ゲーン(カレー)など)が主流になったのは、150年ほど前らしいということだ。

 タイ人は唐辛子を明確に「防腐剤」だと思っていたし、今でもそうだ。もちろん辛味が好きでもあるのだろうが、何しろ暑い地域なので、唐辛子を入れた食事と入れない食事では痛みかたが全然違うことを経験で知っているのだ。

 実際、今でこそ冷蔵庫が普及したのであまりそういうことはなくなったが、かつてタイではおかずというのは3日に1回ぐらい作って戸棚の中に入れておき、食事のたびに出してちびちび食べるものだった。当然ながら、唐辛子の入ってないおかずはあっという間に腐ってしまう。そこで常温で放置しても腐らないように、ペースト状に練った唐辛子をどんな料理にもたっぷり混ぜ込むのである。

 時には、この唐辛子ペーストそのものをおかずとして食べたりもするぐらいだ。日本でかつて「味噌」が家庭の味とされていたように、タイで「家庭の味」と言えば、各家ごとに作る「唐辛子ペースト」の味のことである。

 タイはベトナムや中国の四川省などとともに東南アジア大陸部文化圏に属するので、四川や福建などの料理で豆板醤(トウバンジャン)が使われるようになったのも、おそらくそのぐらいからだろう。そして、韓国のキムチは日韓併合後。唐辛子料理の歴史なんて、インドを除けばせいぜい100年かそこいらのものである。

 このほかにも、国を代表する伝統食と見られているが実は歴史の浅いものというのも少なくない。例えば寿司なんてその典型だろう。にぎり寿司が生まれたのは江戸時代末期。今から約150年前程度のことだ。うどんもそう。小麦粉を練って細く切ったものは室町時代からあったが、かつおぶしと醤油で作っただしに入れるという食べ方になったのは、元禄時代以降だそうな。

 食べ物なんて時代とともにすごい勢いで移り変わるものなので、伝統とか歴史とか、小難しいことを言っていても始まらない。ただ、何が本当においしいか、おいしくないかだけは判別できる舌を持っていたいという気持ちはある。そのためには、やっぱり(毎日でなくてもいいから)月に1回ぐらいは金と時間を惜しまないで良いものを食べに行く、あるいは自分で作るべきかなと思う。

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コメント

「日本で衣食住で過去に100年続いたトレンドは無い」と大阪外大のどなたか以前テレビで「暴論ですが」と前提されて仰ってました。

投稿: 伊太郎 | 2005/02/15 10:38

>「日本で衣食住で過去に100年続いたトレンドは無い」と大阪外大のどなたか以前テレビで「暴論ですが」と前提されて仰ってました。
これは、けっこう興味深い話です。トレンドが続かない、ってのがみそなんでしょうね。大体の伝統食は、必要に追われて発生した物であり、好きで作っている訳ではない、と。管理人さんの今日のお話に通じるものを観じます。

投稿: うみゅ | 2005/02/15 12:44

韓国のことですから、リンク先の記事の最初の段落はもしかすると一種の定型なだけで、本気で知らなかったのではないのかもしれません。もちろん断言はできませんが……。

韓国も宮廷料理は辛くないですよね。韓国でご馳走になって、しかし辛いのが食べたくないときは宮廷料理の店をリクエストするようにしています。

投稿: スープ | 2005/02/15 13:17

揚げ足取りで悪いがコロンブスが見つけたのは東インド諸島でなくサンサルバドルなわけで。

投稿: アンボイナ | 2005/02/17 03:42

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