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2005/02/28

2005年2月のバックナンバー

ドンキホーテの"本音チン列"
秋葉原ドンキのストア・コンパリゾン。ここでは珍しい「下ネタ」系。

ブログ書くのに疲れただと?!そんなおまいに鞭くれてやる!
アルファブロガー企画に入賞?した記念に、八つ当たり的に書いたメタブログ論。

財務省の役人は救いがたい低能である件について
海外投資家へのVC源泉課税問題にガソリンぶっかけたエントリ。bewaad氏にほぼ論破されてます。

トップ人事へのコメント3件
三井住友銀、JFEスチール、三菱自工のトップ人事についてコメント。あまり人気なかった。

専門職と丁稚奉公
就職活動している学生に送る「手に職」をつけるためのR30的はなむけ。大企業相手に商売する大企業にまず入れ。

ガンダムを月面用建設重機と偽ることについて
三菱重工の就職イベントをからかうエントリ。コメント欄が抱腹絶倒。

マーケターというお仕事
消費財マーケターの夢と理想と現実。「専門職と丁稚奉公」の続編的エントリ。

ライブドアキタ━━━━(゜∀゜)━━━━ !!!!!
さあさあ皆さん、歴史的な瞬間、ライブドア祭りの始まりです(笑)。

もう1人のR30が
ライバル登場ということで紹介してみたが、3月途中で早くも更新停止(笑)。

ライブドア堀江貴文社長記者会見質疑応答
ネット中継されたホリエモンの記者会見をそのまま起こして会見終了30分後にアップした資料的記事。

またまたぁ、みーんなほりえもんに釣られてぇ~(笑)
ライブドアの狙いは産経新聞だ、とぶち上げた観測気球。後にホリエモン自身が釣られたので驚く。

フィオリーナ会長辞任に思う、HPとソニーのたどる顛末
HPのフィオリーナ会長が辞任したのをソニーと重ねて語った話題作。その後本当に出井氏が辞めた。

エキサイトブログニュース萌え萌え
「エキサイトブログニュース論争」への参加エントリ。ネット近所付き合いというか。

手帳と品質管理と私。
記者時代のスケジュール&情報管理術と、今の悩みについて。

マスコミっていうのはくだらない意地を張るのが好きな人たちである件について
NHKvs朝日新聞問題にちょっかい出してみようとした、腰の引けた脊髄反射エントリ。

2005年の衝撃トレンド・属性のコモデティ化(その1)
手の込んだバレンタインデー企画その1。ソニーとHPの戦略についてのまじめな話。

2005年の衝撃トレンド・属性のコモデティ化(その2)
実はこれが言いたかった、「美人属性のコモデティ化」。ブスはブスなりのマーケティング戦略を。

伝統と誇るものに大した伝統はない
キムチの由来と、アジア圏における唐辛子料理の歴史について。

【ヲチ中】ライブドアもろもろ
ネタがないのに書いたので、ちょっと勘違い気味のエントリ。早速コメント欄で被弾。

低コスト社会に必要な中小商店
R30おなじみのアンチ邪巣古論。社会インフラのコストは、コンビニによって下げられる。

京都議定書なんかどうでもいいよ、自然が一番
「環境対応」は広告などで連呼するより、上質感の中にさりげなく折り込む方が効果が高いという話。

【ヲチ終了】ライブドア、信託利回りを確定中
ホリエモンをいったん見切る宣言。今これを読むと、むしろフジ側の対応の醜悪さの方が目立つなあ。

環境とか議定書とかでちょっと追記
環境問題の泥沼に入りかけて必死に足を抜く(笑)エントリ。

ネット右翼だって現実社会に戻ればリベラルでしょうが
むなぐるま氏の提起した「リベラルvsネット右翼」論争に対するカウンター。

日本の出版社には市場価値がない件について
徳間書店のリストラとスタジオジブリのスピンオフについて述べつつ、出版業界の斜陽を分析。

またぞろ外資規制だってさ…メディア株全部投げ売りだよバカだな
片山元総務相のメディア外資規制強化発言に噛みついた罵倒エントリ。

ソニーはCLIEでなぜ失敗したか
ソニーのPDA撤退の発表に寄せて、同タイトルの昔の記事(削除済み)と昨年の関連エントリへのサルベージリンク。

【ヲチ復活】LFの新株予約権発行は違法じゃねーのか
フジテレビの買収対抗策に対して、発表後すぐに脊髄反射で立てたTBセンター的エントリ。

産経新聞記者乃皆々様江
木走日記と吉田望氏のホリエモン=ロビンソン・クルーソー仮説の紹介と、アルファブロガー飲み会のご報告。

【ヲチ山場】陰の当事者、ついに立ち上がる?
なりきりネコプロトコルでライブドア問題に言及。この時「経産vs総務」の構図に気が付きかけていた。惜しい。

マスコミって一昔前の銀行業界みたいだよね
かつて見た銀行員の悲哀が、時代を超えてマスコミで甦る(笑)というお話。経済学用語を誤用しまくり。

今日の一言ツッコミ
スポーツ紙のブログ盗用疑惑(笑)を指摘したが、どうも自意識過剰だったらしい。のか?

最低映画単位[kDm]の創造者、世を去る
映画「デビルマン」が遺作となった那須博之監督の追悼文…から、話がそれて権力者の引退論に。

11:59 午後 バックナンバー一覧 コメント (0) トラックバック (0)

最低映画単位[kDm]の創造者、世を去る

 今の日本にラジー賞が存在していれば、間違いなくこれから10年以上は連続で「ワースト・オブ・ワースト作品賞」を毎年受賞し続けると絶賛罵倒され、実際に先月ラズベリーを翻訳しただけのベタな(というかこの映画を表彰するためだけにわざわざ作られた)「きいちご賞」をお約束通り受賞した、邦画史上最高のクソ映画「デビルマン」の那須博之監督が、何と亡くなったらしい。おそらく、というか明らかに、これもデビルマンの呪いであろう。

 これで那須監督の名前は、映画のつまらなさの単位である「キロ・デビルマン(kDm)」の創始者として永久に歴史に刻まれることになるのだろう。亡くなった直後に歴史に名を遺すことが確定する人というのは、本当にうらやましいものだ。僕もかくありたいものである。

 彼の次のターゲットとして既に昨年中に撮影も終了していた次作「真説・タイガーマスク」は、いったい公開されるのだろうか。個人的にはまったくどうでもいいことだが、古くからのタイガーファンを恐怖のどん底に陥れていたことでもあるし、今後の東映の動きがなかなか興味深い。(棒読み)

 それにしても享年53歳ですよ。業績云々はともかくとして、最近若死にする人が多いね。回りにも40代とかで亡くなる人があっちこっちにいるのでどうするよという感じ。

 個人的には子供が成人するのを見届けたら、あとはあまり長生きしたくないなあ。僕らの世代って生まれたときから化学調味料たっぷりなジャンクフードばっかり食ってきて、どうせ体の中にダイオキシンとかいろんな有害物質がたくさん蓄積されまくってるんだろうし、まず気持ちの問題以前に生理的にろくな老後過ごせないと思う。あと、雀の涙みたいな年金もらうはるか前に、サラリーマンなら50歳ぐらいでクビ切られてる気もするし。だったら何もかも子供の世代に譲り渡して、自分はさっさと世の中から消えるのが一番いい気がするなあ。

 そう言えば今塩野七生の「ローマ人の物語」の最新巻(13巻『最後の努力』)をチビチビ読んでるんだけど、ディオクレティアヌス帝の老後っつーのが、これがまた泣けるわけですよ。権力の頂点にあった人ほど、潔い引退とともに悲惨な仕打ちが待ち受けているんだよね。だから人間ていうのは、権力の座に座った瞬間に死ぬまでそこにしがみつこうと考えるわけで。

 だから潔い引退なんて、あり得ないわけですよ。あるのは老醜晒してしがみつく奴と、権力なんかと何の縁もなくそーっと世の中に現れては消えるだけの奴と。願わくば後者でありたいものです。

 最低映画単位からずいぶんと遠くまで話が来てしまいました。今回のネタのつまらなさは120[kR30]ぐらいでしたかね。単位の中に数字が入ってるのは、あまり見映えよくないですな。ブログのつまらなさを測る単位もそのうち考えなければ。ではこれで。

02:08 午前 映画・テレビ コメント (2) トラックバック (3)

2005/02/27

今日の一言ツッコミ

 …肉感スポーツって、もしかしてこことisologueのサイト見て記事のネタ探ししてるんじゃないか。これってさすがに自意識過剰とは言えないと思う。たぶんそうだなきっと。

 ライブドア買収成功で広告出稿激減か(日刊スポーツ on Livedoorニュース) この記事の元ネタはこちら。→非常に重い奥田碩日本経団連会長のライブドア批判(nozomu.net) 文中の一節をほぼそのまま引用している。

