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2004/12/31

2004年12月のバックナンバー

過保護の親に子育ての資格はあるか?
「悪徳不動産屋の独り言」ブログで考えた、個人的子育て論。

ネットジャーナリズム・ウヨサヨ論
隊長の放火をきっかけとした、団藤保晴ブログのヲチ開始宣言(笑)。

マスゴミの人と議論することの難しさ
団藤ブログで冷笑されたのに反応した猛烈な十字砲火エントリ。

企業はスマートフォンを欲するか?
奥一穂ブログの紹介と、ドコモへの対抗戦略の可能性についての考察。

激安くりぬきリフォームの入居者募集中
東久留米市駅前家賃4万円のアパートのリフォームのお話。

水に落ちた方の犬が負け
切込隊長ブログでの日本振興銀告発に対するカウンターエントリ。

あいまいでスマートなニッポンの携帯
「スマートフォン」の続編。日本のPDAビジネスへのだめ押し。

プロのジャーナリズムとは何かについて考えてみる・その1
ジャーナリズムについての本格的論考シリーズの開始宣言。隊長をネタに。

プロのジャーナリズムとは何かについて考えてみる・その2
ネットが既存マスコミに比べてどこまで「ジャーナリスティック」たりうるかの考察。

隊長がすごい勢いで突っ込んできた(泣)
上のエントリに対する切込隊長からの総括についてのレス。短めの泣き言。

プロのジャーナリズムとは何かについて考えてみる・その3
ジャーナリズムの本質とは調査報道、という話。前回までのあらすじ付き。

保守エリートのPCコードに騙されてはいけない
自称エリートの男性のPCは女性をダブルバインドに追い込む、という実話。

プロのジャーナリズムとは何かについて考える・最終回
来るべき未来の参加型ジャーナリズムのビジネスモデルを空想する。

【ご意見募集】デザイン変更してみました
サイトのデザイン変更通知および意見募集。

リベラルぶりっ子<萌えヲタの時代
忘年会で電車男に釣られた、オタクというlong tailこそチャンス!という煽り。

トートロジーに熱くなる
内田樹ブログの紹介と、マスコミ人のブログに関する皮肉など。

ハンドルネーム、変えました
GLOCOMの研究会レポートと、R30へ改称のご報告。

2004年日本のアルファブロガー投票
アルファブロガー投票を呼びかけるアジテーション。下心満開(笑)。

ニートを語る時の立論方法
隊長のニート論に対して、経済「学」的な切り口からの分析。いささか皮相的。

他人のブログを読み始めると
実は携帯でのサイトチェック用のつもりだったゴミエントリ。

「ニート」「ヲタ」で怒濤のアクセスとTBが押し寄せている件について
トラックバックを樹形図分析したニート「論」の俯瞰。話題を呼び、ユリイカで取り上げられた。

おいしいローストビーフの作り方
クリスマス用ローストビーフの解説。これも検索で見に来る人の多いエントリ。

映画評:ニュースの天才
映画評に題材を借りたマスメディアのマネジメントに関する論考。

祝・20万PV
20万PV突破記念エントリ。ムネオハウスなアルファブロガー。

ネット上の論争を整理するツールが登場
BMFEdit(その後Blog Explorerと改名)とmatome.jpの紹介。

【ヲチ中】ブログ整理ツール
前回紹介した2つのBlogツールの新機能のレポート。

メディアリテラシーで猛烈に反省
「ニュースの天才」映画評の反省考。メディアリテラシー小論。

年の瀬に思う来年~10年後のブログ界動向
木村剛とブログコミュニティー、日記マーケティングなどについての考察。

11:59 午後 バックナンバー一覧

2004/12/30

年の瀬に思う来年~10年後のブログ界動向

 年の瀬ですねえ。年の瀬の定番ネタと言えばやっぱり、10大ニュースと来年予想。10大ニュースの方は、今年は誰にも言えない俺ニュースが多すぎて世間の動きがかすんで見える年だった(笑)ので、やりません。

 で、来年予想の方ですが、「2005年のブログ業界はどうなるのか」というネタが、あちこちのブロガーの間でアップされるようになってきた。面白かったのは、小林Scrap Bookの「2005年のブログに関するメモ」と、Moleskin Diaryの「来年のblog界を予想してみる」の2本かな。

 ま、日本のブログ業界というものが、そもそも2002年末のはてなダイアリー開始によって幕を開けたばかりのものなので、正直これから次第でどうとでもなるとは思うけれど。

 おおかたの方向は、2人の意見も一致しているように「ブログの専門化・分業化」といったところだろう。小林ScrapBook氏はそれを「ポスト木村剛の地位を狙う“あらゆる社会ネタ引き出しを持つブロガー”の登場期待」と、「ごくわずかの知り合いだけに読んでもらえればOKとするSNS的ブログ、あるいは特定の属性に特化した切り口でコミュニティ・マーケティングなどを試みるブログサービスの増加」と表現している。

 一方、Moleskin氏は後者の「専門ブログサービス」に対しては肯定的、というかニュートラルだが、前者の「スーパーブロガー(になりたい奴)の台頭」に関してはネガティブに考えているようだ。

 個人的な考えを言うと、僕自身は木村剛が登場したときから突き放して見ていた覚えがある。というのも、彼は「アンチ権力」みたいなポーズで大衆を自分の政治力に巻き込もうという意図が見え見えで、しかもそのくせ「俺は偉い、だからお前らはついてこい」的な悪臭がプンプンするものだから、こんな人がネットワーク上の言論でいつまでも中心にいられるわけがないと直感したからだ。

 恐らく同じことはMoleskin氏も含めいろいろな人が感じていたことだろうと思うのだが、最後の最後に木村剛を担ぎ出した当の仕掛け人である切込隊長が日本振興銀行問題に端を発した論争で、ネットワーカーとしての木村剛を完全に撃破してしまった。ローカルルールとして落着していたはずのゴーログTB全文転載問題も蒸し返された挙げ句、ネット界隈には今や「木村剛の回りには木村剛ルールで動く信者以外近寄るな」という暗黙の了解が形成されてしまったように見える。

 木村氏のミスは、「トラックバックランキング」という、金融業界における「財務格付け」のごとき強力なレーティングツールを手にしていながら、そのツールを運用する権力を唯一持つ者として求められる沈着冷静かつ公正中立な装いを演じきれなかったことだと思う。

 実際のところ、トラックバックランキングが発掘した「面白ブログ」の数は非常に多く、この功績は2004年のブログ界にとって決して小さくはなかったと思う。だが、金融の世界でもレーティングツールを握るものは(少なくとも表向きは)個人の思惑でツールから生じる権力を用いてはならないのは常識のはずなのに、彼は自分のリアルの立場がやばくなるとその禁じ手に手を出してしまった。

 ゴーログの次にそうしたブログ「レーティング」の権力を、次に誰がどのようにして手にするのか、来年はそこが1つの注目すべきポイントだというのは確かだ。だがそれと、ユニークな切り口で時事ネタを次々と斬りまくる「スーパーブロガー」の登場、あるいはそれへの待望とは、切り分けて考えた方がいいのではないかと僕は思う。

 思うに、木村剛氏がネットワーク・ハブとしてのポジションを取り得たのは、優良ブログの発掘やレーティングのオートマティックなシステムがまだ確立されていない黎明期だったればこそであり、その機能は今や「Feed Meter」や「matome.jp」などに取って代わられようとしている。したがってMoleskin氏の懸念するように、「自分を主、読者を従」として扱うようなブログが今後(狭い範囲の信者グループ内を除いて)ネットワーク内のメジャーなハブのポジションを取ることは、恐らくあり得ないだろう。

 実際、ゴーログに続くネットワーク・ハブの2匹目のドジョウを狙って登場したものの、読者にトラックバックでの情報提供を呼びかけたりと同様の悪臭を放っていた団藤保晴氏の「ブログ時評」は、、開設わずか1週間でその意図を切込隊長に見破られて放火され、火だるまにされてしまった(と言いつつ、僕もちゃっかりそこにガソリンぶっかけるのを手伝ってたわけだが(笑))。

 ただ、無機質なレーティングデータに解釈とエンタテイメントの要素を加えつつ解説してみせる人というのは常に必要なわけで、世の中にそうした「何でも解説屋さん」の需要がなくなることはない。なので小林ScrapBook氏の言うような「社会派ネタ全般に引き出しを持ったおじさん」をITも援用して何とか作りあげるか、それともそこそこの人ならカバーできる範囲にまでブログの対象分野を細分化・専門化していくか、という話になるのだと思う。

 前者についてはここで何度か取り上げている「議論整理ツール」のようなものもその道具の1つなのかなと思う。また後者は地域、趣味、場合によっては「会社」という単位でのブロググループなども出てくるかもしれない。

 従業員全員が毎日つける「会社」ブログというのは、どっかのITベンチャーが言っていたなぐらいの、突拍子もないアイデアのように思われるかもしれないけれど、知的生産が主軸になる企業においては(2005年中に、とまでは言わないけれど)意外にすぐに訪れる事態のような気がする。

