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2004/11/24

人の死を直視するということについて

 大学生の時、とある事情からタイの田舎で出家した経験がある。

 日本では出家というとびっくりされるが、タイでは20歳になった男子は必ず1回は出家することが文化的風習だ。つまりタイ式「成人式」である。キリスト教の広まった最近のバンコクではそうでもないらしいが、基本的に出家したことのない成人男性は「未熟者」と見られる。また、女性にとって人生で最大の功徳(善行をなして徳を積むこと)とは、「息子を出家させること」とされている。

 僕は高校時代にも一度タイにホームステイしていたことがあり、実は出家は日本では決してできない自分のための「成人式」のつもりであると同時に、その時に僕を実の息子同様に可愛がってくれたホストマザーに対する恩返しのつもりもあった。もちろん、彼女は自分の息子が出家するのと同じぐらいに、僕の出家をたいそう喜んでくれた。

 それで、タイで出家するとどんな暮らしをするのかというと、そちらの方面に興味のある人は文化人類学者の青木保の『タイの僧院にて』あたりを読んでもらいたい。簡単に言うと、頭髪を剃り、まゆ毛もひげも剃り、茶色の布1枚だけを身体に巻き付け、食事は午前中に2回だけ、早朝に重い鉄の鉢を持って村を托鉢して回り、帰ってきたら読経してそれを食べ、午後は読書や勉学でじっとして過ごす。時々、村のそこかしこで行われる冠婚葬祭(文字通り結婚式やお葬式、あるいは家の上棟式とか病人の治癒祈願とか)に呼ばれてお経を上げたりする。

 一般人はこれをだいたい短くて2カ月ぐらい、長ければ半年とか1年とかやってから「還俗」、つまり一般人に戻る。戻る時期は自分で決める。嫌で嫌でしょうがないという人はあまりいないが、たいていは仕事やらいろいろ用事があるのでしょうがなく戻る。でも仏門の生活が気に入った人はそのまま一生僧侶で居続けることもある。

 僕は日本の大学2年生の夏休みをフルに活用したので、7月に期末テストが終わってすぐにタイに行き出家して、9月の半ばに還俗して戻ってきた。3日ならぬ“2カ月坊主”である。

 食事が午前中だけというのは、僧侶はそれほど身体を動かさないし、慣れるとどうってこともない。有名な「女性に触ってはいけない」とかの禁忌も別に大した問題ではなかったのだが、一番辛かったのは早朝の托鉢だった。

 托鉢は、10kg近くある鉄のお鉢を抱えて、素足で歩いて村の集落を回る。距離は1時間で帰ってくるぐらいだから、だいたい3~4kmぐらいか。タイの田舎は幹線道路しか舗装されていないから、家の前の小道とかはほとんど砂利道だ。そこを素足で歩かなければならないのだ。

 しかも、手に持っているお鉢にはご飯やおかずなどの食べ物がどんどん放り込まれるので、どんどん重くなる。するとますます足の裏が痛くなる。他の僧侶は慣れているのか、皆平然とした顔だったが、僕は苦痛に歪んだ顔をしていたはずだ。あの時ほど日本人に生まれ育った自分を恨んだこともない。

 さて、毎朝しかめっ面で村々を歩いて回っていたある日の午後、先輩の僧侶が「病人の治癒祈願に行くからついてこい」と言った。特に用事もなかった僕は数人の僧侶仲間と一緒に先輩の後をついて行ったところ、彼が入っていったのは僕の高校時代に同じ学校にいた、同級生の家だった。

 家族や医者に囲まれて横たわっていたのは、まさにその同級生だった。彼とは高校の時以来会っていなかったが、当時一緒にサッカーやバスケットなどしたこともあり、元気な頃の彼の姿をはっきり覚えていた。内臓が悪いのか、やせ細って顔が黄褐色に変色し、目をつぶったまま不自然な荒い呼吸を繰り返す彼の変わり果てた姿を見て、唖然とした。

 といっても僕にはどうすることもできない。ろくな医療機関もないその村の自宅に寝かされていること自体、彼が大した医者にもかかれずにここまでなってしまったことを示していた。家族と先輩僧侶の会話をちらりと耳にした範囲では、彼の命ももう長くはないようだった。僕を含む僧侶たちは15分ほど治癒を祈願するお経を上げてその家をあとにした。

