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2005/01/31

2005年1月のバックナンバー

とりあえず、今年の抱負など
リアル、ネット両方での抱負。最低週2回更新とか言ってるぞ、俺(笑)。

寄付する前に立ち止まれ
スマトラ沖地震に寄せて。街頭募金なんかするな、領収証もらって寄付せよという提言。

国際人道援助の投資戦略
日本ユニセフの集金マシーン構造と国産NGOの課題を語る。

紅白FLASH合戦にみる、コンテスト型企画のイノベーション
大晦日紅白と2ちゃんねる紅白FLASHの比較分析。NHKの紅白がダメになったわけ。

ただいま勉強中 GPL改訂問題
GPL規約改訂問題について生煮えながらショートエントリ。

短縮表記をつけてみた。
エントリタイトルの頭につける短縮表記についての告知とアルファブロガーネタ。

出産育児手当は少子化対策になる…わけねーだろ
少子化問題論への参入宣言エントリ。「居座りブロガー」発祥の地(笑)。

少子化問題メモ
旅先からのショートエントリ。少子化論についてのこれまでの議論メモ。

天下の暴論的少子化対策のアイデア
2人目の子供を増やすための政策提言。子供の少ない社員ばかり雇う企業の法人税増税、高等教育バウチャー制度。

旅先からのお便り
ハワイ旅行の旅先からのメール。ノースショアとクア・アイナ。

寄付文化が知りたきゃ米国の爪の垢でも煎じて飲め
寄付ネタでTBケンカ売ってきたブログに火を掛けに逝くが燃えずに鎮火。残念。

僕のおつむは燃費が悪い件について
「ゲーム脳」ネタについて羊堂本舗のエントリを紹介+半導体の未来トーク。

旅先からのお便り・その2
旅先メールその2。ワイキキビーチの夕焼け写真。

「絡まれ系キャラ」は褒め言葉と受け取っておきます。
ブログ的コミュニケーションとマスコミ人のブログの違和感について。

ヤフーはブログサービスを買収するか
英語Blogのネタエントリに絡めて、ヤフーの企業戦略を分析。

あおぞら信託買収で1700億円の財布を手に入れる(はずの)ソフトバンク
あおぞら信託を買収したヤフーの狙いを分析。ネット決済銀のメリットについて。

いっそ四半期に一回の更迭でもよろしいんじゃないでしょうか、三菱自様は
三菱自工トップ交代(まだ新トップが誰かは知らなかった)に寄せて、最大限の皮肉コメント。

首都大学東京に思う、大学は何する所ぞ
内田樹ブログの首都大問題に参戦。慣れない人文科学分野に無理矢理マーケティング論を導入。

中国の社会的起業家?
日中の非営利セクターについてのお話。GLIの人材募集告知も兼ねて。

クビ大なんてマジでどうでもいい
首都大論争その2。高等教育のマーケティング分析と国公立大学不要論をぶち上げる。

11:59 午後 バックナンバー一覧

クビ大なんてマジでどうでもいい

 首都大学東京(クビ大)の話で、Remember309さんのブログから大仰な内容のエントリのトラックバックをいただいた。

 それによると僕の前回のエントリの内容を「日本の歴史・文化的背景を理由に、クビ大よりも都立大のような大学の方が、公立大学としては、不要であると主張されているようだ」とご理解されたようなので、ちょっと補足しておこう。クビ大も都立大もぜんぶ不要だと思ってますが、何か?(´ ∀ `)

 なんていうか、クビ大話というのはあまりにもケチを付けるべき要素が多すぎて、いわゆる「難波OK通りを疾走する突っ込みどころ満載のトラック」みたいなところがあって、困るのである。

 本当は関係者全部に悪口を言いたいのだが、関係者全部そこそこに知能が発達していらっしゃる方々ばかりなので、あっちの悪口を言うとこっちの人が「それみたことか、やっぱり俺たちの言い分が正しいんだ」とか意味不明の悦に入ってしまう。

 それで「(日本社会の要請とかヒトラーとかその他いろいろな理由で)本質的に日本には公立大学なんて要らねんだよゴルア」とか申し上げてみた次第だったのだが、どうも僕のご説明が低レベル過ぎたようで、それでもやっぱり誤解されてしまうようだ。頭のいい人たち、恐るべし。

 本当のところ、僕個人の立場としては彼ら(ヒトラー&スターリン、東京都庁、クビになる&ならない大学関係者の方々)全員にこうした論点に気がつかずに、そのまんまさりげなく逝っていただいた方が実は大変ありがたいのであるが、一方で頭の良すぎる人たちを見ると絡まずにいられなくなってしまうという卑しい性の持ち主でもあるので、ブログのネタとして晒してみたい。

 クビ大の批判ポイントは無数にあり、しかもそれが次元の違う論点として折り重なっている。ちょっと整理しておくと、以下のような感じだと思う。

  1. 国公立大学そのものの存在は是か非か
  2. 仮にそれが是として、従来の都立大をぶっ壊す(COE追放、人文潰しetc.)のは是か非か
  3. 仮にそれが是として、クビ大という再編の方向性は是か非か
 これまでのクビ大批判を見ていると、この3つのレベルの批判がぐちゃぐちゃになっている。

 remember309氏を初めとするクビダイ・ドットコム関係者の方々は、2.や3.についてはそれなりに議論を深めているようだが、2.や3.の主張を支える前提である1.について語っている人が誰もいないように見えた。なので僕が1つめの論点を提示して差し上げたという次第だ。

 日本で国公立大学そのものの存在意義(おフランス語で申し上げるとレゾン・デートル)がもはやないという件については、僕のような回りくどく諧謔的な表現を読み解かなくても、極東ブログの1年半も昔のこのエントリあたりが非常に的確かつストレートに述べているし、社会背景はそれ以来何も変わってないので、そちらを参照されたい。

 極東ブログの記事に付け加えておくならば、まあ今さら言っても詮無いことではあるのだが、本来もっとも適切な都立四大学の再編方法は「民営化」であった。

 もっと分かりやすく言うと、あんたらのやってることは郵貯と同じですよと、こういうことだ。存在そのものが高等教育の市場原理を歪めている。もちろん、郵貯に比べると月とスッポンぐらいの違いですがね。哲学的に言えばスッポンだろうと何だろうとおかしいものはおかしい。

 だいたい、内田センセイの今日のブログでも書かれているが、ただでさえ今の私立大学は少子化で30~40%が実質無試験、応募さえすれば入れるという状況に追い込まれている。その上さらに税金で賄われる学費格安の公立大学が、横から学生を奪い取ってどうしますか。どうして誰も「民業圧迫」って指摘しないのだ。

 論点の2.については僕は意見を言えるだけの情報がないので、態度を保留する。あえて一市民として言うなら、「内田樹という知性を生んだ環境がなくなるっちゅーのは、なんとなく残念だねえ」という程度だ。経済学のCOEとか、マジで超どうでもいいし。

 で、3.の論点について僕なりにちょっと述べておきたい。仮に公立大学にそれなりの存在意義があるとして、では彼らはどちらの方向へ向かえばよかったのか?という話だ。

 なんか、中央に政府の立てた総本山があって、その門下生を大量に吸収し続けなきゃいけないので地方に税金でボコボコ箱作って、気が付いたら少子高齢化で客がどこにもいなかったって、これ医療の世界とそっくりだな。医療機関は、近くになければときには命にかかわる分、なんだかんだ言いつつ地域にとっての必要性は高いけど、大学なんてなくても命にまったく別状ないし。

 「知識の集積」が必要というだけなら、東京でも大阪でも大都市に出れば、いくらでも有名な大学はある。ということは、恐らくこれからの公立大学というのは、保有する専門科目のどれもが日本で5本の指に入るレベルだぐらいの自信がない限り、「知の集積」なんてものを売りにして成り立つと考えてはいけないということだ。

 その意味で、クビ大が目指す第一の方向、つまり「実益重視」で経営学や法学の専門大学院を充実させるというのは、明らかに間違っている。

 MBAスクールなんて、首都圏だけでも一橋や慶応を筆頭に早稲田、法政、立教など名だたる国私立大学が死にものぐるいで力を入れ、収益化しようとしている。民業圧迫という批判はさておいても、クビ大ごときが今さら参入して勝てるとでも思っているのか。都庁職員への割引サービスで学生数を確保しようと思っているのかもしれないが、そんなことをすればただでさえこんな大学構想を考えついてしまう都庁職員の損傷した脳みそを、なお一層劣化させるだけだ(笑)。

 ではどうすればとなるが、実益重視がダメならカルチャーセンターを目指すしかない。ここで問題になってくるのは、前回エントリにTBを打ってくださった並河助教授のブログでもご指摘の通り、「互いに相手を意識して関係ができれば、教えるという行為がまったくなくても学習組織として成り立つ」という現実である。したがって大学経営上の課題は、別に研究能力の高い教授がいるかどうかなんてどうでもよくて、学生に対してそういう「関係」を与える場をどう作るかということになる。

 石原都知事が言うように、かつてそれは「同じ釜の飯を食い、酒を酌み交わして論じ合う」という旧制高校の文化として存在していたこともあった。だが、都知事は最近の若者の実態を知らない。今どきの若者を1つの部屋にぶち込んで食物とアルコールを与えても、恐らく彼らは自分のパソコンやゲーム機に向かって黙々1人遊びするだけである。その程度のことで交流や教養が深まると思うなど、まったく笑止千万だ。現代の若者の卓越したニート的コミュニケーション拒絶能力をなめてもらっては困る(笑)。

 せいぜい可能なのは、石原氏の知り合いの知識人にボランティアで精力的に教壇に立ってもらって、石原流の「教養」とやらを振りまいてもらうぐらいだろう。石原プロが全面バックアップして渡哲也とか舘ひろしとかが講義すれば、タレント教授を一目見ようと南大沢周辺のジジババがたくさん受講しに来そうだな(笑)。ま、それにしたって、最近NHKまで使い始めた「三色旗ソリューション」の発動には、はるかに及ばないだろうけど。しかもこの戦略は、石原氏が知事を辞めたらその瞬間に大学そのものも意味がなくなるという諸刃の剣。

 話が少し脱線したが、要は都知事の思いこみと世間のトレンドに何となく便乗して大学をいじっただけで、今の公立高等教育ビジネスにどういうブレークスルーが可能なのかといった検討がまったくなされてないとしか思えないのが、今のクビ大の実態だ。別に大学教員がサボってるんじゃないのとか、そういう問題ではない。頭の良いRemember309氏も分かっているように、「仮に実益重視という観点に立ったとしても(あるいはカルチャーセンター化を目指すとしても)、クビ大構想がいずれ破綻するというのは、明白」なのですよ。

 そんなわけで、僕としては石原都知事には財政難でも何でも理由にこじつけて、クビ大を存続させようとしたりせずに、早いところ潰したり売却してもらいたいと考えるものである。別にクビ大がやらなくても、教養ある市民を育てる役割は他の誰かがやる。ていうか、「クビ大が、どのようにして終わっていくかの実証的な検証」なんて、マジでどうでもいいよほんとに。頼むからそういうくだらない後ろ向きなことに都民の税金使わないでください大学の先生方(笑)。

01:30 午前 経済・政治・国際 コメント (8) トラックバック (17)

2005/01/29

中国の社会的起業家?

 昨日、秋葉原に行ってiPod mini見たらすごく欲しくなった。でも新しく買った携帯の電話番号を移すヒマもないぐらい忙しいのに、iPodなんか買ってたら生活破綻しそう。今の仕事が一段落してから考えよう。

 さて、先日絡みエントリを書いていろいろと騒いだインド洋津波関連での寄付の話だけれど、そう言えば少し古い話だが、国境なき医師団や国際赤十字が相次いで「十分お金が集まったので募金やめます」宣言を出したらしい。津波もすごかったが、その後の寄付の津波も国際的には負けず劣らずものすごかったようで。そんなことを考えつつ、今回の津波とは直接関連はないのだけれど、非営利組織ネタを書いてみたい。

 とあるところで、中国のNGOについての話を聞く機会があった。中国のNGOと聞くと、まずちょっと中国のことを知っている人なら「政府の縛りがあれだけきつい国で、NGOなんて存在するのか?」と思うところだ。まったくその通りで、つい最近まで中国にはNGOというものはほとんど皆無だった。

 ところが、ネガティブとポジティブ、2つの要因からここ1~2年の間に、NGO・NPOが急速に中国人の関心を引くようになったらしい。

 ネガティブな要因というのは、国内の地域ごとや階層ごとの貧富の格差があまりに激しくなって、社会的な不安が増していること。一方、ポジティブな要因は、そういった社会問題の解決に取り組むことそれ自体を事業にする「社会的起業(Social Entrepreneurship)」というのが、どうも欧米やら日本にはあるらしいということを彼らが知ったことだ。

 「日本に社会的起業の事例がある」という認識自体には、結構反論が出そうだ。たとえば、日本では圧倒的多数のNPO・NGOが「福祉・介護」の分野におけるものなので、ほとんどはボランティア集めてお年寄りや障害者の面倒見てるだけだと思われている。まあ、実際のところそれがほとんどだ。

 だから、社会的弱者の保護でお金を集めてちょっとでも超過利潤を出したりすると、いくらそれは活動を広げるために再投資するんですと説明しても、「弱い人々を食い物にして儲けている」といった批判にさらされる。ましてやそこに「社会的起業」みたいな言葉を持ち出してくると、「奴らはどうせエセ宗教団体かアカい政治勢力に違いない」みたいな偏見で見られてしまう。日本で「社会的起業家」と名乗って成功するのは、「ベンチャー起業家」として成功するより100倍は難しい。

 だが、中国の場合はNPOにも「お金を儲けること」自体にもまったく偏見がなくて、むしろ「え、お金を儲けながら社会的弱者を助けることもできるの?素晴らしいじゃん!」みたいな感動が、社会的起業に対するイメージとしてあるようだ。つまり、自分でビジネスを興すことを夢見る多くの人たちにとって、「目の前にある貧困や差別を解決」できて、しかも「商品・サービスの売り上げだけでなく、寄付や公的資金も収益に組み入れられる」という社会的起業は、新しいSMB(Small and mid-size Business)の開業手法として魅力的に見えるものらしい。

 その話を聞いていて、僕は結構複雑な気持ちになった。

 日本で「社会的起業」の話が盛り上がったのは、僕の実感だと2001年頃からかなあと思う。町田洋次氏の「社会起業家」が発刊されたのが2000年11月。その本によれば、Social Entrepreneurの概念が初めて示されたのは90年代後半の英国だというから(本当か?という気はするが、ここでは検証はしない)、まあそれほど昔からあった話ではないだろう。

 もちろん、その前段階では、米国におけるベン&ジェリーやパタゴニア、スターバックスなどに見られるような「社会的責任を果たす会社」の考え方があったはずで、社会的起業とそのブリッジとなったのが、1998年に発刊された森孝之氏の「『想い』を売る会社」あたりだろう。

 その後、ETIC.の主催でソーシャル・アントレプレナーのコンテスト「STYLE」が始まって大盛り上がりしたのが2002年4月だから、社会的起業家というのはちょうどネットバブルとその崩壊とパラレルに生まれたタームだと思って間違いない。