 というのも、実はブログ登場前から「ブログ的コミュニケーション」を実践して社内で成功したビジネスパーソンというのは、実例を挙げると結構いるような気がするからだ。

 その、ものすごく有名な一例だけ挙げると、セイコーエプソンの木村登志男副社長あたりじゃないかな。前段のもう1人の木村氏と混同しないよーに(笑)。

 彼は確か10年以上前、エプソンのNEC98互換機事業を率いていた頃から、部門内で「こんにちは、木村です」というガリ版刷りのミニコミ誌を作って配っていたと記憶している。その後、メールが登場してそれをメールに切り替え、ウェブが登場するとイントラネット内に自分のサイトを立ち上げた。その間、ほぼずっと毎週必ず自分の身の回りに起こったことを自分の部下たちに自分の言葉で伝えてきた。

 なぜそんなことを続けているのか、木村氏本人に尋ねたことがある。彼の答えは非常に興味深いものだった。「普段仕事と何の関係もない話を書いていても、たいした内容のことを書いてなくても良いんですよ。毎週必ず書いていれば、それを読むのを習慣にする人たちが出てくる。そして、本当に自分が何か大きな問題に直面して困っている時、そのことを書くとすぐさま数人、数十人の人たちが助けの手を差し延べてくれるんです。その時のためにやってるんですよ」

 エプソン社内で木村氏を真似して毎週メッセージを発信しようという役員がこれまで何人もいたが、継続できた人がほとんどいないらしいという話も聞いた。

 ブログを書き始めた今、僕にはあの時木村氏が言ったことの意味、そしてエプソンの他の役員たちが彼を容易に真似できなかった理由がすごくよく分かる気がする。ブログでは自分自身が明快な結論を持っていなくても、投げかければ誰かがそれに助け船を出してくれる。結果として、その「場」には1人で考え続けていたのでは思いつかない「知」がものすごいスピードで集積するのだ。

 木村氏が見ていた情報発信のメリットとは、この点にあったのだろうと想像がつく。だが、こうした知の集積は、「俺が主で、お前らは従だ」「俺が正しくて、俺に文句を言う奴は間違っている」という姿勢の情報発信者の元では決して起こらない。絵文禄ことのはブログに「安倍ぬすみ主義」とこき下ろされて以来、ゴーログへのトラックバックの数が減少しているのは、その象徴だ(ちなみにこのゴーログTB引用問題に対する僕の考えは、笑わせんなヴォケが!のこのエントリにほぼイコールである)。

 このままの勢いでブログが利便性の高いコミュニケーションツールとして普及していけば、従来の企業で一般的なヒエラルヒーを想定したコミュニケーションよりも、こうしたフラットな関係の中での「モデレーション(ファシリテーション)」を想定したコミュニケーションのほうが知的生産性が高いことが次第に明白になる。

 そうすれば、「知」を軸に活動する企業(コンサルティングファームやマスメディアなど)が「社員に個人ブログを運営させ、誰が(企業という)コミュニティの知的生産性向上により多く貢献したかを明確にしようじゃないか」と考え始めたとしても、何ら不思議ではない。というか、そう考えて実行する企業だけが生き残る時代が、まもなくやってくるだろう。

 来年ではなく10年先ぐらいの話かもしれないが、今の僕たちにとってこういう時代が来るのは「そう遠くない未来の話」だと、ここで予言してみようと思う。やや理想に傾いた独断ではあるけれども。では皆様、良いお年を。

03:22 午前 ウェブログ・ココログ関連 コメント (0) トラックバック (9)

2004/12/28

メディアリテラシーで猛烈に反省

 前回の「ニュースの天才」の映画評で、AERAやSPA!を「あの記事に書かれていることが全部事実だと思って読んでいる人はメディアリテラシーが足らない」と書いた。そのことについて強い反省を込めて少し追記したい。

 あの映画のことは、その後もいろいろと考えていたのだが、ちょうど27日から「元読売記者のメディアリテラシー日記」というブログで、この映画に関する考察が始まっているのを見つけた。まだ書きかけのようなので、どういった感想を持たれたのかとても楽しみだ。

 で、その元読売記者氏曰く、「Yahoo!ムービーの映画評では『ただこの雑誌のチェックが甘かっただけの話。レベル低い』などと切り捨てられている」というので、ちょっと見てきたんだけど、まあそりゃ娯楽映画としてこの映画を観たら、そのメッセージは分からないよね。これは単にレビュアーがバカなだけで、どうでもいい。

 ただ、ちょっと面白いなあと思ったのは、多くのレビュアーが「スティーブン・グラスは精神異常のガキ」と書いていたことだ。ガキであることは認めるが、彼は決して精神異常なんかじゃない。むしろあのマインドは、現代のほぼすべてのマスメディア関係者に共通するものだ。

 だからあの映画を観て「グラスはただの精神異常じゃん」という人は、このブログにTB打ってくれた「セカンド・カップ はてな店」のエントリにあるような、

 メディアが主導でファッションから意見から見解からの流行を作るってのはここの殆どデフォルト体制なんだろと思う。北米のクリスマスなどはまさにそうやって出来たもののうちで、最良のものの1つだろう。それにもかかわらずこれでいいかと人びとが苦情を言わないのは、まんざらウソでもないから良しとする、いいところもあるからこれでいいことにしておこう、といった漠とした諦観があるからではなかろうか。
 というくだりの意味を、まったく自覚していないことになる。ぶっちゃけ、自分の身の回りにある多くのものが「まんざらウソでもない」中にさりげなく混ぜ込まれた「でっち上げ」であることに気がついてない、ただの阿呆ということだ。言い換えれば「メディアリテラシーがない」人という意味である。

 と、ここまで考えてはたと考え込んだ。

 しかし、この映画の場合、グラスの書いた27本目の記事の「明らかなウソ」を見破ったのは、担当業界のネタをすっぱ抜かれたことを編集長に叱られた競合媒体の記者だった。つまり、それまでの26本に対しては、米国広しと言えど誰もこの権威ある雑誌の「ウソ」に気がつかなかったのだ。大統領をはじめ、米国政財界のトップクラスの知性の持ち主であるはずのこの雑誌の読者は、そろいもそろってみんな「メディアリテラシーが足りなかった」のだろうか?

 おそらくそうではないだろう。メディアリテラシーとは、この映画のように「この記事は嘘っぱちだ!」と叫ぶ誰かが出てきて、はじめて生まれうるものなのだ。批判、検証のないところに「ウソをウソと見抜ける」知性が突然生まれるわけもない。AERA、SPA!の記事がどれもでっち上げばかりだ、ということだって、僕はたまたまその記事と同じ情報ソースを取材したから分かったけれど、普通の人には(特に朝日新聞の看板を背負い、大まじめなふうの文章を装うAERAなどは特に)あれがウソだと見抜けるわけがないのだ。

 そんなことを考えていたら、少し前にずばりそのものの話を書いてくれている人が、いた。ハイブローな文章なので原文をご参照いただきたいが、少しだけ引用しておく。

「うそをうそと見抜けないやつ」を馬鹿にする言説には、誰でもリテラシーの有無にかかわらず本質的にだまされうる存在であるという認識がかけているし、メディア・リテラシーが、メディア情報の恣意的な再解釈にならないための歯止めになりうる部分が欠けている。そうした歯止めがないかぎり「わかってるやつ」と「わかってないやつ」という符牒によって内外を分ける言説としてしか機能しないのではないか。
 これを読んで僕は猛烈に反省した。「ニュースの天才」という映画が示していることは「現代のマスコミは必然的にウソをつく。だからマスコミの内部ではなくその外部に検証者が必要なのだ」というメッセージだったのであり、その検証者は「すっぱ抜く」だけを基準に競争を繰り広げる同じ土俵のマスコミではなく、マスコミのソースを参照しながらその報道性・解説性を検証し、論調を練り上げていくネットジャーナリズムであるべきなのだ。

 僕自身、「AERA、SPA!はでっち上げ記事ばかりだ」と書いたが、あれこそまさに批判されるべき「内外を分ける言説」だったと思った。どこぞのにわか銀行家先生のように「マスコミはウソばかり書く」あるいは「○○はウソ記事を書く媒体である」などと述べることには、実際のところ彼の文章を読む人間に向かって「俺は知っているが、お前らは知らない」と言っているだけにほかならない。その意味で僕もかの先生と同類だったと思い、赤面した。

 メディアリテラシーを云々するのなら「○○に掲載されたどの記事のどの部分が事実と違う、それはかくかくしかじかの理由で」ということを、きちんと指摘しなければならない。これはあの映画を見ても分かる通り、正直とても骨の折れる作業だ。だがネットがもしいろいろな情報ソースをあちこちから集めてこられる“摩擦ゼロの効率性”を持っているのなら、それを活用してこうした「メディアリテラシーのための検証システム」を作るべきなのだろう。