Open Your Mind ~小さな羽根ひろげて あと、id:kanryoさんのすすめてくれたこのアルバムの曲が、この1週間ほぼ徹夜漬けだった自分の精神安定にかなり役に立った。いや、別に「ああっ女神さまっ」の方は全然どうでもいいんですが(笑)。

 CDを買に行くヒマさえもなかったので、公式HPにアップされていた1分足らずの試聴曲をダウンして無限ループ。きつすぎる仕事で参りそうになっていた神経をかなり癒してくれました。ちなみに、今も(在宅労働中ですが)ヘヴィロテしつづけてます。kanryoさん、ありがとう(笑)。てか、麻薬みたい。しかもこんなところではてなのアフィリエイト収入に貢献してどうする>俺。まあいいや。

03:50 午後 メディアとネット コメント (0) トラックバック (2)

2005/02/26

マスコミって一昔前の銀行業界みたいだよね

 NHKが、職員の給与削減を発表。でも28億8000万円って、職員1万2000人でならしても1人24万円ですよ。年俸300万円で24万円カットなら大騒ぎも分かるけど、年俸総額(1378億7000万円)÷職員数で計算したら平均年俸1148万円じゃないですか。24万円なんか耳くそ以下の額じゃん。そんな程度のことで経営陣の総退陣なんか求めるなよ日放労は。バカかてめえら。じゃああれか、社員の年俸1割カットしてCEOに昇格した経営者は公開斬首刑(以下自粛)。

 最近はTBSもリストラ敢行したみたいだし、表に出ないところでもマスコミ業界のあちこちでざくざくとリストラが始まってるわけだが、正直言って全然生ぬるい。しかし、辞めた人間がどうこう言うのも反則気味だな。じゃあ昔話でもするか。

 今のマスコミを見てると、一昔前の銀行業界を思い出すよな。不良債権が噴出して国会で大乱闘までして税金投入決めたのが山一、拓銀破綻のあった97年あたりだっけか。それから5年ぐらい、同期の銀行員の連中のボーナスや給料がみるみる減っていった。

 だいたい銀行ってのは30歳になって役付きになってから給料が跳ね上がるんで、それまでの収入は、実は大したことない。なのに、リストラのしわ寄せを受けるのはだいたい30代以下の連中ばっかり。取材の時に「僕も最近マンション買っちゃいましてね」と話していた広報担当のお兄さんのいた銀行、その後ボーナス90%カットとかになったんだよなあ。どうしてるかな、あの人。

 それでも若いうちは給料が多少減っても食っていけるものである。生活の給与弾力性(経済学用語で、○○の増減によって××がどのくらい大きな影響を受けるかというのを、「××の○○弾力性」という)は、学齢期の子供のいる中高年の方がずっとシリアスで、若者の生活なんて大した問題じゃない。だから若い連中の給料から削るというのは、ある意味経済合理性にかなったリストラ策だと、僕は思う。

 だが、数年前の銀行業界の若手社員を襲ったのは、そういうレベルの問題だけじゃなかった。給与カットとともに、人事制度も大きく変わったのだ。むしろあれの方がずっと悲惨だったと思う。

 僕の先輩で、大学を超優秀な成績で卒業して今はなき日本興業銀行に入った人がいた。当時、興銀といえば東大を除く国私立大学からは各数名しか入れないと言われていた、銀行界のスーパーエリート集団だった。ただ、ちょうど先輩が入った2年後ぐらいかに、不良債権処理などとともに「投資銀行として生き残る」みたいな新戦略が打ち出され、新卒社員の人事体系も大きく変わったといったことが伝わってくるようになった。

 僕が記者になって数年後、たまたまその先輩が赴任したという地方支店のあるところに取材に行く機会があったので、取材ついでに先輩と久しぶりに飲もうと思い、連絡を取った。そうしたら「忙しいけど、つき合ってやるよ」と返事をもらえたので、喜んで行ってみた。

 夜になって先輩に地元の居酒屋に連れて行ってもらい、「最近どうですか」と水を向けると、彼はおもむろに「本当にさ、忙しいんだよ。毎日、毎週。大変だぞ銀行員は」と言う。「どんなことしてるんですか?」と目を輝かせて聞く僕に、先輩は強い酒をあおってから口を開いた。「そりゃもう、夜は毎日寝ずに週末の仮装大会の着ぐるみ作りやんなきゃいけないとか、よその支店対抗のスポーツ大会の企画とか、本当に忙しいんだよ。日中は窓口にボーッと座ってジジババ相手にワリコー売ってるだけだけどな。先週なんか、課長が絶対にウルトラマンやれっていうからその衣装作ってて、寝る間もなくて本当に大変だったんだぜ…」

 それまで興銀は、新卒入社して2~3年は窓口業務、その後支店の営業や融資、審査などを経て、6~7年目から本店や大都市の支店に戻り、シンジケートやプロジェクト融資を手がける、というキャリアだったと思う。ところが先輩が入って2~3年後に人事体系が変わり、新卒入社後すぐに支店の融資担当や本店の債券運用などあちこちの職場を半年ぐらいのローテで回し、その中から本人の適性に合った業務を選んで3年目以降すぐにエキスパート職に就くというキャリアパスに切り替わった。

 一番悲惨だったのは、その人事体系変更の直前に入社した先輩のような人たちである。待てど暮らせど窓口業務を引き継ぐ新人社員は配属されず、4年も5年も延々と窓口業務と支店のイベント雑用ばかりやらされるはめになったわけだ。大学を出た時の彼の知的能力の高さは数年下の入社組と何にも変わらないはずだったのに、まさに不幸としか言いようがない。

 同じような憂き目にあった僕の同期の都銀マンは、ほとんど都銀を辞めた。でも興銀の先輩にはその後連絡が取れていない。今頃あの先輩はどうしているだろうか。

 がちがちの年功序列、新卒プロパー至上主義でやってきた会社がその人事体系を突如中途、引き抜き等何でもありの実績主義に切り替える時、一番悲惨な被害を蒙るのは旧人事体系の最下層か、そのちょっと上(管理職一歩手前)ぐらいにいた人たちである。人事体系が変わると、彼らの後ろから入ってくる新しい人たちは2種類しかいない。最初から幹部候補コースに乗って数年間でマネジメント予備軍としてのエリート教育を受けてどんどん出世していくごく少数の人たちと、従来の半分ぐらいの給料で黙々と単調な仕事をこなすアルバイターのようなその他大勢の人たちである。

 興銀は既にみずほに吸収されてなくなってしまった。今の都銀マンを見てみるといい。千人単位で採用しているが、幹部候補と言えるのはその中のほんの数十人であろう(人事もそんなことは言わないに違いないが)。残りは全部、従来とは比較にならないぐらいの安い給料でこき使われる永久支店営業マンだ。だから僕は、幹部候補待遇でならまだしも、今どき営業職待遇で都銀に入りたいと思う一流大学の大学生の気が知れない。

 今のマスコミを見ていると、まさに97年あたりから銀行業界で一斉に起こったこうした変化の波が5年ほど遅れて押し寄せているように見えてしかたがない。

 インターネットが「人と会い、話を聞き、そこから何かしらのアイデアを生み出し、それを他人に向けて発信し、再び出会いに結びつける」という、メディア人だけに許されていた特権を一般人に解放してしまった。ネットがメディアに求めることは究極的に言えば、1次情報を地道に集め、淡々と記事にして流し続けるという、面倒くさくて誰もやりたがらないような単調な作業だけだ。体系だった日本語の訓練を少し受けさせれば、バイト君をかき集めて半分以下の人件費でもできるような仕事である。

 実際、テレビ局や出版社の仕事はどんどん社外の格安の番組制作会社や編集プロダクションに流出し、社内には外注管理のスタッフと、仕事のために仕事する官僚しか残らなくなりつつある。新聞業界だけが取材執筆のチームを社内に抱えて生き残っているが、地方紙は既に経営が立ちゆかなくなりつつあるし、そこにニュースを配信している通信社は既に緩やかな縮小均衡に陥っている。大手全国紙クラスでも、紙面を外注に切り替え大リストラに踏み切る動きが出てくるのは、もはや時間の問題だろう。ライブドアvsフジテレビのドタバタなど、業界崩壊のほんの前兆にすぎない。

 この問題についてはいずれ続編を書きたいと思っているが、既にその兆候は新卒就職市場の動向に現れている。早い話が、人事制度の抜本的な変化の予兆が表れた業界には、実際に制度変更が行われるまで迂闊に入ってはいけないという「教訓」を、人材市場のプレーヤーたちは不思議にもちゃんと知っているということだ。ちなみに成果主義、実績主義の人事体系に移行した業界で勝ち組になる企業というのは、どこから人材を連れてきても自社のカラーに染められるシステマティックな社内教育のノウハウを持つ。外資系企業を見ればそれがよく分かる。
 