 で、じゃあいったい日本においてはその後どうよ?というと、たかが3年やそこいらで世にとどろくような大成功者が出てくるわけもないのだけれど、それにしてもETIC.の育てた起業家インターンの学生がビジネスを始めて大成功したという話も聞かないし、既存のNPOセクターが影響を受けて活性化したという話も聞かない。NPOに関しては、なんかもう80~90年代前半までの話が手あかの付いた「成功事例」として紹介されるばかりで、新しい話は何も出てこない。

 思うに、ETIC.もそうだが、日本のちょっと山っ気のある若者は、社会的弱者やその歪みをことごとく世の中から隠蔽する日本の“きわめて優秀な”行政と、そのニッチを占拠してお山の大将よろしく既得権を主張する既存のNPOとに阻まれて、社会的弱者を助けるような事業を自ら興そうとは、思わなかったのだろう。

 僕は、そういう若者が日本にいなかったわけではないと思う。だが、彼らは自分のエネルギーを発揮する場所として、社会的起業の代わりにITベンチャーを選んだのではないか。

 シリコンバレーのテクノロジーベンチャーと違い、ソフトバンクや楽天などはテクノロジーそのもののアドバンテージを追求する代わりに営業力や規制突破力、そして巧妙な財務戦略をその事業コアとした。だから、逆にネットバブル崩壊以降も生き残り、既存の社会ヒエラルキーをぶっ壊したい野望を持つ若者を吸い集めたのだ。残念ながら日本では、ITベンチャーの方がNPOよりも若者にとっては魅力的だったのである。

 中国でこれから社会的起業家というのがどのくらい選択肢として有効たりうるかは、正直なところまだ分からないけれども、経済格差や社会的な歪みという点では日本の比ではないし、くだらない既得権を主張するNPOも存在しないという意味では、中国で社会的起業が今後ちょっとしたブームになりそうな気もしないでもない。

 で、その彼らの言うには「だから、欧米や日本の『社会的起業』の成功例を、なるべくいろいろと知りたい」のだという。日本では手あかのついた事例でも、海外に“輸出”すると大きな価値を持つという事実を聞くと、ここ10年近く大したイノベーションもないことを省みるに忸怩たる思いがあるのだが、でも先進国になるということはそういうことなのだろう。

 そして、幸いなことに最先端の電子部品製造装置などの技術特許の類いとは違って、NPOや社会的弱者支援のノウハウなど、途上国にいくら盗まれても痛くもかゆくもないどころか、「最初に井戸を掘った人」として感謝されるものである。となれば、ここは手あかの付いた成功事例でも何でも、精一杯相手に恩を売りつつ「これは日本発のノウハウで~す」と中国に売り込みまくるのが、日中関係改善の有効な手だてと言えるのではないだろうか。

 というわけで、その話を教えてくれた友人は、社会的起業(笑)ノウハウ移転のためのNPOのウェブサイトの運営業務を助けてくれる人(もちろん有給スタッフ)を募集しているそうな。ここはちょいと、切込隊長にならって人材募集をしてみたい。

 以下の条件で働いてみたい人は、こちらの団体のウェブサイトから、事務局長に連絡を取ってみてください(事務局長は日本語ができます)。僕も、この団体の活動に今後少しずつ協力していこうと思っています。

  • 毎日2~3時間程度を、コミュニティーサイトにおける日中英3カ国のユーザーの問い合わせや団体のスタッフメンバーからのリクエスト対応、サイト保守に費やせる方
  • ちなみに、そのやりとりは半分以上が英語なので、英語の読み書き能力は必須(中国語はできれば良いが、できなくても問題ない)
  • 今すぐできる必要はないが、phpベースのウェブアプリケーションをある程度理解でき、ちょっとしたサイトのデザイン修正などもできる
  • 月給13~15万円、オフィスはとても小さいので基本的に在宅勤務を希望、ただし東京で月1~2回程度の打ち合わせに出席できる方

03:51 午後 経済・政治・国際 コメント (4) トラックバック (0)

2005/01/26

首都大学東京に思う、大学は何する所ぞ

 内田樹センセイのブログ回りで、首都大学東京、通称「クビダイ」の話が盛り上がっている。元都立大仏文科の助手だった内田氏が、「大学に文学部なんかいらねんだよ」とうそぶいた石原“スターリン”慎太郎都知事と、東北大学長時代に自分の研究室に学生が本を持ってくるのを禁じたという西澤“ヒトラー”潤一学長を、すごい勢いで罵倒している。

 門外漢にもなかなか楽しい文章なので、地方から東京の大学を受験しに来ようと思っている甥、姪のいたりする人は、彼ら彼女らに間違ってもクビダイを受けさせないようにアドバイスするためにも、ぜひ読んでおきたい。

 内田教授の言うことはいちいちもっともなのだけど、彼の書いたエントリにあちこちから張られたトラックバックを読みあさりながら、何か頭にひっかかるものを感じた。

 いったい何だろうと思っているうちに、このブログとかこのブログのエントリ及びそのコメント欄でのやりとりが、その「ひっかかり」の原因かなあと思うようになった。

 つまり、大学改革を議論すると必ず出てくる論点なのだが、そも大学とは何をするところなのか、という話である。

 リンク先のブログでは、「大学って、『効率』だけを求めて良いのだろうか」という言い方で問題が提起されている。でもね、これは経営学のターミノロジーで言うと明らかに「誰もそんなこと聞いてない」類の問いですよ。首都大を肯定するつもりなんてさらさらないが、少なくともこのような言い回しの問いを立てた時点で、大学人の共感は集めても世の中の人の共感は決して集められないだろうね。

 それが何かは知らないが、大学も1つの組織である以上、何らかの目的を持った存在だろう。だとしたら、その目的を達成するために(常識の範囲で)なるべく少ないコストで(つまり効率的に)運営するのは、別に企業だろうが大学だろうが同じように努力すべきことである。内田教授だって「効率的であるべきではない」なんて、そんなことはブログに一言も書いてない。仮に「目的のない存在であること」が大学の目的…と主張するなら、そもそもそういう組織に税金をつぎ込むこと自体、世間の建前上は認められないだろうし。

 では、大学とは何をするところなのか、言い換えれば「どういう目的を持って存在するのか」ということについては、正直言って、日本は今端境期に来ているんではないかと思う。

 元々日本の属する東アジア儒教文化圏というのは徹底的にプラグマティズムを重んじるので、「芸術」とか「学問」それ自体を敬い、慕うという考えはなかった。古代中国では天文学、測量術、代数学など実益的な学問が飛躍的な発展を遂げたが、古代ギリシアで最も重視された幾何学、形式論理学、弁論術など「学問のための学問」みたいなものはほとんど進歩しなかった。また、芸術という点でも写実的な彫刻様式を完成させたギリシアに対し、中国にはインドから仏教と結びついた美術が導入されるまで、まともな芸術がなかった。

 日本も元々芸術なんてのは中国からの舶来芸術か、そうでなければ能、歌舞伎などの大衆芸能しかなかったのが、明治維新を迎えて西洋の学問体系を必死に輸入する中で、学問や芸術それ自体を権威の象徴として敬うべきという文化が一緒に持ち込まれたのである。

 西欧における学問観というのは、まさに貴族のそれであって、そのことはよく引き合いに出される言い方で言えば、Study(学問)school(学校)という単語の語源が、ラテンギリシャ語の「何もしない、ヒマである」を意味するStudium(ストゥディウム)skhole(スコレー)であるということからも推察できるというものだ。

 東京都が掲げる、実益重視の公立大学改革(破壊)計画にロジカルに反論しようとしてもなかなかうまくいかないのは、日本人の多くが、明治以来日本が官主導で押し進めてきた西欧的価値体系の輸入が、結局きちんと社会に根付かなかったことを暗に認めてしまっているからではないだろうか。

 その意味で、Shig氏のブログのこのエントリについた、remember309(T)氏による「フランスの教育では、『人文学』は、もっとも重視されていました。政治家も官僚も、並ならぬ文芸的教養の持ち主です。こういうものを潰すというのは、むこうでは、軽蔑されます。」という、歯ぎしりの聞こえてきそうなコメントこそが、この問題の本質をかいま見せてくれているように思う。

 つまり、首都大問題で見えてくるのは、社会に実益をもたらさないものは何であれ一切不要という「儒教的プラグマティズム」か、それともヒマを持て余す者だけが最高の教養を持つと信じる西欧的な「貴族的skhole至上主義」か、公的高等教育機関はどちらを目指すべきなのかという根本が揺らぐ、現代日本の知の構造そのものなのだ。

 芸術系のNPO活動をしている人たちにとっても、これは結構シリアスな問題である。彼らは、自治体から公的な補助金をもらうために、自分たちがどれほど社会のために役立っているかを毎年毎年、予算編成の時期になると必死に役人に説明して回らなければならない。「芸術は社会に必要だ」という大前提に理解のある役人が担当者ならそれほど苦労しないのだが、そうでない役人が窓口に出てくると、もう大変である。最後には泣き喚いたり一銭の儲けにもならない福祉施設向けサービス興行を提案したり政治家センセイの名前を出したり、もうあらん限りの大騒ぎをしてやっと予算を通してもらう。涙ぐましい限りである。

 これに対して、フランスやオランダでは、極端な話、「私は芸術家です。こういう芸術活動をします」という申請書を出すだけで、政府が1年分の生活費を支給してくれるらしい。フランスではそういう“芸術振興予算”が年1兆円以上あるらしいが、政府は「年1兆円程度でフランスの文化的価値を世界に発信してくれるピカソみたいな芸術家が10年に1人も出てくれば、国として十分ペイする」と思っているのだそうな。うらやましいね。

 でも、これからの日本社会の思潮を考えると、流れとしてはよりフランス的になっていくというよりは、どんどん明治以前に回帰していくように僕は思うのですよ、経済も社会も文化も。

 だとするならば、市民の税金をつぎ込んで運営する高等教育機関には、中小企業の工場労働者とか100円ショップの店員を育てる役割を持たせるべきだ、というヒトラーやスターリンの主張も、それなりに理解できる。むしろ問題は、1940年代ソビエトやドイツではなく2000年代の日本に、そういう高等教育機関で教育を受けたいという世間の側のニーズがあるかどうかの方だろう。これについては、内田教授は「歴史的失敗を遂げるだろう」と予言されているが、僕自身の考えはまた別の機会に譲りたい。

 というわけで、大変悲しいことではあるけれども、「大学はStudiumskholeの場であるべき」と考える方々は、既に芸術系の人たちがやっているように、そういう考え方を理解してくれるパトロンのいる場所(私立大学とか、大金持ち個人の主催する研究所とか)に逃げ込み、生き延びる戦略を考えるべきだと思う。「こんなことじゃ日本はどうなっちゃうんだ」みたいなことを言うのが、一番見苦しい。どうなっちゃうもこうなっちゃうも、内田教授みたいな人が減って100円ショップが増えるというだけのことでしょうが(笑)。僕らみたいなちっぽけな存在が、天下国家を憂えて吠えててもしょうがないしね。

 それに、フーコーだってデリダだって、ギリシア以来の正統派西欧哲学をあまりにも罵倒しすぎたため、本家フランスの論壇ではキチガイ扱いされてまともに相手されていなかったというではないか。公的資金をもらう立場でいながら、世間の常識に反することを唱えていたいと駄々をこねるというのは、真の学究者としては少々考えがぬるいのではないかな。電波飛ばしたいならブログだけにしとけって(笑)。

 ま、1つだけはっきり言えるのは、これだけ豊かになった日本に、税金で丸抱えの公立大学なんてもう要らないってことですよ。クビダイ、逝ってよし。

(15:10追記:コメント欄で文中の語法に間違いの指摘がありましたので訂正しました)

11:09 午前 経済・政治・国際 コメント (16) トラックバック (10)

2005/01/24

いっそ四半期に一回の更迭でもよろしいんじゃないでしょうか、三菱自様は

 書くだけで不愉快な気分になるので長らく無視していたが、お久しぶりな三菱自工ネタが。ここまで来ると、もう三菱グループ内の取締役候補のババ抜き祭りの様相だなあ。

 以前にこのブログ(の前のブログ)で「初めて筆頭株主が自社の利害だけを考えてくれる人になったんだから、社員ともども心入れ替えて頑張って下さい」って書いたのが確か5月ごろだったかと記憶。それからたった半年で実は投資銀行(とヘッジファンド)だけ大儲けさせて5000億円をどぶに捨てたことになったんでトップ3人更迭って、何よ。

 いったい岡崎会長以下の3人は、どうすりゃ良かったっていうのさ。三菱グループの首脳さんたちは、安全性に関する信頼が完全に地に墜ちた企業の作る「クルマ」という商品の販売を、トップ3人クビすげ替えただけで半年後には回復させられるとでも思っていたんだろうか。あり得ないよそんなこと。株のトレーディングじゃねえんだからさ。あんまり消費者の記憶力をなめんなよ。

 それとも、5000億円つぎ込んだのに株価が昨年前半までの水準に戻らないことに腹を立ててるのか?だったらそもそもJPモルガンと共謀してわざわざ株価下落を誘うようなさや抜きのディールを仕組んだ、筆頭株主フェニックス・キャピタルの安東代表(三菱自工事業再生委員長)こそが責任取って辞めるべきだろ。

 実際のところ、1000億円近くを内外の投資家から集めて出資したフェニックスは、これでメンツ丸つぶれだし、3人と前後して辞めるかもな。驚異的なスピードでの人材使い捨て、三菱グループ恐るべし。

 今後の展開を予想してみよう。重工、商事、銀行から次々と「社長レースに敗れた」幹部が自工に放り込まれる。自工プロパーの優秀な人間も、親会社の人身御供に差し出される。そのたびに工場の追加閉鎖とか人員リストラとか手っ取り早く売れる事業の売却とか、その場しのぎの手を繰り出すが、半年から1年経つごとに業績はさらに悪化。で、そのたびに「経営の責任をとって」とか言って、経営トップのクビを飛ばす。

 かくして50~60代の社長候補でババを引いた奴、次々と引退。親会社3社の実権を握る人の取り巻き以外はどんどん「泥沼」への片道切符を渡されていなくなる。三菱自工が中身スカスカ、事業ガタガタのブラックホールになる頃には、三菱グループの役員の平均年齢は10歳ぐらい若返る、と。めでたしめでたし(笑)。

 ま、何でもいいんだけど、既に三菱自工なんてこの世に存在する意味なんか限りなくゼロに近くて、超新星が自分の重みに押しつぶされて白色矮星からブラックホールへと潰れていくように、ひたすら小さく小さく自重で押し潰されていくしかない会社だから、これ幸いとばかりに憎き政敵を放り込んでやれとか社内政治家が考えたとしても不思議でもなんでもない。

 ならば、いっそのこと半年とかかったるいこと言ってないで、四半期ごとにトップを交代させてみたらどうか。会長、副会長、社長の3人を地獄送りにできるわけだから、政敵処理の能力も1年間で12人、スピードは2倍にアップだ。ついでに自工のリストラ・切り売りスピードも2倍にアップして、この世から消えるまでの時間も半分に短縮できるというメリットもある。いかがでしょう。この案、ぜひご検討下さい>三菱グループ首脳各位

 それにしても、一番ちゃっかりしてるなあと思うのは我らがカルロス・ゴーン大先生だよなあ。三菱の中で一番まともでコスト競争力もある軽自動車事業だけ「提携以上でも以下でもない」とか防御戦張りながら取引をどんどん増やしておいて、三菱の側に切り売りするものがなくなりかけたところで「従業員の雇用だけは保証してあげよう」とかもったいつけながら二束三文に値切り倒して買い取っちゃうつもりだよ、きっと。すごいなあ。

 他にもちっちゃな事業とかいろいろ持っていたりしそうだから、世の中の皆さんは欲しい事業があったら「まずは提携しましょう」とか何とか言い寄ってこっそりデューデリやっておくようにね~。資本提携までしたらいざという時足が抜けなくなるから大変だけど、そうならない程度に他社より先に唾つけとけば、後々いいことあるかもよ!

