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2004/11/15

「ニートになりたい僕たち」への反応の感想

 先週の月曜日にアップしたエントリ「ニートになりたい僕たち」が、何やらものすごい反響を呼んだみたいだ。ちょうどasahi.comに、自分もニートになるんじゃないかと思いながら働いている若者のルポ記事が出たタイミングでもあり、それとセットになってブログ界の人たちなら誰でも知っている超有名ニュースブログに次々とリンクが貼られ、それ以外の個人ブログにもたくさん引用された。

 個人的には少々跳ねた「トンデモ論」を書いたつもりだったのだけれど、引用先のブログを見ると「実は私もニートになりたかった」っていうカミングアウト系、「そう言われれば確かにニートってカジテツのことじゃん」という膝打ち系、「ああ~俺達ってやっぱり割を食う世代なのね」というしょぼーん系など、割と肯定的な反応が多かったです。リンクしてくださった方々、どうもありがとうございます。

 で、コメント欄にも何人かの方からレスいただいた。それに答えるふりをしつつ、もう少し真面目な議論をしてみたいと思う。

 まず、aaさんからいただいたコメント。

インターンシップ行ったが、行ったからといってニートは減らないだろう。彼らはインターンシップ自体行こうとする努力をしないのだから。
 既にニートの人たちはインターンシップとか言っても来ないと思うので同意なんだけど、僕が議論していたのは中高生のインターンシップの話で、基本的に強制参加みたいなものの話だから、aaさんのご指摘はちょっと論理がずれている気がする。

 僕の考えるインターンシップがニート対策にならない理由は、まずニート増加の最大の原因が「親が就職を勧めない」ことにあるからだ。このあたりの話は、前回のエントリでも引用したNHKのクロ現を批判する余丁町散人先生のブログあたりが詳しいのでそちらをどうぞ。

 今の20~30代のニート急増は、その親である団塊世代の意識、さらに若い世代特有の、労働をめぐる男女の役割の変化などにあるのであって、そうした社会環境を無視してニート予備軍をむりやりインターンシップにかり出したところで、それほど状況は変わらないと思う。むしろきちんとした方向付け(オリエンテーション)をしないでただ未熟な彼らを労働現場に放り込むだけでは、むしろ「ああ、俺ってこんなに役立たずなんだ」と学生に思わせ、働くことに対する後ろ向きなインパクトを与えて逆にニートを増やしかねないとも言える。

 中高生や大学生のインターンシップを否定するわけじゃないが、それぞれの年齢ごとに「働く現場」を見せることの意味は違うと。ここでは詳しくは述べないが、「ニート対策=インターンシップ」というのは、何やら職業教育のステップというのを踏まえない浅はかな議論のような気がしてしょうがない。

 次、杢さんとjust another neetさんのコメント、

きつい言い方するけど、家事は遊びみたいなもん、主婦はニートみたいなもん、と思っているのは家事をした事のない証拠だし、主夫には向いてないと思うよ。(杢さん)
専業主夫に向いてるとか向いてないとかの話じゃなくて、そもそもそういう適性があるかどうか挑戦して試してみる機会がないって話じゃないですかね。(just another neetさん)

という件。なんていうか、ここには触れてもらいたくなかったというか、この話を考え始めると迷宮に入るんだわ(笑)。ニートを「男カジテツ」って読み替えた瞬間に「それじゃあ家事は価値ある労働じゃないのか」という、これまた僕にとってはアンタッチャブルな議論になってしまうのが半分ぐらい分かってたので。

 これについては、もう何十回もいろいろな文章を書いては消し、消しては書きを繰り返しているが、他人に読ませられるほどのものが書けないでいる。今回も悪戦苦闘してみたがダメだった。

 一言だけ言うとすれば、「ニートになりたい~」で僕は、「男=仕事するべき存在」という日本社会の共同幻想を批判したかった。そのためにあえてああいう書き方をしたのだ。一方で杢さんの書いているような「実は専業主夫は専業主婦より楽だ」という実感も知っていて、男と女に「交換不可能な部分」が存在することについて悩んでいたりもする。要するに、既存の価値観批判以上の「これ」というアイデアが(ぼんやりとしたものなら、ないこともないんだけど)、明確には「ない」のである。

 なので、この議論については、もう少し考えを練ってからまた改めて書きつづりたい。お返事になってないようですみません。

 このほかにも、いろいろと参考になるサイトからのリンクがあった。特に、ニートについての様々な議論は、loveless zeroというブログの11/13のニュースメモが非常によくまとめられているので、さらに多角的に考えたいっていう人はそちらをご訪問いただければ。

 このサイトに大変面白いコラムがあった。ひきこもりとニートを区別するための「退却マップ」というもので、ニートというとよく引き合いに出される労働政策研究・研修機構副統括研究員の小杉礼子氏の4区分などより、こっちのほうがずっとシンプルかつ実感が湧く。つまり分かりやすい。

 ニートの問題に向き合うことは、「働くとは何か」という質問に根本から答えを出すことと同じだ。ここでは、「働かざる者食うべからず」といった伝統的な価値観に基づく説明は一切の意味を持たない。若い人たちは、大人の教えることと実際の現実とがあまりにも矛盾だらけであることを、既に知っているからだ。

 ゆとり教育で教えられたのは「好きなこと、やりたいことの能力を伸ばせば理想の大人になれる」ということだったが、実際は「日常しなければならないことのうちやりたいことなんて1%もなく、嫌なことも必死でやらなければ自分の食い扶持は稼げない」のが現実である。この矛盾に放り込まれた人にとって、大人の価値観に基づいた「働く意味」の説明なんて笑止でしかない。この感情に向き合わない限り、ニートがいなくなることはあり得ないと僕は思う。

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コメント

 自分の好きな事、やりたい事をするには金が必要です。
ニートではあまり稼げないと思うのですが、
どうやって好きな事、やりたい事を実現するのでしょうか?
 それともそういった事には、あまり執着が無いのでしょうか?