 どの業界でも言えることだが、人間というのは今年より来年の、来年より再来年の収入が下がると分かっていて元気が出る人などいない。たとえ今年の収入が半分になっても、これから10年間は右肩上がりでやっていけると思えた方が、どんなにか幸せなのだ。だが残念ながら左前になってしまった企業ほど、自分では抜本的な改革策を打ち出せず、小手先の給与カットでじわじわと従業員を不幸にしていくものである。頭では思い切ってばっさりやった方が良いことが分かっていても、いざ自分がばっさりやられる段になると拒否してしまう。経済学で言う「合成の誤謬(ごびゅう)」というやつですな。

 「合成の誤謬」から抜け出すためには、自家中毒に陥ってしまったそのシステムに思い切って経済外部性を持ち込むしかない。企業であれば、経営者のクビをまったくの外部からの人間にすげ替えるか、それとも個々の従業員(自分)が(物理的、あるいは精神的に)システムの外部に出て新しい血を取り込むか、どちらかしかないわけだ。

 ライブドアがニッポン放送を本当に手に入れたら、ニッポン放送の社員は一人残らず辞めてしまうだろうと言った人がいたらしいが、そんなことあり得ない。というか、それってフジテレビ株だけ手に入れて後はゴミ箱に捨ててもいいやって思ってるほりえもんの一番望むところだし、だいたい一流大学出の年俸1000万円もらってるマスコミ人が「1人残らず」辞めて皆さんどこに行くんですか。隅田川の川岸にでも?んなわけねえ。

 何の話だっけ?あ、そうそう。要するに銀行の方々もメディアの方々もがんばってくださいってことで(笑)。それでは。

12:28 午後 日記・コラム・つぶやき コメント (11) トラックバック (9)

2005/02/25

【ヲチ山場】陰の当事者、ついに立ち上がる?

 この時期、連日のお祭り騒ぎしているみなさんにヒトコト言っておきたいのだけれど、きっとみなさんもふとっちょとクリス先生率いるフジテレビの、素人にはぜんぜん理解できないこむずかしい争いごとにいい加減飽き飽きしてるに決まってる。とゆうか本当は一番飽き飽きしてるのはこのおれだったりするとゆう。でも、これからの日本にとってとても大事な話だから、たぶん最後までヲチしなくちゃいけないとゆうものだ。

 ところで、この祭りの陰の当事者、村上ファンドがついに口を開いた。「日本の株式市場に重大な悪影響を与えかねない」んだそうだ。さあどうするどうするフジテレビ。どうするどうするクリステル姉様。(ここまでネコプロトコル風)

 なんかもう、M&Aコンサルティングのウェブサイト、重すぎで全然つながらん。やっと声明文のURLだけは参照できたが、今の時間ダウンロードは保証できません。あしからず。

 僕はダウンロードして何とか読めたけど、まあ内容は上にリンク張ったライブドアニュースの内容がそっくりそのままって感じだ。大したことを言っているわけじゃない。これまでisologueなどでさんざん語られてきたことをずばっと言っているにすぎなくて、まったくの正論そのものだ。だけど、これはフジには痛いだろうね。村上ファンドがこういう声明出しちゃうと、これまで国内というコップの中の嵐だったものが、突然海外メディアとか飛びついて報道するようになるからねえ。彼らの海外(特に米国向け)アナウンス効果と、そのリフレクションが政府筋に与える影響ってのはバカにできない。しかも政府筋(たぶん経産省筋)からはライブドア援護射撃ととれそうな動きまで出始めちゃったしな。

 しかし、先日毎日だったかが証券アナリストの読み筋として「村上ファンドは既にライブドアに株式を売り抜けた」っていう飛ばし記事を書いていたが、今回のリリースにもそのあたり全く書かれてないからねえ。自分のポジションを最後の最後まで伏せ続けながら何食わぬ顔でこういうリリースを出すところが、本当に食えねえ人たちだよな。

 そうゆうわけで、今回の台本のないドタバタ喜劇でもう1人脚光を浴び始めたのがこのお方。虹色に輝くネクタイと全身ベルサーチのスーツで固めた、自称合法的総会屋の久保利大センセイである。このおっさん抜きで日本のコーポレートガバナンスの歴史を語ることなどできないというお偉い方なんだが、今回ばっかりは村上ファンドにはめられてニッポン放送の役員を引き受けさせられてしまい、自ら訴えてきた日本のコーポレートガバナンス確立の最大の転機に、図らずも自ら大きな汚点を残しかねない立場に追い込まれてしまったわけだ。

 考えてみれば昨年、CSK対ベルシステム24の戦争でCSK側について孫&園山連合軍と戦い、一敗地にまみれた時には、あれ?と思うような感じだったのだが、まさかここまで追い込まれちゃうとは、法曹界の誰も予想だにしなかったろうなあ。久保利センセイに問われているのは、まさに「男としての筋を曲げてカネを取るか、それとも筋を通して顧客を刺すか」という、どんな人間も人生で絶対に直面したくない正念場なわけである。

 しかも、ここまで来るとかげにひなたに久保利センセイにお世話になっている日経も、おいそれと記事が書けなくなってしまう。うわ、なんだかもしかしてこれって言いたい放題書けるブログ万歳ってこと?すげー風桶だ(笑)

 株式市場を玩具にするいかさま投資信託と危機感の全然ない経営者をいただくメディア企業、そしてかの久保利大センセイまでまとめて地獄の闇鍋に追い込んでしまった我らが欽ちゃんの命懸けた勝負師ぶりに、我々何の関係もない庶民はヤンヤヤンヤの喝采を送って見物させていただくわけでございます。村上世彰さん、あんたらマジですごいよ。がんがれ。超がんがれ。

11:34 午後 経済・政治・国際 コメント (7) トラックバック (11)

2005/02/24

産経新聞記者乃皆々様江

 メディアはもっと勉強しろ、だそうです。今後の取材にお役立て下さい。(15:10コラムを以下に追記)

 ところで、GLOCOMフェローの吉田望氏が「ほりえもんはマックス・ウェーバーの言うところのバーリア・キャピタリズム(賎民資本主義)の人である。彼がこの無謀な航海の顛末(買収失敗)によって心を入れ替え、無人島(元々の本業)で倹約・勤勉に励むというのがこの物語のオチではないか」という、ホリエモン=ロビンソン・クルーソー仮説を提唱している。

 なかなか面白い仮説だなあと思うが、どうなんだろね。昨日のアルファブロガー飲み会でも思ったんだが、ほりえもんが、というよりはIT産業そのものが本質的に、20世紀に高度に組織化された産業資本主義を少しバーリア・キャピタリズムに引っ張り戻そうとするものであるってことを、そしてそれが僕らの元気の元かもしれないってことを、ブロガーな人たちははっきりと感じているのだよな。

 それに対して、「ロビンソン・クルーソーたれ」って呼びかけるのは、なんつーか単にこの閉塞感漂う日本社会の中でようやくやりたいことをやりたいようにできる西部のフロンティアを見つけた人たちに、「お前らゴールドラッシュなんて追わずにまじめにプランテーションで奴隷労働にいそしめ」って言うようなもので、まあ言うだけ無意味なんとちゃうんかと。

 どんな世の中にも、踏み外さないまでも常に時代のエッジの部分で「まだ行けるか、もうちょっと行けるか」とすり足で冒険を繰り返す連中というのは存在するし、世の中全体の活気のためにはそれも必要なのであって、ほりえもんみたいに「俺は不死身だ~」とか叫びながら思いっきり跳躍して崖の向こうに転落してしまう人の末路はともかくとしても、そういう営為自体を否定するのはいかがなものかと思いますよ、僕は。

 とか何とか言いつつ、昨日ベルギービールで酔い潰れて隊長に寝顔激写されちゃったらしいし、今日も頭が痛いし幸薄いR30なのでありますが。

12:44 午後 経済・政治・国際 コメント (3) トラックバック (9)

2005/02/23

【ヲチ復活】LFの新株予約権発行は違法じゃねーのか

 CXという「法人」に新株予約権(ストックオプション)を158億円分割り当てるという、超意表を突いた方法で反撃開始。

 ニッポン放、フジテレビに新株予約権・ライブドアに対抗(NIKKEI.NET)

(18:35追記)こちらのブログでSOの詳しい発行条件が書かれていた。要するに「株主以外の者に対して有利発行する場合は(特別決議)」という条文だから、株主であるCXには無条件OKという解釈なのか。すげえ。