 というわけで、三菱自動車のニュースを精一杯明るい内容でお伝えさせていただきました。チャンチャン。

01:48 午前 経済・政治・国際 コメント (2) トラックバック (2)

2005/01/21

あおぞら信託買収で1700億円の財布を手に入れる(はずの)ソフトバンク

 忙しくてブログ書いてる場合じゃないという悲鳴があちらからもこちらからも聞こえて参りますが、で私もヤバイぐらい忙しいわけですが、そう書いたら「ブログ書いてるくせに忙しいふりすんじゃねえバーカ」とか煽られたので歯を食いしばって書き続けてやるぞちくしょう。

 前の記事で「ヤフー(とソフトバンク)は当面キャッシュの流出になるようなM&Aをするつもりはないだろう」と書いた矢先に、ヤフーが100億円以上出してあおぞら信託を買収するというニュースが飛び込んできたので、ちょっと追加エントリを書いておきたい。

 さっそく切込隊長氏がこのニュースで「ふーん。」というやる気のない感想を表明してるが、なかなかどうしてこのニュースは非常に意味深である。

 いずれ消えてしまうNIKKEI.NETの記事(こちらこちら)を要約しておくと、以下の通りだ。ヤフーはあおぞら銀の100%子会社であるあおぞら信託(資本金50億)に130億程度を出資(あおぞら信託があおぞら銀に対して発行する新株及び普通株転換予約権付き株式(なんだそりゃ??)を買い取り)、3月末までに66.6%の株式を保有して子会社化する。あおぞら銀は信託をネット専業に転換してヤフー上でコンテンツやオークションによって動くユーザーの資金の流れ(月間約660億円)を取り込み、収益化を目指すと。

 同じ銀行への出資でも、今回と前回(オリックス、東京海上とともにあおぞら銀へ出資し、2003年に株を売り払った件)とでは、意味が全く異なる。前回は大証とナスダック・ジャパン構想をぶちあげる中で、「ナスダックに来た会社にはお金も借りられますよ~」という見せ金、言い方が悪けりゃ誘い水として買ったわけだ。で、ナスダックJがぽしゃったんで要らなくなったから売っちゃった。

 今回の狙いは、実質的な「ヤフー銀行」の設立である。いや、マジで多分3月に金融庁が出資を認めたら「ヤフー銀行」に社名変更すると思うよ、彼らは。今ジャパンネット銀行などにそっくり取られているオークションの参加料決済とか代金決済とかイー・トレード証券での新株売買とかを、全部ヤフー純正サービスで乗っ取るつもりなんだな。JNB様、ご愁傷様。三井住友様、さようなら。

 月間660億円もの決済業務が新しい銀行に雪崩れ込んできたら、手数料0.5%としたって年間30億円以上の売り上げがすぐに稼げる。今からまた新銀行設立だのどーのって金融庁や政治家センセイたちともめてもめてもめまくる手間を考えりゃ、殻を買うための130億の資金なんて、安いものだよ。ホッホッホ。

 ここまではだいたい想像が付くわけだが、気になるのはこの先だ。こっち方面は専門家の切込隊長氏も書いているように、現在ソフトバンクはブロードバンド事業の収益性という点では1人負けに近い。資金調達も今は隊長が言うような「風呂敷を使った市場からの吸い上げ」が利かなくなり、金融機関のシンジケート団からのコミットメントラインや、海外機関投資家に向けたユーロ建て社債発行などにシフトしてきているのが実情だ。

 とすると、ここで銀行業務を子会社の傘下におさめるというのは、当然「ソフトバンクにとっての財布」が1つ増えることを意味する…んじゃないの、という話になる。

 ヤフオクに依存しまくりで成功した決済専門銀行であるジャパンネット銀行の昨年9月中間決算を見てみると、経常収益(いわゆる売上高)が半期で50億、経常利益、純利益ともに赤字だった昨年同期から黒字に転換している。半期の営業キャッシュフローが1185億。ヤフー全体で半年に動くカネは4000億ぐらいだから、そっくりそのままだとすればJNBはヤフーで2~3割のシェア持ってるわけだね。ま、だいたい想像に近い水準だ。

 うぉーと思ったのは、JNBの総資産が3120億、預金残高が1700億円っていう点だね。僕がソフトバンクグループの経営者ならここでこう考えるだろう。「ヒャッホウ!見ろよ!ヤフー公認銀行作ったら、何も考えてねーオークション参加者とかプチ株式投資家とかが、俺たちに1700億円も黙ってカネ貸してくれるんだゼ!やるっきゃないだろ!」

 なんか、昔ダイエーが銀行団から融資を受ける際に財務をよく見せようとして、ある日突然期末決算書の中に「レジの中に入っているお釣り用の現金 ウン百億円」という項目が追加されていた、みたいな話を彷彿とさせますな。いやそれはチミの財テクに使っていいおカネじゃないんだけどなーっていう(笑)。

 というわけで、130億円の銀行免許買収資金はもの言わぬ消費者から1700億円ぐらいのお金を黙って俺様のものにするための準備金であるということをご説明申し上げた次第でございます。どこまでも頭の良い我らがIT革命の同志にして偉大なる指導者、孫正義様マンセー。

09:58 午前 経済・政治・国際 コメント (0) トラックバック (5)

2005/01/19

ヤフーはブログサービスを買収するか

 奥一穂氏のブログ経由で、米Internet Stock Blogの「Yahoo! to acquire Six Apart?(ヤフーはシックス・アパートを買収するか?)」という記事を見た。

 こういう完全な飛ばし、というか100%憶測だけで記事が書けるところがブログの素晴らしい(笑)点である。しかもそのノリそのままで、引用した奥氏は「日本ではどうなのか?ヤフーが買うとしたら、やっぱり、はてな?」などと、風説を流布しまくりだ。さっそく僕も悪ノリして風説の流布に荷担してみたい。

 ご存じとは思うが、シックス・アパートとはもっともメジャーなブログアプリケーション「Movable Type」を開発した会社で、日本でもネオテニーと合弁で日本法人を作り、@niftyココログなどのサポートを受託している。ブログ業界でほぼ唯一「儲かっている」会社かもしれない。

 その米親会社が先日、米国でブログホスティング大手「Live Journal」を買収し、自社のホスティングサービス「Type Pad」とあわせて650万人のユーザーを抱える、業界最大手のホスティングサービスになった。ところで皆さん、検索マッチング広告におけるYahoo!のライバル、Googleは「Blogger」を既に買収している。MSNは「スペースブログ」を始めた。ヤフーにはブログサービスってありませんよね?じゃあヤフーがシックス・アパートを買うなんて時間の問題じゃないですか、というのがリンク先の元記事の内容である。

 僕でも10秒で思いつくような単純な理由だけでこんなにも断定的な風説を流布させるわけねーだろうと思い、POP辞書とか使って一生懸命英文を読んでみたが、本当にそれだけしか書いてない。アホかこいつ。もうちょっと謎めいた話でも書いていてくれれば、こっちもあれこれ謎解きでいじって楽しめたのに。

 この際、未上場企業であるシックス・アパートがどういう株主構成になっていて、株主がIPOやら売却といったエグジットをどこまで考えているかは問題にしない。その上で、ヤフーにとって本当にブログホスティングあるいはブログアプリケーション開発の会社を今買うメリットがあるかどうか考えてみよう。

 InternetStockBlogのロジックはこうだ。広告の市場規模、単価ともに急成長している検索マッチング広告において、より多くのカネをかき集めるためには、よりたくさんのブログを広告出稿先として「直接」抱えなければならない。なぜなら、ブログユーザーは自分のブログに入れるキーワードマッチング広告がGoogle AdsenseなのかOverture Precision Matchなのか、そんなことはどうでもよくて、要はブログの開設と同時に契約できて口座が開ければいいのだ(米国では、TypePadが既にAmazon.comのアフィリエイトをブログ開設と同時に契約できるようにしている、とのこと)。

 もしブログ開設と検索マッチング広告契約とを同時にできることが、検索マッチング広告市場におけるシェアを左右するのならば、検索マッチング広告で稼ごうと思っている企業はブログホスティングサービスでもシェアを取らなければならないことになる。だから、ヤフーはシックス・アパートを買収しにかかるだろう、というものだ。

 なんていうか、まるで電機メーカーに対して「彼らが自社製品を最もたくさん売るには系列店で売るのが一番楽だ。だから家電量販店を買収するにちがいない」って言っているような無茶さですな。んなわけねー(笑)。だったらAmazon.comもブログサービス持たなきゃいけなくなっちゃうじゃん。

 確かに、大手ポータルでブログサービスを持ってないのはヤフーだけになったっていえばそれはその通りだけど、じゃあ米GoogleのトップページにBloggerへのお誘いメッセージとリンクが貼ってあるかというとそんなものないわけだし、OvertureなんかそもそもまだAdSenseみたいなブログに貼れる広告さえやってないわけだし。OvertureがAdsenseやったら、「両方どちらでも使えます」ってうたうブログホスティング業者が絶対出てくるだろうし。

 まあ、米国のヤフーのポジショニングについてはよく分からない(そうは言ってもやっぱり広告の垂直統合を目指すつもりなのかどうか)のだけれど、「日本のヤフーがはてなを買うのでは?」という奥氏の予想に至っては、まず今の状況では絶対あり得ないと思う。

 はてなが株を売るかどうかは別としても、そもそもブログユーザーというのは、最大手のライブドアでさえ20万人、はてなが10万人、その他にも数万人を擁するサービス業者が10社ぐらい並んでいて、端的に言って「どんぐりの背比べ」状態である。その中でよほどマーケティング、技術上のアドバンテージがあるのでもない限り、ヤフーがどこか1社にカネをつぎ込んで買収するなんてことは考えにくい。

 それに、津田ふみかの日記のM&Aアーカイブあたりを見ていただければだいたい分かるが、今の日本のヤフーは親会社ソフトバンクの通信関連投資資金を捻出するためのキャッシュ・カウ(金のなる木)扱いされていて、新サービスに対する自前でのM&Aはほとんどしていない。

 むしろここ数年の同社の動きで目立つのは、リクルート(Yahoo!リクナビ)やブライダルネット(Yahoo!ウェディング)など、外部の企業とのアライアンスである。これらはいずれも、外部の企業を“買う”のではなく、ヤフーの持つ圧倒的なリーチ、PVを外部の企業にまとめて“売る”ことで収益化しようという意図のほうが強いように思える。

 ブログは必ずしも「広告-コンテンツ-ユーザー」という3つの間に垂直統合の関係ができるかどうかが明らかにもなってないうえ、米親会社が買収したOvertureの営業戦略が広がってこないことには収益化できるかどうかも分からない。となると、PV稼ぎ以外のメリットが見えない中で日本のヤフーがブログ関連企業への積極的な投資に動くとは到底思えないというのが僕の結論だ。

 彼らが腰を上げるとすれば、ブログホスティング業者がある程度淘汰されて、残った企業のどこかと組めば、ユーザー、PV、収益などをうまくシェアできると見た時だろう。正直、そうなるまでにはまだあと2~3年は少なくともかかる気がする。…あれ、風説の流布に荷担するつもりだったのに、反対の結論になっちゃった(笑)。

 まあ、確かに今のヤフーのメニューに個人HP、スケジューラー、掲示板、メッセンジャー、出会い系など主要なインターネットツールが一通りそろっている中でブログが入っていないのは違和感があるかもしれないよね。だけど、「横綱相撲」を取るプレーヤーが乗り出してくるほどには、ブログというのはメジャーでも何でもない世界なんだと思うよ、きっと。

 あと、もし万が一ヤフーがブログ買うとしたら、はてなじゃなくてヤプログとかの方がいいんじゃないかなあ。雰囲気からしても、ヤプログの方がヤフーと親和性高いと思うけどな。絵文字とかあってカワイイし。ま、これは蛇足。

11:28 午前 経済・政治・国際 コメント (3) トラックバック (9)

2005/01/18

「絡まれ系キャラ」は褒め言葉と受け取っておきます。

 出会い系オタのブログARTIFACTでネタにされ、栗先生からは「絡まれ系キャラ」とのご紹介を賜りましたR30でございます。

 実のことを言うと仕事が結構忙しくなってきてブログの更新頻度が落ちそうなムードがまん延してきてるのだけど、にもかかわらず書きたいことはたくさんある。ブログ論争整理ツールのことや、湯川さんとこで語られている記者ブログの話など。一気に2つ以上のテーマをぶち込んで効率よく語るみたいなことを、試しにやってみようか。

 切込隊長氏が絡んでくる件については、まあ独身と既婚子持ちという彼我の立場の差を利用したお約束のネタだと思ってるので別にどうとも思わない。ていうかアクセス増やしてくれてありがとーぐらいにしか思っていないのでどうでもいいのだけど、コメント欄に論文を発表して下さったとおりすがり改め居座り君ことantiECOさんに関しては、結構どう反応しようか悩んだ。

 個人的には、ブログっていうのは2ちゃんねるみたいなショートコメントの積み重ねによる議論ではなく、書いている人が(仮名か実名かはともかく)固有名で意見を述べ合うという仕組みだと思っているので、まあその意見に対する反応の仕方は人それぞれでも良いけれども、少なくとも意見を「述べる」だけで他人との「応酬」がなければブログの面白さ、意義は味わえないと思ってる。

 なので、本当のことを言うとコメント欄での書き込みは自分のブログでエントリ立てるまでもないショートコメントのみってことで、10行以上のコメントは自動削除(笑)にしようかと思ったりもしたんだけど、でもいろいろ考えて意見を書いてくれる人の書き込みをむげに消すのもなんだしなあと。

 ま、それはおいといて、要するにブログっていうのは、他のブログやらウェブサイトやらにいかに面白く絡むかという「カラミニュケーション」のメディアなんだと思うわけだ。酔っぱらったふりして絡む、180度違う角度から共感してみせる、事実認識に因縁つける、背景にある価値観にもの申す、反証データを募集する、読者信者に総攻撃を呼びかける、みたいな各種の絡み方の芸を見せるのが一種のエンタメであるわけで。

 僕だって別に切込隊長に絡まれてるばかりじゃなくて、僕自身も他のブログにさんざん絡んだり、あるいは「ここでこういうネタ書いたらあのブロガーが絶対絡んでくるよな~」みたいなことも考えながらエントリを書いたりしてるので、「絡まれ系キャラ」の認定というのはむしろブロガーとして「芸がありますよね」ってほめられたようなもんかなと思ってる。

 で、話は少し変わってマスコミ記者のブログについてなんだけど、湯川氏@時事通信が北海道新聞の高田氏とミッドナイトパックス氏のブログの話を挙げつつ「われわれプロの言論人こそ議論の仕方を学び直さなければならないのかもしれない」とか書いているのを読んで、「いや、別にそんな大仰な話でも何でもないのだけどなぁ」というのが正直な感想だ。