 ネットがこれまで、メディアリテラシーの向上に資してきたことは疑う余地もないが、一方で記者もインターネットを使いこなして取材するようになっており、ネットで簡単に見破れるウソばかりでもなくなってきている。でっち上げにでっち上げで対抗する2ちゃんねるのフラッシュモブのような活動だけでなく、ネットの側ももっと緻密にメディアを検証するための仕組み作りに知恵を絞る時期が来ていると、僕は思う。

08:50 午後 メディアとネット コメント (5) トラックバック (3)

2004/12/27

【ヲチ中】ブログ整理ツール

 ウオッチしますと宣言したブログ論争の整理ツール関連メモ。+ニート論争樹形図について一言。

 このブログにもTBいただいたが、例の樹形図に触発されたのか、BMFEditで閲覧できる「ニート論争」のBMFがmaki氏によって作られた。→こちら 類似の意見のブログエントリをまとめる「フォルダ」機能のようなものが追加されたもよう。

 yuco氏のブログでも指摘されているが、現時点ではこのBMFは完全に手作りするしかない。むしろ欲しいのはトラックバックを自動的に追いかけて、エントリの主従関係を樹形図に加工してくれるツールなのだけれど…と、少し煽ってみる。

 次に、matome.jp関連。こちらもトラックバックいただいたが、opendice氏のブログで、Firefox用のmatome.jp検索プラグインが公開された。っていっても使い方分からないんですが(汗)。デフォルトでURLウィンドウの横に付いてるGoogle窓みたいなものを追加あるいは置き換えできるのかと思ったんだが、違うのかな。このあたりどうしようもなく初心者なので誰か解説plz。

 ついでにもう1つ。matome.jpに「新着ブログ」の表示機能がついたもよう。キーワード検索すると、1時間以内に書かれたそのキーワードの含まれるブログが、トップに囲まれて表示される。これ、キーワード指定しておくと新着が更新されるたびにRSS配信される、みたいな機能ができると、特定のネタをリアルタイムで追いかけるのにすごく役に立ちそうだ。

 ただ、よく見ると囲みの外の検索結果の中にも、公開された時間が1時間以内のものがあったりするので、なぜ囲みの中のものだけが「新着」に選ばれるのか、そのあたりのロジックがよく分からん。とりあえず、以上。

 あ、それからニート論争樹形図に自分のポジションを書き足してほしいっていうトラックバックがたくさん来ている件についてですが、いいですかみなさん。

 僕がいつ「TBくれたら書き足してあげる」などと言いましたか!?

 あの樹形図はネタですってちゃんと書いたし、今後の議論の参考にして下さいっていうつもりで作ったまでなので。TBくれたら書き足すよなんてことは一言も言ってませんからそこんとこよろしく。書き足したいなら自分のブログで勝手に書き足してください。ていうか、本当にああいう分類でMECEなのかとか、あの分類方法自体に問題があるんじゃないかとか、そういう議論する人がちっとも出てこないのは何故ですかね?

02:17 午前 メディアとネット コメント (5) トラックバック (7)

2004/12/26

ネット上の論争を整理するツールが登場

 真に優秀な技術者というのは、社会の中の人々の動きを観察し、人々が(無意識にのうちに)究極の目的としていることとそれにたどり着けない原因とを見抜いて、そのオーバーヘッドを劇的に低減させるツールを瞬時に作ってしまう人のことだと思う。そして、インターネットにはそういう感性と情熱を持つ技術者が多い。

 最近相次いで勃発したブログ上の論争(ネットジャーナリズム、ニート、オタクetc.)に参画する際に、僕は自分の記事の中に、密かにこうした技術者の人々をインスパイアしそうな「工学的視点」を盛り込んで書いてきた。優秀なエンジニアならきっとそれに気がついて、何らかのリアクションを起こしてくれるに違いないと思っていたからだ。

 そうしたら、あっという間にその動きが表面化してきた。しかも全く別々のところから2つも出てきましたよ。僕としては、狙ったとおりのことが起こりつつあるという意味で、非常に嬉しい。

 本当はこういう便利なツールの存在はこっそり自分だけの秘密にして、ブログの内容をブラッシュアップするために使いたい…なんてことを文系人間としてはすぐ考えたくなるのだが、インターネットというのはそういう“囲い込み”を許さないところだし、そういうことをしてもツールは進化しない。なので、このブログを読んでいる文系、理系の皆さんにぜひその先駆者たちの偉業を見ていただき、さらにたくさんの意見を募りたいと思う。

 では、その2つのツールのご紹介と、それらに対する僕自身の意見を述べておきたい。

1) ブログの論争追跡システム「BmfEdit」

 トラックバックを元に、あるテーマの議論が複数のブログ上でどのように展開していったのかを追跡し、ツリーににして見せる「Blog Marshalling Feed(ブログ整列フィード)」というXMLドキュメントのフォーマットを作成・表示するツール「BMFEdit」が、maki氏によって開発され、登場した。

 昨日公開されたばかりのver0.1(仮)は、まだあらかじめ作られたBMFをツリー表示し、リンク先のブログエントリをツリーの下の窓に表示する機能しかない。しかし、例えば論争勃発のきっかけと思われるブログのURLを入れるだけで、そのトラックバックをざーっと追いかけて取り込み、ツリー構造にして自動表示するという仕組みができれば、これはものすごく便利と思われる。

 また現時点ではツール上に表示されていないが、BMFのドキュメント内にはXMLの一般的なページ説明要素「description」とは別に、「excerpt」つまり「要約」のタグが設置してある。maki氏がどういう意図で作ったのかが分からないので何とも言えないが、長文のエントリにいちいち全部目を通さなくても、エグセクティブ・サマリやキーワーディングだけを樹形図にしてざっと斜め読みすることもできるようになりそうだ。

 この部分については、現在は手動で作成しているようだが、例えばMS-Wordをインストールしている人はBMFEditからWordの文書要約作成機能のOLEを呼び出して、ウェブサイトの文章を食わせて要約文を自動作成できるとか、それが一般的でないならそのツリーの中に頻出するキーワードでそのエントリをGoogle検索した際のサマリ文をインポートして表示できるようにするとか、いろいろな工夫ができそうだ。

 いずれにせよ今後の機能追加が期待されるユニークなソフトである。makiさん、がんばってください。

2) Blog論争のまとめ検索システム「matome.jp」

 BMFEditが、おそらくは今のところリンクやトラックバックという外形的な要素でしかブログ間の論争を追跡できないのに対して、こちらはGoogle、Yahoo!からBulkfeeds、未来検索、はてな、Wikipedia、ぐるなびに至るまで、ネット上の特長あるすべて検索エンジンを駆使してあるキーワードを巡る議論を展開しているサイトを全部かき集めようというウェブアプリケーションだ。

 例えばmatome.jpで「参加型ジャーナリズム」というキーワードを検索すると、Googleでは湯川氏のブログの記事がトップに来るわけだが、ここではkazumaro氏の「参加型ジャーナリズムのリスクとコスト/ネット上のジャーナリズムについてゆっくり考える その1」という記事がトップにヒットする(ちなみに、この記事は考察がきちんとされていて非常に良いです)。

 この記事はgoo検索からピックアップされたもののようだが、Googleでドメイン限定で検索しても、この記事はヒットしない。つまりGoogleのクロール対象になっていない小さなサイトも含めて、matome.jpはかなり広い範囲を網羅していることになる。カバレッジにあと2ちゃんねる検索が加われば、もはや国内最強か。2ちゃんの場合、過去ログも網羅するとなると有料になってしまうところが苦しいが。

 最初は単純なメタ検索システムなのかと思ったが、あれこれ試してみているとどうもそうではないようだ。試しに「まとめ検索」というキーワードで検索してみたところ、まとめ検索のトップページはどこにも出てこず、まとめ検索についてコメントしたブログが延々と並ぶ。これってある意味ですごい「まとめ」機能かも(笑)。まとめ検索について誰がどう思ったか、ネット上の意見をすべて回収できるわけだ。

 このmatome.jpの検索結果が、トラックバック、リンク、掲載日付などの外形基準とキーワード出現頻度などのセマンティックな基準の両方で解析され、BMFのような議論の樹形図に加工され出力され、しかもそれがmaki氏の言うような「まとめフィード」のような形でリアルタイムにRSS配信される、みたいなことになってくると、既存のマスメディアの「まとめ」機能はたぶん本当に必要とされなくなってしまうだろう。

 僕は、ブログ的コミュニケーションを用いたネット・ジャーナリズムが成立しうるとすれば、素早い解説・論点整理の機能をベースにして専従のジャーナリストによる報道性をミックスしたものだろうと、以前のエントリで述べた。

 だがこれに対し、奥一穂氏からは「速報性にこそウェブのビジネスチャンスがある」という指摘もされている。確かに、BMFEditやmatome.jpを見ていて思うのは、1次情報の速報性まではたどり着かないかもしれないが、報道・解説的な部分のスピードは、もうまもなくリアルのマスメディアが逆立ちしてもウェブにかなわなくなるだろうという現実だ。

 文系人間と理系人間のコラボレーションが快感だなあと思うのは、こういうアプリケーションが登場するのを目の当たりにした時である(笑)。引き続きこの分野の技術開発動向については、ウォッチを続けてみたい。