 でもストックオプションって、普通に株主総会の特別決議(3分の2以上の賛成が必要な)案件だと思うんですがどうなんですかね。あと、税制に従うと付与する相手は子会社を含む取締役及び従業員という「個人」が条件で、しかも付与から転換までに2年以上かけなきゃダメらしいですよ。

 158億円というカネが実際にはまったく動かない(完全傘下に入れた瞬間に2800億円振り込むみたいですが)という意味で、前回僕が言ったように「キャッシュを一銭も動かさない」というCXの防衛戦略方針が見えたわけだが、これは明らかに商法違反くさいので、ライブドアの反撃が見てみたいところ。

 ただ、あれだけエスタブリッシュメントに嫌われまくっちゃったほりえもんのことだから、裁判所に仮処分命令出してもらおうとして泣きついても、シカトこかれたり牛歩使われたりする可能性はなきにしもあらず。当然、CXの日枝会長もそのあたりをにらんでのことだろうな。えげつない。

 ま、外野としてはヤンヤヤンヤの声とともに観戦を楽しむだけでございます。

06:04 午後 経済・政治・国際 コメント (6) トラックバック (23)

2005/02/22

ソニーはCLIEでなぜ失敗したか

 とりあえず過去記事をはっとく。サルベージはまた今度。
ソニーはCLIEでなぜ失敗したか(June 03, 2004)
あいまいでスマートなニッポンの携帯(December 08, 2004)

08:38 午後 携帯・デジカメ コメント (4) トラックバック (2)

またぞろ外資規制だってさ…メディア株全部投げ売りだよバカだな

 単に投資信託の損益を確定しようとしただけのふとっちょネタなぞ放置しておけばいいものを、よりによって大の政治家たる片山虎之助殿が思いっきり釣られており、もはや嘲笑を隠しきれない。

 ま、これでメディア株全部、明日から底の見えない投げ売りに突入だろうな。投資家の皆さんご愁傷様。実態と乖離した外資規制を規制緩和の御旗の元ようやく実態に合わせようかという流れになっていた矢先にこれだ。放送各社の密やかな経営努力もこれで全部水の泡。しかも株価が下がって、ふとっちょには予想だにしていなかったLF株買い増しの絶好のチャンス到来だ。面白すぎる。

 てめーのネズミ並みの脳みそを棚に上げて「カネで何でも買えるとは教育のせいだ」などと文教族として精一杯の空威張りをしてみせるシンキロウ元首相の知能もシンキロウ並みだが、ついこの前まで自分が大臣だった役所の所轄業界に「俺はまだ影響力があんだぞ」とマーキングよろしくションベンひっかけてみせる片山もそれ以上だよ。

 自民党の政治家ってみんな底抜けのド阿呆ばかりですね本当に。自分でやったことがどういう影響及ぼすか、分かってるのかしら。シンキロウ君は教育であれだけカネのことを教えているって言っているが、カネのこと全然分かってないアホがここにおるやんけ。片山君、チミ学校でいったい何習ったの(爆)。

 ほりえもんが記者会見で言い放ったように、ソニーがテレビ放送を全部インターネットに放流できるレコーダーを発売して、テレビ視聴率が何の意味もなさない数字になるチキンレースの号砲が既に鳴っているのだ。ただでさえ株価が爆下がりしてもおかしくない状況だっていうのに、自民党参議院の大幹部ともあろう御仁が突然テレビ局の後ろから水平射撃みたいなことして、日本の放送局を全部討ち死にさせたいとでも言うんだろうか。

 …はっ!?そうか、片山君は放送局の株価を爆下げして、フジテレビはふとっちょに、日テレは禿か髭に、TBSはふとっちょにLF株を売ってキャッシュ握ってる欽ちゃんあたりに早く買われちゃってくださいって言いたくって、それでこんな素敵お花畑発言をしたのですねっ!さすが元大臣、脳内の花びら回転の速さは尋常じゃないっ。鉄火場マンセー、禿鷹マンセーーー。(クダラネ)

07:43 午後 メディアとネット コメント (2) トラックバック (2)

2005/02/21

日本の出版社には市場価値がない件について

 すでにあちこちのブログが詳細に語っているやや古いネタですが、徳間書店の清算について。

 1週間ほど前からスタジオジブリの独立というのが話題になってましたが、それって結局徳間本体を清算するつもりで、そこからジブリと雑誌だけを救うスキームだったわけね。

 でも徳間書店のサイト見てみたけど、雑誌もめぼしいのはアサヒ芸能しかないのか。あとはアニメージュ関連の本とかそんなのばっかり。よくこんなボロ会社で600億円も借金できたな。マスコミって不思議だ。むしろ、コンテンツ産業のマジックなのか?

 徳間書店の債務超過がどのくらいのものなのかよく分からないが、日経の記事によれば600億円の債務をジブリと出版の営業譲渡で400億ぐらいまで減らして、その後1~2年で会社を清算するらしい。まともな事業価値の部分は200億だけでした、ってか。貸し込んだ三井住友は、いったい何やってたんだ。

 とかびびっていたら、ブログを検索していたらもっとすごい記事が。19日日経の朝刊に載っていた記事がここのブログに引用されているので、それを見たら、ピークの2001年には1300億円もの借金があったらしい。壮絶だな。

 徳間の出版部門はほとんどアニメの収益回収部隊みたいなもんだからどうでもいいとして、焦点はジブリの営業譲渡が150億円ぐらいになっちゃうのがどうかってことだろうね。この記事は徳間側からのリリースだろうから、少なめに見積もっているような気もするんだけどどうだろうか。

 ジブリは昨年までの4年間の営業利益が200億円というから、普通にならしてアバウトにNPVを計算すれば時価総額500億。コンテンツ産業ということで、収益のボラティリティは当然大きいと思われるので、少し少な目にみても350億円ぐらいじゃないのかなあ。VCの小林雅ブログでも「GDHのM.Capが300億」って言ってるし、株式上場すればファンが多くて知名度がある分、もっといくんじゃないかしら。過去のコンテンツのIP(知的財産)収入でも、まだまだ稼げそうだしねえ。

 とか思っていたら、社長になる鈴木プロデューサーは、ジブリの経営権を少数の関係者以外の人に渡したくないんじゃないか、というこちらのブログでの考察が。つまり株式上場さえもしたくないってことなのかもね。宮崎駿、鈴木敏夫の2人は作品解釈でもよく指摘されているように、アンチ資本主義の気持ちがすごく強い人たちだから、実際そうである可能性はかなり高いと思う。

 ま、残りの借金を放棄させられるメーン行がそれでもOKと言っているなら、外野の我々が2人の気持ちを尊重したスキームに異論を挟む余地はまったくないわけだ。考えようによっては三井住友偉すぎ(笑)。ジブリにはこれからもがんばって資本主義に抵抗しながら楽しい作品を作ってほしいです。

 しかし一方でスピンオフするもう1つの出版事業の評価額が50億にもならないというのはどういうことなのか。悲しくなるがアサヒ芸能しかないんじゃこれもしょうがないわな。思うに以前ジャーナリズム論争の時にfinalvent氏も日記で書いていたが、出版っていうのは完全に鬼っ子というか、石にかじりついてでもやりたい人だけがやればいいというか、横にジブリみたいな豊富なコンテンツでもない限り、今後は絶対儲からない世界になりそうな気がする。

 前にある外人投資家としゃべっていた時に、彼が「日本の出版会社を買収しようと思っていろいろとサーベイしたのだが、これまでに発行した書籍やコミックの権利をきちんと社内で管理していない(つまりすべては社員編集者と作家さんとの間の口約束のレベル)ので、資産評価のしようがなかった」と言って頭を抱えていたのを覚えている。

 出版社なんて典型的なIPで食っていく類いの業態なのに、日本の出版ビジネスのIP管理って、音楽や映像の業界よりもさらに遅れてるんだよね。

 まあ、石をかじってカスミを食ってもオレは生きられるという方々はともかくとしてですね、出版業界におられる方々はこれからIPの管理をきちんとしないと、斜陽業界がますます斜陽になっちゃうよ、と警告じみたつぶやきでもって今日は終わり。

(10:30追記)そう言えば先日できたばかりのライブドア・パブリッシングから「今度3月末に出す書籍の中でおたくのブログを紹介してやるから自分で紹介文書いていただけませんでしょうかこの野郎」って連絡があったので、「紹介するのは勝手だけど俺に書かせる紹介文ぐらいは原稿料出せ、ていうかお駄賃くださいお願いします」ってお返事申し上げたところ、満面の営業スマイルとともに「それなら紹介文は結構です」ってあっさりスルーされた。さすが公開企業幻冬舎、マジで偉いよ偉すぎる。

(17:00追記)隊長のとこにも来た模様。小心者なR30と違い、レバレッジを最大限にきかせて暴れていらっしゃる(爆笑)

