最低映画単位[kDm]の創造者、世を去る
今の日本にラジー賞が存在していれば、間違いなくこれから10年以上は連続で「ワースト・オブ・ワースト作品賞」を毎年受賞し続けると絶賛罵倒され、実際に先月ラズベリーを翻訳しただけのベタな(というかこの映画を表彰するためだけにわざわざ作られた)「きいちご賞」をお約束通り受賞した、邦画史上最高のクソ映画「デビルマン」の那須博之監督が、何と亡くなったらしい。おそらく、というか明らかに、これもデビルマンの呪いであろう。
これで那須監督の名前は、映画のつまらなさの単位である「キロ・デビルマン(kDm)」の創始者として永久に歴史に刻まれることになるのだろう。亡くなった直後に歴史に名を遺すことが確定する人というのは、本当にうらやましいものだ。僕もかくありたいものである。
彼の次のターゲットとして既に昨年中に撮影も終了していた次作「真説・タイガーマスク」は、いったい公開されるのだろうか。個人的にはまったくどうでもいいことだが、古くからのタイガーファンを恐怖のどん底に陥れていたことでもあるし、今後の東映の動きがなかなか興味深い。(棒読み)
それにしても享年53歳ですよ。業績云々はともかくとして、最近若死にする人が多いね。回りにも40代とかで亡くなる人があっちこっちにいるのでどうするよという感じ。
個人的には子供が成人するのを見届けたら、あとはあまり長生きしたくないなあ。僕らの世代って生まれたときから化学調味料たっぷりなジャンクフードばっかり食ってきて、どうせ体の中にダイオキシンとかいろんな有害物質がたくさん蓄積されまくってるんだろうし、まず気持ちの問題以前に生理的にろくな老後過ごせないと思う。あと、雀の涙みたいな年金もらうはるか前に、サラリーマンなら50歳ぐらいでクビ切られてる気もするし。だったら何もかも子供の世代に譲り渡して、自分はさっさと世の中から消えるのが一番いい気がするなあ。
そう言えば今塩野七生の「ローマ人の物語」の最新巻(13巻『最後の努力』)をチビチビ読んでるんだけど、ディオクレティアヌス帝の老後っつーのが、これがまた泣けるわけですよ。権力の頂点にあった人ほど、潔い引退とともに悲惨な仕打ちが待ち受けているんだよね。だから人間ていうのは、権力の座に座った瞬間に死ぬまでそこにしがみつこうと考えるわけで。
だから潔い引退なんて、あり得ないわけですよ。あるのは老醜晒してしがみつく奴と、権力なんかと何の縁もなくそーっと世の中に現れては消えるだけの奴と。願わくば後者でありたいものです。
最低映画単位からずいぶんと遠くまで話が来てしまいました。今回のネタのつまらなさは120[kR30]ぐらいでしたかね。単位の中に数字が入ってるのは、あまり見映えよくないですな。ブログのつまらなさを測る単位もそのうち考えなければ。ではこれで。
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コメント
つまんなそうな映画ばっか撮ってますね、この人。
邦画は嫌いだから一本も観たことないけど、
デビルマンは観てみたいからいつかテレビでやってほしいw
投稿: むむむ | 2005/02/28 02:33
観ないほうが良いものが世の中にはあるんです
投稿: とへへ | 2005/02/28 14:39