12:56 午前 メディアとネット コメント (0) トラックバック (6)

2004/12/24

祝・20万PV

 今年4月に前身となるブログを開設して以来の累計PVが、本日6時を持ちまして20万を超えました。

 このブログをこれまでにご訪問下さったりリンクしたりトラックバックしたりコメント書いたりしてくださったすべての方々、なかんずくたびたび拙記事にツッコミを入れ、クリスマスイブのほのぼのファミリー層向けの料理記事にまで大量の怨念独身童貞男の信者刺客(現在までで既に5000PV)を差し向けてくださった切込隊長様に、この場を借りて厚くお礼申し上げたいと思います。

 それにしても最近思うのは、ブログの世界って近ごろアクセスが加速度的に増えてないか?ってことですね。累計10万PV超えたのが、つい3週間前だったように記憶してるんですが。むなぐるまさんも書いていらっしゃるが、これがたった数ヶ月前には「部員が八人しかいない高校野球みたいな雰囲気」と形容された分野とは思えません。

 やっぱり世の中の話題を引っ張るような議論をがんがんブチ上げること、それから人気ブログの分類マップを作ってみたりとか、俯瞰図みたいなものを発信することが、業界全体の顧客層拡大には大切だと、こういうことでございましょうか。

 えーちなみに申し上げておきますと、不肖私、むなぐるまさんのおっしゃるような「アルファブロガーへ立候補」などという不遜なことは決して、決してですね、やってございません!!そういうご指摘は、いかがなものか。有名人になるだとか、そういったことのためにブログをやってきたのでは、ないのであります。これだけは、明確にしておきたい。こう思っております。そのような意見は即刻、撤回して頂きたい!以上です。委員長!

05:59 午後 ウェブログ・ココログ関連 コメント (0) トラックバック (0)

映画評:ニュースの天才

ニュースの天才 「ジャーナリズム論を語るなら、これを見ておいた方がいいですよ」と、ある後輩から勧められたのが12月から東宝系で公開されているこの映画。1998年に実際にあった事件を題材にしたノン・フィクションである。映画の案内などはPocket Warmerさんのところにリンクしておくのでそちらを参照のこと。

 米ニュー・リパブリック誌の若き敏腕記者、スティーブン・グラスは社会ネタを面白おかしく取り上げることで人気ジャーナリストとなり、若干24歳にして同誌の共同編集人(編集委員みたいなもんかな)に。ヘイデン・クリステンセンが、競合誌や編集長から記事のウソを突っ込まれて隠しきれなくなり、ボロを露呈していく若きジャーナリストを見事なまでに演じている。

 映画としての評価は専門の方々にお譲りするとして、似たような雑誌の記者の1人だった者としてこの映画を見た感想を書こうと思う。

 この映画は、映画としての面白みを多少犠牲にしてまで、実話に徹底的に忠実に作られている。だから日本のメディア関係者にとっても参考になる部分がたくさんあるはずだ。

 その1つに、スティーブンがジャーナリスト学校の後輩たちに自分の仕事を説明する中で、記者の書いたものがどのようにチェックされて記事になるのか説明する部分がある。

 「記者が書いた原稿は、まずシニアエディターがチェックし、次にチェック係(恐らく校閲のこと)と弁護士が、記事が事実であるかどうか、問題になりそうなところはないか、世の中のデータベースや過去の記事、法律的見解などを元にチェックする。それをレイアウトし、プリントすると、さらにチェック係、そして弁護士によるチェックが繰り返される。もちろん、編集長もチェックする。こうして2重3重の厳重なチェックを通って記事になるのだ」
 「だけれども、こうした体制ではチェックしきれないこともある。それは例えばデータベースに載っていない小さな企業の存在、市井の庶民の声などだ。これらは記者の取材ノート以外に事実確認のしようがない」

 日本の新聞や雑誌で、上のような校閲体制を敷いているところは、恐らくどこにもない。米国では、ある程度まともなメディアは、少なくとも法務チェックは当然のように仕組みとして持っているし、大手の雑誌ではそれに加えて記者からあらゆる取材メモ、テープ、写真等を提出させて記事との整合性をチェックする体制を持っている。「記者の出す生原稿に対する信頼の置き方」は、日本の方がはるかに高い。

 なぜこうした差が生まれるのか。その理由もこの映画の中に描かれている。主人公スティーブンが吐く言葉でも分かるように、米国ではジャーナリストという職業は、各誌が抱える一部の看板コラムニストや編集長を除き、基本的に専門学校を出たばかりの、低賃金でこき使われる若いリポーターのことを指す。「大統領専用機に唯一積み込まれている雑誌」ほどのステータスのある「ニュー・リパブリック」誌のスタッフの平均年齢は、なんと26歳である。

 彼らはそういう下積みを経て取材力や文章力を認められると、やがて署名で記事を書けるコラムニストになる。つまり、若手のリポーターをアゴでこき使う立場になる。そうなれないと悟った奴は傍らで勉強して、弁護士やアナリストや政治家といった職業に移っていく(スティーブンもニュー・リパブリックをクビになった後、弁護士に転身している)。

 そういうわけだから、専門学校出たての若造が書く記事なんてそれ単体では絶対に信用されない。で、校閲やら法務やらがよってたかって信頼性を検証し手を加えて、初めて1本の記事になる。だから、ねつ造記事が出るということは、米国の場合、書いた記者1人をクビにすればおしまいというわけではなく、とりもなおさずそのメディアの記事検証体制の質が問われるわけだ。

 ところがニュー・リパブリック誌の事件の後になっても、ワシントンポストやニューヨークタイムズの記者による記事のねつ造が次々と発覚した。しかもねつ造された記事が何十本と掲載された後に、である。2003年にニューヨークタイムズでのねつ造記事が発覚してクビになったジェイソン・ブレア記者の事件(こちら)を見ても、この手の事件の根っこにある米国のジャーナリズムの信頼性問題は全く解決していないように見える。

 もちろん、根本的な背景として「記者の功名心」とか「(支局などを閉鎖して事件が起きたときだけ遊軍記者を派遣して記事を書かせる)パラシュート・ジャーナリズム」などの問題はあるのだけれど、面白い記事を書きたいという気持ちは良い記者に共通のことだし、すべてのメディアが事件の起こる場所にあらかじめ常に人を張り付けておけるわけもない。そんなことを言い始めたら、あらゆるメディアで誤報の可能性は常に防げないということになってしまう。

 で、問題は映画の中でスティーブンが語っている「社会ネタの中には、取材ノート以外にその真偽をチェックできない事実がたくさん書かれている」ということなのだ。

 では日本のマスコミはなぜ記事内容のチェック体制をほとんど持たないにも関わらず、これほどの誤報を連発する記者が現れない(正確に言えば「これまで現れなかった」)のか?

 僕が思うに、それはこれまで「給料の高さ」が原因だとされてきたのだと思う。30歳そこそこで年収1000万円を凌駕する大手マスコミの給料は、下手なでっち上げ記事を書いてその嘘をとがめられた時に彼が失う金銭的利得をすさまじいまでの金額につり上げる。だからあからさまな嘘記事は出ないのだ、と。

 まあ、これに加えて米国とは違う日本のマスコミという職業の社会的信用の高さもあっただろうね。終身雇用制で、いったん大企業をクビになるとほぼ同レベルの社会的信用のある立場に復帰するのがほぼ不可能とされていた時代、誰もそんなリスクは負わなかった。

 だけれど、そろそろ日本でもそうした「機会損失の大きさ」だけを理由に商業メディアの信頼性が維持され得た時代も終わろうとしている。1つには、一昔前の「官僚」と同様、ジャーナリズムに対しても人権侵害を繰り返し好き勝手に振る舞う、汚わしくてずるい人間というイメージが世の中に広まってきていること。ネットで流行っている「マスゴミ」という言葉がそれを象徴している。また、多くのマスコミで従業員の給与水準が下がり始めた。

 またこちらのブログに出ているように、インターネットが既存のジャーナリズムのでっち上げを暴くようになって、実は日本のマスコミの記事も嘘だらけ、他媒体からの無断引用だらけだったということがばれつつあることもその一因だろう。

 映画「ニュースの天才」でも描かれているように、日本でも一般の読者の興味は硬派な政治・経済の話から、面白おかしい身近な社会ネタにどんどん移ってきているのが現実だ。しかし、身近な社会ネタほど今の日本の新聞・雑誌の記者が不得意とするところもない。なぜかと言えば、これまで主なニュースソースが中央省庁や都道府県、市町村などの記者クラブや広報部のしっかりしている大企業ばかりで、「一般社会」との接点が一般人に比べてずっと少ない、というのが“一般のマスコミ人”の実態だからだ(笑)。

 そこで「もっと面白い社会ネタを出せ」と会社に言われれば、これはもうネタをでっち上げて出すしかない。ま、今の日本では幸か不幸か、新聞記者に部数のノルマとか「売り」の圧力が全然かかってないので、そこまで「面白い社会ネタ」が上から要請されることもないのだけれど、毎号売れるかどうかが問われる市販雑誌などでは、実際にもうでっち上げのネタだらけの世界が広がっている。