 マスコミ人といっても、職業として見たときはそれは新聞やら雑誌やらテレビやら、彼or彼女の所属する媒体に特化した必要な文章or映像を決められたプロセスに従って作ってアウトプットする人、ということを意味する以上でも以下でもないので、例えば雑誌でばりばりいい記事を書く人がすべからくいいブログが書けるかというとそんなことはまったくない。だって彼or彼女は雑誌の文章の書き方は知っているけどブログの書き方は知らないからだ。

 それは、例えば僕が雑誌の記事をたくさん書いていたからと言って、じゃあテレビドラマのシナリオも書けるかというと、当たり前だが素人同然にまったく書けないのと同じ理屈である。実際、僕の元職場の同僚でも、インターネットの原稿を書くのはどうも苦手だと言ってはばからない人もたくさんいた。それは、ある意味で記者や編集者という専門職にいる人間として持っていて当たり前の自覚というか謙虚さだと思う。

 それでもネットやらブログやらに手を出すマスコミ人あるいは言論人は、キムタケみたいにお金をもらってやってるのでない限り、以下の3通りのどれかだろうな。

  1. 本業で閑職に追いやられ、ヒマを持て余して「会社は認めてくれないけど、ネットなら俺様を認める奴はたくさんいるだろう」と考えたカンチガイ野郎
  2. ネット上での情報発信の巧拙が将来のメディア企業にとって存亡を左右すると直感し、それを今のうちに身につけておこうとする愛社精神&マーケティングセンスに長けた奇人変人
  3. 本業もそこそこにこなして普通のマスコミ人を演じてはいるが、今後の所得減or転職などに備えて副収入になりそうなネタをネット界隈で見つけておこうと考えた商売人
 自分の周囲にいる「記者ブロガー」はこの3種類にほぼ分類できるし、ネットの中を見回しても(ごくごく一部に例外はいそうだけど)たいていこの3つのどれかじゃないかな。誰がどこに分類されるかは語弊がありすぎるのであえて言いませんが(笑)。ちなみに僕は最初2.だったのだけど、昨年11月に考えが変わって3.になりました。

 で、1.のカンチガイなセンセイは放置&隔離の方向として、僕は2.や3.の人たちには、今さら言い古されてきたことだが「ネットでの文章作法は、あなたの仕事上の文章作法とは微妙に、あるいはかなり根本的に違う」と分かってほしいと思う。

 マスコミの人間というのは、特に文章の「内容」を価値だと思い、良い内容の文を書けば読まれるのだと思ってる人が多い。ネットにおいては、これは大きな勘違いだ。毎日、毎週更新するブログで奇抜な話、他人があっと驚く話を書き続けるのは不可能である。慣れないうちに無理矢理アクセスを集めようと欲張って奇抜な話を書くと、読者から根本的なミスを指摘されて自爆するのがオチである。

 それより、当たり障りない身の回りの話を、まず「自分ならではの文体」で書いてみることを心がけるべきだと僕は思う。簡単に言っちゃったけど、自分なりの文体っていうのを書くのはチョー難しい。マスコミで書かされる文章は、特に新聞などは激しくそうだが、文体は「ちょっとでも個性的であってはいけない」と教えられ、徹底的にスタンダードを押しつけられる。だから文体の個性を出す作業というのは、ほとんどのマスコミ人にとっては初めての経験なのだ。

 それで悪戦苦闘して、ある程度自分のオリジナルな文体とか、アクセスの集まりがちな書き方みたいなものが分かってきたら、話題になっているネタを語って人気ブログにトラックバックを送る(つまり「絡んでみる」)などして、ネット論壇にデビューしていけばいいと思う。

 さっきも言ったようにブログというのは「カラミニュケーション」だから、内容や表現にいちゃもんつけてくる人が必ず出てくる。その時によほど論争して勝てると思うネタでない限り「降りる」か「スルーする」のが原則だ。特にトラックバックを打って絡んでくる人というのは、本当にあなたの書いた記事の内容に文句が言いたいというよりも、単にあなたのブログから読者を“かすめ取りたい”と思っている場合が半分以上なのである。だからスルーあるいは「そうですねー、おっしゃることもまったくその通りだと思いますですよー」みたいなリアクションで流しておく。

 ただ、読者からのコメントなどでも応戦を促すような雰囲気が漂ってきたら、果敢に叩き返しに行くのもエンターテイメントとしてはアリだ。反論する際に注意しておきたいのは、反論には「今ごろ反論してちょっと遅いかな」ぐらいがいいということだ。じっくり考えて論理の抜け穴を埋め、リアルで周囲の友人にも相談して自分の意見の妥当性を確認した上で、満を持して反論に出る。そうすれば、再反論で手痛いダメージを負うことだけは避けられる。

 っていうようなことは、マスコミでは絶対に教えてくれないのですよ。僕が会社に入って最初に上司から習ったことと言えば、「いいか。取材先が電話してきて文句を言って、それがどんなに“筋が通ってる”と思えるクレームでも、絶対に電話口で『すみませんでした』って言うんじゃねえぞ」ってことだった(笑)。多くの人が勘違いしている部分もあると思うが、マスコミというのは組織的に「謝らない、傲慢な人間」を育てる。なぜなら読者や取材先1人1人にいちいち謝っていたら仕事なんかできなくなるから。それが「マス・コミュニケーション」というものだから。

 これに比べて、ブログの「カラミニュケーション」はまったく逆だ。ブログを開いて最初に相手にするのは、誰も知らないサイトに来てわざわざくだらない文章を読んでくれる、奇特な読者だ。そういう人たちには最大限「いじって絡んで遊んでいって下さい」と頭を下げるべきだ。人が増えてくれば、またそれはそれで対応が少しずつ変わっていくべきだろうが、ネットだもの、締切もないし記事を書き続ける義務もないし、読む側も気にくわなければ読まなくなるまでの話。読者と書き手、そこで語られているネタの3つが適度に「絡み」合わないことには、面白くも何ともない。

 僕が言いたいのは、別にブログ的な議論方法を学ばなくてもマスコミ人は言論人たりうるよ、ということ(現在のマスコミ人が本来あるべき姿の言論人であるかどうかは別だけどね)だし、ブログ界では記者だろうが記者じゃなかろうが、そういう作法を分かった人だけがブログをやって楽しみ、何かを得ればいいんじゃないかってことだけだ。

 というわけで読者の皆さん、これからもどんどん絡んでください。ただしコメントはできるだけ10行以内で(笑)。

11:03 午前 メディアとネット コメント (14) トラックバック (10)

2005/01/15

旅先からのお便り・その2

ワイキキ・ビーチの夕日 ハワイでのお休みも、そろそろ終わり。

 今日はワイキキビーチに行ってきた。昨日から曇りがちな空で、スカッと甲羅干しという感じでもないのだけれど、それでもワイキキはワイキキ。椰子の葉をさざめかせて南風が吹き抜ける砂浜で何も考えずに横になると、それだけでリラックス。十分のんびりできました。

 昨日は子どもを連れて西のハワイアン・ウォーター・アドベンチャー・パークという、チューブ滑り台みたいなのがたくさんあるとしまえんみたいなところに行ってきたんだけど、何というか天然の砂浜と人口のコンクリートでは、全然気持ちの安らぎ方が違うんだね。

 子どもも、遊具など何もないワイキキの浜辺で流木や砂をいじって遊んでいる方が、あれこれ遊具があって「さあ遊べ」って言わんばかりのところよりも、ずっと楽しそうだった。

 夕方になっても子どもがまた遊びに行きたいとせがむので、ホテルの近くのパブリックビーチにぶらぶらと散歩に。そうしたら幸運なことに、きれいな夕焼けが見えた。思わず、持っていたカメラでその景色をパチリ。それが冒頭の写真だ。

 きれいな写真をよく簡単に…と思われるかも知れないが、そんなに簡単に撮れたわけじゃ決してない。当たり前だがこの1枚のためにボツ写真が30枚以上ある。元記者という職業柄、1枚の使える写真を撮るのに、露出をいじったり構図を変えたりして30枚以上のムダな写真を撮る。これがプライベートでも習慣になってしまった。

 万が一この写真をデスクトップの背景に使って癒されたいという方は、このエントリのコメント欄に書き込んで頂ければ、R30特製のワイキキビーチの夕暮れ写真をもれなくメールでお送りします(笑)。

 ではしばらくまた更新ができなくなりますが、皆さんごきげんよう。

01:44 午後 旅行・地域 コメント (2) トラックバック (2)

僕のおつむは燃費が悪い件について

 羊堂本舗のブログを見ていて、「ゲーム脳っていうのは頭が良いってことなんだ」というエントリを読んで感心。

 こっちの分野はまったくの素人なのでゲーム脳がどうとか言われても「ふーん」という感想しか述べられないが、最新の科学の知見というのが実は昔から日常的に使っている慣用句などと感覚的にもぴったり一致しているとかって、よくあるよね。これなんか、その典型かなあと思った。

 例えば「頭に血が上った」っていう慣用句。深い考えもなく怒ったり焦ったりすることを差す言葉だが、これっていうのは要するに脳が目の前の突発的な事象をさらっと処理できなくて、神経回路を全部使って考えようとするから血が頭に全部集まるのだよね。でも、そのような出来事に頻繁に接するようになって対応になれてしまうと、脳の方も処理に慣れてきて少しの働きだけで処理できるようになり、結果として頭に血が上らなくなる。

 僕なんかも、よく難しい試験問題とかを解こうとしてうんうんうなってると頭がどんどん熱くなる感覚を持つんだけど、あれっていうのは僕のおつむがバカだからですね。実はこのブログのエントリ書くのにも、割としょっちゅう頭が熱くなったりするんですがあれって…(以下略)。ああ、僕の脳みそって燃費の悪い奴 orz

 で、羊堂本舗のエントリに感想付けるだけで終わったらそれこそi386並みに燃費の悪いCPUだなR30はとか言われそうなので、苦し紛れだがちょっと思ったことを。

 今に始まったことじゃないがコンピューター・サイエンスの分野ではこうした脳の働きを半導体で何とか真似できないかというのが「ニューロ・コンピューティング」とか呼ばれていろいろと試みられてきているわけだが、この「一度やり方をマスターした処理については次回以降最小の消費エネルギーで処理することが可能になる」という脳のすごい機能は、結構コンピューターの将来にとっても明るい話のように思う。

 最近、このへんの分野をウォッチしていないのでアナクロな知識かも知れないけど、一度処理した長大な命令セットを覚えておいて、2度目以降はそれを短縮化した命令セットとして処理するというCPU機能というのをインテルあたりが研究しているという話を以前に聞いたことがある。

 半導体集積回路自らが「学習」を重ねて頭が良くなっていくようなCPUが生まれれば、CPUの消費電力はますます下がり、しかも処理スピードはますます上がることになる。「ムーアの法則はもう破綻する」とか言われてずいぶんと経ったような気がするが、ハードとしての回路幅のミクロ化もさることながら、こうしたニューロマティックなアプローチが21世紀もコンピューターを延々進化させ続けると思うと、結構わくわくするよね。

 まあ、逆にそういう集積回路の自己学習機能が「ターミネーター3」や「Mr.インクレディブル」に出てくるような学習能力のある殺人兵器みたいなものに応用されないとは限らない(というか既に応用研究は相当進んでいるらしい)わけで、そっち方面の進化はあまり期待したくないしわくわくもしないわけですが。

 でもこういう未来話になると難しいことを考えるより先に素直にわくわくしてしまう、実はコンピューターフリークなR30でした。

12:10 午前 日記・コラム・つぶやき コメント (9) トラックバック (5)

2005/01/14

寄付文化が知りたきゃ米国の爪の垢でも煎じて飲め

 毎度ながらブログを始めたばかりの人のところに難癖つけるエントリばかり書いていて、弱いものいじめみたく見られそうでちょっとアレなのだけど、さすがに堂々とトラックバック送ってこられたら黙ってるわけにもいかないので。

 「ニュースを読む 未来を読む」というブログで、僕の「国際人道援助の投資戦略」のユニセフに関する解説の一部だけを引用して、僕の意図とまったく逆のことが主張されているので、この際くぎを刺しておきたい。

 このブログの著者のgauya氏という人物はどうも寄付を集める民間団体というのはみんなオウム真理教と似たり寄ったりの宗教団体であるという理解をされているようだ。ま、NGOに対するこの手の不勉強さというか不信感というのは40代以上の人には割と一般的に見られることなので、恐らく彼もそのような一般人だと思うが、「(欧米に比べて)日本の民間の寄付が少ないかどうかはっきりしない」などという変な予見でもって僕のブログを引用しないでもらいたい。

 内閣府あたりのデータを調べてもらえば分かるが、確か僕の調べた範囲では、日本の寄付の総額は米国の10分の1もないのである。イギリスやドイツにも劣る(はず)。先進国としては「恥」と言えるレベルで「少ない」。これははっきりしている。(1/22追記:朝日がスマトラ島沖津波関連の寄付だけまとめた記事が出ました。ご参考まで)

 理由は簡単である。大金持ちの遺産寄付がほとんどないからだ。米国の寄付のほとんどは死んだ、あるいは生きている大金持ちからの寄付である。

 以前(確か2002年)に米BusinessWeek誌が「社会に貢献した資産家・貢献していない資産家ランキング」という、日本の納税者番付も真っ青な露骨な特集を掲載していた。1位は妻を自分の名前を冠した財団の理事長に据え、エイズ予防から芸術活動までさまざまなNGO、NPOに莫大な寄付をしていたビル・ゲイツ。ウォーレン・バフェットやアンドリュー・グローブなども上位に入っていたと思う。みんな1年間に「億ドル」単位の寄付をしている大富豪だ。ちなみに、ワーストの1位は自分がどんな寄付をしたか一切明らかにしないオラクルのラリー・エリソンCEOだった。

 日本の富裕層による寄付が少ない理由も簡単だ。大金持ちから寄付を引き出す「営業努力」をする団体というのが、ほとんどないからである。

 なぜないかと言えば、理由はこちらのブログなどを見てもらえば分かる。寄付金の所得税控除を受けられる資格を持つ一般人相手の非営利団体は、日本赤十字やユニセフなど指折り数えるほどしかない。それ以外のほとんどは企業が自社の社会貢献(+税金逃れ)のために役所に大金を積んで設立した財団だ。そんな団体が金持ち相手に寄付集めの営業などするわけがない。

 かくして、一般人の寄付を集めるのは菊のご紋を背負った赤十字か、国連を初めとする海外のコングロマリットNGOの息のかかった集金専門NGOと相成るわけである。こんちくしょう。

 活動のための資金を本当に渇望しているさまざまなNGO・NPOは、オウム真理教みたいな奴が入ってきたら大変だ(というのは建前で、実際には中央政府を経由せずに国民が自分の所得から公益目的の資金を大々的に動かし始めたら大変だ)と考える財務省の分厚い壁によって寄付金控除の資格を得られず、スタッフはかすみを食って野垂れ死ぬというわけだ。