09:59 午前 経済・政治・国際 コメント (6) トラックバック (9)

2005/02/19

ネット右翼だって現実社会に戻ればリベラルでしょうが

 リベラルブログうんたらという話がむなぐるま氏の「日本ではリベラルブロガーのハブはないのだろうか」っていうエントリあたりから広がってるみたいで、既にまとめも終わった議論みたいだけど(笑)、ブログのサブタイトルも変えたことだし、亀レスだけどちょいコメント。

 僕自身の考えはstandpoint1989氏のこちらのエントリに割と近いんだけど、こと「ネット右翼」については別に大した問題じゃないと思う。切込隊長がこちらのエントリで何かえらく難しげにまとめているが、分かりやすく言っちゃうと「頭のいい若い奴がどんどん生活不安を増大させていて、そいつらがネットで自分の生活を脅かしそうな欺瞞に食いつくとネット右翼って呼ばれるだけなんだよ」ってこと。ま、そういうことである。

 ネット右翼、あるいはサイバーカスケードという現象が発生する原因は、もう1つあると思う。これまたあちこちのブログで指摘されていることではあるが、要するに既存のマスメディアが(僕も含めて)こういう若い連中の不満を十分に回収できてないってこと。それは何でかというと、要するにマスメディアが考える物事の優先順位が、身近な一般常識から考えて矛盾していると思えることが増えてきたことだ。

 例えば、ある公共企業が単純作業の業務をITで効率化して、その作業に従事していた従業員を他の業務や部門に転換、あるいは早期退職させようとしたとする。既にかなり以前から自動化が予定されていた業務であり、作業員のほとんどは定年退職間近の50代の中高年である。しかもそれによって消費者は直接そのサービスの値下げの恩恵にあずかれる。

 僕ら30代の感覚なら、「事前にそういう合理化を行うことが世の中にも知られており、しかも従業員の他の業務への転換の可能性も残してあるのであれば、公共サービスの値下げのために退職勧奨や業務転換はしょうがないのではないか」と考えるだろう。ところが、某●日新聞には、「公益を掲げる大企業の従業員への許し難い仕打ち」と書かれる。なんで??どうしてそうなるの??

 長年マスコミにいたくせに最近になってその理由を知ったのだが、どうもその大手新聞には「労働組合>消費者」という、価値判断のための鉄の社内ルールが確立されているらしいのだ。具体的な価値体系を僕は詳しく知らないし、ここでそういう差別表現を列挙するのも憚られるのでしないが、要するに戦後50年以上「社会的な弱者・可哀想な人たち」とされるレッテルがコード体系として完成しており、記事掲載の優先順位や記者の評価みたいなものも、そのコード体系にいかに沿った主張をするかということで判断されるらしい。

 もちろん、アフリカの難民は今でも相変わらず悲惨だし、高齢者や障害者がその身体において一般人に比べて絶対的な弱者であることは疑いようもないのだが、しかし現実の社会というのはそんなに単純なものでもなくて、弱者の名前をうまく語って金儲けや裏の権力を身につけている人だっているし、大企業だってそこで働く人々が時に金銭以上の社会的正義を原動力にしてビジネスを動かすことだって起こりうるわけだ。

 僕が駆け出しの記者の頃、ある九州の冷凍食品メーカーの創業社長に取材した。その時、彼から「私は経営者として、従業員には何とかして充実した人生を送ってもらいたいと思い、いろいろな福利厚生の制度を取り入れてきました。本社工場の敷地内に、工場より大きな土地を使って従業員用の運動場も作りました。それでも地元の大新聞の記者さんには"企業のやることは金儲けが目的だから信用できない"と言われる。私はこれ以上、どんなことをすれば世のため、人のためになっていると思ってもらえるんでしょうか」と相談されたことがある。無一文からたたき上げてド田舎で全国ブランドの企業を築いた彼の一途で素朴な問いかけに、その時の若い僕は返すべき言葉を見つけられなかった。

 そういう、吉田あみ氏@日日ノ日キ言うところの「世界はほんとうはもっと色鮮やかで豊かだし、残酷で不気味」なんだという認識が、日本のリベラルなマスコミの方々の価値判断基準にはどうも欠けているような気がする。なぜ欠けているかというと、このブログでも前に書いたように、「個々の記事の価値基準をいちいち是々非々で判断していたら、効率が悪くて仕方ないから」だ。少なくとも、ネットがここまで普及する以前は、それはマスコミに限らず、多数の人々の意見を集約するのが仕事の人々(行政、政治など)にとって「効率が悪い」ことだった。

 そして、マスコミの価値コード体系の中には「(ほぼすべての)取材先>購読者」というのも含まれているから、購読者がどんなに必死で「事実が違う」とか「偏ってる」とかクレーム電話をかけても「担当記者に伝えておきます」の一言でシカトされるという事態が多発するわけである。

 ネット右翼と呼ばれるムーブメントは、だから僕はある意味「マスコミが自らの価値基準の決定プロセスにネットの効率性を積極的に利用しようとしない」ということへの、社会からの異議申し立てなのだと感じている。

 一般に、マスコミ人がインターネットで直接意見を集めるのにものすごい抵抗を示すのは、彼らが業務上の効率を考えて前提に置いている各社独自の「価値基準」に対し、ネットのありとあらゆる人たちがいっせいに異論を唱えてきたらどうするのか、というのを想像して身の毛がよだってしまうからだ。

 でもそういうことは、実際には起こり得ないと僕は思っている。なぜか。それは「ネット右翼」と呼ばれる人々の行動をつぶさに見ているとよく分かる。

 彼らが食いつくのは、自分の身近な出来事や現実と比べても、明らかに筋違いと思えるような前提を置いて書かれた記事や意見に対してである。自分が直接知らないことについて飛びついて来たりはしないし、身近な経験があることに対しても書き手がそう述べる根拠や経験(いわゆるソース)を開示した場合には割とあっさり引き下がる。

 つまり、誰もが決定的な事実を知っているわけではない状況において、平等に意見を言えるという前提のあるネット上での議論にはものすごく熱心だが、「意見を裏付ける決定的な事実」や「論争の相手が誰が見ても社会的弱者であることの証明」などが示されると、とたんに「あまり一般化するなよ」とか何とか捨て台詞を残して消え失せたりするのである(笑)。

 だからマスコミはネット右翼にあまりびくびくしないで、自分たちがそういう価値判断に至ったプロセスというか、ソースをちゃんと(出来る範囲で)開示して、もっと出せとか言う人が出てきたら「取材源の秘匿とか個人情報とかいろいろあって出せないんです、ゴメンナサイ」とそこで折れておけばいい。それでたぶん収まる。

 左巻き批判が大好きなネットワーカーでも、弱者に対する情が深いという点ではリベラルと変わらないということを、僕は切込隊長のニートに対するいくつかのエントリで見せられたような気がする。自分たちだけの独自の価値コードを盾に決めつけ・開き直りをする左巻きマスコミのブロガーに対して彼が仕掛ける攻撃は苛烈なものがあるが、では徹底的に「強者の論理」の人なのかと思いきや、自分のエントリに突っかかってきたニートに対して延々と人生相談に乗ってみせる。あれはどう見てもリベラリストの姿だ。彼が自称するようなRepublicanではあり得ない。

 ネット右翼を装って過激なことを書いている人の中にも、恐らくリアルでは常識的にリベラルな人というのがたくさんいるんだと僕は思う。もちろん、こういうふうにネット右翼でかつ本当に右翼な人というのも、それはそれでいるんだろうけど。(ちなみにこの人が何で昨年6月の民主党の憲法改正案に今ごろになって火を噴くような罵倒を述べているのか、誰か教えてくださいw)

 あと、これまで論じた「何をもって弱者と定義するか」という価値コード体系の硬直性の問題以前の問題として、「マスコミはそもそも弱者をかばうべきなのか」という、民主主義バランス装置としてのメディアの存在意味というテーマが存在する。

 このテーマは、最近で言うと江川紹子のほりえもんインタビュー「『新聞・テレビを殺します』 ~ライブドアのメディア戦略」でもはっきり表れていた。江川氏が「価値基準に照らしてとか難しいこと言わないで、読まれる記事、売れる記事だけ並べればいい」というほりえもんのコメントに対して、