 例えば「AERA」。自分自身取材したことのある分野の話が記事で載った時に読んで、ああこの雑誌は内容の半分ぐらいがでっち上げなんだと分かった。社会ネタではAERAと双璧をなす「SPA!」に至っては、まさかみんなこれが事実に基づいているなんて思って読んでないよね?ぐらいの勢いでネタだらけである(笑)。え、もしかしてあなた、あれが全部事実だと思って読んでました?それ、メディアリテラシー足りなさすぎですよ。

 まあ、それがよほど政治・経済において大きな意味を持つものでない限り、面白おかしい社会ネタは多少脚色やフィクションが入っていてもいい、と僕は思う。だが社会ネタの取材・執筆の手法と、大企業や政府批判記事のそれとが混同されたら、非常に大きな問題になる。

 スティーブンの取材・執筆手法は、それが「SPA!」である限りあまり問題にはならないのだが、媒体がニュー・リパブリックなどという大変な権威のある雑誌だったから問題になったのだ。実際、映画の中で彼は他の雑誌のアルバイト原稿をたくさん書いていたこともに示されている。本物のスティーブン・グラスは、恐らく媒体によって原稿の信頼度を使い分けるということができず、自分の執筆スタイルがどこでも通用すると思いこんでしまった部分もあったのだろう。

 僕も以前は「日本のマスコミも、米国並みに記事内容に対するチェック体制を厳しくすべきだ」と思ったりしたこともあったが、これっていうのは製造業において「品質を上げるために、生産ラインの一番後ろの品質チェック係のさらに後ろに品質チェック係の品質チェック係をつけました」といって胸を張るのと同じぐらい意味のない議論だと思い直した。

 ではどうすればいいのかということなんだが、もちろん人物名や企業名など最低限のチェック体制は当然のこととしても、結局のところ「面白おかしい記事、世間をあっと驚かせる記事を書く」ことよりも、「裏のとれない話に基づいた記事を書かない」ことを記者の評価のプライオリティにおいて常に優先にする、という以外の方法はない気がする。これ以上品質検査体制にコストをかけても、おそらくそれは今の記者の給料を切り下げる程度ではカバーしきれないだろうと思うからだ。

 逆に言えば、マスコミの記事の品質の問題というのは、記者にジャーナリストとしての分別を持つことに対するプライドを持たせ、でっち上げを決して許さないという鉄の掟を現場に徹底できるかどうかという、マネジメントの品質の問題にほかならないのであって、官僚の給料の問題と同じように「これ以上給料を下げると正確な記事を書くというモチベーションが保てない」とか、そういう類いの話ではないのである。

 スティーブン・グラスのねつ造記事が書かれた当時のニュー・リパブリック編集長だったマイケル・ケリー(故人)は、この映画脚本執筆のためのインタビューに全面協力し、「グラスの不正を容認する結果を招いた自分の行為に対し、決して心の重荷を下ろすことはなかった」と、プロダクションノートでビリー・レイ監督が述べている。でっち上げ記事を書いた記者の出たマスコミは、社長以下その記者の上にいたマネジメント全員がクビを差し出すのが正しい対処方法であって、その覚悟がない人間がマスメディア企業のマネジメントなんかできないよというのが、この映画を見て思ったことだ。

 …とか何とか言いつつ、六本木ヒルズのTOHOシネマズで上映開始前に隣に座ったボブのカワイイ女の子が物欲しそうに僕の手元を眺めていたのに気が付いていたくせに、キャラメルポップコーンをさりげなく差し出しシェアを申し出て会話に入れなかった僕は負け組 orz

12:24 午後 メディアとネット コメント (4) トラックバック (7)

2004/12/23

おいしいローストビーフの作り方

ローストビーフ 今日は本当はブログ定休日(笑)なのですが、クリスマス前ですし、少しプライベートな話をしますか。

 我が家では、クリスマスには毎年僕がローストビーフを焼きます。普通クリスマスのメニューと言えば、ローストターキーだったりチキンだったりするんだろうけれど、うちのカミサンは鶏肉系が嫌いなので、我が家ではこれが定番になりました。毎年だいたい1.5kgぐらい焼くのですが、家族と夫婦それぞれの親にも差し入れたりして、クリスマス明けにはすっかりなくなってしまいます。今日は、ちょっと我が家流の作り方をご紹介。

 まず都会に住んでいる人は、これだけの大きさの肉をどうやって確保するのか?というところから迷うでしょうね。僕の場合、近所の食品スーパーで3~4日前に精肉部門の人を呼び、「○日に取りに来るから、1.5kgの牛ロース肉のかたまりを用意しておいて」とお願いします。スーパーはたいてい2日前までに精肉の発注をするので、それまでに注文しておかないと当日いきなり行って「かたまり肉をくれ」と言っても、もらえません。ま、これは普通の肉屋さんに行ったって同じことですが。

 毎年、肉は米国産のすき焼き用ロース肉を使っていました。和牛は脂が多すぎてあまりおいしくないです。でも今年は米国産が手に入らないので、仕方なく豪州産のものを注文。100グラム238円と、まあそこそこかな。肉代は締めて3700円。家族6~7人が数日間たっぷり楽しめることを考えれば、大した値段ではありません。

 肉を買ってきたら、それをたこ糸で縛ります。そんなにきつく縛る必要はなくて、形が崩れない程度にささっと巻く感じで。それから、塩と粗挽きこしょうをたっぷりすり込みます。できればローズマリーもちょっとすり込んだらおいしくなります。

 塩こしょうをすり込んだ肉を置いておき、次に香味野菜を切ります。たまねぎは薄切り。セロリ、にんじん、ピーマン、パセリはぶつ切り。セロリは葉っぱの部分もざく切りにして使います。ニンニクは2~3個を包丁の腹でつぶし、しょうがは薄切りを4~5枚ほど。その間にオーブンを170~180度に予熱しておきます。

 なるたけ大きな鉄のフライパン(中華鍋でもいい)に、サラダ油をひいて強火で熱します。縛った肉をフライパンの上に乗せ、転がしながら表面に焼き色をつけます。カリカリにならなくても、そこそこ生肉の色が見えなくなったらそれで十分。筒状に縛ったお肉の上下の断面のところを、最後にフライパンに当てて焼き色を付けて、おしまい。

 焼いたらすぐに加熱しておいたオーブン皿(金属製)に薄切りたまねぎを敷きつめ、その上に焼いた肉を置きます。すかさず回りにざく切りにした野菜を盛り上げて並べ、オーブンに放り込みます。

 そして、最大のポイントがここ。オーブンの温度です。よく「200度」とか書いてある料理本を見かけますが、200度で焼くと肉の中まで完全に火が通ってしまい、高級レストランで出てくるような、中がきれいな赤色のローストビーフになりません。ま、赤い肉汁のしたたるお肉が嫌いという人はそれでもいいですが、やっぱりローストビーフといえば、あの生っぽそうでちゃんと熱は通っているという、きれいな赤色のお肉ですよね。

 この意見に同意して下さる方は、オーブンの温度を「170度」にして40分~1時間加熱して下さい。これより小さい肉だと、もう少し短い時間でもいいかも。途中、一回だけ肉をひっくり返すとなお良いです。

焼き上がりました!
 焼き上がったら「やったー」とか言ってぼーっとしていてはいけません。すぐに取り出し、アルミホイルで厳重に包み、皿の上に乗せて常温で放置します。熱をきちんと肉全体に行き渡らせ、肉汁を安定させるためです。これをやらないと、引き締まったおいしいローストビーフになりませんので注意。

 ちなみに、ホイルで包んだ肉を置いた皿には、肉汁がたまります。オーブン皿の香味野菜に赤ワインを少しかけて皿にこびりついた肉汁ごと鍋に移し、肉を置いた皿にたまった肉汁と混ぜて、少し煮立てます。煮立ったら香味野菜のくずを濾して捨て、煮汁にコンソメスープと塩こしょうを入れて調味し、最後に水で溶いたコーンスターチを入れてとろみをつけ、グレービーソースの出来上がり。肉はある程度冷めてからホイルを取ってたこ糸をほどき、薄切りにしてグレービーソース、ホースラディッシュなどをつけて食べます。

 ローストビーフは、オーブンの温度さえ間違えなければ結構簡単にできるのですが、家族からは「お父さんすご~い!」と、感嘆のまなざしで見てもらえるので、おすすめの料理。家族の分だけなら1kg弱でも十分かな。皆さんのクリスマスの食卓にもいかがですか。

12:33 午後 グルメ・クッキング コメント (12) トラックバック (14)

2004/12/22

「ニート」「ヲタ」で怒濤のアクセスとTBが押し寄せている件について

 なんだかここ数日ニート、ヲタク関連であちこちからトラックバックとアクセスが押し寄せているわけですが。いや、それでもまだ隊長のとこに比べると日当たりPVなんか20分の1ですしアレなんですが。