 したがって、「ニュースを読む」ブログが引用している町村外相の意見も、gauya氏同様に全くの見当違いも良いところである(実際は質問した記者が不勉強なだけなのだろうが)。確定申告するサラリーマンがほとんどいない日本で1万円の寄付控除枠引き下げなどしても無意味だ。政府が本気で民間寄付を増やしたいのなら、「寄付集めの営業努力」をする非営利団体の数をもっと増やせ。つまり寄付金控除が受けられる資格を、一般の特定非営利活動法人にまで拡大せよ。それだけの話である。

 あと、gauya氏に本当はぜひ読んでもらいたいのだが、「日経ビジネス」の購読者限定ウェブサイトにブルッキングス研究所の谷口智彦研究員のコラムがあり、その1月7日付の記事「『半旗全体主義国』とブッシュ氏の運動神経」で、米国ではクリントン前大統領までテレビ出演して国民(小学生にまで)に寄付を呼びかけている、という話が書かれている。読めない人も多いだろうと思うので、以下少々長くなるけど引用。

 「この番組見てる子供たちもきっといると思うんです。ぼくは8ドル持ってるよ。わたしも 10ドルならお小遣いで出せるわと、そう思ってる小さい子もいるでしょう。そういう子供たちに、わたしは言いますが、1ドルだって無駄にはならない。その 10ドル紙幣、寄付するといいよってね」

  クリントン氏はテレビのインタビューに答え、案の定こういう物の言い方をした。「案の定」というのは、子供に向けたこの種スウィートな話を大真面目にして白粉(おしろい)の臭いを感じさせない指導者がいる国は他に滅多にないばかりでなく、中でもクリントン氏くらい、そこに長けて老若男女を頷かせてしまうカリスマを持つ人はざらにない。大統領はそれらすべてを計算ずくで、クリントン氏を使ったに違いないからである。クリントン氏にあるのが人たらしの天才としたら、時宜を得てそれを使う才がブッシュ氏の側にあった。

  予想に違わず、翌日のニュースは全米各地で子供たちが立ち上がり、スーパーの店頭などで寄付を呼びかけ始めた姿を紹介した。善意のアメリカが、うなりを上げ出した。

 「寄付文化など要らない」とか寝ぼけたこと抜かす前に、こういう「善意のTSUNAMI」を起こすことにかけては決して他国にひけを取らない、というか世界で断然のトップを自認する米国の実態でも、目をこすってよく見たらどうか。そういうのをちゃんと見てたら、政府が公的資金でも出さなきゃ先進国並みの貢献もできない日本なんて、恥ずかしくて恥ずかしくて口が裂けてもそんなこと言えないと思うけどね。

 ま、gauya氏の最後のまとめ「募金は政府機関がやって、自衛隊に支援物資を送ってほしいものだ」には、まったく別の意味で大賛成ですが(笑)。どのくらい日本の政府が国民から信頼されてるかの、いいテストにもなりそうだし。それで集まった募金額が赤十字より少なかったら、マジで笑える。

12:05 午前 経済・政治・国際 コメント (8) トラックバック (7)

2005/01/13

旅先からのお便り

サンセット・ビーチ えっちな議論に疲れたので、ちょっと旅先からのお便り。

 1月と言えばハワイは芸能人。じゃなくて、サーフィンの季節です。

 海はからっきしだめなR30ですが、波間にプカプカ浮きながらでっかい波が来るのを待つためだけに一日を潰す大バカ野郎がたくさんいると聞いて、見物に行って参りました。

 ホノルルから車で40分ぐらいですか。オアフ島のノースショアの中でも、夕暮れ時の眺めが絶景と言われるその名も「サンセットビーチ」に真っ昼間に到着。海を見て絶句。すごい高波。この時期にまったくもって不謹慎だが、一瞬津波かと思いましたよ。日本なら絶対遊泳禁止だぞここ。

 そんな海に、たくさんのサーファーがこぎ出して、波間に浮かんでいます。不思議なもので、ちょうど大きな波の波頭が崩れ始める辺りにサーファーの人たちっていうのはポジショニングするものなんですね。海は広いのに、よくああいうポイントをちゃんと見つけるもんだと感心。

 30分ぐらい、浜辺のビキニのおねーちゃんと波乗りするサーファーを交互に眺めながら楽しむ。陽光もそれほどきつくなく、心地よいハワイの昼下がり。

クア・アイナ で、お昼ご飯はもちろんここ。ノースショアのオールドタウン、ハレイワの町中にあるハンバーガー店「クア・アイナ」。

 日本の表参道とか丸ビルとか舞浜とかにある同名の店は、ピザに使うおいしいソースを探して米国中を放浪していたフォーシーズ(「ピザーラ」をチェーン展開している外食企業)の浅野社長がたまたまこの店に立ち寄り、あまりのおいしさに感動して、オーナーと熱心に交渉して日本でのチェーン展開を認めてもらったものです。

 ハンバーガーの味は、日本の店とまったく同じでやはりおいしかった。逆に言えば、日本の店はここの味をほぼ完璧に再現しているということだ。すごい。浅野社長の味へのこだわりぶりに今さらながら感心。

 ただ、値段は日本の3分の2ぐらいで、サンドイッチなんかのメニューもハレイワの本店の方が多かった。まあ、そりゃしょうがないよね。でもポテトとかのサイドメニューは、日本の方がずっとおいしかったな。

 帰国したら、また食べに行こうっと。

02:29 午後 旅行・地域 コメント (2) トラックバック (0)

2005/01/12

天下の暴論的少子化対策のアイデア

 えーと皆様ごぶさたです。ブロードバンド環境が確保できなくて、ネット見るのにも四苦八苦してるR30@丁寧語仕様です。

 少子化対策の話題、ぼやぼやしてるうちにコメント20個以上つくわ、論点整理してくれたりいろいろなヒントを挙げたりしてくれる人たちがトラックバックしてくれるわで、なかなか盛り上がってますね。

 論点が多岐にわたるテーマの議論は、こうしていくつものブログが論点を提出して、それを誰かが交通整理したりと「自己組織化」されるのを待つというのもいいなあと、今回強く感じました。論争に火を付けた僕自身がそれにきちんと応えられるかどうかは、まったくの別問題なわけですが(笑)。

 今回、コメント欄における皆様の議論が読解力の足りない一部のバカを除き、あまりにも鋭い応酬の連続なので、それに敬意を表するべくここまで丁寧語で書かせていただきました。以下、耐えられなくなったのでだ・である調に転換。

 でもって全部のTB、コメントには到底応えられそうにないので、気になったものだけピックアップしつつコメント。

 当ブログを含めたあちこちでの議論の概要と各所の主張は、ぎょろぐさんとこのエントリにまとまっているので、そちらを参照のこと。

 で、最初にいちゃもんを付けた新米コンサルタントの起業日記からの反論に応えるかたちで、僕の考える少子化対策を述べよう。

> その負担の大きさについては当然考慮が必要ですが、他の予算との兼ね合いがつくならば、それもまたありでしょう。
> その優先順位のつけ方を真剣に考えるべきです

 と述べているが、何度も言うように新規の財政支出を仮定している時点で、外れ。日本人をこれ以上公的資金漬けにする案は、少なくとも僕的には検討の余地なし。

 実は従来の少子化対策の問題は、書きながら本人も気がついているように、『「少ないから意味がない」のか、「いくらあっても意味がない」のかどちらなんでしょう』ということ。つまり並河助教授の指摘している通り、ここで必要とされているカネは「アベレージ故なのか、リスク故なのか」ということなのだ。

 マクロの政策論に持っていこうとすると、この2つは「財政支出が伴う」というだけで同じことになってしまう。だけど本当は全然違う。そして行政はほとんどの場合、アベレージの部分でしか問題を解決してこなかった、あるいはしようとしてこなかった。これが、従来の少子化対策政策が機能しなかった最大の理由だと僕は思う。

 そもそも少子化は問題なのかとか、移民を入れれば万事解決とかいう指摘には、ここでは答えません。そういう議論は別のところでやってくださいよろしく。

 さて、少子化をくい止めるために必要な合計特殊出生率を回復し維持する、つまり1人の女性が人口維持に必要な数(2人)の子どもを産むためにはどんなハードルがあるか。

 結婚する前の女性にとっては、「結婚したいと思うに足るイイ男が見つからない」ということに尽きると思う。ここは少子化問題の1つの大きなヤマではあると思うのだが、極めて個人的な価値観の領域の問題でもあり、またニート、引きこもりなどにも通じるコミュニケーション論の問題でもあるので、このエントリで論じるのはパスしたい。

 次に、結婚した女性が子どもを産むかどうかについてだが、どこかで「結婚した女性が最低1人は子どもをもうける確率はかなり高い」と読んだ記憶がある。つまり今の日本では「結婚する=籍を入れる」というのはある種「子どもを嫡子と認定する」ための準備であると捉えられている部分が高いわけで、物理的な問題を抱えている夫婦でない限り、「結婚→第一子出産」のハードルはそれほど高くないと考えて差し支えなかろう。

 となると、2つめのヤマは蓮舫議員も言う通り、第一子出産後、第二子以降の出産にたどり着かない人が圧倒的に多いことであると言える。そこで、僕の思考ももっぱらこの点に焦点を合わせた。

 僕の提案する少子化対策は、以下の2つである。

1.健康保険で被扶養者を1人以上登録していない従業員の割合が30%を超える企業の法人税率(あるいは外形標準課税の税率)を、10~20%引き上げる。公共機関及び政府・自治体はこの比率を常時30%以下(できれば25%以下)に抑えることを義務づける。

2.保育園から大学まで、あらゆる教育機関で教育を受ける際の費用負担を、高等教育ほど高い比率でバウチャー(利用券)によって賄う。大学以降の教育は、教育内容にもよるがほぼ100%の公的負担とする。

 これら2つの案は、新規の財政支出を一銭も必要としない。むしろ1.などは新たな収入増につながる部分があるかもしれない。2.教育バウチャー制度は、規制改革会議などでも教育改革の側面から議論されたことがあると思うが、「少子化対策」として提案されたという話は、寡聞にしてまだどこでも見聞きしたことがない。もし似たような政策が論評、あるいは効果検証されているところがあったら教えて下さい。

 それぞれについて意図を解説しておく。

 1.は、子どもを産むか産まないか、何人産むかという個人の価値観の問題に直接政策介入せず、労働市場を通じて無理のないレベルで長期的に影響を及ぼそうというアイデアである。

 企業の労働者を20歳から59歳までで各年代とも同人数いるとすると、20代(25%)の5分の3(15%)と、それ以外の年代(75%)の5分の1(15%)までは未婚者がいてもしょうがないよね、でもそれ以上未婚者や既婚でも子どもを2人以上作らない人がたくさんいるってことは、企業として「従業員が安心して子どもを産み育てる」労働環境作りを怠っていると見なしてもいいんじゃないか、という発想だ。

 確か、年金問題に絡めてパート・アルバイトにも社会保険加入を必須とするというルールの適用が検討されていたと思うが、これが実現されれば同時に現在はパート労働者に適用されていなかった各種の育児支援制度を、社会保険加入をトリガーとして適用できるようになる。できれば社会保険と国税とで納税者データを交換し、徴税にも役立ててもらいたい。

 また、この制度を入れると企業は恐らく(税率引き上げが大きな影響を及ぼす大企業ほど)2つのことを率先してやるようになるだろう。

(1)被扶養者登録従業員比率を大きく左右する20代若手社員の結婚・出産を推奨
(2)(1)だけでカバーしきれない場合、30代以上の中途採用で有子者を優遇

 入社時にほぼゼロである有子者率を20代トータルで5分の2に持っていくためには、29歳の時点で5分の4以上の社員が男女にかかわらず子どもを作っていなければならない。その意味で(1)は若手従業員の労働・育児環境改善につながると期待できる。

 また、(2)によって30代以上の中途採用市場では「被扶養者がいること」が転職成功の実質的な最低条件になるだろう。もちろん独身者、子どものいない既婚者であっても優秀で非登録者枠に余りがあれば雇う企業もあるだろうが、子どもがいる方が有利となれば、実際には転職しなくてもその可能性を潰さないために子どもは作っておこうと考えるのが常人の発想だ。

 かくして、「職探しでも、子どもを保育園に入れられなければダメと言われる」「保育園では一定以上の収入がある人は入れられないと言われる」という、並河助教授の指摘するような行政のジレンマを、企業側の対応を「市場適応」によって変えさせることで解消できる。

 それでも子育ての制約を言い訳にして24時間すべてを会社に捧げない従業員など要らないと豪語する企業には、「長期的な人口維持による社会の安定化を否定する反社会的企業」というレッテルを貼って懲罰的に税金を取り立てよう。しかも、赤字を言い訳にさせない外形標準課税が理想。これで十分筋が通る。

 次に2.であるが、前のエントリへのとおりすがり氏のコメントで「旦那の収入、将来性が安定していなければ、そうそうギャンブルにも出てられないという人も多い」というものがあったが、彼の言う通り、既婚の有子者夫婦にとっては子どもを作ることがすなわちギャンブルであるという認識が強いと思う。

 正直、1人の人間を「生存」させるという話なら、育ち盛りの子どもでも1年に50~60万円もあれば事足りる。暮らしていくだけなら、税や住居費等を除いた手取り収入が年300万円もあれば夫婦に子ども2人が余裕で暮らしていける。夫婦共働きでも子どもが成人するまでの20年にわたってこれだけの収入確保の見通しさえ立たないという家庭は、それほど多くはないだろう。

 それなのに子どもを作るのが「ギャンブル」に見えてくるのは、生活費ではなく、中学、高校、大学…と続く教育と「親のせいで良い学校に行けなかった」などと思われないための課外学習とにかかる、莫大なコストを考えてしまうからだ。

 20~30代前半の世代にとっては、公務員でもない限り仕事と収入なんて一瞬先は闇である。いつ会社が潰れるか、自分の仕事がなくなるかも分からない。3年先ぐらいまでなら予想できないこともないが、10年先の自分がどこの会社でどんな仕事をしていくらの給料をもらっているのか、正確に予測するなんて不可能だと思っている。

 そういう自分自身の人生のリスクに加えて、子どもにかかる経費が10年後、20年後に加速度的に増える「リスク」があるとしたら、その時点で「子どもはほしい」と「リスクを最小化する」の妥協点として「1人でガマンする」という結論が出てくるのは当然だ。

 そこで、遠い将来になればなるほど増加する「リスク」をカバーするべく、高等教育になればなるほど(つまり収入ダウンのリスクが高くなる将来になればなるほど)教育コストは公的負担で賄われるようにする。これなら、2人目、3人目の子どもができたら誰かを大学にやれなくなるかも…と悩むこともなくなるし、40歳を超えてから子どもを作っても、定年前のリストラや定年後の収入減におびえなくていい。

 「公的負担って税金じゃないか」と思われるかも知れないが、違う。これらの負担は、公的セクターが過半を占める教育産業の大幅な効率化で捻出する。それが「教育バウチャー制」である。どんなものなのか、公的支出は必要ないのかなどはこちらあたりを参照。

 これまでの議論では、私学振興共済事業団が握る年3200億円の私学助成金、文部省の所轄する国公立大学の補助、2兆5000億円にのぼる義務教育国庫負担金などが既に幾度もやり玉に挙がっている支出だ。これらのほとんどをバウチャーに切り替え、しかも高等教育に傾斜配分する。