 メディアがあえて報じていくことで、曲がりなりにも(現実にそれが十分にできているかは疑問だが)政治を監視する機会は保たれる。それがなければ、一般の人たちがなんだか分からないうちに、大事なことが次々に決められていく、ということになりはしないか。
 あるいは、イラク、アフガニスタン、アフリカ諸国といった外国の情報は、普段は気にもとめずに生活しているけれど、そういうことは知らなくてもいい、のだろうか。
 普段、気がつかなかった事柄を、新聞で読んで知るという機会もなくなる。それで、生活するには困らないかもしれないが、人間性や心を豊かにする機会を減らしてしまうことになりはしないか。
 また、"志"や"矜持"といったものを、すべて否定してしまうのには、私は抵抗を感じる。確かにそれは、「思い上がり」や「自意識過剰」に結びつく危険性がある。けれど、様々な圧力、障害、誘惑などに直面することの多いこの仕事の中で、報道する者の"良心"が、そういう困難中でも真実を明らかにする原動力になることだって、少なくないのだ。
 と述べているところがそれに当たるだろう。このような問題意識は、彼女だけでなくほとんどのマスコミ人(純然たる経済メディアである日経でさえも!)が多かれ少なかれ持っているところのものだ。

 これは、ネット右翼あるいはリベラル言説の是非の問題よりさらに深い哲学的な問題を含んでいるので、あまり軽はずみなことを言いたくないし、ちょっと次回に回したいと思う。

02:34 午前 経済・政治・国際 コメント (17) トラックバック (21)

2005/02/18

環境とか議定書とかでちょっと追記

 環境経済の話でいろいろトラックバック&コメントくださった皆さん、ありがとうございます。ネタは振ってみるものですねえ。間違い指摘されて頭も良くなるし、みんなそれなりに関心があるんですね。とゆーかこのブログ読んでいる人がそういう好奇心旺盛な人たちばかりなのかな。R30のまわりくどいレトリックとネタにいつも辛抱強くついてきてくださる方々ばかりで。皮肉じゃなく、マジで感謝してます。

 で、TB先とか紹介されたサイトとかいろいろ見て回ったんですが、炭酸ガス=温暖化という構図は嘘だよ、しかもオゾン層破壊と温暖化もかんけーねーぞ、と。ふむふむ。じゃいったい何のために京都議定書が存在するんですか。トータルとしてはますます「どうでもいい」方向に行ってしまう気がするんですが(笑)。

 ま、結局は僕の勉強不足っていうオチなんだけれども、環境を経済ベースに…ねえ。そのへんはfinalvent氏が「ブルガリア」エントリで軽妙に語っておられるので特に突っ込んでコメントするつもりないですが、要は東欧やアフリカの途上国に国際収支を移転させたいってだけじゃないの。新手の援助理論とか、そういうことですかね。

 antiECO氏からのご指摘「環境経済よりもこれからは森林保護だ」ってのも、うーむまあよく分かりませぬ。日本でも世界遺産とかブームになってるみたいだし、トレンドはトレンドでいいと思うんですが、だから何?ってところですねえ。

 むしろいただいた突っ込みの中でちょっと気になったのは、antiECO氏の「一番の温暖化対策は無駄なものをつくらないということが最も効果があることだ」という話。そりゃそうなんだけど、それでみんなLCAがどーたらって言ってるんだけど、だったら京都議定書の話って全然意味ないじゃん。

 百歩譲って「無駄なものを作ったり廃棄する時に出るCO2を締めればええんでしょ」ということだったとしても、だったらそれを排出権取引とかいって、日本からもっと生産や廃棄物処理効率とかの悪い海外に移転したら逆効果でっせ。なんかもう、考えれば考えるほどむちゃくちゃでんがな。

 というわけで環境に生真面目な方々は、あまりそういうのを気にせずに、安井至先生おっしゃるところの「農系社会」への移行を目指していくということでよろしいんじゃないでしょうか、つまり今の日本人は間違ってないぜ、あまり恐縮したり不安になったりせずにこの調子でガンバローというのが、僕の今のところの結論。少なくとも、日本は今の調子でがんばってれば米国や中国に「あいつがやってないんだからよー」って責任転嫁の悪者扱いもされないし、EU市場から閉め出されることもないしね。

08:07 午後 経済・政治・国際 コメント (4) トラックバック (2)

【ヲチ終了】ライブドア、信託利回りを確定中

 ほりえもん、よりによってテレ東の番組でついにしゃべっちゃったみたいですね、「産経を日経のライバルにする」って。しかもビジネスアイのこと知らないみたいだし。僕的にはこの時点で「ほりえもんEND」かも。少しは期待もしてたのになあ。

 事業面で何らかの見通しがあるのなら、それに伴う戦略的な働きかけのジェスチャーがこの段階から出てくるのが普通だと思うんだが、それが全然見えないばかりか、むしろケンカを売る相手を間違えているような発言ばかりが出てくる。こうなると、買収が成功するかどうかにかかわらず「戦略的に失敗」の烙印を押さざるを得ないわな。

 実際、既にライブドアを「2000年頃までのSBがやっていたような上場投資信託の劣化コピー」とみなす見方は昨年後半ごろから既に出ているわけで、ここに来ていよいよそれが明白になっただけという気も強くする。

 しかも、その切り口から分析したこちらのブログの記事などは興味深い。今後の動きをいくつかシミュレートした結論として、「これはほりえもんの"2度目の創業者利益獲得"作戦である」と言い切っている。

 まあ、それも確かに当たってるわな。実際、フジテレビがTOB価格をつり上げる、ニッポン放送の持つ自社株を買い取る、裏に回ってライブドアの株を買い占める等、どの手を使ってきても、ほりえもんにとっては「これまで実態を上回って膨らませてきたライブドアの信用を大企業のキャッシュに換える」という目標(ゴール)を達成することになるわけだ。つまり、投資信託の利回りを確定するってことね。

 でもその確定で、2004年以降に株を買った既存のライブドア株主は大損して、2003年12月の100株分割以前の、1株10万円台の頃から株を持っていたほりえもん+経営陣と、ライブドアの大株主になりあがるリーマンブラザースだけが大儲けして終わりと。ライブドアそれ自体が、個人投資家相手の実質1年あまりにわたる壮大な証券詐欺だったと、こう総括してもよろしいんではないでしょうか。

 ま、もしそうだとすれば、フジテレビ様におかれましては、この件に関して今後一切リアルキャッシュを使わず、制度の壁だけを利用した防衛戦を戦っていただくよう、期待する所存でございます。といっても、他人にアドバイスする前にてめーの会社がSMBCなんかに買収されそうになっている大間抜けな証券会社がアドバイザリーでは、はなはだ心許ないというのが実感ではございますが。

 孫正義の偉いところは、「お前証券詐欺師だろう」って経済界から非難されまくった時に「いや、それは違う」と果敢に実業の世界に切り込んで、その結果儲かったかどうかはともかくとして日本の消費者に多大なメリットを還元したということだろうね。だから、それまで「あいつは詐欺師だ」って孫のことを堂々とけなしていた人も、少なくとも今ではそういうことは言わなくなった。

 ほりえもんも、本当に実業家として尊敬されたいっていう思いがあるのなら、孫や三木谷のこと、もうちょっと見習わなきゃ。このまま行くと「無数の個人投資家にクビをくくらせた稀代の詐欺師」として、後世にまで悪名を残すことになっちゃうぞ。彼の価値観からすると、あまりそういった「名声」とか「社会貢献」回りの欲望は期待していないんじゃないかという気もするけどね。

12:49 午後 経済・政治・国際 コメント (1) トラックバック (10)

2005/02/17

京都議定書なんかどうでもいいよ、自然が一番

 気がつかないうちに累積PVが50万を突破。そういえば、ライブドア騒動以来、PVが週末除いて毎日1万以上来るようになった。磯崎さんのisologueも1日のPVが6万超えたって言ってるし。年末年始でしばらくアクセスが低迷してたけど、ほりえもんの燃料投下のおかげで盛り返してきてるみたいですねえ、ブログ界も。もしかしてそのためのネタだったのかしら?(笑)

 それはそうと、「極東ブログ」で3日間にわたって京都議定書関連の話題を取り上げられたfinalvent氏が「アルファブログはなぜ環境問題を取り上げないのか」というメモを日記の方に書いていた。耳が痛いですねえ。ではちょっとその話でも書いてみますか。まとまらなさそうだけど。

 これまでこのブログを読んできた人ならだいたい想像がつくだろうが、僕自身は環境問題に関心がないわけじゃなくて、むしろ前の職場でも数年前まではその話を積極的に問題提起して記事にしようとしてきたし、小さな会社から大きな会社まで環境絡みでいろいろ取材もしたし、今回も何か書けないかいろいろと考えたりしていた。

 でも結局書けなかったのは、まずマクロや経団連の欺瞞みたいなところではfinalvent氏がさらっとうまくまとめていたので、もう補足することがないなあと思ったのと、ミクロレベルに落として考えると、日本人にとって「環境」というキーワードって、あまりにも「とっかかりがなさすぎ」だってことなんだな。