 僕も忙しい中、こちらにいただくTBとコメントまでは何とかまだ全部目を通してますけど、隊長のとこのコメントとか1000に届く勢いですし、語ってるブログの数は無数ですし、もう論点整理のBuffer Overflow、パニック状態です。いやもうこんな全日本的ストリームなディベートのど真ん中ににうかつにTNT級のよく萌える燃料投下した僕が悪うござんした。ゴメンナサイ。でも一応発言の主として、せっぱ詰まった仕事も横に置いて、少し言い訳します。

 以前のエントリで僕は「ニートとはカジテツの言い換えだ」「人間関係からの撤退という意味で、ニートも非モテ(負け犬、オタク)も同根だ」という話を述べている。このあたりは、何度もリンクしているLoveless zeroさんのサイトでのマッピングやまとめでも既述の話。あちこちのブログを見ていて思った問題は、この負け犬、ヲタク、ニートといった「撤退系」人種に対してどういうスタンスを取るのかということになるのかなと。

 で、僕を武闘派呼ばわりしたid:ajiyoshi氏が、ニートに関する各論者のスタンスを2ちゃんねる型樹形図で分類してくれた。すんばらしい。で、少し僕なりに手を加え、関連ブログへのリンクなども作ってみた。

ほっとこうよ派
 ├どうでもいいんじゃない派(中立派)
 │ ├多様化の苦悩を味わえ派(怨念フェミニズム派)
 │ │ →野菜
 │ │
 │ └三国人のほうが問題だよ派(嫌中韓派)
 │
 ├ニューエコノミーだよ派(楽観派)
 │ ├どうせ働かざるを得なくなったら働くよ派(成り行き派)
 │ │ →おやじまん氏、Colorful
 │ │
 │ ├家事手伝い、専業主婦だってニートだよ派(発想の転換派)
 │ │ →R30のこちら
 │ │
 │ ├働かないなんて最高だよ派(裏社会ユートピア派)
 │ │ →うぐいしゅ氏、おおひらしんすけ
 │ │
 │ └むしろ消費力に注目しようよ派(マーケティング派)
 │   →CMプランナー
 │
 └死ぬまで治らないよ派(悲観派)
   ├自己責任だよ派(リヴァイアサン派)
   │ →いい国作ろう!怒りのブログ
   │
   └働くと雇用環境が悪化するよ派(新古典経済学派)
     →ひろゆき@社長日記

なんとかしようよ派
 ├このままじゃ俺らも困るよ派(自己中心派)
 │    ├治安が悪化して困るよ派(ブルジョア派)
 │    │ →団藤@ブログ時評
 │    │
 │    └税金/年金払えよ派(サラリーマン派)
 │      →G3@大牟田からのつぶやき
 │
 ├社会が悪いよ派
 │  ├ニートが革命をおこすよ派(革命的マルクス主義派)
 │  │ →radionova
 │  │
 │  ├親と政府はなんとかしろ派(社会システム派)
 │  │  ├大人はちゃんと説明しろ派(アカウンタビリティ派)
 │  │  │ →東78系統
 │  │  │
 │  │  ├逆扶養控除だゴルア派(現在制裁派)
 │  │  │ →R30のこちら
 │  │  │
 │  │  ├相続税引き上げろ派(将来制裁派)
 │  │  │ →東京Kitty
 │  │  │
 │  │  └ゆとり教育の弊害だよ派(アンチ文科省派)
 │  │    ├教育勅語復活しろよ派(尊皇攘夷派)
 │  │    │
 │  │    └自衛隊にいれてしまえ派(イラク派兵タカ派)
 │  │      →武部勤・自民党幹事長
 │  │
 │  └企業が悪いよ派(修正資本主義派)
 │    →余丁町散人
 │
 └本人が悪いよ派
    ├他人のために生きてみろよ派(人情派)
    │ →切込隊長
    │
    ├対話力をつけようよ派(コミュニケーション派)
    │ →並河教授@一日一喝
    │
    ├若者が国を支えずしてどうする派(隠居老人派)
    │ →糸山英太郎
    │
    ├親がいなくなったらどうすんだよ派(施設説教派)
    │
    └世の中はやりたくないことだらけだよ派(苦行派)
      →チヤイム

むしろ俺ニートだよ派
 ├自分探し派
 │  ├社蓄なんて嫌だよ派(モラトリアム派)
 │  │
 │  └願望と現実の不一致派(青い鳥派)
 │
 ├ひきこもり派
 │  ├対人恐怖症派(メンヘル派)
 │  │
 │  └FFXI楽しいよ派(ネット依存派)
 │
 └働いたら負けかなと思ってる派(過激派)
    └俺は勝ってる派(急進的過激派)
      →ニート君@とくだね(まとめサイト

 ajiyoshi氏の立てた流派で、該当ブログの見つからなかったところは空欄。また、新しい意見が見つかった場合には少し樹形図を変えた。後半の俺ニート系のところは、力尽きて編集しきれなかった。ゴメン。僕のこれまでのエントリにTB打ってきてくれた人、そのTBからさらにリンク&TBしてるところ、まではだいたいこれで網羅したつもり。意見の書かれてないまとめエントリとかは入れていません。

 ま、この図は今回の論にはあまり関係ないっす。実際には皆さん、もっといろいろなニュアンスを込めて文章を書いてらっしゃるので、こんなにざっくり切り分けられるものでも、実はない。ので、単なるエンタテインメントとして面白がって下さいまし。誰かヲタクに関する意見でも類似のものを作ってくれるとなおウレシイ。

 僕の以前のエントリはニート肯定論だったのだけれど、切込隊長にTBしたエントリは否定論だった。オタクについて言えば、閉鎖以前に書いた「電車男」評は結構否定的だったのだけれど、その後に書いたエントリでは肯定的だった。つまり、1つのテーマについて時間をおいて書くエントリで、それぞれかなりスタンスがぶれている。

 どれが本音なの?と聞かれてあえて答えるなら「肯定論」だろうと思う。でも否定論のほうがずっと書きやすいし、大向こう受けする。毒を吐くのってある意味楽だし、読んでる人は(こき下ろされる対象にされた人を除いて)溜飲が下がるからね。

 過度の楽観論は危険だという声ももちろんある。だけど、どうなんだろ。ブログの世界で交わされる言葉がネガティブな話ばかりになるのって、いいことなのか?正直、あまりそうは思わない。両方まざっているべきだろうと思うしね。論争することはそれ自体楽しいけど、本当に自分がその問題にどう対処するかが問われた時の“知恵”となるのは、やっぱり「いろいろな考え方を俯瞰できるだけの情報量」だと思うし。

 で、自分の書いたエントリに関して少しコメント。

 既に理解していただいている方もいるようだけど、「ニートに語る時の立論方法」については、切込隊長の1本目のエントリで彼が立ち止まっていることに対する投げかけで書いたつもりだったのだけれど、2本目のエントリで彼はニートの内面問題に入っていってしまったので、ちょっと肩すかし食ったかなというところ。

 そこに、dalmacijaさんから「思考停止、単純化の偽社会学だ」という批判を受けたので、ちょっと脇が甘かったな~と反省した次第。このレベルの話で解決する“問題”ではないと思ったからこそ、最初の「ニートってカジテツだよね、よく考えたら」っていうエントリを書いたのだった。

 言葉の切り返しによって“問題”そのものの所在を変えてしまうのが、ニートという“問題”に対しては一番いいのではないかという思いは、今でも変わってない。ただ、その手法はマクロ経済上の労働人口減少という課題に対しては何ら解決策を提示してはいないことには変わりない。

 あえて言うなら、今さら女性を家庭に押し込めるといった時代錯誤な政策が成り立たない以上、多少少子化が進むことも覚悟の上で男女間の社会的役割を交換することも認めたらいいんじゃないのか、という程度かな。その意味で「怨念フェミニズム」と名付けたが、野菜さんの考えに多少近いかもしれない。

 次に、ヲタクについて。この議論についてはぎょろぐさんの猛烈な突っ込みエントリが、「萌えヲタ」という僕の言葉の定義やら調査サンプル数の少なさやらの問題をすべて丹念に指摘してくれていて、それを読んでもらえれば十分かと思う。この件については、「コミケ3日目の一般入場ゲートの開場の瞬間を見てみ。ハナシはそれからだ」とみゆさんのブログで断罪されているので、見たことない僕はやはり白旗上げるしかないかな、と。

 1つだけ、この界隈の話で非常に興味を持ったのが、ぎょろぐさん他の方々が一様に指摘している、単なる謙遜ではなく、強烈な自我の防衛意識の表れとしてコミュニケーションから退行するというヲタクの生き方だ。実際のニートも「働けない」という表層の裏に「本当の俺はこんな惨めな働き方はしてないはず」という自我があって労働から退行しちゃうという側面が、かなり強いのも事実なんだろうね。

 こういう「積極的退却系」の自我意識というのがどこから出てくるのかについて、実は以前にこんなエントリも書いたことがある。前半部分にあるように、マスコミがいろいろなバラ色の可能性のイメージを垂れ流すことで、人間は「現実原則(Reality Principle)ではなく執行原則(Exective Principle)として環境を理解し、『断念する苦痛に耐える心』(フロイト)」をなくすのだよ、という話。

 この話から思いついた、僕が有効ではないかと考える「積極的退却系」の生まれるのを抑止する方法が、テレビも電話もないアジアのど田舎とか無人島とかに、中高校生ぐらいの子どもを数ヶ月くらい放り込んで生活させるというものだ。チヤイム氏の「やりたくないことだけを無理矢理やらせる」という、自我崩壊ぎりぎりの手段もあるとは思うが、それをもう少しポジティブに実現する方法がないものか。

 そんなことを考えて年末の仕事を後回しにしたツケが今後ろからqあwせdrftgyふじこlp;

03:24 午後 経済・政治・国際 コメント (8) トラックバック (26)

2004/12/21

他人のブログを読み始めると

 ・・・あああっ、またエントリを書きたくなるっ・・・くぅぅ・・・ここは耐えて・・・耐えるのだっR30ぅっ・・・RSSで見えたからといって・・・すぐに読むんじゃないっっ・・・それより・・・早く仕事・・・仕事をっ!!