 バウチャー制度というのは、教育を受ける側の人間が自分で「公的資金を援用すべき教育機関」を選び、補助金の分配額を決める制度だ。今までは文部官僚がこの権益を一手に握り、あらゆるバウチャー制に反対してきたが、来年から始まる三位一体改革で義務教育国庫負担金が地方に権限委譲されることになり、部分的ではあるが地方自治体の権限で小中学校に限りバウチャー制度を取り入れる余地が生まれた。実際に導入したいという動きは埼玉県を始めあちこちで出てきており、実際に導入されればこれが日本の公教育というダムにとって「蟻の一穴」になるだろう。

 実際の学生が定員の半分を割っているような私立高校や大学への補助金を大幅に削り、定員割れを起こしている公立幼稚園も民間に転用するか保育園機能を持たせるかして集客力をアップさせるなどして補助金支出のムダを削る一方、集客力のある民間教育機関にはどんどん公立学校の運営を任せて受益者のニーズに合わせていく。こうすれば、高等教育の学費のかなりは既存の公的支出の範囲内で賄われるようにできるだろう。

 官僚の抵抗もあって一気にそこまでは行けないというなら、住宅ローン減税のような期間限定の政策として、今後3年間に生まれる子どものみ保育園から大学卒業までの教育費の50~80%を税金で賄うとぶち上げてみればいいのではないかと思う。少なくともすぐに巨額の財政支出が発生するものでもないし、3年間の出生率が大幅に向上すれば、今後も政策として継続し、一方で教育の効率化を含めて財源の論議を進めればいい。

 この制度は、将来の無制限な教育支出の懸念を解消してみせることで、出産に伴う「将来リスク」を大幅に下げるという心理効果を狙っている。並河助教授の言う「リスク」への対応だ。

 だが、それと同時にもう1つ狙っている効果がある。この政策が、仮に出生率向上に効果がなかったとしても意味があると思うのは、少子化の深刻化に伴い移民受け入れが不可避となったときにも、「日本人である以上はこれだけの高等教育を極めて廉価で受けられる」という、移民との差別化になるということだ。

 このあたりは北欧諸国で実際に導入されている制度なので、より詳しく知りたい方はそちらの文献なりをご参照いただきたい。

 というわけで、書き込みが非常に困難な環境ではあるのだが、とりあえず「生きていますよ~」というメッセージ代わりにこんなハードなエントリをアップ。バカですね僕って(笑)。次回はもう少しまったりしたネタにします。

01:41 午前 経済・政治・国際 コメント (37) トラックバック (16)

2005/01/09

少子化問題メモ

 今、成田空港のサクララウンジから書き込み中。なかなか居心地のいいところ。

 少子化対策に関して、前エントリにニートネタ並みの勢いでTB、コメント殺到中。アクセスの方はニートほどではないところを見ると、こっちの方がサロン的な議論をしばらく続けて行けそうかな。

 僕のアイデアも書きたいのだけれど、あと30分ほどしか時間がない。ので、これまで出た意見や気になったサイトに関してメモ。

 少子化対策は若い母親への手当金で◇泉幸男

 新米コンサルタント氏もマッツァオ(死語)の札束で若い女性の頬をはたけ論がこちらに。彼の試算によると、20代の女性に月額子ども1人あたり5~10万円の手当をはずむと、そのためだけに6兆3000億円=消費税を3.3%上げなければならない規模の財政支出が必要になるらしい。ぎゃっはっは。これ以上役人にカネ使わせてどうすんだYO!気でも狂ったか(笑)。

 僕が想定していた子育てに関する経済的な問題の指摘はmiamotoさんとこの昨年11月のエントリでだいたいカバーされているかなという気も。

・よほど経済的に余裕のある家庭でない限り、乳幼児をあずけて仕事をするのはカネがかかりすぎる
・仕方なく多くの家庭では子どもが就学するまで夫婦どちらかが仕事を放棄して子どもの面倒を見ることになる
 (R30注:このあたりが「子育てで中断されたキャリアを再構築できない」という女性のキャリア論とつながってくる)
・(キャリア繋がりという点で)雇用する企業側が子育て支援をするのが最も効果的なのだが、それこそほとんど期待できない
・(キャリア優先にする結果、それなりに道筋が立つ30代になってからの結婚・出産となるが)40代で会社から放り出されるご時世で、50歳過ぎてから数千万円単位の金額を子どもの学費として支払うなんてことは、考えたくもない
・(結論として誰も)社会全体で子育ての問題なんて真剣には考えていない

という話。いや、まったくその通りでございます。

 あと、誰かのサイトで民主党の蓮舫が「結婚してない女性に対してと、結婚して1人子どもを産んだ女性に対してでは、取るべき少子化対策は違う」てなことを発言していた、というのを見たな。それも重要な発言だ。メモメモ。

 これから、ネット環境を確保するのにちょっと手間のかかるところに行くんで、更新などが少し不定期になりますが、あしからず。有益な情報やご意見をたくさん寄せて下さる皆さん、どうもありがとうです。引き続きコメント欄にて議論をお楽しみ下さい。

09:26 午後 経済・政治・国際 コメント (5) トラックバック (8)

2005/01/08

出産育児手当は少子化対策になる…わけねーだろ

 Loveless zeroさんのとこ経由で見た、新米コンサルタントの起業日記の「的の外れた?少子化対策」に、ちょっと絡んでみたい。

 年明けから日経新聞読むの止めたので(笑)日経の「少子化」連載がどういう内容なのか知らないんだけれどもさ、どうしてこうも「カネで解決」的な議論ばかりが出てくるかなぁ。理解に苦しむ。以下、結論部分を引用しておくと。

 少子化対策に限れば、ダイレクトに「子どもを産むことにインセンティブを与え、働かなくても安心して子どもを育てられる余裕をもってもらうこと」が最も効果的だと思います。 出産・育児手当を支給(それも若いお母さんほど厚い手当を)し、それでも個人的に働きたいという人には働いてもらう。 そして、結果的に女性の「選択肢」を増やすのが国家として最大公約数を満たした政策ではないかと思います。
 公明党のごり押しして法案が通過した昨年4月から、年収780万円未満の世帯には小学3年生まで1人あたり月額5000円(第3子以降は1人1万円)の児童手当が支給されていること、自治体によっては3~5歳までさらに手当の上積みがあることなど、このコンサルタント氏は知らないのだろうか。本人、前段で「働くことと子どもを産むことは全く別」って書いてるのに。

 正直、そんなお金をもらわなくても今やおじいちゃん、おばあちゃんが夫婦両方とも生き残っており、2つの実家を週末にピストン往復するだけで育児に必要なものや不必要なものまで何でもそろう世の中である。お金をかけずに子育てしようと思えば、かなりのところまでできる。これ以上手当を税金から払っても、層化信者のお布施を増やすだけですよ(笑)。

 結婚して1人は子どもを産んだ女性に、2人目を産まない理由を聞いてみるといい。「お金が…」とかいろいろな答えが返ってくると思うが、核心にあるのは「自分のための時間がこれ以上育児によって削られるのが嫌だ」である。恐らくこの考えは、専業主婦もキャリアウーマンでもほぼ同じだ。「お金に余裕がない」というのは、たいていは「その時間を買い戻すために大変な金額がかかるから嫌だ」というほどの意味である。

 それと、新米コンサルタント氏は「働かなくても子育てできる余裕」が大事と考えているようだが、今の女性にとって、子育てと労働はトレードオフの関係にあるものではない。

 子育てしようがしまいが、仕事はしていたいのである。よほどの富裕層に嫁ぐのでない限り、社会人経験がなく、自分で小遣い程度のカネさえも稼げない女性は、そもそも男性の方が結婚相手として望まない。それに、女性の方も夫の財布に生活のすべてを依存するリスクをいやというほど自覚しているし、子育てによって家庭に閉じこめられることによる社会からの孤立感を恐れる。

 僕の回りの同世代の既婚者は、世間一般からするとかなり所得の高い人たちだと思うが、30代前半から下で妻が専業主婦という家庭は(一時的なケースを除き)いまだに聞いたことがない。そのくらい、共働き率は上がっている。

 つまり労働と出産・育児をトレードオフと見なし、出産・育児に伴う逸失費用を補填すれば出生率が高まるだろうと考えるのは、今どきの女性の結婚・出産のディシジョン・メイキングのプロセスをまったく理解してないということにほかならない。

 …と思うのだが、新米コンサルタント氏に限らず世の中にこういう「生産と再生産のトレードオフ」的発想をする人があとからあとから止めどなく現れてくるし、あまつさえそれが政策やら憲法改正案やら(このあたり参照)にまで盛り込まれそうになっているのを見て、いったいこの非論理的な反動政策の隆盛をどうやったら止められるのかなと最近思案に暮れている。

 新米コンサルタント氏は、おそらく何の考えもなく頭の中にある経済学的知識と学校や家庭で押しつけられたステロタイプな古典的女性観のみでこういう論を立てたのだと思う。その意味では本人が反省しさえすれば、大した罪はなかろう。

 だが、世の中ではほぼ確信犯的にこういう意見を声高に唱え、女性を無理矢理に「生産と再生産のトレードオフ」関係に押し込めようとする動きが、自民党を中心にまん延し始めている。これだけグローバル化した日本企業に、今さら「労働力としての女性の活用を諦めて下さい」とか言って、どうにかなるとでも思っているのだろうか。それともごくごく一部の男性のコピーとなる訓練を受けたような独身サイボーグキャリアウーマンを除いて、世の中の女性労働者はみんなお茶くみOLかスーパーのレジ係でもしていればいいとでも?

 子どもをちゃんと育てていくのに家族や地域社会といった共同体の機能が大事だってことは、僕も否定しないよ。だけどそれと女性を「生産か再生産か」の二者択一に押し込むことって、どうつながるの?共同体は女性にやらせとけってことなのか?全然ワカラン。

 この共同体問題に関しては、前から触れたいと思っていたのだが、finalvent氏の日記の12月29日のコメント欄で、非常に興味深いやり取りがされていた。彼の言葉を借りて曰く「農村部というか田舎の倫理的な崩壊」というのが、自民党の憲法改正案にも非常に色濃く反映されているのではないか、というのが僕の印象である。「農村の倫理的崩壊」というのがピンと来ない人には、2002年に放映された人気テレビドラマ『北の国から '98 時代』のストーリーを思い出してほしい。

 これまで農作物を育てる「土地」と「水」を仲介関係として強固な結束と互助の機能を誇っていた農村が、それを利用した農協の金融システムによって搾取する対象として利用され、人々の上に立っていた村長(むらおさ)、さらにその上に立つ政治家が「口利き」を通じて金融のシステムに融合し、既に収益事業としての農業が滅びたにもかかわらず人々に対して金銭面を含めたあらゆる生殺与奪の権力を共同体内で握る者として機能するようになる。

 すると、もともと生産関係をベースにして行われていた冠婚葬祭、果ては性の倫理といったことまでが、際限なく金融システム、もっと言えば金銭関係の中に回収されていく。「北の国から」でも、確か(農業の失敗によって)立場をなくした青年を、村人たちが「返済が滞っていた借金の取り立て」という名目で村から追い立てるシーンがあったように思う。

 僕には農村のことはよく分からないが、最初に述べたような反動的論理に基づく一連の政策は(公明党のような低所得層を支持基盤とする特定政治団体は別として)、女性を「再生産」のプロセスのみに押し込めることによって、こうした農村の倫理的崩壊を立て直すことができると考えた結果ではないかと勘ぐりたくなる。自民党の政治家たちは、本気でそんなアナクロな退行がこの問題の解決につながると考えているのだろうか。

 正直、僕にはよく分からない。ただ、都市の少子化と共同体の問題は、もっと別のアプローチによる解決が可能なはずであると、僕は考えている。それに関してはまた次の機会に論じたい。

10:48 午前 経済・政治・国際 コメント (44) トラックバック (18)

2005/01/07

短縮表記をつけてみた。

 ネタフルブログ発祥であるところの「短縮表記」が流行っているという話を聞いて、当ブログも導入してみました。ずばり[R30]。ていうか、短縮してないじゃん!!

 でも最近RSSリーダーでいろいろなブログを購読し始めてみると、配信されてくるタイトルだけからどのブログかなかなか判断がつかなくて、一瞬急いで読むべきかどうか戸惑うんだよね。そんなとき、ネタフルみたいに[N]ってタイトルの頭についていると、確かに分かりやすい。

 あと、当ブログとしては「R30というキーワードでGoogle検索して、TBSの某深夜番組よりも上位に表記される」ことが目標(笑)ですので、SEOの常套テクの1つ、「テキストアンカー」の意味でも、タイトル頭に「R30」を入れることは効果が見込めるかな~と。ちなみに今のところ「R30」での検索結果順位は、Google先生が5位Yahoo!で3位。おお、Yahoo!では既にTBSを追い越した!(笑)でもGoogleではTBSの前に、まずThinkPadを追い越さなくちゃ。

 でも、全部のエントリのタイトルに[R30]がつくの、ちょっとうざいかも。ネタフルさんのところだとそんなことにならないのに!ウィンドウタイトルやRSSリーダーへの配信タイトルだけに短縮表記つけて、普通のエントリタイトルには短縮つけない方法ってあるのかなあ?よくわからん。

 そういえば、このブログが何だか「アルファ・ブロガー」とかいうものに選ばれそうになっているらしい。立候補してないってあれほど言ったのに誰ですか票を入れたのは。ていうかCNETで26ヶ月ものブログ連載を続けた「神様」梅田望夫氏やヒルズで遭難する切込隊長氏をはじめ、大日本ブログ界のきら星のような人たちと、昨年11月に新装開店したばかりの田舎のパチンコ屋みたいな当ブログの管理人とが、席を並べて座談会なんて恥ずかしくて恥ずかしくてとても…出てみたいかも(爆)。

 もし座談会に出られたりしたら、謙遜したように部屋の隅っこでこっそり縮こまりながら、隠しカメラとICレコーダーでもって出席者の皆さんの素顔をブログ上に暴きまくってしまいますよ!!(ウソ)

 てな冗談はともかくとして、時々しょーもないことを書いたり「ローストビーフ」のキーワードで1日20件以上Googleからお越しになったりする意味不明のおバカブログですが、皆さんの鋭いツッコミバックいつでもお待ちしております。よろしくお願いします。

11:06 午後 ウェブログ・ココログ関連 コメント (2) トラックバック (6)

ただいま勉強中 GPL改訂問題

 奥一穂氏のブログで、「神か悪魔か - GNU の見えざる手」という長大な連載が進んでいる。2~3回で終わるのかなと思ったら、今4回目まで掲載し終わり、さらに3回以上続けるつもりらしい。

 一線のソフトウエア技術者でありながら英語の文献もバリバリ読みこなしてIPについて論じる知的体力に感服する限り。文系の僕たちも、ぜひこの機会に彼のブログとそのトラックバックなどを読んで勉強しておきたい。ちなみにGPL、GNUといった言葉を知らない!という人は、前知識としてこちらをお読み下さい→【特集】 History of GNU - GPLとはなにか

 奥氏は、TBしている「法務だけど理系女子の綴るblog」のMichyさんが言っているように「私の今までの経験からいけばそんなこと考えていててくれるプログラマなんて神に等しい」という、その神に相当するプログラマ(笑)なので、マジで日本にとって貴重な人です。