 例えば、「地球温暖化」っていうのに対して日本人がまず連想するのはほら、あの「南の島が沈んじゃう」ぐらいの話でしょ?そりゃ確かに東京は昔よりずっと夏暑くなったし、日本のあちこちで「冬の雪の量が減った~」とか言ってたりするけど、だからってスキーができなくなるわけでもないし、自分が熱射病で死ぬわけでもない。南の島沈んだらちょっと悲しいけど、まあそれも自分に直接関係ないしね。

 でも、このあたりの身の危険に対する切迫感というのは海外は全然違ってるわけだ。有名な話だけど、ヨーロッパは日本の北海道よりもずっと緯度が高いところにあるわけで、そこで北極にオゾンホールが開いたら白人の皮膚ガンの発生率がガクンとアップするわけですよ。つまり、ダイレクトに命にかかわる。南の島の人たちも、観光産業がダメージを受けて国の面積が減る。

 CO2排出→温暖化ガス増大→オゾンホール、海面上昇→皮膚ガン、国土喪失てなわけで、もう自分たちの目の前に迫り来る危機だから、環境環境と叫ぶわけだ。

 しかし、世界で一番大量に化石エネルギーを消費している2つの国(米国と日本)が、とりわけこの問題に対して関心が低い国でもあるってのは、地球って本当に皮肉ですよねまったく。

 なんて、こんなところでせせら笑っていてもしょうがないので、さあどうしましょうかって話になるんですが、そこから先は極東ブログのこちらこちらこちらのエントリを読んでもらうとして、つまり「ヨーロッパの連中の言うとおりになんか、今からできっこないじゃん」というのが既に見えてるわけだ。

 となると、上の方で「いや、もう目標達成は不可能ってことは分かってるんですから」とか言ってるそばで「CO2排出削減しよーオー」なんて誰が気勢を上げると思いますか?誰もやりませんよそんなバカなこと。気勢上げるどころか、既に既得権握ってる人たちの殴り合いになってるじゃないですか。不毛すぎだよホントに。

 というわけで、例えばビジネス誌大手3誌を見ても「勝ち抜く環境経営」というタイトルで特集を組んだ日経ビジネス以外の2誌(ダイヤモンド、東洋経済)は、ニュースコラムでさえも環境のかの字にも触れてない。これが企業社会の意識の実態だろうし、僕はそれはとても賢明な判断だと思う。一銭の利益にもならない環境省と経産省の代理戦争に突っ込んでいく必要がどこにありますか。

 マーケッター的に言うと、「環境!環境!」と叫んでも客が食いついてくれないなら、目指すべき「温暖化ガス排出量削減」にもっと別の切り口で切り込んでいくまでの話である。そこでここ数年出てきたのが、ライフスタイル系で言うと「スローライフ」だったり「菜の花」だったりするし、ビジネス系では「リユース」だったり「CSR(企業の社会的責任)」だったりしたわけだ。

 つまり、なんか環境に良さげな商品を売り出したい時に、「スローライフに何とかかんとか」ってキャッチフレーズをまずつけておいて、客がいろいろ聞いてきた時に「いやぁ、実はこれって"環境"にも良かったりするんですよ(ダサイでしょ)アハハ」とか、恥ずかしそうにネタばらししたりっていうのが辛うじて許される程度なんじゃないかと。

 そういう意味では、日本の「環境マーケティング」というのは、それはそれで独自の進展を遂げつつあるとは思いますよ。欧米みたいな「切迫・恐怖感」ではなく、「上質ライフスタイル」みたいなところを原動力にしてきたのが、独特だと思います。個人的には、結構国際的競争力もあるレベルだと思うんだが。

 で、個々の商品やサービスのマーケティングのレベルでの「環境」というのは、これからも進化は続けると思うけど、しょせん数百円のランチョンマット1枚買うのにエコロジーでもそうでなくても排出されるCO2の量は大して変わらないわけで、もっとライフスタイルそのものをCO2セービングなものに変えていけないかというのが、これから数年先活発化する取り組みだと思う。

 実は昨日の「低コスト社会に必要な中小商店」というエントリは、そういう切り口を意識して書いた。誰も気づかないだろうと思ったし、気づいてもらいたいとも思わなかったけどさ(笑)。

 巨大なショッピングモールというのは、平日ほとんど非稼働だし、あれだけの空間を冷暖房し続けるというだけでものすごいエネルギー多消費施設だし、そこに買い物に行くのにマイカーで出かけなければならないというのも反環境的だと思う。表向きの利便性だけにとらわれると、ああいう資源多消費型の流通がまかり通る。

 だけど、本当にライフスタイルを資源少消費型に転換していきたいのであれば、1軒の店に食品の冷蔵庫、雑貨、実用衣料、かかりつけ薬局、交番、銀行、郵便局、役場、コミュニティーセンターみたいな機能を全部持たせて、徒歩や自転車で行ける距離のところにたくさんばらまいた方がいいに決まってる。だって、究極のエコロジー社会と言われた江戸時代っていうのが、そういう仕組みで成り立っていたんだから。つまり「庄屋」「名主」の復活ですよ(笑)。

 僕自身は、リユースビジネスの普及とか小商圏型店舗への傾斜とかは、それが「環境保護だ」とかっていう指摘をするのは言うだけ野暮だろうと思うようになったので、数年前から口にしなくなった。だけど日本の消費社会がそちらに向いていけば、結果的に大ヒット環境商品を生むよりも省資源化に役立つと思うし、実際そういう方向に向いていくだろうという確信みたいなものがある。

 京都議定書の話は、そんな中のごくごく表面的な、しかもどうしようもなく茶番な部分に過ぎない。ヨーロッパの人たちが顔を真っ赤にして叫ぶ気持ちも分からないでもないが、東洋の人間は「自然な流れ」を作ること自体が一番自然(環境)に良いと思ってるんですよ。だからあまりご心配なく。

03:11 午後 経済・政治・国際 コメント (9) トラックバック (4)

2005/02/16

低コスト社会に必要な中小商店

 久しぶりに並河助教授@埼玉大から伝統食のエントリにTBをいただいた。日本のコンビニ前史みたいな話で、非常に興味深い。

 1970年にセブン・イレブンが東京の芝(だったかな?)に1号店を出して以来、日本のパン屋・米屋・酒屋などの中小零細商店をことごとくコンビニ化してきた話は某オレ様のNHKの人気番組、「プロジェクトX」でも放映されて有名なお話ですが、その前段階にこんなエピソードがあるとは知らんかったとです。

 そのコメント欄で交わされている議論もちょっと面白いし、何より僕の専門だったところなので少し割り込んでみようかな。

 並河氏のエントリには、確か「食の伝統というのが都市設計によって作られることもある」という前置きがあったような気がするんだけど、消されたのかな?それとも僕が寝ぼけてたかしら。

 そう言えば「こち亀」の初期の頃とかを読むと、角のたばこ屋兼駄菓子屋のお婆ちゃんというのがちょこちょこ出てきたりするよね。そっか、駄菓子屋というのは江戸の町内の木戸番が発祥なのか。

 実は僕はタイに留学している時に家でたばこを売っていたことがあって、駄菓子とかたばこっていうのはちょっとまとめ買いしても大した金額じゃないし、買う人もそれを小分けして買いたいものだから意外に利益率は高いしと、何らかの理由でそこにじーっと留守番をして座っていなければいけない人にとっては割といい商売だということを知った。

 でも今の日本は、家の造り自体が通行人に開かれたものじゃないから、たばこ屋も駄菓子屋もなりたたないわね。住宅の構造問題だな。

 ただ、並河氏のエントリのコメント欄に、地方(あるいは東京の下町以外の地域)の商店街について語っている人がいるけれども、僕自身は実は中小商店の先行きにそれほど悲観的でもない。

 店の大きさというのは、その店に必要な品揃えのボリュームと、そこから上がる利益で支払える地代とのバランスで決まるというのが流通業界の定石であった。圧倒的な量の商品を並べまくっても、その店がそれほどの集客力(商圏ともいう)を持たなければ当然儲からないわけで、そんな巨大な店の地代は払えないので縮小せざるを得ない。

 ところが、最近田舎では過疎化による人口減少で、地代が(特に借地料ではなく地価そのものが)タダみたいに安くなってきた。しかも90年代に吹き荒れた大店法規制は骨抜きにされ、形骸化してしまっている。

 となると、際限なく巨大な店がガッコンガッコン林立しそうな気がするのだが、これがそうならない。なぜか?イオンみたいなところが米国並みのでっかい店を作ってみて初めて、店の広さを決めるもう1つの要素があるということに気がついたからだ。それは、「買い回りやすさ」である。

 米国人と違って日本人はちびでしかも時間にうるさい人種なので、巨大なバスケットのついたショッピングカートを押して、広大な店を数百メートルも歩き回って買い物するのに慣れていない。特に、地方に行けば行くほど歩くのさえ億劫な老人が増える。