02:11 午後 ウェブログ・ココログ関連 コメント (1) トラックバック (3)

ニートを語る時の立論方法

 隊長がニートについて2回も費やして語っている。(「ニート(無業者)に関する考察メモ」、「無業者(ニート)に関して」)主にマクロ、ミクロの経済から問題の所在を理解しようとしている。

 それが不毛とまでは言わないが、もともと「ニート」という言葉を日本に紹介した玄田有史東大教授は労働経済学の専門家であり、従ってニートというターミノロジーももともとは労働経済学の概念だ。だから労働経済学の範疇で考えていても、玄田教授やらろくな政策を立案できない厚生労働省以上のアイデアは出てこない、と僕は思うんだがどうよ。

 実際、玄田教授は最近役所から出る補助金使って重箱の隅をほじくるようなしょーもない統計調査に熱を上げているだけみたいだし、話題になった梅田望夫氏の「ニート」の書評でも、「原因が仮に解明されたところで、その原因を根絶するようなマクロな政策やビジョンが生まれるべくもなく、ニート増大という現実問題の解決には決してつながるまいという諦念」が玄田教授にはあるのだろうと書かれている。

 たぶん隊長のエントリもそのへんの経済分析的なところから入ったものの、気が付いてみたら出口が見えなくて立ち止まってしまった、みたいな感じなのだろう。

 正直言うと、労働経済の分野ではこの問題についてある程度の分析や結論は出ていると僕は思う。その結論めいたものが、まさに隊長が書いているような話だ。つまり:

  • マクロ経済的に見れば、ニートとは「有効求人がないから働けない」のではなく、「働く必要がないから働かない」層である
    • 「働かない」理由は、30過ぎたフリーターを企業が労働力として求めないという「(主に雇用側ニーズの)外形的ミスマッチ」と、高学歴なのに単純労働しか口がないという「(主に就労側ニーズの)内面的ミスマッチ」の2つがある
    • この世代の支出は、主に親世代からの所得移転によって賄われている。団塊世代が退職を迎える今後数年間で、彼らの支出も大幅に減少する可能性が高い
  • 働く口はあるのにあれこれ理由をつけて働かないというニート、またあれこれ理由をつけるような30男をわざわざ雇いたくないという企業が多い以上、この問題の結語は、「個人が求職のハードルを下げて、働く気を起こせ」という精神論でしか落とせなくなる
  • で、じゃあ何で働く気が起きないとか俺は低能かもしれないとか言ってるわけ?働かなかったらいずれ飢え死にだよ?世の中の奴なんてお前らよりずっと低能だよ?そもそも働いてみなきゃ「自分が何であるか」なんてわかんないじゃん…といった、あっちの世界とこっちの世界の会話してそうで噛み合ってない呼びかけ合いで終わる
 といったところかな、これまでの2つのエントリをまとめると。

 資本主義経済的には、「こいつらが働かないのは経済外部性の問題だから、とりあえずそのセグメントが消滅するまで待ちましょう、レッセフェール」という結論になるのは目に見えているし、だからこそ「ニート税」というかたちで経済的に締め上げる以外に何の「太陽的」政策も提言し得ないし、厚労省が「ニート対策費」なんて予算計上するぐらいならそいつら全員自衛隊に入れてしまえ!的などっかの幹事長さんの暴論が暴発するわけだし、そこまで言われる(そして実際にはそんなことできっこない)ことも全部全部分かっていてニート君たちはニートしているわけだ。

 それじゃあんまりだ、と考えて隊長のように精神論あるいはサイコセラピーの議論に入ってしまうと、TBしてきたニート君たちと隊長の間で延々と終わりなき人生相談劇場が展開されるはめに。はぁくだらない。だって隊長のエントリにトラックバックしてきた「めむひぱにげ」氏のこのブログだけ読んでも、彼らニートがほぼ確信犯的に日本社会にフリーライドしていることは明らかなんだから。分かっていてフリーライドしている人たちに「いいかい、フリーライドってのはしちゃいけないんだよぉ」なんて説教垂れたって無駄だっつーの。

 経済的に言えること、それは「フリーライドの余地をなくせ」ということだけだよ。こと、働くということに関しては結婚とは違って、明らかに国民経済上の「義務」と言えるわけだからさ。で、見回してみるとニートなんかよりもっとすごいフリーライドしている奴らがいるじゃん。カジテツとか主婦とか(笑)。で、そいつらの存在を認めるの?認めないの?認めるならどこまでを許容するの?ということが、今政策の現場では問われているわけですよ。

 逆にサイコセラピーの切り口から入るのなら、彼らを責める前にまずその「不就労」に経済的・心理的な容認を与えてしまってる彼らの親世代をあげつらえよな、と僕は思う。以前のエントリでも指摘したように、ニートが何もせずに家にいられる理由というのは、親世代が単に経済的に彼らの居候を許しているというだけではなくて、意識的・無意識的に職業の貴賤観を子どもに植え付け、ホワイトカラーの家系からブルーカラー労働者が出ることを言外に否定して「そこまでして働かなくても…」とか言っているからなのだよ。

 大卒で物流センターの作業員やって何が悪いの?はっきり言って今時の最先端の物流センターの作業なんて、国公立トップクラスの学生にやらせたって作業効率50%にもならないよ。あれってすごい専門職なんだから。大卒エリートだからって日本の製造業やカンバン方式導入した現場に行ったら、ただの役立たずなんだからさあ。

 役人だの大企業のホワイトカラーだのなんて、物流センターのパートさんに比べれば、ホントに何もしてねえんだから実際。お前らエリートだかなんだかしらねえけど、セブンイレブンのバイトとか佐川のセールスドライバーででも一度働いて見ろボケ。そしたら、この世の中を本当は誰が支えてるかが分かるんだよ。

 というような言葉を、「俺はこんなダメ人間のはずじゃなかったのに…」ってうじうじしながら自宅でゲームに高じてるニート君の頭から浴びせかけてやったほうがいいように思うんだよね。それも隊長じゃなくて、もっと身近な人たち、ありていに言えばそいつの親がさ。

 何が問題なのかって、身近にいる奴にそういう厳しい世間の掟を誰も言わなくなった日本の社会全体がダメダメなんだろということでファイナル・アンサー。ん…やっぱりそうすると「子どもを家から叩き出せないダメ親税」というので経済的に締め上げる+国家財政に寄与するというのが、やっぱり一番いい解決方法かもね。

(12:40追記)
id:dalmacijaさんから厳しい、しかも完全に正鵠を射た批判をいただいた。ご指摘の通り、このエントリは実は僕の本音からわざとずらした「レトリック」です。その言い訳は、dalmacijaさんのエントリへのコメントという形で述べさせていただいたので、そちらもぜひお読み下さい。

10:35 午前 経済・政治・国際 コメント (9) トラックバック (19)

2004/12/20

2004年日本のアルファブロガー投票

 FPNニュースコミュニティーで、2004年の日本のアルファブロガーを探せ!という投票企画が始まった。要はビジネスのヒントになる、ビジネスパーソンにとって要チェックなブログをリストアップしようぜ、というもの。

 この企画の裏側には、切込隊長のエントリ「Blog of the Yeah! 2004が結局なかった件について」でも語られているような事情があるのだろうと思う。アクセス数の多いブログ、という基準だけで人気ブログを選ぶと、芸能や下ネタなどの大量に詰まったエンタメ系なニュースブログか、ネット技術の動向ウオッチ系ブログが上位に来てしまい、ほぼ顔ぶれが固まってしまう。しかも本当の意味でビジネスに役立つブログというのがあまり入ってこない。

 FPNニュースコミュニティーの今回の企画の意図も、そのへんの問題意識があると思うのだが、やっぱりそのためには論壇系ブログでまじめな論争をあちこちで引き起こさないとダメだろう。