 当面の問題はGPLという、Linuxなどに独特のライセンス方式の改訂の方向性にあるわけなんだけど、これを読んでいて僕は(法律に詳しくないのでとんだ見当違いかもしれないけれど)、何となくキムタケブログの引用を巡る論争に似たものを感じ取った。

 ま、専門外なのでこの件がどこまで大きな問題になるのか、文系の僕らの仕事にどう影響してくるのか何ともコメントできないんだけれども、何しろ米国というのは奴らの法律を勝手に外国の企業にも平気で適用してくるしね。海のこちらの我々も勉強しておくにしくはなし。

 とりあえず今日のところはこのへんでお茶を濁させていただきます。では皆様、良い週末を。

07:47 午後 経済・政治・国際 コメント (0) トラックバック (0)

2005/01/06

紅白FLASH合戦にみる、コンテスト型企画のイノベーション

kohaku_flash 本当はブログ定休日のはずだったが、昨日更新しなかったので軽いネタふりを。

 毎年年末に楽しみにしているのが、「紅白」である。歌番組の紅白ではない。2ちゃんねる動画板が主催する、「紅白FLASH合戦」だ。これが始まってから、僕は本家のNHK紅白をまったく見なくなった(笑)。

 僕は動画板の住人でもないのであまり詳しくは知らないが、紅白FLASH自体は3年前の第1回からずっと見ている。もともとは動画板のFLASH職人さんたちが「年に1回ぐらいまとめて成果を発表し合おうよ」というような話から始まったイベントだったように思うが、大会前のCM用FLASHからしてものすごいクオリティのものが続々寄せられ、身震いするほど感動したのを覚えている。

 で、本戦の方も超有名コテハン職人さんから無名の新人まで、PV(プロモーション・ビデオ)系から10分をはるかに超えるストーリー物まで様々なジャンルの、30本を上回る数の超力作が集まった。それを1つ1つクリックして出てくる映像を眺めるのは、NHKの紅白を見ているよりずっと面白かった。

 その後、公式スポンサーにマクロメディアが名を連ねるなど、イベントの規模もますます大きくなり、昨年末の第3回ではとうとう出品者も130人+飛び入りを数えるまでになった。僕もさすがにこれだけ並んだFLASHを1つ1つ見ていられないと思い、結局大晦日にはつまみぐい的に3~4点ほど見たところで挫折して寝てしまった。

 130点以上もの作品見て紅か白かに投票しろなんて、もう素人には参加できないイベントになっちゃったな…と思ってしょぼくれていたんだけれど、年が明けて紅白FLASH合戦の公式サイトをもう一度見に行ったところ、団体賞としての紅/白以外に、MVPからストーリー、素材、デザイン、感動、ユーモア、システム、技術まで13もの部門賞が設けられ、それぞれに優れた作品が選出・表彰されていた。

 さすが、名もなき人々の声を受けて果てしなきスクラップ&ビルドが繰り返される世界、2ちゃんねる(笑)。第3回を重ねるまでになったFLASH業界最大のイベントは、今や「紅白」と称しつつその実は「アカデミー賞」に限りなく近づいていたのである(笑)。

 これなら素人である僕のような人間でも、イベントの上澄みの最もいいところだけ味わえる。しかも部門賞に選ばれた各作品を見て改めて感動し、紅白FLASHの作品レベルも年を追うごとにますます上がっていると感じた。(以下FLASHの置かれているサーバが頻繁に変わる場合があるため、個々の作品にいちいちリンクしません。公式サイトから見に行って下さい)

 まずもって、BGMやシナリオのクオリティがすさまじい。感動賞を受賞したnae氏@N-GRAVITYの「ハクシャクノテンシ」は、原作、BGMのクラシックギターともプロによるものだし、システム賞を取った和茶氏@なにかがだめぽの「クリスマス中止撤回!」のJラップは、2ちゃん用語を盛り込んだクリスマスラップソングだが、歌だけでも十分格好いいし、それに映像もばっちり合っている。

 素材だけでなく作品全体の芸術性ということでも、1回目、2回目に比べて明らかにレベルは上がっている。MVPを受賞したみ~や氏の「NIGHTMARE CITY」は(最初のオープニング見てネタ系かと思ったが)最初から最後までこれでもかというほどのスピード感に圧倒されっぱなしだし、素材賞受賞の伊織氏@ミラーボールサテライトの「ベラドンナ」には美麗な写真やデザインがふんだんに使われており、ここまで来るともはや「アート」と形容するほかない。

 ま、あえてわがままを言うなら、テクニックやセンスが高品質過ぎて、絵は適当なコラージュだったりしょぼいだけだったりだけど見ていて吹き出すようなゲリラ風ナンセンス系FLASHが見られなくなったことかな。例えば、G-creatorsで2004年の年間グランプリを受賞していたこちらのような作品は、もはや紅白FLASHには出て来られなくなったということなのかもしれない。これは、出展作品全体のクオリティを上げるためにはある意味仕方ないことではあるのだろうけど。ま、それでもこのイベントは、今年以降もますます進化を続けるのだろうな。

 第3回の紅白FLASH合戦を見ていると、逆にNHK紅白の視聴率がなぜ落ち込み続けているのか、逆によく分かる気がする。紅白FLASHは、観客の楽しみを最大限に引き出すイベントの「仕組みのイノベーション」をたえず試みているのに対し、NHKの方はJ-POPからお笑い、海外のアーティストまで引きずり込んでおきながら、実際のところもう何十年も「出演者が2チームに分かれて出し物を出し合い、最後にどちらかのチームを選ぶ」という仕組みから1歩も出てないのである。

 観客の価値観は常に多様化し続ける。FLASH紅白だって、PV系が楽しみで見るという人もいるだろうし、FLASHと言えばゲームでしょ、という人もいる。僕みたいに、PVも2ちゃんキャラオンパレードもいいけど、それよりかはアート系やストーリー系の秀逸な作品も楽しみたいというわがままな客もいるだろう。

 たいがい、コンテストやランキングの企画というのは、その評価の仕組みそのものがコアバリューなので、1度やって当たったとしても未来永劫同じことをやっていけるわけはないのである。恒例になった企画そのものを盛り上げようと思えば、観客が前回の仕組みに飽きる前に、次の仕組みを考え出してリニューアルし続けなければならない。

 ところが、NHKもそうなんだろうと思うが、コンテストやランキング企画が大当たりすると、たいてい誰もが「今年も同じ企画をやれば、また当たるに違いない。少なくとも大きく外れることはないだろう」と思いこむ。成功体験が長ければ、それだけこの思いこみから逃れられなくなる。

 ところが、観客の方は毎年出てくる表彰者は違っても、評価の仕組みが同じである以上は「傾向と対策」を頭の中でシミュレーションできてしまうことになり、「ま、今年は○○と××がノミネートだろうね」とか「どうせこういう作品が出てくるよ」とか予測する。で、結果がよほど大きく事前予想を外さない限り「なーんだやっぱり思った通りだよね」という感想を持つ。そして、次の年からはもう関心さえも持たない。

 大当たりしたコンテスト形式の企画こそ、常にコンテンツではなく評価の仕組みのイノベーションが必要なのだ。NHKも、いっそ来年から紅白戦を止めて、というか止めなくてもいいけどそれと同時並行でアカデミー賞のような部門賞を作り、「演歌」「J-POP」「アイドル」「コメディ」などジャンルごとのノミネートを並べて選ぶ方式に変えたらどうかと思ったりする。ま、エビジョンイル首領様がいる限りはそんな冒険もできないだろうけどね(ところで、彼の本当の名前って海老何だっけ?)。

 ああ、軽いネタのつもりだったのに全然軽くなくなっちゃったよ。ゴメン>読者の皆さん

(18:00追記)って書いてからエキサイト・ブログニュース見に行ったら、似たようなことを書いていたブログを発見→眠れぬ夜はふりーぱと・・さんのこのエントリ。やっぱり昨年の紅白は相当に寒かったみたいね。しかも既に勝手にアカデミー賞化するサイトまで存在している。ネットってすげえ。というわけで、見ないテレビ番組の批評しかできないR30でした(笑)。

05:09 午後 映画・テレビ コメント (3) トラックバック (0)

2005/01/04

国際人道援助の投資戦略

 案の定、スマトラ島沖地震災害で知り合いを亡くした方から前回のエントリに対してクレームが来た。

 ま、そりゃそうだろうなとは思う。新年早々、目の前で死んだ人たちやその家族をどうやって助ければいいか、涙をこらえつつ必死で活動している人たちと、遠く離れた日本でパソコンの前に座って好き勝手書き散らしている僕みたいな人間と、互いに理解できないほどの温度差はあって当然だ。それに、それぞれの立場にいるからこそ見えているもの、見えないものというのはある。

 だから僕は未曾有の災害に遭った人たち、それを助けようとしている人たちの活動についてとやかく言うつもりはない。「頑張って下さい」としか言いようがない。

 ただ、救援のための資金を動かせる立場にある先進国の僕たちには、被災地現場の人々を思いやる以外にも、考えて行動に移すべきことがある。それは僕らの富をどうやって大規模災害の救援に役立てるのがもっとも多くの人のためになるか、といったことだ。

 日本が国際社会でどうあるべきか、そのために常日頃から何をすべきかという問いへのヒントは、どんな分野においてもたいてい80年代後半から90年代前半に起こった出来事に遡れるのではないかと思っている。

 例えばサッカーに関して言えば93年の米国W杯最終予選での敗北(いわゆるドーハの悲劇)だろう。あのとき、日本人は「カズやゴン程度の個人プレーでは到底世界のW杯に出られないのだ」ということを学び、システムサッカーの必要性に目覚めたのだろうと思う。

 一方、今の日本の外交戦略の原点は90年の湾岸戦争だ。あのとき、日本の海部内閣は国民1人当たり1万円もの増税を敢行し、合計135億ドルもの戦費を米国に支払いながら、米国からは「湾岸戦争で貢献度の低かった国」に名指しされた。30歳以上の人なら忘れもしないだろう、あの理不尽な仕打ちと屈辱。カネをただ出すだけでは決して国際社会の中で認められないし、尊敬もされないということを、嫌と言うほど日本人は学んだ。

 僕が前回エントリで「日本人はもっと寄付リテラシーを持つべきだ」と言ったその意味も、まさにそこにある。要するに、自分が出したカネがどのように使われるか、もっときちんと考えて寄付しろよと言いたいのだ。

 使い道をきちんと考えるためには、払ったこともすぐに忘れちゃうような金額じゃダメだろと。数百円、数千円なんてケチなことすんな。福沢諭吉先生を出せ。身銭を切れ。ちょっとでも無駄遣いされたらその団体の事務所を焼き討ちするぞぐらいの呪いを込めて寄付をしろ。

 こと、この話になると僕は完全に国粋主義者である。以下の論調は多分に偏向しているので、そのことにご留意しつつ読んでいただきたい。

 こうした大災害や戦禍が起きた地域への国際人道援助というのは、国際社会における各国のプレゼンスを競い合う、あるいは海外援助という「産業セクター」の存亡を賭けた「もう1つの戦場」である。

 緊急人道援助活動には、現地政府や関係機関との密接な関係構築から、援助の最も効果的な地域への迅速なベースキャンプ設置、優秀な現地スタッフの確保など、初動のスピードと大変な政治力が必要だ。そして、このスピード感覚と政治ノウハウを蓄積した組織はますますプレゼンスを高め、政府から受け取る補助金額も増え、雇うスタッフを増やし、したがって次回の援助の際にも有利になる。

 国連傘下の各機関や海外の大手NGOなどはこうした人道援助産業の「コングロマリット」を形成している。彼らにとって、日本というのは活動資金となる「寄付」を集める巨大な資本市場だ。例えばユニセフを例に取ると、2003年の総収入16億8800万ドルのうち、日本政府は1億ドル日本ユニセフ協会は1億1830万ドルの資金を提供している。政府援助では米、英、ノルウェー、スウェーデンに次いで5位、民間寄付額では2位のドイツを3000万ドル以上引き離してダントツのトップだ。米国の民間寄付額など、日本の3分の1にも満たない。

 日本が官民合わせて2億ドル以上の資金を拠出していながら、ユニセフの人道援助で実際に現地に行って活動するのはほとんどが欧米人のスタッフである。つまり日本人はカネを払うだけで、日本国内にほとんどノウハウが残らない(ユニセフもさすがにこの状況がまずいと思ったのか、スマトラ島沖地震の緊急支援では日本人スタッフも現地に行っていることをHPなどで告知し始めているが、組織運営のイニシアチブを日本人が持っていないことは変わらない)。

 こんなケースはユニセフだけでなく、そこら中に転がっている。ここには「カネだけ出しておけばとりあえず自分の良心のとがめはなくなるからいいか」という、90年代前半に痛い目を見たはずの日本人のあのさもしい心情がそっくり残ったまま、頭のいいガイジンどもにいいように利用されているのである。

 それでも、国内に「これではまずい」と考える人々だっていないわけではない。日本にも、「日本のイニシアチブで国際人道援助活動で競争していこう」と考えるNGOが、いくつか生まれ始めている。

 赤十字やユニセフが緊急人道援助のコングロマリットだとするならば、日本のNGOはまだ生まれたてのベンチャー企業だ。ほとんどの団体が本部職員数人の規模でしかない。あまりにも小さくて、虫眼鏡で見ないと見つからないほどだ。

 だけれど、ベンチャーにはベンチャーなりの良さもある。政府による支援や巨大NGOの手が回らない地域や特定分野に特化して、小回りの効く機動的な緊急援助を実施しているところもある。日本人なら、赤十字やユニセフではなく、そういう「国産NGO」にもっと寄付して応援すべきだと僕は思う。

 え?いちいちそんな小さなNGOを虫眼鏡で探しているヒマがないので寄付していられない?いや、まったくおっしゃるとおりだ。我々は忙しい。だからこそ、そういう“ベンチャー企業”をまとめて適切に寄付金を配分する「人道援助のベンチャーファンド」が1999年に生まれたのだ。「ジャパン・プラットフォーム」である。詳しくはHPをどうぞ。

 前回のエントリでも述べたように、日本ユニセフ協会は寄付収入の20%以上を事業経費として使っている。その中にはオンラインでクレジットカード募金を受け付け、即座に領収証まで発行するなどの決済システムや、みかまま氏にまで送りつけられてきたメールのダイレクトマーケティングシステムなどへの億単位の情報化投資も含まれる。これだけの投資が行われてきたからこそ、年間100億円超の寄付を集められるのだ。ちなみにそのうち75%が、個人によるものだ。

 一方、ジャパン・プラットフォームの2002年度の会計報告を見ると、ユニセフと全く逆であることが分かる。たった7億足らずの総収入に占める外務省の助成金比率が80%を超えており、支出の部を見ると一般管理費と雑費が合わせて3%、2000万円しかない。これは、主たる収入である外務省の助成金が、一般管理費として使ってはいけないという縛りをかけられたカネであるためだ。

 つまり、民間寄付が集まらない→政府助成金に頼る→寄付集めのための投資やマーケティングができない→さらに寄付が集まらなくなる→助成金に頼る…の、悪循環に陥っているのである。だから彼らが募集しているスマトラ島緊急援助の寄付も、窓口は基本的に郵便振替しかないのだ(12月29日から東京三菱銀が振込手数料無料のサービスを開始した)。