 地代がタダみたいな田舎では、商圏人口を増やさなければ成り立たないということもあって、売り場面積数万平方メートルとかいうような巨大店がたくさんできはじめたが、これらの店に客が集まるのは週末がほとんどで、平日昼間は開店休業状態である。広大な店内を歩き回る体力のあるファミリーや若者層ばかりがお客で、体力のない老人や、時間のない勤め人が会社帰りに買い物に行きたくなるような店ではないからだ。

 数は少ないけれども、こうした傾向をつかんでわざと店舗を小規模にし、地元のパート主婦や老人の絶大な人気を集めているチェーンは、全国に現れ始めている。

 こうした動きを察知し、何とか取り込もうとしている大手流通チェーンなどもいくつか出てきているが、たとえば最近のニュースだとヤマダ電機あたりの例が思い浮かぶが、これなんか見るとなんつーか「中途半端だなあ」という印象だ。

 実はヤマダは一昨年末頃から、和歌山県や鹿児島県で1000平方メートルクラスの小型店(ヤマダの通常業態は売り場面積5000平方メートルが標準)を出店して試していたが、おそらく自社物件での出店はペイしないと判断したのだろう。それで、商品供給だけに絞ったフランチャイズ化を考えているのだろうと思う。

 だが、これは家電販売店に対する顧客ニーズを本当に把握した結果だろうかと疑問に思う。平日の会社帰りの主婦やサラリーマンが家電店に頻繁によることは考えにくいから、やはりこのクラスの店舗の主要顧客は老人だ。しかし、老人にとっては1000平方メートルの店でも広すぎる。電球1個、電池1つを買うためだけに、30メートル四方の売り場は要らない。

 顧客を老人向けに絞って成功している店は、家電にしろ化粧品にしろせいぜい100~300平方メートルの「コンビニサイズ」が基本である。食品、衣料品はもう少し規模が大きくなるが、それでも500~800平方メートルがいいところか。

 巨大店舗は、従業員のうち数人がちょっと仕事をさぼっていても店は何とか回るが、コンビニ業態の店舗は常駐する従業員が2~3人だから、仕事をかたときもさぼらせない高度なオペレーション管理が必要になる。その意味で、小型店チェーンを展開するのは大型店を展開するよりある意味でずっと難しい。

 でもそれがうまくできた企業は、団塊世代が死に絶える2030年までの25年間は隆々としていけるだろうと僕は思う。それが、少子高齢化という日本の現代の「中小小売店」の行き着く姿なんだろう。

 で、僕自身はこういう店が増えてくるのは、ある意味でとてもいいことだと思う。

 なぜかというと、1つには年寄りや忙しい人にとってより利便で優しい。ま、これは当然。あと、「地域リスク」が低くなる。

 どういうことかというと、米国でウォルマートが叩かれる理由の1つが、「出店してきて地元の中小商店を根こそぎなぎ倒しておきながら、採算がとれないとなるとあっという間に店を畳む」からだ。根こそぎなぎ倒された中小商店街が復活しない以上、その地域は生活インフラのすべてをウォルマートに依存することになる。彼らが撤退すれば、町1つ丸ごと消滅にもつながりかねない。

 その点、小規模な店がいくつもあった方が、1つ1つの店舗の撤退が地域に及ぼすリスクと影響を分散できる。

 あと、並河氏が述べた江戸時代の「町内の木戸番役でもあった駄菓子屋」のように、小規模な店舗が結果的に地域内の犯罪防止や緊急避難の拠点となり、「地域のゲートキーパー」の役割を果たすようになるというのも、理由としてはある。

 コンビニ業界は、既に昨年からこうした「セーフティステーション」化の取り組みを始めているが、こういうどこにでもある小規模店舗に商業以外の部分での生活インフラを任せるというのは、生活コストを下げるために非常に大切なことだ。コンビニと同じ数だけ、警察官を常駐させた交番を作るのとどっちが安上がりか、考えればすぐに分かる。

 というわけで、かつての中小商店は消えるかもしれないけれど、イオンみたいな巨大店で中小商店の機能は代替もできないし、ちゃんとその代わりとなるものも現れてきてますよ、という話でした。おしまい。

11:05 午前 経済・政治・国際 コメント (8) トラックバック (6)

【ヲチ中】ライブドアもろもろ

週刊プレイボーイ中吊り 昨日の電車の中に、週刊プレイボーイの吊り広告があったんだけど、この見出しが笑えた。「買っちゃえ!ホリエモン 本誌・週プレも買ってくれ~!」って何だよ!儲かりまくってるくせに心にもないこと言うなよ、集英社は。マジで他の出版社、みんな洒落になんねえぜ。雑誌の目次ウェブサイトには一言も載ってないところを見ると、中吊りだけのネタ見出しってことですかね。

 にしてもライブドアの件、このブログにもあちこちから刻々とTBが寄せられていますので、TBの先を読んでいるだけで状況変化がつかめて面白いですな。

 ライブドア絡みではTBしてくださったブログに対してもいろいろと言いたい、書きたいことはあるんだけれど、少し様子見を決め込みたい。僕自身の基本的な読みはあまり変わってないが、それって有意味な情報がないからというだけの消極的な理由なので。もう少し追加の動きが見えてきてからかな。

 ただ、こんな発表をするところを見ると、ほりえもんは当初思っていたより相当危ない橋を渡ったという印象。「フジが25%超の株式を取得しても、対抗して増資すれば比率を下げられる」なんて、商法をちょっとでも知ってる人間が見たら「アホか」としか言いようがないぞ。第三者割当増資っていうのは、既存株主に保有比率分の優先引き受け権があるんだから、増資したところで25%は25%に変わりないし。この点、誰も突っ込まないのが不思議。

 ていうか商法の基本のキも知らずにほりえもんのコメントをよりによって「マネーニュース」欄でそのまま書きとばしてしまう読売新聞って、もしかするとラブリーなほどに無知ってことかしら。読売新聞万歳(笑)。

 今んところ見てる限り、持久戦に持ち込まれたらフジ有利なのは確実。乗っ取りやるなら1000億円ぐらい借りておかないとじゃなかったのかな?とにかく、磯崎さん@isologueが株式大量保有報告書を見てきてくれるまで、しばらく手控えモード。あしからず。

08:57 午前 メディアとネット コメント (2) トラックバック (3)

2005/02/15

伝統と誇るものに大した伝統はない

 これからしばらく仕事が大忙しになりそうな様子。昨年11月からほぼ毎日書き続けてきて、言いたいこともまだまだたくさんあるんだけど、ブログを書く以外のやりたいこと、やらなきゃいけないこともいろいろと出てきたので、どこまで意地になって継続するか、ちょっと悩み中。とはいえ、一度途切れると何かどうでもよくなってしまいそうだし。

 と、そんな状況ですが今日はちょっとまったりした話を。楠木坂コーヒーハウスさんのところで、東亜日報に掲載されたキムチの歴史の話が取り上げられていた。東亜日報の記事を読んで、「そんなことも知らんかったのか韓国人は」という感じだ。

 いったん過去の(日帝支配の部分の)歴史を全否定しなければいけないという負い目を背負った国のことなので、しかたないことなのかとは思うが、もし「伝統」という言葉をここ1~2世紀以内の発祥物に使わないというルールなのであれば、キムチは伝統食でも何でもないことぐらい、アジアの食の歴史に関心のある人ならたいがい知っているものだと僕は思っていた。

 東亜日報の記事は「1920年代、近代化とともにキムチが脚光を浴び始めた」以上のことに何も言及していないが、1920年代というのは日本が韓国を併合した後である。つまり日帝支配下のことだ。こちらの「辛いキムチの起源」というページが、この歴史を割と中立的に述べているのでご参考まで。

 それと、これはソースがうろ覚えなので確からしいかはちょっと自信が持てないが、もともとあった塩漬け白菜などの漬け物に唐辛子粉とにんにく、ニラ、アミの塩辛などを混ぜた「キムチ」ができたのは、当時の朝鮮総督府が敷いた食料統制の影響だという話をどこかで読んだ記憶がある。

 ま、この手の「どこが起源?」ネタにこれ以上深入りしすぎるとニダニダ叫ぶ嫌韓厨が大量に流入してきてコメント欄で収拾がつかなくなりそうなのでやめとく。言いたいのは、別にキムチなんて何世紀も続いた伝統食でも何でもないってこと。

 この手の勘違いっていうのは別に韓国に限らずあちこちにある話なんだけど、特に香辛料絡みの食べ物はそれが多い。普段あまりに食べ慣れてしまったものがつい数十年前は存在しなかったという事実は、やはりどこの国の人間にとってもにわかに信じ難いことだからだろうね。

 唐辛子に限って言うと、そもそもメキシコ原産のこの香