投稿: num_lock | 2004/11/15 14:05

昔は、「うおーまだはたらきたくねーなあ」
という人は、「大学院」
という魅力的な道がありましたねー。
(自分もあこがれたクチ)


英語と第二外国語ができる人と大学院生、
できないとNEETですかね。

投稿: いとー | 2004/11/15 19:11

コメントどうもです>num lockさん、いとーさん

まず、num lockさんへのお返事。
ニートには、少なくとも現時点では労働を強制されるような環境にない、つまり生活水準はともかくとしてとにかくカネを稼がなくても食ってはいけるという前提条件があります。だから「ニートは稼げないがそれでもいいのか」は、たぶんナンセンスな議論です。

で、num lockさんの提起する問題は「なぜ彼らはそういう恵まれた環境にあるのに『自分のやりたいこと』をやらないのか?」ということですよね。ビンゴ!

僕は、ニートのもう1つの本質的なテーマというのは、これだと思います。つまり「人間とはやりたいこと、達成したいことを常に持たなくてはいけないのか」という問いです。はてなですとhttp://www.hatena.ne.jp/1098023232 あたりにそういう話が書いてありますね。

僕は、これは端的には宗教の領域の問題だと思います。だから、個別の人に対して他人がどうこうしろということは言えません。num lockさんはたぶんご自分のやりたいことがあるのでしょう。「良かったですね、がんばって下さい」。でもそれは今ニートである人たちに対する光明というか、問題解決にはなりません。では、どうすればいいんでしょうかね?

これについては、僕は以前からあるアイデアを温めています。その話を、またそのうち書きます。

いとーさんへ。でも、昔より今のほうが確実に「働かない」選択肢のバリエーションは(院進学も含めて)広がってる気がしますけどね?どうなんでしょうかそのへん。

投稿: R30@管理人 | 2004/11/16 10:21

「人間とはやりたいこと、達成したいことを常に持たなくてはいけないのか」について。

僕も、やりたいことも、没頭する趣味も特にないんですよね。
やりたくないことはいっぱいあるんですが。

やりたくないことから逃れようとしているうちに、
やりたいことが生まれてくる。

これを「現実逃避力」と呼んでいます。


やりたいことが見つからない人には、
やりたくないことを、め一杯やらせてみてみるうちに、
やりたいことが見つかるかも。
(でも、途中で壊れる人も発生する諸刃の剣)

 「働かない」選択肢という意味では、
おっしゃるとおり、資格勉強者も大学院生もフリーターもニートも増えすぎていて、
昔は、働いてないと「ちょっと尖ったヤツ」と羨ましがられてたのに、卑下されるようになっただけかもしれませんね。

投稿: いとー | 2004/11/16 12:42

いとーさんどうも。なんかここに書きこみするの、日課になってません?w

Interesting Pointingですねえ。つまり、社会に出る前の教育の役割とは「やりたいことを見つけさせる」ことと同じかそれ以上に「やりたくないことをやらされるのに耐えられる」能力を身につけさせること、という結論が導かれるかもしれませんね。

それって意外に真実を突いてる気がする…。

投稿: R30@管理人 | 2004/11/17 09:30

なるほど、よく分かりました。
目的が無いから手段も必要ないという事ですね。

それで、管理人さんの
>「なぜ彼らはそういう恵まれた環境にあるのに『自分のやりたいこと』をやらないのか?」
で、気づいたのですが
ニートの人たちは『自分のやりたいこと』が、ニートなんじゃないかなという事です。
このエントリのタイトルも「ニートになりたい僕たち」だし、
コメントやトラックバックにもそのような事が多く書かれていました。
そうすると、ニートは自分ではなく親に稼いでもらう職業なんですね。

そう考えると、「ニートのもう一つのテーマ」は多くのニートには当てはまらないんじゃないでしょうか?
紹介のあったはてなの人もどちらかというと引きこもりに近い感じですし。
 
>「やりたくないことをやらされるのに耐えられる」能力を身につけさせること、
これは、あたってる気がします。あと、やりたくない事の中から少しでも楽しい事を見つける能力とか。

投稿: num_lock | 2004/11/17 12:52

私はニートと言われる存在です。
正直胸をはって言えるような事じゃないですよね。「ニート」って明らかに卑下された言葉ですし・・・・。

私は大学院試験に失敗してニートになってしまいました。

私がちゃんと就職活動していればそうならずに済んだことなのかもしれないけれど、実は今になって思うとニートの何が悪いのかと思えます。

確かに一生懸命働いている友達からは「そんなんじゃ人間としていけない」「働け。何でもいいから動け」と言われます。

周りから煩く言われる内に、私がゆったりとすごしているのがどうしても気に入らないらしいと思えてきました。
これはニート故のヒガミかもしれません。

けれど、自分の人生を決めるのは自分自身だと思いませんか?
ニートと一言でいっても、誰だって一生ニートでいようなどと思っているわけでは無いと思います。親が居ないと生きてはいけませんから。
それをわかった上で、自分を見つめなおす期間というのは決して無駄では無いと思うのですが・・・。

最近、働いている人の傲慢・・・というか、自分はニートでは無いという優越感をひしひしと感じてしまいます。

逆に、羨ましくて仕方がない。ニートと言われてもいいから会社を辞めて山でひっそりくらしてみたいと言う人もいます。

私は誰になんと評価を下されようと、自分なりに一生懸命考えていきたいとおもいます。
失礼致しました・・・

投稿: momor1 | 2005/08/29 14:54

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