 ユニセフの事例を考えても分かるように、数億円のシステムやマーケティング投資をしても、そのレバレッジ(てこ効果)として寄付が100億円集まれば全然問題ないはずなのだ。ところが、日本政府が出す金というのは、こうした投資に使うことを認められない。民間の寄付者も「私の寄付したカネは1円も残さず被災者のために使え」と迫る。そういう声を聞くと、僕は無性に腹が立つ。NGOのスタッフには、かすみでも食ってろと言いたいのかお前らは。

 国際コングロマリットNGOにあって日本のNGOに足りないのは、大規模災害への人道援助という目先のやり繰りを超えたところでの、こうした活動維持・拡大のための長期的なスパンを見据えた先行投資の発想である。

 だから僕はあえて声を大にして言いたい。この国のことを思う日本人なら、数万円単位で寄付をしろ。それも、きちんと日本人を現地に派遣するNGOに寄付をしろ。そして、できれば被災者への援助に対する寄付ではなく、NGO自身の日常の組織運営やマーケティング投資に資する寄付をしろと。

 「被災者の人たちがカワイソウ」という目先の感情だけで言い訳程度に数百円、数千円の寄付をしたところで(もちろんそれにまったく意味がないとは言わないが)、それは国際人道援助分野において今日本が抱える本質的課題の解決にはまったくつながらないのである。

 あと可能ならば、どうせ領収証など発行してくれないはてなのポイント寄付が、こうした国産NGOへ重点的に配分されるようになることを一国粋主義者として今後期待しつつ当該サイトへトラックバックを打っておく。

06:09 午前 経済・政治・国際 コメント (6) トラックバック (7)

2005/01/03

寄付する前に立ち止まれ

 大規模な災害が起きている横で冷ややかな口調でこういう話をすると、必ず「たくさん苦しんでいる人がいるのに不謹慎だ」みたいな反応が返ってくるので嫌なんだけど、不思議とそういう議論をする人があまりいないようなので、ちょっと書いておく。

 災害などは特にそうだが、不幸なことが起きると必ずあちこちで寄付を募る活動が始まる。渋谷や新宿などでは、「何年前の出来事だよ?」と思うような災害についての募金や署名運動をやっている人もいる。そばを通り過ぎる時に、胡散臭いと思いながらも「もし彼らが本当に困っているのだとしたら?もしそうなら、無視して通り過ぎる自分はなんて薄情な人間なのだろう」と良心が痛んだことのない人はいないだろうと思う。

 逆に、ネットの中を見渡すと「苦しんでいる人のために寄付をお願いします!祈って下さい!」みたいな書き込みやウェブサイトもあちこちにあって、流石に寄付先は赤十字とかユニセフとかの「信頼の置けそうな団体」ではあるのだが、ネットの世界は広い。探し始めたら困っている人はゴマンといて、寄付し始めたらいったいいくら、どの範囲まで寄付すればいいのか、分からなくなってしまう。

 とはいえ、突然著作権料が数千万円手に入る見通しになった「電車男」でもあるまいし、一庶民たる僕らが自分の暮らしに不都合のない範囲で出せる金なんて大した額じゃない。「寄付したってどうせ数百円とか数千円、災害に遭った人たちが必要な額のお金からすれば微々たるものなのに…それでも寄付する偽善の方がしない偽善よりいいのだろうか?」と悩む人もまた多いだろうと思う。

 感情論のレベルで「寄付すべきか?それともこれは偽善か?」と自問していても答えなんか出ない。それより自分の良心も納得させることができ、かつあらゆる寄付お願い攻撃から身をかわす方法を、ちゃんと普段から考えておくべきだと思う。

 みかまま氏も日記で述べているが、寄付というのは本質的に「“公共のためのお金の使途”を一部、自分で決める行為」である。カミサンがお友達と忘年会に行ったり新しい洋服を買うお金をねだられて出す行為は、そのお金がカミサンの「私益」に使われるので当たり前だが寄付とは呼ばない。見知らぬ他人にお金をあげるとしても、道ばたの物乞いにコインを恵んであげるのは(宗教的行為としての)「喜捨」であって、「寄付」ではない。このあたり、きちんと区別されていないようだが。→「喜捨」「寄付

 税金という形で政府が集めて公共の利益を再配分するのに代わって個人が公共の利益を考えて自分の収入を配分するのだから、たいていの先進国では(範囲の大小は違えど)寄付に対して「税の減免」なる制度が存在する。日本にも(非常に狭くて厳しいが)もちろんある。詳しくはこちらをどうぞ(寄付金控除)

 自分が、ゲームソフトやお菓子を買うのと同じ感覚で、「ちょっといいことしたな」と思いたいだけのために他人にお金を渡しましたと言うのでなければ、「公共の利益のために個人の負担金から支出しました」と、きちんと主張すべきだと僕は思う。主張というのは、「口に出す」という意味ではなく、ちゃんと寄付した相手の団体から領収証をもらって、税務署に提出するという意味だ。

 自分の拠出する公共のための負担金は、自分で使途を決めるというのは、とても大切な考え方だと思う。なぜなら、それこそスマトラ島沖地震の被害が良い例だが、中央政府や地方自治体に「税金」というかたちでお金を渡しても、彼らは国際社会全体に目を配った「公共の利益」までは考えが及ばず、せいぜい自分のいる地域や国の中の「公共の利益」だけにお金の大半を費やして終わってしまうからだ。

 かと思えば、dai-rol氏が言及しているように、結局のところ国が支出する災害救援資金というのは、多かれ少なかれ国際政治の具として使われる。世の中、そういうもんだよと思う人はそれでいいと思うが、いやそれは嫌だよと思う人は、自分で自分のお金が被災地に届くルートを決めればいい。そのルートを決めるためには、税務署に申告しなければ無意味(自分で払った上にさらに政府に召し上げられる税金額も変わらないから)。

 でもさ、たかが数百円とか数千円とかのお金を寄付するのに、領収証をもらって、それを年に1回最寄りの税務署に持っていって確定申告して…って、最高にめんどくさくて嫌じゃない?僕もそう思うわけですよ。

 で、結局僕が考えたのは、「寄付を求められるたびにいちいちその場で自分の『公共の利益のための支出の使途』に迷うのを止めよう」ということだ。

 何事も計画が必要。まず、自分の収入と支出を考えて、自分が「1年間にこれだけなら自分のためじゃなくて、他人のために使っても(寄付しても)いいや」と思える金額を決める。人によってその決め方、基準の作り方は違うだろう。

 前の年に得られた不労所得の一部を寄付しちゃえと考える株式投資家の方もいるだろうし、税控除の上限を超えた所得のかなりを寄付に回す敬虔な社会奉仕家もいらっしゃるに違いない。ちなみに僕の場合、天引き貯金している金額(つまり今すぐ使う必要のないお金)の5%程度を、社会に対するお礼として毎年寄付に回すことにしている。基準が思いつかない人は、年収の1%ぐらいを基準にしてみたらどうかな。1%なら、実際大した負担じゃないし、しかも確定申告して戻ってくる金額は、税務署に行く手間賃ぐらいにはなる。

 次に、自分のお金をどのような「公共の利益」のために使ってもらいたいか考えよう。「日本政府は国際社会への貢献が過小だ」と思う方は、ユニセフや国境なき医師団などへどうぞ。「大きな災害の支援にはとにかく出す」というのなら、赤十字がやっぱり一番強いかな。もっと身近なところで地域や障害者のために尽くす活動を支援したいと考える人は、そういう団体を探すのもいいだろう。人によってもっと支援すべきと思う「公共の利益」は千差万別である。

 僕自身は、日本でこうした「自立した個人の活動」を支える様々な仕組みや意識の変革がもっと行われる必要があると考えているから、寄付予算の80%を「この人は」と思う某政党の代議士の政治団体に寄付し、残りを小さくても広い視野で優れた活動をしているなと思える非営利組織に寄付することにしている。しかも普段はいちいち振り込むヒマがないので、ほとんどは自動引き落としでやっている。

 寄付先の団体を決める際に、1つ注意してほしいことがある。自分が寄付したお金の使い道を、きちんと確認できる団体であるかどうかだ。

 以前にはてなのポイント寄付の議論を見ていて非常に違和感を持ったのは、「ポイント送信のための手数料5%を、はてなが取るのはけしからん」という論調だ(中越地震、スマトラ地震とも、5%分ははてな側からの上乗せ寄付となるみたいだけれど)。どんな寄付も、それを告知し、集め、クレジットカードなら手数料を払い、領収証を発行し、またそういうことをする組織を運営するためには、当然のことながらお金がかかる。それは当たり前だが多かれ少なかれ寄付金の中から拠出するしかない。

 例えば、日本赤十字社が2001年から2004年までに集めた米同時多発テロ被災者救援金の場合、集まった22億円あまりの資金のうち、2200万円が領収証発行、ポスター作成などの事務費に支出されている。日赤の場合は組織の運営費の大半が医療事業などで賄われている(のと、たぶん日本の寄付者の意向にも配慮していると思われる)ため非常に経費比率が少ないが、日本ユニセフ協会のFAQによれば、同協会は年間寄付収入の20~25%が「国内のアドボカシー(政策提言)活動、広報活動、募金活動(カード頒布活動を含む)を実施するための事業費」に使われている。また、事務管理経費の比率も寄付金のうち4%程度かかっている。

 個人的には、集まる寄付金の規模にもよるけれども、きちんと組織が継続的活動を行い「公共の利益」になるためには、寄付金の10~20%程度は組織運営の経費に使われる“べき”だと思う。だからはてながポイントを集めて送るのに5%の手数料がかかったとして、それではてなを「不幸に乗じて金儲けした」って非難する感覚が、僕には分からない。だってもし株式会社はてなが今後経営危機に陥ったとしたら、僕らは多くの人々から手軽に寄付を集めて送るルートを1つ失うことになるんだよ。それでもいいのか?ま、非難してる連中はそれでもいいのだろうな。

 話が逸れたが、このように寄付金の使途がきちんと開示されているかどうかも含めてきちんとチェックできる団体であることを確認して、寄付先を決めるべきだと思う。その際、「全額を○○に使いました!」とかヌケヌケと言い放つ団体は、別のところで寄付金集めのための費用を稼いでいる(つまり管理会計がぐちゃぐちゃである)か、でなければウソをついているんだと思った方が良い。

 こうしたことをきちんと日頃から行っておけば、繁華街などで寄付を募っている人々に出会っても「僕は彼らに寄付をするのとは違う方法で、自分にできるだけの寄付を正しい方法でちゃんと行っている。だから彼らに今お金を寄付する必要はない」と、自分を説得でき、良心も痛まない。しかしいちいち理屈っぽいな、僕って(笑)。

 ちなみに、寄付先進国の米国にはこれまた「寄付先探しのための情報サイト」とでも言うべき、すさまじいウェブサイトが存在する。このサイトは、米内国歳入庁(IRS)に登録されているあらゆるNPO(非営利組織)の収支、役員データなどの開示情報をDB化してストックしており、有料サービスではあるが自分の希望にふさわしい寄付先の団体を検索してくれる機能もある。ちなみに、既にスマトラ沖地震被害の寄付先一覧のページもできている。せいぜい両手で数えられるぐらいしか出てこない日本に比べて、123団体もある。すごい数だ。さすが多様性の国。

 カネを稼ぐのは難しいが、世の中のために上手にカネを使うのはそれよりもっと難しいと僕は思う。日本でもきちんとした「寄付リテラシー」を持つ人が増えて、「公共のため」のお金の流れが変わっていけば、毎年政府の無駄遣いをあーだこーだあげつらう必要もなくなっていくと思うのだけどね。

追記:こちらのサイトに、内外の寄付募集NGOの効率性評価などが掲載されていた。これから寄付先を探したい方にはおすすめ。また、トラベルジャーナリストの寺田直子氏のサイトでは、オンライン募金できる団体の一覧、日米のマスメディアのウェブサイトの比較などが述べられている。

01:56 午前 経済・政治・国際 コメント (9) トラックバック (12)

2005/01/01

とりあえず、今年の抱負など

 あけましておめでとうございます。0時ぴったりにあるMLにメールを送ろうと思って手ぐすね引いてたら、受信したサーバの時刻設定が狂いまくっていて、送信日時が12/31の11時過ぎになったorz こういうの、許されて良いのでしょうか。

 なんて元旦早々コンピュータ相手に怒りをぶちまけていてもしょうがないので、気を取り直して今年1年の抱負など。あと、まったく僕らしくないのですが、元旦だけデザインを思いっきりミーハーに変えます(笑)。一瞬違うサイトにアクセスしたんじゃないかと思ってF5キーを連打する人続出でPVアップでウマーを期待(爆)。

 冗談はさておき、今年の抱負。まずは、これでしょ。

(1) 新しい仕事をちゃんとできるようになる

 社会人になってほぼずーっと同じことを10年近くやってきたわけなので、最近だんだん仕事を「鼻くそをほじりながら適当にやる」ことに慣れきっていたきらいがある。いかんいかん。転職したので、きりっと気持ちを引き締めて、もう沸騰させた油の中に飛び込んだつもりでトナカイみたいにしゃかりきに仕事に取り組みたいと思います。

 次はこれ。

(2) 新しい住まいの周辺の人と仲良くなる

 3月に引っ越しする予定なので、新居の近隣と仲良くしなくちゃね。結構コミュニティとしての活動が盛んなところなので、イベントとかお手伝いとかにもなるべく積極的に顔を出したい。出しゃばりすぎず、さりげなく。

 そして最後に、これ。

(3) このブログで、インターネットの進化と楽しさに多少とも貢献する

 3番目なのに一番大それた抱負がこれかも。当初は仕事柄そこそこ知識のある企業ネタやマーケティングネタでてきとーに世間のニュースでもいじろうかと思っていたのだが、ジャーナリズムとかライフスタイル絡みの話で口角泡をとばすような議論しているうちに、何だかブログのコンセプトがだんだんずれてきた(笑)。

 ま、それでもいいかと思ってる。つぶやきシローみたいに1人でつぶやいているだけならこだわりテーマだけ追っかけていればいいけど、まがりなりにも公の場であり、Google先生によって不意に一番目に付くところに引き上げられる事態が頻発するブログという媒体(メディア)を通して文を綴るのだから、内容も読者の皆様あってのものだ。

 だから何となく今のブログの世界が突っつくべき道筋が見えればそこに突っ込んで行きたいと思うし、論争はなるべく受けて立ちたいし、テーマの範囲にあまり制約を設けずいろいろ試してみたいなと思うわけです。

 で、その結果としてインターネットで情報発信する人が数人ばかし増えたとか、僕の書いた文に着想を得て何かを作った人が出てきただとか、そういうものが生まれるとなおウレシイ。というかそのあたりを必死に目指すでもなく、何となく派生させてみたい。

 一応自分自身の中でのプライオリティは当然のように(1)>(2)>(3)の順なので、仕事に没頭するあまりブログの更新が少し滞ることなんかもあるかもしれませんが、最低でも週に2日はネタを投下するという方向で頑張ります。そんなわけで今年もR30にお付き合いいただけますよう、よろしくお願いします。

 後、業務連絡。年賀状ついに年内に投函できませんでした。送って下さった方には、受け取った順にお返事書きます。すいません。

12:56 午前 日記・コラム・つぶやき コメント (0) トラックバック (0)