 年末にかけて、いずれも切込隊長がらみで勃発したネット・ジャーナリズム論、キムタケ銀行告発問題は、ブログやネットメディアに関する様々な考察を可能にした。あの2つの論争にTBを打って果敢に参戦してきたブログの中には、専門家的知見をきちんとまとめて積み上げているものや、独自の切り口をもったものがかなりあった。2つの論争は、そういうブログが「発掘」されるきっかけになったという意味で、大きな意味があったと思う。

 だが、それでもそれらの見識を備えたブログが「アルファブログ」と呼べるものになるかどうか、質、量ともに米国に比べて全然小さい日本のブログ界隈では、まぜ判断できないような気がする。今年下半期ぐらいで、ようやくアルファブログの候補が芽生え始めたというところではないだろうか。

 この芽を大きく育てられるかどうかは、恐らく読者の側の適切なリアクションが大きく関わってくるのではないかと思っている。「このブログは参考になることもあるけどときどき見方が偏っている」とか、「このブログはニュースの羅列ばかりでアイデアが見えないのでつまらない」とか、いろいろと言いたいことを言うべきだ。ブログの筆者がそれを受け容れるかどうかは別だが、発言することでブログの世界に自分が欲しいものを実現してやろうと骨を折ってくれる人が出てくるかもしれないのだから。

 というわけで、FPNのアルファブロガー投票企画にはアクティブなブロガーの方々だけでなく、いつもは他人のブログを「ふーん」と感心しながら読んでいるだけの「ROM」な人たちも、自分のブックマークからよくクリックしているブログを3つ選んで、投票してもらいたいと思う。そういう小さな声の積み重なりが、ブログの世界にまた前進を起こすのだと思っている。最後に、ぜひ当サイトにも清き一票を(爆)。嘘です冗談です口が滑りましたゴメンナサイ。

 ちなみに、FPNの企画エントリのトラックバック先、またその人たちが選ぶ「3つのアルファブログ」というのも最高に興味深い。ぜひご一読を。ちなみに僕の投票内容は…秘密です(笑)。

 それから、オタクネタでTB・コメントいただいた方々へ。書くことがあれこれありすぎてまだまとめエントリ書けません。今しばらくお待ち下さい<(_ _;)>

01:03 午後 ウェブログ・ココログ関連 コメント (0) トラックバック (3)

ハンドルネーム、変えました

 昨日、GLOCOMの情報社会学研究会に呼ばれて、行ってきました六本木ヒルズ(の横のビル)。

 ネット・ジャーナリズムをテーマに、論争の渦中の湯川氏と切込隊長がリアルでバトる!という触れ込みに釣られて行ってみたんですが、隊長ついに降臨せず。(´・ω・`) 最近ブログにハッスルしすぎて、年末進行の原稿とうとう書き終わらなかったんスねきっと…とか言ってたら、ダチの家でDVD見てたんかい!ぉぃぉぃ。_| ̄|○||||

 で、集まった議論好きな面々は、主賓の切込隊長不在のままジャーナリズム論に熱くなり、予定の時間を40分以上オーバーしてしゃべりまくりましたよ。ええ、民主主義の行方から業種別ゼニの儲け方まで、業界インサイドのきわどい話が飛び交い、めちゃくちゃ面白かったっす。

 内容については後日GLOCOMでログをネット上にアップするという話ですし、一部きわどすぎて検閲入りそうな部分が多々ありますので、ここでは触れません。ログが出た段階で、またいろいろとコメントしたいと思います。

 ただ、個人的にショックだったのは、参加者の皆さんが、僕のことを「R30」と呼んでくださってたことでしたね。何でショックだったかというと、

  • ハンドルネームで呼ばれるような会合に出たのは初めてだった!!(実はオフ会というものに、今まで参加したことがなかったのです。オフ会デビュー!!)しかも同業者や著名な論客の方々などすごい面々が居並ぶ席上で「R30さんはどう思います?」などと呼ばれるのがすごい違和感(笑)。ああ僕はR30なのか、とアイデンティファイドされてしまったり。

  • 一応プロフィール欄にはshintakkinというハンドルネームを書いてあるんだけど、そっちは誰も呼んでくれなかった。以前のタイトルの時はそっちで表記されることが多かったんですが、タイトルを変更してから誰もプロフィール欄を読まなくなったのかしらん?いや、きっと口にするのが恥ずかしい響きだからだ。間違いない(爆)
 というわけで少々反省(?)し、これからは「R30」を正式なハンドルネームにすることに決め、プロフィール欄やコメントのユーザー名を過去にさかのぼって修正(細かい(笑))。これからは、Google先生に、TBSの番組サイトよりも強く「R30」であることを認知してもらえることを目指してがんばります(意味不明)。

 GLOCOM研究会に関しては、とりあえず今日のところは参加者のうち最も純粋なブロガー(笑)の1人だった本家みかままの覚書がざっくりレビューを書いていらっしゃったのでそちらにリンクを張っておきます。

03:56 午前 メディアとネット コメント (2) トラックバック (4)

2004/12/19

トートロジーに熱くなる

 最近気に入ってよく読んでいる現代思想の内田樹教授のブログのエントリ「困った人たち」を読んで、爆笑した。

 今日はカミサンと出かけていたのだが、家に帰る途中の電車の中でこのエントリを携帯で読んでいて、吹き出してしまった。「どしたの?」とカミサンが聞くので、その部分(エントリの後半部分)を読ませたのだが、「何が面白いの?」という顔をしている。うーん。。。それって落語の地口オチが何で面白いか説明しろって言われているようなもんなんですが。

 落語の本編のほうは内田教授ブログで読んでいただくとして、それがなぜ面白いか、落語のオチの説明にならないようにちょっと語ってみよう。

 要するに内田教授はトートロジー(同語反復)の話をしているんだけれども、教授の言うとおり、世の中の文系の人っていうのは、自分の論じている内容のトートロジーに意外なほど鈍感だよね。という自分も文系なんだが。正直、これは学生に限らないな、と最近思う。

 内田教授がトートロジーの例として挙げているのは、院生の書いたジェンダー論だが、これって最近議論の熱かったジャーナリズム論についても言える。だいたいマスコミの中の人やそれに絡む人たちもみんな文系ばっかりだから、どいつもこいつも定義をすっぽかして印象論であーだこーだ言うばかり。で、まとめてみると「ジャーナリズムとはジャーナリストの述べたテクストである」「ジャーナリストとはジャーナリズムのテクストを書く人である」っていうところがぐるぐると循環していて、不毛なことこの上ない。

 そこで「あなたの言っていることはトートロジーですよ」って言われるのは、ものをしゃべって飯を食っている人間にとってはもっとも恥ずべきことだと僕は思うのだが、大マスコミ人とかに限ってそのあたり、皆さんカエルの面にションベン並みに無反応ですな。「定義が違うから」とか言って無視すればいいとでも思ってるのかしらん。

 なんでこんなことを延々と書いてるかというと、前のエントリにトラックバックくれたyosomiさんのエントリ読んで「おまいらブログに書くぐらいなんだから、もうちょっと論理的に考えろや」と思ったからなんだが。続編エントリしなくていいから、トートロジーを謝りなさい(笑)。

 ま、それはおいといて、でもこういう命題定義のしにくい問題というのは、往々にして議論が混線するもんだから、多くのブログでエントリがいっせいに乱立して熱いTB祭りになりがち。

 それはそれで面白いっちゃあ面白いのだが、だがしかしいったい誰がトートロジーを述べているに過ぎなくて、いったい誰が議論を前に進めたのかといった検証が、すぐにできないのが難点だよな。2ちゃんねるだと、1つのスレの中に論と反論を述べる奴らがあふれる一方、意味の分かりづらいレスを意訳する奴、それを樹形図にまとめて整理する奴などがどんどん現れて論点が明確になるんだけど。ブログはなまじ長ったらしい文章を書き込めるから、そこらへんが難しい。

 論点整理とか状況俯瞰を専門にするブログというのも、ちょこちょこと出てきてはいるが、やはり今のブログの仕組みだと、ネット上のあちこちにあるエントリをすべて読もうと思えば、ブログからブログへトラックバックを1つ1つ追いかけなければならない。しかもトラックバック打たずにリンクだけしているエントリは、第三者からは追い切れない。2ちゃんねるのスレだけを読み通して整理する「まとめサイト」に比べて、ブログ上の論争をまとめる作業は相当荷が重い。

 トートロジーの起きやすいネタが、ブログ上の話題で流行るという傾向ははっきりあるんじゃないかと思うのだが、これって今はブログの勃興期だからみんな熱くなって飽きもせずにつき合っているが、ブログ熱が冷めたらこんな面倒なこと、もう誰もやらなくなるよな。

 そういう「論争整理」のシステムが登場することを、切に願うものである。

02:27 午前 ウェブログ・ココログ関連 コメント (5) トラックバック (5)

2004/12/17

リベラルぶりっ子<萌えヲタの時代

 忘年会に行って来た。

 相手は、会社の同僚のR嬢、S嬢。年齢は少しずつ違うが、3人で大きな仕事をいくつかやった「同志」。年末で辞める