 1週間ほど経った頃、僕の出家していた寺で葬式が行われた。「仏様」は、あの同級生だった。雲一つなく晴れて輝く太陽の下で、蓮の花で飾られた棺の前で僕らがお経を上げ、香が焚かれ、やがて棺は火葬場の中に入っていった。おそらく闘病期間が長かったのかもしれない。母親は涙ぐんでいたものの、彼の親族は皆割と平然とした様子で、静かに葬式に参列していた。

 その時、ふいに僕は目頭が熱くなった。高校の時に少し知り合いだっただけの彼の死に、どうしてだか分からなかったが、何かが胸の中からこみ上げてきた。すると、目を押さえた僕の様子に気づいた先輩僧侶が僕に向かって静かに諭すように言った。

 「僧侶なら、泣いてはいけない。死は誰にでも訪れる。だから彼の死をただじっと見つめなさい。そして泣くのは止めなさい」

 それからしばらく、僕は夜眠ろうとすると、頭の中を虹色の光がぐるぐると飛び交って眠れなくなる日が続いた。光は日をおうごとに少しずつ増えていくようだった。僕の心を邪魔しに来ているような感じだった。毎晩寝つかれなかったが、翌朝早くからまた起きなければならない。何とかして眠ろうと、一生懸命他のことを考えたりしようとした。でも眠れなかった。

 ある夜、光があまりにもすごい勢いで渦巻きはじめた。どうしてこんなことになるのか分からなくて、無我夢中で先輩僧侶の部屋に行って「助けて下さい」と叫んだ。でも先輩は出てこない。気が狂いそうになり、思わず毎日唱えているお経を唱えた。すると、それまで毎日唱えていたのに何の「御利益」もなかったサンスクリット語の経の言葉が、突然意識の中にすーっと吸い込まれて、そして虹色の光の渦は音もなく消えた。心の中には、真っ暗な静寂が広がっているだけだった。その瞬間、先輩僧侶に言われた言葉の1つひとつが、とても自然に思えるようになった。

 これは、たぶん「宗教的体験」と言われるものなんだろうと思っている。だから同じことを他人が体験できるとは思わないし、だから他人に上座部仏教への入信を勧めようとかも思わない。

 ただ、1つ思うのは、最近2ちゃんねるあたりで流行しているそうだが、どこぞの殺人動画を見ることが「死を直視する」ことでは、決してないということだ。僕なりに考える「死を直視する」ということの意味は、ある人の死を通じて、それがいつ何時自分であってもおかしくないと思うこと、そして「死は誰にでも訪れる」という現実をただじっと見つめて、そこから自分の生きる意味を考えるということである。もっと言えば、メディアを通したのではない、目の前のナマの死を見て、それと自分を対比することだ。

 例えば、卑近な話で言うと「もし今あなたが何でも3つ夢を叶えられるとしたら、何を望みますか?」という質問に対して「何も望まない」と答えることだと、カッコつけでも何でもなく、僕はそう思う。女性だと「美貌、男、カネ」とか望むのが定石だそうだが、別に僕は「カネ、カネ、カネ」とか「女、女、女」と唱えようとか全然思わない。カネ、容姿、男(女)、そういったものは自分に死が訪れる時のことを直視すれば、どれも空しいからだ。

 この程度で悟ったなどと言うつもりは全然ない。けれど「死を直視する」という言葉の深い意味を、いい年した大人がきちんと自分の言葉で説明できなくなっている日本って、本当に寒い国だと思う。マーケティングとはまったく関係ないが、そんなことを思う今日この頃だ。まっ、2ちゃんやブログあたりでぐだぐだ言ってるのは20歳以上の大人じゃない、のかもしれませんが。

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コメント

すごく面白かった。映像を見ても認識はできない。ただ、飲酒中の気分と同じにはなれるはず、映像でも。

投稿: 野猫 | 2004/11/26 19:46

読み終わって無意識に涙がでた。
自分が障害を抱え、本気で死のうと考えていた頃を思い出された。
でも今、生きれることに感謝と幸せを感じている。
色即是空。自分の戸惑い、迷い、欲求は全て己の中にあることを気付かされた日を思い出した。
いい経験されてますね。

投稿: tubo | 2004/12/03 14:57

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